○二階
国務大臣 田中角栄先生は、「
日本列島改造論」を世に問うに際して、いわゆる
最初の序文において「水は低きに流れ、人は高きに集まる。」と。それぞれの国の
発展の
経過等を顧みながら、また
国土開発、
都市開発という観点から、ちょうど永年勤続二十五年の表彰を受けられたそのときに、
自分は今後の
日本の
経済の
あり方について
考えてみたいということが発想のもとであったように私
ども承っております。
田中先生は、御
承知のように、あの雪深い
新潟の地でお生まれになって、そして、私
どもに常におっしゃっておられたことは、例えば、東京でも雪が降って道路でみんな滑って、つまり転んで、足を折って病院へ大勢詰めかけるというふうな、そんな
状況になったときもあります。たまたま私は目白のお宅でその日の昼ごろお会いをしたことがあります。そのとき、私は
国会議員の
仕事をさせてもらっておって、つらいとか苦しいとかきついとかということを思ったことはない、何となれば、もし
自分が今
新潟におれば、今ごろ屋根に上って
雪かきをしている、男の働き手は近所で雪をおろすことのできないようなお
うちの分もするから、やりかけたら一日
雪かきをしている、そのときのことを思えば、
国会議員として今働かせてもらっておって、今のこの
仕事が大変だ、きついというふうなことを思ったことはないと言って、私
どもに言い聞かせるようにおっしゃっておられたことを今思い起こすわけであります。
そして、
日本のいかなる
地域に生まれても人間は皆平等だ、そこで
お互いに
地域の
発展を目指して
政治家が頑張ると同時に、
国民の
皆さんもその恩恵を受けて
お互いの
生活の水準を高めるということが大事ではないかと。
したがって、
新潟に新幹線を引っ張られるときの胸の高まりの
一端をおっしゃったときには、こう言われました。
新潟の人が新幹線に乗って東京でもどこでも働きに行くことができる、会社が定期券を払ってくれる、ですから、働きに行く人に特別の負担はない、そして、会社もそれは経費で落ちるわけでありますから、これも特別の負担ということにならぬだろう、そういう中で循環してみんながいい
生活ができるように、そういう思いを込めて私はこの新幹線の問題に力を注いできた、こんなことを言われておりました。
「
日本列島改造論」、その後いろいろな問題が
指摘をされておりますが、私は、この
最初の発想というのはすばらしいものだと思います。そして、その声に促されて
全国各地で列島改造の道を歩んだ。一部御批判をされる向きもないではなかったんですが、ほとんどはその方向に向かって
日本国じゅうが走った。その恩恵を受けて随分
発展した
地域もあるわけでありますが、そこにひずみもある。そして、急激なそうした進歩といいますか
発展に基づいて、地価の高騰を招いた。もう
日本国じゅう、田舎のがけっ縁でも値段がするような、すべての人たちが総不動産屋だということをやゆされるくらい、そういう時期もあったわけであります。
私は今、
近藤議員の御
質問にお答えさせていただくとすれば、発想の中ですばらしい視点というものは、これは大いに
評価をしなければならない。しかし、どなたの発想であろうが、どんな
政策であろうが、やはりその
政策からまた別の
問題点が出てくる場合だってあるわけですから、そこはそこで修正を加えながら英知を結集していくということが大事だと思っております。
もう
一つ言わせていただければ、
日本の財政を何とか立て直さなきゃいけないということは、これは事実だ。しかし、長い間かかって積み上がった
日本の国の借金を、今直ちに解消するというふうな方法なんかあるわけがない。つまり、税金でもうんと高くすればそれは別でしょうけれ
ども、そんなことできるわけがない。それならば、もっとみんなが知恵を出さなきゃいけない。
例えば、大蔵省、昔の名前で言いますとそう呼びました、今の私
どもの通産省、こういうところも何もあの場所にいる必要はないではないか。こういうのは率先して埋立地へ移動するなどをして、あの
地域を総合的に開発して、民間の手によって大きく市街化を活性化させる、その利益を国庫に納めて国の借金を少しでも減らしていくというふうなことを、各地でそういうことを
考えていくなどということは大事だ。
役人は、私がそういうことを言うと一生懸命メモをとって帰る。メモをとって帰るけれ
ども、だれも実行した者はいない。私にそういうことをしゃべらせるだけしゃべらせて、だれも実行しない。そういう思いがあったであろうと思いますが、私は大変尊敬もし、
評価もしております。