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2006-06-02 第164回国会 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第8号
公式Web版
会議録情報
0
平成十八年六月二日(金曜日) 午前九時一分
開議
出席委員
委員長
森山
眞弓君
理事
岩永
峯一
君
理事
小渕 優子君
理事
河村 建夫君
理事
田中
和徳君
理事
町村
信孝君
理事
大畠
章宏
君
理事
牧 義夫君
理事
池坊 保子君
飯島
夕雁君
稲田
朋美
君 岩屋 毅君
臼井日出男
君 遠藤 利明君
小此木八郎
君 大前 繁雄君
加藤
勝信
君 海部 俊樹君
北村
誠吾
君 小島 敏男君
小杉
隆君
坂井
学君
清水清一朗
君
塩谷
立君 島村 宜伸君 下村 博文君 関
芳弘
君
薗浦健太郎
君
谷本
龍哉
君
土屋
正
忠君
戸井田とおる
君
中山
成彬
君
西銘恒三郎
君
西本
勝子
君
橋本
岳君
鳩山
邦夫君
藤田
幹雄
君
馬渡
龍治
君
松浪健四郎
君
松野
博一
君 やまぎわ大志郎君
矢野
隆司
君
若宮
健嗣
君
奥村
展三君
川内
博史
君
高井
美穂
君
土肥
隆一
君 中井 洽君
西村智奈美
君 羽田 孜君
藤村
修君
松本
大輔
君
山口
壯君 横光 克彦君 笠
浩史
君 太田 昭宏君 斉藤 鉄夫君
石井
郁子
君
笠井
亮君 保坂
展人君
糸川 正晃君 保利
耕輔君
…………………………………
議員
達増
拓也君
議員
藤村
修君
議員
笠
浩史
君
議員
高井
美穂
君
議員
武正
公一君
議員
鳩山由紀夫
君
文部科学大臣
小坂
憲次君
国務大臣
(
内閣官房長官
)
安倍
晋三君
国務大臣
(
少子化
・
男女共同参画担当
)
猪口
邦子君
文部科学
副
大臣
馳 浩君
文部科学大臣政務官
吉野 正芳君
政府参考人
(
警察庁生活安全局長
)
竹花
豊君
政府参考人
(
文部科学省
生涯
学習政策局長
)
田中壮一郎
君
政府参考人
(
文部科学省初等中等教育局長
)
銭谷
眞美
君
政府参考人
(
文部科学省高等教育局私学部長
)
金森
越哉君
政府参考人
(
文部科学省スポーツ
・
青少年局長
)
素川
富司
君
衆議院調査局教育基本法
に関する
特別調査室長
清野 裕三君
—————————————
委員
の異動 六月二日
辞任
補欠選任
稲田
朋美
君
西本
勝子
君
臼井日出男
君
藤田
幹雄
君
北村
誠吾
君 関
芳弘
君
小杉
隆君
飯島
夕雁君
中山
成彬
君
薗浦健太郎
君
西銘恒三郎
君
加藤
勝信
君
松浪健四郎
君
矢野
隆司
君
松野
博一
君
谷本
龍哉
君 森
喜朗
君
塩谷
立君
若宮
健嗣
君
土屋
正
忠君
奥村
展三君
川内
博史
君
松本
大輔
君
高井
美穂
君
山口
壯君
土肥
隆一
君
石井
郁子
君
笠井
亮君 同日
辞任
補欠選任
飯島
夕雁君
小杉
隆君
加藤
勝信
君
西銘恒三郎
君
塩谷
立君 森
喜朗
君 関
芳弘
君
北村
誠吾
君
薗浦健太郎
君
中山
成彬
君
谷本
龍哉
君
坂井
学君
土屋
正
忠君
橋本
岳君
西本
勝子
君
馬渡
龍治
君
藤田
幹雄
君
臼井日出男
君
矢野
隆司
君
松浪健四郎
君
川内
博史
君
奥村
展三君
高井
美穂
君
松本
大輔
君
土肥
隆一
君
山口
壯君
笠井
亮君
石井
郁子
君 同日
辞任
補欠選任
坂井
学君
松野
博一
君
橋本
岳君
若宮
健嗣
君
馬渡
龍治
君
清水清一朗
君 同日
辞任
補欠選任
清水清一朗
君
稲田
朋美
君
—————————————
本日の
会議
に付した案件
政府参考人出頭要求
に関する件
参考人出頭要求
に関する件
教育基本法案
(
内閣提出
第八九号)
日本国教育基本法案
(
鳩山由紀夫
君外六名
提出
、
衆法
第二八号) ————◇—————
森山眞弓
1
○
森山委員長
これより
会議
を開きます。
内閣提出
、
教育基本法案
及び
鳩山由紀夫
君外六名
提出
、
日本国教育基本法案
を一括して議題といたします。 この際、お諮りいたします。 両
案審査
のため、本日、
政府参考人
として
警察庁生活安全局長竹花豊
君、
文部科学省
生涯
学習政策局長田中壮一郎
君、
初等中等教育局長銭谷眞美
君、
高等教育局私学部長金森越哉君
、
スポーツ
・
青少年局長素川富司
君の
出席
を求め、
説明
を聴取いたしたいと存じますが、御
異議
ありませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
森山眞弓
2
○
森山委員長
御
異議
なしと認めます。よって、そのように決しました。
—————————————
森山眞弓
3
○
森山委員長
質疑の申し出がありますので、順次これを許します。
大畠章宏
君。
大畠章宏
4
○
大畠委員
おはようございます。
民主党
の
大畠章宏
でございます。 きょうは、この
教育基本法
に関する
特別委員会
で初めて質問をさせていただきますが、大変重要な、
歴史
ある
教育基本法
について
論議
をする、このことについて、いろいろとこれまでの
経緯
、
歴史
を
検証
しながら、どういう形で
教育基本法
について
考え
るか、そのことを少し過去を振り返りながら質問させていただきます。 同時に、この
特別委員会
、きょうは
小坂文部大臣
、
官房長官
、そして
猪口大臣
も御
出席
でございますが、私
たち
は、
教育基本法
というのは大変、これからの
日本
の、
日本人
の将来、
未来
に対して大きな影響を与える、そういう
意味
から重要な
法律案
であるということで受けとめ、私
たち自身
も
努力
をして、今日まで参りました。 したがいまして、これまでの
経緯
あるいは
与党
の方でつくられました
閣法
というものについて、それぞれ各
大臣
から、どういう
考え
をお持ちなのかということをお伺いさせていただきます。同時に、
民主党
の
提案者
におきましても、私が御質問することについてどのような
考え
をお持ちなのか、これも並行してお伺いをさせていただきます。 私
自身
も
教育基本法
というものをいろいろと調べさせていただきましたけれども、
日本
の
教育基本法
は
教育勅語
というものに深く関与しているということは、
皆様方
も
御存じ
のとおりであります。
町村筆頭理事
も
文部大臣
をされておりまして、それも二回
文部大臣
をされるという深い経験をお持ちでありまして、この問題については重々御
理解
をされていると思うんです。 そこで、最初に、お
手元
に
教育勅語
の
現代訳
というものを配付させていただきました。私は、この
資料
はある方からいただきまして、全
社員
の方に、このような手帳の中に入れて
社員
の方に配っているらしいんです。これは
社員
の
教育
と、そしてまた、さまざまな格言等々も入っておりまして、こういうことで仕事をやっていこうよという、その中の一つでありますけれども、ここに私は、GHQ、
昭和
二十年八月十五日、
日本
が
敗戦
をした後、これは朗読しちゃだめだということで
禁止
をされましたけれども、この
内容
のどこが悪かったのか、これが
検証
をされないまま、どうも
教育基本法
というものの成立に至ってしまったんじゃないか。 したがって、例えば私なんかが
考え
ますと、 私
たち
は、子は親に対して
孝養
を尽くすことを
考え
、
兄弟
・
姉妹
は互いに力を合わせて助け合うようにし、
夫婦
は仲睦まじく温かい
家庭
を築き、
友人
は
胸襟
を開いて信じあえるようにしたいものです。そして、
生活
の中での
自分
の言動については慎みを忘れず、すべての人々に愛の手をさしのべ、生涯にわたっての
学習
を怠らず、職業に専念し、知性や品性を磨き、更に進んで、
社会公共
の為に貢献することを
考え
、また、
法律
や秩序を守り、
非常事態
や
社会生活
に困難が生じたような場合には、真心をもって国や
社会
の平和と安全に奉仕することができるようにしたいものです。 こういう文言が真ん中に入っているわけでありますが、私は、今、
日本
の
社会
を見ると、こういう
基本
的な
考え方
がどこか薄れ始めている。とにかくお金で買えないものはない、何でもいいから買い占めてしまえば
自分
のものになる。そして、そういう人が結局、
衆議院議員選挙
に立候補して、みんなが応援して、その後、今度は
拘置所
に入る。こういうことが繰り返されていて、私は、何が
日本人
の
基本
なのか、
大人社会
がほとんどこういう
内容
について示していない。その中で
子供たち
が育っていて、
子供たち
も
一体
何を目標にしたらいいかわからなくなってきているんですね。 ですから、
教育基本法
をいろいろ
考え
る前に、
一体
、
歴史
的に、
教育勅語
というものの中身で何が悪かったのか、この
検証
がされていないところに、私はどうも
日本
の国の混乱があるように感じて仕方ありません。この件について、
小坂文部大臣
並びに
官房長官
、
猪口大臣
、そして
提案者
から、まずこの件についてのそれぞれの御
認識
をいただきたいと思います。
小坂憲次
5
○
小坂国務大臣
大畠委員
が御
指摘
なさいましたように、
明治
二十三年、
教育勅語
が発せられまして、およそ半世紀にわたって
我が国
の
教育
の
基本理念
とされてきたものでございます。 しかしながら、戦後の諸
改革
の中で、
教育勅語
を
我が国教育
の
唯一
の
根本
とする
考え方
を改めるとともに、これを神格化して取り扱うことなどが
禁止
をされ、これにかわって、
我が国
の
教育
の
根本理念
が定められるものとして、
昭和
二十二年三月に現在の
教育基本法
が
制定
をされたわけでございます。この
教育基本法
につきましては、
昭和
二十一年六月の
帝国議会
において、当時の
田中耕太郎文部大臣
が、
教育
の
根本法
というべきものの
制定
についての
考え方
を
答弁
され、これをきっかけとして
制定
に至ってきたものでございます。
委員
がただいま御
指摘
をなさいました、
我が国
の
戦前教育
、そのもとにあった
教育勅語
のどこが悪かったのか、こういう御
指摘
でございますけれども、
そのもの自体
というよりも、
明治
五年に学制を公布いたしまして
近代学校制度
を導入して以来、
国民
の熱意や
努力
もあって、全体として見れば、
我が国
の
近代化
に大きく貢献してきたことは間違いのないところでございます。 しかしながら、一時期、
戦時下
を中心とする
軍国主義
及び極端な
国家主義
的な
教育
が強まったこともあったと
考え
るわけでございまして、そのような点についての反省に立って、現行の
教育基本法
は、民主的で平和的な
国家建設
に向けて
我が国
の
教育
の
根本理念
を定めるものとして、
日本政府
の
発意
によりまして、
帝国議会
の
審議
を経て
制定
されたものであるわけでございます。 したがいまして、この
教育勅語
のどこが間違っているということについては、
教育勅語
の道徳的な、
道徳訓
というようなそういう
精神
はいつの世にも必要なもの、それが
憲法
で否定されているものでない限りこれは生き続けるもの、こうも
考え
るわけでございますけれども、しかし、戦後
教育
は、そういったただいま申し上げたような事情により、
教育基本法
を新たに
制定
し、それを
教育
の
根本理念
として今日的な
教育制度
というものを構築してきたところでございまして、そのように御
理解
を賜りたいと存じます。
安倍晋三
6
○
安倍国務大臣
確かに、
大畠先生
が御
指摘
になられますように、私
たち
の進むべき道、この口語訳された、また現代語訳されたものを見ますと、「子は親に対して
孝養
を尽くす」「
兄弟
・
姉妹
は互いに力を合わせて助け合う」「
夫婦
は仲睦まじく温かい
家庭
を築き、
友人
は
胸襟
を開いて信じあえる」、大変すばらしい
理念
が書いてある、このように思うわけであります。 しかしながら、この原文につきましては、いわば
皇運
という
言葉
がされていたり、いわば新
憲法
の
理念
、
教育基本法
が
制定
されたときにはまだ旧
憲法
でありますが、既に新
憲法
はつくられていたわけでありますが、その中で新たな
教育
の
理念
を定めたものが
教育基本法
である、このように思うわけでありまして、戦後の諸
改革
の中で、
教育勅語
を
我が国教育
の
唯一
の
根本
とする
考え方
を改めるとともに、これを神格化して取り扱うことなどが
禁止
され、これにかわり、
我が国
の
教育
の
根本理念
を定めるものとして
昭和
二十二年三月に
教育基本法
が成立されたものである、このように
理解
をいたしております。
猪口邦子
7
○
猪口国務大臣
大畠先生
にお答え申し上げますが、既に
文科大臣
と
官房長官
から
答弁
があったとおりであると
考え
ております。 やはり民主的で平和な
国家
をつくるというところへの思いが、当時
日本政府
として
発意
し、そして
帝国議会
で
制定
されていくそのプロセスにあったのではないか、その部分がとても重要ではないか。そして、その民主的なる
制度
ということの前提で
教育
を
考え
ていくということから、この
教育勅語
についての、当時の
教育制度
について
発意
をされた方々の
考え方
が示されたのではないかと思っております。
達増拓也
8
○
達増議員
まずは、
大畠委員
の、現
教育基本法
の
歴史的背景
についてということで、まず
教育勅語
からさかのぼって検討するというその姿勢については、これは非常に重要なことだと
考え
ておりまして、
憲法調査会
で行われているような
憲法制定
のそもそもの
歴史
、そうした
背景
のところから
国会
として、院としてきちんと
理解
を深めながらこの
教育基本法
の議論を進めていかなければならないということ、本当にそのとおりだと思います。 さて、
教育勅語
につきましては、これは
衆議院
の
事務局
に長く勤め、
国会議員
も経験しているある方が述べていることですけれども、
議会制民主主義
というものは、欧米で発達するに当たって、
キリスト教的倫理
に支えられていた、
日本
が
明治維新
後、西洋で発達した近代的な
民主主義
を導入するに当たって、やはり何か倫理的な
精神
的な支えをきちんと持つ必要があった、そういう中で、いわば
憲法
附属法的な
趣旨
を込めてこの
教育勅語
が
制定
されたということを説いていまして、そういった観点からいたしますと、
日本
は
歴史
上、いわゆる王道というよりは覇道が物を言う、そういう局面が多々あり、それは今もそういう
危険性
は変わっていないんだと思います。
太平記
に描かれるような裏切り、うそ偽り、そうしたものがまかり通り、まさに勝てば官軍という、
明治維新
の際もそのような
権力闘争
や謀略などがかなり渦巻いたという
指摘
もございまして、そういう中から、改めて
国づくり
をきちんと
未来
に向かって進めていくに当たって、この
教育勅語
のような、
教育
を通して
日本
として倫理的な
基盤
をつくって
国づくり
を進めていかなければならないということが志されたのだと思いますが、しかし、その後の
歴史
を見ますと、必ずしもそれがうまくいかなかった。これは
研究調査
をさらに重ねる必要があることだと思いますけれども、やはり、この
教育勅語
というものが歯どめとして十全にきかなかった、あるいは逆に
日本
を悪い方向に持っていく濫用が行われてしまった、そういったところはさらに
研究調査
していかなければならないと思います。
大畠章宏
9
○
大畠委員
それぞれこの
教育勅語
というものに対する御
認識
を伺ったんですが、きょうお
手元
にお配りしました
資料
の二ページ目には、
敗戦
後どういう形でこの
教育基本法
というのが
制定
されたかという
史実
が書いてございます。もうこの
特別委員会
の
委員
の皆さんにおかれましては、特に
与党
の方では十人の
文部大臣
がおられるということで、もう既に釈迦に説法かもしれませんが、私なりに、大変重要な事実でありますから、振り返らせていただきます。 八月十五日、
ポツダム宣言
を受諾いたしまして、九月十五日、文部省が新
日本
建設ノ
教育
ノ
方針
というものを発表しました。十月十一日は、
マッカーサー連合国最高司令官
が首相に
憲法改正
を示唆いたしました。二十二日は、
連合国軍最高司令部
が、
日本教育制度
に対する
管理政策
を指令した。そして、二十一年三月五日には、
米国教育使節団
が来日し、一カ月にわたって
調査
を行い、
報告書
を
提出
いたしました。その後、
憲法改正
が行われました。これが六月二十日、
帝国憲法改正案
を
衆議院
に
提出
。そして、
議会
における
帝国憲法改正案審議
において、
田中文部大臣
が、
教育根本法
のごときものの
制定
を考慮しているという
答弁
をし、その後、この問題について
論議
をしながら、三ページ目に入りますが、
教育刷新委員会
に第一
特別委員会
というのを設置して、そして、その一方で、十月の六日に
貴族院
で
日本国憲法
が議決され、翌七日には
衆議院
において同意をし、そして十一月三日、
日本国憲法
が公布され、その後、十二月二十七日、この
刷新委員会
で建議を行って、翌年、
昭和
二十二年三月四日、
教育基本法案
の
閣議決定
がされまして、その後、枢密院の諮詢を経て、
教育基本法案
を第九十二回
帝国議会
に
提出
をし、
衆議院
本
会議
における
趣旨説明
、そして
貴族院
における
趣旨説明
を経て、三月の二十五日、可決を見たところであります。 そこで、
一体
、この現在の
教育基本法
についてでありますが、お
手元
の
資料
の四ページ目には
ポツダム宣言
がございます。私
たち
は、この
教育基本法
というものがどういう過程で成ってきたのかという
意味
では、大変重要な視点だと思いますので、
参考
にさせていただきました。 この戦後
教育改革
の胎動というところでは、「当然、
軍国主義
と超
国家主義
の
教育
は
禁止
されるとともに、新しい
民主教育
を生み出す、戦後
教育改革
が胎動しはじめた。」ということで、この
ポツダム宣言
の中には、「合衆国、
英帝国及中華民国
の巨大なる陸、海、空軍は、西方より」
云々
ということで、「
右軍事力
は、
日本国
が抵抗を終止するに至る迄、同国に対し戦争を遂行するの一切の
聯合国
の決意に依り支持せられ」
云々
というのがありますが、こういうものを八月十五日、受諾し、それがスタートとなって
教育制度
についても
連合国
が深く関与してきたことは、これまでの
委員会
での
審議
の中でも
指摘
されているところであります。 具体的には、一九四五年十月二十二日、「
日本政府
の新しい
内閣
に対して、
教育
についての占領の
目的
と
政策
を、よく解らせるために、次のように指令する。」「
軍国主義
の
考え
と極端な
国家主義
の
考え
をひろめてはならない。それで
軍事教育
と
軍事教練
はすべてやめる。」「
教育関係者
はすべて、次の
方針
によって、取り調べた上で、留任させ、退職させ、復職させ、任用し、再
教育
し、取りしまる。」
云々
というのがあります。ここまで深くいわゆる
連合軍
は関与したわけであります。 その次のページ、六ページ目には、
米国教育使節団
に協力すべき
日本側教育委員会
の
報告書
というのが出されております。三十一名で組織された
委員会
で作成されたもので、一部が
アメリカ教育使節団
に、一部が
文部大臣
を通して
政府
に
提出
されただけで、公表はされなかった秘密の文書と言われている。ここにも、
教育勅語
が
云々
ということで、
教育勅語
が問題ではないかという
指摘
がされておりまして、ここら辺から
教育勅語
は朗読してはならないという話になり始めているところであります。 さらに、七ページ目、これも
アメリカ
の
教育使節団
が
日本
の国の何が問題かということをいろいろ
指摘
しているわけでありまして、
教育
の
目的
の中に、
個人
という
言葉
は、
子供
にも
大人
にも、男にも女にも、同様に当てはまることも了解されなければならない、
個人
というものをもっと強く持たなければならないということが
指摘
されているところであります。 それから、
皆様方
ももう
御存じ
かもしれませんが、
アメリカ
の
教育使節団
の
報告書
を見ますと、ずらっとこの
教育使節団
のメンバーが書いてありまして、その中で私はちょっと目をとめたのは、九ページ目の、「
日本
は、
結束力
の固い
家族制度
を
基盤
にした
社会的関係
という一種の芸術を創り出した国であるから、
同胞愛
から出発して平等に到達できるかも知れない。」非常にかたい
家族制度
というものが
多分目
についたのでありましょう。同時に、「
日本
の新しい
精神生活
は、超
国家主義
が宗教の仮面のもとに行使する権利を拒否することによって、すでに一歩前進した。」と書いてありますが、こういうふうに
アメリカ
の
使節団
では目にしたのではないか、
日本
の現状について。 それから、その十ページ目には、
日本
の
教育
の
目的
及び
内容
ということで、「高度に中央集権化された
教育制度
は、たとえ超
国家主義
や
軍国主義
の網に捕えられることがなくとも、強固な
官僚主義
に伴う害悪によって危険に陥るものである。」こういうふうな
指摘
もあるわけであります。 さらには、驚くことに、十一ページ目、
国語改革
についても
米国使節団
は関与しているわけであります。「ある形式の
ローマ字
が一般に使用されることを勧める。」私も小学校のときに
ローマ字
を習いましたけれども、こういう
背景
で来たのかなと思うんです。 とにかく、その後、この十二ページ目には、
教育刷新委員会
の
会議録
の中でさまざまな
やりとり
がありました。十三ページ目には、
教育勅語
を読むという
意味
において、「非常に神格化した読み方に付ても、是は私は今後の行き方に付て少し
考え
なければならぬ。
白手袋
を嵌めて捧げ持って読むというような形が、
国民全般
としてそれで宜いかどうかというような点が又
考え
られる」と。 それから、いろいろな
やりとり
が非常に細かく
議事録
として残っております。十四ページ目もそのような話でありますし、特に私が目にしたのは、この十四ページ目の後ろの方ですけれども、二十番の関口さんという
委員
が、「そういうことを
政府
がやるということはどうですか。」五番の
芦田委員
が、「
政府
がやるのではありませぬ。
政府
というのは多数党の
代表者
ですから
——。」
これも、
教育勅語
にかわるものを何かつくろうというときに
論議
したものでありまして、この
芦田
さんという方、「
政府
がやるのではありませぬ。
政府
というのは多数党の
代表者
ですから
——。」
ここが非常に私は、この当時、
日本
の
教育
をどうするかというときに、かなり
論議
した中で、非常にポイントをついた発言ではないかと
考え
ております。 それから、次の十五ページ目、これは、
アメリカ軍
との協議の
内容
が事細かに、こういう話であるという
議事録
が残っております。 さらには、十六ページには、ドラフト・オブ・ジ・エデュケーショナル・ファンダメンタル・ローということで、
教育基本法
の
英文
の原本があるわけでございます。
日本国憲法
も
英文
から始まったということでありますが、
教育基本法
も
英文
に盛っていろいろ
審議
されていたという事実があります。 十七ページ目は、このような
審議経過
があり、かつその
委員会
の中で詳しいこの
やりとり
がございます。 十八ページ目のところには、「昨年九月
内閣
に設けられましたところの
教育刷新委員会
におきまして、約半歳にわたりまして、
慎重審議
を重ねましたところの綱要をもとといたしまして、
政府
において立案作成したところのものでございます。何とぞ」
云々
とありますが、結局、この
審議会
で
論議
したものを原典として、いわゆる
政党
は関与しないで、成案を見て、
内閣閣法
として出しているという
史実
でございます。 もちろん、十九ページ目には、不当な支配に服することなくということについてもいろいろな
やりとり
がございました。この当時は、軍部あるいは
官僚
あるいは
政党
、そういうものが不当な干渉をしないようにということであったようでございます。 こういうその
歴史
的な
背景
を見ますと、
文部大臣
、現在の
教育基本法
というのがどれほど制約された中、あるいは国語でさえ、まあ
ローマ字
にしてしまおうじゃないかといういろいろな
論議
があった中で、軍部と
官僚
と学者、こういうものがいろいろ知恵を絞りながらこの
教育基本法
に成り立ち、そして、それをまるっきり
政府
は受けて、
閣法
として
提出
したんですね。 だから、現在の
教育基本法
というのは、本来、部分改正とかなんかじゃなくて、もう戦後六十年たっているわけですから、独立
国家
として、どこからも圧力を加えられることなく、その当時の学識経験者の皆さんが、これからの
日本
を
考え
て、自由な立場で、そして
論議
をして、
政党
がいろいろ関与したり、あるいは政権がいろいろ関与したのではなくて、私は、そういう形で、全面的にというか、全く新しい
教育基本法
をつくるべきではなかったのか、この
歴史的背景
から
考え
ますとそう
考え
ますが、
文部大臣
はどのようにお
考え
でしょうか。
小坂憲次
10
○
小坂国務大臣
大畠委員
におかれましては、現
教育基本法
の
制定
に至る
経緯
を振り返っていただきまして、わかりやすく御
説明
をいただきました。 その中で、今日の
教育基本法
が、占領下における
連合軍
の指示が色濃く反映したものだという御
指摘
の中で、廃案とすべきだという御提案でございます。そして、新たに
制定
をすべきものである、こういう御
認識
を示されたわけでございますが、現
教育基本法
も、御
指摘
をいただいたように、
日本政府
の
発意
によりまして、
帝国議会
の
審議
を経て
制定
をされたものでございます。 そして、占領下ではありましたけれども、
我が国
の新しい
教育
の
根本理念
を示すものとして、
日本政府
の
発意
というものになされたわけでございますし、その
審議
の過程においては、
議会
での
審議
を経たりということにおいて、手続的にも、また正当性においても疑いのない中で
制定
をされたわけでございます。 法令の
内容
を全面的に改める場合、全部改正でなくて現行法を廃止して、そして新たに新法を
制定
するという方法もあるわけではございますけれども、
制度
そのものの
基本
は維持するということをする場合には全部改正の方式をとる、そして、改正前と改正後の継続性を強調する必要がないときや継続性が比較的薄いときには廃止、そして新法
制定
の方式をとることが多いわけでございまして、今回の
基本
法案は、現行
基本
法に掲げられる普遍的な
理念
を今後とも規定していくことから、全部改正という方式をとらせていただきました。 なお、
国会
に
提出
した法案についてどのような
審議
を行うか。これはもとより
国会
がお決めになることでありまして、
政府
としては、十分な検討の上
政府
案を
提出
したところでございまして、
国会
においての適切な御
審議
をいただき、速やかに御賛成を賜りたくお願いを申し上げるところでございます。
大畠章宏
11
○
大畠委員
私は、今、私
自身
で長々と過去の
経緯
について申し上げましたけれども、このような屈辱的な
歴史
的な
背景
を持つ
教育基本法
を、なぜ部分的に修正して今度
与党
が出そうとしているのか。もちろんさまざまなことがあったとは思うんですが、それも、いわゆる
戦時下
にあっても、
政党
とかそういうものが関与をしない形で、いわゆる
教育刷新委員会
の中で、
連合軍
とか何かがいろいろ入ってやったと思うんですが、そこで
論議
した結果をそのまま
内閣
は
閣法
として
提出
しているんですね。 今回、
与党
案というのは、中教審で
論議
されて、二年間の
審議
を経て、さまざまな、
国民
の皆さんにもパンフレットとか何かで、こういうことをやりますとヒアリングはやりました。そして、いろいろ、成案を出したが、その後三年間、いわゆる
与党
内で
論議
をしているんですね。
論議
をして、いろいろと字句を修正して出してきているんですが、我が党も対案を出しておりますが、私は、そのところがどうも腑に落ちないんです。 今回、中教審答申の
資料
が、私のお示ししました
資料
の二十ページ目から、中教審の
審議
の経過ということで、平成十三年の十一月二十六日からずっと行いましたと。そして、第二十六回総会以降、公聴会を五回行いましたし、さまざまな分科会等で、懇談会等でいろいろ
論議
を経ながら、平成十五年三月二十日に
文部大臣
にその答申を出したということでありまして、その後、二十三ページ目には、その
委員会
での質疑というものも、いろいろ、こういうことを
論議
しましたというのがあるんですね。 その後、二十四ページ目から、これは
与党
の
理事
の皆さんの御
努力
で出していただきましたが、平成十五年五月十二日から平成十八年四月十三日まで十回の
論議
を経たということでありますし、二十五ページ目には、検討会で七十回行ったということで、最終報告に至ったということでありますけれども、私は、ここら辺が、現在の
教育基本法
の成案を得るまでの間の、いわゆる
論議
の経過等々からしますと、どうも、
一体
どういう経過でやったのかという、その
内容
がよくわからないわけでございます。 私は、本来は、戦争で負けた以降の
教育基本法
の
審議
過程におきましてもこれだけの
資料
が残っているわけですから、いわゆる
米国使節団
はさておいて、
教育刷新委員会
でどんな
論議
があったのか、そしてそれを経て、
政府
が
閣法
として出して、そしてその後、
委員会
で
審議
したのはもちろん
議事録
に残りますが、どうもそこら辺、どんな意見交換があって、検討があって、今日の
教育基本法
の改正に至ったのかというその点がよくわからぬです。
小坂文部大臣
はこの
与党
の
教育基本法
改正に関する検討会でどこから関与されましたか、この二十五ページ目から二十六ページ目について。
小坂憲次
12
○
小坂国務大臣
私はこの協
議会
及び検討会のメンバーではございませんので、関与いたしておりません。
大畠章宏
13
○
大畠委員
私は、検討会のメンバーというのはどういう人かなと思っていろいろ調べたんですが、なかなか明らかじゃないんです。いろいろお話を伺いますと、検討会をやったんだけれども、すべてそのときの
資料
は回収をされて表に一切出ない。自民党の
議員
の皆さんのところまでほとんど行っていないですよ。ほとんどというか全く行っていないというんです。わからないというんだ、検討会で何を
論議
してやってきたのか。そこのところが全く空白になっているんです。 この
教育基本法
とそれから郵政事業の民営化法というのは全く関係ないと思うんですが、途中までやっていた中曽根参議院
議員
は途中で外されているんですね。ずっと
論議
をしながらやってきたんだけれども、外されてしまった。保利さんも、きょう
委員
としておられますが、保利先生もおられますが、座長をおやめになって、顧問として後から入られたというんです。 そして、
一体
、この全部で十名の方が、どんな
論議
をしながら、中教審の答申を受けてその
内容
について
論議
をしたのかということが白紙なんですね。外には全くわかっていないんです。
小坂文部大臣
すらこの検討会でどんな
論議
がされたかわからない。 そして、その成案を得た後、
小坂文部大臣
はいつからこの
教育基本法
を目にし、そしてそれを
提出
する立場になられたのか、その事実関係だけを教えてください。
小坂憲次
14
○
小坂国務大臣
私は昨年の十月三十一日に
文部科学大臣
の任命を受けまして、この協
議会
及び検討会の問題につきましては、四月の十三日ですか、この最終報告……(
大畠委員
「平成十七年」と呼ぶ)ちょっと失礼。 確認をさせていただきましたが、四月の十三日ですね。この第十回
与党
教育基本法
改正に関する協
議会
が開催された後に最終報告を公表されまして、
官房長官
に最終
報告書
を手交された。これによりまして私入手をいたしまして、四月の二十八日
閣議決定
、法案を
提出
するという段取りまでの間、関与をしているわけでございます。
大畠章宏
15
○
大畠委員
今お話を伺いますと、平成十八年四月十三日、ことしになってから最終報告を受けて、そこから
文部大臣
が関与したということでありますが、そうすると、この
与党
教育基本法
に関する協
議会
の中で、平成十五年五月十二日から平成十八年四月十三日まで、十五、十六、十七、十八、そうですね。この間の、どんな
論議
を経ながら
法律案
の
審議
をし、成案を見たのかという過程については、
小坂文部大臣
はお伺いされましたか。
小坂憲次
16
○
小坂国務大臣
最終報告をいただきましたときに、これまでの経過についての御
説明
をいただきました。
大畠章宏
17
○
大畠委員
それはどういう形の
資料
ですか。
資料
があったんですか。 事細かに、例えば、戦後の枢密院ですとか
貴族院
、
衆議院
でいろいろと
論議
してああいうふうな議論の経過等がありましたが、そういう
資料
というのはごらんになったでしょうか。
小坂憲次
18
○
小坂国務大臣
この
審議
の経過につきましては、本日も
出席
しておりますが、
田中
生涯
学習政策局長
からこの
審議
の経過について、そのときには
資料
もあったと思いますが、
説明
を受けました。
資料
は局長の方が持っていると思います。
大畠章宏
19
○
大畠委員
それでは、
田中
政策
局長が持っているということですから、その
文部大臣
に
説明
された
資料
をこの
委員会
にお出しいただきますように、
委員長
にこれは要請いたします。
森山眞弓
20
○
森山委員長
理事
会において相談いたします。
大畠章宏
21
○
大畠委員
今、党の
資料
だと言いましたが、これは、
田中
政策
局長、文部省が関与して、
政府
提出
の
閣法
にしているんです。その
審議
過程が全く、平成十五年から平成十八年の間の
論議
過程がない中で、さあ、製品ができました、それを信用して飲んでくださいと言ったって、わからないじゃないですか、見ただけでは。透明だっていろいろなものが入っているかもしれない。 だから、私は、どういう過程でどんな
論議
をしてこの
法律案
をつくられたのか、
文部大臣
に
説明
したけれども、我々
特別委員会
の
委員
には
説明
できないというような、そんな品物では困るんです。これから六十年間、この
教育基本法
に
日本国
民が縛られるわけですね。 だから、これについては、
委員長
にも今要請しましたので、
文部大臣
の方からも、これは大変重要な
資料
でございますので、
委員会
に
提出
するように御
努力
をいただきたいと思うんです。
小坂憲次
22
○
小坂国務大臣
私が
田中
局長から
説明
を受けたものは、本日
委員
が
提出
されました、この中央
教育
審議会
における
審議
の経過及びその後のずっと御
説明
があります
資料
、
与党
教育基本法
改正に関する協
議会
の経過、行数はもう少し多いかもしれませんが、これらに非常に似たようなサマリーとして、こういう経過ですという
説明
を受けたところでございまして、これに非常に似たようなものであるということを申し上げておきます。
大畠章宏
23
○
大畠委員
行数が少し多いようですがと言うんですが、私は、行数が少しでも、みんな大体一行か二行ですから、行数が多いものをぜひ改めて
提出
を要請いたします。(発言する者あり)一行よりも少ない行数というのはあるんですか。これは、第一回の平成十五年五月十二日、「○
教育基本法
改正に関する
考え方
について意見交換。」一行しかないんですよ。一行よりも少ない行数なんかないじゃないですか。
小坂憲次
24
○
小坂国務大臣
定かに覚えているわけではありませんが、何年から何年までに何回というような形の書き方があったと思いますので、そういうふうに申し上げたわけであります。
大畠章宏
25
○
大畠委員
文部大臣
、私も、
小坂
さんをよく知っていますよ。そして今、この
教育基本法
に関する
文部大臣
、大変だと思う。それも中身もよく知らされないで
答弁
に立たなきゃならない。 しかし、私は、
小坂
さんがいわゆる文部行政に対して大変熱を持ってこれまでやってきたのはよくわかっています。しかし、私がさっきから言ったように、戦後の占領下においてどれほどの苦労をしながら今の
教育基本法
をつくってきたか。(発言する者あり)時代が違うと言いますが、
歴史
は変わらないんです。その
歴史
を踏まえて
未来
を展望しなければ、私
たち
は誤りますよ。 だから、もっと
文部大臣
としても、一行でいいとするんじゃなくて、もうちょっとこれは、どんな話をしたんだ、どうしてこういう改正案になったんだということは、さらに
小坂
さんとして、政治家として御奮闘いただきたいということを要望しておきます。 さて、今いろいろと申し上げましたとおり、今回の
与党
提出
教育基本法
の改正案についてはその作成過程が極めて不透明なんです。 私は、特に戦後の混乱期、
教育基本法
に関する
歴史
を先ほど、
町村
筆頭を初め
皆様方
には釈迦に説法かもしれませんが、こういう
歴史
を見れば、先輩方がおっしゃっているように、
教育勅語
に由来したこの
教育基本法
については、「
政府
がやるのではありませぬ。
政府
というのは多数党の
代表者
ですから
——。」
と、こんな形でこの
教育基本法
をやったら、政権がかわったらまた
教育基本法
を変えなきゃならない。
憲法
だって
教育基本法
だって、政権がかわるたびにころころころころ変えるものじゃないんです。 したがって、私は、何を言いたいかというと、きのう私どもの
鳩山
幹事長が、私
たち
の
調査
会の会長をされていますが、一番最後に発言されましたが、本来、こういう
基本
法は
与党
の内部だけで
論議
して出すんじゃなくて、
憲法
と同じように、
調査
会というものを
衆議院
と参議院でつくって、そこでよく
論議
をして、成案を見て、そして
閣法
として
提出
する、それが本筋じゃないかということを
鳩山
幹事長は申し上げましたけれども、過去の
歴史
から見れば、それが妥当なんです。政権をとっている多数の人だけで
論議
して、そして成案を得て出すというものにはなじまないんです、この
教育基本法
というのはもともと。
与党
の皆さん、そう思いませんか。 私は、だとすれば、
歴史
上の過去の先人
たち
がなぜこれまでの激論をしながらこの現在の
教育基本法
というものはあったのか。この当時だって、
皆様方
も
御存じ
のとおり、
教育刷新委員会
、この答申をベースに
閣法
にしているんです。このときには
政党
は関与していないんです、
政党
は。私は、このような形にすべきではないかということを申し上げておるんですが、もう一度
文部大臣
のお話を伺いたい。
小坂憲次
26
○
小坂国務大臣
大畠委員
のこれまでの御質問の中身としても、いろいろ表明される御意見にしても、私は非常に共通のものがあると思うんですね。
大畠委員
は大変に誠実な方でいらっしゃいますし、私も
委員
をよく存じ上げているつもりでございますから、
委員
のおっしゃることにはできるだけ従いたい、こうも思うわけではありますけれども、
委員
が今御
指摘
なさいました、
政党
を交えないでということにおきましては、私どもは中央
教育
審議会
というものを経て、幅広い議論をしていただく中でこういった
教育
の問題について取り組んできておりますし、この
教育基本法
のスタートとなりました
教育改革
国民
会議
といったものの提言もあるわけでございますし、また、マスコミの皆さんもいろいろな角度から検討を重ねていただいている。今日はテレビ中継等もありまして、総括質疑はテレビで中継をされ、
国民
の皆さんにも、野党の皆さん方が御質問されることについても明らかにされているわけでございます。 また、この
審議経過
が
議事録
として残って、
教育改革
国民
会議
、中教審の答申あるいは
与党
の最終報告、そしてこの
審議経過
、こういったものを積み上げていきますと相当大部の
資料
ができ上がることと思うわけでございまして、この
委員会
における充実した
審議
によりまして、
国民
の皆さんの
理解
が得られるよう、私も誠心誠意
答弁
させていただきますので、何とぞ御
理解
を賜りますよう心からお願いを申し上げます。
大畠章宏
27
○
大畠委員
小坂
さんらしい誠実なお話をいただきましたけれども、私は、平成十五年三月二十日、中央
教育
審議会
の
資料
があるんですね。これはかなりの部数、
国民
に知れ渡って、これでいわゆるヒアリングをやっていたんですね。公聴会を五回やっています、各地域で。一日に五班に分けて五回なんというんじゃなくて、各所に行ってやっているんです。みんなで行って、みんなで話を聞いているんです。ですから、形式じゃなくて、私は、本当に中央
教育
審議会
の皆さんは熱心に、
敗戦
後、
教育勅語
にかわる
教育基本法
をつくった、この
教育基本法
は
一体
どうすればいいのか、独立
国家
としてどう
未来
の
日本
を
考え
てやるかということで真剣にやったと思うんです。 二年間かけてやったものを、今度は
与党
が三年間かけて、その
論議
、経過は全く表に出ないように、自民党の
議員
の皆さんにも全く知らせないで十人のメンバーだけでずっとやってきたというのは自民党の皆さんからも聞いているんですよ。そんな形で本当にいいのかですよ。 私、
手元
に今
委員
の名前を持っていますが、マル秘だというから言いません。言いませんけれども、そんな形でやっていいのかなと私は思うんです。その製造過程に問題が余りにも多い。この
資料
を見ると、
町村筆頭理事
も入ってはおられません。それから、もちろん
文部大臣
も入っておられませんし、
理事
の皆さんの中ではお一人ぐらい入っておられますけれども、しかし、私は、そういう問題はもう秘密裏にしてやるような問題ではない。特に、
国民
の皆さんもそう思っておられるでしょう。
与党
の皆さんも公聴会をやったりなんかしたのかどうかはわかりませんけれども、私は、いずれにしても、その製造過程に疑義がある。私もものづくりの世界でやってきましたから、製造過程にどうも疑義があるということを申しておきますし、本来こういうものは、
与党
だけでやるんじゃなくて……(発言する者あり)そう、密室でやるんじゃなくて、オープンな形で
論議
をして、
衆議院
と参議院で
調査
会を設けて、
憲法
と同じように大切に扱うべきものであるということを改めて申し上げておきます。 この問題は、押し問答になって、もうこれ以上進みませんので、そこで
文部大臣
にお伺いしたい。現実の問題です。 私も、最近、朝早く目が覚めて、いろいろと新聞にも目を通させていただいています。これは年のせいかなと思いますが、目にする記事が非常にひどいものばかりなんですね。 これは五月三十一日からの
資料
でありますが、路上で両親刺殺、二十二歳次男も胸刺して自殺。これは五月三十一日の報道にありました。それから、高校二年生、散歩中の七十九歳を刺す、世の中嫌になった。世の中嫌になったと言うんですよ、高校二年生が。面識があったのかというと、全くないということ。それから、これは私もびっくりしたんですが、これも同じ日の新聞に、小学校三年生の長女九歳に十日近く食事を与えずに餓死させようとしたとして、無職の女性三十六歳を殺人未遂容疑で逮捕した、山菜取りに来た人がたまたま林道にとめた軽乗用車の中に二人がいるのを見つけた、母子二人は衰弱しているが命に別状はない。このお母さんは、
生活
に困ってやった、
自分
も死のうと思ったと供述している。
小坂
大臣
、これが、一つの事例ですよ、一つの
社会
の現象なんだけれども、どんなに私
たち
が理想像を語っても、現実の世界では、世の中が嫌になった、通りすがりの七十九歳のお年寄りを刺し殺す。
生活
が大変になって、
子供
を道連れで死んでしまう。
少子化
大臣
、一生懸命頑張っていますけれども、こうやって幼い
子供たち
の命がどんどん奪われているんですよ。 そこで、私が何を言おうとしているかというと、最近のこの
日本
のありさま、
一体
この
社会
状況を
文部大臣
としてどう見ておられるのか。また、
少子化
問題について言いましたが、ぜひ
大臣
にも、この問題についてどう
考え
ているのか、両
大臣
にお伺いしたいと思います。
小坂憲次
28
○
小坂国務大臣
大畠委員
がただいま引かれて、また読まれたそれらの事件は、私も、よく胸が痛むと言いますけれども、読んでいて身のすくむ思いといいましょうか。 私は、
子供
が好きでありますし、
子供たち
が虐待をされるなどということはあってはならないと思います。また、私も、幼稚園、保育園を初めとしたいろいろな学校や、入学式、入園式、運動会、いろいろなところにお邪魔することがありますけれども、本当にみんなかわいくて、事故に遭ったお子さんの話を聞くと、その親御さんがいかに悲しんでいらっしゃるかということを
考え
れば、本当に読んでいて涙が出ることもある。テレビを見ていて本当につらくなる。 そういうのが現実でありまして、私ども政治家としては、やはりこれは政治の責任なんだろうと思えば、
自分
たち
なりにやっているつもりだけれどもどうしたらいいんだろうという無力感を感じることも、多分
委員
もおありだと思いますし、ある
意味
で、我々政治家が今日直面している実感ではないかと思うこともございます。 それはどのようにして解決したらよろしいか。それは、日々、私どもいろいろな局面で、経済
政策
を初めとして、いろいろな
政策
に
自分
なりの
努力
をすることだろうと思います。しかし、その
根本
はやはり
教育
だろうということは、大方の皆さんの御
指摘
なされるところでありまして、そういった
意味
で、やはり虐待とか、学校通学路の問題、そしてまた教室の崩壊、学級崩壊といったような状況から、不登校というお子さん
たち
の悩み、自立心や規範意識が喪失して道徳観がなくなってきた今日の状況、本当に、そういう
意味
では
委員
も同じような気持ちでこれを御紹介いただいたと思いますので、それは
委員
と共有をさせていただくとともに、我々政治家がお互いに協力をしながら、こういった問題にしっかり取り組まなきゃいかぬ、そう
考え
るところでございます。
猪口邦子
29
○
猪口国務大臣
大畠先生
おっしゃいますとおり、
少子化
担当
大臣
として、
子供
が事件に巻き込まれたり被害に遭う状況につきまして、日々、胸を痛めるだけでなく、本当に深く私としても悩んでいるところでございます。
一体
何がこういうことの背後にあるのだろうか。施策で解決できることと、もっと
根本
的にこの
社会
の意識を問い直していくことと、両方から必要ではないかと
考え
ることが最近多いです。 極端な犯行事例につきましては、また個別の理由等があるかもしれませんし、これは捜査の中でいろいろとまた解明されていくと思いますが、一般的に、
教育
の現場に
自分
も長年立っておりましたので、その中で私が感じることは、
子供たち
は、
日本
において、なかなかその存在そのものを等身大で認めてもらえるという状況が少ない中で育ってきているということを感じるんですね。大学のゼミなどで、非常にすばらしいそれぞれの輝きがあるのに、そのことを伝えると、初めてそういう
指摘
を受けたという子が多いのを驚くことがあります。もう少し小さいときからもっと肯定感を持ってその人を受けとめて、そして発展させるというような
努力
が必要かとも思います。 この
教育基本法
の今回の
政府
提案の中には、公共の
精神
を学び、人間性等について改めて書かなければならなかった時代状況を踏まえた
認識
があるというふうに御
理解
いただければと思います。
大畠章宏
30
○
大畠委員
現実の話をちょっとしましたが、
小坂
大臣
にも
猪口
さんにも、ぜひ現場を見てもらいたい、もっと。永田町だけが現実じゃなくて、地域の方で本当にこういう事例がかなり起こっていますから、それも見てもらいたいと思います。 そこで、事例として、
委員会
でも何回もありましたが、愛国心の学校評価は不適切、やるべきじゃないと総理もおっしゃっているんですが、現場ではもう先行してそういうことをやっているんですが、
文部大臣
として、この現場是正。何かコンロを出すとすぐ魚を持ってくるという、コンロを出しただけで何か始まるんですよ。ですから、今回こういう
論議
が始まると、もっと広がっちゃうと思うんですよ。私は、
文部大臣
として責任を持って
答弁
されていますので、この現場是正、愛国心について通信簿みたいな評価をするというものは望ましくないと思いますが、どういう形で現実に是正されますか。
小坂憲次
31
○
小坂国務大臣
過日、総理が
答弁
されて、小学校、中学校の児童生徒に愛国心という内心の評価をするようなことはとんでもない、適切ではないということをおっしゃいました。私も同様に
考え
ておりまして、国を愛する態度の評価というものは、あくまでも
我が国
の
歴史
や伝統、そしてそこにはぐくまれた文化、そして偉人
たち
の業績、こういったものを勉強する、それに対して前向きに取り組んでいくかどうか、あるいは、そういうことを覚えたり、またそういうことに参加したいという意識を持ったり、そういったことを全体的に見ながら、郷土や国を愛すること、あるいは伝統と文化を尊重すること、あるいは他国を尊重すること、あるいは国際
社会
の平和や発展に寄与する、そういったことに対して総体的な評価をしていくということになるわけであります。 そのことをしっかり伝えないと、現場で間違った指導も行われる可能性がありますので、もう既に、五月の十八、十九日の小中学校の各教科担当指導主事連絡協
議会
におきましてもその旨申し上げました。また五月二十六日の全国連合小学校長会の総会というのがございましたが、ここでも、また六月一日、昨日の高等学校各教科担当指導主事連絡協
議会
、これらにおきましても指導するようにしっかりと担当部局に指示を出しているところでございます。
大畠章宏
32
○
大畠委員
今
大臣
から指示をしたというお話でありますが、私もいろいろな人生経験上、指示しただけでは現場はやらないときがあるんですよ。だから、必ず報告をさせて本当に是正しているんだなということを
大臣
の目で確認してもらいたいと思いますが、いかがですか。
小坂憲次
33
○
小坂国務大臣
私も同様に
考え
ます。したがいまして、指示を出したことが昨日までに実行されたことも確認いたしましたし、また、この
教育基本法
を皆さんによって通過させていただきました後、これが実施されましたら、その実施状況がどのようになっているか、どこかの時点で、方法等をこれから中教審等にも諮りながら決めたいと思いますが、そういう
調査
も行いたい、このように
考え
ております。
大畠章宏
34
○
大畠委員
最後になりますけれども、
民主党
の
提出
者に伺いたいんです。時間になりましたか、それじゃ一言だけ。今ずっと
論議
をしてきましたが、
民主党
として全面改定をしましたよね。その
背景
についてお伺いして質問を終わります。
達増拓也
35
○
達増議員
先ほど
大畠委員
が質問の中で、戦後の現行
教育基本法
制定
のプロセス、どうも押しつけだったのではないか、あるいは上から与えられたのではないか、そういう疑問を提示されたと思うんですけれども、やはり
教育基本法
というものを
日本国
民、
自分
たち
のものにしていかなければならないんだと
考え
ます。 私
たち
の提案した
日本国教育基本法案
の第一条、
教育
の
目的
には真の主権者という
言葉
がございます。
教育勅語
は当時の主権者であった天皇様のお
言葉
としてつくられたわけでありますけれども、やはり今を生きる私
たち
主権者が主権者として、私
たち
の
教育基本法
というものをきちんと
自分
のものにしていかなければならない、そういう思いを私
たち
は込めています。
大畠章宏
36
○
大畠委員
これで質問を終わりますが、いずれにしても、私は、きのうの
鳩山
さんの質問等が入って初めてこの
特別委員会
での実質的な
審議
に入った、これから各条ごとにしっかりと
審議
しながら、あるべきものを求めてまいりたいということを申し上げまして、質問を終わります。
森山眞弓
37
○
森山委員長
次に、
土肥
隆一
君。
土肥隆一
38
○
土肥
委員
民主党
の
土肥
隆一
です。 今、
大畠
さんはこれから各論に入ってとおっしゃいましたけれども、私も賛成でございます。その糸口として、きょうは各論的質問をさせていただきたいと思います。 中央
教育
審議会
が出した
教育基本法
と
教育
振興
基本
計画の中で、危機に直面する
日本
社会
、多くの課題を抱える
日本
の
教育
、こういうふうに出しておりまして、これはまことにそのとおりだと思うのでございます。
基本
法という性格ではあるにしても、でき上がってまいりました
政府
案の
教育基本法
は、極めて寂しい、貧しいものだと言わざるを得ないのであります。これだけの危機を抱えていて、そして
特別委員会
をつくって、
日本
の
教育
問題の
基本
を定めるんだというときは、もう少し綿密な議論と、もう少し具体的な
内容
を
基本
法といえども取り上げるべきだというふうに思うのでございます。 したがいまして、私は急いで
教育基本法
をつくり上げることには反対です。
教育基本法
を変えたからといって、あるいは急いでつくったからといって、
日本
の
教育
が即座によくなるわけじゃございません。やはり広く
国民
の間で議論をやりましてその
基本
を定めるということが必要だろうと思うのであります。 先ほど各論と申し上げましたけれども、私は、この
教育基本法
の中で最も困難であろうと思われる宗教
教育
について、ここで議論をしてみたいと思うのであります。
政府
案は宗教
教育
については逃げた、これはやり始めると切りがない、したがって、現行
教育基本法
にちょっとだけ手を加えて、いわば戦後六十年たった
教育基本法
の宗教
教育
の部分をそのまま踏襲したというふうに思うのでございます。 文科省にお聞きしますけれども、宗教
教育
というのは、どの程度、どんなふうにされてきたのか、ごく簡単にお答えください。
田中壮一郎
39
○
田中
政府参考人
ただいまの宗教
教育
についてのお尋ねでございますけれども、現行
教育基本法
におきましては、第九条で宗教
教育
が規定されておるところでございまして、「宗教に関する寛容の態度及び宗教の
社会生活
における地位は、
教育
上これを尊重しなければならない。」ということになっておるわけでございまして、まさに
教育
を行うに当たっては、宗教に関する寛容の態度の養成、あるいは宗教の
社会生活
における地位に関して
理解
を深めさせるように
努力
することが求められておるところでございます。 また、二項では、「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教
教育
その他宗教的活動をしてはならない。」という定めがあるわけでございまして、この九条二項を踏まえまして、一項にあります一般的な宗教に関する寛容の態度や宗教の
社会生活
における地位について、
教育
上取り組んできたところでございます。
土肥隆一
40
○
土肥
委員
今は条文をお読みになっただけであって、何をしてきたかというのには答えていらっしゃらないわけでございますが、一つだけ質問してみます。 修学旅行で伊勢神宮によく行きます。これは宗教
教育
ですか、宗教
教育
じゃないんですか。
銭谷眞美
41
○
銭谷
政府参考人
教育基本法
におきましては、国公立学校においては、特定の宗教のための宗教
教育
その他宗教的活動を行うことが
禁止
をされております。ここで
禁止
をされているのは宗教的意義を有する行為であって、その効果が宗教に対する援助や排斥などに当たるものと解されております。 一般的には、ただいまお尋ねの件に関連して申し上げますと、宗教的儀式に参加する
目的
ではなく、かつ児童生徒に強要せずに、
歴史
、文化を学ぶことを
目的
として神社などを訪問することは、
禁止
されている宗教的活動には該当しないと
考え
ております。
土肥隆一
42
○
土肥
委員
では、教師があるいは神社側のどなたか、神主さんが、これはこういう神社ですよ、こういう
歴史
があるんですよ、そして恐らく
日本
の
歴史
の発祥、
歴史
かどうかわかりませんけれども、アマテラスオオミカミから始まって三種の神器や何かの御
説明
をされた、あるいは教師がした。これは宗教
教育
にはならないんですか。
銭谷眞美
43
○
銭谷
政府参考人
これも一般論として申し上げるわけでございますけれども、神社や寺院、教会等を訪問した際に、学校が児童生徒に対しまして拝礼などの宗教的行為を強要するということは、許されないと思っております。 ただ、その神社等の
歴史
あるいはその神社の施設の文化的な
説明
、あるいはその神社の
歴史
上いろいろな事柄にかかわってきたことについて知識としてお話をするということは、許されることだと思っております。
土肥隆一
44
○
土肥
委員
この議論を長くしようと思わないんです。なぜならば、
日本
にはたくさんの宗教、宗教団体、宗教的行為が行われておりまして、宗教人口を数えると
日本
の人口の二倍になるんですね。だから、
日本人
は、二つ、三つの神様を拝んでも別に問題じゃないんです。俗に言う、赤ちゃんが生まれるとお宮参りをして、結婚をするときはキリスト教式でやって、死ぬときは仏教でやる。大変宗教的な
国民
だろうかと私もやや疑問を持ちながらも、大変さまざまな、活発な宗教行為が行われているわけですね。そういう、ある
意味
で、諸外国から見れば、どんな国なのかわけがわからぬ、宗教的にいうとわけがわからない国なのでございます。 第一、
国会議員
で、
自分
の身分証明のところに宗教を書く欄がございませんですね。外国に行くと、あなたは何教ですかと言うと、いや、私は無宗教ですと。もしパレスチナやイスラム圏でそんなことを言えば、この人はなきに等しい人間だというふうにも
考え
られがちな状況でございます。 我々
国会議員
も、心しなきゃならないのは、幾つもの宗教団体と交際して、きょうは天理教、ちょっと具体的な名前を挙げるのはやめましょう。次は何々教とかなんとか、さまざまなところに行きまして、ベテランの先生を見ると、実にその宗教に合ったしぐさをなさるんですね。本当に感心してしまうわけでございます。 そういうふうな状況でありますから、宗教
教育
というのは、これを学校で教えるというのは至難のわざなんです。今言いましたように、伊勢神宮に行くべきか行くべきでないかなんという話も、
子供たち
がどんなしぐさをするかというようなことまで気を使うんでしょうか、まあ余り
考え
ないで行っているというふうに思うんです。 そういう中で、今回、
教育基本法
をつくり直そうというわけですね。宗教
教育
のところについては、ほとんど
与党
案は手をつけていない。
政府
案は変更を加えていない。つまり、余り議論したくないということだろうと思いますけれども、これは、現場の教師が
教育基本法
に基づいて
自分
の
教育
をまじめに
考え
るとなると、とんでもない課題を負うことになります。 したがいまして、文科省におかれましては、単に伝統的な諸宗教の
歴史
やその宗教概念、中身について知識として教える、これは、初めから宗教
教育
としてはナンセンスなんです。
子供
は恐らく興味を持たないと思いますね。だから、よほどのカリキュラムと教材を用意しなければ、とても宗教
教育
はできないというふうに
考え
ます。それも、
子供たち
の
生活
に具体的に触れるような、
子供たち
の状況に宗教
教育
の中身が心に響くような
教育
をしないと、こんな退屈な授業はないと思うんですね。 そういうことを申し上げまして、
政府
案に対しては、非常に粗雑な、問題を避けた法文だと申し上げたいと思います。
答弁
は要りません。 一方、
民主党
は、十六条で、生命、宗教に関する
教育
と、ここに生命を載せたわけです。そして、「生の意義と死の
意味
を考察し、生命あるすべてのものを尊ぶ態度を養うことは、
教育
上尊重されなければならない。」と、この冒頭に出してこられた理由、
目的
についてお答えいただきたいと思います。
藤村修
45
○
藤村
議員
土肥
委員
は牧師さんでもいらっしゃいますので、宗教論争をし出したら多分切りはないかと存じますが、今お問い合わせの件は、私どもの十六条一項で、生の意義、死の
意味
という、このくだりを入れたのはなぜか、こういう御質問でございます。 私
たち
の意図は、今
政府
の方からのお答えもありましたが、学校
教育
において、命の大切さということはきっと非常に重要視し、きょうまでさまざまに指導し、
努力
をされてきたことであろうかと思います。ただ、それが全然実っていないのではないかというのが私どもの一つの問題意識であります。 人間の生きることの意義、死というものの
意味
するところについて、これは
教育
上も本当に大きなテーマであるにもかかわらず、きょうまで適切に指導されていない現状をかんがみ、さらに、近年のインターネット
社会
の中で、仮想情報空間に対する的確な
理解
については、やはり生の意義、死の
意味
の考察を前提として取り組んでいかねばならない、そんなふうに
考え
ておりまして、それが現代的課題だと思います。 ですから、以上の点は、むしろ哲学的な考察とも
考え
られますが、加えて、やはり宗教に関する
教育
とともに重視し尊重されるべき課題であることから、このように入れた次第でございます。
土肥隆一
46
○
土肥
委員
生命と宗教を結びつけたところにこの法案の特徴があると思うんです。つまり、宗教というのは、生きとし生けるものの宗教であります、すべて生きているものがかかわりを持つ。そして、全く拒否する人もそれでいいのであります。無宗教という人は、私に言わせれば、徹底的に無宗教を貫いて一切何物をも信じないという生き方からは新しい倫理が生まれてくると思いますが、
日本
のように、二つ、三つの宗教を同時並行的に信仰できる人
たち
というのは、なかなかそうはいかないと思うのであります。 生命というものは限りがあって、そしてやがて死ななきゃならない。それが、早い場合は、
子供
の生命にしても、私も、十三歳でがんで亡くなったある少女の絵はがきを収録した本を買い求めましたけれども、これは非常に重要なテキストになると思うんです。 彼女は、かわいい女の子ですけれども、二歳半ぐらいで血液がんを患います。それが、うまいぐあいに六つ年上のお姉ちゃんと血液型が合ったわけですね。二歳ですから八歳か九歳のお姉ちゃんから血液の移植を受けて、白血病は治る。そして、小学校の六年生のころに突然脳腫瘍が発見される。そして、二回の脳腫瘍手術の後、亡くなっていきます。その間に、彼女は三百六十枚の絵はがきをかいたんです。その本が出ております。 この本なんかは実にすぐれたテキストなんですね。苦しみを訴えながら、非常にユーモアのある、ベッドサイドでかいた絵はがきなんです、ぜひお買い求めいただきたいと思うのでありますが。この中で、
子供
がこれを読めば、同じ年齢の
子供
が死んでいく、その中で母親、父親がどういう態度をとったか。そこには宗教的においは全くないんですけれども、そこにある、生きること、死ぬこと、そして親の愛情、そういうものが、多くを語らなくても心に伝わってまいります。 こういう死、あるいは生と死、それと宗教が結びつくのは当然でございます。そのために宗教があると言ってもいいくらいであります。ですから、
政府
案というのは、そういう宗教の持つ根源的な課題、根源的な
意味
を本当に
理解
して書かれたものとは到底思えないのでございます。 しかし、宗教
教育
というのは、やはり難しいけれども、生身の体を持っている
子供たち
、そして、それを取り巻くいろいろな状況、
教育
審議会
が言っているようなとんでもない状況が今起こっているわけでありますから、やはり
子供たち
の生と死に着目して、その視点から宗教
教育
を
考え
ていくときに、私は無限大の宗教
教育
が可能だと思っております。そういう
意味
も込めまして、
民主党
の案については大変すぐれたものだと私は思うわけでございます。 ただ、いわゆる現行の第二項の、特定の宗教の信仰を奨励したり、これに反対するための宗教
教育
その他宗教的活動をしてはならないという、この強い第二項は、現場を萎縮させるんです。 もっと生き生きとした、生と死、そして、結局死の問題は宗教しか解決できないわけでありますから、そこへ至るダイナミックな宗教
教育
というものをこの二項が封じてしまう。いかにも
国家
的、あるいは公
教育
に対する、何かすべて中立でなきゃならないというふうなことがありまして、第二項は、やはり今後、その中身によっては許される範囲だと私は思っておるわけでございまして、
民主党
案についてもこの辺はもっと議論しなきゃならないと思っております。 これはやめましょう、まあ、せっかくだからちょっと言いますと、小学校の校長先生ががんにかかりました。これはテレビに出ましたけれども、
自分
が死んでいくということを前提に、ずっと
子供
に校長先生が、生きること、死ぬこと、病気のことを語るわけですね。これはもうすばらしい校長先生で、その後すぐに亡くなられるわけですけれども、教員とて、教師とて、みんな生きる悩みを持っているわけですから、それを
子供たち
に告白する。すると、
子供
も悩みを持っていますから、そこに応答が起こる。そこは何も原則はないわけでありまして、そのときそのときの場面に応じて展開していい
教育
ではないかと思っております。 次に参りますけれども、
政府
案では、何の前提もなく宗教と出てくるわけでありまして、
民主党
案では、生の
意味
と死の
意味
を考察、生命あるすべてのものを、こういうふうに前提で挙げておりますから、そこに宗教というだけで物事を判断してはならないと思うのであります。 宗教の地位というのがございますね。そして、寛容という
言葉
が出てまいります。宗教を論ずるときに、その地位と、それから、宗教を論ずるときに寛容な態度を持たなきゃいけない。
一体
これは何を意図しているんですか、現行法にもございますけれども。御
答弁
いただきたいと思います。
大臣
、どうぞ。
小坂憲次
47
○
小坂国務大臣
ただいま
土肥
委員
がお述べいただきましたことは、宗教家であられる
土肥
委員
と私は神学論争をするつもりはないわけでございまして、その御見識は敬意を表したいと思いますが、お述べになった中には若干、宗教家としての思い入れがこの宗教
教育
に反映し過ぎる嫌いがないだろうかと思う部分もないわけではないわけでございます。 私は、現行法、また現行法に基づきます
学習
指導要領におきましても、例えば小学校の道徳の時間では、命がかけがえのないものであることを知り、自他の生命を尊重すること、人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深めること、また、この世に生きることのとうとさ、死の重さを知ることを通じて命の大切さを
理解
し尊重する態度を育てるための
教育
、こういう指針を示しておるわけでございまして、こういった尊重する態度を育てるための
教育
を行っていると
認識
をいたしております。 また、今回の法案におきましても、豊かな情操をはぐくむあるいは命をたっとびということが規定をされているところでございます。紹介するまでもないと思いますが、二条の中に明確に規定をしてきているところでございまして、
教育
の
目的
としてそれは明らかにして、四号において、「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。」として、命というものについて
考え
る、そういう規定を盛り込んでおります。 ただいま
委員
が御
指摘
をいただきました、
政府
案で規定している宗教に対する寛容の態度は何か、また地位とは何かということでございますけれども、まずもって宗教は、もう今さら申し上げるまでもなく、人間としてどうあるべきか、与えられた命をどう生きるべきかということなど、
個人
の生き方にかかわることであります。また同時に、
社会生活
における重要な役割を持っておりますから、人類が受け継いできた重要な文化として、これをしっかり
教育
するわけでございます。 しかし、宗教的な信仰というものについて述べるときに、宗教的な信仰を持つ者あるいは持たない者、自己と異なる信仰を持つ者、こういう方々に対してお互いの立場を認め合う態度、これがすなわち寛容の態度でございます。またこのような態度をはぐくむことは、
憲法
に定める内心の自由、
憲法
十九条に規定されております
内容
、また信教の自由、二十条も実現する上で、極めて重要なことだと
考え
ております。 また、宗教の
社会生活
における地位というのは、宗教が
歴史
上、
社会生活
上において果たしてきた役割や、現在の
社会生活
において占めている
社会
的な機能と申しますか、言ってみればその役割とか価値とか、こういったものを指して言うものでございまして、これらについては、特定の宗派に偏ることなく
理解
させることは今後とも重要であり、必要なことだと
考え
ております。
委員
が御
指摘
なさいましたいろいろな事例の中でも、現場でどのようにしているかというお問い合わせがありました。これは大仏建立とかそういうことを今現在は教えているわけです。大仏はどのようにして建立されたか、また、
日本
にはどういった神社仏閣というものがあるということは、仏教や神道というものがあるんだということ、また、世界にはキリスト教を初めとしてイスラム教、いわゆる三大宗教と言われるようなものもありますよということと、それからその分布はこのようになっていますよということを教えることによって、一般的な教養として宗教に取り組んでいくということでございます。 先ほど
委員
がおっしゃいましたように、現行法の第九条二項を拡大解釈して慎重になり過ぎる、宗教
教育
を
禁止
されているんだということからすべてに抑制的になり過ぎるという嫌いがあったということを
考え
まして、一般的な教養という面で、宗教に対してしっかり取り組んでいただくこと、これを規定したところでございます。
土肥隆一
48
○
土肥
委員
私はなぜこれを質問したかというと、宗教というのはいつも先鋭化して危ないものだ、宗教紛争が起きたら必ず戦争になるというふうな、何か
基本
的な概念があって、なるべく寛容に接しなさいと。これを
子供
に教える必要はないんじゃないかと思うんです。むしろ、なぜ紛争が起きるのか、なぜ宗教の名を冠して戦争が起きるのかということを教えるべきなんです。 ボスニア・ヘルツェゴビナに私二度参りましたけれども、戦争終結後すぐと、それから五、六年たって参りました。今も何も変わらない、三派分立して、三宗教分立してといいましょうか。だけれども、結局は、政治家の野望が宗教を利用しているんです。
自分
のアイデンティティーを一層高め、
自分
たち
の同志がなお一層先鋭化するために宗教を利用するんです。ですから、問題は政治なんですね。だけれども、それを、寛容の態度でおりましょうなんといったって、それぞれ言い分があるでしょう程度のものであって、なぜそこに政治と宗教が結びつくか。政治
教育
というのも
教育基本法
にございますけれども。そういうことを
考え
ると、何か初めから、宗教に接するときは寛容な態度でおりましょうねというのは間違いです、これは。宗教というのはそういう間違いも起こします。それをちゃんと教えたらいいんです。ですから、はなから、寛容の態度と。 それから、宗教的な地位。地位という
言葉
もおかしいですね。今
大臣
がおっしゃったように、機能とか価値とかという方が私はいいと思います。宗教団体に地位を求めるような人はいないと思いますよ。むしろ本当の宗教ならば、そんな地位にとらわれないで、庶民のために、
国民
のために、人間のために仕えていく、これが正直な宗教者の立場だと思いますので。何か既成概念を押しつけるのはよくない。
民主党
も同じことを言っているんですが、いかがですか。
藤村修
49
○
藤村
議員
まず、寛容の態度というところであろうと思います。私どもも、その寛容の態度という
言葉
を使っております。 先ほど来、
土肥
委員
が御主張のとおり、本当に命、生命を尊重する
教育
がやはり
教育
の中で重要であり、それがいろいろな形できょうまで確かに実施されてきたものの、例えば、命は大切だというスローガン的なものにとどまり、生命の深淵に触れたり、あるいは、みずからは目に見えない力によって生かされているという謙虚さを気づかせる
教育
というのは系統立って行われてきたとは思いません。そういう
意味
で、やはり我々は、この宗教のところの条文というのは、相当検討した結果、ただし、
憲法
にある信教の自由のもとで
教育
の場面においてどういうことが可能かという視点であります。 宗教的な伝統や文化に対する
基本
的知識の修得、それから宗教の意義の
理解
、これが今の地位にちょっとつながるかと思うんですが、私どもは、宗教というものが客観的に見て
社会
の中でどういう位置にあるのかということで、我々は地位という
言葉
は使いませんでしたが、そういうことを含んでいると御
理解
いただきたいと思いますし、さらに、宗教的感性、これは情操というのと近い
意味
であります、あるいは宗教に関する寛容の態度を養うことを尊重としました。 寛容の態度につきましては、
土肥
委員
の御
指摘
の紛争のことがございましたが、我々はもう少し国内的に、寛容の態度は、宗教を信じるあるいはまた信じない、これらについて、あるいはまたさらに一定の宗派を信じる、信じないこと、それぞれがまさに信教の自由のもとで許されているわけで、そのことに対してそれぞれがやはり寛容な
考え方
を持って臨む、そういう
意味
での、我々は寛容という
言葉
を使ったところであります。
土肥隆一
50
○
土肥
委員
またこれを余り論争すると神学論争と言われますからやめたいと思います。本気になって私と神学論争をする方があれば、皆さんにどんな議論でもいたします。やはり政治家が神学論争というのはやめましょうよ。神学をやったこともない人が神学論争をやるということでございます。 たくさん宗教があるということを申し上げましたけれども、最大の母体は神社宗教だろうと思います。祭事に出ますと、
歴史
は二千六百何十年とおっしゃるんですから、
日本国
開闢以来ある宗教が神社宗教でございます。 神社宗教というのは、教義がない、教えがない宗教なんですね。もちろん、教派神道というのがございまして、その後生まれて、大本教とかいろいろございます。そういうグループは、神道ではありますけれども、教派神道と呼んでおりますね。教義を持っている。つまり、宗教団体を、神社を離れて教会をつくるというときには、それなりの主義主張があってつくるわけでありますから、それでいいのでございます。 しかし、多くは、教義のない、教えのない、伝統だけで宗教を営んでいる神社ですね。私は神主さんからこう言われたんです、今度例大祭があるから来てくれないかと。いや、私、宗派が違うんですけれどもと言いましたら、いや、よくわかっている、でも、あなたしかこの地域で
国会議員
はいないんだから、来てほしいというわけですね。まあ、それではと。そのときに、その神主さんがおっしゃったことは、
土肥
さん、心配要らない、神道は、形だけです、中身は問わないんですと。だから、形だけでいいからおいでよ、こうおっしゃるので、本当に形だけなんだろうと思って行きましたら、なかなかそれはまた二礼二拍一礼だとかございまして、私はしょっちゅう間違って、うちの秘書が後ろで笑っているんですけれども。 私は、神社に行っても何の抵抗もありません。なぜならば、そこに教えがないからです。教えがあると、それはアマテラスオオミカミとかそれから皇室と結びついていますから、皇室の繁栄をというようなことをいいますけれども、それ以外はほとんど問題がないわけです。 一番傑作なのは、選挙のとき、私はやりませんけれども、地方
議員
、市会
議員
などがやるときに、
民主党
の候補者の中にそれぞれ神主さんが来るわけですね。そして、おはらいをするわけですね。神様、大変だろうなと思う。この
議員
を通してやってくださいというと、あとは落としてくださいということだし、どんな気持ちで祝詞をささげるのかわかりませんけれども、
日本
というのはそういうところでございます。 せっかく
官房長官
おいでになっていまして、きょうは限られた時間の中だというふうに聞いておりますので、要するに、神道あるいは神社というのは伝統と儀式があるだけでございまして、そこで祭神と申しますが、なぜそこに拝みに行くかといえば、大抵はアマテラスオオミカミ、皇室もそうですね、皇室の祭礼もその中心的地位を占めるのはアマテラスオオミカミでございます。 では、二千六百年の間、今度はだんだん神々がふえてまいりまして、いろいろな神が生まれます。
明治
神宮なら
明治
天皇、徳川家康だったら東照宮ですね、祭神がかわってまいります。
官房長官
に申し上げたいのは、小泉総理
大臣
が靖国神社に五年続けて参拝した、これは、神道の伝統からいうと、あの靖国神社は、だれを祭神としているのか。アマテラスオオミカミではないのか。そして、そこに参拝するというのは、どういう
意味
で小泉総理
大臣
は参拝しているのか。その心のうちがわかれば、お答えいただきたい。わからなければ、あなたの心のうちを伝えてほしいと思います。
安倍晋三
51
○
安倍国務大臣
二点、御質問があったというふうに思います。 一点は、靖国神社の祭神についてでありますが、靖国神社は、国事に殉ぜられた人々を奉斎するという宗教法人規則になっております。 そして、では、総理がどういうお気持ちで靖国神社にお参りをされているかということでございますが、これはもう総理が今まで累次御
説明
をしてきたように、国のために戦い、命を落とされた方々に手を合わせ、御冥福をお祈りするためにお参りをしている、そしてその際、恒久の平和を願い、不戦の誓いをしている、こういうことだろうと思います。
土肥隆一
52
○
土肥
委員
祭神は、どういうふうにおっしゃいましたか、もう一度お願いします。
安倍晋三
53
○
安倍国務大臣
ただいま申し上げましたように、これは、靖国神社の宗教法人規則によれば、国事に殉ぜられた人々を奉斎するということでございます。
土肥隆一
54
○
土肥
委員
国事に殉じた者を、祭神ですから、神とするわけですね。神とするんですよ。そういう独特の
目的
を持った神社が靖国神社なんです。 いや、アマテラスオオミカミならば伝統的神社宗教の根源でありますし、まあ、
明治
神宮だとか日光の東照宮であるというようなことは、かなり近代の、これも意図的ではございます、徳川家康が
自分
で神社をつくれと言ったんですから。今や文化財にもなるような豪華な神社をつくったわけですね。 祭神が、国事に殉じた戦死者、これが神になっているわけですね。それをお参りになられるということはどういうことなんですか。一方でいえば、慰霊という
言葉
がございますけれども、そこに参拝するというのはどういう
意味
だと
官房長官
はお
考え
でしょうか。(発言する者あり)
安倍晋三
55
○
安倍国務大臣
ただいま申し上げましたように、それは総理のお気持ちということでの御下問でございましょうか。総理のお気持ち……(
土肥
委員
「あなたのお気持ちでもいいです」と呼ぶ)私の気持ちでもよろしいですか。 まず、総理のお気持ちについては先ほど申し上げたとおりでございます。 私の気持ちということであれば、靖国神社につきましては、
明治
の御一新以来の国難に殉じた方々が祭神として奉じられているわけでございます。私の地元は
山口
県でございまして、長州の偉人吉田松陰先生以下、
明治
の回天の大事業で亡くなった多くの方々も祭神として祭られているわけでありますから、そうした方々も含めて、国のために殉じた方々に手を合わせ、そして御冥福を祈り、尊崇の念を表するために、政治家として、また一
国民
としてお参りをしているわけであります。 多くの、例えばさきの大戦の御遺族の方々が、御主人あるいは父親、息子、愛する人
たち
の霊を慰めるために、そこに足を運んでいることから、御遺族にとっては慰霊の中心的な施設になっているというふうに私は承知をしているわけでございます。私も政治家としてそこにお参りをし、手を合わせている、こういうことでございます。
土肥隆一
56
○
土肥
委員
今慰霊という
言葉
が出ましたけれども、これも
日本
独特なんですね。死者を生きている者が慰霊する、霊を慰めるという
考え方
なんですね。
教育基本法
と関係ないじゃないかと筆頭がおっしゃいましたけれども、こちらの筆頭ですけれども、宗教
教育
というのは、神社を、いわゆる神道というものをやはり教えなきゃいけないんでしょう。そして、その他の、仏教やキリスト教やイスラム教や、いろいろな宗教がありますから、これは全部教えようと思ったら大変です。先ほどの地位という話からいけば、地位のないものは教えぬでよろしいというようなことにもなりますけれども。 ですから、今
官房長官
がおっしゃったのは、神社神道の中で独特の性格を持った靖国神社であるということ、そして、戦死者の魂というか霊というか、それを慰めるために行くんだと。これは強い信仰告白なんですよ、私に言わせれば。非常に性格がはっきりした靖国神社なわけです。いいとか悪いとかというのは信じる人の判断でいいんです。これは、総理がマスコミを引き連れて靖国神社に出て行って、全
国民
が見ているわけです。 では、一つ聞きましょう、どなたがお答えになるかわかりませんけれども。 ある
子供
が、靖国神社とは何ですか、どうして総理はあそこだけは特別な思いでお参りするんでしょうかと聞かれたときに、教師は何と答えたらいいんでしょうか。
小坂憲次
57
○
小坂国務大臣
だれも手が挙がらないようでございますので、私からお答えしたいと思いますが、私は、それは総理の内心の問題でございますから、そこに立ち入ることはないと思いますが、小泉総理
大臣
という方がお参りしたいと思うからお参りするんだろうねという答えで、それ以上に入らないというのが適切なことだと思っております。
安倍晋三
58
○
安倍国務大臣
それは、例えばその際、
憲法
二十条において「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」ということになっています。
日本
は、信仰の自由、信教の自由を保障している、
民主主義
そして自由主義、
基本
的人権を保障している、私
たち
はそれを守ってきたということも、
子供たち
にその場を通じて教えていくということも可能ではないか、このように思っております。
土肥隆一
59
○
土肥
委員
全く
憲法
論議
を
子供
としているようなものでございまして、
子供
はそんなことを聞いているんじゃないんです。ああやって大騒ぎになる、中国も韓国も大騒ぎになっている、首相が公式訪問できない、これくらいのことは
子供
でも知っていますよ。そして、どうして靖国神社なのということを聞く
子供
だっておりますよ。そうしたら、教師は、答えない、
憲法
二十条を唱える、これでは教師としての資格を失するものじゃないかというふうに思っております。だから、どう答えていいのかわからない
内容
のことなんです。 したがって、これは軽く
考え
たらいけないんです。靖国神社というのは、やはりそういう神社の特性を語らないで靖国神社参拝を
論議
することはできません。 それと同時に、
内閣
総理
大臣
が出かけるということは絶大な影響力を
国民
に与えておって、ある評論家によれば、観光地としての靖国神社を訪問する人が多くなって、外国人も行くようになったというような話ですけれども、行っても何もわからないだろうと思うのでありますけれども。そういう宗教
教育
というふうなところから外れて政治家が宗教的アクションを起こすときに、そのアクションは宗教
教育
よりもはるかに大きな影響力を
国民
に与えているということですよ。 ですから、政治家というのは、あだやおろそかに宗教行事に参加してはいけないんです。参加するならば、ちゃんと
自分
の参加する理由を挙げてやるべきであって、特に、
国家
の
内閣
に属する、
国家
権力の最高責任者が……(発言する者あり)何言いたいの。失礼なこと言うな。 ですから、私が言いたいのは、一宗教施設ではあるけれども、その影響力が全
国民
に及んでいるというときに、宗教
教育
が靖国神社を取り上げられないとすれば、教師として、その教師たる資格を欠くのではないかと私は思っておりまして、これは、カリキュラムあるいは教材を提供する文科省の重大な責任だと思いますが、担当者の御意見をお聞きしたいと思います。行政側の感想をお聞きしたいと思います。
銭谷眞美
60
○
銭谷
政府参考人
学校における宗教
教育
につきましては、先ほど来御
説明
を申し上げておりますように、世界の宗教の分布でございますとか、宗教の役割とか、そういったものを取り上げて教えているわけでございます。 ちょっと話がそれて恐縮でございますが、特に高等学校の倫理では、かなり宗教について取り上げているところでございます。この中では、世界のいわゆる三大宗教について、それぞれの成り立ちですとか、三大宗教の
考え方
とか、こういうことについては触れているわけでございます。あわせて
日本人
の宗教観といいましょうか、
歴史
的な宗教に対する
考え方
、あるいはその後の仏教伝来以後の
日本人
の宗教の占めてきた地位とか、そういうものについても触れているといったようなことで、
基本
的に宗教に関する教養を高めるという観点から、小学校、中学校、高等学校で、それぞれ発達段階に応じて指導をしているということでございます。 なお、靖国神社のことをお話しになりましたけれども、一つ大事なことは、やはり
内閣
総理
大臣
や
国務大臣
の地位にある方についても信教の自由は保障されておって、私人として靖国神社に参拝することができる。仮に生徒から問われた場合でも、そのような信教の自由については、これは適切に指導すべきものだと
考え
ております。
土肥隆一
61
○
土肥
委員
これ以上靖国神社問題に深入りするのはやめたいと思います。
安倍
長官、もし次の日程があったら、どうぞお引き取りください。 あるカルト集団に引っ張り込まれて、そこの指導者として、七年間そのカルト集団の教師的役割をしてきた人物の書いた、なぜ
自分
がカルト集団に入ったのか、そこで何をしたのか。そこに集まってくる、特に若者、彼らの定義で言うと、大体、大学生及び
社会
人一、二年生がやってくるわけですね。 最もやりにくいのが、大学生なら大学生で、
自分
は大学でこれをするんだ、将来こういうことをやるんだという
目的
意識のはっきりしたのは、はなから、そのカルト集団に引っ張り込もうとしても入ってこない。それからもう一つは、何だかわけのわからない学生、何のために大学生をやっているのか、
自分
の人生についても
考え
たことがない、マージャンかパチンコかそんなことばかりやっている、これもはしにも棒にもかからない。これが、二つ合わせると大体三割ぐらいだそうです。あと七割がターゲットなんですね。 そして、実に巧妙なカリキュラムができております。最初はビデオを見せる、その次は三日ないし四日の講習を受ける、その次は四十日の講習を受ける。そのころになると、もうすっかりそのカルト集団の信奉者になっているわけでありますけれども。 彼が言うには、やはりカルト集団に入ってくる中でも、人間が生きていること、あるいは人間の存在、あるいは
自分
の人生などについて非常に迷っている、
自分
はどうしたらいいかわからない、サラリーマンでいえば、ある企業に入ったけれども、どうも
自分
はその仕事に向いていない、会社が嫌いだ、管理されるのが嫌だ、さまざまな動機があるんですけれども、そういうふらふらしている彼らに対して、人間はこれしかないのよと一つだけ、二つ言っちゃだめなんです、一つだけの道を示すんですね。すると、そこへさあっと流れていくわけでございます。 そこから抜け出るということはもう大変な至難のわざでございまして、今度は仲間がつきまして、非常に親しい、何でも聞きなさいと言って仲間がついて、しかし同時に、離れようとすると、離れたらあなたの人生は台なしになるよみたいなことを言って、いわばそこの中で積み重ねていくわけです。
教育
というのは、非常にあいまいなふらふらした
教育
をやっているからこういうことになるんです。心の
教育
であるとかいろいろなことを言います、文科省も言います。だけれども、やはり生きるということ、それに密着した
教育
をしないと、何で数学をやらなきゃいけないの、何で英語をやらなきゃいけないの、それがだんだんだんだん高じて、何で人を殺しちゃいけないのというような話にまで行くわけですね。そこにはやはり
子供たち
を感動させるような
教育
が実践されていない。 親の側もそうですから、ふらふらした
夫婦
がふらふらしたままで結婚するわけですから、
夫婦
でふらふらしているわけですから、
子供
はそれを見て、親が揺れているとわかるわけですね。すると、本人も揺れ始めるわけです。そういうことを
考え
ると、よほど
日本
の
教育
を
考え
て、中教審が言っているような危機感、そして今現在置かれている
子供
、その親、教師、それをしっかりと分析し、そして踏まえて
教育
体系をつくらなきゃいけないと思うのであります。 そういう意見を申し上げまして、最後にいたします。 今度、
教育基本法
で私立学校が真っ正面から取り上げられました。
政府
案、
民主党
案ともに私立学校を入れているわけでございますけれども、御承知のように、
憲法
八十九条で、私学
教育
あるいは慈善たる福祉を許しておりませんね。これとの関係で、私立学校をそんなに簡単に
教育基本法
で取り上げていいのか、八十九条に合わないんではないかと思うんですが、
政府
案、
民主党
案、それぞれ
答弁
をお願いします。
小坂憲次
62
○
小坂国務大臣
学校法人に対する私学助成というのは、
憲法
第八十九条が公の支配に属しない
教育
事業に対する公金の支出を禁じているために、学校
教育
法、私立学校法及び私立学校振興助成法に定める各種の監督規定をもって公の支配に属しているものとして助成が行われるという形になっております。 このため、今回、本条すなわち私立学校の規定を規定したことのみをもって、
憲法
第八十九条に規定する公の支配に属しているものとしての私学助成を行うことが可能になるというわけではないわけですが、この私立学校の規定は、私立学校の重要性にかんがみ、国及び地方公共団体に対して、私学助成に限らず情報提供や経営支援なども含めてその振興方策を講ずる責務を課すものでありまして、その
意味
においては、私学振興全般の根拠となり得る形をとっているわけでございます。 このように、私立学校というのは、今日、
我が国
の
教育
に占める割合が非常に重要なものとなっておりますので、
教育基本法
の第八条における私立学校の規定は、国、地方公共団体の責務を明確にするという
意味
合い、そしてまた、この
憲法
八十九条の規定との関連を
教育基本法
として明らかにするために挿入をしたものでございまして、
委員
の御
指摘
になる懸念は、私どもは必要のないものと。必要のないものと言うと語弊がありますので、
委員
の御
指摘
は謙虚に受けとめるものの、私どもとしては、この八条の規定を設けたことによって、より一層公
教育
に果たす私学の役割が確立されるものと
考え
ているところでございます。
土肥隆一
63
○
土肥
委員
時間が来ておりますのはわかっています。後で、簡単にやってくださいね。 要するに解釈
憲法
ですね。
大臣
、解釈
憲法
じゃないんですか。ひとつお答えください。
小坂憲次
64
○
小坂国務大臣
憲法
上の解釈は、このような規定を設けることによって、先ほど申し上げたような、学校
教育
法、私立学校法及び私立学校振興助成法に定める各種の監督規定をもって公の支配に属しているという形の形式を整えているということを申し上げたところでございます。
土肥隆一
65
○
土肥
委員
では
民主党
、お答えください。
笠浩史
66
○笠
議員
土肥
委員
御
指摘
のとおり、私どもも、この私学助成についての
憲法
八十九条との適合性、これまで議論をされてきております。 これについては、助成を受けた場合に、監督官庁の報告徴取や、質問、検査あるいは予算に係る変更の勧告、役員の解職の勧告等の権限も及ぶほか、
大臣
の定める基準に従った会計処理あるいは財務に関する書類の作成と
提出
、監査といった規制を受けるといったこともあって、公の支配に属するものとされていると承知しており、私どもといたしましては、この取り扱いに
異議
はなく、私学の助成に関する
憲法
八十九条の問題については決着していると
理解
しております。 その前提のもとに、今回の第九条、建学の自由及び私立の学校の振興の規定を作成したところでございます。
土肥隆一
67
○
土肥
委員
ありがとうございました。 ちょっと問題だと思いますね。そうすると、八十九条はもうない、八十九条は死文化している条項だと言わざるを得ない。つまり、学校法人あるいは
社会
福祉法人、法人格をそれぞれつくって、監督官庁のもとに置いて、そして、お金をおろしやすいようにしてつくった私学であり
社会
福祉法人なんですね。この事実は間違いないわけでございまして、これはまた
憲法改正
論議
のときに、当然この条項は問題になると思います。 以上をもって私の質問を終わります。ありがとうございました。
森山眞弓
68
○
森山委員長
次に、
高井
美穂
君。
高井美穂
69
○
高井
委員
民主党
の
高井
美穂
です。どうぞよろしくお願いいたします。 私は、
日本国
教育基本法
の
民主党
案の
提出
者になっておりますので、本日は、
政府
の
皆様方
のみに質問をさせていただきたい。どうぞよろしくお願いをいたします。
教育基本法
は
理念
法でございますけれども、この
理念
に基づいてさまざまな
法律
、
制度
が整備されていくため、現場に大きな影響を与えるのは、もう皆さん御承知のとおりだろうと思います。
教育
全般におけるこうした当
委員会
の質疑を通じて、多くの皆さんが
教育
についてより深く
考え
るきっかけとしてほしいし、
子供
がいる方も、おられない方も、
社会
の宝物で、
社会
の財産である
子供
という存在に向き合って、今の
社会
環境や
教育
環境すべてを改善する
努力
をしてほしいというふうに願う者の一人でございます。 そのために、当然、この
委員会
では十分な議論を尽くしたいというふうに思っておりますし、始まったばかりで、さまざまな論点が挙がっておる中で、私は、本日は
子供
の件に集中して質疑をさせていただきたいと思いまして、質問通告どおりに始めたいというふうに思っています。 皆さんが
自分
の
子供
さんのことを思いながら、
子供
でなければお孫さんのことを思いながら、
教育
についてよく
考え
てみていただきたい。
大人
から見た目線だけでなく、やはり
子供
から見た目線、
子供
といいましても、もう中学生、高校生、小学生高学年になるといろいろな
考え
をしっかり持っている
子供
も多いわけでございますので、そういう
子供
さん、お孫さんに対して、今回の
基本
法についてもぜひお話をしていただきたい。
家庭
でもぜひ、こういうふうな議論がされているんだがどうだということを、特に立法府におられる皆さん方には
家庭
に持ち帰っても話していただきたいというふうに
考え
ております。 そして、私
自身
は、
自分
の
子供
にどういうふうに育ってほしいか、
家庭
でどんなことを教えたいか、学校でどんなことを教えてほしいか、そういうふうなことを
自分
の頭の中に置きながら、そこを原点に質問をしたいというふうに思っています。もちろん一般論も大事だと思いますが、やはり
自分
のこととして
考え
たいというふうな点でございます。
大臣
も先ほど、
子供
がお好きだという御発言もございました。私は、総理は
子供
が好きなのかどうかはよく存じ上げませんけれども、抱き締めることが大事というふうにおっしゃっておられましたので、ぜひ実践をしていただきたいなと。
家庭
を大事にするということも、立法府の皆さんはもう当然のこと、
国民
の皆さんに
法律
をつくってお願いするようになるわけですから、みずからもって皆さんが実践するということを
考え
に入れていただきたいというふうに思っています。
子供
は
社会
を映す鏡といいます。そのとおりだと思っています。権利と義務といいますが、やはり、
大人
が義務を果たさないのであれば
子供
に押しつけることはできない、
大人
が責任をとらないのであれば
子供
に責任をとれと言うこともできないというふうに思っています。
大人
のマナーと
子供
のマナー、今さまざまな
生活
をしながら見るにつけ、
子供
のマナーが悪いというよりも、
大人
のマナーも非常に悪い部分が多いというふうに思っておりまして、
子供
にだけ公共心、道徳心を教えるという発想よりも、まず
大人
が変わっていく、変えていくという点でぜひ
考え
ていただきたいというふうに思います。 特に、援助交際と言われる
言葉
が昨今マスコミ等にも出回っていますけれども、性を売る
子供
よりも、買う
大人
と、それを業として仲介する
大人
の方に最も罪があると私は
考え
ておりまして、ぜひとも、この点はまた違う
委員会
でございますけれども、よく真剣に
考え
ていきたいと私も思いますし、ぜひよろしくお願いをいたします。 質問に入ります。 まず、一つだけ挙げるとすれば、今回の、現代の
教育基本法
改正で、
大臣
は、何が最も問題になっているから、その解決のためにこの
教育基本法
を変えるんだというふうにお思いか、教えていただきたいと思います。
委員会
でのさまざまな質疑、私もずっと聞いておりましたので、多くの点が
指摘
されている思いも承知しておるつもりでございます。その中でもとりわけこれだというのが思いを込めてあれば、お願いをいたします。
小坂憲次
70
○
小坂国務大臣
思いということからいえば、
日本
に生まれてよかったと思う
日本
にするために
教育
の
改革
をしたい。 ただ、そのことを一言言っても、その
背景
をやはり
説明
しないといつもわからないものですから、中教審の答申でも引かれております、これまでの価値観が揺らぎ、自信喪失感や閉塞感が広がっている。倫理観や
社会
的使命感の喪失が、正義、公正、安全への信頼を失わせている。少子高齢化による人口構成の変化が、
社会
の活力低下を招来して、長引く経済停滞の中で多くの労働者が離職を余儀なくされ、新規学卒者の就職は極めて困難になっているといった
社会
状況を
説明
され、その中で、今日の学校における課題としての青少年の規範意識や道徳心、自律心の低下、また、いじめ、不登校、中途退学、学級崩壊、
家庭
、地域の
教育
力の低下、こういった
教育
を取り巻く環境を
指摘
させていただいているところでございます。
高井美穂
71
○
高井
委員
私も、とりわけ
日本
を愛する気持ちは強いと思っています。 その愛国心の表現の仕方は人それぞれ、さまざまでありましょうし、それぞれに
日本
を大事に思う気持ちをいろいろな形で持っていただければいいというふうに思ってはおりますが、先ほど
大臣
が答えられた
子供
をめぐるさまざまな状況等の中で、
子供
の犯罪をめぐる発言が、多くの
与党
の方の
議員
からも、野党の
民主党
の方の
議員
からもございました。 そして、これは公共心の欠如とか道徳心が欠如しているというふうな
言葉
も質疑の中でさらに出ましたけれども、ニュース等の情報に基づいて犯罪がふえているとの
認識
が
背景
にあって、こういうふうに法案に盛り込まれるようになったのか。
子供
の刑法犯自体は実際にふえているのか。
子供
の犯罪がふえているというよりも、むしろ、景気が悪くなったりしたことも含めて、あと、マスコミやインターネット等の情報からさまざまな犯罪というか悪い情報に接する機会も
子供
にとってふえていることがやはり
背景
にあるのか。実際に
大人
の犯罪も昨今ふえているんじゃないかというふうに私は
考え
ていますが、現状の
認識
等はいかがでございますか。これは警察庁の方にお願いをいたします。
竹花豊
72
○
竹花
政府参考人
お答え申し上げます。 刑法犯少年の検挙人員は、平成十七年中、十二万三千七百十五人を数えております。ここ十年間、十二万人から十五万人台で推移をしているという状況にございます。これを少年の千人当たりの人口比で見てみますと、平成十七年は十五・九となっておりまして、依然として高い状態が続いております。 また、少年犯罪ではありませんけれども、いわば少年の、少し非行に走り始めたという不良的な行為ということで、深夜徘回ですとか喫煙などの行為については少年を補導しているわけでございますけれども、この補導人員を見ますと、平成十七年中は約百三十七万人を補導いたしておりまして、これは、平成十四年以降百万人を超えている状況が続いているということでございます。 さらに、最近の少年事件の中には、平成十五年及び十六年に発生しました長崎での
子供
の殺人事件、あるいは昨年発生いたしました東京町田市での殺人事件、あるいは、これは少し前々から起こっておりますけれども、いわゆるおやじ狩りで相手の
大人
を大変な目に遭わせるといったような事件が多発をしておりまして、こうしたことをどうして
子供たち
が行うのか、その理由について
理解
することが困難だ、そういう事例も多々生じているという特徴がございます。 私ども、こうした非行問題を扱っている現場から見ておりますと、このような少年非行の
背景
にはさまざまな要因が
考え
られるところでありますけれども、つまるところ、犯罪の被害者の痛みあるいは
自分
自身
が受けるダメージ等について無知あるいは
理解
が乏しいということがありまして、そういうことが、少年が犯罪を犯すことを押しとどめる力が低いのではないかというふうに感じさせられるところでございます。 このような状況を生み出しておりますのも、
大人社会
が、犯罪にかかわることの重大さを少年に伝え切れていない、逆に、これを軽んじる風潮が広がる中で少年非行が助長されているという側面も否定できないのではないか。 例えば、少年の多くが携帯電話を持っておりますけれども、ここには、少年が犯罪にかかわることを誘う情報や、わいせつ、暴力の情報があふれております。多くの少年にこれを持たせているという状況は、少年を犯罪に巻き込む大きな危険の中に置いていると言っても過言ではないというふうにも感じているところでございます。
高井美穂
73
○
高井
委員
ありがとうございます。大変御丁寧な
答弁
をいただきました。 まさに他者への
理解
、他者の痛みを知る、痛みを
理解
しお互いに支え合ってやっていく、まさにそういう人格を形成する、完成された人格を形成することこそ
教育
の
目的
の一つでもあろうかというふうに感じながら今聞きましたけれども、
民主党
案では、第十七条に、情報文化
社会
に関する
教育
ということで、「すべての児童及び生徒は、インターネット等を利用した仮想情報空間におけるコミュニケーションの可能性、限界及び問題について、的確に
理解
し、適切な人間関係を構築する態度と素養を修得するよう奨励されるものとする。」というふうな規定を入れております。 現代に生きる我々にとって、物と情報があふれんばかりの中で、取捨選択する能力というのは大変に必要であるというふうに思っておりますが、こうした条文が残念ながら
政府
案にはございません。これを入れていくというお
考え
はないでしょうか。 メディアリテラシーというのは、
子供
だけでなくもちろん
大人
にも必要なことですけれども、こうした条文を盛り込むことによって
国民
的に喚起したいという部分もございまして、私どもは入れさせていただきました。いかがでしょうか。
小坂憲次
74
○
小坂国務大臣
高井
委員
が御
指摘
のように、今日の情報化
社会
の中で情報リテラシーというものが非常に重要になってまいりました。いろいろな情報に接する中で、その情報が正しいのか間違っているのか、その
背景
にあるものは何か、こういったことの判断力をみずから養っていくこと、それが今求められているという御
指摘
はそのとおりである、そういった
意味
で、
民主党
が第十七条に情報文化
社会
に関する
教育
という項目を盛り込まれたことは、それなりの意義があるものと
考え
るところでございます。 しかし、私どもの
政府
案におきましては、第二条において、幅広い知識と教養を身につけ、真理を求める態度を養い、すなわちこれはリテラシーということになると思いますが、豊かな情操と道徳心を培うとともに健やかな心身を養うことと。包括的な規定ではございますけれども、今日の情報化
社会
の中で、そのリテラシーのあり方というものも時代の変化とともに技術的にも担保をされ、また、このリテラシーに対する
考え方
というのも若干の変化をしていくと思っております。 そういった時代の変化にも十分対応し得るように、
基本
的な
理念
としての、
理念
法としての性格からすれば、個別具体的なものよりは、この第二条の規定ぶりというものを私どもは今回採用したわけでございます。
高井美穂
75
○
高井
委員
残念ながら、私は二条を拝見するだけでそこまでの思いに至りませんでした。ということは、逆に言うと、もうちょっとはっきりとわかりやすく、本当にだれが見てもわかるような形で盛り込んでいただける方がいいんじゃないかという思いを込めてお願いをしているわけでございます。ぜひとも御検討をよろしくお願いいたします。対立法案ではございませんので、すり合わせができるところはすり合わせ、ぜひとも御検討いただきたいと思っております。 次の質問に行きます。
資料
をお配りしていると思いますが、対人信頼感の比較
調査
というものの統計を私はある方からいただきまして、ちょっと御紹介をしたいと思って持ってまいりました。 大変に私はショックを受けまして、これはサンプル数はそんなに多くないんですが、対人信頼感の比較、
日本
、韓国、フィンランドの大学生の比較
調査
でございます。項目がこの四つで、ほとんどの人は他人を信頼しているということと、私は人を信頼する方であるということ、この
社会
では気をつけていないとだれかに利用されてしまうかどうか、ほとんどの人は
基本
的に善良で親切であるかどうか、こういうふうなことをシンプルに学生に聞いたアンケートだそうです。 この中で大変に残念なのは、一番の、他人を信頼しているかどうかについても、六五%の
日本人
の大学生、これは私立の大きな大学の学生さんのデータなんですが、六五%の人が、余りそうは思わないと。そしてまた、二番はともかく三番の、
社会
では気をつけていないとだれかに利用されてしまうというふうに
考え
ている学生が、何と八〇%なんですね。これは韓国でも近いデータになっているので、フィンランドが異常に少ないというのは、フィンランドは、小さい国ではありますが
教育
大国ということで有名でございますので、本当にすごいなというふうに拝見をいたしました。そして、この最後のデータ、ほとんどの人は
基本
的に善良で親切である、人間を信頼しているかどうかというふうな問いに近いとも思いますが、余りそう思わないとそう思わないを含めると五六・四%。大変に、本当に残念な結果でございます。 先ほど警察庁の
参考
人の方が述べていただきましたけれども、やはり他人に対する思いやりというか信頼感というのが欠けるというか少なくなっているというのが、少ないサンプルながらもデータからもはっきりしておりまして、非常に問題だなというふうに思いました。 それで、今までの
教育
をさまざまに振り返って、
教育
、学校の世界、学校界が、学ぶということの動機づけに対してうまくできなかったのではないかと。何のために学ばなきゃいけないか、学ぶことによってどうなるのか、さまざまな、協力し合って生きていくということも、多分学校
生活
の中で学ぶ一つの大事なことであろうと思います。それが学べていない、これはどうしてなんでしょうか。御意見をお聞かせいただきたいというふうに思います。
銭谷眞美
76
○
銭谷
政府参考人
先生お示しのような意識
調査
の場合、一般的に
日本
の学生というのは割と控え目に答えるといいましょうか、自己
認識
が低いという傾向もあるようでございますが、ただ、今先生お話ございましたように、
子供たち
が他者を信頼し、尊重し、互いに協力をしてよりよい
社会
を築いていこうとする態度を身につけるということは、これは学校
教育
上大変重要な課題だと思っております。 これまでも、学校
教育
におきましては、道徳の時間はもとより、各教科や特別活動など学校の
教育
活動全体を通じまして、集団活動、多様な体験活動などを行うことを通しまして、協力することの大切さを身につけさせるよう指導は行ってきているわけでございます。 例えば、自然体験活動において共同で作業したり炊事をしたり、部活動という
日本
独特のいい
制度
もありますので、そういう部活動を通じまして、学年の異なる
子供たち
が協力して共通の興味、関心を追求する活動を行うといったような指導も行っているわけでございます。 今後とも、学校
教育
におきまして、自他の敬愛と協力を重んずる態度を育てる指導ということにつきましては、十分努めていかなければならないと思っているところでございます。
高井美穂
77
○
高井
委員
もちろん指導も大事なことなんですが、やはりそれを教える先生
自身
が他人をよく信頼し、また
大人
がまず他人を信頼しているという
社会
でなければ、なかなか
子供
にだけ教えることはできないというふうに冒頭に重ねて申し上げたいと思っています。 保護者の側、私も保護者の一人でございますが、学校にしてほしいことはいっぱいある、過度の学校依存になっていることに対して、
子供たち
自身
は学校離れを起こしているんじゃないか、学校不信になっているんじゃないか。つまり、
大人
から見た、保護者の側から見た学校に対する要求と、
子供
の側から見た学校に対する要求というのは、かなりずれがあるんじゃないか。目線の高さを変えて見ないと、
大人
の目線で見ただけでは、なかなか本当に学校に求められているというものがわからないのではないかというふうに懸念をいたします。 それで、
教育
の権利の主体としての
子供
からの意見というのも大事なことでございまして、
基本
法に反映させることが大事だと思っておりまして、意見徴収の状況等、先般も
小坂
大臣
も当
委員会
でお述べになられていましたが、
国民
周知、
国民
の皆さんに周知しているということでございますが、いわゆる
子供
の側からの意見徴収等の状況はどうなのか。そして、回数や時間等の御
説明
は何度かございましたけれども、意見徴収の人数は、どれぐらい広くとられているのか。 つまり、この前の新聞の
調査
でも、
教育基本法
について、見たり聞いたりしたことはあるが
内容
はよく知らない、本文を見たこともないという人と合わせて八〇%を超えているというふうなお話が、横光
委員
の議論でしたかでございました。周知徹底されている割には、
努力
されている割には、まだまだ低いのではないか。 みずからのことも言いますけれども、私も恥ずかしながら、
文部科学
委員会
に所属するまで
教育基本法
を読んだことはありませんでした。本当に恥を忍んで申し上げます。ただ、
国民
の皆さんというのは日々
自分
の活動に忙しいですし、特に関係の方でないと法令を一生懸命読むということは日常
生活
においてないのではないか。だからこそ、この
委員会
で深く、長く議論して、よく知っていただく。
憲法
に準ずる法案として
国民
の皆さんが参加して決めるということが大事だというふうに思っておりまして、その周知状況についてお伺いしたいと思います。
田中壮一郎
78
○
田中
政府参考人
子供
の意見の反映についてのお尋ねでございますけれども、
文部科学省
におきましては、平成十二年十二月に
教育改革
国民
会議
から報告を受けまして
教育基本法
の改正について提言をいただいて以来、また中央
教育
審議会
の答申等につきまして、さまざまな手段を通じまして、
国民
的な議論や
理解
を深めつつ、
教育基本法
の改正についての取り組みを進めてきたところでございます。 例えば、
教育改革
タウンミーティングでは、年齢制限は設けずに行いまして、実際に高校生から率直な質問がなされるような場面もございました。 また、平成十七年一月から七月までの間は、
教育
現場を知り、
国民
の生の声を伺うという
趣旨
で、スクールミーティングと題しまして、
大臣
、副
大臣
あるいは
文部科学省
の職員が、小学校、中学校、高等学校、これは三百八十校を訪問いたしまして、教職員や児童生徒あるいは保護者と率直な対話を行ってきたところでございます。 さらに、
文部科学省
のホームページにおきましても、一般の方々から広く御意見、御質問を受け付けておるところでございまして、この中でも
子供
さん等からも御意見や御質問等をいただいておるところでございます。 特にスクールミーティング等におきましては、
教育基本法
の改正をメーンにしておるものではございませんので、具体的には、学校五日制になって土曜日をどう過ごしているとか、少人数指導をどういうふうに感じているとか、あるいは総合的な
学習
の時間についてどんな感想を持っているとか、もっと身近な
内容
をお聞きするのが中心であったわけでございます。 それから、文部省のホームページ等によりまして、全国の
国民
の方々から御意見をいただいておるところでございますけれども、これは、平成十八年の五月十一日現在で、十四万八千件余り御意見をいただいておるような状況にあるわけでございます。 ただ、こういうことで、私どもといたしましては、ふだんから児童生徒を含めた
国民
の方々との対話を進める中で、今後、
教育
のあり方に反映させていきたいというふうに
考え
ておるところでございます。 したがいまして、今回の
教育基本法
の改正案をつくります際にも、特定の
子供
さんの意見を直接反映したというものではございませんけれども、文部省では、こういう
国民
の方々から聞いたいろいろな問題意識を持ちながら、中教審の答申や
与党
協
議会
の最終報告などを踏まえまして、
教育基本法
の案をつくりまして
国会
に御
提出
したところでございます。
高井美穂
79
○
高井
委員
政府
案の六条第二項に、今回、学校
教育
の役割が規定されております。特に、この学校
教育
に求められている役割は何だとお思いになられますか。
小坂憲次
80
○
小坂国務大臣
学校は、人的、物的条件をしっかりと備えて、一定のカリキュラムに基づきまして、児童生徒のそれぞれの心身の発達段階に応じて、組織的かつ体系的に
教育
を行う場でありまして、
教育
の
目的
を実現する上での中心的な役割を担っている、これが学校の役割だ、このように
認識
しております。 ただ、現在の
教育基本法
の中では学校の役割について何ら規定をしておりませんものですから、今回、学校の
基本
的な役割について、第六条第二項において、「学校においては、
教育
の目標が達成されるよう、
教育
を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な
教育
が組織的に行われなければならない。」と規定をすることにしたわけでございます。
高井美穂
81
○
高井
委員
それをぜひ実現していただくためにも、この人的、物的条件を備えるための財政措置というのは大事な要件になると思います。ぜひともよろしくお願いをしたいと思います。 我が党案では、何度も質疑がありましたけれども、財政措置について明確に規定をしております。OECDのパーセンテージで先進諸国に負けない程度にやっていただきたいということをここで申し上げたいというふうに思っています。 それで、
民主党
案の中では、今回、学ぶ権利というものを第二条に入れさせていただきました。そして、
日本
は子どもの権利条約を批准しているわけでございまして、それと
教育基本法
は当然整合性があるというふうに思います。これまで
教育
について、教える側からの議論が常だったように思いますが、この権利の主体である
子供
に、
学習
の主体である
子供
に同じだけ重点を置いて
考え
るべきと、子どもの権利条約の思想もそうでございますが、
民主党
が、学ぶ権利の保障ということで
基本
法に、第二条に入れたというのは、ある
意味
で画期的なことなんではないかと思っていますが、
政府
案には、こういうことを入れることを検討する余地はないのでしょうか。
田中壮一郎
82
○
田中
政府参考人
子供
の学ぶ権利についてのお尋ねでございますけれども、
憲法
二十六条に、
国民
が
教育
を受ける権利について規定があるわけでございまして、
教育基本法
におきましては、現行法では第三条でございますけれども、この第三条で、すべて
国民
は、ひとしく、その能力に応じた
教育
を受ける機会を与えられなければならずというふうに規定しておるわけでございます。 これは、国や地方公共団体が、学校
制度
の構築、あるいは学校の設置、運営などによりまして、
国民
の
教育
を受ける機会の提供に努めなければならないということをより積極的に規定したものというふうに
考え
ておるところでございまして、この規定を引き続き新しい
教育基本法
の改正案の中にも規定しておるところでございます。
高井美穂
83
○
高井
委員
民主党
案の方が、より積極的に規定したという点があると思いますが。 昨日の質疑で、
鳩山
委員
からも質問がございましたけれども、すべて
国民
、
国民
一人一人はと、今御
説明
いただいたところにも入っておりますが、何人もにすることはできないのでしょうか。つまり、
国民
だけでなく、
日本
に在住するすべての人に対して学ぶ権利を保障するという観点から、私
たち
は何人もという
言葉
を使わせていただきました。 この条文が
憲法
の第二十六条の要請に基づくために、
憲法
と同様に規定しているということから、この文言に、
国民
の方になったというふうにお聞きをしましたが、
内閣
法制局の方に確認をいたしますと、別に必ずしも
憲法
と全く同一の文言を使わなくてもいい、何人もという表現にすることは可能だというふうに聞きました。 ここを何人もにかえるという
考え
はないでしょうか。いかがでしょうか、この何人もの観点について。
田中壮一郎
84
○
田中
政府参考人
すべて
国民
はというのを何人に変えてはいかがかという御意見でございますが、
憲法
二十六条では、
国民
の
教育
を受ける権利を定めておるわけでございます。現行の
教育基本法
も、この規定を踏まえまして、人格の完成とともに、
国家
及び
社会
の形成者としての
国民
の育成を
目的
として、
教育
の機会均等などの
教育
の
基本
的
理念
を規定しておるわけでございまして、本法案もこの
理念
を引き継いだものでございます。 しかしながら、外国人児童生徒が希望いたします場合には、例えば公立の義務
教育
諸学校へ就学をすることも可能でございまして、
日本人
児童生徒と同様に
教育
を受ける機会が保障されているところでございます。
高井美穂
85
○
高井
委員
大臣
、いかがでしょうか。そのような御
説明
がありましたけれども、これは政治的にやろうと思えば可能だと思います。いかがでしょうか、何人もの規定について。
小坂憲次
86
○
小坂国務大臣
今申し上げたように、
国民
の育成という観点から、私どもは、
憲法
二十六条のすべての
国民
という表現を引いたわけでございまして、私どもの
考え
は私どもの
考え
として御
理解
をいただきたいと思うわけでございます。 何人もとする方がいいんだという
民主党
の皆様の提案でございますけれども、私どもは、
国民
の育成という観点からここはこの表現をとらせていただいたということも御
理解
いただきたい、こう思うところです。
高井美穂
87
○
高井
委員
国民
のみ育成するということは、非常にある
意味
で排他的ではないかと、私は人権の感覚から残念でございます。ぜひとも検討していただきたい。 つまり、
民主党
案では、第七条にもありますが、普通
教育
を受ける権利を有する者は、何人もであって、義務
教育
を課する者は、
国民
というふうにちゃんと分けております。ぜひ、もうこれだけ国際化された
社会
の中ですから、
国民
のみの育成、のみとは言いませんが、
国民
だけの育成を焦点に置くよりも、人間すべてに対して規定をしていただきたいというふうに
考え
ております。 では、次の質問に移ります。
家庭
教育
について、質問に移らせていただきたいと思います。第十条関係です。
教育
公務員特例法第二十一条には教員の研修について規定がございますが、最近言われますいわゆる指導力不足の教員やわいせつ行為の教員を除いていく、学校からなくしていくということが大事であろうというふうに思います。
子供
に最初に接する
教育
者の方が問題を起こすというのは非常に残念というか、大変なことだというふうに
考え
ておりまして、これにより、教員の研修について少し、指導要綱等も恐らく、法案が後々議論されて通るようになれば変わっていくだろうと思いますが、今回の法案で問題教員を解消するような方向になっていくのか、何か変わる事項があるのか、教えていただきたいと思います。
銭谷眞美
88
○
銭谷
政府参考人
教職員につきましては本案第九条において規定をしているわけでございますけれども、現行法の規定に加えまして、自己の崇高な使命を深く自覚すること、絶えず研究と修養に励むべきこと、養成と研修の充実が図られなければならないことを新たに規定することによりまして、教員が改めてその使命を自覚し、不断にみずからの資質向上に努めることの重要性を明確化したところでございます。 指導力不足教員につきましては、
文部科学省
としては、各都道府県等に対しまして、指導力不足教員の対応システムの構築、運用を促しているところでございます。既に、すべての都道府県
教育
委員会
におきましてシステムが整備をされているところでございます。 指導力不足教員として認定をされた教員の数も、平成十二年度の六十五名から、平成十六年度には五百六十六名となっております。また、指導力不足教員のうち退職等により教職を離れた者の数は、平成十二年度の二十三人から、平成十六年度は百九十人となるなど、年々取り組みは進んでいると
考え
ております。 さらにもう一点、わいせつ行為等によりまして懲戒処分を受ける教員が平成十六年度は百六十八人に上る状況を踏まえまして、昨年の十二月二十八日に各
教育
委員会
に通知を発出したところでございます。その通知の中では、懲戒処分の基準を作成し、あらかじめ教員に示すなど抑止を図ること、処分事由があった場合は速やかに当該処分を行うとともに、プライバシーにも配慮した上で処分の概要について公表すること、三点目に、特に児童生徒に対するわいせつ行為等については原則として懲戒免職とするなど、非違行為があった場合には厳正な対応をすることなどにつきまして指導をしているところでございます。
文部科学省
といたしましては、本法案の
趣旨
を踏まえまして、今後さらに教員の適格性の確保が図られますように、指導力不足教員の対応システム等についてその一層適切な運用に努めるとともに、教職員の服務規律の確保を図ってまいりたいと
考え
ております。
高井美穂
89
○
高井
委員
現行の
教育基本法
の
審議
の際に、
家庭
教育
は広い
意味
で
社会
教育
に含まれるというふうな
政府
の
答弁
がなされておりました。今回新たに規定を置いた理由をお聞かせいただきたいというふうに思います。 いわゆる当時の概念から、
社会
教育
とは今回は切り分けて規定したということなんだろうと思いますが、中教審等の提言等でも、
家庭
教育
の現状を
考え
ると、それぞれの
家庭
、保護者が
子供
の
教育
に対する責任を自覚して、みずからの役割について
認識
を深めることがまず重要であるとの観点から、
子供
に
基本
的な
生活
習慣を身につけさせることや、豊かな情操をはぐくむなど、
家庭
の果たすべき役割について新たに規定することが適当であるというふうに提言がありました。 本来国が介入すべきでない
家庭
教育
について
法律
で規定するというのは、言う人によれば
国家
の
家庭
への介入であるというふうな御意見もございますが、この
家庭
教育
を規定した理由について教えてください。
小坂憲次
90
○
小坂国務大臣
過日、
鳩山
委員
の御質問の中でも、
家庭
というものについての思いが述べられておりました。今、
高井
委員
も、
家庭
というものの重要性、また
家庭
教育
というものの重要性についての御
認識
は同じように高いものがおありだというふうに聞いておりました。私もそのように思っております。 御
指摘
の
家庭
教育
は、現行法の第七条の
社会
教育
の規定におきまして、「
家庭
教育
及び勤労の場所その他
社会
において行われる
教育
は、国及び地方公共団体によつて奨励されなければならない。」としているところでございます。 しかしながら、
家庭
教育
は、今申し上げたように、また皆さんの御意見にもありますように、すべての
教育
の出発点であり、
基本
的な倫理観や
社会
的なマナー、自制心や自律心などを育成する上で重要な役割を担っております。 したがいまして、今回の改正におきまして、第十条におきまして、父母その他の保護者は、子の
教育
について第一義的責任を有することを明確にさせていただきまして、
家庭
教育
の役割について規定するとともに、国や地方公共団体による
家庭
教育
の支援について規定をさせていただいたところでございます。また同時に、
家庭
教育
は、本来、保護者の自主的な判断に基づき行われるべきものであるということに十分配慮をして、第二項において
家庭
教育
の自主性を尊重することについて明示的に、すなわち明らかに規定をさせていただいたことでございます。 本条は、個々の
家庭
における具体的な
教育
内容
等について規定するものではありませんで、また、そのような
法律
を新たに設けることを意図するものでもないということを御
理解
いただきたいと思います。
高井美穂
91
○
高井
委員
では、今回の法案が、
家庭
の子育て力の回復、地域の子育て力の回復に効果はあるというふうにお
考え
になりますでしょうか。つまり、これに基づいて何か関連の法案等整備がなされるのか、教えていただきたいと思います。
小坂憲次
92
○
小坂国務大臣
結論から申し上げれば、これに基づいて新たな
法律
を規定する、そういうつもりはないわけでございます。 今申し上げたように、本来、
家庭
教育
は、保護者の自主的な判断に基づいて行われるべきであります。また、
家庭
教育
の支援については、これまでも、子育ての講座の全国的な開催や、あるいは
家庭
教育
手帳の配付などの施策を進めてきておりますし、第十条が新設されたことを踏まえまして、子育てに関する親の責任を個々の親御さん
自身
が自覚をしていただいて、親としての責任を全うすることを支援する
社会
づくりというものを行うとともに、より細やかな
家庭
教育
支援の充実に一層取り組んでまいりたい、このような決意を持っているわけでございまして、
法律
を規定するというものではないわけでございます。
高井美穂
93
○
高井
委員
本日のトップのニュースでもございましたとおり、ほぼ全紙が取り上げております、底見えぬ
少子化
、衝撃一・二五というふうになりました。団塊ジュニアのはしりの方の世代が私でございまして、三十から三十四歳の人口というのは、第二次ベビーブームで大変多うございます、私は三十四歳なので、一番最後の方なんですが。 だから、いわゆる昔で言うところの三十五歳以上を高齢出産とするのであれば、私は来年から高齢出産の域に入っていきますが、この出産適齢期である三十代、三十から三十四歳までの数が多いうちでなければ、出生率の回復は見込めないと思っています。その危機感は恐らく
政府
ももちろんお持ちだというふうに思いますけれども、残念なことに、
少子化
ということが一番最初に言われたのは一九九〇年だと思います。それから、九四年にはエンゼルプランがつくられ、そして九九年には新エンゼルプランもつくられ、そして二〇〇四年には子ども・子育て応援プランというのもつくられました。それにもかかわらず下がり続けている。 そして、今回特に大変なのは、三十から三十四歳の世代は、まだ下がっておりませんでしたが、六年ぶりに初めて下がることになった。これから先、とてもじゃないけれども、産む人が減れば当然
子供
も減ります、下がります。そういうことを
考え
れば、まさに今までやろうとしてきた
制度
ががたがたになるのではないか。 まず、年金です。年金、二年前に改正がございました。その当時は、二〇〇七年に一・三〇で底を打つ、二〇五〇年には一・三九で回復するという前提で
制度
がつくられましたよね。御承知のとおりだと思います。これが本当に可能になってくるのでしょうか。
少子化
担当
大臣
の
猪口大臣
にお願いを申します。いかがお思いになられますか。
猪口邦子
94
○
猪口国務大臣
高井
先生にお答え申し上げます。 先生御
指摘
のとおり、
我が国
の
少子化
傾向、なかなか流れを変えることができずに来ております。今回、
少子化
の
背景
にあります
社会
意識なども問い直しながら、例えば、家族の重要性を再
認識
していただくように何らかの
努力
を傾注し、また、若い世代の不安感の原因に総合的に対応する、このような観点から、
少子化
対策の抜本的な強化、充実、転換を図っていかなければならないと
考え
ております。 先生御
指摘
のとおり、エンゼルプラン、新エンゼルプラン、そして子ども・子育て応援プランと続いてきたわけでございますが、初期の
少子化
対策といたしましては、主として働く女性のための観点、保育園の拡充などが中心とならざるを得ない事情があったと思います。そして、その観点は引き続き重要であり、待機児童ゼロ作戦など、例えば、保育園の受け入れ児童枠を大幅に拡大することができてきておりますが、まだ間に合っておりませんので、引き続き続行いたしますが、同時に、全
家庭
対策としての
考え方
も導入し、新たな視点も織り込んで、私としては、六月を目途に、抜本的に強化された
少子化
対策について
政府
においてまとめていただけるよう、全力の
努力
を傾けているさなかでございます。
高井美穂
95
○
高井
委員
家庭
の重要性を言うだけでは、
少子化
は解消されません。多分、
家庭
の重要性を聞けば、重要じゃないと答える人はいないんじゃないかと私は思います。みんなわかっているんですよ。それでも
子供
が産めないのはなぜなのかということをよく
考え
て、世界の先進国がさまざまに
努力
している中で、
日本
だけではないのですから、世界の先進国が、回復軌道に乗せているところも多うございますから、さまざまな点で学んで、本格的にやらないと、幾ら、
家庭
は大事だとか、つまり、
家庭
の重要性を教えるということは結婚を促すということですか、結婚したくてもできない事情もあったり、
子供
が持ちたくても持てない事情の方を先に勘案しないと、
家庭
の重要性を教えて結婚を促す施策だけとっても、それは
少子化
の解消につながらないと思います。
少子化
対策にかける費用は、さまざまな方の
指摘
もございますが、
日本
は少な過ぎます。フランスとかはGDPで二・八%、スウェーデンにおいては二・九%、
日本
は何と〇・六%、これで真剣に取り組んでいるとは到底言えない。出生率が下がってしまったのは、ある
意味
で、こういう数字等
努力
を見てみれば、回復の基調に乗らないのも当然かなとさえ、私はがっかりしている次第であります。
資料
をお配りさせていただいていると思いますけれども、「子育て支援の今」ということで、以前、
文部科学
委員会
に、こども園の質疑のときに、村山さんという
参考
人の方に来ていただきました。村山祐一先生、帝京大学の文学部教授でございます。これは、
文部科学
の
委員
の皆さんにはそのとき配られたと思いますが、
委員会
が違いますので
資料
としてつけさせていただきましたが、子育て支援の現状は大変に危機感が、大変にストレス状態だと。 私も、下の子が来月で一歳になりますし、上の子は三歳と十カ月でございます。もちろんストレスもありますけれども、私は、かけがえのない喜びを感じて、子育てと仕事を両立しております。こういうふうにできるのは、ある
意味
で、恵まれたというか限られた人なのではないかと。同世代の友達等から話を聞く中で、休めないよ、仕事大変だよ、結婚できないよ、給料も安いし、家も持つなんて遠くの遠くの夢だと。さまざまな不平不満があるのはすごくよくわかって、当然だと思いますし、だからこそ、こういう母親だけに育児を担わせるというのがもう無理だということをスタートに、
家庭
の重要性ばかりを説くよりも、やはりトータルな、地域と
社会
、国の支援が必要であると思っております。いかがでしょうか。
猪口邦子
96
○
猪口国務大臣
言葉
足らずで申しわけございませんでしたが、まさに
高井
先生の御
指摘
のような観点は既に子ども・子育て応援プランの中に入ってございます。また、今回、抜本的にそのような視点も強化していきたいと
考え
ております。 先ほど
家庭
のことが重要であると申し上げましたのは、例えば家族と子育て期の保護者が一緒に過ごす時間をもっとふやすことが可能な
社会
にしていかなければならない、そのような視点をとりますと、働き方の見直し、そしてさまざまな両立支援策の重要性を
指摘
することができます。 育児休業の取得、男女ともになかなか伸び悩んでいるところがあると思います。多くの女性は第一子の出産とともに退職しているということがありますので、その方
たち
のカムバック支援も重要でありますが、仕事を継続する方は、育児休業をとって家族との時間を最大化できるようにすることができる
社会
をつくっていく、また、育児休業から復帰したときも短時間就労などについて
理解
を得られるように、また小学校に上がったときは、例えば
子供
の送り迎えなどについて職場の
理解
が得られるように、こういう個別の施策を列挙すれば多々あります。 そのようなことはすべて家族との時間を大切にするという観点から導き出すこともできますので、働き方の見直し、両立支援、それから、いわゆる専業主婦の方も孤独な育児の中で大変な思いをなさっているということについて十分に把握しておりまして、地域におきます一時的な
子供
預かり、あるいは母子ともに過ごすことができる保育の拠点づくり、そのようなことも推進してまいりたいと思っています。 また、若い世代において、子育て期におきます経済的負担感、特に乳幼児期において非常に強いという意見が多々寄せられていますので、そのような経済的支援の観点からも、これは
基本
的には、やはり家族
政策
、家族を支援する
考え方
に基づいて推進していきたいと思っておるところでございます。
高井美穂
97
○
高井
委員
大臣
は恐らく、重要性は何度も言わなくても当然御
認識
だろうというふうに思った上でお聞きしました。そして、それも盛り込まれているにもかかわらず、ではなぜ実態が伴わないのかということが問題でありまして、お金が足りないんです。国の施策に対する支援が足りない。それは、
家庭
への経済支援という
意味
ではございません。ワークライフバランスという施策に対する国のさまざまな支援が、財政措置が足りないということを申し上げたいのです。 もちろん、経済支援も大事でございます。
家庭
への直接の経済支援も大事でございますが、国として財政措置をさまざまな面でつける、
制度
をつくるということの方が大事で、なぜずっと、その観点を盛り込まれているにもかかわらず実現できないのかというのが問題だというふうに思っています。 そして、
資料
の二枚目におつけしましたけれども、父親自体も非常にストレスでございます。育児したいのにできないという声が、このアンケートの中に取り上げられています。同じく村山
参考
人からの
資料
でございますが、「育児を許さぬ労働状況」、母親が育児ストレスで苦しんでいるのもよくわかっているんだという父親も多い。 それで、私
自身
、一年間マンションで
子供
と二人きりで向かい合ったこともございますので、やはり、おかしくなりそうな気持ちというのはすごくよくわかります。口をきかない乳幼児に、二十四時間、いつ何があるかわからない状態でずっと向かい合っている。 情報過剰で、冒頭申し上げましたけれども、いろいろな情報が多く入るからこそ、マニュアルがあふれ返っていて、それに沿わない
自分
というのは何かおかしいんじゃないか、何で
子供
はそれに沿って動いてくれないんだというふうに思うのも、かえってそれで不安をかき立ててしまうというのも、本当に私はよくわかります、わからなくもないです。 だからこそ、だれでも、男性も女性もいい親になれると思っています。ただ、助けて、少し相談に乗ってくれたり、手をかしてくれる人がいれば、すべての親がいい親になれるというふうに信じて私も子育てをしておりますが、こういう問題点も、子育てを終わった方も、これからの方も、お孫さんを見ている方も、ぜひ共有していただきたい、独身の方も含めてすべての人が共有していただきたいというふうに思います。 虐待の問題等もよく以前から当たっておられる馳副
大臣
に、
家庭
教育
は大事ですけれども、システムとしてどういうふうに保障していくか、子育て環境が今申し上げたとおり危機にある中でどういうふうに補っていけばいいのか、お
考え
があったら教えていただきたいと思います。
馳浩
98
○馳副
大臣
父親の育児への参加、当然、家事への参加が必要であるという問題意識を共有することは極めて重要であると思いますし、また、
家庭
にすべての責任があるのではなくて、働いている以上は、経営者やまた職場の皆さん方にも御
理解
をいただいて、育児休業をとったりとか、これは高齢者の場合ですけれども介護休業をとったりとか、また、有給休暇がある中で、学校行事があるときにともに休暇をとって参加することができるような、そういう支え合いというものが必要になってくると思います。 児童虐待の問題をお出しになられましたが、お母さんが働いていないで家にいる場合には、これは保育に欠けない場合になりますから、当然、保育のサービスを受けることはできませんが、がゆえに、心配事、不安といったものに対してなかなか介入していくことができないというシステムもございます。 それを
考え
ると、いかにして、地域の方々がそういう子育ての不安を抱えておられるお母さん方に対しての支援をできるのか、また、今般
提出
しておりますけれども、認定こども園の
制度
において、幼稚園や保育所などでの子育て支援機能といったものを充実していくか、また、地域の公民館、集会所などにおいてそういった役割を担っていくか、こういう総体的な見守り体制をつくっていくことが必要であるというふうに
考え
ております。 それを、まさしく
高井
委員
おっしゃるように、システムとして、財政的な措置もとりながら支えていくことが必要なのではないかという問題意識は共有はいたしております。
高井美穂
99
○
高井
委員
今、五歳児で約三%の
子供
のみ幼稚園にも保育園にも通っていない、実質は九七%の
子供
が通っているという中で、待機児童も多い、二万人から三万人いるというふうに思います。これを例えば五万人と推計したとしても、保育所入所児が約百九十九万から二百万人のうちの二・五%であって、ちゃんとした保育計画を立てれば入ることは可能だというふうに思っています。これは、政治の世界でちゃんと保育計画を立てれば可能だと。つまり、村山先生が試算した中にも、例えば五年あれば、毎年六十人の定員の保育所を百八十カ所つくる、そうしたら、今までの試算で
考え
ると財源は一年で約二百億でできる、それを五年続ければ待機児童はみんな入れると。 今回の
教育
、保育の
理念
というのは、非常に近いものがこども園の中でもあるという
文科大臣
の御
答弁
もいただいておりますし、そういう
意味
で、国として保育
政策
をちゃんとやっていくんだ、保育と言わなくて保育、
教育
、
子供
のための施策をやっていくんだという観点で、ぜひ保育所整備計画等も具体的に検討していただきたいなというふうに思っています。 そして、先般の一番初めの質疑の中で、元
文部科学大臣
の
町村
委員
から、
内閣
府に子ども庁をつくるべきではないかという御提案がございました。
民主党
が、先般、
衆議院
を通過した認定こども園の法案の
審議
の際に、修正案の中に、担当部局を
内閣
府に一元化して置くということを盛り込んでつくりました。省や庁をつくるというのは、このこども園法案の中では法案の範囲を超えるということでございましたので、もともと子ども
家庭
省ができれば一番ですけれども、そうできないのであれば、とりあえず
内閣
府に担当部局を置いて一元化してやるべきでないかというふうな観点から修正案を出しました。多分、そのときに
町村
大臣
が
文部科学大臣
であられたら、我が党案に賛成していただけたのではないかと思うんですけれども。 認定こども園の代表質問の中で、実は
安倍
官房長官
に、子ども庁構想があったというふうに記事が出ていたのですが、本当だったかどうかということをお聞きしたところ、ちょっと本
会議
の中では、後からつけ加えたせいもあったかもしれませんが御
答弁
がなかったんですが、事務方の方に後から聞くと、そういう構想はないというふうに、そういったことが検討された形跡はないというお話でございましたが、これはどうなんでしょうか、
官房長官
。
安倍晋三
100
○
安倍国務大臣
委員
が御
指摘
をされましたような子ども庁構想が検討されたという
経緯
はございません。四月六日の
衆議院
本
会議
においては、これを前提に
答弁
させていただいたところであります。 すなわち、幼稚園及び保育所については
教育
行政、地域の子育て支援など福祉行政、働き方の見直しなど労働行政と
一体
的に推進する必要がございます。したがって、
文部科学省
と厚生労働省が密接に連携し、これらの関連する分野も含め、きめ細かく対応していくことが適当であるというふうに
考え
ております。 その上で、
子供
、子育てについては、全閣僚が参加する
少子化
社会
対策
会議
、その下で私が主宰する
少子化
社会
対策推進
会議
などを通じて、省庁横断的に関係する施策の総合的な推進を図っていきたい、こう
考え
ております。
高井美穂
101
○
高井
委員
親と行政の都合で
子供
が幼稚園と保育園に分けられているのはおかしいという
指摘
を元
文科大臣
の
町村
さんもされて、
小坂
大臣
もそのようにお答えになっておられました。だからこそ、縦割りの弊害を排除するには、思い切ってそういうふうにするしかないというふうに思っています。 具体的に申し上げます。 先般のこども園の質疑の中でもしましたが、池坊
委員
も
指摘
されていましたけれども、幼稚園と保育園で、通園バスと給食費が、課税と非課税で違うんです。消費税が幼稚園には課税されるけれども、保育園には課税されない。同じ通園バスと同じ給食費です。なぜ課税と非課税で全く違うのか、どうしても私は納得がいきません。 当時は、こども園の質疑の中でも財務省の方からも御
答弁
をいただきましたが、もともと成り立った
理念
が違うんだから、
制度
ができた
経緯
が違うのであるから、どうしても一緒にはできないんだというお答えでした。 まさにこれが象徴していると思います。同じことをやっていても、スタートが違うとできないということ。これを解消するためにも、やはり子ども庁とか
内閣
府に一元化する、そのために一元化が大事だというふうに重ねて申し上げたいというふうに思っています。
努力
をしておられるという
答弁
が前回もございました。
民主党
もかねてからその主張をしておりますので、ぜひとも、いいところはとり、質疑の中でより深めていくという経過の中で、ぜひ御検討をいただきたいというふうに思います。 最後ですけれども、総理も
小坂
大臣
も、対立法案ではないんだと重ねておっしゃっておられました、歩み寄りができるんだと。子育て
政策
なんかもそうだと思います。この
教育基本法
に関してもそうだと思います。
民主党
案の方がよいという声も、
与党
の方もおっしゃる方もいるし、識者の方もおっしゃる方もいます。ぜひとも、対案として出した以上、十分な時間をかけて
審議
したいのですが、すり合わせができるところはすり合わせるというお気持ちに変わりはないか。
民主党
案をのんでいただいても結構でございますので、ぜひ御検討をよろしくお願いしたいと思います。感想で結構です。
小坂憲次
102
○
小坂国務大臣
私どもは、中教審答申等も踏まえた上で今回の法案を
提出
させていただいたことは、これまでも申し上げたところでございます。そういった
意味
で、いろいろな御
指摘
はございますけれども、私どもとして最良のものを提案させていただいたつもりでございます。
民主党
の皆さんも御苦労をいただいて御
提出
いただいていることは十分
理解
できるところでございます。今後の
審議
を通じて、与野党の
理事
さんがそれぞれにお話しをいただく中で、また、いろいろな
審議
のあり方について御指導賜れば幸いでございます。
高井美穂
103
○
高井
委員
ありがとうございました。
—————————————
森山眞弓
104
○
森山委員長
この際、
参考人出頭要求
に関する件についてお諮りいたします。 両
案審査
のため、来る七日水曜日午前九時、
参考
人の
出席
を求め、意見を聴取することとし、その人選等につきましては、
委員長
に御一任願いたいと存じますが、御
異議
ありませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
森山眞弓
105
○
森山委員長
御
異議
なしと認めます。よって、そのように決しました。 午後一時から
委員会
を再開することとし、この際、休憩いたします。 午後零時四分休憩 ————◇————— 午後一時一分
開議
森山眞弓
106
○
森山委員長
休憩前に引き続き
会議
を開きます。 質疑を続行いたします。
戸井田とおる
君。
戸井田とおる
107
○戸井田
委員
自由
民主党
の
戸井田とおる
です。
小坂
大臣
、
猪口大臣
、また
民主党
のお二人、本当にありがとうございます。 きょうは、
教育
の
基本
法ということで、
理念
法だということでありますけれども、余り細かいことでなしに、ちょっと本質論みたいなものを話せたらなというふうに思っております。 私どもが今日一人の人間としてここにあるのは、だれもが同じように父親、母親、両親がいて、そして両親のもとに
自分
が生まれている。そして、その両親にも、それぞれ父親と母親がいるわけであります。 そういうふうにたどっていくと、我々も
自分
で振り返ってみるとわかるんですけれども、
自分
の父親、母親の名前はよくわかる。また、おじいさん、おばあさん、それぞれ父方、母方、両方の名前もわかる。もう一ランク上に上がって、ひいおじいさん、ひいおばあさんの名前になると、なかなかそれを全部言える人というのはいないんだろうと思うんですね。 だけれども、間違いなしにその流れはあって、その流れも、よく言うんですけれども、十代さかのぼると一千二十四人になるわけですね。二十代さかのぼると、これが実に百四万八千五百七十六という数字になるわけです。三十代さかのぼると、これは十億七千三百七十四万一千八百二十四。言ってみれば、みんなここにいる人は親戚だということになるわけでありますけれども、これが四十代さかのぼると、これは電卓で出てこないので覚えようがなかった。しかし、百万、十億とふえていったら、次は一兆になるわけですね。その次は、五十代さかのぼると一千兆という数字になるわけであります。そういう流れの中に一人一人がみんなあるんだ。そしてまた、そこから
自分
たち
の子孫につながっていく。 ですから、このたびの
基本
法の前文の中で、我々は、この理想を実現するため、
個人
の尊厳を重んじということは、ある
意味
で大変よくわかるわけであります。まさに、それだけの命の連鎖があって、つながりがあって、今日
自分
があるということを思うと、この
個人
の尊厳というのは非常によくわかる。 しかし一方で、個を重んじ過ぎると、重視し過ぎると、私は、この人間
社会
の中の
生活
ということを
考え
ていくと、家族への帰属意識、地域
社会
への帰属意識、ひいては
国家
への帰属意識というものが薄れてくるんじゃないか、そのバランスというものは非常に重要だなというふうに最近思うんですね。 また、この帰属意識というのはまさに連帯意識であって、つながるというのはまさに愛の概念だというふうに思うわけであります。そして、それを
言葉
であらわすと、まさに親子愛であり、
夫婦
愛であり、家族愛であって、そして愛校心というものもあるでしょうし、またこの
委員
の
鳩山
兄弟
のように、友愛というものもあるわけであります。それがまた郷土愛にもつながり、そして
国家
の愛国心みたいなものにもつながっていく。その上がまた人類愛という、地球全体に
考え
が及んでいく。 そういう流れをたどって人格の完成を目指すものだというふうに思うんですけれども、
大臣
、いかが思われるでしょうか。
小坂憲次
108
○
小坂国務大臣
おっしゃるように、人格の完成というのは、完全な人格というのは神だということになってしまいますので、したがって、それを目指して常に
努力
することということだと思います。
委員
が御
指摘
になったことは、その一つの道筋であろうと私も思います。
戸井田とおる
109
○戸井田
委員
猪口大臣
はどう思われますか。
猪口邦子
110
○
猪口国務大臣
個々の尊厳を大切にしながら、また
社会
的な責任も果たしていく、そのような中で人格の完成を目指して
努力
していくということであると思います。
戸井田とおる
111
○戸井田
委員
お配りしましたその
資料
をちょっと見ていただきたいんですけれども、これは、何だ何だと言われるんですけれども、この下に
説明
書きがあるんですけれども、
説明
書きはまた後でお配りします。 実は、これは私も妹からもらった本なんですけれども、「癒すこと、癒されること」ということで、加納眞士さんという方がこういう本を書いているんです。その最初のグラビアの一ページに出ているわけであります。それを最初に見たときに、私はびっくりしたんですけれども、
大臣
、これは何だと思いますか。 この写真は、一九九〇年の二月十四日に、惑星探査船ボイジャーが、地球から約十億マイル、十八億五千二百キロ離れた黄道上の三十二度の角度から撮影した六十カットの中のもので、それを偶然にとらえたものだということなんですね。それで、「この距離になると地球はもう小さな光の点にしかすぎません。わずか〇・一二光度ほどのケシ粒のような光。」ということですから、真ん中に点で白く写るのが地球で、言ってみれば、我々人類が一番遠くから見たというか、写真で撮った地球だということになるわけであります。 月から地球の出という写真も見たことがありますけれども、ここまで離れてくると、何とも、みずから想像をしてみると、大変な孤独感というか、
自分
がたった一人そこにいたとしたら、人間として、
自分
の孤独感というのはこれほど厳しいものはないなというふうに感じるわけであります。 地球に放射するように横に白い点々みたいな形で写っているんですけれども、これは、地球を、太陽からたまたま放射された光、エネルギーがその真ん中にとらえた瞬間なんだというんですね。ボイジャーの電子カメラは特殊な周波数をとらえるということで、ある周波数の光がこういうふうに写っているということなんです。 我々は、太陽から光が出てくるといったら、四方八方に同じように出てくるような感覚を受けるわけですけれども、これを見たときに、まだ太陽が写らないほどの距離でありますけれども、そこから、まさにこの地球をねらって太陽からこの光が放たれているというふうな感じに見えるわけであります。 そして、この本の著者は、それを最初に見つけたときに、この写真のとおりならあと数センチ、実際には長い距離だから、宇宙的な視野で見ればわずかな距離であると。その光の帯がずれていたら、地球は暗黒の空間に漂っていることになるのであると。それは、太陽が意識的に選んで地球を照らしているとしか思えない光景だったというふうに、この加納さんという方は書いているわけですね。 我々も、ある
意味
で、よく言われるように、生かされているということを言われるわけであります。確かに、人間の
個人
の能力というのは大変なものであって、みずからの人生を開拓して生きていく。しかし、それはたった一人でできるかというと決してそうではなくて、先ほどのあれにありましたように、友愛であるとか友達の力、また家族の力、いろいろな人の援助、地域の援助、そういったもの、目に見えない力をかりて生きている、また、
自分
の能力を開発していくということなんだろうと思うんですね。 そういう
意味
で、そういう観点というのは、
教育
というものを
考え
るときに、やはり決して忘れてはならないものだというふうに思っております。ぜひそういうことをしっかりとこの
基本
法の中に組み込んでいただきたいな、また、組み込まれているものと私は信じております。 それでは、第二条の
教育
の目標のことでちょっとお伺いしたいんですけれども、「正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の
精神
に基づき、主体的に
社会
の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。」というふうにあります。 ここに、私は、いつもこの議論をするときにひっかかる
言葉
があるんです。それは男女の平等という
言葉
でありますけれども、私は、男女の平等という、平等というのはあり得ないんじゃないかなというふうに思うんですね。男女間の公平というのはわかるわけですけれども、男女が平等であり得るわけがない。男と女は違うんだ、お互い相足らざる部分を補い合いながら生きていく、そういう関係にあるんだというふうに思っております。 自民党の勉強会の中でも、この
言葉
の持つ
危険性
、すなわち
家庭
の崩壊を招くジェンダーフリー思想ということで、
猪口大臣
にも随分いろいろなことを言わせていただきました。そして、あらゆる機会を通じて私は警告というか御意見を申し上げて、軌道修正をしていただいたと思ってきました。 しかし、もう既に男女共同参画
基本
法のときに、この
言葉
のゆがんだ解釈によって、末端でどんなひどいことが行われてきたか。もうこの
言葉
の
危険性
は私は証明されているんじゃないかなと。ジェンダーフリーのプロジェクトチームのときにも、随分大勢の方が末端で、曲解というか誤解というか、曲解でしょうかね、そういうふうにしてやられてきていた。そういうことを言われているのを御記憶だと思うんですね、
猪口大臣
。 にもかかわらず、またここの
教育基本法
でこの文言が入ってくるということは、何か
目的
があるのかな。この文言を入れた理由というものを両
大臣
にお聞きしたいなというふうに思っております。
小坂憲次
112
○
小坂国務大臣
今回の法案の第二条、「正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の
精神
に基づき、主体的に
社会
の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。」 すなわち、ここで言っている男女の平等というのは、
憲法
において、その第十四条で、「すべて
国民
は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、
社会
的身分又は門地により、政治的、経済的又は
社会的関係
において、差別されない。」と規定をされておるわけでありまして、男女が互恵の
精神
によって互いに敬って、そして互いの存在を認め合った上で、その協力により豊かな
社会
を築いていく、このことはだれもが否定をしないと思うんです。それが間違ったとらえ方をされたときに、
委員
が御
指摘
のような問題が発生する。 したがいまして、
教育
を通じて必要な能力や資質を養うということにおいて、今日においてそれは大変重要なことであって、そして、それは今回の法案において、第二条の
教育
の
理念
の一つとして、
憲法
の規定を引いて、男女の平等を重んずる態度を養うように規定をしたところであります。そこで言っている平等というのは、男らしさ、女らしさというものがあることを認めながら、
社会
的あるいは経済的な取り扱いその他において平等でなければならないという
理念
を掲げて、それに対する
理解
をする力を養っていく、私はそういうことだと思って、そのためにあえて
憲法
の規定を引いてこれを規定していくことが必要、こう
考え
たところです。
戸井田とおる
113
○戸井田
委員
猪口大臣
はどうでしょうか。
猪口邦子
114
○
猪口国務大臣
戸井田先生にお答え申し上げます。 今
文部科学大臣
がお伝え申し上げたとおりでございますと思いますが、
憲法
十四条においては、性別により差別されない旨が明記されております。また、
憲法
二十四条において、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、
夫婦
が同等の権利を有することを
基本
として、相互の協力により、維持されなければならない。」このように
憲法
に示されているわけでございます。
夫婦
が、男女平等に立脚し、同等の権利を有して相互に協力すること、これと幸せな
家庭
観というものは当然ながら両立することであり、また必要なことであろうと
考え
ております。 先生がおっしゃるとおり、もちろん男女は生物学的には違うわけでありますけれども、法的、
社会
的、経済的、全般的にわたりまして、男女の
基本
的な平等について、
憲法
、そして男女共同参画
基本
法、そしてそれに基づきます
基本
計画は決定しております。その中での
考え方
として、男女の役割分担を性別によって固定化していく、そのような
考え方
は克服しなければならない
考え方
として
政府
としては
考え
ております。 例えば性別による固定的な役割分担というのはどういうものか。その中には、例えば男性は外で働き、女性は家を守るというような
考え方
もそうでありますが、さらに、例えば重要な仕事は男性が行い、女性はむしろ補助的な業務を行う、こういうものもそのような固定的な性別による役割分担。あるいは、女性は例えば政治家や科学者には向いていないというような
考え方
、こういう固定的な性別による役割分担ということについて、これは克服しなければならず、男女の個性や能力が十分に発揮される
社会
、そして男女平等、そして男女共同参画
社会
の形成を目指していかなければならないというのが
政府
の立場でございます。
戸井田とおる
115
○戸井田
委員
それでは、もう一度確認したいと思うんですけれども、これは、生物学的性差を無視して男女ごちゃまぜの
教育
をよしとする、そういう
教育
を目指しているのではないということですね。
猪口邦子
116
○
猪口国務大臣
まず、生物学的に男女が違うということは、これは議論の必要のないことでございますが、男女が、今申し上げましたとおり、固定的な性別による役割分担を認めていくということはないような観点からの平等
教育
は必要であると
考え
ておりますし、今回、
政府
提案の
教育基本法
におきまして、第二条第三号で掲げています男女の平等ということを明記しておりますことは、そのことの
教育
におきます重要性を示したいということでございます。
戸井田とおる
117
○戸井田
委員
それでは、これは、同じ命を生きる命のとうとさという
意味
で平等であって、生物学的性差を認め、家族や男女の役割意識の重要性をも尊重し、その違いを積極的に評価するということを
教育
の
目的
としていると解釈していいんでしょうか。
猪口邦子
118
○
猪口国務大臣
生物学的な違いはありますけれども、そこで、例えば
家庭
において女性だけが育児を行うというような
考え方
はとっていないわけです。男女ともに子育てについて協力して
子供
のために時間を割いていく必要もあり、出産は女性ですね、それから母乳育児も女性ですね、しかし、その他の保育、育児、子育て、
子供
の安全を見守る、
子供
が育っていく過程においては、就学前から、そして就学期を通じて、保護者のさまざまな温かい手が必要でございます、また関心が必要でございます。 そのようなことにおきまして、男女いずれもが大きな責任を持つというのが平等の
基本
の
考え方
であり、私が先ほど
答弁
申し上げましたとおり、固定的な役割分担については克服していく、いわゆる
社会
的性別、ジェンダーは平等でなければならない。バイオロジカルな違いはあります。しかし、
社会
的につくられる性別、これをジェンダーと
考え
ますけれども、これは平等でなければならないというのが男女共同参画
基本
法に示されている
考え方
でございます。
戸井田とおる
119
○戸井田
委員
やはり男には
子供
は産めませんよね。ただ、末端に行くと、石が流れて木の葉が沈むというような現象も多々見られる部分があるんですね。ですから、そういう
意味
で、その
考え
、男女は生物学的に違いはある、お互い相補って
生活
していくというその
基本
をきちっと末端にまで浸透させていただきたい、そんなふうに思います。
教育基本法
のあれですから、あと
家庭
教育
についてちょっとお伺いしたいんですけれども、そういう
意味
で、やはり母親の役割、父親の役割。先ほど
猪口大臣
が言われたように、
子供
を産むのは、男には産めません。産んで母乳をやろうと思っても、男には出ない。だけれども、この辺でもちょっといろいろあるんですけれども、これはきょうの問題とは別なもので、ほかのときに譲りたいと思います。 父母、保護者の第一義的責任ということでもって、第十条、
家庭
教育
の中で、行政の支援策のことを言われております。保護者に対する
学習
の機会及び情報の提供その他の
家庭
教育
を支援するために必要な施策とありますが、まず、
教育
の原点はやはり
家庭
にあると思うんですね、これに言われているように。
家庭
教育
を支援するために必要な施策について、どのようなかかわり方の施策を
考え
ているのか。その際、第一項に規定する保護者の第一義的責任が損なわれることのない施策でなければならないと思うんですけれども、
小坂文部大臣
、どうでしょうか。
小坂憲次
120
○
小坂国務大臣
第十条第一項に、父母その他の保護者は、子の
教育
について第一義的責任を有するものであって、これを明記して、これによって、子育てに関する親の責任を個々の親
自身
が自覚するとともに、親としての責任を全うすることを支援する
社会
づくりに一層積極的に取り組んでいきたい、こういう
意味
でありまして、また第二項で、国及び地方公共団体が
家庭
教育
を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならないということを明記したのは、これによって、子育てに関し、希望する親だけでなく、孤立しがちな親なども含めて、よりきめ細やかな支援の推進などに一層積極的に取り組むということをあらわして、それを規定しているわけでございます。 具体的には、
家庭
教育
手帳の作成、配付、また
家庭
教育
に関する
学習
機会や情報提供の充実を図り、また
家庭
訪問型の子育て支援事業、幼稚園を拠点とした子育て支援事業、また今度は認定こども園というものも今法案を御
審議
いただいておりますが、こういったものを通じての子育て支援等々、現在、
家庭
、地域の
教育
力の向上についての
審議
を行っている中央
教育
審議会
の生涯
学習
分科会というのがございますが、ここの議論なども踏まえながら、今後とも
家庭
教育
支援の取り組みをさらに充実させるように努めてまいりたいと
考え
ております。
戸井田とおる
121
○戸井田
委員
時計を見たら、もうあと五分しかないので。 行政が行う振興策というのは、養育者としての、
家庭
を補完するものと私は思うんですね。地方公共団体が行う施策というのはあくまでも
家庭
教育
を補完するものに限定されて、それが行き過ぎないようにあってほしいと願っております。 あと、
教育基本法
の話になるときにいつも話題に上ったのが、国を愛する心、そういうものであります。さあ、国を愛する心か、ふるさと、郷土を愛するのかということでさんざん議論がありました。そして、国を愛する心というと、この間行われた野球のワールドカップ、WBCでしたか、そのときの一般の人の熱の入り方、またこれから始まるワールドカップのサポーターの応援、そしてそこで振られる日の丸の旗、そういうものを見ていて、大抵だれもが同じような思いにさせられたのだろうと思います。 そこで、先日、ある文章が目にとまりました。これをちょっと読んでみますので聞いていていただきたいんですけれども、しゃべり
言葉
をそのまま文章にしています。 日の丸——。最高だ。こんなに美しい国旗、他にないよ。どんなに苦しくても、膝が痛くても、日の丸をつけていると思うと頑張れる。ほんと不思議。これまで何度もそんなことあったね。ユニフォームの日の丸。スタンドで揺れる日の丸。日の丸が目に入ると、こんなところで諦めていいのかって、また闘志が湧いてくるんだ。日の丸をつけて、君が代を聞く。最高だ。武者震いがするもの。体中にパワーがみなぎってくる。でも、
日本
の選手の中にはそうじゃないヤツもいる。不思議でしょうがないよ。日の丸をつけるって、国を代表するってことだよ。選ばれた選手にしか与えられないものじゃない。国を代表して戦うってスゴイことなんだよ。それを忘れているんじゃないかって思う。ワールドカップを見てみろよ。みんなあんなに必死になって戦うのは、国の代表だからだろ。国を愛し、家族を愛し、仲間を愛しているからだろ。
日本
はそこんとこから外国に負けてる。
自分
のためだって?そんなの当たり前じゃない。じゃあなぜ、もっと大きいものを背負わないの?オレ、日の丸背負ってなかったら、あんなに頑張れなかったよ。ドーハの時、オレは三十八歳。あのクソ暑い中で、そんなオジサンが全試合、それもほとんどフル出場。練習だって若いヤツらと同じメニューをこなしてたんだ。
自分
のためだけだったら、とっくに辞めてたよ これはラモス瑠偉選手のあれなんですね。
日本人
よりも
日本人
らしいというか、
日本
でサッカーをやってワールドカップに出たい、そんな思いでもって帰化をして、そして、
日本
で頑張ってこられた。そして、
日本人
のだらだらしたものにはぴしっとそういうことを言う。なるほどなと、このあれを見たときに、改めて読んでいても、また最初に見たときも、思わず涙が出てきそうな、胸を締めつけられる思いがいたしました。 そして、ラモス瑠偉選手というのは、必ず、試合前に国歌が流れると、胸に手を当てて、こうやって聞いているんですね。あれこそ、態度といえば態度、心の中はわからないと言ってしまえばそれまでかもわからないけれども、やはりそこに気持ちがあらわれているというふうに私は思います。 そこで、もう最後になってしまうのであれなんですけれども、国を愛する態度を養うとありますけれども、国歌斉唱、国旗掲揚の際にはそれにふさわしい態度というものがある。国際
社会
に生きる者として、祖国の国旗・国歌に対してきちっとした態度をとれない者が、そのまま他国の国旗・国歌に対するふさわしい態度をとれるとは思えません。尊敬される
日本人
として、また他国を尊重するという観点からも、国歌斉唱、国旗掲揚の際に、それにふさわしい態度を私は教えるべきだというふうに思うんですね。特にラモス選手のあの姿を見ていると、やはり試合と同じように、体をこう動かして国歌を聞いている姿というのはいいとは思えない。きちっとした態度をそこでは教えるべきだと思うんですけれども、
文部科学大臣
、いかがでしょうか。
小坂憲次
122
○
小坂国務大臣
心と体はよく表裏
一体
であると言われますが、思っていることが態度にあらわれるということはよくあることでございます。したがって、その態度が外面から評価されるということもあります。 そういう
意味
で、国を愛する、郷土を愛するということに限らず、やはり学校
教育
を通じて作法そして正しい態度というものは身につけさせるようにしなきゃいけないと思います。尊敬する者に対する態度、また、
自分
がいたわり慈しんでいるものに対する態度はどうあるべきか、そういった全体的な
考え方
の中で教えていけば、国を愛する心というものが
自分
の中に必然的にわいてくる。わいてきて、そういうものが身についたときには、そういった
自分
が慈しむものに対していつもとる態度がそこにあらわれてくるものである、こう
考え
ますので、そういった
教育
をしっかり推進することが必要だ、このように
考え
ております。
戸井田とおる
123
○戸井田
委員
もうちょっと
民主党
の皆さん方にも質問をしたかったんですけれども、こういう時間になってしまいました。やはりルールを守るのが大事だというふうにも思っておりますので、また次の機会にさせていただくこととして、こうした
考え
をきちっと末端に伝えていけるような、そういう心のつながり、連帯感を
国家
の中で持っていきたいものだというふうに思っております。どうぞ、いい方向に行くようによろしくお願いいたします。 ありがとうございました。
森山眞弓
124
○
森山委員長
次に、
松浪健四郎
君。
松浪健四郎
125
○松浪(健四郎)
委員
自由
民主党
の
松浪健四郎
でございます。
政府
提出
の
教育基本法
、そして
民主党
提出
の
日本国
教育基本法
、これらの二つの
法律
が並行して
審議
されておるわけでございますけれども、この議論に入ります前に、実は私は
猪口大臣
と同じように長い間教壇に立った一人であります。特に私は若いときに、世界でも貧しいと言われておりますアフガニスタンという国の大学の教壇に立った経験がございます。そして、そこで感じたことを「アフガニスタン
教育
事情」という書物にして玉川大学出版部から刊行したことがございます。 そのエッセンスは、ほとんど学校
教育
が普及していない
社会
にあって
子供たち
の目はさんさんと輝き、そして表現しがたい美しい笑顔を持っている
子供たち
に接したときに、学校
教育
がなくても
社会
は落ちついて、そしてすばらしい若者をつくっているではないか。そしてその源泉は
一体
何なんだろうか。それは徹底的に普及しているイスラム教のイスラム
教育
であろう。つまり、それは
家庭
の中で行われ、また
社会
の中でも行われているわけですけれども。宗教
教育
が徹底すれば
社会
がうまくいくのか、そういう思いを持ったこともございますし、何よりも親や家族と一緒に労働をする、遊牧をしたり農業をしたりする、そうするプロセスの中で労作
教育
というものが培われて、
子供たち
が真っすぐ
社会
の中に溶け込むように育っていくんだな、こういうような思いを持って、別段、学校
教育
だけが
教育
ではないということを思い切り主張したくてその書物を物したことがございました。 そして、きょう、また私は大変うれしいことがございます。実はこの場に私の教え子がいるからであります。 私は、教員とは聖なる仕事であるかはともかくとして、教えるということが好きである、このことがまず教員に求められる一番の資質だ、こう思っております。好きであるならば、家族のことなどほうり投げたとしても情熱を注ぐことができる。 私は、四年間、大学
教育
の中で情熱をささげた者の一人でございますが、それら学生の中に、今、
文部科学
副
大臣
として馳浩先生がいらっしゃいます。私が
教育
者としてどんな教師であったのか、どんな
教育
をしたのか、その感想をまず副
大臣
にお尋ねしたいと思います。
馳浩
126
○馳副
大臣
十五歳のときに出会ってから三十年間、いろいろな局面で教えをいただいたことに感謝しております。本
会議
場の壇上からコップの水をまいたときは私も頭を抱えましたが、それはまあ反面教師として
参考
にさせていただきました。 一番印象に残っておりますのは、学生時代に、馳、本を書けと、これが第一でした。二つ目に、
自分
の能力を磨いて、それは異色であれ、異色であろうとも一流になれと。そして、より困難な道を選んで世の中の役に立てと。私は、大学を出て教員のときに、そのまま星稜高校の国語の教員を続けるか、大学院へ行って大学の教師を目指すか、あるいはプロレスラーを目指すかと大変悩んでおったときに、一言、一番困難な道を選べと教えていただいて、プロレスラーを選びました。 また、私は二回結婚しておりますが、二回とも相手の女性は松浪先生の紹介でありました。最初、結婚
生活
に大変悩んでおったときに、そういうこともある、だめなら次を選べと。そういう
考え方
もあるのかなと、私の人生哲学に一つ幅を持たせていただいたような思い出もありますが。 とにかく、事に当たって常に全力で取り組むことと、また、私はまだ十五冊しか本を書いておりませんが、常に原稿用紙に向かうまじめさを持つことを教えていただいたことなどなど、思い出は尽きませんが、今後とも御指導よろしくお願いいたします。
松浪健四郎
127
○松浪(健四郎)
委員
私は、学生時代の四年間について
答弁
していただければありがたかったというふうに思っておりますけれども。 副
大臣
がみずからの教え子の中からできたということは
教育
者の端くれとして誇りでありますし、大変うれしく思っております。 とにかく、教員が、教壇に立つ者がどれだけ
子供たち
に情熱を注ぐことができるか、このことが問われております。そういう
意味
では、ずっと両案をお聞きしていて、私は、両案ともに、
教育
に対して、
我が国
の
子供たち
に対して何を与えなければならないかということについて必死であるということを痛感いたしますし、うれしく思っております。そして、昨日の小泉総理と
鳩山
民主党
幹事長の議論をお聞きしていて、まあ大した差がないな、こういう印象を持ったのもまた事実であります。 いずれにしても、これからの
我が国
を背負ってくれる
子供たち
に立派に成長してもらいたい、そして、国のためにも、また世界の平和のためにも貢献できるような立派な人格を持った人材がたくさん輩出される、これを願って両案が出ておる、こういうふうに思うわけであります。 そこで、限られた時間ではありますけれども、おおむね
政府
案については知識がございますので、
民主党
案に限って質問をさせていただきたい、こういうふうに思います。
政府
案ができ上がったころにも、自由
民主党
を支援してくださるいろいろな組織、団体がございます、また自民党の
議員
の中からも、不平不満と、この案では満足できない、反対だ、このような声もございました。 では、
民主党
案ができたときに、
民主党
を支援されている諸団体はどんな印象を持ったんだろうか、そのことに私は興味を持ちました。 例えば、
日本
教職員組合は、
政府
案に対して、
教育基本法
の
理念
、公
教育
のあり方を
根本
から変えることに強く反対する、共生、共学、
教育
の機会均等を保障するため
教育
環境格差の拡大こそ解決すべき課題である、
個人
の内心にかかわることを
法律
で規定すべきではない、学校・
家庭
、地域への役割と責任の義務づけは
基本
的人権の侵害につながる、
政府
主導による
教育
振興
基本
計画の策定は
教育
の主体性や自律性が失われる、
検証
、
審議
過程を明らかにせず、
国民
不在の改正
論議
は断じて容認できない、これが
日本
教職員組合の
政府
案に対する反対理由であります。 しかし、
民主党
案と
政府
案とを読み比べてみますと、若干の違いはあるとはいえ、おおむね似たり寄ったりであります。 それで、
民主党
案に対して、
日本
教職員組合はもろ手を挙げて賛成されているんだろうか。まず、このことを
提案者
にお尋ねしたいと思います。
藤村修
128
○
藤村
議員
松浪
委員
には、きょうは貴重な時間を割いていただいて、我が党案にのみ今から御質問をしていただくということで、大変ありがとうございます。 まさに、我が党案あるいは
政府
案も、いずれもやはり成立の過程、
経緯
ということは非常に重要であり、きょうの午前中もそういう議論は進められてきたと思います。 簡単に、短くお答えをした方がいいと思いますが、私どもの方は、党の中で
教育
基本
問題
調査
会というのを、これは小渕首相が
国民
会議
をつくったあのときに、同時に我々も
教育
基本
問題
調査
会を発足させた。以来、ですから六年ぐらいになろうと思います。昨年の四月に、この
教育
基本
問題
調査
会におきましては、新しい
教育基本法
を我々は策定すべきであるという中間報告を取りまとめいたしました。 そのときから、いろいろな外部の各種団体、労働組合の連合、経済団体、弁護士さんの団体、あるいは宗教関係の団体等々のヒアリングを進める中で、もちろん、まず、今の
教育基本法
で何が悪いか、変えるべきでないという意見もたくさん伺ってまいりましたし、いや、六十年たってきて、やはりいろいろな面で、ここはこうすべき、ああすべきというたくさんの御意見をいただいてきた。そんな中で、我々の方は、今回、
日本国
教育基本法
という新法を提案させていただいたところでございます。 今お問い合わせの件、いわゆる労働組合の一つの団体であります教職員の組合からは、公式にまず我が党案に賛成か反対かということはまだ伺っておりませんが、各、中央の団体だけでなしに地方の団体からはさまざま、我々の法案にも反対である、今変えるべきでないという意見はその後たくさん聞いております。まだ公式に伺ったわけではございません。
松浪健四郎
129
○松浪(健四郎)
委員
どんな立派な案であったとしても、すべての団体、すべての人
たち
を満足させる案をつくるのは難しいだろう。そして、
民主党
案に対しても、
民主党
を支持される団体にも反対があるということは、私は、異常ではなくて当然であろう、こういうふうに思います。特に、
民主党
の前文を、長い長い前文でありますけれども、これを読ませていただければはっきりとする、こういうふうに思います。 それで、この
民主党
の法案は、
民主主義
、自由主義、平和主義をもとに構成されていると私は
理解
しておりますけれども、それでよろしいでしょうか。
藤村修
130
○
藤村
議員
今、松浪
委員
おっしゃったように、
憲法
の三大原理であるところの
民主主義
のあらわれとして、これが
国民
主権、自由主義のあらわれとしての
基本
的人権の尊重、そして平和主義、我々は、現行
憲法
の特に前文ないしそれらの原理にのっとってこの
日本国
教育基本法
をつくったわけでございますので、今そういう御質問ですから、そのとおり御
理解
いただいて結構だと思います。
松浪健四郎
131
○松浪(健四郎)
委員
冒頭、常識的なことをお尋ねいたしましたけれども、まず確認しておきたかったわけであります。 それで、前文を読ませていただきますと、
日本国
民、
我が国
、そして
日本
、
日本国
、
日本
、こういうふうに前文に出てまいりますが、例えば「
日本
を愛する心を涵養し、」の
日本
、それから「
日本国憲法
の
精神
と新たな
理念
に基づく
教育
に
日本
の明日を託す決意をもって、」このようにございますが、ここで言う
日本
とは何を指しているのか、お尋ねいたします。
藤村修
132
○
藤村
議員
日本
とは、まさに今ここに我々がいる、この国であります。そして、我々は、特に「
日本
を愛する心を涵養し、」といったところに込めた
意味
というのは、やはり二千年以上の長きにわたって、海に囲まれた、割に特殊な地形の影響もありますが、他国とは相当趣の異なった文化、伝統をはぐくんでき、
日本
語の話もそうでございますが、あるいは気象の状況でも、四季に恵まれ、亜熱帯から温帯、亜寒帯までの非常に幅広い範囲で、こういう自然、あるいは郷土、国土、そういった総体を含めて我々は
日本
と、まさにここが
日本
であるという
理解
であります。
松浪健四郎
133
○松浪(健四郎)
委員
ということは、
我が国
の国名だ、こういうふうに
理解
をさせていただきます。 それでは、この国の、
日本
の統治範囲について、
日本
の国土、これが
一体
どこからどこまでなのか、お尋ねしたいと思います。
藤村修
134
○
藤村
議員
その統治範囲はどんな範囲かという御質問だと思います。 その前提にまず、我々の言う
日本
も、もちろん国号、国の名前を指していることはそのとおりであります。 そして、その
日本
が
一体
どこからどこまでを統治しているかという御質問ですが、これは一つの答えとして、我々は、いわゆる国内法の及ぶ範囲というのが正しい答えかなと。といいますのも、実は、この中だけでなしに海外の在外公館なども一応
日本
ということが言えるかと思いますので、まさに国内法が適用される範囲ではないかなと思います。
松浪健四郎
135
○松浪(健四郎)
委員
ということは、北方領土や竹島は含まない、こういうふうに
理解
してよろしいんですか。
藤村修
136
○
藤村
議員
いわゆる領土問題ということを今想定しての御質問かと思います。
歴史
的な
経緯
から画定されている領土の範囲というのは国境線であろうと思いますし、今全く国境線の問題がないとは我々は
考え
ておりませんが、しかし、それはそれで今後のまさに課題であって、我々は、やはり
日本
の国内法の及ぶ範囲ということが特にこの
教育基本法
においては想定される範囲ではないかなと思います。
松浪健四郎
137
○松浪(健四郎)
委員
今の御質問では、北方領土と竹島は国内法が及ばない、だから違うんだというふうに
理解
してよろしいんですか。
藤村修
138
○
藤村
議員
北方四島、竹島、
日本
の領土内だと思っております。
松浪健四郎
139
○松浪(健四郎)
委員
そうしますと、前文に、もちろん前文は法的な拘束力は弱いかもしれませんけれども、以下続く条文にはそれなりの拘束力を持つものだ、こういうふうに私は
考え
ておりますけれども、このように書かれてありますね。「
日本
を愛する心を涵養し、」
云々
、こうあるわけですね。ここで、
日本
を愛する心を涵養する。みんな簡単に、愛国心、愛国心、国を愛する心という表現を容易に使われているような気がいたしますけれども、やはり厳密に
考え
てみなきゃいけないんじゃないのか。 愛というのは、一般的には、損得なしで相手に尽くそうとする気持ちなんですね。損得なしで相手に尽くそうとする気持ちなんです。これは、イスラム教ではまさにジハードなんですね。おのれの命はどうなっても構わない、損得はどうでもいいんだ、
自分
の民族、部族、
国家
のために、たとえ自爆テロをしてでも行動に移す。 この愛という
言葉
は非常に深い
意味
を持っている、私はこういうふうに思っております。そして、心というのは、その人の
精神
であり、魂であり、感情である、こう思っております。その心を涵養する。涵養ということは、実力であるとか教養であるとか、この
言葉
は、そういったものが後に実を結ぶように底力をつけること、これが涵養なんですね。ということは、愛する心を涵養という表現は怖い表現ではないのか、私はこういうふうに思っております。 こう書かれた
背景
について、
民主党
でもいろいろな御異論があったように
報告書
には書かれてありますけれども、その辺のいきさつについてお尋ねしたいと思います。
藤村修
140
○
藤村
議員
今、松浪
委員
は、イスラムの方からジハードということ、この
意味
を少し
説明
いただいたと思います。 私が先般総理
大臣
に質問したのは、この今の、
日本
で言う愛というのは、むしろキリスト教的愛、一五四九年にポルトガルの宣教師が鹿児島へ着いた、以来のあの
言葉
ではないかなと。そのときはアモールという
言葉
でございました。それは、イスラムのジハードとはやはりちょっと趣が違うのではないかと思います。 怖い
言葉
とおっしゃいました。すなわちそれは、何か非常に国粋的なナショナリストを育てていくんではないかなという趣も多分御心配のところかと思います。 国粋主義とかナショナリストというときには、自国の
歴史
、文化、政治を貫く民族性や国体の優秀性を主張し、民族固有の長所や美質とみなされるものの維持、顕揚を図る思潮や運動というふうに辞書には載っておりましたが、我々の方はそういうものを目指すのではなくて、むしろ、二段落前に、前文ではございますが、「我々が直面する課題は、自由と責任についての正しい
認識
と、また、人と人、国と国、宗教と宗教、人類と自然との間に、共に生き、互いに生かされるという共生の
精神
を醸成する」、このことを明記しておりまして、さらにまた一条では、「世界の平和と人類の福祉に貢献する心身ともに健やかな人材の育成」と記して、我々が「
日本
を愛する心を涵養」と言うのは、まさにそういう心を涵養したいということでございます。
松浪健四郎
141
○松浪(健四郎)
委員
つくられた方はそうであるかもわかりませんけれども、読み手からしますと、そのようにはならないのではないのか。 そこで、どう書かれているかと申しますと、自立し、自律の
精神
を持ち、
個人
や
社会
に起こる不条理な出来事に対して、連帯して取り組む豊かな人間性の育成、こうあるんですね。
社会
に起こる不条理。
提案者
は、竹島の現状、北方領土の現状、これを不条理とは思いませんか。
藤村修
142
○
藤村
議員
最後の方のお答えはちょっと後にしまして、自立し、自律の
精神
を持つことは、あるいは
個人
や
社会
に起こる不条理な出来事に対して連帯して取り組む人間性というものは、むしろこれは、国際紛争を初めとしたいわゆるいさかいというものが、一般的には相互の
理解
が不足しているということに端を発し起こるということが多々あるわけであります。そういうことから、やはり自律、自立、みずからの意思をしっかりと持つこと、あるいはみずからの足で立つこと、このことと、そしてこれは
日本国
教育基本法
でありますから、
日本
社会
における連帯の中でさらに世界平和を目指すわけですから、これは、国際紛争をむしろ解決するような人をつくりたいという
意味
でございます。 竹島そして北方領土問題については、先生のお
考え
はお伺いいたしました。
松浪健四郎
143
○松浪(健四郎)
委員
私の心配しているのは、我々は自由主義だ、そして
民主主義
、平和主義だ。だけれども、本当に国を愛する心を持った立派な人材をつくるということになっていきますと、不条理なことに対して、潔癖な
教育
で染められた若者
たち
は決起するんじゃないのか、そしてそれをだれもとめることができないのではないのか。だからこそ欧米諸国は、
教育基本法
もフランス以外は持ちませんし、愛国心といったようなものを学校
教育
の中で教えようとしないんだなと。中国は、愛国心を教えておる、そして反日デモを起こした。おれ
たち
は愛国心を持っている。その暴動をとめようとした警察官は、おまえ
たち
は愛国心がないのかと言われてへなへなとなり、その後ろにいる軍隊も、おまえ
たち
は愛国心がないのか、おれ
たち
はあるぞということで、大きなデモになってしまったいきさつがあります。 つまるところ、愛国心というのは、やはり自然にいろいろな面から教えていくというか涵養させるべきものであって、学校
教育
の中で改めて教えるということに腐心する必要がないのではないかという
考え
を私は持つものであります。でなければ、愛国心を持った人間が竹島に上陸をする、あるいは北方領土に上陸する、そして大変な混乱を来すということになったときに、その人
たち
を責めることができるだろうか。難しい問題を抱えておりますし、悲しいかな、人間
社会
は常に不条理な一面を持ち続けていくし、それを一つ一つ解決するために、
教育
も必要であろうし、私
たち
の政治力も問われているのかもしれません。 そこで、私は、この表現がいかがなものか。そして、
民主党
案では、この
教育
を国政の中心に据える、こう書かれてあるわけですね。
教育
が中心なんだ、これは、中心に据えるものの一つという
意味
ですね。それとも、いや、もう
社会
保障なんかどうでもいいんだ、
教育
だけなんだという
意味
なのか、まずお尋ねしておきたいと思います。
藤村修
144
○
藤村
議員
企業は人なりとよく言います。私ども、松浪
委員
も地元ですが、これはいいことだから名前を出していいと思うんですが、関西スーパーという企業があります。そこのホームページに、「企業は人なり」「何の輝きもない石も、長い時間と幾多もの人の手の中で、眩いばかりの光を放つ宝石へと姿を変えていく。 企業も然り。 さまざまな
社員
が
自分
の力を最大限発揮するからこそ生き生きと躍動感ある企業へと成長していく。」と、いい
言葉
が書いてあるんですね。 まさに国も人なりで、やはり国の基礎をなしているのはそこに住む我々人間だと思います。特に、
日本
は他国に比べて潤沢に天然資源が恵まれているわけでもないし、人知、人の力こそが
日本
を支えている。そういう
意味
で、私は、政治家の幾つかの使命は確かにあります、大きな使命があります。しかし、その中で
教育
がやはり最も重視する国政上の最重要課題ではないかなというのが我々の
考え方
でございます。
松浪健四郎
145
○松浪(健四郎)
委員
最後にもう一つだけお尋ねしておきますけれども、
民主党
案には
教育
の目標がないんですね。
目的
はあるけれども目標はない、それは前文に書かれてある、このように
理解
してよろしいでしょうか。
藤村修
146
○
藤村
議員
私ども、前文にまさに広い
意味
での
教育
というものをとらえ、その
目的
と、そして「我々が目指す
教育
は、」と書いておりますが、これがまさに
目的
であり、そして、その中にたくさん幾つか書かれていること、まさにこれが目標であるということで、そのとおりでございます。
松浪健四郎
147
○松浪(健四郎)
委員
時間が参りましたのでこれで終わりますが、またの機会に質問させていただきます。ありがとうございました。
森山眞弓
148
○
森山委員長
次に、池坊保子君。
池坊保子
149
○池坊
委員
公明党の池坊保子でございます。 きょうはさまざまな問題を質問したく、用意してまいりましたが、午前中の
民主党
の方の宗教
教育
を伺いましたら、私もぜひこの
政府
の第十五条、
民主党
の第十六条について、
民主党
に特にお伺いしたいという気持ちになりました。
民主党
の案に対して、決して足を引っ張ろうという思いではございません。ただ、これは
法律
ですからあいまいであってはならないと思いますので、幾つかのことを伺いたいと思います。 私は、五八七年に聖徳太子が建てられた紫雲山頂法寺六角堂というお寺の住職の妻でございます。親鸞は、
自分
の信仰に大変苦悩されて、これでいいのだろうかと悩み、私のところのお寺で百日お参りをされ、一二〇三年に浄土真宗を開かれました。 私の周りには多くの宗教家もいらっしゃいます。例えば、阿闍梨さんと言われる千日回峰をなさった方は、最後の九日間は不眠不休、だから死ぬかもしれないんです。つまり、宗教というのは、私どもは穏やかで優しくというふうに思いますが、それに命をかけていらっしゃる。私のおばも日蓮宗の門跡でございましたから、当然結婚をしないで仏に仕えてまいりました。はりつけに遭ったイエス・キリストを初めとして、時の権力者に迫害されたりあるいは投獄されたり、死んだ、そういう方々もいらっしゃるわけです。 私
たち
日本人
は、宗教と信仰を混同しているのではないかと私は思うのです。宗教というのは、言うまでもなく、神や仏など人間の力を超える絶対的な存在を信じ、それを信仰することであり、そのための教義や
制度
の体系を伴うものなんです。それに対して信仰は、神や仏を信じ敬い、その教えに従おうとすることであり、全く
個人
の
精神
の問題なんですね。ですから、宗教といったときと、これに的がつきまして宗教的となると、これは宗教と離れて全く別個のものを
皆様方
は
考え
ていらっしゃるのではないかというふうに私は思います。 私も、どちらかといえば
日本人
の典型で、汎神論者で、若いころは教会の神父様の講義を聞きに行ったり聖書に没頭したり、今も私を支えている幾つかの文章もございますし、儒教道徳も、ここはいいなと思って引かれるところもございます。 このたび、
政府
案では宗教的情操の涵養というものが入らなかったことに、私は安堵する思いがいたします。なぜかというと、宗教的情操の涵養というのは、皆さんわかったようでおわかりにならないんじゃないかと思うんですね。例えば、宗教的情操とは何と聞きますと、ある方は、それは感謝の心で、御飯を食べるとき手を合わせることだよ、でもそれは私は行儀作法ではないかと思うのですね。それから例えば、人はどう生きるか、そういうことだよ、それは私は哲学だと思うのです。そしてまた、利他の心とか優しさとか親切だよ、それは道徳だと思うのですね。つまり、戦後、道徳という
言葉
を使うのが何となくはばかられて、皆さんはそういう何とはなしの気持ちを宗教的というふうに言っていらっしゃるのだと思います。 平成十四年十二月九日の中教審
基本
問題部会で、宗教に関する
教育
について、その当時国学院大学の学長であった阿部先生は、宗教的ということの概念整理が必要である、宗教
教育
のもとではこういう
考え
に基づきこの範囲において行うなどとして行わないと難しいのではないかと言われております。
民主党
がおっしゃる宗教的というのは、どういう概念整理のもとでなさったかを伺いたいと思います。
笠浩史
150
○笠
議員
今、池坊
委員
がおっしゃったように、確かに、宗教ということと宗教的ということになると、非常にこれは広さというか、違った
意味
が出てくると思うのですね。 私どもの、宗教的情操というか、私どもは感性という
言葉
を用いさせていただいているわけですけれども、先般
答弁
させていただきましたように、情操と感性というのは、我々もそんなに違った
意味
とは思っておりません。ただ
言葉
として、感性ということの方が非常になじみのある
言葉
ではないかということで、感性という
言葉
を使わせていただいたんですが、ここには当然ながら、人間の力を超えたものであるとか、自然や万物に対する畏敬の念、大自然の中に、人それぞれでございますけれども、いろいろな神秘さを感じたり、自然を崇拝したり、あるいは、森羅万象に聖なるものが秘められていると感じたりという、まさにそうした畏敬の念というものがございます。 これまでも宗教的情操ということで、
学習
指導要領の方にも規定があるわけでございますけれども、人間の力を超えたものに対する畏敬の念ということで小学校の道徳の中で教えられていたりというようなことで、先ほど
委員
がおっしゃったように、では、これは道徳で、これは例えば宗教的感性だというように分けて
考え
るものではなくて、まさに、道徳なども含めた広い宗教的感性の涵養というものが必要であろうということで、今回、私どもはここに入れさせていただいたわけでございます。
池坊保子
151
○池坊
委員
宗教的という概念整理は、では、なさらなかったんですね。宗教的というと何となく、優しいんじゃないかとか、穏やかな心だとか、道徳だとか、畏敬の念とか、そういうものをおっしゃっているわけですか。
笠浩史
152
○笠
議員
限定的にとらえているわけじゃなくて、今
委員
がおっしゃったように、人それぞれにやはり、身につけ方、あるいは、いろいろな、例えばこの中で、我々が人間としてどうあるべきなのか、まさに宗教とは、与えられた命をどう生きるのかというような、
個人
の生き方にかかわるものであると同時に、一方で、
社会生活
において重要な意義を持つもの、また、我々が祖先から受け継いだ、そういう連綿と続いてきた
歴史
の中に思いをいたしながら、はぐくまれていくものもあると思っております。 そしてまた、先般、私どもの同僚の
議員
が
指摘
をしておりますように、やはり他国や他文化を
理解
する上でも、その背後にある宗教における知識というものもあわせて必要であろうかと思っております。
池坊保子
153
○池坊
委員
宗教に関する寛容の態度というのは私、
理解
できるんですね。つまり、寛容とは、心が広く、人の言動をよく受け入れることなんです。だから、
自分
の信仰だけでなく、宗教だけでなく、他の宗教も排除することなく認めましょうということだと思いますが、宗教的感性となると、私には、何で宗教的というのをつけなければならないのか。感性というのは、
御存じ
のように、外界からの刺激を受けて直接的に感じ取る能力なんですね。ある
意味
では、もう既に人間そのものに宿しているものなんです。だから、感性を豊かにするとか、感受性を。そうすると、それが宗教的というのはどういうことなのか
意味
不明という感じがするんです。 先週、笠さんでしたか、真善美ということをおっしゃいましたね。私も、より美しいもの、よりよきもの、よりすばらしいものに対する希求の心というのは深く持っておりますが、それと宗教的、宗教とどういうふうに結びつくのかを伺いたいと思いますことと、宗教的とおつけになったからには何か
意味
がおありになると思うんですね。特定の宗教に触れることなくして、宗教的とお書きになったわけですから、宗教的感性が教えられるのでしょうかということを伺いたいと思います。
笠浩史
154
○笠
議員
宗教的感性というものが教えられるのかということでございますけれども、これは、私どもの第十六条の規定の中にも、この第三項ですね、ここに書いておりますように、私どもは、これを一方的に押しつける、要するに、教えるということだけに、
教育
上尊重されなければならないということで、これまで余りにも、もちろん、特定の宗派、宗派
教育
というものは、やはり控えなければならないと私ども思っています。 ただ、宗教
教育
となったときには、やはりその中には、この第四項で我々が規定しておりますように、これは、従来の規定をより明確にしたつもりなんですけれども、特定の宗教の信仰を奨励し、またはこれに反対するための宗教
教育
その他宗教的活動はしてはならないということで、より具体的に書かせていただいたと思っております。 そして、先ほどの、宗教に関する寛容は、それは
理解
ができるとおっしゃったわけですけれども、私どもは、宗教的感性というものは、もちろん、学校
教育
の教室の場で、恐らく教材をもって、例えば教科書をもってということだけではなくて、例えば地域において、あるいは、一義的には、
家庭
の中での
教育
の中にも、当然、家の中でそれぞれ信仰もあると思いますし、
家庭
において、結婚式であるとか、あるいは、お宮参りであるとか七五三であるとかお葬式、いろいろな行事に参加をして、あるいは、そういう中で身につけていくものもあると思えば、あるいは、地域の中でのいろいろな行事、伝統行事であるとかお祭りに参加をしたりとか、そういう中からはぐくんでいくこともあろうかと思いますし、そういう広い
意味
で、私どもは「
教育
上尊重されなければならない。」ということで規定をさせていただきました。
池坊保子
155
○池坊
委員
教育
上ということですから、
教育
において関係してくると思うんですね。そうすると、さっきおっしゃる宗教的感性が何ですかということが全くあいまいであると私は思いますので、だけれども、それはちょっとお答えになれないんだなというふうに
理解
いたしました。今おっしゃるように、お宮参りとか七五三もきっと宗教的感性の中に入るとお
考え
でいらっしゃるんですね。 では、次に入ろうと思いますが、十六条の第二に、宗教的伝統や文化に関する
基本
的知識の修得及び宗教の意義の
理解
は、
教育
上尊重されなければならない。この宗教的伝統や文化に関する
基本
的知識の修得というのはどういうことを指すのでしょうか。そして、宗教の意義の
理解
というのはこれとどういうふうに結びつくのでしょうか。お伺いしたいと思います。
笠浩史
156
○笠
議員
今、ちょっとその前に、宗教的感性の中にということではなくて、先ほど申し上げたような、
家庭
の中で、あるいは地域の中で、学校の中で、そういったいろいろな行事等々の中で身につけていく。感性を磨いていく、身につけていく、そういう行事に参加したりする中で。だから、感性の中にそれが含まれるということではございません。 それで、今おっしゃった宗教的な伝統や文化に関する
基本
的な知識ということでございますけれども、当然、一般教養としての
基本
的な知識の修得については、これまでにも
学習
指導要領などを通じて、これは学問としても教えられている部分があると思います。ただ、これは特定の信仰を身につけろとか、当然ながらそういうことではございませんけれども。 そしてさらに、今、きょうもちょうど朝からも議論になっておりましたけれども、文化財でありますとか、あるいは自然に触れたりとか、そしてまた、地域に残る遺跡や名所といったものを訪ねたりする。さらには、
歴史
を学ぶ中で、あるいは先人
たち
が残してくれた文学や芸術作品を通じて学ぶことができるものも含めてのこの宗教的な伝統や文化に関する
基本
的な知識の修得ということでございます。
池坊保子
157
○池坊
委員
そうすると、具体的に宗教的な伝統と文化というのは、お宮参りとか七五三とか、そういうことをイメージしていらっしゃるんですか。
笠浩史
158
○笠
議員
それも一つでございます、まさにそれも一つ。 ただ、それに限定するということでは当然ございませんけれども、この宗教的な伝統、文化に関する
基本
的知識というものの中では、
社会
通念上認められ、もはや
日本
の文化として定着している、例えばクリスマスであるとか、おみこしであるとか、武術とか、あるいは、いただきますと言うときに合掌することや神社で拍手することなどを、宗教的色彩が濃い状況や形態で行われている場合を除いて、この伝統、文化の範囲と
理解
をしているわけでございます。
池坊保子
159
○池坊
委員
わかりました。つまり、これは宗教に関する
教育
の中にお入れになって、わざわざ「宗教的な伝統や文化」とか「宗教的感性の涵養」などとお書きにならないで、人々がはぐくんできた、あるいは生まれ持っている感性を磨くとか、あるいは日常
生活
にある伝統や文化を大切にするとか、そういうこととお書きになったら、多分みんながわかりやすかったのではないかと思います。わざわざ宗教にお書きになったのが、ちょっと何かみんなにわかりづらいものを与えたと思います。 そういう
意味
では、第十六条の一番最初にございます、生の意義と死の
意味
を考察し、命あるすべてのものを学ぶ態度を養うことというふうに書かれておりまして、これも宗教とこの命というものを並列にお書きになっていらっしゃいますが、宗教ともしかかわって生と死を
考え
るならば、これは、生と死のとらえ方は、宗教上、宗派によって随分違います。キリスト教では天国に行きますし、仏教では輪廻ですし、さまざまと違うのですね。 ですから、これも多分、宗教とかけ離れてお書きになったら、それはそれなりによく
理解
できたのではないかというふうに私は
考え
ます。この辺はちょっと無理がおありになったのかなという気がいたします。 それから、前文にございましたね、祖先を敬い、子孫に思いをいたす。文章としてはわかりますけれども、どういうふうな姿をイメージしていらっしゃるのでしょうか。 私思いますのに、おっしゃろうとしていることは何となく、漠としてわかるんだけれども、きれいな文章にしよう、
言葉
遊びをしているなんて失礼なことは申し上げませんが、
言葉
を何か一生懸命
考え
ようとなさって継ぎ足したのかなという感じがしないでもありませんので、どういう
社会
、どういうことをイメージしていらっしゃるかを伺いたいと思います。
笠浩史
160
○笠
議員
決して私どもは
言葉
遊びをしているつもりはございません。 まさに、この前文の中に、我々が今あった「祖先を敬い、子孫に想いをいたし、」という文言をしっかりとここに書かせていただいた中には、今例えば具体的にどうなんだというお話がありましたけれども、二千年以上の長きにわたって、まさに海に囲まれた地形の影響もあって、他国とは趣の異なる固有の伝統文化を
日本
ははぐくんできたわけでございます。さらには、四季に恵まれ、そして気候にはぐくまれてきた緑多い自然もございます。これらの
日本
固有の文明を発展させてきた我々の先祖に対して敬意を払うこと、そしてこの貴重な文明を後世にしっかりと伝えていくことは、私どもは
教育
の大きな使命であることだと思っておりますし、そのことにかんがみ、この文言を入れたところでございます。 日常
生活
の中で、もちろん、お墓参りをして先祖を敬うということだってこれはありますでしょうし、例えば、それこそふるさとは遠きにありて思うものではございませんけれども、そういうような心の中で思いをいたすということだってあると思います。
自分
自身
の祖先や故郷に対しての思いもあれば、もっと広い
意味
で、豊かな四季折々の自然の美しさに感動し、あるいは数多くの文化的な遺産などに接する中で、
日本
に生まれてきたことに喜びを感じ、そして
日本
に愛着を持ち、これから生まれてくる
子供たち
にも、後世にもそうしたすばらしさというものを伝え、引き継いでいきたいというような心を涵養していくことこそが大切だということで、この前文に盛り込ませていただきました。
池坊保子
161
○池坊
委員
余りにも大層な文言だったので、私、ちょっとびっくりしたんです。 要するに、祖先の人
たち
の、
日本人
の先達の人々の心を大切にしながら、次に生きていく人
たち
を思い、夢や希望を感じながら、人類の貢献に役立つようにということなんですね。 私、これを読みましたら、私は、父が亡くなりましてから二十年間、毎月お墓参りをしておりますけれども、それは両親が好きだからしているので、一々祖先に余り、もちろん感謝はしていますけれども、敬うと毎日思っているわけじゃないし、子孫に思いをはせと言われましても、それは、やはり五十年後、百年後、人類が滅亡しないで世界がうまく幸せであってほしいなというふうに思いますので、わざわざ祖先が、子孫がとおっしゃったのにはそれなりの深い深い何かがおありになると私は思いましたけれども、そうでない、普通のことを大層にお書きになったというふうに解釈させていただきます。 それじゃ、もう宗教はちょっとおきまして、これは先ほど
土肥
さんが宗教に対しての議論なら一晩でもとおっしゃいましたので、ぜひ今度させていただきたいと思いますが、次に移らせていただきます。
民主党
の案の第一条の
教育
の
目的
の中に、「民主的で文化的な
国家
、
社会
及び
家庭
の」、もしかしたら通告していませんでしたか。ごめんなさい、「
社会
及び
家庭
の形成者たるに必要な資質」と書かれているんですね。つまり、
国家
、
社会
、そしてすぐ
家庭
の形成者になっちゃうんですね。 先ほど
民主党
の
議員
の方の中にも出ていました、
家庭
を持ちたいと思っても持てない人もいる、諸般のいろいろな条件で持てない方もいる。それからまた、
家庭
を持たないという価値観の方もいらっしゃるわけですね。そうすると、これは、
国民
はみんな、
家庭
を持つことが当たり前ということの中で、こういう国、
社会
、そして
家庭
の形成者になっていくのでしょうか。ちょっとお伺いしたいと思います。
笠浩史
162
○笠
議員
今の、
社会
も
家庭
も当然ながら、これは一人ではございません。人と人同士が
理解
しようと努め、
理解
し合い、力を合わせ、互いを思いやりながら過ごすものであるのは、これは当然のことでございます。 その資質、すなわち
社会
人としての一般的教養や、あるいは、親を敬い、
子供たち
を慈しむ温かい心などを持った人に育ってほしいという願い資質を持つことが即、結婚するということだけではありませんけれども、こうした
家庭
をはぐくんでいくということ、また、多くの方がそれぞれに結婚しなくても生まれ育った
家庭
が恐らくはあり、これはすべての方にあるということではないのでしょうか。
池坊保子
163
○池坊
委員
やはりこれは、
国家
、
社会
及び
個人
とか、一人一人とか、そういうことが入ることの方がよりよかったなと思うんですね。 確かに、
少子化
、一・二五になりましたから、
家庭
を持って
子供
を持つことはすばらしい、意義あること。私は
自分
の娘を宝とも命とも思っておりますが、すべての人がそういうふうなことに遭遇するとは限りません。
家庭
の形成者にすべての人がなれる、あるいは、なろうと思わない人もいるわけで、その辺、やはりいつも主張していらっしゃる自由な発想とはちょっとかけ離れているように思いました。 次に、第六条の幼児期の
教育
について、いいですか、だめですか。大丈夫ですか、お答えになれますか。 「幼児期にあるすべての子どもは、その発達段階及びそれぞれの状況に応じて、適切かつ最善な
教育
を受ける権利を有する。」とございます。
教育
を受ける権利、これはみんなにあると思うんですね。でも、
藤村
委員
はずっと文科で御一緒してきましたからよく
御存じ
なように、保育所というのは、児童福祉法で「日日保護者の委託を受けて、保育に欠けるその乳児又は幼児を保育する」と規定しております。これは保育が
目的
で、幼稚園とはちょっと異なっております。
民主党
では、それならば、今度認定こども園というのができますけれども、この就学前
教育
を受ける権利を有するということは、もう保育所は要らないとお
考え
なのか、あるいは認定こども園に全部しようとお思いになるのか。その辺、お聞かせいただけますか。
高井美穂
164
○
高井
議員
失礼いたします。突然の御質問で、回答させていただきます。 私どもの
考え
としては、保育所が要らないというわけではなくて、幼稚園と保育園、双方の
理念
を持つもの、両方のものを
子供
のための質のよい施設として提供し直したいというふうに
考え
ておりまして、こども園は、残念なことに、その双方を残したままもう一つの選択肢ができるという形でできた法案のように思います。 その点で、やはりさまざまな、私も先ほど申し上げた、池坊先生も御
指摘
にあったとおり、通園バスや給食の点で、同じサービスをしながら片や課税、片や非課税というような差がありますので、そういう弊害をなくすために、
内閣
府に一元化して、質のよい施設ということで再構築したいというふうに
考え
ておりまして、決してどちらかを排除しようという発想のものではございません。
池坊保子
165
○池坊
委員
そう。では、これは誤解を生まないようにきちんとお書きになった方が一般の人にはわかりやすいと思いますよ。 これですと、やはり
教育
を受ける権利という、
教育
ということになりますから、
高井
委員
よく
御存じ
のように、幼稚園は
教育
ですけれども保育所はそうじゃないという中でなっておりますから、現在、みんなが
理解
するには、きちんとした区分け、線引きが必要なんじゃないかというふうに思います。 では、通告していないのは、大変だから、もうやめますね。 一言だけ、
家庭
教育
について
大臣
にお聞かせいただきたいと思います。 私は、
文部科学大臣政務官
をしておりましたときに、一年間、河合長官を座長にして、
家庭
教育
支援の充実というシンポジウムを月一回開いておりました。その中で感じましたことは、やはり
家庭
教育
についての窓口というものが必要なんだと。さまざまな問題を抱えていらっしゃるお母様方が多いんですね。保護者、それはお父様ももちろん含まれますけれども。 一昨日とその前日に
子供
が親を殺すという事件が起こっております。それを
考え
ますと、親と子の分離というのが速やかにいつ行われるかというのは、大変大切なことだと思います。ニート六十四万人、引きこもり数十万、あるいはパラサイトシングルというのは今
社会
現象でございます。 文科だけでなくて、やはりこの問題、
家庭
教育
というのをもうちょっと幅を広げて検討する、真剣にこれは検討しなければならないと思います。その中には、もちろん、先ほど申し上げましたように、相談ができる窓口を、公民館だとか、あるいは空き教室でつくることも大切だというふうに思っておりますので、
家庭
教育
と幼児期の
教育
ということで、もっと真剣に、どういうふうな御
方針
でやっていらっしゃるかを伺って、私の質問を終わらせていただきます。
小坂憲次
166
○
小坂国務大臣
委員
がお述べになりましたように、子育てに関する悩みというものをお持ちの親は多いわけでございますから、そういった親御さんの悩みを解消するような、そういった窓口をしっかりわかりやすく設置することが必要だと思っております。
文部科学省
では、
家庭
教育
支援総合推進事業というのをやっておりまして、子育てやしつけについて、
友人
のような関係で気軽に相談に乗ったりアドバイスを行えるような、子育てサポーター、またそういった方の資質を向上させるための子育てサポーターリーダーという方を育成するための事業を行っております。 親の主体性を大切にしつつも、子育てに関する相談を行う環境整備をしていくという観点からこれらの事業を行っているわけですが、子育てのヒント集という形で、乳幼児から小中学生を持つ親の方々、それぞれの段階に応じて
家庭
教育
手帳情報編というところに、各都道府県別に子育ての悩みについての相談窓口、そして他省庁の所管する機関、団体等も含めまして掲載をいたしまして、悩みを持つ親の相談に適切に対応ができるように情報提供しているところでございます。 また、
文部科学省
内に
家庭
教育
支援室というものを設けておりまして、関係省庁、経済団体及び子育ての支援団体と密接に連携をしながら、
家庭
教育
に対する支援の推進に努めているところでございます。 今後とも、池坊
委員
が御
指摘
をいただきました各般のことを踏まえながら、子育てに関する相談や情報の提供になお一層に取り組み、子育ての支援を充実させてまいりたいと存じます。
池坊保子
167
○池坊
委員
ありがとうございました。
民主党
の御
答弁
いただいた方も、決して困らせるために言ったのではないから、どうか悪くお思いにならないでね。 ありがとうございます。
森山眞弓
168
○
森山委員長
次に、
川内
博史
君。
川内博史
169
○
川内
委員
民主党
の
川内
博史
でございます。 大変に、
委員長
やこの
特別委員会
の
理事
の先生方に御高配をいただきまして、発言をさせていただく機会をいただきましたことに心から感謝を申し上げ、与えられた一時間という時間を精いっぱい質問させていただきたいというふうに思います。 私は、この
教育基本法
の改正案を審査する
基本
的な態度として、それが何のための法案なのか、だれのための法案なのかということを常に心の中に持ちながら
審議
をすることが重要ではないかというふうに
考え
ております。 先ほど、羽田孜元総理
大臣
に御地元の新聞の社説を見せていただきました。
小坂文部大臣
の御一族が発行していらっしゃる新聞だそうでございますけれども……(発言する者あり)いとこさんですか。その社説に、
与党
の
教育基本法
改正案では
教育
がよくなるとは思えない、廃案にせよという社説でございました。
民主党
のことに触れていないのは若干どうだかなという思いもあるわけでございますが、本日は、私も、
与党
案に対して、この
教育基本法
改正案というのが何のための法案なのかということをお尋ねしてまいりたいというふうに思います。
小坂文部大臣
は、法案の提案理由
説明
の中で、「現行の
教育基本法
については、
昭和
二十二年の
制定
以来、半世紀以上が経過をいたしております。この間、科学技術の進歩、情報化、国際化、少子高齢化など、
我が国
の
教育
をめぐる状況は大きく変化するとともに、さまざまな課題が生じており、
教育
の
根本
にさかのぼった
改革
が求められております。」と御発言をされていらっしゃいます。
小坂
大臣
、この提案理由の
説明
の中の「さまざまな課題」、このさまざまな課題に対して、
教育
の
根本
にさかのぼって
改革
を行うことがこの
教育基本法
提出
の理由であるというふうに
理解
をしてよろしいかということを、まず御
答弁
いただきたいと思います。 〔
委員長
退席、
町村
委員長
代理着席〕
小坂憲次
170
○
小坂国務大臣
私どもの今回の
教育基本法
の提案に当たりまして、
教育改革
国民
会議
、また中央
教育
審議会
答申、そしてまた、さらには
与党
の協
議会
検討会最終報告、そしてまた
教育改革
フォーラムあるいは
教育改革
タウンミーティング、こういったいろいろな場、あるいは一日中教審、こういったものも踏まえまして、各般の御意見を踏まえた上でこの法案
提出
に至ったわけでございますが、その中でも、中央
教育
審議会
の御意見として、「戦後の
我が国
の
教育
は、
教育基本法
の
精神
に則り行われてきたが、
制定
から半世紀以上を経て、
社会
状況が大きく変化し、また
教育
全般について様々な問題が生じている今日、
教育
の
根本
にまでさかのぼった
改革
が求められている。」といたしまして、このように答申をいただいたことを踏まえて、私の提案理由も書かれております。 また、その中で
指摘
しております課題というものは、皆様のいろいろな御意見の中から私どもが把握いたしたことでございますが、今日、
日本
社会
が、倫理観や
社会
的使命感を喪失している、少子高齢化による
社会
の活力が低下している、都市化や核家族化が進展をしている、そういった状況にある。また、
教育
の現場の直面している課題として、青少年の規範意識や道徳心、自律心の低下、いじめや不登校、中途退学や学級崩壊、
家庭
や地域の
教育
力の低下など、こういったものが課題として挙げられておりまして、これらの課題に対応し、そして、戦後の半世紀たった今日にこの
教育基本法
を改正して
教育
の
基本
的な
理念
を再構築するに当たっては、このような課題を全体的に俯瞰した上でこの
教育基本法
を
提出
することが必要だ、このような
認識
に至ったということを述べさせていただいたものでございます。(発言する者あり)
川内博史
171
○
川内
委員
今、自民党の
理事
の先生から、地元の新聞の釈明もせないかぬやないかみたいな声が出たのですが、地元の新聞の社説と
小坂文部大臣
の職責とは全く別でございますので。ただ、私が申し上げたのは、世間一般で、
教育基本法
を改正するというときに、その改正に対する
政府
の意思あるいは思いというものが十分に伝わり切っていないのではないかということの問題意識から、一例として挙げさせていただいたものであります。 それで、そのそごがどこから生じるのかということについて若干考察をさせていただくと、
教育
という
言葉
を我々一般人が聞く場合に、学校
教育
あるいは幼児
教育
を想像するわけでございまして、幼稚園での
教育
あるいは小学校、中学校、高校、大学、そこぐらいまでが
教育
であって、その後、
社会
人になってさまざまに学ぶことは
学習
という概念でとらえているのではないか。 しかし、
政府
は、あるいは
国会
は、これは与野党ともにでございますが、この
教育基本法
改正案の中で、
日本人
としての生き方を
改革
していく、変えていく、あるいは
日本人
としてのあり方、人生の生きざまを変えていく必要があるというような大きな視点で取り組まれていらっしゃるんだなということを、今、提案理由の御解説を聞きながら思うところでございます。 そうしますと、
教育
という
言葉
の持つイメージというのは、先ほど申し上げたように、一般的には小学校、中学校、高校、大学ぐらいまで、人生全体を通しては
学習
という
言葉
の方がより適切に全体をあらわされるのではないか。したがって、
学習
基本
法とかそういう言い方の方が、私は、人生のすべてのライフステージに国として対応していくのだという決意を示すにはふさわしい
言葉
ではないかというふうに思います。(発言する者あり)思います。
政府
が違うとおっしゃられるのであればそれは見解の相違ですから、ここで……(
小坂国務大臣
「
政府
は言っておりません、
政府
じゃないです」と呼ぶ)あえて申し上げることではないですが、一般的に
教育
というのは、我々
国民
が受けるのは大学
教育
までであって、その後何かを教わることを
教育
という
言葉
の中でとらえている人は少ないのではないか。 いや、そうかなと首を振られていらっしゃいますけれども、何か根拠がありますか。おまえが言っていることは違うという根拠でもありますか。
小坂憲次
172
○
小坂国務大臣
よく、
教育
という
言葉
は、教えて育てるということだ、こう言われる方があります。しかし、今
委員
が引かれましたけれども、その中で一つ欠けているのは
家庭
教育
という
言葉
だと思います。 私どもの法案の第十条にも、「父母その他の保護者は、子の
教育
について第一義的責任を有するものであって、」と書いてありますし、
民主党
案でも
家庭
教育
は重視をしておられます、「
生活
のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。」 すなわち、人間がおぎゃあと生まれて、人間の
社会
で生きていくために必要な力を備えさせること、それがまさに
教育
の原点だと思うわけでございます。それは生きる力でございます。生きる力というのは、人から与えられるものではなくて、みずからそれを培っていくものでございますから、それを手助けするのが
教育
であります。 私は、
教育
の
根本
は、おっしゃるとおり
学習
だと思います。みずから学ぶこと、その点において全く異論はございません。みずから学ぶということの原点は私は好奇心だと思っておりますが、そういったみずから学ぶ力を養うこと、これが
教育
だと私は
考え
ております。
川内博史
173
○
川内
委員
教育改革
国民
会議
の第一回の
議事録
に、柔道家の山下泰裕先生の御発言が出ておりまして、大変すばらしい御発言だなというふうに思いまして、紹介をさせていただきたいと思うんです。 子どもは
大人
の鏡であると思います。磨くのは子ども
たち
ではない。我々
大人
自身
ではないかなと思います。教師は生徒を磨く前に
自分
を磨け。親は子どもを磨く前に
自分
を磨け。今の子どものもろもろの問題の
根本
は、何人もの先生が言われましたけれども、
大人
の問題であり、世の中の価値観のひずみがそこに表れているんじゃないか。環境が人を育てると思います。その環境に大きな問題があると思います。 今の子どもではなくて、我々
大人
は、じゃないかと思うんです。 私は子どもは決してばかではないと思います。
大人
が本音と建前をうまく使い分けてきている。
自分
のやっていることと、子どもに言っていることと違う。そして、
自分
のこと、家族のこと、
自分
の育つ組織のことだけを
考え
て、
自分
の利害、エゴで動いている人が多い。 そして、立場が上の人になればなるほど、人間的にすぐれているんじゃなくて、その権力を
自分
のために利用する人が多いと。そういうことを子どもは敏感に感じているんじゃないかと思います。 このように御発言をされていらっしゃる。 私は、もうまさしくそのとおりだなというふうに思いまして、では、そういう世の中じゃないようにしていくにはどうすればいいのか、この
教育基本法
を改正することによって何をどうすればいいのかということをしっかり
考え
ていかなければならないというふうに思うところでございまして、
政府
も、そういう
意味
では
認識
は全く同じだというふうに思います。 第二条の
教育
の目標に掲げられた五つの項目、その中には、幅広い知識と教養を身につけ、真理を求める態度を養う、あるいは、職業及び
生活
との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養う、公共の
精神
に基づき、主体的に
社会
の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養う、生命をたっとび、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養う、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた
我が国
と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際
社会
の平和と発展に寄与する態度を養う。 これまで
我が国
の
教育
に関する
法律
の中にはなかった、
学習
指導要領の中にはありますが、態度を養うという
言葉
が五項目すべてに書かれております。この五項目の目標は、当然のことでありますが、第三条の生涯
学習
から第十八条の法令の
制定
まで、第七条の大学あるいは第八条の私立学校、第九条の教員、第十条の
家庭
教育
、これらすべての条文の目標であるということでよろしいでしょうか。
小坂憲次
174
○
小坂国務大臣
教育
の
目的
というふうに書いてございます。これがこの法案の中で言う
教育
の
目的
であることは御
理解
をいただけると思いますが、すべての条文に共通のものであるかということについて申し上げますと、第十八条の「この
法律
に規定する諸条項を実施するため、必要な法令が
制定
されなければならない。」という第十八条は違うわけですね。ですから、十七条の
教育
振興
基本
計画の策定に当たりましても、当然、この
目的
というものが意義を持つわけでございますから、そういう
意味
で
委員
が御
指摘
であれば、そのとおりでございます。
川内博史
175
○
川内
委員
それでは、各条文ごとに、現在のさまざまな課題とは何か、その課題の原因は何か、そして、現在の
教育基本法
のもとでは解決をすることはできないのか、問題解決のために法令の
制定
をするのか、法令の
制定
をする場合、どのような名前の法令を、どのような
内容
で、いつまでに
制定
するおつもりなのかについて、順次質問をしてまいりたいというふうに思います。 まず、第五条の義務
教育
についてでございますが、
小坂文部大臣
に、
政府
を代表して、現在、義務
教育
の課題であると
小坂文部大臣
が
認識
をしているもの、すべて挙げていただきたいというふうに思います。
小坂憲次
176
○
小坂国務大臣
突然、すべて挙げよと言われても、すべて挙げ切れるかどうか……(
川内
委員
「突然じゃないですよ、きのうちゃんと通告したじゃないですか」と呼ぶ)いや、すべて挙げよとは聞いておりませんので……(
川内
委員
「いや、すべてと言いましたよ」と呼ぶ)そうですか。それはどうでもいいんですけれども……(
川内
委員
「どうでもよくないですよ」と呼ぶ)私が今
答弁
をするかどうかでございますから、そういう御
指摘
があったなら、努めてみましょう。 現在、先ほど申し上げましたように、学校の現場で、いじめ、不登校、中途退学あるいは学級崩壊、こういった状況がある。また、教員の指導力という点にいろいろな課題がある。また、通学路の安全という課題がある。また、学校の設備、
教育
施設、こういったものにまだ設備が十分でない等々の問題がある、これはITの
教育
等も踏まえて、そういった環境が十分に整備されているとは限らないという問題がある。 そしてまた、
社会
の
教育
力が低下した、これは原因はいろいろまた別にあると思いますが。そしてまた、
子供
社会
というものが以前のように一定人数が確保される、
少子化
の中で
子供
社会
というものが形成されにくい環境の中で、
子供
同士の
教育
力といいますか、お互いに切磋琢磨といいますか、そういった
意味
での
教育
という側面が弱体化してきているという状況もあると思います。 そしてまた核家族化ということで、おじいちゃんやおばあちゃん
たち
が経験してきた知恵というものがお母さんやお父さんに受け継がれ、またお父さん、お母さん
たち
から
子供たち
に受け継がれるという、そういった一つの流れというものが失われつつある、こういったこともあると思います。 それから、農耕
社会
の中で培われてきた協同の
精神
、田植えから始まって稲刈りまで、そして脱穀からまたそれぞれの市場への輸送まで、すべてが協同の
社会
で運営をされてきた。その中にあっては、
子供
の面倒を、
自分
の畑の仕事で忙しいときは隣のうちが面倒見てくれるということも含めて、地域
社会
における
教育
力、また協同の力というものが衰退をして、親の子育て力というもの、子育ての環境というものが変わってきた、こういうこともあると思います。 すべてとおっしゃいますから、まだまだ挙げ続けますが、よろしいでしょうか。延々と……(
川内
委員
「義務
教育
についてですよ」と呼ぶ) ただ、義務
教育
というのは、生きる力と申し上げましたものですから、私は生きる力を養うためにはいろいろなものが必要だと思いますので、まだ足りないような気がしますが、
委員
の御質問の意図からすれば大体この辺で済むのかなとも思うんですが、まだもっと言えということであれば、一生懸命
考え
て申し上げますが。よろしいですか。
川内博史
177
○
川内
委員
まず一つ、私は昨日の
文部科学省
さんに対する質問通告で、今、
政府
として、さまざまな課題と提案理由の中で述べているのだから、そのさまざまな課題とは何か、すべてあすの質疑の中で教えていただきたいということを明確に通告させていただいておりますので、先ほど
小坂文部大臣
が通告を受けていないのでとおっしゃられたその
言葉
については、後ほど
理事
会で、削除していただくように御協議をいただきたいというふうに思います。
町村信孝
178
○
町村
委員長
代理 はい、わかりました。
小坂憲次
179
○
小坂国務大臣
理事
会で御協議いただいて、削除していただければそれで結構ですが、私が通告を受けているのは、一つ一つの問題について掘り下げていくのでよろしくということで通告をいただいている。したがって一問一答形式で、例えば、
教育基本法
の改正は何が問題としてそれがなされたと
考え
るのか、あるいは学校現場においてのいじめ、不登校等の学校をめぐる
教育
環境についての問題点は何か、いわゆる問題行動というのはどういうものがあるか、そういったものを一つ一つ項目として質問するので、それに
答弁
をしろ、こういう
趣旨
で承っておりましたので、それを全部述べろといいますと、ある
資料
を全部読まなきゃならなくなってしまいますので、
委員
のお時間をとり過ぎると思って、そう申し上げたわけであります。 〔
町村
委員長
代理退席、
委員長
着席〕
川内博史
180
○
川内
委員
いや、時間は幾らかかっても構わないんです。義務
教育
において
文部科学省
が今課題だと思っていることをすべて挙げてくださいということを、昨日、私は通告をさせていただきました。それに対して事務方が、
大臣
にどのように伝えたかは私の知るところではないですから、それは後で事務方と、きのうの
やりとり
はどうだったのかということについては確認をしていただければいいと思います。 ただ、私が申し上げたかったのは、
教育基本法
という大変大事な
法律
の
審議
のときに、しかも、立派な
日本人
をつくるんだという議論をしているときに、通告していない質問をするようなひきょうな男ではないということを私はただ申し上げたかっただけでございますから、きちんと堂々と、通告したことをお聞きしていますということを申し上げているわけでございます。 では、先ほど、
大臣
のところに事務方の方から上がってきているそれぞれの課題についてお伺いをさせていただきますが、その前に一点、今
大臣
は、義務
教育
について、
子供たち
の学力の問題については触れられましたか。ちょっと確認させてください。
小坂憲次
181
○
小坂国務大臣
義務
教育
の学力の低下の問題は、PISAの
調査
の対比だとかあるいは各都道府県が実施している学力
調査
、こういった中から一般的な
指摘
がされているところでございまして、国として、
文部科学省
として、全国一斉学力
調査
というものを実施して現在の学力の把握に努めたい、このようなことも申し上げているところでございます。
川内博史
182
○
川内
委員
今の御
答弁
は、
子供たち
の学力について把握に努めているところであるが、
子供たち
の学力全体について、
文部科学省
としてどのような
認識
をお持ちであるかということについてはどうなんでしょうか。
小坂憲次
183
○
小坂国務大臣
本来は事務方からそれなりの答えを申し上げたいと思いますが、私からということでございますから、私としては、各新聞の
調査
だとか、あるいは都道府県の
調査
だとか、あるいはそういったOECDのPISAの学力
調査
による世界の横断的比較だとか、こういった中で
子供
の学力低下というものが
指摘
をされております。 特にその中では理数及び読解力、国語の力というものが
日本
の、義務
教育
だけではないわけですけれども、大学生までの学生なんですけれども、児童生徒を初めとして、学生のこういった読解力、理数の力が弱まっているというのは統計的にも出ております。また、特にこの読解力等については、やはり義務
教育
段階でもしっかりこれを進めなければいけないという
認識
も、これは共通のものだと思うところでございます。 国の
教育
課程実施状況
調査
というのもございまして、これによりますと、基礎的事項を徹底する
努力
等により一定の成果があらわれ始めているが、国語の記述式問題が低下するなどの課題が
指摘
をされている。また、
学習
意欲、それから
学習
の習慣、うちへ帰って勉強するという習慣ですね、それを含めた
生活
習慣などに改善が、時系列的に見れば一番低下したときよりも少し改善は見られるものの、まだまだこの改善が必要だということが
認識
されている。 こういった課題が
認識
されているということは、私も把握をいたしております。
川内博史
184
○
川内
委員
今、
文部科学大臣
から、義務
教育
の中においては学力の問題がある、それは具体的に言うと理数系の力が弱まっている、そして読解力についても低下傾向にあるということが
政府
の課題として示されました。 では、その原因は、理数系の力が低下をしてきていること、あるいは読解力が低下をしてきていることの原因は何だというふうに
認識
をされていらっしゃいますか。
小坂憲次
185
○
小坂国務大臣
私は、その一番もとは、好奇心という、みずから学ぶ力を育成するための環境が変わってきたということにあるように思っております。 ちょっと話が私の体験的なものに及んで恐縮でございますが、私どもの
子供
のころは、身の回りに好奇心をかき立てるもの、そしてそれを満たすものがたくさんあったんですね。例えば昆虫にしても、あるいは動物にしても、非常に身近にありました。それから、学校の行き帰りには、田んぼのあぜ道を歩いていけば、ジャガイモの時期にはジャガイモをとった後の小芋がいっぱい転がっていたり、あるいはネギを栽培していたり、いろいろなものが、ああ、こうやってできるのか。また、時計を壊してみれば、歯車が出てきて、ぜんまいが出てくる。ラジオを壊してみれば、真空管があって、そこにコイルがあって、コンデンサーがあってという形になる。 ところが、今の
子供たち
は、道路に出て遊ぶことすら許されない、道路の端に生えている雑草の名前すらわからない。そして、時計を壊しても、ラジオを壊しても、出てくるものは同じ、基板と電池しか出てこない。こういった中で、好奇心がはぐくまれにくい環境がある。これが理数に対する興味をわかせない一つだと私は思っております。 そういう
意味
では、理数の力を育成するというためには、やはり実験とか体験的な
教育
をもっと身近に取り入れて、好奇心を満たす、そしてかき立てる
教育
環境というものをつくり出して、そして、
子供たち
、児童生徒のみずから学ぶ力を引き出す
努力
が必要だ、こうも
考え
ております。 今日の
文部科学省
としての
資料
で、いわゆる理数離れ、その中での理科離れについての
指摘
でございますけれども、少なくとも、理科に対する興味、関心が低下しているという理科離れの現象は明確ではなく、むしろ、
子供たち
が知的な関心を持って問題を真剣に
考え
る姿勢が希薄になっている、そういう
指摘
がある、こう解説をしておりますが、わかりやすく言えば、私の言ったことと同じじゃないか、こう思っているんです。
川内博史
186
○
川内
委員
ちょっとよくわからなかったんですけれども、好奇心がはぐくまれない環境になってきている、好奇心がはぐくまれにくい環境になってきていることが、理数離れを、あるいは理数系の学力の低下を招いているのではないかという
文部科学大臣
の推測が今示されたわけでございますが、私は、問題解決のためには、原因を正確に知ることが必要であるというふうに思います。 では、好奇心がはぐくまれない環境になってきたこと、その好奇心がはぐくまれない環境というのがいかなる環境なのかもよくわからないですけれども、そのことが理数系離れを、理数系の成績の低下を招いているのだという科学的なデータ、根拠というものはあるんですか。
小坂憲次
187
○
小坂国務大臣
私はできれば、質疑の充実のためにも、細部にわたる御質問の部分だけでも
政府
委員
答弁
を認めていただきたいと思いますが、そういう御指名ではないので、私から
答弁
をさせていただきます。 中央
教育
審議会
の
教育
課程部会等を初めといたしまして、専門の先生方が、しっかりと科学的な見地も踏まえまして議論をしていただいております。残念ながら、私はそのすべてを記憶しているわけではございません。また、そのすべてが
資料
としてここに提示をされているわけでもございませんので、その御質問の意向は、こういう細部にわたるものであれば事前に私もそれなりに準備をしたのでございますが、残念ながら、今できる範囲内で補充をしながら
答弁
をさせていただきます。 まず、生涯
学習
の到達度
調査
、いわゆるOECD・PISA
調査
、二〇〇三年実施の分でございますが、その中のアンケート
調査
の部分で、学ぶ意欲、その中での数学で学ぶ
内容
に興味がある生徒、こういう項目でいいますと、
日本
は三二・五%、OECD平均で五三・一%。すなわち、数学で学ぶ
内容
に興味があるという学生が割合としては
日本
の方が少ない。数学、理科に対する意識。勉強は楽しいと思う。数学では、
日本
の中学校で三九%、国際平均は六五%。理科においては、
日本
の中学校が五九%、国際平均では七七%。したがって、勉強は楽しいと思うというのは、数学、理科においても、
日本
は、OECDあるいは国際平均から見て低い。 同じような
意味
で、得意な教科であるという中で、数学と理科を選んだそれぞれの生徒の割合も、国際平均五四%に対して
日本
が三九%の数学、また、国際平均五四%に対して四九%の理科、いずれも
日本
の方が低くなっている。 このような状況から、全体の学力低下ということも言われますが、とりわけ読解力、それから数学、理科に対する勉強の意欲、そして態度という点で、これはアティテュードという形になっているわけですけれども、低下をしている。このような
認識
を数字として示されております。
川内博史
188
○
川内
委員
いや、
文部科学大臣
にこのようなことを申し上げるのは甚だ僣越ではございますし、恐縮のきわみでございますが、
文部科学大臣
は、義務
教育
について最高の責任を負っていらっしゃる。そして、
子供たち
の、二十一世紀は知識の時代、知恵の時代と言われる中で、いかに
子供たち
がたくさんの知識を得、それを利用して人生の道を切り開いていくかということについて、手助けをしていただかなければならないわけでございます。 そういう中で、理数系の力が弱まっている、あるいは読解力が弱まっている、その原因が何なのかということについて、細かいことだというふうにおっしゃられるのは、それは私は間違いだと思います。現象があり、そしてその原因があり、その原因を取り除き、そして
子供たち
に、しっかりとした学びの意欲を持ち、勉強してもらうように、成果を出してもらうようにするのが
文部科学大臣
としての責任であろうというふうに思いますので、細かいことと思わずに、ぜひ御興味と関心を持っていただきたいと思います。 ここで、いや、もう
大臣
、こんなことに反論してもしようがないです。私の意見ですから、意見、聞いてください。
文部大臣
、ここで一つはっきりしたのは、理数系の力が弱まっているという現象に対する原因は、最初に
文部大臣
がおっしゃった、好奇心がはぐくまれない環境になってきているということよりは、統計的な数字で出ているのは、学ぶ意欲が他国に比べて低い。その原因は、理数系に対する学ぶ意欲が低くなってきているということがその原因であると思うんですよ、データに出ているのは。学ぶ意欲が低くなってきている。 では、その学ぶ意欲を高めていくことが、問題解決のための第一歩であるというふうに思いますが、
文部科学省
としては、
子供たち
の理数系の力が低下している、読解力が低下しているということに関して、どのような対処
方針
を持ち、どのような
法律
をどのように改正することによって意欲を持たせようとしているのかということについて、教えていただきたいと思います。
小坂憲次
189
○
小坂国務大臣
川内
委員
もわかっていらっしゃって言っているんだと思いますが、私は決して細かいことと言ったわけじゃなくて、細かいデータを提示しろと言われるのであればで、決して理数系の
教育
が細かいことと言ったことではないことは御
理解
をいただいていると思うわけですよ。ですから、そういう
意味
で手を挙げたのでございます。 いずれにいたしましても、
学習
意欲の低下の原因としては、一つは、非常に豊かな
社会
になったということがあるでしょうね。そして、その豊かな
社会
の中で、勉強への動機づけ、
自分
は何のために学ぶかということがわかりにくくなったということですよ。勉強しなければならない切迫した事情というものがなくなったということも事実であります。早く
社会
に出てうちにお金を入れなきゃいけない、そういう切迫した状況ではない
家庭
がふえたということもありますからね。 その中で、私は、一つは好奇心がないということもその原因であろう、意欲をかき立てるものが、動機づけが少なくなったものの一つとして、私は、やはりそういう点で、
社会
環境の変化、これはかなり大きな部分を占めていると思うので申し上げました。そのことは、
法律
の第六条の第二項に、みずから学ぶということについては述べているわけですが。 実
生活
や将来の職業などとの関連づけ、児童生徒が実感を持って
理解
できるようにするなどの指導の工夫ということが求められておりますが、こういったことについては、施策といたしましては、平成十八年度の予算案でも、スーパーサイエンススクールとか、スーパーサイエンスハイスクール事業だとか、理数大好きモデル地区事業など、科学技術・理数大好きプランというものを拡充させる形で取り組んでおりますし、また
学習
指導要領の今後の改訂もあるわけでございますが、そういった中においても取り組んでまいります。 また、今日、
学習
指導要領の見直しの中で、すべての
教育
活動を通じて、
言葉
や体験を重視した
学習
や
生活
の基礎づくり、国語や理数
教育
の充実、全国的な学力
調査
の実施により、いわゆるPDCAサイクルを学校
教育
の質の向上に役立てる、今までは
検証
ということまでも行っておりませんので、プラン・ドゥー・チェック・アクションという一つのサイクルをしっかり確立することが
教育
においても必要だと
考え
ておるわけでございます。 こういった観点から、平成十八年度末までに
学習
指導要領の改訂を行いたいと
考え
ておりまして、今
委員
がそれぞれ御
指摘
をいただきました、また私が
答弁
を申し上げた課題についての取り組みをこの中で専門の先生方に御協議をいただき、また
学習
指導要領の中教審の中の部会でしっかり御議論をいただく中で改訂を進めてまいりたいと
考え
ております。
川内博史
190
○
川内
委員
今さまざまに
文部科学大臣
の方から御
答弁
をいただいたわけでございますが、それらの施策というのは
教育基本法
を変えなければ実行できないものなのでしょうか。 いいですか。今
文部科学大臣
がおっしゃられたそれらの施策というのは、今現に行われている施策もあるし、これから行おうとしている施策もあろうかと思います。しかし、それらは
教育基本法
を変えなければできないものではない、今現にやろうとしているわけですからね。 私が聞いているのは、
教育基本法
を変えることによって、そして初めて、今、義務
教育
に関して、ほんの、理数系のこと、読解力のこと、さまざまに膨大に課題がある中で理数系のことと読解力のことを今私はテーマにしているわけでございますが、これらは学ぶ意欲が減少しているからである、では、それを上昇させ、
子供たち
が、学ぶことを楽しいと、そして知識を得ることが楽しいんだと思えるようにしていくことの施策というのが、
教育基本法
を変えなければできないものなのかということを聞いているわけですよ。
小坂憲次
191
○
小坂国務大臣
これはたびたび
答弁
もさせていただいていますけれども、戦後半世紀がたって、最初の御質問に答えた部分がその部分に当たりますから省略いたしますけれども、そのようなことから今回改定をすることにしたわけですが、この改定をしたことによって直ちに、自動的に今の課題が解決していくわけではないわけでございます。 そして、二〇〇三年のPISAの
調査
を
参考
に、先ほど
答弁
させていただきましたように、この問題は、この法案を
提出
させていただくときに生じて
認識
が出たわけじゃなくて、以前から常に、
教育
の取り組みの中で、
学習
指導要領の随時の改訂の中で取り組んできた施策も含めて今日的な課題というものがあるわけですから、その対処
方針
もその中にあるわけでございますし、昨年度の事業も今年度の事業も、また来年度の事業の中に組み込まれたことも、これらは
教育基本法
の改正の成立を前提としてやったわけではなくて、今日的な課題に一つ一つ常に対応する形の中でこの事業を推進しているわけですが、そういったものを
教育
現場においてより明確に取り組んでいただくこと。 そして、今日的な課題を解決するための
教育
の抜本的な
理念
として、これまでの
教育基本法
で培われたすぐれた
理念
というものは継承しつつも、新たな、生涯
学習
だとか幼児
教育
だとか私立学校だとか、先ほど挙げていただきました、これが新しい分野だとおっしゃった、それらの項目をここに書き加えたわけでございます。 したがって、これが自動的に解決すると思ってやっているわけではございませんで、この
教育基本法
の改正をしていただきましたら、第十七条にありますような
教育
振興
基本
計画を初めとした計画をしっかり立てて、それとともに
学習
指導要領のさらなる見直しも行い、そしてその上で、学校
教育
法や地教法やその他の関連
法律
を整備する。また、その改定の必要があるかどうかをしっかり見守ってチェックをしてまいりたい。理科
教育
振興法というのもありますし、もうあげつらう必要はないと思いますが、たくさんの
法律
がありますので、これらを順次改定の必要があるかどうかを
検証
して進めていく、こういう段階に入っていくと思います。
川内博史
192
○
川内
委員
教育基本法
を改定することによって直ちに問題が解決するわけではないという御
答弁
をされました。 では、
子供たち
の理数系の学力低下あるいは読解力の低下という義務
教育
の中の一つの問題は、この
教育基本法
を改定することによって直ちに解決はしない、そして、具体策についても、今直ちにこの
法律
をこう改正する、あるいは、こういうふうな名称の
法律
を新たにつくるんだという具体策についても、ないということでよろしいですか。
小坂憲次
193
○
小坂国務大臣
一生懸命
答弁
しているつもりなんですけれども。 先ほど申し上げたように、
教育基本法
を改正したから直ちにこれらの問題が解決するわけじゃないけれども、二〇〇三年のPISAを引き合いに出させていただいたように、これまでもいろいろなアンケートや他の機関がやった
調査
や、そういったものも
参考
にしつつ、その現状
認識
というものを、その都度対処する方策を
考え
て事業をやってきているわけですから、スーパーサイエンスハイスクールのような事業も、
教育基本法
を改正してからやろうというんじゃなくて、もう既にそういうものに問題
認識
を持って取り組んでいるわけですよね。 ですから、直ちに改正できるわけではないと言ったのは、
教育基本法
ができたって直らないと言っているんじゃなくて、今も直そうと
努力
しているわけですから、それは
教育基本法
が改正されなくてもこれらの事項にはしっかり対応していくことがやはり今の
文部科学省
の責任でもあり、それは私の責任でもあると思うわけでございます。 そういった
意味
で、
教育改革
ということで今取り組んでいるこの
改革
は、これらの今日的課題と申し上げたそれらに対処するための方策としての
改革
でありますから、その一つの道筋といいますか、過程の中で
教育基本法
の改正をしっかりとさせていただいて、より
理念
をしっかりさせて、これからの
教育
に、現場においてもこの
基本
法の
理念
にのっとった
教育
をさらに推進していただきたい、そのためにはやはり
教育基本法
の改正が今必要である、こういう
認識
に立つわけでございます。
川内博史
194
○
川内
委員
いや、全くわからないですね。対処する方策を
考え
てやってきてはいると。であれば
教育基本法
など改定する必要はないわけで、
教育基本法
を改定しなければできないことを答えてくれというふうに私は申し上げております。 そして、これだけ偉い先生方がこの
委員会
室に集まられて、具体策を解決できないような
法律
をがん首そろえて
審議
しているほど
教育
の現場は落ちついてはいないというか、先ほど問題として掲げられた、いじめや学級崩壊や不登校、さらには
子供たち
の学力の問題、それらのさまざまな問題を抱えて、学校現場あるいは義務
教育
の現場は苦しんでいるわけですよ。 それらの問題に対して、
教育基本法
を変えることによって具体的にこうアプローチするのであるということを示さずして、ただ、変えさせてくれ、これを変えればよくなるんだと言うのは、
スポーツ
のコーチがプレーヤーに対して、まあとにかく頑張れ、ここは行けと。どう行くんだ、何をすればいいんだとプレーヤーは思うわけですから、その具体策が大事なんじゃないですか。その具体策をきちっと裏づけとして持っていただきたい。 それがもしないのであれば、今は具体策としてはないが、学力を向上させる、その学力の
内容
とは、理数系の力が低下をしている、読解力が低下をしているということが明らかだから、それらの力を伸ばすための具体策を、
教育基本法
を
国会
でお認めいただいたならばすぐさま中教審でその具体策について議論をさせるというふうに御
答弁
いただかないと、はっきりわかったということにはならぬですよ。 何となく、やりますやりますと言われて、いいですか、親にとっては、うちの
子供
をどうしてくれるんだ、うちの
子供
どうなるのというのが
教育
の一番の興味ですからね。うちの
子供
がどうなるのかということについて
文部科学大臣
として明確に、今は何法をこうするとかは言えないが、しかし、しっかり議論をさせるということは、理数系の力を上げるんだ、読解力を上げるんだ、そのために具体策を議論させるということを言っていただかないと、問題の解決に向かっていないということになりますよ。
小坂憲次
195
○
小坂国務大臣
私も一生懸命答えているつもりですが、どうしても、
理解
しようという気持ちを持っていただかないと
理解
していただけないわけでございます。先ほども、法案を通過させていただいたら、直ちに
教育
振興
基本
計画の策定に入って、それに従って
学習
指導要領もさらなる見直しを、また
学習
指導要領は今日も、本年じゅうに見直すということも申し上げた。そして、
学習
指導要領を初めとした関係
法律
、学校
教育
法、地教法を初めとした
法律
の改正を全部精査させていただきますと申し上げた。ここまではっきり言っても言っていないと言われたんじゃ、どう言ったら御
理解
いただけるんでしょうか。 私は、これはすなわち
民主党
の皆さんの法案についても同じことだと思うのでございますが、同じように、法案が成立したならばこういうことをやりたい、計画を立てていることはお互いにあると思います。多分そちらにもおありでしょう。私どももあります。それを、通していただいたらしっかりやりたいと思っております。
川内博史
196
○
川内
委員
今、大事なところが抜けているんですよ。
教育
振興
基本
計画を策定する、
学習
指導要領を強化すると。私が聞いているのは今の課題について。今問題にしているのは、理数系の学力が低下をしていること、読解力が低下をしていることについては、ついてはという
言葉
が
大臣
の御
答弁
の中にないから、
一体
何について議論するんだろうというふうに私は思うわけでございます。
国会
の議論というのは
議事録
に残るものですから、主語をきちっとさせていただかないと、何をはっきりさせるのかということがわからないんです。 だから、くどいようですが確認をさせていただきますけれども、理数系の力が低下をしている、さらには読解力が低下をしている、学びの意欲が低下をしているということについては、
教育基本法
が改定された後、
教育基本法
の中に定められている
教育
振興
基本
計画の中でそれらの点についてはしっかりと書き込むとか、しっかりと議論をし記述していくとか、そういうふうにお答えいただくと、ああ、なるほどと。いや、私が納得するんじゃないんだよ。全国の親御さんが、それなら
政府
に任せても大丈夫だと思っていただけるんじゃないですか。どうでしょう。
小坂憲次
197
○
小坂国務大臣
委員
が御
指摘
のことは謙虚に受けとめ、私も
努力
をするつもりでやってまいりますよ。 ですけれども、先ほどから余り繰り返しの
答弁
をしても失礼になるかと思いますが、先ほども、OECDのPISAの
調査
等において、理数離れ、とりわけ理科離れが
指摘
をされといって、少なくとも理科に対する興味、関心が低下しているという理科離れの現象は明確ではないけれども、
子供たち
が知的な関心を持って問題を真剣に
考え
る姿勢が希薄になっているという事実もある。 だから、こういったものをいろいろ引用した中で、そして理科に対する
教育
の観点から、理数大好きモデル地域事業だとか、科学技術・理科大好きプラン等の施策を通じて、こういうものに今日も対応しておりますが、またさらにということを申し上げて、こういった問題に対処するために、学校
教育
法や、その前段でありますところの、今日、この秋までに改訂を進めている
学習
指導要領の見直しを行い、また、新たにこの法案が成立したならば、その観点でさらなる
学習
指導要領の見直しを行い、理数や読解力だけでなく、このほかの課題について対応するための施策をしっかりと推進させて、学校現場にも的確かつ明確な指示を出させていただきます。 その中には、それをお読みになって、今
委員
が御
指摘
になったようなことがもし漏れているようであれば、また御
指摘
をいただきたいと思いますが、今
委員
のお述べになったことも私はしっかり心にとめておりますから、そういったことも踏まえて今後対処してまいりたいと存じます。 失礼しました。事務方が、
学習
指導要領は今年内じゃなくて今年度内と言い直してくれ、こういうことですので、今年度内と訂正をさせていただきます。
川内博史
198
○
川内
委員
いや、
言葉
ってすごく大事だと思うんですね。 今、
小坂
大臣
は、理数系や読解力でなくと……(
小坂国務大臣
「のみならず」と呼ぶ)のみならずと言いましたか。
議事録
を精査するとちょっと違うと思うんですが。
文部科学省
としては、
子供たち
の学力についての課題は理数系の力が低下をしていること、読解力が低下をしていること、それが課題であるというふうに
政府
の見解として述べられたわけですから、その
政府
の
認識
について、原因は意欲がなくなっているからだと。では、その意欲を回復させるためにはこうするんだということを、もうちょっと
法律
の議論の中で明確にしていただければなというふうに思います。 あと五分しかなくなってしまいましたので、こういうことについて、では、いじめについてはどうなんだ、あるいは不登校についてはどうなんだ、あるいは学級崩壊についてはどうなんだということを、一つ一つ原因そして対処方法というものを議論していくと、恐らくこれは物すごい時間が必要だ。これは、義務
教育
だけでも
文部科学省
が抱えている課題というのはたくさんあるわけでしょうから、物すごい時間が必要になるわけでございます。 私が感じるのは、
国会
というのは
制度
、
法律
を議論する場でございますから、具体的にどうなるのかということが明らかになっていかなければならないんだというふうに思うんですね。 そこで、最後にお伺いさせていただきますが、第二条の五号、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた
我が国
と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際
社会
の平和と発展に寄与する態度を養う」という
教育
の目標でございますが、これらは、心にしても態度にしても、評価をされることは好ましくはないということが言われておりますし、それは恐らくすべての人々に共通をする思いだというふうに思います。 では、評価しない、これらを、心とか態度を評価させないようにするというか、評価ができないようにするための
学習
指導要領の書き方についての工夫が必要であるというふうに思いますが、
文部科学大臣
の御見解を承りたいと思います。
小坂憲次
199
○
小坂国務大臣
内心の問題について評価をすべきでないという点は、たびたび申し上げております。しかし、態度というものを一切評価しないとは申し上げておりません。すなわち、
学習
の態度ということは、これはテーマがいろいろありますから、それを、
学習
する態度ということを一切評価しないわけではございませんので、それは通知表という中で評価をしてまいります。 しかし、愛する心というような、心というような内心の問題を評価することは適当でないし、させないということを申し上げているわけですね。そしてまた、それが具体的に御
家庭
に通知される場合には通知表でしょうし、また、進学について適用されるのは内申書であろうと思います。それのもとになります
学習
要録のような、そういったものの書き方の中で内心を評価するようなやり方はしてはならないということについては、いろいろな
会議
の場を通じて、これは先ほど他の方の
答弁
で申し上げましたが、直近のものでいえば、昨日の高等学校の教員のものを初めとして、その前、日にちまで今暗記しておりませんが、もう既に五月の間に、小中学校、また学校校長会、こういった
会議
において、内心の評価というものをすることは適当ではない、こう申し上げております。 また、通知表の書き方につきましては、これは
学習
指導要領等で決めるものではないので、これはあくまでも学校の設置者、また校長の裁量によって通知表のつくり方というのは任されておりますので、その書き方そのものに内心の評価というものが実際に出てくれば、愛国心を持っているか、A、B、C、このような形になれば、それは適当ではないという指導を行うことになると思います。したがって、御
指摘
のように、
学習
指導要領その他に明確に書き込め、そういう形でこの指導は行っていないところでございます。
川内博史
200
○
川内
委員
文部科学大臣
に申し上げておきますが、各学校の通知表は
学習
指導要領の文言をそのままとる場合が多いですから、ぜひぜひお気をつけいただきたいというふうに申し上げておきます。 終わります。
森山眞弓
201
○
森山委員長
次に、
笠井
亮君。
笠井亮
202
○
笠井
委員
日本
共産党の
笠井
亮です。 初めに、
小坂
文部科学大臣
に、現行
教育基本法
の
制定
と公布の経過について改めて確認をしておきたいんですが、私も当時の経過をいろいろと調べてみましたが、戦後、一九四六年六月二十七日の
衆議院
憲法改正
委員会
で、当時の
田中文部大臣
の
答弁
以来、当初から、
日本政府
の
発意
によって法案がつくられて、
国会
の
審議
を経て
制定
、公布されたものだ、そういうことでよろしいですね。
小坂憲次
203
○
小坂国務大臣
そのとおりでございます。
日本国
政府
の発議によりまして
帝国議会
で
審議
をされ、
制定
をされたものでございます。
笠井亮
204
○
笠井
委員
それを今なぜ改正しなければいけないかということであります。
安倍
官房長官
に伺いますが、
官房長官
、自民党の幹事長代理当時に、昨年の自由新報の一月四日と十一日付ということで、新年合併号でインタビューに答えてこう述べておられます。「
日本
の連続性、
日本
が歩んできた道の上にしっかりと立って
未来
を見つめているのが自由
民主党
である。」そして「占領時代の残滓を払拭することが必要です。占領時代につくられた
教育基本法
、
憲法
をつくり変えていくこと、それは
精神
的にも占領を終わらせることになると思います。」こう言われております。この
認識
というのは、今、
官房長官
としてもお持ちなんでしょうか。いかがですか。
安倍晋三
205
○
安倍国務大臣
歴史
的な事実として、
憲法
も、また
教育基本法
が成立をした
帝国議会
も、当時は
日本
は占領下にあったという事実をたしか自由新報でも述べているんだろう、このように思うわけでありますが、戦後、
教育基本法
の
理念
のもとで構築された
教育
諸
制度
は、
国民
の
教育
水準を向上させ、
我が国
の
社会
発展の原動力となってきた、このようにも
考え
ております。
笠井亮
206
○
笠井
委員
あれこれ言われましたが、現行の
教育基本法
を、占領時代の残滓、残りかすという形で、そういう
認識
を、今おっしゃったのは政治家
個人
ということでしょうけれども、
官房長官
が持っていらっしゃるということ自体が、
制定
当時の経過から見ても、また世界から見ても通用しない、驚くべき
認識
だと私は思うんです。
教育基本法
の
制定
の経過は、占領下であっても、先ほどの
小坂
大臣
の
答弁
でも明確だと思います。また、五月二十四日に、当
委員会
の河村
委員
、元
文部大臣
も質問で言われておりましたが、当時の
国会
の議論の中には、まさに
日本
を
教育
によって興すために、あるいは、平和
国家
、文化
国家
のために、あるいは、
日本
再建のための最大の基礎をなすべき重要法案である、こういう
言葉
が至るところに出て、先輩
議員
の方々がみんなそういう共通の思いをなされていると言われて、紹介がされたとおりだと思うんです。ところが、
官房長官
は、そうした経過や先輩
議員
たち
の思いがあったのに、インタビューで、そこには進駐軍の指示と影響が色濃くあったと思いますということも言われて、家族、地域
社会
、祖先、そして
日本
という国を挙げながら、これらを守るために
自分
は戦うという覚悟まで言って、それを再び取り戻すというふうに述べております。 自民党の清和
政策
研究会、
教育基本法
改正に向けて五つの提言ということで、二〇〇二年にこういう本を出されて、その中にも出ております。私も拝見しました。冒頭に、構成員である
国会議員
一同、力を尽くすというふうにあって、
官房長官
御
自身
もこの本の中に寄稿されている。この提言を見ますと、第一項では「
教育勅語
が謳いあげている「目指すべき
教育
のあり方」が、けっして間違ったものではなかった」「「かつての
教育勅語
に相当する
教育
理念
の
制定
を目指すべきではないか」と提案する。」と掲げられております。要するに、戦後の
軍国主義
の除去と一連の民主化の措置を、
官房長官
、当時の幹事長代理ですが、占領時代の残滓として見られて、それを一掃して、
ポツダム宣言
受諾前の
日本
、戦前の
日本
につなげるという、連続させるというのが、この流れを拝見しますと長官の主張で、
教育基本法
の改定もそうした文脈、コンテクスト、発想なんじゃないかと思うんですが、長官、いかがですか。
安倍晋三
207
○
安倍国務大臣
それはまさに
委員
の御解釈なんだろうというふうに思うわけであります。 私が申し上げましたのは、事実として、
憲法
がつくられたときも、また
教育基本法
が成立したときも、
日本
が占領下にあったのは事実でありますということは、事実は事実として踏まえておきながら、当然、占領下にあったということは、その占領下において影響を受けるという可能性も全く排除できるわけではない。しかしながら、先ほど申し上げましたように、現行の
教育基本法
、戦後の
教育基本法
の
理念
のもとで構築された
教育
諸
制度
は
国民
の
教育
水準を向上させ、
我が国
の
社会
発展の原動力となったのも事実であります。しかし、まさに戦後六十年を経て、
制定
から六十年を過ぎたわけでありまして、その中で、いろいろな
社会
情勢等々の大きな変化もある中において、我々は今回、この
教育基本法
を改正するという判断をしたわけであります。
笠井亮
208
○
笠井
委員
そうすると、
教育基本法
自体占領下ではあったけれどもいろいろ役立ってきた、しかし時代が変わったからというお話ですが、要するに、幹事長代理のときにおっしゃっていた占領時代の残滓であるというのは、それはやはり違うなということなんですか、それとも残滓と思っていらっしゃるんですか。
安倍晋三
209
○
安倍国務大臣
言葉
のとり方でございますが、占領期間につくられたのは事実でありまして、その後、サンフランシスコ講和条約によって独立を回復したのでありますから、その後、やはり二十一世紀にふさわしい
憲法
あるいは
教育基本法
を私
たち
の手で書きかえていくんだという
精神
こそが大切ではないか、私はこのように思う次第であります。
笠井亮
210
○
笠井
委員
伺っていると、残滓と言ったことがまずかったみたいで、どうもお認めにならないので、それを変えたということでもないし。でも、やはりそれは否定をされないということになりますと、これは本当に重大だと思うんです。 提言の中でも
教育勅語
を言われた。しかし、これは、戦後、一九四八年の
衆議院
の決議でも明確です。そして、衆参の決議で排除、失効が決まったということでありまして、やはりああいうことがあったから、戦後、教員の皆さんも教え子を再び戦場へ送らないと頑張ってきた、こういうことでありまして、そういう点でも、改正に当たって、自民党の中で、
教育勅語
ということで、間違ってなかったんだという話が出てくること自体、私は不見識だと言わざるを得ないと思いますし、長官
自身
が占領時代の残滓という
言葉
を取り消されない、これは私は非常に重大なことだと思います。 では、長官、結構です。 次に、この法案そのものにかかわって、
小坂
大臣
にただしたいと思います。 現行の
基本
法は、前文の冒頭で
日本国憲法
とのかかわりを明確にしております。ところが、法案では、「われらは、さきに、
日本国憲法
を確定し、」「この理想の実現は、
根本
において
教育
の力にまつべきものである。」という
憲法
と
教育
とのかかわりを削除しているということがあるわけですが、これはなぜ削ったんでしょうか。
田中壮一郎
211
○
田中
政府参考人
教育基本法
は、
昭和
二十二年の
制定
以来、半世紀以上が経過しておるわけでございまして、
教育
を取り巻くさまざまな状況が変化しておるわけでございます。 今回の改正では、現行法の普遍的な
理念
は大切にしながら、今日、極めて重要と
考え
られる
理念
等を明確にしようとするものでございます。したがいまして、前文の見直しもあわせて行ったわけでございまして、今御
指摘
いただいておる文につきましては、「われらは、さきに、
日本国憲法
を確定し、民主的で文化的な
国家
を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、
根本
において
教育
の力にまつべきものである。」これは
昭和
二十二年の議決でございます。 今回
提出
させていただいております
教育基本法案
の前文の第一文では、「我々
日本国
民は、たゆまぬ
努力
によって築いてきた民主的で文化的な
国家
を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。」ということで、今日の時点に立って、さらなる目標を掲げたものでございます。
笠井亮
212
○
笠井
委員
冒頭に重要と
考え
られる
理念
、これを盛り込んだものだといって、そこから
憲法
を取ったというのは大変なことですよ。
憲法
の理想の実現の規定というのは、
教育基本法
が準
憲法
的性格と言われる何よりのゆえんだと思います。 「
教育基本法
の解説」コンメンタールを見ましても、その最初の序のところで、
国家
としては、
民主主義
と平和を旗印として新しい
日本
の建設を目指すことになったのである、
憲法
の改正を初めとする各種の
法律
や
制度
の
改革
は、もとより必要であり有意義であるというふうに述べるとともに、真の
民主主義
と平和主義への転換は早急には達成され得ない、徐々に実現されていくほかない、そして、それは、
根本
において、
教育
の力にまたなくてはならないと。私、これは明快に解説していると思うんです。現に、
制定
当時、文部省
自身
が「あたらしい
憲法
のはなし」という副読本をつくって普及するなど、主権在民、
基本
的人権、平和主義などの
憲法
の理想の実現を
教育
の力で図ろうとしてまいりました。
小坂
大臣
、法案で削除をしたのは、こうした
理念
、理想の問題がもう実現した、達成されたと
考え
るのか、
教育
の力にまたなくてもよい、こういうふうに
考え
るのか、その点、いかがでしょうか。
小坂憲次
213
○
小坂国務大臣
今、局長から
説明
申し上げたことも、
日本国憲法
の
制定
当時の状況を振り返って、あの当時は「われらは、さきに、
日本国憲法
を確定し、」この
日本国憲法
を確定したことに新しい
国家建設
へ向けての、平和的な、民主的な
国家建設
へ向けての思いというものをそこに込めたんですよね。そして「民主的で文化的な
国家
を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。」と規定されておりまして、現在の状況を踏まえて、本法案では「我々
日本国
民は、」という形にして、今の、戦後の
日本国憲法
というものは我々の
憲法
として、しっかりと今日の平和的な、民主的な
国家建設
に大きな役割を果たしたという
認識
を持って、これを踏まえた上での今回の前文の規定として「我々
日本国
民は、」と、そうしてきたわけでありまして、この
理念
も……(
笠井
委員
「もう達成されたのか、またなくていいのか」と呼ぶ) それでは、ここで言われた
理念
が達成されたから削除したのかといえば、そうではなくて、それなりにそういったものは引き継いでいる。今日も常にたゆまぬ
努力
を続けるという形の中で、この第一の部分ですね、「この理想の実現は、
根本
において
教育
の力にまつべきもの」としているわけでございますけれども、これが削除されているわけではなくて、前文の第二文の部分に「我々は、この理想を実現するため、」こういうふうにして、引き続き理想の実現を継承しているわけでございます。 ですから、この
理念
そのものは今後とも追求をするという前提に立って「
個人
の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の
精神
を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す
教育
を推進する。」ということで、これらを
教育
によって推進していくんだということも受け継いでいるわけでございまして、そのように御
理解
をいただきたいと思います。
笠井亮
214
○
笠井
委員
達成されたわけじゃないと言われました。 ところが、今度の法案では、今、前文で紹介したような
憲法
がないんですよ、「この理想」というところには。だから、
憲法
の理想を実現するためという
意味
じゃないんです、その文章は。だから全然違うんですね。今おっしゃったことから見れば、これは本当に削る理由はないというのは明確だと思いますが、いかがですか。
田中壮一郎
215
○
田中
政府参考人
ただいま、
日本国憲法
という文言がないではないかという御
指摘
でございましたが、三パラグラフを見ていただければわかりますように、現在提案させていただいております
教育基本法案
の中に「ここに、我々は、
日本国憲法
の
精神
にのっとり、
我が国
の
未来
を切り拓く
教育
の
基本
を確立し、その振興を図るため、この
法律
を
制定
する。」というふうにさせていただいております。
笠井亮
216
○
笠井
委員
だめです、そういうごまかしは。だって、のっとりという話と
憲法
の理想を実現するという話は全然違うんです。だから、これを削ったという
意味
は本当に重大だと私は思います。 さらに法案の前文でいきますと、「真理と平和を希求する人間の育成」ということで、これを「真理と正義を希求し、」というふうに変えていらっしゃいます。真理と平和を希求する人間の育成というのは
教育基本法
の核心的
内容
の一つだと思うんです。なぜ平和を削って正義に変えたんですか。
田中壮一郎
217
○
田中
政府参考人
前文の御
指摘
の部分は、
日本国
民が願う理想として掲げておる、民主的で文化的な
国家
の発展と、世界の平和と人類の福祉の向上を実現するため推進すべき
教育
像を示しておるところでございまして、
我が国
におきましては、知徳体の調和のとれた人間、公共の
精神
をたっとび、
国家
、
社会
の形成に主体的に参画する
日本人
、そして
我が国
の伝統と文化を
基盤
として国際
社会
に生きる
日本人
の育成が重要というふうに
考え
ておるわけでございまして、こういう観点から、公共の
精神
の尊重、それから豊かな人間性と創造性、そして伝統と文化を新たに規定しておるところでございます。 そして、「真理と平和」を「真理と正義」としておるではないかという御
指摘
でございますけれども、
我が国
や世界の平和に貢献することは極めて重要なことでございまして、
憲法
の平和主義の
理念
が
教育
を通じて実現されることは非常に大事だと
考え
ておるわけでございます。 こういう観点から、前文で、
日本国
民が願う理想として、世界の平和に貢献することを引き続き規定しておるところでございますし、第一条の
教育
の
目的
におきましては、平和で民主的な
国家
及び
社会
の形成者として必要な資質を備えた
国民
の育成を規定しておるところでございます。さらに、今回、本法案第二条第五号におきましても、国際
社会
の平和と発展に寄与する態度というものを規定しておるところでございます。 また、人格の完成、すなわち知徳体の……(
笠井
委員
「そんなこと聞いてないです。平和を削った理由を聞いているんだから、余計なことを言うのはやめてください」と呼ぶ)はい。 それで、今、「真理と正義」につきましても、現行法第一条に規定しております「真理と正義」を前文で規定させていただいたところでございます。
笠井亮
218
○
笠井
委員
いろんなことを言われましたけれども、要するに、平和を削ったということをちゃんと正面から、なぜ削ったかという、何一つ答えがないんですよ。世界の平和のために貢献するということを言っているからということじゃなくて、もともと現行法は、人間の育成を期する上で、どういう人間の育成を期するかということで「真理と平和」というふうに言っているんです。そこのところが大事なんで、そこから平和を取ったと。平和は大事と言いながら、取っているという問題なんですよ。さっきの
憲法
もそうですが、今の平和も取ると。
大臣
、こういう問題について、どういうふうにお
考え
ですか。
小坂憲次
219
○
小坂国務大臣
前文の役割、それから条文の中で規定すること、それぞれの書き方の問題はありますけれども、私どもは、今回の
教育基本法
において、現行法ですぐれた
理念
としての平和主義、そして真理と正義を希求する姿勢、こういったものはあくまでも尊重し、それを受け継ぐ形で、今局長の方から
答弁
申し上げたように、「われらは、
個人
の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」、これについては、私どもの前文の中にも「真理と正義を希求し、公共の
精神
を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成」と書き、なおかつ、第二条の中で、先ほど申し上げたように、世界の平和と発展に貢献する態度を養って、そういう人間を育成していくということを貫いているわけでございまして、そのように御
理解
をいただきたいと思っております。
笠井亮
220
○
笠井
委員
大事な問題だったら、これは変える必要ないんですよ。
制定
時の
教育刷新委員会
の
議事録
を私も読みました。務台理作氏がこう言っています。「誤りを二度と繰返さないような保障を感ぜしめるような
言葉
が、矢張り欲しい。」「
憲法
に示されたような戦争を放棄し、人類の平和を求めるというようなことが、矢張り
教育
の
理念
の中に置かれてもよいのではないだろうか。
軍国主義
や極端な
国家主義
に二度と利用されないという決心を現わすような
言葉
を欲しい」「平和を求めるということに、
教育
の
理念
が立脚して行くということ。」これを提案するということで、そういう議論があって盛り込まれたということであります。 戦争の誤りを二度と繰り返さないという当時の熱い思いが込められている。それをいとも簡単に「真理と平和」を「真理と正義」に変えて、そして、そういう人間を育成するということについてなくしてしまう。私は、そういう中に、こうした法案が
憲法
九条を変えていこうという流れと軌を一にしているということを感じざるを得ない、
一体
のものだというふうに感じております。 それではさらに、法案の第十七条にある
教育
振興
基本
計画とのかかわりで、全国的な学力
調査
、学力テストの問題について伺いたいと思うんです。 総理は本
会議
で、平成十九年度、来年度から実施するということで
答弁
をされました。 そこで、既に学力テストを実施している東京都がどういう実態になっているかという問題についてであります。 ここに、東京都の
教育
委員会
が、平成十五年度、二〇〇四年二月に実施をしました学力テストの問題がありまして、例えばこういう問題が出ているということで、
委員長
、ちょっと両
大臣
にお渡ししてよろしいでしょうか、問題なんですが。
森山眞弓
221
○
森山委員長
どうぞ。
笠井亮
222
○
笠井
委員
いろいろな問題があるんですが、例えばこういう問題ということで、ちょっと
委員
の皆さんにもお
考え
いただきたいと思うんです。 国語のテストの中で、中学校二年生の問題でありますけれども、八の二というところなんですけれども、
委員
の皆さんにちょっと
資料
が準備できなくて申しわけないですが、「あなたの中学校では、四月に入学してくる小学六年生が希望をもって入学式をむかえられるように、中学校
生活
を紹介する文章を書くことになりました。あなたがこの文章を書くとしたら、どんな題材を中心に書きますか。次の中から一つ選び、記号で答えなさい。」こういう問題であります。「ア 学校の電話番号 イ 部活動 ウ 授業 エ 学校行事」。 この中から一つ選んで、新たに入学してくる小学校六年生が希望を持って入学式を迎えられるようにということで、文章を書きなさいという問題ですが、
小坂
大臣
、どれをお選びになりますでしょうか。
小坂憲次
223
○
小坂国務大臣
これは、確かに問題が非常に、丸をつけるみたいな、記号で答えなさいですから、このものだけなんですね。 ですから、そういう点からすれば、例えば授業の楽しさを
説明
したくても、授業と書けば、そのカリキュラムだけなのかと思っちゃう部分もありますね。ですから、問題として必ずしも適切ではないように思いますが、私がつけるとしたら、私は部活動とつけちゃいますね。
笠井亮
224
○
笠井
委員
大臣
がおっしゃったように、これは難しいんですよね。アの学校の電話番号以外は正解ということなんだそうです。これは正式にこの解答が都の
教育
委員会
からありまして。 しかし、学校の電話番号について文章を書いたら間違いか。それから、部活動と授業の両方について書きたいと思ってもいけないのか。一つだけは選べないといったらどうなのかということで、これで果たして学力がはかれるのかということを私率直に感じました。現場でも疑問の声が上がっているそうです。 もちろん、学力テストがこんな問題ばっかりやったら大変なんで、そういうわけじゃないんですけれども、問題は、こうして行われた学力テストによって評価がされた結果、どういうことが起きているかということなんです。 例えば、これはその学力テストの結果を報道した新聞で、産経新聞なんですけれども、東京面にこういう形で結果が出まして、東京の区市
町村
の順位が一位から最下位の四十九位まで一覧で出されております。もう一つは、これは区の名前はA区というふうにさせていただきますが、A区の場合は、独自に学力テストをやりまして、そしてその結果について区のホームページで、こういう形で、小中学校別に平均の到達度のランクづけが一位から最下位までされている。学校が全部ランクづけされているわけです。 こういう中で、都内の小中学校の教員や父母の方々から話を聞きますと、
子供
がクラブ活動の大会に行った、そしたら、ほかの学校の生徒から、あなたの学校は一番ばかな学校なんでしょう、こう言われてショックを受けてきた。あるいは、みんなに迷惑をかけるからテストの日は休んだという
子供
もいる例があって、本当に
子供
の心が傷つけられているというふうに思いますが、
小坂
大臣
、東京のこういう実態があるということについては
御存じ
だったでしょうか。
小坂憲次
225
○
小坂国務大臣
今御紹介をいただきましたような東京都の学力テストでございますけれども、東京都は東京都として独自に、児童生徒の学力向上を図るための
調査
という形で、先ほど御提示をいただいた、国語、算数といいますか数学、それから
社会
、理科、英語、英語は中学のみと聞いておりますが、及び意識
調査
という形で実施をしておって、十五年、十六年、十七年、それぞれ、中学二年、あるいは小学校五年と中学二年の全員とか、小学校五年と中学二年については十六、十七と継続して、経年的な変化も見るということなんでしょうが、こういうふうに実施をしていることは承知をいたしておりますし、この学力
調査
が
子供たち
の学力の向上や学校
教育
の充実に役立っているものと
考え
るわけであります。 しかし、今御
指摘
がありましたように、学校別に順位づけを行って、それを公表するということについては、私は慎重であるべきだと思っております。
笠井亮
226
○
笠井
委員
役立っているという問題も
指摘
されながら、順位づけは問題だとおっしゃいましたが、私は東京の現実というのは非常に深刻なことになっていると思うんです。 学校では、テストの前にプレテスト、それからプレプレテストというのがあるところもありますし、学力テストの学年になると補習や宿題ばかりあって、テストが終わると
子供
がへとへとになる。中には気分が悪くなって吐いちゃう
子供
がいるということがあると。
子供
に大変な負担になっております。テストばかり。もっと普通の授業でちゃんと教えてほしいという声もありました。 成績下位の学校は、校長が
教育
委員会
に呼ばれて指導されるケースもある。 さらに、学校選択制や学区の自由化と結びついて、成績上位の学校が、例えばマンションや不動産の販売の売り物にさえなっている、有名校と宣伝するということで。そういうこともあって
子供
が集中するという学校ができたり、一方で、この前もありましたが、都内の幾つかの区では新入生ゼロの学校が生まれる。 学力テストが
子供たち
や学校、
家庭
に深刻な問題をもたらして、学校の荒廃やモラルハザードにもつながるという問題、明らかだと思うんです。 そこで、最後に
小坂
大臣
に伺いたいんですが、そういう中で自治体がやはりこういう問題、どうしようかといろいろ
考え
て、例えば愛知県の犬山市など、学校現場にもたらす弊害が大きくなりはしないかという危惧を表明して、
文部科学省
が計画している、これから具体化されるということですが、全国学力テストに不参加という意思を表明する自治体も出ておりますが、そういう自治体に対してはどういうふうに対応されるというおつもりでしょうか。
小坂憲次
227
○
小坂国務大臣
全国学力
調査
は、今日、
日本
の
教育
のレベルというものをしっかりと把握するという点について、また、それをそれぞれの学校が
認識
をしていただく中で、それぞれに学力の向上に努めていただくという点で、大変意義のあるものだと思っております。そういう観点から、この
調査
のあり方そして公表の仕方をしっかり学校の現場の皆さんに
理解
していただくことが必要です。 私は、学校別に順位をつけてそれを公表するようなことをさせるつもりはありません。まずもって、多くの、例えば都道府県の単位とかそういう単位ではなくて、むしろ、大都市、あるいは中核都市、市
町村
、あるいは過疎地域とか、そういったくくりで公表する等、いろいろなやり方があると思いますので、まずは、これは私だけの
個人
的な見解ではいけませんので、専門家の
会議
の報告を踏まえまして、
調査
の
趣旨
や配慮すべき事項について、各都道府県や市
町村
に、それをしっかりおまとめいただいたことをお伝えして、そして
理解
を得る
努力
をしてまいります。 そういった中から、ただいま御
指摘
の犬山市のような、今のところではこれはとても参加できそうもないなとおっしゃるようなところの方々にもしっかりと御
説明
をして、国としての、全国的な
教育
の機会均等と水準維持の向上に責任を負っているわけですから、そういった
意味
で、児童生徒の学力状況や
生活
習慣、
学習
環境等を全国的に把握するその必要性について御
理解
をいただき、今回の学力テストにすべての都道府県や市
町村
が協力して参加していただけるように、十九年度の実施に向けて御
理解
を得る活動をしっかりと展開させるように指示を出しているところでございますし、不参加の意向を明確に表明した自治体というのは、犬山市の場合も、私どもが聞きますと、いや、そんな表明は行っていないとおっしゃっておりますので、明確に表明された自治体はないと
理解
をいたしているところでございます。
笠井亮
228
○
笠井
委員
理解
いただくというのは、そういう
努力
するという話はありましたが、最終的判断は自治体でもちろんできるわけですね。これは学テの判決の関係もありますから。そこのところ、どうですか。
銭谷眞美
229
○
銭谷
政府参考人
全国的な学力
調査
、参加、不参加、最終的な意思決定は、もちろん市
町村
の
教育
委員会
が行うものでございます。
笠井亮
230
○
笠井
委員
勝ち組や負け組というふうなことがあおられて、やはりそういう政治がやられる中で、結局、こういうテストを全国的にやったら、順位づけけしからぬといったって、そういうふうになっていくわけです。そして、こういう
基本
計画ということでやる中で、結局全国で押しつけていくことになる。十七条の問題一つとっても、やはり
教育基本法
の改悪はするべきでないということを申し上げて、質問を終わります。
森山眞弓
231
○
森山委員長
次に、糸川正晃君。
糸川正晃
232
○糸川
委員
国民
新党の糸川正晃でございます。 昨日、小泉総理に学校
教育
に対しての国の責任についてお尋ねをしたわけでございます。総理は、
教育
の質の保証については国に責任がある、こういうふうにお答えいただいたと
理解
をしておるわけでございます。 私は、地方公共団体がそれぞれ工夫をして、地域や伝統、こういう特色を出した
教育
を行う、これは実に好ましいことではないのかなというふうに思います。また、そういうふうにあるべきだというふうにも思っているわけでございます。 ただ一方で、学校
教育
、特に義務
教育
であれば、たまたま
子供
が、ある県に生まれた、だから、ほかの県では当然に受けることができる
教育
を受けることができなかったとか、それから、ほとんどの市
町村
では当然
子供
に教えるべきこととして行われている
教育
が、たまたまある市や町、そういうところで育ったから、生まれたから、受けることができなかったとか、そういうことは避けなければならないと思っているわけでございます。 国としては、義務
教育
について、このような
教育
の機会均等ですとか
教育
の水準維持といったことについてはきちんと責任を持つべきである、こういうふうに思うわけで、これははっきりとしておく必要があるのではないかなというふうに思うわけでございます。 そこで、例えば、
学習
指導要領を定めたりとか、それが地方公共団体できちんと実施されているかどうかなど、義務
教育
の機会均等と全国的な水準の維持向上というんでしょうか、そういうこと、それから、義務
教育
について最終的な責任は国にあるんだ、こういうことはしっかりと確認をしなきゃならないものですから、
文部科学大臣
の御見解をお聞かせいただければというふうに思います。
小坂憲次
233
○
小坂国務大臣
憲法
第二十六条に、すべての
国民
の
教育
を受ける権利、特に無償の義務
教育
、普通
教育
を受ける権利を保障しておるわけでありまして、このことを受けて、国は学校
教育
の
基本
的な仕組みを整備する責任を負っている、このように思います。特に、義務
教育
につきましては、
教育
の機会均等や全国的な
教育
水準の維持向上、無償制という義務
教育
の根幹を保障する責任を負っております。 昨年十月、中央
教育
審議会
において、義務
教育
の構造
改革
についての答申をいただきました。その中では、義務
教育
へのインプットにおいては、インプットという言い方があれですけれども、国が
学習
指導要領の策定などによる目標設定と義務
教育
費の確実な財源保障など
基盤
整備の責任を負っている。また、プロセスにおいて、すなわち市
町村
と学校に権限を与える分権
改革
、これの部分においては、分権
改革
を進め、そして最終的なアウトプットにおいては、
教育
の結果の
検証
のために全国的な学力
調査
の実施や学校評価システムの構築など、これらは国が責任を持って行うことによって、義務
教育
の質の保証、そして責任を担うことができるんだと。 したがいまして、
文部科学省
としては、この提言を踏まえながら、
教育
の実施面について市
町村
や学校の権限と責任を拡大する分権
改革
を進めるとともに、
教育
の機会均等や全国的な
教育
水準の維持向上のための義務
教育
のインプットとアウトカムの部分につきましては、国としてしっかりと責任を持ってまいりたいと存じます。
糸川正晃
234
○糸川
委員
国としてしっかりと責任を持っていく、やはりその
言葉
を聞きたかったわけでございます。ありがとうございます。 それでは、引き続きまして、前回の一般質疑に続きまして、法案の条文について少し質問させていただきたいというふうに思います。 まず初めに、第十条の
家庭
教育
についてお伺いをさせていただきたいというふうに思います。 この
家庭
教育
は、本来、
家庭
という私的空間の中で親が
子供
に対して行う
教育
である。本来的には親の責任に基づいて行われるべきであるというふうに
考え
ておるわけでございます。今回の法案では、
家庭
教育
についての条文が、これはどういう
趣旨
で新たに設けられたのか、そこをまずお伺いさせていただけますでしょうか。
小坂憲次
235
○
小坂国務大臣
他の
委員
の御質問でもお答えを申し上げたところでございますが、
家庭
教育
はすべての
教育
の出発点でありまして、
基本
的倫理観や
社会
的なマナー、自制心や自律心などを育成する上で大変重要な役割を担っているわけでありますので、改正法案の第十条におきまして、父母その他の保護者は、子の
教育
について第一義的な責任を有することを明確にし、
家庭
教育
の役割について規定するとともに、国や地方公共団体による
家庭
教育
の支援について規定をいたしております。 同時に、
家庭
教育
は、本来、保護者の自主的な判断に基づいて行われるべきことであることから、それに十分配慮をいたしまして、第二項において、
家庭
教育
の自主性を尊重するということを明示的に規定しておるところでございます。 なお、この条文というのは、個々の
家庭
における具体的な
教育
内容
について規定はいたしておりません。それはなすべきでない、このようなことを
法律
で新たに設けるという意思ではないということをここで付言させていただきたいと思います。 また、具体的にどのようなことをやっているかということにつきましては、必要があればさらに細部にわたって
答弁
させていただきたいと存じます。
糸川正晃
236
○糸川
委員
人は
家庭
で生をうけるわけでございます。だれもが最初は親に
教育
を受ける。そして育っていくわけでございます。この
家庭
教育
の重要性、こういうものは時代にかかわらず不変であるというふうに
考え
ておるわけでございます。しかしながら、最近では、
家庭
における
子供
への虐待が報道されたり、それから、
家庭
の
教育
力の低下が問題視をされているわけでございます。このような状況を改善するためには、まず親が
子供
としっかりと向き合って、そしてコミュニケーションをとる、こういうことが大切であるというふうに思います。 そうすると、行政はそのためにどういう支援をしていくのか、そういうことをまた
考え
ていく必要があって、それを十分にすることが必要であるというふうに
考え
ているわけでございます。 一方で、
家庭
という私的空間への国ですとか地方公共団体のかかわりというものは、これは抑制的でなくてはならないというふうに
考え
ています。 そこで、現在行われている
家庭
教育
支援の具体的
内容
、それから、改正を踏まえて、今後、どのような支援の実行というものを行って、そして充実を図っていくのか、国のかかわり方も含めて、お答えいただければというふうに思います。
田中壮一郎
237
○
田中
政府参考人
家庭
教育
支援に関するお尋ねでございますけれども、
文部科学省
におきましては、まず、妊娠時期あるいは就学時健康診断といった多くの親御さんが参加するような機会を活用いたしまして、子育て講座というようなものを全国的に展開しておるところでございます。 また、乳幼児あるいは小中学生を持つ親御さんに対して、
家庭
教育
手帳、子育てヒント集としての
家庭
教育
手帳を配付させていただいております。 それから、子育てやしつけについて
友人
のような関係で気軽に相談に乗れるというような体制づくりということで、地域でそういうアドバイスを行っていただく子育てサポーターというものを養成いたしまして、現在、その資質向上にも取り組んでおるところでございます。 それから、御
家庭
によっては地域の方々になかなか相談できないというような御
家庭
もあるわけでございまして、そういうところには、私どもが担当しております子育てサポーターと、厚生労働省の関係でございますけれども、保健師の方あるいは民生
委員
の方が協力をいたしまして、そういう御
家庭
に
家庭
訪問をする、出前型の
家庭
教育
支援といったようなものにも取り組んでおるところでございます。 それから、さらに、
子供
の健全な育成のために地域ぐるみで取り組むことも非常に重要だろうということを
考え
ておりまして、本年度からは、
子供
の望ましい
基本
的な
生活
習慣を育成して
生活
リズムを向上させようということで、PTAを初めとする民間団体に組織をつくっていただきまして「早寝早起き朝ごはん」運動というようなものも展開させていただいておるところでございまして、今回、第十条を新設させていただくことにしておるわけでございまして、その
趣旨
を踏まえまして、さらに
家庭
教育
の支援というものに
努力
をしてまいりたいと
考え
ております。
糸川正晃
238
○糸川
委員
このような取り組みが展開されるということは、実際、
家庭
の
教育
力の向上だけではなくて、報道によりますと、出生率が非常に低下して、またさらに低下して、昨年は一・二五だった、本当に過去最悪だということでございます。この
少子化
対策の
目的
ということとも同一にするものであるのではないかなというふうに
考え
るわけでございます。 それは、この
少子化
、人が
子供
を産みたくない原因の一つとして、子育てに対する不安ですとか悩み、こういうものがあるというふうに思うからでございます。一人でも多くの親が、
家庭
教育
への支援などを通じて、子育ての不安ですとか悩みですとかそういうものを解消する、そういうことこそが
少子化
の解消への第一歩になるのではないかな。そして、ひいては、
社会
ですとか経済の活力の増加へ、こういうふうにつながっていくのではないかなというふうに思うわけでございます。 そこで、現在の
少子化
対策の取り組み、また今後の取り組みの方向性について、まず
猪口大臣
にお伺いをして、それから
小坂
文部科学大臣
にお尋ねをさせていただきたいというふうに思います。
猪口邦子
239
○
猪口国務大臣
糸川先生にお答え申し上げます。
家庭
教育
との関係におきます
少子化
の取り組みとしましては、私は、保護者としては、自信を取り戻してしっかりと伝えるべきことを、マナーにせよ、いろいろな心得るべきことについても伝えることができるようになることが重要であると思っております。そういう観点から、
家庭
教育
を強化するということは、やはり保護者を支援していく、支援の視点というのがとても重要ではないかと
考え
ております。
文科大臣
が
答弁
されましたとおり、
家庭
の自主性を大事にしつつ
家庭
を支援していく、そのような観点は、子ども・子育て応援プランの中に実はしっかりと組み込まれておりますので、この
教育基本法
の
政府
案の成立を受け、そのような観点を一層強化していきたいと
考え
ております。 一般的な
少子化
対策の取り組みにつきましては、もう既にいろいろと
説明
させていただいておりますけれども、エンゼルプラン、新エンゼルプラン、共働き
家庭
を支援するということを超えて、無論、引き続き待機児童ゼロ作戦を続けますけれども、いわゆる専業主婦の方も、非常に孤立した育児の中で、孤独な育児と言うんですけれども、そういう中で悩んでおられたり自信を喪失している。できるだけ地域の中で、親子で立ち寄ってもらって、相談したり、
友人
をつくったり、あるいは一時的にお子さんを預けたり、そういう地域の全
家庭
対策としての拠点づくりなども重要であろうと思いますし、午前中も
答弁
申し上げましたのですが、家族と過ごす時間をふやしていくためには、働き方の見直しなど、民間企業に協力を得なければならないところも多い。 また、
少子化
対策の、直接的ではないかもしれませんけれども、重要なところとしては、若い世代において、所得が不安定であるということから結婚、出産の決定を先延ばしにするということがあるとすると、若者の就労支援なども重要であり、また、出産期を迎えて子育てに入った
家庭
においては、引き続き、経済的な不安がある場合にはその支援も重要である。 このように、さまざまな支援を総合的、体系的に組み合わせないと、なかなか皆さんが安心して、子育て環境が改善したと思っていただけるようにならないと思い、ぜひ積極的に施策を拡充していきたいと
考え
ております。
小坂憲次
240
○
小坂国務大臣
少子化
の進行がなお一層加速しているという数字が出まして、大変ショックでありますけれども、
社会
や経済の活力を低下させるということにおいて深刻な問題であります。
子供
の立場に立って
考え
ても、
子供
同士の
社会
というものが小規模化して、お互いに切磋琢磨するような機会が減少するということにもなりますし、親が過保護になったり干渉し過ぎたり、そういった
家庭
教育
面でもいろいろな問題が
指摘
されることになってしまいます。 したがいまして、
文部科学省
としては、これまでも、
猪口
少子化
担当
大臣
、また厚生労働
大臣
等と連携をしながら、子ども・子育て応援プランに基づきまして
少子化
対策を進めてきたところでございまして、具体的に申し上げますと、
家庭
教育
手帳の作成、配付、また、
家庭
教育
への支援、幼稚園における子育てへの支援、
子供
の居場所づくり、
教育
に伴う経済的負担の軽減策等を推進しているわけでありまして、今後の取り組みの方向性としては、特に力を入れるべきとして四つ挙げております。 一つは、安全、安心な子育て推進のための、地域全体で学校安全対策を進める、そういう地域全体の学校安全体制の推進施策、子ども安心プロジェクトの中の地域ぐるみの学校安全体制整備推進事業という名前になります。また、
子供
の安全に関する情報の効果的な共有システムに関する
調査
研究予算、また、子ども待機スペース交流活動推進事業等々でございますけれども、こういった事業を進め、また、第二点目として、放課後の安全、安心な子どもの居場所づくりへの取り組み、これを一層推進するために、来年度からは厚生労働省と協力をいたしまして、
少子化
担当
大臣
のもとで両省の事業を
一体
化あるいは連携して推進するという形にしまして、私どもは、学びの居場所という仮称でつくっておりますが、
少子化
担当
大臣
の御提言は、放課後子どもプランというような名前になるというようなことも今
考え
ております、これから決めてまいりますが。 市
町村
の
教育
委員会
が主体になって、厚生労働省と文科省の予算を
一体
的に運営できる環境を整えて、そして、そこの福祉部局のもとで、小学校内においての居場所をつくり、そこに、退職教員を初めとした地域ボランティアによる
学習
の機会も含むさまざまな支援を行っていく。こういうことで、経済的な理由で塾に行けない
子供たち
が、そういう塾にかわる機会が得られるような、そういった学びの居場所というものも私どもは提供をしたいということで、予算を今厚生労働省とともにとって全国的に推進をしたい、こう
考え
ております。 少しはしょりますが、三番目は、幼児
教育
段階における保護者負担の軽減、それから奨学金事業、そして私学助成の充実でございます。 第四番目は、家族のきずなの再生が求められているということを踏まえまして、子育ての楽しさや
家庭
の重要性についての
認識
を深めるための中高生に対する子育て
理解
教育
、また、学校
教育
や
家庭
教育
の中での命の大切さと
家庭
の役割についての
理解
の促進、こういったことを、この四点を特に関係省庁と連帯を含めて推進をしたい、このように
考え
ているところでございます。
糸川正晃
241
○糸川
委員
私もまだ結婚しておりませんで、当然のことながら
子供
がいないわけです。ですから、独身のうちから、ぜひ、子育てをしたらどういうふうになっていくのかということを勉強をさせていただける、
教育
を受けさせていただければ、安心して子育てが行えるのかなというふうに思うわけでございます。
少子化
の進行というものは、
社会
経済システムですとか、それから地域活動の持続性を根幹から揺るがす可能性を秘めているわけでございまして、
政府
にとっても、
少子化
対策、こういうものは既に九〇年代から、エンゼルプラン、こういうものを作成して精力的に取り組まれてきたというふうに思います。ただ、
少子化
の進行には、先ほどお話ししましたように歯どめがかかっていない。 それで、
大臣
は、
少子化
担当の初の専任
大臣
として、昨年十月の就任以来、全国各地にいらっしゃって各知事と
政策
対話を行われてきた、この分野の推進に全力を尽くされてきたというふうに思っております。 そういう経験を踏まえて、これまでの
政府
の
少子化
対策の問題点、これは何だったのか、これを今
認識
をされて
考え
ていらっしゃるかどうか、御見解をお聞かせいただければというふうに思います。
猪口邦子
242
○
猪口国務大臣
糸川先生、ありがとうございます。 私は、就任以来、全国を十ブロックに分けまして、
自分
みずから出向いて、そこに全県知事に集まってもらって、知事みずから、自治体こそが
少子化
対策の拠点であって、陣頭指揮をとってもらわないと困るんだということを訴えていったんですね。行く先々で、また地元の新聞もそういうことを特集してくださって、きっとそういうことに触れる方も多かったのではないかと思います。 せっかくの機会ですからお伝えさせていただきたいんですけれども、合計特殊出生率の昨年の分についてあのような数字が出たんですけれども、ことしに入ってから実は婚姻数が非常に着実に増加方向に大きく転換しているのでございます。 私は、もう身を挺して、とにかく現場に行って、そして一人でも多くの責任ある立場の方々、これは自治体のさまざまな職員の方々ですね、そういう方
たち
と一緒に、
大臣
として、まさに御一緒にこの問題を
考え
、現場の意見を聞き、そして地方の声を国政の場において、そして
政策
形成の場においてしっかりと受けとめていきたいという思いを伝えてきたわけです。 引き続き、十ブロック終わりましたけれども、今度は企業の担当者
たち
ですね、その方
たち
を対象に、また、要望のあるところどこにでも出向いて、そのような
国民
意識の深まりをお願いしていきたいと思っております。 そう申し上げた上で、
政策
といたしましては、幾つかの新しい視点が重要だと思うんです。 それは、まず第一には、先ほど申し上げましたように、共働き
家庭
のみでなく、
日本
では八五%のお子さんは専業主婦の方に育てられていますので、全
家庭
を支援する体制が重要であるという視点。 それから、これは
教育基本法
の
政府
提案の中にも明記されていますとおり、子育ての第一義的な責任は父母ないしその他の保護者にあると。やはり
家庭
でしっかりと
考え
てもらいたい。しかし、今日、核家族化なども進み、なかなか
家庭
も不安の中にありますから、子育ての
社会
で共有できる部分は
社会
として負担を共有しなければならない、子育ては
社会
全体で支えるものだという視点を強く打ち出していく必要があるということですね。支えるのであれば、具体的なサービスの面、多角化し本当のニーズにこたえていく、必要な予算については、これはできるだけ確保するように担当
大臣
として最大限
努力
してまいりたいということでございます。 引き続き、働き方の見直し、両立支援、これは子ども・子育て応援プランの中に既に出ている
考え方
ですから、こういうことは強化していきますが、先ほどからもお伝えしておりますとおり、家族と過ごす時間を就労者の側においてふやすことができるよう、育児休業の取得、あるいは所定外労働なども、小さなお子さんがいる
家庭
についてはもっと経営者が
理解
を、そういうことはできるだけ少なくするように示してくれるということが必要。こういうふうに、
政府
も自治体も、民間企業も地域
社会
も、みんなでこの問題を本格的な国の重要施策として
考え
抜き、連携していくことが重要であると思い、そのような機運をつくることも私の仕事であると
考え
ております。
糸川正晃
243
○糸川
委員
問題点と次の取り組みまでしっかりとお答えいただいたので、もう取り組みを聞く必要がなくなったなというふうに思ったので、ありがとうございます。 私も、急激に婚姻率がふえた、上昇したということですから、今、後ろの方からも早く結婚した方がいいということですので、またそれは検討したいというふうに思います。 そんな私ですけれども、幼児
教育
についてもう少しお尋ねをさせていただきたいなというふうに思うわけでございます。 今回のこの法案では、
家庭
教育
だけでなくて幼児
教育
についても新たに一条を設けて規定されておるわけでございます。私もそうでありましたが、人が一生を生きるに当たって、幼児期に受けた
教育
というものはその人格の基礎となるものではないかなというふうに
考え
ておるわけでございます。そういった
意味
で、この幼児期の
教育
というものは非常に重要であるというふうに
考え
ておるわけでございます。 今回の条文に規定されております法案の第十一条の
趣旨
について、
文部科学大臣
から御
説明
いただきたいと思います。
小坂憲次
244
○
小坂国務大臣
私は、糸川
委員
から御質問をたびたびいただいております
文部科学
委員会
においても、幼児期の
教育
ということで、就学前
教育
の議論の中で申し上げてまいりました。 よく三つ子の魂百までと申しますけれども、まさに幼児期に受けた影響というのは、一生を通じて人間形成の中で大きな影響を持つものだというふうに
認識
をいたしておりまして、生涯にわたる人間形成の基礎が培われるこの重要な時期に、
教育
はしっかりと
子供
の心身の健やかな成長を促す、そういう姿勢で行われなければいけない重要な意義を持っていると思っております。 近年、
基本
的な
生活
習慣や態度が身についていないこと、自制心や抵抗力といいますか、忍耐と言った方がよろしいかもしれませんが、規範意識、これらが十分に育っていないことが課題として
指摘
もされております。このような状況を踏まえまして、本案の第十一条は、
家庭
や幼稚園等における
教育
のみならず、地域
社会
において幅広く行われる
教育
も含めまして幼児期の
教育
の重要性を規定するものでありまして、あわせて、国及び地方公共団体がその振興に努めなければならない旨も新たに規定をしたものでございます。 なお、中央
教育
審議会
の平成十五年三月の答申の中では、幼児
教育
について新たに規定すべきとの提言はなかったのでございますけれども、その後平成十七年一月に提言された幼児
教育
のあり方に関する中教審答申、「子どもを取り巻く環境の変化を踏まえた今後の幼児
教育
の在り方」という形で答申をいただきましたが、また、本年四月に
与党
協
議会
の最終報告なども、新たに幼児
教育
の項目が盛り込まれておったところでございまして、こういった観点も踏まえまして、十一条の規定を設けさせていただいたところでございます。 そういった
意味
で、
委員
の、先ほども子育てに参加をしようという意欲を示されましたけれども、ぜひとも幼児
教育
の面にも御
理解
を賜るように、そのような
理解
できる環境を私も支援したいと思いますので、よろしく頑張っていただきたいと思います。
糸川正晃
245
○糸川
委員
ありがとうございます。 もうほとんど時間がございませんので、最後に副
大臣
にお尋ねをしたいんですけれども、現在、
国会
におきまして、
文部科学省
と厚生労働省が共同して、認定こども園に係る
制度
の創設ということを含む法案が
審議
されておりまして、幼児期の
教育
の関係では厚生労働省とさまざまな連携がされているというふうに思うわけでございます。 そもそも、この幼稚園と保育所というものは、その
目的
や機能に違いがあるということは承知しているわけでございますが、両施設とも小学校入学前の
子供
を預かる施設であるということは間違いないわけでございまして、私は、これらの施設における
教育
というものは、幼稚園児ですとか保育所児の区別なく、
教育基本法
の
精神
に基づいて行われるべきだというふうに
考え
ておりますが、どのようにお
考え
でしょうか。
馳浩
246
○馳副
大臣
御
指摘
のとおりです。これまでも、幼稚園の
教育
要領と保育所保育指針において、整合性を持って行われてきております。
糸川正晃
247
○糸川
委員
どうもありがとうございました。 きょうはちょっと私的な発言もございましたが、また来週月曜日からしっかりと議論をさせていただきたいと思います。 ありがとうございました。終わります。
森山眞弓
248
○
森山委員長
次回は、来る五日月曜日午前九時四十分
理事
会、午前十時
委員会
を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後四時三十六分散会