○赤松(正)
委員 公明党の赤松正雄でございます。最後のバッターでございます。よろしくお願いいたします。
本題に入る前に、私も
総理の
靖国参拝の問題について若干私見と、それからちょっと角度の違った話を細田官房
長官にぜひお聞きいたしたいと思います。
私は
靖国参拝の問題というのは、過去にこの場においても二回ほど
総理に直接お話ししたこともありますが、要するに、一九八〇年代半ばで靖国の問題は基本的には終わっている、その後、中国がいわゆる国内、内政的な角度で、言ってみれば道具に使っているという側面が非常に強い、こんなふうな基本的な
認識を持っております。そういう
意味では、この靖国問題は宗教問題であり、そして
日本国憲法にまつわる問題だ、そんなふうな位置づけを私は個人的にしてまいりました。
そういう点からしますと、昨日の
総理のいわゆる参拝のありようというのは、私としては、非常に工夫をされているというか、先ほど言った私自身の問題意識からいえばクリアされているかな、そういう側面が強いという
認識を持っております。
ただ、
総理の御
発言、新聞等で出ておりますけれ
ども、こういうことをおっしゃっています。本来、心の問題に他人が干渉すべきじゃない、ましてや
外国政府が、
日本人が
日本人の戦没者あるいは世界の戦没者に哀悼の誠をささげるのをいけないとか言う問題じゃない、こんなふうな言い方をされているんですが、こういうふうにおっしゃると、私の立場からいっても、少しどうかなという感じがします。
それは、要するに、
日本人のさきの大戦で亡くなられた方というのは実にさまざまな
分野にわたっているわけでありまして、軍人、さきの戦争で直接それに
日本人として参画をされて亡くなられた人から始まって、言ってみれば無辜の民、いわゆる無差別空襲、こういった
部分で亡くなられた方もいらっしゃるわけであります。もちろん、広島、長崎も含めて、さまざまな戦争被害者というのはいるわけであります。
そういったときに、
総理がおっしゃる心の問題というふうな観点からすれば、私は、あとう限りといいますか、あらゆる角度からさきの大戦の被害者、犠牲者に対する哀悼の誠を尽くされるという姿勢があって初めて、そういう
総理のお心のとうとさというか広大さというものが
日本人にとっても
理解されるという側面がまずあろうかと思うんですね。
そういう点で、官房
長官、ぜひお聞きしたいのは、私、兵庫県姫路市に住んでおりますが、生まれて育ったところでありますけれ
ども、姫路に、実は、太平洋戦の全国戦災都市の空爆で亡くなられた空爆死者たちの慰霊の塔が昭和三十一年にでき上がりました。三十一年を一回目にしていますからことしが五十回目になるわけでありますが、まず、こういった施設、慰霊塔、ここにやはりお参りしていただくというか、そういうお気持ち、お心というものは非常に大事だと思うんです。
ところが、過去において、姫路市当局が言っておりました。
総理大臣にも、今は総務
大臣ができていますが、総務
大臣の前は官房
長官、招待状を出す、来ていただきたいと。その慰霊の儀式が行われるのは、昭和三十一年十月二十六日にちなんで、大体その日あたり、その日
中心にやるわけですけれ
ども、一度も御本人は来られていない。官房
長官の後、総務
大臣、
総理大臣両方に出していますけれ
ども、来られない。
随分古い話を持ち出してしまいましたけれ
ども、
小泉総理の過去四年に限定しても参っておられない。これはちょっとどうなのかな、ぜひいらしていただきたい、そう思うんですが、官房
長官、この問題のとらえ方につきまして、前段はいいですから、後段のそういう一般の戦没者に対する問題について、官房
長官御自身の考え方を聞かせていただきたいと思います。