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2006-04-13 第164回国会 参議院 経済産業委員会 第9号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十八年四月十三日(木曜日)    午前十時開会     ─────────────    委員の異動  四月十一日     辞任         補欠選任         藤末 健三君     松井 孝治君  四月十二日     辞任         補欠選任         松井 孝治君     藤末 健三君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         加納 時男君     理 事                北川イッセイ君                 佐藤 昭郎君                 松山 政司君                 若林 秀樹君                 渡辺 秀央君     委 員                 小林  温君                 林  芳正君                 保坂 三蔵君                 松村 祥史君                 岩本  司君                 小林 正夫君                 直嶋 正行君                 藤末 健三君                 山根 隆治君                 浜田 昌良君                 田  英夫君                 鈴木 陽悦君    事務局側        常任委員会専門        員        世木 義之君    参考人        株式会社伊藤製        作所代表取締役        社長        社団法人日本金        型工業会理事   伊藤 澄夫君        株式会社キャス        ト代表取締役社        長        社団法人日本鋳        造協会会長   酒井 英行君        長岡工業高等専        門学校長     高田 孝次君        東北大学大学院        工学研究科教授  堀切一男君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○中小企業ものづくり基盤技術高度化に関す  る法律案内閣提出衆議院送付)     ─────────────
  2. 加納時男

    委員長加納時男君) ただいまから経済産業委員会を開会いたします。  中小企業ものづくり基盤技術高度化に関する法律案を議題といたします。  本日は、本案審査のため、参考人として株式会社伊藤製作所代表取締役社長社団法人日本金型工業会理事伊藤澄夫君、株式会社キャスト代表取締役社長社団法人日本鋳造協会会長酒井英行君、長岡工業高等専門学校長高田孝次君及び東北大学大学院工学研究科教授堀切一男君の御出席をいただいております。  この際、参考人の方々に委員会を代表して一言ごあいさつ申し上げます。  皆様には、大変御多忙のところ本委員会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございました。本日は、皆様から忌憚のない御意見をお伺いし、今後の本案審査参考にいたしたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、参考人の方にはお一人十五分程度で順次御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。  なお、御発言は着席したままで結構でございます。  それでは、参考人皆様から御意見をいただきたいと存じます。  まず、伊藤参考人にお願いいたします。伊藤参考人
  3. 伊藤澄夫

    参考人伊藤澄夫君) 三重四日市市から参りました株式会社伊藤製作所伊藤でございます。  このたび基盤技術高度化事業政府の方で進めていただいていること聞きまして、大変中小企業の者としまして心強く思っております。といいますのは、従来まで、私の感覚だけかも分かりませんが、政府の方とか国から日の当たらない事業をやっているような雰囲気だったということでございます。  時間が短い関係で、当社の簡単な御紹介ものづくりにつきまして少し述べたいと思います。  実は、私の親ですが、先代伊藤正一が戦後間もなく、一九四五年に漁網機、網を織る機械復興事業でスタートしました。そのころに実は、金型を何とか作りたいという話がありました。そのきっかけは、実は終戦の一年近く前に名古屋にB29、空の要塞、爆撃機が一機墜落しまして、その残骸を自転車に乗って父が見に行ったところが、実は計器とか機体とか翼とかすべてのものが金型でできておった。彼は結構技術がありまして、当時、三菱重工業のゼロ式艦上戦闘機の尾翼を木ハンマーでたたいたりやすりで擦ったり、結構時間を掛けてやっていた。その機体を見たときにびっくりして、ゼロ戦を一機造るのにこれなら十機ぐらいできるな、これからは金型の時代だなということを思いまして、で、戦後スタートしまして、漁網機の方も東南アジア中国の方で結構、今で言う、何ですか、技術流出で各国で我々の技術を完全に盗まれまして、実は四日市地場産業は網と鋳物万古焼なんですが、万古焼ですと、今中国の方から買って販売だけしておると。もうものづくり大国としては非常に寂しい形ですね。網につきましてはもうほとんど全滅でございます。鋳物につきましては、精度の面とかですね、あるいは中国が今忙しいからなかなか入荷しないということで、最近三重県も鋳物の方は元気になってきたようでございます。  次に、ものづくりにつきまして皆さん方に簡単に申し上げたいんですが、実はマニラ大学の工学部出た私の中国人の友達が、伊藤さん、新幹線できたのはオリンピックのときでしょう、一九六四年ということは、戦後十九年目に、軍事工場から日本じゅう工場が爆撃受けて廃墟となった中からどうして十九年の間に日本は世界一の高速列車、しかもコンピューターで運行されて、いまだに死亡事故がない、とにかくものづくりについては、我々、理由が付かない、どうしてそんなことができるんだという話がございました。  一年ほど前に中国有人ロケットを飛ばしましたが、多分ロシアの方から安く買ってきた技術だと僕は思っておりますが、あの中国は、日本では工業国で我々恐れをなしていると言いますが、いまだに海外技術なくして中国国内で新幹線ができる状況ではないということになりますと、やはり日本ものづくりにつきまして、DNAというような言い方しておりますが、非常にすばらしい。その割には、日本のいろんな業種の中で、ものづくり企業がやや、マスコミさん辺りからも三Kとかという扱いを受けたり、政府関係者皆様からもそんなに高い評価をいただいていないんですが。  ここで、もう一つ更に言いたいことは、一九七〇年辺りから洪水のように海外日本の優れた工業製品、世界のユーザーにすばらしい工業製品をどんどんどんどん輸出しまして、当時、スーパー三〇一条を適用して日本に対して非常に圧力を掛かったことを覚えておりますが、その七〇年代といいましても、戦後二十五年ですね、そのたった四分の一世紀の間に立ち直って、それでどんどんどんどん外貨を稼ぎました。外貨を稼いだ結果、銀行とか国に余分な巨額の金がたまったことによって、そこで、まじめな製造業よりも金融とか建設関係の方が無理な投資をしまして、それがいまだに負の遺産として残って、不良債権という形で、やっと最近解決されそうなんですが、その時期から製造業が非常に頑張っておったということを政府皆様にも議員の皆様にも御理解いただきたいなと。  そういうふうな形で、今回のこの法案立ち上げにつきまして、僕自身は非常に心強くしております。といいますのは、年に十回ほど海外に行きますが、非常に海外に行くと愛国心が強くて、日本はどうも国と製造業と別でやっているような雰囲気に彼らが見ております。中国に行っても韓国に行っても、経済産業省のような部分の方と一緒になって営業とか技術開発とか、一つの例を取りますと、僕は教壇に立ちますが、ソウル産業大学、国立ですけど、この大学では二十年前から金型学科というのを設けまして、学生に設計をやらせる、自分加工をやらせる。実際、インジェクションとかプレス加工をやって卒業する。年間千五百人、ソウル全体で、韓国全体で高専も含めますと年間四千名の学生産業界、サムソンとか金星とか現代自動車に優秀な金型屋が入ってくる、そういった形を見ております。そこまでやらなくても、日本国民ものづくりの良さということで、決して韓国に金型が負けているという数字は出ていません。  しかし、私は、政府が国を挙げてこの製造業、資源のない韓国やら日本、台湾が付加価値を付けてものづくり重要性を認識していただくような動きを取っていただくことが今非常に有り難い。今回、この支援事業を今後運営していただくに当たりまして、各、すべての階層の会社とかすべての業種にうまくいくとは私は思いにくいんですね。全国で例えば十万社の中小企業製造業がすべて万々歳だということよりも、これから中小企業海外と競争するに当たりまして、国もバックに付いて、国も本気になってきたぞという形を海外に見せ付けていただくことが非常に大きいなと。そういった面で、僕は大変有り難く思っております。  それともう一つ、この場で申し上げたいことは、過去、僕は卒業してから四十年、会社でいろいろものづくりで苦労してきましたが、我々の企業と国の関係を見ますと、一口で言いますと、邪魔をされてきたかなという部分が多いんですね。だから、ある時期は、今回のこういった事業をお聞きして非常にハッピーに思っておりますけど、それまでは、国の方は我々にもう支援要らない、邪魔だけしないでくれと、もう何回も僕は心の中で思いました。  その一つを取りますと、消防法であり、建築法であり、そういったことで少し言いますと、例えば、千四百四十平米を超える工場につきましては、十トンの水槽を造って工場じゅうにパイプを流して大きいポンプを付けなさい。今の工場で、油と機械しかない工場の中で水を掛けてはもう大変なことになりますから、もう一千万も一千五百万も掛けたお金は一生使えない、使っては会社が大変なことになるということですから、ああいった木造の時代に決めた消防法が今も生きていると、この辺りは関係各省の方の僕は怠慢ではないかなと。  あるいは、最近の事例なんですけれどもスクラップは外に出ますから、スクラップに雨が当たると油が流れます。それでテントを付けました、工場から工場の間に。そこへ市の方からチェックに来たところ、テント工場にくっ付いているから、これは消防法に違反しますから十センチすき間を空けてください、建ぺい率の問題がありますと。すき間を空けたところが、大雨が降ったときに、台車で運ぶときに高性能の部品に雨が当たって、そこでさびの不良が出ると。我々、トヨタ関連仕事をしておりますが、百万個に二十個ぐらい以内の不良率でやらないけない。本当に真剣にやっている中で、どういう根拠でそういった意地悪というか、決めに従わないけないのは我々国民とは思いますが、余りにも理にかなっていないことが多いなと。  今回の法案とかこういった支援事業と含めて、中小企業を邪魔しないような形ですね、そういうことを取っていただく方が、むしろ十万社の製造業につきましては有り難いんではないかなというふうに思っております。かなりきつい話になりましたが。  それともう一つ最後に、一分ほど時間がありますので申し上げますと、このコピーさせていただきました原稿の中にこういった部品がありますが、これは冷間鍛造順送りプレスといいまして、非常に新しい技術です。これ、一分間に六十五個ころころ落ちてきます、無人でですね。この技術東南アジアにも中国にも絶対ない技術なんですね。だから、こういった技術海外には出さずに日本でやれば、例えばこの部品を、こちらにありますから、興味のある先生、また見ていただきたいんですが、十円いただきますと、八時間の加工時間で八〇%の稼働で計算しますと、無人機械が一日二十二万円稼ぐという非常にもうけ頭ですが、じゃこれを東南アジアに持っていったら幾ら掛かりますかということになりますと、多分、一万円、二万円の労働者を使っても百円、二百円、しかもこれほどの精度は出ないと。  こういった技術を、当社だけに限らず、我々金型工場を見渡しても非常に皆、各社優れた特殊な技術を持っております。その辺の技術流出ということも、経済産業省中心に国の方で定めを決めてますます強い規制なり掛けていただきますと、国内で調達するにはコストが高いから海外へ進出するという大企業も、いやいや日本の方が品質コストも安いんだ、じゃ、どうしても国策として現地で作らないことには車が買っていただけない国には進出するが、ただ、いい物を安く作るということであれば日本国内でいいじゃないかというふうなことで、我々小さな中小業各社一つずつ、二つ三つ技術を持って、それに対して日本の大手が利益を出して、結果的には税収がたくさん入ってくるというふうな支えが中小企業技術であるということを各先生方に御認識いただきますと、大変うれしく思います。  以上で、時間少し短くなりましたけど、終わります。
  4. 加納時男

    委員長加納時男君) どうも、伊藤参考人、ありがとうございました。  続きまして、酒井参考人にお願いいたします。酒井英行参考人、どうぞ。
  5. 酒井英行

    参考人酒井英行君) どうも皆さん、こんにちは。私、株式会社キャスト社長酒井英行と申します。  私が所属しております協会は、昨年の七月に三団体が統合いたしまして、日本鋳造協会というのができまして、そこの副会長をさせていただいております。日本鋳造協会は千人弱の会員を擁しております。また、地元では東京鋳物工業協同組合理事長をさせていただいておりまして、東京鋳物組合は、非常に寂しい話なんですけれども組合員数が八名ということで現在やらせていただいております。  本日は本当にお招きいただいて誠にありがとうございますという気持ちと、また何か私のお話を聞いていただいて大変申し訳ないなという気持ちであります。先日、今日の御報告内容のレジュメをいただきましたので、順次それに沿って御報告させていただきたいと思います。  私どもの、まず、会社の概要を簡単に紹介せよということですので、簡単に御紹介させていただきます。  これ、済みません、ちょっと資料が、余り簡単な資料で、今お話ししているのは入っていませんで、申し訳ありません。  まず、明治二十二年、一八八九年に東京の深川で創業いたしました。百十七年たっておりまして、私で三代目、一貫して鋳造の専業をやっております。  平成六年に東京工場を福島の白河に移しまして、現在は白河でほぼ十二年ぐらいやっております。東京でやっておりましたときは、何しろ日本橋に一番近い鋳物工場だったものですから、公害の問題だとか環境衛生の問題だとか、もちろん鋳物工場に若い人が入るわけではありませんので、高齢化の問題だとか、鋳物工場が抱えるすべての問題を持った鋳物工場だったと思います。それを何とか、白河工場に行ったら作業環境を整えて、若い人、女性ができるような工場にしたいなということで力を注いで白河工場は造りました。そのときに出た資金は、国の高度化資金を使わせていただいて出ました。  当社製品紹介ですが、当社は、半導体実装機、基板に半導体を埋め込む機械、それからプラスチック部品を作るプラスチック射出成形機、それから自動車スポット溶接や何かに使いますロボットのフレーム、ベース部分等産業機械部品を、鋳造品を製作しております。鋳物は、自動車鋳物で量産型の鋳物と、私ども鋳物産業機械のやや大きなもので数が少ない鋳物と分かれておるんですが、私ども手込めの数の少ない鋳物を作っております。  当社の特色としましては、半導体とかロボット鋳造品といいますのは非常に肉が薄くて複雑なものが多いんです。それを数ができる工場、月に百個とか二百個できる工場ということです。逆に、そういう鋳物大変難易度が高く、一般的には職人芸だろうと、職人さんがそういうものはやるんでしょうというような感じ鋳物なんですけれども当社においては若い社員だとか女性だとか派遣社員がそういう難易度の高いものをこなしております。  また、半導体関係仕事注文数が非常に変動しますので、増えたときには派遣社員を増やして二交代、三交代にしていき、その逆もまたやるということで、おかげさまで、時間を減らしたり派遣社員を少なくしたりということは現在のところなく、増やせ増やせというか、行け行けどんどんという形でやらせていただいていると。  こういうお話をしますと非常に簡単に聞こえるかもしれませんけれども鋳物工場で人を増やすということが非常にまず難しいことです。仕事があっても人は簡単に増えない。それから、私たちのやっている仕事は、一トンとか二トンとかという溶湯、鉄を溶かしたやつを運ぶような部分もありますので、なかなか二交代、三交代でやるというのが難しい。また逆に、人が入ったからといって簡単に職人芸鋳物ができないのが普通なんですけれども当社作業環境を整えて設備をし、システムをちょっといじりまして、素人でもできるような環境づくりが今できております。  二番目の御質問で、中小鋳物工場景況感についてという御質問ですが、これは袋の中の資料にあるんですけれども、この資料の三枚目に付いておりますが、現在、工作機だとか情報機器ですとか建築機械とか、非常に私ども手込め鋳物繁忙を来しております。朝から晩までやって、土曜日もほとんど休みなくやっているような状況ではないかと思います。でも中身を見てみますと、ここに「中小鋳物企業損益状況推移」というのがありますけれども、下の方が黒字企業のパーセントなんですけれども、だんだんと黒字企業が増えてきて、五〇%ぐらいは黒字企業になっておるんですが、あとはとんとんなり赤字ということで、これだけ朝から晩まで働いて、休みもなくやっていて利益が出ないというのは非常に大きな問題で、これは何とかやっぱり改善していくというか、直していかなきゃいけない問題だと思っております。  次に、三番目の技術力の強化を図るための課題ということで、これは技術開発方向性を見定めるための情報収集の困難さなんというのが挙げられておりますが、昔は、祖父、父、私と三代で御奉仕していますとかお仕えしていますとかといって親企業に仕えていたんですけれども、やっぱり不況が長引くことによりまして協力会や何かがなくなってまいりました。何となく、協力会というのはゴルフをやったり飲んだりというのが目立ちまして、もう新しい社長が見えますと、そういう無駄なものはやめてしまえということで、やめたのが何件かあります。  でも、実際にやめてみますと、決してそれはゴルフをやっていたわけではなくて、お客さんの要望する要求品質に対して綿々と部品を作っていたわけで、そういう部品があったがためにお客さんのレベルの高い機械ができていたということで、いざやめて、インターネットで安い部品があるだろうなんということで買われて大変苦労されている会社さんもあることを聞いております。  やっぱり品質というのはバランスが取れることが非常に重要で、一個だけ安いからと品質の悪いものがそこに入りますと全体的なバランスが崩れるということで、日本の国の中小企業が作っている良質な部品が組み合わされて良質な機械ができているということは、もうこういう事実を見ても明らかだろうと思います。  あと人材問題、二〇〇七年問題も挙げられておりますが、私どもは、十年前に人材問題というか、東京人材に関する問題も非常に苦労しましたし、職人は当然これからいなくなるだろうということで白河工場を造りまして、現在若い人が大変頑張ってやっております。平均年齢も三十八歳ぐらいでやっております。ですから、当社としてはそんなに心配はしていませんが、一般的に鋳造業というのは、この人材、二〇〇七年問題というのは非常に大きな問題として抱えていると思います。  私どもが若いころは早稲田大学鋳物研究所なんというのがありまして、鋳物をやっている息子はその研究所に入れてもらいまして、二年間そこで勉強しますとそれなりにいっぱしになって工場に入ってこれるんですが、そういうところがすべてなくなっちゃいまして、鋳物を勉強する機関がなくなりました。現在、中核人材育成ということで、昨年から、そういう鋳造エリートをつくろうということでカリキュラムづくりが始まっておりまして、ここに関しましても大きな期待を寄せています。  四番目の政策への期待です。  ちょっとこれは少し話がくどくなるかも分かりませんけれども、一九九〇年代というのは失われた十年、中小鋳物工場にとって本当に大変な十年でした。現在仕事が忙しいので、のど元過ぎればというような感じもあるんですけれども、ちょっと昔起こったこと、前十年を見てみますと、本当に当時のきつさがよみがえってまいります。まず、まず仕事がないわけです。仕事がありましても、中国や何かの価格だけ、品質はともかく価格だけ合わされて、二割、三割ダウンが当たり前のような状況です。ですから、仲間はどんどん廃業をしていったわけです。この資料の一ページ目に付いておりますが、一九九〇年から二〇〇三年までマイナス四七%、千九百九十四事業所が千五十四事業所になっております。ですから、東京鋳物組合も二十社ぐらいあったんですけれども、次から次に減って現在八社ということです。  それで、私よりも鋳物が好きな経営者皆さんが本当に無念な思いでやめていかれました。私は白河工場を造りましたので、酒井さん、おれの夢かなえてねとかと言われたこともあるぐらいです。本当に、やめた工場を見ますと、溶解炉があって、いろんな設備がありまして、当然汗のにおいもする工場で、こういう工場が次から次につぶれて本当に禍根が残らないのかなということをつくづく当時考えました。  現在は、工作機は非常に繁忙を来して鋳物が間に合わない状況なんですけれども平成十三年、十四年には、それこそ名門、しにせと言われる工作機メーカーが相次いで破綻していったわけです。本当に、この工作機というのは鋳物の固まりですから、それによって本当に多くの鋳物工場が傷付きました。私どものメーンの会社も破綻しまして、私どもも大きなやっぱり金額が発生しまして、一時はもうこのままいくとちょっと厳しいんじゃないかなというようなことも考えたことがありました。  これは非常にあれなんですけれども、ある雑誌を見ましたら、企業が倒産するのは金が切れたときではない、社長がもう限界だと経営を投げたときにすべてが終わる、自分のしていることが正しいという信念があれば、今は苦しくとも日の当たる日が来る、長いトンネルもあきらめずに走り続ければ必ず抜け出せる、そう信ずることであるという、これを部屋に張りまして、迷ったときにはこれを読みながら頑張りました。  これで、ここで言う自分のしていることが正しいという信念というのは、私は、やっぱり日本にとって鋳造業は確実に必要だと、今は厳しくても必ず、振り子海外にこう行ったわけですけれども、その振り子はいつか戻ってくる、そのときまで何としても頑張ってやらなきゃいけないという信念と。日本鋳造業をやるには、どんなに苦しくてもやっぱりクリーン化していかなきゃならないと。きれいな工場造り鋳物だから汚れるんじゃない、きれいな工場を造ってやっぱり若い人を入れていかなきゃいけないということで頑張った次第であります。  それが、二〇〇四年ぐらいには確実に我々の鉄鋳物トンネルを抜けたと思います。やっとそこで花開きというか、今までやった苦労が花開き、非常に現在多忙な日々を過ごしているわけです。また、一生懸命クリーン化した成果で若い人も次から次に入っていることで、本当にあきらめない、あきらめないでやるということが大事だなということを分かった次第です。  ここで国が大きな光を当ててくれたわけです。まあ、トンネルを出て光が当たったのも増して、もっともっと大きな光が当てられたわけです。本来、ITだとか先端技術に光を当てられれば格好良さもあるんでしょうけれども、やっぱり縁の下で目立たない素形材産業に、サポートインダストリーにこれだけ光を当てていただくということで、本当に今うれしく感じる次第です。これは、働いている社員にも、あなたたちの仕事に対して国がこれだけの手を差し伸べてくれるよとか、見てごらん、毎日、新聞にものづくりの記事がこんなに出ているじゃないかと言うだけでも、みんな元気出してやれるような状況になってまいりました。  シナリオはかなりできつつあるわけですから、それを動かすのも生かすのも、私たちやっぱり鋳造業というか、中小鋳造業がこれからは主役で頑張っていかなきゃいけないわけで、それも短期間でなく、長期にわたり綿々とやっぱりこういう施策に基づき行動していかなきゃいけないなということを考えております。  ちょっと細かいことになりますけれども、今度の研究開発支援というのはナンバーツー、ナンバースリーをナンバーワンに持ち上げて、ナンバーワンの層を厚くして、世界に冠たる鋳造業というか日本技術を上げようというのが支援の対象ですけれども鋳物というのは、例えば工作機やなんか見ても、ベッドは、二トン、三トン作るベッドは大企業が作って、その上のコラムは中小企業が作って、またこっちの部品は小企業が作って、全部合体して工作機ができるんです。ですから、下のベッドだけが大企業が作ったのが品質が良くて、上の小企業が作ったのが悪いというわけにはいかないわけです。ですから、政策としては、まあすべて良くするということはもちろんできないわけですから、ナンバーワンの層を厚くするのは大変いいことだと思いますけれども、私たちは、やっぱりすそ野がそれにくっ付いて、二極化しないでくっ付いていくということを私たちの協会なんかでも力を入れてやっていかなきゃいけないんではないかなと思っております。  それから、ちょっと時間もなくなってまいりましたが、取引慣行につきましても、キロ売りが良くないというような話も出ております。一生懸命軽量化して、軽量化するということは技術的には難しくなるわけです。薄肉になったり駄肉のところに砂の塊、中子というのを入れたりして、技術的には難しくなるにもかかわらず、重量がキロ幾らで売りますと売値が下がってしまうわけです。やっぱりこういう取引はおかしい、改善しなきゃいけないと思います。  それから、木型保管に関しましても、御注文いただきますと木型という型が必要なんですけれども、新しい仕事が入るたびに型が入ってくる。鋳物業は倉庫業ではないんですけれども、その型は鋳造業が預かるというのが何となく昔からの慣習なんですけれども、それをやっていますとだんだんだんだん作業場がなくなってきて、生産性が落ちます。また、多くの型の、倉庫の中から型を探してくるという管理費も掛かってくるわけです。非常にそれは経営を圧迫してくる大きな要素となってきていますので、この木型という問題に対しても手を加えていかなきゃいけないなと思っております。  まあ時間もそろそろ迫ってまいりましたので、皆様のお手元の中にこのポスターを入れさせていただいております。これは、私ども協会が去年の七月にできましたので、周年行事をやろうということで、対象とするのはユーザーさんを御招待しようということです。これは初めての試みです。  内容といたしましては、このしおりの裏に付いておりますが、経済産業省の石毛局長さんに「素形材産業の進むべき方向」、私どもの加藤会長に「ベストパートナーを目指す鋳造業」、ドイツはある部分、私どもより進んでおりますんで、ドイツの会長さんに「グローバル市場におけるドイツ鋳造業の競争力」ということでお話しいただきます。それでパネルディスカッションを開きまして、早稲田の中江先生にコーディネーター、それで役所より素形材産業室の前田室長、ユーザーから日産の酒井執行役員、それから森精機の森社長鋳物の代表として、大手の代表としてコマツキャステックスの中谷社長、そして中小企業として私も出さしていただくことになっております。  まあ鋳物は初めてだと思いますし、初めての試みですので、是非これをまたどこかに張っていただいて、御協力していただきたいと思います。  ちょっと、時間が参りましたので、中途半端ですが、終わります。ありがとうございました。
  6. 加納時男

    委員長加納時男君) ありがとうございました。  次に、高田参考人にお願いいたします。高田孝次参考人さん。
  7. 高田孝次

    参考人高田孝次君) 長岡工業高等専門学校長高田でございます。  資料としてお手元に届いているかと思いますが、大変簡単でございますが、A4の一枚の今日お話ししたい内容を示しました目次的なもの、それから私どもの高専の学校要覧、この青い冊子でございます。それからもう一つ、独立行政法人国立高等専門学校機構概要というカキ色の表紙のもの、その三点があろうかと思います。今日お話しさせていただきますのは、このA4のレジュメに従いまして、逐次内容的なことは冊子を参照していただきながら御説明させていただきたいと思います。  まず、レジュメの表題としております実践的技術者の養成を担う高専と、以後、高専というのが世の中に通りが良い名前となっておりますので高専というふうに略称させていただきます。  先生方皆様も既に御存じのことと思いますが、高専は設立以来、非常に、地元に立脚した技術者教育というのを非常に大きな柱としておりまして、それなりに私ども努力してまいったわけでございます。このたびの中小企業ものづくり基盤技術高度化に関する法律案というのの御審議が進んでいるというふうなことをお聞きいたしまして、技術者教育の一端を担っております、現場で担っております者といたしましては、一面、我が意を得たりというようなところがございまして、大変私ども心強く感じた次第でございます。  そういうことでございまして、高専全体の概況もお話をさせていただきながら、長岡高専の状況といったものも付け加えさせていただきまして、技術者教育に当たる者としてひとつ御説明をさせていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。  まず高専の概要でございますが、御存じのとおり、昭和三十七年度、実践的な技術者を養成する高等教育機関としてこの制度が創設されました。当時は非常に高度成長ということで、大急ぎで高等技術者あるいは中堅技術者を、しかも実践的な知識、技術を備えた技術者をたくさん必要とするという状況でございまして、それに呼応する形でこの制度ができたわけでございます。ですので、ちょうど今年は第一期生が還暦を迎える年になっております。最近そういう話がOBの中からあちこち聞こえてまいりまして、私どもも、何か楽しい会合があるんではないかというふうに、またOBの意見もいろいろ聞く機会もあるのではないかというふうに楽しみにしております。  その後、つい、平成十六年四月一日に全国の国立高専が独立行政法人国立高等専門学校機構の下に統合されまして新たな出発をいたしました。この機構におきましてもやはり従来の実践的技術者の育成というのが大きな柱でございまして、当然それは中小企業、地元の産業に立脚した教育を行うということが基本になっております。  現在の規模でございますが、機構の下に統一、国立高専が今五十五校ございまして、これがすべて統合されまして、学生数が五万人を擁する規模になっております。これは、国立の高等技術教育機関といたしましては数としては最大規模ということでございます。こういう数字も見まして、改めまして私どもの使命の大きさというのを感じているというところでございます。  特徴でございますが、これは幾つかございますが、もう御案内のことと思いますが、例えばこちらのカキ色の冊子の方の四ページをちょっとごらんいただければ、高等専門学校の特色というのが幾つか挙げてございます。  一つは、何といいましても中学校卒業後の十五歳の年齢段階から五年間の一貫の技術教育を行うと、こういうところでございます。この年代が非常に、高校生の年代から技術教育の初歩から始めるということでございますが、非常に頭が柔軟な、しかも好奇心に富んだ時代でございます。この時代に本当に学生の好きな分野、ものを作る、いろいろ機械を作る、ロボットを作るとか、そういったところに勉強の中心を置けると、そういうところから始まりますのが非常に大きな高専の特徴でございまして、これが最終的に五年後に非常に実践的な技術を持った、知識を持った学生を送り出せるという基礎になっておるというふうに私ども思っております。  その特徴の二番目にございますが、理論的な基礎の上に立って実験、実習、実技を重視した教育を行っている、これも一つその大きな特徴でございます。  それから、少人数クラス編成によるきめ細かな教育指導、これも高専として非常に大きな伝統的に受け継いでいる教育体制でございまして、大きな特徴と申せるかと思います。  この中には、今申しましたように、十五歳年齢からの若い学生を教育しているということでございまして、必ずしも技術に偏重した教育ということを行っているわけではございませんで、先生学生とのかかわりというのは非常に親密なものがございまして、そういった中で人間性の教育といったものも心を砕いて力を入れてやっているというところが非常に大きい特徴であろうかというふうに思います。  それから、こちらのレジュメの方には書いてございませんが、パンフレットの方の特色の最後のところに、現在では卒業生の約四割が、高専、専攻科というのが今できておりますが、大学の三年、四年に相当する学年でございますが、そこへ、あるいは大学の三年次に編入すると、そういう状況になってきております。  これは、ちょっとこの後で申し述べます地域の声ということにも対応するかと思いますが、やはり技術の進歩はもう相当なものでございまして、技術者教育がでは五年で終わっていいかというと、必ずしもそうではない、もっと、具体的には開発力も少しは持った技術者を欲しいという声がございます。そういったことに対応する傾向としてこういうことが起こってきているということでございます。  以上が高専の概要でございます。  この御審議中の法案に関連する事項等考えまして、高専と地域企業との連携の状況について少しくお話しさせていただきたいと思います。  まず、人材の供給についてですが、四十四年の歴史の中で、高専は地域のものづくり企業に対する実践的技術者の供給においてはかなり高い評価をいただいているというふうに私ども思っております。特に初期の高専の卒業生というのは極めて優秀であったわけですね。これは事実でございまして、そういったことがございまして、高専の卒業生も大企業の方にみんな行ってしまうんではないかと、行っているんじゃないかというような印象を実は受けているんでございますけれども、実態はやはり地元の中小企業に採用していただいて、そこで活躍しているというOBが非常に数が多うございます。実態はそういうことになっております。  そのようなことも相まってということになろうかと思いますが、地域の産業界の方々、ものづくり企業の方々の声としては、大学に比べますと高専は気軽に相談に行けると、どんなことでも行って気軽に相談に行けると、そういうようなことを伺っております。我々も、御相談いただいたらすぐそれに対応する組織もつくっておりまして、高専で手に負えないような大きな問題、難しい問題になりますと、これはすぐに大学への御紹介をするとか、あるいはほかの研究機関への仲立ちをさせていただくと、そういったことでお役に立っているというふうに思っております。  それから、先ほどもちょっと申しましたけれども、ここのところ、もうちょっと前からですが、開発力のある技術者、実践的な技術者で、もちろんそういう知識を持った者で更に開発力があるという技術者を求めているんだと、そういう企業の方々の声が今だんだん強くなってきております。  これは、多分産業構造が少し変わってきていることの反映だろうと思いますが、例えば系列であったものが、それがメッシュ型と言っているんでしょうか、何か最近、系列ということではなくて、いろいろなつながりが大企業、中企業、小企業の間にできていると。そうなりますと、すべて大企業の方からやり方を教わったり、あるいは指示に従って中小企業の方が製造を行っていたというところが変わりまして、今のお二方の御説明にもありましたように、個々の企業中小であっても開発力を持たなければいけない、そういう時代に今なってきていると、そういうことが反映しているんではないかというふうに思いますが、こういう声を聞いております。  そういうことを受けまして、機構としましても、中期計画の中に地域社会との連携推進、共同研究の推進といったものを掲げてございます。  次に、三番目でございますが、地域連携のための体制がどうなっているかというのを私どもの高専の例をお話ししながらちょっと御説明させていただきたいと思います。  幾つかございまして、地域共同テクノセンター、これは名称が高専によって少しずつ違うんですが、私どものところではこういう名称を使っておりますが、高専側の組織として地元の企業の方々が御相談いただく、あるいはそういう御相談を受けた後で実験研究を行うといったためのセンターが設置されております。これは、私どもの長岡高専の場合は比較的新しくて、平成十四年に設置していただきました。これは、その前の流れがありまして、古くから技術相談室ということで対応しておりましたんですが、こういうふうなセンターという形で充実をさせていただいております。  それから、一方、地元の企業の側の組織として、技術振興会といったような名称が多いようでございますが、長岡高専の場合は技術協力会という形で、地元の企業の方々が長岡の場合は百社ほど参加していただいて高専との連携を強めるということに御協力をいただき、あるいは我々もそれに対して御協力させていただくという体制になっております。  それから、三番目で専攻科というのが、先ほどもちょっと出ましたが、できております。これは、五年間の教育の上に更に二年間の、大学の三年、四年あるいは内容的にはそれを少し上回る程度の技術者教育を実施するものでございます。これは、長岡の場合には平成十二年に、高専としては平成十三年にできておりますが、長岡は平成十二年に設置していただいておりまして、特に地域のニーズをくみ上げたテーマによる実践的な研究、そういったものに重点を置いております。  それから、これは最後になりますが、高専機構法第十二条というのがありまして、ここで、機構ができましたときに、この条項が加わりまして、高専の業務として加わりまして、これは外部の機関等との連携による共同研究や教育活動を実施すると。これは今までの高専の設置基準ではありませんでした。これが明確に、しかし、ではなかったんですが、そういう地元の企業とのお役に立つという活動は続けておりましたんですが、こういう機構の法律面でもバックを、しっかりとした根拠が得られましたので、それに従いまして私たち今、更なる努力をしているというところでございます。  ちょっと、結びになりますが、以上申しましたように、地域連携の体制というのは、今お気付きかと思いますが、高専の歴史の中では比較的新しいわけです。平成に入ってからこういった仕組みが順次整備されてまいりまして、これはやはり産業構造の変化に対応して更に高専の力を、あるいは人材資源を地元の方々に活用いただくというための体制を整えてまいったと、そういうふうに御理解いただければ有り難いと思います。  そういうわけでして、繰り返しになりますが、高専、従来もこれからも更に地域に根を下ろした高専としまして、要請にこたえていきたいというふうに考えております。  それから、これはもう一つ付け加えさせていただきますが、渡辺先生の前で大変僣越でございますが、長岡は例の米百俵の故事が生まれたところでございます。私ども、長岡の地で教育機関に携わっております者といたしまして、この精神は誇りに思っております。この精神を基本としまして、ものづくり教育に使命を果たしていきたいというふうに思っております。  どうもありがとうございました。
  8. 加納時男

    委員長加納時男君) どうも高田参考人、ありがとうございました。  次に、堀切参考人にお願いいたします。堀切一男様、お願いします。
  9. 堀切川一男

    参考人堀切一男君) どうもおはようございます。  私、東北大学の、名前がちょっと妙な名前ですが、堀切川と申します。  今回、この参議院の経済産業委員会におきまして、中小企業ものづくり基盤技術高度化に関する法律案につきまして、参考人として御意見と御提言を申し上げる貴重な機会をいただきましたことに、まず感謝申し上げたいというふうに思います。  本日、ちょっと厚めの資料を作ってまいりましたが、話が途中になってもあれなので、私の言いたいことは最初の一ページ目と二ページ目に要旨でまとめさせていただきました。お暇でしたら三ページ目以降の細々したのも読んでいただければと思います。あと、十ページ目以降に参考になる図表を付けさせていただいております。特に一番最初の図1のお話を申し上げるので、それも参考にしていただければというふうに思います。  私は、これまで大学におきまして工学の分野の教育研究にずっと携わってきている人間でございますけれど、非常にたくさんの中小企業皆さんといわゆる産学連携によって様々な研究開発に取り組んでまいりました。  例えば、もう八年前ですが、長野オリンピックのときには、ボブスレーという競技ございますけれども、長野オリンピックの、ボブスレーの氷とこするところを、これ、ランナーといいます、このランナーを日本製として初めて開発させていただいて、オリンピック採用されるということがございました。ライバルだったジャマイカチームに、このランナーの性能によって勝てたのではないかと若干思ったりしているところでございます。  そのほか、農業の分野から出る副産物である米ぬかから工業用の新しい材料、RBセラミックスという名前を、私、付けさせていただきましたが、この開発もさせていただきました。  そのほか、いろんな開発をさせていただいたのを今日の資料の一番最後に付けさせていただいております。この開発のほとんどが実は中小企業皆さんとの共同開発であったということなんです。  また、私の研究室には毎年五十社以上の、ほとんどが中小企業皆さんですが、五十社以上の方が相談にいらっしゃいます。今まで全国の五百社以上の中小企業皆さんの相談を基本的に無料で受けるということをさせていただいてきております。多分、大学の人間としては相当珍しいスタンスで研究開発しているかなと自分では思っております。  私は法律の専門家でもございませんし、経済産業政策の専門家でもございませんが、非常にたくさんの中小企業皆さんと研究開発の現場にいる人間の一人として、また私は中小企業皆さんの熱烈な応援団のつもりでございますけれど、その応援団の一人として、今日、御意見と御提言を申し上げたいというふうに思います。  まず初めになんですけれど、二十世紀の我が国の産業構造がどのように変遷してきたのかということを簡単に総括させていただいて、その上で、現在の我が国の産業構造にはどんな問題点があるのかということを、素人ながら私の意見を述べさせていただければというふうに思います。  言うまでもなく、我々の国のこれまでの産業経済を牽引してきたのは、繊維産業とか鉄鋼、自動車、電気・電子産業、最近では情報、ITと言われるようないわゆる基幹産業が我が国の経済を牽引してまいりました。そういう意味では、二十世紀は基幹産業の登場と成長、そして成熟の時代であったというふうに私は考えています。  しかしながら、バブル経済がはじけた九〇年代中盤以降のタイミングとも合うのかもしれないんですが、こういう基幹産業を引っ張ってきた大企業さんも、東南アジア各国のいろんな企業の急速な追い上げに今遭ってきて、もう既に右肩上がりの成長なんというのは期待できなくなっているという状態で、大企業でさえも大量のリストラをして生き残りを図っているというのが現状だというふうに思います。例えば、巨大企業が一万人のリストラをして自分会社が生き残ったとしましても、実際には五十人の中小企業で考えれば二百社がつぶれるのと同じだけの失業者を生むことになってしまいます。ですから、大企業がつぶれないからそれでいいというわけにはいかないというのが一つ大きな問題でございます。  もう一つなんですが、この基幹産業を陰で支えてきたのは中小企業のいわゆるものづくりでございます。ただ、その仕事ももう急速に東南アジア各国にシフトしてきているということで、いわゆる空洞化に歯止めが掛からないというのが今の現状だと思います。技術力のある会社でも中小企業さんが今つぶれているという状態があるというふうに私は認識しております。その原因は多分、開発型の中小企業というのがまだまだ少なくて、どうしても下請体質になっていると、それで東南アジア仕事を取られるという状態なんだろうと思います。  この現状を打破する一番いい方法は、新しい基幹産業をつくることだと思いますけれど、当面、例えば自動車産業のような大きな産業があと十年でできるかと言われたら、これは私は難しいというふうに考えています。  では、こういう状況を踏まえてこれから先、二十一世紀の我々の国の産業構造はどうあるべきかということについて、またまた素人ながら私の考えを述べさせていただきたいというふうに思います。  私は、これから先、二十一世紀の少なくても前半は新しい小さな産業をたくさんつくることだというふうに考えています。あるいは、それをつくらなければ日本経済は駄目になると考えています。こういう新しく生まれる小さな産業を私はベンチャー産業と呼んでいるんですけれど、産業が安定していない、まだ小さいという意味ですけれど、二十一世紀というのは多彩なベンチャー産業の登場の時代であるというふうに私は考えています。  それで、様々なベンチャー産業がたくさん集まって集積もしできれば、それが新しい雇用を生みます。また、新しいものづくり仕事を生み出すことになります。その結果としては、今現在ある中小企業皆さんに新しい仕事を提供することになるということで、中小企業さんの生き残りを図るにはちっちゃな産業をたくさんつくるということが非常に大切なことになります。その小さな産業をつくる多分非常に重要な役割を担うのが既存の今ある中小企業さんだと私は思っています。  そういうチャレンジャーを私は中小企業系ベンチャー企業というふうに勝手に呼ばせていただいておりますが、実は中小企業さんが新しい事業を成功させるには、技術力資金力、営業力、経営力、社員力という、私はこの五つの力がそろわないと勝てないと思っています。特に、この五つを全部そろえるというのはなかなか足腰の弱い中小企業さんでは難しい。特に技術力資金力と営業力の面を考えますと、中小企業さんが新しい事業を成功させるためには、多分、産学官の連携というのが最も有効だというふうに私は考えている人間でございます。  その産学官連携の一つとしてよく言われるのが公的補助金でございます。こういう中小企業開発あるいは産学連携による開発にはこの公的な補助金、国の補助金というのは非常に有効でございます。ただ、この補助金は必ずしも高いお金が必要なわけではありません。よく高い金を取りたがる傾向がなきにしもあらずなんですが、大体、高額の補助金事業はほとんどが成功まで行かないというふうに私は考えています。それで、開発支援に相当分あれば十分であるというふうに思います。  ただ、中小企業さんから、あるいは産学連携から成果を上げるためというふうに考えますと、実は開発を始めてから予想と違うことがどんどん起こります。そうすると、どうしても当初の計画を変えないと有効なゴールに行かないという場合があるんですけれど、補助金事業ではゴールまで設定されています。  それを考えますと、中小企業皆さんが補助金をより取りやすくて、またより有効な使い道のためには、まず一つは応募書類を非常に簡素化してほしいと。非常に難しい書類なんです。あれは大企業さんでも相当悩みます。これを簡素化していただくということが必要だと思います。それからもう一つは、補助金の使い方にもうちょっと自由度がほしいと。本気で開発するんであれば、開発変更は当たり前であるという認識がほしいというふうに思っているところでございます。  もう一つなんですが、実際に、現行で公的な補助金制度で様々な支援がされているんですが、現実に新しい製品化まで行ったとか新規事業、新規産業をつくったという具体的な成果はまだまだ少ないというふうに私は思っています。そういう意味では、具体的な成果を生み出す産学官の連携はどうあるべきかというのを早急に検討する必要があるのではないかというふうに思っているんです。  実は、私が取り組んできました産学官連携というのは、非常に体力の小さな中小企業さんでは一部公的な補助金をいただいて何とか成功まで行ったものもございます。ただ、ほとんどが全く補助金なしで私はいろんな企業さんとやってまいりました。その割には短い期間の間に数多くの製品化まで支援できたつもりでおります。  それで、そういう具体的な成果を生み出す産学官連携はどうあるべきかというためのヒントを与える事例として、私が今、仙台市の中で取り組んでいる、ここ二年間の取組事例をちょっと御紹介させていただきたいというふうに思います。  実は、仙台市あるいは宮城県では、東北大学と連携しまして地域連携フェロー制度というのを導入いたしました。これは、東北経済連の会長さんと宮城県知事と仙台市長と我々東北大学の総長という産学官の地域のトップ四者のラウンドテーブルというのが行われて、三年前にこの導入が決まったものです。で、二年前から、平成十六年度からですけれど、地域連携フェロー制度というのが導入されております。これは東北大学の教員が仙台市役所あるいは宮城県庁の嘱託職員、地域連携フェローという嘱託職員となって地域の自立的な新産業創出の支援活動をしようというものなんです。私は声を掛けられて、今、仙台市役所の地域連携フェローをやっています。  私が取り組んできた中で、新製品開発に非常に有効だったと私自身が認識している新しい取組があります。これが御用聞き型企業訪問というチャレンジでございます。  この御用聞き型企業訪問というのは、私と私を支援していただいている市役所の方と市の外郭団体の市の産業振興事業団のマネージャーの方、この人は地元の企業出身者なんですけれど、この三人で支援チームを組んでいます。それで、今、市内企業を中心に県内企業を広域で今三十社以上回っているんですけれど、通常は何か困り事があって来てくれって行くのは一杯あるんですけれど、勝手に押し掛けていって、何か技術で困ってませんかと、研究開発で困ってませんかと押売のように出掛けていくという、御用聞き型企業訪問というのはこういう作業です。  その結果、現場の開発が今抱えている問題をいち早く掘り起こすことができて、あと大学のシーズあるいは我々の経験を生かしてそれをゴールまで導くという応援ができると。具体的に言いますと、地元の企業さんと私の研究室の間で、そこから共同研究がこの二年間で八つ生まれました。この八つは全部製品化、今二年間でさせていただいたところなんです。  例えば、高圧送電線の鉄塔の上の電線を自動で中身が壊れてないかを調べる移動型のロボット、これを開発してきた企業さんあったんですけれど、そのロボットは動かないことを除いてすべて完成したんです。動かないとロボットになれないんです。その動かすところの駆動のローラーを私の開発した新素材で使ってもらったら、動くようになりました。これだけで初年度三億円の売上げです。それで、非常に簡単な、四か月で製品開発できたんです。こういうふうに、実は仕組みをうまく工夫、努力をうまくやれば製品化はたくさんできるんです。  私らがうまくいったというふうに勝手に認識しているその理由についてなんですけれど、実は地元の中小企業さんに我々の方から出掛けていって、あと一歩で成功するのに失敗しちゃったとか今大きな問題があるんだというのを直接我々が掘り起こして、すぐ大学のシーズでそれを解決すると。そういうことを積極的に我々の方が動くことで、二年間で八つの製品ができたというふうに私は理解しています。  なお、この私の地域連携フェロー活動につきましては、私を支援していただいた仙台市産業振興事業団というところが、経済産業省さんの外郭団体だと思いますけれど、日本事業支援機関協議会、JANBOというところですが、そこのJANBOアウォーズ二〇〇五という表彰制度がございまして、全国で最も効果的で独創的な新事業創出支援を行った産業支援機関に対して、今年度ただ一件だけ与えられる地域プラットフォーム大賞というのがございます。これを受賞することがつい先ほど、先週でしょうか、決まったところでございます。  そのように、我々のこの仙台市での二年間の新しい取組というのは国レベルでも評価をいただいて、また全国、今六つの県から仙台市に、この制度はどういうふうにやっているんだと緊急ヒアリングを受けているところなんです。こういった取組が実のある産学官連携をやる意味でヒントになればいいなということで申し上げたところでございます。  多分、今日の、今朝の練習では二分オーバーしますが、よろしくお願いいたします。あらかじめお断りします。  それでは、中小企業ものづくりの支援施策について、私、今までも御意見、御提言申し上げましたが、まとめてまた申し上げたいと思います。  最初の方で申し上げたように、これからの二十一世紀というのは多彩なベンチャー産業、小さな産業をたくさん登場させる時代です。その小さな産業をつくる主役になるのは何かといいますと、実は既存の中小企業であるというのが私の考え方です。  全部の雇用者数、今四千万人と言われていますけれど、そのおよそ七〇%、二千八百万人は、実際には今、現行の中小企業に勤めておられるわけです。中小企業の例えば一〇%が新規事業に成功されて、そこの雇用者数を二倍、倍増できたとしますと、全体では七%の雇用アップになります。人数で言うと二百八十万人の新しい雇用を生むことになるんです。十人の会社が新規事業で二十人になるというのは絶対簡単にできます。一万人の会社がどんなに頑張っても二万人になることは絶対ありません。一万人の会社というのは、うまくいけば五千人にしたいんです。  そういうふうに考えますと、これからのベンチャー産業、新規産業をつくるのは絶対に中小企業であるというふうに私は思っているのでございます。そのためには、下請型の体質を開発型に変えなきゃいけないと。全部じゃなくていいです、先ほどのように、一〇%の中小企業開発型に変えればもう失業問題はなくなるというふうに私は確信しております。  もう一つなんですけれど、実は非常に細かい話ですが、中小企業のやる気を引き出すためには、ものづくりで成果を上げた中小企業の本当に現場の開発の担当者自身を褒める制度を導入してもらいたいと思っています。中小企業さん自身を褒める制度は今たくさんあるんですけれど、現場で汗を流して頑張って研究開発したその個人を褒めることでその人のモチベーションが上がって、必ず次またその人はいい仕事をします。家族も喜びます。そのために、是非とも中小企業で現場で開発している担当者を褒める制度を導入していただきたいと。これはお金が掛かりません。何たら大臣の印って押してもほとんど判こ代はただみたいなものでございます。一番高い表彰状でも五百円で金ぴかの立派なのあります。だけど、それをもらうために頑張るんです。それを申し上げたいと思います。  それで、十一時になってしまいましたが、ようやく本題の本法律案についての意見を簡単にまとめて申し上げたいと思っております。  今回の法律案は、私の認識では、中小企業ものづくりを生かした攻めの施策が必要であると私は申し上げたいと思っています。ものづくりを守るんではなくて、ものづくりを生かした攻めの施策が必要だと。その方針に私は一致するものだというふうに思いますので大いに期待したいと、賛成の意見を述べたいというふうに思っています。  二つ目なんですけれど、このものづくりを生かした攻めの施策、それをやるためには中小企業に知的財産を創出させる施策が極めて重要なんです。今までは大企業が特許を持っていればいいと。ではなくて、新しい産業をつくる中小企業が特許というものを持つ時代でございます。それを強力に推進するというのが本法律案の趣旨だと理解しましたので、これも賛成でございます。  ただ、この点の運用面について一つだけ御意見を申し上げたいというふうに思います。  多分今後、中小企業大学あるいは高専等との産学連携からいろんなアイデアが出て、共同での特許出願という形のものが増えていくと思います。ただ、大学とか高専によっては、実は知財に関するルールが必ずしも企業さん、特に中小企業さんの理解を得る形になっていないところもございます。そういう場合には、大学や高専等でこの知財に関するルールとか運用方法については現行の中小企業さんを応援できるような形に変えて運用していただくと。多分、文科省筋の御協力が必要になると思うんですけれど、そういうことの検討の可能性があるということを指摘させていただきたいと思います。  あと、最後、三つ目でございます。  三つ目は、先ほど申し上げたように、単なる産学官連携からは何も生まれないので、具体的な成果を生み出す産学官連携の推進が必要ですけれど、本法律の趣旨というのは多分それに沿ったものだと私は期待しております。  ここでも実は運用面で一つだけ御意見を申し上げたいと思っています。  先ほど申し上げたように、産学官連携で公的資金を従来、大企業さん中心にふんだんに投入してきましたが、具体的に製品化、事業化まで行った事例というのはやっぱり成功事例は少ないと。是非ともこの成功率を上げるような運用をしていただきたいというふうに思っているんです。我々は、御用聞き型企業訪問というふうに我々呼んでいますが、最近ではこれを仙台モデルとか、場合によっては堀切川モデルと言われるようになりました。こういううまい工夫をやることで同じ金あるいは支援が生きてくると。是非ともそういう施策を取っていただければというふうに思っています。金をばらまく施策から知恵を結集する施策をしていただきたいというふうに思うところでございます。  四分もオーバーしてしまいましたが、以上で私の意見と御提言を終わりたいと思います。  どうもありがとうございました。
  10. 加納時男

    委員長加納時男君) ありがとうございました。  以上で参考人各位の御意見の陳述は終了いたしました。  これより参考人に対する質疑に入ります。  質疑及び答弁とも御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
  11. 北川イッセイ

    北川イッセイ君 四人の参考人皆さん、大変御苦労さんでございます。大変すばらしい、有益なお話を聞かしていただきました。本当にありがとうございます。  私は、自由民主党の北川イッセイでございます。若干、ちょっと質問をさせていただきたいと、こういうように思います。  まず、堀切先生、それから高田先生にちょっとお尋ねしたいんですが、基本的なことなんですが、今度のこの法律で、経済産業大臣が中小企業ものづくり基盤技術高度化に関する指針を定めると、こういう規定が予定されてるわけですね。これは当然のことやと思うんですが、今、堀切先生の話を聞いておりましても、これは産学官の連携ということがポイントじゃないかなというような気がしたわけです。その具体的なことも、攻めの施策が必要だとか、あるいは特許の問題、あるいは成果を生み出すそういうものが必要だというお話もございました。  私は、経済産業省あるいは経済産業大臣が役所の中で考えるよりも、むしろ一般の方々のいろんな方の意見を聞くとか、そういうものを現実にその指針の中に生かしていくということが非常に大事だと思うんですね。そういう仕組みを何かこういうようにつくったらいいとかなんかいうような参考意見があれば是非とも聞かしていただきたい。  それから、今、産学官ということを申し上げましたが、そのほかに、この指針にはやっぱりこういうものが絶対に必要だぞということがあれば参考に聞かしていただきたいなというふうに思ってます。  それからもう一点、産学官の連携ということですけれども、現実にもう既に産学官の連携、特に産と学の連携というのは大変積極的にやっていただいております。しかし、その中でいろんな苦労があると思うんです。こういうような大変な苦労があるぞというようなものがあれば聞かしていただきたいということと、それから、これはやはり新しい製品を作るとかいう形になってくるわけですが、まあ嫌らしい話なんですが、それの利益の問題とか、そういうようなものをどういうように整理をされておるのか、あるいは今後どういうようにしたらいいのか、そこらのところの御意見があれば聞かしていただきたいというふうに思います。よろしくお願いします。
  12. 堀切川一男

    参考人堀切一男君) ただいま非常に重要な御指摘を三点もいただいて、私、先ほど申し上げたように経済産業政策の専門家ではございませんので、うまく私の考えが答えとして出せるかどうか余り自信がないんですけれど、一つは、経済産業大臣が全部まとめてやるというのに対して、一般の意見を聞くような仕組みが欲しいというふうな御質問の趣旨かと思います。  私もそれについては賛成でございます。多分これは運用の問題だと思うんですけれど、経済産業大臣が最終的には決めるといたしましても、その前段階でいろいろ聞くような仕組みがあれば私もよろしいかと思います。  その場合には、できれば産業界でも、あるいは大学のような研究教育の世界の人間でもよろしいんですが、実際にものづくりで汗を流して成功事例をつくった人間に対して目利きの企業選びをさせるような仕組みをつくられたらよろしいと思います。実際、それをされてない場合ですと、どうしても書類の数字上で評価してしまったりということが起きますので、現実に成功事例を持っておられる体験者がいろいろアドバイスするようなシステムをつくられればいいのかなというふうに一つは思います。  もう一つなんですが、どうしても中小企業というのは全国にたくさんございますので、私は各地域ごとにそういうふうに常に目配りをできるようなシステムが必要だと思います。そういう意味では、例えば東北地域なら東北地域、近畿地域なら近畿地域というような地域単位で、常にどこの企業がどんなふうに頑張っているかというのをうまく見えるような仕組みというんですか、リエゾンをするような人たちが集まる拠点のようなものが欲しいなというふうに思います。そういう方々の拠点があれば目利き人材自体も育っていくのではないかというふうに思うところでございます。  それから、先ほど中小企業さんとの、二つ目ですけれど、中小企業さんとの産学連携等で苦労話を聞きたいというお話いただきました。実は先ほどの話は、私、ゆうべ一生懸命原稿を書いてきて、原稿を読むの最も嫌いな性格でしたので苦手科目が先ほど終了したんですけれど、思わず言い過ぎてしまうと恐縮ですが、うまく言葉を選んで申し上げたいと思います。  苦労話で、実は産学官連携の官の支援で一番うれしかったのはお金ではなかったんです。実は、公的補助金の金額は安くても、国の、この開発はやりなさいというゴーサインが出たこと自体が中小企業にとっては非常に重要なお墨付きになります。  それで、実は中小企業と私と一緒に開発したあるものを特許出願しましたけれど、そのときに、その公開されて製品化するときに、実は大手企業さんから様々な圧力をいただきました。嫌がらせと言わないところがポイントです、閉じ括弧なんですが。その様々な圧力があったときに、実は国の支援のお金をいただいて、国の外郭団体さんが共同出願人に入っていますよということを御説明すると、大企業さんが、失礼しました、何とか友好的に連携しましょうという態度に変わるんです。  そういう意味で、中小企業さんの開発のネタが悪くて失敗するのもあるんですが、いいものの方がよっぽど成功しないです。最終的に一般社会に役に立つ製品として出すまでの間にいろんな圧力がございます。そういう圧力を止めていただくと。先ほど参考人の方からも御意見あったように、国は支援するよりは邪魔をしないでくれというお話あったんですが、実はいろんな意味での邪魔を止めるというのも国の私は大きな支援の方法かなと思っていまして、そういうことを体験した人間だということを申し上げたいと思います。  それから、特許料の利益お話なんですが、大学人として私はふさわしくないのかもしれないですが、いまだかつてどの企業さんからも特許料を一円もいただいたことございません。私自身にとっては、実は中小企業さんとの共同研究は、知財を守るために特許は一緒に出すんですけれど、製品ができることがうれしくて、それを使う消費者がいることがうれしいと思っています。さらに、実は大学院の学生にとっては、こういうのを支援する研究というのは非常に役に立ちます。そういう意味で、もう既に大学は教育面でメリットをもらっていると思っているので、私自身は一円ももらっておりません。ただ、今後、大学が法人化しましたので、多少はいただく仕組みがあってもよろしいのかなと思っております。  以上でございます。
  13. 加納時男

    委員長加納時男君) 今の御質問に、ほかの参考人の方、御発言ありましたら手を挙げていただきたいと思います。高田参考人さん。
  14. 高田孝次

    参考人高田孝次君) ありがとうございます。  今、北川先生の方から御指摘ありました第一点の、指針を定める際にボトムアップ的な仕組みも必要ではないかと、私も本当にそのように思います。  例えば新潟県ですと、にいがた産業創造機構というところがございまして、これは県の外にある機構でございますが、昔のテクノポリス開発機構が衣替えをしたところです。今ここが非常に活発に動いておりまして、我々もそういったところを通していろいろお手伝いさしていただくというようなことがございます。ですから、こういったシステムを使う、多分活用されることになるんではないかというふうに思っております。それは非常に重要なことだと思います。  それから、学校としまして、三番目に御指摘になりました連携で苦労ということですが、これは学校の立場なんですが、教育、まあ教育といいましょうか、若手の、中小企業の若い方々に対していろいろまた再教育というようなことにも協力するという体制を取っておりますが、これは、一番問題は時間が取れない。非常に会社の中で活躍されている、もうこれから育てようとか、あるいは育ちつつある方が、またこういった勉強をしたいという意欲を持っておられる方はたくさんあるんですが、そういう方はまた会社にとっては非常に重要な働きをしておられるわけでして、時間がなかなか取れないというところはつくづく感じております。  それで、例えば社会人入学という制度もございますんですが、なかなかこれも思ったようには進まないということがあるんですが、今これの解決といいましょうか、決定打になるかどうか分かりませんが、e—ラーニングとかいいますインターネットを使って好きなときに勉強できるようなコンテンツを学校の方で作って、もういろいろ質問ども好きなときに入れておいていただければ学校からも教員が回答するというような、そういうシステムが今だんだん普及しつつありますですね、こういった道具を使っていくという手も一つあるかなというふうなことを考えております。  以上でございます。
  15. 北川イッセイ

    北川イッセイ君 どうもありがとうございます。  伊藤参考人にちょっとお尋ねしたいんですが、先ほどのお話の中でも随分出ておりましたが、高度の技術というものはやはり守らないかぬと、知的財産、これもやっぱりしっかり守っていかないかぬと、こういうお話ございました。  一方において、社長海外でも随分お仕事されていると、フィリピンなんかでも会社を持ってやっておられると、こういうことなんですが、特にフィリピンなんかでは愛社精神とか、先ほど愛国心というような話もございました。  そういう中で、ちょっと、非常にいろんなジレンマというか、守らないかぬ、出さないかぬというようなそういうものがあるんじゃないかなというように思うんですが、そこのところの非常に御苦労があるんじゃないかと思うんですが、そこらのところをどういうように整理しておられるのか、ひとつ聞かしていただきたいなと思うんですが。
  16. 伊藤澄夫

    参考人伊藤澄夫君) 簡単に申し上げます。
  17. 加納時男

    委員長加納時男君) 伊藤参考人、お願いいたします。  済みません、こちらから指さしていただきます、済みません。伊藤参考人。失礼しました。
  18. 伊藤澄夫

    参考人伊藤澄夫君) 実は、当社は金型を三〇%、あと部品加工を七〇%やっておりまして、金型をお客さんに、注文を受けて海外に運ぶわけですね。これはほとんどが日系企業で、現地のローカルのライバル会社、将来ライバルになるであろうローカル会社ではなくて日系のお客さんに金型を送るわけですけど、そのときにやはり図面を付けてほしいということになりますね。図面を付けてほしいということになると、その図面があれば何もないものよりもはるかに作りやすくなりますから、本来は出したくないんですが、当社仕事が来月、再来月、そんなに十分でもないのに、図面出したくないから仕事をお断りするということになりますと赤字につながります。  それと、日系企業海外、アメリカ企業もそうですけど、現地に進出した以上は現地の調達率を上げないけない。これは現地の国の経産省辺りからの依頼でもあり、国からの依頼でもあり、また、進出した企業は、やはり周辺のライバル会社に勝つために現地で調達率を上げれば利益も出ると、こういうことになりますので、日本から海外に出た担当者は現地調達率上げるべく、伊藤製作所あるいは何々金型の図面を現地の日系企業なりローカル企業に渡して、これに近いものをこのような単価でやってもらえませんかということでやっております。だから、これはやむを得ない流れかなというふうにも考えておりますから、だから、当分、イチローさんではないんですけど、向こう三十年間中国でできるわけがない、韓国でできるわけがないような技術をやはり磨いていく方が先かなというふうに考えております。
  19. 北川イッセイ

    北川イッセイ君 どうもありがとうございます。  最後に酒井参考人さん、質問になるかどうか分からないんですが、私、実は大阪の東大阪なんです。鋳物屋さん、随分多いんですね。昔はもっとあったんです。随分たくさんつぶれました。けれども、今でもやはり非常に頑張っているところがあるんですね。おっしゃっているとおり、酒井社長のところのようにクリーンじゃないですね。やっぱりまだ非常に汚いですよね。従業員も非常に少ない従業員で頑張っておられると。まさしく三Kなんですよ。これを私は何とか守らないかぬというように思うんですが、やっぱり社長さんがほとんど職人さんでして、なかなかそういう転換ができないというようなこともありまして、これどうしたらいいのかなというようなことで、非常に私自身もそれを見ながら苦慮しておるんですけれども。  もう一点、私の地域では鋳物を、もう非常に美術品というか工芸品というか、そういうようなものに手掛けている人が随分多いんですね。こういうようなものに対する、今度のできる法律ですね、こういうものが当てはまるんかどうかなというようなこともちょっと悩んでいる一つなんですが、何か参考になることがありましたら聞かしてください。
  20. 酒井英行

    参考人酒井英行君) 非常に難しい。私どもが、先ほど言いましたように、日本橋に一番近いところで、多分日本じゅうで一番そういう公害やなんかで苦労したと思います。やっぱり現状のままでは確実にやっていけなくなるなということは当然分かったわけですよね。それで、何年かたってみたら、東京でやっている人はゼロです。京浜島に何社かあるんですけれども東京都内でやっているのはゼロ。で、私たちみたいに、組合に所属しているけれどもやっているのは全部地方で、私ども福島でやっていますんで地方でやっているということで、都内で、都内というか、都市型の鋳物工場というのは非常に大きな問題を抱えていると思います。  私も、どうやってそこの人たちが生きていけるのかというのはちょっと回答が出ないというか、本当に厳しい状況になってくるんではないかなというようなことは思っています。できれば、例えば試作だとか本当に特殊な技術があるところでしたら残れるか分かりませんけれども、一般的なものをやっていて働いている人が高齢化してきたら非常に厳しいんじゃないかなと思っております。
  21. 加納時男

    委員長加納時男君) 北川イッセイ君の質問を終わります。
  22. 藤末健三

    ○藤末健三君 民主党の藤末でございます。  本日は貴重なお話をありがとうございます。  私、実はこういうベンチャーというか中小企業の政策というのを二年前ぐらいまで大学で勉強していまして、今日いろいろ思うところあるんですが、ポイントだけ絞って御質問さしていただきたいと思います。  まず初めに伊藤社長にお聞きしたいと思いますが、実は伊藤社長の御本は読まさしていただいていまして、二つ心に残っています。一つが、社長が先ほどおっしゃったように、もう役所は邪魔するなという話で、規制を何とかしろという話と、それともう一つは、後継者の問題をこの本に書かれておられますので、その後継者の問題を伺えませんでしょうか。  私が知っている中小企業社長の方々は、やっぱり後継者、事業を継承する後継者というよりも、どうやって自分会社事業を次につなげるかということで相当悩んでおられる方がおられますので、その点を教えていただければと思います。
  23. 伊藤澄夫

    参考人伊藤澄夫君) 役所が邪魔するなという話に、あっ、ごめんなさい。
  24. 加納時男

    委員長加納時男君) 済みません、伊藤さん、ちょっと手を挙げていただけたら有り難い、必ず指しますので、記録取っておりますし。ごめんなさいね。  伊藤参考人、お願いいたします。
  25. 伊藤澄夫

    参考人伊藤澄夫君) 失礼しました。  役所が邪魔するなという話につきましては、ちょっと別途、後にしまして、二番目の後継者につきまして、これは今まででいろんな国の方、県の方とか財務省の関係の方に度々申し上げましたが、やはり後継者相続税が非常にこれは高いというか、二重課税、三重課税というふうに僕は認識しております。といいますのは、当社が昭和四十年に買った土地は、坪二千円が今十五万円になっております。何十倍に上がっております。この六十年間に、例えば剰余金が五億円、会社に貯金ができました。これがすべて、その土地の値上がり、剰余金は株価に反映されて、私の持っている株が何十倍になります。その株を相続する場合に、三億円超えた場合に五〇%の相続税が掛かるということですけど。  ただ、私が個人の財産を十億持っていて五億円払うのであれば何ら問題ないんですが、中小企業の株を何十倍で買ったものが皆さん方に絶対買っていただけるものじゃないし、土地が上がったメリットが後継者に行くわけもない。だから、そういったものを代が替わるたびに取るとなりますと、いい会社ほど、例えば剰余金が多いほど、土地の価格が上がった会社の息子さんほど後が継げないということになりますから、だからその相続税を払うために働く、あるいは相続するときに五億円、六億円金を借りにゃいけない。個人で処分する財産がなければ借りにゃいけない。そのときは力のある先代が亡くなったときですから、銀行の保証なんかも、多分五億円の金は借りれるわけがないということですね。  だから、僕の言いたいのは、先ほど東北大学先生がおっしゃったそのベンチャー、新しくどんどん出てきていただけていろんな技術も我々も期待しておりますが、むしろ日本のこの物価の高い中で、土地、建物建ててやってうまくいくほど簡単じゃないということからいけば、今現在ある金の卵を産む親鳥を、その親鳥を食べても空腹感が満たせないのが日本の国家の財政なんですね。だから、ここはひとつ我慢していただいて、金の卵を産む親鳥、中小企業の後継者相続税は是非考えていただかないと大変なことになる。  例えば、当社が剰余金、今トヨタさんのおかげで非常に好調で、一人当たり法人税が百五十万円ぐらい払えるような数字を出しておりますが、これ以上利益出して剰余金が増えれば、それの約半分は息子がその相続税が増えるから、そんなに息子とか僕が個人の金が増えるわけない。じゃ、もうこれ以上利益出しちゃいけないから、もう利益はもうそこそこにしておけと。むしろ、もうかっている会社、のれんのある会社、自己資本比率の高い上場していない会社は、今利益出さない努力をしているという実態を是非御理解いただきまして、それなりの機関の方と詰めていただきたいというふうに考えております。  是非お願いしたいのが後継者相続税。これは、当社が払えないからとかそういうことではなくて、日本の優秀な中小企業、いつまででもちびちび税金を取れる会社を、相続税が払えないからやめるという会社がたくさんありますね。そういう実態を調べていただきたいと思います。  ちょっと厳しい話になりましたけれども、以上です。
  26. 藤末健三

    ○藤末健三君 本当にありがとうございます。  私も、事業の継承の問題、本当に大きな問題だと思っていますので、是非御指導いただきたいと思います。  続きまして、堀切先生にちょっと伺いたいことがございまして、先生が山形大学で活躍されていた話はもういろいろ新聞なんかに載っておられましたので存じ上げているんですが、私自身がほかのいろいろな県の名前を冠した大学、地方の大学に伺いますと、やっぱり何か地元の中小企業のために働こうという方はほとんどいないというのを目の当たりにしております。  大学中小企業との連携のセンターをつくる、ところがそのセンターにはほとんど企業は来ないという状況を見ていますと、先生みたいな立派な方が一杯おられたらこの国の中小企業も産学連携も進むと思うんですが、私は何らかの、今あめがどんどんできています、産学連携の制度、むちをつくんなきゃいけないんじゃないかと。大学先生中小企業に貢献できない人は何か評価が下がるような仕組みをつくるべきじゃないかと思うんですが、いや、これはまじめに思っています。先生、いかがでしょうか。
  27. 堀切川一男

    参考人堀切一男君) さすがに、その世界をずっと御研究しておられたので本質的なところをついてきたのではないかなと思いますが、大学にいる人間としてどう答えようかなというのが非常に、戻ってから、楽しく生きる大学に戻らにゃいかぬなと思いながらお聞きしておりました。  確かに今、地方大学ではというか、その地域の産業界も地元の大学に対する非常に期待が高くて、いろいろな、県庁や国も含めて支援活動しているんですけれど、その実体となる産学の学の人間がなかなか、地元の企業さんとやる人間が少ないという御指摘だろうと思います。  ただ、私の認識ですと、それは地域によって温度差が非常に激しいというふうに理解しています。例えば東北地域、私は青森県生まれなものですから東北大好き人間の一人ですけれど、東北地域では岩手県と山形県、岩手大学と山形大学さんというのもその県名の冠した旧国立大学ですけれど、この二つの大学には地元の企業さんと頑張ろうとしている実践事例たくさんございます。そういう意味では、大学によってはそういう方々が一杯生まれていると。  そういう人たちが増えているところに共通しているんですけれど、実は最初は大変だったんです。私がいた山形大学も十五年前はほとんどだれもやってない状況でございました。そのころは、私、赴任していて、地元の企業さんが、特に意欲的な企業さんが多いので連携さしてもらったんですが、実は、中小企業と一緒に研究開発を体験することが楽しい、あるいは成果が出て、それなりに自分の研究にもちゃんと返ってくるという体験する人が周りに現れると、周りの人間もどんどん同化されていきます。その起爆剤ができるまでは、ちょうど、火薬はあるんだけど、しけた花火と同じ状態で、人材はいるんだけどなかなか意欲がそこまでは行かないということがあるので、とにかく、小さくていいから私は成功事例をつくる先生方に頑張っていただくと。そういう方は、できれば、高いハードルをクリアした成功事例じゃなくて、ああ、おれもやれば、ちょっと支援すれば同じことできるなって周りに思わせるような、私は、小さな成功事例を地方にたくさんつくることで、実は地方大学でそういうことを向く先生方の数が増やせると思っています。  もう一つは、先ほどおっしゃったとおりで、そういう活動をすると大学人としては評価されますよという評価方法を大学の組織として、あるいは国の文部科学省としてもそういう評価基準を、一つの軸をつくっていただければ、人間は褒められる方向がここだと分かると妙にそこへ走る、馬の目の前にもやっぱりニンジンが必要だと思うんですけれど、そういう意味で、研究論文を一杯書くこと、学会賞を取ることだけではありませんよと、地元の会社とやるというのは非常に高い業績であるという評価基準ができれば自然に増えていくというふうに私は思います。  以上でございます。
  28. 藤末健三

    ○藤末健三君 どうも御示唆ありがとうございます。  次に、酒井社長にお聞きしたい話がございまして、ポイントは二つございます。  今回のこの法案におきまして、研究開発計画みたいなのをちょっと作んなきゃいけないという話になっておりますが、計画の認定をするというと非常に企業に御負担掛かるんじゃないかと思っています。堀切先生からも、新制度も簡素化ということを御指示いただいていますけれど。やはり、今相当簡素化されたと言われても、まだ僕は中小企業には負担掛かっているんじゃないかなと思っていまして、その点を一つ教えていただきたいということと、それともう一つございますのは、今回、中小企業投資育成会社の投資の特例ということで、資本金が三億円以上の、を超える中小企業にも中小企業投資育成株式会社の投資ができますよということが法案にございますが、私、三億円を超す中小企業というのは余りないんじゃないかなというふうに思っているんですけれど。  ちょっと、お立場上、業界団体の副会長なされているというお立場があるとは思うんですが、是非この点、明快なお答えをいただければと思います。お願いいたします。
  29. 酒井英行

    参考人酒井英行君) 一つ目の研究開発計画ですけども、実際にこれは、おっしゃられたように非常に手間が掛かります。このたびのやつは一社でやっているということでなく産学官とか協会が組んでやっておるんですけれども、これを出すために、逆に言えば協会に一人人間を増やして、これ専門の人を置くぐらいのことで今計画しております。ですから、ほとんど一社が出してくるということはないような感じがします。  それから、投資育成会社は、今おっしゃられたように、三億円を超える会社っていうのは鋳物工場の場合にはもうほとんどないに等しいと思いますね。非常にこれは、ちょっと難しいというか、鋳物の場合にはないような状況です。
  30. 藤末健三

    ○藤末健三君 私、鋳物以外でも三億円を超える中小企業というのは余り聞いたことがないので、本当にちょっと法律の実効性、正直疑っています。これは是非、ほかの委員先生方からまたいろいろと質疑で突っ込んでいただけたらと思っております。  あと高田先生にまた伺いたいことがございまして、今回の法案において、人材の育成ということで高専等を活用した人材育成事業というのがございますが、私、中小企業の方とかとお話ししていますと、もう本当に、もう夜遅くまで働いておられると、朝から夜まで。高専に伺って、恐らく、中小企業の方々が勉強していただくとすると、私は、夜か若しくは土日しかないんじゃないかというふうに思っているんですよ。そういうものに対する対応というのは、今の制度で可能かどうかというのをちょっと教えていただけませんでしょうか。
  31. 加納時男

    委員長加納時男君) 高田参考人、お願いします。
  32. 高田孝次

    参考人高田孝次君) お答えします。  ちょっと、大変申し訳ないんですが、具体的な、不勉強で本当に今の法案で対応が可能かどうかというのはちょっと即答はできませんですが、私たちのこれ、姿勢としましてといいましょうか、方向としましては、おっしゃるとおりに時間がないということは、先ほど申しましたとおりなんです、実態なんです。ですので、新しい、何というんでしょうかね、先ほど申しましたインターネットを使うとか、そういった方法でひとつまず努力してみるというのが一つあるかなというふうに今思っております。  夜間、時間外というのは、これまた高専の立場で申しますとなかなか難しいところがございまして、学生寮の指導とか、そういった仕事もあるものですから、なかなか、時間外というのはすぐできるかどうかはちょっとこれは分からないというか、というふうに思っています。新しいツールを、近代のツールを有効に使うというのがまず取っ掛かりになるかというふうに思っております。
  33. 藤末健三

    ○藤末健三君 どうもありがとうございます。  是非とも、この法律が有効に機能するように、恐らくこのままやると逆に私は高専の方々に負担が増えるだけじゃないかなというような気もしておりますので、是非、この法律を実施するときにきちんとできるようにしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。  どうも、皆様にいろいろと御指導いただきまして、ありがとうございました。
  34. 加納時男

    委員長加納時男君) 藤末健三君の質問を終わらしていただきます。
  35. 浜田昌良

    ○浜田昌良君 本日は貴重なお話、特に現場に即しましてお話しいただきまして、ありがとうございました。  私からは、最初に、伊藤参考人酒井参考人質問をさしていただきたいと思います。  いわゆるものづくり中小企業といわゆる川下ユーザー企業との関係が変わってきているのかどうなのかということなんですけれども、これ経済産業省の審議会の報告書によりますと、従来のような系列的な固定的な関係というのがかなり減ってきて、かなり錯綜した関係、メッシュ化という言葉を使っておられますけれども、そうした関係が出てきていると、そういうような川下ユーザー企業との関係の変化というのが実感されているかどうかというのが一点であります。  もう一点は、そういう川下企業との関係の変化によって、研究開発のいろんなニーズ、川下企業のニーズというのの把握の仕方が非常に難しくなってきているのか、余り変わらないのか、その辺についてそれぞれお答えをいただければと思います。
  36. 加納時男

    委員長加納時男君) 伊藤参考人からお願いします。その後、酒井参考人にお願いいたします。
  37. 伊藤澄夫

    参考人伊藤澄夫君) 結論からいきますと、変わってきたように思っております。  ということは、現在、また中部地区の話ですけど、大手アセンブリーメーカーさん、非常に好調といいますか、忙しくて新規の採用、工業高校、大学出た人をごっそり持っていかれます関係で、中小企業になかなか、仕事が増えてもいい人材が回ってこないということがありますから、従来の系列の範囲での二次下請、三次下請の範囲ではできないほどのボリュームが増えた、あるいはふるい落とされた会社も結構多い、廃業された会社も結構多いということで、従来のグループではできないから系列以外も自由に口座を開設しようという話、結構多いです。  それが一つと、もう一つは、例えばデンソーとかトヨタさんに付いておれば、待っておれば必ず仕事がくれるからっていう形の協力工場さんは、おっしゃるように余り研究開発しなくても仕事を与えていただけるということで、長年油断が重なっていて、それ以外のところで非常に技術的にいい会社、取引等の実績はないにもかかわらず、技術的には非常にすばらしい会社が周辺に出てきたというところを、義理人情も余り入れずに、やはりトヨタとしては、三菱としては、いい会社と付き合った方がいいだろう、利益出るだろうとか他社よりもいい車ができるとかという考え方だと思いますが。  だから、そういう形からいきまして、我々中小企業製造業は、最近のお客さんの趨勢や考え方を見ておりますと、やはり技術開発をしっかりやって、飲み食いをしたりゴルフをしたりということではなくて、その時間があれば、金があれば、やはり社内の技術だけではなくて、管理能力とか、従業員のモチベーションのためにいろいろ工夫を凝らすとか、そういったことをやった方が強い中小企業になってきたかなという部分が多いですね。  ということで、二つのお答えとさせていただきます。
  38. 加納時男

    委員長加納時男君) 酒井参考人、お願いいたします。
  39. 酒井英行

    参考人酒井英行君) 先ほどもお話ししましたけれども、そんなにメッシュ化が進んでいるというような感じはないんですけれども、いずれにしろ、その協力会みたいなものが、私ども関係している会社では大手さん二社が協力会というのはなくなりました。  鋳造というのは、余りここで、その技術の閉塞感というんですか、ここ長い間、余り新しい技術というのは出てきませんで、どちらかというと管理技術みたいなもので、私ども手込め自動車鋳物を作るような、管理技術の面では非常に進んでおるんですけれども、新しい何か材料ができるとかというのはちょっと止まっておるんですけれども。  また逆にその協力会社への関係がなくなりますと、先ほど言いましたように、ゴルフ会なんかでも役員や何かとする機会が非常にあったんですよね。そうしますと、役員が協力会社に何を考えているかというのはじかに聞けるような環境があったんですけれども、そういうのがなくなりますと、何か担当者と担当者だけの接点になって非常に協力会社に対する方針や何かが見えなくなるので、お付き合いしていても非常に何か怖さを感じることはあります。まあそんなような感じです。
  40. 浜田昌良

    ○浜田昌良君 ありがとうございました。  続きまして、高田参考人にお聞きしたいと思うんですけれども、先ほどのお話で、卒業生の方々が大企業だけではなくて、ものづくり中小企業にも関心を持っていただいているとお聞きして安心をしたわけですが、そういう傾向は今後も続くのかどうなのか。特に今後、いわゆる団塊の世代の二〇〇七年問題というのがあるわけですね。技術の継承をしていくという問題があるわけですけれども、その辺について、どのように継承がうまくいくかどうかについてお考えかが一点、お聞かせ願いたいと思っています。  もう一点は、高専を卒業された後も専攻科に行かれたり大学に入られたりという方がもう既に四割に行っていると。これは開発中小企業をつくっていく上で非常に重要な役割だと思っていますけれども、この比率というのはもう今後上がっていくのかどうなのかについてお聞かせ願えればと思っています。
  41. 高田孝次

    参考人高田孝次君) お答えいたします。  まず第一点、これからも地元の企業に卒業生が定着していくかということでございますが、これは私は、その点では意外と楽観をしております。まず一つは、少子化ということで、家庭にとっては大事な息子、娘たちということが一つ非常に大きな引力として、地元にこれ引力になります。  もう一つは、それぞれの地区でそうだと思いますが、長岡でも、非常に元気のいい、中小企業が元気を出してきているというところが学生たちというのは非常に敏感に感じるところでございまして、意外とそういうところもございます。  ちょっと御参考までに、長岡高専の学生の進路状況をちょっとごらんいただきますと、このパンフレットの四十ページでございます。四十ページに、進路とあるページでございますが、五年卒業者のうち、これは十六年度の例でございますが、ほぼ半分弱になりますですが、地元に仕事を求めております。これは就職をした者の半分ぐらいの割合になります。数字でいきますと、そうですね、卒業者の百九十四名、一番上の表の1の真ん中辺に計とありますが、百九十四名の卒業者の中で就職が五十一、そのうちの県内、県外とございますが、県内がこれですと六〇%ぐらいになっておりますでしょうか。こういう、凸凹がありますが、この傾向は今後も続く、今までも続いておりますし、これからも続くだろうと思っております。  それから二点目の、専攻科のといいましょうか、進学の状況でございますが、これは徐々に高まっていくかなというふうに思っております。それは、データとしましては、こちらのカキ色の表紙の方の資料に少し出ております。二十五ページでございます。二十五ページの上の方にグラフがございますが、それが高専全体での卒業者の進学の状況の割合でございます。だんだん、少しずつ増えているということで、これは急激な増えではないんですが、増えております。これは、やはり時代のそういう要請に沿っているものと、それから技術的な要請が一つありますし、あと家庭の方からの要請といいましょうか、やはりできるものなら大学へとか専攻科へという御家庭の御要望もございます。  例えば、社長さんが、うちの息子は高専に入って良かったと言って喜んでおられる。そのうちに、また、大学に行けて良かったと言う社長さん。実はその社長さんは高専の卒業生一杯くれと言っておられる社長さんということでして、この辺まあなかなか難しいところなんですが、やはり進学の傾向は両面から徐々に増えていくだろうと私は思っておりますが、それに対応した教育をやっていかなきゃいけないというふうに思っております。  以上でございます。
  42. 浜田昌良

    ○浜田昌良君 ありがとうございました。  次に、堀切参考人にお聞きしたいと思うんですけれども、最後に今回の法案についての御提言を幾つかいただきました。その中の御提言の中に知的財産のところがございまして、特に、大学等において知的財産に関するルールや運用方法について検討が必要となる可能性があると御提案いただいたんですが、もう少しこの辺について、具体的なこういう事例がございましたらお話をいただければと思います。
  43. 堀切川一男

    参考人堀切一男君) これも、大学に勤めている人間としては極めて慎重に答えないと大学の執行部の方にしかられるかなと思ったりしておりますが、実は国立大学の法人化とほぼ同じタイミングでかなり多くの旧国立大学には知的財産本部が設置されるようになって、それ以前は基本的にはほとんどの教員の発明は個人帰属でございましたが、それ以降は原則的には機関帰属ということで、職務発明であるというふうなことから、大学の方で緊急にいろんなルールを作ってやっているんだろうと思います。  この大学の知財のルールが新しくなったときには、少なくとも産業界を敵に回すような意識は全く大学は持っていなくて、かえってより産業界と密着して、うまく知財を使って産業界を活性化して社会貢献するということで作られたはずなんですけれど、実際は、大学が例えば共同出願に入るとかいうことになると、企業さんの方は単独出願したいというお気持ち企業さんも結構おられます。実際、実態として従来最も取られていたのは、企業さんが出願人に入るけれども大学の人間は相当コミットしても発明者に名前を連ねるという形が一番多かったと思います。  今後はそのスタイルがなかなか取れないものですから、企業さんの方が腰が引けてくるということがありまして、運用によってうまくやっている大学さんも多分旧国立大でもあるとは思いますけれど、頑張ろうとしている中小企業さんが単独で出願されても、大学としてはいいですよと。例えば、大学人が発明者に入るだけでも実は大学発の特許であると、知財であるというふうに大学の執行部も文部科学省も、国、政府も理解していただければいいだけの話なんです。それで我々、社会貢献できていると思っているので、そういうふうな運用方法に変えていただくのがいいのかなというのが一つです。  もう一つは、実は企業さんがその知財を活用して利益を上げた場合に大学としては応分のお金が欲しいという、当然今後はそういう形になっていきますので、そこのせめぎ合いが多分あるだろうと。企業さんの思惑と大学の思惑がうまく一致すればよろしいんですけれど、そういうところで、とにかく企業さんのやる気を害しないような運用を大学はしていく必要があるかなというのが、私が指摘させていただきたい点でございます。
  44. 浜田昌良

    ○浜田昌良君 どうも貴重なお話ありがとうございました。  私の質問はこれで終わります。
  45. 加納時男

    委員長加納時男君) ありがとうございます。  それでは、次に田英夫君。
  46. 田英夫

    ○田英夫君 どうもありがとうございました、いいお話を。  社民党の田英夫です。  伊藤さんと酒井さんにお伺いしたいんですが、どうも中小企業というと下請という感じがあるんですが、そうではなくて、もっと独自に活躍をしておられると思うんですが、今度法律ができるわけですが、その法律の審議の前に伺うのは非常にいいことだと思うんですが、何というか、中小企業皆さんにとって今度の法律というのはいいものかということをお伺いしたいんです。
  47. 伊藤澄夫

    参考人伊藤澄夫君) 代議士から、下請企業として大会社からいじめられていなければよいがというふうな、親心みたいに僕は受け取って、有り難く思っております。  ただ、中小企業も二種類、三種類ぐらいありまして、まず今おっしゃった、田代議士のおっしゃった下請に対する親の押し付け、これ確かに見受けられますが、このような会社どうかといいますと、例えば、八〇%あるいは一〇〇%の仕事を一社から受ける、何の技術も何の設備も要らなくて、ただ支給していただいた部品をかしめるとか、付けるとか、外すとか、ねじを切るとか、そういった企業につきましては、やはり一方的に、単価はこうですよ、あるいは来年になったら五%単価下げなさいよ、さもなくばほかの会社に転注しますよと、こういうことですので、そういうところだけ見ていただきますと、政治家の皆さんに、下請というのは大変だなと同情いただくのもいいんですけれども、そうじゃなくて、やはりものづくりというものにつきましては、例えば大掛かりなものを設計したり、例えば非常に金の掛かるような開発につきましては大手がやっておりますが、やはり個々の部品につきましては圧倒的に中小企業の方が安くて早くて品質のいいものができるということに変わりはないということですので、やはり大企業につきましては、技術のいい中小企業を使いたいという感覚はいつも持っています。  そういったことで、ある程度設備なり人材なり教育をうまくやる、あるいは蓄積されたノウハウを持っているタイプの中小企業であれば、大企業から一方的に押し付けられて煮え湯を飲まされるということは余りなくなったように思います。  それと、今回の法案につきましては、先ほども述べて、同じことを僕はもう一度申し上げたいと思いますが、今まで国から、政府から中小企業が、これほど世界の先進国と言われるのは、多分外貨がたまった部分を指して世界から先進国と言われたというふうに僕は考えておりますから、やはりものづくり会社日本を先進国にしたというにしては非常に、虐げられるところまではいかないんですけれども、無視された。もっともっと格好のいい業種が取り上げられるような状況の中で、今回のこの法案につきましては僕はもう大賛成といいますか、非常に心強く思っております。是非いいふうに進めていただきたいということをお願いしておいて、終わります。
  48. 加納時男

    委員長加納時男君) 経営者の立場から、酒井参考人、お願いします。
  49. 酒井英行

    参考人酒井英行君) 下請という言葉は、どうも日本にある言葉で外国では余りないと。外国ではパートナーだとか協力者だという言葉で同等であるという、お互いに協力者だということで、やっぱりこういう言葉というのは何かの機会に改めていかなきゃいけないと思っています。今度のシンポジウムの中でも、下請という言葉はやっぱり使ってもらいたくないという辺りもはっきりと言っていきたい。そのためには、素形材がいかに重要であるかと、その素形材がなければユーザーの機械もできないではないですかと、だから隷属的な関係でなくパートナーだという辺りを強く言っていかなきゃいけないと思います。  それから二つ目の、中小企業の皆にとって良いものかというのは、これは先ほど私も言いましたように、今度の施策というのはナンバーツー、ナンバースリーで、かなり上の方に対する施策になっていると思います。それは、六十億という大きなお金ですけれども、全部がかさ上げするというような額では当然ないわけですから、まあ上の方をかさ上げするというのもいいでしょうけれども、先ほども言いましたように、下のレベルも上がらないと国力としては付かないわけですから、協会やなんかがどういうことで下まで上げていくかということを考えていかなければいけないことだと思っております。  ちょっと、先ほども何かその大阪の、ちょっとよろしいですか。
  50. 加納時男

    委員長加納時男君) どうぞ。
  51. 酒井英行

    参考人酒井英行君) ちょっと難しいなんていう話をしちゃったんですけど、私のところも、一社じゃなくて二社、吸収合併して高度化資金を借りたんですよ。それで、一軒やめたところの息子が工場長になって、二軒やめたところの仕事が来て、東京の組合五社ぐらいの力をかりて福島に工場を造ったようなことなんです。  ですから、みんながそういう気になってやろうとなれば、どこかが核になってできないということはないと思います。でも、なかなか中小企業社長というのは頑固な人も多いので、一こくの人が多いので、まあそういうことをやるというのは非常に難しいかもしれませんが、そんなことも含めて、やっぱりみんなが良くなることを考えていかなければいけないと私たちは思っております。
  52. 田英夫

    ○田英夫君 高田さんと堀切川さんに伺いますが、二〇〇七年問題というのはやっぱり非常に大きいですか。この二〇〇七年問題ということを言われているわけですが、かなり準備をして掛からないといけない、産業界にとってもそうだろうと思いますが、どうですか。
  53. 高田孝次

    参考人高田孝次君) 技能を持った方々が大量に去られるという問題でございますですね。  これは、我々、学校におりましても産業界の方々からはそういう心配をいろいろお聞きすることがございます。これは、では学校は今までどういう対応をしてきたかというと、直接の実は対応はなかなか難しい面がありまして、十分ではないといいましょうか、かと思いますけれども、私の学校にいて産業界の方々からお聞きするところでは、確かに問題だということはございます。  ただ、それを補うものとして、県ですとか市ですとかいろいろ工夫をされておられまして、企業から去られた方でも、その力を使ってまた別な仕組みで若い人に技術を伝授するような場を設けるとか、例えば新潟、これもそのうちの一つの仕組みに、方法に入るかと思いますが、マイスター制度というのができているんですね。非常に優れた方々に対してそういう称号を与えて若い人の教育に参加してもらうと、そういうような制度も例えばつくられたりいたしまして、そういったときに、もし高専がお役に立てるような、お手伝いができるようなことがあればお手伝いさせていただくと、そんなことをやっております。例えばそういうことがございますということです。
  54. 加納時男

    委員長加納時男君) この問題、堀切参考人、コメントいただけますか。
  55. 堀切川一男

    参考人堀切一男君) 多分、大学にとりましても間接的には非常に重要な問題だと思います。二〇〇七年問題は重要だと思うんですけれど、ちょっと大学の立場の人間を離れて、私は二〇〇七年問題をある一つの側面で見ると楽観視して非常にいい問題だと理解しているもんですから、その私の考えを述べさしていただければと思います。  大量に、非常に技能もあったり、体験も技術も持っておられる人が急に産業界から去らなきゃいけないと、これが一番大きな問題だろうと思うんですけれど、実は私はこれから新しい産業、ベンチャー産業をつくるべきであると申し上げたんですが、そのときに、どうしてもベンチャーと聞くと、若い方が一獲千金をねらって何とかヒルズとかいうところに住めるようになるように理解しやすいんですが、私が思いますのは、ものづくりを基盤としたベンチャーという意味なんです。  それで、そういう意味では、実は非常に成功率の高い新しいベンチャーのスタイルとして、私、実はあちこちで申し上げているんですけれど、シニアベンチャーというのをもっと国が取り上げて支援してほしいと申し上げています。  シニアベンチャーと申しますのは、企業さんをリタイアされたりあるいはセミリタイアぐらいの年齢で独立される、で、その長年の経験を生かして自分で、一人やりたい企業自分でつくると。そういう年配の方が新しい産業にチャレンジしていくというのが私の言うシニアベンチャーなんですが、そういうふうに考えると、実は二〇〇七年以降、シニアベンチャーの人材が非常に宝庫となって大きくなると。プラスで見ればいいんじゃないかと思っています。  実は高齢者問題というのは、高齢者をどう食べさせるかとか、介護をどうするかとか、年金どうするかという非常に暗い話が多いんですけれど、その高齢者の体験、動ける方、その方々を利用してというか頑張っていただくことで実はシニアベンチャーはうまくいくと思っています。  なぜかというと、三つメリットがあります。  一つは、それまでの経験が力となって経験力として必ず生きるということです。人のネットワークも持っておられて、仕事の中身も、失敗例も成功事例も全部知っていると。  二つ目なんですけれど、これを言うと微妙なんですが、極めて、会社がつぶれない程度に成功するだけでいいと。損益分岐点がシニアベンチャーの場合は極めて低くなります。六本木ヒルズに住む気は全くなくて、お孫さんに小遣いを上げられるようなベンチャーができればいいという意味でいくと、実は高齢者の方が社会貢献するために会社をつくってチャレンジする方が絶対成功率高いんです。そこに対して応援していこうとしたら、これからは日本はもうシニアベンチャー先進国になれるというふうに思っているんです。  三つ目なんですけれど、そういう欲のない方というのは社会貢献性の高い会社をつくられるので、我々、大学の人間も応援しやすいです。何とかヒルズの人とは組みたいと思いませんが、高齢者の人が何かやるんであれば応援したいと思います。  実際私、実は米ぬかからセラミックをつくるのを、山形県の米油という食用の油をつくるメーカーの技術の現場におられた人とやりました。この人、十年前、六十歳で私と出会ってしまったために七十歳の去年まで辞められなくて十年間会社開発したんですけれど、七十歳でお辞めになったら、今度はそれを生かしてもっといい材料にするためにおれ会社つくっちゃったとおっしゃいました。七十歳で一人で独立して、今山形県で企業組合を立ち上げています。  そういう人に対して我々大学、私の学生大学院の学生は、あのおじいちゃん応援しようぜというすごい今強い意欲があります。そういう意味で、シニアベンチャーの方が学も支援しやすいし、経験も豊かで、損益分岐点が低いので成功率が高いと。  もう一つ言いたいんですが、記録されるのでもう一つのメリット言いたくても言えないのが極めて残念なんですけれど、ヒントだけ申し上げると、新しい産業は寿命が短いかもしれないんです。余り困りません。五年でも十年でも自分がやったおかげで喜ぶ人の顔が見れる会社がつくれれば、また本格的にリタイアしてもいいやと思える方なんです。だからこそ、私はシニアベンチャーを応援したいということがあるので、二〇〇七年問題を前向きにとらえたらいいのではないかと思っております。  以上でございます。
  56. 田英夫

    ○田英夫君 どうもありがとうございました。
  57. 加納時男

    委員長加納時男君) ありがとうございました。田英夫君の質問を終わります。
  58. 鈴木陽悦

    ○鈴木陽悦君 最後になりました。無所属の鈴木陽悦でございます。  私は秋田県出身でございまして、議員の前はテレビ局の主にニュースキャスターなどを務めておりまして、地域の元気人とか地域文化、それから地域の活性化などに注目してまいりました。このテーマは、議員になりました今でも全く変わることなく追求しております。  そこで、このたびの法案なんですが、これまでの中小企業の救済的なものから実力のある企業を更に強くしようという色合いでございまして、基盤技術の育成強化は日本ものづくりに大変有効な手段と思います。  ただ、一口に中小企業と申し上げましても、企業形態ですとか専門分野ですとか、また歴史とか地域性といったものが存在するわけでありまして、私の出身であります秋田の、まあ米産県の秋田でございますが、なかなか基幹産業育ちにくいという現状にあります。  そこで、同じ東北の中で主に宮城や山形の中小企業を支援してこられました堀切川さんに伺いたいと思います。ちょっとエリアが東北エリアになりますが、お許しいただきたいと思います。  堀切川さんは、御紹介いただいたような米ぬかを始めとする様々なアイデアを企業との連携を深めて実行してこられました。米ぬかは正に米どころ東北ならではのものでありまして、必ず精米から生まれるものなんですが、こうした特性に着目したケースではないかと思います。  そこで、堀切川さん、この東北の現状、それからとりわけ中小企業を取り巻く環境などについて今どのように感じられているのか、それを伺いたいと思います。
  59. 堀切川一男

    参考人堀切一男君) 議員の先生方の中に同じ東北御出身で、こういう地方、地域の産業経済に応援団がおられるというんで非常に心強く感じた次第でございます。ちなみに、個人的ですが、私の出身はお隣の青森県でございます。アメリカに近い方の太平洋側、八戸市の出身でございますが、そういう人間でございます。  今、中小企業さんもいろんな色もあるし、そのバックグラウンドも違うと、なかなか基幹産業が、特に東北、秋田だけではないと思いますが、東北地域では基幹産業が育ちにくいというのは私も同じような認識を持っております。  じゃ、今の東北地域の現状はどうかというお話になるんですけれど、私は、比較的東北地域はこれから中小企業を中心に何とかしようという機運がほかの地域よりやや早めに始まっているかなと思います。もちろん、新規産業で大きくなるような大企業をつくった実践事例というのはほとんどない地域ではございますけれど、私、東北地域で年間十回以上あちこちの小さな町に出掛けていって講演申し上げたりしているんですけれど、御出身の秋田県にも毎年のように私行っております。非常に元気です。  例えば、秋田県の場合ですと、これ企業名言っても大丈夫な……
  60. 鈴木陽悦

    ○鈴木陽悦君 大丈夫です。
  61. 堀切川一男

    参考人堀切一男君) 某TDKさんが非常に大きな産業を持ち込まれましたけれど、そのものづくりがやっぱり東南アジアへシフトしました。ただ、そのTDKさんの部隊の一部が、何とか秋田の人たちの雇用を残して自分たちが中心になって新産業をつくりたいって一部部隊が残られて、全く違う健康食品産業をやられました。電気部品をこしらえる企業でお偉かった方々が地元のためにというんで健康産業をつくられたんですけれど、実は、我々の生活に身近な産業であれば、これから新しい産業というのは地方で十分できると私は思っています。それで、そのおかげでこれが成功されて、幾つかの雇用を生んでおられます。  そういう意味では、大企業の地方におられた方々が実はその地域に根付き始めていると。そういう方々はそう簡単に、東南アジア企業方針で行ったとしても、残るんですよということが東北でも芽生えているので、私は非常にいい機運だなというふうに思っております。  それから、私、地方でいろんな産業をつくるときには余り背伸びしなくて、じゃ何やればいいんだということになるんですけれど、私は地方では二つだと思っています。  地方にある資源を活用した産業をつくりましょうと。例えば、東北は米どころでございますけれど、私は、東北、米どころで、お米の副産物に、もみ殻、稲わら、米ぬかというのが出てまいります。こういったものから工業用のもしいいものができれば、農業が工業を支えると、素材提供で支えるという、今まで工業が農業に機械を与えるというような関係だったんですけれど、農業が産業界を支えてあげますよという形でいけば、米どころでないとつくれない産業になると私は思っています。そういう意識を持っていただける企業さんが東北地域ではどんどん増えているというふうに思っています。  二つ目は、そういう地方に新しい産業をつくるためには、その背伸びしない二つ目としては、自分たちが必要なものを作りましょうと、地域ニーズにこたえる産業をつくりましょうと思っています。私は、雨の日とか雪の日に滑って転びにくい靴を作りました。山形の会社何社かと組んでやらしていただいて、今、宮城の会社ともやっているんですけれど、雪が降って滑って転ぶというのは北国、雪国では皆さんが体験されて、何とかそれを阻止しようとされます。ところが、雪が降らない地域ではそんな問題意識はございません。そういう意味では、地域ニーズを考えれば、自分たちが欲しいものを作れば、自分たちの周りでみんな買うんです。それがミニ産業の一つの形かなというふうに思っています。  それでも新製品だと、今ポケットからわざとらしく取ったんですが、これが、靴底にシールを張るだけで雨の日、雪の日、滑りにくくなる、私ども開発させていただいた商品なんです。こういうような商品というのを、北国、雪国の地域だからこういうアイデアが出るんだということを申し上げたいと。そういうことをやっていけば、実はどの地域でもその地域に根差すものができると思っています。  ついでに申し上げると、同じことを、同じ資源を持っている、同じニーズを持っている地域は世界じゅうにあります。ですから、実は地方で新しい産業をつくるというのは、すぐに国際性もあると。だから、地方と世界がつながっているんで、日本を経由する必要はないというふうに思っています。そういう意味では、地方はもっと自信を持って、世界に通用する自分らが欲しいものを作りましょうというふうになっていけばいいなと思っております。  以上でございます。
  62. 鈴木陽悦

    ○鈴木陽悦君 いや本当に、御紹介ありがとうございました。サンプルも出していただきまして、本当に。  必要性、ニーズからこういうものが生まれるという、東北にも元気印のいろんなアイデアマン、それから頑張っている皆さんいらっしゃると思うんですが、やはり一つのものを発案するには、発想する雰囲気というのは必要だと思いますし、その次に、その発想したものを取り上げる、ああそれいいアイデアだなという、そういう環境というのも非常に必要だと思いますが、今日、堀切川さんから御紹介いただきました地域連携フェロー制度ってありましたが、これはどこからの、産学官いろいろありますが、どこからの発案だったんでしょうか、ちょっと聞かしてください。
  63. 堀切川一男

    参考人堀切一男君) 実は、この地域連携フェロー制度がうまくいったのは私個人が頑張ったからだという一部誤解も最初ございました。実際、全く違います。  実は、この制度を導入されたのは、最初に申し上げたように、東経連の会長さんと県知事、市長そして我々の大学の総長という産学官のトップ会談が開かれて、そこで導入が決まりました。そのトップ会談にこのアイデアを導入したのは東北大学の執行部でございます。  東北大学というと、どうしても世界とライバル視して研究開発の最先端を走る大学、地方の拠点大学であるということがよく認識されるんですけれど、実は東北大学の執行部ではきっちりと、地域に根差した東北地域全体の産業界に対しても貢献するというのを特に法人化のタイミングで打ち出しておりまして、それを具体的なアイデアを出さしていただいてやりましょうということが生まれたというふうに私はお聞きしております。  そういう意味では、宮城県、仙台市と東北大学がこういう仕組みをつくったことが多分非常に短期間に成果を生んだのであるというふうに私は理解しているので、これは、学がアイデアを提案されて、それをまた地方行政のトップがすぐに理解されて賛同されたというふうに私は理解しております。
  64. 鈴木陽悦

    ○鈴木陽悦君 ありがとうございました。  学の発案もあるし官の発案もあるし、それから産の発案も、まあいろんなケースが考えられると思うんですが、堀切川さんは、さっきも御紹介いただいた何百件もの企業から相談を受けていらっしゃいます。農業と製造業を組み合わせた新たな産業創出にも貢献されています。いわゆる自らの研究をお見合いでカップリングさせて成功していると言ってもいいと思うんですが、従来の殻を破る姿勢を中小企業に求めるとしたら、どんな視点、どんな取組必要なのか、それを御自身の経験の中からちょっと御紹介いただければと思うんですが。
  65. 堀切川一男

    参考人堀切一男君) これは中小企業の立場からのということになりますでしょうか。
  66. 鈴木陽悦

    ○鈴木陽悦君 はい。いわゆる自ら殻を破るという。
  67. 堀切川一男

    参考人堀切一男君) 本音を申し上げるといたしますと、よく中小企業の方々と私お会いしたときに、いや実は大学あちこち回ったけれど、なかなか金の話は出てもアドバイスもらえなかったという話が実際にはよく聞こえてきます。  ただ、はっきりしていますのは、私、中小企業皆さんとやらしていただいて何とか成功まで行ったときには、何が良かったのかなというふうに思って考えてみますと、我々大学の人間が中小企業さんに応援できる側面というのは、実は我々は、私自身も含めて、本来基礎研究をやっています。私は、大学勤めて十年間は全く産学連携から一番遠い、サイエンスに近い摩擦の基礎研究をやっておりました。私らの分野、トライボロジーというんですけれど、ただ、我々の学会というのは、そういう基礎研究をやっている日本トライボロジー学会という二千五百人の学会がございますが、基礎研究をやっている人間と産業界からもたくさんの人間が入っています。そういうところで基礎と応用の練習をしていたんですけれど、多分、基礎研究を中小企業さんのニーズに合わせて活用できる道を考えると、そこがうまくいくと走り出すというふうに思っています。それだと、企業さん単独では転がらないものが背中を後押しするきっかけにまずなっていると。  二つ目なんですけれど、実は私、中小企業さんとの連携で、いつも私は夢を一緒に見ましょうと申し上げているんですが、極めて低い夢を設定します。すべて失敗しても最低限今までよりは一つだけいい性能、これだったら製品になるよねというミニマム目標を共通設定するようにしています。それを理解された中小企業さんは、高い志で一獲千金をねらうタイプの方もおられるんですけれど、なるほど、今よりちょっとでもいいものを作ればいいんだなというふうになりますので、ミニマム目標を設定して大学と組んでいただければうまくいくのではないかなと思っています。  三つ目は、実は中小企業の担当者はほとんど社長さんですけれど、私、会った瞬間ほぼ、話を伺う前に、この人とはやれそうだなとかいうのが分かってしまいます。そういう意味では、実は人と人のつながり、出会いで始まりますので、中小企業皆さんには是非積極的に大学へ出掛けていっていただいて、これはお見合いだと思っていただいて、相性が合わなければ三分でさっさと帰ってくればいいので、相性が合う人を早く見付けていただければ絶対にチーム力が出てくると思いますので、大学の敷居はなくなっておりますけれど、是非、我々大学の人間も今企業に、その仙台モデルと言われるように出掛けていくようになりましたが、企業皆さん大学に是非出掛けていただいて、当たればラッキーというふうな気持ちで来ていただければいいなというふうに思います。  以上です。
  68. 鈴木陽悦

    ○鈴木陽悦君 ありがとうございました。  先生、今お話しいただいたように、大学の敷居は決して高くないということが今日の委員会で御証言いただきましたんで、是非中小企業皆さんも敷居を余り意識しないで気軽に、また御用聞き型も行っているということでございますので。  堀切先生は、一人の成功をたたえるのがアメリカンドリームとするならば、仲間と一緒に成功するのがジャパニーズドリームである、これが堀切先生の持論でございますね、はい。こうした形でいろんな連携が必要だと思うんですが、一つ、今、大学の敷居が云々と言いましたけれども堀切先生の例は非常にまあまれな先生だと思うんでございますが、大学全体として、地域中小企業、地域の中小企業と連携を深めるとしたら、先生なりの考え方をちょっと教えていただきたいなと。  敷居は取り払われたという意識の中で、今後の大学と、さっきお話しありましたよね、山形とそれから岩手の大学には中小企業からいろいろ相談ある。ちょっと、先生の御出身と私の青森と秋田の大学はケースは余りない、余り聞かないのかなと思うんですが、その辺も含めて、地域の中小企業大学の連携の考え方をお聞かせいただければ。
  69. 堀切川一男

    参考人堀切一男君) よろしいでしょうか。  まず、大学全体として地域の企業さんとうまくいっている先行事例としてはその山形大学と岩手大学がありますよということを先ほども申し上げたつもりでしたが、そこが非常にうまくいったのはなぜかということだけを申し上げるとすれば、実は山形大学ではそういう意識を持った有志だけで初めグループをつくりました。YURNSという組織、若手の研究者中心につくったんですけれど、二十人から三十人ぐらいの集団です。こういう集団をつくったので、地元企業さん、積極的に連携しましょうと大学の方からこの集団としてどんどん出掛けていきました。その結果、あのいろんな産学連携のテーマが生まれたと。  一方で、ほぼ同じ時期、一九九〇年前後ですけれど、岩手大学さんでもINSというのをつくられました。岩手ネットワークシステムって今呼ばれているようなものらしいんですけれど、岩手大学さんもほぼ同じような意識です。大学の有志だけで、地元企業さんと是非組みたいという人たちが集まって、そういう人たちが積極的に交流を始めたというところで、実はこの二つに共通しているのは、大学人全員が動くのは最初は難しいですけれど、その有志が動いて、地元企業さんの、いろんな工業界さんもそれを御理解されて交流始まってみたら、ああ、大学、敷居が低いだけじゃなくて結構使えるじゃないかということが生まれたんだろうというふうに思います。  そういうのが先行事例としてはあったと思うんですけれど、より今後いち早くそういうのをやっていくためには、じゃどうするかというためには、実はそういう意欲あふれる先生方をもう内部でつくってもらうことは必要ですが、そういう人たちと地元の企業さん、あるいは行政、あるいはその外郭機関の支援リエゾンとかコーディネートされる方々が一緒になって夢を見る秘密基地みたいなものを、私、つくったらいいと思っていました。ちょうどその地域ごとのリエゾンオフィスみたいなものです。大した設備は要らないと。徹夜で酒飲みながらでもディスカッションできるようなものを地域内につくることで、そういう意識のある企業さんとか大学の人間とか支援機関の方々が集まっていろんな作戦を練れると。そういう場所さえあれば、何というんですか、子供も秘密基地つくると妙に連携ができ上がってくるのと非常に似ているんですけれど、多分そこで夢を見る。私、申し上げている、そのみんなで、仲間で一緒にゴールするジャパニーズドリームというのが実現できる、その秘密基地さえつくっていただければいいのではないかと。余り金が掛からないです。金掛けるのはとにかく私は成功率低いと思っているので、その秘密基地、できるだけ汚い方が秘密基地風なんですけれど、そういうものがあればよりいいのかなというふうに思っております。  以上でございます。
  70. 鈴木陽悦

    ○鈴木陽悦君 ありがとうございました。  ほかの三人の参考人皆さん、大変申し訳ございませんでした。堀切川さんに集中して伺いました。  私の質問を終わります。
  71. 加納時男

    委員長加納時男君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人の方々には、長い時間にわたりまして大変有益な御意見をお聞かせいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。(拍手)  本日はこれにて散会いたします。    午後零時十六分散会