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広田参考人 おはようございます。
広田和子です。
私は、一九八三年に
精神科に通院しました。当時、夫なし、子なし、職なし、金なしで、ニートのような状態でした。それまでに自殺未遂も何度もやっています。そして、五年後、通院中に働けるようになりました。かわりに母親に通院してもらいましたら、本人をよこすように言われて、翌週
会社を休んで行きました。そうしましたら、医者が怒っていて、あなた、たまに薬を飲み忘れるんじゃないかということを、早口で、強い言葉で言いました。私は飲んでいませんでしたから、全く何のインフォームド・コンセントも行われておりませんでしたから、ええと答えましたら、注射を打ちますと。私はアレルギー体質だから困りますと言っていすを引きましたけれ
ども、看護師さんが
先生のおっしゃるようにするのということで、注射を打たれてしまいました。その結果、一番大変なときには一日二十二時間、アカシジアといって、座っていられない、立っていられない、横にもなっていられない、じっとしていられない、いろいろな言い方を患者が言います、そういう状態になりました。視力も〇・一から〇・〇一に下がり、そして御飯を食べても、今「お〜いお茶」を持ってまいりましたが、お茶を飲んでも鉛のような味がする幻覚を体験しました。
そして、もうこの病院は信頼できないから横浜市大に行きたいと言ったときに、医者が、今のあなたの状態はどこへ行ってもだれが診ても手の施しようがありません、私に任せていただきたい、私のミスでした、緊急入院してくださいということで、私は入院しました。ところが、そこはかぎと鉄格子のある閉鎖病棟でした。私は一カ月入院して、薬の調整で約八時間横になれるようになって退院しました。
そういうふうな思いで、病気ではなくて注射の副作用で入院した人間として、
精神医療サバイバー、
精神医療からの生還者という呼称を現在使っております。そして、私よりもっとひどい体験をした仲間が
全国にたくさんいるということを、ぜひ議員の
方々にわかっていただきたい。つらい体験をしながらも、つらい体験をしたということを言えない仲間がたくさんいます。そして、この瞬間にも、三十四万人の入院患者がいます。
私は、その注射を打たれて、退院後も、現在も多量の薬を飲まないと一睡もできなくなっています。ということで、途中何度も口が渇きますのでお茶を飲ませていただきます。
私がきょうここへ来ましたのは、もちろん
自立支援法案の審議の過程ですが、こういうふうな体験をした人間がいる、病気ではなくて注射の副作用で入院した人間がいると。そして、その人間が入院した
精神病棟に、今は三十四万人入院している。そのうちの七万二千人は、私
たちの厚生労働省
社会保障審議会
障害者部会で
社会的入院という数字を位置づけましたが、私は外国に行ったりしていろいろな人に話を聞いたりして、また日本の中で話を聞いて、二十万人ぐらいは
社会的入院ではないかと。そして、これを放置したのは国の不作為だと。私は、自分の体験を含めて、立法府並びに厚生労働省に謝罪していただきたい、尾辻厚生労働大臣に謝罪していただきたいというふうに思っています。その謝罪は、お金を下さいという謝罪ではなくて、これから私
たちが、この国に生まれてよかった、この国で暮らしてよかったと思えるような施策に転換していただきたいと。
では、
自立支援法案はそういう
法案なのか。
私は、きのう早く寝て、きょうここに来ようと思いました。大体十二時間ぐらい横になっていられないと
生活が成り立ちません。夜中に寝て、お昼ごろ起きる
生活です。ですから、きょうここに九時に来るということは、私にとっては年に一度の大変なイベントのような感じで来ています。
そういう中で、三十四万人入院している患者のところにぜひ行っていただきたい。皆さんは選挙のときにあちこち動き回ります。それは票が欲しいからです。でも、票にもなります、
精神病院の中も。投票が行われているかどうかわかりませんけれ
ども。そういう中に一日行って、例えば、
山井さん、京都の方ですけれ
ども、京都に行くと顔が知られているから、全然
関係のない北海道の病院に行くとか、そういうふうなところに行って、議員ということを名乗らずに一日いて、三食お食事をともにして閉鎖病棟にいると、この国の
精神障害者の一部分が理解できるということです。
そして、私は、きょう傍聴されている方、それからテレビを見ている仲間
たちに
お願いしたいんです。きょうお手元の「二十四時間」の冊子に出ていますが、各新聞が「人」欄で取り上げていただいています、それは日本の
精神障害者が
精神医療サバイバーという呼称で厚生労働省の
委員会に私が入ったということで「人」欄で取り上げております。二〇〇一年のことでした。しかし、厚生労働省はその前から
精神障害者本人を
委員に入れたかった。これからが大事です。だけれ
ども、
関係者や
精神科医が、もし
精神障害者をだれか入れると、みんなでたたいてつぶれちゃうよ、だから入れない方がいい、こういう歴史が続いていました。
ですから、私もきょうこの場を出ればまたたたかれる。ふだんから足を引っ張られたり、たたかれています。それは、当事者本人だけではなくて、
関係者も含めて本当に大変な世界です。
精神障害者を取り巻く業界の中で、自分の発言をしようとすることは命がけです。私は一度
精神医療で殺されていますから、あとは寿命が来るまで殺さないでと、生かしておいてと。こういうことを私は仲間
たちに
お願いしたいと思います。
そして、
自立支援法案の
精神保健
福祉法三十二条、通院公費
負担です、この問題で
全国の仲間が署名
活動をやったりして、三十万人弱の署名が集まっています。ただし、私は、今お手元に配りましたように、国
会議員の方も七百二十人おられれば、十六人ぐらい
精神疾患の方がおられても不思議ではないと。この中にもおられるかもしれないと。厚生労働省なんか、国会があるときにはほとんど
精神障害者状態だと。そのぐらい大変な思いで、後ろに来ている方もきょう六時に寝たそうですから、その辺はお手やわらかにしてあげていただきたいというふうに
お願いしておきます。
私は、昔は、とにかく謝罪してほしいということと、厚生労働省に対していろいろ言いたいことがたくさんあった。ところが、実際に厚生労働省の
委員になってみて、ラジオに出ていますから収録が終わって時々夜中に寄りますと、何日も徹夜した人を見るわけですよ。そうすると、これは厚生労働省に言う騒ぎじゃないんだ、これはこの国の
国民を代表して選ばれている国
会議員
たちに知ってもらう問題なんだということできょうは来ています。
通院公費の三十二条、あれは
社会防衛上できたものです、決して
精神障害者を守るためにできた
法律ではありません。
昭和三十九年にライシャワー駐日大使がアメリカの大使館をジョギング中に太ももを刺されました。そして、その刺した人が結果的に
精神障害者だったということで、きょうマスコミも見えていますが、世論が
精神障害者を野放しにするなということで通院公費
負担という
制度ができています。しかし、その
制度を、今仲間がこれが唯一の国家保障だと言っている人もいます。ただ、
精神疾患は、去年の三月二十五日に、心の健康の正しい普及啓発の私は副座長として小泉総理にその報告書をお届けしましたので、皆さんもぜひ読んでいただきたいのですが、人は生涯五人に一人
精神疾患にかかる。
精神疾患にかかる人が五人に一人。三十二条だったらどうなんだ、この国は破綻するんじゃないかというふうに考えるのは、私ではなくて皆さん方なんです。私は一
国民なんですから。皆さんは代表なんです。私はそう思っています。
必要なのは、さっき
相澤さんが定率
負担の話をされていましたけれ
ども、必要なのは所得の保障です、所得の保障です。私はいろいろな
活動をやっていますが、個人的にもやっています。そういう中で、仲間が例えば五カ月ぐらい入院してきて、退院して、医者がホームヘルパーと
生活支援センターに行ったらどうだという話をしたときに、本人はどこがいいか、
生活支援センターよりドトールコーヒーがいいと言うわけです。これも
社会資源なんですよ。そうすると、お金をもらってみずから消費する、それが
医療なのか
福祉なのか、ドトールコーヒーなのか和民なのか、またカラオケなのか、いろいろなことがあると思いますが、そういう選択肢、それが
地域で暮らす一住民だと思います。
すべてが
医療や
福祉で完結する、それは違うと。もっと
生活の幅を広げるというふうに思いますと、私は、与野党で、超党派でいわゆる所得の保障を
議員立法でつくっていただきたい、それがまず一点です。
そして、
障害者のこと、
障害者のことを差別だというふうに
相澤さんは言っていますが、私は町の中で差別されないで育っています。何でそんなに堂々と生きているのと言われちゃうぐらい、ちょっと体が堂々としているだけの話なんですけれ
ども、そういうふうに言われています。私自身は、なぜかといえば、好きでなったわけでないですからね、たまたま
精神科に行ったらば、それが病気であったか病気じゃないかわからないけれ
ども、そこでひどい目に遭って入院して退院してきているわけですから、全くこちらに落ち度はないわけですから堂々と生きているわけです。
でも、実際にはどうでしょう、堂々と生きられない
環境があり、実態があります。そこで、もう
一つ議員立法を
お願いします。十二月九日は
障害者の日です、この日を
国民の休日にしていただきたい。私は自分の身近な人を含めて
障害者のことを理解してくださいと言っても、自分のことさえ理解できないぐらい忙しい人が世の中にはいっぱいいます。年に一度、十二月九日ぐらいは、
障害者の日にしていただいて考えていただきたい。
何を考えるか。何も
精神障害、
知的障害、
身体障害のことを考えるんじゃないんです。性同一性
障害とか、例えば若いママさんが子育てでノイローゼになっているような、そういうふうな生きづらさを感じている人とか、または
高齢者が
障害を伴うような、そういうふうな広い意味での
障害を考える日を年に一度ぐらいつくっていただいて、これは皆さん、さっきの所得の保障とは違ってお金はかかりませんから、ぜひ超党派で、
福島議員もよろしく
お願いします、阿部議員もよろしく
お願いします、超党派でやっていただきたい。そういうことをしていただきたいというふうに思います。
しょっちゅう私は
委員会で座長の方から話は短くと言われていますので、ちょっときょうはこれからメモを見させていただきます。
それで、例えばスウェーデンの教科書には
障害者のことが
社会科で出てくるんですよ。日本でも保健体育とか
社会科で、そういうふうな
障害者が
社会の中の構成員だと、
障害者がいるから理解しましょうねということではなくて、あなたも
障害者になるかもしれませんねということで、
社会の構成員ということで入っています。そういうものもぜひお読みいただいて
参考にしていただきたいと思います。
それから、例えば
精神障害者が町の中に出てくるときに、いろいろなものが必要です。例えば援護寮とかグループホームとか作業所とか
生活支援センターとか。または、当事者が、当事者による、当事者のための相互
支援活動や、それから当事者の人権擁護
活動、そういうものの拠点になるピアサポートセンターとかいろいろなものが必要になってきますけれ
ども、そういうときに、ぜひそこのお金をとりやすいようにしていただきたい。皆さんが
障害者のことを考えるんだったら、厚生労働省をたたくんじゃなくて、厚生労働省を応援していただきたいというふうに思います。
その中でぜひ
お願いしておきたいのは、援護寮とかグループホームをややもすると
精神病院の敷地内に建ててしまっている。私はあるところに招かれて行きました。援護寮でした。敷地内に建っていました。そうしましたら、援護寮に住んでいる
精神障害者が、
広田さん、私はいつ退院できるのと聞いたわけです。あなたはどこにいるのと言ったら、あそこと言うから、あそこって援護寮じゃない、あなたは退院しているのよと言ったら、でも、御飯も病院から出てくるし、だから入院しているときと同じだと。その人は開放病棟に入院していました。だから、そういうことがないように、ぜひ敷地の外に出して、町の中で、村の中で、市の中で、いろいろな形で本当にその人が退院できたというふうに思えるようにしていただきたいと思います。
二例、えっ、そんな人が世の中にいるのというお話をさせていただこうと思います。
一人は、三十二年間、
精神病院に入院していました。石川県の方です。その人が援護寮を見て退院する気になりました。そして、今、ひとり暮らしをしています。退院して本当によかったと。可能性です、
精神障害者の。
もう一人は、三十一年前にある事件を起こしてしまった。大した事件ではありません、私から見れば。ある事件を起こしてしまったことを契機に
措置入院、
措置入院といえば一番厳しい強制入院ですか、
措置入院になった。それをきっかけに十五年間入院していた。それで、病院が退院させた。そうしましたら家族が不安になって、今度は家族の同意のもとによる
医療保護入院で入院させちゃった。そしてまた十五年です。三十年たって退院しました。その人は何と言ったか。
広田さん、援護寮はバス、トイレつきのホテル並みですということです。
私自身は
生活保護で暮らしています。
生活保護で暮らしながら、グループワークでなじまないようないろいろな人がうちに泊まっていきます、駆け込み寺です。そういうふうに
活動している人もほかにもいます、たくさん。
ですから、所得を保障していただいて、また、ピアサポートセンターに勤めたりいろいろなことをする可能性がある、ピアヘルパーもさっき出ていました。そういうふうな生き方とともに、
生活保護とか年金でそういうふうな
活動をして生きていくことが
社会的に認知されるような、いろいろな生き方が認知されるような
社会であってほしいということで、くれぐれも所得の保障と
障害者の日を休日にしていただきたいということを
議員立法で
お願いして、
広田和子のお話を終わらせていただきます。
御清聴どうもありがとうございました。(拍手)