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2006-03-16 第164回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十八年三月十六日(木曜日)    午前十時開会     ─────────────    委員の異動  三月十五日     辞任         補欠選任      大塚 耕平君     蓮   舫君      山口那津男君     澤  雄二君  三月十六日     辞任         補欠選任      山本  保君     山本 香苗君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         小野 清子君     理 事                 市川 一朗君                 木村  仁君                 小泉 顕雄君                 鶴保 庸介君                 藤井 基之君                 小林 正夫君                 辻  泰弘君                 平野 達男君                 加藤 修一君     委 員                 秋元  司君                 浅野 勝人君                 岩永 浩美君                 大仁田 厚君                 大野つや子君                 岡田 直樹君                 佐藤 昭郎君                 関口 昌一君                 田村耕太郎君                 伊達 忠一君                 谷川 秀善君                 常田 享詳君                 南野知惠子君                 山本 一太君                 浅尾慶一郎君                 犬塚 直史君                 小川 敏夫君                 喜納 昌吉君                 黒岩 宇洋君                 下田 敦子君                 主濱  了君                 内藤 正光君                 前田 武志君                 山根 隆治君                 蓮   舫君                 若林 秀樹君                 澤  雄二君                 山本 香苗君                 山本  保君                 紙  智子君                 大門実紀史君                 福島みずほ君    事務局側        常任委員会専門        員        村松  帝君    公述人        慶應義塾大学経        済学部助教授   土居 丈朗君        京都大学大学院        経済学研究科教        授        橘木 俊詔君        軍事アナリスト  小川 和久君        財団法人平和・        安全保障研究所        理事長      渡辺 昭夫君        川崎市立川崎病        院内科医     鈴木  厚君        東京大学医学部        附属病院放射線        科助教授緩和        ケア診療部長   中川 恵一君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○平成十八年度一般会計予算内閣提出衆議院  送付) ○平成十八年度特別会計予算内閣提出衆議院  送付) ○平成十八年度政府関係機関予算内閣提出、衆  議院送付)     ─────────────
  2. 小野清子

    委員長小野清子君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。  本日は、平成十八年度一般会計予算平成十八年度特別会計予算及び平成十八年度政府関係機関予算につきまして、六名の公述人方々から順次項目別に御意見をお伺いしたいと思います。  この際、公述人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、大変御多忙中のところ本委員会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  本日は、平成十八年度総予算三案につきましてお二方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いをいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただいた後、委員の質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、財政経済について、公述人慶應義塾大学経済学部助教授土居丈朗君及び京都大学大学院経済学研究科教授橘木俊詔君の御意見を伺います。  まず、土居公述人にお願いいたします。土居公述人
  3. 土居丈朗

    公述人土居丈朗君) 皆様、おはようございます。今日は、このような形で皆様の前で私の意見を述べさせていただくことを大変うれしく思っております。  私は、平成十八年度政府予算案に関連して、私の所見を述べさせていただきたいと思います。  お手元に、「平成十八年度政府予算案に関する所見」ということで参考資料をお配りさせていただいておりますので、これをごらんいただきながらお話しさせていただければと思います。  平成十八年度予算は、特に財政健全化に向けた第一歩という意味では私は高く評価しております。基本的に国債発行額を三十兆円以下に抑えるということを実現し、さらには、プライマリーバランス基礎的財政収支を前年度よりも大きく改善して十一兆円強という赤字にとどめるというところまで参りました。  お手元に、資料二ページにプライマリーバランスの推移がグラフにお示ししておりますけれども、基本的には回復傾向にあるということで、これを継続して今後も予算編成に臨んでいただきたいというふうに思っている次第です。  さらには、一般会計予算と併せて特別会計予算においても、例えば財政融資資金から所要額を捻出して国債残高累増を食い止めるということに資するような形で繰入れを行っているというふうに聞いております。三ページの、国と地方長期債務残高というデータをお示ししておりますけれども、もしこの財政融資資金特別会計余剰金を利用しなければ六百十七兆円の国債残高になっていたというところでありましたけれども、それを十二兆円分買入れ消却をするという形で国債残高累増を食い止めるということに成功しているという点では特筆すべきことだと思っております。  ただ、残念ながら、こういう余剰金の活用というのは毎年毎年いつでも繰り返し行えるというものではないという点には気を付ける必要があると思っております。いっとき限りで財政健全化に資するということは、それはめでたいわけではありますけれども、更に来年には別途、健全化のために工夫を凝らす必要があるというふうに思っております。その工夫といいますと、やはり標準的には歳出削減政府収入の増加、この二つ一つの選択をこつこつと繰り返し行っていって、行く行くは国のプライマリーバランス基礎的財政収支も均衡、更には黒字化へと向かっていく必要があると考えております。  そこで、今般、歳出歳入一体改革ということで政府が取り組むということを聞いておりますけれども、平成十八年度予算で取り組まれ、さらに今後に歳出削減として資すると思われる施策について私の意見を述べさせていただきたいと思っております。  まず、一般会計で大きな歳出予算を占めている社会保障関係費に関連する部分であります。  平成十八年度予算においては、医療制度改革が実行され、その成果の一端が初年度として削減効果として現れているということだと聞いております。平成十八年度、私の資料で四ページですけれども、これは川崎厚生労働大臣経済財政諮問会議でお示しされた表を引用しておりますけれども、もし改革が行われなければ医療給付費は二十八・五兆円必要だったところを、この改革によって一兆円ほど削減することができたという姿であります。さらには、もちろんこれは平成十八年度だけの効果にとどまりませんで、二〇一〇年、二〇一五年、二〇二五年と引き続きこの医療給付抑制という効果が貢献し、これは更には歳出抑制というところで国民に資する部分であるというふうに思っております。もちろん、医療給付が単純に減ればそれで国民が喜ぶというわけでは必ずしもないわけですけれども、必ずしも国民が必要としていないような形で捻出される給付については必要に応じて抑制していくという姿が必要であろうというふうに思っております。  ただ、この医療給付伸びについては、若干私としてはまだ踏み込みが足らない部分もあるのではないかというふうに考えているところであります。  五ページに、今後の医療給付伸びということで、今後十年間ごとに年率平均してどのぐらい伸びるかという数字をお示ししております。政府見通しによりますと、今後十年間、二〇一五年までに年率で一・九%のGDP伸び予想されている。さらには、二〇一五年から二〇二五年には一・六%のGDP経済成長を見積もっているというところであります。もちろん、これはインフレ率の、物価上昇の度合いにもよるわけですけれども、今のところそういう見通しを立てておられると。  さらに、政府諮問会議の中で、高齢化修正GDP伸びという数字が出されまして、これを医療給付抑制目安にしてはどうかという話が出ておると聞いております。ちなみに高齢化修正GDP伸びというものを年率平均して政府GDP伸びと連動させる形で計算いたしましたところ、二・五%という伸びが今後十年間で予想され、さらに、その先の十年間で一・八%という伸び予想されるということになっている。  これに対して、今般の医療制度改革を行う前の厚労省試算によるところの医療給付費伸びは今後十年で四・一%年率伸びると、さらには、その先も十年で三・七%医療給付伸びるという予想がありました。これを今般の医療制度改革によって、先ほどお示しした四ページのスライドにありますように、給付抑制するということになり、それが医療制度改革成果として今後十年間で年率で三・四%伸びると、その先十年間では二・六%伸びるという数字として給付抑制するということに成功している姿が見えるわけであります。  しかし、私が思うには、この医療給付伸び見積り方に若干恣意的なところがあるのではないかというふうに思っております。  先ほど、川崎厚生労働大臣が示されたとされるその引用した表によりますと、まず、平成十六年五月に推計した厚生労働省給付見通しから、今般実行されると予定されている医療制度改革削減額を差し引いたという形で推計されています。ですから、土台は平成十六年五月に推計した数字ということになっています。  その数字を細かくひもときますと、六ページにお示ししておりますけれども、一人当たり医療費伸びが、若い人たち一般医療費で一人当たり年率二・一%、さらには高齢者医療費が一人当たり三・二%年に伸びるという予想を示しておられます。  これは平成七年から十一年までの平均の実績ということで、これは確かに客観性を持っている数字だとは思いますが、実は平成十二年に介護保険が導入されたということを忘れてはならないと思っております。つまり、介護保険の導入によって、これまでは医療保険で面倒を見ていたような給付を、医療保険の方に、回すという形で医療費伸び抑制するということが実は足下でできている。  実際、私が数字を取ってみますと、厚生労働省の統計によりますと、例えば平成十二年から十五年までの平均で見ますと、一人当たり医療費伸びは〇・六%とか〇・四%といった数字で、先ほど厚生労働省試算に使ったという数字よりも低い伸びになっている。極端に言えば、高い伸びが今後予想されるという数字を示しながら、そこから給付費がこれだけ削減できましたから何とかこのぐらいでおとどめくださいと言っているような部分もあるのではないか。極端に言えば、本当はそんなに伸びないものでありながら、実はたくさん伸びるという形で少し上めに、過大に推計して、そして実は一生懸命頑張って削減しているんだからこれで何とかこの程度で抑えてほしいということを言っているように思えます。  そういう意味では、本当は医療の質を落とさずに、高齢化修正GDP伸びに合わせるような形の水準にまで、さほど苦しい努力をしなくても実現できるのではないかというような思いも私はいたしております。そういう意味では、今後も社会保障給付伸び在り方については吟味する必要があるのではないかというふうに思っております。  残りの時間でもう一つ一般会計の中で大きな額を占める地方財政地方交付税の問題についてお話をさせていただきたいと思います。  御存じのように、三位一体改革が行われ、この平成十八年度は三位一体改革最終形ということで予算計上されているやに聞いております。  私が思うには、三位一体改革地方分権への方向性としては基本的に正しい姿であるというふうに思っております。改革のパーツも、いいものをえりすぐっていると思います。ただ、残念ながら、国庫補助負担金削減税源移譲というこの二つのパッケージにやや固執した嫌いがあるなと。もう少し地方交付税改革についてもお忘れなく、きちんとメスを入れていただきたかったという部分が若干心残りとして私はあります。もちろん、今この三位一体改革ですべての地方分権改革が終わるわけではないというわけでありますから、今後も更に、国と地方在り方をきちんと見極めながら、地方交付税をどのような形で改革していく必要があるのかということについては検討をしていただきたいというふうに思っております。  ちなみに、地方交付税を含む国から地方への財政移転補助金流れを八ページにお示しして、その規模がどのぐらいであるかということについてGDPの大きさと比べてみたものが九ページにございます。これは最近徐々に有名になっている姿でありますけれども、最終的な財政収支という意味では、国はプライマリーバランス赤字地方プライマリーバランス黒字、そして国と地方を合わせてプライマリーバランス赤字という姿が今の状況であるということが言われております。  ところが、その裏側で何が起こっているかというと、国は自分が抱えているプライマリーバランス赤字規模以上に大きな財政移転、国から地方への補助金地方交付税を配分するという形でこの姿になっている。その国からの補助金地方交付税を配る前の段階で国はプライマリーバランスとしてどのぐらいの額を持っているかというと、実は黒字であると。そして、地方地方交付税が来なければ赤字であると。だけど、それを埋めてもらってなおお釣りがある形で実は地方黒字ということになっているというところが足下の姿ということで決算として出てきているというふうに思います。  もちろん、地方黒字であるということに地方自助努力があるということを認めます。ですから、地方自治体は一生懸命汗をかいて歳出削減などをして、地方自治体なりに独自に努力をして、プライマリーバランス黒字化していくという努力をしているというふうには思います。ただ、その裏側地方交付税なり国からの補助金という大きな資金的な支援を国から受けているということは、実は忘れてはならないことであろうというふうに思います。  で、その国から地方への補助金流れというものをどう金額的にとらえるかということで私が思っておりますのは、一つ目安として、国と地方がそれぞれに抱えている借金の額の大きさに比例する形で、プライマリーバランスの大きさ、黒字の大きさを確保できるような財政制度を設計していくということが必要なんだろうというふうに思います。  今の点について少し詳しく触れさせていただきたいと思いますが、そもそも十ページに、今の足下で国と地方債務残高が国と地方でそれぞれどのぐらいの大きさになっているかというのをお示ししております。  政府見通しによりますと、国の債務残高は六百五兆円程度、それから地方債務残高は二百四兆円程度という数字になっている。比率に直すと、地方が一に対して国は三という借金残高になっているというふうに見られるわけです。もしこれを破産させずにきちんとそれぞれ、国も国で、地方地方借金をきちんと返せるようにするような財政運営を取り組むというためには、少なくともきちんとプライマリーバランスは国も地方もそれぞれで黒字を出していかなければならない、行く行くはそういう姿になっていかなければならないと。もちろん、今は国は足下では赤字ということですので、更にプライマリーバランスを改善する努力が求められているというふうに思いますけれども、五年後なり十年後なり究極的な姿としては、この借金を膨張させないようにするためには、手段はいろいろあるにしても、プライマリーバランス黒字を、国は国で、地方地方で確保していかなければならない。  では、じゃ国は地方と比べてどのぐらい多くプライマリーバランス黒字を確保しなければならないかというと、正にこの国と地方債務残高の大きさに比例すると。もし、地方が一という大きさに対して国が三という大きさで借金を抱えるということで将来的にもいくということであるならば、国は地方プライマリーバランス黒字の三倍の大きさのプライマリーバランス黒字を確保しなければ、国の借金を破産させずに回すということはできないということであります。  それから、もう一つ重要なことは、プライマリーバランス黒字ということでどのぐらいの大きさの黒字が必要とされるのかということについては、プライマリーバランスというのは、定義として、税収から一般歳出、政策的な経費を差し引いた額がプライマリーバランス黒字の額を意味しているわけですけれども、このプライマリーバランス黒字利払い費以上にならないと借金残高は減らないという、そういう関係になっているという点であります。十二ページにその点触れておりますけれども、そういうことが必要だと。  さらには、金利経済成長率の差、この差が今いろいろ議論になっておりますけれども、例えば経済成長率が三%、名目経済成長率が三%で名目金利が四%ということだとこの両者の差が一%ポイントということになるわけですけれども、一%ポイントのときに必要とされるプライマリーバランス黒字よりも、これがもし二%に大きさが開くと、プライマリーバランスとして必要とされる額は二倍になるという関係も、これは経済学の中で導かれている結論であります。ですから、当然のことながら、もし金利が高ければそれだけより多くプライマリーバランス黒字を確保しなければならないということになります。  もし将来的に国と地方プライマリーバランスの、失礼、政府債務残高目標を対GDP比で見て一〇〇%と置くならば、それに対して国が一対三で七五%分、地方が二五%分を持つということになったとするならば、当然のことながら、国として対GDP比で見てプライマリーバランス黒字を〇・七三%という十三ページに書いてあるような数字で確保しなければならないということであります。そのためには、当然のことながら、更なる歳出削減ないしはある程度のやむを得ない増税というのも必要になってくるだろうというふうに思います。  御清聴どうもありがとうございました。
  4. 小野清子

    委員長小野清子君) ありがとうございました。  次に、橘木公述人にお願いいたします。橘木公述人、お願いします。
  5. 橘木俊詔

    公述人橘木俊詔君) ただいま御紹介にあずかりました、私、京都大学橘木と申します。  今日は、土居先生財政専門家でございますので、予算あるいは財政の問題に関して詳しいことを述べられましたが、私は必ずしも財政専門家ではございません。マクロ経済だとか労働経済専門にしている者でございますので、予算とは直接関係ないかもしれませんが、マクロ経済一般あるいは格差拡大の問題について私が日ごろ考えていることを御紹介して皆様の御参考になればというふうに考えております。  今日は、二つ皆様のお手元資料を提出させていただいておりますが、第一番目はマクロ経済運営に関する話でございまして、これは二、三週間前に週刊東洋経済という経済雑誌に私が出した原稿でございます。二番目は、ワープロ入力の「格差拡大の真実と是非論」ということでお話させていただきたいと思います。  まず最初は、マクロ経済運営に関するものなんですが、これは政府与党側から、いわゆるマクロ経済運営をめぐって二つ意見があるというようなことを、私がその対立をかりまして、日本マクロ経済運営というのはどういう二つ意見があるかというのを象徴的に取り上げた論点でございます。  ややジャーナリスティックに言えば、竹中派谷垣派、あるいは竹中中川バーサス谷垣与謝野というやや刺激的な論点を出しているんですが、これはむしろマクロ経済学から見ても非常に重要な論点を提言しているというふうに私は理解しましたので、やや挑戦的なタイトルになっておりますが、非常に重要な論点でございますので御紹介したいというふうに思います。  この二つの路線というのは、私の見るところ、三つの論点意見相違がございました。  一つは、もう去年になりますが、消費税アップをいつするかというようなことで議論が生じまして、この名前大臣政調会長名前を一々言っておりますとなかなか時間も足りませんので、竹中たち意見前者と言いまして、谷垣与謝野大臣意見後者というふうに呼ばさしていただきます。  後者側からどういう意見が出てきたかというと、もう今の財政赤字を解決するには消費税アップをいつかやらないかぬと、もう来年、再来年にもやらないかぬという意見が出てまいりましたが、それに対して、いや、その消費税アップの前にまずやるのは歳出削減だというようなことで対立が生じました。これが第一点の論点でございます。  第二の論点は、いわゆる金融政策をめぐって、日銀量的緩和政策解除をめぐって、まあ日銀はごく最近解除をやったんですが、その問題に関しても論点両者に違うようになりました。一方は削除をやるべきじゃないと、一方は、まあ削除に対しては非常に慎重なんだけど、元をただせば、これは金融政策に一体何を求めるかというところで論点対立がございました。  それは、いわゆる我々経済学インフレターゲティングという、インフレ目標値を定めて、日銀はその目標値を定めて金融政策をやるべきだという意見と、それと、いやインフレターゲティングというのは、そういうのはあり得ないという議論と、この二つ意見がございまして、これに関してもこの前者と、両者意見が違ったというところでございます。  それから三番目は、今後の日本経済マクロ成長率予想、あるいはマクロ経済成長率をどのように予想するか、あるいはどのように持っていったらいいかということに関して、これも意見相違がございまして、一方は成長率名目成長率は高い方がいいと、いや、一方はそうではないと、名目成長率は高くするには限度があるというような意見で、この二つ対立がございました。  私は経済学者でございますので、純粋経済学的に見て私の意見というのがこの論考の後半部分に書いてございまして、まず一番目の消費税に関していえば、私は、これは個人的な意見でございますが、まだ賛成は多数派でございませんが、基礎年金全額税方式化というのを私は主張しておりまして、それに対しては累進消費税というのを導入すべしというような意見を持っておりますので、私は個人的には消費税アップというのは、これはもう避けられないと。いずれ、国民の社会保障の不安を解決するためにはそういうような政策でもって、国民に安心を与えるためにはそういうような累進消費税でもって財源を確保する必要があるというふうに見ておりますので、私は消費税はアップはもう近々避けられないという意見を持っております。  二番目のインフレターゲティングの話でございますが、日本語ではインフレ目標値と言っておりますが、世界の先進国を見た場合、インフレターゲティングをやっている国はございます。そして、成功している国もございますが、ほとんどすべての国はインフレ率が高過ぎるのでインフレ率を下げようという金融政策を出しているんですが、日本の場合はむしろ逆でございまして、デフレをインフレに持っていくためにインフレ目標値というのを掲げて、それに金融政策を対処しなければならないという主張でございますが、私の見るところ、インフレ率を下げるのとインフレ率を上げるのとでは経済政策、財政金融政策、全く違う政策を取らないと駄目ですので、私が今の時点で判断する限りにおいては、インフレ目標値を高く上げてそれを取るような金融政策財政政策というのはまだ議論が不十分であるというふうに見ておりますので、インフレターゲティング理論には私はくみしておりませんので、私の意見はそこに書いているようでございます。  三番目の、名目成長率を高くするか低く設定するかの話でございますが、日本の今後の人口構成を見た場合、少子高齢化がますます進行しますので労働力が足りなくなると。マクロ経済学経済成長を語るときは三つの要素がございます。一つは労働力の伸び率、二番目は資本の伸び率、三番目は技術進歩の伸び率でございます。この三つの合成でもって経済成長率が決まるわけなんですが、その第一番目の労働力の成長率がもう負であるというふうなことが前提にすれば、後ろ二者の資本と技術進歩の高い成長率に期待しないといけないというわけなんですが、それはなかなか私は難しいだろうというふうに見ております。そういう意味で、なかなか名目成長率を高く設定するというのは困難であるだろうという見方に加えて、もう一つ、私は高い名目成長率を設定することの困難な理由を申し上げたいと思います。  それは、いわゆる環境問題だとか、いわゆる世界の国を見た場合、先進国と発展途上国の貧富の格差は物すごいものがございますので、環境問題に配慮するとか、あるいは世界各国のいわゆる貧富の格差を是正するためには先進国の成長率はほどほどでいいだろうと。で、私は、具体的には、日本経済においては実質経済成長率一%ぐらいがまあ私から見たところ最適だというふうに見ておりますので、そんなに高い成長率日本は目指すべきでないという意見を持っておりますので、そのような第三番目の論点に関する私の意見を述べております。  そうしますと、そこで結論的に申しますと、その私の個人的な意見というのは後者、すなわち谷垣与謝野大臣の主張するマクロ経済政策の方に共感を覚えると、というようなことになりますが、私は経済学者でございまして、政治家ではございませんので、もうあくまでも私の経済学の知識からこういう意見を述べさせていただいたということでございます。どちらを取るかは、これは政治家のお決めになることというふうに私は理解しております。  これが前半の話でございまして、後半部分は、お手元にワープロの入力の資料があると思いますが、格差拡大の真実と是非論という形でお話しさせていただきたいと思います。  実は、私は、日本において一億総中流はもうないと、格差が拡大しているということをもう七、八年前から言い出している者でございまして、実は国会でもその格差の問題が議論されましたので、まあ七、八年前にそういうことを言った者が今どういう意見を持っているかということで、皆様の前に御紹介させていただきたいと思います。  まあ、一億総中流の時代が終わったというのはほぼ皆様の合意はあると思うんですが、それが一体どこまで貧富の格差が拡大しているかというのは、統計の取り方だとか、あるいはそういうことからなかなかコンセンサスはございませんが、私の見るところ、貧富の格差あるいは所得分配の不平等化は進んでいるというふうに、こういうふうに私は判断しております。  その一つの証拠は、いろんな新聞社だとかシンクタンクが日本格差拡大しているかというアンケートを取りますと、ほぼすべて、七割、八割の回答者が格差拡大中であるというような回答がございますので、国民一般も、日本の社会に格差拡大が起こっているということをどうも認識しているようだ、あるいは実感しているようなというふうに私は感じております。  しかし、でも、格差拡大の問題を言ったときに、じゃ一体格差拡大をどこまで是認するのか、いや、あるいは平等の方がいいのかというのは、これは人間の価値判断の問題でございますので、なかなかどっちがいいかということまでは結論は出しにくいと。しかし、私の見るところ、たとえ格差拡大を是認する人であっても、貧困者の数が増えるということだけは多分否定するだろうと。物すごい有能な人が頑張ってたくさんお金の、お金持ちになるのはこれは構わないと、経済活力の活性化にも寄与するからこれは構わないだろうと。しかしながら、貧困者の数が増えるのは困るというのは、ほぼ多くの方の合意があるだろうというふうに私は見ますので、ここでは貧困者のことに実態を集めて皆様に御紹介したいと思います。  資料によりますと、二番目に、最近、OECD、パリに本部があります経済協力開発機構が、加盟国の貧困率を推計した結果を出したんですが、そこの結果にございますように、日本は一五・三%と、主要先進国の中では三%という高さでございます。ちなみに、平均は一〇・七、まあ一番低い貧困率、これは福祉国家として有名なデンマークは四・三というわけで、日本は今や不幸なことに貧困者の数が非常に多いという状態になっております。  この貧困の定義は、我々専門家の間では相対的貧困という言葉を使っているんですが、これは中位所得者、まあ平均的な家計所得の五〇%以下の人たちが何%いるかという形で貧困を定義しております。で、国際比較をやる場合は、こういうような相対的な貧困しか比較はできません。絶対的な貧困というのは、その国々それぞれにおいて事情が違いますので比較はできませんので、OECDはこういう基準を取って世界各国共通の貧困率の定義で測ると、こういうことになったということでございます。  じゃ、日本における絶対的貧困率はどれだけかという推計を私がやってみました。絶対的貧困というのは、その国で生活のできない、自分の所得だけでは生活のできない人たちがどのぐらいいるかというような数字でございまして、一つの基準を生活保護基準というふうに設定しまして、日本において生活の保護基準以下の所得しか得ていない人がどれだけいるかというようなことを、これは私が推計した数字でございますが、そこに書いてありますように、九六年から二〇〇二年まで数字が増えているということでございますので、貧困者の数は日本で増えているという現状でございます。  それから、それをもう一つ裏付ける数字が四番目の生活保護を受けている人が日本においてどれだけいるかという比較しますと、十年前は六十万世帯だったけれども、今は百四万世帯であるというわけで、一・六倍から一・七倍に増えている。  こういうような現状を見ますと、日本の貧困者の数は非常に増えていると、貧困者の激増ということが統計的に確かめられるかと思います。  次に、五番目に、じゃ日本で貧困者が増えた理由は何であるかということをそこに六つぐらい述べさせていただきますが、これはもう時間の関係で、読んでいただいたら分かることだと思いますので飛ばします。  六番目、七番目、八番目にある話は、こういうような格差拡大の問題を考えるときはいろんな視点がございます。で、格差拡大是認論と格差拡大否定論、両方ございます。まず、我々経済学者から見るところ、いわゆる経済効率性と経済公平性にはトレードオフがあるという関係から出発することが可能です。いわゆる経済効率、いわゆる活力を強くするには、これは分配の問題は犠牲にならざるを得ないという考え方でございます。だから、公平性を重要視する人は、経済活力がある程度阻害されるのはやむを得ないという立場でございます。  そういう意味で、経済効率性と公平性にはトレードオフがあるということが前提となれば、経済効率を優先するのか公平性を優先するのかで意見が違ってくるということを皆さんに分かっていただきたいということでございます。  本来ならば、私は、個人的には両方追求すべきだという考えを持っておりまして、経済学者は両方を満たすための経済政策なりいろんな政策を考えるべきだというふうに思っております。で、それを達成した、なかなか難しい道なんですが、二つだけ例を申し上げて、私は、そういう国があったということを申し上げたいと思います。  一つは、日本の高度成長期のころでございます。高度成長期のときは経済成長率も高かったし、分配の平等性も高かったという意味で、日本の過去は希有な非常にいい例でございます。もう一つは、現代に限れば北欧でございます。北欧は非常に分配の公平性が高い、そしてもう一つ経済活力も非常にあるということでございまして、この二つの例、過去の高度成長の日本、それと現在の北欧諸国というのは効率性と公平性を両方達成した希有な例でございますので、できればこの二つを例にしながら日本経済政策というのはあるんじゃないかなという感じがします。  それから、七番目には、格差拡大を是認する意見から必ず出てくるのは、敗者にリターンマッチがあればいいと、あるいはセーフティーネットが充実することが肝心だということは、これは百人中百人がそういうことを申します。しかしながら、日本の現実を見る限りにおいては、必ずしもそういう事実ではないと。頑張ろうと思っても頑張れない人もいる、あるいは日本の社会においてセーフティーネットあるいは社会保障制度というのは、小さな政府を主張する限りにおいては大きくなることはあり得ないだろうということで、小さく向かっているということでございます。  最後に、八番目に、平等不平等問題を語るときは、結果の平等、機会の平等を峻別する必要があるし、機会の平等というのは非常な大事な概念でございますんで、みんなが何かをやりたい、教育を受けたい、職業に就きたい、何かやりたいということは平等な機会が与えられるべきだろうというふうに見ております。しかし、日本も不幸なことに機会の平等もやや悪くなっているというのが私の評価でございます。  時間になりましたので、以上で終わらしていただきます。ありがとうございました。
  6. 小野清子

    委員長小野清子君) ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  7. 田村耕太郎

    田村耕太郎君 二人の先生、ありがとうございました。大変興味深い御議論をお伺いしました。  まず、橘木先生にお伺いしたいんですけど、この格差の議論ですね、非常に私も関心持っていまして、格差そのものと格差の深刻度、これを感じるときと、本当はどうかなと思うときとあるわけですね。  で、この月曜日に出ました消費者心理動向調査ですね、内閣府で出しました。これを見ますと、一九九〇年六月に次いで十五年ぶりの非常に高い水準だというデータが出たんですね。まあ、ここ、ちょっとパラドックスがあるんじゃないかなと思うんですね。  先生がおっしゃるように、本当に格差が深刻なほど開いていたら、消費者動向調査、これ、暮らし、収入、雇用環境、耐久消費財の買い時、この見通しを尋ねて指数をつくるらしいんですけど、これは四九・八と非常に高い水準になったと。消費者の、何というんですかね、信頼感というのは非常に高くなっているということが裏付けられているわけですけど、これ、ちょっとパラドックスがあるんじゃないかなと思うんですけど、消費者の信頼感が高まっている一方格差が深刻に開いている、この先生の議論とのパラドックスはどのようにお考えになりますか。
  8. 橘木俊詔

    公述人橘木俊詔君) 申し訳ないけど、私はその調査知りませんので具体的にお答えするのは不可能なんですが、私の見るところ、先ほど申しましたように、いろんな新聞社やシンクタンクが格差は拡大しているかしていないかという問いをやったときに、七割から八割の人が格差拡大中であるというような答えをしておりまして、そういうのを私が見ながら今日申し上げた次第なんですが、委員がおっしゃられるように、いや、消費者は今自信が持っているというような意見も多分あるかと思います。  ごく最近出た調査ということにかんがみますと、景気の拡大、景気が回復しつつあるというのは、これは国民も認識していますので、今後は日本経済は良くなるんだろうというような期待を込めて、まず所得が上がるんであれば消費をやろうかという意識が出てくるというのは私はいいことだと。日本のマクロ、いわゆるGDPを構成するのは家計消費が六割以上ですから、家計消費が強くなれば日本マクロ経済の運営はうまくいくだろうというのは予想できますので、そういう意味で、今御質問のように、消費者が自信を持って行動していくのはいいと思います。  しかし、一方、社会保障に対する不安が非常に強いというのも事実でございますので、社会保障の不安を払拭することも非常に大事だというふうに見ていますので、そういう意味で、消費意欲と社会保障の不安、両方を取り除くことが日本マクロ経済の信頼回復に役立つんだろうなというふうに見ております。
  9. 田村耕太郎

    田村耕太郎君 ありがとうございました。大変参考になりました。  次に、先生の分析で非常に面白い、資料を見させていただいて非常に面白かったのが長者番付の分析ですね。医師以外は学歴と資産形成の相関性が皆無であると、全く関係ないというのを非常によく説得力を持って分かりました。その割にはまだ受験は、受験の戦争の過熱は低年齢化する一方、幼稚園から始まったりと。この、何でしょうね、もう本当に学歴と資産形成関係ないのに、なぜ学歴の、受験戦争というか、そういうものは低年齢化するなり過熱しているんでしょうか。先生、この背景、どう分析されますか。
  10. 橘木俊詔

    公述人橘木俊詔君) 私の「日本のお金持ち研究」という本を評価していただきまして、ありがとうございます。その場で日本のお金持ちというのは創業経営者とお医者さんであるというようなことを申しまして、お医者さんは非常に学歴高いですが、創業経営者は余り学歴は無関係だということを、今委員が御指摘になったとおりだと思います。  しかしながら、非常に面白いのは、そういうような創業経営者、必ずしも学歴の高くない人たちほど自分の子供の教育には物すごい熱心なんですよ。これが私がここで申し上げたいことで、そういう人たちは、言ってみれば、自分はいわゆる事業で成功したけど子供には高い教育をさしたい、これ親の心として私は当然だと思います。  そういう意味で、そういうようなお金をたくさん持っている親というのはできるだけ教育費にお金を注いで、自分の子供を名門の小学校、中学校、高校、大学にやろうというような行動を取るわけなんですね。それが私が日本のお金持ち研究をやったときの一つの面白い発見でございまして、親が学歴そんなになかったけど、子供だけは高い学歴を付けさせようという動機が働くと。  ということになると、今後、日本の教育を予想した場合には、お金のある人がいい教育を受けられて、お金のない人はいい教育を受けられないという機会の平等が阻害される時代になりかねないと。日本の昔はお金のない人もある人も平等に教育が受けられる時代でした。高度成長期のころは親の所得と関係なしに本人の努力と意思さえあればいい教育を受けられたんですが、日本の社会はそのような時代から遠ざかっているという事実を私は個人的には危惧しております。
  11. 田村耕太郎

    田村耕太郎君 今度は土居先生地方財政のことでちょっとお伺いしたいんですけど、私も地方出身者で、地方選出議員なんですけど、ポスト三位一体、地方交付税改革、これに関して先生の具体的な御意見をお伺いしたいんですけど、やっぱり問題は地方税財源が偏在しているということと、やっぱり地方財政健全化自助努力、この二つを喚起していかなきゃいけないと思うんですけど、この二つを同時に喚起するためにはどのような政策が望ましいと思われますか。
  12. 土居丈朗

    公述人土居丈朗君) 今御指摘いただいた点ですけれども、地方、税源がない農村部の自治体とか、こういうところにどうやって分権時代に生き残っていくような糧を与えるかということなんですけれども、私はやはりそれでもなお国からある程度財政的な支援を続けていくということにせざるを得ないんだろうというふうに思います。  ただ、今の地方交付税の仕組みがそのまま生き残っていいとは思わないわけです。つまり、配り方が今の地方交付税制度にはいろいろ問題があるというふうに思っています。極端に言えば、自分たち努力して、歳出削減努力をしたということであったとしても、その分が地方交付税削減ということで報われない形になってしまうとか、さらには、地元経済を活性化して、税率を上げなくても、自然増収で地元の税収が増えたにもかかわらず、交付税はその分減ってしまうとか、そういう形で地方交付税の配り方が収入と支出の差額を埋めるという形で配られているがゆえに、結局収入を増やしても交付税が減るだけで終わるとか、支出を削減しても交付税が減るだけで終わってしまうというようなことになると。そうすると、何のために一生懸命に努力したんだかというところがあると思います。  ですから、私が思うには、地方交付税の配り方はもっと簡素にして、かつ、極端に言えば一人当たり税収に比例するような形で、つまり一人当たりの税収が少ない自治体にはより多く与えるけれども、一人当たり税収が多いところはもうほとんど国から補助金は与えないという形にして配れば、総額の規模としてはそれほど多く配らなくてもいいけれども、税収が足らない自治体に対してはきちんと税収の足らない部分を埋めるということをするということができるんだろうというふうに考えております。
  13. 田村耕太郎

    田村耕太郎君 あと、自治体の規模なんですけど、効率的な財政運営をするためにはどれぐらいの規模の自治体が、人口の面ですけど、望ましいと考えられるかという点と、今の制度だったら、仮に今の制度だったとしたら、どれぐらいが適正人口だと思われますか。
  14. 土居丈朗

    公述人土居丈朗君) 私が思うには最低一万人ですね、最低ですね、それ以下の人口のところだと、やはり地方財政のためにはある程度地方公務員を必要としますから、当然のことながら規模経済が働かないといいましょうか、ある程度の職員がいないと分権時代にいろんなことを自治体でさばき切れないということになります。そうすると、例えば二千人の村に百人も二百人も村の役場に公務員がいるというんじゃ非常にコストパフォーマンスが悪いわけですね。  できれば、もちろん集落集落がいろいろあって、合併したってそんなにメリットはないよというようなことはあるかもしれませんが、やはりヘッドクオーターといいましょうか、どの自治体でも最低限これだけは事務事業をやらなければいけませんねというところで、中央司令塔のような形で自治体の役所があるということをつくるためには、人口規模に比して言えば大体一万人ぐらいの人口規模がないと、そういうメリットが働かないんだろうというふうに思います。それは恐らく分権しても、もちろん今の制度は国からないしは都道府県からサポートしてもらっているから人口が少なくてもやっていけるという、そういう側面があるんだと思いますけれども、これからどんどん分権化するという話になれば最低一万人。  ただ、もちろん、みんな一万人の規模の自治体ばっかりつくっていいというわけではもちろんなくて、人口が密集しているところは十万、二十万の人口を一挙に抱える自治体というものが当然あっていいというふうに思います。
  15. 田村耕太郎

    田村耕太郎君 ちょっと、今度はまた橘木先生の方に戻っていきたいと思うんですけど、最初の話ですね、名目金利と長期成長率の論争がありますね。あの論争をどう評価されるかということで、特に長期金利の決定要因ですね、お互いの論争の評価といいますか、この分析が足らないんじゃないか、こっちが正しいんじゃないかというのは、長期金利の決定要因に限っては先生はどう思われますか。
  16. 橘木俊詔

    公述人橘木俊詔君) その問題は学者の世界でも意見が真っ二つでございまして、名目金利成長率、一体どっちが高いのがいいのか悪いのかという、これは、歴史家から見て、世界の先進国でその両者、どっちが高い場合が多かったかということすらも論争になっておりますので、一概にどっちがいいかということは言えませんが、名目金利が非常に高過ぎると、金利が高過ぎると、これは財政赤字を大きく抱えておる日本、特に財務省側から見ると非常に困難なことだろうなということは言えますし、あるいは経済成長率名目成長率が高ければ税収が増えるだろうということから見ると、経済成長率金利よりも高い方がいいという意見出てまいりますし、いろんな考え方がございますが、私、個人的な判断を申し上げますと、経済成長率がいわゆる長期金利よりも高い方が、いわゆるマクロ経済全体の運営にとっては総合的に見たらいい結果が出るだろうという評価を私はしております。しかし、論争が非常に深刻でございますので、一概にどっちがいいということも言えない論点は私も認めます。
  17. 田村耕太郎

    田村耕太郎君 土居先生の方に今度は行きますけど、外形標準課税が地方税で導入されました。これいろんな議論があると思うんですね。どの程度規模の企業に一番影響があるかという話があるんですけど、誘致企業政策、これ自治体考えていると思うんですけど、これに与えるインパクトを考えてどのようなフィードバックがあると思われますか。
  18. 土居丈朗

    公述人土居丈朗君) 私が思うには、地方自治体が法人に課税するということは非常にいろいろな災いが多いというふうに考えております。特に、外形標準については、付加価値割と資本割というものがあるわけですけれども、できれば、付加価値割というのは結局のところ地方消費税と同じ穴のムジナと言っていいようなものの税であるということからすれば、私が思うには、地方消費税という形で取るという形で総合して、できれば法人事業税はできるだけ縮小すると。  そうしないとやはり、例えば企業誘致をしたいといっても、今の状態だと、標準税率という言わば税率の下限みたいなものがありますから、この税率を引き下げるということをなかなか自治体は許してもらっていません。今だと、標準税率以下の税率で掛けると地方借金を、地方債を発行することができないというペナルティーが自治体に来ますから、当然、最低の税率以下にはしない、標準税率以下にはしないということになってしまいます。  そうすると、せっかく企業誘致をしようと思って税を減免してあげますよ、これは外国の自治体だと当たり前なんですけれども、日本の自治体ではそういうことがなかなかしにくい。例えば、せいぜいできるとしても、固定資産税のそもそも評価をするところで少しいじって、税率はいじれないんだけれども、固定資産税の金額を減免してあげて、それに税率を掛けるということになるから払う税額は少なくて済むとか、そういうようなことでしかできなくて、非常に回りくどい企業誘致になっている。それならば、もう少し自由に自治体に税金を決める権限を与えてあげるということにした方が自治体にとっても企業誘致が進むというふうに思います。
  19. 田村耕太郎

    田村耕太郎君 もう一つ地方財政と教育の問題に関してお伺いしたいんですけど、地方財政と教育の問題というと、義務教育費国庫負担の話が出るんですけど、地方財政今ちょっと、おおむね、ちょっと見てみますと公共事業も減っていますね。福祉関連費も高齢化比率の割にはカットしてきていると思うんです。人件費だけが団塊世代の退職が増えてちょっと増加しているんですけど、ほかに増えているものはないかと見ると、私学振興助成が増えているんですよね。この私学振興助成が増えている背景というのは、先生、どのように分析されますか。
  20. 土居丈朗

    公述人土居丈朗君) 私は私立大学の教員ですので、なかなか言い難い部分もあるわけですけれども、ここは忌憚なく申し上げさせていただきますと、基本的に公立学校の信頼感が少し落ちているという中で、私立学校に進学する子供が少しずつ増えているというような背景、そうすると、やはりある程度私立学校に対してもサポートしてやらなきゃいけないんじゃないかというような声が出てくるというようなことはあろうかと思います。  もちろん、学校の在り方として、公立学校は公立学校できちんとしっかり教育をしていただきたい。むしろ、公立学校と私立学校がそれぞれ競い合いながら切磋琢磨して教育の質を高めていってということを期待したいわけですけれども、いろいろな制約もあって、私が一つの原因じゃないかと思うのは、公立学校の教員の平均年齢の上昇と、極端に言えば、若い先生がなかなか少なくなっているというようなことからも、若干公立学校の活力が落ちているのかなと。  その点、私立学校は、正に自分の学校を維持するための経営ということには非常にシビアですから、当然いい先生を雇うというようなことをそれぞれの学校でやっているという側面がより強いというふうに思いますから、その反映が児童や生徒の進学先に影響し、それがそういった形で、今先生がおっしゃったような傾向というようなところにも影響しているのかなというふうに思っております。
  21. 田村耕太郎

    田村耕太郎君 先生のお話を総合しますと、やっぱり義務教育費国庫負担の話だけじゃなくて、やっぱり私学振興助成の話も一体として議論しなきゃいけないというのが私の考えなんですけれども、先生はどうお考えになりますか。
  22. 土居丈朗

    公述人土居丈朗君) 私も基本的にはそのように思っています。  つまり、義務教育は義務教育としてきちんと、これどう考えるかということは必要なんですけれども、日本の教育全体、基本的に質を向上させていかなければいけないという観点からすれば、官と民と言うのは変ですけれども、公立学校、私立学校、それぞれどういう役割を果たしていくべきなのかということを総合的に考えるというのは、これは重要なことだと思っております。
  23. 田村耕太郎

    田村耕太郎君 また橘木先生の格差の話をちょっとまた、御意見をお伺いしたいんですけれども、いろいろ著作とか資料を読ませていただいて、やっぱり深刻な経済格差は容認できないという立場でいらっしゃるんじゃないかなと思うんですけれども、日本社会にとって経済格差がもたらす顕著な弊害というのを先生の分析で幾つか分かりやすい論点を挙げて述べていただきたいと思うんですけど、よろしくお願いします。
  24. 橘木俊詔

    公述人橘木俊詔君) 私、個人的にはやっぱり大き過ぎる格差の拡大は良くないだろうという意見を持っておりますが、先ほども強調しましたように、効率性と公平性を両方達成するような経済政策を目指すのが私の義務だと、あるいは学者としての役割だと思っていますので、やたらめったら平等だけがいいという意見を私は取っておりません。そういう意味で、効率性と公平性を両方達成するような政策はあるかなというふうに私は見ております。  じゃ、非常に経済格差が拡大したときにどういうことが起こるかと、どういう弊害があるかという御質問だと思うんですが、例えば一つには犯罪が非常に増えるとか、あるいはやる気を失う人が、もう幾ら頑張っても自分は立ち上がれないんであればもうやる気を失って、山田昌弘社会学者の話によると希望格差も深刻だというようなことになって、余りにも格差が広がり過ぎるとやる気を失う人あるいは犯罪が増えるとかいうような意味で、やっぱり安定的な社会を構築するためには過大な格差の拡大はやっぱり私はマイナスだろうなというふうに私は見ております。
  25. 田村耕太郎

    田村耕太郎君 今度、土居先生に指定管理者制度についてお伺いしたいと思うんですけれども、今まで多くの官が建てて官が運営していたいろんな施設ですね、病院とか競技場とか、そういうものが今度は民間に開放されるということなんですが、今までの実施状況を含めて、この制度、どう評価されていますか。
  26. 土居丈朗

    公述人土居丈朗君) 指定管理者制度については、これは非常にいいことだと、基本的にこれを更に発展充実させるべきだというふうに考えております。  私が思うには、指定管理者制度を、より地元密着といいましょうか、地元をより活性化するために活用するという方法を各自治体は更に深く考えていただく必要があるんじゃないかと。極端に言えば、これはかなり極論ですが、東京に本社があって全国展開している業者が各地で請け負うというような形になると、確かに各地元に雇用の場は生まれるのかもしれないけれども、東京の本社が持っていっちゃう分というのもあるということからすれば、地元の業者を育成してきちんとした質を確保しながら、できるだけ、もちろん雇用もあり、地元の雇用も確保しながら地元の業者を育てていくということができるような制度でもあるので、この指定管理者制度をそういうような形で生かすというような方法もあるのではないかというふうに考えております。
  27. 田村耕太郎

    田村耕太郎君 もう一つ土居先生に、地方がやっている福祉政策のパラドックスということをちょっと私は考えているんですけれども、これに関して先生の解決策をお伺いしたいんですけれども、今、田舎の自治体ほど一生懸命支出カットを続けているんですけれども、やっぱり高齢化比率が高いですから、福祉に関する予算はなかなかカットできないんですね。福祉に関して手厚い政策を取れば取るほど、長い目で見たらそういう自治体にそういう福祉を必要とする人が移ってきて、ますます苦しくなるという状況が起きているわけですけれども、このパラドックスを解決するには先生、どんな方法がありますかね。
  28. 土居丈朗

    公述人土居丈朗君) 日本の社会保障制度で自治体が担っているところというのは、かなり不利なといいましょうか、負担が重い部分を担っていると。特に医療と介護ですね、これを自治体が保険者になってやっているというわけです。  ところが、実際だれがその保険のお金をより多く捻出しているかというと、これは世代間のいろいろ対立ありますけれども、基本的には若い人たちがより多く負担していると。医療にしても、高齢者医療制度の負担のそれなりの部分は若い人たちが担っているだとか、介護保険についても、第二号被保険者が第一号被保険者のために、自分たち給付を受けないんだけれどもお金を払っていると。つまり、四十歳から六十四歳の人ということですね。そういう人たちが少ない自治体になればなるほど収入が少ない割には給付が多いという構図が、この今の日本医療、介護という制度に埋め込まれているというところがそもそもの問題だと思います。  できれば、そういう個別の自治体で会計を、財政を閉じないで広く、正に社会保障ですから、それぞれの個別の自治体の事情はあれども、全国的に収支を合わせるというような仕組みをもっともっと広めていく必要があるんではないかというふうに思います。
  29. 田村耕太郎

    田村耕太郎君 大変参考になりました。お二方の先生、ありがとうございました。  どうも失礼します。終わります。
  30. 小林正夫

    ○小林正夫君 民主党・新緑風会の小林正夫と申します。  今日は、お二人の先生から貴重なお話をお受けいたしまして、本当にうれしく思います。ありがとうございました。  まず、橘木先生の方に御質問をしたいと思います。  先生の一九九八年に出版された「日本経済格差」、この本がもとで格差論争が始まったのかなと、こんなような感じがいたします。いい社会に対する提起があったんじゃないかというふうに私は理解をしております。  そこで、先ほどのお話の中にも一部出てきましたが、改めて、格差の拡大は社会にどのような影響をもたらしたのか、この質問と、日本は島国です。それで、一億二千万人が二千年の歴史を持ちながらつくってきた国であります。さらに、天然資源も少ないという、こういう条件の下の日本の国なんですが、私たちのこの国がどういう国であるべきなのか。先ほどのお話で、北欧だとか、あるいは経済成長のときの日本の姿とか、いろいろ先生お話をしていただきましたけれども、この日本は、日本らしいどういう国にしていくべきだとお考えなのか、お聞きしたいと思います。
  31. 橘木俊詔

    公述人橘木俊詔君) こういう問題というのは人間の生き方のことを問われているというふうに感じますので、私の個人的な意見をどこまで述べていいか、ややちゅうちょはありますが、あえて理想論を言えば、貧困者がいない、そして、すべての人が何らかの意味で生活をしていけるような社会が、まず第一の条件であるだろうと。  その上に、人間の社会には、能力の格差、努力の格差、いろいろございます。能力のある人もいれば、能力のない人もいるし、頑張る人もいれば、頑張らない人もいるというようなのも、これも事実でございますので、能力のある人、頑張る人がある程度の高い所得を得るのも私は経済活力の活性化にとって非常に重要だというふうに見ておりますので、まとめますと、貧困者のいない社会を前提にして、頑張る人、能力のある人がある程度の高い所得を得る社会が一番いいんじゃないかなというふうに私は個人的には考えております。  そういう社会経済制度が一体どういうものであるかということになりますと、これは、人によって考え方も違いますし、私も経済学者の端くれとして、じゃ一体どういう政策をやればそういう社会を達成できるのかというのは個人的にも模索しておりますが、今後の非常に重要なテーマになるだろうなというふうに私は見ております。
  32. 小林正夫

    ○小林正夫君 日本、ここ数年見ていると、格差が拡大をし、それと大競争という社会になってきていると私は思っております。その結果、雇用の関係においても正規労働者が減って非正規雇用者が増えてくる。私自身で考えるのは、何となくアメリカ型の社会に日本の社会が似てきているのかな、あるいは日本の社会をアメリカ型の社会にしていくという一つの、今の政府の政策もあるのかな、このように感じているんですが、そういう流れについて橘木先生はどのようにお感じ取っているのか、またお考えをお聞きしたいと思います。
  33. 橘木俊詔

    公述人橘木俊詔君) 先生のおっしゃられるとおり、アメリカ型を目指しているなという解釈は可能だと思います。  私はよく挙げるのは、世界の先進国を見た場合、アメリカ型とヨーロッパ型の二つの主たるいわゆる自由主義、資本主義を原則とした経済体制、二つあるかと思います。  アメリカがなぜそういう政策を取っているのかといいますと、私はアメリカの社会に特徴的な要因があると思います。それはどういうことかというと、アメリカというのは移民で成立している国ですし、いろんな人種、宗教、出身国、言葉、いろんないわゆるヘテロジニティーが非常に高い国ですので、国民全員を納得させるような原理原則というのがなかなか達成できない国であるというふうに見ておりますので、最後はやっぱり自分の力と自立ということが基本的な哲学として多くの国民が認めていると思うんです。だから、お互いに助け合うとかそういうような精神というのはそういうようなヘテロジニティーが非常に高いとなかなか起こりにくい。まあ、あいつとおれというような感じの社会ですので、どうしても競争なり自立ということが歴史的な必然性として私は競争を重要視する国になるかと思います。  一方、ヨーロッパは、そういうようなヘテロジニティーというのはそんなにない国でございますので、ある意味において国民の間での連帯感も持ち得ると。まあ言ってみれば、キリスト教中心で、白人中心で、民主主義を主とした国でございますので、何となく、まあ物すごく恵まれている人もいれば、恵まれている、物すごく不幸な人ができれば出ない社会がいいだろうというコンセンサスが国民の中にあると。  もちろん北欧と中欧と南欧ではその程度は違いますが、総じて言えば、ヨーロッパはそういうようなフィロソフィーが結構強いというわけで、アメリカ・バーサス・ヨーロッパという対立は考えられるかと思います。  日本国民が今後どっちを選ぶのかという私は岐路に立っているというふうに見ていますので、当然、政治家の方もどっちがいいのかということを国民に問うて争っていただきたいし、国民もどっちがいいかということを政治家を選ぶときに決めるということも近い将来必要ではないかなというふうに私は見ております。
  34. 小林正夫

    ○小林正夫君 土居先生にお聞きをしたいと思います。  今の同じ質問になるんですが、この狭い国で一億二千万人が知恵と工夫で生活をして、貿易立国という位置付けだと思います。この我が国がどういう国であるべきなのか、土居先生のお考えをお聞きをしたいと思います。
  35. 土居丈朗

    公述人土居丈朗君) 今先生が正におっしゃったように、貿易立国という言葉ですね、これは非常にこれからも重要になってくると思います。  ただ、今の日本の、特に地域間での経済格差が広がっているんじゃないかと言われている今日において、やはり活力が高まってきて景気が良くなってきた地域であればあるほど、そういう海外との貿易、グローバル化の中で生き残るすべを見いだしてきたかなというところ、東京とか名古屋とかですね、まあほかにも幾つかの都市はありますけれども。それでありながら、非常にこう、シャッター通りというのは変ですけれども、沈滞している地域があると。そういう地域に私が見るのは、余りにもフルセット主義といいましょうか、ああいうこともこういうこともそういうことも何でもやりましょうということで、いろんな産業を興してやってみたけれども、どれも何か取り柄が見いだせなくて沈滞しているというような感じがあると。  経済学には比較優位の原理というのがあるわけですけれども、自分の中でほかの人と比べてどれぐらい得意としているかと。得意としているものは、仮にほかの人よりも絶対的に能力が劣っていたとしても、それを自分の売りにして、それを貿易なりそういうことでどんどん他と、ないしは国内の他地域とか外国とかと取引をしていくということでお互いがメリットを受けるということがあるわけですね。  極端な例でいうと、事務能力にかけても経営能力にかけても高い社長さんと事務能力も経営能力もない秘書さんがいたとしても、一人当たり一日与えられている時間が限られているがゆえに、有能な社長は秘書を必ず雇うわけですね。それは、本当は自分で全部何でもできるんだったらそんな秘書を雇わなくったって十分私はやるというふうなことなのかもしれないけれども、仮に劣っている人がいたとしても、そういう人を雇うことでお互いメリットを発揮できる。だから、ただその代わり、その秘書さんは経営能力よりかは事務仕事をやる方が能力があるという人だったということでなければいけないので、これから地域が生きていくことに関しては、正に貿易立国という精神を忘れずに、他地域ないしはほかの国と、自分はどういうものを売りにして生き残っていくのかということを真剣に考えて、それを活路としていけば、非常にこれからは日本も、単に東京だけが独り勝ちとかそういうようなことにはならないんではないかというふうに思います。
  36. 小林正夫

    ○小林正夫君 ちょっと別なテーマに移ります。  橘木先生にお聞きをします。  私、昭和二十二年の団塊の世代の生まれで、私たちの同期はもう来年六十と、こういうことになって多くの企業では定年を迎える。したがって、私たちの世代はほかの世代よりか百万人ぐらい生まれた人が多いもんですから、当然、今でも高齢社会に入っておりますけれども、これから更に高齢化が進んでいく、こういう社会だと思います。  国会での議論もそうなんですが、やはり社会保障費が増えていく、医療費が増えていく、そういう一つの原因に、人が年を重ねていくことでそういう費用がかさんでいくんだという、こういう理由でいろいろ論議することも多いんだと思います。でも、そういう論議を、一定のお年寄り、私たちこれから年を取っていくグループに入っていくんですが、何となく年を取ることが悪いという暗いイメージを世の中のまあどちらかというと年配の人たち持っていて、自分が本当年取っていくことが何か世の中に申し訳ないと、肩身の狭い何か思いをしながら生活をしているという声も私の耳には届いてくるんです。  したがって、先生としてはこの高齢化社会をどういうふうに考えられているのか。何となく私たちの論議の中でも、高齢化社会が悪いなんという論議はしたことありませんが、高齢化社会になることによって費用をどう捻出していくのかという、割合そういう論議が多いもんですから、高齢者の方が肩身を狭くすることなくやはり生き生きと生活をしていく世の中にしていかなきゃいけないと思うんですが、そういう点で先生のお考えを聞きたいということが一つと、世帯の所得格差は高齢化が影響している、このように多くの方が言われております。このことに対してどのような御所見をお持ちなのか、お聞きをしたいと思います。
  37. 橘木俊詔

    公述人橘木俊詔君) 第一番目の御質問、高齢化社会、何か暗いイメージがあるんではないかという御指摘ですが、今後日本の社会が労働力不足になるんであれば、私はもっと高齢者に社会で活躍していただく場があっていいというふうに見ておりますので、いわゆるエージフリーというような概念がもっと日本に浸透してもいいんじゃないかと。御存じかもしれませんが、アメリカはいわゆる年でもって定年制度をやるのは憲法違反というようなことまでやった国ですらあると。そういうことを考えますと、働く意欲のある人に関しては働く場があっていいかなというふうに私は見ております。ただし、もう働くのは嫌だと、余暇を楽しみたいという人は早く引退していただいて結構だ、そういうような選択の場があっていいかなというふうに見ております。  ついでながら、少子高齢化で労働力不足を補うためには、高齢者にまず頑張ってもらわないといけないし、もう二つの労働者に頑張ってもらわないかぬ。それは女性と若者でございます。日本の若者は非常に今冷遇の状況にいますので、若者に頑張っていただきたいという希望はありますし、国や企業は若者の働く場を与えてほしいと。それから、女性も同じくいろんな支援策をやるべきだと思います。  それから、二番目の高齢化が日本格差拡大の見せ掛けの理由だから深刻ではないというような議論が結構ございますが、私はこの案は一つ抜けている点があるというふうに申したいと思います。それは、もし高齢化が原因であるんだったら、元々反対論者が言われるように高齢者間の所得格差は大きいわけですから、じゃ高齢化が進展することによって高齢者の数が物すごく増えたということにつながりますよね。となると、高齢者間の貧富の格差は以前よりもより深刻になったということにつながりますので、全体的に見れば高齢化の進展ということでもって日本経済格差は見せ掛けだとまでは私は主張できないというふうに見ております。高齢者の貧困はより深刻になっているのをどう考えますかという反論をしたいというふうに思います。
  38. 小林正夫

    ○小林正夫君 土居先生にも同じ質問をしたいと思います。  特に、高齢の方が、年を取ることが何か世の中に迷惑を掛けているんじゃないか、何となく肩身の狭い思いで生活をしなきゃいけないって感じている方も多くいるんだと私は思っているんです。だから、そういう方に対してどのようにメッセージを発したらいいのか、この辺についても併せてお聞きをしたいと思います。
  39. 土居丈朗

    公述人土居丈朗君) 私が思いますのは、基本的に高齢者としても、働く場というか、まあ実際にお金をいただいて何か世の中に貢献するという形でなくても社会に貢献する場というのはあるだろうというふうに思っております。  で、例えば、大学などはそういうところがあるわけですけれども、もちろん日本の大学には定年制がありますけれども、名誉教授になられると、そうすると、じゃ全く今までと没交渉になるかといえばそうではなくて、引き続き後進の指導というかそういうことはある、もちろんお給料は出ないわけですけれども。そういう形で、若い人から見ても、今までの人生の先輩としていろいろ知恵があるわけですから、その知恵を授かりたいという思いは若い人でもこれからも引き続きあるんだというふうに思いますので、そういうところをうまく没交渉にならないような橋渡しというか、そういう機会を、もし今そういうふうな雰囲気があるとすれば、更にもっと積極的に場を広げるような施策を講じるというようなことがあってもいいんじゃないかというふうに思っております。
  40. 小林正夫

    ○小林正夫君 土居先生にもう一問お聞きをします。  少子化と経済財政関係という点で御質問をいたします。  先生の少子化についてのお考えの中で、少子化現象の背景として、今の若い女性が子供を産むことは嫌がってないと、それと、長く夫婦生活を営んでいる妻が子供を産まなくなったわけでもない、少子化の原因は未婚率の上昇にあると、先生そのようにおっしゃっているわけです。少子化対策の切り札、これは何か、ずばりお聞きをしたいと思います。  それと、人口減少社会に入っていきます。この人口減少社会が日本経済財政にどのような影響をもたらしていくのか、何を私たちは心配しなければいけないのか、この点についてお聞きをいたします。
  41. 土居丈朗

    公述人土居丈朗君) 今御質問があった点ですが、残念ながら私は特効薬はないと思います。つまり、これだけ一つあればうまくいくというほど単純ではないというふうに思います。  ただ、私が思うのは、今まで特に男女共同参画というか、男性、女性それぞれが職場でフェアに仕事ができるようにしようということから、さらにはそういう育児というところに対する配慮というところで少子化対策の政策が徐々に進展しているという印象は持っておりまして、これはそれとしてきちんと今後も続ける必要はあるとは思います。  ただ、今先生が引用してくださったように、私が常々思っているのは、そもそも男女が家庭を一緒にともにするということを必ずしも多くの若い人が早い段階で望んでいないという可能性が高まっているという点については、なかなか難しい、シンガポールのように国営のお見合い所というか、そういうものをつくるとかなんとかというのが本当に特効薬かというと、まあこれも特効薬とは言い難いんですけれども、ただ少なくともこのマッチングの場が必ずしもないということについては、何か側面的に政策でサポートできるような点というのはあるかもしれない。かなり間接的だと思います。  で、一つにあるとすれば、今、労働時間の二極化といいましょうか、正社員として残った人は三十代の前半でかなり多くの時間を働かされるという人が徐々に増えていると。それでいてフリーターという問題もあると。極端に言えば、非正規雇用で余り多くの時間を働いていない。そうすると、お金は、給料はもらっているけども時間がないという人と、お金がなくて本当は時間があるけども家庭を営めるような状態にないという人の、ある種そういう人たちの層が以前に比べて増えているということが、やはりなかなか子供をもうけようという話にならないというところの一つの原因になっている。  そういう意味では、ある程度、例えば残業手当というようなことについても、ある程度残業手当の率を高くすると。これをすると、要は、正規社員に残業させるよりももう一人新たに雇った方がいいということになると、正社員はそんなにたくさん働かなくて済むということに、つまりお呼びでないという意味で働かなくて済む、それでいてフリーターだった人が正社員になるということで、両極化しようとしていることをまた再び人々がそれぞれに、それぞれのそれなりの時間を働くという形に持っていくベクトルの向きを向けることができるだろうと。そういうことは、今申し上げたようなそういう少子化の一側面を解消する重要なてこになるのではないかというふうに思っております。
  42. 小林正夫

    ○小林正夫君 橘木先生にお伺いします。  正社員が減って非正規の人たちが増えてきた、ここ数年で一四ポイントぐらい上がったり下がったり、こういうふうな結果だと思います。私は、やっぱりこういう現象は、大競争という一つの原理が導入されて、もう企業も生き残らなきゃいけないと。したがって、雇用調整しやすい労働者を求めているという、こういう実態が背景にあるのかなという感じがいたします。それと、なおかつ安い賃金で雇える労働者がいた方がいいと、こんなことが今の世の中なのかなという感じがいたします。  そこで、このような社会になってきていることを先生はどのように見られているのか。それと、ニートやフリーター、こういう人たちが大変多くなってきているんですが、こういう現状をどのようにとらえられているのか、先生のお考えをお聞きをいたします。
  43. 橘木俊詔

    公述人橘木俊詔君) 若者対策に関しては、おっしゃられたように、不況が続きましたので企業としては労働費の節約のために非正規労働者を増やそうとした論理は私も分かります、倒産してしまったら終わりという論理が働きましたから。  しかし、今ここで景気の回復が見られるといういい状況がございまして、企業は正規労働者の採用を増やすだろうと私は期待していたんですが、今の企業の採用活動は新卒ばっかりに集中しておりまして、高校、大卒の新卒は物すごくもう割合簡単に就職が見付けられる時代になりつつありますが、フリーターだった人、非正規の人を正規に雇おうとするような雰囲気が余りない。特に、フリーターに関していえば、まあフリーターの人たちは企業側から見ると勤労意欲がないだろうとか、あるいはそのようなことから余り雇おうとしないとも見られますが、一つの原因は多分未熟練労働者が多いだろうというふうに私は感じます。そうすると、企業としては、そういうような未熟練労働者を雇ってもそんなに生産に貢献しないとなると雇わないだろうと。じゃ、だれが訓練をやるかということになると、私はそれを企業に期待するのはこれも酷だと思います。そういう意味で、私はもっと公共部門が出てくる必要がある。  例えば、イギリスのブレア首相がテレビの前でエデュケーション、エデュケーション、エデュケーションといって叫んだのが私は脳裏に残っておりまして、イギリスの若者の未熟練を解消するには訓練と教育しかないというようなことを言って、イギリスの若者対策は成功しました、ニューディール政策といいまして。  そういう意味で、私は、日本は若者対策は公共部門がもっと出てきて、未熟練労働者を熟練労働者に変える政策をやって、それが成功した暁には企業でフルタイムで雇っていただくようなことに持っていけるんじゃないかなというふうに見ております。
  44. 小林正夫

    ○小林正夫君 大変、お二人の先生から貴重な御意見を聞かせていただきまして、本当にありがとうございました。  自分の時間が終わりますので、これで質問を終わります。ありがとうございます。
  45. 山本保

    山本保君 公明党の山本保でございます。  それでは、最初に土居先生に、たくさんお聞きしたいんですけれども、時間が限られておりますので、私にとって分かりやすかったところだけをまずお聞きしますが。  先生の立論といいますか、今日の御説明は、まず、余剰金だけの、一時的に少しは減ったんだけれども、もっとより経常的にというんですか、それが、マイナスを減らすような方法というのをもっと考えなくちゃいけないと。具体的におっしゃったのが社会保障費と地方財政への負担分をという趣旨だったかなと思います。それで、もう少しその中を少し詳しくお聞きしたいと思いますが、一つだけ簡単に。  今日、医療費については、推計値が、介護保険分をというお話がありましたけれども、これは合計すれば同じになるんじゃないかという気もするんですけれども、実際、仕組みがちょっと違うと。私、厚生省におりましたのでこの辺を専門にやったんですけれども。  例えば、先ほどその中で、やり取りの中で、例えば医療保険などはもう広く全国にした方がいいんじゃないかと。ただ実際、今、医療保険改革などを考えていますのは、例えば長野県などは大変医療費が低いと、これはやはりそれだけの努力をしているんじゃないかと。つまり、その努力をしたところに合わせるようにほかのところも努力するように頑張ろうじゃないかと、こういう施策の方向を今取ろうとしているわけなんですね。これを全部一律にしてしまえば、正に努力しなかったところが得をするといったらおかしいんですけれども、正にこれは、政策的というよりも、今までのこの医療制度の運用の仕方とか様々な努力によって出てきているんですから、差が出てきたと。これを一律にするのはどうなのかなという、ちょっとまず二点ですね、お聞きしたいと思います。
  46. 土居丈朗

    公述人土居丈朗君) まず一点目は、試算数字をフェアに議論する必要があるのではないかという観点であります。いろいろ精査したけれども、やはりそれぐらい一人当たり伸びるということが、広く専門家国民も納得ができるような数字であればこれは問題ないと思いますので、本当にそれぐらい伸びるのかどうかということを改めて議論する必要があるのではないかということを申し上げたかったということであります。  二点目は、全国一律にしろということを私は申し上げたわけではなくて、財政的なセーフティーネットといいましょうか、介護保険でも財政調整のための基金を作るというような形でやっているわけで、基本的には都道府県単位にするという今の厚生労働省方向性は正しい方向で、できるだけ広域化して、ただ、それでいて地域間の潜在的な競争といいましょうか、質の向上だとか経費の節約だとか、そういうことを、それぞれの地域がそれぞれの地域の特色に合わせて努力するということは、これはむしろ積極的にやっていただきたい。  だからこそ、そういう意味で、正に先生がおっしゃったように、都道府県単位でやるという話は、私はそれはいいことだと思います。それでいて、どうしても抜き差し難い格差が生じるということで、納得ができる範囲であるならば、ある程度この地域間の差を埋めるような受皿を、まあ再保険といいましょうか、これを国がやればいいというふうに思っているということです。
  47. 山本保

    山本保君 ありがとうございます。私の理解が足りなかったようですけれども、よく分かりました。  二番目に、地方財政についておっしゃったことにのみ限定してお聞きしたいんですが、言わば自治体、先ほどの中で自治体規模一万人ぐらいということでいけばとおっしゃったんですが、今、実は過疎地の方が大変大きな自治体になってしまいますね、もうばらばらで、人口が。でも一生懸命やっているんですけれどもね。  こういう形で、非常に実際には、人数が一万人なり何千人近い数字になったとしても、実際には大変なものが要るというそういうことが考えられるわけですけれども。この辺のところは、私など、例えば何万、どれぐらいの規模のところについてはどれぐらいという形のいろんな多様なあれを、基準を作った方がいいのかなという気もするんですけれども、いかがでございますか。
  48. 土居丈朗

    公述人土居丈朗君) 一万人と申しましたのは、ある程度の分権化された後で事務事業を担うのに、例えば五百人だとかそれぐらいの職員を雇って事務を営むというようなことになるとすると、さすがに人口数千人の町で五百人も職員がいるというんじゃちょっとメリットが発揮されないという観点から、一万人ぐらいあってもいいんじゃないかと。  ただ、おっしゃるように、人口密度が低いといいましょうか、非常に面積が広い自治体で、ようやく全部かき集めてまあ一万人だと、こういうようなところ、それで山が入り組んだり谷が入り組んだりしているところで同じ自治体と言えるのかというような話がありますけれども、私は、ちょっと酷な言い方をすれば、だんだん人口減少の世界になってくるので、ある程度集住ということを考えていくということも含み込みながら、広い地域の中でもある程度人口はそれぞれ局所局所に住んでいるというようなことが姿として思っておるものですから、そういうような形でお話しさせていただいたということであります。
  49. 山本保

    山本保君 ありがとうございます。  またもし時間があればもう一つお聞きしたいのがあるんですが、ちょっと後に回させていただいて、もしなければ失礼いたしますが、橘木先生、公述人にお願いいたします。  大変、お聞きしまして刺激的なお話だったので、少し踏み込んでちょっとお聞きしたいなと思うんですが、例えば日本の高度成長期と、そして北欧というのが、これが非常に、先生おっしゃる経済効率性とか経済成長ということと公平性、まあ社会保障と言っていいんですか、それがうまくいった例であるという私なりの解釈をしたんですが、この辺は具体的にもう少し、その両方のあれがうまくいったというその分析といいますか、どういうわけでこの二つが、一見全然違うような私は気がするんですけれども、これが両方うまくいっているということについてはどうお考えでございますか。
  50. 橘木俊詔

    公述人橘木俊詔君) 日本の高度成長期のころ、私は、公平性というのは必ずしも社会保障制度が充実していたという意味では言っておりません。公平性というのは、所得分配の不平等がなかったと、一億総中流と言われた時代ですから。そんなに貧富の格差がない時代でありながら経済成長率も非常に高かったという意味で効率性と公平性を両方達成したというところでございまして、日本でなぜその両者が達成できたかというと、国民全員がやはり豊かな生活を求めたいというので物すごいコンセンサスがあったと。みんなが働き、みんなが幸福になるような社会を日本人が目指そうという社会的なコンセンサスがあったからうまくいったかなというふうに私は見ております。  じゃ、もう一方の、今の例である北欧という国がなぜ経済効率性も、非常に強い経済と分配の平等性を達成しているかというと、これはなかなか日本はまねできないことかもしれませんが、北欧の歴史的な経緯がある。ほかの国から攻められて国土がじゅうりんされたというような経験があって、割合国民の間で連帯感が強いとか、あるいは周りの人に不幸な人がいると自分は助けようという気になるというような連帯感も結構強いというのが北欧の特徴でございまして、日本は一億三千万人の大国であって、北欧的な政策がどこまで取られるかというのは私はなかなか困難だろうなというふうに見ております。しかしながら、そういうような小国のメリットを生かしながら成功している国もあるということも参考にできるんではないかぐらいの程度でございます。  以上でございます。
  51. 山本保

    山本保君 ありがとうございます。  それともちょっと似てくるんですが、先ほど議論の中で、アメリカ型社会に向かっているのではないかということに対して、先生はそう、イエスというようなお話だったかと思うんですが、正に歴史的な必然性という、社会の仕組みということを考えますと、日本は正に、階級社会はほとんどなくなったとしましても、地域性ですとか連帯性というのはどう見ましてもアメリカよりもあると思っておりまして、こういうときにアメリカ型社会になるということは、私は、つまりこれはまあ一つの見方を示されただけで、正に日本型の競争社会ということではないかなという気もするんでございますけれども、これをもう少し御丁寧にこの辺を教えていただけますでしょうか。
  52. 橘木俊詔

    公述人橘木俊詔君) 今の御質問のとおりでございまして、アメリカの社会というのは、先ほども強調しましたように非常にヘテロジニティーの高い国ですから、連帯感もそんなに生まれないだろうというのは私は必然的なことだと見ております。日本は幸いなことにホモジニティーの非常に高い国ですから、やりようによっては日本型のいわゆる効率性と公平性を両方達成するような制度はあるだろうと。まあそれを達成していた一つの例というのは、中央と地方の格差を何とか是正しようというような力が過去の日本では働いてたけど、今は逆に中央と地方の格差は拡大中なわけですから、一つ日本のいいところをなくすような力が働いたのも事実でございます。  しかしながら、過去の日本がやってたように、地方に公共事業をじゃんじゃんやらせるような政策というのは、これはもう過去の遺物でございますので、そういう政策は取れないということになりますと、別の方法として、中央と地方との格差を是正するような方法というのは私はあり得るというふうに見ておりまして、その具体的な政策というのがどういうことであるかというのは、なかなか妙案はございませんが、今後の日本にとって非常に重要なテーマであるだろうなというふうに見ております。
  53. 山本保

    山本保君 私もその辺については同感でございまして、今お聞きしておりまして、正に格差があるかないかということの問題よりは、おっしゃったように、格差があって、そしてやる気をなくしてしまう状況になるのか、格差があるがゆえに余計向上心、競争心を燃やす社会であるのかと。ここだと思うんですね、お聞きしてますと。ですから正に、日本は確かに今格差が拡大してるとはいいますが、明治期、大正期と比べて格差が拡大したのかなといいますと、そんなことはないんじゃないかと。よほど皆同じになってきている。  問題は、ですから、絶対値的に格差が広がっているどうこうというよりは、正に国民のやる気が出てくるのか。どうも、格差が広がったという論者を聞いていますと、何か即、イコールだからもう駄目なんだということのメッセージ、アナウンスがどうも多いような気がするんですが、私は反対ではないかな。格差が広がったとしても、正にそれゆえにもっと挑戦をする、頑張るという社会性といいますか、国民性というか、公平を求める心だとか向上心でありますとか、また、情報が実際、客観的に言いましても情報の平等性というのはもう以前と比べれば非常に増えているわけですから、何かこういうような要因をきちんとすればその方向は見えてくるのかなという気もするんですけれども、これは全く私の今の、今日お二人のお話伺った感想なんですが、もう時間が余りありませんので、土居先生橘木先生、今私が申し上げたことについてもう少し御教示いただけますでしょうか。
  54. 土居丈朗

    公述人土居丈朗君) 今先生がおっしゃった点については全く同感でありまして、いかにやる気を失わないような形で格差と向き合うかというようなことなんだろうと思います。そういう意味では、今までの日本の所得再分配政策、公平性を求める政策には、逆に怠慢でも何とかやっていけるということまでも支えてしまっていたという悪平等的な部分が、すべてではないにしてもそういう部分があったというところはやはり改めなければならないという点だろう。その代わり、本当に保障すべきものを保障するというか、埋めるべき格差を埋めるということのために、そのやめた部分を移し替えてきちんと手当てしていくという形に持っていくという、そういう、抽象的に言えばそういうような方向があるんではないかというふうに思います。
  55. 山本保

    山本保君 橘木先生もお願いいたします。
  56. 橘木俊詔

    公述人橘木俊詔君) 私も、今御質問者と全く同意見でございまして、効率性と公平性をどうやって両方達成していくかというのは、私たち学者も提案はしますが、最後は政治家の方に提案していただきたい。自分たちの政党なり、自分としてどういう社会が日本に望ましいかということを提案していただいて、それに対して国民が投票する機会が与えられて、どういう社会を日本は持っていくかというのを国民に問い掛けていただきたいというふうに私は期待しておりますので、最後は政治家の方の肩に懸かっているというふうに私は見ております。
  57. 山本保

    山本保君 ありがとうございました。  それでは、これで時間が来ましたので終わります。ありがとうございました。
  58. 大門実紀史

    大門実紀史君 大門でございます。本日はありがとうございます。  最初に土居先生にお伺いしたいと思いますけれども、歳出削減が先か消費税増税が先かというのは不毛な議論だというふうに先生、無用な対立ですか、おっしゃっております。私もそれだけ言えばそのとおりだと思いますが、私はこの議論そのものは単純な議論ではないかと思っておりまして、今日も先ほどありましたが、格差が広がっている中で消費税しかないのかと、本当に消費税増税しかないのかというのをもう一度考えてみる必要があると思います。  以前は消費税しかないとおっしゃってた学者の方も、そういう所得税の在り方とかいろんなもう税制全体を見直すべきだという意見がかなり今出ておりますし、今ちょっと気になったんですけれども、悪平等があるというふうなことをおっしゃいましたけど、悪平等という意味はもう既に払拭されておりまして、累進税はもう随分フラットになっておりますし、そういう、昔のことをそういう言われ方したことあると思いますが、今は随分違ってて、逆に株式の譲渡所得なんかは相当株を取引するような裕福な方に特別に減税されているというふうな状況がございます。  ですから、この格差社会の中の税の在り方として土居先生はいかがこれからお考えか、意見を聞かしてもらいたいと思います。
  59. 土居丈朗

    公述人土居丈朗君) 今御指摘された点なんですけれども、もちろん所得税を何もいじらないでいいとは私は思っておりません。  ただ、一つ留意すべきことは、これから年金のための保険料が上がっていくということになっていて、給与所得に対しては年金の保険料という形でどんどんある種増税されていくということが含んでいると。こっちの方はもう既に法案が通ったということでいえば、先々のことまで一応埋め込まれているということになってます。もちろん、この所得税として、一般会計に入る税収としての所得税はまだこれからどうするかということだとは思います。ですから、社会保険料として取られる、今後保険料率が上がっていくということをにらみながら、所得税の税率としてどうすればいいのかということを考えていくという必要があると思います。  だから、そういう意味では、私が消費税と言っているのは、多少所得税の負担、給与所得に対する負担がだんだん上がってくるということがあるので、ある程度そのバランスを取るというか、そういうところも必要なんではないかということで消費税という話が出てきたということであります。
  60. 大門実紀史

    大門実紀史君 ありがとうございました。  橘木先生には、もういろいろ格差の問題ありましたけれども、国会でも正確な格差の議論がされてるわけではなくって、いろんな、ちょっと私から言わせると勘違いも結構議論されているんじゃないかと思いますが、いずれにせよ、国会の議論でみんなが共通して、総理も御答弁をされているのは、格差をどんどん広がる、そういう国にすべきではないということと、格差を固定すべきではないと。これだけは各党共通、政府もみんなが共通の意識だと思いますが、格差を固定しないためにはどういうことが必要か、御所見を伺いたいと思います。
  61. 橘木俊詔

    公述人橘木俊詔君) 二つあるかと思いますが、一つはいわゆる貧富の格差、貧者になった人がもう一度立ち上がるチャンスを与えるのが大事でございまして、そのための一つの政策としてはやっぱりセーフティーネットの充実というようなことがあるかと思います。いろんなセーフティーネット、ここでは具体的な制度は申し上げませんが、そういうようなのを充実するというのが一つのやり方だと思います。  もう一つの格差の固定化は、実は前の世代、親の世代と子供の世代とで格差の固定化が進んでいるということも私は深刻だと見ておりまして、例えば、親が良ければ子供もいいと、親がそんなに良くなければ子供もそんなに良くないというような、いわゆる階級固定化ということも経済活力のためにとって良くない、有能な人を最初から排除するような制度になりますので、それを除去するための決定的に重要な政策は私は教育だというふうに見ております。すべて国民、意欲のある人、やる気のある人に平等な教育の機会が与えられるような政策を国が私はやる必要があるかなというふうに見ております。  そうすると、能力があるけれども親の経済的な理由でもっていい教育の受けられない人を排除することができますので、義務教育の充実は大事でございますし、高等教育に関してでも能力と意欲のある人に勉学の機会が与えられるような政策を私は取っていただきたいという希望がございます。
  62. 大門実紀史

    大門実紀史君 ありがとうございます。  この格差が広がってきているのは、大ざっぱに言えば競争原理で競争社会が強まってきていると。これはもう少し言いますと、構造改革と格差が拡大している関係ですけれども、これは大した話じゃなくて、竹中さんと私、何度も議論しておりますけれども、新自由主義的な構造改革論はグローバル化の中の多国籍企業の国際競争力を高めると。これは竹中さんもはっきりそれが目的だとおっしゃっているわけですが。そうすると、国際競争力を高めるためには、税や社会保険料の負担を軽くしてあげるということ、人件費を抑制してあげるということ。ですから、税の累進性が緩和される、非正規雇用が増えてくると、こういう関係が格差を拡大しているこの流れになっているわけでございます。  これは、そういう点では国会では議論してまいりましたけれども、私、この間、気になるのは、私から言わせるともう御用学者の方々とはっきり言いたいぐらいなんですが、例のケネス・アローの理論というのは御存じだと思いますけれども、要するに、いいんだと、できるだけ、最大限競争原理を働かして、不平等がその間に拡大してもいいと。経済のパイをまず大きくするんだと。その後、所得の再分配を、税や社会保険料の再分配をやればいいじゃないかというふうなことを平気でおっしゃる人がいるんですけれども。  そうかなと一瞬思ってしまうんですが、そんなことはあり得ないわけで、一杯稼いだ人が、一杯稼いだ企業や裕福なお金持ちが突然、税と社会保険料の再分配を急に受け入れるなんということはあり得ないわけでありまして、やっぱり格差の拡大を見ながら所得の再分配はやっていかないけないと。それを取りあえず、何といいますか、反論するための理屈でおっしゃっている学者の方がこの間もいるんですけれども、そういう理屈に対して、橘木先生はいかがお考えですか。
  63. 橘木俊詔

    公述人橘木俊詔君) 私も近代経済学者の一人でございまして、競争のメリットは十分主張したいと思います。  しかしながら、競争にもおのずと光と影があるということも大事であると。例えば、ノーベル賞を取ったあのアメリカのジョセフ・スティグリッツという経済学者も、やっぱりアメリカングローバルスタンダードというのは良くないと、それをすべての国に応用するのはやっぱり限界があるというようなことを言っておりますので、私もやはりスティグリッツの意見に近くて、競争は大事なんだけど、市場原理は大事なんだけど、そこにおのずと限界があるということを我々は真摯に受け止めなければならないと。  で、それを私は達成しているのはヨーロッパの一部の国であるということを私はここで強調したいと思います。そういうような市場主義と、それといわゆる公平主義の両方の達成を満たしているような、繰り返しになりますが、そのような制度を日本の社会もつくるべきであるなというふうに私は考えております。
  64. 大門実紀史

    大門実紀史君 もう終わってもいいんですけれども。聞きたいことはもうなくなりましたので、終わります。  ありがとうございました。
  65. 福島みずほ

    福島みずほ君 社民党の福島みずほです。今日はどうも本当にありがとうございます。  格差拡大の問題について社民党はずっと取り組んできました。日本の社会にはいろいろ問題があるかもしれませんが、一つの問題点は格差の拡大ではないかというように思っております。  先ほど格差の固定の話とどういう政策を取ればよいかというときに、セーフティーネットと教育のことを橘木先生は話をされました。格差拡大は、原因のところで書いていらっしゃるとおり、非正規雇用の増大や若年層の二極化、最低賃金制度の未成熟や、ある種やはり政策から生まれているところもある、あるいはGDPにおける社会保障費制度が低い国ほど格差が拡大するという、税と社会保障の問題もあります。  で、どういう政策を取ればよいか、もう少し話していただきたいということと、教育についておっしゃいましたが、私も教育が一番大事だと、こう思っており、子供にとって格差の拡大している社会は過酷であると、機会の平等といっても、機会の平等すら奪われていく社会は、参加もできないわけですから、過酷であると思いますが、その点についていかがですか。
  66. 橘木俊詔

    公述人橘木俊詔君) 前者の社会保障のことに関しては、統計を見る限りにおいては、日本社会保障給付費が国民所得に占める比率は、世界の先進国の中でアメリカと日本が最低でございます。それはどの統計を見ても数字で現れておりますので、社会保障制度が日本はそんなに充実していないというのは事実でございます。  しかし、それでもって日本の社会が、社会福祉、社会保障が駄目だったかというと必ずしもそうではない。なぜかといいますと、公共部門がやる代わりに家族と企業、特に大企業が社会福祉の担い手として存在していたから公共部門は社会保障給付費が少なくてもよかったというふうに私は解釈しております。  そういう意味で、家族と企業が健在であればそれでよかったんですが、今の日本の社会を見ますと、家族の、まあ崩壊といった言葉はちょっと言い過ぎですが、家族のきずなが弱くなっていると。単身者も増えている、離婚も増えている。いろんな問題で家族は過去のようなきずなが持てない時代になっているし、企業も社会保障まで支出ができない時代になっておりますので、だれが、じゃ家族と企業の代わりをやるかというと、二つの可能性がございます。  一つは、アメリカ流の自立でございます。自分のことは自分で全部やりなさい。もう一つは、ヨーロッパのように、公共部門が相当役割を果たすやり方だと思います。そういう意味で、私の見るところ、これまた繰り返しになって申し訳ないですが、社会保障の分野、セーフティーネットの分野においても、アメリカ型の自立を目指すのか、ある程度公共部門が家族と企業に代わって出てくるのかという選択だというふうに私は見ております。  で、二番目の教育費の問題は、そのとおりでございまして、もうこれまた不幸なことに、教育費がGDPに占める比率というのは、世界の先進国の中で日本はこれまた最低部類でございます。これも、だれがやってきたかというと、家族がやっていたんです。家族がほとんどの教育費の負担をしていましたから、政府はその必要性がなかった。しかし、先ほども申しましたように、教育費をすべて家族に負担を押し付けていいかという問題になりますので、ここはやはり家族にだけに押し付けるんじゃなくて、やはり国民全員が教育費の負担をするという姿勢が私は必要ではないかなというふうに見ております。
  67. 福島みずほ

    福島みずほ君 一分しかないんで、土居先生、申し訳ない。一般財源化では地方に春は来ないというふうな論文を読まさせていただきましたが、それについて一言教えてください。
  68. 土居丈朗

    公述人土居丈朗君) 義務教育費国庫負担金の一般財源化という話ですけれども、私は、先ほどの橘木先生のように、国がきちんと公的に支出する形で教育を面倒見るということであるならば、やはりひも付きできちんとこれを教育のために使いなさいという形でやるべきだというふうに思います。  地方交付税は先ほど来問題があるということを述べておりますから、地方交付税のような形で配っても、本当に教育のために使われるかどうかは私は非常に怪しいというふうに思っております。
  69. 福島みずほ

    福島みずほ君 どうもありがとうございました。
  70. 小野清子

    委員長小野清子君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人方々に一言御礼を申し上げます。  本日は、大変有益な御意見をお述べをいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。(拍手)  これにて休憩いたします。    午後零時一分休憩      ─────・─────    午後一時開会
  71. 小野清子

    委員長小野清子君) ただいまから予算委員会公聴会を再開いたします。  休憩前に引き続き、平成十八年度総予算三案につきまして、公述人方々から御意見を伺います。  この際、公述人方々に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は、大変御多忙中のところ本委員会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。  本日は、平成十八年度総予算三案につきましてお二方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いをいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度で御意見をお述べをいただいた後、委員の質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、外交・安全保障について、公述人軍事アナリスト小川和久君及び財団法人平和・安全保障研究所理事長渡辺昭夫君から順次御意見を伺います。  まず、小川公述人にお願いいたします。小川公述人
  72. 小川和久

    公述人小川和久君) 御紹介いただきました小川でございます。  今日は、こちらの予算委員会公述人を務めさせていただくことになりまして、大変光栄に存じております。私がどれぐらい御参考になるようなお話ができるのか、大変緊張しておりますが、お手元のレジュメを基にまず二十分ほど意見を述べさせていただきまして、その後、御質問にお答えをさせていただきたいと思っております。  こちらは、平成十八年度総予算についてというテーマでお話をせよということでございますので、私はまず、ここのお手元のレジュメにありますように、「防衛予算から明らかになるわが国の防衛力の現状」というところからお話を申し上げたいと思っております。  平成十八年度のものは、送っていただいた資料によりますと、四兆八千百三十九億円となっております。ただ、使途、使い道から見た防衛予算の中身ということでいいますと、これは確定しておりますので昨年度のものを数字を使わせていただきますが、平成十七年度予算四兆八千三百一億円の場合、内訳でいいますと、一番たくさんを占めておりますのが人件・糧食費、給料と飯代でございます。これが四四・六%。これが日本の防衛費の極めて特徴的な在り方を示している。ここのところをまず押さえていただきたいと思います。  これを眺めますと、本来的な防衛力の整備、軍事力を整備するために使うことができるお金というのは、毎年の防衛費の中でほぼ三〇%ぐらいしかないということなんです。それを軍事力の整備、あるいは防衛力の整備と言ってもいいんですが、そこに当てはめていって、世界の平均的な国々が持っている軍事力に対応できるようなバランスの取れたものを整備しようとすると、これは世界の大きな国々が持っている軍事力とはほど遠い。大中小でいいますと、中ぐらいの規模の国の軍事力。しかも、使う兵器は安いものあるいは古いものをどんどんどんどん改善をしながら使っていく。延命措置を講じながら使っていく、相当清貧、家庭でいいますと清く貧しい、そういったような形にならざるを得ないわけであります。  ただ、その一方、日本の軍事力の整備、防衛力の整備というものは、同盟国であるアメリカからの要請というものが戦後一貫してございまして、その中で、アメリカとの役割分担において、ある限られた能力について世界の一流のレベルに整備することを求められてきた、突出した部分があるわけでございます。  それは、非常に簡単に申し上げますと、海上自衛隊のASW能力、アンタイサブマリンウオーフェア、これは対潜水艦戦という専門用語でございますが、これの頭文字ASWの能力は世界でも、ソ連という国があった時代を含めて、アメリカに次いで二番目でございます。  ただ、ついでながら申し上げますと、海上自衛隊の潜水艦に対する能力は、人間に例えますと、腕や手足の筋肉に相当するものが世界最高レベルである。ただ、相手の国の潜水艦がどこで活動をしているか、いつ、どこの港を出港したのか、そういったものをつかむ能力を持っているのはアメリカ海軍だけでございます。アメリカが頭脳の部分を担い、日本が手足の部分を担当する。もちろん我が海上自衛隊においては日本周辺でございますが、そういった役割分担でやってまいりました。  いま一つ日本の防衛力で世界最高レベルに整備することが求められてきたのは、航空自衛隊の防空戦闘能力です。これは後ほど申し上げますが、日本列島がアメリカにとって極めて重要な位置付けにある。それを空の脅威から守るために、世界で三番目あるいは四番目と評価できるような防空戦闘能力を整備することが求められてきた。この二つは世界で最高レベルなんですよ。  その結果どうなるかというのはお分かりでしょう。防衛費の三〇%ぐらいしか防衛力、軍事力の整備には使うことができない。それで、世界最高レベルのASW能力と防空戦闘能力を整備せよと言われる。使わなきゃいけない兵器は一個一個見ても高い。しかも、数もある程度要る。どうですか、もう防衛力の整備に使うことができるお金はそこでなくなっちゃうんです。極めて特異な構造の防衛力であるということを我々はまず自覚をしなきゃいけないということなんです。  ところが、日本における防衛力、安全保障に関する議論は、あたかもバランスの取れた軍事力を持っている国がやるような議論をしているじゃないですか。最初から食い違っているんですよ。だから、アメリカとの同盟関係だって健全かつ適正に維持できない、そういう話が出てくる。そういった問題がBSEの問題まで及んできちゃうんだから、どうしようもない、この国は独立国家じゃないということなんです。だから、その点はやっぱり与野党挙げてきちんと足下を踏まえるということを考えていただきたいと思っているわけでございます。  大体、私は兵器の値段についていちゃもんを付ける立場じゃございませんが、海上自衛隊のイージス艦にしたって、船だけで一隻千二百億、千三百億するわけであります。周りのものを整備していくと、一隻当たり千七百億円ぐらい食っちゃう場合もある。海上保安庁の一年間の予算が一隻の船で飛んじゃうんですね。そういったものをなぜ整備しなきゃいけないかということをきちんと明確にしながら、それを国民に説得していくことができなければやはりまずいんじゃないかと思うわけであります。だから、そういったことがないから、ただ高いんじゃないかとか、いや性能がいいからと、そんな議論になっちゃっている。それは世界に通用しないわけでございます。  そういう中で、とにかく外国をたたきつぶすことができる能力というものは、今の構造である限り我が自衛隊には備えることができないんです。これをここで、専門用語で戦力投射能力と言っています。これは、定義をしないといろんな使い方が専門的にはできますので、外国をたたきつぶすことができる能力というふうに定義をいたします。これは今の構造である限り、たとえ一千倍防衛費を掛けたとしても持つことができない。つまり、自立できない構造の軍事力になっているということをまず押さえるということです。  それは、西ドイツと我が国が戦後再軍備をするときに、アメリカの要請によってそういった格好になった。これはアメリカが悪いわけじゃないんですよ。アメリカと互角以上に戦ったドイツと日本が将来独り歩きするような構造の軍事力を持たしたら危なくてしようがないじゃないですか。だから、とにかくアメリカとの同盟関係において役割分担をさせる。それだけできちっとコントロールを同時にしていこうと考えるのは当たり前でございます。これはアメリカの方が一枚も二枚も上手だということなんです。  そういうことがまず、「防衛予算から明らかになるわが国の防衛力の現状」というところで押さえなきゃいけない第一点でございます。ですから、日本の軍事力というのは、戦力投射能力なき軍事力、防衛力、それと日米同盟の結合による構造になっている、そのことをきちんと押さえるということがまず第一ではないかと思います。  この戦力投射能力、もうちょっと具体的にお話をいたします。  パワープロジェクションケーパビリティーといいますが、これは、まず核武装すれば相手の国をたたきつぶすことができるから戦力投射能力を持っていると言うことはできます。しかし、日本は核武装はしない。で、核武装をしない場合でも、例えば五十万人、百万人の単位の陸軍の部隊を、日本でいいますと、朝鮮半島とか中国の沿岸部とか、あるいはロシアの沿海州や何かに上陸作戦を行わすことができて、相手の国の軍隊と戦って、それをたたきつぶして、そしてある地域を占領して、戦争目的を達成できるような構造に陸軍だけじゃなくて海軍も空軍もなっていれば、それは戦力投射能力を持ったと言うことができる。しかし、さっき申し上げましたように、お金の問題から見ても、あるいはアメリカとの同盟関係、役割分担から見てもそれはないわけでございます。だから、ここのところをきちんと押さえないと、軍事大国化批判なんてことを周りの国から言われて、はあそうでございますかって話になっちゃうんですよ。  私は、専門家の一員として中国の人民解放軍とは相当深く付き合っておりますが、中国の軍あるいは政府、共産党、学者、ジャーナリスト、こういった人々に日本の軍事力の真実というブリーフィングをして、最後に向こうのあいさつは、自分たちが間違っていたというのをはっきり言っているんだから。これは公表したっていい話だから。それぐらいのことを言えないで一人前の国かって話なんです。だんだん興奮してきましたけどね。いや、本当なんですよ。だから、中国との問題だって、基本を押さえているともうちょっと違う展開になるというところができていないのがちょっと歯がゆいって感じがするわけでございます。  こういった戦力投射能力なき軍事力あるいは防衛力は、日本における幾つかの議論にも影を落としている。一つは防衛計画の大綱でございます。これね、改定するとかいろんなこと言って、まあ私なんか足下にも及ばないような立派な人がずらっとがん首並べて議論してくださるけれども、全然基本を分かってないじゃないか。現状がどうかということを押さえた上でどっちに行くのかって決めるのが防衛計画の大綱に関する議論じゃないか、そういう話です。  戦力投射能力がない自立できない構造だ。だとすれば、自立できる方向に行くという選択もありますよ。アメリカは嫌がる、最後は日米安保解消ということもある、それをやるのか。あるいは、現状を認めて、もうカミングアウトですね、とにかく戦力投射能力ないから軍事大国化批判はおかしいですよということまで言って、この格好でいきます、足りないところはアメリカとの同盟関係で補います、しかし、もう日本の侵略ということを周りの国が心配しなくていいようになったんだから、日本日本国憲法の精神に照らして、また国連との協調関係において世界の平和を実現するためにできる限り自衛隊を出していくという選択もある。これが多分現実的でしょうね。そういったところにも、現状を押さえないと議論が行かない。  だから、防衛計画の大綱というのはそれを語らなきゃいけないのに全然やっていない。その意味で落第点だということを言ってしまったわけでございます。相当悪口言われていると思いますけどね、矢が十本ぐらい刺さってるよね。  もう一個は、戦力投射能力なき軍事力、防衛力ということは、通常の集団的自衛権というものを行使するか、あるいはできるかといった議論にも影を落としているということなんです。  アメリカとの同盟関係において、アメリカが攻撃された、日本は攻撃されていない、だけど日本は集団的自衛権の解釈の問題もあって助けに行けない、だから非常に片務的だという話がある。ところが、日本の軍事力の現状を押さえたら、まずそういう格好の集団的自衛権の議論はできないという前提があるわけです。そこのところを押さえないといけないのに、何かどこの国にでもあるような話を勝手にしているというところがあるわけであります。この辺は、やはり議論そのものがおかしい。元々自分たちが持っている防衛力の姿を押さえていない結果、変な議論になっているということは整理していいだろうと思います。  いま一つ、日米同盟というもので日本の防衛力というものは支えられている面があります。この現状というものを、税金の使い道を通じた認識というものをこれは与野党を問わず持っておく必要があるだろうと私は思うんです。  日本で言われる議論は科学的じゃない。根拠もなしに、アメリカに守っていただいているんだから逆らったら安保を切られるなんてね、だから多少無理聞かなきゃいけないなんてことを、本当に東京帝国主義大学あほう学部お世辞学科を出た官僚たちが言うわけですよ。何にも調べてない。そこが問題なんです。世界に通用する議論できなければ、これは国益を追求することも世界の平和を語ることもできないわけであります。  日米同盟について言いますと、日本はアメリカの同盟国の中で最も価値が高いんです。これはアメリカがリップサービスしている話じゃないんですよ、客観的な話なんです。これは戦略的根拠地という位置付け、パワープロジェクションプラットホームという言葉があるぐらいであります。アメリカ本土と同じ位置付けなんです。  ざっと言いますと、日本列島が支えているアメリカの軍事力の行動範囲は、ハワイからアフリカ最南端の喜望峰まで。ハワイは緯度経度で言うと西経百六十度、喜望峰は東経、東の十七度であります。インド洋のすべてと太平洋の三分の二を含む。その地球の半分の範囲で行動する米軍を支える能力の大部分日本列島にあるわけです。それを在日米軍経費と呼ばれるお金で、年間今六千億円弱ですよね、それで支えているわけであります。そして、この金額じゃ分からないような値打ちがあるということです。  この戦略的根拠地、日本以外には役割分担できないんです。それは何でか。この地球の半分の範囲で行動するアメリカの軍事力は、今展開しているものが少なくても、必要なときアメリカ本国からもヨーロッパからも来るわけでしょう。物すごい規模になります。規模も大きい、しかも世界の最先端を行くハイテクで固めている。これを支えることができる国というのは条件がある。アメリカと同じレベルの工業力があるかどうか、技術力があるかどうか、そして資金力があるかどうかなんです。ほかにそんな能力を持った国があるんですか。  だから、日本人が勝手に思い込んでいるのとは逆に、アメリカは日本がいつ安保を切るのかということを冷や冷やしながら付き合ってきているということなんです。外交文書がどんどんアメリカで解禁されているから、ちゃんと体系的に研究してください。その都度その都度、日本がナショナリズムに押されて安保を切るんじゃないかって気にしていますよ。  だから、アメリカの同盟国で事件や事故が起きる、アメリカの対応はほかの国に対するものとは違うということはきちんと受け止めて日米同盟を良い形に持っていくことができなかったら、鈍感と言われてもしようがないですね。  例えば、去年の暮れも横須賀で痛ましい事件が起きた。あの空母の水兵が五十代の御婦人を殺害をした。このときだって、アメリカの軍は、とにかくお通夜にも告別式にも百人単位で出てきて、しかも、日本の習慣や何かを学習した上で日本国民の感情を考慮したような対応はしているんです。そんな考慮したから死んだ人が生き返るかって、そういう話じゃないんです。ただ、例えば軍服を着て帽子をかぶっているアメリカ軍は敬礼をすればいいわけです、これで、挙手の礼。あるいは、帽子を取っている場合でも彼らは室内で挙手の礼をするんです。自衛隊は、帽子取っている場合は挙手の礼はしないんです。おじぎが二種類ある。これ角度で言いますとね、十度の礼、これが普通のおじぎです。角度十度、このぐらいですよ。だから自衛官はこうなんですね。あともう一個は四十五度、角度で言うと。これは皇族に対するものとひつぎに対するもの。ちゃんと四十五度、アメリカ軍やってるじゃないですか。これはほかの国に対してやらない。  つまり、日米同盟というのはアメリカにとって最も重要だし、日本には反米ナショナリズムみたいなものはない。そういうすごく居心地のいい戦略的根拠地なのに、つまらぬ水兵さんの起こしたケースが大変貴重な人命を奪ってしまった。そしてその中で、日本で反米ナショナリズムの火でも起きたら、最悪の事態考えれば、やはりこれは日米同盟解消ということは視野に入れなきゃいけない。だったら、火が起きないうちに謝っちゃうというのはアメリカの国家の危機管理としては基本じゃないですか。頭下げるのはコスト掛からない、ただなんですよ。しかも心に訴えるものはある。そのように気を遣ってきている。それをきちっと受け止めながら日米同盟をどう維持していくかということをここで押さえなきゃいけないと思います。  とにかく、日米安保がなくなれば、日本が失うものも大きいけれども、アメリカが失うものは世界のリーダーの座であるということ。だから、アメリカ側とのフォーラムなんかでも、私はあえてアメリカの専門家に対して質問するんです。それは、こっちに座っている日本の官僚や学者に聞かせるためですよ。私がじかに言ってもまゆにつば付けてるやつもいるわけです。ただ、アメリカの当局者に日本が安保切ったら世界のリーダーでいられるかどうかって聞く。向こうがいられませんて答えると、ああそんなものかと思うんですね、日本の役人は。それをちゃんと聞かせるために言わざるを得ない。だけど、本来であれば、やはり国会との協調関係の中で日本の官僚機構はこんなものとっくに押さえておかなきゃいけないということですよ。全然やってなかったじゃないか。一九八四年に私がアメリカ政府の許可を得て調査をやるまで、防衛庁も外務省も調査したことがなかったんだから。調査したことがないから資料をくださいと言ってきたんだから。こんな国、まともな国かよって感じですよね。  ですから、やっぱりいろんな問題に、この日本の防衛力の在り方、日米同盟の姿というものが影を落としている。そういったことをまず認識をすることが今回の公聴会でも一番前提条件になるのではないかと思いまして、時間一杯ここの部分だけお話をさせていただきました。  レジュメにありますほかの件につきましては、これは質疑の中で必要とあらばお話をいたしますし、参考にしていただければと思います。  御清聴ありがとうございました。
  73. 小野清子

    委員長小野清子君) ありがとうございました。  次に、渡辺公述人にお願いいたします。渡辺公述人
  74. 渡辺昭夫

    公述人(渡辺昭夫君) ありがとうございました。  平和・安全保障研究所理事長をしております渡辺昭夫でございます。私、ちょうど、正確には九か月前に脳出血で倒れまして、一時はどうなることかと思って、で、お医者さんにそのときに言われました、二度目は駄目だよと。じゃ、どうしたらいいですかと言ったら、興奮しないようにということでございますのでできるだけ興奮しないようにしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。  今の小川公述人予算委員会の正にテーマである予算との関連でお話しになったんですが、私、不勉強でそのような準備をしておりません。私の理解では、予算委員会というのは、言わば数ある委員会の中でも、特定の問題、専門化するよりは、一般的な、全般的な非常に広い視野から国政の諸問題を議論する場だというふうに心得ておりますので、そういう意味で、与えられましたテーマに関して、つまり安全保障と外交という大きなテーマについてお話をするつもりで参りました。  で、短い時間の中でこの大きなテーマについて私の意見を述べる方法といたしまして、その前に、本日本委員会公述人としての意見を述べさせていただく機会を与えていただいたことに対して、委員会に厚くお礼を申し上げます。  そこで、この大きなテーマに含まれます多種多様な問題というものを個々に論じていると切りがないだろうと思いましたので、こういう問題を相互に関連付けて議論する、一つの頭の中に収めるというための枠組みとして、次のような問題を手掛かりとしてはどうかというふうに考えました。  すなわち、日本は東洋における、アジアにおけるイギリスであるという比較といいましょうか、アナロジーというのがしばしばなされます。少し前にアーミテージさんの名前で出たアーミテージ・レポートというのが、二、三年前ですか、前に出たことがありますが、あの中でもそういう観点から日米同盟と英米同盟を比較している部分がございます。で、こういうアナロジーは果たして成り立つのであろうかという問題を手掛かりにして議論してみたいと思います。つまり、イギリスの例を間に置いて見ることによって、日本が置かれている外交的な立場、あるいは国際的な立場を少し突き放して冷静に見詰め直す手掛かりとしたいからでございます。  イギリスの対外政策については、よくアメリカとの特別の関係、スペシャルリレーションズというふうに言われます。日本に当てはめますと、日米関係が基軸だというのがここ半世紀の間、言い続けられてまいりましたし、今日でもその考えは生きていると思います。問題は、対米関係、非常に極端に、あえて単純化して言う場合には、対米関係さえしっかりしていればすべてよろしいと言う人さえいるわけでありますが、しかし、私は多少そこは違います。  問題は、その対米関係をそれ以外の諸国との関係とどう調和させることができるかということであります。イギリスの場合でいいますと、英米関係とそれから欧州諸国との関係を、その調和をどう図るかという問題になります。日本の場合は、日米関係とアジア諸国との関係をいかに成立させるかと。このところいろんな意味日本のアジア外交ということが問題になっておりますが、日米関係とアジア諸国との関係をどういうふうに両立させるかということがそれぞれの国の外交戦略の工夫のあるべきところであります。  結論的に言いますと、イギリスの場合は、アメリカとの特別な関係を維持しながら、同時にフランス、ドイツその他の欧州大陸諸国との関係も良好に保っていると。それと比べて、日本の場合は安全保障の面でも経済の面でもアメリカとの関係が最重要であるということは、だれしも否定できないことであろうと思いますが、それにしても、そのこととアジア諸国との関係を緊密化させることを矛盾しないような状況に導くためには、なお一段の工夫努力が必要であるというのが現状であろうと言わざるを得ません。  無論、英国の場合も、例えば大西洋、アトランティックオーシャンを挟んだアメリカとの関係に軸足を置くのか、あるいはヨーロッパ大陸との関係に軸足を置くのか、この二つの間の緊張がございますし、それからドイツ、フランス両国を核とした欧州の地域主義の高まりということを前にして、英国外交の長年の問題というのが絶えず、そして今また新たな状況の下で再定義、再検討に迫られているというのは事実であります。しかし、ここはイギリスの外交について論じる場所ではございませんので、それ以上この点を追求する必要はないと存じます。  日本の場合は、様々な理由で、一方におけるアメリカとの関係と他方におけるアジアとの関係を同時に満足させる二元方程式といいましょうか、の解を求めることはイギリスの例に比べるともっと難しく、したがってもっと真剣に頭と心を使う必要があるということを認識するのが当面必要なことであろうと思います。  今、様々な理由からと申しましたが、そのうちで特に重要と思われるものについて、残った時間で、少し駆け足になりますが簡単に触れてみたいと存じます。  第一は、日本人の対米観についてであります。  日米関係について問われたときに、我々日本人の一般的な感覚では、これは特別な関係であるとか、あるいは自然な同盟であるとか言い切れないという問題があろうかと思います。  振り返ってみますと、二十世紀とは、その前半は、次第に増していく緊張関係、その末に大戦争へと突入していく対立と戦争の局面でございました。その後半は、戦勝国と敗戦国という正反対のところから出発しながら、冷戦期をともに戦う同盟国としての関係を着実につくり上げていった協調と共栄の局面という二つの対照的な局面を経験いたしました。そしてまた、そのようにして、初めは太平洋の覇権を争うライバルとして、次には太平洋における平和の構造をつくり上げるパートナーとして、アジア太平洋の国際関係の歴史を日米両国が主導してきた百年でありました。  したがって、こうした歴史の共有を通じて形付けられてきた日米関係というものは自然な同盟と言うに近いものになったと言えそうであります。それでもなお、意識的な努力と慎重な取扱いを忘れるならば溝が深まりかねないという危うさを内に抱えた関係であろうかと思います。  二〇〇一年の例の九・一一事件後の不安と危機をともに経験し、そしてアフガン戦争やイラク戦争で同盟関係を深めてまいりましたが、果たしてどこまで信念と価値観の共有という裏付けのある強靱な同盟関係となっているのかは疑問であろうかと思います。防衛や外交の専門家の間では日米基軸論は定着しておりますが、国民心理の深部にどこまでそれが深く根を張っているのかは問題が残っているのではないでしょうか。  例えば、在日米軍基地は、同盟の基盤、共有の資産としてではなくて、外国軍の基地として、あたかも体内に入り込んだ異物のようなものとして見る態度が根強いようであります。日米同盟のため、そして日本の安全保障のために一定の負担、例えば騒音公害とかリスクというのは必要であるという総論に対して正面から反対こそはいたしませんが、我が家の庭先には御免であると。アメリカではNIMBYと、ノット・イン・マイ・バックヤードと、結構なものだと、しかし私の裏庭にはそれを持ってきてくれるなという言い方がアメリカにもありますから、これは言わばどこの国のどこの人間でもそういう気持ちはある意味で自然だと思いますが、そういう自然な気持ちをあえて超えてこの犠牲を引き受けようというふうに思うか思わないかというところがポイントだろうと思いますが。で、日米同盟に関するこのような国民一般と外交・防衛専門家との間の意識のずれを大幅に縮めることができたとき、日米関係は英米関係になぞらえることができるところまで成熟したと言えるでしょう。  ただし、公平のために言っておかなきゃいけないのは、イギリスにはそれほど深刻な大きな基地問題というものはそもそも存在しないという点はございます。日米同盟が英米関係になぞらえ難いということは、むしろちょっともっと別の面で表れています。つまり、イギリスの軍隊と違って、自衛隊は最近の国際平和協力への深まりつつある関与にもかかわらず、国際平和のためのスクラムにまだ十分に参画できる態勢ができていないというところにそれが表れていると思います。  簡単に言えば、平和は不可分であるということはよく言われます。自衛も不可分であると。つまり、私の平和、私の自衛はあなたの平和、あなたの自衛と分けることができないという精神、政治的意思の表明があってこそ同盟関係になるかと思います。今のところ、日本の国際平和協力活動に関する立場は原則はノーであると、条件次第ではイエスというものでありまして、原則イエスであると、条件次第ではノーというふうになったときに初めて日米関係は英米関係に近づくでありましょう。安全保障基本法というものが議論されておりますが、そのような立場の表明手段になるかどうかということが今問題であると思います。  ついでに申し上げますと、例えば、一番最近の二〇〇一年の大綱で、国土防衛に加えて国際平和協力活動というこの二つの役割が日本の自衛隊にはあるのだと、日本の防衛力にあるのだと言っております。これはある意味、いわゆるほかの先進国、例えばイギリスの例にも非常に似ているところであります。  ただし、イギリスの場合は、一九九五年のイギリス国防省のある文書によりますと、ディフェンス、防衛力の役割は三つあると。第一は、本土とその属領の保護と安全保障である、これは日本の場合の国土防衛というのに相当しますね。で、第三に、国際平和と安定を図ることによってイギリスにとってのより広い意味での安全保障上の利益を促進するというのは、これは日本の国際安全保障協力というのと相当する。ところが、真ん中にもう一つ重要なことがあるんです、この中に。それは何かというと、イギリスとその周辺国に対する大規模な脅威に対する備え。国連憲章五十一条の定める自衛の権利並びに義務の遂行というのがありますね。これは、我が日本の場合はいわゆる集団的自衛権云々との関連で、これは日本の自衛隊の役割の中には入っていないと、これが非常に一番大きな重要な違いであります。それが英米関係と日米関係が比べられないということの最も端的な例であろうかと思います。  もっと大事なことは、時間がだんだんなくなってまいりましたが、私の今日の一番申し上げたいことは次の一点ですね。日米同盟がいまだ強靱性を欠くと言わざるを得ない第二のといいますか、その理由は、それがアジア太平洋地域というより広い国際関係の中に十分に根を下ろしていない、十分に定着していないからであります。この点でも、ヨーロッパの国際関係の中における英米同盟との比較が参考になります。  ドイツ、フランスなどのヨーロッパ諸国とアメリカとの間には、例えばイラク戦争の例を思い出すまでもなく、これはまだ記憶に新しいところだと思いますが、安全保障問題をめぐって意識のずれや温度差があることは確かであります。そして、米国との特別な関係を誇るイギリスに対して距離を置く、独仏はですね、ところがありますので、それはあくまで大西洋同盟、NATOの地域外の問題への対応に対しての違いが原因でありまして、英米関係そのものが直接例えば独仏などに悪影響を及ぼすものと見られているからではありません。つまりは、かつてはソ連の脅威に対して、今ではテロの脅威に対して、英米だけでなくて独仏等も含めて、基本的には共通の利害で結ばれた関係がそこにあるわけであります。  翻ってアジア太平洋を見れば、日米同盟というのは、韓国や東南アジア諸国から見てもプラスの資産、つまり公共財としての意味を持っておりますけれども、中国や北朝鮮はそのようには見ておりません。ここで中国の台頭というものが、北京の指導者が我々にそう思ってほしいと考えているような平和的台頭という、中国では和平崛起という言葉を使うようでありますが、英語ではピースフルライズと言っていますが、こういう平和的な台頭なんだと盛んに北京は今メッセージを投げ掛けていますが、そういうものとして終わるのかどうかについて日本を含めたアジア太平洋諸国はまだ確信を持てないということが、日米中のこの三か国の間に不協和音をもたらしているという現実から目をそらすことはできません。  その点で、米中関係と日中国交正常化が相前後して実現した三十年前の状況と、一九七〇年代の話ですね、と今日のそれとは大きく違っております。当時は、ソ連の覇権に対抗するという点で戦略的利害を共通にした日米中三国間に、擬似同盟とあえて書きましたが、的な関係で少なくともある種の調和的な関係が成立しておりました。  御記憶の方は、当時、日本の外交当局、日本政府は、日中、この新しい条約が決してソ連の覇権に対抗するものではないということをいかにソ連に信じてもらいたかったかということがあるんですけれども、客観的に見ればそれは中国、逆に中国側は、これはソ連の覇権に対抗するというものであるということを色濃く出したい、日本側はそれは薄墨色にしたい、こういうことがあったのを御記憶だと思いますが、しかし客観的に見れば、大きな観点から見れば、今申し上げたように、やはりソ連というものを念頭に置いて、ソ連の影響力がこの地域で拡大するということを抑えたいという共通の利害関心をアメリカと中国が持ったからこそ米中接近が成り、そして日本もその中に加わるということになったというように私は考えております。  ところが、ソ連の脅威が消滅いたしました。それから、当時はなかった中国の自力というものがここにはっきり付いているという二つの条件が三十年前と全く異なる安全保障環境をつくり出しております。そうすると、日米中の間の安定的な関係というものはどうしてつくったらいいかと。この安定的な関係ができれば三者ともプラスになりますけれども、それにはやはり共通のターゲットが必要であります。  やや刺激的な言葉ですが、共通の敵は何であるかということですね。かつて米中接近の際、中国の周恩来首相は、ニクソン、キッシンジャーを相手に、単なる友情の上に永続的な安定した協力関係は築けない、国益の一致、利害の一致があってこそ安定的な米中友好関係が築けるという議論をしております。で、ソ連の覇権阻止がその場合の共通の国益でございます。時は移って今、アジア太平洋においてともに事を成す相手としての中国を見出すことができれば、日米との間に持続的、安定的な調和的な関係を築くことができるでありましょう。  今後の四半世紀先のアジア太平洋地域の秩序に関して、先ほど言ったニクソン、キッシンジャーと周恩来、毛沢東は、これから二十五年後のアジア太平洋はこうあるべきだということを二十五年先を見て議論をしていますね。で、その二十五年先がたって今ここに我々はいるわけですね。そうすると、今から二十五年先を考えてどういう議論を我々はすることができるのかということですね。その点で、日本が、日米が中国と共通するイメージを持って行動できるかどうかという観点から、日本は対米政策を、そして対中政策、対アジア政策を確立すべきその時期になっているのではないでしょうか。  この点で、最近発表された米国の四年ごとの国防計画の見直し、QDR二〇〇六という文書があります。これは意味深長な文書でありまして、そこでは戦略的な岐路に立っている国々がどういう選択をするかということに関して我々は影響を与えるべきであるというふうに言っておりますが、そこで念頭にある国々の代表的な例が中国であるということは容易に推測できるわけでありますね。  分かりやすく言えば、その対話路線を選ぶか軍事力の建設を含む強硬路線を選ぶのか、戦略的基礎に立っているのが今の中国であるという認識の上に立って対話路線を促すメッセージを送り続ける一方で、強硬路線を志向しようとする勢力がもしあったとしたら、それに対しては日米ががっちりとスクラムを組んで、その道の前にはこういう越え難い壁があるということを示してみせるということによって初めて中国を対話路線の方向に導くことができると、こういうのが今のアメリカの考え方であろうと思います。私はそれを二枚腰の対中政策、ヘッジングストラテジーと英語では言っていますが、それは最近の日米の間のいわゆる2プラス2の共同発表文書でもそのような考え方を言っているのではないかと私は考えます。  時間の制約で他の問題に触れる余裕がなくなりましたが、あと三十秒ほどお許しください。  日米中という大国間の関係だけに注意を払っていればよいという意味では決してありません。アジア太平洋にはASEAN、東南アジア諸国とか、あるいはPIFと、太平洋島嶼国という小さな島々の国ということで、多数の中小国がこの地域を我々と共有しているわけですね。地域の大国、中でも日米両国は、こういった多数の中小国の健全な国づくりを様々な方法で支援していくという役割を持っております。この点が英米同盟あるいは米欧関係と私は違う特徴だと思っておりますね。  ASEANについては比較的知られていますので、一言だけ最後に申し上げたいのは、太平洋の島々は、ともすれば見分けられない細かいたくさんの国々があります。それがPIF諸国といいますが、それで、五月に沖縄で開催が予定されている日本・PIF、太平洋諸島フォーラム首脳会議です。通称島サミットというものについて簡単に言及しておきます。  実はここでも、ここでも中国、台湾、韓国などの国々が新規参入者として役割を拡大しつつあるという状況をにらみながら、日本としてここで、この太平洋島嶼国地域の秩序形成においていかなる仕方でリーダーシップを発揮すべきかということが問われていると。これが五月の那覇における、沖縄における島サミットのテーマであると私は考えていますね。そのことに皆様方の御注意を喚起して、私の意見陳述を終わらせていただきたいと思います。  どうも御清聴ありがとうございました。
  75. 小野清子

    委員長小野清子君) ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  76. 谷川秀善

    ○谷川秀善君 自由民主党の谷川秀善でございます。  小川公述人、渡辺公述人におかれましては、本日、大変お忙しい中、予算委員会にお出ましをいただきまして、また、ただいまは本当にはっきりとした物言いでいろんな御意見をお述べをいただきました。心から厚く御礼を申し上げる次第であります。  この時間が、大体私の持ち時間が往復で二十五分ということですから、これ、ほかの党派もそうですが、なかなかもう、ほとんど聞きたいことが聞けないというぐらいの時間ではないかというふうに思いますが、どうぞよろしく簡潔にお教えをいただければなというふうに思います。  在日米軍の再編の問題は、先生方も御承知のように2プラス2の中間報告で大体合意したわけでございます。  それで、先般、米海兵隊岩国基地への米空母艦載機移駐の賛否を問う住民投票が山口県の岩国市で行われました。そして、その結果は反対が八七%を占めたわけであります。これは、当初、何か五〇%行きませんとその住民投票は成立しないということでいろいろ言われておりましたが、私は、こういう問題は住民投票をすれば必ずその五〇%を超しても反対になるというのは、これは当たり前のことやと思いますよ、これ、正直言うて。それは、国防は大切です。自分の国を守るということは大切ですけれども、まあいろいろありますからよそに行ってもらいたいと、自分のところにはおってもらいたくないというのが、これは大体そういうことだと思うんですよ。  しかし、これはどうも、それはやってはいけないというわけにいきませんからね。だから、私はもうやってもらってもいいと思いますけれども、私は、やっぱり国の安全保障の問題は、本来、一地方自治体の住民投票に私はなじむようなものではないというふうに思っているわけです。そういう意味では、やっぱりそれは理解は必要である、理解してもらう必要はありますけれども、やはりおのずからその持分が違うのではないかということで、政府は、何といいますか、織り込み済みなんだと、だから三月に向けていろいろ努力をし、住民の合意も得たいと、こう言うておりますが、なかなかこれは非常に難しいかなというふうに思いますがですね。  これは、やっぱり先生方から見れば、これ住民投票は、こういう問題を住民投票によって、なじむのかなじまないのか、この点について両公述人にお伺いをいたしたいと思います。
  77. 小川和久

    公述人小川和久君) 谷川先生、どうも貴重な御質問ありがとうございました。  私、今お話にありましたように、住民投票と安全保障の問題がなじむかなじまないかという議論はしない立場でございます。米軍基地の騒音問題などに対して司法の判断にゆだねるということは、これなじまないということはずっと言ってまいりました。これは、日米政府がきちっと話ししなきゃいけない話でございます。  ただ、その安全保障の問題については、住民投票にかけた結果、住民の大部分が反対するというのは、これは当たり前です。総理が言っているとおりですよ。  しかし、反対をした住民は、やはり、じゃどうするのかという問いを突き付けられる段階に行くんです。その意味で極めて重要なステップだと思っています。で、それを突き付けながら、やはりきちんとその負担の公平化、あるいはそれに伴う振興策などを実施していくということが政府に求められるだろうと。だから、その住民投票になじむかなじまないかという議論は私は残念ながらしないわけでございます。  そして、その住民投票の問題を一つ問題にいたしますと、じゃ、その反対が必ず出るのは分かっているんだから、そういう話じゃなくて、もっと強権的に政府やったらいいじゃないかなんていう議論も、一方では極論が出てきかねないわけでございますね。ですから、やっぱり反対は必ずあります。ただ、その反対ということをくみ上げながら、じゃどうやっていったらいいのですかということを住民に問いながら着地点を探していくということが求められるだろう。これはもう官邸に対しても私ずっと言っていることでございます。  お答えになっているかどうか分かりませんが、ありがとうございました。
  78. 渡辺昭夫

    公述人(渡辺昭夫君) 谷川委員、どうも御質問ありがとうございました。  私は、先ほども申し上げましたように、NIMBYと、いかに重要なものであっても、ノット・イン・マイ・バックヤードということの頭文字を取っているのはアメリカの言い方ですが、それはお断りということはおっしゃるとおり人情でございますね。人情でございます。  ただ、私が申し上げたいのは、つまり、これは多分御質問の趣旨もそこにあったと思いますが、こういう問題は国の責任、それを地域の住民に言わば責任を転嫁するのはおかしいと、判断するのはあくまで国でありますと、私あるべきであると思います。確かに、いろいろな公害その他の、騒音公害等々の問題がある。それを超えて、しかしこれは国の安全保障上是非必要なのだという議論をどれだけ国が正面から住民に対して語り掛けるかと、その意味において責任を果たしているかというところに一番大きな問題があろうかと思います。  例えば、それじゃおたくがまあ嫌なら、私は八王子の市民ですので、じゃ八王子に持っていきましょうと言ったら、私は八王子市民から総スカンですよね、総スカンです。だから、どこへ持っていってもいいということではないんで、やっぱり、なぜ岩国になきゃいけない、なぜ沖縄になければならないのかといえば二つ理由がある。一つは、歴史的な経緯というものがあります。で、もう一つは、その土地が持っている戦略的な価値であります。そのことから決まってくるのであると。それをあえて、あえて申し上げますと、言わばその戦略的な位置ということに関していえば、その当該の地域が持っている一種のアセットであります。資産であります、戦略的なですね。それをいかに有効にその地域として使うかと。そして、それを国がどういうふうにそれを評価するか。評価するに当たっては、しかるべき国としての手当てを考えなきゃいけないでしょう。そういう問題ではないかというふうに思います。  以上であります。
  79. 谷川秀善

    ○谷川秀善君 どうもありがとうございました。本当に貴重な御意見を賜りました。  次は、日本が常任理事国、安保の常任理事国入りをしたいということでいろいろ、私も外務省におりましたが、いろいろ努力をいたしました。ところが、うまくいかなかったわけですね、今回の場合はうまくいかなかった。それで、アーミテージ氏は、日本が安保の常任理事国入りを目指すならば憲法改正が望ましいと言ったことがあるわけですね。それで、パウエル当時の国務長官も同様な発言をしているわけであります。  日米同盟は、日本にとっては非常に、今先生方もおっしゃったように生存の問題で不可欠な問題だろうというふうに思いますが、まあ米国にとってはある意味では数ある理論的選択肢の一つではなかろうかという面もあるんではないかというふうに私は思っているわけです。  それで、そういう意味では、日米同盟に対する懐疑派的な考え方をする人たちは今も、アメリカをそんなに信頼しておっては、そのうちにもう日本通り越して中国と話合いするんではないかというようなことを言っている人もありますけれども、これは大体一九三〇年から四〇年時代の歴史的な経験からくる疑問だろうなというふうに私は思います。  そういう意味では、日米同盟が米国にとっても不可欠なものであると、今先生おっしゃったように、ものに持っていかないと、何か日米同盟が日本のための、ためだけの同盟であるような考え方であれば、私は行く行く行き詰まってしまうんではないかというふうに思っているわけです。  そういう意味では、大西洋を挟んで米英同盟がございますね。こっちは太平洋挟んで、日本と米国との日米同盟があると。こういうことで、ここで、アメリカの側から見れば、ここでしっかりとした同盟関係を結んでおいて、その上でユーラシア大陸の問題に立ち向かうというのは米国にとっては大変理想的な形ではないかなというふうに思いますが、私は日本にとっても、ちょっと欧州関係とは違うのは中国とやっぱりアジア、ASEAN、アジアの諸国たくさんございますから、それで北朝鮮もあるということから考えますと、この日米同盟というのはそろそろ曲がり角に来ているんではないか、その場合にどうすればいいのかと。  憲法改正の問題とも絡むと思いますが、どうすればいいかということをお教えを願いたいと、それぞれ小川、渡辺公述人、お願いいたします。
  80. 小川和久

    公述人小川和久君) 谷川先生、ありがとうございました。  私の最初の二十分間のお話、日米同盟と日本の軍事力の現状認識についてで費やしてしまいましたのは、実は質疑の中でこれを押さえておかないと議論が進まないからということがあったからです。  お話にもございましたように、日米同盟というのはアメリカにとって最も重要なんです。だから、これはアメリカ側と専門家同士しゃべったら、日米同盟抜いたらアメリカの世界戦略成り立たないわけです。それを日本側がきちっと認識をして、しかもアメリカ側と対等の議論をできるような例えば官僚あるいは学者、それを育てなきゃいけない。  米軍再編につきまして当時の石破防衛庁長官と一時間半ぐらい大臣室で二人きりで話したんですが、日米の認識のギャップというのは物すごくあるんですね。アメリカは、日本はこのぐらい分かっているだろうと思って物を言っている。日本側は、分かってないのに分かってませんと言えないものだから、黙って、持ち帰りましてということになって、どんどん認識の差が広がっていく。それをすり合わせないと米軍再編もあるいは個別の基地問題も進みませんよというようなことになった。どの官僚、どの制服自衛官がいいかと名前挙げながらいったら、七人ぐらいしか向こうと対等にしゃべれるやつはいない。チーム組んで合宿やんなきゃいけないだろうという話までしたのが二〇〇四年の八月の末でございます。その後、石破さんは替わられたので、そういったチームはつくらずに、審議官級の協議でその認識のすり合わせからやろうとなったのは、背景はそこにあるんですね。  日本側がちゃんとした認識を持っていればアメリカと話できるんです。日米同盟なしに君らは世界のリーダーでいられるかという話を、それも嫌みじゃなくて、本当に友好国、同盟国として共通認識を持つことが日本の国益につながっていく。それを、何も知らないジャップたちという感じで足下見られてどんどん議論をやられているのが現実じゃないですか。それは日本側に問題がありますというのが私のお答えでございます。  ありがとうございました。
  81. 渡辺昭夫

    公述人(渡辺昭夫君) どうも御質問ありがとうございます。  まず、国連安保理と憲法改正、つまり憲法改正が条件になるかという御趣旨だと思いますが、私の答えは必ずしもそうではないというふうに思っています。  もちろん、憲法を改正してより積極的に日本がいうところの国際平和協力ができるような体制にするということは望ましいことであり、それは国連を強化していくということと、憲法改正をそのような精神でなして日本の役割を増すということとは、私があるところで書いた論文によると並行したアジェンダであると、つまり両輪のようなものだというふうに考えております。  ただし、より重要なのは、憲法改正で問題なのは、いうところの集団的安全保障云々ということにかかわると思うので、これは先ほどイギリスの例を出して挙げましたように、いわゆる自国を守るためじゃなくて自国の仲間を守るということのためにその自衛権の権利と義務を果たすということがイギリス軍にとっての第二の役割であると。日本の場合はそう言えないというところが問題ですね。そういう観念の方が私は重要だと思います。差し当たって、憲法改正が問題になるのは、国連の安保理入りをするためにはどうしてもという話でない。  それから、日米同盟がそれではアメリカにとってはワン・オブ・ゼムか。確かにワン・オブ・ゼムでありますが、例えば、最近、先ほどちょっと申し上げた四年ごとの国防計画の見直しという文書でも、それからライス国務長官が最近行いましたスピーチでも、同盟諸国とかパートナーと一緒にやっていくと。今までのイラク戦争の教訓として、このことは相当アメリカにはこたえております。  そこで、真剣に同盟国との関係を強化していかなければ、この長い戦いというふうにこの文書では言っているわけですが、長い戦いは必ずしも軍事力でもってやる戦いではなくて、あらゆるものを含んだ、日本風の昔風の言い方として総合安全保障的なアプローチでやっていく、そのために日本とタッグを組むということは、日本とスクラムを組んでいくということは大事だというふうに認識はアメリカも高まったので、アメリカから見て日本との同盟はなくても進むよというほど軽いものではないというふうに私は考えます。
  82. 谷川秀善

    ○谷川秀善君 最初に小川公述人日本の今防衛庁の予算についてお話をされました。大体四兆八千億ぐらいだろうと、こういうことでありますね。今審議をしている、この予算もそれぐらいです。ところが、一番これお金を食っているのは、当初おっしゃったように人件費と、糧食料費というんですか、これで大体四四%、大体半分ぐらいですね、半分ぐらいそっちに行ってしまっていると。実際の、何ていいますか、防衛力の整備に充てられるものは大体ざっと三〇%ぐらい。といいますと大体一兆五千億ぐらいだと。これで本当に日本が、例えば北の脅威があるとか、北朝鮮がいろいろやっているという話はずっとあるわけですね。これ、本当に防衛できるのかどうか。今、日本の自衛隊、それは米軍と共同作戦をやっているわけですから、それを加味すると何とかなっているのかも分かりませんけれども、これぐらいの予算で、これぐらいの装備力で本当に日本の国が守れるのかどうか、どうお考えになっておられるでしょうか。それぞれ両公述人にお伺いしたいと思います。
  83. 小川和久

    公述人小川和久君) 谷川先生、ありがとうございます。  私のレジュメにお書きしましたように、日本の防衛力というのは二つの要素で成り立っている。一つは、自立できない、外国をせん滅することのできない、戦力投射能力を持っていない軍事力、それが一つ。それは、アメリカが日本の自立を望まないから、そういう構造にして、役割分担として海上自衛隊の対潜水艦作戦能力と航空自衛隊の防空戦闘能力を世界最高レベルにする、そういう格好でございます。足りないところはアメリカとの同盟関係で補う。この二本柱なんです。  で、今御質問にありましたような格好で、独力である程度周辺諸国の、まあ軍事的脅威があるかないかという認識は別ですが、それに対処しようと思えば、戦力投射能力をある程度備える方向に行かざるを得ない。それでアメリカと議論できる勇気があるんだったらやるべきです。その勇気があるんだったらとっくにやっています。ところが、根拠もなくアメリカとそういう戦略的な対話もできずに来た。その現状でありますから、私は、防衛計画の大綱を議論する場合にも、自立の方向に行くのか、あるいは現状を認識し、それを世界の国々に説明をしながら、自衛隊を国際平和実現のための任務にフルに出していくことによって信頼とそれから日本の安全をかち取る方向に行くのか、そっちがまあ現実的ではないかという話を申し上げたわけでございます。  これは、日米関係を本当に健全な格好にして整理をしない限りは、今おっしゃったような議論には行けないということがあります。アメリカは自立を望んでおりません。私も十五歳で自衛隊行きましたし、海上自衛隊に変わった同期生は昨年の三月一杯で海将で辞めましたけれどもね。やっぱり海上自衛隊なんか一番アメリカ軍と密接不可分な関係で行動している。海上自衛隊が攻撃型の航空母艦と攻撃型の原子力潜水艦を持つことだけは絶対駄目なんですよ、アメリカは。日本の自立につながるからです。  そういった現実を押さえながら、その問題を日本として克服するためにアメリカとちゃんと正面から議論するのか、あるいは現状を受け入れてこういった格好で行くのか、そこのところがちょっと問われていると思います。  どうもありがとうございました。
  84. 渡辺昭夫

    公述人(渡辺昭夫君) 簡潔にお答えいたします。  日本の防衛費については、大変難しい状況になってきています。先ほど申しましたように、二つの役割があると。一つは国土防衛だと。一つは国際平和協力で、例えばイラクなりなんなりに出掛けていく。この二つだと思っているわけですね。前者についても、例えばどこやらの国の不審船であるとかミサイル防衛だとかという問題があって、今までよりも多くのことをなさなきゃいけないというふうになっている。プラス国際平和協力ですから、つまり二重の機能があり、かつそれが役割が増している。しかし一方では、防衛費は削れ削れという状況にある。だから、より少ない予算でより多くのことをやらなきゃいけないというのは、これは大変に酷な要求であろうと思います。  その場合に、人件費の話に触れますが、簡単に言うと日本の兵隊さんは非常に高く付くわけであります。なぜ高く付くか。徴兵制がないからであります。志願兵であります。で、いち早く徴兵制を放棄して全面的に志願兵に移ったのは、数ある国々の中で日本が先頭を走ってきたわけです、戦後。それは、日本が好んで選んだというよりも、占領政策の結果としてそうなったということもありますけれどもね。経緯はどうであれ、そういうことであります。したがって、非常に高い、兵隊さんに高い給料を払わなければ十分の兵隊さんが集まらないという状況の中でずっとやってきているわけですね。そういうふうに二重三重の意味で非常に苦しいという状況の中で、しかしその割によくやっているのではないかというのが、若干身びいきになるかもしれませんが、私は、その辺は委員の皆さん方の同情ある御理解を得たいところであります。  以上であります。
  85. 谷川秀善

    ○谷川秀善君 今本当に大変核心に触れるというか、これからどうするかという議論だと思うんです。一番大事なことは、徴兵制をやるのかやらぬのかということですね。それと核を持つのか持たぬのかと。この国防ということから考えますと、この二つは何となく今タブー視されているわけですね、本当に日本の国内においては。まさか核なんてとんでもないと、同時に、徴兵制なんてものはよりとんでもないと。しかし、これは議論としてはそろそろやらないと、この国防費五兆円近くのうちで人件費がもう半分だということになると、非常にこれは私は大変なことだろうと思うんですね。なかなか財政も、それほど日本の国は潤沢にあるわけでもございませんから、そういう意味で、しっかり国を守るということからいいますと、この辺についてもそろそろ、なかなか言いにくいと思いますね、議論をする必要があるのではないかというふうに私は思っているわけです。  そういう意味では、両公述人、この議論をする必要があるのかないのか、そんなことはもう議論せぬでいいよと、今の日米同盟でやっていけばいいよとおっしゃるのか、その辺をお伺いをいたしたいと思います。
  86. 小野清子

    委員長小野清子君) では、今度は渡辺公述人の方から。
  87. 渡辺昭夫

    公述人(渡辺昭夫君) 議論をすべきであろうと思います。で、どこでどうやりますかという問題でありますけれども、一般的に言って、国会で皆さんがもしそういう問題意識を持たれるならば、議論なさってしかるべき問題であろうと。  私は、徴兵制を、個人的には徴兵制を復活しろと申し上げているわけではなくて、特に今は、いわゆる冷戦が終わってから後、どこの国も大規模な軍隊を国土防衛のために持っている必要は、必要性はかなり低下してきているものだからという動きの中で、次々に一般義務制、兵役制というものから脱却して志願兵制度というふうに移っているのが世の中の動きであります。そういう意味で、日本一つの先例的なものを成しているということを申し上げたわけでありますが、そのことも含めて、核兵器の問題は若干別のことになりますが、ちょっと短い時間の中で申し上げるとかえって誤解を生むと思いますので、取りあえず、議論をすることは私は必要であろうと思っておりますが。
  88. 小川和久

    公述人小川和久君) 核の問題それから徴兵制の問題、双方とも正面から議論をすべきだと思っています。ただ、科学的な議論、世界に通用する議論をしなければならない。  核兵器につきましては、二つ問題があります。一つは、アメリカとの同盟関係を離脱する選択をしなければ、アメリカが持たせないという問題があります。何とかに刃物だと向こうは思っております。向こうが思っているんですよ。もう一つは、日本はやはり核を持つということは、例えばお金の面でいいますと、大きな通常戦力を持つよりは安上がりになる面もあるんです。ただ、その中では世界各国から孤立をするという選択、可能性もあるんだと、選択ではなく可能性ですね。それも視野に入れた上でそれを選ぶかどうか、その辺が問われております。  私は、現実的なのは、被爆国であり非核政策を持った国ということを武器にしながら、うまく日米同盟を機能させていく方がよいのではないかなと思っております。  徴兵制の問題については、一つ私もずっと意見を持っておりますが、徴兵制という言葉をアプリオリに使うことは、やはりもう一回ちょっと整理しなきゃいけないだろう。国民皆兵という形でもう一回考えるということなんです。日本で徴兵制という言葉だと、野間宏さんの真空地帯の世界、まあ陸軍、帝国陸軍内務班みたいなのが頭に浮かぶ、あれは国民皆兵とはほど遠くて、一銭五厘で死んでこいという懲役の世界ですよ。  ただ、世界の民主主義国、先進国の中でのかなり多数を占める議論を申し上げますと、その軍事組織、軍隊における構成員、そこにいる人々の意識と国民平均的な意識が乖離しないのが一番シビリアンコントロールが完成した姿なんです。離れれば離れるほど軍事組織は暴走したり独走する危険性を持つ。だから、特殊な集団に軍事の問題を預けてしまうというのは、実は危険なんです。日本の場合は、自衛隊ははたから見るよりはずっと民主的ですし、アメリカというある意味ではおもしもある、だからまあいいんですけどね。やはり本来は、国民皆兵で平均的な国民の意識が常に貫かれる中で軍縮も進めるという考え方があっていいと思います。  昨年の二月十九日、京都の同志社大学の神学部のチャペルで日本とドイツの公開討論会やったんです。日本側は私です。ドイツ側は、ドイツ連邦軍社会科学研究所の所長のティーセンという教授ですね。彼は今国会議員になりましたが、キリスト教の牧師なんです。僕も神学部出身で、あのラスプーチンの十四年先輩なんですけどね。でも、まあそこでティーセンと僕が一致したのは今の話なんです。で、ドイツの場合は、緑の党の人も含めて、大部分が予備役の軍人だから非科学的な話はしない、だからその国民皆兵というものが一番シビリアンコントロールの基本だということは一致しているということなんです。  そういう話し方をきちっと筋道を立ててすれば、まあ反対のための反対はともかく、うん、なるほど、そうかなと思ってくれる方も国民の中にかなりいらっしゃると私は思っています。そして、人生のかなり早い段階の例えば一年なり二年、軍事組織に勤務をし、戦争と平和、人間の生と死などを自分なりに考え悩んだ若者がまた市民社会に戻ってきてこの国家を形成していく、それが外国から見ると国民的抵抗の意思として映る、大変な抑止効果を持つんです。そういう土台があって初めて、常備軍の本格的な軍縮もできるということです。そういう理屈というものを僕らは考える必要がそろそろあるんじゃないかと、そんなことを御質問を受けまして頭に思い浮かべました。  ありがとうございました。
  89. 谷川秀善

    ○谷川秀善君 どうもありがとうございました。どうぞよろしくお願いします。終わります。
  90. 喜納昌吉

    喜納昌吉君 小川先生には、かつて外交防衛委員会で質問したことがあります。そのときは、我が国にとって最大の脅威は米国と中国の敵対的な摩擦だということ、そして日米同盟に基づく地球の半分の平和化で解決はできないんではないかということを質問した覚えがあります。それで、そのときちょっと国連のことをお話ししたんですけど、今日は非常に国連の重要性を強調しておられていましたので、是非この辺を再度思い出していただければ、お答えいただければと思っています。
  91. 小川和久

    公述人小川和久君) もうちょっと具体的にお願いいたします。
  92. 喜納昌吉

    喜納昌吉君 多くても半年ぐらい前だと思うんですけど、我が国にとって最大の脅威は米国と中国の敵対的な摩擦だと私が質問したんですね。そして、先生が述べていた、地球の半分の平和化をその日米同盟が担っているということで、それだけでは日本の未来は解決できないんではないかというテーマだったと思います。その辺をもう一度。
  93. 小川和久

    公述人小川和久君) 喜納先生どうもありがとうございます。  余りにも大きなテーマについての御質問だったのでどこの部分をお答えしようかと思ったんですが、あのときの御質問をちょっと思い起こしますと、例えば中国と台湾の軍事的な緊張においてアメリカが軍事介入をする、そのことが大変日本の安全にとっても考えなければいけない問題ではないかといった趣旨の御質問だったと思います。それに対して私がお話をいたしましたのは、私も軍事専門家の端くれとして中国人民解放軍とも相当深く議論をしているわけでございますが、中国側に対して我々が言ってきた、あるいは陸上自衛隊が言ってきたことは、とにかく中台関係が緊張をし、アメリカが軍事介入をする姿勢を見せた場合でも、中国と日本関係が良好に維持されている場合には、日本はもちろん中台の軍事的な衝突を避けるべく働き掛けると同時に、アメリカに対して軍事介入を待てと言える立場にある。そのことを分かった上で日本との関係を良好に維持しなさいということを中国には言ってきている。  で、日中関係が悪くて、中台関係が緊張する、軍事衝突が起きそうになる、アメリカがそこに介入しようとする。それはもう中台、日中関係悪いわけですから、与那国島の沖で境界線を接している我が国としては国防上の問題が生じる。降り掛かってくる火の粉は避けなきゃいけない、独力で避けられないから同盟関係を結んでいる、さあアメリカ軍どうぞ行ってくださいという話になる。どっちがいいんだよというのは中国の人民解放軍には言ってきている。もちろん、そういう事態にならない方がいいというのは当たり前でございます。だったら日本との関係も良好に維持しよう、枠組みを決めて、外交というのは売り言葉に買い言葉は最悪だから、友好国同士が過去の問題も現在の問題も未来の問題も忌憚のない意見を交わし合うようにしよう、ルールを決めようということで話をしております。  そういったことが、恐らく今の日中関係でも枠組みは決まっているんだと思うんですね。そういったことをちょっとお答えを申し上げたような記憶がありますが。ちょっとピント外れだったでしょうか。ありがとうございます。
  94. 喜納昌吉

    喜納昌吉君 米軍再編のこの姿も、正体も少しちらちら見えてきたと思うんですけれども。  ところで、予算ですね、日本の国防予算というのは四兆八千万円ですよね。その四分の一がグアムの海兵隊の移転に使われることはどう思いますか。
  95. 小川和久

    公述人小川和久君) グアムにアメリカの海兵隊の司令部機能などを移していく、七千人、八千人という格好ですね。その移転に伴う金を一杯出せという話がマスコミに載っておりますが、これはアメリカから言わしてみれば当然な要求ですね。ただ、それを値切っていくのも外交でございますので、やはり日本が求めたことであるけれども、君らのその物の言い方は相当ぼったくりみたいじゃないかといったようなことを、まあ当事者同士ではかなり話し合っていいことだと思います。  別にグアムに持っていけなんということは、私自身は構想で示したこともないしアメリカ側と話したこともない。ただ、これはまあどっかから出てきたんでしょう。ただ、別にグアムに持っていかなくても、彼らを安全な状態で日本の中に駐留をさせることも可能性はあるわけであります。だから、金を出したくなければ代わりのことを提案をして向こうにのませればいい、そういう立場でございます。だから、金額ではありません。あるいは、日本にとってもっと大きな意味があるというんだったら、向こうが言っている百億ドル以上、一千億ドルだって出したっていいじゃないですか。何を基準に考えるかという話でございます。  ただ、今、アメリカ側が出しているお金というのは相当吹っ掛けてきたなという印象はございます。ただ、日本側が言い出したことです。とにかく、米軍の駐留に伴う負担を軽減しようということが、これは地元も含めてあるわけであります。ただ、軽減するに当たっては相手を動かさなきゃいけない。それに伴うお金というのは、当然言い出した側も負担しなきゃいけない。それについての金額を値切るかどうか、あるいはどれぐらいを認めるかどうかの話であろうと思います。  どうもありがとうございました。
  96. 喜納昌吉

    喜納昌吉君 日本は独立国家ではないと言われたり、あるいは米国の軍事植民地ではないかと言われたりあるんですけれども、そこで沖縄の密約事件で明らかなつかみ金というのがある程度もう証明されていると思うんですがね、あの西山太吉事件の機密漏えい事件でね。特に、軍事評論家ならばもうすっかり答えは分かっていると思うんですけれども。そういう一つの思いやり予算であるとか、その今一兆が、もしかするとまた普天間基地が動いたときにもまたそのぐらい金を要求されるし、二兆、三兆と膨れ上がっていく可能性が出てくるんですね。  私は、米国はうまく沖縄を人質にしてこの日本からお金をうまく巻き上げているような感じがするんですけど、この辺はどう思うか。
  97. 小川和久

    公述人小川和久君) まず、沖縄を人質にして金を巻き上げているという認識は私は一度も持ったことはありません。  で、向こう側からたくさん金を出すように求められているように私たちは思っておりますが、それは日本側の外交能力が低い結果でございます。例えば、日米同盟の重要性というのはさっきお話ししたようなことでございますが、よく日米の識者の中に日米安保安上がり論というのがあるんです。日本が金出すから日本にアメリカはいるんじゃないか。これは、アメリカ人でもチャーマーズ・ジョンソンが言ったり、日本で朝日の編集委員が書いたりしているけれども、私、だから、国防総省の当局者に聞いたことがある。そういう関係なのかと、日米関係は、金の関係なのかと。そうであれば、金の切れ目が縁の切れ目になるから、同盟関係を結ぶ相手としてはアメリカは適切じゃない。だから、我々はほかの国と結ぶかもしれないよと言ったら、向こうは違うと。日本がお金を出してくれるのはありがたいけれども、基本的には戦略上の要請から日米同盟が必要なんだと。だから、場合によっては、アメリカが日本に対してお金を出さなくてはいけないような状況になっても日米同盟は崩したくないという話でした。だったらいいよという話ですよ。だから、金の話について言ったら、日本側の交渉能力のなさというのがいろいろなところに出ているということですね。  それから、そのアメリカの軍事植民地という言葉は私は使ったことがありません。沖縄の方はよく使いますけどね。ただ、独立国家らしくないということはずっと言っています。例えば、米軍基地あるでしょう。これは、ソ連という国があった時代でいいますと、旧西ドイツにあった米軍基地、僕行ったことあります。それから、フィリピンにあった米軍基地、行ったことある。韓国の米軍基地、行ったことある。それと在日米軍基地の決定的な違い、言いましょうか。それぞれの国にある米軍基地に、僕は当時テレビのリポーターで入ったり研究者として入ったりするんですが、米軍側の許可は一切要らない。だから、西ドイツのハナウにあるランスミサイルの、まあ核弾頭を付けたミサイルの基地に行ったときにも、あのときは筑紫さんのニュース23のクルー連れて行ったんだけれども、西ドイツの国防省の女性の担当官が付いているだけです。それでオーケー。韓国だってそう。フィリピンだってそう。  在日米軍基地、見てごらんなさい。日本政府の許可は一切関係ないんですよ。アメリカ側がオーケーするかどうかなんですよ。これは占領状態じゃないですか。だから、それはやっぱり日米安保、地位協定の問題も含めて、対等な関係に持っていくべく努力をするという営みが全くなかったということです。  まあ、これはフレデリック・フォーサイスという小説家に私言われたことあるんですが、アングロサクソンの考え方で動いているアメリカ政府と話をするのに、同盟国としての日本は基本的な認識がないと言われました。アングロサクソンは、敵に対しては警告をなしにパンチを繰り出す、ぶん殴るけれども、日本のような重要な同盟国の国益を懸けたノーに対しては真剣に耳を傾け、こちら側の対案がリーズナブルであれば受け入れる。それなのに、なぜ日本はノーの一言もなぜ言えないんだということを、まあイギリス人に言われたら世話ないんですけれどもね。その辺はやっぱり日本側の宿題、課題として受け止めたいと思っております。  ありがとうございます。
  98. 喜納昌吉

    喜納昌吉君 日本側の交渉能力のなさと言われていますけれども、アメリカには、多分戦略上は、日本が言う日米同盟というのは、僕は対等同盟ではないと見ているんですね。  やはりアメリカには、マニフェスト・デスティニーという国家論が、国家運命論がありますからね。彼らの民主主義というのは、キリスト教に仮面をかぶせたものなところがありますから、どう考えても日本とは反りが合わないところがあるんですよね、アジアともね。私はそう思っています。  だから、この辺と今回のこの日米再編に係るこの攻防ですが、お金のね、私、交渉の下手はあります。下手、余りにもまずいというところがあるんですよね。なぜかと。大野防衛庁長官がローレスさんと会ったときに、ローレス国防副次官と会ったときに、陸上案を提案されているんですね。そして、日本に持ち帰ってその話を協議し始めているころに、沖縄の建設業界、地元の建設業界ですよ、その方々がアメリカに行って交渉するんですよ。そうしたら、アメリカはそれを採用するんですね。日本政府よりも沖縄の地元の人たちのことが優先されるんです、こういうときには。  それで、結局は、陸上案とこの浅瀬案という中に挟まれて沿岸案が出るんですね。そこで、沿岸案が出てきたときに、今度は地元から反対が来るんですね。そうですね、新聞をよく見るとね。  これは、あのころ二百メーター、三百メーター譲るか譲らないかで、大野防衛庁長官がひたすら成果として沿岸案を持ち帰るんですね。持ち帰っていくかなと思うと、結局は地元から反対が出てくるという。私は、この地元の反対はどうもアメリカがつくっているんではないかと思うときがあるんですけれどもね。  非常にこういう形で、結局はアメリカによってたらい回しになっている日本のこの役人というのかね、それは私は同意見ですけれどもね。そこには日本の、もう聞かなくても分かっておると思いますけれどもね。やはりこの辺までは同意するけれども、やはり私は、日本のこの官僚というのが基本的には植民地官僚ではないかと思う。この辺はどうですか。
  99. 小川和久

    公述人小川和久君) 植民地官僚だという認識も抱いたことはありません。ただ、外交安全保障については、これだけ優秀な官僚たちがそろっているのに国際水準を満たしていない問題がある。そこのところをきちんと認識をして、補うべき努力をしようということで、官僚たちとは私は仕事をしているわけであります。  ただ、アメリカという国について言いますと、世界を動かしているスーパーパワーでありますけれども、日本から見ると恐らく一番付き合いやすい相手でしょうね。それは、価値観違いますよ、文化も違いますよ、宗教の基本的なところも違う。でも、恐らく中国やインドやロシアと付き合うことを考えれば、もう少し理屈で詰めていって通るところがある。  私は、たまたま自分の親の話をしますと、明治三十六年生まれの母親が外国育ちだった関係で、戦後、占領下でもずっとアメリカ人の編集長以下全部スタッフ使って、英文の雑誌を銀座で出していたんです。だから、僕はアメリカ人のひざの上で育ったんですよ。で、当時、占領下だったけれども、うちのおふくろは、英語でアメリカのGHQの将官たちを厳しくしかることもあったし、彼らはきちっとリスペクトをして、うちの母親に対して礼を尽くしていた。で、とにかくナショナルプライドや何かの問題が出てくれば、それは向こうは、ジャップなんかに頭下げないけれども、やはり八〇%ぐらいのところまで、ちゃんと教養のある人は理詰めで話が通るというのはほかの国とは比べ物にならない国だと。そこのところはちゃんと押さえてアメリカと付き合っていきなさいということを私は親からずっと言われてきました。で、そのとおりだと思っています。  ただ、日本の国を挙げてそういう習慣も何もないということですね。その辺がいろんな問題につながっているんだと思っております。  ありがとうございました。
  100. 喜納昌吉

    喜納昌吉君 米国は、日本は米国を防衛しないと言っていますがね。しかし、よく考えてみると、この思いやり予算とかは、それは日本の防衛以外にも使われているし、それからちょっと、今度BMD再編、それは迎撃ミサイルで、あるいは朝鮮とか中国と話合いしていますけれどもね、実際はTMD、MDの概念は、米国本土に来るミサイルをまず日本で撃ち落として、少なくして、なるべく日本で使わしたいね、そして米国に少なく、減らして、また落として、リスクをちっちゃくしようというのが基本的な案ですけれどもね。  だから、私は、本当にこれは、日米同盟というのは、日本の防衛というものと基本的にあるかという、深いところでは、アメリカというのはかつてのイラクとか簡単に切って、同盟国イラクなんて切って掛かって捨てるようにやっているんではないかと思うときもあるんですけれどもね。  特に、最近のこの自民党を中心とした政治家たちがわざわざこの中国に感情を逆なでしていくやり方とか、もう少し、正に僕は、このイラクの、この優秀な日本民族というのは、イラクのレベルまでいっていないのかと思うときがあるんですが、どうですか。
  101. 小川和久

    公述人小川和久君) 優秀な日本民族はイラクのレベルではないかというお話でございますが、私は、イラクがレベルが低いとも思いませんし、日本がレベルが低いとも思いません。  ただ、そのお話になる前に、ミサイル防衛のお話が出ましたが、アメリカの立場で同盟国を、アメリカを標的として撃ち、発射されてくる弾道ミサイルを撃破するためにそういった防衛網の一角に組み込んでいこうとするのは、これは当たり前の話でございます。  ただ、そこに組み込まれるのか、ただ単に組み込まれるだけなのか、自国の防衛のためにそれをフルに使うということがあるのか、あるいはそういったものを使いながら、例えば日本と中国の関係をより日本が望ましい形にソフトランディングさしていくための強制力として安全保障戦略を使うのか、そういったものはすべて日本側に問われる問題でございます。  で、とにかくミサイル防衛で一番の基本は、アメリカ海軍は特に、福建省に七百基余り展開されている中距離弾道ミサイルが、中台危機において台湾海峡方面に展開していくアメリカの航空母艦の機動部隊に対して、核弾頭付きで発射されて、広い海域に展開している艦隊ごと吹き飛ばされる能力を持つことをミサイル防衛で押さえ込む、それを基本として考えているということは、これはもう専門家の間では常識でございます。  でも、それはアメリカが、一方でエンゲージメント、建設的関与という中国に対する一つの戦略的なかかわりをしている、これは経済的に発展しておいしい中国になってもらうけれども、その手にした経済力で巨大な軍事力を持って振り回すような国にはしない、そういう考え方ですよ。これは民主主義国家同士は戦争をしないというイエール大学のブルース・ラセット教授、まあ猪口邦子大臣の恩師でございますが、この方の理論でもある。そういったものでかかわっている。  で、アメリカはいろんなことに口を出す、中国も嫌がる、しかしアメリカと付き合わなきゃいけないというのは分かっている。嫌がって抵抗する中国をぐっと軟着陸する地点に押し込んでいくための強制力が軍事戦略でありますから、それを分かった上で日本の国益にどう使うか、使わないのか、その辺の話が問われるだろうと思います。  ありがとうございました。
  102. 喜納昌吉

    喜納昌吉君 では、次は渡辺先生に質問したいんですけれども、日米が中国と共有するイメージを持って行動するかどうかという観点を指摘していますが、そのイメージを想定できる範囲で具体的に。  もう一度言いましょうか。日米が中国と共有するイメージを持って行動することができるかという観点を指摘しておられますけれど、どのようなイメージが想定できるのか。
  103. 渡辺昭夫

    公述人(渡辺昭夫君) 喜納委員、どうもありがとうございました。  一番分かりやすいといいましょうか、我々のような安全保障問題に対して慣れている考え方からすれば、一番、ほとんど説明の必要もなくてぱっていう答えは、共通の敵はここにいるということですね。  先ほど申しましたように、なかなか三者が一緒にならない関係であったはずのものが、日米中が、ある時期ちょっと信じられないようなハネムーンの時期があったわけです、一九七〇年代。それは、ソ連というものが我々共通の敵であるということで結んでいたんですね。  じゃ、今、日米中は一体何に対してということが言えればというか、そういう状況であれば、余り多くの言葉を費やさないで、あっ、そうかと、おしまいと思うんですが、実はそういうことではないだろうと思うんですよね。そうすると何なんだろうかというと、ここからはまあ迫力ないねえと言われる話なんですが、つまり、だれが敵であるという状況ではないというのが、今国際的には、国際安全保障の世界では、どこの国どこの国というよりは、つまり悪者探しをするということではなくて、何が困った状況であるかという、困った状況が敵であると。  一番典型的なのは、例えばテロリストが横行するような状況というのは、その国が共産党に支配されていようがそうではなかろうが、困ったもんだねえという感じであって、その点では割と中国も話が分かる相手になっていると思うんですね。そのほかいろいろございましょう。例えばエネルギーで、実は今半ば競争してますけどね、エネルギーという問題についても共通の問題であると。例えば、鳥インフルエンザとかエイズとか、そういういわゆるグローバルなイシューというのが、そういう専門家の中での言い方ですけれども、そういうことは、どこの国にとって困ったんじゃなくて、国際社会全体にとって困った問題だねえという認識が少し私はできてきて、その点では中国とも話になる。現にいろんなことで、具体的な低い、低いというかな、実務的なレベルでは結構いろんなことをやっていると思うんですよね。  だから、それをもう少し高度のレベルでそういう話ができるような関係になるということは全く夢物語ではないんじゃないんでしょうかというのが私の考えでありまして、ですから、共通の敵をこれだと、比喩的な意味で共通の敵だと、こういうことが共通の敵だということについて中国と、だからそういうふうにならないようにするのが望ましい国際社会の在り方だということ、二十五年先を見て、そういう社会に持っていこうじゃないかと、これは中国にとっても望ましいことだと、アメリカからとっても望ましい世界だと、日本にとっても望ましい国際社会の在り方だというふうに議論を持っていくということで、そういう議論の仕方において日本はもう少し活発に、それこそ外交の質の問題であって、政治のトップリーダーもそういう観点から外交に取り組んでいけば私は全く夢物語ではないだろうと思うんですね。  そういうことがないと、どうしてもお互いのあら探しという非常に望ましくない状況にだんだん落ち込んでいくということであって、中国で言うように、小異を捨てて大同に付くというか、大同に付くということで、中国も力も付いてきたし、自信も付いてきたし、国際社会の中で重要な責任のある役割をしたいと中国の政治家もおっしゃるようになってきているわけですからね。  それじゃ、それは具体的に何だということで、そういう意味での対話というものが、中国を含んだ戦略的な対話、米中では実はやっているんです、もう既にやっている。ですから、そういう中に中国が入ってくるということは全く夢物語ではないんではないだろうかと。どうも当面の雰囲気はなかなかそれから遠いところにあるように思いますが。
  104. 喜納昌吉

    喜納昌吉君 イメージというのを、私ならば、G4で日本が国連外交をほとんど失敗してしまったんですけれど、なるべくならば日本にアジア国連を持ってくるとか、そして中国とも等距離外交を持つ、それからアメリカとも等距離外交を持つ、そしてヨーロッパをどうして口説いていきながら、国連、あるべき姿の人類の福祉を持っていくかとか、そうした僕は非常に地球規模、人類規模の考え方を自民党さんが持ってくださればいいなと思っているんです、本当は。なぜそこまで自信を持って政策ができないのか。それから、軍事アナリストも。  やはり、人類はもう三千年の間に五千回も戦争をしてきたんだから、そろそろ戦争というものを終わらすというぐらいの哲学を私はこれは日本からしていけばいいんじゃないかという。そういう防衛庁、防衛庁があるんですけどね、平和庁があってもいいじゃないですか、本当ならば。平和庁を持ちながら、そういうことをやりながら、中国の共産主義体制をどう変えていくか、アメリカの屈折した資本主義をどう変えていくかというぐらいの戦略を持ってくださればすばらしいなと思っていますので、もうほとんど、まだ質問できますか。
  105. 小野清子

    委員長小野清子君) どちら。
  106. 喜納昌吉

    喜納昌吉君 この種の関係で、渡辺先生、もう一度。あと一分あるから。
  107. 渡辺昭夫

    公述人(渡辺昭夫君) アジア国連というのはなかなか面白い発想ですよね。そういう具体的ないろんな構想、提案をしていくというのは非常に私はいいことだと思います。  平和省は、私、いろんな外国からお客さんが来るんですよ、私の研究所にね。この間パキスタンのお客さんが来て、なぜ日本は自衛隊なんだよと。グッドポイントですね、なぜ自衛隊だと。いや、これは日本のは軍隊ではなくて、これは自国を守るための軍事力と。どこの国でも先生そうですよと、我が国の、パキスタンの軍隊もまず自国を防衛するということが第一の目的であります、どこの国の軍隊でも自国を守るということが、だけどわざわざ自衛隊と言わないと、何でおまえのところだけ自衛隊って言うんだと。そのとおりだと私は言いました。  だから、わざわざ自衛隊と言わなくても、軍隊と言ってもいいんですよ、言いなさいと。国防省と言っていいんです。何も防衛庁なんて紛らわしい名前は必要ない。国防省に昇格する、どこが悪いかと、どこが悪いかと。何も悪いことをやってるわけじゃないんですから。悪いことをやるつもりはないんですから。自衛隊で今どき遠征軍みたいにどこかへ攻めていって占領してなんて、そんなことを考えてもいないだろうし、できない。永遠にできないということですから。それをわざわざ自衛隊という、その看板を上げれば分かってもらえるだろうというのは甘いんであって、もう少し正直な名前を言った方がいいと私は思います。
  108. 喜納昌吉

    喜納昌吉君 どうも、小川先生、渡辺先生、ありがとうございました。またいつかお話をしたいと思います。
  109. 澤雄二

    ○澤雄二君 本日は、両公述人、どうもありがとうございます。公明党の澤雄二でございます。  それでは、日本の外交について、特に今までも御質問がありましたけれども、日本、アメリカ、中国との関係について質問をさせていただきたいと思います。  もう日本の外交は言うまでもなく、戦後は日米基軸、安全保障の面でも経済の面でももうこれ一本でやってまいりました。そのために日本の成長も大成長を遂げてまいりました。これは今後も不変であろうというふうに思っております。他方、アジア各国、特に中国、韓国との関係をどうバランスを保つかということは、これもやっぱり大事な問題でありまして、渡辺公述人も今日おっしゃいましたけれども、この二次方程式、結構簡単そうで難しいんだというふうにおっしゃいました。そうだと思います。  最近の日米関係でいいますと、去年の2プラス2で「未来のための変革と再編」というタイトルで新しい同盟関係が発表になりました。これに基づいて今何が進んでいるかというと、トランスフォーメーションとミサイル防衛が進んでいます。実は、この二つのことに関していうと、同盟関係では、情報の共有ということでは何か新しい一ページ、一歩踏み込んだのかなというふうに思っております。この日米関係、今どんどん新しい関係が築かれておりますけれども、そうすると他方、アジアとのバランスをどう取るかということが問題になってまいります。そのときに一つ何か難しい変数があるのかなということをいつも考えております。  その難しい変数というのは、実はアメリカ外交の国家利益でございます。アメリカ外交の国家利益を考えるときに、東アジアの国家利益、その中でもファーストプライオリティーはどういうものかというのを考えると、これは伝統的にずっとアメリカはその価値を守っているわけでございますが、一国若しくは複数国の連合によるその地域の支配は認めないというのが伝統的なアメリカの国家利益の考え方でございます。実はこれは結構厄介なんだということになります。一国ですから、中国が単独でこの地域を支配しようと、これは駄目ですよと。また、日本が同じことをしようとしても、これも駄目ですよと。複数の連合による、も認めませんから、日本と中国が手を結んでこの地域をコントロールするのも駄目ですよということになってくるわけですね。ということは、日本と中国が余り親しくなり過ぎるとアメリカの機嫌を損じることになりかねない。ですから、例えばアジア共同体という議論をするときに、必ずそのときはアメリカにも門戸を開くべきだという議論が付いてくるのはこのためだというふうに思います。  去年の日米首脳会談終わった後に、小泉総理は、日米関係が良好ならば日本と中国、韓国との関係も良好に保てるというふうにおっしゃいました。これを全く逆の方から言うと、日本、中国、韓国がそれぞれアメリカとの関係が良好ならば日中韓は良好なはずなんですが、必ずしもそうとは言えないんではないか。つまり、微妙なバランスに立っていると思います。  両公述人にお伺いをいたしますが、こういう関係の中で日本は中国と一体どこまで関係を結ぶことができるのか、どういう関係が最も良好だと思われるのか、意見を聞かせていただきたいと思います。
  110. 小川和久

    公述人小川和久君) 澤先生、どうもありがとうございます。  また大きなテーマで御質問をいただきまして、何か私なんかにお答えができるのかどうか分かりません。ただ、今日、最初の二十分間で私が強調して申し上げましたのは日米同盟というものの客観的な姿です。  アメリカの戦略的根拠地を提供している。で、日本がなくなるとアメリカは世界のリーダーの座から滑り落ちるという認識もアメリカ側は持っております。そういう日米関係でありますけれども、その戦略的根拠地日本あるいは日本列島を押さえている限り、アメリカは、例えば北東アジアの安全保障についても、どこの国とも組まずにリーダーシップを発揮できるという自信があるということなんですね。  そういう中で、やはり日本が戦力投射能力を持ち自立できる構造の軍事力を整備するかどうかの問題も含めて日米関係を清算していくという歩みを進めない限りは、中国あるいは韓国、北朝鮮といった国々との関係も、アメリカの従属国というレッテルの下に進んでいかざるを得ない面がある。そこにおいて、やはり日本努力しなきゃいけない問題が突き付けられていると思います。  昨年十月の十八日だったんですが、アメリカのローレスさんが来まして、トランスフォーメーション、特に普天間の問題で、日本の外務大臣、防衛庁長官あるいは額賀座長なんかをどんどんどんどん押しまくってた。余りにも、新聞報道で見る限り、日本側劣勢という感じがする。それで私は、総理官邸五階のある方に電話して、醜態ですよと申し上げた。みっともない、ローレスなんかに押しまくられて。ローレスが悪いわけじゃないんですけどね。でも、その姿を中国が見ている、韓国が見ている、北朝鮮が見ている。それらの国々との外交にもろに影響が出るんですよ、少なくとも対等に外交をしている姿を見してくださいって話したんです。  先ほど申し上げましたように、やはりアメリカにとって日本は重要です。そのことを逆手に取って偉そうにする必要は全くないんですが、やはりそういったことをアメリカと共通認識として持ちながら、アメリカを例えばアジアの平和のために機能させられる、あるいは日本の例えば国連中心主義外交という枠組みをはめてもいいんですが、その中で世界の平和実現のためにアメリカあるいは日米同盟を変化さしていく、そういった取組をしている、そういった姿勢を持つ、そのことがあって初めて中国との関係も対等な独立国家同士の関係になっていくんではないかと思います。  基礎的なその条件の部分を整理しなければいけないとなると、やはり日米同盟についての認識をしっかり持つ、それが日本に今問われている問題ではないかなと思います。  どうもありがとうございました。
  111. 渡辺昭夫

    公述人(渡辺昭夫君) 澤委員、どうもありがとうございました。  御質問の趣旨は私の最初のお話ししたことと一致しているように思いました。  私も、日米関係がしっかりしてれば日本と中国、日本と韓国の関係も良くなると、自動的に良くなるともし小泉総理なりどなたなりがおっしゃるとすると、それは私は意見が違うと思うんですね。多分その場合おっしゃりたいのは、韓国あるいは中国あるいはその他のアジア諸国との関係をやる場合にも、その基礎として日米関係というものがしっかりしたものであるということが前提になるよとおっしゃっている。だから、その前提からおのずからにして結末が得られるということではないわけで、これはこれできめ細かな対応が必要だろうと思います、歴史問題も含めてですね。そういう意味で、日米関係さえしっかりやっておけばあとは大丈夫であるということでもしおっしゃるとすると、私はそれはいささか安易に過ぎるということが私のそもそもの今日の公述の中心的なポイントでございます。  そこで、先ほど英米関係等の話もいたしましたけども、幸いにして英米関係の場合には、いわゆる第三者、ヨーロッパ諸国も、広い意味ではかつてともにスクラムを組んで長い間冷戦を戦ってきた仲間同士ですね、いわゆる西側という世界の中の一員同士であるということであります。残念ながらアジアにおいては、例えばともに汗を流したという関係の国が、日本とアジア諸国、日本と中国、日本と韓国、日本と東南アジアということにないわけですね。したがって、言わばそれはこれからの課題なのであって、ともに汗をかくという経験をくぐり抜けないと、つまり日米関係が、いい日米関係と、いい日中関係、いい日本・アジア関係というのが、わざわざ言わなくても両立するという関係には到達しないんだろうと思うんですね。  したがって、問題は、これからどういうことについてともに汗をかいていくのかという話で、先ほど申し上げたように、もう少しお互いの中に、悪者を見付けるという関係ではなくて、我々は共通の問題を持っているではないかと、それで共通の問題はこうだということで手を組んでいくということを、そういう関係へ持っていければ、その先にそういう世界が来るだろうということであります。で、そういう方向へ行こうじゃないかという呼び掛けをもう少し日本のリーダーシップというものは、そういう方向のリーダーシップ、そういう方向への議論をリードするということが多分役割になるのではないかと思います。  ということで、そんなところで、まあ十分意を尽くせないかもしれませんが、余り先生の時間を取ってもいけないので、この辺で終わらせていただきます。  どうもありがとうございます。
  112. 澤雄二

    ○澤雄二君 御配慮ありがとうございます。  私は、日米関係が良ければ自動的に日中、日韓が良くなるという趣旨で申し上げたことはないつもりでございます。日中関係を良くしようと思ったときに、アメリカの東アジアにおける国家利益という壁があります。ですから、日中関係が良くなれば良くなるほどアメリカに対するバーゲニングパワーを日本は持つことができるんですが、それをすることに、まずその前に壁があるから、これをどうやって乗り越えて日中関係を築けばいいかという、そういう趣旨で質問をさせていただいたんでございます。  時間がないので次の質問に移らさせていただきますけれども、イラクからの自衛隊の撤退がうわさをされておりまして、まあ一部では、日本政府としては三月に撤退を決めて六月までに撤退完了という構想があったようでございますが、少し延びたようでもございます。そして、政府はこのイラクから自衛隊を撤退するのに三つぐらい条件を言っています。政治的プロセスの動向、それから多国籍軍の動向、アメリカ、イギリス、オーストラリア、それからイラクが自前の軍隊でサマワの治安を守ることができるかどうか、この三つを見極めて撤退の時期をというふうに政府は答弁をしているわけでございますが、両公述人は、撤退の条件、撤退することがいいことか悪いことかも含めて、撤退の条件、もしお考えでしたらお聞かせください。
  113. 小川和久

    公述人小川和久君) イラクへの特に自衛隊の派遣については、二〇〇三年の五月以来、裏方の端っこの方でお手伝いをしてきた立場でございます。ですから、思いもあるんですが、やはり自衛隊の撤収の条件などを語る場合、まあ割と分かりやすい格好で、本格的な政権がどうなった場合とか、いろんな形が出てまいります。ただ、イラクがしばらくの間安定しないというのははっきりしております。それをきちっと視野に入れながら、各国と協調しながら、どこの国ももう撤収していいだろうと一致する段階までは陸上自衛隊を中心にやはり地方復興チームなどに派遣を続けるべきではないか、それが日本の責任を果たすことではないかと思っております。  私自身は、日本のイラク復興支援に関する議論は、イラク戦争が正しかったか間違っていたかという大義の問題と、なぜ復興支援にかかわるのか、なぜ軍事組織である自衛隊が必要なのか、その辺が整理されないままごちゃ混ぜになっている点で先進国らしからぬ議論になっていると思うんですね。  なぜイラク復興支援にかかわるのかといったら、これイラク戦争に反対した国だってかかわっているし、軍事組織持っていっているし、ドイツ、フランスだって、国内の問題があるからイラクに軍隊入れられないけれども、イラクの外でイラクの治安部隊の訓練などでサポートしている。カナダなどはイラク戦争に反対したけれども、最初から軍のC130輸送機を持っていっている。なぜ軍事組織なのか。あるいは、イラクが安定しなければ、それはいろんな勢力の拠点化するという問題があります。イラク戦争に反対したからドイツとフランスは見逃してやるという話にはならないんですね、特にイスラム原理主義の過激派が絡んだ場合は。だからやっぱり、イラクを安定させないと自分の国の安全の問題にかかわるからイラク復興支援をやる。  なぜ軍事組織が必要なのかといったら、とにかく戦場じゃなくても秩序が崩壊し、危険が多少でもあって、民間が復興支援の中心として入れない限りは復興支援進まない。だからといって手をこまねいていれば、これは混乱は増大する、危険は増えるという話であります。だから、危険があって民間が行けない間は、戦場であろうとなかろうと関係ないんですが、危険に耐えられる能力を持った組織、これは軍隊です。あるいは自衛隊です。これを持っていって、危険に耐えながら復興支援の足場を固めて民間にバトンタッチするというのは先進国に共通する思想ですよ。  そういったものがある中で、例えば我々はイラクの南部のサマーワに陸上自衛隊を持っていった。小泉総理もあるいは与党の公明党も、これははっきり大規模雇用を生み出すことがまず民心の安定につながるだろうということでやると言ったじゃないですか。公明党としては、メソポタミア湿原の復元という構想の中で、それは単純な土木作業が基本になりますから、大規模な雇用が出る。雇用が出れば、飯食えるようになるから、武装勢力が付け込む余地が少なくなる。安定する。そのサマーワのモデルをイラク全体に広げていって、やはり危険な地域を少なくしていくという考え方。  ところが、残念ながら日本政府、特に外務省のサイドがそういった方向になかなか動いたとは言い難い。そのうち私は全部本に書こうと思っていますけどね、だれがどういうことをしたかというのは。結局、撤収の時期の話になっている。だからやっぱり、最後はサマーワモデルのようなもので大規模な雇用を創出するような計画を実施に移すような格好で陸上自衛隊はサマーワから撤収をする。  ただ、地方復興チームのような格好でほかの国々と協力しながらイラクの安定に取り組んでいくということはやらなきゃいけないだろう。ただ引けばいいだろう、無事だったらいいだろう、そういう話ではないということで、私はお話をしてよい場所ではこういう持論を述べさせていただいているわけでございます。  どうもありがとうございました。
  114. 渡辺昭夫

    公述人(渡辺昭夫君) 大変大事な問題ですけれども、時間がございませんので、ごく簡潔に。  いつというのはなかなか難しいですが、確かにアメリカがどうする、イギリスがどうする、オーストラリアがどうするということと無関係日本が撤退の時期を決めるということはできない。そういう意味では条件があると思うんですね。それから、イラクでどれだけイラク自身の治安維持能力が付くかという問題。最後の答えがイエスであれば、これはもう非常に余り悩むことなく撤退の時期決められるんですけれども、なかなかこれは難しいということであります。この点について、日米豪の外務大臣級の会合が近くあるというふうに聞いていますが、そこでもそういうことが話題になるんだろうと思います。  そこで、じゃ、アメリカについて今どういう考え方があるかということだけちょっと触れておきますと、イラク戦争は失敗であったということを持つ意見はアメリカの民主党、野党、それからメディアにもございますが、しかし、それらの人も含めて早期撤退論ということについては意外に慎重で、それはいけないと。それは、ややとっぴな言い方ですけれども、ベトナムの失敗を繰り返してはいけない、ベトナムはもう少し頑張っていれば、その自力の、秩序が守れるというようなところまで実は行っていたんだけれども、アメリカが引いたために全部こけてしまったという苦い経験を持っているわけですね。  で、せっかくイラクでいい芽ができてきているところで、ここで早まった撤退をすれば、せっかくここまで、いろいろあるにしても、多少こう出てきた芽をつぶしてしまうことになると。この失敗だけはしてはいけないということが、そのブッシュさんに反対の野党も含めて、それからブッシュさんに厳しいメディアも含めての考え方で、ここで元も子もなくしてはいけない。ですから、アメリカでも半年以内に撤退すべきか、一年以内かという、そういう議論をしているというのが今の流れだろうと思うんですね。  そういうことを含めて言うと、おのずからそれと関連してイギリスなりオーストラリア軍もそれをにらみながらということですから。で、具体的に六月がいいとか五月がいいとかということを私は今言える立場にありませんけれども、常識的にいえばその辺の、まさか一年ということはならないだろうと。で、半年とかあるいは何か月とかいう時期にそういう撤退の決断をすべき時期が来ているのではないかというふうに私は考えます。
  115. 澤雄二

    ○澤雄二君 ありがとうございました。
  116. 紙智子

    ○紙智子君 今日はどうもありがとうございます。日本共産党の紙智子でございます。  最初に、小川公述人にお聞きしたいと思うんですけれども、先ほど来のお話の中でも日米同盟が非常に重要だというお話をされています。それで、アメリカから見て日本というのは、非常にこの価値があるといいますか、そういう評価が高いと。ほかの国にはやっぱりない日本に対する期待というのを強く持っているという話もされていたわけです。で、アメリカが日本に期待をする、なぜそういうふうに期待を強めているのかということでいいますと、私、裏を返せばアメリカの世界戦略、先制攻撃戦略というものもありますけれども、世界から見てだんだんアメリカに対する目というか見方が変わってきているんじゃないのかと、一面でそういう面があるんじゃないのかと。  つまり、世界の軍事同盟がかつてのようにはなかなかその関係が強くないというか、そういうことがあって、今例えば国連憲章に基づいて平和秩序をつくっていこうという動きがあったり、あるいは地域の平和共同体の動きですとか、かなり国際的にもそういう動きが出てきていると。そういう中で、ほかの国との関係でいえばなかなか希薄になっている中で、やっぱり日本を頼りにしないと、軍事同盟といいますかね、これ自身が成り立たないということも側面としてあるんじゃないのかと、そんなふうに思うわけなんですけど、そういう背景といいますか、この辺のところどのようにお考えでしょうか。
  117. 小野清子

    委員長小野清子君) お二人ですか。
  118. 紙智子

    ○紙智子君 はい。
  119. 小川和久

    公述人小川和久君) 紙先生どうもありがとうございました。  日本に対する期待がアメリカの側から高まっているというのは確かにそういう傾向はあるんです。ただ、元々戦略的根拠地としての位置付けというのは米ソ冷戦の時代後、一貫して実はあったわけですね。ですから、トランスフォーメーションの中でも在日米軍基地などに関する大規模な手直しなどというのは実は余り必要としないんです。まあキャンプ座間に第一軍団司令部を持ってくるぐらいで、あといろんな玉突き現象を起こしているのは日本国内の問題ですから、アメリカ側からすればあそこだけなんです。で、元々重要だったものが相対的に重要になって、重要性を増したということは言えます。QDRでも戦略的拠点というので韓国の基地などとは完全にもう区別した言い方をしてますですね。  ただ、これは実は状況、周辺のその諸国の動向とか、そういったものに対応したものじゃないということを一方では押さえておく必要があると思うんです。これはアメリカの一つの考え方だと言った方がいいと思うんですが、地政学というのがありますね、ゲオポリティック、地理の地に政治の政と書きますが。で、アメリカの場合は海洋地政学なんです、海の地政学。自分の国を海洋国家だとみなしている。これは十九世紀、アメリカ海軍の理論家であったアルフレッド・セイヤー・マハンという人が唱えたものであります。そのマハンから教えを受けたのが日露戦争のときの日本海軍の立役者秋山真之参謀でありますが、そのマハンの考え方というのは、世界の七つの海に当時でいうと海軍と海兵隊を展開する、それによって外交の柱を成り立たせてアメリカの覇権を確立するという考え方なんです。  その中で、根拠地というのが繰り返し言われております。単に基地を借りるとかそういうところではない、やっぱりアメリカの本国と同じような足掛かりを得られるところ、そういったところとして日本列島が、特に第二次大戦終結以来一貫して位置付けられているんだと。そこのところをきちんと見た上で、アメリカとの関係をどのように良い形にするのか、あるいは整理をするのか、その辺の議論に入る必要があるのではないかなと思っております。  どうもありがとうございました。
  120. 紙智子

    ○紙智子君 もう一点聞きたいんですけれども、今そういうお話もあったんですけど、つまり、要は日本の主体性といいますか、日本自身がどう判断して物を言うかというところもあるんじゃないかと。別の委員会で以前いろいろ参考人の方にお聞きしたときに、むしろ日本がはっきりしないために米側の方が困っているというふうな話も聞きましたけれども。  それで、もう一つ聞きたいのは、アメリカとの軍事的な協力ということの中で、イラクにこの間、日本は自衛隊を派遣してきた。それから、アフガニスタンにも、米軍に支援をしてきた。それから、アメリカ海兵隊との共同ということなんかも、共同行動ですね、あるわけですけれども、国内の多くの国民の見方ということでいいますと、やっぱり軍事協力ということでやっていることが日本の防衛になっているのかというのは非常に疑問を感じていると。海兵隊というのはそもそも日本の防衛のためにあるのかというのは、これ私自身も非常に疑問に思っているわけですけれども、防衛とは関係ないんじゃないのかと。世界の中の日米同盟ということで、地域的にも安保条約の枠を超えていくと。米軍が日本を守るんではなくて、日本から世界に出撃していくと。自衛隊も、国民を守るということじゃなくて、言わばアメリカと一緒に世界にどんどん出ていくと。こういう実感を今持ちつつあるというふうに思うんですけれども、そういう国民の意識といいますか、それに対してはどのようにとらえておられるでしょうか。
  121. 小川和久

    公述人小川和久君) まず海兵隊の問題ですが、確かに陸海空軍そして海兵隊の四軍ということの性格でいいますと、確かに強力な打撃力として世界をまたに行動するということになります。  ただ、海兵隊の任務というのをちゃんと公文書でお読みになると分かると思うんですが、一番最初にあるのは、アメリカ側の拠点の防衛というのがあるんです。だから基地の防衛などは海兵隊がやる、海軍の基地などはですね。だから、その意味でいいますと、日本に米軍基地が、これは小さな基地まで含めると占有基地が今八十八か所ありますが、そういった基地の防衛を兼ねているということでいうと、日本の防衛と関係ない存在だという言い方は少し極端かなという感じがいたします。  それから、アメリカとの軍事的な協力、共同行動も、これは世界の平和があって初めて日本の安全があるという側面もあります。あるいは、世界が平和であって初めて日本企業は世界をまたに経済活動できるという問題があります。日本としては、やはりできれば国連が関与する形で、そうでない場合にも、いろいろな国の了解の下に、アメリカとだけではなくて、協力をしながら自衛隊を必要な形で出すことができる形で展開をし、平和の実現に役立たせるということは、これはおかしくないだろうと。  ただ、それをきちんと思想、哲学を持つレベルまで整理をして、国民に本当に何回も何回も何回も問い掛け、説得をし、また反論、批判を受け完成の度合いを高めていくという作業がどれほど行われたかということになりますと、かなり不足しておっただろうと。そこのところがやっぱり国民の意識の問題としても表れてきているんじゃないかなと私は思っております。これは、やはりきちんと物事を見ていく能力は日本国民は高いですから、やはりそこをきちっと整理をするということが今目の前に突き付けられているんじゃないかと思っております。  ありがとうございました。
  122. 紙智子

    ○紙智子君 それでは、渡辺公述人にお聞きしたいと思います。  先ほどもお話しの中で、日米関係がうまくいけばすべてうまくいくということはないというふうにお話しになっていて、日本は太平洋諸国・地域の秩序形成にむしろリーダーシップを発揮しなきゃいけないという趣旨のことを言われているというふうに思うんですけれども、軍事にしても、米軍再編で、ほかの国から見ますと、日本はどうもアメリカの顔色を見ているんじゃないかと、自主的に考えて判断しているのかというような不信感もあるだろうと思うんですけれども、そういうところもやはり正していかなければ、外交姿勢で、本当に幅広くアジアの人たちからの信頼を得るということにはならないのではないかというふうに思うわけですけど、そのアジアの国々との関係も、何というんでしょうか、バランスを持ってやらなきゃいけないということをお話しになったと思うんですけど、その点で今、日本がやるべき中身ということで肝心だと思っていることはどういうことでしょうか。
  123. 渡辺昭夫

    公述人(渡辺昭夫君) どうもありがとうございます。  前の方の御質問にお答えしたいことがあったんですけれども、それは時間もないのでやめます。  これはよく聞かれる日本外交というか日本の国に対するアジアの友人たちの注文といいましょうかね、日本はもっと日本自身の声で当たってくれと、アメリカの代弁者ではないであろうと。一番強烈な、痛烈なあれは、日本が国連の安保理事会に常任理事国で入ったらアメリカ票が二票になるというだけであると。別に日本が入るということはアメリカの票が二票になるというだけであるという、極端な一番厳しい批判ですね。そうであってはならないだろうという御質問の趣旨は私も賛成であります。  具体的には、例えば太平洋島嶼国を、リーダーを招いて、これは実は橋本総理大臣のときから始まって小渕さんに引き継がれ、森さんに引き継がれ、それで今度の、今の小泉さんに引き継がれるという歴史があるわけです。これは決してアメリカに言われたとか、アメリカはむしろどっちかといえば余り注意していない部分を、日本がこういうことでいいだろうかということで、太平洋島嶼国、ああいう小さな、そしてしかも非常に環境の影響を受けやすい脆弱な国々というところでいろいろ、いわゆる失敗した国家が続出してくるということは非常によろしくないであろうということで、ずっと日本は長いこと時間を掛けてやってきているわけでありまして、決してアメリカのお先棒を担いでいるというふうに見られているとは思いません。  もっと大きく言われているのがASEAN諸国との関係ですね、いわゆる東アジア共同体。これは先ほどどなたかの御質問にもありましたとおり、東アジア共同体というのは、もちろん明確にアメリカを排除するためであるという、そういう先ほどアメリカの国益というお話がありましたね。もし、アメリカを明らかに排除するということが最高、それで究極の目標であるということが見え見えであるならば、これはもちろんアメリカも黙っていないでしょうけれども、しかし最近の状況では、ある程度そういうふうに東アジア諸国が、中国も含め、日本と中国を含めた東アジア諸国の間にある種の地域主義というものができてくるということは、決してアメリカから見ても、アメリカの国益からとってもマイナスではないと。そういう中に中国が置かれるということは、中国に対する何というんですかね、牽制というとちょっと言葉が強くなるかもしれない、中国に対する仲間同士の間の期待、圧力で中国も慎重に行動せざるを得なくなるだろうし、日本が突出するということも防げるだろうしと、そういう方向に事態は動いていると思うんですね。  だから、これについては、日本はもう少し東アジア共同体について積極的にいろいろな発言もし、かつ具体的な措置もとっていくべきであろうというふうに思います。
  124. 紙智子

    ○紙智子君 じゃ、時間ですので、どうもありがとうございました。
  125. 福島みずほ

    福島みずほ君 社民党の福島みずほです。どうもこんにちは。ありがとうございます。  この委員会で、日本国憲法下にあるにもかかわらず、徴兵制や核武装の議論が出てきたことに正直ちょっと驚いています。  小川公述人にお聞きをいたします。小川さんの独立国で日本はないのだという主張は、しかし私も全くそのとおりだと思っております。  まず、在日米軍基地の再編の問題に伴い、グアムに行く費用の七五%、八千億円以上を日本が負担すべきだということについてどう思われますか。
  126. 小川和久

    公述人小川和久君) 福島先生、ありがとうございます。  先ほども似たような質問がほかの先生方から出ていたんですが、私はこれをどれぐらい値切るかというので日本の外交力問われていると思います。元々、米軍基地あるいは米軍に関する負担を軽減するために沖縄の海兵隊の部隊の司令部機能を中心にグアムに移すという話にいつかなっちゃったんですね。だが、これは日本側から持ち掛けた話ですから、やはりある程度負担しなきゃいけないだろう。ただ、アメリカの立場でいいますと、やはり一〇〇%日本に持たせるぐらいのことをやらないと、アメリカのタックスペイヤーにこたえられない。だから言ってきますよ。だから、それをやはり実現するために金を負担するということであれば、どこまで値切ることができるかということで日本の外交の能力についての国際的な評価が生まれてくるんじゃないかと思っております。
  127. 福島みずほ

    福島みずほ君 ただ、外国に外国の基地を造るのになぜ日本国民の税金が使われるのかというふうに思います。  法の支配ということを考えたときに、現実の軍事力や様々なものが法の支配からかなり離れていっているんではないか。いわゆるシビリアンコントロールも含めて、大変危ういというか弱い、もしかしたらないというふうに思います。  座間キャンプに米軍陸軍司令部が来ることについて、これはやはり日米安保条約も極東と範囲を限り、日本は専守防衛ということを言っているわけですから、なぜ座間キャンプに米軍陸軍司令部が来れるのか、それはどう思われますか。
  128. 小川和久

    公述人小川和久君) これまで、極東の範囲というのは、これは日本側のたわ言なんですよ、その場しのぎで生まれてきた話なんだけれども。  アメリカは米ソ冷戦期には海軍と海兵隊の任務区域が一番広かったんです。だから、ハワイから喜望峰まで、地球の半分。それから、空軍は横田に第五空軍司令部を置き、フィリピンぐらいまでを範囲として戦域空軍、シアターをカバーする空軍である。その中で陸軍だけが地域陸軍で、キャンプ座間に置かれていた第九軍団司令部は日本とそれから場合によっては朝鮮半島をにらむという位置付けだった。ところが、同時多発テロの後、新たな脅威に対して機動的に対応するということも含めてトランスフォーメーションが行われる。その中で、地球の半分の範囲を海軍が視野に入れながらカバーしてきたものが、陸軍が中心になって海軍、空軍、海兵隊を統合的に運用するという必要が生じてきた。そのための頭脳システムをキャンプ座間に置くということになったということなんです。  それまででいいますと、第七艦隊の司令部が乗っている旗艦、フラッグシップのブルーリッジという船が横須賀を母港にしております。これは、もう一つ同じタイプの船のマウント・ホイットニーという船が大西洋をカバーしているのと、二隻で地球をカバーしているコンピューターの塊なんです。それをバックアップするコマンドケーブ、洞窟司令部が横須賀の海軍基地の中にあり、これは海上自衛隊も一緒に勤務しています。その任務が第一軍団司令部の方に相当移ってくる、そのように考えたらいいと思っています。  ただ、法の支配とかシビリアンコントロールというお話なんですが、これは大事なんですよ。ただ、私は先ほど、徴兵制に関する、日本のアプリオリに徴兵制という言葉を使うこと自体間違っていると。軍事組織における構成員の意識と一般市民の意識がずれないほどシビリアンコントロールは確立されるんだというドイツの連邦軍の話をいたしましたけれども、やっぱり日本でそれを語る場合に、いろんな議論が、徴兵制という言葉一つ取っても、定義をしないで、概念規定しないで使われている。法の支配なんて言葉でも、やっぱりそれはそのとおりだと思うんだけれども、何かアプリオリに使われているんじゃないか、そういう疑問を持たざるを得ないんですね。  だからその辺をやっぱり詰めていくことが本当に民主主義を機能させるための重要なステップになるんじゃないかと思っております。  ありがとうございました。
  129. 福島みずほ

    福島みずほ君 社民党は北東アジアにおける非核構想を提案し、北東アジアにおける安全保障構想を提案し、モンゴル、韓国、中国などを訪れています。六か国協議にもその安全保障構想入っておりますけれども、これについてどうお考えでしょうか、小川公述人
  130. 小川和久

    公述人小川和久君) 先ほど核武装の話があって、私お答えしたんですが、やはり日本にとって現実的なのは、非核政策を武器としながら世界の平和を実現する先頭に立つ、それを日本に対する信頼を獲得する一番のポイントにすべきだという話ですね。  ただ、その中で、やっぱり中国に対してだって、おまえのところの核は何だという話を専門的にしなきゃ駄目なんです。いや、これ自衛のための核だと言うけれども、相手が脅威を感じない核兵器なんか自衛のために役に立たないんだから。だから、やっぱりやめろということを言わなきゃいけない。そのときには、同時に日米同盟についても、日本にアメリカが核を持ち込んでいるかどうかというのは別にして、アメリカの核戦略を担うシステムが在日米軍基地には組み込まれていて、それを福島さんの税金も支えているわけですから、その問題についてもやはり整理しなきゃいけないだろうと思うんですね。  アメリカの核の傘に守られているという言い方は何となく漠然としていますが、はっきり言って核兵器を持ち込んでいなくても核戦略にとって必要なシステムは入っているんですよ、在日米軍基地には。それを我々はちゃんと押さえた上で非核政策なんということを言ってきたのかと。そこのところが問われるんですね。  ですから、もちろん北東アジア非核地帯構想とか、そういったものは日本が先頭に立って実現していくべきことだと私は思います。どこの党であるか関係ない。しかし、やっぱりそこの議論を本当に現実のものにするための営みというのはいろんな問題を整理しないといけないのかなという感じがしております。  ありがとうございました。
  131. 福島みずほ

    福島みずほ君 こちらこそ、どうもありがとうございました。
  132. 小野清子

    委員長小野清子君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人方々に一言御礼を申し上げます。  本日は、有益な御意見をお述べをいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。(拍手)  速記を止めてください。    〔速記中止〕
  133. 小野清子

    委員長小野清子君) 速記を起こしてください。     ─────────────
  134. 小野清子

    委員長小野清子君) それでは、引き続き公述人方々から御意見を伺います。  この際、公述人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、大変御多忙中のところ本委員会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  本日は、平成十八年度総予算三案につきましてお二方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にしたいと存じますので、どうかよろしくお願いをいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度意見をお述べをいただいた後、委員の質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、国民生活について、公述人川崎市立川崎病院内科医鈴木厚君及び東京大学医学部附属病院放射線科助教授緩和ケア診療部長中川恵一君から順次御意見を伺います。  まず、鈴木公述人にお願いいたします。鈴木公述人
  135. 鈴木厚

    公述人(鈴木厚君) よろしくお願いいたします。  時間が限られておりますので、プリントにして、先生方のお手元にあると思いますので、これに沿ってお話ししたいと思います。  先生方、十分に御存じだと思うんですけれども、日本のいわゆる歳入というのは、ここに所得税とか消費税とか、いろいろありますけれども、国債が四四%であると。つまり、予算と言いながら借金なわけですね。これが大きな問題になっている。  それで、支出に関しましては、ここに書いてありますように、社会保障に二三%使っている。ただ、アメリカの予算を見ますと、アメリカの社会保障あるいは医療については五二%出しているんです。そして、アメリカは軍事大国だと言われていますけれども、軍事費は一八%ぐらい。日本の防衛費は六%ぐらい。ですから、アメリカは軍事大国じゃなくて福祉大国、予算の方から見ればそういうふうに言えるかと思います。  そして、その下に日本の国の借金は七百四十五兆円、地方を含めると百兆円あると。これがやっぱり大きな問題になっているんじゃないかと。  それで、この借金のために、国民医療費が三十一・一兆円ですけれども、この国庫負担を減らしたい。あと、地方も今貧乏ですのでなるべく減らしたい。それで、そこのところを狭くするということがやっぱり医療政策の目的じゃないだろうか。そのためには二つの方法がある。自己負担を増やす、あともう一つは診療報酬を減らすと、この二つの方法だと思います。  次のページお願いします。医療費の国庫負担は二十年間で五%引き下げられています。昭和五十五年と平成十四年で比較しますと、三〇%から二五%に国庫からの負担が減らされている。そして、これは現実には一兆五千億円の家計負担になっているわけです。  それで、その隣を見ていただきたい。これは、皆保険制度というのは昭和三十六年に始まったわけですけれども、三十年、昭和三十年は国が一〇%出していたんです。ですけど、これはほとんどが結核です。結核のために出していた。そして、家計負担が六五%出していたんですね。そのために、病院に掛かれなかった人たちがたくさんいた。盲腸で死んでいった、疫痢で死んでいった。いろんなことで死んでいったわけです。ですから、これからの将来を考えると、決して過去のような、自己負担を多くするような、そういう政策に向かってほしくないというのが私の考えです。  そして、国民医療費の比較なんですけれども、医療費で三十兆円といいますと大き過ぎてよく分からないんですけれども、パチンコ産業とほとんど同じです。ですから、みんなが遊んでいるパチンコと医療のどっちが大切なのかと、これが一番大きなポイントだと思います。葬式産業は十五兆円。死んだ後、一杯金使っておるわけですね。  それで、その隣に行きます。国民医療費の推移ですけれども、これは平成九年に厚労省が、平成十二年には三十八兆円になる、こういうふうに言ったわけです。実際には三十一・一兆円だった。つまり、八兆円サバ読んだんです。これが全部マスコミに流れた。で、医療亡国論が出た。そのためにずっと抑えられておるわけです。ですから、こういうことというのは、やっぱり私から見ると非常につらいなというふうに思います。  次のページお願いします。医療費についていろいろ言っているわけですけれども、もし日本医療費を欧米並みにすれば、アメリカ並みにすれば五十四・一兆円、ドイツ並みにすれば四十二・三兆円、フランス並みにすれば三十九・五兆円なんです。日本の三十一兆円が高いのかということなんですね。  それと、今現在、イギリスは日本を追い越しております。それはなぜかといいますと、次に英国のブレア政権の医療ということなんですけれども、ブレアは選挙のときに医療費を一・五倍に上げると公約したんです、数字を述べて。それと、大切なのは教育だと。そして、教育費を上げたわけです。ですから、先生方はいろいろマニフェストなんかでいろんなことを言っていますけれども、数字で挙げていないですね。ですから、是非数字で挙げた選挙で国民の信を問うていただきたいと、そういうふうに思います。  その下に、社会保障給付の推移なんですけれども、医療を余り、この二十六・二兆円なんですけれども、年金は四十四・三兆円と。これは当たり前です。年寄りが増えてきたから年金が増えるのは当たり前です。それで、この三十年間で、国民総所得で年金を比べたら八倍に増えた、だけれども、医療費は二倍なんです。みんな長生きにしたのは何なのか。医療が良くなったから長生きになったんじゃないかと。ですから、医療を余り責めないでほしいと、僕はそう思います。  それで、次ですけれども、社会保障の国際比較。こういうふうに、日本は余りさえない国であるということが言えるかと思います。  次のページお願いします。国民総生産と国庫支出費なんですけれども、日本は社会保障に三・四%使っている。公共事業に六・〇%使っている。日本だけが社会保障よりも公共事業の方にたくさん使っているんです。ほかの国を見てください。イギリスなんというのは、公共事業に一・四%しか使っていない。社会保障に一二・四%使っている。こういう国なんですね。  それで、次のページ見てください。これは一九九五年の、今とはちょっと違うんですけど、日本を除くサミットの国の全部の公共事業の総額を出しますと、日本、よりも全然多いわけです。つまり、日本は社会保障国じゃなくて社会舗装国なんですね。世界じゅうのセメントを全部かき集めている、そういう感じがします。  それと、その下ですけれども、皆さん御存じだと思いますけれども、高速道路には一キロごとに緊急電話があるんです。ですけれども、それ、本当に必要ですか。みんな携帯を持っているんですよ、事故を起こしたときでも。それで、法律というのは非常に面白くて、一キロごとに置いている。サービスエリアのあの公衆電話の隣にもあるんです。こんなばかな話ありますか。しかも、ここから電話できるのは、そこの道路公団のところに直通の電話だけなんです。今度使ってみるといいと思います。  それで、次、日本医療の最大の問題はマンパワー不足であると。百床当たりの医師の数、これ、アメリカ七十一・六人、日本十二・五人。看護婦さんは、アメリカ二百二十一人、日本は四十三・五人。これでなぜ医師過剰時代なんでしょう。そして、国は看護師の学校を減らしております。しかも、よく分からないけれども、フィリピンから看護師を呼ぼうとしています。こういうことが許されるのかなと。  次、お願いします。日本ではベッド数が多いからこうなんだろうと言うんですけれども、人口十万人当たりの医師の数を見てくださると全然違うわけです。日本は百八十四。これ年代が、合わせますんで、そして今現在、イギリスの方が医師の数が多いです。そういうことでありまして。  それで、次に国民医療費の国際比較なんですけれども、これ、日本は第七位、一人当たりですね。GDP比で見ますと十九位であります。しかし、ここにトリックがあるんです。例えば、オリンピックで金メダル一つしか取れなかった、だから、じゃ少なくていいんじゃないかというふうに思っている方いるかもしれません。ですけれども、この数字はあくまでも国民一人当たり医療費であって、患者一人当たり医療費じゃないんです。そして、患者一人当たりとしますと、世界、世界というか、先進国で断トツ最下位になります。  それで、次の下ですけれども、国民一人当たり年間どのぐらい医療機関を受診するかといいますと、二十一回であります。今現在は十八回ぐらいに落ちていますけれども、ほかの国に比べると五分の一か四分の一ぐらいですね。そして、一回当たり医療費、これ七千円です。保険料全部含めて七千円です。ほかは、アメリカ辺りだと六万二千円。スウェーデン八万九千円。こんなに違う。  そして、その隣を見てください。これはAIUという有名な保険会社が調べたやつですけれども、盲腸になった場合、ニューヨークでは二百四十三万九千円掛かる、一日でですよ。日本は十六番目に書いてあります、七日間入院して三十七万八千円なんです。これだけ安いんです。だから、先生方が外国に行くときには必ず保険に入っていかなくちゃいけないんですね。でないと、ICUなんかに十日間入ったら一千万ですからね。本当ですよ、アメリカは。  次、お願いします。そして具体的に、これはテキサス大学のがんセンター、愛知県のがんセンターの、ベッド数ほとんど同じですので、これを比較してみました。ベッド稼働率を見ても日本の方が高いわけですね。どこに無駄を使っているかです。何にも使っていない。そして、職員数を見てください。アメリカは一万四千二百五十人ですよ。日本は八百八十一人。十六倍の差がある。そして、収入、一番下ですけれども、一千六百三十九億円。日本は百三十三億円なんです。十二倍の差がある。これだけの差があるわけです。ですから、日本医療というのは非常に安いんだと。  そして、人口百万人当たりの救急の医師なんですけれども、やっぱり医療にとって一番必要なのは救急ですよね。アメリカでは人口百万人当たり百十四人います。フランスでは八十五人。日本は八人です。これで私たちの生命を守れるかどうかということですね。しかも、私、リューマチやっていますけれども、救急もやっています。ですから、もう救急の方はもうへとへとですね。  それで、その下に写真を書いてありますけれども、小児科がいなくてたらい回しになって亡くなられてしまったと、そういうことがあります。あと、少子化で婦人科の方が非常に不足して婦人科やめちゃう、そういう病院が多い、たくさんあります。ですから、例えば隣の県に行ってお産しなくちゃいけないということになるわけです。  それで、次のページ。文部省の調べでは、研修医の四人に一人がうつ状態、指導医の二割がうつ状態。これはもう働き過ぎなんですよ、もうくたくたになるほどやっていますからね。ですから、これは当然だと思います。それで、研修医制度がいろいろ変わったわけですけれども、その隣に、アメリカでは一人の研修医に対して一千四百万円出しているわけです。そして、指導医にもお金を払っているわけです。  次に、下に医療事故のことが書いてあります。横浜医大の患者取り違え事件、有名ですね。ですけれども、八分の一の看護婦しかいないのが、どうして、一人の看護婦が二人の乗ったベッドを手術室に運んだわけです。これはこういうマンパワー不足が原因だと思います。それと、二番目に京大のエタノール事件というのがあるんですけれども、これは呼吸器のやつに、水を入れるところをエタノールを入れちゃったわけですね。ですけれども、それは置いている場所、二つのポリバケツが同じ格好しているんですよ。だれでも間違う。それでやったわけですよ、こういう事故をね。  それで、こういういろんな、その次にいろんな事故とかありますけれども、薬を連続投与したなんというのは、コンピューター使えば簡単にチェックできるはずなのにそういうこともやっていない。  あと、東京女子医大では、これカルテ捏造したから最悪なんですけれども。臨床工学士がいなかったと、医者が見よう見まねでやったということですね。ですから、パワーが少ないということだと思います。  そして、国民医療費と薬剤の関係。これはざっと見てほしいんですけれども、大体国民医療費の、五兆円から六兆円が医療費になっております。だんだん下がっております。  次のページお願いします。研究費のいわゆる比較なんですけれども、かつて二倍だったんですね。アメリカの二分の一の研究費だった、製薬会社ですね。今は五倍の差があるんです。日本は五分の一なわけです。それで治験が、治験って、できるまでの、薬が、新薬ができるまでに出すやつなんですけれども、これが大体かつてに比べると三分の一になった。なぜ僕はこれを出したかというと、先生方は多分何らかの薬飲んでいると思います。そうしますと、大体今の新薬の七割が外国製品です。その一〇%がパテント代でアメリカに行くんです。ですから、国力を守るため、国を豊かにするためにはどうすればいいのかというのを是非考えていただきたい。そういう意味でこれを出しました。  それと、これは医療機器の値段ですけれども、ペースメーカーとかいろいろあるんですけれども、非常に日本高いですね。これは値段、早い話吹っ掛けられているんですよ。そして、その隣にPTCDバルーンカテーテルというのがあるんですけれども、中間マージンが多い。なぜこうなるのかといいますと、時間がないんであれなんですけれども、ちょっと飛ばします、時間がありません。  次に、公的病院の経営ですけれども、大体、収益を費用で割りますと九三%ぐらい。結局、百円をもうけるのに百六円掛かるということです。隣に、私病院の九百十二の平均、精神病院の百二十八の平均が書いてありますけれども、赤字であります。それで、今現在、大体公的病院の八割ぐらいが赤字です。そして、黒字といっても一とか数%の黒字なんです。  そして、医療費、その下に医療費の割合というのが書いてありますけれども、今現在、歯科診療所が調剤診療所よりも少なくなっております。調剤診療所に行けば金が高くなるんです。医療費高くなるんです。ですから、政府はもうこの辺で金がないからやめようと、今現在五〇%ぐらいですけれどもやめようというふうに言っているわけですね。だから、こういう本当は正しい政策だと思ったら一〇〇%までやるべきなのに、もういいんじゃないの、こういう政策というのはあるのかなと僕は思います。  あと、次ですけれども、レセプトの割合なんですけれども、患者さん上位一%の方が二六%を使っている。患者さん上位一〇%の方が七割以上を使っている。つまり、医療をどういうふうに使って、医療費をどういうふうに振り分けていけばいいのかということなんですね。つまり、医療費上からベスト二十まで全部調べますと、ほとんどの方が亡くなっているんです。ですから、ただそういう議論というのは非常に難しいんでだれも言えないんですけれども、一つの問題だと思います。  次、お願いします。一日当たりのモルヒネの消費量ですけれども、日本はカナダの五%しか使っていない。医療でいいことばっかり言っているけれども、現実はこれなんです。患者さんのためになるようなことをなぜやらないのかということなんですね。  それと、次、一日当たり医療費。現在、老人医療費が三五%、後二十年もすれば六割ぐらい占める。だけど、政府はそこまでしか言っていない。なぜそうなのかということを言っていないんですね。ですけれども、老人の入院費、外来費、一般人の入院費、外来費、同じなんですよ。つまり、どういうことかというと、年取ってくると病気になりやすいから老人医療費が上がる、それだけのことなんです。老人をなぜ大切にしないのか、私はそう思います。  あと、おみこしを担ぐ人、これ皆さん御存じだと思いますね。今現在、三・七人が将来負担になると。ということで年金の支払う年数を上げ、あと老人医療費を上げたわけですけれども、その隣を見てください。一人の労働者が支える扶養人数というのは、これ厚生労働省が出したやつです。ほとんど、昔も今も将来も変わらないんです。つまり、女性で働く方、年を取っても働く方がいますから、そんなにこのおみこしを担ぐ人で惑わされちゃいけないんですね。ですけれども、このために非常に将来が不安とか言っていますけれども、現在不安なのは不況だから不安なんであって、この表にだまされちゃいけないと、私はそういうふうに思います。  次、お願いします。時間が少ないんで次の右側、なぜ国民医療費が限界になったかというと、感染症、昔は感染症だったら抗生剤を打って二、三日で勝負が決まったわけですけれども、今、心臓が悪ければ医者が五人ぐらいばっと出てきてカテーテルやっていろんなことをやるわけです。そして、がんで大体三割ぐらいの人が亡くなりますけれども、がんで亡くなるのは三割であって、助かっている人一杯いるわけですよ。昔は末期でもう助からない人ばっかりいたわけですね。それと、医療がいろいろ進歩してきたと。そして、老人が増加してきておる。  それで、下の方で、日本医療は世界最高、平均寿命の高さ、乳児死亡率の低下と書いてありますけれども、アメリカの三分の一ですからね。いかに小児科頑張っているか、これが分かるかと思います。  それで、医療現場は非常にもう疲れております。集中力の低下、非常にそういうことがありまして、病院では大体月六回の当直です。そして、当直して徹夜やって、その次の日働くんです、その次の日手術をするんです。それで安全性を保たれますか。そして、日本医療には大きな二つ流れがある。医療の質、安全性を高めてくれ、これは国民の願いです。しかし、やっていることは、国のやっていることは国民医療費抑制であります。この二つは矛盾しているということですね。  次、お願いします。混合診療はいろいろ問題あるんですけれども、早い話は、混合診療をいわゆる自動車保険と同じような強制と任意にしようという考え方なんですよ、早い話はですね。ですから、非常に困るだろうというふうに、低所得者の方は困るんじゃないかと。  あと、国民生活の世論調査を見ましても、ほとんどが医療、福祉、年金の充実を挙げています。また、その隣にも、高齢者医療の問題に対する解決としては、ほかの財源を、支出を抑制して医療にもっと税金を投入すべきだと言っております。  次、お願いします。医療費抑制すれば医療の質、安全性が確保できないんです。あと、患者さんの負担が増えれば低所得者が困る。あと、病院が廃院になる。これ、十年間で八%の病院が外来を閉めているか、あるいは廃院にしております。そうすると、周辺の病院が困るわけです。また、病院が不採算部門、いわゆる心臓とか眼科とか、もうかるところだけやればみんな困っちゃう。それと、いろんな、医療の方は、過労の状態から、患者からのクレームが多くて、奉仕の精神で入ったんですけれども、もうやる気を失っているというのが現状だと思います。  最後ですけれども、医療はサービス業というふうには私は考えておりません。国民の生活と健康を守る安全保障だと思います。  自衛隊は二十七万人いる。昭和二十五年から始まって、やっと今イラクで仕事やっておりますけれども、ほとんど何もしなかった。村山総理は、自民党は、憲法違反だけれども存在は認めるとか、変なことを言ったわけですけれども、自衛隊はじゃ要らないかと言われたら、絶対に必要です。これは抑止力ですから。じゃ、生活を守る警察、これは今犯罪増えているから一万人増員しよう、これ決まっていますね。だから、これも必要。  ですけれども、医療に関しては安全保障という考え方しないんです、人間の命、健康がかかっているのに。ですから、医療というのは決してサービス業じゃなくて、国民の生活を守る、生命を守る安全保障として認識していただきたいというふうに思います。  どうもありがとうございます。
  136. 小野清子

    委員長小野清子君) ありがとうございました。  次に、中川公述人にお願いいたします。中川公述人
  137. 中川恵一

    公述人中川恵一君) 東大病院の中川でございます。  私、放射線治療と緩和ケアというのを担当しております。実はこの二つ日本のがんのウイークポイントと言えるものかと思っておりまして、今日用意しました資料の表側ががんの放射線治療、裏側緩和ケアについて書いてございます。  まず、放射線治療の話から参ります。  がんが増えておりまして、これは御承知と思いますが、今およそ日本人の二人に一人ががんにかかり、三人に一人ががんで死亡しております。しかも、それが増えております。資料の図一のように、一九八〇年くらいを境にがんが、がんの死亡がどんどん増えてくる。今およそ年間に百二万人日本人が亡くなりますが、二〇〇四年のデータでは三十二万三百十五人ががんで死んでいる。ただ、これは、まあ三人に一人ですね、これ死亡診断書のデータであります。  日本は実はこの死亡診断書以外にがんに関するデータを取るシステムがありません。例えば、結核については結核予防法というのがありまして、例えば二〇〇四年では二万九千七百三十六人が結核にかかり、うち二千三百二十八人が結核で死ぬと。そのすべての患者さんは結核にかかりますと氏名、住所を届ける義務がございます。ところが、がんに関してはそういうシステムがありません。これはがん登録という問題でありますが。ですから、一体全体今どれぐらいのがん患者がいるのかということは分からないのであります。  ただ、そうはいっても、おおよそこれくらいということは研究者が調査していまして、現在恐らく三百万人くらいががん、私はがんだという方が三百万人ぐらい。これがもう十年もしますと五百万人を超えます。五百三十五万人とも言われておりますが。ですから、これはそれこそ政治的な勢力としても一つの重要なターゲットになるはずであります。  そのころになりますと二人に一人ががんで死ぬ。二人に一人が同じ病気で死ぬというのは、恐らくペストのようなもの以外では人間の歴史の中になかったことだと思うんですね。  これは、では何でなのか。何でがんが急増しているのかというと、これは老化であります。要するに、寿命が延びればがんが増えるんですね。  これ図二を見ていただきますと、これちょっと見にくいんですが、横軸が年齢、縦軸ががんの死亡でありますが、年齢とともにどんどん増える。ある程度年取るとがんができないというイメージもあるようなんですが、全くのうそでありまして、年とともに増える。これはなぜか。要は、ごく簡単に言うと、がんというのは細胞分裂の失敗です。ですから、長く生きていればそのうち失敗するんですね。人間がやることですから失敗する。要するにそういうことであります。ですから、がんは老化の一種というふうに言えると思います。  日本ではがんが増えている増えていると言いましたが、実はアメリカではがんの死亡は減っております。これ図三を見ていただきますと、ちょうど一九九〇年ぐらいからアメリカではがんの死亡が減っております。これはニクソン政権のころから国を挙げたがん対策キャンペーンを行ってきた。その柱は禁煙キャンペーンとがん登録であります。  このがん登録の問題なんですが、先ほど申し上げたように日本というのはがんを登録するシステムがありません。ですから、本来は、どれぐらいの進行度のどういうがんがどんな治療を行ってどれぐらい治っているか、どれぐらいの方が亡くなっているか、そういうデータを個別に記録していく必要があります。  よく厚生労働省はがんの均てん化ということを言いますが、均てんというのは、つまり差があるから均てんをするんですね。現代、現在においては、A病院とB病院の間で本当に差があるのかどうか、どっちがいいのかというのはそもそも分からないのであります。分からない中で均てん化などあり得ず、がんの治療というのは今、日本では五里霧中の状態にあるというふうに言わざるを得ません。  アメリカでは、これは連邦政府が各州を支援する形でがんについてはすべて登録すると。そして、登録だけではなくて、どういう治療をするとどれぐらい治っている治っていないということをすべて追跡するということが法律として制定されている。これは非常に重要なことだと思います。  それから、がんの種類が変わっております。増えているだけではなくて、がんの種類が変わっております。  以前、日本というのは、先生方もそういうイメージをお持ちかもしれませんが、がんというと胃がんだというふうなイメージがあります。実際私が生まれた一九六〇年、昭和三十五年ですと、男性のがんの死亡の三分の二が胃がんでございました。圧倒的に胃がんが多かったんですね。これはなぜかというと、まあ一言で言うと冷蔵庫がなかったんです。冷蔵庫がないとなぜ胃がんができるかというと、要するに塩漬けの古いものを食べなきゃいけない。今は賞味期限、賞味期限と言いますけれども、昔はそんなものはなかったんですね。古いものを食べていると雑菌で胃がんができるというわけであります。  子宮頸がんというのは昔多かったんですが、これはある意味一種の性病であります。パピローマというウイルスが男性から女性にうつる。  で、環境が良くなってきますと、冷蔵庫ができる、それから衛生環境が良くなる。そうすると、こういういわゆるアジア型のがんが減ってまいります。これに対して、いわゆる欧米型、高脂肪高たんぱく、要するにハンバーガーを食べると今起こっているように大腸がん、乳がん、前立腺がんという欧米で多いがんが増えてくる。ですから、がんというのは非常に社会とともに変わってくる、そういうものであります。正に生活習慣病と言えるんだろうと思いますね。  これまで、胃がんががんの代表というイメージがあったために、恐らくそのため非常に多いと思うんですが、がんの治療というのが手術と。切れるか切れないか、切れて良かった、切れなかったらもう駄目と、そういうイメージががんの治療イコール手術という、そういうステレオタイプのイメージがあったんですね。それはやはりその胃がんの影響が大きくて、胃がんというのは実は非常に特殊ながんで、おなかの真ん中にあるから非常に切りやすい。それから、全摘が容易です。例えば肝臓の全摘、脳の全摘というのはあり得ないんですが、胃というのは全摘しても構わない、そういう非常に特殊ながんですね。ちなみに、アメリカでも一九三〇年ごろは胃がんが断トツ、トップでありました。これは冷蔵庫がやはりそのころなかったわけですね。  ともかく、がんの種類が変わってきていますから、治療法もそれに対応して変化しなきゃいけない。そもそもがんの治療というのは三つしかありません。それは手術と放射線治療と抗がん剤であります。これ以外は我々は一応根拠になる治療としては認めておりません。  じゃ、放射線治療がどうか。これは大変残念ながら日本は先進国の中で最もこの治療を行わない国であります。そのため今日私ここへ参った次第でありますが。  今がんの患者さんの、年間五十二万人ぐらいがんの方が発生すると言われています、これは先ほどのがん登録の問題で正確な数字ではないんですが、そのうち十六万ぐらい、十六万人ぐらいいる。要するに、三人に一人から四人に一人、これは確かに図五のように増えてきてはいるんです。十年前と比べれば二倍近くになっている。ところが、アメリカではどうかというと、がんの患者さんの三人に二人がこれを行っています。全く違います。  で、そうはいっても日本でも増えてきていまして、この図のように、十年もするとがんの患者さんの延べ二人に一人がやるようになる。ちなみに、今世界じゅうどこを見ても、基本的にがんの患者さんの二人に一人以上が放射線をやっております。日本はそういう意味では非常に特殊な環境にあると思いますが。  最初に申し上げたように、十年、十五年しますと、そもそも日本人の二人に一人ががんで死にます。そうすると、亡くなった方の二人に一人が放射線をやっているということになりますから、亡くなった方の四人に一人が放射線をやっている。で、我々全員死ぬわけですから、つまり日本人全体の四人に一人が何とこの治療をすることになります。  ところが、残念ながら、私のような立場、つまり放射線治療の専門家、放射線腫瘍医と我々言っていますが、これは五百人しかおりません。五百人です。外科の先生は十万人。五百人で日本国民の四人に一人が行う治療を賄えるはずはありません。もう既に崩壊の兆しが見えております。放射線治療の難民というようなものなんですね。  しかももう一つ、いいのか悪いのか、ちょっとパネルを見せていただきたいんですが、(資料提示)放射線治療というのは大変安い治療であります。国民の総医療費がまあ二十三、まあ三十兆円ぐらいとしますと、放射線治療というのは何と〇・二%、四百三十一億円であります。四百三十一億円。  実は、非常にがんの領域で一番売れている薬、これはホルモン剤で、武田製薬が作っているリュープリンという薬でございます。ホルモン剤です。これが年間の売上げが六百五十億円ほどあると。ですから、一つの薬より放射線治療全体の方が安いんですね。ですから、少々これ値上げしていただいても全然大丈夫です。非常に余力があります。  ありがとうございました。  もう一つ、五百人しかいないといいますが、これが余り増える兆しがありません。これは大変な問題です。図五のように指数的に患者さんが増えている一方で、それを担当する専門医がいない。  この原因として、もちろん幾つもあるんですが、六割以上の医学部に放射線治療を専門とする教授がおりません。放射線治療がCT、MRの読影という放射線診断学と同居していると。これは、もう既に先進国では完全に分離しておりますが、この同居しているという問題がございます。  もう一つ、放射線治療で問題なのが、放射線治療というのは非常に大きな機械を使う。例えば、リニアックという装置を我々使っておりますが、これは電子を光の速さの八割ぐらいまで加速する。そういう大きな機械を我々だけでは賄えないんですね。  欧米では、例えばアメリカでは、私のような立場の専門医が五千名います。それと同等、同数の五千名の理工系の専門家がいて、機器の品質管理に当たっている。日本ではじゃそのような専門家がどれぐらいいるか、放射線治療の品質を管理する専門家がどれだけいるかというと、簡単に言うと十名ですね、十名。ですから、放射線治療は非常に重要で、欧米型のがんに今シフトしている中でこれを伸ばさなきゃいけないんですが、それを支える体制がなっておりません。  もう一つ、これは少し話が違いますが、我々が扱うような医療機器、これを、欧米の最先端のものを輸入しようとしますと、これがいわゆる薬事法に掛かってきます。これがまあ平気で二年も掛かります。そうすると、我々が新品だと思っているのを、欧米から見るとこれ中古品なんですね。で、結果的に新薬が使えないというがん患者の声もあるんですが、それはちょっと分かりにくいんですが、最先端の機器が使えないというのが日本のがんの患者さんのハンデでございます。  次の裏を見ていただけますでしょうか。緩和ケアの話に参ります。  お手元に拙著、(資料提示)これですね、「自分を生ききる」と、私の恩師だった養老先生と一緒に書かせていただきました。これは、日本人の死生観というものがなくなってきていることががんの治療に大きな影響を与えているということです。  具体的に御説明いたします。  今、先生方もそうかもしれません、私もそうかもしれませんですが、死なないつもりで生きているんですね。ずっと生きているというふうな感じで、昨日の自分が今日の自分で、あしたも自分でずっと、まあいつか死ぬんだろうと頭では分かっているんですけれども、やっぱり心と体では分からない。そういう環境にいますと、やはりがんというのは治すか治さないかになってしまいます。  ところが、まあ例えば五年生存率何%、一%、二%上がったといっても、人間の死亡率は結局一〇〇%です。これが非常に重要なことなんですね。ところが、現実には、日本のがんの医療というのが、治癒率を高めるということにほとんど専念してきた、ある意味もう研究になっているんですね、がんの医療の研究になっている。これが非常に問題です。  ところが、結局、がんの、がんが増えてきている原因というのは高齢化ですから、がんの治癒率が早々上がることはできません。そもそも完治を目指すような治療が最初からできない患者さんが大変増えてきています。  それから、これも冷徹な事実なんですが、がんというのは、再発や転移があれば基本的には治癒ができない。基本的には最初の、初回の治療でうまくいかなかった方というのは、数年のうちにがんで命を落とすという、そういう厳しい病気であります。で、その最初の治療で勝ち組になる方の率を高めようとずっとしてきたわけですが、ところが、実際、数年苦しんで亡くなるというのは再発なさった患者さんなんですね。今までそれに医療者は全く目を向けていなかった。患者さんも医療者も、ともかくずっと生きるつもりでいますから、その生きるパーセントを良くしようと、それにもう特化してきたんですね。ですから、ここが非常に日本人の、日本のがん治療の問題かなというふうに思います。  結果的には、もう亡くなる直前まで抗がん剤をやって、がんと闘うというよりも抗がん剤の副作用と闘うという形で、苦しんで亡くなる患者さん、これ多数私も見てまいりました。  例えば、ある患者さんはまあ中小企業の社長さんで、経営があるので余命を知りたいと。私は、普通は余命というのは分からないので言わないんですが、三か月かもしれないということを言いまして、そうすると、まあ分かったと。痛いんですね。骨の転移があって痛い。で、モルヒネを飲むのがこれはいいんだということでお勧めしたんですが、その社長さんは、この本にもある話なんですけれども、そんなことしたら寿命が縮むというふうにおっしゃるんですね。  つまり、もし自分は死ぬぞということを聞いて頭では分かっていても、それは心では分からない。日本人にそういう死生観というものの問題があろうかと思います。  で、緩和ケアというのは、その限りのある命をいかに豊かにするかということをお手伝いすると、そういう意味ではがんに限った話じゃないんですね。  例えば、今、緩和ケア診療加算というのもあります。これは、実はがんとエイズにだけ特化していますね。これは少し欧米とは違います。この辺は実は、緩和ケアというのは医療全体の基盤だというような考え方をすべきではないかなというふうに思います。  ちょっとフリップをお願いしましょうか。(資料提示)これですね。今申し上げたように、ともかく治らない、再発したら治らないわけです。ところが、それは受け入れられない。そして、徹底的に抗がん剤をやると。亡くなる直前まで徹底的に抗がん剤をやる。そして、もう抗がん剤ができなくなると、お医者さんはホスピスに行きなさいというふうに言うんですね。しかし、それは受け入れられないですよ、今の日本人には。  本来、このように、がんと言われたその日から心の苦しみというのは始まります。ですから、緩和ケアというのがこの亡くなる最後のところに入ってくるというのは、これは間違いなんですね。つまり、この治療、がんの治療とそれからがんのケア、緩和ケア、これが対立構造になっているというのが問題なんです。これは常に、もちろん最初のころ、治すことが目的であるときは当然がんの治療のウエートが高い。だけど、常に緩和ケアの考え方が入ってこなければ、患者さんは苦しいですね。徐々にやはりその比率が変わってくる、こういう考え方を取り入れる必要があろうかと思います。  ありがとうございます。  で、この考え方が欧米ではがんだけではなくて医療全体の基盤になっているんですが、なかなかこれが浸透しない。幾つも原因があろうかと思います。それこそ、日本人の死生観の問題、是非、先生方、この本読んでいただけるとありがたいんですが、一つ、テクニカルな問題としては、放射線治療の専門医の教授職がいないと同様に、緩和ケアに関しても全くそういう講座がありません。ですから、そもそも私も東京大学で講義するということがなかなかできないんですね。つまり、緩和ケアを講義するチャンスがない。仕方がないので、社会医学という中で、環境問題の隣でこう何かゲリラ的に講義したり、そういうような状況になっております。  で、こういうことがありますので、お手元資料の図、先ほど鈴木先生もおっしゃいましたが、モルヒネの使用量が先進国で一番低い。モルヒネ系のたぐいの薬、これオピオイドと言います。これ、図七を見ていただきたいんですが、オピオイド全体についていうと、日本の一人当たりの消費量というのがアメリカの何と二十分の一です。ほかのどんな薬に関してもこれほど違いがあるものはありません。  で、これはお恥ずかしい話なんですが、図八です。東大病院で私が医師とナースにがんの痛みの取る方法を知っているかと聞きますと、医師では六割、看護師では八割が知らないというような状況です。つまり、がんの治癒率を上げるということに非常に関心があるけれども、不幸にして再発してしまった、亡くなる患者さんには関心がないという、そういうことを示すデータではないかなと思います。あるいは、図九を見ていただくと、がんの痛みが取れている率というのが、残念ながら大学病院で最も低いんだということ。  で、こういう状況ですので、私、放射線治療というのは副作用があるというイメージもあるんですが、実はそんなことはございませんで、三つの治療の中で最も体に負担がありません。何となれば、末期の患者さんでも使う。一般に放射線治療というのは末期がんに使うけど、まあ気休めみたいなイメージもあるんですが、それはある部分正しくて、ある部分間違っています。  末期がんの方でも、例えば脳に転移する、麻痺が出る、あるいは背骨に転移したがんが脊髄を圧迫するとやはり麻痺が出る。こういうときは、そのがんを全部治すことはできなくても、いわゆる患者さんのQOLを維持するためにそこは治さなきゃいけない。じゃ、そのときに三つの治療法で何ができますかというと、手術や抗がん剤というのは体調の悪い末期の方には負担が大き過ぎるんですね。ですから、放射線が使われる。逆に言うと、放射線というのは末期の方に使えるほど負担が少ない治療だと。  そういうことで、私、末期の患者さんとのお付き合いも増える中で、東大病院の中で緩和ケア診療部、一番下の図でありますが、こういうチーム医療を始めた次第であります。  今日は、日本人のがんのウイークポイントであるがんの放射線治療、それから緩和ケアについてお話しさせていただきました。  どうもありがとうございました。
  138. 小野清子

    委員長小野清子君) ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  139. 南野知惠子

    南野知惠子君 どうもありがとうございました。  本当に、お二人とも医療の現状というものですか、お知らせいただきました。鈴木先生には、本当に立て板に水のように図表で全部お示しいただきました。後でゆっくりお話をお聞きしたいと思っております。中川公述人にはがんの問題、それと、今まだまだ医療の中で改革し認めてもらわなければならない治療方法と、そういった問題についてお話をいただきました。  そこで、中川公述人にお聞きいたしたいんですけれども、我々はここで今、国の安心、安全、それをどのように守っていくかという国政の戦略ということもございますが、それが果たしてうまくいったにしても、一人の人間が心と体のバランスを取りながら幸せに生きていく、これが私たちの安心、安全の一番大きなポイント、それを先生方がお支えしていただいているんだと思います。  その中で、年を取れば、又はがんという問題を抱えながらどのようにして生きていくのか。今の死亡例などをお聞きいたしますと、こちらに三人おられますけれども、三人のうちの一人は必ずがんで死ぬ、それから二〇二〇年になればこの六人の中の三人は必ずがんで死んでいかれる、そういうことを思えば、先生方、早くがんと緩和ケアの問題を我々解決していかなければならないのではないかなと思っております。  その中でも、また治療の中で、今痛みという問題について、我々の感覚というよりもアメリカの方々の方がより緩和されているのではないか。我々は入院しながら、また緩和ケア病棟にいても、もう少しモルヒネ待ちましょうねと言われながら、これは二十倍の痛みをこらえながら治療しているということについて、お二人ですかね、先生も、がんのことをお話しなさいましたかね。  じゃ、まず中川先生、その問題についてお話しくださいませ。
  140. 中川恵一

    公述人中川恵一君) 応援いただきましてありがとうございます。  痛みの問題、大変大きな問題で、よく痛みは我慢した方が得、私も母親に、痛み、痛いというのは我慢した方がいいんだと習ったんです。で、若い方でもそういう感覚があって、薬を飲むと体に悪い、特にモルヒネなどというのは本当に悪い、先ほどの社長さんの話じゃありませんが、命が縮むというイメージがあります。  で、養老孟司先生とお話ししていると、これから死ぬときに痛み我慢してどうするんだというふうに、彼はそんな言い方をいつもするんですが、確かにそうなんですよね。これから死ぬときに痛み我慢したってだれも褒めてくれない。ただ、まだ死なないときでも、痛みがない方が実は長生きします。その痛がっている方にいわゆる比較試験はできないんですね。痛がっている方をくじ引で、あなたには痛み止め、あなたにって、それはできないわけですから。  ただ、やはりきっちり痛みを取っている方とそうでない方比べますと、取っている方の方が長生きします。それはそうですよ。だって食事も取れるし、寝れるんですから。ところが、なかなかそういうふうには思われないんですよね。その辺は日本人の感覚なんです。
  141. 南野知惠子

    南野知惠子君 ありがとうございました。  おっしゃるとおりでございます。痛みがなくなれば自分のストレスがなくなる、そうすると少しは緩やかな生活に戻っていけるんじゃないかなと思います。  今、またお食事の話が出ましたので、そのお食事の話についてでございますけれども、病院食、このたびはまた、いろいろな治療を受けて病院で入院しても自分で支払うような方向になりました。一番リラックスできる、食を楽しめるということにポイントを置いて病院等では考えていかなければならないと思いますが、少しでも赤いワインを飲めば自分がもっとリラックスするというようなことについてはいかがお考えでしょうか。
  142. 小野清子

    委員長小野清子君) 中川先生ですか。
  143. 南野知惠子

    南野知惠子君 ええ、中川先生。
  144. 中川恵一

    公述人中川恵一君) 私のところでも、お酒飲んでいいというケースかなりあります。で、そもそも病院に入っているかどうかというところもあるんですよね。在宅というのはそういう意味では非常に重要で、おうちで好きなワインを飲む、その方が何か長生きしそうな感じがしますね。  で、そもそも、そのがんのいいのは、心臓病とか交通事故と違って、大体もうあなた死ぬ、あるいは私が死ぬと言われても半年から数年あるんですね。そのときに、痛くなくておいしいワインを飲むというのは非常にいい。そのとき多分、今まで買えなかったような高いワインを飲むわけですよ。ですから、より幸せかもしれないですね。そんなふうに思っています。
  145. 南野知惠子

    南野知惠子君 ありがとうございました。  豊かな食生活も病院で展開できれば、もっと外食産業その他でも経済に潤いが来るのではないかなというふうに思っております。  鈴木先生、何か御意見ございましたら。
  146. 鈴木厚

    公述人(鈴木厚君) 麻薬の使い方というのは非常に上手になってきております、この数年間で。ですから、それほど危惧することはないというふうに思っております。  それと、一番のネックになるのが法的な問題なんです。必ずサインをして薬局まで取りに行って、それで、それを確認して使った分だけきちんとやる、この煩わしさがすごいんです。そして、アメリカ辺りだとリューマチの患者さんに麻薬出します。ですけども、日本じゃそんなの絶対許されない。  それと、もう一つは心のケアというのが必要なんです。つまり、あなたがんですよ、もうしようがない、こうやっているのと、毎日患者さんの下に行って世間話しながら、いろんな青春論とか昔話とか、そういうふうな余裕のある医療ができると患者さんと医師との心が通じ合いますんで、多少のものでも不安が消えるんです。ですから、がんの患者さんが末期になった場合に、先輩、おれは後で付いていくからなと、そういうふうに言うと全然違います。ですから、そういうやり方もあると思います。
  147. 南野知惠子

    南野知惠子君 ありがとうございます。  そしたら、少しはしょらしていただきたい部分も出てきたんですが、鈴木先生に、国民の健康と命を守る日本医療、これを病院や診療所で充実させよというようなお話もしておられたかと思います。さらに、自衛隊、警察官、消防隊員、救急隊員と同じように国民の安全保障と医療をとらえるべきではないかというふうに思っておられました。  我が国では、へき地、辺地になかなか行き手がいない。ドクターだったら、まあ二、三千万円出せば来てくれるかなと。だけれども、そこには看護職も当然少なくなっているわけでございますので、そういうへき地医療についてのマンパワーをどのようにお考えでしょうか。
  148. 鈴木厚

    公述人(鈴木厚君) へき地には、まず正直に言いまして医者は行きたくないです。それはどうしてかといいますと、家庭の問題、教育の問題です。これ人間ですから当然です。それともう一つ、自分が病気になったら、自分が盲腸になったらどうするんですか。だれも診てくれないじゃないですか。  そういうことあって、今現在、隣の県までわざわざ行って治療を受けて、そして良くなったとしても通わなくちゃいけないわけです。ですけれども、県境で交通事故を起こして救急車呼んでください、すぐ来ますよ、助けてくれますよ。ですから、それと同じように、どんなへき地でも医療機関は絶対に必要。これは住民の安全を守るため。田舎に、病院のないところに、子供を持った若夫婦が行けますか。子供が病気になった、妻が病気になった、どうするの。  ですから、先ほど申しましたように、自衛隊と同じように、使わなくてそれでいいんだけれども、いざというときには地域でも必要なんだと、こういう考え方を持ってほしい。しかも、地方自治体、今、金がないから全部不採算部門のところをやめようとしている。これ何なのか。医療行政、地方の行政府はやっぱりそれを最大のサービスと考えてやるべきじゃないかな、そういうふうに思います。
  149. 南野知惠子

    南野知惠子君 何か私が怒られているような感じになりましたけれども。  一番今、少子社会の中で必要なのは、NICU、しかも母体搬送のPICUというのがございます。そこら辺をもう少し充実させないと、命という問題については我々本当に保障ができないというふうに思っております。  それから、病院の中で、医師、もちろん看護師という立場で定数はございますけれども、助産師が働いていても病院の中の定数には助産師が入っていないんです。そこら辺について中川公述人のところでも理学物理士の定数足りないというお話もございましたが、認められていないというんですか、名簿の上で。そこら辺についてどう思われますか、鈴木公述人
  150. 鈴木厚

    公述人(鈴木厚君) 病院の中ではそれは認められていない、これは確かなんですけれども、それは、なぜ認められていないのかというのは、私が答えるんじゃなくて政治家の方が考えてほしい。私が必要だと言ったって、何の力ないわけですからね。ですから、先生に頑張っていただきたい。
  151. 南野知惠子

    南野知惠子君 一生懸命頑張っておりますのでサポートをよろしくお願いしたいと、これお願いするところでございますけれども。  医療従事者の過労という問題、マンパワー不足というものはもう今に始まったことではなく、ヒヤリ・ハットから医療過誤を起こす、そういう意味では安心、安全の医療を本当に提供できていない。その部分はうんと改善していかなければならないというのが今の現状であろうと思いますけれども。  ここで、鈴木先生にお伺いいたします。  先生のこの資料の中で中医協のお話が出てまいりました。その中医協の中に看護職が入っていないと、しっかりとお話をしていただきながら図表を出していただいておりますが、そのところについて先生のお考えをちょっと教えてください。
  152. 鈴木厚

    公述人(鈴木厚君) 中医協はだれがメンバーを決めるんですか。厚労省でしょう。だったら厚労省に言えばいいんじゃないですか。
  153. 南野知惠子

    南野知惠子君 それはもう当然分かっているわけですけれども、その現状をどうお考えになっておられるかと。
  154. 鈴木厚

    公述人(鈴木厚君) それはですね、医療というのは医者とか看護師とかそういうふうに分かれているものじゃないと思います。一体になってやるべきものだと思います。ですから、当然入っていただきたいと思います。
  155. 南野知惠子

    南野知惠子君 応援ありがとうございました。その一言が欲しかったんであります。  医療の問題もいろいろございますが、国民医療費の価値という形の中で三十兆円の医療であると。その中で、パチンコの業界と同じであると。さらにまた、葬式業界が今十五兆円ですか、そういうような産業とお比べいただきましたけれども、我々はそういったものについてもっともっと医療に傾斜していかなければならないというふうに思っているところでございますので、このパイが、少しでもこの現状が変わっていけばいいなというふうに思っているところです。  もう先生からはいろいろとお話を聞かせていただきましたが、病院の赤字経営について何かいい対処方法があれば。
  156. 鈴木厚

    公述人(鈴木厚君) 病院に例えば入院しますよね、そうすると、一日入院して治療費を、保険の代も入れて大体三万ちょっとぐらいです。先生方、ホテルオークラ辺りに泊まったことありますか。一人大体三万円ぐらいです。病院の方は、治療もやって、看護婦さんはきちんきちんと回って、食事も出してその値段なんです。ですから、医療費がいかに安いか、そういうことが分かっていただけるんじゃないかなと、そういうふうに思います。
  157. 南野知惠子

    南野知惠子君 ありがとうございます。  赤字経営に関しまして。
  158. 鈴木厚

    公述人(鈴木厚君) 失礼しました。  先ほど申しましたように、大体公立、公的病院の八十数%が赤字であります。そうしますと、どこを切り詰めなければいけないのかということなんですね。そうすると人件費しかないんですよ。そうすると、人件費しかないから医師は増やせない、看護師は増やせない。そうすれば、医療行為が倍になれば医療従事者は倍、働かなくちゃいけなくなる。そうすると医療事故につながりますね。月六回の当直やってごらんなさい。本当に次の日、頭ぼうっとしていて、これはもう精神力、いわゆる第二次世界大戦の竹やりでもう頑張っていると、そういう形だと僕は思います。  ですから、是非病院の方の赤字を解消できるような診療体系にしていただかなければ、国民の安全を守ることはできないと思います。
  159. 南野知惠子

    南野知惠子君 私自身も看護婦であり、助産婦でありますので、夜中駆けずり回ったこともありますし、奄美大島のへき地医療をしたこともございます。  そういう中からいろいろなドクター等のお友達もできておりますが、ある鹿児島の五つ子ちゃんを管理された武先生がおられます。このような本を書いておられます。(資料提示)病院を、公立病院を赤字から黒にした。これは四か所か五か所だったと思いますが、その原因はどういうことで赤字黒字になったかというと、看護部長を副院長にしたと。看護部というのは広い範囲のテリトリーを持っております。そこの中で、どのように経営のマインドを持つかということが病院経営に参画したところ、それで黒字になったということでございます。いろいろな看護部長もおりますが、そういういい事例がございます。  病院を赤字から黒字にするのにそういうことも必要だとお認めになられますか。
  160. 鈴木厚

    公述人(鈴木厚君) 武先生がどうやって黒字にしたのか。これは看護師さんの給料を下げたんです。
  161. 南野知惠子

    南野知惠子君 それは県のやり方だったのかどうか分かりませんが、そういう問題点でも、でも社会的なステータスというところの中で働かされたと、いいレベルに持っていったということは、これは我々の仲間としては評価できるということでございます。  あるところから次のところに就職、替えるときに七、八万下がることだってあります。それでも自分の仕事がやれると思ってみんな仕事に情熱を燃やすわけでございますので、そういう価値観というものをどこに置くかというところになってくると思います。  ありがとうございます。  持ち時間も少なくなってまいりました。  そこで、中川先生にお尋ねしたいんですけれども、中川先生は笑いということを題材に取り上げられておられると思います。私も山口県でございますので、お笑い講というのがございます。笑うということは人の心と体にプラス思考、快適な方向に持っていけるというふうに思いますので、私も先生の、療法士を先生が認定しておられるんですね。その笑いの認定士を認めておられるというところで、笑いの効用というものをちょっとお示しいただきたいと思います。
  162. 中川恵一

    公述人中川恵一君) 笑うと免疫が高まりますね。そもそも、例えば、がんになってつらいです。何でおれだけがんになったんだろう、あいつは長生きしておれは死ぬのか。ところが、やっぱりそのあいつも死ぬんですよね。ですから、何というんですかね、その余裕というか、これは非常に難しいことだとはよく分かるんですが、余裕というものを常に持つ、その中に笑いというのを取り入れる。実際、笑ったらがんが治るということはないです、それは。ただ、笑ってがんと付き合っていくというのが非常に重要なのかなというふうに思います。ひょっとしますと、笑って生きているとがんにかかりにくくなるのかもしれません。それこそエビデンスはない世界ではあります。  それからもう一つ、看護師については、私がやっている緩和ケアでは非常に重要な立場を占めております。むしろ私など余り医者が出しゃばらずにナースの方が中心にやるというようなチーム医療が今後広がればいいなというふうに思っております。
  163. 南野知惠子

    南野知惠子君 我々、赤ちゃんから大人に、また胎児から終末医療を迎えた方々までお世話さしていただくわけであります。胎児にとりましてはすべての環境が母親でございます。母親の環境をいかに整えていくのか。さらに、母親、いわゆる妻は夫といいチームワークをつくることによって家庭の環境を快適につくっていく、そのきずなが隣近所、社会、地域と広がっていくというふうに思っております。  そういう意味では、胎児の環境を守るには、今多くの有害物というものがあります。そういう胎児の、一人の子供を誕生させるのにいろいろな我々は配慮をしなければならない、治療をしなければならない。そういう観点の中から、環境という問題について、今先生の方でお尋ねしたのは社会保障の中で医療がちゃんとそういうふうに根付かなければいけないということでございましたが、そういう環境という観点から何かおありであれば、お一人少しずつお話しいただければ。
  164. 鈴木厚

    公述人(鈴木厚君) 環境というのは非常に難しいですよね。というのは、複合汚染ですから、何がいけないというか、そういうのが分からないですよね。だから、特定できないから犯人を取り上げることができないということがあります。  それで、先ほど笑いということが出たんですけれども、上品な笑いと下品な笑いというのがあるんですね。それで、テレビでやっているのは下品な笑いですよね。ですから、是非、日本人、昔から持っていた上品な笑いを持って、そして、胎児だけじゃなくて子供、少年、成年、すべてが上品な笑いでいけば日本の社会は良くなると思います。
  165. 中川恵一

    公述人中川恵一君) がんについて環境というものを考えますと、やはり何といっても間接喫煙ですね。がんセンターのホームページからの記憶ですが、たばこを吸わない奥さんが脳腫瘍になったときに、それがたばこを吸う御主人からの煙である、原因であるというのが七割近くあるんですね。ですから、分煙というんですか、本来は禁煙なんですけれども、私も飲みに行ったりしますと、隣でもくもく吸っていると。これはやはり考えていただきたいなというふうに思います。  恐らく、がんは原因がなくても、つまり人間のミスですから、何の原因がなくがんになるということがあるわけですね。ただ、それを上乗せする効果が十あるとすれば、三はたばこであります。ですから、これを環境問題として考えていく必要があろうかと思います。
  166. 南野知惠子

    南野知惠子君 ありがとうございます。  常に上品な笑いができれば一番いいなと思っている一人でございますけれども、鈴木先生にちょっとお伺いしたいのは、外国からの、我々マンパワー不足と言われている、そこら辺を導入したらどうかという声が盛んにございます。外国人導入について、何か一言お考えをお聞かせください。
  167. 鈴木厚

    公述人(鈴木厚君) まず、看護師の方は導入が決まっておりますね。医師はどうなのかという問題なんですけれども、医師の場合は国家試験という壁があります。ですから、なかなかこれは難しい。  それで、じゃ、どうしているかというと、日本なんかは心臓移植、腎移植、なかなかできないですよね。今現在、日本人が中国に行ってやっているわけです、何百人も。それと、マレーシア辺りなんか非常にいい医療をやっていますから、そちらの方に日本人の金持ちは行っています。  ですから、全く逆なんですよね。向こうから呼ぶという考えじゃなくて、日本から抜け出して向こうに行っちゃうというのが現状だと思います。ですから、本当ならばそういう法的なものを整備していただきたいんですけれども、現実はそういうことになっています。
  168. 南野知惠子

    南野知惠子君 看護職も国家試験がございます。これ各国共通で、各国でちゃんと自分たちのマンパワーのセレクトを国家試験という形でやっておりますので、私がイギリスに行っても、イギリスの国家試験を受けなければ向こうの現場では仕事ができません。  日本に来ていただく場合も、日本の国家試験を受けていただければ、どうぞというふうに、今いう形でとらえられておりますが、外国からお越しいただくと、先生、忙しい、繁忙であるということも先生のさっきのお話にありましたが、そういう方々がお越しになると、オリエンテーションから始まって、特に三月、四月のマンパワーが減少するところでは病院は七転八倒するような時期も迎えるということがございます。そういうためにはやはり日本語で国家試験を受けていただく、そして我々とともの、同じ料金で働いていただくというような観点を今我々は話し合っているところでございます。  そういう意味で、我が国に残されているニート、フリーターの方々をどのようにして我々、病院を理解してもらえる方々にしていくのかという、インフォメーションを与えるのかということも必要なことがあろうかと思います。  鈴木先生、何かございましたら。
  169. 鈴木厚

    公述人(鈴木厚君) 介護についても医療についても、マンパワーがたくさんあればいいわけですよね。それで、外国ではボランティアが多いんですよ、とっても多い。つまり、病院があった場合に、私たちの病院だと住民が思っているわけ。ですから、いろんなことを手伝うわけです。ですから、ただで手伝うわけですよ。そして日本の場合は、病院が隣にあっても勝手にやっているという感じでいますから、やっぱり病院は私たちのものだという、住民参加するような気持ちですね、それを是非持っていただきたいなと思います。
  170. 南野知惠子

    南野知惠子君 ありがとうございました。  これで終わります。お世話になりました。
  171. 下田敦子

    ○下田敦子君 民主党の下田敦子でございます。  鈴木厚先生、中川恵一先生、本当にお忙しい中からお出ましを賜りまして、誠にありがとうございました。  鈴木先生がお書きになっておられました本にも、WHOは日本医療は世界第一位であると、それなのに国内においては評価が余り良くないと。誠に私もそのように思っております。なぜなんだろうと。  しかし、医師はやはり一人前になるのに最低十年から十五年、そして実際、先ほどのお話にありましたように、労働基準法のない世界に住んで働いているというのが、私もまた関係者の一人として非常に日ごろ思っております。持っているのは使命感だけという感じがいたして、大変痛々しく思っております。何とかコンクリートから人づくりへというのが私どもの考えて願っていることなんですが、残念なことに家庭における教育費の世界第一位は韓国で、二番目が日本だと。非常に家庭からの持ち出しの教育費が高うございます。殊に後期高等教育の費用というものは果てしなく高くて、対GDP比〇・四%しか高等教育に今使えないでいるこの日本の政治の予算の持ち方、これは私は非常に日ごろから考え、そしてこの仕事に携わさせていただいております者の一人です。イラクに三年間で六百四十二億も使っているわけでございますから、この辺のことの予算の組み方が那辺にあるのかということを常日ごろ思っております。  さて、限られた時間でございますので、少しく具体的にお尋ねを申し上げたいと思っております。ニュージーランドの例を見まして、非常に私は昨今の日本と似ているなという感じを持っております。アングロサクソンスタンダードではないかと、そういうふうに思いますが、まず鈴木先生にお尋ねを申し上げます。  行革ということをうたい出しまして郵政民営化も図った第一の国でありますが、外国の資本に押さえられまして、結果、ニュージーランドの国民医療費に対して一番影響を受けた国だと私は思っております。例えば、いろんな例を耳にしますが、八十歳の老人が午前三時に退院を命ぜられたとか、それから乳がんの手術後二日で退院を迫られた。これは、病人の回転を早くするというのが昨今の私どもにも強いられている状況でありますが、極端にここ二、三年の間に年間の手術の数が少なくなりまして、公立病院の手術場は忙しいけれども民間の手術は非常に少なくなったという話を聞かされております。ところが昨今、ちょっとある者がニュージーランドで出産いたしましたら、やはり四日ぐらいで退院いたしておりますけれども、とても帝王切開その他においても麻酔医その他コメディカルスタッフの皆さんが充実していて、非常に産後もさわやかであると、日本ではちょっと違うということを聞きました。  そういうことで、ちょっとお話に具体的に入らせていただきますが、このたびの私どもの審議しなければならない予算の中で、十八年度予算で、安心で質の高い効率的な保健医療提供体制ということで六百三十四億円盛っているわけなんですが、対前年比、七百二十四億円より大幅に減っております。  いろんな要因があるわけでありますけれども、まず第一に、昭和六十一年です、東京で開催されました国際社会福祉会議において海外の非常に進んだ医療者あるいは福祉関係者から異口同音に指摘されましたのが、日本の社会福祉制度は大変すばらしいけれども、マンパワーの専門職が必ずしも十分ではないと。私の記憶しておりますのと、先般、斎藤十朗厚生大臣から、元ですね、大臣から伺いましたら、自分の任期中になるべくコメディカルスタッフの医療者の関係職種を専門化したいんだと、そうおっしゃっておられまして、あのときに誕生した資格者がたくさんおったなということを今思い起こしております。  その一つに介護福祉士などもありました。PSW、精神保健福祉士などもありますが、看護師さんは百年掛けて百万人に到達いたしましたけれども、わずかこの十七、八年で介護福祉士というのが約四十六万八千七十八人、これは昨年十二月末現在です。毎年八万人も受けているという状況で、受験制度が非常に不備であるということがまず言われます。  それから一つ次に入らせていただきますと、ここ百年、日本医療の歴史を見ますと、医師と看護師がお二方の職域で守り切ってこられたと。逆を言いますと、チーム医療、かなり専門化していかなければならないチーム医療の現場が、歴史的に極めてその養成も含めて浅いということを私は常がね悩んでおります。  第一次ベビーブームの昭和二十二、三年のころにこういうことを予想して、超高齢社会を予想してPTとかOTとかSTとか、それらの様々な専門家を養成する必要があったのではないかと、その吹きだまりが今来ています。  大変恐縮ですが、先生方にもこれは差し上げてあるかと思いますが、「介護労働者の過不足状況」ということで、このとおりの状況でありますが、ホームヘルパーとかサービス提供責任者とか、寮母、寮父なんというのはこれは国家資格ではありませんが、国の外郭団体であります介護労働安定センターでこういう慣用語も使っておりまして、少し問題がありますが、これは場所が違いますので、いずれのときに譲らせていただきます。  それで、看護師の不足は各県別に見ますとこういう状況でございます。鳥取県などは極めて不足。准看護師もいろいろ問題が取りざたされておりますが、これも滋賀県が非常に不足で、さて次の理学療法士、これに関しましてはほとんど真っ赤な状態であります。PTの状態もこのとおり不足でありますが、介護予防ということを持ち出していながら、現場に、筋トレをするような場所に理学療法士が必置義務ではないと。それから、作業療法士に至りましては精神科の領域も含んでこのとおりの不足状況で、大変赤の面積が多うございます。ケアマネジャー、こういう状況でありますが、私は非常に、厚生省に通っている期間、あるいは議員にさせていただいてなお一層思うのですが、それぞれの所管課がございます。例えば老健局で生まれたケアマネジャーは、とても大事にいろんなところに起用されているわけです、法的にも。ところがなかなか、ケアマネジャーというのがそういう意味では様々な基礎資格を持ってのことでございますので、数的に果たしてこれからの法改正に間に合うんだろうかということが考えられます。  じゃ、一枚飛んで「人口千人あたりの医師数・看護師数」で、医師数は先ほどの先生方のお話のとおり実に足りません。看護師数もこのとおりで実に足りない。それから理学療法士、作業療法士も、北欧などに比べますともうお話にもならないという状況です。最後の介護福祉士の登録数も、現場の必要に迫られてからこのとおりに非常に増えているという状況でございます。  そこで、先生方に具体的なお尋ねでございますが、こういう日本のコメディカルスタッフのアンバランス、この点について鈴木先生はどのようにお思いでいらっしゃいますか、お尋ねをしたいと思います。
  172. 鈴木厚

    公述人(鈴木厚君) 介護制度が始まって歴史が浅いんですよ。それで、理学療法士というのは毎年四千人出てきます。生まれています。ですから、いずれあふれるぐらいになると思います。  それともう一つ。いわゆる介護料が、やっぱり財政的な問題がありまして、ケアマネジャーの給料が非常に安いんですね。それで、失礼な話かもしれませんけれども、生活保護者のところに介護に行く。そうすると、自分よりも生活保護を受けている方の方がお金をもらっているというふうに言っております。ですから、お金を掛けなければいけないんですよね。  それで、先ほど公共事業の問題を言いましたけれども、公共事業というのはある特定の企業をもうけさせるだけで、しかも、いわゆる人が少なくて済むわけです。ですけれども、こういった介護は人をたくさん必要とするわけですね。ということはどういうことかというと、雇用効果につながる、経済効果につながる。ですから、発想をやっぱり公共事業から福祉の方に是非持っていってほしいと、そういうふうに思います。
  173. 下田敦子

    ○下田敦子君 おっしゃるとおりでございまして、私も、医療、福祉、教育、観光という極めて地域性の強い職域でやはり産業の転換を図るべきだということを常がね申し上げてきているんですけれども、なかなか古い政治のスタイルからと言うことは語弊がありますでしょうか、なかなか公共事業から、いわゆるコンクリートから変えていけない日本の、特に政治の根底があるように私は感じております。  そういうわけなんですが、先ほど先生の資料の中に、中川先生の資料の中に国立弘前大学で云々という、放射線技師の不足さと。私の地元でございまして、大変な問題になっておりましたが、やはり厚生労働省というお役所の中で、医療のスタッフのそれぞれの抱えている専門が違うせいなのだとも思うんですけれども、やはり縄張りがあります。縦割り行政です。何とか医療というものをもう少し医師あるいは看護師の皆様においても、もう少しスムーズな当たり前な労働環境をつくっていくために、こういうチームケアあるいはチーム医療というものをもっと考えていかなきゃいけないというふうに私思うんですが、なかなかお役所では、臨床の現場はもちろんのこと、もちろん農林水産もみんなそうなんですけれども、現場を御存じない。非常に私は、ある一線までいくと、もうとても話しても無理だなと思う点があるわけでございます。  ですから、そういう意味で、ドラスチックな改革が今必要だと思うんですけれども、そういうことの手だてを先生方はどのようにお考えでございましょうか。
  174. 鈴木厚

    公述人(鈴木厚君) 昨年、衆議院選挙で自民党は二千五百万票集めました。それで、日本医師会、日本看護協会が中心になりまして皆保険制度堅持の署名活動をやりました。そのときに集まったのは一千七百万票。すごい数です。国民はやっぱりそういうことを考えているんですよ。希望しているんです。  ですから、そういう医療関係者のトップは、トップが集まってきちんとしたものを一体化させて、そして持っていくという考え方を持たないと、自分のところだけ、自分のところだけ、いわゆる与えられた金の分捕り合戦やっているんじゃなくて、もっと国民のことを一丸になって考えなければいけないと、そういうふうに思います。  あと、先生、ついでですけれども、教育費の問題ですけれども、年間日本人は子供に百万掛けているんですよ。医療費、そんな掛けてないでしょう。そして、お金を掛ければ掛けるほど子供、ばかになるんですよ。それは何でかというと、私たちのとき塾なかったですからね。それで塾に行って、ワンパターンの書類の書き方。いわゆるクリエーティブな考え方ができなくなった。ここが大きな問題だと思います、日本の将来を考える上で。
  175. 中川恵一

    公述人中川恵一君) 先ほど、弘前の旧国立弘前病院の放射線被曝事故、誤照射事故ですね。今御指摘のコメディカルの職種を増やすことに非常に抵抗があって、私も厚生労働省方々とお話ししても、もうそこは頑としてということなんですね。それはなぜでしょうか、よく分かりません。  先ほども御説明したように、放射線治療のような治療をお医者さんと看護師さんとそれからいわゆる診療放射線技師さんだけではできないですね。現にアメリカでは医者と同じだけの理工系専門家がいる。それを技師さんたちを含めた形で放射線治療品質管理士と、そういう資格をつくって働き掛け、もう既に四百名近くおるんですが、なかなかその方たち医療の現場で活躍できるようにはならない。このコメディカルがないということが、結局何でもかんでも医者がやると。例えば私研修医のころ、休日になって薬の処方せんをする、そうすると取りに行くのはお医者さんなんですね。それはやっぱり無駄ですよ。それは薬取りに行けばそのときに医者が一人いないわけですからね。そこは考えないと。  どうでしょう、これはもうそろそろこの問題は政治、皆さんが、先生方がお決めいただいて、そういう時期に入ってきているような気がいたします。よろしくお願いいたします。
  176. 下田敦子

    ○下田敦子君 この場に厚生労働省の皆さんがなぜいてくださらないのか、非常に私は残念でなりません。本当にいいお話でございました。  ついでですので、南野前大臣もおっしゃっておられましたので私も付け加えさせていただきますが、FTAでいろんな問題が起きていました。ですけれども、もう少し御理解願いたいなと思うのは、私、青森県の弘前市にフィリピンの元大統領のアキノ氏を御講演にお招きしたことがあります。終わりましてから雑談の中で、フィリピンの外貨の第一位は、英語圏に医師、看護師、PT、OT、STなど、ケアワーカーも含めて出掛けていって、その得たお給料を親元に送金する、これがフィリピンの外貨収入の第一位ですと、そういうふうにおっしゃられました。  ですから、なぜなんだろうということを考えたときに、やはりこれはいろんな技術的なことを心配されている学会の方々もいらっしゃるんですけれども、私もマニラに何回かお邪魔いたしまして、大変熱心な質の高い勉強、学習を、教育を受けていらっしゃると私は思いました。何としても違うことが、あそこはカソリックの国で、一町ごとに教会がある。そこで感じたことなんですけれども、やはりホスピタリティーが全然違うということをやはり私はいろんな生活要素から考えて思いました。やはり日本は島国でいてはいけないなと、そう思っておりますので、是非今後とも先生方の御指導とお力をこの私どもにも授けていただきたいと思います。  次に、中川恵一先生に、がん対策のことでお伺いさせていただきます。  悪性新生物からアスベストの中皮腫に至るまで、非常におっしゃるように、今日は大変意義深い御講話を賜りましたけれども、スローガンだけでは全然先へ行かないだろうと。やはり小泉総理が総理でいらっしゃるならば、一番の先頭に立ってそういうふうな国家的な一つの対策が必要だろうと思います。  私は、このがん治療の二極化ということを地域間格差と所得間格差で感じています。大変に地域間で、まずそういうがんの例えば県立の専門病院を建てるといっても、設備その他、とてもとても静岡県のがんセンターのようにはまいりません。まして、緩和ケアなどの専門家もいませんし。ですから、そういう意味での格差。それから、所得の高い人はすぐこちらの中央に出掛けてきてある一定期間治療を受けて帰ると、所得のない人はどうしようもないという、本当に人道的でない今状況が出てきています。  ですから、お尋ねを申し上げたいんですが、今民主党ではこういうがん予防の根拠法がないということで、ひとつ法案を作ろうじゃないかということで具体的に動いておりますけれども、検診、予防検診の徹底とかそういうものを図るということもあるんですが、何としてもこの緩和ケアを、例えば有明病院のような、癌研のようなオンコロジーができるような、そういう専門家をどういうふうにしたらこれから育てていけるのか。もうこれは医学部のカリキュラム全部変えないとなかなか容易じゃないという意見もあるし、様々でありますけれども、そういうことと。  それから、私の日ごろ思っておりますのは、こういう臨床工学士、先ほどの先生の資料にもございました、それから麻酔医、放射線技師等々、非常にバランスの悪い養成があるわけでして、しかもこれを地方のそれぞれの大学と医学部とか、あるいは県立の保健大学とか、そういうところでやりたい、やろうと思っても人的な要素が整わない、財政難であるなどなど、一体このがん対策をどうしたらいいのか、その地域間格差、所得間格差をどういうふうにして整えていけばいいか。これは先生にお尋ねするのは逆なのかもしれませんが、ひとつそういう意味から、まず養成という意味からでもよろしゅうございますので、御示唆いただければ大変有り難いと思います。
  177. 中川恵一

    公述人中川恵一君) 大変難しい問題ですが、本質的な問題ですね。  養成を含めて、やはり法律の整備は要るんだと思います。例えば、結核を登録してなぜがんを登録しないのか。そもそも、一体どういう、その病院あるいは地域でやっている医療がいいのか悪いのか分からないわけですね。まずそれを知る。そのことから次に均てん化というふうに向かうというわけですね。その法律の中で、やはり不足している職種はそれを養成するようなシステムを義務化するということは必要だと思います。  例えば、緩和ケアについては、先ほど私申し上げたように、緩和ケアに関するいわゆる医局なり講座などというのは存在しないんです。基本的に存在しない。そうすると、講義をすることができないんですね。医局講座制の問題点というのは多々あるのは認める上で、やはり今緩和ケアをやっている先生方、それは私も含めてほかの専門から移られる形なんですね。ただ、自分が移っても、実は後輩を育てるシステムがありません。ですから、ある意味一代限りです。これでは人の輪ができないんですね。ですから、やはりその緩和ケアの講座というか、そういう教室を法的な裏付けを持って進めるというようなこと。これは、その法の整備は緩和ケアだけではありません、例えば放射線治療の品質管理の専門家の問題もそうかもしれません。  一方、緩和ケアのことに少し戻りますと、先ほど先生が癌研有明病院のことをおっしゃいましたが、ただ私は、緩和ケアは、いわゆるそういう立派な施設を造るということ、言われていましたコンクリートですね、極端に言うと。そこから、実はその地域で診るようなイギリス型といいましょうか、要するに自宅で死ねる環境を整える。これは結果的に医療費抑制にもつながると思います。そういうコミュニティーをつくる。これは、緩和だけではなくて生活そのものにかかわってくる問題だと思うんですが、そういう方向性を持って、それこそその法律の中でそういう方向性を打ち出すということを含めて考えていく必要があるんだろうと思います。
  178. 鈴木厚

    公述人(鈴木厚君) 健康増進法、これで衆議院、参議院、反対者なしで全部通ったわけですけれども、大政翼賛会型の考え方かなというふうに思ったわけですけれども、ただ、先生、政治家ならば、たばこの税をちょっとだけ上げるなんて考えないで倍ぐらいにするとか五百円にするとか、千円だっていいんですよ。あるいは、もしやるんだったらば、たばこ禁止令にすればいいんですよ。多分、アル・カポネみたいなのが裏で大もうけするかもしれませんけれども、そこまでやっぱり先生、こまいことはいいから、大きいこと考えてください。
  179. 下田敦子

    ○下田敦子君 時間ありません、まとめさせていただきます。  申し上げますが、私のところでは喫煙者は採用いたしておりません。  以上申し上げて、先生方のまた厳しい御指導、何としても医師はもっともっと頑張ってお力と御意見を吐いていただきたいと思いますので。今日はありがとうございました。
  180. 加藤修一

    ○加藤修一君 公明党の加藤修一でございます。  今日は、お二人の公述人、大変ありがとうございます。  まず最初に、中川恵一公述人にお伺いいたしますけれども、先ほど話がございまして、がんは、私自身もそう思っておりますが国民病であると。大変苦労している患者さん方がたくさんいるわけでございますので、やはりそういった国民のニーズ、何とか最良の医療ということも含めて、十分これは国が対応していかなければいけないと。そういった思いから、公明党は、昨年の六月でありますけれども、がん対策プロジェクト、これを発足させております。十一月には九分野二十九項目から成りますいわゆるがん対策に関する提言を発表させていただきまして、小坂文部科学大臣それから川崎厚生労働大臣に提言を申し入れている最中でございます。  また、各種委員会におきましても、がん対策の強化あるいは緩和ケア等放射線治療の充実、及びそれを一つの柱にいたしまして日本版のがん対策法、そういう法律でありますけれども、何とかそういったものを作っていくことが極めて重要でないかなと、このように考えているわけでございます。  そういった意味で、非常に今日はお二人をお迎えすることはタイミングがいいというふうに考えてございまして、まずそこで中川先生にお尋ねでありますけれども、先ほどがん登録の話がありました。それにつきましてもう少しお聞きしたいわけでありますけれども、どのようなことをするのか、その仕組みとその意義についてもう少し御説明をいただきたいと思います。
  181. 中川恵一

    公述人中川恵一君) ともかく、現状で日本のデータというのは死亡診断書なんですね。もちろん、がんセンターや、例えば東大病院でもデータは取っております。ただ、それは一部でありまして、日本全体ではどういうがんがどういう治療を受けてどういうふうに治っているかということは、基本的には分かっていないわけです。本当に五里霧中というか手探りなわけですね。  アメリカではこれは基本的に、例えば肺がんといってもいろんなタイプのがんがあるんです。腺がんとか扁平上皮、いろんながんがあります。一口に肺がんの、肺の腺がんといっても進行度が一から四まであります。ですから、肺がんの治癒率なんという、そういうアバウトなことで比較することはできないんですね。  例えば、日本でがんセンターというのが一番権威がございます。そこでは治癒率がいいというふうに胸を張られるんですが、ところが、がんセンターに来られている方というのは、基本的には元気で早期で、更に言うとお金もある。高齢の方、それからなかなか地元から出てこれない方というのは地元の病院で治療するしかない。そもそも、そういうハンディがどれだけあるのか。ないのかもしれないけれども、多分ある。がんセンターは確かに成績がいいです。これをそのまま全国一律というわけにはいかないですね。  ですから、まず細かく、どういう病気の患者さんが存在するのか、そしていろんな治療法があります。例えば、肺がんに対して手術をする場合、あるいは放射線をする場合、放射線にもいろんなやり方があります。それを細かく登録して、まず登録して、当然そこでは個人情報の問題が問題になりますが、暗号化という技術をアメリカでは用いていますね。それによって、このがんをこう治すとこれぐらい治ると、こういうデータを積み上げていく。そして、ですから当然、診断の情報それから治療の情報、そして我々追跡と言っていますけれども、要するに治ったか治らないか、いつ再発するのか、そういうことまですべて登録するということになります。で、がん登録士という専門のそういう職種まであるということですね。それは基本的には連邦法でそれを義務化しているというのが現状であります。それ、日本ではなくて、是非そのがん対策法の中に柱として取り入れていただきたいなというふうに思います。
  182. 鈴木厚

    公述人(鈴木厚君) そういったいろんな調査に対して予算がないんですよ。だから、先生方徹夜して調べているわけ、自分で金出して。ですから、そういうことをやりたいと思うんだったら予算を付けなきゃ駄目です。アメリカでは予算を付けてきちんと調べているわけ。日本は医者が夜中、もう徹夜して、それで調べてやっているわけです。  そして、がんセンターのデータがいいというのはですね、一度新聞に出たんですよ。そして一番いいのががんセンターで、一番悪かったのが鹿児島大学だったんですね。それで、よくデータを見ましたら、がんセンターは軽い胃がんばっかり手術しているわけ。それで、最悪だった鹿児島大学は重いがんばっかりをやっていたわけですよ。ですから、データを見る上ではそこまできちんと見ないと評価できないんですね。ですから、非常に難しいことです、これは。
  183. 加藤修一

    ○加藤修一君 今、中川公述人の話の中に放射線の治療専門医の話、あるいはその関係の管理をする方々の話、先ほどの公述の中にもございました。その専門医の関係では五百名程度にすぎないと。しかし、今後欧米化していくがんの中で、やはり放射線についても国民の四人に一人はそういう状況になってくると、極めて激増するという話であったわけでありますけれども、もちろんこれも予算にかかわる話でありますけれども、こういう関係のマンパワーをどういうふうにしていくかということについてお考えがあれば、解決方法の関係でございますけれども、是非よろしくお願いいたします。
  184. 中川恵一

    公述人中川恵一君) これは大変難しい問題で、一朝一夕にはできないと思いますが、ただ、問題点という点からしますと、私も申し上げましたが、日本では、私は放射線科というところに所属しています。まあ、そもそも耳慣れない科なんですね、内科、外科と比べると。そこでは大きく分けて二つの仕事があります。そこではというのは、日本の放射線科ではです。それは、一つは病気の診断をする。つまり、CTやMRIなどを見て、これはがんなのかがんじゃないのかなどなどですね、診断をするのが一つ。これは画像診断、放射線診断と申します。もう一つ、私のようながんを治す。で、先ほど申し上げましたように、がんの治療法というのは三つしかないんですね。手術と放射線と抗がん剤。その中で、手術と放射線というのは局所療法といいます。つまり、切り取るところだけ、あるいは放射線を掛けるところだけ。お腹に掛けたら毛が抜けるんじゃないかと言う方がいますが、そんなことはございませんで、放射線も手術と同じように掛けたところにしか作用しない、局所療法ですね。つまり、この二つの治療はライバルなんであります。ですから、どちらかというと放射線治療というのは外科に近いですね。  ところが、それが日本では、明治以来、放射線診断という、この病気を診断する分野と同居しております。で、やはりその診断の需要というのはやはり大きいものでして、画像診断というのは今のがんを含む臨床医学の基盤の一つですから、そこにはたくさんの医者がいます。おおよそ四千五百名ぐらい放射線診断の先生方がおられる。私ども五百名ぐらい。  ですから、結局、例えば放射線科というのが一つあると、そこにいわゆる教授なりというそういう頭があるとすると、ほとんどが診断になっているんですね。海外はどうかというと、それは全くやることが違うんだから分けましょうよと。ですから、若い先生方が放射線科に入ってきたときに、放射線治療をやりたくてもボスがいないんですね。これは政治家の皆さんもやはりボスがいないとやりにくいですよね。それと同じことが、やっぱりボス不在なんですよ、ボス不在。そういう問題があります。ですから、これやっぱり分けるべきかなというふうに思います。  それから、先ほど鈴木先生もおっしゃいましたが、我々はもうサービス残業が、サービス残業という考えすらないですね。まあ週に二日ぐらいは病院に泊まるという、そんな。それに対して全く、まあ報酬ないわけです。それはそれでまあ私はしようがないと。私は鈴木先生ほどラジカルではないので、まあせいぜい頑張ろうと思っているわけですが。  ただ、若い先生にとっては、やはりそういうきつい、しかも命にかかわりますね、しかもそれ指数的に増えていくと。そういうのが、何というか、やっぱり嫌なんですね。ですから東大でも、ちょっと正確なデータ持ってませんが、一番人気なのは眼科や皮膚科なんです。それはやはり、まあきれいですしね。  ですから、やはりシステムの問題で、頑張っている人に対して報いるようなことをしていくということが必要かもしれませんし、場合によったら、医者がどういう道を選ぶかというのは皆さん御存じないかもしれませんが、全く自由意思なんですね。つまり、この辺が少ないからあんたこっちやりなさいなんという、そういうバイアスは全く掛からないんです。ですから、確かに資本主義原理なのかもしれませんけれども、少しそこに報酬面等を含めたそういう道筋を付けるというようなことが政治的な判断としてあってもいいような気はしております。
  185. 加藤修一

    ○加藤修一君 中川先生は緩和ケアですね、なさっているわけでありますけれども、患者さんのがんの治療をどの段階で、ちょっとこれ表現が非常に難しいんですけれども、どの段階で停止するかと、その見極めは極めて難しいんじゃないかなと思うんですね。必要な治療を止められては困るわけですし、逆にそれこそ、まあ表現が極めて難しいんですけれども、無意味な延命策という表現でいいかどうかは分かりませんが、そういうことに対してはどういうふうにとらえたらいいのかということと、その緩和ケアということについて、これもまた非常に立ち後れているというふうに言われておりますけれども、それをどういうふうに解決していくかということについてもどのような御見解をお持ちでしょうか。
  186. 中川恵一

    公述人中川恵一君) がんの治療の見極めというんですか、そのギアチェンジというか、それは非常に難しい問題ですが、私の最初の話で申し上げたように、がんというのは非常に冷徹なところがありまして、例えば転移したがんというのは基本的には治らない。これは鳥に例えると、部屋の中に鳥かごがあって、そこに鳥がいると。ここでその鳥を捕まえるのは簡単。それがリンパ節、リンパ腺まで広がったような場合、これは部屋の中に鳥がこう放たれた。で、窓からその鳥が出てしまいますともう捕まえられないですね。がんの転移というのはそんなもんでございます。そうすると、そのがんで亡くなるということは運命付けられている。例えば、肺がんの手術なり放射線やりまして、で、会社に通っていて、それでたまたま肝臓に転移が出てくる、それは基本的にはどんなに元気な方でも治らないですね。そういう事実、非常に厳しい事実であります。  ただ、そういう事実を踏まえて、じゃどうするのか。いろんな考え方があるんですね。例えば二年、時間、二年しかない。これは間違っても二十年には基本的にはならないものであります。そのときにどうするのか。これは一分一秒でも長く生きるという考えも当然あります。それは私もよく分かります。ですが、そうしないという選択もあるわけですね。ですので、つまり、まずはその御当人である患者さんあるいは御家族、患者さん自身が望ましいと思うんですが、まず事実を、厳しいかもしれませんが知っていただいて、その中にはがん教育というものもあるのかもしれません。つまり、がんの基本的な病気のありよう、つまり抗がん剤で延命といいますが、それは場合によったら数日、まあ数年という場合もあるんですが、そういうレベルであります。で、そういうことを聞かされて選択をしろというのは大変厳しいことなんですけれども、やはり今後そういうふうに、厳しいが事実を知った上で御自身が選択していくというような方向になるのが正しいんだろうなと、厳しいことなんですけれども、そんなふうに思っています。  その中でやはり大事なのは、ケアとキュアのバランスです。医療というのは元々いやしというものから始まったんですが、それがサイエンスの発展とともに治癒という、治療というふうになって、それが今、特に日本では、日本のがん治療では、そもそも医師も患者も死なないという前提で、死ぬのはおかしい、極端に言うと、死ぬのは厚生省が悪いんだというふうな考えがありますので、そうすると、どうしてもそのバランスが常にキュア側に偏る。先ほどのあのパネルですね、亡くなる前の日まで抗がん剤をやってきて、そしてもう駄目と言われる。最初からこのバランスが少しずつ変わっていく、常にこうケアとキュアを両立すると、こういう形でわずかずつ変わってくるというので患者さんは心の傷がいえるんだろうというふうに思いますね。  その緩和ケアは、結局、死ぬことが運命付けられている我々すべての生き物に基本的に必要な考え方です。これ、がんであろうとなかろうと。そもそもそれをがんとエイズに限定しているということはちょっと私、疑問だと思っているんですが、御指摘のように日本では非常に立ち後れています。  繰り返しになりますが、医学部の中に、医学部の教育の中に緩和ケアを取り入れていくシステムをつくるということ、その中にやはりその緩和ケアの講座をつくるということを含めて、それもがん対策の中で御議論いただきたいなというふうに思っております。
  187. 加藤修一

    ○加藤修一君 どうも大変ありがとうございます。
  188. 大門実紀史

    大門実紀史君 大門でございます。  もう既にいろいろ御質問ありましたし、予定の時間が大分オーバーしておりますので、早めに終わってもよろしいですか。  じゃ、鈴木先生に一つだけずばりお聞きして、中川先生、大変興味深く話聞きましたけれども、御本をじっくり読ましていただきますので、鈴木先生にだけもうずばり一つお伺いいたします。  今医療の、医療制度の構造改革という、そういう流れが言われております。私は、これ一体何なのかということで自分なりにいろいろ調べてみましたけれども、もう結論から言いますと、背景に財界の皆さん、そして、まあ強いて言うなら財務省、そしてアメリカ、この三つの非常に強い要求が背景にあって、強いインパクトになって、もちろんそれにもろもろ絡みますけれども、進んできているんではないかと。例えば、政府経済財政諮問会議の議事録、規制改革会議の議事録とかやってきたこと、それをずっと見ますと、今言った三つのこと、三者が非常に顔を出します。  この医療の構造改革というのはそもそも何なのかと、一体何なのかと。簡単に私なりに言いますと、公的医療を縮小することによる、まあ今言った三つの人たちにとっては一石二鳥論と。公的医療を縮小するというのは、例えば財界の皆さんは公的医療伸びますと保険料に跳ね上がると、事業主負担があると、保険料抑えてほしいと。ですから、公的医療を縮小してほしいし、財務省はもちろん縮小してほしいと。で、公的医療を縮小しますと、当然保険証一枚で掛かれる医療が狭くなります。民間の保険会社に入っとかないと心配だと。  あるいは自由診療の部分で、保険外診療でそういういわゆるマーケットが増えるわけですね、もうけの場といいますか。もうけの場が増えるということと負担を減らすというこの一石二鳥論が、何のことはない、今回の出ている医療構造改革の本質、ねらいではないかと、それで困るのは国民医療現場ではないかというふうに全体像を見ているわけでございますけれども、鈴木先生は全体像をどのようにとらえておられるか、お願いいたします。
  189. 鈴木厚

    公述人(鈴木厚君) その前に、消費税が導入されたときに政府は何と言ったか。福祉に使うことをうたい文句として導入したわけです。ですけど、実際にはどうだったか。そうじゃなかったですよね。ですから、言葉というのは非常に本音ときれいな言葉というのは分けて考えなければいけないということが一つあります。  それで、じゃ今回の医療改革が、どういうふうに見るのかといいますと、先生のお考えが非常に正しいと思います。というのは、これはうがった見方かもしれません。ですけれども、日本医療は非常に破綻に近い状態になってきていると、そういうふうな考え方を持っている人がいる。  それと、もう一つは、これをビジネスチャンスにとらえようと思っている人たちがいる。それで、やり方は、アメリカの保険業界がブッシュに言って、ブッシュが小泉さんに言って、小泉さんがオリックスを中心とした諮問会議に言って、それでいわゆる保険を二つに分けちゃおうと。そうすれば、国ももうかる、まあ損しない、そして保険会社がもうかる、そしてアメリカの保険会社の食い物になる。  それで、一昨年、日本人が入った保険会社で一番新規に入った会社はアフラックですよね。アフラックの前の名前何だか覚えていますか。アメリカンファミリーですよね。だけど、私たちジャパニーズファミリーですよね。ですから、そこのところをきちんと考えて、きちんと医療の方をまともに持っていってほしいと、そういうふうに思います。  あと、最後に私から一つだけよろしいでしょうか。  非常に重要なことなんですけれども、今IT化ってありますね。電子カルテ化ってありますね。例えば、五百床ぐらいの病院で電子カルテを入れるとしたら数億掛かります。どこからも金は出ません。ですけれども、これが時流です。厚労省も医師会も、どこもそれをやろうとしています。ですけれども、その電子カルテは全国で共通性はありません。北海道で使っているやつは東京で使えません。みんな会社がばらばらです。こんなばかな話あると思います。保険証をこんなカードにして全国で使えるようにすればこれは一番幸せです、国民にとってみれば。ですけれども、実際は全然使えませんからね。こんなばかな政策だれが発案したのか分かりませんけれども、これは絶対に注意して、しかも国民のために全くなりませんから。先生、よろしくお願いします。
  190. 大門実紀史

    大門実紀史君 全く意気投合いたしました。ありがとうございました。
  191. 小野清子

    委員長小野清子君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人方々に一言御礼を申し上げます。  本日は、有益な御意見をお述べをいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。(拍手)  明日は午後一時から委員会を開会することとし、これをもって公聴会を散会いたします。    午後五時十八分散会