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2005-10-13 第163回国会 衆議院 日本国憲法に関する調査特別委員会 第3号
公式Web版
会議録情報
0
平成十七年十月十三日(木曜日) 午前九時
開議
出席委員
委員長
中山
太郎
君
理事
愛知 和男君
理事
近藤
基彦君
理事
福田 康夫君
理事
三原 朝彦君
理事
保岡
興治
君
理事
枝野 幸男君
理事
古川 元久君
理事
赤松 正雄君
赤池
誠章
君 井上 喜一君
伊藤
公介
君 遠藤 武彦君
越智
隆雄
君 大村 秀章君 加藤 勝信君
木挽
司君 佐藤 錬君
篠田
陽介
君 柴山 昌彦君 関
芳弘
君
薗浦健太郎
君 高市 早苗君
渡海紀三朗
君 中谷 元君 野田 毅君 葉梨 康弘君 早川 忠孝君 林 潤君
平井たく
や君 二田 孝治君 船田 元君 松野 博一君
松本
洋平
君 森山 眞弓君 山崎 拓君 吉田六
左エ門
君
渡辺
博道
君
石関
貴史
君 岩國 哲人君 小川 淳也君
大串
博志
君 逢坂 誠二君
北神
圭朗
君 郡
和子
君 鈴木
克昌
君
園田
康博
君
田中眞紀子
君 筒井 信隆君 平岡 秀夫君
柚木
道義
君
横山
北斗
君
伊藤
渉君 太田 昭宏君
高木美智代
君 福島 豊君 笠井 亮君
辻元
清美君 滝 実君 …………………………………
参考人
(
上智大学大学院法学研究科教授
)
高見
勝利
君
参考人
(
香川大学大学院香川大学
・
愛媛大学連合法務研究科教授
)
高橋
正俊
君
衆議院憲法調査特別委員会
及び
憲法調査会事務局長
内田
正文
君
—————————————
委員
の異動 十月十三日
辞任
補欠選任
河野
太郎
君
薗浦健太郎
君
坂本
剛二君
木挽
司君
渡海紀三朗
君 関
芳弘
君
渡辺
博道
君
松本
洋平
君
北神
圭朗
君
横山
北斗
君
仙谷
由人
君
柚木
道義
君
園田
康博
君 郡
和子
君
高木
陽介
君
高木美智代
君 亀井
久興
君 滝 実君 同日
辞任
補欠選任
木挽
司君
赤池
誠章
君 関
芳弘
君
渡海紀三朗
君
薗浦健太郎
君
河野
太郎
君
松本
洋平
君
渡辺
博道
君 郡
和子
君
大串
博志
君
柚木
道義
君
石関
貴史
君
横山
北斗
君
北神
圭朗
君
高木美智代
君
伊藤
渉君 同日
辞任
補欠選任
赤池
誠章
君
篠田
陽介
君
石関
貴史
君
仙谷
由人
君
大串
博志
君
園田
康博
君
伊藤
渉君
高木
陽介
君 同日
辞任
補欠選任
篠田
陽介
君
越智
隆雄
君 同日
辞任
補欠選任
越智
隆雄
君
坂本
剛二君
—————————————
本日の
会議
に付した案件
日本国憲法改正国民投票制度
及び
日本国憲法
に関する件 ————◇—————
中山太郎
1
○
中山
委員長
これより
会議
を開きます。
日本国憲法改正国民投票制度
及び
日本国憲法
に関する件について
調査
を進めます。 本日は、
本件調査
のため、
参考人
として
上智大学大学院法学研究科教授高見勝利
君及び
香川大学大学院香川大学
・
愛媛大学連合法務研究科教授高橋正俊
君に御
出席
をいただいております。 この際、両
参考人
に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多用中にもかかわらず御
出席
を賜りまして、まことにありがとうございます。
参考人
それぞれのお立場から忌憚のない御
意見
をお述べいただき、
調査
の
参考
にいたしたいと存じます。 本日の議事の順序について申し上げます。 まず、
高見参考人
、
高橋参考人
の順に、それぞれ三十分以内で御
意見
をお述べいただき、その後、
委員
からの
質疑
に対しお答え願いたいと存じます。 なお、発言する際はその都度
委員長
の許可を得ることとなっております。また、
参考人
は
委員
に対し
質疑
することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。 御発言は着席のままでお願いいたします。 それでは、まず
高見参考人
、お願いいたします。
高見勝利
2
○
高見参考人
本日は、貴
委員会
において
意見陳述
の
機会
を賜り、まことに光栄であります。早速、本題に入らせていただきます。 ちょうど一月前の九月十四日、
最高裁
大
法廷
は、
在外国民
の
選挙権
を
剥奪
または
制限
する
公選法
の
規定
を
違憲
とする
判決
を下したのでありますが、この
判決
につきまして、ここでは特に、
憲法
が
国民固有
の
権利
として
保障
している
選挙権
の
制限立法
を
違憲
とする
判断
を示したという点に注目したいのであります。 それは、
選挙権
と同様、否、むしろ
選挙権
以上に、
憲法
上、
主権者
たる
国民
にとって重要な
意味
を持つ
憲法改正国民投票権
、以下、
国民投票権
と略しますが、この
国民投票権
の
行使
にかかわる
手続法
の
立案
に当たって、今回の
判決
で示された
憲法判断
は十分に尊重し踏まえられなければならないと考えるからであります。 また、その際、今回の
判決
を導いた
判断
の
枠組み
が、昨年一月十四日の
参議院選挙
区の定数不
均衡訴訟
に関する大
法廷判決
多数
意見
にくみした四人の
裁判官
の考え方、すなわち、
立法
に際して、
憲法
に直接
保障
されていると考えられる事項の評価、
判断
に誤りがないかどうかを綿密に審査するという新たな
思考枠組み
のもとでなされたものであるということに留意したいと思うのであります。 なお、時間の
関係
もございますので、今回の
判決
との
関係
で、
憲法改正国民投票制
の
法的整備
に当たって考慮な
いし
留意すべき四つの点を中心にお話しすることにし、
判決
の
射程外
にある
国民投票制
の
立案
に当たって検討を要する種々の
問題点
については、後ほど、
質疑
にお答えする中で、必要に応じて
意見
を述べさせていただくことにいたします。 そこで、まず、九月十四日
判決
の第一に留意すべき点でありますが、それは
判決文
の中で、以下、
引用
でございますけれども、「
憲法
は、
国民主権
の
原理
に基づき、両議院の
議員
の
選挙
において
投票
することによって国の
政治
に参加することができる
権利
を
国民
に対して
固有
の
権利
として
保障
して」いると述べている
箇所
にかかわるものであります。
判決
のこの
箇所
は、
憲法
上、
選挙権
がどのような
位置づけ
にあるかを示したものであります。すなわち、
憲法
上、
選挙権
は
国民主権
の
原理
に基づく
国民固有
の
権利
として
保障
されているとするものであります。ここで私どもが問題としなければならないのは、
選挙権
との
関連
で
国民投票権
はどのような
憲法
上の
位置づけ
になるのかという点であります。 最初に、
言葉
の定義から申しますと、
憲法
の
改正
とは、
憲法典
の
正文
を
憲法典自体
にあらかじめ
定め
られた方法によって意識的に
変更
する
行為
であります。
憲法
は、この
憲法改正
の
権能
な
いし
権力
について、
前文冒頭
の「ここに
主権
が
国民
に存することを宣言し、この
憲法
を確定する。」とした
国民
が、その
憲法
について、第九十六条を
根拠
に
国民
みずからがこれを
行使
するものとしているのであります。この点で、
憲法
上の、つまり
憲法
で組織された
立法機関
である
国会
を
構成
する
議員
を選出する
選挙権
、それは
憲法
十五条や四十四条等にその
根拠
を有するのでありますが、その
選挙権
とはその本質的な
性格
を異にするのであります。
最高裁判決
は、
選挙権
は「
国民主権
の
原理
に基づき、」「
国民
に対して
固有
の
権利
として
保障
」されたものであるとし、それが
国民主権原理
に基づく
権利
であることを明示しております。これとの対比で申しますと、
国民投票権
は
国民主権
にまさに直結する
権利
であります。 すなわち、ここで、
主権
とは国の
政治
の
あり方
を最終的に決める力または
権威
の
意味
、
言葉
をかえて申しますと、いわゆるこの国の形について、その大枠を
定め
る
憲法
という名の法典な
いし
法規を定立する力または
権威
ということになりますが、そのオリジナルな
憲法制定権力
を有する
国民
が、
憲法
の
制定
と同時に
憲法
の中に入り込み、みずからが
定め
た
憲法
の
手続
に従って、
憲法
の
基本原理
の枠内でその
規定
の
改廃等
を行う
権利
、
権能
をみずから留保する、これが
憲法
九十六条に
定め
のある
憲法改正権
の本質であります。 したがって、
憲法改正権
は、その
行使
に当たって、
憲法
上、
一定
の制約のもとに服するとはいえ、最も強い
意味
で
主権者
たる
国民
に
固有
の
権利
な
いし
権力
であり、
憲法
九十六条はその
発動要件
を
規定
したものであります。 これが第一に留意すべき点であります。 次に、第二に留意すべき点は、
憲法
上の
国家機関
である
国会
を
構成
する
議員
を
選挙
する
国民
、この
国民
と、その
国会
のよって立つ
憲法そのもの
の
変更
に参加する
国民
とが、その
人的範囲
において全く同じものであるべきだと考える必要があるのかどうかという点であります。
憲法
は、第十五条三項で、
選挙
について「
成年者
による
普通選挙
を
保障
する。」としておりますが、しかし、第九十六条の
国民投票
に関する
国民
の
参加資格
については特段明示しておりません。 そこで、
選挙
と
国民投票
とでは、たとえその
作用
について
さき
に述べたような本質的な違いがあるとしても、最も広い
意味
での
国政
への
参加資格
の問題であるという点では共通しておりますので、ここは、いわゆるもちろん
解釈
によって、
憲法そのもの
の
変更
の
可否
を決める
国民
もまた、もちろん、
憲法
上、
成年者
でなくてはならぬということになるでありましょう。問題は、
法律
の
レベル
、すなわち、
公選法
九条一項で
定め
られている
年齢
満二十年に達した者だけが
憲法
九十六条の
国民投票
に参加する
資格
を有すると解する必要があるのかという点にあるのであります。 この点について考える際に、まず、
最高裁裁判官
の
国民審査
と
国民投票
との違いに注意しておきたいと思うのであります。 ここでも、
選挙
の場合と同様、
憲法
上組織された
機関
たる
最高裁
の
構成
に関する
国民審査
と、
主権
もしくは
憲法制定権力
と直結する
憲法改正権
との間に本質的な違いがあることに留意すべきであります。すなわち、
最高裁判所
もまた
国会
と
同様憲法
上の
機関
であり、したがって、その
構成員
たる
裁判官
の
国民審査
は
議員
の
選挙
と同じ
性質
の
作用
であり、しかも、この
国民審査
は
憲法
上常に
衆議院
総
選挙
の際に実施されることになっておりますので、この
国民審査
に
公選法
で
規定
する
選挙人名簿
で
衆議院議員
総
選挙
について用いられるものを用いることは、特に問題はないのであります。 ところが、
国民投票
については、直ちにこのような
選挙人名簿
を用いてよいということにはならないのであります。確かに、
憲法
九十六条一項二文には、
国民
による
承認手続
として、「特別の
国民投票
」のほかに「
国会
の
定め
る
選挙
の際行はれる
投票
」が挙げられておりますので、
選挙人名簿
を用いることが
憲法
上も当然予定しているとの
解釈
も成り立ち得ないわけではありません。 しかし、
選挙
と
国民投票
の本質的な差異を考えますと、
憲法
上、
国民投票
は時宜によって
選挙
と同時に行われるものであっても、
原則
は、あくまで特別の
国民投票
にあるものと解すべきでありますので、
選挙人名簿
とは別の
国民投票人名簿
を調製し使用するという選択肢も、
憲法
九十六条の
理解
としてはあり得るのであります。すなわち、
憲法
九十六条は、いわゆる
選挙人団
と
国民投票人団
とが同一であるべしとの命題を含むものではないのであります。 そもそも、
選挙
のような
憲法
上の
国家機関
の
選任行為
ではなくて、
憲法
それ
自体
に何らかの改変を加えるような
行為
については、それが未来を展望したこの国の形な
いし
その
あり方
を決めるものである以上、そして、そこで決められたことが
憲法規範
として将来の
国民
を長きにわたって拘束するものである以上、可能な限り多くの
国民
が
主権者
としてその
決定
に参加する
資格
を有するものと解すべきでありましょう。
主権者
たるすべての
国民
と
国民投票
に参加し得る
国民
が可能な限り一致することが、
改正憲法
の
正当性
を強め、その安定に資することになるからであります。それゆえ、
国民投票
への
主権者
たる
国民
の
参加資格
については、少なくとも
年齢
満十八年まで下げる工夫がなされてしかるべきものと考えるのであります。 もし、満十八年まで
年齢
を下げることが、
国民投票
の実施に当たって既存の
選挙人名簿
を活用できないがゆえに実務上不都合だというのであれば、この際、
選挙年齢
を満十八年に引き下げればよいのであります。さらに、なお、満二十年をもって
成年
とする
民法
と
整合性
を欠くというのであれば、この際、
民法
の
規定
も一緒に
改正
すればよいのであります。 お隣の韓国では、本年三月、
民法
の
全面改正
を機に
成人年齢
が満二十年から満十九年に引き下げられたのを受けて、六月には
選挙権年齢
も満十九年に下方修正され、現在、
国民投票権年齢
の満十九年への
引き下げ案
が
国会
で審議中だと聞いております。これと同じことを、我が国の場合には逆に、
国民投票権年齢
満十八年と法定することから着手すればよいだけのことであります。 以上が第二点であります。 第三に留意すべき点は、九月十四日
判決
で示された、
選挙権制限
に関する次のような
判断枠組み
であります。 すなわち、それは、
判決文中
の以下の
箇所
、読み上げてみますと、「
憲法
の以上の
趣旨
にかんがみれば、自ら
選挙
の公正を害する
行為
をした
者等
の
選挙権
について
一定
の
制限
をすることは別として、
国民
の
選挙権
又はその
行使
を
制限
することは
原則
として許されず、
国民
の
選挙権
又はその
行使
を
制限
するためには、そのような
制限
をすることがやむを得ないと認められる
事由
がなければならないというべきである。そして、そのような
制限
をすることなしには
選挙
の公正を確保しつつ
選挙権
の
行使
を認めることが事実上不能な
いし
著しく困難であると認められる場合でない限り、上記のやむを得ない
事由
があるとはいえず、このような
事由
なしに
国民
の
選挙権
の
行使
を
制限
することは、
憲法
十五条」等に「違反するといわざるを得ない。」と論じている
箇所
であります。
最高裁
はこの
箇所
で、まず「
国民
の
選挙権
又はその
行使
を
制限
することは
原則
として許され」ないということを確認した上で、
立法
府が
選挙権
またはその
行使
に
制限
を加えようとする場合には、「そのような
制限
をすることがやむを得ないと認められる
事由
」を示されなければならないとするのであります。この「やむを得ないと認められる
事由
」という
表現
は、かつて
労働基本権
の
制限
は、「必要やむを得ない場合」に限られるとして、
公務員
の
労働基本権
を
制限
する
国家公務員法
について
合憲限定解釈
を加えて、これを
合憲
とした
全逓東京中郵事件判決
をほうふつさせるものがあります。 しかし、今回の
判決
では、
選挙権
の
制限
に係る事案であることから、その
制限
が認められるための
要件
は
労働基本権
に比してはるかに厳しく、「そのような
制限
をすることなしには
選挙
の公正を確保しつつ
選挙権
の
行使
を認めることが事実上不能な
いし
著しく困難であると認められる場合でない限り」、
当該制限
は許されないとするのであります。 この
最高裁
の
思考枠組み
、特に
選挙権
を
制限
するにつきやむを得ない
事由
が存するか否かに関する
判断枠組み
は、
憲法
九十六条に
定め
られた
主権者
たる
国民
の
投票権
を実際に発動し得る状態にするために、
法律
的な
手続
、
制度
の
整備
を行うに際しても最大限留意しなくてはならないものと考えます。 それでは、
国民投票
に関する
手続
の
整備
に当たって、その
投票権行使
を
制限
するにつき、やむを得ないと認められる
事由
とは一体何か。思うに、それは、
国民投票
の公正の確保という
利益
であり、差し当たりそれ以外にはあり得ないと思うのであります。したがって、
最高裁判決
の
判断枠組み
からすると、「そのような
制限
をすることなしには
国民投票
の公正を確保しつつ
国民投票権
の
行使
を認めることが事実上不能な
いし
著しく困難であると認められる場合でない限り」、やむを得ない
事由
があるとは言えず、このような
事由
なしに
主権者
の
国民投票権
を
制限
することは
憲法
九十六条に違反するということになるのであります。 このような
判断枠組み
の設定が可能だといたしますと、今回の
最高裁判決
で問題となった
在外国民
について
国民投票権
を
剥奪
または
制限
することは、その
根拠
を欠き、
憲法
上許されないことはもとより言うまでもないことであります。 さらに、
公選法
十一条一項二号及び三号に
規定
されているような、
一般犯罪
を犯し、禁錮以上の刑に処せられ、その刑の執行中の
国民
についても、
主権者
に
固有
の
権利
として
国民投票権
が
保障
されていることに変わりはなく、国には、その
行使
を現実的に可能にするために所要の
措置
をとるべき責務があり、したがって、
国民投票
の公正を確保しつつ
監獄所内等
に
投票場所等
を設置することが事実上不能な
いし
著しく困難であると認められない限り、
国民投票権
の
行使
を
制限
することは、
主権者
の地位から彼らを追放するものであって、
憲法
上許されないということになるでありましょう。そこでは、
一般
に、いわゆる在監
関係
にある者の
権利制限
の
根拠
とされる
監獄
内の
秩序維持
や逃亡のおそれといったことは、おおよそ
主権者
としての
固有
の
権利
を
剥奪
または
制限
する
理由
とはなり得ないのであります。 では、みずから
国民投票
の公正を害する
行為
をした
国民
についてはどうでありましょうか。このような
国民
については、九月十四日
判決
に示されているように、その
投票権行使
に
一定
の
制限
を加えることにはやむを得ない
事由
があるようにも思われます。すなわち、
判決
は、「自ら
選挙
の公正を害する
行為
をした
者等
の
選挙権
について
一定
の
制限
をすることは別」だとし、その
制限
にはそれ自身合理的な
根拠
があるとしているからであります。 ここで、
選挙権行使
の
制限
についてやむを得ない
理由
とは、一九五五年二月九日の
最高裁判決
に示された次の
事由
、以下
引用
でありますが、「
国民主権
を宣言する
憲法
の下において、公職の
選挙権
が
国民
の最も重要な
基本的権利
の一であることは所論のとおりであるが、それだけに
選挙
の公正はあくまでも厳粛に保持されなければならないのであつて、一旦この公正を阻害し、
選挙
に関与せしめることが不適当とみとめられる者は、しばらく、」「
選挙権
の
行使
から遠ざけて
選挙
の公正を確保すると共に、本人の反省を促すことは相当であるからこれを以て不当に
国民
の
選挙権
を奪うものというべきではない。」とするものであります。 この
制限事由
は、一見したところ、そのまま
国民投票
の公正を害した者についても妥当するもののようにも思われます。しかし、
選挙
と
国民投票
との違いをここでも見過ごすわけにはいかないのであります。なぜなら、
国民投票
については、その
性質
上、衆参の
国政選挙
のように定時に繰り返し、
投票
の
機会
がめぐってくるわけではないからであります。したがって、
公選法
で
規定
されているような形で、
一定
の
期間投票権
の
行使
を停止する
措置
はほとんど
意味
をなさないのであります。 そこで、次回の
国民投票
の
機会
を
制限
するといった
措置
も考えられないわけではないのでありますが、しかし、この
措置
は、比較的短
期間
に
憲法
の
改正
が繰り返し実施されるならばともかく、そうでなければ、果たしてどこまで実効的かは疑問であります。また、
権利回復
の
期間
の
定め
がない
停止措置
ということになれば、
一般
の時効との
関係
でも問題が生ずるでありましょう。 このように、いわゆる
公民権停止
に類した
制度
の導入が困難であるとして、そこでさらに、
国民投票
の公正を害する
行為
をした者については、
一定期間
、例えば五年間、
国政選挙等
の
選挙
への
参加資格
を奪うといった
措置
も考えられますが、しかし、
さき
に述べましたように、
国民投票
と
選挙
とは
作用
の
レベル
が違うということからして、この
二つ
を連動させることにはそもそも問題があるということになるでありましょう。 とはいえ、これら
二つ
の
作用
とも、その重要な
公務的性格
からして最大限、公正であることが要請される点では同じであるとして、両者を連動させることには
合理性
があるという
主張
も成り立ち得ないわけではありません。しかし、その場合、
国民投票
の公正を害する
行為
をした者は、高度の蓋然性をもって、
選挙
の公正を害するおそれがあるということを客観的に論証する必要があるでありましょう。その論証が十分に説得的でない限り、そうした
措置
をとることは、
立法
事実を欠くものとして到底許されないということになるでありましょう。この
立法
事実の
顕出
は、いわゆる
公民権停止
中の者について
国民投票権
を
制限
する
措置
を採用するような場合にも当然要請されるでありましょう。 以上が第三点であります。 今回の九月十四日
判決
との
関連
で第四に留意すべき点は、
憲法改正案
の
賛否
をめぐる
言論
に対する
法的規制
の
可否
の問題であります。 そもそも、
国民投票
とは、
国会
の発議した
改正案
について、
主権者
たる
国民
が
賛否
の
意思表示
を行い、その
承認
の有無を決する
行為
であります。
国民
がこの
国民投票
を行うためには、
当該改正案
の
趣旨
及びその
具体的内容
のみならず、それに対する
賛否
の
理由
が
国民投票
に参加するすべての者にとって明確なものとなっていなくてはならないのであります。 そのためには、とりわけ、
国民
の間で
憲法改正案
をめぐる論議が活発に展開され、各人が賛成もしくは反対の
意見
を形成し、その
態度
を決するまでにみずからの
主権的意思
を固めておくことが要請されるのであります。すなわち、この
憲法改正
の
態度決定
に必要な
国民
の
主権的意思
は、
討議
な
いし
熟議を通じて初めて具体的な形をとることになるのであります。したがって、この
国民投票
に至るまでの過程において、
国民
が
討議
、討論に参加し得る自由な
公共空間
が確保されていなければならないのであります。そして、
憲法
二十一条の
言論
、
出版等
一切の
表現
の自由がこの
公共空間
の
保障
に資するのであります。 ここで特に留意しておきたいのは、昨年一月十四日及び本年九月十四日の
判決
が示す新たな
思考枠組み
からすると、
主権
的な
意思表明
にかかわる
国民
の
政治的表現活動
については、
選挙権
もしくは
国民投票権
の
行使
と表裏一体をなすものとして本来自由であるべきであり、その
制限
は、
選挙
な
いし
国民投票
の公正というやむを得ざる
利益
を害する重大な
危険性
が明白に現存するなど、極めて厳格な
要件
のもとでしか
憲法
上許されないといった
判断準則
を導くことも可能であるということであります。 これは、私の
判例理解
からする単なる
推論
にすぎませんけれども、しかし、この
推論
が的外れでないとすれば、
国民投票制度
の設計に当たっても、
公共空間
を形成する
国民
や
マスコミ等
の
表現活動
は本来自由であって、
規制
は
原則
として許されないとの
基本態度
で臨むべきであります。 もっとも、日本ではこれまで
国民投票
の経験が全くありませんので、
改正案
をめぐって、いわゆる
虚偽報道
のたぐいが頻発し、
国民投票
の公正が危険にさらされるおそれがあり、したがって、
最小限度
の
規制措置
は必要だといった
主張
も当然あり得るでありましょう。
国民投票
の
賛否報道
をめぐる
法的規制
の当否については、論理的に次のような
二つ
の
見解
が成り立ち得るものと思われます。 すなわち、一方で、
虚偽報道等
に対しては
取り締まり当局
の乱用にわたらぬよう厳格な
要件
を付した
法律
を
整備
し、
違反行為
に対して厳罰をもって臨むべきだとする
見解
であります。それは、
国民投票
の公正が最も頻繁に危険にさらされるのは、人を欺く
虚偽
の
主張
、インチキな
統計資料等
が
国民
に伝えられる場合であるからで、したがって、そうした
行為
を違法として明確に法定し、刑罰をもって取り締まることは、適切な情報に基づく
討議
を促す上で大いに役立つからだというものであります。 これに対して、他方で、何がインチキで人を欺く
主張
かは、
言論
市場、
公共空間
において自由な
討議
が闘わされる中で
国民
各人がみずから識別すべきものであって、
法律
に基づいて国がその真偽を判別することで実現すべきものではないとする
見解
であります。すなわち、虚言もしくは一部だけしか真実でない
言葉
や非難など、そういったものと闘う最善の方策は、反論な
いし
反対
意見
の自由な表明にあるのであって、とりわけ
憲法
上、
言論
、
出版等
一切の
表現
の自由が
保障
され、自由な
言論
活動が最高の価値を有する社会にあって、そこで闘わされる
主張
の真偽を見きわめることは、
国民
各人が当然みずから果たすべき責務だというものであります。
憲法改正
という
主権
的
国民
意思の表明に必要な
国民
みずからの自由な意思形成の場、いわゆる
公共空間
に国家が
言論
の内容にかかわって
規制
をかけることは、
憲法
九十六条の
国民投票権
の
趣旨
及びそれと表裏一体をなす
憲法
二十一条の
政治
的
言論
の自由の
保障
に照らして許されないものと考えるべきであります。 とは申しましても、
法的規制
として、例えば、金銭等の供与でもって新聞、雑誌の紙面の
主張
が左右されることを防ぐために、公職
選挙
法百四十八条の二、これは新聞紙、雑誌の不当利用等の
制限
規定
でありますが、このような
規定
に類似した
規制
を導入するといったことが考えられます。しかし、この種のマネートークス、すなわち金が物を言うことに対する必要な
最小限度
の
規制
についても、一九六二年三月二十七日の
最高裁判決
が示すように、当該
規制
が、その報道の真偽、論評の当否、その動機などを問わない
趣旨
であると解される限りにおいて
憲法
上許容され得るものと考えるべきでありましょう。 さらに、
公務員
及び外国人について、その
言論
を
規制
の対象となし得るかといった問題があります。これらの問題についても、
言論
内容ではなく、内容中立的な、すなわち、時、所、方法に関する
最小限度
の
規制
が必要か否か、必要だとして、どのような
規制措置
が具体的にあり得るのかといった観点から考えるべきでありましょう。 大変難しい問題でありますが、考え方の筋道としては、まず
公務員
について申しますと、
公務員
も
主権者
たる
国民
であり、一
国民
として
憲法改正
に対し賛成または反対の
意見
を自由に表明する
権利
が
憲法
上
保障
されていることは言うまでもないわけでありますから、その
規制
は、
国民投票
の公正を確保するという目的を達成する上で必要
最小限度
のものでなくてはならぬということになるでありましょう。その場合、
公務員
の職務上の地位を利用した
賛否
の表明等の
行為
について
国民投票
の公正を害するものとして
規制
することは、
表現
の時、所、方法に関する
規制
としてやむを得ない
最小限度
のものだとして許容され得るでありましょう。 しかし、その場合でも、職務上の地位を利用せず、職務時間外に一
国民
として行う
意見
表明は、もとより
憲法
二十一条の
保障
のもとで完全に
保障
せられるものであることは言うまでもないのであります。 次に、外国人については、一九七八年十月四日の
最高裁判決
において、以下、
判決文
からの
引用
でありますけれども、「
憲法
第三章の諸
規定
による基本的人権の
保障
は、
権利
の
性質
上日本
国民
のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべきであり、
政治
活動の自由についても、わが国の
政治
的意思
決定
又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解されるものを除き、その
保障
が及ぶもの」とされております。 したがって、この
判断枠組み
のもとでは、外国人が
国民投票
に関し
憲法改正
に対して
国民
に賛成または反対の
投票
をするよう働きかける活動は、我が国の
政治
的意思
決定
に影響を及ぼす活動として、
憲法
二十一条の
保障
の対象外にあるものとされる可能性があります。 ただ、
国民
の
公共空間
として形成される自由な
討議
の場においては、可能な限り、多様な
見解
、多角的な観点、特に日本
国民
では気づかないような視点、視角が外国人によって提示される可能性があり得るのであって、そして、そのことは
改正案
をめぐる論議の深化に寄与するであろうことなどを考えると、
改正案
に対する外国人の
意見
について何らかの
制限
を加えるような
立法
措置
は決して賢明なものとは言えないでありましょう。また、それが
言論
内容に対する
規制
であることを考えれば、そのような
立法
にはよほど慎重でなくてはならないでありましょうし、
立法
技術的にも多くの困難が伴うものと思われます。 さらに申しますと、そもそも一九七八年
判決
のルールは、在留
期間
更新不許可処分に関する事案で示されたものであり、その事案の
性格
からして、
憲法改正案
に関する論議の深化が求められる
公共空間
において、外国人の立場からする論議への参入にそのままの形で妥当するものか否かは検討を要するものと思われるのであります。 積極的に禁止な
いし
制限
せらるべきは、むしろ政府の
言論
であります。 公金を用いて行う政府の広報活動は、
改正案
の
賛否
に関し、例えば、両論併記のパンフレットの発行といった中立的な特定の活動に限定せらるべきであります。もとより、この両論併記のパンフレットにつきましても、客観性、公正性を保ちながら当事者の納得がいくようなものを実際に作成するとなると、決して容易なわざではないのであります。
国民投票
が盛んに行われている国でも、この点については試行錯誤を重ねているようであります。例えば、一九九八年、新たに
制定
されたアイルランドの
国民投票
法では、
国民投票
ごとに
国民投票
委員会
を設置するものとし、現職の高裁判事、会計検査院長それからオンブズマン等五人のメンバーによって、
憲法改正案
が下院に提出された後にこれを組織するものとしております。 この
委員会
の任務は、
国民投票
に付される
改正案
に関する情報を、マスコミを通じて、またパンフレットを配布するなどして
国民
に伝えることにあるのでありますけれども、その際、
改正案
に対する
賛否
両論を平等に掲げなければならないものとされております。このことが、一九九八年法で明記された背景には、
憲法改正
に対する政府の一方的な
言論
活動、広報活動でありますけれども、この活動が
最高裁
によって
違憲
と
判断
されたという事情があるのであります。 すなわち、一九九五年、離婚を求める
憲法改正案
が
国民投票
に付された際に、政府のキャンペーンに対し訴訟が提起され、
最高裁
によって、
投票
日の一週間前に、公金を用い
国民
に賛成票を投ずるよう促す政府の広報活動は、
憲法
の民主的
改正
手続
及び
憲法
的
手続
に対する妨害であり、民主国の基礎をなす平等の観念を侵害するとして
違憲
と
判断
されたことによるものであります。 政府が発行する広報の誌面の作成方法に関する外国の
制度
を
参考
までにもう一例挙げておきますと、それは、オーストラリアの一九八四年
国民投票
法に
規定
されているものであります。そこでは、
国民
に配布するパンフレットには
憲法改正案
に対する
賛否
両論をおのおの二千字以内で掲載すべきものとし、その賛成論は、
改正案
に賛成した
議員
の過半数が
承認
したものでなければならず、また反対論は、それに反対した
議員
の過半数が
承認
したものでなければならないとされております。この
賛否
両論に同じ字数を割り当てるオーストラリア方式は、政府による
国民
への情報提供の仕組みを考えるに当たっても検討に値するものと思われるのであります。それは、
国会
内における賛成
意見
も反対
意見
も、
国民
的
討議
の場、いわゆる
公共空間
においては対等の価値を有するべきものと考えるからであります。 以上、冒頭の
意見陳述
を終わり、他の論点につきましては、後の
質疑
等でお話しすることにいたします。 御清聴ありがとうございました。(拍手)
中山太郎
3
○
中山
委員長
次に、
高橋参考人
、お願いいたします。
高橋正俊
4
○
高橋参考人
きょうは、
憲法改正
国民投票
法につきまして若干の
問題点
を、今お話しになった
高見
先生の観点とは若干違う形でお話をしたいというふうに思っております。 まず、
憲法改正
国民投票
法は、いわゆる
憲法
附属法百条二項の「
憲法
を施行するために必要な
法律
」ということでございますので、本来
定め
られているべきものでございますが、実は二度挫折しております。 最初のものは、昭和二十一年の、
憲法
がいわば
国会
で審議されていたときでございます。臨時法制
調査
会というものが置かれまして、そこで用意しようとしたらしいのでございますが、当時、さまざまな
法律
が用意されなければならなかったものですから、不急のものとしてどうも立ち消えになったということでございます。さらに、昭和二十八年には、御案内のように、
日本国憲法
改正
国民投票
法案というものが
国会
提出を図られましたけれども、最終的には断念された、こういう経緯がございます。ですから、今回は三回目の正直として、ぜひ、公正を旨とする現代的な
あり方
にふさわしい
国民投票
法案をつくっていただきたいものと思っております。 まず、もちろんのことでございますけれども、
日本国憲法
改正
国民投票
法案というものを考えるに際しては、考慮事項は恐らく三つございます。 一つは、
憲法
の九十六条を中心とするさまざまな制約や要請、こういったものにきっちり対応していかなければならない。特に、これまで示されたような判例に対する対応というものが重要でございますが。ただ、これまでの
選挙
に関するものは、
国政選挙
に関するものでございますので、どれだけいわば
憲法改正
に妥当するものかについて十分な考慮を要するものというふうに考えております。 例えば、我々が
憲法
九十六条を見るときに、
国民
の
承認
を得るために、「特別の
国民投票
又は
国会
の
定め
る
選挙
の際行はれる
投票
」という形で、独立的に
国民投票
をする場合と、それから
国政
投票
に相乗りするという形で行われる場合が存在するのだということになりますと、もし、この二種類の
投票
方式がそれぞれ違った形で書かれるとすれば、そこにはどうしても、最終的にはどちらの
投票
で、
国民投票
で行われたかによって結論が違うという、あってはならないことがございます。したがって、この
国民投票
法につきましては、「
国会
の
定め
る
選挙
の際行はれる
投票
」にも使えるものという一本の
法律
を想定しなければならない、こういうハードルが基本的には考えられるだろうと思います。 これにつきましては、
関連
しましては、一つには、有権者の
年齢
を中心とするような、だれに
投票権
者を
定め
るかといった問題、さらには、特に運動制約とその罰則
関係
について、これは、なるべくこれを一緒にしませんと、
国政選挙
をやった際に、片一方の
法律
では違反しているのに片一方の
法律
では違反しない、どちらだというふうな混乱が起こるでございましょうから、その調整が結構大変なのではないかというふうに考えておる次第です。 そのような
憲法
上の問題が一つありまして、次に、
国民投票
を適切に遂行するための技術的
要件
というのがもちろんございます。それは、例えば、確かに判例の
態度
は非常に一部強く
合理性
を求めているということが考えられますけれども、私の考えとしては、基本的には
国民投票
法は
憲法
に厳格に
制定
されるという、それであればいいんですけれども、さっきちょっとお話しした
憲法
上の必要性からもわかりますとおりに、やはり
法律
によって柔軟に対応しなきゃならない、そういう技術的
要件
もあるのではないか。 確かに、時間とお金を使いますれば、
選挙人名簿
についても二種のものもつくれる。しかし、これが例えば在外
投票
といったようなことを考えたときに、それがスムーズにいくものかどうか。さらには、これを考えることは余り言われてないようですけれども、財政的な側面もまたあるでしょう。そして、そういうふうなものを厳格にしたことによって得られるメリットというものをどう評価するかという問題もあるのではないかということを考えれば、私としては、
憲法
に違反しない限り、かなり柔軟に技術的
要件
を考えて、自主的に
国民投票
の
制度
設計をなし得るものというふうに考えております。 さらに、その延長線ではありますけれども、三番目に、日本社会の現代社会という形で、社会的、技術的発展への対応ということがやはり重要なものでございます。 先ほど申しました在外
投票
といったようなもの、それから、運動につきましてはインターネットへの対応などという非常に重要な問題がこれから出てくるのではないか。これについて十分に配慮をしなければ、
国民
の意思をできるだけ公正に反映させる、そういうようなものに支障を来すのではないかというふうに考えております。このような諸条件をクリアしながら
制度
設計をしなければいけないものと当方は考えております。 以下、このようなことを若干考えながら、これだけではとてもイメージがわきませんので、具体的イメージを考えるために、これまで出てきた幾つかの
国民投票
法案の草案といいますか要綱といいますか、そういったものをある程度比較したものを皆様に御配付しております。これはイメージのためでございまして、私の
意見
がこれに賛成だとか反対だとか、そういうふうな含意があるものでは決してございません。どうぞ、これに合点していただけますでしょうか。 ところで、まず第一番目として有権者という問題を取り上げておるわけですけれども、この有権者というふうな問題は、少なくとも現行の
国政選挙
にかかわる場合は満二十年になっておりますので、それと一緒に
国政選挙
をやるというふうなことを想定されていますれば、混乱を避けるためにも同
年齢
がふさわしかろうというふうなことでございます。もちろん、同
年齢
でよろしいというのでございますから、全体として、
国政選挙
も十八歳にするということならば別に構わないということでございます。ただしこれは、当然のことながら
憲法
上の要請ではございませんので、そうした方がよかろうというだけの問題でございます。 次に、発問単位の
あり方
ということでございます。結局、アメリカの州の例などを見ましても、発問単位というのは、つまり、どの範囲に対して賛成、反対を聞くかということに関してはさまざまでございます。いわゆるリビジョンといいまして、全体について
改正
をする場合、一括して聞く、これはそうせざるを得ないわけですが、というふうな方法もあれば、個別的な、アメンドメントというふうに通常は言われますけれども、そういうふうな場合には個別的にこれを聞いていくという、もちろん、その中間型として、個別的に聞く部分はそこで聞き、ユニットとして考えなければいけない部分についてはそれを一括して聞く、こういうふうなさまざまな
制度
がございます。 日本の場合、これはどうなるかわかりませんので、前文から附則までかなり直す場合には、できるだけ私としては、個別でできるものは個別に聞いて、ユニットで聞かなきゃいけないものはユニット、それから、これは今回はあるのかどうか知りませんけれども、もし
全面改正
といったような場合には一括、こういうふうな形で具体的対応をせざるを得ないのではないか。これを
一般
的な
国民投票
の中に書き込むというのは難しいだろうというふうに考えております。 次に、
投票
方式ということでございますが、
投票
方式の一番
問題点
は、賛成についてはマル、反対についてはバツというタイプのものと、それから賛成者だけマルをつける、こういうふうなタイプのものがございます。しかし、このどちらかにするかという問題でございますが、それは、
憲法
九十六条にどちらがより沿うのかもしくは
承認
されるのか、こういう問題でございます。
憲法
九十六条を見ますと、「
承認
には、」中略して、「
投票
において、その過半数の賛成を必要とする。」こういうふうに書かれております。
表現
上は、つまり、
投票
において過半数の賛成とだけ書いてあるわけですから、一見、マルのみをつけさせればよい、そしてその場合、分母は
投票
総数と考えることもできるというふうな、表面上はそのように考えることができて、それをやっても問題はな
いし
、より沿っていると言えれば言えると思うのですが、昔の臨時法制
調査
会の段階のある段階では、もしくは二十八年の草案の段階のある段階でございますが、そのときには、マル、バツ両方をつけさせる、どちらかをつけさせるという方式でいったらどうか、そういうふうなことが提案されたことがございました。 そして、与党の方々の案、議連案と通常言われるものにおきましては、これは、マル、バツいずれも書かないときには無効とするというふうな形の処理をいたして、結局、過半数の分母を有効な
投票
数ということにして、有効
投票
数のマルをつけたものの数という形で処理される、こういうふうな有力な案があるわけです。 それに対して、一体これが
憲法
上認められるだろうかということをちらっと考えておきますと、何人かの方々は、これはちょっと危ないのではないかと。やはり、
最高裁判所
裁判官
のいわばリコールの場合と同じように、バツをつけたもの、これが分子になって、分母は、書かないものもすべて含んで
投票
者数という形でする方がいいんだという
意見
もございます。確かに、今言いましたように、
表現
上、そういうふうなものに沿うようなものでもありますけれども、しかし、与党案が一体許されないかというふうに言うと、私はこれも許容範囲の中だろうと考えております。 それは、反対者の恐らく一番中核的なことは、マルかバツかをつけるのはその案に対していわば
賛否
を問うのだというふうに言っておるけれども、実は、現在、
憲法
があるのだから、存在するのだから、存在
自体
というものを変えよう、そういう積極的なものにのみマルはつくのだ、現状維持を前提とした形で考えるのが正しい、こういうことなんだろうと思います。 しかし、現状維持というものがもうだめなんだということは、発議段階で衆参両院の三分の二の
議員
さんが、もう変えなければだめなんだ、こういうことをもしおっしゃっているのだというふうなことを考えますと、そうする場合には、そこに出てきた
改正案
というのは、もう
賛否
の対決というふうな形でそれをとらえ直すことも可能なのではないかというふうに考えております。つまりそこには、現代社会という現代のいわば決断が求められる社会、自己責任が求められる世界という形で、自分の決意を示さなければ従来どおりであるというふうな立場は、ちょっと私としては現代的ではないかなというふうに思っておる次第であります。 次に、
国民
の
承認
時期と訴訟の
関係
であります。これにつきましては、いわば
国民
が
承認
したということと訴訟というのはどんな
関係
があるかということでございますが、一部の方は、訴訟が終わったという段階でなければ、
国民
の
承認
をすると非常な混乱が起こる、
権威
の失墜も起こり得るだろうというふうなことをおっしゃっておる方もおられるわけであります。 一応、私としては、確かにそのような
危険性
はある、しかし、
国民
の
承認
が確定したという時期、それによっていわば公布というものがそこで起こされるわけですが、公布というのは、御存じのとおり、それをしたからといってすぐ実施されるわけではございません。したがって、本当の
意味
で混乱と
権威
の失墜が起こるのは、実施した後に実はその
承認
に問題があったということがわかる時期でございますので、この実施時期を後にずらすことによって、調整することによって、ある
意味
で早期の
改正
の抽象的な
決定
と、それから、実質的にこれが実施される時期というものを調整することによって、ある程度この混乱その他を除くことができるのではないかというふうに考えております。 次に、訴訟でございますが、この訴訟につきましては、理論的には、
二つ
の、骨子案にあるところの
国民投票
無効の訴訟と
国民投票
の結果の無効の訴訟というのが行い得るということはまことにそのとおりなんですが、ただ、そこに書かれておる三十日以内の訴訟提起、それから東京高等裁判所だけに訴訟を提起することができる、この
二つ
がどれほど実際的な公正、適切な訴訟の意義を持つかについては、やはりもう少し議論する必要があるかなというふうに思っています。 もちろん、三十日というのは訴状を書くのに十分かどうか、特に細かい技術的なものをクリアできるかどうか、それから、東京高等裁判所に集中させるわけですけれども、これは本当に可能なのだろうかどうかといったような問題、それから、
最高裁
に最終的に行くわけですが、上告
制限
なしでやれるかどうか、今の訴訟法でいけるかどうかといったような問題があるわけですが、もちろん、これについては法務省とか
最高裁
等の御
意見陳述
及びその他があると思いますので、ぜひそのあたりを詰めて、現実的な訴訟と、訴訟の拒絶にならないような、かつ適切な考慮の時間を持てるような訴訟
制度
を、しかも早くしなければいけないという状況をクリアできるような
制度
を設計していただきたいものというふうに思っております。 次に、七番目の
国民投票
運動に関する
規制
でございます。これは二点常に問題になることでございますが、一点は外国人の
国民投票
運動をどうするかという問題でございまして、これにつきましては、私自身はそれは認められないだろうというふうに考えております。 先ほども
引用
のありましたマクリーン
判決
におきましては、「わが国の
政治
的意思
決定
又はその実施に影響を及ぼす」、「これを認めることが相当でない」といったようなことが書かれております。とすれば、「
政治
的意思
決定
又はその実施に影響」というふうなことは、基本的にこれは、最大の意思
決定
であるところの
国民投票
にはそのまま適用されることになろうかと思います。ということになりますと、これはやはり判例上認められないのだろうと考えております。 もちろん、外国人に運動を認めるメリットもないわけではないということは先ほど言われたとおりでございまして、しかし、新しい視点を得るために認めようとかいうのはなかなかこれは難し
いし
、どこまで認めるかとなると、さらに非常に難しい。全面的に認めるのはそれはいいかもしれませんが、とてもじゃないけれども、どの程度認めるかということを決め、かつ、それを法文に落とすというのは非常な困難を来す、むしろ、それこそが訴訟の種になるのじゃないかというふうに私自身は考えております。 次に、いわゆる
規制
の
あり方
でございますが、これは、与党案の方も他の政党の案の方も
意見
は、基本的には必要
最小限度
の
規定
にしようという点については一致しているようでございまして、私はこれにまことに賛成させていただきたい。ただこれを、必要最小限と確かに言っておりますけれども、先ほど言いましたように、
国政選挙
と一緒にやる場合、片一方では許されて片一方では拒否されるというふうなそごがどれほど許されるのかどうか。取り締まる側も取り締まられる側もそれを十分
理解
できる形で明示できるかどうかということは、なかなか難しいかなというふうに思っております。 それからもう一点、我々、特に学者系統の人は、理論的に非常に抽象的な人間を考えておりますので、そういうふうな人間の
国民投票
運動、
選挙
運動ですね、そういったようなものを想定しておいて、これは自由にした方がいいのじゃないかというふうに私も実は言うのですけれども、実際には、御存じのとおり、どういうふうな運動が行われるかというのはなかなか理論ではわかりにくいということでございますので、ぜひ、これらの点について、外国でやった場合、どのような問題が起こって、どのような制約をしておるか、それから、
国政選挙
における実績なんといったようなことも比較考量の上、そういうふうなものを考えた上での最小限ということをお願
いし
たいというふうに考えております。 残された問題などという、つまらない、最終の表題を掲げていますが、簡単に言えば、発議、提案の段階から
国民投票
法への接続
関係
を非常にスムーズにしておく必要がやはりあるだろう。それから、公布、施行への接続
関係
もスムーズにしておく必要があるだろう。例えば、発議、提案の段階で既に発問形式ということを想定した形で考えていく必要もあるだろうし、それから、公布に関しては、公布の
法律
はございませんが、これをどうするのか。あるいは、具体的にはアメンドメント方式での
憲法
を想定しているようですが、従来型でよいと思いますけれども、これについてもどういうふうな考慮を加えるかといったようなことも問題になるかと思います。 時間が参りましたので、これぐらいにさせていただきます。 どうもありがとうございました。(拍手)
中山太郎
5
○
中山
委員長
以上で両
参考人
の御
意見
の開陳は終わりました。
—————————————
中山太郎
6
○
中山
委員長
これより
参考人
に対する
質疑
を行います。
質疑
の申し出がありますので、順次これを許します。葉梨康弘君。
葉梨康弘
7
○葉梨
委員
高見
先生、
高橋
先生、お忙しい中、大変貴重な
意見
をお聞かせいただきまして、大変感謝を申し上げます。 三十分の時間でございますので、いろいろとお聞きをしたいことはたくさんあるのでございますけれども、ポイントを絞って、
国民投票
ということに絞ってお話を聞かせていただきたいと思います。 まず、
高見参考人
にお話をお伺
いし
たいんですが、先般、百五十六
国会
で、
立法
不作為論につきまして、
高見参考人
とそれから近藤現
理事
でございますけれども、議論があったかと思います。当時の議事録でございます。「私、
国会
図書館の職員でございまして、
立法
の督促をしてはいけないという館法上の縛りがございます」云々、そして、「
立法
の不作為という
言葉
で使われている議論というのは、
法律
の世界では、もちろんこれは国家賠償訴訟に
関連
して、ある
法律
ができていなかったがために法的な
利益
な
いし
権利
が侵害されている、そういう状態を指して不作為状態というふうに言っております」というふうに述べられております。今現在、
国会
図書館の館法の
規制
がなくなっておりますので、より自由にお答えいただければというふうに思うんです。 実は、先般のこの
委員会
で私からも
意見
表明をさせていただきました。確かに、
法律
論としては、個別的な
違憲
審査権あるいは訴えの
利益
がないというような立場に立って、もし、今この
国民投票
法が
制定
されていないということを
理由
として裁判所に訴えを提起した場合に、門前払いを食ってしまう可能性も相当あるのかなというような感じを持っております。 しかしながら、ここはあくまで
国会
の場でございます。やはり我々の
判断
として、先ほどもお話がありましたとおり、
改正
権は
主権者
たる
国民
の
固有
の
権利
であるということですから、より抽象的な
違憲
審査権的な立場に立って、やはり、我々
国会
の責任としてこのような
国民投票
法の議論をしていかなければならないというふうに考えておるところでございますけれども、
高見参考人
から、今度は
国会
図書館の専門
調査
員の立場を離れまして、御所見を伺いたいと思います。
高見勝利
8
○
高見参考人
ありがとうございます。 以前、
憲法
調査
会のときに
参考人
としてお話しした中で、
立法
の不作為状態にあるから、したがって
国民投票
法というものを
整備
しなければいけない、そういうふうなロジックが出たものですから、いや、それに対しては、深く
法律
的な厳密な
意味
では不作為ということで法
整備
ということが少なくとも裁判所等の目から考えると出てくるわけではない、そういう
趣旨
のことをお話ししたわけです。 したがって、括弧つきでありますけれども、
法律
のロジックではなくて、世間
一般
というか、不作為という
言葉
はかなり世間でも使われておりますので、そういう
意味
で、つまり、
国会
が本来やるべきであることをこれまでなされてこなかった、したがって、現段階で
法律
的な
整備
というものを九十六条というものを生かすためにはしなければいけない、そういう
趣旨
で
立法
の不作為ということを使っている。つまり
政治
的
意味
ですね、
政治
的な
意味
でこの不作為ということを使われているということであれば、それは、そういうことを了解した上で、そういうふうに使っているということを自覚した上で使われているのでしたら何も問題はないということで、以前の
国会
での
憲法
調査
会のやりとりの中でも基本的にそういう考え方を持っていたわけなんですけれども、今そのことの御確認かと思いますが。 ただ、今、葉梨
委員
の方から質問に出ました抽象的
違憲
審査ということで考えていけばどうかということになりますと、これもしかし、不作為状態という話には基本的にならないのかなというふうに私は今のところ考えております。
葉梨康弘
9
○葉梨
委員
法律
的な話では、必ずしも私も、
法律
的にぎりぎり言って完全な不作為状態であるかどうかということについては私自身も疑問は持っておりますけれども、
政治
的には、今お話がありましたとおり、やはり不作為状態的なものというのはあるのかなというような感じを持っておりますが、ちょっと実務的に、次に
高橋参考人
にお聞きしたいと思います。
憲法
の発議と同時に
国民投票
法を
整備
すればいいというような
意見
も一部に全くないではございません。しかしながら、実務的な問題として、
さき
にもお話がありましたとおり、まず一つは、名簿の調製の実務との
関係
、それからもう一つは、やはり
投票
運動の
規制
の
あり方
、これは必要最小限といいながら、どのような
規制
を周知徹底していくのか、あるいは、ちょっと後でも議論を申し上げたいと思うんですが、
投票
運動の
規制
については、私は罰則以外の救済
措置
というのも検討していいんじゃないかというふうに考えております。 そのような
規制
の周知徹底ということを考えますと、やはり、
憲法
の発議の相当以前にこの
国民投票
法というのが、しかも、その
憲法
の発議の内容とはニュートラルな形であるということが一つは私は実務的にも必要なのではないかというふうに
理解
をしておりますけれども、
高橋参考人
から御
意見
を承りたいと思います。
高橋正俊
10
○
高橋参考人
おっしゃるとおりでして、この
国民投票
法がある程度定まっておらないと実際の作業に入れない、用意もできない、名簿、その第一例でございますが、おっしゃるとおりでございます。それから
政治
的にも、近接して
国民投票
法をやりますと、どうしても社会もしくは
政治
状況をにらみながら
法律
をつくっていく、そういうことを皆さんは決してされないとは思いますけれども、そういうふうな方向に流れる場合がないではないです。 やはり、特に、国家の根本法をつくるという側面からすれば、事前に十分に練って、それなりの時間的余裕を見て、その直近の
政治
状況に惑わされないでつくるというのが一番理想的なことではないかというふうに私は考えております。 以上です。
葉梨康弘
11
○葉梨
委員
私自身もその点は同
意見
でございます。 そして、各論の質問に入ります前に、一点、今度は
高橋参考人
からお聞きしたいんですが、ちょっと視点を変えまして、
国民投票
と現行
憲法
の正統性ということでございます。 百四十七回の
国会
で
高橋参考人
の方から、この現行
憲法
の
制定
経緯について詳細な
意見陳述
があったわけでございます。そして、それとの絡みで、私、耳にこびりついておりますのは、昨年の十一月、宮澤喜一元総理がここで同じように
意見陳述
をされましたときに、今の
憲法
も、独立を回復したときにもう一回
国民投票
をやっておけばよかったんだというような発言をされたことを覚えております。 現在の
憲法
については、
国民投票
の
手続
というのも行われておらず、そして、明治
憲法
にのっとって
改正
をされたわけですけれども、当時の百四十七回
国会
の
高橋参考人
の
意見陳述
によっても、明治
憲法
との連続性については疑義を挟むのが定説であるというような
意見
だったかと思います。 現行
憲法
の正統性ということにつきまして、長く
意見陳述
ということになれば幾らでも長くできるんでしょうけれども、簡単に、今どのような形で正統性があると考えていらっしゃるのか、
高橋参考人
からお伺いをしたいと思います。
高橋正俊
12
○
高橋参考人
正当性
というのは、簡単に言いますと、
国民主権
から流れ出しているという意識、これが現在の
日本国憲法
を
改正
する際の
正当性
ではなかろうか。もちろん、現在の
憲法
自体
が
制定
されるときには、その点について若干の問題があったということは私申し上げたとおりでございますが、しかし、現在、いわば
国民主権
の
正当性
についてはもう疑いのないところであり、それの実現として、少なくとも根本的部分において
日本国憲法
が従っていることも疑いないところでございます。 そして、その
正当性
確保の一つの
あり方
として、
国会
の衆参両院三分の二プラス
国民投票
法、そういう
国民投票
という形でやっておるわけですから、以後の事柄については、
正当性
の、前回若干問題があったから今回問題もいわば維持されるということは、もう全くないというふうに私、信じておる次第です。 以上です。
葉梨康弘
13
○葉梨
委員
私自身も正統性について疑義を挟むつもりで申し上げたわけではありません。ただし、
国民主権
について今も
高橋参考人
からもお話がございましたけれども、
国民主権
についての正統性については疑義がない、そして、その発露の一つの仕方として
国民投票
の
手続
もあるというようなお話だったわけですけれども、実は、これ自身こだわっているわけではないんですけれども、これはもう全く個人的な考え方でございまして、何でこういう質問をしたかといいますと、発問形式との絡みになってまいります。 今回の
憲法改正
の発議というのは、全く、今回というかいつになるかわかりませんけれども、多分、もうそれとは全く私はニュートラルに今お話を申し上げたいと思いますし、また、
憲法改正
の発議をしないという選択肢も当然あり得るということを前提にお話を申し上げたいと思いますが、もし仮に
憲法改正
の発議がなされる、それが全面改憲という形ではなくて、例えば公明党さんがおっしゃられているような加憲という形であったときに、先ほど、個別的な発問形式をとるというようなお話もありました、また、個別的な発問形式を
原則
とするというようなお話もございました。しかしながら、何か、私個人的に考えておりますのは、今の
憲法
が、正統性はあると言いながら、押しつけであるというその桎梏から逃れる方法はないんだろうかということでございます。 といいますのは、今の
憲法
について正統性がある、その正統性についてそれを具体化するために
国民投票
の
手続
もある、しかしながら、現行
憲法
は一回の
国民投票
すらかかったことがないということであることは間違いがございません。ですから、もしも、例えば九条だとかコントロバーシャルな部分ではなくて、本当に小さな部分であってもそれを
改正
する、そのときに、いわゆるこれは、役人用語で言うと溶け込み条文と言うんですけれども、
改正
後のすべての
憲法
の条文、これを一括して、
改正
部分というのは極めて少ない、加憲という形であるかもわからないけれども、現行
憲法
すべてについて丸ごと溶け込んだ形で
国民投票
で
賛否
を問うということが
法律
的に可能なものかどうかということを、
高見参考人
と
高橋参考人
、両方から
法律
論としてお聞きをしたいと思います。
高見勝利
14
○
高見参考人
法律
論から申しますと、個別具体的な条項、ここでは一つというふうに限って考えますけれども、一つの
改正
条項について
国会
が発議したということでありますと、これは
国民投票
でそれについてその
賛否
を問うわけであります。 したがって、それが賛成ということになれば、その部分が
憲法
と一体となって機能を始める、効力を持つ、こういう仕組みになっておりますので、その一条項の
改正
が賛成を受けたがゆえに、すべての、
憲法
の本体
自体
が同時に
国民
の同意を得た、賛成を得た、
承認
を得た、そういう仕組みには、少なくとも、九十六条の発動として個別具体的な一個の条文
改正案
が出てきた場合には言えないであろうというふうに思います。
高橋正俊
15
○
高橋参考人
なかなか難しい問題で、いわば過去の不明確さを洗い流そう、そういう方法であるかと思いますけれども、通常の学界の考え方によりますと、今のような方法はやはり難しいのではないか。 といいますのは、
高見参考人
の方の
参考
の図にも出ていますように、まず
国民主権
があって、そのもとに
憲法
があって、その
憲法
のもとに
憲法改正
というのがあるというふうになりますと、その
憲法
全体を、もう一度、内容を変えないにしろその
正当性
を付与するというのは、ちょっとこれは難しいというふうに
一般
的に考えられていると思います。 やはり我々は、そのような
正当性
の不足というものに耐えていかざるを得ないのではないか、そして、そういうものの中でよりよいものをつくっていく、こういう実践の中で現行
憲法
の価値というものを確認して、それに
改正
を加えて、さらによい方向へいわば導くことによってその
正当性
を増す、こういうふうな方法をとるのが、私としてはもうほぼ唯一の方法ではないかというふうに考えております。
葉梨康弘
16
○葉梨
委員
ありがとうございました。 今は急な発問だったものですから、またさらに御検討をしていただきたい部分もあろうかと思うのですが、今いみじくも
高橋参考人
からもお話がありましたとおり、一つは、
憲法改正案
についての
国民投票
という視点もございますけれども、何らかの形で今の現行
憲法
についての正統性の不足というのを補う方法がないかどうかということについては、今後さらに我々としても
政治
の場で検討すべき課題ではないかというように考えております。もちろん、その中で
法律
論というのはすべてクリアをしていく必要はあるだろうというふうに思っております。 以下、各論についてお聞きをしたいと思います。 まず、
投票権
についてでございます。 先ほど、
高見参考人
の方から十八歳というような御
意見
があったかと思います。
憲法
については、国の根幹、これは
高橋参考人
も大体ほぼ同様でございますが、国の根幹を
定め
るものであるということですから、通常の
憲法
で
定め
られている
成年
の
普通選挙
というよりも
年齢
を下げてもいいんじゃないかという議論だろうかと思いますけれども、ただ、
国政選挙
においても若年者の
意見
を聞かなければならない
機会
というのは非常にふえてきているんじゃないかと私は思います。 これはどういうことかといいますと、人口が増加する社会においては、高齢者の年代層とそれから若年者の年代層の
利益
というのは必ずしも相反するものではありません。これは殊に年金の問題なんかでも多くの問題が指摘されているところですが。今のような人口減社会あるいはステーブルな社会になってまいりますと、若年者の年代層それから高齢者の年代層、これが利害が一致する、場合によっては相反する場合も出てまいります。したがって、
国政選挙
の部面においても、
成年
となっているわけですから、
一定
の
判断
能力を有する者については、できる限り広く
選挙権
を認めるべきじゃないかという議論は当然あり得るだろうと思います。 ですから、その
意味
でいうと、私は個人的には、
国政選挙
の
選挙権
者とそれから
憲法改正
の
投票権
者を、必ずしも
憲法改正
だけを下げるということは必要なくて、むしろ両方をその場合であれば下げるということを検討すべきじゃないかというふうに考えているわけですけれども、
高見参考人
から御所見を伺いたいと思います。
高見勝利
17
○
高見参考人
それにつきましては、私も葉梨
委員
と基本的には同
意見
ということになろうかと思います。 つまり、今の満
年齢
二十年というのは、これはもう既に統計が出ておりますけれども、極めて世界的に見ましても数が少ないシステムというか、国であります。そういうことを考えますと、ましてや、今のような逆ピラミッドのそういう社会
構成
、若年層が非常に少なくなってきているという時代に、
国政
の場にできるだけ満遍なく
国民
の意思、特に世代的な差のある
意見
というものを取り込んでくるというふうなことを考えても、
年齢
を下げるということは考えるべきであろう。 ただ、今回、
意見陳述
の中で九十六条に
関連
してそういうことを申しましたのは、仮に九十六条で
国民投票
法というものを
整備
していくということになれば、
憲法
九十六条の
憲法改正権
というものの
趣旨
を踏まえて、そこからむしろ
主権者
たる
国民
ということをもう一度考え直す。そういうことで、もちろん十八歳がいいのかどうかということについてはいろいろ考慮すべきことがあるかもしれませんけれども、差し当たり、十八歳というふうなところで
国民
の範囲を考えてみてはどうかということで申し上げたわけです。ということは、当然それは連動しますので、
国政
の
選挙
法、その点限りでは連動すると思いますので、
選挙
法についても政策的に十八歳に下げていくということに当然結果としてなるであろう、そういうことでございます。
葉梨康弘
18
○葉梨
委員
ありがとうございました。 それでは次に、
投票
運動方法の
規制
について幾つか伺いたいと思います。 実は多分、
高見参考人
、
高橋参考人
よりも私の方が、公職
選挙
法違反の取り締まり経験が四年ほどございますので、多少ちょっと実務の話になるかとも思いますが。 そこで、
意見
は実は一緒なんです。まず、
投票
運動方法の
規制
ですけれども、罰則で担保する部分というのはある程度必要最小限にしていかなければならない。これにはそれぞれ
理由
があるわけなんですが、今現在の公職
選挙
法の実務で
選挙
違反の取り締まりが、ほぼ一〇〇%、
選挙
の
投票
日の後に行われているという事実は、
高橋参考人
、御存じでございましょうか。
高橋正俊
19
○
高橋参考人
存じております。
葉梨康弘
20
○葉梨
委員
現実にこれはどこの
法律
に書いてある話でもないんですけれども、
選挙
違反の取り締まりについては、基本的に事後検挙、これは
投票
日の後の検挙ということが
原則
になっております。そして、事前に検挙される形態というのは、おおむね
選挙
の自由妨害、それから買収なんかでも、その場で現行犯的な買収事件といったものに限定されてまいります。 ただし、今申し上げましたとおり、これはどこの
法律
に書いている話でもないということなんですけれども、そのような形というのは、これは
選挙
の公正のために、現在の取り締まり実務で、しかも
政治
と離れた形で、かつて大正時代に
選挙
干渉というのがございましたので、そういった実務が行われているというのが実際のところです。 一つは、やはり罰則で担保するとしても、余り事前の、
投票
結果に影響を取り締まり自身が与えてしまうような取り締まりの仕方というのは、やはり
国民投票
についても決して好ましいことではないだろうというふうに私自身は考えております。 そういうことを前提とした場合なんですけれども、公職
選挙
法の場合は、さはさりながら、事後検挙であっても、公民権の停止あるいは当選無効という形で相当な部分の抑止効果がございます。ところが、
憲法改正
国民投票
の場合は、
公選法
と同様に、例えばブローカー的なもの、あるいは自然犯、粗暴犯的なもの、これについてはある程度の罰則による抑止効果はあるにしても、
公民権停止
、当選無効ということがそんなにある部類の
投票
ではございませんので、確信犯的なものには役立たないということになってまいります。 このような
意味
で、罰則によって
投票
運動方法を
規制
することについての効果と限界という点について
高見参考人
はどのようにお考えか、御
意見
を承りたいと思います。
高見勝利
21
○
高見参考人
この問題を考える場合に、私それほど詳しくございませんし、むしろ全く素朴な感想でしかないんですけれども、人を選ぶ
選挙
と、こういうあることについてそれを
賛否
で決めるということ、その本質的な違いというのをやはり考えた上で
規制
ということを考えなければいけないだろうと思うわけです。 その場合に、運動
規制
という、これは人を選ぶ場合の運動
規制
、これは
選挙
運動ですよね、というのは、これはある
意味
で非常にわかりやす
いし
実例もあるわけなんですけれども、
国民投票
にかかわってさまざまな人たちがさまざまな声を上げて、あるいはさまざまな訴えをしていく、これを一つの運動とみなして
法律
の網をかけていくということが、一体どこまで現実的であって、どこまで可能であり、あるいはどこまでそういうのが必要なのか、そういう非常に素朴なところでひっかかるのでありますが、素朴なところで私にとってはわかりにくいわけです。 つまり、
選挙
運動と同じアナロジーで
国民投票
運動なる概念を立てて、それで法の網をかぶせていくということ、つまり
選挙
運動と同じような
レベル
で、あるいは同じような発想でかけていくということが果たして本当にできるのかどうか、そういう素朴な疑問を持っているものですから、根本的にそこのところは、その違いということから考える必要があるであろうということでございます。
葉梨康弘
22
○葉梨
委員
さらに、この
国民投票
運動というのが何たるかについては私自身も
意見
があるわけですけれども、具体的に詰めていかなければならないところはありますが、罰則については、先ほども言いましたけれども、
一定
の効果というのは全くないわけではなくて、それは、例えば粗暴犯的なものあるいはブローカー的なものといったものはございますけれども、先ほど申し上げましたとおり、確信犯的なものにあるわけではございません。 そこで、一つは、その罰則の担保ということもある
意味
で必要最小限必要な部分があろうかと思いますが、特に
虚偽報道
などに関しては、例えば、取り締まりが
投票
後に行われたとしても全く
意味
がないわけでございます。ですから、その場合であれば、必要な反論権の確保あるいは反論方法の確保、あるいは別の形での救済
措置
、そういったものについてもある
意味
で検討していく必要が罰則以外にあるのではないかというような感じを私自身は持っておりますけれども、
高橋参考人
から御所見を伺いたいと思います。
高橋正俊
23
○
高橋参考人
具体的な話になりますと、私も余りその点について確信はないわけですけれども、恐らく、
憲法
案の
賛否
にかかわって一番重要なものは、やはり真実というものもしくは事実というものを知っていく、そしてその上で当人が評価する、それで賛成か反対かするということでございましょうから、何をおいても、その事実というものについてある
意味
で確保しておく必要があるというふうに思っております。 したがって、この点は、
虚偽
事実に対する何らかの処置というものは必要なわけでありますが、今御指摘のように、まさしく事後的にはどうにもならないというふうなことがございます。したがって、これに対して単なる事後的なものではなく、やはりその中で議論を、つまり、問題となる事実
関係
がありましたら、議論を確保していく、情報を提供していくという。ただ、
高見参考人
も申しましたように、事実を提供するというのが政府・与党ということになりますと、これはまたなかなか難しい問題がございますので、やはり、
一定
の条件を備えた例えば団体に反論権な
いし
はそれなりの
意見
表明の場を提供するというふうなこと、これは可能ではないか、あってよろしいのではないか。これを完全にいわば社会の場の中に、個人に任せるというのでは、確かに私としては問題があるなというふうに感じております。
葉梨康弘
24
○葉梨
委員
本日は、公職
選挙
法の
規制
態様とはまた別の観点からこの
国民投票
法案について
一定
の
規制
態様を考えていくべきじゃないかということで、本当にさわりの質問でございましたけれども、質問させていただきました。 貴重な御
意見
をありがとうございました。
中山太郎
25
○
中山
委員長
次に、筒井信隆君。
筒井信隆
26
○筒井
委員
民主党の筒井信隆でございます。
高見
先生、
高橋
先生、きょうは貴重な
意見
を大変ありがとうございました。 順不同でございますが、最初に、
投票
者の範囲、これについてお聞きをしたいと思います。
選挙人名簿
と
国民投票
名簿は全然別なんですから私は別でいいというふうに考えておりますし、先ほどの
高見参考人
の
意見
は別でいいという結果だったろうというふうに思います。そして、十八歳というのが
高見参考人
の
意見
だと思います。 それで、私も十八歳でいいと思うんですけれども、ただ、先ほど
高見参考人
からも言われました韓
国民
法の
改正
で十九歳ということもある。この十八歳がいい
根拠
、あるいは十七歳、十九歳も考えられる
根拠
がもしありましたら、ちょっと教えていただきたいと思います。
高見勝利
27
○
高見参考人
十八歳ということで特に
根拠
があるわけではないんです。こういうことです。要するに、現在、二十歳ということで
選挙
資格
を持っているわけですね。その前提で考えて、九十六条の
国民投票権
についてはそれより下げた方がいいだろうという基本的な発想があって、差し当たり、十八という数字を出してみたわけです。 ですから、仮にもし設定を変えまして、現在、世界のほとんどの国と同じように日本の
選挙
資格
年齢
が十八歳であるということで、それでは九十六条で
国民投票制度
を初めて設ける、その場合に、では
国民
の範囲をどう考えるかということにそういう設問を立てるといたしますと、その場合には、やはり
国民
の範囲はできるだけ広い方がいいだろうという、その場合でも出てくると思うんですね。その場合には多分別の
主張
をすることになると思います。多分、義務教育が終わった、そういった
年齢
というふうなことで、それを
憲法
上
成年者
というふうに扱うということも選択肢としてはあり得るということでございます。
筒井信隆
28
○筒井
委員
選挙人名簿
と
国民投票
の名簿と別でもいい、そして十八歳が考えられるというふうには
一般
的にも言われているし、また私も、今の
意見
でもそうなんですが、別でもいいんですが、しかし、ほかの
選挙人名簿
やあるいは
民法
の
規制
、
成人年齢
、これらと一体の方がいいとお考えですか、それとも、それらは別に一切気にすることはないというふうにお考えですか。
高見勝利
29
○
高見参考人
もちろん多分、
法律
全体として運用していくというふうなことを考えますと、それは、
成人年齢
というのが客観的にというか、
民法
まで含めて統一している方がいいのかもしれません。 ただ、要するに広い
意味
での参政権の問題ですよね。つまり、
選挙
あるいは
国民投票
を含めて
政治
にかかわっていく、それはそれなりにというか、
政治
にかかわるということの特質を考えて、特に
民法
と一緒にする必要性というのは多分基本的にはないであろう。ですから、
選挙
法とそれから
国民投票
法の間で一致させるということは、これは考えられ得るにしても、すべてが一緒でなくてはいけないということにはならないのであって、基本的には
国政
の参加の形ですよね。つまり
憲法改正権
を
行使
するその
国民
なのか、それとも
国会
の
議員
を選ぶその
選挙
のための
国民
なのか、そういう特質から見ていけばいいということであります。
筒井信隆
30
○筒井
委員
ただ、今わかりましたが、
民法
でも成人は二十歳、ただし職業についた場合には成人とみなすというふうな
規定
もあろうかと思いますが、社会的活動に入った段階、その段階で成人だというふうな思想的な背景といいますか考え方といいますか、それがあると思うんですね。社会的活動にみずから入ったとすれば、これは、通常の
選挙
に関しても、
憲法
に関してはもっとですが、やはり一体として
投票権
を認めるべきだ。だから一体とすべきではないかというふうに思うんですが、もう一度ちょっと御
意見
をお聞かせいただきたいと思います。
高見勝利
31
○
高見参考人
一体であるべきだという御
主張
かと思うんですけれども、そこのところは、私はきょうのお話の中で冒頭申しましたけれども、
憲法
制定
にかかわって
権力
を持っている
国民
、あるいはその
憲法
の
改正
まで含めてですけれども、その
国民
と、それから、
国家機関
たる
国会
議員
を選ぶその
国民
というのは必ずしも同一であっていいというふうには考えておりません。
選挙
あるいは
国民投票
の実務上その両者を一致させた方がいいということはわかります。私もその限りで賛成なんですけれども、一体であるべきだという議論というのは、私の考え方からは出てまいりません。
筒井信隆
32
○筒井
委員
私も一体の方がよりいいのではないかと、ただ、別であってだめだと言っているわけではないので、その点では同じ
意見
だと思うんです。
高橋
先生にお聞きしたいんですが、
高橋
先生の場合は、先ほど、混乱を避けるために
選挙人名簿
と同じ
年齢
の方がいいというふうに、ある
意味
で技術的なというか、そういう形を言われましたし、その前に、財政的事情とか技術的なことを非常に重視された
意見
を先ほど述べられたと思います。 ただ、
憲法
に関する
国民投票
という問題、この
投票権
者の範囲を決める際の最大の基準は、そういう技術的あるいは財政的な問題ではなくて、やはりもっと本質的な問題ではないかと思うんですが、これはちょっと失礼な質問かもしれませんが、それについて御
意見
をちょっとお聞かせいただきたいと思います。
高橋正俊
33
○
高橋参考人
私はちょっとそういうふうなものにこだわる癖がございまして、これまで大所高所の議論になりますと、財政的側面やそれから実務的側面についてやはり配慮を学者は余りにしなかったものですから、むしろそれで反省をしているということでございまして、基本線は私、別に違っても構わない、ただ同じ方がよいだろうというだけの話でございます。 ただ、一点だけつけ加えさせていただきますと、十八歳にするのがいいかどうかというのは、恐らくこれは、我々が議論の中で決められる問題、もしくは外国がそうだからというだけではだめで、やはり何らかの形で
調査
して、十分なそれにたえ得る基礎的知識があるか、そういうふうなものが十分備わっている状態になっているか、成熟しているかどうか、あるいは、それに対する関心が十分あるかどうかといったようなそういうふうな視点も必要なのではなかろうかというふうに思っております。 それから、十八歳ということに
選挙年齢
を引き下げますと、その点に関して、罰則が恐らく、少年法その他の問題ではなくて、そのままもろにかぶってくるという点は、これは連動する可能性が高うございますので、
権利
には常に義務がありますので、その点も考慮した上で
決定
していかなきゃいかぬのかなというふうに思っております。 以上でございます。
筒井信隆
34
○筒井
委員
趣旨
はわかりました。 ただ、先ほどと同じ質問になるかもしれませんが、十八歳ということが
一般
的に言われているんですが、これについても、えいやと最後は決めなきゃいかぬのかもしれませんが、十八、十七、十九歳、もし下げるとしても、それぞれについての
根拠
、今ちょっと簡単に言われましたが、それをもう一度教えていただきたいと思います。
高橋正俊
35
○
高橋参考人
簡単に言ったのはどこかちょっとわかりませんけれども、少なくとも、恐らく比較法的にとか広い方がいいという形で、だから十八とか十九というのは非常に難しいのではないか。議論で、いわば討論の中で決められる話というのはやはりないのではなかろうか。やはりそこには、
国民投票
に参加するにふさわしい資質、意欲といったようなものを何らかの形で
調査
される、具体的なことをやられた上での結果として、それを前提にして議論をされるということが絶対必要だろうというふうに思っております。 もちろん、そういう結果十八歳になった、そういう決断、最終的にはえいやかもしれませんけれども、なったというのなら、私も当然賛成させていただきます。 以上です。
筒井信隆
36
○筒井
委員
国民投票
運動について
高見
先生にまずお聞きをしたいと思うんです。 先ほど言われましたが、
国民
の運動についての
規制
は、これは
原則
ゼロにするという立場からの、本当に必要
最小限度
の
規制
にすべきだというふうに思いますが、先ほど先生が言われました政府の
行為
といいますか政府の運動といいますか、これは、やはり日本
国政
府
自体
を
規制
対象にするというか、適用対象にするというのが
憲法
の大きな
趣旨
でございますから、政府自身が、この運動に直接かかわってやるというのが、これは極めて不都合だと思いますので、先ほど言いましたような、必ず両論併記、あるいは中立の立場という例を挙げられましたが、もし聞き逃したら済みません、先生自身も、やはりそういうふうな政府が広報をしたりする場合には、必ず両論併記で、どちらかの立場に立ったそういう運動はすべきでないというふうにお考えですか。
高見勝利
37
○
高見参考人
はい、そのとおりでございます。 先ほど、アイルランドの例を挙げましたけれども、アイルランドを見ておりますと、例えば、EU絡みで
国民投票
が盛んに行われております。やはり政府の方はEUに対して積極的な
態度
をとるわけでございますので、
国民投票
について政府の側から盛んに広報活動を行う。その積み重ねというそのバックグラウンドがあって、先ほど御紹介したような裁判所による
違憲
判決
というのが出てきたということですね。 そういうことを考えますと、公金を使って行う、
国民
に対して
賛否
を問う、そういう
国民投票
ということでございますので、これは賛成、反対、しかもそれは議論の価値は同じでございますので、賛成の
根拠
、反対の
根拠
、それはやはりイーブンな形でその広報活動を行う、そういうことに限られるであろうということでございます。
筒井信隆
38
○筒井
委員
私も強くそう思います。 そうしますと、通常の法案とはその点が全然大きな違いを示さなければいけないということになりまして、最近の何とか法案に関してもそうですが、広報で物すごい大宣伝を税金を使ってやること
自体
がいろいろ議論になっているわけで、それ
自体
が私は問題だと思うんですけれども、この同じ問題について
高橋
先生はどう考えられるか、お聞かせをいただきたいと思います。
高橋正俊
39
○
高橋参考人
私は、どうもその点について
態度
を決めかねているところがございます。 一つは、
憲法改正
の発案、これは、今のところ内閣にもあるというふうな考え方が多いようなんですが、それであるならば、自分が出しておきながらイーブンの
態度
しかとれない、こういうふうなことはやはりちょっと難しいかなというふうに思っております。 それから、EUなんかでも、アイルランドの例を僕は知りませんでしたけれども、あれは、EU
憲法
に賛成する
態度
で政府は大宣伝をやったような気が、覚えておるんですが。それにしても、そこには確かに節度が求められておりまして、アメリカの州の幾つかには確かに、客観的なものしか書かないようにとか、政府が直接手を出さないようなことも、昔の記憶ですので余りはっきりしておりませんが、たしかありました。 そういうふうな
意味
で難しい点があると思いますけれども、それを完全にイーブンな形にまでするというのはちょっとやはりいかがかな。むしろ、政府に対して、もちろん、これは賛成だということで持ち出す場合には、それ
自体
あってよろしいわけですけれども、必ずそれに対する反対
意見
の部分を挿入して、いわば公正な
投票
者の
判断
を得るような資料を盛り込む、こういうふうな形で処理するのが実際的なのではないかというふうに今考えたところでございます。
筒井信隆
40
○筒井
委員
極めて大きな問題だと思いますが、さらにお聞きしたいんですが、時間がないので、一点だけ確かめて御
意見
をお聞かせいただきたい点がございます。
投票
方式の問題ですが、先ほど
高橋
先生は、個別にできるものは個別にして、ユニットでできるものはできる限りそうした方がいいけれども、
全面改正
の場合は一括
投票
だというふうな御
意見
を述べられましたが、これはちょっと
趣旨
が
理解
できないんです。個別
投票
でできるものならば、
全面改正
自体
に私は賛成とは言いませんが、たとえ
全面改正
の場合でも、個別
投票
ができる、あるいはユニットで
投票
ができる場合はそうすべきなんじゃないんですか、先生の当初言われていた
意見
からいっても。
高橋正俊
41
○
高橋参考人
全面改正
の程度にももちろんよるわけですけれども、アメリカでリビジョンと言われる、いわゆるこれまでのものをほとんど新しく書きかえるような場合、これを想定しておるわけでして、現在の形が本質的に残るような場合、それがたとえ
全面改正
の形をとっても、それは一括でというのはちょっと無理であろうというふうに思っております。 ですから、まさしく新しいとしか見えないようなそういうふうな程度に至った場合を想定しておりまして、ちょっと私の
言葉
足らずだったと思いますので、
趣旨
は決して違ったものではないと考えております。
筒井信隆
42
○筒井
委員
そうすると、一括の場合、先ほど法的な問題も出されましたが、私は法的にも極めて問題があるんじゃないかと思うんです。 例えば、突然具体的な例になりますが、
改正
第一条には賛成だけれども第二条には反対であるという
投票
者がいた場合に、棄権するのか、どういう
投票
行動をとるのかわかりませんが、第一条への賛成が極めて強いから全体として賛成
投票
を入れたという場合に、しかし表へ出てくるのは、第二条についても賛成だ、本来反対なのについても賛成だという結果が出てくるしかないわけでございまして、こういう形でやった場合に、真に
国民
の意思を聞いたと法的に言えるのかどうかという問題も起こってくるかと思うんですが、その点について
高橋
先生どうでしょうか。
高橋正俊
43
○
高橋参考人
問題は、例えば一条と二条をいわば抱き合わせにすること
自体
が問題であろうと。私が想定していますのは、ユニットにするというのは、ユニットにしなければ都合の悪いような、例えば信教の自由と宗教団体への財政的援助というようなものは、ワンセットにしなければならないときにはやはりユニットにすべきであろうと。 これは、アメリカの州の場合には、どうも幾つかの州では
原則
個別的な
賛否
を聞くという方式のようですけれども、そういうふうな方式を
憲法
上に
規定
している州もあるようです。ただしその場合でも、今言ったように、つまり片一方がだめになると片一方の
趣旨
も生きないというふうな緊密な
関係
にある場合にユニットにする。それは、たとえ個別方式だというふうに書いてあったとしても、そのように
解釈
されるようでございます。 ですから、それは任意にやれるということになりますと、まさしく抱き合わせという問題が生じてまいりまして、だからこそ私は、発議の段階からそういうふうなことを考えて、発議の方法も考えて案というのは出すべきではないかというふうにちらっと申しましたのは、そこを意識してのことでございます。 以上でございます。
筒井信隆
44
○筒井
委員
時間が参りました。大変ありがとうございました。
中山太郎
45
○
中山
委員長
次に、太田昭宏君。
太田昭宏
46
○太田(昭)
委員
公明党の太田です。 きょうは、先生、ありがとうございます。
国政選挙
と一緒にこの
国民投票
、
憲法改正
ということについてやるということについて、影響がいろいろありますからなかなか難しかろうという
判断
を我々はしているわけです。現実には単独でこの
国民投票
が行われるということが望ましいというふうに思いますが、その辺は、
憲法
を
改正
するということではなくて、それをそのときの
判断
でやるというふうに我々は考えているわけですが、それについて、
国政選挙
と一緒にやるのは難しかろうというようなことについてお二人の
意見
を聞きたいというふうに思いますし、もう一点、
関連
することですが、
選挙
の際にそれ
自体
が、
憲法
の
改正
自体
が
政治
的な最大の争点というふうになった場合において、分けた方がいいのか、それとも一緒にそういう場合はやった方がいいのか、そういう想定なんですが、その
二つ
についてお二人、お答えいただきたいと思います。
高見勝利
47
○
高見参考人
九十六条では、
選挙
の際に
国民投票
を行うという形をとるか、あるいは特別の
国民投票
かという
二つ
のやり方があるわけでありますけれども、ただ、考え方の基本としては、やはり特別の
国民投票
でやるというのが
原則
であろうというふうに思います。 ただ、学説の通説的な考え方から申しますと、時宜に応じて
選挙
の際に一緒に
国民投票
を行うと。つまり、
原則
はやはり特別の
国民投票
でありまして、両者が重なってきたような場合、この場合にわざわざ
二つ
に分けるということが果たして、コスト・アンド・ベネフィットというふうなこともあると思うんですけれども、分けなくていいんだろうというのが、多分、
憲法
九十六条でその
選挙
の際にというふうに置かれていることの
趣旨
であろうというふうに思うわけですね。 ただ、
政治
的な
判断
としては、おっしゃるように、一方は政権をとるために
選挙
を行うわけであります、他方は
国民投票
で
憲法改正案
の
賛否
を問うという、両者一緒にやってしまうと混乱が生ずるおそれがある、そういった多分配慮と思うんですけれども、
憲法
九十六条の
趣旨
は、今私の御説明したような考え方であろうかということでございます。 それから、二番目の御質問でございますけれども、これは、
選挙
の争点として
憲法改正
ということが浮上してきたような場合、これをどう考えるかということでございましょうか。 これは、多分まだ九十六条で、
国民投票
で
憲法改正
是か非かということを問う以前の
国政選挙
で
憲法改正
ということが争点になって、それについて
国民
が、
選挙
で政党に対して、あるいは
議員
に対して一票を託す、こういうことでございますので、これは当然あり得るであろうということでございます。
高橋正俊
48
○
高橋参考人
まず、特別の
国民投票
と
国政選挙
において行う
国民投票
の
関係
ですが、これは
高見参考人
のおっしゃるとおりと考えております。あくまでもメーンは特別の
国民投票
であって、ちょうどよい時期にあるからというふうな、いわば便乗という形で考えたのではないか。もちろん、膨大な費用その他を考えるときには、便乗できるものならしてよろしいんでしょうが、重みが違う、目的が違うという観点からすれば、今の日本の状況から考えれば、やはり特別の
国民投票
をやるのがふさわしいのではないかというふうに考えております。 二番目の点については、全く
高見参考人
と同じ
意見
でございます。
太田昭宏
49
○太田(昭)
委員
発問の方式では、これまでの
憲法
調査
会の
参考人
のお話では、これまでずっと五年間の中での発言集を見ますと、いずれも個別方式であるということを発言されているというふうに思っているわけですが、先ほど、ユニットというのがちょっと気にかかったものですから私、聞こうと思っていましたら、筒井先生、よくわかりました。 今度は別々にした場合、なかなか現実問題としては、三つ個別に問いかけた、しかし全く
関係
はない、ユニットでもない、しかしここだけは絶対に三つのうち一つはだめですよという声が非常に高いという場合に、三つとも今回の
改正
を否定するという行動に出るのではないのかなという私は気がするわけですが、その辺の、個別方式の中でも特に重要課題というようなものはむしろ単独で提起すべきである、私はそういう気がするわけですが、いかがでしょうか。
高見勝利
50
○
高見参考人
この発問形式でございますけれども、やはり基本として考えておかなきゃいけないことというのは、
国民
にとってその選択というか、賛成か反対かの
意思表示
が戸惑うことがあってはいけな
いし
、クリアな形で賛成、反対の
意思表示
が示されなければいけない、そういう形での発問というか発議でなくてはいけないと思うんですね。 ですから、個別方式というのは、そういう
意味
で非常に、個々の
改正
点についてその
賛否
を問うわけですから、これは
国民
が基本的に戸惑うことはないわけですね。ですから、これは多分
原則
というか、基本は個別方式であろうというふうに私も思います。 ただ、相互に密接に
関連
しているような場合、この場合には、やはり、これは抱き合わせという
言葉
は余りよろしくはないかと思うんですけれども、ユニットということで、むしろその方が
国民
にとってわかりやすい、選択肢として非常に明快であるということであれば、やはりそのユニット方式ということになろうかと思います。 ただ、今の御質問ですけれども、極めて政策的に、その中に、非常に問題のあるというかコントロバーシャルなもの、そういうものを紛れ込ますということになりますと、これは
国民
にとっては非常に選択が難しくなるわけですから、そういう形での
国民
に対する問いかけというのはやってはいけないだろうということでございます。
高橋正俊
51
○
高橋参考人
私の
意見
もこの点についても全く同じでございまして、やはり御指摘のような場合には、個々的に問いかけるという形をとるのがよろしかろうと思っております。
太田昭宏
52
○太田(昭)
委員
与党が考えた原案について、メディア
規制
みたいなことが時折危惧されているという報道がなされておりますが、我々は全くそういう気はありませんで、基本的に自由ということの中でよく協議をしてまとめていこうというのが基本的な考えです。 その中で、きょうお話を聞いた、
公共空間
をつくっていくということは非常に大事なことで、今のそのままの形というよりは、いろいろな討論の場をつくったりとか、あるいはそこでのいろいろな
主張
をする紙面というものを平等に提供したりという工夫が必要なんですが、現在のメディアを活用するということ
自体
が非常に大事なんですが、まさにそこのところの自由度ということが問われているというふうに私は思います。
公共空間
の設定ということでの、現存するメディアというものを大々的に利用して
公共空間
という先生の
言葉
の中に組み込むという作業について、先生のお考えがございましたら教えていただきたいと思います。
高見勝利
53
○
高見参考人
公共空間
というふうな概念を使ってみたわけなんですけれども、その場合に、もちろんそこでの主役というのは
国民
ということになるわけですが、メディアというのは、やはり基本的には、
憲法
的な観点から申しますと、
国民
の知る
権利
に仕える、そういう公共的な機能、役割を担っている、そういう
判断
でございます。したがいまして、メディアというのは、この
公共空間
の中において極めて重要な役割を果たさなければいけない。特にそれは、
国民
に対して正確な情報を提供する、あるいは非常に多角的な議論というものを投げかけていく、そういう
意味
であります。 したがって、そういう
意味
では、メディアというのは基本的に自由であって、そこでは基本的には自主
規制
でしかないであろうということです。
太田昭宏
54
○太田(昭)
委員
インターネット社会ということになってきますから、そこで、
国民
があくまで主役で
承認
をするという作業が九十六条で
定め
られてきたことからいいますと、一人一人が
意見
を述べ合うという場を何らかの形で提供するということ
自体
が
国民投票
法案ということの上で大事かというふうに思います。そういう
意味
でのインターネット社会と
公共空間
というふうに、この問題は
選挙
法的にはまだここは十分
定め
られていなかったりということがあるわけですが、その辺は、積極的に
国民
が決めるということからいって私は必要だというふうに思うわけですが、その辺のイメージは先生どういうお考えでしょうか。
高見勝利
55
○
高見参考人
インターネットの社会になってきておりますし、ネットを通じてさまざまな情報の交換、言ってみればフォーラムができているわけです。したがって、そういうものも当然、私がイメージしております
公共空間
の中の極めて重要な一角をなすであろうというふうに考えております。
太田昭宏
56
○太田(昭)
委員
虚偽報道
規制
ということについて、
高橋
先生のお考えを教えてください。
高橋正俊
57
○
高橋参考人
虚偽
ということ
自体
が、ある
意味
で、客観的な形で証明できる場合もあれば、確定が非常に難しくて、
虚偽
であろうけれども、しかしそれを客観的な形で証明しがたいというふうな場合もあろうかと思います。 したがって、
虚偽
ならばこうするというふうな形でやる、それは客観的な場合にはそれでよろしいんでしょうけれども、そうでない場合には、事実はこうだという形で何らかの、政府がやるのはちょっと問題があるのかもしれませんが、それなりの独立的なところがそれに対して反論という形でそれを正していくような、情報提供をするような、そういうふうな仕掛けが必要なのかとも思いますので、非常に難しいんでございますので、よろしくお願いいたします。
太田昭宏
58
○太田(昭)
委員
ありがとうございました。終わります。
中山太郎
59
○
中山
委員長
次に、笠井亮君。
笠井亮
60
○笠井
委員
本日は、貴重な御
意見
ありがとうございました。 先ほど来の
質疑
で、ともかく
手続法
をと、そして、どんな
国民投票
法案にするかという議論もかなり多いわけですけれども、私は、それを伺っていても、具体的な
憲法改正
の中身抜きにはなかなか議論が煮詰まらないんだろう、できないんだろうということを改めて強く感じているところです。 総
選挙
後の世論
調査
を見ましても、例えば毎日新聞で、九条
改正
反対が六二%、そして、九条が日本の平和に役立ってきたというのが八〇%という数字もございました。今、九条の会が草の根で全国でもう三千を超えているという動きもあります。今、
憲法
九条改憲を中心としたこの改定というのが
国民
の多数
意見
になっているかというと、そういうわけでもな
いし
、それから、そのための
国民投票
法案をつくれという
国民
の側からの世論と運動が沸き起こっているということでもないというふうに思うんです。 そこで、議論の大前提として改めて確認させていただいておきたいんですけれども、
憲法
とはそもそも何か、そして、その
改正
とはどういうことかということについて、両
参考人
に伺いたいと思うんです。 私が
理解
しているところでは、
憲法
というのは国家
権力
が
国民
の義務を
定め
て自分の思うような
政治
をするためのものじゃなくて、逆に、国家
権力
が勝手なことをできないように縛って、
国民
の
権利
と自由というのを守り、
保障
するためのものだと。
日本国憲法
も、まさに侵略戦争の痛苦の教訓、それから、
国民
の
権利制限
のもとにそれが行われたという経験から、国家
権力
を
制限
して、そして
国民
の人権を
保障
するという立憲主義に基づいてつくられたというふうに
理解
しているんです。したがって、
憲法
を論じるに当たってもそういう立場が貫かれなきゃいけないと思うんですけれども、
憲法
とは何か、
改正
という問題について、両
参考人
にちょっと、そもそも論で申しわけないんですが、伺いたいと思うんです。
高見勝利
61
○
高見参考人
難しい問題、
憲法
とは何かという、そもそも論ということでございますが、簡単に申しますと、今御質問の中でお話のあったようなことと基本的には違わないと思います。 ただ、
国民
が
憲法
をつくって国家
権力
の手足を縛るという話は非常にわかりやすいんですけれども、そこで言う
憲法
、これは、基本的に考えなければいけないことは、そこで
憲法
と言われているものは、基本的には国家の
権力
の組織の
あり方
を決めているということでございます。つまり、
国民主権
のもとでは
国民
が最高のいわば
立法
者であるわけであります。これは、
憲法制定権力
というふうなことで呼ばれていますけれども、その
国民
が
憲法
において国家の諸
機関
を組織する、そういうことであります。しかも、そこに、例えば
立法
権でありますとか司法権であるとか行政権といったものをその
機関
に付与する、これが
憲法
というものの持っている
意味
であります。 つまり、どういうことかと申しますと、手足を縛るということの
意味
は、実は手足を縛る前に自分たちの手で組織しているわけであります。まず、
憲法
は組織規範であるということですね。組織規範、むしろ授権規範であるわけですね。それによっていわば国家の
権力
の
行使
の仕方というものが拘束されている、そういう
意味
で手足を縛るということであります。
憲法改正
というのは、そういう形で
憲法
で
定め
られているもろもろの権限な
いし
権力
の
あり方
というものを一部修正する、あるいはつけ加えていくというのが基本であろうかと思います。 ただ、その場合に、人権の
規定
というのが一つ問題になろうかと思います。人権
規定
というのは、もちろんこれは
国民
の側にすべて留保しているわけでありまして、
国民
の側から見てこういった自由というのは
保障
されなければいけない。ですから、
国家機関
がさまざまな活動を行う場合に、そういう人権のカタログで書かれているようなことについて最大限配慮しなければいけない。もちろん、
法律
をつくる場合もそうであります。そういう
意味
で、人権
規定
というのが大変重要であるということでございます。
高橋正俊
62
○
高橋参考人
私も非常に難しいのですが。 まず、
憲法
ということなのでございますが、恐らく
憲法典
のことをおっしゃっておられると思うんですけれども、これは、基本的には、統治の主体がいずれであり、その統治の仕方がどうであるか、そういうふうなものが中心となりまして、これのみを書いてある
憲法
もないわけではないわけですけれども、我々が通常
憲法
と言うものは、そのような統治主体の
権力
行使
に対して、立憲主義という形で、いわば
権力
分立とか人権という形で、それを制約していく装置を組み込んでいく、こういう中で適切な国家運営を行おうという、それを書いたものが
憲法典
というふうに
理解
いたしております。 ところで、それを
改正
することはどういうことかということでございますが、これらの
二つ
の要素を、恐らく時代的、状況的に適合するように主体の
あり方
や仕方を変えたり、それを抑制する場合はその抑制装置を強化したり、そういうふうな中で、現在の社会に合うように
構成
していく、こういうふうなものと
理解
をいたしております。したがって、我々は、恐らく国家の大目標は、国家
構成員
たる
国民
の生命といわば財産その他、基本的には全体として人権と呼べると思いますが、そういうふうなものを擁護していこうということですから、最終的には
委員
おっしゃるとおりというふうには考えております。
笠井亮
63
○笠井
委員
ありがとうございました。
高見参考人
に伺いたいんですが、先ほど、現
憲法
の
正当性
を確保するために
国民投票
を実施すべきではないかという質問を出されて
質疑
があったと思うんですけれども、既に
憲法
の前文の中でこうあります。「日本
国民
は、正当に
選挙
された
国会
における代表者を通じて行動し、」「ここに
主権
が
国民
に存することを宣言し、この
憲法
を確定する。」とあるわけですけれども、ここにあるように、その
正当性
は確保されているというふうに私は思うんですけれども、現
憲法
の
正当性
についてどういうふうにお考えでしょうか、伺いたいと思います。
高見勝利
64
○
高見参考人
これも大変難しい問題でございます。 現
憲法
の
正当性
ということになってまいりますと、これは
憲法
制定
の経過ということをやはり一つ問題にせざるを得ないということになろうと思うんですね。それをどういうふうに整理するかということになりますと、これは歴史的な経過の事実と、それから一つは論理との、先ほど申しました
国民主権
の
憲法
でございますので、そもそも
国民
が
憲法制定権力
を
行使
してこの
憲法
をつくったということを前文の冒頭の一文でも述べているわけでありますね。そのところの
整合性
をどう考えるかということになろうかと思います。 ただ、私は、基本的には、学界で通説化しております宮沢俊義先生の八月革命説といったものを持ち出さなければ、やはり
日本国憲法
の
正当性
というのは法論理的には説明できないだろうというふうに考えております。
笠井亮
65
○笠井
委員
さらに
高見参考人
に伺いたいんです。 九十六条に
関連
してなんですけれども、
参考人
が二年前に
衆議院
の
憲法
調査
会の最高法規小
委員会
で述べられたことを
会議
録でも私、興味深く拝見したんですけれども、その中で、
改正
規定
の沿革のところで、当時の法制局が作成した想定問答集という話がありました。 それで、紹介されて、
憲法改正
手続
はリジッドに過ぎないかという問いに対して、「この程度に慎重にせぬと
改正
が行き過ぎになるおそれがある。
国会
議員
の質をよくし、
国民
の
政治
的教養を高めれば必要な
改正
を行うには支障あるまいから、これを先決問題として実現すべきである。」という部分を紹介されたことに注目したんですけれども、「この程度に慎重にせぬと
改正
が行き過ぎになるおそれがある。」ということで、当時その前提問題として考えられていたことというのが今日どういう
意味
合いを持つかというふうにお考えかと。なかなか難しい話かもしれないんですが、御
意見
を伺えればと思うんです。
高見勝利
66
○
高見参考人
法制局
見解
というか、法制局の想定問答、あれはまさに想定問答でありまして、多分帝国議会の議事録には出ていない部分だと思うんですね。そういう
意味
では、法制局内部での一つの試案にしかすぎないと思います。その点はやはり考慮をしなければいけないと思うんですけれども、やはり
憲法
の
制定
の過程との
関連
で申しますと、最初一院制であったということが非常に大きいと思います。 つまり、九十六条で衆参両院の三分の二ということになって、これで非常に厳しくなってしまったということですね。つまり、
国会
一院で三分の二の多数ということならば、それほど難しい
要件
ではなかっただろう。それから、当時そこに至るまでの案を見ていきますと、必ずしもというか、最初のGHQの草案にあったものは、むしろ
国民投票
は例外的というふうな、そういう
規定
の仕方でございまして、最終的に三分の二でいくと。三分の二でいくということでGHQ側から日本政府に渡されたわけでありますけれども、しかしながら、日本側の方で両院制をとったがために、極めて難しいことになったのだろうということであります。 そういう雰囲気の中で、その法制局の想定問答ができたと思うんですね。法制局の当時の法制官僚たちは、
憲法改正
ということになれば、やはり三分の二ぐらいの賛成がなければ発議すべきではないだろうという、多分そういう含みで書かれていると思うんですね。その重みというのは確かにあるわけでありまして、
国民
に対して、特に
日本国憲法
の場合には、その三分の二をとったがために硬性度の高い
憲法
になっております。それであるがゆえに、
憲法改正
については、
憲法
自体
が極めて慎重な
態度
をとっている、それが私の感想でございます。
笠井亮
67
○笠井
委員
もう一つだけ伺っておきたいんですが、外国の
立法
例ということで、
憲法改正
国民投票
の過半数の算定基準ということで、全有権者としているものがあるということで
高見参考人
がお書きになったものがあるというふうに私も拝見したんですけれども、それを見ますと、韓国やロシアなど比較的新しく
憲法
のできたところの中で算定基準を全有権者としているものが見受けられると思うんですけれども、それはどういう考えに基づいてやられたのか、
国民主権
を強化するというか、そういう考えが根底にあるのかどうか、もしおわかりになればお答えいただきたいと思うんです。
高見勝利
68
○
高見参考人
申しわけございません。その辺のところは、私も条文を当たって全有権者と書いてあるということに注目して紹介はしたんですけれども、今のところ、その背景になっている思想なり考え方まではちょっとつかんでおりません。申しわけございません。
笠井亮
69
○笠井
委員
ありがとうございました。 時間になりましたので、
高橋参考人
、さらに伺いたいことがあったんですが、また別の
機会
があればと思います。ありがとうございます。
中山太郎
70
○
中山
委員長
次に、
辻元
清美君。
辻元清美
71
○
辻元
委員
社民党の
辻元
清美です。 きょうは、お二人の
参考人
の方々、ありがとうございました。 まず、
高見参考人
にお伺
いし
たんですが、本年の九月十四日の大
法廷判決
について、これを重視しての御発言だったと思います。私もこの
判決
には非常に注目しておりまして、といいますのは、
国民
の
固有
の
権利
とは何か、民主主義の発する根本とは何かという非常に深い
意味
をはらんでいると思うから注目しておりました。七月十三日に、大
法廷
での口頭弁論に傍聴に参りました。 まず、そういうことも含めまして、この九・一四の
判決
と
国民投票
との
関係
について二問お伺
いし
たいと思うんですね。 この
判決
では、「
国民
の
選挙権
又はその
行使
を
制限
することは
原則
として許されず、
国民
の
選挙権
又はその
行使
を
制限
するためには、そのような
制限
をすることがやむを得ないと認められる
事由
がなければならないというべきである。」ということから、ずっとさまざまなことが述べられておりまして、「既に昭和五十九年の時点で、
選挙
の執行について責任を負う内閣がその解決が可能であることを前提に」
法律
案を
国会
に提出しております。このことにも触れられておりまして、そのことを「考慮すると、同
法律
案が廃案となった後、
国会
が、十年以上の長きにわたって在外
選挙
制度
を何ら創設しないまま放置し、本件
選挙
において
在外国民
が
投票
をすることを認めなかったことについては、やむを得ない
事由
があったとは到底いうことができない。そうすると、本件
改正
前の公職
選挙
法が、本件
選挙
当時、
在外国民
であった上告人らの
投票
を全く認めていなかったことは、
憲法
十五条一項及び三項、四十三条一項並びに四十四条ただし書に違反するものであったというべきである。」というふうに
判決
には出ております。 私は、前回の当
委員会
の発言でこの問題を取り上げて、これこそ
立法
不作為に当たるのではないかという指摘をいたしました。 私は、
国民投票
の議論を始めていくと、
国民投票
の
あり方
を論じようとするのであれば、
立法
府の責務として、この
違憲
ということを示された状況を、この九・一四
判決
に出た状況を解消するということをまずすべきであるというように考えるんですが、いかがでしょうか。 〔
委員長
退席、保岡
委員長
代理着席〕
高見勝利
72
○
高見参考人
ちょっと質問の御
趣旨
がわかりにくいところがあるんですけれども、質問というか、確認してよろしいですか。
保岡興治
73
○保岡
委員長
代理 わからなかった点を指摘していただければ、また御質問があるでしょう。
高見勝利
74
○
高見参考人
立法
の不作為状態にあって、今
違憲
状態にある、そこを解消するのが先決であるということですね。 これは、こういうことですか。つまり、今回の九・一四
判決
の中で確認されたことは、次の
国政選挙
までに、もちろん比例部分は
選挙
できるわけですが、
選挙
区
選挙
及び小
選挙
区については
在外国民
が
投票権
を
行使
できないので、その
制限
を解除する
措置
をとらなければ、その
違憲
状態は解消しないということでありますので、したがって、もちろん国賠という話は別に出てまいりますけれども、
国会
としては当然、これは公職
選挙
法の附則の八項になるんでしょうか、これを削除してそういう状態をなくす、そういう
立法
措置
をとることが求められているのは当然のことであります。
辻元清美
75
○
辻元
委員
今なぜその質問をしたかと申しますと、先ほど
参考人
が、やはりこの
判決
というのは
国民投票
をどういう形でどの範囲で行うかということと
関連
して論じられた点が非常に重要であるというふうに考えたからなんですね。 この
判決
によって、例えばこの
判決
には、「侵害を受けた後に争うことによっては
権利
行使
の実質を回復することができない」として、
選挙権
を
行使
することができることの確認を求める訴訟は適法であるというようなことも示されました。 これは、例えば
国民投票
を考えた際に、これは公職
選挙
法におけることが問題となっていますが、
国民投票
の
権利
ということを考えた際にも、その
国民投票
の
権利
が何らかの形で侵害される場合には、事前にそのような
国民投票
法の無効の確認を求める訴訟というものが許されるというように考えられるかどうかという点については、
高見参考人
、いかがお考えでしょうか。
高見勝利
76
○
高見参考人
論理的にはあり得るということであろうかと思います。もちろん、
国民投票
法ができて、それが運用されるということになっての話ということでございます。
辻元清美
77
○
辻元
委員
この九・一四の
判決
については、以上二点、お聞きしたかった点です。 それと、きょうの議論の中で、どのような場合に一括方式というものが果たしてとれるのかどうかというところも一つの焦点だったのではないかと思うんですね。
高橋参考人
にお伺
いし
たいんですけれども、先ほどから何人かの方々の質問にお答えになっている点なんですけれども、例えば全く新しいものが提示されたとしても、この部分は今の方がよかったという
判断
もあるわけですね。今のものがあって、これは全く新しいからこれがいいですかと問う場合も、こっちは今の方がよかったじゃないか、しかしこっちは新しい方がいいなという
判断
は必ず出てくると思うんですね。これは
国民
が
判断
する際に非常に重要なポイントになるかと思いますので、やはり一括方式というのは非常に
政治
的な
意味
を帯びている場合以外とりにくいのではないかと考えるんですが、いかがでしょうか。
高橋正俊
78
○
高橋参考人
おっしゃるとおりでございまして、
政治
的な場合でなく、論理的に考えた場合には、全体一括、ユニットというのをちょっと分けましたけれども、全体一括というのは非常にまれな、もしくは場合というふうに考えられているようでございます。 ただ、アメリカのケースなんかの場合には、ほとんど丸々、同じような基本
原則
みたいなものを残しながら、それをほとんど書きかえてしまうようなものがございまして、そういう場合には一括だ、そういうふうな形で使われるわけでありまして、日本国の場合にはほとんど考えない方がよろしいかと。ユニットまでというふうに考えております。
辻元清美
79
○
辻元
委員
といいますのも、きょうは二回目なんですけれども、この一括方式か個別方式かということについてたくさんの
委員
が前回も
意見
を述べられました。
高見参考人
にお伺
いし
たいんですけれども、こういう
意見
があったんですね。
国会
が三分の二の賛成がなければ発議ができないということなので、非常に重い選択である。であるからして、大きな
改正
がある場合は一括方式でいいのではないかというような
意見
を述べられた
委員
がいらっしゃるんですね。私は、
国会
が三分の二で発議するということと、どういう方法をとるかというのは全く別次元の問題であるということを一点目思ったことと、それから、大きな問題をはらむから一括でいいという議論は、やはり成り立たないのではないかというように思うわけです。しかし、この手の
主張
は結構出ているというようにお見受けするんですけれども、この手の
主張
について
高見参考人
はどのようにお考えでしょうか。
高見勝利
80
○
高見参考人
おっしゃるとおり、
国会
の発議
要件
が三分の二になっているということと、一括方式で
国民投票
にかけるべきか、これは論理的に内容が結びついていないというふうに思います。ですから、全く別の話であろうということでございます。 そういう議論が出てくるのは、多分、ある
意味
でというか、これは法的な論理ではなくて、むしろ、三分の二という極めてその発議
要件
が高いハードルがあるがために、
憲法
の
改正
について、この際というか、一括して極めて大幅な形での
改正案
というものをむしろ準備していくべきである、多分そういうことで結びついている議論ではないかというふうに思います。
辻元清美
81
○
辻元
委員
時間が参りましたので、これで終わります。ありがとうございました。
保岡興治
82
○保岡
委員長
代理 次に、滝実君。
滝実
83
○滝
委員
国民
新党・日本・無所属の会の滝実でございます。 きょうは、お二方の
参考人
の先生には大変ありがとうございます。私も、
憲法
論議につきまして、改めて興味深くきょうはお聞かせいただきました。 最初に、きょうこの場で
意見
の御開陳があった点について、二人の先生から一問ずつまず御質問をさせていただきたいと思いますので、よろしくお願い申し上げたいと思います。 まず、
高見参考人
にお願いを申し上げます。 この九月十四日の
最高裁
判例に
関連
いたしまして、一つ強調されたのは、
投票
者の範囲、今の
国政選挙
よりも幅広くすべきではないか、こういうふうな御
趣旨
だったかと思います。 私は、この
判決
をたびたび読ませていただいたんでございますけれども、確かに
固有
の
権利
ということに着目をしますと、もともと日本人は、だれしも
政治
に参画する、あるいは
国政
に参画する基本的な
権利
を
固有
の
権利
として持っているわけでございますから、
年齢
に縛られないという
意味
では、強い
固有
の
権利
という考え方も成り立つと思うんですね。 しかし、
国政
に携わる
国会
議員
あるいは
最高裁
の判事、この人たちについて
投票
するあるいは信任をする、そういうような間接的なことについては、あるいは二十歳ということが現実にあるわけでございますけれども、しかし、それを一歩踏み込んで、国家の骨格そのものに
意見
を言うあるいは
決定
をする、そういうものについて間接民主主義を超えてやる場合に、
年齢
が低くてもいいという論理的な結論というのはなかなか出にくいように思うんです。むしろ逆ではないかというようなことも感じられるんです。 もちろん、私は二十歳がいいとか悪いとか言っているんじゃないですよ。
国政
で二十歳であれば、何で
国民投票
の場合にそれよりも幅を広げて十八歳にしてもいいのかというのが、この
最高裁
の
判決
からはなかなか導くのが難しいように思うんでございますけれども、もう少しそこのところ、簡単に、しかも易しく解説していただくとありがたいです。
高見勝利
84
○
高見参考人
最高裁
の今回の九月十四日
判決
を私冒頭から使いましたけれども、最初、冒頭で使った
意味
というのは、
選挙権
というのは
国民主権原理
に基づいているということが
判決
のポイントでございます。それに対して、では九十六条の
国民投票権
ということを考えた場合にどうかというと、これは
国民主権
の
原理
に基づくんではなくて、
国民主権
そのものと直結した権限、
権利
であるということを言いたかったわけです。 そういたしますと、
国民
の範囲をどう考えるかということに
憲法
九十六条との
関係
でなってくるわけでございます。その場合に、そもそも
国民主権
でいう
国民
とは何ぞやという大議論がございますけれども、
国民
、一番広くとると、これはすべての
国民
ということになるわけでございます。つまり日本
国民
、日本国籍を持つ者ということになるかもしれません。つまりエブリボディーでありますね。 ところが、実際に
国民主権
を持ちながら
憲法
の
改正
に
行使
できるということになってきますと、どうしても全員というわけにはまいりません。どこかで切らなければいけないんですね。ただ、
法律
の
制定
に携わる
議員
とか、あるいは
国民審査
という形で
最高裁判所
判事についてその罷免をかける、そういった
制度
というか、そういう
憲法
上の
制度
を動かす
国民
の範囲とはやはり違うだろうというふうに思ったんですね。 それで、いわばこれから将来にわたって長い間我々を拘束する、そういう規範の定立あるいは
改正
ということでございますので、できるだけ全
国民
に近い範囲で広く参画すべきであろうということでございます。つまり、広く参画すべきであるということがメーンでありまして、
年齢
を下げるということでは必ずしもありません。 そういう
趣旨
で、ただしかしながら、やはり
年齢
を下げなければ広くならないであろうし、ましてや、とりわけ将来にわたって
国民
を拘束していくわけでありますので、できるだけ今の
成年者
よりは広くとるべきである、そういう
趣旨
で十八という単位を出したわけです。
滝実
85
○滝
委員
ありがとうございました。 外国の例を見ますと、
国政選挙
の
選挙権
を低
年齢
化した一つの
理由
として、高齢化社会になると、国の資源、税金が高齢者にどうしても偏っていく、それに対して若い人たちが手をこまねいて見ていなければならない、
選挙権
を持たない
年齢
の人たちが。したがって、例えばスウェーデンでも十八歳に引き下げましたとか、そういうような説明をされているんですけれども、そういう今のお話ですと、
国政選挙
でもむしろ同じように扱った方がいいんじゃないだろうかなということであって、論理的に今の
最高裁
の判例から導くというのはなかなか難しいように思うものですから、お尋ねをいたしました。 それから、
高橋参考人
に次にお尋ねをいたしたいと思います。 今の発問形式の問題で、個別であるというのはもちろん当たり前の話として受け取っているわけでございますけれども、それに対してユニット方式はどうだとか、あるいは、全部の条文を変える場合には、もう一括しなければ、百条からの条文を一々マル、ペケをつけるというのはなかなか現実問題としてやりにくいという問題がおありになる、そういう中でいろいろ議論があるわけでございますけれども、先ほど
高橋
先生の方からは、個別にするかユニットにするか一括にするか、それを法文の中で書きにくいというようなことを言われました。しかし、これを書いておきませんと、やはりこの
国民投票
というのは極めて
政治
的な案件でございますから、当然、訴訟に持ち込まれたときに、何も手がかりなしに訴訟になったときに、そもそも訴訟にたえられるのかどうか、それが一番大きな問題になり得るという
意味
では、未然に紛争を防いでおく、そういう配慮が必要じゃないかと思うんでございますけれども、いかがでございましょうか。
高橋正俊
86
○
高橋参考人
私がちょっとその点について申し述べましたのは、この
国民投票
法にその部分について、発問形式について、種類その他は構わないと思いますが、どうするということまで書き込む、具体的なのはちょっと難しいのではないかと申したわけでして、ある案は、それは別の
法律
をつくって、そのときに出てきた
改正案
というものを念頭に置きながら具体的な処理をしていこう、こういうふうな案が出てきておりますが、私も、それがある
意味
でいいのかなと。その部分について、
政治
的な思惑で、本来ならば個別的なものをユニットにされるというおそれはちょっとあることはあるんですけれども、しかし、それはやはり
国民
の批判を招いて現実の
国民投票
に影響するでしょうから、それぐらいのことは
法律
で決めてよいのかなというふうに考えた次第でございます。
滝実
87
○滝
委員
ありがとうございました。 次に、お二方の
参考人
の先生に同じことをお尋ねしたいと思います。 それはどういうことかと申しますと、訴訟になった場合、条文の書き方としては、
国民投票
に異議のある者はということが主体になると思うんでございますけれども、そのときに、個人でもいいのか、あるいは何人か集まらないと訴訟を提起できないのか、そういう議論がどういうぐらいになっているのか、それをお示しいただきたいというのが第一点です。 それから、二点目は、特に
高見参考人
は、訴訟になって
最高裁
の
判断
が確定するまでは
改正憲法
が動かないというような御
趣旨
のようにもこのペーパーでは拝見したんでございますけれども、そういうことになってまいりますと、なかなか訴訟が長引いてどうなのかな、こういう現実問題にまた戻るものですから、その辺のところを、この二点について、まず
高見参考人
から御
意見
を簡単にお聞かせいただきたいと思います。 〔保岡
委員長
代理退席、
委員長
着席〕
高見勝利
88
○
高見参考人
まず第一点でございますけれども、これは、
国民投票
の執行過程に何らかの瑕疵があって、したがって、その瑕疵があるがゆえに
国民投票
自体
が無効であるということの
判断
を求めるわけでございますので、これは個人、団体問わないというふうに思います。つまり、ある
意味
で、客観訴訟、客観的な違法性をただす、違法をただすということでございますので、個人を排除する
理由
というのはございませんというふうに私は考えます。 二番目の御質問の点でございますけれども、これは、どういうふうに
国民投票
の無効確認の訴訟の
手続
な
いし
その
要件
が整うかわかりませんけれども、例えば、今の公職
選挙
法の
選挙
無効の訴訟と同じように、
国民投票
の結果に異動を及ぼすおそれがある場合には無効である、そういう
要件
が付されることにいたしますと、この訴訟が確定した上でないと極めて不安定な状態に
改正憲法
が置かれるんではないか、そういうふうに考えております。 もちろん、現行の公職
選挙
法の
選挙
無効の訴訟についてもありますように、違法状態にある、したがってその
選挙
は違法である、違法であることを確認するけれども、しかしながら事情
判決
によって無効とはしないというそういった
判断
方法もあり得るかと思いますけれども、しかし、事は
憲法
でございます。
憲法
をそういう形で確定してよろしいのか。つまり、訴訟の確定を待たずに
改正憲法
自体
が発効しその効力を持つということになりますと、結局のところは、裁判所によって
投票
過程が違法であったということの確認がついた形での
改正憲法
の施行ということになりますので、こうなってしまいますと、
改正憲法
の
正当性
自体
が極めて問われることで不安定になるであろう。 そういうことを考えますと、やはり裁判所によって確定した段階でしか
国民投票
の効力というのは認めないというふうに考えるべきである、そういうふうに思っております。
滝実
89
○滝
委員
高橋
先生、お願いいたします。
高橋正俊
90
○
高橋参考人
第一点の、いわば訴訟主体がだれに、個人も可かという話でございます。 本来、
憲法
上の司法権の
保障
というのは主観訴訟という部分でありまして、今回は恐らく客観訴訟ということになって、
法律
上で決めればよろしいという
法律
上の
保障
ということになると思います。もちろん、これを
保障
しないで
国民
の信任を得るなんということはとてもできませんから、できるだけ広い、しかし、今申しましたように確定の問題がございますので、私の場合には、実施まで決めればそれほど被害はないだろうとは考えておるんですが、その間の
期間
の問題もございますので、それに対応できるような
制度
設計にすべきであると。 ただ、
一定
の人数が集まらなければいけないような、
一定
の団体でなければいけないような場合にしますと、やはり個人の非常に重要な瑕疵をいわば裁判にのせるチャンスが失われますので、それはやはり避けるべきではないでしょうか。もし早期化を図るならば、絞りをかけるならば、ほかのところでおやりになるのがふさわしいのではないかというふうに私、思っております。 以上でございます。
滝実
91
○滝
委員
ありがとうございました。
中山太郎
92
○
中山
委員長
これにて
参考人
に対する
質疑
は終了いたしました。 この際、一言ごあいさつを申し上げます。 両
参考人
におかれましては、貴重な御
意見
をお述べいただき、まことにありがとうございました。
委員会
を代表して、心から御礼を申し上げます。(拍手) 午後二時から
委員会
を再開することとし、この際、休憩いたします。 午前十一時四十五分休憩 ————◇————— 午後二時
開議
中山太郎
93
○
中山
委員長
休憩前に引き続き
会議
を開きます。
日本国憲法改正国民投票制度
及び
日本国憲法
に関する件について
調査
を続行いたします。 本日の午後は、午前の
参考人
質疑
を踏まえて自由
討議
を行います。 議事の進め方でありますが、まず、各会派を代表して一名ずつ大会派順に十分以内で発言していただき、その後、順序を
定め
ず自由
討議
を行いたいと存じます。 発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。 それでは、まず、近藤
基彦君
。
近藤基彦
94
○近藤(基)
委員
自由民主党の近藤基彦でございます。 本
委員会
での
憲法改正
国民投票
法に関する本格的な議論は先週から始まったばかりではありますけれども、既に主要な論点が出そろいつつあるようにも思われます。 そこで、今後の議論を深めるために、私なりに、私見を交えた議論の交通整理を行ってみたいと思います。 まず最初に、
二つ
の基本的な事項を確認しておきたいと思います。 一つは、
一般
的なルールとしての
憲法改正
国民投票
法の必要性であります。 前回の御議論の中に、
憲法改正
の内容とその
手続法
は不可分なものであるから事前に
手続法
の内容だけを議論するのは困難ではないかとの御
意見
がございました。 確かに、
手続法
の内容の一部にはそのような事項もあることは否定いたしません。しかし、
国民投票
の
手続
のすべてが
憲法改正
の内容と密接不可分であるわけではないと思います。また、
改正
内容に応じて個別に
定め
た方が適当な事項があるとすれば、それは発議の際に決めるという方法をとってもよいわけであります。 したがって、少なくとも現時点で最良と考えられる
一般
的な
国民投票
の
手続
をあらかじめ
整備
し、
国民
の前に提示しておくことは、
憲法改正
に対する立場の違いを超えて、その議論を建設的なものにするためにも、また
国民
にとっても重要なことだと思います。まず、そのことを確認しておきたいと思います。 もう一つは、
憲法改正
の
国民投票
と
一般
的な
国民投票
との
関係
です。 両者は、確かに
国民投票
という点では同じかもしれませんが、その本質は全く異なるものです。一方は、三分の二以上の賛成で、ほとんどの政党が賛成をして
国民
に
賛否
を問うものであり、しかも、その
国民投票
の結果は法的拘束力を有することになるものであります。他方、
一般
的な
国民投票
は、政策的に与野党が激しく対立するような論点について民意を問うてみるというもので、しかも、現行
憲法
下においては、拘束力のない、諮問的な
法律
上の
制度
ということにならざるを得ないわけであります。 この
二つ
は、そのルール設定の仕方が根本的に違うものであり、仮に後者の
法律
が必要だと考える場合でも、それは別個に
制定
されるべきだと考えます。少なくとも、本特別
委員会
での議論からは、
一般
的な
国民投票
法というのは外しておいた方が効率的、生産的な議論ができるのではないでしょうか。 では、次に、個別具体的な論点の整理をしてみたいと思います。 前回の
委員
各位の御議論を伺っていて、明示的にあるいは黙示的にほぼ合意されているのではないかと思われる論点としては、まず、
国民投票
は
国政選挙
とは別個に実施するべきであることが挙げられると思います。 また、細かい点ではありますが、
投票
用紙への
改正案
の記載の有無については、さまざまな
改正
があり得るので、
一般
には
投票
所への掲示等で十分とし、それ以外の方法が有用である場合は、発議の際に特別ルールとして決めればいいということになるんではないでしょうか。 さらに、三つ目として、無効訴訟が提起された場合の
国民投票
の効果についても、本日午前の
高見参考人
の御
意見
などを勘案すると、理論的には大変難しい論点ではあっても、
国民投票
は訴訟提起のあるなしにかかわらずその効果を生じると考えるのが、
立法
政策的に素直な考え方だろうと思います。 以上の各論点は、今後とも議論は必要でも、結論はほぼ出ていると言ってもいいように私には思えます。 次に、
意見
の隔たりはあっても、基本的な考え方は同じであり、合意形成が可能であると思われる論点としては、個別
投票
か一括
投票
か、また、周知
期間
をどの程度とるべきかといった論点が挙げられると思います。 前者の論点については、まず、民意を正確に問うという観点から、個別
投票
が
原則
であると考えます。そして、全部
改正
というような場合はもちろん、相互に
関連
する項目については一括
投票
という例外を否定しない。この
原則
、例外の存在については共通の認識があるものと思われます。私としては、
原則
は個別
投票
であることを前提としつつも、具体的な
国民投票
への付し方は、発議の際に決めるというところに落ちつくんではないだろうかと思っております。 また、後者の周知
期間
についても、最短で三十日、最長で百八十日程度といった御
意見
があるようであります。これは
改正案
の内容次第でしょうから、発議の際の
国会
の議決によって
投票
日あるいは周知
期間
を
定め
るというようにするのが妥当だと考えます。 次に、現時点では
意見
の隔たりがあり、今後精力的に詰めるべき論点としては、
投票権
者の範囲、
国民投票
運動の
規制
の
あり方
、過半数の
意味
と
投票
の際の記載方法という三つの論点があると思います。いずれも大変難しい論点ではありましょうが、今後、真摯な議論によって、決して合意ができないものではないと考えます。 まず、
投票権
者の範囲ですが、これについては、
高見参考人
の
意見陳述
にもありましたように、
憲法
学説上もいろいろな議論があるようです。 結論的には、
国政選挙
の
選挙権
者の範囲と一緒にするということを前提に考えるべきではないかと思います。しかし、
主権者
として、
監獄
に入っている受刑者も含めて、
投票権
をできるだけ拡大するべきではないかという議論まであります。与党で
調査
した際には、ほとんどの国において
選挙権
者と
投票権
者は同じでしたが、検討に値する論点だと思います。 また、二十歳か十八歳かという
年齢
要件
については、
高見
、
高橋
両
参考人
も御同意されたように、
選挙権
の
年齢
と一緒にするのが常識的だと思いますが、これも含めて、これから議論していく必要があると思います。 次に、
国民投票
運動の
規制
の
あり方
については、選管の職員や
投票
事務
関係
者などの
選挙
運動禁止や、
投票
干渉罪あるいは詐偽
投票
罪などの
規定
を設けることについては異論はないだろうと思います。具体的な
制定
の是非が問題となるのは、予想
投票
の禁止の是非、外国人の
投票
運動
規制
の是非、マスコミの
虚偽報道
禁止、不法利用
制限
の是非、買収、利害誘導罪の是非の四点ぐらいだろうと思います。 予想
投票
禁止の
規定
などはなくても構わないと存じますが、特に、買収、利害誘導罪については
最小限度
の
規制
として存置すべきであると思います。前回、居酒屋で会社の同僚や上司と
憲法改正
論議をしていて、おごるとかおごらないとかという場合は、
選挙
だと買収に当たり得るが、
国民投票
では
一般
の
政治
活動の延長上にあるから
規制
するべきではないとの御
意見
もございました。しかし、あくまでも、おごるという
行為
が賛成、反対の
投票
との間で明確な因果
関係
が認められる対価となっている場合には、それは金で
投票
を買ったということですから認められるべきではないと思います。それは、
選挙
だろうと
国民投票
だろうと、理論的には同じではないでしょうか。ただ、実際上には、
国民投票
の場合は、
選挙
の場合とは異なって、
一般
にそのような対価
関係
は認められづらく、通常の
政治
的
意見
の表明とされる場合が圧倒的だということになるのではないでしょうか。 次に、
国民投票
での過半数の
意味
については、有権者総数という
意見
はないようですから、無効票も含めた
投票
者総数とするか、無効票を除いた有効
投票
総数とするかという
意見
の対立があります。 実はこの論点は、
投票
の記載方法として、賛成者がマルをつけることとするのか、それとも賛成者はマル、反対者はバツをつけることとするのかという論点と同一であるように思われます。私は、有権者の
意思表示
として、
選挙
と殊さらに違える必要はないと思うのですが、いずれにしても、議論をすれば合意可能な論点であると思います。 最後に、時間がなくなってまいりましたので、その他の論点について一つだけ指摘しておきたいと思います。 一つは、
意見
が対立しているものではないけれども、相互に知恵を出して
制度
設計をしていかなければならない論点として、
国会
が発議した
憲法改正案
の
国民
への周知方法があります。 私は、発議をした
国会
全体が衆参両院議長名によって
国民
に
国民投票
公報を出し、それには
改正案
の条文だけではなくて要約や解説も付すべきだと存じますが、
高見参考人
の御発言にもあったように、政府の運動
規制
なども含めて、その具体的な方法についてはこれから知恵を出し合っていかなければならないと思います。 以上、私見を交えながら、これまでの議論の総花的な交通整理を試みてみましたが、今後の議論がなお活発で生産的となることを期待いたして、発言といたします。 ありがとうございました。
中山太郎
95
○
中山
委員長
次に、古川元久君。
古川元久
96
○古川(元)
委員
民主党の古川元久でございます。 私どもは、
憲法改正
国民投票
法制の
あり方
を論ずるに当たりましては、間接民主制を補完する
制度
として、
憲法改正
以外にも、皇室
制度
、家族
制度
、生命倫理など、
国民
の重大な関心事、政策テーマについては、場合によっては
国民投票
で
国民
の意思を反映させるべきではないか、そういう基本的な考え方から、
憲法改正
に限らず、広い
意味
での
国民投票制度
の
あり方
を含めて考えるべきではないかというふうに考えています。 この点、ただいま自民党の近藤
理事
の方から、
憲法改正
の
国民投票
と
一般
の
国民投票
とは全く異なる
性格
のものだという
意見
の表明がございましたが、この点では私どもは考え方を異にしております。もう少し、
国民投票
一般
の中で
憲法改正
の
国民投票
というものも、それは
国民投票
の一種特殊な形として考えていくという考え方を持ってもいいんじゃないかというふうに私どもは考えております。 こうした視点から
国民投票
法制の
あり方
を考えた場合に、私どもは、そもそも現行
憲法
九十六条の
憲法改正
規定
が果たしてこのままでよいのかどうか、このこと自身も考えてみる必要があるのではないかなと。
憲法
九十六条の
改正
の是非を、
国民投票
法がどうあるべきかということと同時に考えることが必要ではないかと思います。 と申しますのも、現行の
憲法
九十六条は、
憲法
のいかなる条項の
改正
につきましても、
国会
の各議院の総
議員
の三分の二以上の賛成による発議と
国民投票
を求めております。条文内容による
改正
手続
の違いが全くないことになっております。しかし、あらゆる条文の
改正
につきまして果たしてこのような厳しい
改正
手続
が必要なのかどうか、一度検討する必要があるのではないでしょうか。 もちろん、
国民主権
、平和主義、基本的人権の尊重といった
憲法
の基本
原則
に
関係
する部分の
改正
には、当然こうした厳しい
手続
が必要であるというふうに考えておりますけれども、例えば、統治機構の
あり方
を決める条文の一部などは、より簡便な
改正
手続
によって、例えば
国会
の総
議員
の三分の二以上の賛成で
改正
できるなど、条項によって
改正
手続
に違いがあるということも一つ考え得ることではないかと思っております。諸外国においても、
憲法
の
改正
内容により
改正
手続
に違いを認めている例もあり、こうした例も
参考
にして、
憲法
九十六条の内容自身も、
国民投票
法の
あり方
を議論する際には同時に議論すべきではないかというふうに私は考えます。 また、その際には、九十六条が、
憲法改正
の
国民投票
を「特別の
国民投票
又は
国会
の
定め
る
選挙
の際行はれる
投票
」という形で、
国政選挙
と同時に
国民投票
を行うことも認めておりますけれども、政権選択を迫る
国政選挙
において、政権を争う政党同士が
憲法改正
においては同じような行動をとるのでは
国民
が混乱するおそれがあり、好ましくないと思われます。 したがいまして、
憲法
調査
会における議論や先週の議論でもありましたように、
憲法改正
の
国民投票
と
国政選挙
は分けて行うべしという考え方がほぼ大勢ではないかと思いますから、それならば、九十六条もそのような形に変えるべきではないかというふうに私は考えます。 ここでは、私は、午前中の
参考人
質疑
でも議論となった
投票権
者の範囲について、若干述べさせていただきたいと思います。 私ども民主党は、
選挙権
の十八歳への引き下げを従来から
主張
しております。したがいまして、
国民投票権
者の範囲も、日本国籍を有する十八歳以上の日本
国民
とすべきだと考えます。これは、公職
選挙
法九条一項の
国政選挙
の
選挙権
の
年齢
要件
を、二十歳以上から十八歳以上に改めることで対応すればよいのではないでしょうか。 また、
参考人
の
意見陳述
にもございましたけれども、
選挙
犯罪を犯して
公民権停止
になっている人は
選挙人名簿
に登載されないこととなっておりますが、公職の
選挙
と
国民投票
は質的に異なるので、
国民投票
には参加することができるようにすべきだというふうに考えます。 また、私どもは、例外的なケースではありますけれども、さらに、十八歳以下の人でも、義務教育終了者まで
投票権
者の範囲を広げるような場合があってもいいのではないかというふうに考えております。 例えば、子どもの
権利
条約の国内法制化の一貫として子供の
権利
義務が
憲法
に
規定
されようとしているような場合におきまして、義務教育段階で
憲法
の理念、人権カタログの内容、統治機構などについては既に学習が済んでいるわけでありますから、
憲法
が長くこの国の基本的な
枠組み
を
定め
る基本法であることを考えれば、将来の有権者としての
政治
的な意思を問い、それを尊重することは十分合理的な
理由
があるのではないかと考えます。 もちろん、こうした義務教育終了者が
憲法改正案
について適切な
判断
をできるよう、義務教育段階における
憲法
教育を充実させる必要があることは言うまでもありません。 また、午前中、
高見参考人
の
意見陳述
の中で、
国民投票権
制限
の
可否
に関してのお話がございました。
国民投票
という
性格
上、
制限
は基本的に認められないとする考え方には全く同感であります。 しかし、ここで我が国の場合には、特別な存在の方々がおられることを忘れてはならないと思います。それは、天皇陛下を初めとする皇族の皆様方です。天皇陛下だけでなく皇族の方々には
選挙権
はありませんけれども、それでは同じように
憲法改正
の
国民投票
の
投票権
も全くなくていいのかどうか。紀宮妃殿下のように、皇族の方々の中には、将来皇族の地位を離れる方もいらっしゃいます。こうした可能性のある方まで
投票権
がなくてもいいのかどうか。王室のある諸外国の中には、王族であっても
国民投票権
を与えている例もあると伺っております。
投票権
者の範囲を検討するに当たっては、こうした皇族の方々をどのように取り扱うかということも検討しなければならないのではないかということを、問題提起として挙げさせていただきたいと思っております。 最後に、
憲法改正
の
国民投票
法制の
あり方
を検討していく中では、私が申し述べましたように、
一般
的な
国民投票制度
の導入の是非や公職
選挙
法における有権者の範囲、あるいは
民法
における
成人年齢
をどうするかという論点を初め、幅広い論点が浮かび上がってきます。また、
憲法
九十六条の
改正
も含めて考えれば、
国民投票
といっても、その
あり方
自身に、
憲法改正
の
国民投票
の場合も含め、いろいろなバリエーションというものを考えていく、この
機会
をそういうバリエーションを考えるいい
機会
としてとらえればいいのではないでしょうか。こうした点も踏まえて、本
委員会
において十分な議論が尽くされた上で、できる限り広範な合意形成を得た
国民投票
法案ができることを切に希望して、私の
意見
とさせていただきます。
中山太郎
97
○
中山
委員長
次に、赤松正雄君。
赤松正雄
98
○赤松(正)
委員
公明党の赤松正雄でございます。 午前中のお二人の
参考
意見
の陳述並びに
委員
の皆さんとの
質疑
を聞かせていただきまして、先週、当
委員会
で冒頭の発言の
機会
にも申し上げましたけれども、改めて、それに加えて若干の点につきまして申し上げさせていただきたいと思います。 前回も申し上げましたけれども、発問の方式、発議の方式という点にさらにこだわりたいと存じます。 昨日、参議院で
憲法
調査
会が行われたということで、一部報道では、一括方式を
主張
する
委員
と、それから個別方式を
主張
する
委員
、与党の中で違いがあった、そういうふうな報道がなされておりましたけれども、朝のこの
委員会
では、
参考人
も
委員
の方々のほとんどは、大きく言って、一括方式か個別方式かといえば、個別が望ましいということであったように思われます。 ただ、個別なら個別なりにとてつもなく煩雑な
投票
にならざるを得ないという、前回指摘したような問題が起こってまいります。そこで、最初から部分的な修正にとどめるといった加憲でいくというならともかくとして、そうでなくて、より全面的な
改正
ということになる場合の具体的な個別方式の進め方については、今後詰めていく必要があると思います。ただ、
投票
技術的に、その問題に行く前に、理屈の上といいますか理論上といいますか、とり得る選択肢があるように思われます。 今、古川
理事
の方から九十六条の問題に触れられましたけれども、私は、違った角度で、この
投票
技術的な問題の延長線上といいますかその手前といいますか、その周辺の選択肢として、
国民投票
の要否をめぐって九十六条そのものの
改正
という点に触れたいと思います。 それは、大きく言って
二つ
に分かれるように思われます。一つは、
国会
の議決の態様に応じて
国民投票
の要否を
決定
するという選択肢であり、いま一つは、
憲法改正
の内容によって
国民投票
の要否を、必要か否かというものを
決定
するというものに分かれる可能性があると思います。 前者は、かねてよく指摘をされますように、各議院の三分の二以上の賛成ということでは余りにハードルが高いということで、過半数にするという一方、三分の二以上の賛成の場合は
国民
の
承認
を必要としないというふうに変えるという考え方が出てくる可能性があるという点であります。 後者は、先ほどもありましたけれども、これは中身によって分けるという行き方です。
国会
とか内閣とか司法などといった統治機構に関するものなどの
改正
については、総
議員
の三分の二以上の賛成があれば
国民投票
にかけない、それ以外の、
国民
の
権利
や義務あるいは平和主義といったふうな、そういう問題については
国民投票
にかけるといったふうにあらかじめ分けるやり方。 こういうふうなものがいいとか悪いとか、価値
判断
は私はここであえて述べませんけれども、そういうふうに、先ほど申し上げました
国民投票
の個別方式というものにこだわる流れの延長線といいますか、その周辺の中で、今申し上げたように、
国民投票
の要否というものを、必要とするか必要としないかということについて
二つ
の対応に大きく言って分かれる、そういうふうなことが考えられるというふうに指摘をしておきたいと思います。 技術的に個別方式を進める上での難しさということもあって、それでも
全面改正
をするということでありましたならば、今言ったような九十六条の
改正
という問題が起こってくるというか、その
関連
性は定かではありませんけれども、重要な課題として意識される必要があるように私には思われます。 それから、今も若干違った角度から御指摘がありましたけれども、私は、
憲法改正
そのものの是非というものをあらかじめ
国民
に問うという、個別具体のことではなくて、
憲法改正
そのものについてその是非を
国民
に問うという
国民投票
の必要性ということについても考える必要があるのではないかというふうに思います。 前回も申し上げましたけれども、いまだ
憲法
を
改正
するということについての
国民
的な合意が得られているとは思えません。多くの世論
調査
を見ましても、部分的に賛成が多数を占めたり、あるいはまた反対が多数を占めるということはあっても、全体を見据えた上での
判断
というのはなかなか難しいというところがあるように思われます。 したがって、まず、すべての行動の前に、
憲法
の
全面改正
かあるいは部分
改正
か、あるいはまた私どもが言っているような加憲か、それとも全く変えない、今のままかといったふうな選択を
国民投票
的なるもので迫るということがあってもいいのではないか、そんなふうなことを考える次第でございます。 前回申し上げましたことにつけ加えまして、以上のことを申し上げさせていただきまして、私の発言とさせていただきます。
中山太郎
99
○
中山
委員長
次に、笠井亮君。
笠井亮
100
○笠井
委員
本日午前に行われた
参考人
質疑
の感想も含めて、幾つか
意見
を述べたいと思います。 まず、
憲法
九十六条が「この
憲法
の
改正
は、各議院の総
議員
の三分の二以上の賛成で、
国会
が、これを発議し、」と。
衆議院
、参議院の両院での総
議員
の三分の二以上の賛成を求めていることの
意味
合いについてであります。
一般
の
法律
と違って、
憲法改正
には衆参両院での総
議員
の三分の二以上の賛成という特別多数を求めているのは、
憲法
の安定性の要請にこたえるためのものであると思います。これは、立憲主義との
関係
では、単に過半数をもってしても変えてはならない
憲法
価値を守るためのものであって、同時に、
国会
に対して熟議を要請するものでもある。
国会
においてそうした熟議が重ねられて、両院での三分の二以上の賛成をもって初めて
国会
が発議できるとしている、こういうものだと思います。 この点で、自由民主党が八月に改憲の第一次案というのを発表しましたが、この中では、九十六条の
憲法改正
条項を「各議院の総
議員
の過半数の賛成で
国会
が議決し、」ということで、現行
憲法
よりも
改正
要件
を緩和しております。これは、いわば政権与党によっていつでも改憲案の発議を可能とすることを目的としたものであって、立憲主義の立場からすると、後退を招かざるを得ないということを申し上げたいと思います。 次に、
憲法改正
には、
国会
での特別多数による賛成だけじゃなくて、
国民
による過半数の
承認
を求めていることの
意味
合いについて述べたいと思います。
憲法
は、
改正
に当たっても、
国民
の基本的人権の
保障
や
国民主権
、そして平和主義の
原則
を継承して発展させることを前提にして、そのために、
憲法制定権力
を持つ
主権者
国民
が、
憲法
によってつくられた
国家機関
である議会や内閣、裁判所等よりも上位にあって、
憲法制定権力
の補完的な発動として、
国民投票
での過半数の賛成による
承認
という
要件
を義務的に課しているわけであります。 午前中の
質疑
で、
高見参考人
が九十六条の前提問題として紹介した想定問答集での指摘、すなわち、慎重にせぬと
改正
が行き過ぎになるおそれがある、当時、
国会
議員
の質をよくし、
国民
の
政治
的教養を高めることが先決問題と指摘したことは、示唆的だと思います。
国会
、そして
国民
の間での
憲法
に関する熟議がないもとで、とりわけ
国民
から改憲の要求が強く出ているという状況じゃないもとで、
国会
の側が
国民
に改憲を迫っていくという今日の改憲論議についていいますと、私は、
憲法
の立場からは無縁のものだと思います。 かつて、
国民投票
という問題をめぐっては、ナポレオン三世とかドゴールとか、
国民投票
をみずからの
権威
づけに利用した、あるいはヒトラーもそれを悪用したという歴史がありました。こうしたことから、再び
憲法改正
国民投票
が、人気
投票
といいますか、プレビシット化するという懸念が出てくるのも当然だと思います。 本日の
参考人
質疑
でも、また前回の
委員会
でも、改憲案の周知、広報の
あり方
とか、マスコミ報道や
国民
の運動に対する
規制
について、いろいろと議論がありました。 私、そういう
規制
については、その中には特に罰則をもって
規制
を厳しくすべきという御
意見
もありましたが、そういう
規制
というのは、結局、
国民投票制度
をつくることが
国民主権
の具体化だというふうに言われながら、
主権
の
行使
をできるだけ抑えようとするものにならざるを得ない、したがって、
憲法
問題を考える根本の姿勢が問われているというふうに言わなきゃいけない問題だと思って、
規制
の問題を聞きました。 以上のことを見ますと、改憲のための
国民投票制度
を
整備
することが
国民主権
の具体化などと正当化されるような議論もありますけれども、
国民投票
の
制度
設計や、その
国民投票
によって実現しようとしている改憲が立憲主義や
国民主権
を後退させるものになっていることを見れば、九条改憲というみずからのねらい実現のために、
国民主権
という問題をいわば使っているというふうに言わざるを得ないというふうに思います。 大きな三つ目になりますが、改憲するかどうかは別として、
憲法
九十六条に
規定
があるから
国民投票
法はつくっておくべきだという
主張
が出されました。
国民投票
法の
整備
は現実の改憲と一体不可分に結びついていると、私は三つのことからますます強く感じているところであります。 まず一つは、前回の
委員会
の
討議
で、自民党
委員
からもいろいろな
主張
がありました。全面改定をやるんだから一括
投票
でという御
意見
から、一括か個別か発議内容に応じて議論すべきだ、さらには、発議内容の成案を得ていないときには難しい、出た段階で議論すべきという御
意見
まで、さまざまあったと思うんです。このこと
自体
がまさに表裏一体だということを示しているというふうに私、受けとめました。
二つ
目に、歴史的に見ても、午前中にも
高橋参考人
から紹介がありましたが、一九五三年、当時の自治庁が
憲法改正
国民投票
法案を準備しながら閣議
決定
すらできなかったということが紹介されました。このことは、
憲法
と日本の
政治
をめぐる大きな変化のもとで、
国民
が
憲法
の平和主義をないがしろにする動きや改憲の動きを拒否するという世論と運動を当時背景にしたものであったというふうに思います。 当時のことを調べてみますと、一九五〇年に朝鮮戦争が起こり、同時に自衛隊の前身である警察予備隊がアメリカの指導でつくられて、翌五一年には講和条約とともに日米安保条約が結ばれました。
国会
では、警察予備隊やその後の保安隊と
憲法
九条の
関係
、また日米安保条約と
憲法
九条との
関係
などについてたびたび
質疑
があって、一九五二年十一月には
憲法
九条の戦力に関する吉田内閣統一
見解
が出されております。
国民
の間でも、こうした日本の
政治
と
憲法
をめぐって大きな議論と運動が巻き起こっております。だからこそ当時の吉田内閣も、
国民投票
法案を、当時、今
国会
に提出することは政府が
憲法
を
改正
する意図を持っているように誤解されるおそれがある、こういう形で表明をして、
国民投票
法案の断念の
理由
を述べたわけであります。こうした歴史事実があった。 三つ目には、直近の
国会
質疑
でも、例えば一九九九年の四月六日、参議院の決算
委員会
でありますけれども、
質疑
がありました。当時私も参議院におりましたが、宮澤元首相、大蔵大臣が、
憲法改正
手続
が
整備
されてこなかった
理由
として、こう述べております。
憲法
がつくられて五十年のいかなる段階においても、九十六条の法
整備
をしようと提案すれば、必ず
憲法改正
をするしないという議論につながらざるを得ない、
改正
を議論するということになると、必ず九条の問題が出てくる、だから
国民投票
法は
整備
されてこなかったという
趣旨
を答弁されております。 まさに、今三つ申し上げましたけれども、
国民投票
法の
整備
は
一般
論ではなくて現実の改憲、特に今日でいえば九条の改憲を目的としたものであることは明らかだというふうに思います。 今、戦後六十年近くもやらなかった
国民投票
法を急いでつくるということになりますと、いよいよ改憲、九条を変えて日本が再び海外で戦争をする国になろうとしているという、客観的にはそういうメッセージをアジアや世界に発信することになる。これがいかに世界の流れに逆らって、今、世界からの期待を裏切ることになるかということを痛感するわけであります。 そんな
国民投票
法の
整備
は今すべきではない、このことを重ねて強調しまして、発言を終わります。
中山太郎
101
○
中山
委員長
次に、
辻元
清美君。
辻元清美
102
○
辻元
委員
社民党の
辻元
清美です。 きょうは、午前中にも議論が幾つか集中した、発問方式をどのようにすべきかということを中心に、現在の
国民投票
法に関する議論の
意味
するところはどこにあるのかということを考えてみたいと思っています。 前回の本
委員会
で、ある
委員
の発言に私は少し驚きました。それは、同じ発言の中で、こういう
二つ
の発言を続けてされていたんですね。
手続法
は
手続法
として切り離して十分議論できるという内容だと思いますし、また、そういう
意味
からも早期な成立を図るよう努力しようと
主張
されて、この同じ発言の中で、次に、一括した全面的な
改正
のケース、あるいは幾つか考え方をパッケージにしたものとか、いろいろなケースが考えられるわけでありますから、この段階で一括にするか否かということを決めるのは無理があるのではないでしょうかと。同じ発言の中でこの
二つ
のことをおっしゃいました。 私は、この発言というのは、発言みずからが、どのような改憲をするのかという中身の議論とどのような
国民投票
法をつくるのかという議論は切り離すことは困難であるということを告白しているに等しいと思うんですね。ということから考えますと、この発問方法をどのようにするのかということは
国民投票
法の核になるわけですから、ここの部分を抜きにしてどんどん進めていくということは非常に困難じゃないかと思うんです。 というのも、
国民
が持っている疑問であったり、それから心配事というのは、どういうやり方で
投票
ができるんだろうというところが一番大きいと思うんです。というのは、きょうの朝の議論でも出てきましたけれども、たとえ全面的な
改正
であったとしても、ここは賛成だけれどもここは反対だとか、ここは
改正案
に反対だけれどもここの部分については現行
憲法
の方がいいとか、さまざまな考え方が存在するわけですから、どういうような形で自分たちが
投票
を実行することができるかということは、まず最初に関心を示し、かつ、一番そこが重要と考える点ではないかと思うんですね。 ですから、ここを後回しにして決めようということであるならば、なかなかこの
国民投票
法の議論を進めていくことは難しいんじゃないかなというふうに私は思います。 では、後で決めようという議論の中身は何かといえば、きょう
参考人
の
意見
などで、一括方式というのは全体的
改正
でも難しいのではないかという
意見
だったと私は受けとめております。そうすると、後で決めようという
意見
の中には、一括的な発問の仕方を残しておこう、あくまでもその可能性を残したいという意図があるから、
改正案
が出されたときに決めたらええやんかという議論が出てくると思うんです。 そうすると、一括にしたいということの意図は何か。
主権者
たる
国民
の側から見たら、自分の
意見
がはっきり言える、やはりこれは賛成だけれどもこれは違うと言った方がいいというのはだれも合意するところですけれども、きょう午前中の発言の中で、
政治
的な意図が働いた場合に一括ということを進めようとする傾向があるのではないかと私は指摘しました。 そこで、先日の世論
調査
を幾つか紹介したいんですけれども、
改正
に反対と言っている人の一番の
理由
は、これは、この
憲法
の
改正
議論の一つの大きな焦点の、やはり九条にかかわることです。九条
改正
につながるおそれがあるから反対というのが一番多くて、四四%。そして、
改正
するほどの積極的な
理由
が見つからないというのが二六%で、ここが圧倒的でした。 そして、この焦点の一つである九条問題で言えば、変えるのを賛成という人が三〇%、そして反対という
意見
が五八%です。そして、戦後の平和維持に九条が役立った、かなり役立ったという
意見
は八〇%、余り役立っていないが一一%、全く役立っていないは三%という傾向の中で
改正
議論が行われている。さて、そういう中でこの九条問題だけを問うということになると、今の傾向であると、これは反対であるという
意見
の方が多くなる可能性が高いわけです。 そこで、もう一つ出てきている新しい人権問題というのがこれに絡んでくると思うんです。きょうの各紙新聞に、これは自民党が今考えている新
憲法
草案の中身の一部が報道されております。これは確定したものではないと考えられますが、このような傾向があるものを検討されているのだと思われます。その中に、新しい人権ということを五つ出したいと。個人情報を守る
権利
、知る
権利
、環境権、障害者と犯罪被害者の
権利
、知的財産権など報道されているわけです。 この件に関しては、前回私も、環境権と言うのならば今すぐ環境税をつくろうじゃないか、知る
権利
と言うのであるならば情報公開法に今すぐ知る
権利
という項目を入れようじゃないか。そして、障害者の
権利
と言うのであれば、きょうも障害者の皆さん外で座り込みをされています、今障害者の自立支援法というのが出ていますが、これについては多々切り捨てになるのではないかというような点も指摘されているわけです。そういう中で、現行の政策できちっと進めていかなければいけないところを進めずして
憲法
に新しい人権という概念だけ入れていくというよりも、まずやれることをどんどんやっていこうじゃないかということを提起しました。 ということになると、核心は九条の
改正
にあるのではないか。しかし、これだけを問うと反対が多
いし
、これだけを問われるんちゃうかと心配している世論
調査
も出ているし、だから新しい人権というものもいっぱいつけて九条だけの
改正
というような部分を、薄める言うたらちょっと
言葉
が悪いですけれども、他のこともいっぱいつける中の一つの選択肢にして、そして一括で問うことによって賛成多数をとりたいというような
政治
的な意図が働いているのではないかという懸念が
国民
の中にあるということは、これは
憲法改正
について賛成と言っていらっしゃる方も自覚をされた方がいい
意見
ではないかというふうに私は思っております。 今なぜこの中でこの
意見
を申し上げるかといえば、先ほどから、全面的な
改正
であったとしても一括方式というのは
主権者
である
国民
の立場から見たら成り立たないのではないかという
意見
が多々出ておりました。しかし、あえて一括の可能性も残すために、
改正案
ができたときとか一括でもいいのではないかという
意見
の中には、技術的な問題だけではなくて、今申し上げたような
国民
の不安につながるような、そういう傾向があるのではないかということを私は非常に懸念しております。 本
委員会
でこの
国民投票
法の議論をされるに当たりまして、このような幾つかの
国民
の疑問であったり不安、一つ目は、何か一括で一遍にどんとやられてしまうんちゃうかというのがあるわけですね。それから、今の傾向を見ていますと、例えば環境権とか言われたらいいようやけど九条は嫌やなとか、いろいろあるわけですよ、
意見
が。そういう
意見
がきっちり反映されるのか。かつ、それらをまとめて一つのことで一括されることによって、先ほど
改正
に反対の
意見
の中で一番多かった九条の
改正
につながることが懸念であるという、これははっきりとした傾向と出ていますから、その部分に対しての疑念にこたえられないのではないかと思います。 この点をしっかり指摘しておいて、
国民
の疑念があるということを念頭に置いて、慎重の上にも慎重な本
委員会
での議論をしなければならないということを皆さんに申し上げたいと思います。 以上です。
中山太郎
103
○
中山
委員長
次に、滝実君。
滝実
104
○滝
委員
国民
新党・日本・無所属の会の滝実でございます。 けさの
参考人
質疑
を踏まえて、三点ほど申し上げたいと思います。 第一点は、
投票権
者の範囲の拡大、
年齢
の引き下げの問題でございます。
参考人
の中からも、現在の
国政選挙
の
選挙権
資格
を拡大して
年齢
を十八歳まで引き下げるのが望ましい、こういうような御
意見
もございました。私は、こういうことについては議論をし出すと大変時間のかかる問題ではないだろうかな、今
改正
の
国民投票
の
手続法
案をこれから議論しようというときにいわば中身の議論に匹敵するぐらいの大きな問題を最初に抱えるようではなかなか
手続法
といえども前を向いていかない、そういう
意味
では現在の
国政選挙
の
年齢
に合わせた考え方の方が問題が単純でよろしいんじゃないだろうかな、こういうような
意見
を持たざるを得ないと思います。
国民投票
だけ十八歳に引き下げるということになれば、当然、それでいいのか、
国政選挙
も同じじゃないか、こういう議論が必ずあるはずでございますから、私は、現在の
国政選挙
の
年齢
資格
に合わせた
年齢
ということを前提にしてこの問題は整理した方がいいんじゃないだろうかな、こういう考え方を持っております。特に、九月十四日の
最高裁
の
判決
から、論理的に十八歳まで引き下げることがむしろ望ましいんだというようなことになってまいりますと、何が何だかさっぱりわからない議論が展開されるおそれがある、こういうことを指摘させていただきたいと思います。 それから、二番目の問題は、発問方式の問題についてでございます。 今、
辻元
委員
の御
意見
を承りまして、なるほど、そういう心配をもとにすると、この発問方式の問題を処理するのは、これは中身の問題と一緒になってなかなか大変な問題だな、こういうことを感じざるを得ません。しかし、そういう問題があればあるほど、発問方式の問題については
国民投票
の
手続法
である程度の整理をしておいた方がいいんじゃないだろうかなと。
憲法
九条の問題と環境権が一括でマル・バツの対象になると考えている人は恐らく少ないだろうと思いますので、そういう
意味
では、抽象的にあるいは形式的にこの発問形式については
手続法
の中で概略の基準を設けておく、具体的には
憲法改正
の発議について
国会
で
定め
るときにこの方式についてもあわせて当然
決定
をすべきだ。こういうような観点からいきますと、私は、この発問形式についてはあらかじめ
国民投票
法の中で、具体的にとまではいかないかもしれませんけれども、少なくても、個別にするのか、あるいは
関係
ある条文のユニット方式にするのか、あるいは一括方式にするのか、それを考えた方がいい、こういうふうに思います。 例えば、全文
改正
でございますと、百条から成る
憲法
をマル・バツつけようと思ったら、あの狭い
投票
所の記載箱の中で三十分ぐらいかからないとマル・バツがつけられないという問題が出てくるわけですね、具体的に言えば。一人三十分もあの
投票
所でもって頑張っていられたら、一日のうちに終わらないおそれが多分にあるわけでございますから、そういうことを考えても、やはり全文
改正
の場合にはもう一括でやらざるを得ないというふうに思います。 その辺の分け方は、やはり現実問題としての常識とにらみ合わせながらある程度の基準をつくっておかないと、
憲法改正
の中身に合わせてこの発議方式についてもその場で決めるんだということになると、これは
国民投票
の異議の争訟の対象になりやすい、こういうことを懸念いたしますので、あらかじめそれは
手続法
の中に整理しておくべきだ、こういうふうに思います。 それから、三点目でございますけれども、争訟の場合の訴え出る裁判所を東京高裁に、大体、従来から草案としては名前がちらちらしているわけでございます。私は、東京高裁に限る必要はないんだろうと思います。 異議の申し立てがどの程度の件数になるのかは、それは必ずしも予想される問題ではございませんから何とも言えませんけれども、東京高裁は、中でも事件の件数の多い高裁でございます。そこに全国の高裁の地域から東京高裁に集中いたしますと、これはなかなか機能不全に陥るおそれもあるのではなかろうかな、こういうことも懸念されますので、高裁であれば、地元の、異議ありという人の所在地域の高裁でやるべきだ、こういうふうに考えております。 したがって、そういう角度からの
最高裁
事務からの
意見
聴取をそういう
意味
でもしていただいた方がよろしいんじゃないだろうかな、こう思いますので、よろしくお願いを申し上げたいと思います。 以上、けさの
参考人
質疑
を踏まえて三点だけを申し上げまして、
意見
とさせていただきます。ありがとうございました。
中山太郎
105
○
中山
委員長
これにて各会派一名ずつの発言は終わりました。
—————————————
中山太郎
106
○
中山
委員長
次に、
委員
各位からの発言に入ります。 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、
委員長
の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたします。 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。 それでは、ただいまから御発言をお願
いし
たいと存じます。御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。
岩國哲人
107
○岩國
委員
午前中、お二人の先生のお話も伺い、また、各
委員
の皆さんの御質問も伺いました。その中でも、最近私が特に感じるのは、この日本国にとって一番大切な
憲法そのもの
の
正当性
が十分とは言えないという認識がまだまだ残っている、この点は非常に残念だと思います。 私も、いろいろな国の
憲法
の中で、日本の
憲法
の
制定
された環境あるいはいきさつ、そういったものを見て、これは私たちの時代にしっかりと自分たちが思いを込めてつくったんだという世代が今のどこの世代にいるのか、どの世代にもほとんどその意識が少ない、これは非常に残念なことじゃないかと思うんです。
国民主権
ということは言われますけれども、この
憲法
前文によってどのようにそれが書かれているか。それは、「ここに
主権
が
国民
に存することを宣言し、この
憲法
を確定する。」と。つまり、それまで
主権
は存在していなかった。
国民主権
というものがお留守の間にこの
憲法
が策定され、このたった一行によって追認されたということじゃないんでしょうか。 私は、葉梨
委員
が午前中質問をされましたけれども、確かに、これは、自分たちの国によって
制定
されたのか、それが追認されたのか、あるいは単に
承認
されただけなのか、だれがつくったというその主語のない前文ではないかと思うんですね。
国民主権
は
憲法
によって定義されていますけれども、その
主権
不在、お留守の間に策定され、それを前文の中で追認させているだけではないかと私は思います。 その追認
憲法
を六十年間も放置していた日本は、とても法によって治められた法治国家とは言えません。法によって治められた法治国家どころか、ほうりっ放しにした方の、放置自転車の放置国家ではないかとさえ思います。不作為の作為、あるいは怠惰、無気力、無責任な結果としてこの
憲法
は六十年間存続してきたという見方もできるんじゃないでしょうか。平和
憲法
だ、立派なものだ、立派なものだから変える必要はなかったんだ、変える必要がないから
国民投票
のこういう
手続
も必要なかったんだという議論もありますけれども、私はそれには賛成できません。 放置しているような国家だからこそ、大切なものが次々とよその国によって拉致もされています。石油資源は中国との国境で拉致され、人は北朝鮮によって拉致され、お金はゼロ金利政策でアメリカに拉致され、そして郵政民営化でそのお金の拉致パイプラインが太く
整備
され、資源も人も金も次々と拉致されていくような、そういう国家になっているのは、私は、この
憲法そのもの
の
制定
や
承認
があいまいなままで六十年間も来たからだと思います。 自衛隊の問題もそうです。イラクへの自衛隊派遣も、日米同盟という日本の
主権
を制約するような
枠組み
で行われている。何よりも、
憲法
のどこにも認知されていない武力組織を海外へ送ったりすることも、この結果として行われています。 日本を家庭に例えれば、たんすも人に預け、奥さんも人に預け、財布も人に預け、かぎも人に預け、向かい側の家に何もかも預けている、それが日本じゃないでしょうか。 このような、拉致された放置国家、
憲法
を放置しているような国家は、一日も早く変えるべきだ。今からでも遅くはありません。せめて、戦前、戦中、戦後と言われる激動の時期、まさに国家と
国民
が戦争の時期を挟んでともに生死の間を生き抜いてきた、そういう貴重な体験者がまだ存在していらっしゃる今のうちに、私は、
国民
を正当に代表するものとして、
国会
が早急に動くべきだと思います。 溶け込みというお
言葉
で質問がありました。駆け込みと私には聞こえましたけれども、溶け込みというのは、確かに
法律
の用語で使われる。しかし、駆け込みといってもいいぐらいにこれは急を要すると私は思います。
国民
の重い思いを込めて、
制定
なのか、信認なのか、再度認証するのか、追認なのか、あるいは追認的
制定
なのか、少なくとも第一回の
国民投票
にはこういう要素を取り入れたような発問の仕方が必要ではないかと私は強く思います。 私たちの時代の、
憲法
生誕の疑惑、あるいは密室談合の中から生まれたのではないという再確認の精神的、
立法
的なリセットが望ましいということを私は訴えたいと思います。 ありがとうございました。
船田元
108
○船田
委員
自由民主党の船田元でございます。 午前中の
参考人
、
高見参考人
、
高橋参考人
からの大変示唆に富んだお話を聞かせていただきまして、勉強になりました。特に、
高見参考人
から、
国政選挙
における
選挙権
の
行使
、それと、
憲法改正
における
国民投票権
の
行使
というのには本質的な違いがあるという御指摘は大変
参考
になったわけであります。
国政選挙
の場合には、
憲法
上で
規定
をされた
国民主権
、これをまさに
行使
するということですが、
国民投票権
の
行使
というのは、まさにその
主権
の
あり方
そのものを問わなければいけない、そういうことで、より本質的な
権利
の
行使
ということになるものと思います。本質的な違いがあればこそ、私は、やはり、
国民投票
と、それから
国政選挙
というものは別個に行われるべきだという考えをさらに強く持ったわけであります。 前回のこの議論において私は、別個に行うべき
理由
として、
憲法改正
国民投票
は衆参両院の三分の二以上の発議によって
国会
が行いということですから、与野党の多くの者が一致してこの発議を行うということが当然ながら予定をされます。それに対して
国政選挙
というのはまさに政権を争うそういう
選挙
でございますので、これを一緒にやるということは大変な混乱を起こす、これが一つの
理由
でございました。しかし、きょうのお話を聞き、今申し上げた、
二つ
の
選挙
の間には本質的な違いがある、こういうことから、これも大変重要な別個に行うべき
理由
の一つというふうに考えられるわけであります。 また、この
二つ
の
選挙
の本質的な違いというものから導き出される結論として、
投票
人の範囲も当然のことながら違ってよいのではないかということでございます。
国民投票
の場合には、
公選法
の
規定
以上に、できるだけ幅広く、できるだけ多くの
国民
の皆さんに
投票
していただくということがやはりその本質などからいって重要であると思っております。十八歳以上ということも一つのアイデアでございますし、それから、軽微な
選挙
違反による
公民権停止
者にもその権限を与えるということも、むしろ当然のことかもしれません。 ただ、午前中の
高見参考人
がおっしゃった、収監されている犯罪者あるいは当該
国民投票
そのものの公正を害する
行為
を行った者、そういう者に対してまで
選挙権
を与えるかどうかということについてはなお議論の残るところである、私はこのように思っております。 それから、次の指摘としては、この
国民投票
運動の
規制
ということについても、前回、私の話、申し上げた中では、公平公正を期すためには必要最小限のことは必要である、このように申し上げたわけであります。ただ、やはり、
国民投票権
の
行使
がまさに
主権
そのものの
あり方
を問うものであるという考え方からすれば、
公選法
よりもさらに緩やかにこの
規制
を考えるべきだと思っております。
公務員
それから教育者の地位利用ということについても、
公選法
での
規定
がございますけれども、
公務員
、教育者が一
国民
として
意見
表明を行う場というものは当然設定されてもしかるべきだと思います。 外国人につきましても、やはり、個人として
意見
表明をする、こういう場が与えられても私は構わないというふうに思っております。 なお、
公選法
百三十八条の三にございます
公選法
の人気
投票
の公表の禁止ということに
関連
をいたしまして、
国民投票
法では予想
投票
の公表の禁止ということも考えられるかと思っておりますけれども、
公選法
は人を選ぶ
選挙
であります、
国民投票
はまさに政策の根幹を選ぶ、こういうことでございますので、これもおのずから違いがあると思っております。そういう本質的な違いを前提として、この
規制
という問題ももう一度真剣に考え、
公選法
による
規定
よりはかなり緩やかなものにすべきである、このように感じております。 以上でございます。
早川忠孝
109
○早川
委員
自由民主党の早川忠孝でございます。 まず、私どもは、現在の
日本国憲法
が世界で最もすぐれたものだというふうな、言ってみれば錯覚に陥っていた部分があったのではないかと思っております。私は、
憲法
の九十六条で
憲法改正
手続
に関する
法律
についての言及がなかったということ
自体
が欠陥の一つであるというふうに考えております。少なくとも、
憲法改正
のための
国民投票
の
投票権
者の範囲をあらかじめ明示しておくべきであったというふうに考えております。 その
意味
で、明文の
規定
が現在ないわけでありますけれども、私は、この第九十六条の一項の
規定
ぶりから考えて、これは
国政選挙
の
投票権
者と同じ範囲にすることが
立法
者の意思であるというふうに推測をするのが合理的ではないかというふうに思っております。 すなわち、
憲法
では、いわゆる
国民主権
に関する条項というのは、言ってみれば前文の
規定
、さらには、十五条による「
公務員
の
選挙
については、
成年者
による
普通選挙
を
保障
する。」というこの
規定
、それから
最高裁
の
国民審査
、こういった
国民
の
国政
参加の
権利
が明定されております。そのいずれについても、
法律
によってその具体的な範囲を決める。最も大事なところは、日本
国民
の
要件
自体
についても、
法律
によってこれを
定め
るということを決めているわけであります。
投票権
者についていろいろ議論が出てくるということが非常に問題があると思います。 ただ、将来的に、現在の二十歳の
投票
、公職
選挙
法上の有権者の範囲を十八歳にするということもあってもいい。ただし、一体その線引きはどうするんだろう、どこにどういう
根拠
があるのかということについては、十分
国民
的な議論を尽くす必要があると思います。そういう
意味
では、今回の
国民投票
法あるいは
憲法改正
手続法
の
整備
の審議の過程においては、なるべく簡便な方法を選ぶべきであるというふうに考えております。 きょうの議論の中で私は非常に興味がありましたのは、現行
憲法
の正統性についての議論があったところであります。私自身は、現行
憲法
の
制定
過程にきずがあったということは否定できないことである、しかしながら、戦後六十年の歩みの中で定着をしてきたというふうには考えておりますので、これは
一定
の定着性があり、
国民
になじんだものであるというふうに考えておりますけれども、しかしながら、いわゆる正統性というところを獲得するまでには至っていないのではないかというふうに思っております。 そういう
意味
で、さまざまな
国民投票
のやり方があるわけであります。その
国民投票
にかける
憲法改正案
の中身によって決まることでありますけれども、少なくとも今後予定をされているであろう
憲法改正
の
国民投票
に当たっては、言ってみれば、戦後、議会制民主主義、
国民主権
のもとで、初めて私たちがみずから
憲法
をつくり上げるんだ、こういう大事な意義を持つものであるという
趣旨
から、
全面改正
的な、あるいは一括
投票
的なそういう
国民投票
手続
を志向する方が妥当ではないだろうかと思います。その上で、その次に出てくる
憲法改正
は個別のささやかな
改正
等を順次行っていく、こういったことになっていくのではないだろうかというふうに思っております。 いずれにしても、
投票権
者の範囲については、現行の
国政選挙
と同じ範囲にしなければならない。 問題になるのは、在外
投票
の場合の有権者の登録主義を
国民投票
の場合にも踏襲するかどうか、こういったささいな、しかし当事者にとっては非常に重大な
権利
行使
の
機会
を奪うことになるかならないかという議論が残ってくるであろうと思います。
国民投票
のたびに
投票権
者を変えていくということになりますと、与えられた
権利
を
剥奪
するということもあるかもしれません。そういう
意味
では、慎重に検討をする必要があると思います。 以上であります。
葉梨康弘
110
○葉梨
委員
午前中の
参考人
質疑
の内容を踏まえて、
意見
を申し上げたいと思います。 さっき岩國
委員
からも指摘がありましたけれども、午前中、私は、一部の論者の中に現行
憲法
が正統性不足であるという論があること、そして何よりも、これからの国際社会を日本が生き抜いていくためには、我々
国民
自身が、今の
憲法
を自分たちが自分たちの意思でつくった
憲法
であるというふうにしっかりと認識することが必要ではないか、そういう観点から、
参考人
に対して、
法律
論の観点から一括
投票
というのが可能かというような質問をしたわけですけれども、結論としては、
法律
論的にはなかなか難しいなというような結論でございました。 ただし、
政治
論的にいいますと、やはり今現在、
国民
が
改正
手続
に具体的に加わる方法というのが何ら
法律
に
定め
られていないという状況は極めて問題でございます。そして、
国民
の
改正
手続
への具体的な関与の
あり方
がこの
国民投票
法の議論の中で
定め
られて、
改正
というのは現実に可能なものである、そういうことを前提として、
憲法
の各条項を
国民
的議論によって洗い直していく、その結果として
改正
にならないということがあったとしても、それはそれで
国民
が
国民
の意思でつくった
憲法
である。その
意味
でも、今回、
国民投票
手続
の議論をするということは極めて重要なことであるというふうに考えております。 以下、その点で三点申し上げます。 その
意味
で、先ほど、九十六条の
改正
との
関係
で
国民投票
の
手続
を考えるべきだというような
意見
がございました。しかしながら、今回は、あくまで現行
憲法
九十六条に基づいて、技術的、
手続
的なものとしてやはり
国民投票
の
手続
というのを検討していくべきではないか、これが第一点でございます。 第二点は、先ほどの
質疑
の中でも、公職
選挙
法の罰則による担保とは効果あるいは限界というのが全然違いますよということを申し上げました。これについては、重複いたしますので私からは申し上げません。それ以外のやはり救済
措置
というのについても、この
国民投票
手続
を検討するに当たっては、また検討が必要であろうと思います。 またさらに、
国民投票
運動の
規制
というだけではなくて、
国民投票
運動の自由の確保の
あり方
、これについてもどのような仕組みが可能かということをまたこの場で議論をしていくことが必要ではないかというふうに思います。 第三点でございます。外国人の
国民投票
運動について、これは
参考人
の
意見
が分かれました。
高見参考人
は、外国人の
国民投票
をオーケーとすべきである。そして、
高橋参考人
は否定的な
意見
でございました。 外国人が
国民投票
運動の主体となることで、どういう問題を惹起するかという問題があります。例えば、外
国政
府が新聞に対して声明を載せる、あるいは外
国政
府の声明を報道
機関
が報道するということは、事実上の効果としては、外
国政
府が
国民投票
運動を行っているに等しい形になります。これまでを
規制
できるのかどうかという問題があります。また、同じような
意見
広告を発議の前に出すことが可能であったのに、発議を行った途端にそのような
意見
広告が禁止されてしまう、こういうことが果たしてまた妥当かという問題があります。そしてさらに、先ほど船田
委員
からもお話がありましたが、外国人の
意見
であっても、
意見
の表明
自体
を禁止してしまってよいのかという問題もあろうかと思います。 ただ、確かに、その外国人が金力に物を言わせて日本の
政治
団体に対して影響を及ぼす、あるいは外国人が外国人であることを秘匿して、いかにも日本人であるかのように装って、日本人、日本
国民
の意思としてこのような
意見
表明を行う、そういうことも果たして許しておいていいのかという議論もあろうかというふうに思います。 したがいまして、この外国人の
投票
運動の
規制
につきましては、そのような、寄附であるとかあるいは支援、そういったところについては
一定
の
規制
を置きながら、単純な
意見
表明、あるいは外国人が外国人であるということを明らかにしながら
意見
を表明すること
自体
までを果たして
規制
してしまっていいのかどうか。その点については、今後さらに議論を深めるべきではないかというふうに思っております。 以上でございます。
小川淳也
111
○小川(淳)
委員
民主党の小川淳也でございます。 午前中の
参考人
意見
に
関連
して三つ発言をさせていただきます。 一つ目に、
高橋
先生の
参考
資料、論文の中で大変矛盾する記述がございます点に関して。 「おわりに」の部分なんですが、
憲法改正
のために必要な
手続法
令は、平穏時に冷静、周到に用意しておく必要があるという記述がございます。これに対して、昭和二十六年から八年にかけて、この
手続法
案、
国民投票
法案が審議され、閣議
決定
に至らなかった経緯の中で、
憲法改正
を意図しているとの観測、また閣内の反対
意見
、これはいろいろな世論があった結果だと思いますが、結果として閣議
決定
に至らなかった。 私は、この
二つ
の矛盾する点をつなぐのは、やはり、
投票
法案、
手続法
案を議論するに当たっては、中身の議論を並行して進めて、その上で安心感を持って提案をする必要がある、それしかこの矛盾をつなぐ方法はないんだという気が改めていたしました。それが一点でございます。
二つ
目は、
高見
先生の
参考
資料に
関係
してなんですが、やはり、
投票権
の範囲で、
主権
の
あり方
を決める
国民投票権
とその
主権
を代理
行使
する被
選挙
人を選ぶ
選挙権
との間に本質的な差異があるという議論がございました。しかし、私にはどうしても、そこに本質的な差異があるということがどうも論理的にも理念的にも
理解
できません。 結果的には私は十八歳に引き下げるべきだと思っているんですが、もしそこに本質的な差があるのであれば、まさに
高見
先生おっしゃったように、
民法
の成人
規定
とか公職
選挙
法の成人
規定
を気にもとめる必要がないはずなんですが、やはりそこを気にしておられた。ということは、私は、この十八歳までの引き下げ議論については、むしろ
選挙権
全般を十八歳に引き下げる、
民法
の成人
規定
も十八歳に引き下げる。そのきっかけ、突破口の議論として、今回この
国民投票権
を十八歳まで引き下げることを一つの入り口にしていく。非常に
言葉
は悪いんですが、便宜的、実利的にこの議論を進めていくのがむしろ適当ではないかという気がいたしております。 最後に、三点目は、
憲法
の
正当性
に関する議論。 既に自由
討議
の中でも何件か起きていただいているわけですが、私は、今の現行
憲法
が確かに敗戦という異常な状況の中で当時の天皇
主権
から
国民主権
へと全くその矢印の向きが変わってしまったわけでありまして、そこに大きな革命的な断絶があること、これは否定しようのないことだと思います。 しかし、だからといって、
正当性
が欠けていた、
正当性
がなかったということになりますと、その後五十八年間の私たちの歴史は何だったんだ、後に振り返って、この五十八年、あるいは
憲法改正
されるまでの間、日本という国は非正当な、不当な
憲法
のもとで歴史を積み重ねてきたのか、そんな議論にならざるを得ないわけでありまして、私は、事の経過はどうであれ、この革命的断絶を受け入れていく覚悟の方がむしろ日本人として求められるんではないかと思います。その
意味
で、五十八年間の歴史は非常に重く、この
憲法
に対しては、五十八年間の歴史分の
正当性
を積み重ねてきたと思うべきではないかと思います。 その
意味
で、溶け込み
改正
等々の議論も
法律
的にはあるにせよ、それほど
憲法
の
改正
とは簡単なことではなく、五十八年間の日本の歴史というのは非常に重みがある、そう考えるべきではないかと思っております。 ありがとうございます。
柴山昌彦
112
○柴山
委員
まず冒頭、今回
改正
しない条文についてもこの際
国民投票
が必要ではないかという問題について、私は不必要であると感じております。 むしろ、緊急性の高い条項につき今回については最終的に
国民投票
の対象となるだろうということを考えた場合、あくまでも個別
投票
によってそうした条項の
改正
をしていくことになるだろうというように考えております。 二番目に、
投票権
者の範囲についてでございます。 前回申し上げたとおり、私は、
国民投票
に参加する
権利
は
選挙
に参加する
権利
よりも強い
保障
を与えるべきであるという見地から、例えば
国民投票
の公正を、あるいは
選挙
の公正を害するような
行為
をした者についても
投票権
を認めるべきだという立場に立ちましたけれども、
選挙年齢
と区別した
国民投票
年齢
というものについても、私は考えてもよいと思っております。ただし、
立法
政策上、例えば十八歳というように
選挙年齢
を
国民投票
の
年齢
と引き下げるということは、もとより妨げられるものではないと考えております。 次に、
投票
運動の
規制
についてでございます。 先ほど
高見参考人
から、
虚偽報道
規制
については慎重であるべきだ、そしてその
根拠
としては、むしろ
公共空間
で議論を闘わせるべきだということを
根拠
にされておりましたが、現在、そうした思想の
一般
市場、公正な市場というものはメディアの寡占体制の中で私は確保されていないのではないかというように思っております。やはり、明らかに
虚偽
であることを知りながら現実の悪意を持って報道するようなものについては、
規制
を及ぼすべきではないかというように考えております。ただ、それに対する
規制
というのは、前回申し上げたとおり、
一定
の
機関
による警告ということを前置させるべきだというように考えております。 なお、一部の
委員
から反論権について指摘がありましたけれども、反論権というのは、メディアの報道の自由を侵害しながらこちらが、その反論者の
意見
を、
主張
を受け入れさせるという、いわばより大きなアクセス権という問題を含んでおりますので、これについては慎重に考えるべきではないかなというように考えております。 なお、先ほど
高見参考人
から、政府が公金を用いてパンフレットを作成することは慎重であるべきだという指摘がありましたが、これもやはり、思想の市場の公正を害する
行為
として検討に値する論点ではないかと思っておりますが、やはりここでも、明らかに
虚偽
であることを知りながら政府が広報をするというような場合を
規制
すればよいのではないかなと考えております。 外国人の
表現
の自由についてでありますけれども、これは私も
高見参考人
と同じように、
国民
の
投票
の
権利
の前提としてそうした多様な情報に接する
機会
を
保障
するという観点から、これを認めてもよいのではないかなと考えております。 なお、次に過半数の算定基準の問題に移りたいと思いますが、前回申し上げたことに若干補足をさせていただきます。 今回、条項別の
投票
制を
原則
とし、また、マル・バツ式をとることを前提として以下議論したいと思いますが、例えば独立なA条、B条、C条について、一枚の
投票
によってマル・バツをつける、白票を投じた場合には、これは全面的に無効であります。しかし、Aだけマルをつける、そしてB、Cについては何も記載をしなかった場合、やはりAに対してマルをつけた人の意思を尊重するべきであると考えます。そして個別に、やはりBとCについては無効と考えざるを得ないのではないか。とすれば、仮に有効
投票
の過半数をもって決すべきとした場合には、条項ごとに無効票を集計しなければいけないという膨大な作業が必要になってくるわけでございます。 私は、この総
投票
者を分母にするか有効
投票
を分母にするかということは
一定
程度
立法
政策で決められる問題だと思っておりますので、ここは総
投票
者を分母とする方が実務上現実的ではないかなと思っておりますし、またそれが、大量の棄権者が出た場合の
正当性
の確保にも役立つのではないかなというように考えております。 最後に、無効訴訟の
あり方
についてでありますけれども、滝
委員
から指摘されたように、高裁どこでも訴訟は提起されるべきであるというように考えております。そして、その効果についてでありますけれども、私は、将来効として効果を発するべきであると思っております。その間に積み重ねられた事実の覆滅ということが問題によくされるわけですけれども、これは、二回
改正
があったときも同じような覆滅ということは、混乱ということは避けられないわけですから、将来効できちんと
投票
の効果は無効であると宣することが必要であると私は考えております。 以上です。
伊藤公介
113
○
伊藤
(公)
委員
自由民主党の
伊藤
公介
でございます。 きょう、
参考人
の二人のお話を伺いまして、改めて日本の
憲法
というものに対して、この
憲法
が、これまでいろいろな
機会
に議論はされてきましたけれども、一体どういう形で誕生してきたのか、国の最も根幹になる
憲法
に対して、我々が自信を持ってこれが我が国の
憲法
だということを言い切れない
憲法
をずっとそのままにしてきたということに改めて我々は反省をし、今度こそ、二十一世紀への国の強い決意を込めたメッセージ、そして次の世代にまで、恐らくこれは一年、二年ということではありませんので、長い年月にたえられるような平成の
憲法
をつくらなければならないという決意を改めてした次第であります。 そこで、一、二点だけ、
参考人
からもいろいろ指摘をされましたけれども、前回にも私、ちょっと発言をさせていただきましたが、
国民投票
に参加する
資格
の問題でありますが、いろいろ世界の国々の参加する
年齢
などを調べてみますと、一層、これは十八歳にまでは絶対にすべきではないかなということを改めて認識をいたしました。 これは、もちろん、この
憲法改正
国民投票
法と直接的なことではございませんけれども、世界のいろいろな潮流を見ますと、いわゆる少年の
年齢
、あるいは刑事責任の
年齢
というものは非常に今低くなっています。日本は、御案内のとおり、二十歳以上が成人でありますし、刑事責任の
年齢
は、
国会
でもいろいろ議論されて十四歳以上ということになったわけであります。これは、例えばアメリカの場合には、州によっていろいろ違うんですけれども、ニューヨークなどは十六歳、それから刑事責任の
年齢
は十三歳、あるいはワシントンでは十八歳以上という、非常に
年齢
が低くなっておりますし、例えばイギリスにおいても、少年の
年齢
は十八歳未満、そして刑事責任は十歳以上ということでありますから、世界の国々の最近の青少年のいろいろな問題を含めて、この
国民投票制度
を我々がどこまで、その世代の人たちが実際に直接参加をするかということは、世界のいろいろな動きもいろいろ考えながら、私たちの考えで決めていかなきゃいけないなということを思います。 それからもう一点は、いろいろ御指摘をされております
虚偽報道
規制
の当否についてであります。 これは、公職
選挙
法には、今までのいろいろな歴史を含めて、例えば「新聞紙又は雑誌が、
選挙
に関し、報道及び評論を掲載するの自由を妨げるものではない。但し、
虚偽
の事項を記載し又は事実を歪曲して記載する等
表現
の自由を濫用して
選挙
の公正を害してはならない。」などなど、ずっとあるわけですけれども、少なくとも
憲法改正
国民投票
法においても、
公選法
の内容についてはこれをしっかり守っていく必要があるのではないか。 そして、
公務員
や教育者の地位利用についても当然のことだと思います。 公正な議論の中で、
国民
的な参加の中でこの
憲法改正
というものが行われていく必要があるということを改めて申し上げておきたいと思います。 以上です。
鈴木克昌
114
○鈴木(克)
委員
結論から申し上げて、私は、
国民投票
法案はできるだけ早く
制定
をすべきだ、こういう考え方にあります。 我々は、十八歳からの
投票権
、そしてメディアといいますか、この運動については
原則
自由とする、それから、メディア
規制
は極力行うべきではないという基本的な考え方をいたしておるわけであります。 一つずつ私の
見解
も添えて申し上げたいというふうに思うんです。 まず、十八歳の問題でありますが、私は、この際、ぜひ十八歳に下げるべきではないかと、むしろ推進論でございます。俗っぽい言い方をしますと、未
成年
ということをよく言いますけれども、私は、果たして二十が成人である、ないを分けるのにふさわしいのかどうかということを考えたときに、むしろ、この際、十八歳に
投票権
を与えることによって
権利
も与える、そのかわり、義務というか責任も持ってもらうというような基本的な考え方をしていく、ある
意味
では一つのチャンスではないのかな、このように思っております。 したがって、もし
選挙人名簿
が使えないとかいうような問題があれば、むしろ
憲法
の方も、
投票権
を十八歳からというふうに変えていくべきではないのかなというふうに思っております。 それから、マスコミへの
規制
でありますけれども、
高見参考人
は、
国民
が
判断
するには自由に議論できる
公共空間
が必要だ、
規制
は
原則
的に許されないということでありました。確かに
原則
論はそうかもしれませんが、しかし現在、我々は
公選法
があります。メディアも
公選法
によってある
意味
では自制がかかっておる部分があるわけでありますから、やはりそれぐらいの
規制
というのはあってもいいのではないのかな、このように思っております。 それから、どういう形で、
賛否
を一括でとるのかとらないのか、個別に、条文ごとに
投票
を求めるのかということです。これは、
高橋参考人
は、
一般
的に
国民投票
法案に書き込むことは非常に難しい、つまり改憲案の発議ごとに
判断
すべきだ、こういう
見解
を述べられました。私も確かに、どういう形で、一括になるのか個別になるのか、状況によって変わってくるかもしれませんけれども、やはりそれは発議ごとに
判断
をしていくということでいいのではないかな、このように思っております。 それからもう一つ、このIT時代を迎えてインターネットの問題をどうするかということでありますが、まだやはり、全
国民
が押しなべてこういったITを駆使するという時代ではないというふうに思えます。したがって、この部分については、やはりある
意味
では
規制
をしていく必要があるのではないのかなというふうに思っています。 それから、過半数の問題でありますが、これは言うまでもありませんけれども、
国民投票
において過半数の賛成が必要ということであります。この過半数の
意味
は、有権者の過半数なのか、総
投票
者の過半数なのか、有効
投票
の過半数なのかということで、いろいろ分かれるわけでありますけれども、私は、デンマークの例のように、有権者の四〇%の
投票
、そして
投票
者の過半数の賛成というのが現実的に最も可能性があるのではないのかな、こんなふうに思っているところでございます。 以上でございます。
吉田六左エ門
115
○吉田(六)
委員
きょうは、
委員長
のお手配で
高見
、
高橋
という、
憲法
、特に
国民投票制度
、これらについての専門家の
意見
を聞くことができまして、大変ありがとうございました。 そして、その後に、自由討論の中で近藤
理事
から、自分がかかわることのできなかった
憲法
調査
会時代の議論も整理されて、そしてお考えを交えてきれいにおまとめいただけたことも、この特別
委員会
からここに席を得た六
左エ門
としては、
理解
を深めるに大変いい
機会
だったな、そのように思っています。 先ほど小川
委員
から、五十八年というこの歴史についての、若い、そして切れ味のいい立場での感想が述べられました。ああそうか、若い方はそんなふうな感想をお持ちになるんだなというような思いをしながら聞かせていただきました。 そして、今ここで、
国会
の
憲法
調査
特別
委員会
という
レベル
で
憲法
の話を議論することができる。そして、五年さかのぼりますと、衆参両院に
憲法
調査
会というものを設置されて、五年と限っての
憲法
の
調査
の議論が始まったわけですが、ああした段階を経ての今だというところに思いをいたしますと、無為無策の
憲法
の歴史ではなくて、いろいろな、多くの方々がこの
憲法
に対する思い、考えを持ち、そして提言をし議論をし、そして今のような状況があたわったんだというような思いがいたします。 機が熟したという言い方が悪ければ、機がめぐってきた、こんなふうに私は申し上げさせていただきたいがために、時代に即応しなくなったルールですから、全般にわたって協議をして、そして今度は、こうした大きな改革をまたすぐするというような必要のないような、根幹的な
憲法
改革の議論ができたらよいな、そのように思います。 そして、
伊藤
委員
から先ほど、それから前回もそうですが、各国の例なども挙げて御説明をいただき、私も、これは
国民投票
の
選挙
運動にもかかわりますけれども、十八歳、これらの人たちに本気で
憲法
に関心を持ってもらうためにも、十八歳という年代の方々に
投票権
を付与してあげたいなと思っています。 例を挙げますと、過ぐる
選挙
の折に、改革という、あれをまさに
国民投票
のようなものだと例を挙げた、そのときに、それこそ平場のあちこちで若い人たちが盛んに郵政民営化について興味を持ち、話をしておられる、あの様子が目に浮かびます。あんなふうに
憲法
について興味を持っていただいて、日本全国ありとあらゆるところで、若い人たちからも、
国民
みんながこれに向けて車座の議論をして、そしてその結果が
国民投票
に反映されたらいいなという感想を一言申し上げさせていただきます。 ありがとうございました。
枝野幸男
116
○枝野
委員
きょうの話の中で、
国民投票
の結果に対して無効の訴訟が起こった場合どうしたらいいのかということも出てまいりましたが、ここは私も、結論的なことを申し上げるわけではないんですが、一つのアイデアとして、こういったことは考えられないだろうかと。 つまり、
国民投票
の結果に対して無効であるという訴訟が起こされるケースもいろいろなものが想定されるだろう。まさに、実質的にその当否をきちっと
判断
しなければならないような重要な瑕疵と思われるケース、あるいは、当然内容的に、例えば
改正
に反対の立場からは、いろいろな手段でそれに反対、抵抗するでありましょうから、そのための一手段として訴訟が提起をされるというケースと、両極端、両方のケースがあり得るんだろうと思います。 このうち、一種の乱訴的な形で訴訟がたくさん提起されるというケースにおいては、それは、とにかく
投票
が終わったんだからまずは発効させる、それで、裁判が確定、もし無効
判決
が出たらそのときに効力を失わせるということであってもいいのかもしれません。しかし、実質的に、
手続
その他において重大な瑕疵があって、実質的な無効であるのかどうかという司法
判断
が必要であるような訴訟が起こる可能性も否定はできない。このような場合に、これまた事後的でいいのかどうかというのは、きょうの
参考人
の資料などに、特に
高見
先生などからもありましたが、非常に疑問の持たれるところであると。 こうした場合に、一つ考えられるのは、例えば、
国民投票
から何日間か短い
期間
を限定して、効力発生停止の仮処分的なものをセットする。そこで、非常にラフだけれども、発効を停止させるまでの訴訟であるのかどうかというのを一次スクリーニングをかける。それで、大部分の場合はそこでは効力発生停止の仮処分は認められないであろうと思いますが、まさに重大な
手続
的な瑕疵などが推定される、推測される、疎明できるようなケースという例外的な場合には、その上で本訴訟に入る、それ以外のケースについては効力を発生させた上で本訴訟に入るというような、丁寧なというか、二段階の
手続
を踏めば、いろいろな種類の訴訟が想定できるだろうなということに対して対応する余地があるのではないだろうか。現状の行政訴訟などを前提にした、あるいは
選挙
訴訟などを前提に必ずしもする必要はないんじゃないか。 今、アイデア
レベル
でありますので、
問題点
もあろうかと思いますが、今後の検討の上でこういったことも考慮していただければということで提起をさせていただきます。 もう一点。先ほど葉梨先生から、外国人の運動といいますか
言論
については非常に緻密な分析をしていただきました。それともつながってくるんですが、この間、
国民投票
運動に対する
規制
という話と、それから
憲法
に関する言動、
言論
に対する
規制
という話が必ずしも整理をされないで使われている、あるいはこの
二つ
が整理できないところに問題があるという共通認識をもうちょっとちゃんと持たないといけないのではないだろうか。
国民投票
運動という形で、
選挙
運動に類した形で何か特定の主体があって、その主体が何かするということであるならば、
規制
のかけようはたくさんありますが、まさに
憲法改正
是か非かということは、ある
意味
で一億三千万すべての人が隣の人に対して、賛成しようよとか反対しようよとかという主体になり得る。一人でもなり得るわけでありますし、日本の
憲法
が変わった方がいいのか変わらない方がいいのかということは、余計なお世話とはいいながら、例えばアメリカの高官が、日本の
憲法
は変わった方がいいとかいろいろな発言をしているわけでありますから、これは
言論
という部分で、
規制
のしようがない世界でもあります。 この、何か特定の部分だけを運動として本当に定義できるのかどうかということがまず前提として問われなければ、そもそも
規制
のかけようがないんじゃないか。あるいは、
規制
をかけるとしても、我々が従来申し上げているとおり、ほとんど例外的なケースに限定せざるを得ないのではないか。このあたりの整理を今後しっかりとしていかなければならないんじゃないかということをきょうの議論の中で感じました。 以上でございます。 〔
委員長
退席、保岡
委員長
代理着席〕
平岡秀夫
117
○平岡
委員
きょうの議論を聞いていて単純に疑問に思ったところを少しお話しさせていただきたいと思います。 大きく分けて二点ほどあります。 まず一つは、きょう、現
憲法
の
改正
の
正当性
という議論が大分出ていたようでありますけれども、これに関してちょっと申し上げると、現在の
憲法
九十六条の第二項に、「
憲法改正
の公布の形式」ということで配られている議論の中にも指摘されているんですけれども、「この
憲法
と一体を成すものとして、」天皇が
国民
の名において公布する、そういう
表現
がとってあるわけですね。 これを素直に読むと、
憲法
の全文
改正
のようなことを仮に考えていたとすると、これは今の現
憲法
が予定している、考えている
憲法
の
改正
方式ではないというふうに言われかねない、そういう問題が発生してくるのではないか。つまり、今回の
憲法改正
について、その
正当性
が疑われるという事態も発生する可能性がある。 そうだとするならば、
憲法
を全文
改正
するような形での
改正
というものが考えられるのであれば、まずこの
憲法
第九十六条第二項の部分を
改正
するということをしっかりやって、その上で、どういう、全文
改正
になるのかあるいは一部
改正
になるのかそれはわかりませんけれども、そうした
改正
の方式を考えていかなければいけない、こういう論理が成り立ってくるのではないかというふうに思いますので、その点をまず指摘させていただきたいというふうに思います。 それからもう一つ、先ほど枝野
委員
の方からも、無効訴訟の話がございました。幾つかきょうの
参考人
の議論の中でも出てきましたけれども、その話を聞いていてよくわからなかったのは、
国民投票
の無効となる
事由
というものを一体どういうものとして考えているのかというところがどうもはっきりしないなというふうに思いました。そのことが、例えば、事前に配られている資料の中で、訴訟を提起できる人が
投票
人に限られているというような状況というのは、一体どういう無効
事由
を考えてこういう方式になっているのかというところがよくわからない。 もっと端的に言うと、例えば
国民
運動
規制
違反といったようなものがあったときに、これが無効
事由
となるのかどうか。
選挙
運動であれば、当然、
選挙
運動をした人についていろいろな
事由
が生じたら当選無効というようなことにつながっていくわけでありますけれども、この
国民投票
について言うと、一体何が無効
事由
となり得るのか。単純に言えば、非常に明確な
手続
違反みたいなものがあれば、多分これは無効になるんだろうと思いますけれども、
国民
運動
規制
違反といったようなものが無効
事由
となるものがあるのかないのか、そういうこともはっきりしていないような、そんな気がします。 そういう
意味
では、まず、無効訴訟を議論する前に、一体どういうことが無効
事由
となり得るのか、この点についてもしっかりと議論をしていかなければいけないのではないか、こんな疑問を持ったところであります。 以上です。
岩國哲人
118
○岩國
委員
前回、二十歳か十八歳かということについて、ほとんどの方は十八歳という御
意見
の方が多かったように思いましたけれども、私は、十八歳は日本においては少し時期尚早ではないかという
意見
を申し上げました。そして、詳しくはまた次回と申し上げ、この
機会
を待っておりました。 ヨーロッパに十年、アメリカに十年、日本に十年、三十年、経済の世界でいろいろな国に住みながら、私が、そういう社会を見ながら、日本の十八歳はだめだという結論を出しているわけじゃありません、優秀な子供たちはたくさんおります。しかし、社会的成熟度、社会的体験においては、日本の十八歳は、はっきり言ってまだヨーロッパ、アメリカの十八歳に比べると、
政治
に対する関心度と
理解
度が低い。それは教育の差というものも私は大いにあると思うんです。ここで
二つ
の例を申し上げて、皆さんにまたいろいろ御
意見
をちょうだ
いし
たいと思いますけれども、一つはアメリカの例、一つは日本の長野県の例です。 アメリカの青年
会議
所、JCと言いますけれども、私も日本のJCの財団の
理事
を十年以上務めて、この活動についてはよく知っております。日本のJCの場合には、仕事づくり、仲間づくり、最近はまちづくり、緑の環境づくり、ようやく人づくりのところまで活動が伸びてきています。まだ歴史は浅いと思います。 アメリカのニューヨークのJCと日本のJCと、私は交流を向こうでいろいろとお手伝
いし
てきましたけれども、ニューヨークのJCの場合には、セントラルパークで大きなイベントをやって、チャリティーでお金を集めて、その集めたお金を全額何に使うか。アメリカの高校生を集めて夏休みに合宿させ、大統領と議会との
関係
について、こういうテーマ討論会をやっているんです。自分たちのまちづくりとかそういう話では全然なくて、アメリカの大統領と議会との
関係
はどうあるべきか、こういうことを議論させて、そして、アメリカという国の起源に思いをはせ、これからの自分たちは、君たちがアメリカの国をつくっていくんだという意識を植えつけている。それを、ごく普通のお医者さんや弁護士や、そういう人たちが青年
会議
所のメンバーになってやっている。私は、アメリカというのはこういう点では大人の国だなということを目の当たりに見て感じました。 次に、今度は日本の長野県の、ある私立の高校です。もう一年ぐらい前になるんでしょうか、社会科の先生が高校三年生一人一人に、日本の
憲法
の前文を自分の文章で書きなさい、こういうことをやらせたんですね。高校生にとってはもちろん初めての体験。
憲法
というのは、物すごく偉い人、勉強した人しかああいう文章をつくっちゃならない、そう思っているだろう高校生に、あなたたちの文章で、どういう日本が欲しいのか、どういう国があった方がいいのか、それを自分の文章で
憲法
の前文を書いてみなさいと。その新聞報道では、この高校は長野県の伊那地方か諏訪地方の方にある
伊藤
先生よく御存じの高校なんです。そういうところでさえと言うとおかしいんです、実は、長野県というのは信州教育、山口県は長州教育といって、日本で何州教育と言われたところはこの
二つ
しかないぐらいの教育の伝統を持っているんです。ですから、やはり、信州のそういう山の中で、すばらしい社会科の先生がいて、
憲法
の前文を君たち、あなたたち一人一人が自分の思いを込めて書いてみなさい、私は、これは大変いい勉強になったと思います。 こういう教育、あるいはアメリカのJCのような活動、あるいはこの長野県の社会科の先生、こういう先生がどんどんどんどんふえていただきたい。そうすれば、日本の十八歳は立派にこの
憲法改正
に参加してくれる。どの世代も
憲法
づくりに参加意識を持たせるために、アメリカは、追憲、加憲、アメンドメントと言われるやり方、ドイツも何十回と
改正
しています。
改正
を時々するということは、
改正
しない部分については再確認して、いいものだということをその都度その都度確認するという作業ですから、その都度ある
意味
では
憲法
を新しく
制定
している疑似体験を持たせるという
意味
で、この
改正
を時々やるということは、
憲法
全部を書きかえないまでも、
憲法
の九九%はすばらしいんだということをその都度思わせる、そういう
意味
で、私は、
改正
ということは非常に有意義な
憲法
の
制定
の一つでもある、そのように思います。
松野博一
119
○松野(博)
委員
自由民主党の松野博一でございます。 私も、
憲法改正
国民投票
法を一刻も早く
制定
するべきだという立場であります。
憲法改正
の
国民投票
法は、
国民
にとって、国家の最も根幹である
憲法
に対しての正当な
主権
の
行使
というふうにとらえますと、
国民投票
法が
制定
をされていないという現状に関しては、保岡
理事
の発言の中にもありましたけれども、
立法
の不作為と言われても仕方がないというふうに思います。この不作為に対して、
国民
の中に現実に
憲法改正
への期待、意思があるのかないのかという話がありましたが、
国民
の
主権
の
行使
を国家が担保するということが重要なことであり、期待があるかないかということはまた別の議論であろうかと思います。 さらに重要なことは、
国民
の
憲法
に対する信頼の問題であります。各
委員
からも、
憲法
の
制定
過程から、自分たちの
憲法
であるという意識、
正当性
を感じる意識が低いとの指摘がありましたけれども、私は、
憲法
の
制定
過程もそうでありますが、それよりも、
国民
が自分たちの意思で自分たちの国家の基本である
憲法
を変えることができないという現状、その状況に
立法
府が対応しないという状況、このことが
憲法
に対する
国民
の信頼を損ね、
正当性
に疑問をもたらしている原因の一つではないかというふうに思います。
国民
の
憲法
に対する信頼を高めるためにも、
憲法改正
国民投票
法の
制定
を急ぐべきであろうというふうに考えております。
国民投票
法の
投票権
者の範囲でありますけれども、
憲法改正
は、
国政選挙
よりも広範囲かつ長期、未来に向けての問題であり、より若い層まで
投票権
者に加えていくべきだという議論がありました。しかし、
憲法改正
を発議する
国会
の
議員
を選ぶ
選挙
は二十歳以上ということであります。
国政選挙
と
憲法改正
国民投票
は、その
行使
をする
主権
に質的な差があると
参考人
の方からも発言がありましたが、直接、間接の差があったとしても、
憲法
に対する
国民
の働きかけ、
制定
改正
プロセスへの参加という点を考えれば同様であります。十八歳であれ二十歳であれ、
国政選挙
と
憲法改正
の
国民投票
は同
年齢
でいいのではないかというふうに思います。 その中で、岩國
委員
の方から今お話がありましたが、二十歳、二十がいいのか十八歳がいいのかという議論は、やはり
国民
が、
国民
として社会の中で成人として果たすべき義務との
関係
の中で論じていかなければいけないというふうに考えますので、今後、
国政選挙
と同様に、
国民投票
の
投票権
者の
年齢
制限
に関しては議論をしていくべきであろうというふうに考えております。 以上です。 〔保岡
委員長
代理退席、
委員長
着席〕
笠井亮
120
○笠井
委員
日本共産党の笠井亮です。 先ほど来、現
憲法
の
正当性
をめぐっての議論がありまして、私、小川
委員
が言われたことについて共感する部分がかなりあります。 率直に申し上げまして、
憲法
九十九条で、この
憲法
を尊重して擁護する義務を負うという我々
国会
議員
の中で、
憲法
の
正当性
について、根本から疑うという御議論とか自信が持てないという御
意見
を伺って、非常に驚きを持っているわけであります。 三点端的に申し上げたいと思うんですが、一つは、現
憲法
の
正当性
については、前文そのものにあるということで、私、午前中も申し上げました、その中で確保されていると。 それから
二つ
目は、それでは、
主権者
国民
が、
制定
されてから五十八年、この
憲法
の中で生きてきて、
国民
の側から変えなきゃいけないというふうな要求が出ているわけじゃない。九条を初めとして、この
憲法
をみずからのものとして、そういう
意味
では選んできているということだと思うんです。 最近の世論
調査
のことを先ほど申し上げて、毎日新聞で、九条は
改正
反対というのが六二%ということで紹介もいたしましたけれども、その中でも、二十代でいって、戦争の経験のない世代でも七〇%が
改正
反対、それから、高校生、十代の中でも、立派に
意見
をたくさん持ってそういうことを
主張
されております。
国民投票
法案について世論
調査
はたしか春にもあったと思うんですが、その中でも、それが必要だと思っているという方がたしか二九%程度ということでありますから、そういう点でいうと、
国民
自身が、
主権者
としてこの五十八年間この
憲法
とともに生きていて、やはりそういう中でこれを選んでいるというのが実際の実態の姿だと思います。 それから三点目に、では、今戦後六十年たっていろいろな問題が起こっているというのは、この
憲法
があるからではなくて、そしてこの
憲法
の
正当性
が問題だからということじゃなくて、まさにこの
憲法
自体
が
政治
の場面で生かされてこなかった。九条にしても、二十五条にしても、あるいは九十七条とか、九十四条ですか、いろいろなところで言えると思うんですが、その具体化と実施が妨げられてきた
政治
との
関係
での現実があったということだと思うんですよ。 ですから、問題は、
国民
の側から見ると、
憲法
の改定ということを求めているというのではなくて、
憲法
の諸
原則
を日本の
政治
、経済、社会の各分野の中でやはり生かしていく、完全実施することこそ今求めているわけで、
国会
が何よりしなきゃいけないのは、そうしたことをきちっとやることだというふうに思うんです。そして、その責務を
国会
が果たすということが、
憲法
への信頼ということがありましたけれども、そのことを高めることになるということを、やはり今の時点で我々は大いに議論すべきじゃないかというふうに思います。 以上です。
林潤
121
○林(潤)
委員
自由民主党の林潤であります。 九十六条の
改正
手続法
については、早急に
整備
をすべきであるという立場で発言をさせていただきます。
改正
をできるかできないかということと、
手続
そのものができるできないというのはまさに別問題でありまして、これは切り離して考えなければいけない。これは、前回ちょっと言えなかったことなので、前提として言わさせていただきます。
国会
議員
は、もう言うまでもなく、
国民
の生命と財産を守るのが一番の責任なのでありまして、それを時代に即して
国民
の要請にこたえていくためには、
国会
議員
が
憲法改正案
を発議するということはまさに責務中の責務である、そのために
改正
手続
は不可欠であると私は思っているところであります。 先ほど、本日の
参考人
の
意見
も踏まえて、
投票権
者の範囲ということについてですけれども、これは、
憲法
の九十八条にあります、
憲法
は、国の最高の法規であって、その条規に反する
法律
はその効力を有しないとありますとおり、その
立法
している
国会
議員
が選ばれているのが
国政選挙
であります。 その
法律
の中の
法律
とも言うべき
憲法
が、未
成年
あるいは十八歳以下という議論があって、
憲法改正
についてが、
法律
の中の
法律
であるにもかかわらず、それより範囲が広いというのはどうしてか。その
整合性
を保つためには、
国政選挙
と同等にすべきであると私は考えているところであります。この議論は、またもっと尽くすべきではなかろうかというところであります。 こうした
国民
的な議論によってなされた
投票
の結果というのは非常に重大でありまして、過半数の意義についてということで、私は、有効
投票
総数の過半数ではないかというふうに考えておりますが、これは、やはり棄権の票をどのように考えるかというのが一番問題になるのではないかと思います。 棄権は、
一般
の
国政選挙
の場合には、
投票
したい人がいないということで棄権を
意思表示
とする考え方があると思います。
憲法改正
の場合ですと、これが全体をくくってイエスかノーかという
判断
になるかどうかはわからないですけれども、棄権の
意思表示
をこの場合どう受け取ればいいかというのが非常に議論となってくると思いますので、この辺を慎重に踏まえながら、この棄権票の扱いというのを議論し、総
投票
数の過半数なのか、それとも有効
投票
総数の過半数なのか、こうしたことの議論をさらに進めるべきだと思っております。 そしてまた、
国民投票
運動は、これは基本的に大きな制約を受けないことが望ましいわけであります。この重要性から十分過ぎるほどの周知が必要でありまして、これに関しては、
投票
率の高低を初めから懸念するのではなく、やはり私たち
国会
議員
が、
立法
府がその喚起に努めなくてはいけない、これが責務であると思います。 その中では、やはり、テレビや新聞のみならず、インターネットやケーブルテレビなど含めまして、
規制
を緩めまして、
国民
的な議論をさまざまな立場から形成し、
国民
の総意をつくっていかなければいけない、このように考えております。 以上であります。
三原朝彦
122
○三原
委員
自民党の三原でございます。
高見
先生、
高橋
先生、そしてまた同僚
議員
の皆さんにいろいろな
意見
を勉強させてもらって、大いにおもしろかったと思いますけれども、私が一つだけ申し上げたいのは、早く
国民投票
をやる上の
手続
を決めなきゃいけないということはもちろん当然ですけれども、そのときの、やはり、
国民
運動といいますか、
憲法
が私たち
国民
の基本的人権をちゃんと守るための根本的な
法律
であり、なおかつ国家を形成するための
法律
であるという基本的なものである以上は、
国民
こぞってこの議論に参加するような形をとらなければならない、そう思うのであります。 百花斉放、百家争鳴といいますか、そういう雰囲気が起こるような、
憲法
を変えるときの広報活動、
選挙
運動じゃなきゃいけないと私は思っています。ですから、そのためにはできる限り自由な形があるべきであることは当然でしょう。 我が国でも大きな新聞社がありますが、その中で、大体、
憲法改正
という議論をするときには、賛成の新聞社が考えると何社かあるでしょう、反対を強くしそうなところもあるでしょう。そういうところが大いに活動されることは、私は、それも一つの
国民
への教育宣伝、教宣の手段でもあろうと思うし、マスメディア、それ以外にテレビ、ラジオありますけれども、そっちの方向でも、中立とは何ぞや、こういうことになりますと、では、あらゆるものがもう
憲法
に関して議論ができなくなってしまうんですよね。それは、我々の最も基本的な約束を決めるそのときにおいて、余りにも消極的な考えでもあると思うんです。 ですから、そういうときにはどうするのか。では、一番現代で影響力のあるテレビあたりで、賛成と反対と同じ時間だけやるのかとか、中立的
意見
はどうするのか、こう議論になっちゃうでしょうから、そういうときには、やはりそこまで突き詰めて物を考えますと、百花斉放、百家争鳴なんてできなくなりますから、そういう面では、これから先も、より、フェアというと何をもってフェアとするのか、これまた議論になるでしょう。難しい問題ですけれども、賛成もあり反対もある、それを認識しながら、より、議論の上での時間が、バラエティーに富んだものが言えるような、そういう形をつくっていくこと、そのことが私は大切だと思いますし、必ずやそういう我々に英知が出てくるんだと思います。 それといま一つ、やはり
国民投票
を何だかやっていないから、我々は一種の、一歩引いたような、怖いような状況でいるんじゃないかと思うんですけれども、それは間違いだと思う。諸外国では結構
国民投票
をやっているところがありますから、我々もやはりそれに対してチャレンジしなきゃいけないという気持ちがあります。 そのためには、
憲法
の
改正
をまず第一弾としてこういうことをやるのではなくても、
国民投票
の中でも、各党の中で議論の分かれる、例えば今我々が議論している脳死問題とかをちゃんと提示してみて、それについての、ちょうど
委員長
さんが我が党のそれの中心の方ですけれども、
国民
に対して、それも第一弾の
国民投票
の試金石にしてやってみる、やることを恐れずに我々は進むべきだ、そういうふうに私は思います。
船田元
123
○船田
委員
二回目の発言をお許しいただき、ありがとうございます。自民党の船田でございます。 一つは、先ほど古川
委員
から最初に問題提起されました、
一般
的
国民投票
とそれから今回の
憲法改正国民投票制
度、これは区別するのではなくて、やはり一緒に考えるべき問題ではないか、こういう提起がございました。 もちろん、そのような考え方もあるかと思いますけれども、ただ、
一般
的な案件に関する
国民投票制度
というものを構築する場合には、現在の議会制民主主義、つまり間接民主制というものを一部直接民主制というものに変えるという非常に大きな
改正
というか、これこそまさに
憲法
に関することになってくると思います。 したがいまして、将来の課題ということではよろしいことかと思いますが、現時点におきましては、やはり
憲法改正
における
国民投票制度
というものに限定をした議論というのが必要である、こう思っております。 それから、岩國
委員
から御指摘をいただいた、日本の場合、十八歳以上というのは時期尚早であるというお話でございました。 確かにそういう面もあるかと思いますが、現在、刑事罰の
関係
におきましては、少年法の適用の
年齢
を下げる、そういう傾向にございますし、また、高校を卒業するということが一つのやはり社会に出るステップになっているという
一般
的な考え方がございます。 また、今の十八歳以上の日本人がなかなか
政治
的な成熟をしていない、こういう御指摘でございましたけれども、逆に考えまして、この
憲法改正
の
国民投票制度
に十八歳以上の若い人々を参加させるということによって、これを
機会
として、高校においても
政治
教育といいますか公民教育というものをもっともっと徹底していく、あるいは、現実に即して、現状に即してそういった教育をやるんだ、こういう積極的なきっかけに使うということは、私はとても大事だなというふうに思っております。 それから、最後になりますが、枝野
委員
の御指摘の中で、無効の訴訟の扱いをどうするか、こういうことでございますが、先ほど
委員
がお話しになったように、無効訴訟が出た場合には
一定期間
発効しない、そういうバッファーの時期を設けておきまして、その間に重大な
手続
上の瑕疵があるかないかということを
調査
し、そして重大ではないと
判断
された場合には発効する、そして個々の訴訟においては、その後において
法廷
において議論すべきである、こういう方法で私もよろしいのではないかというふうに考えております。 それから、もう一つは、
国民投票
運動でございます。これも枝野
委員
御指摘のように、
国民投票
運動の
規制
というのがそもそもできるのかどうか。 確かに非常にグレーゾーンがいっぱいございます、難しい点はあるかと思いますけれども、私はやはり個人として、この
憲法
の
改正
についてどうするか、どういう内容にすべきかということに対する
意見
の表明については、これは全く自由に、幅広く行ってよろしいのではないか、それは当然であるというふうに思っております。 しかしながら、組織的にある意図を持って、ある団体が、あるグループが行動するということ、これはやはり
一定
の
規制
が必要であると思いますし、また、マスメディアを使いまして、マスメディアは非常に影響力が大きいわけでありますので、マスメディアを使って
虚偽
の報道をする、あるいは不法に利用する、こういうことについては、やはりここは
選挙
の公平さというのを維持するためにも、これは最低限きちんとした
規制
は必要である、このように仕分けて考えるべきだ、こう思っております。 以上です。
岩國哲人
124
○岩國
委員
もう三度目で、三杯目はそっと出して短くやりたいと思いますけれども。 先ほど笠井
委員
の方から、この九条
改正
反対にいろいろな世論
調査
、やれ六八とか七二%、私ももちろん見ております。しかし、これは私は非常に誤解を招きやすい結果だと思うんですね。 なぜかといいますと、設問の仕方が悪いんです。九条
改正
というと、すぐに自衛隊を海外に出して、どんどんどんどん自衛隊を、海外での武力
行使
をやらせるための九条
改正
、そういう悪いイメージがひとり歩きして、だから設問の仕方をもっと工夫しなきゃならないと思うんです、いろいろなメディアは。もうここまでいろいろな議論が煮詰まってきた。十年前ならこの程度でもよかったでしょう。しかし、もう今ではこんな設問の仕方では全く貧弱そのもの。 例えば、平和
憲法
を守るための
改正
、そういう
改正
だってあるんだということを
一般
に説明してから、それであなたはそれでも反対ですかと聞くべきであって、みんな
国民
が
一般
に持っている貧弱なイメージ、あるいは短絡的に、九条
改正
というのは平和を壊すものだ、平和
憲法
の土台を壊すものだ、怖い、危ない、だから、あれにさわっちゃいけないよ、そう思わせておいて、そこで設問すれば七二でも八〇%でも。 私は、そういう設問でも、よく二八%の人が
改正
してもいいと答えている、そっちの方にむしろ感心します。なぜ七二でとまっているかということです。もっともっとこれは私は低くなると思う。 それは、今の九条では、十分に自衛隊の海外での武力
行使
を制約していない。第一、自衛隊そのものが書かれていない。自衛隊を
憲法
というおりの中に入れて、
憲法
という鎖をつけて、海外での武力
行使
が自由にできないようにする、それが平和
憲法
を守るためのことなんだ。それを今のままにしておくということは一番危ないことなんだ。今のうちに
憲法
にちゃんと自衛隊を書いて、追記することによって、アメンドメントすることによって、それで平和
憲法
に突っかい棒を設けるんだ。 そういう、
憲法改正
にはもう一つの
改正
、選択肢があるということを十分に説明した上で、それでも七二%が反対なら私はあきらめますけれども、平和
憲法
を守るための
改正
、そういう選択肢が欠けている。選択肢を欠落させたままで大新聞がこういう設問を出すということは、私は非常にある
意味
では無責任なデータのとり方ではないかと思うんです。九条
改正
は平和を壊すものだというイメージをひとり歩きさせてはならないと私は思います。 以上です。
北神圭朗
125
○
北神
委員
民主党の
北神
圭朗
でございます。新参者でございますので、よろしくお願いいたします。 けさも笠井
委員
から、
憲法
とは何ぞや、そういった質問が
参考人
の方々にございましたが、私は、大別して、一つは、確かに人権を守って国家
権力
を
制限
するというルールづくりという部分もあると思うんですが、一方で、やはりその国の
国民
の歴史とか伝統とかそういったものを踏まえて、どういった国づくりをしていくんだ、そういったいわば理念的な部分も当然あるんだというふうに思います。その後者の部分を踏まえて申し上げたいのは、やはり私は基本的にはこの
憲法改正
をすべきだと。そして、それは極論すれば、条文、内容に問題が一切なくても
改正
をすべきだと。 簡単に言いますと、今の
憲法
の文章を見ますと、これは翻訳でありまして、非常に日本語としてでも極めて奇異な
表現
とか文言とか語彙とかが散見されるわけでございます。私は、はっきり言って、一切
憲法
の中身に問題がなくても、日本語で全面的に書き直すべきだというふうに思います。それは、
国民
の歴史、伝統というものを踏まえるという
意味
でもありますし、そこまでいかなくても、基本的になじみやすい、
国民
にわかりやすい、そういった
憲法
をつくるのが大事だというふうに思っております。 もう一つは、前文の部分につきまして、そこで日本の歴史、伝統を踏まえた国のあるべき姿というものをぜひとも書くべきだというふうに私は思っておりますし、今、内容の話でありますが、これは
手続
の部分とも密接に
関連
することでありまして、
全面改正
にするのか、あるいは溶け込み方式にするのか、そういった論点にもかかわってきますし、さらに言えば、全面改定をする場合に、一括方式でやるのか個別方式でやるのか、そういった部分にもかかわってきますので、ひとまず、私の
憲法
に対する思いというものを述べさせていただきたいと思います。 ありがとうございました。
笠井亮
126
○笠井
委員
岩國
委員
から、私、名指しでお話がありましたので、一言だけ私も申し上げますが、九条、先ほどの世論
調査
の件ですが、私は、紹介したものだけじゃなくて、いろいろな世論
調査
が九条をめぐってあると思うんです。しかも、九条
改正
に反対かどうかというのは、極めてシンプルかつ非常にやはり明確な問いだと思うんです。
国民
はそのことによって短絡で思い込まされるみたいなお話もありましたけれども、私は、
国民
自身は、そういう問いを聞いたときに、やはり戦争世代は、戦争の体験、そして悲惨な思い、私も被爆二世ですけれども、やはりあの戦争によって原爆投下ということになり、そしてああいう惨禍があったことを含めて、いろいろな思いで九条に対する問いに答えているわけです。それから、戦後世代にしたって、そういう体験を引き継ぎながら、自分なりの思いで、この九条を変えたらいいかといったら、それはやはりよくないなという思いを六二%があれでも示したというのは非常に重い事実だなというのは一つ思います。 それから、では逆に、
憲法
九条を変えてこういうふうにしますよということを具体的に聞くとすると、例えば、これは自民党の側から出ている案として具体的に言えば、二項を変えて自衛軍を明記する、そして海外でも武力
行使
できるようになるということになると、これは私、海外でそういう戦争をやる国になるというふうに、そういう国になっていいですかと聞いたらもっと反対がふえる、これはこういうことになると思います。 具体的にそういうことで今の改定の中身をさらに知らせれば、さらにもっと反対がふえる、こういう
関係
になると思うので、私は、端的な数字として紹介しましたけれども、あの結果というのは重く受けとめるべきだろうというふうに思っております。 以上です。
枝野幸男
127
○枝野
委員
二回目になって恐縮ですが、今の笠井先生のお話は、前の
調査
会のときにも私、申し上げたんですが、九条
改正
といった場合に、自衛隊がもっといろいろなことをしやすくするとか、自衛隊を
憲法
上明文でオーソライズするということだけが九条
改正
の意図である、あるいはそういう方向での九条
改正
を目指している人たちしかいないという前提がもう時代的に違っているんではないのか。 私は、前の
調査
会のときにあえて多分名前を挙げて申し上げたと思うんですが、例えば今の自衛隊が
憲法
違反だ、あるいは今の自衛権、自衛隊すら認めないというお立場ならば、どうして今の九条を
改正
して自衛権もこれは
行使
しないという九条に書きかえるということを
主張
しないのか、僕は不思議で仕方がない。あるいは、自衛隊は認めるけれども、日本の領土、領海の外には出るべきではないという立場ならば、そのことを
憲法
九条三項に書き加えればこんな間違いのないことはないわけで、どうしてそういう方向の
改正
の
主張
というのが出てこないのか、私は不思議で仕方がないというか、論理的にはそれは両方あり得るわけで、したがって、私は九条
改正
是か非かと聞かれたときには答え得ません。 つまり、どう
改正
するかによって、今よりよくなるか悪くなるかということは、全然、百八十度変わるのであって、どう変えるのか、どちらの方向に変えるのかということの提起があって実は初めて可か非かということが答えられるのであって、ただ変えるのか変えないのかという設問
自体
、やはり私も、時代おくれというか、少なくとも論理的に成り立たないというふうに思っております。 それから、ここで詰めようと思いませんので問題提起として。先ほど船田先生からマスメディアは
一定
のというお話があったんですが、メディアの定義もまたなかなか難しいのではないか。例えば、これも
固有
名詞を挙げて失礼かもしれませんが、自由新報とか赤旗とか聖教新聞とか、これはマスメディアなのかどうなのか、こういうことを考えていったときに、非常に悩ましい問題、まさに政党の
機関
紙やそれに類する、あるいはかなり内部的な部分のところで公布、頒布される新聞
関係
というのは、これはかなり強く
政治
的意図を持って
一定
の方向性に向いた
主張
がなされてしかるべきだというふうに思うわけですが、発行部数で線を引くのかといってもなかなかそうもいかないだろう、なかなか悩ましい問題があるなということだけ指摘をしておきたいと思います。
平岡秀夫
128
○平岡
委員
今の枝野
委員
のお話に
関連
してですけれども、
憲法
九条の議論がありましたので、私は最初のこの特別
委員会
で九条の
改正
の問題についても触れさせていただいておりますけれども、
憲法
というものをどのようにとらえるかというものがまず大前提としてはあるとは思うんですけれども、現実がこうなっているから現実に
憲法
を合わせていくんだという考え方というのは、私はとるべきかどうかということについては大変疑問に思っています。 やはり我々は、
憲法
というものが目指す日本の
あり方
、あるいは世界の中における日本の
あり方
というものについては、しっかりとした理想を持った上で、どのような国づくりをしていくのかという視点があるべきだというふうに思っています。そういう
意味
では、現実がこうなっているからその現実に合わせるために
憲法
九条をこういうふうに変えたらいいではないか、理想というものではなくて、もっと現実に即した
憲法
であるべきだといったような議論に仮になるとしたら、そこは私は一つ踏み込み過ぎているんではないか、そんな感じがいたします。 そういう視点からいいますと、現在の
憲法
、私もこの前も言いましたけれども、
憲法
のもとで一体どこまでのことができるということが
国民
的合意なのかということをはっきりさせるための安全
保障
基本法といったようなものをまず考えていくべきではないか。その中で、今は例えば自衛隊がこれだけの戦力を持っているけれども、いずれは、外交
関係
をよりよくしていけば、これをより小さくしていく方向で我々は努力するのか、それともより大きくしていく方向で努力すべきなのか、この方向性というものをやはりしっかりと
憲法
というもののもとで考えていかなければいけない、こんなふうに思いますので、そこの点については、やはり、第一回目の会でも申し上げましたけれども、今の
憲法
のもとで一体我々が考えられる我が国の安全
保障
というものはどういうものか、このことをしっかりと議論していくことが最初にやるべきことだというふうに考えています。
笠井亮
129
○笠井
委員
具体的にまた名前が挙がって御
意見
もありましたので、一言だけ申し上げますが、時代に合わないというお話もあったんですが、やはり、今どういう状況の中でこの
憲法
の改定問題が議論されて出てきているかということはきちっと踏まえる必要があると思うんですよ。 一つはもう……(枝野
委員
「自民党だけ見ているからだ」と呼ぶ)いや、
調査
会の中でやはり議論があったのを知っていますけれども、アメリカ側の要求があるという問題と、それから、今枝野さんも言われたけれども、自民党の中でそういう議論がされているという状況の中で、少なくとも九条について言うと、歴代の自民党の政府が、ともかくも戦力不保持あるいは交戦権否認という
規定
については、やはりそれが歯どめになって海外で武力
行使
できないということで、その建前までは崩せなかったわけでありますよね。 そういう中で、じゃ、九条二項を改変して自衛軍を明記するということになると、やはり客観的には、それが歯どめを取り払って、そして海外で戦争できる国、する国になるということになってくる。やはりそうなると、それは戦争放棄を
規定
した九条の一項を含めた九条全体を放棄するというふうにつながってくるんだ。やはりそういう問題として私たちは見ていまして、そこは大いにまた議論していきたいと思いますけれども。そういう
意味
では、まさに今の時代的に見ても、今九条の
意味
が一層大きくなっているというふうに思っております。 以上です。
辻元清美
130
○
辻元
委員
今この九条をめぐる世論
調査
の例は、先ほど私の発言の中でも触れさせていただきましたので、一言申し上げたいと思うんです。 私は、ここの選択肢の中で、変えるべきか変えないべきかという
判断
をするときに、それにお答えになった方はいろいろな思いがあると思うんですね。それは、一つは、変えてしまったら何か過去の戦争の歴史もありますので非常に危険だなと
危険性
を感じているということも、これは今までの歴史の中から私たちの日本が抱えている現状であると思います。そこはそこでちゃんと私たちは踏まえるべきだと思うんです。 ただ、もう一方、日本は人道国家でありたいという強い意思もあると思うんですね。それは、この前の
意見陳述
で私も申し上げたんですけれども、特に今、暴力の連鎖がとまらないとか、イラク戦争などが混沌としている中で、例えば紛争の解決や予防や仲介という積極的な場面で、本当の
意味
での人道支援もそうだと思いますけれども、日本が今持っている
憲法
九条というものを大切にしながら国際的な場面で役割を果たせないかという、積極性を持って変えなくてもいいという
意見
もあると思うんです。 ですから、一概に、今の
国民
といいますか、特に国際
政治
が非常に混沌としている中で、さまざまなことを考えながら日本の進路の選択としてこの数字が出ているというように、やはり、
国民
を信じると言ったら変な言い方なんですけれども、さまざまな観点からの
判断
の数字であるというように率直にとらえるべきではないかなというふうに私は考えております。 特に、人道国家としての日本の役割をこれから大事にしていきたいなということ、それから日米
関係
、アジアの中での日本の方向性をどう出せばいいかということを真剣に考えている人たちは、やはり
国会
の中だけではなく外にもたくさんいるというように私は思います。それは、この間多くの若者が、この十年、二十年の間に人道支援を初めNGOなどでも活動する人は圧倒的にふえたという例から見ても、そういう積極性を持った九条の評価ということもこの数字の中に入っているのではないかということを指摘したいと思います。 以上です。
早川忠孝
131
○早川
委員
二度目の発言になります。 自由
討議
ですので、さまざまな御
意見
があると思うんですが、基本的にはこの
調査
特別
委員会
は
憲法
調査
会の審議をやはり踏まえて、その積み重ねの上で審議を行っているということを再確認をぜひしていただきたいというふうに思っております。 今、
憲法
九条の議論がさまざまにありました。しかし、前
憲法
調査
会の一つの取りまとめの中で、その
改正
の必要性について
憲法
調査
会の
委員
の方々からいろいろな発言があった、その集約がなされております。それを受けて今なされているのが
国民投票制度
についてどのような
問題点
があるかということだと思います。きょうの
参考人
のお二人の発言、並びに、私は特に葉梨
委員
からさまざまな具体的な
制度
設計についての
問題点
の提起があったように思っております。 我々が解決しなければならない課題としては、いわゆる
国民投票
運動と言われている、私は運動という
言葉
は適切ではないというふうに思っておりますけれども、しかし、
国民投票
運動にかかわるさまざまな
意見
の表明やさまざまな
行為
に対する
規制
の
あり方
をどう考えるべきかということが、
一定
の罰則の導入もやはり出てくるであろう、しかしながら、基本的には自由でなければならない。どちらかというと
政治
活動の自由の範囲の中で、
国民投票
に関するさまざまな
意見
の
投票
の
あり方
、あるいは団体活動の
あり方
というのを我々はとらえていかなければならない。そういう
意味
では、罰則を先行させるような考え方はなるべく避けるべきであるというふうに考えております。 しかしながら、誤った報道等によって
国民投票
が左右されてしまうということは、やはり
国民主権
あるいは議会制民主主義のこの日本の国の
あり方
としては決して好ましいことではない。そういうことからすると、それに対してはどういうふうな形でもって是正する手段を確保できるか。そういう
意味
では、
国民投票
に関しての監視の
あり方
というものを検討していかなければならない。それは、罰則でもって臨むのではない何らかの是正
措置
というのを適宜導入するということではないだろうかなというふうに思っております。 いずれにしても、
国民投票
法を
制定
するというこの議論の中では、最終的にはどのような
憲法改正案
が策定されるか。すなわち、両議院で三分の二以上の賛同が得られるような内容の
改正案
をつくっていく、それに並行して
国民投票制度
を構築していくということでありますので、不可分の
関係
であります。しかし、不可分でありますけれども、やはり
手続法
の
整備
をどうしても先行させていただかなければならない。そのために議論をなるべく集約していただきたいというふうに望むものであります。 以上であります。
逢坂誠二
132
○逢坂
委員
民主党の逢坂誠二でございます。 以前の
憲法
調査
会、そしてこれにまた橋渡しがされまして、この場において随分
レベル
の高い、しかも広範な議論が行われているということに対して大いなる敬意を払いたいというふうに思います。 この場においてやはり相当
レベル
の高い議論が行われている、こういうふうになっていくことというのは私も
理解
はできますし、かつまたどんどんどんどんと、機が熟していくという
言葉
がきょうも幾つか使われておりましたが、そのことも
理解
をいたします。 しかし、こうしたこの場において、つまり
国会
の場においていろいろと議論をしてどんどんどんどん機が熟していく、
レベル
が高まっていくということと、
主権者
たる
国民
の意識のずれというものの広がりというのはないのだろうかということについて、私は若干の危惧を持っております。我々この
国会
の場だけの議論が高まることで、本当の
意味
で、もし次に
憲法改正
が行われるとしたならば、
正当性
というものの得られる
憲法改正
になるのだろうかというところですね。この点に我々はもう少し注意を払うべきではないかという印象を、ここ一、二回のこの議論を聞いて私は強く感じたところであります。 したがいまして、私ども、この
国会
の議論をいかに上手に
国民
の皆様に橋渡しをしていくかという作業、これを忘れてはならない。これをしない限りにおいては、少し例えは悪いかもしれませんけれども、非常におとなしいウサギの群れの中にライオンを放つかのごとくの状況になりはしないかという危惧をするわけであります。 我々この
国会
の議論も、そして
国民
の皆さんもクレバーなウサギになるというんでしょうか、そういう必要がある。そういうことを常に我々は頭に置きながら、常に
主権者
たる
国民
の目線を気にしながら議論するということを私としては心がけてまいりたい、そんなことを思っております。 以上でございます。
保岡興治
133
○保岡
委員
先ほど笠井
委員
から御発言もありましたし、今までのお話を伺っておると、根本的に
憲法改正
国民投票
法というのは今必要かどうかということの御
判断
が、
憲法改正
の必要もないのに
手続
が必要であろうかという前提に立っておられるように伺ってきたんですが、違えばまた別でございますけれども。 私はいつもそういうお話を伺うときに思うのは、共産党の先輩がこの
憲法
を、昭和二十一年八月二十四日、
衆議院
で採決するとき、日本共産党を代表して野坂先輩が反対討論を行っている、その
言葉
をいつも思い出すんです。 その
言葉
というのは、現在の
憲法
、これは明治
憲法
のことですね、現在の
憲法
よりも進歩的であることは認めるが、世襲による天皇制を認めているのは
主権
在民を羊頭狗肉化するものであり、また、参議院は民主化の妨害物である。さらに、自衛権の放棄は民族の独立を危うくする危険がある。将来、この
憲法
の修正について努力する
権利
を留保して反対するという
趣旨
の反対討論をされている。要するに、現
憲法
は修正すべき内容が、基本的に、述べられたとおり、非常に根幹においてあるという認識を表明して、反対しておられるんです。 こういう歴史的な発言、同じ共産党としての、党としての連続性が私は今日まであると思うんですが、そういった
意味
で、私はあえて、発言を控えてもいいかなと思ったんですが、やはりこういう根本問題というものについて、これから先、論議の中で笠井
委員
の
意見
も聞きたいなと思いましたので、きょうお話は伺わなくても結構なんですが、改めてそういう根幹についてもちょっと
意見
を伺ってみたいなという感じを持ったので、いずれで結構です、よろしくお願
いし
ます。
笠井亮
134
○笠井
委員
私ども、九条改憲を中心として今やられているような改憲ということの中で、そのための
国民投票
法案は今必要ない、これは反対だということを明確にしてきたのはもうこれまでもるる述べてまいりました。 それから、歴史の話を持ち出されて言われたわけですけれども、あのときに、私の
理解
している範囲で、私の生まれるはるか前ですけれども、戦後ああいう時代になって、どういう
憲法
にするかということで議論があり、それぞれがアイデアを出し合って、そしてその中での議論をする中で
意見
を述べていたということがあったわけで、それはその時代のことであって、それにとらわれるものじゃないのは当然であります。 その結果この
憲法
ができて、そしてやはりこれは
憲法
が大事だ、それを大いに守って完全実施しようという立場で我々はやってきたわけですから、そこのところは何も誤解いただくようなこともな
いし
、堂々と私たちはそのことを述べているところでありまして、そのことだけは述べて、さらに詳しくということであればまた幾らでもさせていただきます。 ありがとうございました。
中山太郎
135
○
中山
委員長
他に御発言はございませんか。 それでは、発言も尽きたようでございますので、これにて自由
討議
を終了いたします。 次回は、来る二十日木曜日午前八時五十分
理事
会、午前九時
委員会
を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後四時三十四分散会