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小池国務大臣 確かに六十年というのは十分に長い期間でございます。それは、元
島民の方々等も御一緒に、
土肥先生とともに、昨年、現地へ参らせていただいたわけでございますけれ
ども、少女時代には
択捉にある郵便局の窓口に、私はここに座っていたんだという方が、もう七十幾つでございます。そういった時の流れというのは、本当に元
島民の方々にとっては、短いような、それとも圧倒的に長いような思いだと思います。
また、国家としても、領土というのは主権の一番大きな部分でございますので、これをどうやって確保するかというのは、何にも増して優先事項とすれば大いに高いところにあるわけでございますが、これまでもこの返還運動ということを積み重ねて、絶えることなくこの間続けてきた。そのためにも、四島交流事業というのは引き続き、その目的を達するまで続けていかなければならないと思っております。
また、その交流事業の中でも、
平成十年からは、学術、文化、社会などの専門家による専門家交流な
ども行っております。それから
平成十一年からは、元
島民、その家族たる日本国民によります
北方領土への最大限に簡素化されたいわゆる自由訪問が始まっている。こうやって交流を続けることで、ある種、
北方領土に住んでいるロシアの
人たちに対して、日本人は怖くないんだよ、日本と一緒に行った方が楽だよというようなことをしみ込ませていくという形でこのビザなし交流を続けてまいった次第でございます。
ある種、彼らにとってもウイン・ウイン、ウイン・ウインと言えるかどうか、日本は必要だなということをよく
理解してもらうためにも、例えば日本語講師に行っていただいたり、それから海洋環境専門家であるとか地震専門家などの交流を行っております。特に
北方四島での地震はかなり被害も実際あったわけで、橋が壊れていたところを四WDでそのまま突っ切っていって、このまま私はおぼれるんじゃないかと思って心配した一瞬もございましたけれ
ども、地震によって橋は壊れていました、まだまだあちこちに地震の影響はございました。またこれから地震が起こらないとも限らないということから、ことしはビザなし交流の中に地震の専門家をこちらから送ろうということを言っているんですけれ
ども、ロシア国内の手続のおくれなのか何なのかよくわかりませんけれ
ども、それは取りやめになって、どうなっているのかなというところでございます。
いずれにしても、交渉をするという外交の舞台と、それから、今いる
島民の方々とそして日本側の私たちとうまく円滑な事業を進めて、青年、女性、労働、教育といろいろな
関係の団体などと交流を進めて、モスクワが何と言おうとやはり日本がいいわというような
状況がつくれるように努力をしてまいるというのも、地道ではありますけれ
ども、必要なことではないかと思っているところでございます。