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鳩山(邦)
委員 やはり、多少私とは違うんですね。私は、
不易のものが抜けていたことが、今日の漂流する
日本、そういうふうに見えて仕方がない。
そのことをもう早々見抜いている人がいるんですね。それは
鳩山一郎という人でございまして、
昭和三十一年の二月に、
現行の
教育制度は
占領下という特異な
情勢のもとに行われ、
我が国の実情に即しない点もありますので、
教育制度の
改正が慎重を期すべきことは当然ですが、次代の
国民の育成に重要な影響を与えるものでありますから、できるだけ早く
改正したいと
思いまして、
憲法改正を待たずに
提出したわけでございますと。つまり、祖父も、今と同じ、
憲法を
改正したい、
教育基本法を変えたいと、
臨時教育制度審議会設置法案でそのように述べているわけですね。
それで、
清瀬一郎文部大臣は、第一の
方向は
教育目的に関する反省だ。例えば
国家に対する
忠誠というものがどこにもない。いかに
民主国といえ
ども、国をつくっている以上、国に対する
忠誠心は鼓吹すべきものであろうと
思います。
日本人は
日本人としての
伝統がある。この
伝統を交えた
日本の理想を描いて、それに近づくように国も進め、
個人も進む、これが
道徳なんですと。
つまり、
昭和三十年、
教育基本法ができてまだわずか八年というようなとき、あるいは九年でしょうか、そのころに、この
教育基本法には、
日本の最もいい、
不易な
部分が抜け落ちておるぞ、こういうことを言っておったわけです。
ただ、そこから
民主党さんとは
意見が違うのです。それには
緊急性がある、早く魂をまた入れ直さなくちゃいけないので、
憲法改正を待たずに
教育基本法を
改正しようと
鳩山一郎は言ったということを、御党の
幹事長によく教えておいてください。
そういうことですが、例えば、
金美齢さんが数日前に講演したのが新聞に出ておりますが、「
日本人がしなくてはいけないことは、
日本の
伝統的価値や
文化を
基本に据えることだ」「約束を守る、和を尊ぶといった
日本の
美徳や倫理が、戦後六十年でどんどんおろそかにされている」「「
国際」を無防備に受け入れるなかで、
伝統がどんどん崩壊している。それは
国際社会で勝負するもっとも大切なカードを失うことだ」、こういうふうに言っているわけでございます。
ここに、
昭和三十年一月一日の朝日新聞がございます。ここで再び登場するのが
鳩山一郎という人でございまして、ここで何と言っているかというと、
鳩山一郎は、
総理大臣として、長期にわたる
占領政治によって、我ら
同胞は、とかく長いものに巻かれろ、権力には盲従せよとの観念に支配されて虚脱に陥り、
民族の
自主性を喪失したのではないかと思われる節が少なくないのであります。これを全面的に是正して、真に大
国民たるの自信を取り戻すこと。国情に合わぬ
占領政策を勇敢に修正を加える。人心を新たにして、
同胞の向かうべき
方向を決定したい。これが
昭和三十年の文章でございます。
私は、
憲法と
教育基本法の密接な
関係はわかるし、これを
議論するならば、ぜひそういう
方向で、いいものを持ってきた
日本、私は
戦争責任というのはあると
思いますよ。それで、その
戦争責任、当時の
リーダーたちは、多くの
同胞を死に至らしめたという、もちろん他
国民も含めて、そういう
戦争責任はあると思うが、同時に、こんなすばらしい国が、無理な戦をして負けることによって、巧みに巧みに
民主化という美名のもとで魂を抜かれ続けて、経済的には発展したけれ
ども、
経済成長の量に対して幸福の量が
正比例関係にない、何か漂流するような、アイデンティティーを失うような今の
日本というものをつくってしまった、そういう
責任を
戦争を引き起こした
人たちには感じてもらいたいというような
思いがあります。
そこで、ここに
資料をお持ちしたのは、これは、
日文研、
国際日本文化研究センター、梅原猛
先生的、安田喜憲教授的な
考え方を私なりにまとめたものでございまして、
世界文明というのは、これは、ギュンツ、
ミンデル、リス、ウルムという四回の氷河期が終わって、終わったのは一万四千五百年前です。五百年の間に
植物は今のような状況に一気に遷移するわけですが、そこで既に、
稲作あるいは牧畜、麦作の原型というのはできていくんです。五千年前、六千年前に生じたんじゃない。もう後
氷期になってすぐに
文明の二つの源流ができるんですね。
「森の民」と「家畜の民」と書きましたが、これは
植物文明、
動物文明という比較でもいいんですが、要するに、
稲作をやって森の中で暮らす、これが自然と共生する。永劫の再生と循環という思想の中で、太陽は、夜になると死ぬけれ
ども、また朝よみがえるというような
考え方、冬から春へ来るときも同じでございましょう。こういう森の中でいろいろなものを収穫する、あるいは稲をつくる。彼らは、
土地を拡大する必要が全くありませんから、自然と共生して、同じ領地というか同じ
土地の中で幸せに暮らすことができる。
ここに書いてあるように、
縄文文明は
武器をつくることさえ知らなかった。あるいは中国の
長江文明も
武器すらつくる必要がなかった。しかも、
病気がなかったわけですね。
動物を無理に飼育しませんから、
病気がない。はしかというのは、あれは犬の
病気です、これを
人間の
世界に取り入れている。
ハンセン氏病は水牛です。結核、ジフテリア、天然痘は牛です。インフルエンザは豚と鶏から
人間はうつるわけです。
縄文時代や、あるいは同じ自然と共生する民が住んでいたアメリカ大陸、インディアン、インディオは一切そういう
病気はなかったわけですね。まことに平和だ。
宗教的に言えば、仏教の
山川草木悉皆成仏という
考え方。神道、ありとあらゆるものに神を見る。要するに、
自然界のすべてに対する畏怖ですね、道教が同様で。
この間、
小坂文部大臣はすばらしい
答弁をされた。我々はこの大自然の中で生かさせてもらっていると。まさにその
考え方がこの上の
文明で、下の
文明は、実は今日の
科学技術文明を生んだのはこういう
文明で、私は
宗教に対して極めて寛容の
態度を持っているわけですが、これは、別に
宗教を批判しているわけでも、なじっているわけでもありません。ただ、一神教的ですと、どうしても、
人間、愛を
中心に訴え、
人間のためには他を奪ってもいいというような。したがって、「敵を作る
文明 和をなす
文明」という本も出版されて、その出版された直後にあの
イラク戦争が始まったときに、ああ、なるほど、自然と共生しない
文明同士が
戦争を始めたなという印象を私が持ったのは事実です。
一番重要なことは、四大
文明は、全部下の方の、自然を破壊する
人間中心の
文明なんです。
長江文明というのは上なんです。自然と共生する
文明。それを、
夏王朝以来の、尭、舜、禹以来のいわゆる
黄河文明は徹底的に自然を破壊したから黄砂が飛んでくるわけですが、彼らが南下して
長江文明を破壊した。そのボートピープルが、鹿児島県のニニギノミコトが漂着した笠沙の浦にやってきた、こういうことになるわけでありましょうが、
日本には、
縄文時代以来、自然と共生する立派な
文明があった。
この
文明原理はずっと根本において続いてきていますから、
我が国の
森林被覆率が六割を優に超すというのは、こういう
日本のすばらしい
文明のおかげであり、いろいろな方が
日本人の
美徳と言われるものは、やはり
文明の質なんだと思うんですね。
台湾人の蔡焜燦さんが、「
台湾人と
日本精神(リップンチェンシン)」という本を書かれた。それは、
日本に統治された五十年はあったけれ
ども、その後の
白色テロ、
国民党の五十数年よりはよかったということも書いてあって、
日本人のいい点がいっぱいあったのに、今、
日本に来るとみんな失われているじゃないかということを、
金美齢さんと同様に言っておられる。
この森の
民由来の
先進国というのは、実は
日本だけなんですね。例えば、自然と共生する
ケルト人の古
ヨーロッパ文明というのがあった。
ゲルマン民族に追われて
イギリスへ、
イギリスを追われてアイルランドへ。その
ケルト人の歌がエンヤさんのつくる歌であり、C・W・ニコルさんが
日本でアファンの
森づくりをやっているのではないか。
私は、そういうすぐれた
文明の担い手だった
日本、そのことを理解させることがあって初めて、国を愛する心や
態度が生まれるのではないか。それをとにかくこれからの
教育では教えていただきたい。それが
日本人の誇りになり、アイデンティティーになると思うのです。誇りもアイデンティティーもなかったら愛国心は生まれてこない、こう思うんですが、
文部科学大臣、私の
説明に合った
答弁をしてください。