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枝野幸男君 まず、先ほどの笠井
議員のお尋ねのうち、過半数の意味についてと最低投票率
制度についてのお尋ねについて答弁を落としていたようでございますので、これをまず答えさせていただきます。
投票に行かずに
権利を放棄した者まで過半数の分母に加えることは適切ではないと私たちは考えます。一方で、わざわざ投票所まで足を運び、かつ、
国会の
発議を是とする意思を明確に示さなかった者については、この
憲法上の
規定でも
国民の
承認と書いてありますので、
承認の意思がなかったものと判断するのが自然ではないかと考えております。
したがいまして、
賛成投票数が投票総数の二分の一を超えたことをもって
憲法改正についての
国民の
承認があったものという
規定にしているところであります。
それから、最低投票率ですが、
主権者たる
国民の意思をできる限り正確に反映したものという
観点からは、投票率が低いことは望ましいことではないと思っています。
しかし、
国民の皆さんの
立場からすれば、
賛成という
意見、反対という
意見と同時に、よくわからないから残りの
主権者の皆さんで決めてください、こういう意思も当然にあり得るんだというふうに思っておりまして、棄権をする自由と言っては言い過ぎかもしれませんけれども、それもあり得るんではないかというふうに思っています。
またさらに、最低投票率
制度を設けますと、いわゆるボイコット運動によって
発議を否決しよう、こういう運動を誘発しかねないというふうに思っております。
また、実は、
憲法改正といいますと、皆さん、例えば九条であるとか人権であるとか、そういうことが変わるということばかりを想定しておりますが、例えば最近でありますと、裁判官の給料は減額してはいけないという
憲法上の
規定がありまして、これを、現下の経済
状況等を踏まえて、名目上他の公務員と横並びで下げるということについて、これは合憲なのか違憲なのかということで大分議論になりました。
私は、
個人的には、こういったことについては
憲法の条文を変えるべきだというふうに思いますが、
国民から見ればかなり技術的な
規定でありまして、こういったものについて無理やり投票所に行けということがあり得るのかどうか。つまり、テーマによってやはり投票率が大きく変わってくるんだろうというふうに思っております。
国民生活に大きく影響を与える、
国民の関心が高いテーマについては当然高い投票率になるんだろうと思いますし、また、そのことを高い投票率にすることは、
発議に
賛成であれ反対であれ、
発議権を持つ
国会の一員である
国会議員あるいは政党にとっての責任ではないか、こんなふうに思っております。
それでは、辻元
議員による質問にお答えを申し上げます。
まず、
憲法とはどのような法規範であるのかということについてお尋ねがありました。
そもそも私たち
国会は、
法律を制定するという行為を通じて
国民の皆さんに命令をする権限を有しています。なぜ私たちにこのような権限が与えられているのか。それは、
選挙という
主権者の意思に基づいて選出されているからでありますが、さらに、その前提には
憲法があります。つまり、
憲法によって
主権者である
国民から立法という権限を付与されているからこそ、私たちの権限行使は正当化をされています。また、
国民から権限を付与されていると同時に、私たちは、
憲法によってその権限行使の限界、つまり
憲法に
規定する基本的人権を害してはならないなどの制約を受けています。
このように、
憲法は、公権力から
国民に対する命令である
法律や政令等とは反対に、
主権者である
国民から、
国会、内閣、裁判所等の公的機関に対し公権力行使の権限を付与し、その限界を定めるという性格を有していると考えます。こうした
憲法の定義は、近代
国家において共通のものであると同時に、我が国においても古来一貫しているものであることを申し上げたいと思います。
すなわち、我が国最初の
憲法と言われる聖徳太子の十七条
憲法も、当時の
主権者である天皇にかわって、摂政たる厩戸皇子が当時の官吏に対して命じた法規範であり、一般
国民に対する命令ではないということです。
なお、先ほど保岡
議員の答弁では、
国民対
国家という対立概念ではない、それを乗り越えるんだというお話がありましたが、そもそも
国民対
国家が対立なのかそうでないのかという議論自体が、私は前提が違うと思っています。
国家というものの構成要素が三つある。その
国家というものの構成要素は、
国民であり、領土であり、公権力である。その公権力と
国民との関係を
規定しているのであって、
国家というのは、それを含んだ全体が
国家なのであって、そもそも
国家対
国民などという議論ではないということを申し上げておきたいと思います。
次に、
憲法改正の限界についてお尋ねがありました。
質問者の御指摘のとおり、
憲法がその同一性を損なうような
改正をすることはもはや
改正とは言えません。それは革命と評価されるべきものであります。
民主党は革命政党ではありませんので、現行
憲法の中で、
国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という三つの理念を変更することはすべきでないと思っていますし、それは現行
憲法の同一性を損なうものとして
改正が許されないものであるというふうに考えております。
次に、自民党の新
憲法草案についての評価のお尋ねがありました。
他党のことでもあり、また、第一次草案にすぎないとも聞いておりますので、深入りは避けたいと思っておりました。特にこの間、この六年間にわたりまして中山太郎
憲法調査会長を初めとして、また、壇上におられる
提案者の皆さんを初め
与党の皆さんは、少なくともこの間、
憲法調査特別委員会などの現場におきまして、党派を超えて幅広い
合意形成に向けて、まさに誠意を持って真摯に
対応してこられている、私たちもそれにこたえて誠意を持って真摯な
対応のもとに、
意見を一致させて
手続法をしっかりつくっていこうということでやってまいりましたが、どうやらそうした真摯な考えでいらっしゃるのは、残念ながら、
中山委員長や
提案者の皆さんを初めとする一部の皆さんで、そうでない人の方が圧倒的だということがよくわかりましたので、遠慮なく申し上げさせていただきたいと思っております。
御指摘のとおり、自民党の新
憲法草案は、今申し上げました
憲法の定義を全く理解していない論外のものであると強く申し上げたいと思っております。(
拍手)
憲法が、
国民から公権力に対する授権規範であり制限規範であることを考えると、
国民に対する命令と解される
内容が含まれていること、これは
憲法のイロハがわかっていない議論であると言わざるを得ないと思っています。また、そもそも
国会は、
国民の皆さんに対して
憲法の
範囲内で自由に義務を課すことができるのでありますから、
法律でこれを定めるという
規定を
憲法に書くだなんということ自体も、これまた
憲法のイロハがわかっていない議論である、こう言わざるを得ないと思っています。
国会は、
憲法に反しない限り自由に立法して
国民に義務を課すことができるんです。特に、皆さんは
国会の過半数を占めているんですから、自由に
法律を制定して、それで
国民に義務を課せばいいのであって、何でわざわざ
憲法に
国民の義務を課さなきゃいけないのか、さっぱりわけがわからない。そして、
憲法によって命令を発する主体である
国民が、同時に命令を受ける客体であるなどというのは、一種の論理矛盾であって、そんな論理矛盾のことを堂々と公党が提起されているだなんというのは、全く信じられないと申し上げておきたいと思います。
また、
法律でこれを定めるということについては、確かに、現行
憲法においてもそういう
規定があります。しかし、この
規定に意味があるのは、一九四六年
改正以前の日本の
憲法でも、勅令などという形で、いわゆる行政命令で、
法律によらないで
国民に義務を課すということが日本においても歴史的に行われてきた、そういう
経緯の中にあります。
したがいまして、この四六年
改正において、
法律でこれを定めると書いてあることの歴史的な意味は、こうした行政命令によってはこういうことをやってはだめですよということを
規定したことに法的な意味があるのであって、今や近代
憲法先進国の常識として、
法律に基づくことなく、つまり
憲法に基づくことなく
国民に変な義務を課しちゃいけませんよ、例えば課税をしちゃいけませんよとか、こんなことは常識なのであります。
こうした歴史的な常識、世界的な常識に反した方向で、むしろ、
法律の
規定によりという
規定をこんなたくさん設けていること、そして、やはりその中身を見てみると、実は
憲法で何らかの枠を設けるんじゃなくて、
法律でこれを定めるといって何でも好きなようにやってしまおうという話で、立憲主義そのもの、
憲法そのものを否定するような中身でありまして、まず、
憲法のイロハをしっかり勉強してきていただきたいということを申し上げたいと思っております。(
拍手)
なお、私が今申し上げたような認識は、例えば、皆さんも古くから改憲派の仲間でいらっしゃる小林節慶応大学教授なども同じようなことをおっしゃっているということを、ぜひ真摯に受けとめられるように申し上げたいと思っております。
国会法との関係、そして
憲法審査会の機能等についてのお尋ねがございました。
この点については、大体のところ、葉梨先生が御答弁されたことと私たちも共通の認識であります。その上で一言付言させていただくならば、私どもも、
憲法審査会ができたから、あるいはつくるということが、直ちに
憲法の
発議を
国会で議論をする、こういうことにつながっていくとは私は思っておりません。
なぜならば、まず、勘違いしている人たち、たくさんこの辺いらっしゃるようですが、
国民投票で二分の一の
賛成がなければ
憲法は変わらないんです。
国民の過半数の
賛成が得られるというこの感触をつかめない限り、我々は無責任に
発議はできないわけですね。同時に、
国会の中で三分の二を超える
合意形成が必要なんです。幸いなことに、
参議院においては自民党と
公明党では三分の二がございませんから、どうもけんかを売っているようでございますが、我々にけんかを売って三分の二がとれるのかよく考えていただきたいんですけれども、まず、三分の二を構成するためにどうやってコンセンサスを形成するのか、このことをしっかり踏まえて考えていかなきゃならないわけですね。
こういうことを考えていくならば、いきなり改憲の、
改正の
原案を出してそれを議論するだなんという話では、
国会の三分の二の形成も、
国民の二分の一の形成も不可能なことはちょっと考えればわかることでありまして、まずは、
中山委員長が頑張ってやってこられた五年間の
憲法調査会での議論を踏まえ、その
調査報告書を出発点にそれぞれの
論点について議論を深めていく、こういうところから議論がスタートしていくんだ、そして、
国民のコンセンサスが得られたらというときに初めて
発議がなされるんだ、こういうことになっていくんだというふうに考えております。
以上でございます。(
拍手)
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