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2005-03-15 第162回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十七年三月十五日(火曜日)    午前十時開会     ─────────────    委員の異動  三月十四日     辞任         補欠選任      荒井 広幸君     岩永 浩美君      坂本由紀子君     泉  信也君      辻  泰弘君     藤本 祐司君      直嶋 正行君     前田 武志君      平野 達男君     鈴木  寛君      山本 孝史君     榛葉賀津也君      鰐淵 洋子君     山本 香苗君      井上 哲士君     大門実紀史君      仁比 聡平君     紙  智子君      近藤 正道君     福島みずほ君  三月十五日     辞任         補欠選任      遠山 清彦君     風間  昶君      福島みずほ君     渕上 貞雄君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         中曽根弘文君     理 事                 阿部 正俊君                 椎名 一保君                 野上浩太郎君                 舛添 要一君                 若林 正俊君                 池口 修次君                 小川 勝也君                 福山 哲郎君                 荒木 清寛君     委 員                 秋元  司君                 浅野 勝人君                 泉  信也君                 市川 一朗君                 岩永 浩美君                 大仁田 厚君                 大野つや子君                 岡田  広君                 世耕 弘成君                 関口 昌一君                 田村耕太郎君                 長谷川憲正君                 松村 龍二君                 山崎  力君                 山谷えり子君                 犬塚 直史君                 小川 敏夫君                 大塚 耕平君                 小林 正夫君                 主濱  了君                 榛葉賀津也君                 鈴木  寛君                 白  眞勲君                 藤本 祐司君                 前川 清成君                 前田 武志君                 松下 新平君                 水岡 俊一君                 風間  昶君                 福本 潤一君                 山本 香苗君                 紙  智子君                 大門実紀史君                 福島みずほ君                 渕上 貞雄君    事務局側        常任委員会専門        員        村松  帝君    公述人        一橋大学大学院        経済学研究科長  田近 栄治君        三菱証券株式会        社理事チーフエ        コノミスト    水野 和夫君        静岡県立大学国        際関係学部教授  伊豆見 元君        同志社大学法学        部助教授     村田 晃嗣君        杉並区立和田中        学校長      藤原 和博君        財団法人日本生        態系協会会長   池谷 奉文君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○平成十七年度一般会計予算内閣提出衆議院  送付) ○平成十七年度特別会計予算内閣提出衆議院  送付) ○平成十七年度政府関係機関予算内閣提出、衆  議院送付)     ─────────────
  2. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。  本日は、平成十七年度一般会計予算平成十七年度特別会計予算及び平成十七年度政府関係機関予算につきまして、六名の公述人方々から順次項目別に御意見をお伺いしたいと存じます。  この際、公述人方々に一言ごあいさつ申し上げます。  お二方には、御多忙中のところを本委員会に御出席をいただき、誠にありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  本日は、平成十七年度総予算三案につきましてお二方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただいた後、委員の質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、財政税制について、公述人一橋大学大学院経済学研究科長田近栄治君の御意見を伺います。田近公述人
  3. 田近栄治

    公述人田近栄治君) 田近です。今御紹介いただきました一橋大学経済学研究科田近です。今日はこのような機会をいただきまして、大変ありがとうございます。  平成十七年度、二〇〇五年度の予算御審議されているわけですけれども、全体的にはそれをサポートするという立場から、さらにどのような問題があるかというような観点からお話しさせていただきたいと思います。  お手元資料をお配りしましたから、できるだけそれに沿って御説明したいと思います。「日本財政改革 低い租税負担と高い社会保険料負担をどのように正すか」と。短い時間ですから、テーマを非常に絞りましてお話ししたいと思います。話自身は、ここに書きましたように、まずマクロ経済全体からの税収社会保障の変化、それから家計から見た負担、そして所得税社会保険改革の在り方ということです。  少し順序が逆になるかもしれませんけれども、バブル崩壊して、バブル崩壊後、金融機関不良債権の問題、そして景気低迷という中で、長い間それと日本経済は格闘してきたわけです。その中でだんだん不良債権の問題も少しずつ処理されて、経済景気も回復してきたと。そうした中で、恐らく去年、昨年度ぐらいから財政再建を非常に意識した予算というのが、意識はしていたと思いますけれども、形として出てきたと。今年はそれをそういう方向、将来を見据えた方向にもう一歩踏み出したというふうな予算ではないかというふうに私は見ております。  早速、資料ですけれども、今申し上げた、十一分の二というところですけれども、マクロ経済から見たバブル崩壊後の税収社会保障負担ということですけれども、GDP、国民総生産に占める日本租税負担、そしてそれに社会保険料を足したものを見たわけです。  アメリカ参考に置きましたけれども、私は非常に途上国仕事もしているんですけれども、GDPに対して国の租税負担率が二〇%を割るというのは、その国は大丈夫なのかなと、まじめに税取っているのかなというようなことをいつも、いろんな国、どの国とは申しませんけれども、言うわけですね。これ見て、これ地方税も入っているんですけれども、私自身、これもし知らないでこの国にコンサルタントに来たら、大丈夫なのかなという気がします。これは単に構造的な景気が、済みません、景気循環の問題を超えて、意図的に、政策的にしたことの結果でもあるわけで、それをどうこれから正していくかということだと思います。  ちなみに、アメリカも出しましたけれども、クリントンのときの紅茶のときは、やはりこれ二〇%超えていたというようなところです。  次に、十一分の三で、以降で、バブル崩壊後、所得税改革ということで、もうこれは時間がありませんからはしょりますけれども、エポックなのは九六年、九九年に減税をしたと。そして、九九年がその我々の改革の前提になる姿なわけですけれども、まあざっと言ってしまえば、最高税率所得税で三七、地方は一三と、合わせて五〇と。そして、今日、私のテーマである定率減税税率の、所得税の二〇%、二十五万円を限度と。地方税もここに書いたような形で減税したと、税を減税するということです。  そして、十一分の四ですけれども、先ほど申し上げたように、二〇〇四年ぐらいから具体的に財政再建の形を取った予算になってきているのだと思います。具体的には、二〇〇四年には、配偶者特別控除上乗せ部分廃止老齢者控除廃止公的年金等控除の、非常に漸進的ですけれども、見直しをしたと。そして、今年の予算のハイライトの一つ定率減税見直しという形になってきているわけです。これがバブル崩壊後の制度的な改変です。  十一分の五で、こういうことを説明したい、あるいは我々のやったことを御紹介したいんですけれども、マクロは分かった、制度も分かったと。では、実際、家計サイドに立ってどうだったんだろうというミクロの話ですけれども、たまたま国民生活基礎調査という、これは大きな個人のアンケート調査ですけれども、個票調査といいますけれども、それを使って三万件ぐらいの家計のデータを利用することができました。  時間がないので、ごく簡単です。その家計を、二〇〇四年改革前の状態でどのぐらい税と社会保険料を払わせたのかと。そうすると、一から十の階級に分けて、一番低い階級所得が六十万、一番高い所得階層が千五百七十七万。正直言って、一番下の階層はどのような人がいるかというのは非常に世帯としても難しいんですけれども、まず、その所得に占める所得控除比率で、いろんな控除があるんだけれども、どのぐらい控除があるんだろうと。一番下の人たちはもちろん控除の方が大きいわけですから、百%ですね。ざっと見ていただくと、平均で六〇%の控除ですね。税金に掛かる前に所得の六〇%が平均的にも控除されていると。そして、所得税住民税平均的な世帯階層別負担割合がここに書いてあるとおりで、これもざっと見ていただくと、本当なのというぐらいの率ではあるんですけれども、これがやはり基本的には、先ほどのマクロで見た税収の少なさの反映だと思います。そして、どこで税金が特に上がるかというと、ごらんになっていただくとおり、十階層でぴょこんと上がっているという仕組みになっています。  社会保険料の方はそれに比べて満遍なく取られていますけれども、ごらんになっていただくと特徴的なことは、社会保険料社会保険負担率は一から九階層で税の負担より高いというのがなっています。これが人々のある意味痛税感ということに現実にはなっているんだろうと思います。  同じことを十一分の六で、公的年金についてやりました。それで、公的年金所得の半分以上の家庭を選んできてやったものです。所得階層は先ほどと同じレベルです。  そうすると、よろしいですか、同じ所得階層を取ってきているわけですけれども、その所得控除控除比率というのが給与所得者よりも圧倒的に大きい。全体の平均が九二・五というのはさすがに私もびっくりしましたけれども、所得の九二・五%が控除されていると。税負担もここに書いてあるとおりで、同じ所得でありながら、別に高齢者だから云々じゃなくて、同じ所得でありながらその負担が軽減されているというのがポイントだと思います。  そして、十一分の七が、いよいよ定率減税を取っ払ったときに、廃止したときにどうなるんだろうと。我々の計算です、あくまでも。  そうすると、給与所得者ごらんになっていただくと、階層別、先ほどの階層別ですけれども、全体的には七%の負担が八・三と。そして、そもそも定率減税というのは税金払ってない人には別に効果はないわけですから、定率減税廃止しても下の方の階層人たちには影響がないと。そうすると、少し凸凹はありますけれども、総じて上の階層が余計税を払うような形になるという形で、です。そして、公的年金の方は、同じ所得階層でありながら、負担の格差というのは申し上げたとおりですけれども、改革による負担の増加がこれだけです。  したがって、この数字マクロの先ほどの数字、そしてミクロのこれを見比べて、これから景気が良くなっていくだろう、そこで財政再建きっかけをつかもうというときに、この改革、これ半分じゃなくて全部取っ払ったときです、が大体これで全部で四兆円弱の収入が上がると見込まれていますけれども、非常に一つ再建きっかけにはなるだろうと。これが私は、これ自身景気の足を引っ張るようなオーダーの問題ではないんだろうというふうな直観を持っております。  そういうことで、税に関しては十一分の八でまとめましたけれども、何といってもやはり日本所得税は余りにも控除が大き過ぎる。サンプルで調べても何で調べてもこれは出てきます。そして同じ所得であっても、同じ額の所得であっても所得によって負担が違うというのはどう説明するんだろうというようなこともあります。改革方向としては、私は、もちろんいろんなことがあって消費税も上げなきゃいけないんでしょうけれども、消費税頼み税収確保にはやはり限界があると。やはりある程度の負担公平性、ある程度ですけれども、を保ちながら所得税をやはり抜本的にたたき直すというか、改正していくと、そういう姿勢と同時に消費税のことを考えないと日本税制というのはきちんと改革できないというのが私の主張です。累進制等について御質問あれば、後でお答えしたいと思います。  時間がないので、社会保障の方に行きたいと思います。  十一分の九が四、日本の、これもマクロから見た社会保障給付の実態です、様子です。我々の頭には五百兆円のGDP経済というイメージがあるわけですけれども、二〇〇四年度で大体九十兆円。給付費というのはこの分野の言葉で、自己負担を除いたものです。例えば介護保険で申し上げると、介護保険で十万円使うと一万円は自己負担になります。そうすると、その一万円を除いた九万円が給付費という言葉になりますから、分かりやすく言って医療費が二十六兆円と書いてあるのは大体総医療費で見て三十兆円ぐらいになっております。一割から二割弱ぐらいが膨らむという感じです。  この数字をまず認識することから始まるわけですけれども、二〇二五年、これは厚生労働省の推計ですけれども、それが膨らんでくる。どのぐらい膨らむのかということでいうと、今度は国民所得に対する比率ですけれども、それが三割近くになっていくというわけです。  ここで、次のページに行く前に目をもう一回とどめていただきたいところは、負担部分で、公費です。そうすると、二〇〇四年で二十六兆円、二〇二五年で五十九兆円になると。年金医療福祉、特に介護ですけれども、福祉はそもそも税金でやるものですから、介護保険においてもこれが伸びてくるというわけです。  次です。社会保障というのが今年の予算でも恐らく最大のテーマ一つになっているわけですけれども、これについて大きく見てどういうふうにとらえたらいいのかということで、この四・二、「社会保障財源論と落とし穴」ということで、財務省の財政制度審議会等議論されていることは、国民所得比で見て、国民負担率租税とそれから財政赤字ですね、財政赤字というのは将来払わなきゃならない負担ですから、財政赤字とそれから社会保障を足し合うものが国民負担率ですけれども、それを五〇%ぐらいに抑えたいと。ところが、二〇二五年のこの数字のまま突っ走ってしまうと簡単に五〇%を超えてしまう。そこから若干いろいろ、じゃ税や財政赤字はどうなんだというような仮定がありますけれども、そこは省かせていただいて、非常に簡単な仮定を置くと、NI比で、国民所得比で見て社会保障六%ぐらいカットしなきゃいけない。そのためには、二〇二五年の姿で社会保障費を二〇%カットしなきゃいけない、そういうふうな議論がされるわけです。これが財源論です。  で、議論しなきゃいけないことは、もちろん財源論自身を私は意味がないと言っているんじゃなくて、いろんなことが、構造的な問題があれもこれもこれもみんな変えられないんだと、政治的なプロセスで何も変えられないんだというときには、要するにのど元絞るように、ぎゅっとこう全体でぞうきん絞るようなことをしなきゃいけない。  ただ、よく考えると、高齢化社会の中で、医療介護サービス需要が増えるのは当然なわけですよね。重要なことは、重要なことは、増えるからいけないじゃなくて、サービスの質を維持向上させていくための保険制度見直しが必要なんだ。そして、財政観点からいくと、社会保障給付費が増えると、それと自動的に国庫負担が増えていくと。そのツケの多くの部分財政に、その利用者本人が払わずに、あるいは所得がない人に対してはそれなりにサポートした上としてでも、そのツケが自動的に国庫負担に来ていると。これが日本社会保障の私は一番大きな問題の一つだと思っています。  そして、年金のこともいろいろ議論されていると思いますけれども、なぜ一律に、例えば基礎年金等にしても、それは生活の基盤的な所得だとすれば、なぜそれが一律なんだろう。そして、国民健康保険に入ると。そうすると、お医者さん、弁護士の先生だろうと何だろうと給付費の半分が国庫負担になっちゃう。なぜ一律になっちゃうんだろうと。そういうことで、そういう抜本的な問題がある。  そして、ちなみに、国庫負担というのは大変な仕組みになっていまして、年金基礎年金の三分の一、これが二〇〇九年に二分の一まで、医療国民健康保険給付の二分の一、高齢者医療が次第に二分の一まで、介護保険は初めから公費負担が二分の一。すると、大きくなれば自然にパトロンとして国がいつも半分いるわけですよね、パトロンは半分なわけです。ポケットは半分で、君の掛かったものの半分は上げると言っているわけです。  で、十一分の十一がそれに対する改革のあえて真の課題と付けさせていただきました。  すると、結局、保険でありながら、半分は人のポケットから払ってもらっている。あるいは実は半分以上なんですけれども。そうすると、その結果、その利用が過大になる。利用サイドというのは、使う御本人もそうだし、サービスを提供する方も、これを使ったらどうだ、うちに来てリハビリしたらどうだ云々云々ということで、利用者側供給者側双方がその需要を誘発し合うという形になっていくわけです。  日本社会保障の真の課題、真、真ということは何か、何回も使わせていただいていますけれども、国がやること、公的保険がやる範囲というのはどこまでやるんだろう、そしてその場合のコストというのはどこまで国が一律に負担するようなことをするんだろうというのがやはり抜本的な問題だと思います。それを実は介護保険などを通じて具体的なイメージとしてお話ししたいんですけれども、時間がないのでアイデアを紹介しております。  じゃ、具体的にはどうするんだろう。つまり、大きな、つまり日本保険社会保険というのはみんな国なわけですよね。年金もでかい年金がある。そして医療も全部公的な保険ですよね。介護保険も大きい。そういう中で、改革の道としては、年金というのはやはり報酬比例部分は、少なくともその一部は公の部分から民にする。私はそれは民営化と言いたいんですけれども、その一部が民営化することが必要だろう。そうすれば、企業年金の四〇一kの年金とかいうのももっと大きくできると思います。今のままで、今のこの大きな、つまり一八%まで社会保険料が上がる中で年金の、それに更に四〇一kの拠出型年金所得控除したら、所得税がますます課税ベースがなくなっちゃうという問題です。  それから、基礎部分は一律給付から受給資格テストを通じた給付にする等の見直しも必要なんだろうな。医療介護では、まず最初に、特に国民健康保険ですけれども、市町村が、あるいは介護保険ですけれども、国保、介護ですけれども、市町村保険者であることがいつまでも可能なんだろうか。非常に弱小なところから何百万人の人口を抱えたところまである。そういうところが可能かということです。  時間があれなんで、あと一分ぐらいで終わらせます。  それから、公的保険サービス範囲見直しということで、公的サービス、特に介護保険ですけれども、公的サービス範囲が余りにも大きい。それが一割負担で買えるということで、私的なマーケットが育たない。公的マーケット範囲サービス範囲をどうするかという問題です。  最後に、保険社会福祉の混同を避けるということで、今年の予算社会保障の大きな論争点一つ介護保険における障害者の扱いだったと思います。介護保険は、いろんな仕組みはありますけれども、やはり保険受給負担というのが見合う形でできているわけです。その中に障害者支援というのをどう入れるかということで議論がなされたわけですけれども、私はやはりそこは仕分が要るんじゃないかと、保険保険として負担給付というか、が成り立つ範囲でやっていくべきだと思っています。  以上です。ありがとうございました。
  4. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) ありがとうございました。  次に、財政経済について、公述人三菱証券株式会社理事チーフエコノミスト水野和夫君の御意見を伺います。水野公述人
  5. 水野和夫

    公述人水野和夫君) 三菱証券水野と申します。  私は三菱証券マクロ経済の予想を中心仕事をしておりますので、本日は、お手元資料の「日本経済の現状と課題」ということで、今の景気動向と、それからまず先行きについてどう考えるかということを御報告させていただきたいと思います。今後のマクロ政策参考になればと、少しでも参考になればと考えております。  表紙のところを見ていただきますと四つのテーマになっておりますが、主に一番と二番のところを中心に御紹介申し上げたいと思います。一枚めくっていただきますと、一ページ目は要旨ということになりますので、こういった点を中心に二ページ目から具体的に御紹介申し上げたいと思います。  二〇〇一年から日本経済景気回復に入ってちょうど三年経過しました。ほぼ戦後の景気回復の期間が三十三か月でありますので、期間的には十分な景気回復ということだったと、平均的な景気回復になっていると思います。マクロ数字で見ますと、実質経済成長率はこの間一・九%でありました。  ところが、このお手元の二ページ目のグラフを見ていただきますと、日本経済というのは、太い線でかいてありますのがこれは製造業中心であります。具体的には、右のところに中国の近代化あるいはアメリカ消費ブーム、そういったところに非常に連動性の高い産業、それからIT産業ですね、こういったところを抽出してあります。ここは九三年を境にしまして成長率が上方屈折しております。以前は六・六%成長だったんですが、九三年以降は、ちょっと八・八と書いてありますが八・二%。ちょっと計算を間違えてしまいました。したがいまして、日本のこういったIT産業とか自動車、鉄鋼、こういったところの産業高度成長期よりも、六〇年代の高度成長期よりも今の方が成長率が高い、そういう状況になってきております。  一方、日本経済のおよそ七割、従業員のシェアでいきますと七割を占めるサービス産業、こちらの成長率状況を見ていただきますと、九一年をピークにしまして九三年からはバブル崩壊で非常に落ち込みましたが、その後立ち直ったかということでありますが、九三年からも少しずつマイナス成長が続いております。マイナス〇・四%というのは十四年間の、十四年間にわたって一年間でマイナス〇・四%ずつマイナス成長しているということになります。したがいまして、今の日本景気回復というのは、ほとんどおよそ三割のGDPのシェアを占めております製造業、特にIT産業、輸送機械、鉄鋼、こういったところで非常に景気回復に貢献しているということになると思います。  今回の二〇〇二年からの景気回復なんですが、好調な製造業、こちらのIT産業、輸送機械、鉄鋼というのは一〇%成長を超えております。サービス産業はプラスなんですけれども、これはプラス〇・四、あっ、済みません、プラス〇・九です。したがいまして、ほとんど、景気が回復してもわずか一%成長しかしない、そういうような状況になっております。  ということは、日本経済GDP、今回プラス〇・五とかそういう二次改定の数字になっておりますが、平均値で見ることの意味が徐々に失われてきている、そういうことが言えると思います。九四、五年からこのような状況になってきているということは、これは今後ほっておいたら修正される方向、もう一度収れんに向かうというよりは、むしろますます開いていくというふうに考えておりますので、次の景気回復でもまた同じようなことが起きる可能性が高いということが言えるんじゃないかなと思います。  三ページ目をごらんいただきたいと思いますが、足元の景気動向でありますが、三年間景気が回復してきましたが、去年の夏から、一行目のところに示してありますように、IT産業が生産調整に入りました。在庫の積み上がりが増えまして、生産を減少して、今在庫調整が進んでおります。IT産業だけの調整であれば、これから踊り場の局面から再び景気回復へというふうに向かっていく可能性が高いと思いますが、右側の非IT産業ですね、こちらの方を見ていただきますと、在庫の積み上がり局面に近づきつつあります。  これは、〇五年の一月のところを見ていただきますと、第一象限、四つに分割した第一象限のシャドーのところに入ってきているということになりますから、出荷の伸びよりも在庫の伸びが高いということになってきておりますので、必ずしもそのIT産業の調整が終われば再び持続的な回復というわけにはならない可能性が高いというふうに考えております。  四ページ目でありますけれども、先ほど冒頭に御紹介しました製造業とサービス産業の著しい成長率の格差というのは、当然家計部門にも現れてきます。  総務庁の家計調査報告によりますと、所得が増えて支出が増えている、消費支出が増えているのは、五百人以上の大企業に勤める家計世帯ということになります。  一方、二十九人以下の企業に勤めている家計、これはサービス産業が主だと思いますが、こちらは左側の収入で見ていただきましても、二〇〇一年、景気が回復したときは九七、指数化して九七という数字ですが、今は九一でありますから、この三年間の間で六ポイント収入が落ちております。したがいまして、消費もほとんど右側で同じような形になっております。  ちょうど政府が月例経済報告で、去年の七月から十月、四か月間に、堅調な回復であるという景気判断だったのは、この五百人以上の企業の世帯が非常に収入が増えて支出が増えたということが大きいと思います。  次に、五ページ目をごらんいただきたいと思います。  今度は、この景気回復の過程で、あるいは二〇〇〇年以降ですかね、二〇〇〇年以降の日本経済で過剰債務、それから過剰雇用、こういった問題が解消に向かっているかどうかということを御紹介したいと思います。  五ページ目のグラフ、これは過剰債務問題が解消したかどうか、あるいはしつつあるかということでありますが、どうもこれは解消したとは言えないんじゃないかなというふうに考えております。  理由は、企業のキャッシュフローが非常に拡大してきているというふうに言われます。これはそのとおりでありますけれども、企業のキャッシュフローが増えているセクター、これが大企業・製造業であれば、これはMアンドAとか二〇〇五年度の設備投資につながるということになると思いますが、規模別でおよそ三年間ずつ企業のキャッシュ、フリーキャッシュフローですね、投資を上回る貯蓄額が何兆円あるかというのを積み上げたものを見ていただきますと、〇一年以降、これは債務の返済が始まった時期であります。借入金が減り始めてきた時期ということになります。  九八年から減ってきておりますが、実際に企業の長短借入金が減ってきたのは〇一年以降ということになりますが、この過程で、三年間で百二十兆円のフリーキャッシュフローが生み出されておりますが、ちょうど半分が中小企業の非製造業ということになります。最初は、大企業のキャッシュフローが全体で見ると増えているような印象だったと思いますが、部門別あるいは規模別に分けてみますと、資本金一億円未満の企業が非常に貯蓄額を増やしています。  そこで、貯蓄の源泉はということに、その前に、じゃフリーキャッシュフローはどこに使われているかということについて見たものが右側のグラフでありますが、これは借入金の返済が圧倒的であります。これ中小企業の非製造業に限ってみますと、百億円のフリーキャッシュフローがありますと六十三億円は債務の返済という関係にあります。大企業は実はそうではありません。大企業は百億円のフリーキャッシュフローが生まれますと二十二億円ぐらいの返済でありますから、それ以外のところは新規投資に結び付いているということになると思います。  それでは次に、六ページ目ですが、なぜ中小企業の、資本金一億円未満の企業のキャッシュフローが非常に増えているかということでありますが、時期的に増えましたのは二〇〇一年からであります。金融再生プログラムで資産査定が厳しくなってからという時期とほぼ対応しております。  もちろん、それは望ましいことだと思いますが、その過程で何が起きているかということですが、六ページ目右側のテーブルをごらんいただきたいと思います。普通、貯蓄という場合は損益計算書の最終利益から社外流出を除いたものということに、それに減価償却を足したものということになります。中小企業が、じゃ利益が増えているかという、経常利益が増えているかということでありますが、ほとんど増えておりません。大企業に比べますと増益率が非常に鈍いです。〇一年から〇二年までの経常利益の半分、これが最終利益に結び付くわけですが、二十兆円、中小企業では、非製造業では、中小の非製造業では二十一兆円です、二十・七兆円ですが。  ②番のところの損益、済みません、BSですね、貸借対照表からその他剰余金の増加額、期首、期末が発表されておりますから、期首、期末時点で差し引きしますとどれだけ剰余金が増えたかというのは計算できます。〇一年から〇四年の間で五十五兆円増えております。経常利益の半分とほぼ大企業は一致します。どっちで求めても同じでありますが、左側のグラフを見ていただきますと、棒グラフがゼロに近いような状況でありますと、これは損益計算書から求めても貸借対照表から求めても貯蓄超過額は一緒であるということになりますが、〇一年のところから急に、中小の非製造業で損益計算書から求めるキャッシュフロー、フリーキャッシュフローと貸借対照表から求めるフリーキャッシュフローが四十兆円も違うというような状況になってきました。一年間で十兆円以上、十三兆円ほどの差額が出てきております。ちょうどこの時期、個人金融資産が千四百四十兆円をピークにしまして千四百十兆円へ減った時期です。三十兆円ほど個人金融資産が減ってます。  それから、総務庁の統計で家計の勤労者世帯の貯蓄残高は減っておりません。自営業者の方の貯蓄残高が減っているということになりますので、これは個人財産をもう一度、企業のバランスシートが、土地の再評価等をしますと相当資本、実質バランスシートの資本の部が毀損しているという可能性が高いと思いますので、出資金、オーナーの方が出資して企業のバランスシートを健全化させているということが起きているんだろうと思います。  そうしますと、自己資本比率が十分もう上がっていればほぼ過剰債務の調整は終わりということになりますが、自己資本比率は、もちろん上がってはいるんですが、ほかの規模の中堅企業とか大企業に比べますとまだ十ポイントほど低いという状況になっておりますから、恐らく今後も企業部門での貯蓄超過というのは続く可能性が高いと思います。ということは、まだ過剰債務の問題は道半ばである可能性が高いだろうというふうに考えております。  次に、七ページ目をごらんいただきたいと思います。  日本経済が、九四、五年辺りから、先ほど申し上げましたように八%成長するセクターとマイナス成長のセクターというふうに分かれてしまいました。その結果が、どういうことが起きているかということでありますが、左側の所得格差を、これは法人企業統計で一人当たりの人件費に直したものでありますから、年齢構成とか男女の構成比率が無視してありますので、必ずしもこれが比較できるそれぞれの産業の人員構成、年齢構成の差があると思いますので、一律に二倍開いているというわけにはいかないと思いますが、変化の方向だけはおよそ分かるんじゃないかなと思います。  九五年前後のところでは所得格差は一・七倍でありました。それが今二・三倍であります。それにほぼ連動するような形で貯蓄非保有世帯、株式やら年金保険、そういったものを、広い意味での貯蓄でありますが、ゼロですね、ゼロになってしまいました世帯が二三%、約四世帯に一世帯というような状況になってきております。分子、分母はそれぞれ、製造業の一人当たり、先ほどのIT産業と鉄鋼、自動車の一人当たりの人件費が分子に取ってあります。分母はサービス産業ということになります。  これまでの十年間のペースで人件費の伸び率をそのまま延長しますと、二〇一五年には今の二・三倍が三・一倍に広がっていきます。もちろん、これから十年間同じ傾向が続くかどうかというのは今後の経済情勢を考えなければいけないんですが、右側のグラフをごらんいただきますと、どうも所得が低い産業ですね、こちらが十分その労働分配率を引き下げて利益をどんどん上げているような状況になっていれば、格差是正の方向に動いていくということも考えられると思いますが、実際には逆であります。  中小企業におきましては、付加価値の中の八四%が人件費に回っています。それに対しまして、大企業・製造業は六五%でありますから、第一次オイルショック後の平均六九%よりももう既に低いという状況になっておりますから、大企業の方では増益率とともに賃金が増える、そういうサイクルに入ってきました。ところが、中小企業の方は、成長がゼロ成長、若干マイナス成長でありますから、そこで大企業と同じように人件費を増やしていきますと、八五%の労働分配率が七、八年後には一〇〇%になってしまうということになりますので、そうしますと、企業経営者の方は事業を継続する意味がないということになってしまうだろうと思いますので、左側の格差というのは今後も、いいことではないと思いますが、広がっていく可能性が高いということが言えるんじゃないかなと思います。そうしますと、個人消費者に与える影響でありますが、格差が広がっていきますと、どうしても個人消費の基盤は弱いということになってくるんだろうと思います。  それから、以上が前半の二つのテーマでありまして、八ページ目と以降であと簡単に物価の問題と、これはインフレから、あっ、済みません、デフレから脱却できるかどうかということと、〇五年度にデフレから脱却できるかどうかといったことを、それから海外状況を、情勢を簡単に御紹介したいと思います。  八ページ目のところで、日本の消費者物価、今マイナス〇・三、一月の時点で前年比でマイナス〇・三%であります。今後、景気が踊り場から再拡大していくということになったとしましても、左側のグラフ、横軸が、景気が再拡大していきますと需給ギャップがどんどん縮小していきます。ただ、傾きが非常に緩やかになっておりますから、少々の景気回復をしてGDPギャップが左側の方に縮まっていったとしましても、なかなか消費者物価が水面上には出ない、そういうような状況になってきているんだろうと思います。  どうしてこんなことが起きてしまったかということですが、これはGDPが普通動けば所得もほぼ一対一の関係で連動していましたので、GDPを見れば所得とそしてサービス産業の人件費が連動するということだったと思いますが、先ほど冒頭に御紹介しましたように、ほとんど連動性がなくなってきましたので、GDPが縮小したからといって人件費が上がってサービス価格が上がっていくというのは非常に難しいような状況になっているんだろうと思います。  最後に、九ページ目で海外環境、日本経済、先ほどの製造業、鉄鋼産業、自動車産業IT産業というのはアメリカ経済、中国経済の影響が大きいと思います。じゃ、アメリカと中国で何が起きているかということでありますが、左側のグラフをごらんいただきたいと思います。  投資比率、一番太い線でありますが、これは先進国の投資に中国の投資を加えたものを分子に取りまして、分母はGDPです。投資比率が上がるということは、これは最初は需要効果を生み出しますが、徐々に供給能力が増えてまいります。投資比率が九〇年代後半から飛躍的に増えました。供給能力が増えているわけですが、どっかで需要が増えていなければいけない。その需要が増えているのはどこかということですが、アメリカの消費ということになります。そうしますと、アメリカは今まで国防支出と減税でかなり堅実的な政策だったと思います。それで、消費と投資が世界的にはバランスが取れていたということになりますが、徐々にこのバランスが、アメリカも毎年毎年減税を繰り返していけばこのバランスが維持できると思いますが、徐々に難しくなってきている、そういう局面に入ってきているんじゃないかなと思います。  最後に、十ページ目になりますが、世界の過剰マネーの問題について最後に御紹介したいと思います。  これは金融政策にもかかわると思いますが、これは世界の中央銀行のドル準備の比率日本のマネタリーベースの比率を比較したものであります。ほぼ一対一の対応関係があると思います。これはこの比率が上がってきている、これは九〇年代から上がりました。突然ドルの需要が増えている、これは実物経済で増えているというよりはむしろ金融取引で増えているということが言えると思いますから、これは日本バブル崩壊後であるかないかは議論の余地があると思いますが、世界的に見ますとどうも過剰マネーが増えて、まだバブルの前に、前夜というふうに言えるんじゃないかなと思います。  私からは以上であります。
  6. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  7. 野上浩太郎

    野上浩太郎君 おはようございます。自由民主党の野上浩太郎でございます。  両参考人におかれましては、本日は大変お忙しい中おいでをいただきまして、本当に貴重なお話をお聞かせいただきましたことにまずもって厚く御礼申し上げたいというふうに思います。  限られた時間でございますので、早速質問に入らせていただきたいというふうに思いますが、この午前中のテーマ財政税制経済というようなテーマでございまして、この点につきましてはもう正に連日予算委員会でも活発な議論が展開をされておるところでございます。  そこで、まず最初にお伺いさせていただきたいのは、この予算委員会でも何度も議論を重ねられておるんですけれども、このプライマリーバランスの黒字化という観点でお伺いさせていただきたいというふうに思っております。  今、政府においては、御案内のとおり二〇一〇年初頭にいわゆるこのプライマリーバランスを黒字化していくと、このことを目標に掲げているわけでございます。内閣府の「改革と展望」における試算も示されましたし、財務省の試算等々、いろんな道筋も示されているところでございます。昨年の十一月に財政審で発表された試算では、プライマリーバランス、十年後に黒字化するには消費税二一%に上げるか、あるいは歳出を三割削減するかと、こういうような試算も示されているところでございます。  今、田近参考人からは、この税の在り方あるいはこの社会保障の在り方と、こういった観点でお話をいただいたわけでございますが、プライマリーバランス黒字化していくには、この二点、本当に大きな課題だというふうに思っておりますし、一方で、昨年のプライマリーバランスが大体マイナス十九兆円のマイナスだったということでございます。今回はそのマイナス十六兆円と、三兆円改善しておるわけでありますけれども、これも実は税負担税収が三兆円、二兆円程度上がりまして、それを国債の発行削減につなげたというようなこともあったわけでございまして、いわゆる税収を上げるために自律的な経済成長も必要だということであるというふうに思うんですね。  ですから、このプライマリーバランス黒字化していくときに、税、社会保障の在り方と同時に、自律的な経済成長を促すこういうシステムをつくっていくということも大変重要な課題だというふうに思っているんですけれども、このプライマリーバランスを黒字化していくに当たっての、大局的な観点で結構でございますから、この道筋について両参考人からお伺いをさせていただければというふうに思います。
  8. 田近栄治

    公述人田近栄治君) ただいまの御質問は、政府挙げて二〇一〇年初頭にプライマリーバランスを黒字化させたい、その試算というのもいろいろ示されていると。内閣府あるいは財政財政制度審議会でも示されている。  この問題ですけれども、今日の私の報告にもかかわるわけですけれども、これを歳入面でいくと、その荷を消費税で一人で担わす、担わすことができるのか。所得税というのはある意味非常に魅力的、その意味では魅力的で、景気の回復のときにだっと上がります。実際、それが去年ぐらいに見られて、おっしゃったように税収が増えてきた。そうすると、それを、先ほどの私の説明に戻りますけれども、やはり九六年、九九年の改革というのは、非常事態ということで所得税を変えてきた。今、先ほど、そういうのを改革する中で、今正に景気が良くなってくる中で自然に税収が増えてくる、そういう体質にすべきだと。そして、消費税もその道でそれを補完するものとして考えるべきだと思います。  歳出に関しては、それは特効薬はない。それはある意味で増えていくということはやむを得ない面もあるんですけれども、今日は申し上げませんでしたけれども、公共投資等に対してはかなりの切り込みがされていると。社会保障に関しては、問題はもっと構造的なもので、制度需要を自然に誘発していくような姿というのをどこかで改めなければいけない。そして、それを私的な、そのサービスを受けたいというのならば、それは人々がお金を払って買うというような形にしなきゃいけない。そういう歳出面、今日社会保障のことを話していますから、そこでは構造的なものを大切にするべきなんだろうなと思います。  以上です。
  9. 水野和夫

    公述人水野和夫君) 私は、プライマリーバランスを均衡化させるということは非常に大事だというふうに思っております。  そのための道筋ということでありますが、実際にはなかなか自然増収だけでプライマリーバランスが均衡していくというのは非常に難しいと思います。それは、理由は、もちろんインフレになって物価が上がって、名目経済成長率が四、五%になれば、それは所得弾性値が一・二ぐらいでしょうから、毎年毎年、四十兆円掛ける一・二ですから、四兆円ぐらいの自然増収があって、四、五年でうまく均衡するということも十分考えられると思いますが、なかなか消費者物価がプラスで定着しないという状況がまだまだ続くんじゃないかなというふうに考えておりますので、そうなりますと、あと残された道は、もう歳出の見直しとそれから増税の組合せと、この二つしかないと思います。  歳出につきましては、先ほど田近先生がおっしゃったように、一律給付をどうするかということをやっぱり考えなきゃいけないと思います。所得がもうこれから伸びる人たち、これはもう、先ほどはGDPでは三割ぐらいと申し上げましたが、働いている人は一四、五%で、ちょっと比率が下がるんですけれども、その人たちは毎年毎年これから所得が上がっていくということがおおむね見えてきていると思います。一方、これ、所得が下がっていくという人たちも一方ではだんだん出始めてきているということになりますので、そうしますと、もう一律給付の考え方をやめるのが私は一番いいんじゃないかなというふうに考えております。  それで、なおでも足りない部分消費税ということになって、その消費税のときには、やはり格差の問題がありますから、複数税率というのが、の組合せが私はいいんじゃないかなというふうに思っております。
  10. 野上浩太郎

    野上浩太郎君 ありがとうございます。  今、田近参考人お話しの中で、今回のこの予算は、将来を見据えた、改革を見据えたものに一歩踏み出したものであると、そういう御評価もいただいたわけでございます。  そういう中で、社会保障について今もお話しいただいたわけでございますが、プライマリーバランスを黒字化していくということの中で、今お話のあったとおり、この社会保障年金医療介護、今後の、しっかりと財政に身の丈、財政の身の丈に合ったような、こういうものにしていくということも大切なんだろうというふうに思っております。  そういう中で、予算委員会でもいろんな議論がございまして、例えば、今一律給付の話がございましたけれども、この社会保障費の伸びを例えば名目GDPの伸び率で管理をしていけばどうかとか、いやいやそういう具体的な数値目標というのはなじまないんだとか、いろんな議論があるわけでございますけれども、先ほど田近参考人から、介護に関して例えば具体的なイメージでお話をというお話もございましたので、この社会保障制度改革といわゆるこの財政再建の在り方について、先ほどの具体的なイメージを交えながらちょっとお話をいただければと、田近参考人にお願いしたいと思います。
  11. 田近栄治

    公述人田近栄治君) ありがとうございます。  数値目標、社会保障の数値目標のことに関しては、やはりこれはまだまだ正さなきゃならない構造的な問題が一杯ある、そこをたたきながら、見直しながら進んでいくんだろうなと。最初に頭ごなしに全部のぞうきん絞るというのは乱暴なんだろうなというようなところです。  介護保険ですけれども、どう改革するのか、一つ例示的に話させていただくと、その介護保険というのは在宅給付、それから居宅給付、在宅の中には訪問介護、訪問看護とかですね、あと訪問、通所をするリハビリとか、それから皆さんちょっとこれが在宅かと思われるかもしれませんけれども、グループホーム、痴呆性の老人の、というのがあります、サービスがあります。  申し上げたいのは、すべてが一割なわけですね。ベッドを借りても一割、それからヘルパーさんが来てもらっても一割、やっぱりそれはおかしいだろうと。サービスによってはやはりその自己負担を高くして、そして高ければどういうことが起きるかというと、それなりに必要なサービスを買って、より必要なサービスは民間に買うようになるわけですよね。今何でも一割で買えますから、それは保険が保てない。  そうすると、保険で低い自己負担サービスするものと、それから負担料、負担を上げて追加部分は自分で払っていくと。そういうことができるとどういうことが起きるかというと、自分のお金で払ったお金はやっぱり価値があるわけですよね。無駄なことは買わない。そうすると、マーケットでどういうものが提供されるかというのは我々見えるわけで、それで今度は公的な方も刺激される。だから何かそういうことを、そのマーケットを生かす、そして公的の方を正す、そういう連動する仕組みというのを是非私は介護保険で試みていただきたいと思っています。
  12. 野上浩太郎

    野上浩太郎君 ありがとうございます。  正に社会保障制度改革、これは財政再建の重要な課題なんですけれども、そのほかにも本当にありとあらゆる手だてを尽くしてこの再建には取り組んでいかなきゃいけないと思うんですが、私は、今年度予算でも、いわゆる予算のイノベーションということで予算の複数年度化に対する取組が幾つかなされております。モデル事業といいまして昨年は大体十事業ぐらい複数年度化の事業をやっておるんですが、今年度は四十四事業に増やしておるということでございます。  私ども、今自民党では憲法改正についてのいろんな議論をしておるんですけれども、その中で、財政という中で、いわゆる複数年度予算編成についてどうするかと、こういうような議論もなされているところでございます。私自身は、この予算の複数年度化のモデル事業がこういうふうに拡大していっているという、この流れは評価したいというふうに思っているんですが、財政観点田近参考人から、この予算の複数年度化ということについての御所見をお聞かせいただければというふうに思います。
  13. 田近栄治

    公述人田近栄治君) 申し訳ないというか、不案内なことでありまして、具体的にその事業が何という、そのことを知らずに申し上げているということを前提ですけれども、一般的には望ましい、ただ、ある意味で財源を、このサービスに対してはこの、この税はこの財源に対して使う、歳出に対して使う、目的税のある意味で裏返しみたいなもので、幾つかの事業ではいいんでしょうけれども、余り大きくなっていくと将来を先食ってしまうわけですね。そういう懸念もあるんではないかと思います。  ただ、この事業自身に対して私は今評価するだけの材料がありませんから、方向性としては望ましい、しかし、予算を付ける側の目的税の問題と、これと同じような形でその予算を今度は将来的に縛るという、その懸念もないことはないだろうなと一般的には思います。
  14. 野上浩太郎

    野上浩太郎君 ありがとうございます。  次に、水野参考人に経済関係についてちょっとお聞きをさしていただきたいんですが、水野参考人のいろんな文献……(発言する者あり)あっ、公述人水野公述人からも、いろんな文献を私も読ませていただいておりますし、いわゆる水野理論とか言われておるものもあるということでございます。  今日も、この資料の中で、近代化経済圏とポスト近代化経済圏というお話がございまして、いわゆるもう製造業と非製造業が分かれてきていると、分断されてきているというようなお話がございました。過去の景気回復期には、ある好調産業があればそれに引っ張られるような形で全体が浮揚していくというような形もあったと思うんですが、水野公述人のお話からは、これはもう、今これが乖離していてそういう構造にはないというお話でございました。  そういう実感もあるわけでございますけども、ここに、しかしこの景気回復を、何とかデフレ脱却を目指していかなければならないという中で、ここにどういうような政策的な手当てをしていけば有効な部分があるのかどうか、その御所見をお伺いしたいと思います。
  15. 水野和夫

    公述人水野和夫君) 今の御質問にお答えするのは非常に私も、実はこういうふうに経済が二極化してしまいますと、果たしてマクロ経済政策というものが有効かどうかというふうに常に思っておりまして、マクロ経済政策というのは、例えば金利政策もそうだと思いますが、日本経済がある程度同じような状況にあれば、その金利が満遍なく浸透して、そして効果をじわじわと与えていくということだと思いますが、このように経済が別個のメカニズムで動き始めている。  具体的には、製造業はお隣の中国が近代化したり、そういうところともう連動していると思いますし、それから、日本サービス業は、恐らく日本も世界で一位、二位かの所得水準になって、で、非常に豊かになって、じゃ、新しい技術革新によるサービスの供給がまだ見えてこないというようなときに既存のサービスをじゃもっと一杯増やせるかといいますと、なかなか需要サイドからは新しいサービス需要が出てこない。特にサービスですと時間の制約がありますので、何か新しいサービスがあればそれに、既存のサービスと振替が変わってそちらのというふうにシフトしていくと思いますが、新しい技術革新による供給のサービスがないというときに、で、製造業はまた別のメカニズムで動いているということになりますと、もうマクロ経済政策の有効性というのがもう私は低下してきていると思いますから、この景気の持続性をもし図るような対策があるとすれば、やはりミクロ対策というんでしょうかね、あるいは、そうですね、ミクロ対策になってくるんじゃないかなと思います。それはサービス産業に対する対策ということになってくるんじゃないかなと思います。  既にいろいろ、起業家支援とかいろいろされていると思いますが、そういったものがすぐに即効性を求めるということは実際には難しいと思いますから、これはある程度長期間で効果が出てくるということを期待するということぐらいしか私はなかなかないんじゃないかなというふうに考えております。
  16. 野上浩太郎

    野上浩太郎君 今、そのミクロサービス産業に対するミクロ対策というお話がございましたが、ちょっとその辺もうちょっと具体的な話がございましたらお伺いをさせていただきたいと思います。
  17. 水野和夫

    公述人水野和夫君) ミクロ的な対策というのは、私もマクロ経済見ておりますから、そんなにミクロ対策についてこうしたらいいという考えを持っているわけではありませんけども、これは九〇年代からずっと規制緩和というのが政策的に行われてきております。私はその方向が一番正しいんじゃないかなと思います。いろんな規制を緩和しながら、そして、これは今の小泉内閣がおっしゃっている民間にできることは民間にということになると思いますが、それはやはり辛抱強く続けていくということだろうと思いますし、それから、あとは例えば起業家支援ということももうこれも実際に行われていますから、その効果がちゃんと出てくるというところをやはり見守るということで、余り無理な、景気が少しこう不況期が見えてきたからといって余り大騒ぎすることも私は逆にないんじゃないかなというふうに考えております。
  18. 野上浩太郎

    野上浩太郎君 ありがとうございます。  それで、今製造業と非製造業の話があるんですけれども、さらに感じますのは、いわゆる都市と地方についてのこの経済の格差というのもこれかなり出てきているなというのが実感でございます。  実は、予算委員会で先般愛知県の方に視察に行ってまいりまして、もうあそこの愛知県は万博あり中部国際空港あり、またあのトヨタ自動車も好調でございますし、非常に元気があるなという感じがいたしました。日本全国のいろんな指標を見ても、いわゆるこのまだら模様になっている。極めてもう地方状況厳しいなというふうに思います。  この状況は、例えば製造業とサービス業だけではこう語り切れないこういう格差があるというふうに思うんですけれども、この格差に対するどういうふうな手当てをしていけばいいかという、その辺の御所見あればお聞かせいただければというふうに思います。
  19. 水野和夫

    公述人水野和夫君) これも非常に難しい問題なんですけれども、大企業・製造業というのはやはり都市の方に本社とかが集中しているでしょうし、それから地方というのはどうしてもサービス産業が、でしかも先ほどの世帯数、勤め先企業でいえば二十九人以下というところにこうつながっていると思います。公示地価で見ましても、東京、名古屋、大阪と札幌と福岡、それぞれの拠点、地域の拠点のところにどんどん集中し始めているということが起きていると思います。  そうなりますと、東京への一極集中というよりは、むしろこの五つの地域のところが非常に活発になってきているわけでありますから、ある程度この五つぐらいの地域の核となるところを中心に人々がこう集まってきているという傾向が見られると思いますから、そういった、今申し上げましたように五つの都市、あるいはもうちょっとあると思いますが、そういったところでより人が集まりやすいような環境をつくっていく。そこで地方がどういったことができるかというのは、やはり地方の方が一番よく知っていると思いますから、地方自治体レベルのところで考えるしかなかなかいい方法は私はないんじゃないかなというふうに考えております。
  20. 野上浩太郎

    野上浩太郎君 まあそのとおりなんだろうと思うんですが、水野公述人の一見、文献見ていますときに、いわゆるコミュニティー、少子高齢化が進んでいく中でコミュニティーをしっかりと重視をして新しい福祉の在り方、サービスを提供していくと、雇用も、成長がなくても雇用を生み出すような方向で行くべきだと、こういう御提言をちょっと読ませていただいたことがあるんですけれども、正にそれは一つの在り方だなというふうに思うんですが、その件についてちょっと詳しくお聞かせいただければと思います。
  21. 水野和夫

    公述人水野和夫君) これは地域通貨にも関係してくると思うんですけれども、今の通貨制度というのはドル本位制ということで、日本経済が常に円がどうなるかということで景気も非常に左右されやすいような状況になっていると思います。円高になりますと製造業が打撃を受けて景気が悪くなる、円安にしなきゃいけない、そういうような構造になってきていると思いますが、コミュニティー社会を、製造業を中心としたところともう分かれてきているわけでありますから、為替レートの影響もむしろ余り受けないようにするということが大事だと思いますから、これはコミュニティーで通用するような、そういうローカル通貨というんでしょうかね、そういったものを地域の拠点で流通するようにしていく。そういうようなことをすれば、少なくとも海外の攪乱要因からは遮断できるんじゃないかなというふうに思います。したがいまして、一つはコミュニティー通貨というんですかね、そういうものを即導入するような仕組みを考えていくということが大事じゃないかなと。  あとは、福祉の問題につきましては、地域社会で一番これから大事になってくるであろうというのはやはり福祉関係の事業だと思いますから、そこは先ほどの田近先生がおっしゃったような、これも民間にできるところにどんどんできることは移していくということをすれば、やはり雇用も増えていくんじゃないかなというふうに考えております。
  22. 野上浩太郎

    野上浩太郎君 それから、先ほど海外動向の中で、中国の投資ブームとアメリカ消費ブームというお話をいただきました。  日本の今の経済の好調は正にこの二つに支えられていると言ってもいいと思うんですけれども、いろんな原油の話等々もございまして、中国あるいはアメリカ景気が先行きどうなっていくのかと、これもいろんな見解が分かれているところでございまして、今後の中国、アメリカ経済景気の動向と、あわせて、いわゆる中国、アメリカと拠点がありまして、もう一つはEUと、こういう世界では大きな経済圏ができているわけでございますけれども、例えば、今、日本は東アジア経済圏みたいなものを志向すべきだというような議論もあるわけでございますが、併せてそのことをお聞きをいたしまして、質問を終わりたいと思います。
  23. 水野和夫

    公述人水野和夫君) まず、中国の先行きの現状ですが、中国は昨年九・五%成長しました。中国の潜在成長率というのは八・八%ぐらいというふうに言われております。もう去年一年間ずっと緩やかな引締めという状況だったと思いますから、中国の成長率というのはやはり九・五%から八%台へという方向に減速してくるだろうというふうに考えておりますから、日本の、特に素材産業にとりましてはちょっと輸出環境が厳しくなってくるんじゃないかなと。  それから、アメリカにつきましても、もうずっと四%を超える、最近は三%台後半でありますけれども、潜在成長率を超える成長が続いております。それが可能なのは、やはりドルのファイナンスがちゃんとできている。アメリカ財政赤字四千億ドル近いんですけれども、その一〇〇%が、一〇〇%ちょっと超える部分を外人投資家が買っております。  したがいまして、アメリカは、外人投資家が買ってくれる限りは、財務省証券を買ってくれる限りは経常赤字も財政赤字もほぼ問題なく、お金が入ってきて三%台の成長ができるということでありますが、これはもう三年間続いているんですけれども、その過程で、三か月ぐらいドルが急落して、その後十か月ぐらい、九か月ぐらいはドルが少し戻すという、短期間でドルが安くなって、その後ドルが安定してという繰り返しが続いておりますから、これはドル資産を持っている国、具体的には日本とアジアということになりますが、そういったところのやはり負担の下で成長しているということだと思いますから、日本はフローで成長を持続するというメリットの裏側で対外資産の目減りというのが生じているんじゃないかなと思います。それから最後に、そういう形でアメリカ経済は維持されているということだろうと思います。  最後に、アジア経済、東アジア共同体あるいはアジア共同体というのは、私は、アジアの共通通貨というんですか、それも含めまして是非推薦、推進していくべき方向だと思います。これからの成長の源泉というのは、中国とインドとロシアというこのユーラシア大陸の真ん中だけで人口が二十五、六億人、そこがちょうど日本の五〇年代、六〇年代のような状況になってきました。ということは、これから十年ないし二十年、一〇%成長していくような環境が出てきたというのがこのユーラシア大陸の真ん中に集まっていると思いますから、そことの連動性を高めていく政策というのが非常に大事じゃないかなというふうに思っております。
  24. 野上浩太郎

    野上浩太郎君 どうもありがとうございました。
  25. 大塚耕平

    ○大塚耕平君 公述人のお二人におかれましては、貴重な御意見を拝聴させていただきまして、ありがとうございました。  お話をお伺いした直後にいろいろお伺い、質問させていただきたい点が頭をめぐっていたんですが、今、野上さんが冒頭にプライマリーバランスのお話を聞かれまして、私もちょっと触発されましたので、プライマリーバランスについてまずお伺いをさせていただきたいと思います。  プライマリーバランスが本当にこれから均衡する可能性があるのかどうかということは、これは金利と成長率の関係をどのように想定するかということにかなり依存をしておるということは、これは研究者とエコノミストであられる公述人のお二人も共有していただける認識だと思うんですが、この国会でも実はそういう辛気臭い議論も随分やっておりまして、まだなかなか結論が出ておりませんので、まずその点についてお伺いを御両人にさせていただきたいんですが。  通常、金利と成長率の関係は、現実の経済においてはどちらが高いというふうに見るのが一般的であるかということについて、まず御認識をお伺いしたいと思います。
  26. 田近栄治

    公述人田近栄治君) プライマリーバランスの問題ですけれども、もちろん名目成長率と金利が等しくなったところでステービライズしていくわけですよね。それで、一般的に成長率と金利ですけれども、これは経済の状態によるんだろうなと。経済がまだ非常に若くて、成長をしていく、資本ストックも少ないというところだと資本の限界、資本の生産力が非常に高いですから、それに見合う高い金利も払っていけるということでいくんだろうなと。ただ、日本のように経済、成熟した経済ですと、その金利も次第に下がっていくと。そういう形で両者が定常的、将来的には定常的な状態になっていくと。  ただ、今、我々の抱えている問題は、この金利というのを非常に人為的に今下げていますから、経済の回復に、なぜ今この問題が現実的に問題になっているかというと、その景気回復に伴って金利が上がってくるかもしれない。そうすると、それが、非常に我々大きな公債を発行していますから、それが大きな負担になってきてプライマリーバランスの回復ができないかもしれない。したがって、今は非常に重要な時期だ。だから、申し上げると、だからそのステービライズ、経済成長していくプロセスでは金利と成長というのが均衡的な形になってくるかもしれないでしょうと。だけれども、我々の抱えている状態は、今景気回復の方でゼロ金利等で人為的な金利政策していますから、今その経済成長に伴って金利が回復したところでその財政赤字が拡大するかもしれない。  したがって、今、先ほど来申し上げているように、この段階で、その経済成長に伴って、あるいは回復した経済に伴って歳入が上がる仕組みをつくっておかなきゃならないというのが現実的な問題ではないかと私は考えています。  以上です。
  27. 水野和夫

    公述人水野和夫君) 金利と成長率の関係につきましては、先進国、G7ぐらいしか私は調べていないんですけれども、八〇年代前半を境にしましてすべての、G7ですね、が長期金利が成長率を上回る、そういう状況がずっと二十年間定着しておりますので、そうしますと、金利と成長率、どちらが高いと見るのが一般的であるかというお答えに対しましては、私は先進国はどの国も金利の方が高い。高くなるのがもう八〇年の、八一年から三年ぐらいですね、その前後にかけて全部逆転現象が起きております。  ということは、もう二十年以上もこういう傾向が続いておりますので、先進国においては、成長率より、成長率がほっておいたら金利よりも高くなって自然にプライマリーバランスが均衡に向かうという状況ではないと思います。ほっておいたらずっと長期金利の方が成長率より高いというのが正常といいますか、そういう状態がもうビルトインされていると思います。理由は、八〇年前後にどの国も財政危機を迎えておりますから、これは戦後から八〇年代にかけて国債の残高がずっと積み上がってきて、そして国債に対するプレミアム部分が高くなってきている。で、成長率を上回るのが常態化しているんじゃないかなと思います。  ただ、最近の特徴としましては、ここ二年間ぐらいですけれども、アメリカとイギリスと、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、この四つの国は名目成長率の方が高くなりました。この四つの国、英語圏ですね、英語圏の国は、成長率が高くなってきましたので、そこの国は、経常赤字国で、海外から自由にファイナンスできるような仕組みをつくったところは逆転、何ですかね、金利の方が低くなってきて自然的にプライマリーバランスが改善に向かうような状況をつくり出していると思いますが、それ以外の国はやはり成長率の方が、あっ、金利の方が高いというのが私は一般的だなとも考えております。
  28. 大塚耕平

    ○大塚耕平君 ありがとうございます。  そうすると、今、今日は予算についての御見解、御見識を拝聴さしていただくためにおいでいただいているわけなんですが、今年の予算編成の前提になっている経済見通しを内閣府が算出をしているわけでありまして、経済財政モデルというマクロモデルを使って計算をしているんですが、去年の予算編成のときには二〇一三年にプライマリーバランスが均衡するという試算になっていました。今年はこれが二〇一二年に均衡するというふうに一年前倒しになっております。  かつ、その公表された資料を拝見しますと、二〇〇〇たしか八年か九年ぐらいから成長率の方が金利より高いという置き方をしているケースがあるんですね。総じて言うとそういう置き方をしていると。で、つまり、今年の予算をこのまま執行するとその軌道に乗るんだという傍証として内閣府がこのモデルの推計を出しているわけでありますが、このことについての御感想をお二人にお伺いできればと思います。
  29. 田近栄治

    公述人田近栄治君) 私、そこまでの議論というのは今日は用意してこなかったわけですけども、まあ先ほど私の繰り返しになりますけども、長期的にそれが、まあ成長成長率が金利を、日本経済を上回って、そして財政赤字が頭、まあそれ自身が金利的な要素で伸びていくというのを抑えられるかという議論ですけども、まあそこまでは正直言って精査してないので分かりませんけども、まあ私自身のこの認識は、やはり人為、先ほどのとおり、人為的に下げられている金利が上がってくると、その景気回復のその局面で上がってくるというところが現実的には一番大きな問題だと思っております。繰り返しですけれども。失礼。
  30. 水野和夫

    公述人水野和夫君) 二〇〇八年、九年ですから、あと三年後に金利よりも成長率が高くなるというのは、私は、まあ感想ということですから、非常に難しいんじゃないかなと思っております。  理由は、二〇〇三年、二〇〇四年の景気回復におきまして、これ、名目成長率が二〇〇三年が〇・八で、まあ年度ですね、二〇〇四年度が、まだ残り三か月が残ってますが、名目ベースでは〇・六ぐらい、実質では一・六ですが名目は〇・六ということでありますから、まあ二〇〇三年、二〇〇四年というのは非常にいい条件が、海外環境もそろった時期だと思います。中国が設備投資が非常に活発になってということですから、まあ三年後もまだそういう状況だとは思うんですけど、ただ、中国の設備投資が四割も三年後伸びているなんということは、実際には難しいだろうと思います。  そうしますと、あとはデフレから脱却してデフレーターがプラスになる、で、名目成長率が上がっていけばいいと思いますが、三年後にデフレ脱却というのもまあなかなか、ゼロ近辺をうろうろしているんじゃないかなというふうに考えておりますから、一・五%の金利が今後続いたとしても成長率、名目成長率が二、二とか三になっているというのは私は難しいんじゃないかなというふうに考えております。
  31. 大塚耕平

    ○大塚耕平君 ありがとうございます。  さすが専門家のお二人であって、実は非常にお二人とも整合的なことをおっしゃっておられるなというふうに私は拝聴しておりました。  といいますのは、私も常識的には経済のその自律的展開の中で金利が成長率を下回るという状況を近い将来つくれるというふうには余り実感をしておりません。したがって、田近公述人がおっしゃるように、もし内閣府の経済財政モデルのような姿を実現しようと思えば、人為的に金利をかなり低い水準にとどめるという政策が必要だということを恐らく内閣府の経済財政モデルは示唆しているんだろうなと思います。  ただ、これはもう公述人の皆さんとはある意味関係のない国会の議論なんですが、ただ国会において非常に残念なのは、その経済財政モデルの姿が、今、田近公述人がおっしゃるように、人為的につくらなければならないんだということをはっきり政策当局が言えば、これは非常に議論がかみ合ってくるんですけれども、自律的にそういう状況が起きると言っているところにいろんな問題があるわけであります。  田近先生におかれては学会でもいろんな話をされるでしょうから、土産話にひとつ聞いていただきたいんですが、去年の予算編成のちょうどこの時期に、この部屋において、同じ公述人のお立場で井堀先生がおいでになられて、同じ質問をどなたか委員の方からされて、金利が成長率を下回るということは通常はあり得ないということをここで資料を出して陳述しておられたんですね。ちょうどその同じ時間に、私は隣の第三委員会室というところで竹中さんに同じ質問をしていたわけであります。竹中さんは、先進国においては過去三十年の平均を取ると金利が成長率を下回るのは普通であると言って、政府の公述人と政府の経済政策の立案者が同じ時間、わずか三十メートルの距離で全く別のことを言っていたという、これが日本経済政策の私は非常に大きな問題だなと思っております。  じゃ、だれか非常に手品のような経済政策ができる人がいるかというと、そういう人はおりませんので、私はやはり、先ほど申し上げましたように、人為的にそういう状況をつくらないとプライマリーバランスは均衡しないんだということをはっきり政府が、あるいは当局が言っていくということがマーケット経済主体に対して正しい期待を抱かせることになると思いますので、この点が非常に重要だという、これは私見を申し述べさしていただきました。  その上で田近先生にお伺いをしたいんですけれども、歳出のところで実はお二人が若干御意見が違ったなと思うんですけれども、歳出のところにおいて田近先生は特効薬はないと、それは私も同感であります。公共事業の見直し等々、歳出面の見直しも徐々にやっていていいんではないかというふうにおっしゃられたわけであります。片や、野上委員との質疑の内容も含めて水野公述人がおっしゃったことを私なりにそしゃくをいたしますと、今申し上げました公共事業のようなもの、これはカテゴリーとしてはマクロ経済政策の範疇に入ってきますので、しかしそういうマクロ経済政策では余り、もはや乗数効果もなく成果が出ない、しかも経済のセグメントごとの特質が変わってきていますから、セグメントごとに合ったミクロの政策を歳出の中で行わなければならないと、こういうことをおっしゃったわけで、この点が実はお二人の御意見の中で若干違いがあるのかなというふうに思ったわけでありますが、その点についての御認識を改めてそれぞれからお伺いをさしていただきたいと思います。
  32. 田近栄治

    公述人田近栄治君) 御質問の趣旨を全部理解して、理解さしていただいてないかもしれませんけれども、歳出カットというときに、現実的に予算でどこを見直すことができるか、社会保障、それから地方財政、公共投資と。公共投資の方はもうかなり切り込んできていると。そしてあと、地方交付税の方は、今日は時間がないんで申し上げられませんけれども、そこは、そこの問題も私は基本的には地方交付税、三位一体と言っていますけれども、基本的には地方交付税をどう見直すかと。地方財政計画というのが八十二、三兆で毎年作っていますけれども、その高さをどう見直すかというところで大きな改革がある。そして、社会保障に関しては、私は基本的には構造的な問題で、何でも半分、半分の負担を国がするという体質を直すこと。それから保険者ですね。保険者に関しては、要するに地方自治体が保険者というときには、彼ら、地方自治体自身保険料運営する主体でもあるわけですね、サービスを提供することもしている。一方、保険者であるというのは、やはり保険者というガバナンスの面から矛盾しているんじゃないか。つまり、保険を管理する人間というのは、その組織というのは別にあってもいい。だから、市町村自身の、行政として保険者を引き受けるのではなくて、独立した保険者をつくったらどうだという形で社会保障、基本的には歳出カットというときには社会保障地方財政日本では向かうわけですけれども、その両者ともにこれから正に財政再建の中の本質的な問題に入っていくんだと私は思っています。
  33. 水野和夫

    公述人水野和夫君) 大塚先生の御質問ですけれども、歳出について、私は大塚先生が御指摘されたとおりのことを考えております。  どういうことかといいますと、マクロ経済政策あるいは総合経済対策というのはもうほとんど、ほとんどと言ってはいけないかもしれませんが、従来に比べますと非常に効果がなくなってきているという、で、実際に公共投資が削減されておりますから、それは非常に望ましいことだと思います。  あと、歳出をどうするかということについては、やはり一番支出項目のウエートが大きい社会保障費ということになるでしょうから、それは、その点については私は田近先生と一緒で、田近先生がおっしゃったような一律給付というんですかね、そこの見直しということじゃないかなというふうに考えております。
  34. 大塚耕平

    ○大塚耕平君 ありがとうございました。  社会保障のところについては私も同じような考え方を持っております、福祉保険というものをどのように区別をしていくかということが必要だと思いますので。ただ、そう言いながら、日本社会保障は若干矛盾があって、これも今回の予算の中でも必ずしも是正をされていないんですが、この点について、田近公述人、御意見をお伺いしたいんですが、元々、医療高齢者福祉というものがあった中で、医療費のいわゆる社会的入院のところの負担を切り出してこれを抑制するために介護というものをつくったわけですが、その一方で、高齢者でない方々介護をまた切り出す形で支援費制度をつくって、しかし、この支援費制度も六十五歳以上になると介護に入ってくるという中で、今医療介護と支援費と申し上げましたけれども、もう左、そちら側からごらんになって右側から申し上げますと、医療保険、そして介護保険、しかし支援費だけはこれ公共サービスとして行われているわけですね。  この辺のいびつな構造も実は今回の予算の中でも必ずしも十分な、まあ改善といいますか、見直しが行われていないところに日本社会保障制度、そして今先生方がおっしゃったような論点を解決していくための基本的な構造ができていないというふうに私は思っているんですが、その点について田近公述人の御意見をお伺いしたいと思います。
  35. 田近栄治

    公述人田近栄治君) 非常に重要なことを御指摘されたと思います。  例えば、市町村に、保険者である市町村に行って、そして高齢者医療のデータとそして介護保険のデータは接合しているんですかと。Aさんがいて、Aさんがどのぐらいの医療費を使って、同時に介護保険を使っている、それを同時に見ることができますかと。できないんですね、具体的にいろんなそんな調査をしたこともあるんですけれども。したがって、高齢者医療介護が通し的に把握されていない。したがって、介護保険でどれだけ社会的な、いわゆる社会的入院が減ったか。数字を見る限りはそんなに減っていない。  だから、是非そこの部分はこういう場でも、我々、逆にお願いでもありますけれども、高齢者医療介護を同時にマネージする、見れる、少なくともデータで管理できる。したがって、ある意味で、介護保険がどこで利用されるんだろう、それがある意味で病気、急性期の病気になる、そしてそれを回復期で使う、それは非常にいいと思うんですよね。だから、そうじゃなくて、単に医療費の方のツケ回しという形で介護保険になっては困る。  だから、そこが私は、高齢者医療介護日本で欠けているものだと。それも正に先ほど申し上げた保険者保険者は自分の意識でどこまで調べるかということだと思います。  支援費の問題は、それもまた非常に大きな問題で、支援費というのは障害者、身体障害とこの知的な障害、精神障害者も今度含めて議論していますけれども、その人たちは今まで福祉でやってきた。それを介護保険に入れたらどうかということですけれども、最初から負担能力のない、多くの人はそうだと思いますけれども、語弊がないように言えば多くの人はそうだと思いますけれども、そういう人たち介護保険に入れて保険として成立するのか。そうすると、そこは最初から大きな問題だったと思います。  まずは、やはり支援費という形で直したのをつくっていける障害者施策というのをここで私はきちんと運営して、その形を見ながら障害者支援というものを考えていくべきだと。議論が私は余りにも早過ぎて、そしてそれが被保険者の年齢を四十から二十に下げるという問題と連動して入ってきたということで、その問題が更にこんがらがって出てきたんじゃないかと思っています。
  36. 大塚耕平

    ○大塚耕平君 ありがとうございます。  そういう問題もまた、先生方の御意見も拝聴しながら、国会でもしっかり議論をしていきたいと思います。  最後に、水野公述人からいただきました資料の八ページに関連してちょっと質問をさせていただきたいんですが、八ページのこのフィリップス曲線のGDPないしは、通常は失業率との関係で出しますが、GDP、失業率、そしてCPIとの相関関係が非常に薄れてきたということでありまして、それ、直感的にもなぜこの関係が薄れてきたかという要因は、一つは少子高齢化でGDP成長率が伸びてもなかなか消費が増えないとか、それからデフレのところもイノベーションの影響で景気が良くなっても価格効果で下がってしまうとか、構造的な要因があってこういうふうになっていると思うんですが。  その前者に関連して、最後に水野さんと、できれば時間があれば田近公述人にもお伺いをしたいと思うんですが、そういう構造にある中で、日銀が例えばCPIが安定的にプラスになるまでという政策目標を掲げるということは、先ほど私が申し上げましたような、金利と成長率に関する関係からいえばある意味整合的であって、これは構造要因があるからCPIは当分上がらないので、当分やはりその目標はクリアできないので低金利政策を維持するということにつながっていくわけなんですが、そのことがいいのか悪いのかということに加えて、そのことによって、実は先ほど冒頭のところで野上さんの質問に対する最初の御回答で田近さんがおっしゃられた、景気回復に伴って所得税が自然に増えていくことが望ましいというふうにおっしゃられたんですが。  この少子高齢化に伴って、結局、この今回の定率減税がどういう影響を与える、定率減税廃止がどういう影響を与えるかということを考えると、仮に景気回復になってもこの消費のひもが更に現役世帯は緩まないですし、それから高齢者世帯に関していうと、人為的に抑える低金利政策の結果、日銀総裁も答弁しておられましたけれども、例えば過去十四年間で百五十兆ぐらいの金利収入が家計から企業部門に移転しているということを考えると、実はこの低金利政策を取るというところまでのトランスミッションにおいては非常に整合的な政策なんですけれども、そこから先、それが消費につながって、自律的な所得増につながって、財政再建に向かっていくという部分においては、高齢者世帯においても現役世帯においてもその低金利政策と今回の定率減税廃止というのが余り整合的ではない政策になっているというふうに私は感じておりますので、その点についてお二人、もう時間がございませんので簡単に御意見をお伺いして、終わらさせていただきます。
  37. 水野和夫

    公述人水野和夫君) 私も、今の金融政策というのは、消費者物価が安定的にプラスになるまでということを続けていくことが果たしていいのかどうかというのは非常に疑問に思っております。  CPIが構造的になかなか上がらないという状況になりますと、ずっとこのゼロ、超低金利政策を続けなきゃいけない。それは人為的に長期金利を引き下げるという効果にはつながっているんでしょうけれども、それは名目GDPが結局上がらないということの裏返しだと思いますから、プライマリーバランスの改善のところには全然貢献しないということになるだろうと思います。  ただ、量的な金融緩和を解除すれば、じゃ、金利が上がってもっと逆転現象が起きるのかどうか、更に長期金利が上がって、プライマリーバランスが均衡に向かう状況をもっと阻止してしまうのかどうかということを考えなきゃいけないと思いますが、長期金利の方はなかなか人為的にはコントロールできないと思います。  今の日本の一・五%の長期金利が、じゃ、人為的に抑えられているかどうかということですが、これは他国との比較で考えますと、日本の一・五というのはそんなに、これは消費者物価、いわゆるよくフィッシャー効果なんて言われておりますが、物価が一%上がると長期金利も一%上がるという、そういうところに沿った日本も動きをしておりますから、ということは、量的な金融緩和を仮に消費者物価が安定的になるという条件にかかわらず解除したとしましても、長期金利がもっと上がって財政構造改革に妨げになるようなことは私はないんじゃないかなというふうに考えております。
  38. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) 田近公述人、簡潔にお願いいたします。
  39. 田近栄治

    公述人田近栄治君) 御説は、低金利政策をして、百何十兆円ですか、それを国民から国に渡して、そしてそういうことをしていて今度は景気回復という、それを維持しながら定率減税のカットなのかということだと思いますけれども、私はむしろ財政のタックスの方を見ていますから、そういう議論もあるかもしれませんけれども、先ほどの数字を見ていただくとお分かりのように、やはり余りにも所得税負担というのを下げ過ぎてきたと、それは事実だと思います。それを、特に低所得者の方は、今度、定率減税カットしても、取り直してもそこで負担が上がるわけではありませんから、私としては、定率減税のカットというのが景気の足を引っ張るというようなことはまずないだろうなというふうな考えをしております。
  40. 大塚耕平

    ○大塚耕平君 ありがとうございました。
  41. 風間昶

    風間昶君 公明党の風間です。今日はありがとうございます。  まず、田近公述人にお伺いいたします。  八ページですかの「改革」で、少子高齢化及び財政再建の過程で税収を増大させる必要があって、消費税頼みの税ではなかなか確保が困難だろうということなんですが、じゃ、その消費税は使ったとしても、税と、じゃ、それに伴う消費税の分と、それから税率や税構造にメスを入れる部分とのはかりを見ますと、やはり私は消費税の方が大きいのではないかというふうに思うんですけれども、同じレベルで考えられないんでないかというふうには一般的に思うんですが、このことについてお伺いしたいというのが一点です。  それから、特にこの介護保険について先生お詳しいわけですけれども、負担の関係でいうと、給付に見合った負担をすべきであるということから、自己負担の問題についてホテルコストも含めて御言及されているペーパーがございますけれども、この場合も低所得者に対する言及がないわけでありますけれども、このことについてもう一点お伺いしたいというふうに思います。  それからもう一点、三点目は保険者機能でありますけれども、じゃ、市町村がやらないで廃止するとなるとどこがそれを担っていくのかということは、具体的に国民側からするとイメージがわかないんです。この点についてお聞かせ願いたいというふうに思います。年齢の件については、いろいろこれ議論がありますけれども、今シミュレーション中ですのであれですので。  それから、済みません、水野公述人には、僕は経済余りよく分からないんですが、いずれにしても、このデフレ脱却する上で、好調ないわゆる近代的経済圏、IT、輸送の部門から家計部門に本当に消費が拡大していくという、バトンタッチされたのかどうかという検証が私はないような気がまだするんです。これがあって初めて、じゃ非製造業、いわゆるポスト近代化経済圏にどうしていくのかという話じゃないかというふうに思いますんで。  そうなると、二つ目の質問、御質問をさせていただくのは、製造業と非製造業の連関を格差が拡大されたというふうにおっしゃっていましたけれども、じゃ格差を縮めるにはどうすればいいのかということを具体的に教えていただければ有り難いなというふうに思います。  それから三点目には、デフレ脱却ということで、僕はなかなか難しいと思うんですね。じゃデフレに、もうこれ以上デフレにならない、デフレに戻っていかないことの見通しを具体的に立てることの方がむしろ大事じゃないかなというふうに思いまして、この三点についてお伺いしたいと思います。済みません。
  42. 田近栄治

    公述人田近栄治君) 御質問にお答えさせていただきます。  所得税消費税のバランスですけれども、定率減税で四兆円弱、消費税一%で二・五兆円ぐらいですから、その他の税と合わせていくと、まあ消費税でいくと二%。三%はきついかもしれませんけれどもその二、少なくとも二、まあ少なくともというのは、二%程度はまず所得税改革で努力すべき数字だろうと、消費税の本役でいきますと。だから、そこを忘れて何でも消費税に行っちゃうと、そこで、だからもう複数税率なんだと、制度を非常に複雑にしますし、だから、そこはもう一歩税制に関する、特に所得サイド税制に対する考察は必要だと私は思っています。やはりある程度再分配というか負担の公平を考えるということでは個人所得税を現実的には超えるものは今ないわけですから、それをもっと大切にしていくべきだというのが私の主張です。  介護保険については、ホテルコストの、ホテルコストというのは変な言い方ですけれども、施設に入ったときのまあアパート代ですね、居住費用と食費の代を払ってくださいということですけれども、もちろん低所得者に対する配慮はしなきゃいけない。ただ逆に、同時に、じゃ低所得者というのをどう定義していくんだ、どうやってきちんと認定していくのか、そこが大きな問題だと思います。それが恐らく年金の一元化の問題とかも全部絡んでくるわけですけれども、そこは今後しっかりしないと大変だ。もちろん、そういうことを前提にした上で、つまり低所得者に対する配慮を前提とした上での高コストのことを私は申し述べたいと思います。  最後の保険者の在り方が非常に大きなことで、今日は二〇〇五年の予算ですけれども、恐らく来年の今ごろは医療保険のいよいよ本丸の改革になってこの議論をしておられると思いますけれども、保険者と言うときにはもっとイメージを豊かに僕もしゃべった方がいいと思うんですけれども、やはり自分たちの、被保険者医療費をきちんと管理する、そして被保険者に代わって病院と交渉する、そういうキャパシティーを持って、要するにコストに見合ったサービスを保障するんだというキャパシティーというか能力というか、専門的な知識の集団だと思うんです。  それはだから、じゃ何が、市町村に代わる何があるんだ。それが正に政管健保、今の改革で動いてくるところですけれども、それも県がやるという、必ずしもなくて、ある意味でざっくり言えば、県単位ぐらいの保険者というのが日本全国でできてくると。そういう保険者が専門的な観点から効率化していくと。そこに県がもちろん関係していくというのはいいんでしょうけれども、県の中の何とか課がやるんではなくて、それは保険者という一つの独立した組織をつくるべきだという、そういう意味です。  したがって、それを市町村に、市町村国民健康保険課にやらせ続けるというのはやはりもう無理があるんじゃないか、そういう意味で申し上げたわけです。
  43. 水野和夫

    公述人水野和夫君) それでは、三つほど御質問いただきましたので、まず最初のデフレ脱却する上で家計部門にバトンタッチされたかどうかということについては、先ほどの大企業・製造業を中心としたところではバトンタッチがされております。これは、先ほどの五百人以上の企業の、五百人以上の企業に勤める世帯のところでは収入が増えて支出も増えておりますから、その大企業・製造業、先ほどのIT産業と鉄鋼と自動車というのは、大体従業員数でいきますと日本全体三千四百万人ベースで一五%ぐらい、雇用者、働く人のシェアでいえば一五%のところでは生産、所得、支出というメカニズムがきれいに働いている。  ただ、子細に申し上げますと、ただ生産から所得に結び付くのに一年半ぐらい、一番好調なところでさえも一年半ぐらい企業経営者はその傾向が本当かどうかを確認した上でようやく増えていますから、時間がやっぱり掛かっている。ただ、所得が下がり始めたときはもう数か月後に生産が、生産調整しますとその大企業のところでも、大企業のところは半年以内にすぐ所得の減少という、非常に臨機応変というような状況になっていると思います。ということは、残りの八割ぐらいのところでは結局今回の景気回復による、景気回復による生産の増加が結び付いていないということになると思います。  それから二番目の御質問なんですけれども、製造業と非製造の格差を縮めるにはどうしたらいいかということでありますが、これはもう基本的にサービス産業の生産性が上がるしかないということだと思います。IT革命というのはサービス産業の生産、いわゆるホワイトカラーの生産性革命だというふうに言われておりますから、ツールはもう手にしたということだと思いますから、あとはどうやってそれを生産性の向上に結び付けていくのかということだと思います。ただ、サービス産業の場合、生産性を良くするということは少ない人数で同じサービスかそれ以上のサービスを提供するということだと思いますから、やっぱり雇用がそんなに増えない、生産性を上げれば上げるほど雇用が増えないという状況になりますから、やはりもう一方では新しい技術革新によるサービスの提供という、その両方が組み合わさらないとなかなかうまくいかないんじゃないかなと思います。  最後に、デフレ脱却は難しいという御指摘ですが、私もそのとおりだと思います。したがいまして、これ以上深刻にならないということが出てくれば、もうそれで私は事実上デフレから、デフレスパイラルから脱却すれば十分だと思います。それは金融システム問題だと思いますから、それはさすがにこれから金融システムがまたおかしくなるなんということは恐らくないと思いますから、事実上デフレから脱却というのはもう目的は達しているんじゃないかなと思いますから、本当に安定的にゼロになるまでというふうにこだわる必要はないんじゃないかなというふうに考えております。
  44. 風間昶

    風間昶君 終わります。
  45. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) よろしゅうございますか。
  46. 大門実紀史

    大門実紀史君 大門実紀史でございます。  御両人ありがとうございます、今日は忙しい中。  まず、田近参考人にお伺いいたします。  税の在り方、財政の在り方というのは国の在り方そのものにかかわる基本的な問題だというふうに思います。資本主義というのは、そもそも最初始まったときに貧富の格差を最大化してしまったと、それを人類の知恵といいますか、是正するために所得の再分配ということを行ってきたわけですね。その重要な中身が社会保障であり、累進課税ということだったわけですが、この十数年といいますか二十年ぐらいでいると、逆にそれを緩和していこうと、社会保障も自助努力だと、累進税も緩和していこうと、そういう流れで今来ている、そういうふうになっていますし、その社会の風潮もそういうふうに何といいますかね、野放しの資本主義的になっているんじゃないかなというふうに思います。  そこで、田近参考人に、先ほどもちょっと触れられましたが、基本的なそもそも論ですけど、この税の機能といいますか所得の再分配機能をこれからどういうふうにしていけばいいというふうにお考えなのか。  例えば、今日も少し触れられましたけれども、社会保険料負担というのは、一定こう頭打ちになります。したがって、一定のところへ行くと逆進性を持つと、社会保険料負担がずっと増えますとですね。かえって逆進性を伴うということがあります。で、税の方は累進税が緩和されていると。これが同時進行でずっとこれからいけば、正に所得再分配機能をどんどんどんどん縮小する方向になってきたし、なりつつあるんじゃないかと思いますが、その辺も含めて、その基本的なお考えをもう少し詳しく伺いたいと思います。
  47. 田近栄治

    公述人田近栄治君) 税ということで社会保障との連動もおっしゃいましたけれども、その累進制というのをどう確保するのかということですけれども、ある意味で逆のレッスンも一杯ありまして、昔は限界税率が九〇%ぐらい、高いときもあったり、八〇%ぐらいですか、あった。そうすると、そこで、あるいは社会保障でもいろんなサービス提供してきて、先ほどの問題を指摘しましたけれども、そうすると、それがいろんな意味のインセンティブというか、に影響を与えてきた。そして、大きな租税回避というのも招いてきた。そうすると、あと社会保障の方ではそのモラルハザードというか、過大な利用も生んできた。  だから、議論はバランスだと思うんですよね。人々のその制度に対する対応というんですかね、租税回避するから悪いわけじゃなく、合法的にやっているわけですから、その公平、累進制というのは絵にかいたもちではない、人々はそれに対して対応するわけですから。そして、そういう、その制度と人々の行動を見据えた上で議論をなさなきゃいけない。これが恐らく大きな社会保障税制議論になってくる。  それでは、じゃ社会的な公平はどこで担保するんだというわけですけれども、それは税でいえば、最終的に一番それは望ましい税としてはやっぱり相続税なんだろうな。人それぞれが財産を残していくところでそのけりを付けていくと。で、所得税においては、ここで、まあ時間がない、お話できませんけども、やはり先ほど言った公平とそのインセンティブのその両者をバランスする形で議論しなきゃいけない。そういう形で今、所得税最高税率が三七、地方が一三、五〇というところに落ち着いたんだろうと思います。  したがって、そのどちらがいい悪いではなくて、公平ということと、人々がその制度に対して行動、リアクトしていくと、そこのバランスで決めていくべきだと、私はそれが原則だ、原則というか、それが現実的な答えを出すための考え方だろうと思って仕事をしております。
  48. 大門実紀史

    大門実紀史君 どうもありがとうございます。  じゃ、水野参考人、お伺いいたします。  先ほどサービス産業が低迷しているというお話ありまして、これは小泉内閣発足したときから議論があって、小泉内閣、竹中さんは五年間で五百三十万人の雇用を増やすというのをおっしゃってたんですが、目標の半分も今行っていないと。これはサービス産業で増やすというふうにおっしゃったんですけれども、それは低迷している中で伸びてないと思いますが、先ほど水野参考人はその生産性の問題をおっしゃいまして、それもあると思いますが、私、具体的に考えますと、サービス産業というのは家計に依存する、家計とのやり取りが非常に多い産業でございますけれども、そこでいくと、先ほども触れられました個人消費が低迷している、家計が低迷しているということがもう一つ大きなこのサービス産業が伸びない原因の一つではないかと思いますので、その辺の見解を一つ伺いたいのと、労働分配率のお話もされました。  これ、これも竹中大臣と何度も議論をしている中身でありますけれども、私は労働分配率というのもそう難しく考えないで、利益に占める簡単に言えば人件費の割合でございますから、利益が上がらなければ、自然同じ賃金でも労働分配率は上がります。やはりこの不況の中で企業が売上げが伸びないと。だから利益も上がらない。人件費がそのままだと分配率が高まると。何も賃金上げてもらったわけじゃないのに高まっているという実情があるわけですね。  こういう点でいきますと、やっぱり両方から見なければ物事はいけないんではないかと。したがって、労働分配率をとにかく調整しなきゃ、下げなきゃと思いつつ、そればっかりやりますと、つまりそれが賃金のダウンにつながって、また消費がダウンして、巡り巡って売上げが落ちると。スパイラル状態ですね、労働分配率のわなと言われておりますけれどもね。だから、そういうんじゃなくって、やっぱり景気を良くして、売上げを上げて、利益を上げて、賃金や雇用に本当に、小泉総理も言われていますけれども、還元をしろと、すると、そういう中でいい循環をつくり出さないと、この労働分配率の問題も基本的には解決しないんじゃないかというふうに思っています。  その二つの点、ちょっとお伺いしたいと思います。
  49. 水野和夫

    公述人水野和夫君) サービス産業は低迷している、それは家計部門とのやり取り、まあ本当にそのとおりだと思います。で、その背後には所得家計部門の消費支出が伸びないということなんですけど、があって、家計サービス産業が伸びないというのはもう本当にそのとおりだと思います。  ただ、消費支出が何で低迷しているかということにまた問題、原因は戻ると思うんですけれども、消費支出が低迷しているのはやっぱり所得が伸びないということだと思うんですね。で、貯蓄率を下げながら何とか世界水準を今のところ維持しているという状況だと思います。  じゃ、何で所得が伸びないかということですが、これはまた二番目の御質問の労働分配率のところと、まあやっぱり本当にぐるぐる回るんですけれども、労働分配率が高くなり過ぎている。で、御指摘になられましたように、分母の利益が伸びないから、ほっといたら賃金が上がらないのに労働分配率は上がってしまう、やっぱりそこに戻ってくると思いますから。そうしますと、じゃ何でサービス産業成長を失ってしまったのかという、あるいはサービスに対する需要がなくなってしまったのかということが一番最後にたどり着く私は疑問じゃないかなと思いますので。  そうしますと、じゃ何でサービスに対する需要がなくなってしまったのかということは、やはりもうサービスが、既存のサービスはもう過剰になってきているという状況日本で現出しているんじゃないかなと思いますので、家計が欲しいというサービスが十分提供されてない。で、供給する方が、今までのサービスで提供すれば家計が購入してくれると思っていたのに購入してくれないという、そういう悪循環だと思いますので、これはもう供給サイドの、こういうサービスを提供すると生活のライフスタイルがこういうふうに一変しますよというような、やっぱりこれは技術革新に私は結び付くと思うんですけれども、そういうことがないとこの悪循環のわなから抜け出せないんじゃないかなというふうに考えております。
  50. 大門実紀史

    大門実紀史君 じゃ、最後にお伺いいたします。  この三年間で定率減税縮小、廃止をして、同時に社会保険料負担とか、いろいろ負担がこの三年間、今後三年間で七兆円増えます、七兆円弱増えます。さらに今、二〇〇七年から消費税を二けた増税という話も出ております。二〇〇七年にこの状況で、先ほど御説明いただいた経済状況で、その前に七兆円の負担を掛けた上、二〇〇七年からの消費税二けたというのは、私はちょっと無理があるんじゃないかと、景気がかなりクラッシュするんじゃないかと思いますが、その辺の判断はいかがですか。水野参考人。
  51. 水野和夫

    公述人水野和夫君) まあ七兆円というのはやっぱりちょっと大きいかなと思います。  ただ、減税が三兆円強ですかね、定率減税のところ、実施されましたけれども、二〇〇二年からの景気回復におきましてGDPが一・九%成長しているんですけれども、家計部門の貢献というのはほとんどない。ということは、減税の効果というのは私は余り家計部門にプラスの効果を与えてなかったんじゃないかなと。で、企業部門がほとんど成長を、その成長のプラス増加分ですね、企業部門の輸出と、輸出と企業設備で景気回復していますから、ということは、定率減税が余り効果がなかったかもしれない。だから、効果がなかったものは戻さなきゃいけないと思うんですけれども。  ただ、アンケート調査を見ますと増税が、増税懸念があるから消費支出を減らすというふうに家計部門は答えてますから、ということはもう既にしちゃったことですから、それはやはり余り効果がなかったことだと私は思いますから、それはもう戻すということがやっぱり筋だと思いますから、定率減税は戻すということが筋じゃないかなと思います。  じゃ、そのときに景気が耐えられるかどうかということですけども、それは、景気循環、もうやっぱり三年上がって一年下がるという景気循環が繰り返すと思いますから、あとはその戻すタイミングをその景気の上り坂のときで戻すということしかないんじゃないかなと考えております。
  52. 福島みずほ

    福島みずほ君 社民党の福島みずほです。今日はありがとうございます。  水野公述人にお聞きをいたします。  広がる所得・資産格差ということで今日資料の提供をいただいているんですが、格差の拡大をどうしたらいいのか、ちょっと余りに大きいですけれども、教えてください。
  53. 水野和夫

    公述人水野和夫君) 格差の拡大を私はもちろんほうっておいたらいいなんていうふうには思っておりません。思っていないんですけれども、実際には今の経済の動きを考えますとなかなか難しいかなと。  これは、背景は、やっぱり資本主義の中で資本の利潤率がずっと趨勢的に下がってきています。当初は恐らく、ROEというんですかね、投下資本に対するリターンというのは五〇%以上あったと思います。今は、日本も低いですけれども、アメリカでも株式市場に投下すると大体十五倍というのが、株価、何というんですかね、株価収益率、一株当たり利益の十五倍というのが株価で形成されていますので、それをひっくり返しますと五、六%のリターンしかないという状況になってきていますから、これは資本のリターンをこれから戻そうという動きが始まっているんだろうと思いますので、そうしますと格差が広がるというのはもうある程度やむを得ないかなというふうに思います。  ただ、それを放置しておけばいいという問題じゃないと思いますんで、それは是非、政策的に考えていただくしかないんじゃないかなと思います。済みません。
  54. 福島みずほ

    福島みずほ君 その政策的な知恵をおかりしたいと思ったんですが、ないですかね。
  55. 水野和夫

    公述人水野和夫君) 余り私、知恵はないんですけれども、やはりそれは税制だと思いますんで、税制ですと、やはりこれはもう消費税のところに私は最後は行くんじゃないかなと。  消費税を、もう税率の格差、もちろん田近先生がおっしゃったように相続税のところが大事だというのはもうそのとおりだと思いますが、それに加えまして、消費税のところでも複数税率というところである程度是正していくしかないんじゃないかなというふうに考えています。
  56. 福島みずほ

    福島みずほ君 次に、労働分配率のところで、やはり中小企業の人件費がとても高いという、大企業と中小企業でとても広がっているんですが、この人件費が高いという中小企業の問題点、先ほどちょっと技術革新というのもあったんですが、中小企業を元気にするためにまた知恵をおかしください。
  57. 水野和夫

    公述人水野和夫君) これも難しい問題ですけれども、まず、中小企業の労働分配率が高いということですが、これは八五%の労働分配率なんですが、分子の人件費は中小企業の方は非常に低いです。金額で申し上げますと三百八十万ぐらいです。大企業の労働分配率が低いんですけれども、一人当たりの分子に乗る人件費は八百五十万でありますから、正確には、中小企業は人件費が高いから労働分配率が高いわけじゃなくって、やはり利益が生み出せないような構造になっているということだと思いますが、中小企業が元気の出る、それは中小企業がどうやってもうかるかということで、またさっきの話に戻ってしまいますが、もう技術革新しかないんじゃないかなと私は思っております。
  58. 福島みずほ

    福島みずほ君 田近公述人にお聞きをいたします。  今日は負担給付の話がありますが、先ほど障害者の自立支援と介護の統合を早急に急ぐべきではないとおっしゃいました。もう少し教えてください。
  59. 田近栄治

    公述人田近栄治君) この問題が実は今年の介護保険改革の大きなイシューでした、ホテルコストの部分と並んで。  それで、問題は、障害者というときには知的障害、精神障害の人まで含めた意味ですけれども、具体的に言うと今、支援費制度というのを立ち上げた、二〇〇三年に立ち上げたわけですね。そこで、それはかなり、社会福祉でありますけれども、受益を受ける人が事業提供者と契約するというような形でやっています。それを介護保険に入れるということで二つ問題があったわけです。それは、そういう人たちが入りますから被保険者を四十歳から二十歳にすると。第二は、先ほど少し触れましたけれども、その障害者の方が保険に入ってきたときにその受益に対する負担というのをどうするんだということです。  で、二十歳までにこの介護の被保険者が広がれば、一見財政は楽になるのかもしれない。ただ、本質的な問題は、私がそこで議論した問題は、もし受益に対して負担負担をすることができないのならばどうするんだ。そうしたら、一つ改革はここまでやるのかということですけれども、負担に耐えられなければ、その負担部分というのを国が補てんするんですか、あなたが保険料これだけ払えないとするならば補てんするんですか、そのほかいろいろまだ問題ありますけれども、そこまで踏み込まないといけない。単に二十歳まで被保険者を広げて、そこの中でどんぶりというか、一括に給付負担してしまうということは望ましくない。そういう意味で、私はこの問題はもう少し議論をすべきだという立場で議論をしてきました。
  60. 福島みずほ

    福島みずほ君 どうもありがとうございました。  終わります。
  61. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人方々に一言御礼を申し上げます。  本日は、有益な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。(拍手)  午後一時に再開することとし、休憩いたします。    午後零時六分休憩      ─────・─────    午後一時開会
  62. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) ただいまから予算委員会公聴会を再開いたします。  休憩前に引き続き、平成十七年度総予算三案につきまして、公述人方々から御意見を伺います。  この際、公述人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  お二方には、御多忙中のところを本委員会に御出席いただき、誠にありがとうございます。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。  本日は、平成十七年度総予算三案につきましてお二方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただいた後、委員の質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、外交・防衛について、公述人静岡県立大学国関係学部教授伊豆見元君及び同志社大学法学部助教授村田晃嗣君から順次御意見を伺います。  まず、伊豆見公述人にお願いいたします。
  63. 伊豆見元

    公述人(伊豆見元君) ただいま御紹介にあずかりました静岡県立大学の伊豆見でございます。  こういう席にお招きいただきまして大変光栄に存じておりますが、自分の専門について述べよということでお話を承りました。北朝鮮の問題につきまして、日本の外交、防衛双方を考える上での観点を申し上げたいと思いますが、お時間も限られておりますので、特に一つの問題について絞って申し上げさしていただきたいと思います。  それは、北朝鮮の核兵器開発が進んでいるということでありまして、さらに、最近では北朝鮮が、自らが核兵器開発を進めていくということを、今後も継続していくということを明確にいたしました。私は、これは我が国の安全保障を考える場合、大変ゆゆしき話だというふうに考えておりますが、しかし、誠に遺憾なことながら、ほとんど、この北朝鮮の核兵器開発が継続するということについての関心が国内外におきまして極めて乏しいということがあろうかと思います。  今、私の目には切迫感の欠如というのが非常に印象付けられておりますが、このまま半ば今の現状を黙認する、容認する、あるいはもっと悪い言葉を使いますとほったらかすと、放置するということになりますと、私は、北朝鮮の核開発というのは我々にとってのっぴきならぬ段階にまで進む可能性があると考えておりますので、その点を、限られたお時間でございますので、申し上げたいと思います。  北朝鮮の核開発についての重要な声明というのは、二月十日に北朝鮮の外務省が声明を発表いたしました。この声明で北朝鮮が強調いたしました二点ございます。一点は、核問題をめぐる六か国協議、六者会合への参加を当面無期限に見合わせると、中断するということでありまして、二番目が、正に核兵器開発を継続するということでありました。  しかし、この二番目の核兵器開発を継続するという言い方がある意味ではかなりあいまいな表現を取りまして、核兵器庫を増やすための対策を取るであろうと、これが外務省声明が使った用語でありますが、核兵器庫。核兵器とは言わずに核兵器庫と、ニュークリア・ウエポンズ・アーセナルという言葉を使いまして、その核兵器庫を増やすための対策を取るという言い方をしました。よく意味が分からないというところもありまして、結局、この部分はほとんど注目を浴びないといいますか、むしろ私の印象では黙殺されたようなところがあります。  そして、その部分で北朝鮮が核兵器を造ったと言ったところが大きく焦点になりまして、核兵器保有宣言ということが言われるようになりましたが、しかし実態は、核兵器を保有した、造ったということが北朝鮮の言いたかったところではなくて、今後も核兵器を造り続けるぞというところに彼らの言いたいところがあったということでありますので、この点について我々はもっと関心を向けるべきであると考えております。  核兵器庫を増やすための対策を取るということであります。何を意味しているのかということでありますが、核兵器庫というのはもちろん核兵器を幾つか集合した、集めたその集合体だというふうにお考えいただいていいわけでありますが、その核兵器庫、ある意味では入れ物を増やそうと言ったわけであります。  そうしますと、これの示唆するところは、御案内のように、既に北朝鮮はプルトニウム型、プルトニウムで造った核兵器を保有しているというふうに我々に言っているわけでありますし、しかもこれは複数あると考えられます。そのプルトニウムによる核兵器庫に加えて、別個の新たな核兵器庫を造ると、要するに核兵器庫の数を増やすということを彼らは言ったわけであります。  そうしますと、当然我々が考えなければいけないのは、濃縮ウランによる、ウラニウムによる核兵器も北朝鮮は造ろうとしているんだと、こう考えるべきでありますし、しかも、その核兵器庫を増やすための対策という言い方をしたわけでありますが、じゃ、その対策は何なんだということになりますと、これもある意味では簡単でありまして、ウランを濃縮するという意味であります。  現在、北朝鮮がウランの濃縮をやっていることは、これは確実であります。しかし、我々は、その進度といいますか度合いがどの程度であり、しかもどの程度の規模で北朝鮮がウラン濃縮をやっているかはつかんでおりません、よく分かりません。  御案内のように、兵器級の高濃縮まで持っていくためには九〇%以上、九五%程度の濃縮が必要だとされておりますので簡単ではない。さらに、ウラニウムの場合にはプルトニウムと異なりまして臨界量が非常に多くの量を必要といたします。大体二十五キログラム程度ないと言わば核分裂を起こさない、核兵器としては機能しないということになりますから、したがって量をある程度必要とします。それから、元々、高濃縮をやらなければいけないため、技術的に大変であるのみならず、量もたくさん、二十五キロ、二十キロ以上あるいは二十五キロ造らなければならないと。これは非常に大変であるということが言えようかと思います。ちなみに、プルトニウムの場合には五キログラム程度で臨界量と言われておりますので、非常に少ない量で一発核兵器が造れるわけでございます。  いずれにせよ、その北朝鮮の技術力というものを我々はつかんでおりませんが、しかし、彼らがやろうと思えば高濃縮、それも兵器級の高度濃縮、すなわち九〇%、九五%程度の高度濃縮ができるその能力を、潜在力を持つということは一応我々は認めておかなければいけない。なおかつ、その濃縮ウランを大量に生産すると。大量といいましても、取りあえず重要なのは百キログラムを超えるかどうかというところであろうかと思いますが、そういう三けた以上のウラニウム、濃縮ウランを彼らが製造することも基本的には可能だと考えておくべきであろうかというふうに思います。  実は、北朝鮮が今後ウラン濃縮、ウランによる核兵器開発ということに邁進をすると仮定をいたしますと、私は、その一方で、彼らがプルトニウムによる核開発については非常に抑制をするであろうというふうに考えております。これは、プルトニウムに関するその核開発というのは上から見ていて分かりやすいわけでありまして、すなわちアメリカが軍事衛星で見ているだけである程度プルトニウム開発が進んだ、プルトニウムによる核開発が進んだということを我々は把握できます。したがって、刺激するにはもってこいと言われればそうでありますが、しかし、むしろこういう時期は北朝鮮は刺激を抑えるであろうと考えられる。すなわち、プルトニウムによる核開発は、彼らは私はしばらく中断するというふうに見ております。その間はウラニウムの高度濃縮に専念すればいいということでありまして、このウランの高度濃縮の問題点というのは外から分からないということであります。上から見ていて分かりません。実際に今、北朝鮮の技術力が分からないというのは、ともかくアクセスできないためによく分からないということであります。  したがって、ウラン濃縮を進めていられた場合に、我々はそれがどの程度進んでいて、どの程度の段階で大変危険になるかということを予測することがほとんど不可能と言ってよろしいかと思いますが、逆に言えば、北朝鮮からすればそこは非常にやれるところであるということになろうかと思います。  一体、ですから、技術力よく分かりませんので、どの程度時間が掛かるか分かりませんが、しかし、北朝鮮は私はウラン濃縮に邁進する可能性が非常に高いと思っておりますし、ある程度の年月といいますか、一年、二年を掛けた場合には相当程度まで彼らは、高濃縮とそのウランの蓄積と、濃縮ウランの蓄積ということを両方果たす可能性がある。そして、もし仮に、ある程度の高濃縮ウランを持てば、当然のことながら、その後は核実験ということであります。  御案内のように、濃縮ウランの場合による核兵器というのは、単にそれが核兵器として機能するかどうかを確かめる際には実は核実験は必要とされないと言われております。実際、アメリカ日本に、長崎にプルトニウム型で落とし、広島にウラニウム型で原爆を落としました。プルトニウム型については事前に実験をいたしましたが、ウラニウム型につきましては、そのまま直接日本を攻撃するということをやったわけであります。ですから、核兵器として機能するかどうかという点については特に必要ないと。  しかし、もちろん実験をするといい点がありますのは、小型化ができるということであります。これはプルトニウム型に比べて濃縮ウランによるウラニウム型の核兵器が小型化が容易であると、易しいと言われているのは当然でありまして、そもそも実験がなくても核分裂について確実なものが事前から想定できるというものでありますので、そうしますと、ウラニウムによる、濃縮ウランによる核兵器の実験というのは明らかにもちろん小型化をねらい、すなわち核ミサイルをねらうと、こう考えてよろしいということになります。  実際、我々は思い出すべきでありますが、一九九八年にパキスタンが核実験をいたしました。パキスタンの核実験は濃縮ウランによる核実験であります。三日間のうち二日やったんですが、一日空けて二回やったわけであります。それを回数を、一日に五回やった日と一回だけやった日がありまして、ですから六回だったというふうに記憶しておりますが、やりました。それで終わりです。  そこでパキスタンは小型化に成功して、今それを彼らの弾道ミサイルに装てん、装着できるようにしたと。すなわち、一回実験をやれば、今ですと十分に核ミサイル、小型化が成功して核ミサイルが持ち得るという可能性があります。  古い例で言いましても、中国の例は、一九六四年ですから今からもう四十年以上前になりますが、中国も濃縮ウランで実験をいたしました。このときは、実はソ連が元々濃縮ウランの技術を中国に与えていたんですが、五九年にそれを断ち切ったものですから、国際社会は、中国は恐らくプルトニウムで核実験をやると思っていたわけでありますが、見事に裏切られたわけであります。裏切られたのは、もちろん中国がそれを兵器として考えていたからでありまして、当時、中国はもう既に弾道ミサイルを保有しておりましたから。中国のケースですと三回、中国の場合には時間を置いて三回実験をいたしまして、それで小型化に成功して核ミサイルであります。  ですから、濃縮ウランというのはやはり小型化が極めてしやすいわけでありますし、弾道ミサイルにそれを装てんすれば核ミサイルになるということであります。  そして、御案内のように、北朝鮮は既に日本列島、上は北海道、北は北海道から南は沖縄まですべて射程に収める弾道ミサイルを保有しております。しかもその数は増やしている、それも間違いない。あとは弾頭の小型化が可能になる、すなわち、失礼、核兵器の小型化が可能になって弾頭にできる、弾頭化できれば北朝鮮はいつでも核ミサイルを手にすることになる。  元々、我々にとっての北朝鮮の核問題も、ある種の悪夢というんですか、最も懸念を持って想定しなければいけないことは北朝鮮の核ミサイルの保有ということでございました。かつてはその可能性というのは決して高くないというよりも、まだ時間の余裕があると少なくとも考えられておったわけでありますが、しかし私は、状況は今大きく変化しつつあると考えるべきである。少なくとも北朝鮮にはその潜在能力がありますし、ここ一、二年というところで北朝鮮が十分なウラン濃縮の技術を手に入れ、ウラン濃縮型の、濃縮ウランによる核兵器を手にし、しかもそれを小型化して核ミサイルを保有するという可能性は十分にあると考えるべきであります。  だとするならば、今この時点でもう我々は既に切迫感を持っていかにして北朝鮮の核開発を止めるか、阻止するかということに取り組むべきであると私は考えておりますが、誠に遺憾ながらそういう機運がどこにも存在しない。これは我が国にも私は全く存在していないと思いますし、あるいはアメリカにももとよりでありますし、中国、韓国、ロシアにもありません。  考えてみれば当たり前のことになりますが、この北朝鮮の核問題について日本アメリカ、韓国、中国、ロシアがまともに真剣に取り組まなければ、世界が、国際社会全体がこれに取り組むわけがないわけでありまして、五か国が切迫感、危機感を持たなければ、それは国際社会の危機感、切迫感にならない、当たり前の話であろうかと思います。  これ、私は大変今不幸な、そういう意味では不幸な状況が出現しているというふうに考えておりまして、何よりも今我々に必要とされるのは切迫感であろうかと。切迫感を持たないと、北朝鮮は濃縮ウランによる核開発というものを粛々と進め、ある日、我々は北朝鮮の核、核兵器を保有した北朝鮮ではなくて、核ミサイルを保有した北朝鮮と向かい合わなければならなくなる可能性が十分にあるということを是非強く訴えさせていただきたいと思います。  したがいまして、切迫感を持てば、やることは、当たり前でありますが、当然のことながら止めるための私は交渉を開始すべきだと思いますし、まず大事なことは切迫感を持つことであります。日本自身が切迫感を持つということが重要でありますし、日本が切迫感を持てばアメリカに切迫感を持たせることが可能になるかもしれない。  現在、ブッシュ政権第二期が成立いたしましたが、ブッシュ政権はこの北朝鮮の核問題に対しては切迫感は持っておりません。今回の北朝鮮の外務省声明、二月十日の外務省声明についても、それの評価というのは、それの声明を出したことによって北朝鮮は国際社会から更に孤立することになると。で、そして、我々が六か国協議を通じて北朝鮮の核問題を解決しようとしている、そういう動きに対して、その反対することになるという評価でありまして、北朝鮮が核を保有する、核開発を継続する、核ミサイルを保有するかもしれないというようなことについての懸念というのは一切実は表明されていないというのが現実でありますし、なおかつ、この評価は実は我が国政府も共有しているということになろうかと思いますが、私は、まずその点を改めていただくのが最も望ましいと考えておる次第でございます。  ちょうどいただいたお時間になりましたんで、この辺で終わりにさせていただきます。  ありがとうございました。
  64. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) ありがとうございました。  次に、村田公述人にお願いいたします。村田公述人
  65. 村田晃嗣

    公述人(村田晃嗣君) ただいま御紹介にあずかりました同志社大学の村田でございます。  本日は、参議院の予算委員会公聴会にお招きいただきまして、誠にありがとうございます。  伊豆見教授からは北朝鮮問題について精緻なお話がございましたけれども、私は、日本の外交・防衛政策の中で、とりわけ日米関係を中心に、限られた時間でございますけれども、所見を述べさせていただきたいと思います。  昨年の十月に、小泉総理大臣の私的諮問機関の安全保障と防衛に関する懇談会、座長のお名前を取って荒木委員会と呼ばれておりますけれども、が荒木報告書というのを十月の四日であったと思いますが出しております。で、この荒木報告書の中で、二〇〇一年の九月十一日に安全保障にとっての二十一世紀が始まったという表現が盛り込まれております。実際、九・一一は、アメリカにとっては、これは建国以来、本土の中枢部を外部勢力に攻撃をされたわけでありますから、大変な衝撃でありましたし、世界にとってもテロという、当然以前もありましたけれども、それが極めて深刻な安全保障上の脅威であるということを痛感をさせることになったわけであります。  自来、一期目のブッシュ政権は、いわゆるテロとの戦い、そしてアフガニスタンでの軍事行動、そして二〇〇三年にはイラクへの武力行使というふうに、慌ただしくその四年間を送ってきたわけであります。こうした中で、私はキーワード、もしアメリカ外交をキーワードで表現するとするならば、それはおごりと恐怖であったろうというふうに思います。  御案内のように、今やアメリカ一国の軍事予算が世界全体の軍事予算の四〇%を超えます。世界第二位から二十位までの国の軍事予算を総計いたしましても、アメリカ一国の軍事予算がこれを超えるのであります。恐らく、有史以来、一国がこれほど圧倒的な軍事力を保持した時代はなかったと。そういう意味で我々は、歴史上未曾有の事態に直面しているということであります。  そして、経済に関しましても、もちろんアメリカ経済には様々な弱点がございますけれども、依然としてアメリカ経済が世界のGDPの三割を占めていることも間違いのないところでございます。さらに、今申し上げました軍事や経済と並んで、実は国際政治を考えますときに大変重要な要素は、例えば情報ですとか、あるいは文化的な影響力といったことでございます。  この情報に関して申しましても、今世界じゅうをインターネットが包んでいるわけですね。詳しくお話しする時間はございませんけれども、我々が最近経験したイラク戦争というのは、人類がグローバルなインターネット時代に初めて経験した大規模な戦争だったと。湾岸戦争とはその点で根本的に違うと私は思いますけれども。  いずれにしましても、今、一年間で世界じゅうを行き来しているEメールの数は四兆件でございます。年間四兆件のEメールが世界じゅうを行き来しております。膨大な量のインターネット情報が世界を包んでおります。このうちの八五%は英語でございます。つまり、英語を母国語とする人たち及びその国が情報の分野でいかに大きな優越を初めから享受をしているかということであります。  さらに、その文化というのも非常に多岐にわたりますけれども、例えば卑近な例を一つだけ申し上げますと、世界じゅうの映画市場に占めるハリウッド映画の市場占有率は八五%というふうに言われております。  軍事、経済、文化、情報、すべての面でアメリカは大変圧倒的な優越を保持していると。ここからくるおごりというものと、そして、冒頭申し上げた九・一一で本土中枢部が攻撃をされた。何しろこの九・一一以降、アメリカでも大変愛国主義的な、ある意味で熱狂的な機運が高まってまいりましたけれども、しかしながら、世界最強の軍事大国を襲ったのがハイジャックによる攻撃という、極めてローテクな攻撃でアメリカの中枢部が攻撃されたのであり、そして、九・一一以後の熱狂の中でアメリカ人の多くが星条旗を振っておりましたけれども、その星条旗は実はメード・イン・チャイナという相互依存の中で我々は暮らしているわけでして、アメリカの不安というものは非常に奥が深いものであると。このおごりと不安というのがアメリカ外交のキーワードであろうというふうに思います。  そういうおごりと不安の中で、一期目のブッシュ政権は、その外交政策の実施と運用に際して幾つかの大きな誤りを犯してきたということは言えると思います。しかしながら、アメリカの有権者は、そのブッシュ大統領を昨年の十一月に信任をいたしました。したがって、世界はブッシュ政権とあと四年間共存をしなければならない。  アメリカに対して様々な批判、あるいはブッシュ政権に対して様々な批判があることはもっともなことであります。しかしながら、アメリカに対する、あるいはブッシュ政権に対するいかなる批判も、アメリカとのより良き共存ということを根底に置いた批判でなければ、それは批判のための批判に堕するでありましょう。  そして、二期目のブッシュ政権は、幸いなことに一月のイラクでの総選挙が予想外に良い結果になり、さらに、二月にブッシュ大統領がヨーロッパを歴訪をして、イラク問題で対立機運にあったヨーロッパと少なくとも表面的には関係回復の基調が今見え出しているところでございます。  我々日本外交を考えるに際して大事なことは、この今の機運というものをどうやって盛り立てていくのか、そのために日本外交に何ができるのか、あるいは何をすべきなのかということであろうというふうに思います。  アメリカが再びより国際協調的にならなければならない。あるいは、ハーバード大学のジョゼフ・ナイ教授という方はハードパワーとソフトパワーという言い方をなさっておりまして、軍事力や経済力というのは力ずくで人に言うことを聞かせることができるハードパワーであると、それに対して、魅力、人を引き付ける力、これをナイ教授はソフトパワーというふうに呼んでいるわけでありますけれども、冒頭申し上げたように、大変大きなハードパワーを持つに至ったアメリカがソフトパワー、人を引き付ける力というものの鍛錬あるいは行使をここ数年怠ってきたのではないかという批判をナイ教授はなさっているわけであります。  アメリカを国際協調にいざなう、そしてソフトパワーに目を向けさせると、そのために一体日本には何ができるのかということを我々は考えていかなければならない、そのための環境づくりというものを考えていかなければならないのだろうと思います。逆に言いますと、アメリカほど大きな力を持った国を我々がハードパワーで国際協調に導くことはできないのであって、我々がアメリカに対してどんなソフトパワーを持ち得るのかということを真剣に考えていかなければならないだろうというふうに思います。  さて、その日米の安全保障関係でございますけれども、去る二月に日米の外交・安全保障の閣僚の、関係閣僚の会議、いわゆる2プラス2がワシントンで開かれました。これも御案内のように、今アメリカはグローバルなスケールで米軍の変革・再編、トランスフォーメーションというものを進めております。そして、それは当然在日米軍にも大きな影響を与えるところであります。  このトランスフォーメーション、米軍の再編というものの背景でございますけれども、私は大きく言って三つあるかと思います。  一つは、言うまでもなく、近年急速に進んでいるところの軍事技術の革新ということであります。専門家は軍事技術革命というふうに言っておりますが、コンピューターを軸にした軍事技術の革新ということであります。  この軍事技術革命というのは歴史上何度も起こっているわけでありまして、核兵器が開発されたときにもこれは軍事技術革命でございましたし、銃が開発されたときにも軍事技術革命でありましたし、もっと歴史をさかのぼって弓のようなものが開発されたときにもやはり軍事技術革命であったわけですけれども、このコンピューターを軸にしたハイテク兵器の導入という大変大きな軍事技術革命が今起こっていると。で、アメリカがそこでは一頭ぬきんでて先を行っているということであります。  二番目は、言うまでもなく、冷戦終えん後、ソ連というこれまでの大きな軍事的脅威が変わったと、軍事的脅威の対象が大きく変わったということであります。米軍の再編の最大のターゲットがドイツと朝鮮半島であることは、その冷戦の終えんということを考えれば当然であろうというふうに思われます。  それから三番目は、やはりこれはイラクとテロということなんだと思うんです。  つまり、何といいましても、状況が少し良くなったとはいいましても、依然として米軍はイラクに十数万の兵力を張り付けたままでございます。そして、このテロの脅威というものはグローバルに広がっているというわけでありまして、ここ数年間、確かにアメリカは国防予算を大きく伸ばしておりますけれども、それでもイラクに十数万の兵力を張り付け、世界じゅうのテロと戦うということになると、アメリカの、米軍が抱えるミッションというのはどんどんどんどん広がっていく。それに呼応して必ずしも予算は増えていないわけでして、モア・ウイズ・レス、より多くのことをより少ない人員と予算でやらなければならないという状況に置かれていると。これが再編の大きな理由であろうと思います。  さて、では、その日本との関係ではどうなるのかということでありますけれども、まず、アメリカがグローバルにトランスフォーメーションを考えているということは、在日米軍の整理、とりわけ大変大きな負担を長い間強いられてきた沖縄の米軍基地の整理統合にとっては、これは千載一遇のチャンスであると。このアメリカのグローバルなトランスフォーメーションに日本が積極的かつ迅速に対応できるかどうかということは、沖縄の基地問題を考える上でも極めて重要なことであろうかと思います。  とりわけ沖縄では普天間の基地の移設ということが大きな課題になっておりまして、現在では辺野古への移転というのが既定路線でございますけれども、そこには実務的に考えて様々に難しい問題があって、この際、辺野古も含みながらありとあらゆるシナリオというものを我々は考えてみる必要があるのではないかというふうに思うところであります。  それから、そのトランスフォーメーションの中でアメリカ軍は陸海空と海兵隊の統合、つまり、陸軍は陸軍、海軍は海軍というのではなくって、限られた予算と人員でより効率的に仕事をするために四軍の統合というのを積極的に進めております。これに呼応して、我が陸海空の自衛隊の統合というものをどれだけ進めることができるのかと、これも大変重要な課題でございます。更に申しますと、米軍と自衛隊との協力、これは別の意味での統合でありますけれども、これをどう円滑に進めていくのかというのも大変重要な課題でございます。  在日米軍基地の整理と縮小や統合に当たっては、その一部を自衛隊と米軍が共同使用するということがこれから本格的に議論されていくであろうと思いますけれども、米軍の中の統合、自衛隊の中の統合と、日米両方の協力関係というものを同時に追求をしていかなければならないということであろうと思います。  さらに、私どもはどうしても沖縄の基地問題ですとかあるいは在日米軍の基地の問題を中心に考えがちでありますけれども、アメリカはグローバルな視野で米軍の再編を進めております。これに呼応するためには、日本側としては少なくとも、このトランスフォーメーションの問題を我々がグローバルに考えるというのは難しいかもしれませんけれども、少なくともリージョナルな、日本だけではないですね、東アジア全域を視野に収めた中でこの問題を考えていかなければならない。とりわけ、米軍が進めようとしている在韓米軍の縮小や整理というものが在日米軍のそれにどのような影響を与えるのかということを複眼的に考えていく必要があろうかというふうに思います。  さて、その日本外交についてでございますけれども、先ほど伊豆見教授から北朝鮮問題について詳しいお話がございました。北朝鮮の核開発問題が大変深刻な脅威であることは言うをまちません。伊豆見先生のお話では、この問題に日本人が、日本人がといいますか日本が鈍感であるという御指摘でございましたけれども、ただ、一般の世論のレベルでは、どう対応するべきかということは別にして、北朝鮮に対する関心というものは大変高まっているように私は思うのでございます。  皮肉な言い方をすれば、一九五一年に日米安全保障条約を結んで以来五十年間、半世紀にわたってアメリカ日本に防衛力の増強を求めていわゆる外圧を掛け続けてきた。五十年間のアメリカの外圧よりも、過去十年間の北朝鮮の挑発行為の方がより大きく日本の安全保障政策と世論を変えたと言うことはできるんだろうというふうに思います。北朝鮮については漠然とした不安や脅威というものを国民はかなり持っている。それから、もちろん拉致問題に対する大変なこの憤りということも言うまでもございません。  こういう我が国の国土防衛、つまりミサイルが飛んでくるとかいう話でございますから、我が国の領域防衛に直接かかわる問題については、日本人は、あるいは肝心なときにはアメリカは役に立たないんじゃないかと。肝心なときには、拉致の問題でも核の問題でもアメリカ日本の頭越しにですね、北朝鮮とあるいは中国と取引をしてしまうんじゃないか、本当にアメリカは助けてくれるのかと。ある意味で見捨てられるかもしれないという不安を漠然と国民は持っているんではないかと思うんです。  ところが、他方で、例えばテロの問題、さらには大量兵器の拡散の問題、イラクを始めとした中東の安定の問題というグローバルな安全保障の問題では、こういう問題で積極的にアメリカに協力するとアメリカの世界戦略に巻き込まれてしまうんじゃないか、あるいはそのために日本がテロのターゲットになっちゃうんじゃないかと。逆に、ここでは巻き込まれる恐怖というものをかなり深刻に持っているというので、日本人の安全保障についての考え方がかなり分裂をしておりまして、自分自身にかかわる身の回りの問題ではアメリカに見捨てられるかもしれない、しかしグローバルな問題ではアメリカに巻き込まれるかもしれないという、そういう非常にこのディレクションの違う不安を日本人は今持っているのだろうと思います。  なぜこういうことが起こるのかということでございますけれども、恐らくそれは国際政治の中の日本という、日本自身の自己イメージが不安定であるからだと思います。  一方では、我が国は世界第二の経済大国ではございますけれども、食料の自給率ではカロリーベースでわずか四〇%、一次エネルギーの自給率では二〇%、そして原油の八六%は中東に頼っていると、大変脆弱な国でございます。そういう日本に一体何ができるのかという不安感。そして、ところが、その様々な脆弱性を抱えて三十八万平方キロメートルの国土に一億二千万がひしめき合うこの日本の国際的な権益、利益というものは文字どおりグローバルに広がっているわけであります。今や年間一千万人の人間が海外に旅行をしておりますし、海外に住んでいる日本人の数も百万人に上るわけでありまして、そういう意味で我が国は本質的に極めて脆弱なところを持っているけれども、我が国及び我が国の国民、そして企業の活動はグローバルに及んでいるという非常にインバランスな状況に置かれている。一方で巻き込まれを恐れながら、一方で見捨てられることを恐れるという状況になっているのだろうというふうに思います。  こういう状況から脱却する簡単な方法はございません。できる限り我が国の国力をバランス良く発展をさせていくと、そしてその中で日米関係を中心として緊密な国際協調を求めていくということしか私にはないように思います。外交には秘策というものはないのだろうというふうに思います。  そういう意味で、ややこの国会でこういう説教めいたことを申し上げるのは大変恐縮でございますけれども、福沢諭吉がかつてこういうことを言っております。  外交の事を記し又これを論ずるに当りては自ら外務大臣たるの心得を以てするが故に一身の私に於ては世間の人気に投ず可き壮快の説なきに非ざれども紙に臨めば自ら筆の不自由を感じて自ら躊躇するものなり。苟も国家の利害を思ふものならんには此心得なかる可らず。此心得あるものにして始めて共に今の外交を論ず可きのみ  つまり、外交というものを考える際には、自分自身が外務大臣になったつもりにならなければならない。すると、いかに外交というのが多くの制約を抱えているかということが分かる。個人の立場ではすかっとした格好いいことを言うことはできるけれども、国益の重要な問題にかかわればかかわるほど人間の発言というのは慎重にならなければならない、そういう自制心を持った人間だけが外交を語ることができるということでございます。そういう日本外交が持っているポテンシャルな限界に対する自制心と同時に希望というものを持っていかなければならないのであろうと思います。  最後に、冒頭、私、ソフトパワーというお話を申し上げました。で、戦後長らく我が国は経済大国でありながら十分な防衛力、軍事力を持ってこなかったと。経済力と軍事力との間に大きなギャップがあったというふうに言われてきたわけでして、それはおおむね事実であろうと思いますけれども、しかし、実はもっと大きなギャップがあったのは経済力と我が国の文化情報発信能力ではないかと思うのであります。戦前は軍事において、戦後は経済において大国になりましたけれども、文化や情報という面について日本はこれまでややこれを軽視してきたのではないかと。  そういう意味で、我が国の文化外交といいますか、あるいはソフトパワーの育成というものが長期的に日本外交にとって非常に重要であって、例えば我が国でも文化庁もございますし、あるいは国際交流基金のようなところが非常に地道な草の根の民間の交流や様々な学術レベルでの交流をなさっていますけれども、そういうところの、予算委員会ですからあえて申しますと、文化外交に対する予算的配慮というのが日本外交には欠けるのではないか。しかし、長期的にはこのソフトパワーというものが一国の外交にとって極めて重要なものになろうというふうに存じます。  ほぼ時間でございますので、これで終わらせていただきます。  ありがとうございました。
  66. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  67. 浅野勝人

    ○浅野勝人君 伊豆見先生はテレビでしばしば拝聴をしておりますが、テレビと違って今日は本音の見解を聞かせていただきました。  この一月、自民党総研の若い人十数人を連れて北京に行った折、中連部、中国共産党中央対外連絡部の劉洪才副部長と一時間半、それから日本に知人の多い中国現代国際関係研究所の、中国現代国際関係研究所の陸忠偉所長と一時間五十分ほど別々に話をする機会を得ました。先ごろ中連部の王家瑞部長が北朝鮮に派遣されて、金正日に会って、六か国協議の場に戻るよう働き掛けておりますように、劉副部長も北朝鮮政策の実務者の中心人物なんですね。陸所長は国家安全部系統の研究所の責任者ですから、中国を代表するイデオローグの一人です。共通していたのは、日本経済制裁、経済制裁と言うたびに六か国協議が遠のき、弾道ミサイルを含む核開発の問題が難しくなると強い指摘があったんですね。伊豆見先生と基本認識が同じであったのかなと今思い出しているんです。  私は、拉致問題にらちが明かない限り我が国の国民感情は納得しない、拉致問題の解決は日本にとって核問題と同等若しくはそれ以上に重い課題だと繰り返したもんですから、困ったもんだという顔をされました。これは、日本が独自で経済制裁をしても実質的な効果が少ないというだけではなくて、国連の安保理による経済制裁の道を閉ざしてしまうということを、その懸念への警鐘だったんでしょうか。どんなふうに伊豆見先生、お感じになりますか。
  68. 伊豆見元

    公述人(伊豆見元君) 中国側のおっしゃることは、その彼らの立場からすると非常によく分かるわけでありまして、できるだけ環境を静かに安定的な形でつくりつつ、北朝鮮の核問題を何とか解決したいというときに、日本側が突出して経済制裁という方向に走るとそれが難しくなるということでありますが、一つはこれは口実に使われるということですね。口実に使われるということでありまして、日本経済制裁を発動すれば、北朝鮮はもうそれがけしからぬと言い、そういう日本とは同席ができないと言い、そういう日本を含む形での多国的な枠内での核問題の解決は不可能であると言いという、これは絶好の口実といいますか、それを北朝鮮に与えると。それが中国にとってみれば困るという言い方が一つだろうと思いますし、同時にまた、それは中国にも絶好の口実を与えているという部分もあると思います。  本来ですと、中国は周りから今ちやほやされているような状況でありまして、六か国協議について主導、主要な役割を担って、これまでもそれなりの実績を上げてきたというようなことを周辺からさんざん評価されたりしていますが、よく振り返ってみれば、六か国協議というのは二年、約二年間の間に三回しかできていませんし、その三回の開催されたもので何か具体的な成果が上がったかというと、何一つ上がっていないわけでありまして、これをそのホストしてきた中国というのは、実はある意味では大変無能ではないかと。中国外交というのは一体効力を発揮し得るのか、その多国間の協議の場でそれを仕切るといいますか、十分に形をつくれるだけの能力が中国にはあるのかといえば、私は残念ながらないということがほぼもう既に証明されていると思いますが。  しかし、幸いにして多くの周りの国はその点をつかず、ちやほやしてくれるような状況の中で、うまくいかないというのは非常に困ったなと中国も思っていると思いますけれども、そういうときに、日本経済制裁、拉致問題についての経済制裁というような話をしてくれれば、これまた中国にとっても絶好の口実を与えると。うまく六か国協議が走らないのはやっぱり日本のせいだと、我々が無能だからではないと、日本がいけないんだと、こう言えるというようなことがありますんで、実はその日本の拉致問題に対する姿勢というのは、北朝鮮にとっても口実として使われますし、中国にも口実として使われるということになろうかというふうに考えております。
  69. 浅野勝人

    ○浅野勝人君 続いて伊豆見先生に、もう一つの指摘は、北朝鮮と陸続きの中国、韓国と、日本海を挟む日本とでは切迫感が違うのではないかという意味合いだったように思うんです、しばしば指摘されたことが。まあ、ベルリンの壁が崩壊して東ドイツを背負い込んだ西ドイツを見れば分かるということだろうと思いますけれども、隣国が、隣の国が混乱して崩壊し、国ごと難民が流れ込んでくるような状況が生じるのは好ましくないと。したがって、当面は北朝鮮の現状固定を優先するのが中韓両国の本音のように感じますけれども、これは困ったものだなという思いがする反面、そういう中国、韓国の物の考え方を全体に日本も取り組んでいかなければならない。  その辺りの先生の御見解、いかがですか。
  70. 伊豆見元

    公述人(伊豆見元君) 今の浅野先生の御指摘、大変重要なところだろうかと思います。  確かに、中国と韓国には国境を接しているということからくる、我々の目からしますと過大とも思えるほどの安定志向といいますか、混乱回避、安定志向というのが非常に強く今までも出てまいりましたし、今後もそれが政策の基調になるということはもう間違いないと思います。今の盧武鉉政権あるいは中国の胡錦濤政権の中にもそういう基本的な認識というのはしっかり組み込まれていますし、今後、将来もそれは私は変わらないというふうに思います。  それは、やはり我々としても一定の理解を示さなきゃいけないということだと思いますが、ただ問題は、その反面でありますが、核問題については余りにものうてんきであるということが言えるんであろうと思います。一方で、国境を接しているがゆえに北朝鮮で混乱その他が起こることをあれほど神経を砕いて見ている人たちが、北朝鮮が核兵器を既にある程度持っている、あるいはそれを更に増やしていくということについてはほとんど気にしないでいられるということが、これまた問題だと。  なぜそうなのか。私もよく分かりませんが、一つは、恐らく能力を見下している部分というのが相当反映しているだろうというふうに私は思います。すなわち、北朝鮮にどれほどのものができるのかという、何となく見下した評価というものが中国にも韓国にもありそうだというのが第一点。  そして第二点に、仮に北朝鮮がそこそこの核兵器能力を持っても、それは我々には向けられないのではないかと。とりわけ韓国にそういう傾向があるということは御案内のとおりでございますが、中国にもありまして、北朝鮮の核能力というのは中国や韓国ではなくてむしろ日本でありアメリカに向くんであろうと、ならば構わないとは、までは言い切らないと思いますが、どうもそういう傾向もあろうかと思います。  したがって、この問題についての彼らの認識というのは非常に甘いといいますか、核問題についての中国、韓国の評価というのは極めて楽観的だと思いますんで、私はこの点をやはり正していただくということをやるべきであろうかと。一方で、彼らが非常に強い安定志向を持っているというのは、これは理解せざるを得ないところがあるわけでありますが、しかし他方において、核問題について余りにもそれを軽視しているという傾向は、やはりどう考えても我々にとって受け入れられない、それは改めていただきたいというふうに考えておる次第でございます。
  71. 浅野勝人

    ○浅野勝人君 そこで、日本の対応をどうするかということになるわけですけれども、北朝鮮の経済運営は二重構造になっているようです。稼いだ外貨はすべて国庫に入れるのが普通の国ですが、北朝鮮では金正日個人の懐に入る仕組みが行政としてできているのは間違いないようであります。財務省のほかに言わば第二財務省が存在するようなものです。三十九号と呼ばれる建物がそれを管理している役所です。北朝鮮の独裁専制体制に政治的な危機状況が生じにくいのは、この豊富な金正日マネーを中心に彼の体制を支える支配層が潤っているからだと思われます。従来は、日本からの資金がこの三十九号の有力な財源であったと見られてきた時代がつい最近まであったと認識をしております。  そこで、日本独自でやる経済制裁は知恵を絞って、黙ってそこら辺りに焦点を絞って静かにぎりぎりやる、その一方で先方からの求めにいつでも応じる話合いのルートを開けておく、これが圧力と対話ではないのかなと存じますが、伊豆見先生のお知恵はいかがですか。
  72. 伊豆見元

    公述人(伊豆見元君) 基本的には今の浅野先生のお考え方というのは私は賛成でございますが、ただ、まず、金正日の言わばポケットマネーといいますか、非合法な金を絞るというのは、これは当然やってしかるべきでありますので、制裁的な意味合いを持つということとは私は考えません。この制裁的なものというのは、やっぱりある程度必要なときがありますし、当然それを実行しなきゃいけないときというのは私はあると思っておりますが、それとはこれは完全に区別して考えるべきものであろうというふうに思います。  昨今の油濁法の問題も同じでありまして、油濁法というのは経済制裁だというのに私は全く反対でありまして、本来、経済制裁ということになれば、目的が達成されたらその制裁を緩和する、解除するということがあり得るわけでありますので、そういうものとは全く無縁なものが油濁法の実施であったかと思いますので、あれも経済制裁ではない。  さらに、非合法な北朝鮮の外貨獲得の手段を絞り込んでいくということも、これもやって当然の話であって、制裁でも何でもないわけでありまして、むしろその点についての国際社会の取り組み方が過去数十年にわたって極めて甘かったと、北朝鮮に非合法な活動をほぼ黙認して許してきたということについての反省を我々はすべきであって、今一生懸命北朝鮮の非合法外貨獲得活動を絞り込むというのは、当然今後も一生懸命やって続けていく必要があると思います。  しかも、もう一つこの点のいいことは、非合法な、不法な行為を絞り込む、それを規制するということは、いやが応でも北朝鮮が合法的なことをやらざるを得ない方向に追い込むという意味でもあろうかと思います。不法な形で外貨が稼げないならば、合法でまともな真っ当な国になってお金を稼げばいいではないかと、我々はそれを北朝鮮に言いたいわけでありますし、実際、北朝鮮がそちらの方向に動く可能性も当然あるわけですから、そういう点では非合法なものを絞っていくということはもっと徹底してやるべきだと思います。  しかし、もうほとんど我々は実は手段的なものでいうと効果があるものはやり尽くしちゃったところがありまして、今一番問題なのは、これは御関心をちょっと喚起させていただきたいんですが、恐らく北朝鮮の非合法外貨獲得の手段の中で一番大きい今収入源になっているのはたばこだと思いますよ、私。これ、何と言って言えばいいのか、偽造たばこというか偽たばこと、偽ブランドたばこと言うべきであります。すなわち、外国製のたばこを装った中に北朝鮮製のたばこが入るわけです。  この最大の市場が中国であります、マーケットが。二番目がロシアでありまして、三番目に東南アジア、台湾等というふうになっておるわけでありますが、この中国とロシアがマーケットになっているということは物すごい潜在的な需要が大きいということでありまして、何億という需要が存在しているわけですね。それにこたえられるだけの実は北朝鮮製の偽たばこというのは、パッケージはきちっとある程度できるし、中のたばこもそこそこのたばこが作れるということがあって、その競争力が同じ偽、偽造たばこの中では最もあるたばこですから、ほとんど今北朝鮮製に凌駕されていると考えて間違いないと思います。  これはもちろん不法行為でありますから、こういうものもやはり取り締まっていかないと実は金正日のポケットマネーは絞り込むことは難しいということもありますので、我々、常にそういう点に気を遣うべきであろうというふうに思っております。  ありがとうございました。
  73. 浅野勝人

    ○浅野勝人君 村田先生、肝心のアメリカですが、アメリカもイラクで鳥もち踏んで思うに任せぬ現況が想像以上の重荷になっていますね。アメリカ経済制裁を口に出すときは、最悪のケースを想定して、それを覚悟の上で言う準備が要るでしょうから。在韓米軍をそう遠くない時期に三分の一減らす予定ですね。在沖米軍をイラクに回さざるを得ない、そういう状況の中でどうしても腰が引ける。この状況というのは、先ほどの伊豆見先生の懸念を、まあ言ってみれば進めなさいよという状況を結果として生み出すことになるんですが、アメリカはこのままちんたら行くんですか。
  74. 村田晃嗣

    公述人(村田晃嗣君) 今、経済制裁とおっしゃるのは、北朝鮮に対する経済制裁のことと存じますけれども……
  75. 浅野勝人

    ○浅野勝人君 北朝鮮制裁のことです。失礼しました。
  76. 村田晃嗣

    公述人(村田晃嗣君) まず、御指摘のとおり、アメリカの関心はグローバルに拡散しておりますし、とりわけこのイラク問題、さらにはこの中東の安定化ということが、ブッシュ政権二期目に至っても最重要課題であることは言うをまちません。その意味では、北朝鮮問題に対するアメリカのプライオリティーと申しますか、優先順位は、我が国のそれとは当然異なったものであろうというふうに思います。  それから、アメリカはもちろん、大量破壊兵器が北朝鮮から流出し、拡散することに対しては危惧を持っておりますけれども、北朝鮮のミサイルが直ちにアメリカの本土の安全保障を脅かすというものではございませんから、この点でもやはり我が国と切迫感というものが異なるのだろうと思います。  さらに、ブッシュ政権、一月に発足をいたしましてから二か月ほどでございますけれども、恐らく今のブッシュ政権の中で、朝鮮半島政策についてまとまった見解といいますか、政策というものはまだとても練られておらない段階であろうかというふうに存じます。  アメリカ自身は現に今でも北朝鮮に対して経済制裁を単独で掛けているのでございまして、ずっと前からやっているわけでございますから、我が国が北朝鮮に対する経済制裁をやるかやらないかというときに、単独でやるべきではないという議論は、既にアメリカは単独でやっているわけですから、ちょっと違うと思いますけれども、ただ、伊豆見先生お話しになりましたように、まずそれは北朝鮮が六者協議に復帰しない大きな口実を与え、それから中国の仲介外交がうまく機能しないことを隠ぺいするうまい口実を与えるということになろうと思うんです。  それから、経済制裁が利くか利かないかという話をするときに、一体我々は何をもって利くというふうに考えているのかということだと思うんですね。  政策というものには、一つの政策に一つの目的ということはないわけであって、目的というのは複数存在する。もし日本が北朝鮮に対して経済制裁を掛けるといったときの目的が、北朝鮮経済を弱体化させるとか、あるいはそのことによってこの六者協議なりあるいは拉致問題での北朝鮮の態度を大きく変えさせるということが目的だとすれば、余り利かないといいますか、ほとんど利かない。ただし、この拉致の問題を含めて我が国の国民の意思を表示するという意味では、その点では効果があるというふうに言えるかもしれないということだと思います。
  77. 浅野勝人

    ○浅野勝人君 御指摘のトランスフォーメーションですけれども、一点、アメリカ西海岸のワシントン州にある米陸軍第一軍団司令部は、オーストラリア、ニュージーランドを含む太平洋全域をカバーしていますね。どうやらこの第一軍団司令部を神奈川県のキャンプ座間に移転させたいというのが、日本絡みのトランスフォーメーションの目玉のようです。  政府は、日米安保条約と関連取決めの範囲内でやると明言しているんですけれども、確かに、在日米軍が出動できる範囲というのは極東に限られているわけではありません。極東の外の要因が極東の平和と安定を脅かすような事態があった場合には、例えば在沖米軍が極東の外のその要因を取り除くために出動することは、基地の提供を定めた六条違反にはならない。それはそうですけれども、さはさりながら、それじゃ南西アジアや中東まで極東の周辺ということになるかというと、そういうわけにはいかぬでしょう。  そうすると、第一軍団司令部のオペレーションが極東の周辺をはるかに超えてもっと広い地域をカバーするのであれば日米安保条約とつじつまが合わなくなる。こういう心配をするのは、私のような学生時代が極東条項、安保時代の古い考え方で、弾道ミサイルが既に四十六か国に拡散しているような今の国際情勢から見ると、時代後れの石頭ですか。
  78. 村田晃嗣

    公述人(村田晃嗣君) 時代後れの石頭かどうかは別にいたしまして、だれに限らず、世代を超えて、私どもの安全保障についての認識とか理解とかいうもの、通念というものをはるかに超えるスピードで技術というもの、あるいは国際情勢が今動いていることは間違いのないことであろうと思います。  それで、先生の御指摘のとおり、日米安全保障条約の第六条が言うところの極東というのは、極東における国際の平和と安全を守るという防衛の対象地域であって、米軍のオペレーションがそこに限定されるわけではないわけですね。ところが、これは私の理解では、この国会での長い答弁の中で、ではその在日米軍の活動範囲というものはどういうふうに考えるのかという質問の中で、政府は、おのずと限界があるというような国会答弁をこれまで繰り返してきたわけでありまして、率直に言いますと、その国会答弁に今縛られているということだと思うんですね。  ところが、技術や軍事の実態は我が国の国会の答弁とは関係なく進展をしておりまして、私は第一軍団の司令部の移転問題が最終的にどう決着するかというのは日米両国の実務者、当局、さらには政府、国会の判断することであろうと思いますけれども、しかしながら、我が国の国会内での過去のいきさつを超えて、国際政治の現状は大きく動いているということは理解しておかなければならないことだと思います。
  79. 浅野勝人

    ○浅野勝人君 両先生に三問ずつの最後のですけれども、イラク戦争に至るブッシュ政権内部のプロセスを克明に追った、ワシントン・ポストのボブ・ウッドワードの「プラン・オブ・アタック」を読んでおりまして、これはコンドリーザ・ライス女史がラムズフェルドの後がまだなと確信したんです。見事に予想が外れまして、事もあろうにコリン・パウエルと交代し、アーミテージ氏も当然一緒に退陣をしたと。ネオコン色が一層強まって嫌な感じになったなと思ったんですが、ヨーロッパ主要国と、村田先生御指摘のとおりヨーロッパ主要国とよりを戻すツアーを最優先して、話合いを軸に、力ずくのやり方から柔軟な姿勢に方向転換をしているようにひとまず映ります。これは、ブッシュ二期政権の新しい路線なのか、イラク情勢が予想外の誤算となって重くのし掛かっているために国際的な協調路線を取らざるを得ないだけなのか、村田先生、二分以内で分析をお願いします。
  80. 村田晃嗣

    公述人(村田晃嗣君) 手短にお答え申し上げます。  もちろん、本当のところはだれにもといいますか、ブッシュ政権当局にしか分かりませんが、私の理解では、基本的にはこのイラクでの手詰まりを背景にして取りあえずヨーロッパとの関係回復という、戦術的な手法の変化であろうというふうに思います。ブッシュ政権の根本的な外交理念や路線が変わったというふうには思いません。しかし、外交にとって大事なのは手法やニュアンスでございまして、私ども外国がブッシュ政権の外交理念を変えようと思うのは、これはネオコン以上にネオコン的でございます、人の考え方を根本的に変えようというのは。我々にとって大事なのは彼らの手法とニュアンスが変わってくれることであって、それは日本にとっても国際社会にとっても大きな前進であろうと理解しております。
  81. 浅野勝人

    ○浅野勝人君 ありがとうございました。両先生、どうもありがとうございました。
  82. 榛葉賀津也

    榛葉賀津也君 民主党・新緑風会の榛葉賀津也でございます。伊豆見、村田両公述人、本日は御多忙の中、本当にありがとうございます。  先ほど村田公述人言葉から久しぶりにソフトパワーという言葉を改めて拝聴し、つい先日新聞で見掛けましたインドとパキスタンの外交の問題についてふと頭をよぎりました。  長年カシミール地域をめぐりまして、核を巻き込みました大きな紛争を繰り返しているインドとパキスタンですが、ひょんなことから昨今大変交流が進んできている。実はこれクリケットでございまして、クリケット外交で昨年から数千人、若しくは万単位の方々がインドとパキスタンを行き来し、お互いの国のクリケット交流試合を観戦していると。ずっと昔からこのインド、パキスタンのクリケットという問題は、大変人気のあるスポーツでございまして、何をおいても、すなわちカシミール問題よりも戦争よりもクリケットの方が大事だという大変面白い国民感情がこれまじめにあるようでございまして、両大統領も、クリケットを通じましてお互いの国を行き来することを御本人たちが検討する段階に来ているようでございます。  アメリカはベースボールの国でございますが、野球の原点、ベースボールの原点はクリケットであったなということを思いながら、また村田公述人からおごりと不安という言葉もございました。日米同盟、日米同盟という言葉が昨今大変頻繁に使われるわけでございますが、本当に日本アメリカの同盟国、信頼される親友の国であるならば、やはりアメリカのおごりを戒め不安を取り除いていく、そういうことをお互いにやっていくことが真の同盟国ではないかと村田公述人の話から想像をいたしました。  しかし、戦後六十年のこの節目で、その前にまず我が国がやらなければならないのは、この六十年の歩みを振り返って、謝罪するしないであるとか補償をするしないという戦後総括ではなくて、温故知新と申しますけれども、歴史観に立脚して、これから日本の国を、これからどういう国の形をつくっていくんだという骨太の議論を、私は政治家だけではなくて、学者の先生だけではなくて、国民を交えて未来志向の戦後総括をしていかなければならないと、ならないというふうに思っております。この日本自身がこれからどういう国になっていきたいのかということが余りにも日本人の中であいまいなゆえに、この日本がどのような外交をやっていくのかという軸が備わっていないようにも思えるわけでございます。  そこで、伊豆見公述人に、イラク問題について、これに関連してお伺いしたいわけでございますが、先ほど選挙は比較的良い方向に進んだというふうにおっしゃいました。私も、結果的にですね、選挙は比較的成功裏に終わったという御発言があったかと思いますが、私もあのイラクにおいてよくあそこまでの選挙を完成させたなという思いがいたしますが、他方、日本もサマーワに自衛隊を送っている現状の中で、一体イラクが日本にとってどういう国に今後なっていってほしいのか。それは、内政干渉とかそういうことではなくて、日本としてこれからどういう形の、どういう国の形のイラクとお付き合いをしていきたいのか、それが伝わってきていないわけでございます。ブーツ・オン・ザ・グラウンド、正にあそこに行くことが目的であったかのような錯覚が日本の政治の中にあるのではないか。  その点、アメリカは明確にしているわけでございます。シャリアと言われるイスラム法を中心に国をつくっていこうというシーア派に対しまして、より世俗的なイラクをつくっていきたいというスンニ派、クルドがこれに反対をしている構図なわけでございますが、他方、ブッシュは明確にイラクはイスラム国になるべきではないという方針を打ち出しているんですね。  村田公述人にお伺いいたしますが、日本にとってイラクという国がどういう国であることが望ましいとお考えでしょうか。
  83. 村田晃嗣

    公述人(村田晃嗣君) 劈頭から大変難しい御質問をちょうだいいたしました。  日本にとってイラクがどのような国であるべきかということでございますけれども、これはお立場やお考えによって様々な意見があろうと思いますし、一言で言うことは難しゅうございますけれども、まず安定をしているということ、そのイラク国内が安定をしており、そしてイラクが中東地域全体の不安定要因にならないと申しますか、さらには安定要因に働くような国であることというのが、まず我が国の国益にとっては極めて重要なことかと思います。  更に言うならば、イラクがイラク国民の声を反映した政治形態と政治の運営ができるような国であることが、恐らく戦後我が国が追求してきた様々な政治的な価値観と合致するであろうと思います。それを広い意味で民主主義というふうに呼ぶことはできますけれども、その民主主義の具体的な在り方が、我が国の議会制民主主義と同じようなものなのか、アメリカのような形の民主主義であるのか、その制度、運営のバリエーションは様々にあり得て、イラクの文化的、社会的、宗教的実情に即したものでなければならないというふうに存じます。  そのことに関連いたしましてもう一つだけ申し上げますと、例えば、今御質問のイラクが我々にとって、我々はイラクがどういう国になることを望んでいるのかという問いに答えるためには、実は私はその問いに答えるには甚だ不適格ではございますけれども、私ども自身がイラクについて知っていなければならない、あるいは中東について知っていなければならない、あるいはイスラムというものについてある程度の知識を持っていなければならないわけでございます。  ところが、今回のイラク戦争の勃発で明らかになりましたけれども、一体我が国にどれだけの中東専門家が政府を含めて民間に、ペルシャ語やアラビア語を解し、その地の歴史や文化に習熟した地域専門家というものを、我が国がこれだけ中東に石油を依存しながら、一体我が国はどれだけの中東専門家を戦後何十年にわたって育成してきたのかというと、これは甚だお粗末と言わざるを得ません。  同じことは恐らく、アフリカで大きな紛争が起こったり東南アジアで大きな紛争が起こったときに、同じ程度ではないかもしれないけど言えることではないか。地域専門家というのは、決してインスタントで育てることができません。そういう日本の関心がグローバルに広がりながら、我が国がそのグローバルな関心に呼応した各地域の専門家を育成できていないという現状は、冒頭のお話の我が国のソフトパワーを考えたときに大変深刻な問題であろうというふうに存じております。
  84. 榛葉賀津也

    榛葉賀津也君 ありがとうございます。  来月でイラク終戦から二年がたとうとしておりますが、現地はいまだ混沌たる状況でございます。一部では治安が良くなってきたという報道もありますが、私はそうは理解をしておりません。先日の百二十五名がテロリストによって、自爆テロによって亡くなった。これは民間人ではございませんで、治安当局に就職を求めて列を成している者に車が突っ込んだと。そして、連日二十名単位で現地警察がテロのターゲットになっている。すなわち、テロリストがターゲットを絞ってきたのかなということ。  私が言いたいのは、二年がたってもいまだイラク復興が、国際社会にとっては共通の利害のはずなんですが、これが現状はどうもうまくいっていないということですね。その国際、国際という言葉だけが躍っているんですが、内実がないという状況の中、これ、国際社会がこれだけ関心を持ちながらどうしてイラクの復興がこれほどまでに遅々として進まないのかという解答を自分なりに考えてみたんですが、その答えの一つが、ブッシュのアメリカが私は将来あるべきイラクの姿というものに固執をし過ぎているんじゃないかと、政治的コントロールを手放そうとしていないではないかという思いが、若干なりとも中東問題をかじった人間として感じるわけでございます。  ウォルフビッツとアメリカ国連大使のボルトンがこんなことを言っているんですね。新イラク政権に期待することは何かという問いに対しまして、ウォルフビッツは、アンマン、テルアビブに付いて親米の枢軸国となることだ、イラクにはアラブ連盟からは脱退してもらいたい、サウジの牽制のためにOPEC、OPECからは脱退させないけれどもというコメント、そして米国国連大使のボルトンは、最初にイラク政権にやってほしいのはイスラエルの国家承認だということを言っている。  言いたいことはよく分かるんです。言いたいことよく分かるし、本音の部分ということもよく分かる。しかし、この種の問題は言った瞬間にこれ実現しなくなる問題でございまして、ブラヒミが二年前に言ったように、大変面白いコメントだ、しかし現実的ではない。正に今アメリカが得ることのできる最善の新しいイラクの国の形のシナリオというのは、極めて穏健的なイスラム国家をつくるということが、私は、日本アメリカと、そしてひいては国際社会全体の共通の理念だというふうに考えているわけでございますが、アメリカがここまでストイックになる、このイラクにおける、先生の言葉をかりればアメリカのおごりと不安という問題はどこにあるんでしょうか。
  85. 村田晃嗣

    公述人(村田晃嗣君) これも大変難しい御質問でございます。  まあ先生御自身、御質問の中でおっしゃいましたように、そういう政権要路の人間の個別の発言が必ずしも政権全体の方針を代表するものではないということは明らかであろうと思いますし、それから、ブッシュ政権は今後もこのイラク問題でも引き続き試行錯誤を続けていかざるを得ないと思います。  確かにテロが依然として続いていて、事態が決して楽観を許さないというのは御指摘のとおりでございます。ただ、これはイラク情勢の安定化というものを我々が一体どれぐらいのスパンで考えるかということによるのだと思います。もう二年もたったという御指摘ももちろん可能でございます。しかしながら、わずか二年で戦後のイラクが安定するはずがないという見方も十分可能でございます。  一部に、お名前の出たウォルフォビッツ等々が開戦前に戦後のイラクの占領について日本の占領をモデルにするような発言をして、これは歴史家や専門家からひんしゅくを買ったわけでございます。もちろんイラクが、戦後のイラクが戦後の日本と比べられるわけはございません。一部の人は、イラク情勢の悪化を受けまして、よくベトナムの、第二のベトナムの泥沼化というようなことをよく言われる方もいたわけですけれども、私はイラクをベトナムに例えることも日本に例えることも間違いだろうと思います。  何とならば、今のイラクにはホー・チ・ミンはおりません。ベトナムにはホー・チ・ミンがいたわけでして、外国勢力を追放した後に自分たちのナショナルな国家を建設したいという目的を持った集団がいた。ところが、今のイラクには、米軍その他の外国勢力を追い出してあそこで自分たちの手で何か建設的な目的を持った、そういう活動をしている人たちではない。むしろ破壊と混乱を目的にした勢力であって、ベトナム化というのは私は当たらないと思います。それから、御指摘のように、戦後イラク大変混乱しておりますけれども、これは逆に、戦後日本が天皇制を持って、統治機構が残って、社会の統合機能があったのと比べて、宗教的に非常に複雑なイラクにはそういうものがございませんから、当然日本とも比較できない。つまり、イラクはベトナムでも日本でもなくイラクであるという当たり前の答えに帰結をするんだと思います。  アメリカとの関連で申しますと、私は、不吉なことを言うようでございますけれども、今回のイラク戦争と一番似ているのは、二十世紀冒頭にあった米西戦争を思い浮かべるのであります。米西戦争は、キューバに対するスペインの圧制というものを理由にアメリカはスペインと戦争を始めて、そしてその結果、キューバを保護国にし、そしてフィリピンを初めて植民地支配をしたわけですね。植民地から独立したアメリカが初めて植民地を持ったわけですが、ところがこのフィリピンで反乱に悩まされて、この反乱鎮圧に掛かった歳月は十四年、亡くなった米兵は四千、最終的に展開した米軍は十三万でございます。  二十世紀の初頭でそうでございまして、恐らくある国を占領し復興させるといったときにはそれぐらいのスパンで物を考える必要があるのだと思います。そして、先生が御懸念を表明されたアメリカの中の一部の原理主義的な考え方というのは、今後もブッシュ政権が直面するであろう厳しい現実の中で修正を迫られていくのではないかというふうに思います。
  86. 榛葉賀津也

    榛葉賀津也君 伊豆見公述人にお伺いをしたいと思います。  今イラクの話があったわけでございますが、私はアメリカがイラクに介入する理由というのは幾つか見当たる節があるわけでございます。例えば、民主化であるとか石油の問題であるとか、イスラム国ですからアメリカから見たキリスト教、ユダヤ教といった宗教の観点もあるかもしれません。  アメリカがイラクにコミットする理由は分かるわけでございますが、他方、大変複雑な米中関係を持っているアメリカが、この北朝鮮問題に対しまして介入する意味合いといったものはどういうところにあるのか。そして、言い換えますと、アメリカは、最終的にこの北朝鮮をどういった国にしていきたいのかというふうにアメリカは考えているんでしょうか。
  87. 伊豆見元

    公述人(伊豆見元君) 現時点で、ブッシュ、二期目に入りましたが、ブッシュ政権が具体的な、今先生の御質問にありましたような、あるイメージとかアイデアとかいうものを持っているとは私は余り考えておりません。  ただ、今の北朝鮮を、もちろん御案内のように、暴君が支配する暴君政治が行われている国家だという規定をしてあるわけでありますし、なおかつその暴君の下で大変苦しんでいる国民がいるというその認識もブッシュ政権この過去四年間ずっと取ってまいりました。  可能であれば、当然のことながら、その暴君の下で圧制に苦しむ人たちが解放されて、自由で民主的な、そして自分の生活に不安を覚えない、そういう形になれば一番よろしいと思っていることも間違いないわけですから、今のような金正日体制ではとても成り立たないと考えていることは間違いないと思いますが、しかしそのために積極的に今では金正日体制に終止符を打つべく果敢に動こうとしているわけではないと思います。ですから、より自由で民主的な、国民が幸せな国家になってほしいと思ってはいても、その実現のために今積極的に動くというプランはないと思います。
  88. 榛葉賀津也

    榛葉賀津也君 他方、中国はどうなんでしょうか。  私の同僚議員が、今般、中国若しくはアメリカに行きまして、中国の関係者と北朝鮮問題を議論した経緯がありました。そこで得た感触というのは、どうも胡錦濤は余り金正日を評価していないなという皮膚感覚がございました。他方、人民解放軍を始めとする昔ながらの共産党といいますか古い世代は、やはりいまだに金正日体制というものを大切にしていると、評価しているというような感覚があったという意見もございました。  これ総じてそういうわけではなくて、我々の同僚が感じた感想でございますが、先生から見まして、やはりこの中国というのは、大きな、六か国協議の議長国というだけではなくて、この東アジア全体を見た場合、我々が到底外すことのできないファクターであります。この中国が国内で、北朝鮮に対する中国国内のその意見の違いといいますか、どういったものがあるんでしょうか。
  89. 伊豆見元

    公述人(伊豆見元君) 意見の違いというふうにおっしゃられましたので、それを考えてみますと、恐らく一つは、世代間で見方が異なると思います。  ある程度年配の方たちは、かつて自らが血を流して北朝鮮という体制、国家を救ったという記憶を持っております。すなわち、朝鮮戦争というものを振り返ってみますと、中国が介入しなければ、あの段階で大韓民国が朝鮮半島すべてを制圧して終わるということになっていたことは明々白々たる事実でありますので、北朝鮮を守った、しかも自己の犠牲において守ったということがありますし、それがその後の中華人民共和国の建設にプラスであったという見方を取っている方は、それが前提になって北朝鮮を考える。一方、若い世代の人たちはもうその辺の記憶が非常に薄れておりますから、その辺のことを余り気にせずに今の北朝鮮を考えるということで差があるかと。  ただ、いずれにせよ、共通点がありますのは、基本的に言いますと、私は今の北朝鮮という国家あるいは金正日という指導者を中国が相対的にいって好いているとは思えません。嫌っているんであろうと思います。そして二番目に、恐らく北朝鮮というのをかなり見下す部分があると。これも世代を超え、あるいはいろいろな機関、分野、その他を超えて広範に存在するものであろうというふうに思います。  しかし、それを前提にしましても、北朝鮮の安定というものが中国にとって必要だと。これについても完璧なコンセンサスが恐らく中国内にはあると、これは世代を超えてあると。好きであろうが嫌いであろうが、相手がまともであろうがまともでなかろうが、そういうことは二の次であって、まずは大事なのは安定であって、朝鮮半島が混乱しない、北朝鮮が膨大な軍事力を持ったまま何らかの不穏な動きに走らないということが最低保障されない限りはそのあとのことは考えられないということだと思いますので、その点については、私は中国の方とお付き合いをしていて、見事にすべてどこの声を聞いても全く同じであろうというふうに感じております。
  90. 榛葉賀津也

    榛葉賀津也君 はい、ありがとうございます。  伊豆見公述人の論文の中に、先ほども話がありましたが、北朝鮮に対して国際社会が現状維持による安定の方を優先させているうちに事態はどんどん悪化していくということがありました。つまり、北朝鮮の核兵器開発がどんどん進んでいっていると。そして、先ほど公述人がおっしゃった、余りにも国際社会に緊迫感がないと。その原因は、日本に緊迫感がないと、切迫感がないという話がございましたが、我々政治家がまず切迫感を持たなければいけないのは当然でございますけれども、この日本社会が余りにも、それにしても切迫感がなさ過ぎる、これは一体何に起因しているのか。また、これを切迫感を持たせるには、先生これ専門家とされていらっしゃってどのようにお考えでしょうか。
  91. 伊豆見元

    公述人(伊豆見元君) 私は、核兵器の脅威というのは極めて抽象的な脅威であるがゆえに切迫感になかなか結び付かないんだろうというふうに思います。実際また、先ほども申し上げました北朝鮮の核能力ということについての正確な客観的なその情報というものを我々が手にしているわけではないということも、これが二つ目の理由であろうかと思いますが。  したがいまして、その抽象的な脅威をどう具体的な形で表すかというのが一つ課題だと思うんでありますが、恐らくそれはほとんど無理な話だろうというふうに思っております。  例えば、北朝鮮が核実験をすると日本は変わるではないかと、変わる可能性があるんじゃないかということがよく言われますが、しかしそれは、仮に地上で北朝鮮が実験をしてキノコ雲でも出てくれば、あるいは放射能汚染ということが我が国にまで及ぶということになれば我々にも脅威感、危機感が出てくるかもしれませんが、しかし、北朝鮮が核実験を行う場合は恐らく地中で行いますし、しかも、かなり規模を小さなものを重ねるという形でやる可能性が非常に強いわけですから、そうしますと、目で見えるようなキノコ雲なぞはまず出てくるとは考えられませんし、あるいは放射能汚染というものが日本に及ぶということも、その可能性もある意味では極めて少ないと考えられます。  そうしますと、実は、北朝鮮が核実験をしたからといって日本国内にそういう脅威感が生まれてくるのかどうか、疑問に思っております。
  92. 榛葉賀津也

    榛葉賀津也君 現時点においては、北朝鮮が一定限度限られた核兵器能力を持っているということでございますが、これがずっと先生の御指摘のように黙認されているということですね。  先生の御認識で、この一定限度を超えるというのはいつごろになると予測されますでしょうか。
  93. 伊豆見元

    公述人(伊豆見元君) 一定限度というのをどう見るかでありますけれども、プルトニウムの点でいうならば、既に十分な量を北朝鮮は手にしつつあるともう言うべきであって、それはもう一年、今年現在、今でもというふうに言うべきかと思います。  プルトニウムの面についてというのは、今この程度を持っているんであれば、北朝鮮は実はプルトニウムを使った核実験ができるようになったと。かつては量が少なかったわけですから、プルトニウムを使っての核実験は難しかったと考えられますが、今はできる。さらに、量が多くなったことによって北朝鮮はこれを外に売ることができる、とりわけアルカイダのような国際テロ組織に対して売ることは十分可能だと、それだけのストックを持っているという意味で、そういう点でもう大きな段階を超えたということであります。  二点目は、濃縮ウランに関するものであります。これは冒頭で私申し上げましたように、よく北朝鮮の状況というのを我々はつかみ得ないわけでありますが、しかし、数年という単位で考えるんであれば、北朝鮮が十分な濃縮、兵器級高濃縮ウランを手にする。十分なといいますのは、百キログラムあるいは二百キログラムの高濃縮ウランを手にし、したがって、核実験がそれで十分に可能になり、同時に、核実験で小型化した後、それをミサイルに装てんすることも可能になると、そういう時期が数年後には来ても私はおかしくないと考えております。
  94. 榛葉賀津也

    榛葉賀津也君 残り一分になりました。  最後に、村田公述人に手短にお伺いしたいと思いますが、実は伊豆見先生の論文の中で、アメリカの政策の柔軟性という言葉がございました。私、正にこの言葉を私はアメリカに対して探していたわけでございますが、北朝鮮に対しましても、イラクに対しましても、このアメリカの政策の柔軟性というものが大きな私はキーワードになってくると思うんですが、アメリカにこの政策の柔軟性を取り戻すには、我々はどのような努力をしたらよろしいんでしょうか。
  95. 村田晃嗣

    公述人(村田晃嗣君) 最後まで大変難しい御質問でございますけれども、ただ、アメリカの外交政策は時として大きく変わる、ニクソンの訪中、レーガンとゴルバチョフとの和解に見られますように、アメリカの外交政策は大きく変わる可能性というのは常に秘めていて、実はそのときしばしば対応し切れないのが日本外交であるというのが過去の現実ではなかろうかと存じます。
  96. 榛葉賀津也

    榛葉賀津也君 ありがとうございます。
  97. 山本香苗

    山本香苗君 公明党の山本香苗です。  本日は大変貴重なお話、ありがとうございました。私にいただきました時間は十五分でございますので、端的に演説なしで質問をさしていただきたいと思います。  まず、伊豆見先生の方にお伺いしたいわけなんですけれども、現時点におけます我が国の単独の経済制裁につきまして、先ほどもお話ございましたけれども、先生の御意見とは異なって、我が国の単独の経済制裁に効果がないことはないんだと、まず単独制裁を実行して、状況に応じて更に追加方法、国際的な働き掛けなどを通じて効果を高めていくという方法の方がいいんじゃないかと、そういう意見もあるわけでございますが、この御意見についてどういうふうに見られるのか。  先ほどは六か国協議に対する影響ということも言及されておりましたけれども、そういうふうに言ってしまうと、じゃ北朝鮮が日本経済制裁をしたら六か国協議に出ないぞということを言ってくるかもしれないじゃないかと、そうした場合は制裁ができなくなるじゃないかと、そういった御意見もありますが、この点につきまして、伊豆見先生の御意見をお伺いします。
  98. 伊豆見元

    公述人(伊豆見元君) 私は、やはりその拉致問題を理由にして経済制裁を単独で掛けるのは依然として反対であります。効果はないと思います。  効果がないというのは、拉致問題について北朝鮮の政策を、姿勢を変えさせる上では効果がないということであります。もちろん、懲罰として横っ面を一発ひっぱたこうとお考えであるならば、それは当然効果があります。あるいは、日本の毅然たる態度、メッセージを伝えるという点で効果があるかといえば、それも効果はあるでしょう。  しかし、大事なことは、経済制裁を発動したときに北朝鮮の態度が変えられるのかどうかということでありますので、それは私はどう考えても無理であると、それはあり得ないということを再度といいますか、何回でもそれは強調させていただきたいというふうに思っております。  しかし、私は、経済制裁というのに、そのものについては反対しているわけではありませんし、将来、私はこれは、核問題については本当に一つの選択肢として経済制裁を考えなきゃいかぬと思っております。その際は国連で決議を得て、中国、韓国、ロシアがきちっとこれに参加する形で北朝鮮に対して経済制裁を発動するべきだと思っておりますし、私はそちらの方を優先させるべきだというふうに考えております。
  99. 山本香苗

    山本香苗君 今、核問題についてというお話がございましたけれども、二〇〇三年二月にIAEAの方は北朝鮮の核開発問題を国連安保理の方に付託している、付託するという決議を賛成多数で採決しているわけでございます、採択しているわけでございます。これについて先生の方は、中央公論の論文の中におきまして、これについては六者協議があるので国連の方で今止まっているだけで、六者協議が事実上機能しなくなったら自動的に国連安保理の方で協議することになるでしょうということをおっしゃっていらっしゃいますけれども、先ほどからこの核の問題については切迫性がと、切迫感がないと、切迫感を持たなくちゃいけないんだということをおっしゃっていらっしゃるわけでございますが、逆に、ここにもう掛かっているんであれば、核の問題はもう六者協議に頼らずに、核の問題、日本がもっとぐっと押して経済制裁をやったらどうかという意見もありますが、先生の御意見をお伺いします。
  100. 伊豆見元

    公述人(伊豆見元君) 私は、経済制裁を基本的には考えるべきときがあると申し上げましたし、核問題については経済制裁が必要になるときがあるというふうに申し上げましたが、単独でやるなら同じことでありまして、やはり意味はないということになろうかと思います。  単独ではなくて国連でということですか、安保理でということですか。
  101. 山本香苗

    山本香苗君 そこに働き掛けて……。
  102. 伊豆見元

    公述人(伊豆見元君) はい。国連の安全保障理事会で経済制裁をという議論を積極的にやることは、私は日本の、今年から非常任理事国でもございますので、責務の一つであろうかというふうに思います。  しかし、それだけでいいとは私は考えておりませんで、日本にできることといいますと、日本が独自に単独で北朝鮮と協議する、交渉することもできるわけです。すなわち、日朝正常化交渉というのは、これは包括的な交渉であって、拉致問題も核問題もミサイル問題もすべて協議できる、交渉できるもの、これを拉致問題で動きが一切ない場合には正常化交渉はやらないという立場をずっとこの二年間日本政府は取ってまいりましたが、私は大変我々が持てる機会、持てる手段というものを自ら手を縛って行使しないということをずっとやってきたというふうに受け取っておりまして、大変もったいないことだと思います。  とりわけ、日朝平壌宣言の中では、実は日朝間の安保協議、安全保障協議を立ち上げるということがうたわれましたが、この安全保障協議を立ち上げましょうという声を日本側から起こさないと、これを日本側から積極的に動かないということは一体何たることかと私は大変歯ぎしりをするような思いで見ております。是非、国会でもその点では御議論をいただくのみならず、政府に対して日朝間の安全保障協議を早急に立ち上げるようにという勧告をしていただければと願う次第でございます。
  103. 山本香苗

    山本香苗君 北朝鮮問題につきまして、今度はちょっとアメリカの態度についてお伺いしたいわけでございますけれども、北朝鮮の体制崩壊は願わないというのが公式に言っている立場でございますが、今後六者協議に北朝鮮が出てこない、そうした場合に六者協議のプロセスに期限を設けるかもしれない。それは二〇〇五年末以降、アメリカは対北朝鮮政策に動くのではないか。この見方は元アメリカの北朝鮮問題担当特使が示していらっしゃった、チャールズ・プリチャードさんが示していたわけでございますけれども、今後この六者協議をめぐって想定される状況と、それに対するデッドラインというものについて御見解をお伺いいたします。
  104. 伊豆見元

    公述人(伊豆見元君) 余り六か国協議というのはデッドラインがあるというふうに考えない方がいいと私は思っております。というのは、これ開店休業に私なると思います。機能しないわけですから、機能しなければ開催もされない、動きがないという時期が必ず来ると。しかし、現在この六か国協議という枠組みを維持することにおいてはすべての国が賛同をしているわけですよ。せっかくつくったものはそのまま取っておこうとみんな思っているわけですから、六か国協議という枠組みがなくなることはない。正に開店はしているけれども営業はできないということで開店休業になるということですし、どっかの時点で、例えば経済制裁を国連で発動するということになるとしますと、例えばその発動のすることになるという決議が決まるかどうかという手前で北朝鮮が六か国協議で再びやりたいと言えばいつでも元に戻れるわけですし、あるいは国連が経済制裁を発動した、その結果として北朝鮮が核開発の放棄に動くというのであればまた六か国協議に戻るということでもありますので、六か国協議というのはしばらくは機能が、機能停止ということで開店休業になると思いますが、将来、再びその使う状況が生まれるということも十分に考えられると思います。
  105. 山本香苗

    山本香苗君 焦ってすごい早口でしゃべってしまったんですけれども、申し訳ありません。今度は村田先生の方にお伺いしたいと思います。  本当にそもそも論で申し訳ないんですが、先ほどいわゆる安全保障協議委員会、いわゆる2プラス2についてお話ございましたけれども、その中で、今回、日米両国が共同の戦略目標というものを決めた意味は、単に両者が集まって何か共通認識を共有したというだけではなくて、非常に意味があることだと私は感じているんですが、村田先生の御意見をお伺いします。
  106. 村田晃嗣

    公述人(村田晃嗣君) 冒頭の陳述でも申し上げましたように、我が国も昨年の末に防衛計画の大綱を十年ぶりに改定をしております。そういう意味では、アメリカのこのグローバルなトランスフォーメーションに対して日本が国際的にテロの問題であるとかそういう新たな脅威に対応してどういう防衛政策を取っていくのかという日本側の基本的な枠組みも実は去年の末に大枠がようやく固まったということでございます。そういう我が国の防衛計画の大綱の策定というものを受けて日米両国の閣僚級の会談が開かれたわけであって、ようやく何といいますか、日米のポスト九・一一の戦略対話のスタートラインに立ったというふうに言うことができるのであろうと思います。  それから、御指摘の共通の戦略目標の中に、アジア太平洋地域については朝鮮半島と並んで初めて台湾海峡問題についての平和的な解決という文言が加えられたわけでございますけれども、あえてこの日米の共通戦略目標の中に台湾海峡という文言が言及されたことは、先ほど来御議論がございますように、北朝鮮の核開発と六者協議からの無期脱退、これに対する中国の仲介外交というものに対するアメリカのある種のフラストレーションといいますか、中国外交に対するネガティブな評価というものが、あえて台湾海峡問題がここに組み込まれた一因というふうに考えられるということでございます。
  107. 山本香苗

    山本香苗君 今後、この共同の戦略目標に基づいて在日米軍の再編というものが行われるわけでございますけれども、先ほどのお話の中にもございました、最大の焦点はこのキャンプ座間にこの陸軍第一軍団司令部を持ってくると、移転するということになるんではないかと思っておりますが、このキャンプ座間にこの司令部が、移転させたいとする米国の意図、また目的、これがどう、これを持ってくることによってどうなるのかというところについてお話しいただけますでしょうか。
  108. 村田晃嗣

    公述人(村田晃嗣君) まず、第一軍団司令部をキャンプ座間、日本へ持ってくるということによってこのアジア太平洋地域での指揮統合機能というものを強化したいということが一番大きな理由ではなかろうかというふうに思います。  先ほど冒頭の陳述で申し上げましたように、アメリカは陸、海、空、海兵隊ばらばらではなくて四軍の統合ということを強く意識しておりますし、実際に軍事行動が取られるときにはこの四軍の協力や統合がなければ、陸軍だけ、海軍だけというのでは大規模なオペレーションは取れないわけでございまして、そういうアジア太平洋地域での指揮命令系統の統合ということが大変大きな理由であろうと思います。  それから、アメリカが在外の米軍基地を幾つかにランキングをしておりまして、その中で在日米軍基地というのは最も高い戦略的重要性を帯びるものに位置付けをされているということでございます。  それから、これも冒頭の陳述で申し上げましたように、この在日米軍の再編の問題というのは在韓米軍の再編等を考えていかなければならないわけであって、在韓米軍が、今決まっているところでも二〇〇八年までに一万二千五百人の削減と在韓米軍がスリム化をしていく中で、相対的に言うならば、この北東アジアにおける、あるいはアジア太平洋地域における在日米軍の重要性、戦略的重要性というのが更に高まるということになるんじゃないかと思います。
  109. 山本香苗

    山本香苗君 今は検討中ということで政府の方も具体的な答弁はしていただけないわけなんですが、仮にですね、仮に、今現在、ワシントン州の第一軍団司令部が現在持つ機能のまま、機能のまま座間に移転してきたとすると、日米安保条約の極東条項、先ほどもお話ありましたけれども、兼ね合いで何か問題が出てくるんではないかという指摘があるわけでございますが、ここの整合性というものは、村田先生、どういうふうに取るべきだとお考えでしょうか。
  110. 村田晃嗣

    公述人(村田晃嗣君) その点につきましては、私は相当程度、さっきの石頭ではございませんという御発言と逆でございまして、相当程度柔軟に考えておりまして、私は、安保条約そのものに照らして考えたときに、第一軍団司令部が我が国に移転することが条約そのものと矛盾するというふうには考えない。問題は、我が国の政府の国会答弁と矛盾するということであって、これは国内問題であって国際問題では私は全くないと思います。  しかし、実際問題としましては、まあ先生の御質問は丸々移転すればということでしたけれども、場合によっては、今度は日米の実務者の交渉の中で司令機能の一部を、要するにそういう日本の国内事情に配慮して一部を移転するということもあるいは十分あり得ることではないかというふうに考えております。
  111. 山本香苗

    山本香苗君 最後に、村田先生、もう一つだけお伺いして終わりたいと思うんですけれども、いわゆるイラク戦争後のヨーロッパとアメリカとの間の亀裂というものをこれから修復していかなくちゃいけないという段階で、ブッシュ大統領もああいうふうに回られたわけでございますが、新たにこの修復に亀裂を生むであろうと言われているのがEUの対中武器禁輸の解除措置、解除措置問題ということでありますけれども、この問題については、国内においても海外においても何か余り重要視されていないなというところを感じるわけなんですけれども、これが持つ意味という、解除されたときの持つ意味というものを御説明お願いいたします。
  112. 村田晃嗣

    公述人(村田晃嗣君) 御質問ありがとうございます。  実は、イラク戦争中、アメリカがああいう形で軍事行動を取ったということもあって、単独行動主義のアメリカに対して国際協調と国連を重視するヨーロッパというやや単純な図式的な見方があったかと思いますけれども、今回のEUの中国に対する武器輸出禁止の解除への動きというのは、ヨーロッパ諸国が時として極めて自分たちの国益に基づいて他の地域の安全保障に対する十分な配慮をしない我の強い外交を彼らもやるということを改めて、つまり、各国は基本的に国益で動いているということを改めて示す出来事であったと思います。  EUが中国に対して武器の輸出禁止を行いましたのは、これは天安門事件の後のことでございまして、人権に対する、人権抑圧に対する制裁ということですから、理屈の上では、ヨーロッパ諸国が中国の人権状況が当時よりも改善されているというふうに考えれば解除することはもちろん可能でございますけれども、私はそのように考えませんし、この武器の解除は北東アジアの安全保障にとって非常に大きな不安、不確定要素をもたらすと存じます。
  113. 山本香苗

    山本香苗君 ありがとうございました。
  114. 紙智子

    ○紙智子君 日本共産党の紙智子でございます。  今日は、二人の公述人の方、ありがとうございます。  最初に、伊豆見公述人の方からお聞きいたします。  既にお話も出てきておりますけれども、北朝鮮問題の対応をめぐって、言うまでもなくこの六か国協議という問題、先ほども開店休業の可能性と、実際にはまた使われるというお話もあって、各国が賛成もしているという話もあったわけですけれども、日本の直接の北朝鮮に対する働き掛けと同時に、やはり関係国との共同歩調といいますか、連携でもって対話のテーブルに着かせていくという努力というのは必要だというふうに思うわけです。  その点で中国の影響力というのも一定あるのかなというふうに思うわけですけれども、先日、二月の二十一日ですか、中国の幹部とそれから金総書記とが会談をしているわけです。その中で、朝鮮半島の非核化と核問題は対話を通じて平和的に解決する原則は維持しているといったようなことが述べられたということが伝えられているわけですけれども、中国との関係が重要だということになれば、日本が中国への働き掛けを通じて様々な可能性を追求するということも大事ではないかというふうに思うんですが、この点、いかがでしょうか。
  115. 伊豆見元

    公述人(伊豆見元君) 中国に彼らの持っている影響力を十全に発揮していただいて北朝鮮の姿勢を変えてもらうようにするというのは一つのアイデアでありまして、それを働き掛けるというのはこれまでも日本政府随分やってきたと思いますし、今後も続けるということだと思いますが、しかし、中国が影響力を持っているという意味は、中国は北朝鮮に援助をしていますし、多大な貿易をしておりますし、さらに直接投資もしているという、その三つがあるからであって、その三つのカードを彼らが使って、すなわち圧力として使うということでありますが、そういう北朝鮮に対して与えているものを減らすとか止めるとかいうようなことをやれば、もちろん北朝鮮は動く、の姿勢は変わるかもしれません。しかし、中国はそれを嫌っているというのは先ほど来何回か御指摘したところでありまして、安定というものを前提にしておりますと、中国はそういう手段に打って出ないと考えられます。  実は、唯一中国を動かす道というのはございます。特に、それが日本がやれば確実なところがありますのは、それは実は核武装論であります。  我が国が北朝鮮の核に対抗するために自らも核武装ということを考えざるを得ないではないかという議論日本国内で多くなり、これが真剣な議論というものが行われるようになったら、中国は確実に動くだろうと思います。あえて北朝鮮の安定を損ねるかもしれないというリスクを冒してまでも北朝鮮に圧力を掛けて核兵器を廃棄させようとするでしょう。  しかし、現在、今中国の目から見ると、日本というのは極めてまともな立派な国だというふうに見えるわけでありまして、北朝鮮が核兵器を着々と増やそうとも、そして日本に対してばり雑言を投げ掛けようとも、じっくりと構えて、どっしり構えて、経済制裁をやろうかという声は出ても、核に対しては核をと、我々も核武装をといった話にも全然ならないと。そうしますと、中国の目から見ていると、日本にそういう核兵器開発の口実というものを特に与えるものでない北朝鮮の核開発であったり保有であったりというのは見逃しておいていいと、こういう話になっているんだろうと思います。  ですから、これは実際、ある意味では皮肉な話でありますが、日本が中国を動かすことは私は可能だと思いますが、それは一番効果的なのは核武装論であります。
  116. 紙智子

    ○紙智子君 一方、そういう日本が中国を動かすという話もあるんですけれども、この間、日米の2プラス2で、その共通戦略目標の中に中国、台湾問題を含めたということで、中国の側の反発が、招いているということもあるわけですけれども、こうしたことがこの六か国協議にも影響を与えるということがあるのではないかと。この点についての御意見はいかがでしょう。
  117. 伊豆見元

    公述人(伊豆見元君) 中国はもちろんそういうことを言いますし反発もします。六か国協議にも影響するかもしれないと脅しも掛けてきますが、私は余りそれを気にしないでいいんだろうというふうに考えております。  もちろん、台湾の問題と北朝鮮の問題をある程度リンクさせて、中国に北朝鮮問題で汗をかかせたいんであれば、日本アメリカが台湾問題について中国の側に立ってほしいというのが中国側の考え方であることは間違いないわけでありますが、我々からすればそれは必ずしも結び付ける必要があるわけではありませんね。北朝鮮の問題についても平和的に核問題が解決できればいいわけですし、台湾海峡の平和的な解決というのも我々望むところでありますから、中国はいろいろなことを言ってきますけれども、私はそれをそう真に受けなくてもいいというふうに感じております。
  118. 紙智子

    ○紙智子君 ありがとうございました。  それじゃ、次に村田公述人にお聞きいたします。  雑誌などで言われていることですけれども、沖縄の普天間基地の移転と、それから地位協定の改定、本格的な見直しが必要だというふうに言っておられます。実は、私は去年八月の米軍ヘリの墜落の事故現場にも調査に行きましたし、今年一月も沖縄北方特別委員会委員派遣で再度現地に行きまして、やはりこの墜落事故を通じて、現場検証もできずと、大学の自治も踏みにじられたということで強い怒りが今も続いているというふうに思うんですね。それで、公述人は、地位協定についての改定といった場合に、どこをどのように改定すればいいというふうにお考えでしょうか。
  119. 村田晃嗣

    公述人(村田晃嗣君) 地位協定の改定、私は改定をすべきだというふうにどこかで書いているのかもしれませんけれども、厳密に言うならば、改定をも視野に含めた見直しというものをすべきであると。つまり、地位協定の改定というのは、一部の専門家が言うように、やり出すと切りがない、パンドラのふたを開けてしまって、アメリカが地位協定を持っているのは日本だけじゃなくて各国ある、連鎖的になっちゃう、大変これは煩瑣であると、だから地位協定そのものには手を付けずに弾力運用でやっていこうという議論だけでは私は恐らく政治的にもうもたない。地位協定を改定することも可能性として考えながら議論をすべきときに来ているというのが私の基本的な立場でございます。  そして、もしその改定というものを視野に入れたときにどういうことが検討されるべきかということで申し上げますと、今、いわゆる米軍の被疑者の身柄の引渡しについては、もうこれはほとんど例外なく、昨年の四月でしたか、五月でしたかの日米当局の覚書でもって被疑者の身柄が日本の当局に引き渡されることに弾力運用でなっておりますけれども、もし地位協定の改定というものをも視野に入れて考えるときに、それを明文化するというのは一つの可能性かもしれませんし、それから、より私にとって重要だと思われますことは、環境基準というものについて、やはり地位協定というものがつくられたときと今日との環境に対する考え方というのは随分違うわけでございまして、そういうものについての見直しというものもあるいは可能性かというふうに存じます。
  120. 紙智子

    ○紙智子君 あともう一つお聞きしますけれども、基地の返還を求める声が相次いでいるわけです。それで、普天間基地に代わる新基地を名護市辺野古沖に建設計画があるわけですけれども、これについても長年圧倒的な反対の声で進んでいないと。私は、辺野古への基地の移転はすべきじゃないというふうに思っているわけですけれども、政府はこれをやろうと固執しているわけです。一方、衆議院での予算委員会で大野防衛庁長官が、針の穴みたいな小さな穴かもしれないが良い案が出てくれば見直しは当然だというふうに述べられているんですね。  辺野古移転について、移設については事実上これは破綻しているんじゃないかというふうに思うんですけれども、この点についてはどのようにお考えでしょう。
  121. 村田晃嗣

    公述人(村田晃嗣君) 辺野古移転について強い反対があるのかどうかは私には分かりません。一部の方が強く反対しておられることは間違いございませんが、広範に強い反対があるかどうかは分かりません。  やはりここでも環境アセスメントということが非常に大きなポイントになっているわけでして、目下、県ですか、が進めておられるアセスメントだけで数年掛かると。それから着工ということになると、移転そのものが順調に進んでも十数年掛かるということでございますから、この大きな戦略環境の変化の波の中で十数年待てるかということになると、これはまあ大変難しいところがあるというので、冒頭の陳述で申し上げましたように、もちろん辺野古の可能性というものも、現にその方向で進んでいるわけですから可能性は追求しながら、県内外での、場合によっては国外への移転を含めた柔軟な検討というのが必要である。  ただ、そのときに地位が、基地が移設された後の沖縄の経済というものをどうするのかということについても十分な準備というものがなければならないと考えております。
  122. 紙智子

    ○紙智子君 ありがとうございました。
  123. 福島みずほ

    福島みずほ君 社民党の福島みずほです。今日は本当にありがとうございます。  まず、村田公述人にお聞きをいたします。  基地の再編に関しては千載一遇のチャンスだとおっしゃいましたが、私もそのとおりだと思っています。厚木基地、そして嘉手納の爆音については多くの多くの判決があり、もうこれは違法であると言われているにもかかわらずなかなか解決をしない。辺野古についても、地元沖縄タイムス、琉球新報では八割、九割見直せとSACO合意について言っているという状況の中で、やっぱり地元の声を上げたいというふうに思っています。  で、ラムズフェルド国防長官がラムズフェルド四原則を発表していらして、アメリカ委員会でも歓迎されないところには基地は置かないと言っております。ですから、是非これまた知恵をおかりしたいんですが、千載一遇のチャンスで、イコールパートナーとして日本が地元民の声も受けつつ意見を言っていくときに、どういうことで頑張ったらいいでしょうか。あるいは、アメリカはどの程度地元の声を重要視するんでしょうか。
  124. 村田晃嗣

    公述人(村田晃嗣君) ありがとうございます。  福島先生と御意見が合って光栄でございますけれども、この沖縄の基地問題で、私、先ほども申し上げたんですけれども、我々にできること、そんなにあるわけではないですけれども、やはり幾つものシナリオを私どもが持っているということだと思うんですね。辺野古にこのまま移転を進めるというシナリオ、それからそれ以外に代替のシナリオがどういうものがあるのかと、海外を含めてですね。そういうシナリオについて私どもが、私どもといいますか、日本政府の側がどれだけ具体的なシナリオを用意できているかということが一点でございます。  それから、もちろん地元の声ということはこれは大変重要であることは言うまでもございませんけれども、同時に沖縄が、残念ながらこの戦後の長い歴史の経緯の中で基地経済に非常に大きく依存をしているということはこれはやはり事実でございまして、何百億円かの地代が年間使われているわけであります。そういう基地が移転した後の沖縄のその基地の跡地の振興というものを、じゃ県が、あるいは市が、国がどういうふうに進めていけるのかというようなこと、それから、沖縄の経済というものが、基地がなくなって、そして米軍関係者がもうその分お金を落とさないってなったときに、沖縄の経済の自立、繁栄というものをどういうふうに具体的に、そういう経済政策を国なり県の側が持っているかどうかということが大変重要であって、それなくして移転を語っても交渉は大変弱いものになるだろうというふうに存じます。
  125. 福島みずほ

    福島みずほ君 大田昌秀、今参議院議員、社民党の参議院議員が知事であった時代にプロジェクト、あとプランを発表しておりますし、現在もありますので、是非そういうのを出しつつ、基地の再編の問題についても日本側として意見を言っていきたいと思います。  で、アメリカが、例えば嘉手納や厚木基地の爆音や様々な基地被害について、2プラス2でかなり考慮をしてもらえるのでしょうか。
  126. 村田晃嗣

    公述人(村田晃嗣君) 私は残念ながら2プラス2に参加しておりませんのでその点については存じませんけれども、しかし先生御指摘のとおり、沖縄に限らず基地、私どもが在日米軍を受け入れることによって我が国の安全保障を確保すると同時に、物事何事もそうですけれども、プラスの側面と同時に副作用といいますかネガティブな側面というのは当然あるわけであって、その基地の騒音の問題、犯罪の問題というのはあるわけでございますから、それについては折に触れて政府がアメリカ側に申し入れるというのは極めて当然、かつ重要なことだと存じます。
  127. 福島みずほ

    福島みずほ君 ありがとうございます。  今日、村田公述人からソフトパワーの話がありました。この東北アジアにおいてソフトパワーをどう使うのか、この東北アジアにおけるソフトパワーとは何なのか。で、伊豆見参考人にも、北朝鮮をきちっと国際社会にもっと復帰させる、受け入れるためにどういうことが必要なのか、御両人にソフトパワーについてお聞きをいたします。
  128. 村田晃嗣

    公述人(村田晃嗣君) では、手短に申し上げます。  ソフトパワーというのは、だれがだれに対して使うかによって違ってくる。だから、同じものをだれに対してもソフトパワーに使えるわけではないという非常にこう複雑なものだと思います。  一言で言うことはできませんけれども、しかし私、やはり供述のときに申し上げましたように、陳述のときに申し上げましたように、我が国がこの文化交流ですとか国際交流ですとか、そういう地道な外交を支える面に払っている注意や人員や予算というものは、我が国の規模から考えて必ずしも十分なものではないというふうに考えております。
  129. 伊豆見元

    公述人(伊豆見元君) 北朝鮮を動かすための何らかのソフトパワーというようなことを考えることは、私は難しいと思っております。日本にそういうソフトパワーが備わっているかどうかも疑問だというふうに思っております。
  130. 福島みずほ

    福島みずほ君 どうもありがとうございました。
  131. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人方々に一言御礼を申し上げます。  本日は、誠に有益な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。(拍手)  速記を止めてください。    〔速記中止〕
  132. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) 速記を起こしてください。     ─────────────
  133. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) それでは、引き続き公述人方々から御意見を伺います。  この際、公述人方々に一言ごあいさつ申し上げます。  お二方には、御多忙中のところを本委員会に御出席いただき、誠にありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。  本日は、平成十七年度総予算三案につきましてお二方から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願いいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、教育・子育て・青少年問題について、公述人杉並区立和田中学校長藤原和博君の御意見を伺います。藤原公述人
  134. 藤原和博

    公述人(藤原和博君) 和田中学校の校長をやっております藤原でございます。顔がさだまさしに似ておるものですから、教育界のさだまさしということでお見知りおきいただければと思います。  私が今日まずお話をいたしますのは、公立校、特に中学校を活性化するかもしれない二つの策、私がこの二年取り組んでおるものをちょっとお話をしたいと思っております。一言で言いますと、世の中のダイナミズムをどうやって学校の中に導き入れるかという、そういう知恵でございます。  二つございます。一つは、よのなか科といいまして、私がやっております授業、年間で二十五回の総合科の授業でございます。もう一つが地域本部という考え方、学校の中に地域をつくり出すという考え方でございます。この二つにつきましてお話をしようと思っております。  まず、よのなか科という教科でございますけれども、今、実は学校で子供たちがどういうふうにその社会というものと遭遇するかといいますと、小学校、中学校、高校を通じまして一番その社会のこと、世の中のことを体系的に学ぶのは中学三年の公民の授業でございます、公民。  ちょっとお聞きしたいんですが、本当は、この公民の教科書、議員の先生方はお読みになったことがあられるでしょうか。多分お読みになったことないんじゃないかなと思うんです。一度是非お読みいただきたいと思うんですが、すさまじくつまらないです。こういう教科書で教えられたら世の中のことが嫌いになるだろうなと、あるいは自分が積極的にかかわってそれを変えていけるという、そういう能動的な、そういうものとして世の中をとらえないんじゃないかなという、そういう気が強くいたします。  これに憤りまして私が始めたのがよのなか科という授業なんです。学校で教わる知識をどういうふうに生かすと実際の世の中で役に立つ知恵と技術になるかという、そういうことでございますが、大体そのロールプレーというのを繰り返します。いろんな人の身になって考えてみるということをやるんですね。  例えば、ハンバーガー店の店長になってみて新しい出店計画を練るというようなこと。あるいは実際の市長の身になって町づくりをやるというようなこと。あるいは少年法で、殺人をしてしまった十歳の少年を裁くときに、弁護士だったらどういうふうに弁護するのか、あるいは検察だったらどれぐらいの罪に決めるのか、そういうこと。あるいは自殺の問題も含めます。中学校ではとかくタブーになりがちなんですけれども、もう自殺の問題もタブーにしておけません。御存じのように、交通事故が七千人台になっている時代に三万五千人が年間死んでいて、中学生の父親の世代の死因のナンバーワンが自殺ですから、こういうことも教えなければいけないと思っています。  それで、例えば、本当だったらこの場で先生方に模擬授業でやっていただきたいぐらいなんですけれども、お二人ずつ組んでいただいて、片方が今からもう自殺をすると決めている、そういう人、もう非常に思い詰めている人、もう片方が、それを、駆け付けて、もうビルの上にいるというような感じで駆け付けてそれを止める人ですね。この自殺抑止ロールプレーイングという、テレビで話題になりまして、「ジェネジャン」という番組で何度も放映されましたけれども、こういうことをやると一度そういう自殺というものが意識の上に上りますから、自分がそういう状況に、あるいはそういう気分になってしまったとしても、少し逃げる、心の準備ができるかなというようなことでそういう科目も入れております。大体年間二十五回やるわけです。  政治のところを本当にダイナミックに教えたいというふうに思いまして、私は政治のところだけで七回ぐらいを使いましてこのよのなか科やっているんですけれども、この中では、例えば「シムシティー」というゲームを作り、使いまして、実際に市長になって税金を設定したり、あるいはその税金で、徴収した税金で町をつくってどれぐらい住民が増えるかということをゲームでやるわけです。そういうことをやった後に、実際に学校に本物の市長、すなわち杉並区の場合には区長ですけれども、呼んできまして議論をさせるということをします。その後に今度は、杉並区が一番困っている自転車放置問題ですね、これを子供たちにグループで議論させて、どうやったら解決するかということを案を練らせまして、それをまた、議員を連れてきて、議員が講演しちゃうんじゃなくて、議員が説教するんじゃなくて、議員の人に子供たちがプレゼンテーションするという、それを議員の人が最後講評するという、そういうようなことをやっています。  一方、実際、社会科の授業で教科書を使うとどういう授業をやっている、やっているかといいますと、大体政治のところは最初、基本的人権、憲法がありまして、参議院、衆議院、国会の役割、そして行政、司法、地方行政と、こういうふうに来るんですね。ところが、三年の公民の授業ですので、こういう順番で来ますと、大体最後、地方行政というところは飛んじゃって、もう試験の期間になっちゃいますから、もう教えないでそのまま卒業させちゃうわけです。  そういう中で、地方行政、一番自分の身近な行政の問題、自転車放置問題含めてですね、あるいは政治の問題に無関心の若者がどんどん増産されても不思議はないと私は思っています。もっと身近な、身近な題材を取って教えるというようなことが大事だろうなというようなことなんでございます。  このよのなか科で教えている幾つかのキーになるイシューはほとんどの中学校では教えられていないイシューです。お金の問題ですね、身近な経済、それから身近な政治、それから身近な現代社会の諸問題、少年法、自殺、宗教その他を含みます。こういう教科が全国の特に中学校、公立の中学校できっちりと教えられれば、自分たちが社会科や理科、数学や国語で習ったことをどういうふうに組み合わせれば実際の役に立つのかという、そういうイメージがわき、かつ世の中に対してもう少し積極的なイメージを持つ子供たちが育つというふうに思われます。  そうでなければ、今の教科書だけで平面的に知識の千切りみたいな形で教えていますと、やはり大学を卒業して世の中へ出るときにどういうふうにかかわっていいのか全く分からないという、その子たちがやはり将来的にフリーターやニートになるんだというふうに私は考えております。  もう一つ、地域本部というものについて御紹介をしたいと思います。  今、教育の世界では、いろんな子供たちの問題、心のいろんな問題ですね、地域にもっと学校を開いて、地域の人たちのエネルギーを学校に入れてくればいろんな問題が解決するというようなことで、文科省も含めて学校を地域に開くということがお題目になっています。  ですが、皆さんに是非考えていただきたいことがあるんです。今、ほとんどの学校を、学校を地域に向かって開いても、その開いた先の地域というのがほとんど死んでしまっています。例えば町会長あるいは商店会長、ほとんど七十代の方です。一年に一遍のもちつき大会を実施するのがやっとで、逆に中学生、是非出してくれと、出してくれないと続かないという、むしろエネルギーをこちらが奪われるぐらいの、そういうような感じになっています。もっと地域が活性化しているそういう時代であれば、多分我々が生きた時代であれば、学校を開くことで地域のエネルギーが入ってきたんだと思うんですが、今ではそれは不可能です。  そこで私が考えましたのが、それでは地域というものを学校の中につくってしまおうということで、事務局長をPTAの元の会長にお願いしまして、学校の中に地域本部というものをつくりました。ここに巻き込まれてくるのは、従来型の地域の方々ではないんです。町会長とか商店会長とか、保護司の方とか青少年委員とか、そういう方々じゃなくて、もうちょっと若いお父さん、PTA活動にもほとんど巻き込まれてこないような、技術を持った父親たちだったり、つまりコンピューター、手をかしてほしいとか、図書室の改造をやりたいというようなことで手をかしてくれますから、そういう人だったり、あるいは地域の大学生で教員になりたい大学生だったりいたします。  そういう若手のパワーを使いまして和田中学校では何をやっているかといいますと、まず図書室を改造いたしまして、これは結果的には利用者が十倍になったんでございますけれども、明るい図書室を造りました。そして今では、毎日PTAのOGが司書代わりに三時から五時まで訪ねてきて子供たちの世話をしています。それからコンピューターの世話も、先生たちなかなかできませんので、地域の主に若いパワーでやっています。  それから土曜日です。土曜日が休みになっておりますけれども、土曜日復活論議もあるようでございますが、土曜日、私のところでは寺子屋といいまして、教職員になりたい大学生を集めまして、子供たちを集めて、言ってしまえば地域主催の私塾のような形、寺子屋を毎週、ほとんど毎週、年間三十回開いています。そこで自主的な学びも起こすようにしている。  あるいは五千坪ある敷地の緑のお世話、もう用務の人だけではとても事足りません。それも地域本部の仕事として地域の人たち、若い人たちでガーデニング好きな人一杯いますから、そういう人を巻き込んでやっているわけです。  こういうことになってきますと、大体和田中で今百人ぐらいの学校サポーターが地域本部というところで組織化されて動いています。教員は小さな学校なんで十四、五人しかいませんけれども、教員と同じぐらいの数ですね。地域のサポーターによって、もう毎週十四、五人がどんどん入れ替わり立ち替わり来られているという、そういうスタイルでございます。  これによって、我々が育ったときにありました家族の中の斜めの関係、兄弟がいる、あるいはおじさんがいる、おばさんがいるという、そういう斜めの関係。それから、地域社会にあった当たり前の斜めの関係。いろんな、海外のことを教えてくれるおじさんがいたり、危ない遊びを教えてくれるお兄さんがいたり、本のことをやたら詳しいお姉さんがいたり、そういうものが全部抜け落ちていますので。  さらにまた、学校では今、杉並区などはほとんど学年二クラスになっています。二クラスで担任二人ですと、もう大人のモデル、大人モデルにすごく限りがありますね。なので、将来像を抱くにも、もっとモデルがたくさん多様にいますと豊かにイメージを抱けるわけですけれども、非常に狭い大人モデルでイメージを抱かざるを得ません。ということで、学校の中に地域をつくり出す、それによって、その人たち、学校の中へどんどんどんどん訪れる人たちと生徒たちとの斜めの関係をプロデュースして、子供たちが健全な大人モデルを探せるように、あるいはそれが将来的には子供たちのキャリア観につながってくるというふうに信じているわけです。  今お話ししましたよのなか科という教科、総合科としての教科とそれから地域本部という、こういう具体的なお話を今いたしました。和田中学校で実際にそれに取り組んでいるわけです。  ここには幾つか資金的なバックグラウンドもあります。杉並区がやっております学校サポーター制度という、こういうサポーターに時間にかかわらず一日二千二百円、まあ交通費程度ですけれども、そういうものを支払う制度です。これもどんどんどんどん活性化していきますと、やはり足りなくなっていきます。それで、国が設定しました居場所づくり事業、この予算も使わせていただいております。特に平日の放課後、それから土曜日についてですね。こういう言わば生徒たちの人づくりに投資される、斜めの関係、いろんな学生たちが来たり地域の人たちが来る、それを支えるようなそういう資金的なバックグラウンドも是非整備していただきたいなと思う次第でございます。  和田中学校で実践をしております例を二つ、よのなか科と地域本部の例をお話しいたしました。ありがとうございました。(拍手)
  135. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) ありがとうございました。  次に、環境について、公述人財団法人日本生態系協会会長池谷奉文君の御意見を伺います。池谷公述人
  136. 池谷奉文

    公述人(池谷奉文君) 本日はこのような貴重な席にお呼びをいただきまして、心から感謝申し上げます。  御承知のとおり、一九九二年に日本も持続可能な社会をつくるということで国際的な約束をしているわけでございます。この持続的な社会と申しますのは三つの要素から成り立っておるわけでして、一番目が基礎となります自然生態系をどう守るかということが一であります。その上に持続可能な経済、つまり第一次産業から第二次産業、第三次産業までをどうするかという問題。それから、その上に社会、簡素な、質素な生活をしていこうではないかという問題。つまり、自然生態系と経済と社会、この三つの要素を持続可能なものに変えていくということを国際的に約束しているわけであります。  しかし、日本の現状を見てみますとそうはなっていないわけでありまして、端的に申し上げますと、例えば都会、大都会は、東京でございますが、東京の夜中の一時、二時に上空をカラスが飛んでいる。明らかに異常でありますし、田舎へ行きましても普通にいたメダカがいない。まさしく日本の自然生態系が音を立てて崩れているわけでありまして、日本の持続可能性というものを多くの野生生物が赤信号を点滅しているという状態になっているわけであります。  そこで、パワーポイントを使いまして、どこが問題なのか、どこが国づくりとして問題であったのかをちょっとごらんに入れたいと思います。(資料映写)  現状はこういうことでございまして、我々の生活というものは自然生態系から成り立っておりまして、自然生態系を資源という見方からしますと、生物資源と非生物資源に分けることができます。この非、この我々の生存基盤を自ら破壊しながら、もしうまく使えば生物資源は持続可能にこううまく使える、再生可能でございますが、非生物資源は使えば使った分だけなくなるわけであります。  この両方の資源を、多くの破壊をしながら我々の第一次産業、第二次産業で大量生産をし、大量流通をし、大量消費します。このときに、流通のときに外国からの大量の輸入が入ります。つくったものはすべてごみになるというのは、これは原則でございますので、輸入したもの、つくったものはすべてごみになります。大量のごみが出る。これが環境問題でありまして、環境問題の一は自然生態系の破壊であります。二番目が、結果として出てきます二酸化炭素を始めとする多くのごみ問題ということになります。  どうぞ。持続可能な社会といいますのは、この自然生態系、太陽光線と大気と水と土と多くの野生生物、この五つの要素であります。この自然生態系の上に、持続可能な農林漁業、それから第二次産業というものを乗せて、第三次産業は、極力車を使わない、徒歩と自転車と公共交通の世界にする、極力輸入を少なくするということが基本であります。その上に、質素な生活をして子供たちに自然体験をさせるという、結果としてごみの量がぐっと減ると、こういう社会が持続可能な社会であります。  どうぞ。この持続可能な社会を支えます自然生態系というものが健全であるかどうかということの指標といたしましては、ここにいます多くの野生生物が健全にその地域にすんでいるかどうかということが基本でございます。太陽光線と大気と水と土と多くの野生生物、これが自然生態系であります。これが健全にいるかどうかということが日本の将来が明るいかどうかということの基本になります。  どうぞ。最低限ですね、その地域、国土計画、地域計画を考えますときに、自然の固まりを残してつないでいくという原則がございます。これを、ビオトープネットワーク又はエコロジカルネットワークというものがこれでございまして、自然を固まりで残しておく、つないでいくということが町づくり、国づくりの基本だということになります。  どうぞ。そういったことから、世界ではこういったことをその目標にして国づくりが二十年ほど前から始まっているところでございます。どうぞ。最も早く手を付けましたのがオランダでございまして、海岸線の自然と内陸部の湿地帯と、この黄色が森林でございまして、これをつないでいきましょうという政策をつくっているところであります。  どうぞ。日本の現状をちょっと見てみたいんでございますが、まず産業別に見てみたいと思います。  まず、農林漁業でありますが、まず農林業といいますのは、実はこの農業、林業というものは土壌を利用します産業でございまして、したがってどこを将来世代の自然環境として残しておくのか、どこを林業として使う、どこを農業として使うかという土地利用をきちっとまずしてから、で、この農業、林業というものを持続可能なものに変えなきゃいけない、変えていく必要があるわけであります。  どうぞ。しかし、残念ながら現状は、日本の基幹農業は水田でございまして、水田をつくる場合に、どこは自然のアシ原として、遺伝子資源として将来世代に渡すのか、どこを開発するのかということを決めなければいけませんでした。しかし、残念ながらこの考え方は日本にはございませんでした。どうぞ。将来世代の財産を残すということがなかったわけで、特に、このウルグアイ・ラウンド対策費を使いまして新農政が始まっておりますが、こういったところに細々と自然が残っております。どうぞ。それを固めているわけで、将来世代の財産がないわけであります。どうぞ。持続可能な農業とはどうも言いにくい。多くの野生生物が累々と死んでいるわけであります。メダカがいない、カエルが鳴かない、蛍が飛ばないと。どうぞ。こういうところが農地にたくさんあるわけでございまして、自然を固まりで残してつないでいくという発想がほとんどないわけであります。  どうぞ。林業も同じでございまして、本来、調べてここには多くの野生生物がいるんだから、ここは自然の自然林として残す、ここは我々の世代として利用さしてもらう、林業として利用さしてもらうというこの考え方、これがありませんでした。したがって、国土の多くを人工林に変えたわけであります。どうぞ。結果としてこういったモノカルチャーな林業をしたわけでございまして、当然、経済が変わったときにもうもうからないということが起こる。当たり前のことが起こっているわけであります。どうぞ。そういう中で、その採算に合わない農業を、林業の現状がある中で、今もってその林道だけがこう進むと、どうぞ、いうところは大変問題があるということになります。  漁業も同じでございまして、本来、どこは自然の湾として残しておくのか、どこは漁業として利用するのかという土地利用をきちっとしなきゃいけません。このことをしてこなかった。ほとんどの湾という湾を現代世代の利便性のために使ったわけでありまして、多くの自然破壊をしております。  どうぞ。遠洋漁業、近海漁業も同じでございまして、本来、太平洋のマグロ、日本海のマグロ、そこで日本生活を成り立たせるのが基本でありますが、何と地中海を越えて持ってくるというこの異常さであります。  どうぞ。第二次産業も同じでございまして、この車というもの、まだ使えるにもかかわらずどんどん捨てるんであります。日本のこれだけ多くのごみ問題が、環境問題が起こっているにもかかわらず、日本の財務省はこの普通乗用車の耐用年数を六年で何も変えていないんであります。大変大きな問題があります。  どうぞ。IT時代だということになりますと、こういったものをどんどん捨てる。三年もたちますと、もはや部品もないと、どうぞ、いうことが起こります。最もひどいのが携帯電話でありまして、現在では四千万台も捨てているわけでありまして、これが実は何を指すのか。実はハイテクというものは技術だけではできません。重要な物質を使うんです。  どうぞ。それが何かといいますと、レアメタルであります。金がまだたくさんあれば問題ないんですが、実は金の可採年数はたった十六年であります。銀の可採年数はたった十四年であります。そういう中でこれを使い捨てるということがいかにまずいことかということになるわけであります。  どうぞ。第二次産業の建設業、これも同じでございまして、木造住宅をどんどん捨てるわけでありまして、なぜ捨てるかといいますと、この耐用年数が、木造住宅、日本ではたったの二十二年であります。アメリカのツーバイフォーでやってもあれは百年もつというんです。なぜ二十二年なのか。当然、百年に延ばす必要があるわけであります。どうぞ。この日本の伝統文化であります法隆寺見まして、千三百年たっても堂々としているこの文化があるわけであります。なぜこれを参考にしないのか。どうぞ。大変問題が大きい。  第三次産業も同じでございまして、激安、激安、激安、国民に多くのものを買ってくれというんです。猛烈なごみが出ているわけであります。解決していないわけであります。どうぞ。その裏で、持続可能な商店をやっていた店が全国でつぶれてシャッター通りができているんであります。このことが健全な日本の発展とはとても思えないんであります。  どうぞ。結果として、日本国民は何と六・三トンのごみを平均出しているわけであります。当然もう捨場がなくなります。どうしてもそこを何とかごまかさなきゃいかぬということになる。どうぞ。結果として、どうするかといいますと、極力燃やして二酸化炭素に変えて世界じゅうにばらまくということをやるわけであります。どうぞ。結果として、二酸化炭素が近年ぐっと増える、温暖化が進む。当然のことが起こっているわけであります。  どうぞ。公共事業を見てみましょう。この自動車道路というもの、これがあと何年もつんだろうか、何年我々としてこれを使い得るんだろうかということになります。これ石油がもっているわけであります。石油の可採年数はあと四十年前後、しかも実は石油の需給バランスが逆転しますのがあとたった五年前後ということになってまいりました。あのモータリゼーションの進んでいますアメリカですら、もはや車の時代は終わりだろうということが言われているわけであります。そういう中で、今この車の高規格道路を造るということが本当に日本の国のためになるかどうかです。大変問題が大きいと。どうぞ。指摘せざるを得ません。  単位面積当たり最も道路を造ったのは、世界一道路を造ったのは日本であります。イギリス、フランスの二倍、アメリカの五倍造っているんでありまして、これで将来世代にどういう国を渡そうとしているのかよく見えません。  どうぞ。公共事業のあと一つ大きいのが河川の関係であります。これはある県の国立公園の中の渓流であります。どうぞ。この渓流をコンクリで固める。こういう国は発展途上国でも余り見ることができません。  どうぞ。もう少し下りますと、ダムを造ってあります。ダムを造ることによって我々世代は水が常にあり、電気も起き、防災上もいい。確かにいいんであります。しかし、将来世代から見ると全然違うんでありまして、これも全部ごみになります。ごみになったときの処理方法はどうするのか、その費用はどうするのか、だれも考えていないんでありまして、全部将来世代に処理を任す。その利益は我々の世代が食べて、で、将来世代にはごみを渡すという大変まずいことが起こっているんであります。どうぞ。それだけではなくて、水を止めますから下流、水がない、水がちょろちょろしかないとか又は全然ないというような川が続出しているわけであります。どうぞ。ということは、多くの将来世代に渡す遺伝子資源がどんどん失われているという状態であります。どうぞ。春の小川が農山部にあった。ここに公共事業が入りました。どうぞ。こういうふうになります。川を蛇行させりゃいいってもんじゃないんだろうと、こう思うわけであります。  どうぞ。これはもう少し川もいよいよ河口へ行きますと河口堰、日本には百九の一級河川がありますが、百八造ったんであります。これを造ることがどう意味があるかと言うんですね。  実は、この河口堰というものは、汽水域といいまして塩水と淡水が混ざっているところであります。川の中で最も野生生物の種類と数が多いところです。つまり、将来世代の財産が一番あるところで、ここをまともに破壊するわけですね。将来世代から見たら大変迷惑なものだということが分かっていません。しかも、ここで水を止めますから、上流側の都市計画に問題があり、農業に問題がある。その結果、富栄養化した水を流します。そこが止まります。どうぞ。そういたしますと、アオコが発生する。発がん誘因物質を出しますから、この水が飲めないんですね。  どうぞ。そうすると国民はどういうことを起こすか。それとともに、あと一つ河口へ行きますと、こういった干潟を壊すということが起こるんですね。これは陸域と海域の生態系をつなぐエコトーンといいまして、重要な自然の宝庫でございまして、バイオマスとしても熱帯雨林と同等の価値がある。これを今もって壊すということが起こっているわけでありまして、大変な問題であります。どうぞ。結果として、我々として、何と石油も、石油よりも高いフランスの水を飲む時代が来てしまったというんですよ。これが日本の利水が本当にあったのか大変疑問に思うところであります。  どうぞ。都市計画も同じであります。将来世代の遺伝子資源として自然を固まりで残してつないでいくという最低限のことがほとんどやられていないわけでありまして、大人の利便性だけを追求した町でございまして、将来世代の子供たちがここにいるんでありますが、最も大切な自然体験ができない。当然子供がゆがむわけでありまして、当然犯罪が起こる。当たり前のことでありまして、明らかに都市計画というものは誤ったということが言えます。  どうぞ。しかし、細々と自然環境が残っていますのはこういった河川敷、わずかに残っています。ところが、ここに公共事業が入ります。どうぞ。コンクリで固めるわけでありまして、ここに桜並木をつくって大喜びをする。桜並木というものはこれはモノカルチャーでして、決していいものではないというのは世界の共通の認識でありまして、明らかにまずいわけで、持続可能性もあるものではない、持続可能な社会のこうつくるものではないわけです。このことが分かっていないわけです。もう春になりますと、もうマスコミがもう桜、桜とやるわけですが、大変な問題が多いわけです。  さすがにコンクリで固めますと、どうぞ、味気ない、そこで親水護岸というまたお金を掛けてやるわけです。で、こういったところに生き物欲しい、どうぞ、どういう生き物かというと、こういう生き物でいいんだということがまじめにやるわけであります。  どうぞ。学校へ行きましょう。どういう学校が、これ最も大切なものは実はすべての教育に優先するものは環境教育であります。ところが、環境教育をすべき学校が、何とここに緑化はしているんです。イチョウ並木、モノカルチャーなんですね。これでは子供たちに環境教育をできる環境ではありません。  どうぞ。玄関先に回ります。大切な野草、その地域の自然というものが全くありません。園芸品種だけです。これでは環境教育はできません。よせばいいのは、PTA、「希望の木」なんて書きまして、この大きなツゲの木を植えているんですね。これでは生物の多様性が全く分かりません。どうぞ。結果として、子供たちに絵をかいてもらいますと、「自然を大切にしよう」、チューリップを踏みつぶすことが自然破壊だとかくわけであります。  どうぞ。通学路であります。ここにはドジョウもいた、メダカもいた、ほとんど壊しました。どうぞ。今の子供たちから日本の川を見ると、こう見えるんであります。おりの向こうに川があるんです。これで健全な次世代ができるとはとても思えない現状であります。  どうぞ。こういうことをやりますと、間もなく日本も日没を迎えるだろうと、どうぞ、いうことになります。  二十年ほど前にそういうことにいち早く気が付いたヨーロッパの国々、特にドイツであります。自然を固まりで残してつないでいくということをきちっとやっているんです。この一つの固まりが約二千ヘクタールであります。つまり、自然生態系のタカやフクロウがきちっとすめるかどうか、つまりそのことによってカラスが異常に増えないということが起こるわけですね。どうぞ。自然を固まりで残してつないでいく、最低限のことはきちっとやっているわけです。こういった図が日本には一つもありません。  どうぞ。これが自然の固まりの自然公園です。どうぞ。きちっと残して将来に渡す。  川、以前は蛇行しているものを真っすぐにした。これはまずかったと。どうぞ。そこで、自然再生であります。ここに植えるのはその地域に昔からあった植物、どうぞ、を植えてまいります。どうぞ。そうすると、この野鳥の遺伝子、この野草の遺伝子、この草の遺伝子、これが将来世代の基本財産であります。  どうぞ。農地も同じでございまして、農地は土壌が失われやすい。これが横線でございまして、ちゃんとその地域を調べて、円形の多いところ、野生生物、つまり遺伝子の多いところ、遺伝子が少ないところ、これをつないでいきましょう、自然を固まりで残して、つないでいくということをやっているわけです。どうぞ。農村計画で、これでは将来世代の財産がありません。どうぞ。そこで、もっと区画を小さくして、自然を固まりで残してつないでいくということを農業、農村の農地の中でもやっているわけです。  どうぞ。また、水路というものもコンクリでは多くの野生の生き物は住めませんで、こういった自然の土水路に変えている。そうすると、将来世代の遺伝子が守られます。この将来世代の遺伝子を農家の人が守る。つまり、将来世代の財産を農家の人が守りますから、当然、その人に国家としてお金を払っていいわけですね。これがヨーロッパが進めています環境とリンクしたデカップリング政策というのがこれでありますね。残念ながら、日本はこれをやっていないわけであります。  どうぞ。道路も同じです。これは我々世代の財産であります。しかし、将来世代の財産を分断することが起こります。そこで、地下に埋めます。どうぞ。下を道路が走り、将来世代の財産を残す。どうぞ。これはオランダでございますが、以前に高速道路で自然を分断した。それを後からトンネルを造って左右の自然を結ぶ。こういったことはヨーロッパでは普通に行われております。残念ながら、日本では一か所もやられていないんであります。  どうぞ。鉄道も極力地下に埋めて、上を自然にしている。例えば、東京の山手線を地下に埋めて、周りを自然にしてやれば自然が残っていく。そのくらいの発想がどうして日本では出ないのか。どうぞ。明らかに問題だと。  それから、これは街路樹でございますが、その地域の自然をつないでやる。どうぞ。イチョウ並木じゃ駄目だということなんですね。公園です。芝生はモノカルチャーですから、芝生は駄目なんですね。その地域の自然を残してやればいい。大風で倒れた木は積んでおけばいい。積んでおくと、多くの野生生物、カミキリムシやトカゲも生活できます。疲れた人はここへ座ればいい。多目的ベンチなんですね。どうぞ。多くの野鳥と共存できる都市公園です。こんな公園、日本にはほとんどありません。  どうぞ。これは住宅地。住宅地は当然子供がいるわけですから、自然を残して、ビオトープという自然を残して共存するわけです。どうぞ。学校ですね。当然多くの自然と共存する学校を造ると。ここで初めて環境教育ができるわけであります。  どうぞ。これはデンマークの例でございますが、こういった湿地帯があった。ここに蛇行した自然の川があった。どうぞ。それを農業開発をして、川を真っすぐにした。このことによって将来世代の遺伝子が大きく減っていった。そこで、デンマークではこの川を、どうぞ、元の自然に戻して、一か所、ここだけで二千五百ヘクタールという自然を戻している。  今、今河川の関係では、自然再生事業がメーンであります。どうぞ。これはルーマニアでございますが、あと数年後にEUに加盟を希望している国ではございますが、EU側から希望が出ています。実はここに、どうぞ、ドナウ川という川がございますけれども、これを自然再生しようということでございます。どうぞ。実は九十万ヘクタールの自然再生を始めているところであります。  どうぞ。アメリカでございます。どうぞ。世界最大の穀物生産地。どうぞ。大変な土壌喪失を起こす。これ、土壌喪失の図を国民に示しています。残念ながら、日本はこの図が一枚もないんであります。どうぞ。アメリカの農地です。これが、どうぞ、自然に戻すと。全米農地の十数%が今自然に戻っているわけであります。どうぞ。自然を固まりで残して、大型圃場から小さな圃場に変えようということをアメリカも始めているところであります。  どうぞ。ダムの取り壊しで、もう数百か所で始めています。どうぞ。以前、蛇行していた川を真っすぐにした。これはまずかったということで、クリントン時代から、今これを埋め戻して自然のものに変えています。  どうぞ。アメリカのトキであります。絶対滅ぼしてはならないと思っています。どうぞ。残念ながら、日本のトキは全部この標本になってしまったと、どうぞ、いうことになっています。  そういう中で、これから膨大なごみが出るこの建物を今もって規制緩和をして造っているのであります。明らかに時代錯誤であります。どうぞ。結果として、カラスが飛ぶ、自然生態系の崩れた日本ができているということになるわけであります。  つまり、今回のこの予算を拝見さしてもらいまして、持続可能な社会という観点からいたしまして、少なくともこの将来世代を見たビジョンと戦略が見えないという感じが強くするわけであります。(拍手)
  137. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  138. 山崎力

    ○山崎力君 自由民主党の山崎でございます。  両先生にはいいお話をお聞かせ願ったと思っておりますが、一方で、私どもの立場とすれば予算という部分もございますが、ある意味で立法府という関係、あるいは国民の負託を受けて選挙を受けてこういう立場にいるということもございますので、そういった意味で御質問させていただきたいと思います。  両先生のお話がちょっとずれておると言うと、分野が違っておりますので、まず最初に藤原先生の方の教育の方から始めさせていただきたいと思います。  非常にユニークなといいますか、今、今後はユニークでなくなるのかもしれませんが、現時点でいえばユニークな、そして今二年目ということですので、成果というのはあと何年かたたなければ分からないと思いますけれども、今の教育において、まあ何というんでしょうか、ギャップがあるといいますか、そこに落ち込んでいるところを引き上げて、現代的な中に役立つ教育にしたいという熱意はよく分かりました。  ただ、そこのところで今日の話に抜けていた点といいますか、そこからまずお話伺いたいと思うんですが、先生は公、公立中学校というところでのお話と言いました。今、学校教育の中で一般に言われているのは学力の低下、それから何というんですか、人間性というんでしょうかね、徳育という言葉があるんですが、そういった物の感じ方に対する問題点の指摘というのが、まあ大きく言うと二つくらいあろうかと思うんですが、その点での問題というのは、すべてと言っていいほど公立校なんですね。  ということは、私立の学校の教育と公立の学校の教育というものが、どこが違うんだというのもやっぱり大きなポイントではなかろうかというふうに思うんですが、そこまで先生の今の時点での判断というのがどうなっているかということを分かりませんけれども、一応まず素人的に言うと、そこのところが教えていただきたいと、まず最初にお話をお聞かせ願いたいと思います。
  139. 藤原和博

    公述人(藤原和博君) まず、学力の問題から先に答えてよろしいでしょうか。  今、日本じゅうで、さきのIEAの調査それからPISA調査ですね、OECDの、両方ごっちゃにした議論が行われていまして、その両方のデータが下がったということで、単純に狭義の学力が下がったという形で言われているんですが、私はこれ、二つの問題をはらんでいると思っているんです。  IEAの調査で測っているのは、言わば私が情報処理力というふうに名付ける分野の力で、記憶の中に正解をたくさん詰め込んでおいてその正解を出すというのですね。第一問目で出ていたのが、十分の七は〇・〇七ですか〇・七ですかみたいな話です。それから、記述式で出ていましたのも、例えば固体と液体の違いを一つ述べよというような、知らなければできない問題です。  これについては、主に私は小学校の問題だと考えていますけれども、小学校で反復で、反復できちっとその力を付けなきゃならない読み書き計算中心としたそういう知識教育については、確かに反復の時間が取れないという問題があるようでございますので、ここは公立校の問題点の一つだと思っています。  ただ、中学校についてはむしろPISA調査の方をよく見なければいけないんですけれども、日本の子が、十五歳の子が一番答えられなかったのは、先生も十分御存じだと思うんですが、例えば壁に落書きがかかれている、これが犯罪なのか芸術なのかというその二つの意見があって、この二つの意見のうち、あなたの意見はどちらに近いですか、その理由を述べよという、こういう試験なんですね。これに日本の子はほとんど答えられない。要するに、全然一行も書いてないみたいのが多いわけです。しかも、この問題は二〇〇〇年と二〇〇三年の両方同じ問題が出されました。  何を言いたいかといいますと、ここで試されているのは情報編集力というふうに私が呼んでいる問題で、単純に公立の学校の例えば授業時間を増して、国語の時間を増したり漢字の練習をたくさんしても付かない力なんです。  ですから、これは、先ほど私が申し上げたような、よのなか科のような、一つテーマをいろんな形でいろんな視点から批判的に見て、自分の意見を形成してそれを表現するという、そういう力を付けなければいけませんので、小学校の問題と中学校の問題は分離していただきたいというのが学力に関する私の考え方です。  公立校と私立校というふうに先ほどおっしゃいましたけれども、中学以降の私立については大体ことごとく時間の問題は非常にあると思います。それからもう一つは、下を偏差値で切っていますので非常に同質な集団を教育ができるということ、その効率が非常に高いという、そういうことだと思います。  公立校の先生方は、非常に生徒の能力がいろいろばらばらであるということで、教授法をいろいろ、もちろん悩んでいるわけでございますけれども、しかし人間として育つという、先ほどの先生の二つ目の問題、人間性の問題を併せて考えますと、ばらばらのいろんな価値観を持った多様な人間、まあ裕福な子もいれば貧乏な子もいる、そういう中で、いろんな職業、親の職業もいろいろ雑多な中で育つということが、人間としての最終的な生きる力には私はそちらの方がつながるんじゃないかと見ておりますので、ただ単に授業の効率だけを問えば私立の勝ちだと思いますが、でも人間を人間として育てるという意味では、雑多ないろんな大人との関係、いろんな考え方を持った仲間との関係の中で自分を育てていくという公立にも十分に分があるというふうに考えております。その一つの答えが、先ほど言いましたような地域本部というものにもっともっと地域の雑多な大人が入ってきて、子供たちの前に姿を現して斜めの関係を結びながら育てることだと思っています。  私は、心というのは、例えば思いやれと言って思いやりが育つとは思えないんです。それよりも、子供たちが雑多な関係の中で、自分で人間関係の中で見付けていったり発見していったり、どうしても心というのは人と人の間で育つものだと思うので、そういう交流を豊かにすることがすごく大事なことなんだなというふうに日々の教育活動の中では感じています。  以上です。
  140. 山崎力

    ○山崎力君 私見を言わない方がいいのかもしらぬですけれども、私個人に言わせれば、中学校の間に芸術論も犯罪論も法律の刑法も分からないで、それを聞く方が僕は教育的にはおかしいんじゃないかなと、教えているんならまた別ですけれども、そういう気がするんですが、それは今の話と別問題といたしまして。  今先生のおっしゃられた、藤原公述人のおっしゃられた中で一つ考えなければいけないのは、小学校教育に問題がありというふうなところも今言われたような気がしております。これはある種、小中といいますけれども、義務教育でどこまで、何を義務教育で国民が次世代に望むかという議論で、それを制度化し、それを担保する予算を付けという我々からしますと、そこのところを一緒にどうしても考えざるを得ないというところございまして、その辺のところは今の意見参考にしてどうしたらいいかなということを考えなくちゃいけない。  それから、逆に、地域本部という考え方も、昔は何か自然にあったものが失われたからそれを何とか復活させようじゃないかというような意味合いで、地域性もあるだろうし、そこにアイデアとしての普遍性はあるのかもしれないけれども、実効としての普遍性がどうなのかなというのを聞いているところありまして、逆に言えば、先生のような経歴の人だからできて、公のずっと教育に携わった人がアイデアとして出てこないとすれば、またそっちも問題かなというふうな気もするんですが、まあこれは私の感想ですけれども。  事実関係としてお伺いしたいのは、ちょっと今日の話とは関係ない、直接は今のお話と関係ないんですが、公立の中学ということで、生徒さん方の中で高校受験という、学校での教育の中での高校受験、これは教師の側からもありますけれども、生徒側から見てどの程度の今ウエートがあるというふうにお感じになっていらっしゃいますか。
  141. 藤原和博

    公述人(藤原和博君) どの程度のウエートというのは、高校を卒業して就職するということとですか。
  142. 山崎力

    ○山崎力君 いえ、中学校、中学生としてです。
  143. 藤原和博

    公述人(藤原和博君) 中学生として高校を進路として考える。例えば、和田中の場合には一〇〇%そうなりますけれども、非常に大きいです。  中学生は、皆さんにも息子、娘がいればお分かりになると思うんですが、十四、五歳、中学の二年ぐらいにすごく揺れる時代があります。思春期の第一期ですね。それからまた、十七、八でもう一回揺れるわけですけれども。そのときにいろんなことを迷います。それまで友達と一緒に育ってきて、大体みんな同じだと信じていたのが、いろんな能力の違いに気付きます。それからいろんな限界にも気付きます。いろんな失望もしていきます。たくさんたくさん失望もしていきます。そういう中で、十五歳ぐらいになりますと、昔であれば元服ですから少し大人になるわけですが、そのときに高校というものを見据えるということは、学校としては、例えば生活指導上の一つの柱にもなりますし、そこで生徒の生活習慣が一本筋が通るというようなこともあります。  もし例えば、全く仮の話ですけれども、高校受験ということが全部なくて、どうにでもしてよいということになりますと、自分が大人として一皮むけていくときの一つの筋のようなものが見えるかどうかというのはちょっと自信がありません。進路はそういう意味ではすごく大事な要素だと思います。
  144. 山崎力

    ○山崎力君 一般的な意味で、先生の学校の生徒さんとどこが普通のところと違うかというところをいくと、学校、高校受験というのは大きなファクターであるというのは変わりないと思うんです。そして、それが父兄の方々あるいは周辺の方々にとって学校の評価にもつながるし、生徒さん個人の評価にもつながるし、逆に言えば、先ほどおっしゃった先生の授業の評価にもつながってくる部分がある。その辺が非常に悩ましいところではないかということで申し上げたんですが、時間の関係もあるので。  次に、その親なんですけどね、結局、親の顔が見たいという説が、説というか話が、例え話といいますか、言い回しが昔からあったんですが、今のいろいろな言葉を見て、その言い回しがもう古くて使えなくなっているんではないかなという、今はやりのを言うと親の親の顔が見たいという言い方になっているんではないかという話に、今聞くわけです。  そういった意味で、私個人の話からすれば、今まで親子の関係であうんの呼吸でいい悪いというのがあったのが、それが伝わらなくなった。例えば、学校の先生の言うことを聞けと言う親が普通だったわけです、学校においては。ところが、今学校で子供が問題になったときに、よくしかってくれたとかよく指導してくれたとかと言う親もいる一方で、何を私の大事な子供にやってくれたんだと言う親も増えてきている。  それから、その似たような話で、今一番の私の問題は、いろんな社会現象の根底にあるのはそこから引いてきた問題だと思うんですけれども、自分さえよければ、あるいは法律に違反していないということであるならば何をやってもいいんだという考え方、価値観ですね、ここのところが今一番僕は世の中をいろいろな面で複雑にしている部分あろうと思うんですが、その辺についての先生のお考え方を伺えたらと思います。
  145. 藤原和博

    公述人(藤原和博君) 基本的に今先生が御指摘になった自分の気持ち至上主義といいますか、これは、いつのころからか分かりませんが、親子が友達みたいになっちゃって、最近、心理学の世界で非常に話題になっているんですが、反抗期がなくなったというんですね。特に中学の時期、反抗期というのはすごく大事な時期だと思うんです。親が何となくうさん臭くなったり煙たくなって、それを越えていこうとする。あるいは、できれば出たいと、家を。そういうのですね。そういうものがなくなって、友達家族しちゃっているもんですから、家族が、その家にいる人たちが友達だったら、こんなに居場所として楽なものはないと思うんです。だから、出ていこうという気もないだろうし、ちょっと外でチャレンジして傷付いたらすぐもうお友達のいるところに戻ってくるという、そういう子育て、お友達のような親子ですね、下手するとファーストネームで呼び合うという、そういうことは見受けられます。  それよりもまた先生方が非常に厄介だなというふうに感じているのは、多分三割ぐらいの親だと思いますけれども、もう保護者会にもやっぱり来ないか来れない人がいます。うちの学校でも就学援助三人に一人ぐらいおります。杉並区では非常に高い方です。それから、ある学年では欠損家庭二割になっています。そうしますと、もう親が学習のフォローをし切れません。  それから、学校用語では生活指導というふうに言いますけれども、例えばかかとを踏まないとかシャツを出さないとか、そういうおじぎ、おじぎや人の目を見て話を聞くとか、もうそういうところからの生活指導に先生方の三割ぐらいのパワーが割かれていることは恐らくどこの学校でもそうだと思いますし、荒れている学校ではこれが七割になってしまう。授業どころじゃないというような形になってしまうという。和田中学校は幸い落ち着いていますので、七割、八割授業に向かうことができていますけども、それでもこの生活指導というところで三割方の子が、これは生活指導が利いていない子、あるいは家庭でのフォローが利いていない子はそのまま学力が低いというようなことは相関がありますから、それを何とか支えるということが先生方の非常なエネルギーを割かれることになっています。そこは校長としても一番そのエネルギーを割くところです。  ここがもし底割れしてしまいますと、特に数学、中学では数学と英語はいったん分からなくなったら、これはもう本当にヒンズー語の講義聞いているようなもんですから、もう全く分からなくなってしまいます。そうすると暴れ出したりすると思うんですね、自分に注目してほしいという、そういうことですから。なので、底割れしない努力というのが非常に大事になってきています。
  146. 山崎力

    ○山崎力君 ありがとうございました。  ちょっと時間割間違えて、池谷先生の方短くなったんですが、はしょりますが、簡単に、簡潔にお答え願えればと思います。  お話伺ってて一々もっともだなと思いつつも、日本人にそういう感覚というのが薄かったと。どこから来たのかというそもそも論はこの際おくとしまして、一番の問題はまだまだ日本人というのは豊かさを求めているという部分があるのではないかということなんですね。都市政策、問題があった、しかり、あるいは自然保護に対しての意識がなかった、しかり、すべてしかりしかりしかりなんだけれども、答えとしてしかりと言えないと、そのとおりと言いにくいというのが一番のこの環境問題の問題点ではないだろうかと。突き詰めていくと、人類を、世界の環境問題を解決するのは人類の数を少なくすることだということにもなりかねない。幾ら環境が悪くなっても餓死者を出すよりはいいだろうと、貧乏臭くなるよりはいいだろうと。特に、先進国は余裕があるけれども、発展途上国はそんなこと言っている余裕はないというのが世界の現状だろうと思うんですが。  先生のお話の中で私が感じるのは、個々の細かいテクニカルな部分は別として、私たちがどこまでこの環境保全といいますか、持続可能なということを受け入れられるものなのかどうなのかというところがまだ国民的な合意になっていないし、それに伴う立法作業というのもまだ遅々として進まない部分があると。環境税の問題というのも、この間私どもでも議論、内部的にいたしましたけれども、そこもまだ合意に至らない。なぜならば、何をやればCO2の排出がどれだけ減るというめどが付かないのに議論できるのかと、それができてからではないのかという議論で終わっております。  そういった現状について、政治も含めてでございますけれども、その辺の国民の意識を含めた意味でのお考えをまず公述人からお伺いしたいと思います。
  147. 池谷奉文

    公述人(池谷奉文君) 日本経済は十数年前にバブルがはじけたわけでございますけれども、しかし行政の関係のバブルが今はじけつつあって、実は日本国民が最も今バブルの状態にいるんではないかという実感を持っています。したがって、国際的な約束が一向守れないという状態にあるわけでございますけれども、しかしこれは、それじゃどこからやるのかということになるんですが、やっぱり、基本的にはやはり政治家の方々のリーダーシップということが最も大切ではないかというふうに思うわけでございます。  こういった持続可能な社会といいますのは、実は二つ要素がございまして、一つは土地利用として将来世代の基本的な自然生態系をどう守るかと、どこに守るかということをまず決めていくということが重要でございまして、基本的には自然生態系というものは土地利用できますから、土地を買わなきゃならない、また制度的に抑える必要がございます。その辺のことがほとんど日本では行われておりませんで、例えば自然環境を守るために予算としてどのくらい取っているのかというと、ほとんど取っていないわけでありまして、私どもの試算でいきますと、国の総予算の一〇%をもし将来世代のために投資していって、百年先にどうやら共存できる状態になるかなということでございまして、そこまで多くの自然を破壊してしまったということになります。それをどう取り戻していくのか、まさしくこれは政治の判断の問題ということになります。法律的にはそこそこの法律は日本はあるんです。あるんですが、それに対しての予算付けができていない、ここに問題があるわけです。まさしく政治家の方々の意識の問題、ここに最大の原因があろうと思います。  それから、あと一つは、人間のそれぞれの、土地利用とは違った生き方の問題がございまして、まさしく現在、バブルでございまして、それをどう変えていくかということになります。残念ながら、日本ではそういったことに対して、意識的にこれから日本経済は下げていくんだという議論日本ではほとんどないわけですね。ここが問題でございまして、これから輸出入を、これから全く止めることもございませんが、減らしていくということが必要でございますし、大量生産を止めていくということが必要でございますが、それをしない限り環境問題は解決しないわけですね。  当然、日本経済は下がりますね。そういうことをきちっと国民に示す必要があるわけでございますが、まだ現在が景気が低迷で、これからもっと上げようという話があるんですね。そんなことはもう国際的にあるはずがないんでありまして、もはや日本人の豊かさを世界じゅうの人が享受したとすれば、地球は二・五個なきゃ足りないということはもう分かっている話でございまして、これから先進国の生活レベルは下げなきゃいけない、物質的にはですね。つまり、これから我々としては精神的な豊かさを求めて、物質的には質素な生活をしていく方向になりますから、そういったことをやはり国民にきちっと正直なところを訴えて日本の社会を変えていくという必要があろうと思っています。
  148. 山崎力

    ○山崎力君 先ほども冒頭申し上げたんですけれども、おっしゃることはよく分かるんですけれども、それじゃ、みんなで貧乏しようよということで我々選挙戦えるかという基本的な問題がございまして、こういう、これが一人の独裁者、先覚者であればできると思うんですが、そこのところを先生にもお考え願いたいのは、先ほど来ちょっと話出ましたけれども、年間三万五千人死んでいると、自ら死んでいると。それで、生活が困っているという人に対して、あるいは仕事がなくなってつぶれるかもしらぬという人に対して、特に地方人たちに対して、仕事がないよと、そういったときにどうするんだということに対する回答がないまんまいけば、やはりこの環境問題というのは、日本でもそうだったように、ある程度稼ぎがあって余裕が出てきたという状況でやればいいんじゃないという、そういう一般の人たちの気持ちというのが、私にはそう感じる部分があるわけで、同僚議員のかなりの部分もそういうふうに思っている方いらっしゃると思うんですよ。その辺のところを単に先覚者的に、このままじゃやってられないというのはみんな分かっているかもしれません、だけれども自分が、あるいは自分の子供くらいのときまでは、あるいはひょっとしたら、年齢によっては孫くらいが生きている間は何とかなるんじゃないという人が大部分と私は思っております。  その辺のときに、将来の孫子の世代以降のために、今自分たちが我慢始めようという人たちが私は今の日本の教育とかすべての中でどこまでいるかというのは非常に悲観的なんですが、その辺のところの先生のお考えをいただいて私の時間終わりと思いますので、簡潔によろしくお願いしたいと思います。
  149. 池谷奉文

    公述人(池谷奉文君) 私は、現在三万五千人の自殺がございますけれども、私はあと数年でもっと増えるだろうと思っています。それは、日本経済がこれから下がってきますよということを国民に言っておりませんから。しかし、社会、世界の動きからしまして当然それは下がる方向に行きますので、逆の方向に投資していますから当然格差が大きくなります。このことが大変大きな問題を起こすだろうというふうに思います。  まさしく、そこで言いました石油の、我々の文明を支えている石油というものの需給バランスがあと数年で逆転するわけですから、大問題が起こる。実はそこが日本の出発点でございまして、大きな社会変革がこれからもう必然的に起こる。そういうことをこれから極力ショックを少なくするのが技術でございまして、今までの二十世紀の延長線上はいかに豊かにするのが技術だったんですが、全く違う技術が要求されているわけでございまして、そういった議論をやはりこの国会の中できちっとしてもらうということを、それを国民に見せることが最も重要だというふうに思っております。
  150. 山崎力

    ○山崎力君 どうもありがとうございました。
  151. 鈴木寛

    鈴木寛君 民主党・新緑風会の鈴木寛でございます。  藤原参考人、池谷参考人、貴重な御意見、ありがとうございました。  まず、藤原参考人にお伺いをしたいと思いますが、先ほどの質疑でもございましたが、藤原参考人、多くの方から、(発言する者あり)あっ、公述人、ごめんなさい、公述人。いろんなところで同様の質問が上がっていたかと思いますけれども、よのなか科、今の中学生に死生観とか、こういう問題はなかなか教えてもないのに大変じゃないかという声はいろんなところでもう既にはおありになったかと思いますが、これ実際、確かに二十五回、一年間やっておられるわけで、四月一日の段階ではそうした御指摘もあろうかと思いますが、それが事回数を追うごとに成長をしていく過程というのを公述人ごらんになっていられるわけでありますが、その辺りが実際どれぐらい中学生というのは伸び得るものなのかということを是非教えていただきたいと思います。  と申しますのも、藤原公述人もおっしゃっていますが、教えていないと、学校では教えていないんですけれども、それこそテレビを通じて物すごい情報の洪水の中にもう既に十二年間あるいは十五年間さらされてきた子供たちをむしろそこから救い出すプロセスというような気もいたしますので、その点、一点お願いを申し上げたいと思います。  それから二つ目の、これも藤原公述人でございますが、よのなか科あるいは地域本部、いい試みだけれども、まあこれは藤原さんだからできたじゃないかと、こういう御指摘がいろんなところであろうかと思いますが、このよのなか科あるいは地域本部というものがどの程度ほかの学校でもできるのかといった、このまず二点についてお答えをいただきたいと思います。
  152. 藤原和博

    公述人(藤原和博君) まず、今の子供たちが置かれている状況で皆さんに是非御理解いただきたいこと、テレビの影響です。  テレビが大体一日の視聴時間を調べますと、短い、調査でも二時間十五分以上見ています。つけっ放しで、二時間十五分というのは一番少ない値で出てくる調査です。もしゲームを加えて総ディスプレー視聴時間ということになりますと、三時間超えていると思います、楽に。ですから、三百六十五日で千時間超えていくんです。  テレビ視聴に限っても八百時間以上になっていきますけれども、これに対して学校の授業が何時間やっているかということですね。改めて皆さんの頭にお入れいただきたいと思うんです。中学の授業で九百八十こまございます、一年間の時間割が九百八十個なんですね、数学とか国語とか。これは道徳も体育も全部含めてです。九百八十こま、五十分授業なので八百十六時間です。八百時間。道徳、体育、音楽全部含めてです。皆さんがお気掛かりであると思われる学力という、のにかかわる英数国理社五教科に限りますとたった四百時間です。四百時間対テレビ八百時間。情報の入手ソースとしてはもう勝負あったという感じなんですね。そういう意味では、学校でたとえ教えなくても、子供たちはそういう知識として断片的にはいろんなものがごちゃ混ぜに入っています。  そういう意味で、その知識というものをもうちょっときっちり整理して、どう組み合わせれば実際の世の中に立つのよという、その考え方のプロセスそのものを教えるのがよのなか科なわけですけれども、これはもちろん、鈴木さんがおっしゃられたとおり、最初は特に男の子はもう何かワークシートに書き入れることもできないし、発言させると女の子は比較的自分の思ったままを言います、ぽんぽん。それが最初は感情論であっても言います。ですけれども、男の子は最後まで、正解を言わなきゃいけないんじゃないかという呪縛に捕らえられているんですね。  学校教育を通じて子供たちが小中高と一貫して一般の教師の下だけに置きますとどうなるかといいますと、十二年間正解を教え続けられますので、どんな問題にも正解があると、で、それを言うのがいいのだと、そうじゃないことを言っちゃうと間違っちゃうから恥ずかしいというんですね。よのなか科の授業はこれ、この呪縛を解くことから始まります。正解は一つではないという、そこから始まるわけですね。で、その呪縛をどんどん解いていきますと、もう正解は一つじゃないんだと、何を言ってもいいから自分の意見を発言しなさいということを百遍言いますと、大体二十回目ぐらいから変わってきます。  去年、よのなか科、千五百人ぐらいの見学者がございました。北は北海道から南は沖縄までの先生方や先生の卵、教育委員会の方、まあ本当に重立った方、みんないらしたんじゃないかというぐらい、元文科大臣もいらっしゃいました。今年、同じ数ぐらい来られています、三千名が目撃しているわけでございますけれども。とりわけ、二十回目ぐらいから生徒たちがワークシートに自分の意見を、調べ学習ではないんです、自分の意見を書き記し始め、最後には私が卒論がてらに出す質問がございます、十二問あるんですけれども。そのうちの一つ、人間の社会ではなぜ差別が起こるか、それを自分の考えで述べよということ。あるいは人間にとって宗教とは何かですね。宗教教育じゃないんです。仏教やキリスト教を教えるのは公立の学校ではできません。ですが、宗教とは何かを知らないで今世界で起こっていることは理解できませんので。そういう質問に四十五人のまあ生徒のうち三分の二以上が三行以上を、自分の考えを書いてくるようになります。  私は、中学校を、中学生をなめてはいけないというふうに思っています。小学校の延長線上でやや難しいことを教えているから、みんな何かそのうそくささに反抗をし出す。そうじゃないでしょうか。何かこう大人になる過程で、何かうそくさいんですね、目の前に立っている先生と先生の教えていることが。だから、もっともっとリアルなことを教えてあげて、もっと大人と一緒に考えさせることで彼らは一皮むけるというふうに思っています。私は、四年間の実績がございますので、これをはっきりと申し上げることができます。  それから、杉並区でよのなか科や地域本部という、これ、まあ私しかできないんじゃないかということでございますが、もう既に私が最初によのなか科で組んだ教師はこれを独立してやっておりまして、去年読売新聞の社会科部門の最優秀賞を取りました、彼が単独で取りました。  それから、一緒に組んだ講師が別の学校でやっておりまして、杉並区の中では三校で今、よのなか科が進行しておりますし、さらに面白いことに、この三校で、地域本部に近い形で、地域の方がもう学校に入ってきて、学校にある部屋があって、そこでいろんな諸活動、先生方ができないことを組織化していくということが始まっています。で、なぜかこの三校が学校希望制でも指名を受ける形になりまして、保護者の注目度が上がっているというようなことが観察されます。  以上です。
  153. 鈴木寛

    鈴木寛君 ありがとうございます。  それと、よのなか科、地域本部、まあこれも非常に面白い、チャレンジングな試みだけれども、一番の懸念であるいわゆる学力問題ですね。それで、学力の中にも情報編集力と情報処理力があって、情報編集力というのはなかなかこれ数値化しにくい能力でありますが、情報編集力が大事だと公述人はおっしゃいました。    〔委員長退席、理事若林正俊君着席〕  しかし、そのことが情報処理の、処理力を引き上げる、あるいは情報処理力を学ぶ意欲をかき立てるということにつながっているのかどうかと。そして、結果として、その処理力も編集力も含めて、いわゆる学力を中心とする、まあ体力も含むんですが、生きる力というものが具体的に付いているのかどうかというところがやはり一番の世の中の御関心だと思います。  それで、和田中学校は、先ほど公述人のお話にもございましたが、三分の一が就学援助を受け、二割が欠損家庭というのは、これまあ都内といいますか、全国的に見てもかなり厳しい部類の学校に属する学校だと思いますが、ある大学の教育学部の調査をされた先生のお話を伺いますと、これは日本の教育政策の最重要問題ですが、二極化しつつあるこの家庭状況あるいは経済状況が厳しい子弟の学力の底割れをどう防ぎ、そしてその学力低位者をどう引き上げるかと、これは正に日本の教育政策の根幹だと思いますが、和田中学の場合は、二年の結果、そこにどうも成功していると。通常はその差が、いわゆるレベルツー、レベルワンのところがどどっと落ちちゃうんですが、そこが落ちずに、こう何といいますか、下げ止まっているというこの報告を受けて私もなるほどと思ったんですが、その秘訣はどういうところにあるというふうに、もちろんエネルギーを物すごく割いておられるというお話がありましたが、どこにあるというふうに分析しておられますでしょうか。
  154. 藤原和博

    公述人(藤原和博君) 実際に、丸二年前、私の就任と同時に、東京大学の基礎学力研究開発センターのチームが同時に入ってまいりまして、ずっと二年間観察、調査を続けています。途中で独自の学力調査までやっているんです。それから、生活習慣の調査もやっています。  家庭的には非常に難しい子が多い中で、結果として出てきましたのは、通常はまあいわゆる階層別に、親の階層別にもうきれいにこうグラフがこう下へ行ってしまうんですけれども、和田中の場合には底支えが利いていまして、こうはなるんですが、ここから同じラインになっていくという、いわゆる底支えが利いていて、割れてないんですね、学力が。それがございます。  もちろん、これは小学校の先生方の、特に九九あるいは分数、約分というようなところでの、三年生、四年生、五年生ぐらいでやっぱり集中的にきっちり教えているというようなことの成果もあると思います。それもございます。ですから、基礎学力、先ほど私が申し上げました情報処理力というようなところをきっちりやってらっしゃった先生が多かったというようなことも評価すべきだと思いますけれども。  中学に入りましてからは、とりわけこの情報編集力にかかわるいろんなチャレンジをやっています。例えば、企業のビジネスマンと組んで一緒にオリジナルのクッキーを企画開発して、それを売ってみるというようなことをやったりですね。  こういうことをやりますと、学力的には非常に厳しい子ですね、本当に漢字もなかなか書けないとか、数学も、例えば方程式分かるんだけれども、方程式は教えれば分かるんだけれども、AとBの前にある分数が足せないとか、約分できないという子いるわけですね。でも、そういう子でも頭のいい子いるんです。テストはできない、あるいは学力は全部測ってみると、低いですから、通信簿どうしても一とか二になっちゃったりしますけれども、直観的に頭のいい子いるんですね。で、こういう子がそういう授業では救われます。  そして、ある種のまあ動機付け、要するに世の中と自分はかかわっていけるという、そういう自信のようなもの、私はセルフエスティームという言い方しますけれども、日本語で言えば、まあ自尊心と訳す場合あるんですけれども、そうではなくて、自己肯定感、自分はそれでいいんだという自分を肯定する感覚ですね、そういうものを持たせられているんじゃないかと思います。  さらに、それを地域本部がやっております図書室、ここに毎日毎日、先生ではないですね、PTAの、OGですからPTAでもないんです、お母さんたちではなくて先生でもない、そういう意味では自分との利害関係が全くないおばさんたちが通ってくる。そこで例えば、後ろの方にカーペットが敷いてありまして、コミックを読んでもいいようになっているんですけれども、そういうところで本当に疲れて、のんびりしてですね、のんびりしながら何かおばさんたちと話をしているという、こういう居場所が実は和田中には一杯あるんです。校長室も開放しております。昼休みには生徒が、教室にいにくい生徒ですね、教室に居場所のない生徒が来たりするんです。  そういうことでどうなったかといいますと、この二年間で保健室の利用が激減しました。これはデータで現れているんです。保健室に行くより居場所があるからですね。ちょっとぐらい熱あっても、ちょっとぐらい何か、ちょっといじめられて傷付いても居場所がある、この感覚がすごく大事だと思います。日本の子供たちの一番の問題はもうここに還元されると言ってよくて、自己肯定感が非常に弱い。これは親の育て方に物すごく何かあるんだと思います。
  155. 鈴木寛

    鈴木寛君 そういう中で、さらに、例えば先ほどもおっしゃっていましたけれども、土曜寺子屋に行ってお兄さんに勉強を教えてもらおうと、こういうことにつながるんだと思いますが、少し時間がございませんので、池谷公述人にお伺いをさせていただきたいと思います。  大変に感銘をいたしました。これは教育の話ともつながるんですけれども、結局、この国の人々、我々の世代、そして次の世代あるいは我々の先輩の世代を含めて、やはりこの価値観、何が大事なのかと。これ、よのなかの授業ともつながるんでしょうけれども、要するに価値観の順番というものをこれかなり変えていかないといけないという、これ大変な、私は、環境教育が何の教育、どの教育よりも重要だとおっしゃった公述人の御意見に私も全く賛成をするわけでございますが、その環境教育というのは、もちろん環境のすばらしさに触れながら、究極的には人間にとって、あるいはこの世の中にとって、あるいは自分たちにとって何が大事なんだというところに至らなければいけないんではないかなということを思うわけであります。  それで、例えば生物多様性ホットスポットを、海外のNGOが日本は最も破壊の危機に生態系がさらされた地域であるという、ある意味で不名誉な選定をされたわけでございますし、そういう中で、これちょっと漠然とした問題で、しかし次世代に期待をしなければいけません。  それで、この次世代を育てる中でその親が変わっていきますんで、ある意味では、私は環境教育というのは非常に二つの意味でコアだと思っているんですけれども、これどのように進めていったらいいかということで、何か御示唆をいただければ有り難いんですが、よろしくお願いいたします。
  156. 池谷奉文

    公述人(池谷奉文君) やはり国づくりは、基本は教育でございまして、どういう教育を進めるかということに掛かっています。  このときに、日本の教育は今のところ、例えば外国に勝つための最先端科学をどうするかとか、そのための数学、科学はどうするかというようなことの教育が非常に進んでいるわけでございますが、私は違うと思っています。その前に、人間とは何かという、人間は実は動物だというこの原点を忘れているんですね。特に、感性が育ちます小学校を卒業する辺りまで、この辺りまではきちっと、その自然体験というものをきちっと教える必要があるし、それから環境問題とは何かということをきちっと体験的に教える必要がございます。  そういうふうなことから、私ども協会で進めています学校ビオトープといいまして、学校に自然をつくって教材として教えるなんということを奨励しておりますけれども、そういった人間の感性を育てるときに最も重要な、ある野生生物と共存する、また人と共存するという思いやりの精神ですね、この感性がきちっとしないところへ競争を教えたとき、世界平和なんて来ようがない話でございまして、やはりまず環境教育をすべての教育に優先するということが私は基本だろうと。それが終わった段階でいろんな先端科学を教えるということがいいのではないかなというふうに思っております。  その辺のその価値観といいますか、今の大人たちが自分の利益だけを考えているところに問題があって、将来世代がどうするかということを今まで考えてこなかった、ここのところを変えていく必要があるわけですが、やっぱりこの辺の方向性というものをやはり政治家の方々がどう変えるかということでございますが、そのときに重要なのは、政治家と我々プロ集団のNGOとがどう協働するかということが世界的にも大変重要でございまして、政治家の方々だけではなかなか難しいんでございまして、我々プロ集団とどう政治家の方々がドッキングをして日本の社会を変えていくかということがこれから重要なことになってくると思っております。
  157. 鈴木寛

    鈴木寛君 今日は、藤原公述人からは地域本部というもの、その地域コミュニティーが学校を再生するんだと。私は、非常に重要なのは、これは二つのコミュニティー、一つは正に地域コミュニティー、もう一つテーマコミュニティーというか、池谷公述人が御主宰をさせられているような、世界じゅうの広がりを持った、同じ志、同じ関心を持った人たちが時間と空間を超えてつながっていくと、こういうコミュニティーと、このコミュニティーが本当に車の両輪でうまく回っていくと、こういうことが大事だと思いますが、それを担うのがNPO、NGO、今お話がございました。  私もNPO法の制定に少し携わったわけでありますが、約十年がたちます、法人格制度ができてから。しかし、まだまだ税制の面とかいろんな意味でこの欧米におけるNPO、NGOの獅子奮迅の働きから見るといろいろまだやるべきことがあるんではないかなというふうに思いますが、やるべきこと一杯ございますが、日本のこのNGO、NPO、これ本当に社会の重要な役割をもっともっと担っていただきたいと思っておりますが、そのために必要な政治がやれることは何かということで御示唆をいただければと思います。
  158. 池谷奉文

    公述人(池谷奉文君) NPO法ができまして大変私どもは感謝をしているわけでございますが、しかしあの中身は実は最も重要なところが抜けているんであります。それは、活動するには当然費用が必要でございますが、その部分をどうするかというところがないわけでございまして、諸外国を見ても分かりますように、要するに国民が社会安全保障という意味から税金というものを今、日本では一〇〇%行政に払っているんですね。  しかし、これは行政の長が、例えばちょっと考え方が違ったりしますと問題を起こすことがあり得るわけですね。そのときに、国民としてはその税金の一部をNGOに払う、そのことによってNGOが公的な仕事をいたしますね。つまり、これが実は社会安全保障という意味でございまして、したがって日本におきましても国民の個人が又は企業が、主としてはもちろん行政にお金を払うということは主でございますけれども、少なくとも例えば五%前後はNGOに払ってもいいという制度をきちっとつくる必要があります。この辺はまさしく政治家の皆さんにお願いする以外にないわけでございまして、社会安全保障という意味からNGOの財源をどう確保するかということが最大の課題であろうと思っております。
  159. 鈴木寛

    鈴木寛君 藤原公述人にお伺いしますが、今環境教育をどうしようかという議論になっているわけでありますが、藤原参考人はよのなか科という新しいメニューというか、カリキュラムを作られましたが、是非これを御縁に環境について何か新しいそうした試みをしていただければなというふうに思いますが。  やっぱり今、選択科目とか総合学習をもう減らそうじゃないかという声が出てきていますが、確かにこれ今、発展途上ですから、まだまだ改善すべきことあると思います。しかし、これは池谷公述人もおっしゃったように、やっぱり正にここでその子供たちの持っているものをすべてフル活用して、フル動員して、特に答えのない問題について考える力というか、我々これから正に不確実な時代で、持続可能なといいますが、これ口で言うのは簡単ですけれども、大変な、それこそ正解のない問題でありますし、一般化できるような話ではない。という中で、藤原公述人も人生科とか、あるいは池谷公述人は人間科とかおっしゃっていましたが、正に持続可能な発展という問題について次の世代にこの価値観、この必要性、そしてそれを担うNPO、NGOのありよう、あるいはそことの政治、あるいは社会との関係、まあこれ大変な、我々自体、自身も十分に消化して、し切っていない課題でありますが、むしろ次世代の方がその能力は私は高いと思いますが、そうした教育について何かお考えあればお聞かせいただきたいと思います。藤原公述人、そして池谷公述人、お願いいたします。
  160. 藤原和博

    公述人(藤原和博君) 実際によのなか科のメニューについてはお手元資料の最後の方にございますけれども、導入は確かに子供たちに非常に入りやすいようにハンバーガー店の店長になってみようというところが入っておりますが、全部見ていただければ分かりますが、どんどんどんどん深いところ入っていきまして、実際よのなか科は名付ければ人間科あるいは哲学科、あるいは人生科、市民科というようなものです、実態はですね。人間と様々なものとのかかわりを学ぶというようなことでございます。  それともう一つ、学校というところは唯一緑が守られている場所なんですね。もう都市の緑は開発にほとんど勝てないわけですけれども、学校と寺社仏閣だけが緑を守っています。  これを徹底的にどのように守り豊かにするかということを、和田中も果樹が非常に豊かな学校なので、大人と子供が一緒になってグリーンキーパーズというのを組織してやっています。そこで例えば選択理科で農業をやって、米を作って収穫するというようなところまでやっていますし、また、修学旅行はうちは京都、奈良ではなく福島に田植に行って、今年は、今度は稲刈りまで行くという、そういうこともやります。  そういう複合的な学び、これを豊かに実現するためには選択教科や総合は欠かせないと思いますし、とりわけ中学で、皆さんが気にしていらっしゃる十五歳のときにやるPISA調査、もしこれが二〇〇六年にもう一度やったとして、その点数を本当に上げたいのならば、つまり本当の意味での広い意味での学力という、人生を生きるための学力を高めたいのであれば、中学においてはとりわけこの情報編集力の方をきっちりととらえるべきだと思います。    〔理事若林正俊君退席、委員長着席〕  ゆめゆめ小学校と混在しないようにしていただきたいと思いますし、小学校と一緒に乱暴な議論をしていただきたくない分野です。
  161. 池谷奉文

    公述人(池谷奉文君) もはや地球の大きさはもうどんなものかほぼみんな分かっていますし、今、ユビキタス時代を迎えまして、あっという間に世界じゅうに情報が入るそういうときに、もはや世界としてははっきり競争の時代ではなくて共存の時代を迎えているわけですね。この原点を国民に教える必要があるわけです。この原点が実は環境教育でありますね。  だから、優先する必要があるということになるわけでございまして、私としては、これから学校の、各学校すべてに少なくとも学校ビオトープぐらい作って、その全教科の中で環境を取り入れた教育をしていくということが今後最も重要なものではないかなと思っております。
  162. 鈴木寛

    鈴木寛君 はい、ありがとうございました。  終わります。
  163. 福本潤一

    ○福本潤一君 環境、平和、福祉、人権、教育の政党、公明党の福本潤一でございます。よろしくお願いをいたします。  時間の配分の関係で、最初、池谷公述人の方に御質問したいと思います。──池谷さん、池谷公述人に御質問したいと思います。  池谷さんも、このまま進むと人類は滅亡に向かっているというようなスライドをたくさん見させていただきました。  一九六〇年のローマ・クラブの「成長の限界」にしても、一九八〇年のアメリカ大統領、政府に答申した「西暦二〇〇〇年の地球」、これでもやはりこのままの経済状態で発展していくと、人口の増加と相まって滅亡するというふうに政府公文書にももう既に書いてあるところでございます。  そこで、今様々な問題あるときに、昨年のノーベル平和賞をもらったワンガリ・マータイさん来られまして、小泉総理とも会われて、これからは日本のもったいない文化を世界の合い言葉にというお話をされていかれました。こういう考え方についてどういうふうに思われるか、最初にお伺いします。
  164. 池谷奉文

    公述人(池谷奉文君) マーサイさんの言葉、まさしく日本が忘れていたことを思い出させるものだと思います。  例えば環境問題、その環境問題って二つございまして、一つ産業の後始末、二酸化炭素もそうですが、産業後始末、あと一つは自然をどう守るかという、この二つがございますが、その環境の一つ、ごみ問題の方でございますけれども、これを解決するために日本ではすぐリサイクルということを考えるんですが、実はリサイクルで環境問題はほとんど解決できないということなんですね。  実はそれは、まず、国民に極力物を買わないでくれと、買わせないということが基本なんですね、買いますと全部ごみになるわけですから。そういうふうなことがまず一番。二番目は、極力長もちのする物を作ってもらう、またそれを買っていくんだということですね。これが二番であります。三番目、それでも買った物はごみに近づいてまいります。そのときに、リユースという、ほかに使い道はないかということを考える。その次に、いよいよごみに近づいたときに、物によってはリサイクルと、こういうことでございまして、それを順番が違っているわけでございます。その辺のことが日本ではまだまだ分かってなくて、やっぱり景気はもっと浮揚したい、でもリサイクルしていくんだ、すごい矛盾をしているわけでございまして、この辺のことがやはりきちっと認識することからまず始める必要があるんではないかというふうに思っておりますが。
  165. 福本潤一

    ○福本潤一君 今、物を、無駄な物を買わないという考え方、これは小泉総理もよく言われる循環型社会というのは三Rプラス発電だと、リデュース、リユース、リサイクルと。その前にもう一個Rを付けろと、リフューズだと、拒めという考え方、これと同じ発想も持っておられるんじゃないかというふうに思います。  現実にそういう状況の中で進んでいるときに、学者の世界、またさらには政治の世界でも対応、政策含めて進んでおりまして、例えば大学の農学部の中に昆虫学というのがありますけれども、昆虫学の中で今までは蛍とかカブトムシとかいろいろな昆虫の研究をしていたけれども、一九九〇年ごろですけれども、ただの虫研究室という研究室ができまして、私も最初は、何だ、ただの虫の研究室って。ただの虫であることによる存在意義、土壌の育成、また微生物の育成みたいな話をやっておられる研究者が現れて、私もびっくりしたことが具体的にございますし、応用微生物で農薬、化学肥料の代わりに使えというようなこともあったわけでございます。  政治的にも、一九九七年の河川法の改正、またさらには二〇〇一年の土地改良法の改正、さらには二〇〇一年の森林基本法の改正、さらには海岸法の改正のときも、基本的には今までの単一目的又は従来の目的以外に環境保全というのが全法律にこの改正のときに立ち上がったわけでございまして、現実にこの法律が改正成った後、環境保全に対して様々な取組進めていったと、人間の努力によって営為によって、政治また法律によって変えていこうという動きは大きかったと。また、循環型の形成推進基本法、これも公明党、熱心に推進させていただきましたけれども、これも通ったのは二〇〇〇年でございます。  ですので、こういう法律の生かし方、またさらには具体的にそういう流れがあったとしても、どういうふうに進めていくのかというのも同時に考えていただければと、具体的に政治を推進する人間としては池谷公述人の御意見もお伺いしたいと思います。
  166. 池谷奉文

    公述人(池谷奉文君) 先生方の御努力により、例えば自然再生推進法なんていうものもできておりまして、大変私どもも力強く思いますし、そのきっかけになりましたのは河川法の改正、数年前にございましたが、でございました。方向として日本でもその方向が出てきたことは先生方の御理解のたまものだというふうに理解はしておるわけでございますが、しかし日本の法律というのは、とかく形はできるんでございますが、その中に魂が入ってこない部分があるわけでございまして、つまりどう予算化してくるかということでございまして、例えば今回の各地で災害が起こりましたけれども、あの災害が起こったときに、じゃどういうふうに対処をするのかといいますと、復旧ということをするわけですね。本当に復旧がいいのかということですね。  少なくとも諸外国におきましては、単なる復旧ということはもうもはや余りしておりません。その公共投資をするときにどういう形でするのかということですね。まさしく自然再生ですとか、自然と共存するとかということを考えた投資をしているわけでございまして、その辺の判断というものが日本ではまだまだ従来どおりのものでいっているわけでございまして、せっかくこういった法律ができてきておりますから、是非その真意というものを生かしながら、例えばああいう災害が起こったときの後始末をどうするのかというとき、単なる復旧ということは極力避けて、新しい形の国づくりに向けてほしいなというふうに思っておりますが。
  167. 福本潤一

    ○福本潤一君 法律、これから大いに生かしていく必要があると思います。と同時に、こういう予算委員会の審議でも、小泉総理に二〇〇〇年の十一月に直接質問したときに、これからは、公共土木事業悪者論、確かにあると。ただ、河川法や何かでも国交省の法律でございますし、様々な改正するときに、自然を再生するような、そういった事業は今後大いに進めていくべきじゃないかというふうに私、言いましたところ、小泉総理、この予算委員会で、そういう席で答えられたのは、地方都市とかそういうだけじゃなくて、日本全体そういうふうにしたいというふうに決意を表明されたことがあるんです。  というのは、国交省の予算、また農水省の予算、これは大変大きなものがあるんですね。ただ、環境省の予算は二千八百億ぐらい。一番小さい官庁でございまして、それまでは環境庁と言っていたのが省に変わった。変わったからどういうふうに変わったのかと。あのダイオキシン規制法のときに付いた予算、これが厚生省から農水、環境省に移って、千五百億円付いたのがそのまま来ただけと。とはいえ、それで倍増したんだという言い方で、余り変わりはありませんというふうな考え方。  ですので、こういう環境政策をするときの予算を、国交省でビオトープかなり進めておるんですね、現実に。これは河川法の改正も大きかったと思います。農水省の中での農薬の基準含めて様々規制がありますけれども、そういったものの使い方も、例えば堆肥とか、例えば微生物を使った農薬、化学肥料の代理とかいうような形で、いろいろな形で代行できると。というふうに考えますと、環境省単独でなかなかやれないのなら、国交省とか農水省と一体化して、予算もたくさんあるところでそういう政策進めていったらいいんじゃないかというふうにも私は考えるんです。  公明党は環境省、林野庁とひっ付いたらどうかというような形ありましたけれども、この前イギリスへ行ってみましたら、イギリス、環境先進圏ですけれども、この前も会合に出てくるG8の環境大臣見たら、私がお会いした農水大臣が出てきたんです。どうしてかなと思ったら、一昨年ですか、合体しまして、今、正式名称は環境しかも農村地域省、環境・食糧・農村地域省で合体した形で運営していると。予算もそういう形の環境予算にかなり使えるというようなこともありますけれども、そういう方向性についての御意見も若干聞かしておいていただければと思います。
  168. 池谷奉文

    公述人(池谷奉文君) 私ども、環境といいますのは、実はすべての省庁に関係することでございますし、国土計画というものを考えるときの基盤でございますので、本来であれば、環境省は国土、以前の国土庁、今では国土計画局になっておりますが、それが一緒になって事業部局の上にあるべきなんでございますね、計画部局でございますので。その下に国土交通省ですとか農林水産省とかが、経済産業省とかというものがあるという格好が最も望ましい格好ではないかと思っています。特に、国土計画が国交省の局に入ったという、これは明らかに方向としては間違っているんではないか。環境庁が省になったということはいいんですが、しかしそれは形だけでございまして、法律がそうなっているかというと、法律は動いてないわけですね。これでは余り意味がございません。ですから、あと一回、環境省の法律をもっと国土全体を見渡すものに変えていくということが大切ではないかと思っていますが。
  169. 福本潤一

    ○福本潤一君 そういう政策の転換含めて、と同時に、国政の場にあずかる者としては経済振興も大事だと。環境と経済の両立ということで、今、動脈産業ばっかりが大量生産、大量廃棄の時代に進んできたので、これを静脈産業という形で、産業としての育成をしたいというふうな思いも我が党の政策含めてございますので、御紹介さしていただいて、時間が少なくなり過ぎるといけませんので、藤原公述人の方にもお伺いしたいとも思います。  教育の問題で新たな取組様々されていて、私も全文読まさしていただいて、貴重な体験、貴重な試みをしていただいておるなということで、感心、感動をさせていただきながら聞かしていただいたわけでございますけれども、先生の中の、よのなかをつくったり地域本部をつくって、様々な地域とのネットワーク図っていかれたというのは非常に成果を上げておるという話もうなずけるものだと思います。  と同時に、これちょっとお伺いしておきたいのは、いろいろな体験をよのなか科で、世の中に出たときと同じような状況で話を、議論をする、こういう試みというのは案外現実の現場ではやられてないなというのがございます。と同時に、バーチャル社会を味わわさせているのかなという気もしますので、このバーチャル社会というのはとかくコンピューター、ITで批判もあったりします。そういうような現実に、バーチャル社会での功罪、問題点を現実にその教育の中でどういうふうに生かしていっておられるか、これをお伺いさせていただければと思います。
  170. 藤原和博

    公述人(藤原和博君) 大人が使う場合のバーチャル、リアルという言葉と、子供たちがとらえるバーチャル、リアルは違います。  子供たちにとっては、自分が親しみの持てるもの、これがリアルなんですね。大人は、電子的なもの、例えばインターネットの向こうにあるものをバーチャルリアル、で、一対一のこういうコミュニケーションですね、これをリアルというふうにとらえると思うんですが、子供たちにはそういう区別ありません。ですから、余り帰ってこないお父さんより、食卓でいつも見ているビートたけしの方がリアルなんですよ。どっちの言うことを聞くかというのは、そういうことです。さんまの方の言うことを聞くんですね。あるいは、キャラクターですね、ドラえもんの方がお父さんの説教よりも聞くんですね。そういう育ち方をしているということを分かっていないと教育の効果が上がらないというようなことがあります。  よのなか科については、これはバーチャルではありません。もちろん、例えばハンバーガー屋さんの出店ゲーム、町へ出ていってやることはもちろんできるわけですけれども、それを教室でやっているという意味では大人の言うバーチャルかもしれませんけれども、実際にどんどんどんどんそういうテーマをやっていきますと、最後の方で、例えば目の前に末期がんのお母さんがいます、もうモルヒネ効きません、あと二週間、命じゃないかというふうに医師から言われた、このときにこのパイプを外す外さないですね、いわゆる安楽死問題、こういうものを大人と生徒たちが一緒に議論するわけです。  今年ずっとやった例では、四十五人、四十六人の生徒に対して大体同数ぐらいの大人がいつもおりましたので、大人がどういう考え方をするのか、あるいは実際にそういう介護体験をしたり、介護で自分の親が亡くなった体験を話してくれたり、そういう意味で大人と子供が一緒に、大人でも困ってしまうようなテーマを論じるということは、中学生にはすごく大事なリアルな体験だと思います。  それが血となり肉となるはずだと思いますし、またそういう体験を持って、意識にそういう芽が生まれて、さらに自分が高校、大学となる間にそういう体験をすれば、更に肉、血肉が付いてくるというふうに考えています。その芽をつくるという授業です。
  171. 福本潤一

    ○福本潤一君 どうもありがとうございました。
  172. 紙智子

    ○紙智子君 日本共産党の紙智子でございます。  今日はお二人の公述人の方、大変貴重なお話、ありがとうございます。  それで、最初に藤原公述人の方にお聞きしたいと思うんです。  今、学校現場は非常に予算が少ないということで、例えば大阪の寝屋川市立の小学校、先日殺傷事件、ちょっと起きてしまいましたけれども、ここでは教職員組合が安全対策を教育委員会に要求していたわけですけれども、なかなかこの予算が付かないという中で、実は防犯カメラとかインターホンというのは前校長の私費だったという話なんですよね。  公述人も著書の中で、少子化で教育予算がどこも緊縮ぎみで、技術開発のスピードが速いためにパソコンなどの設備があっという間に老朽化するというようなことも書いておられるわけですけれども、子供たちのためのやはり基本的な施設整備の予算が足りないと。その現状や問題点について現場でどうお感じになっておられるか、最初にお聞きしたいと思います。
  173. 藤原和博

    公述人(藤原和博君) 確かに、一番出てくるのが電子機器等ですね。それから、パソコンをネットワークでつなぐ場合には当然回線を入れる必要があるわけですけれども、皆さん多分信じられないと思いますけれども、職員室につながってきている電話回線は大体二回線です。どこの学校でもそうです。ですから、校長が使っていて事務員が使っていますと先生は使えないという、そういう意味では非常に後れた環境ではあります。  それから、パソコンが大体四十台ぐらい中学校ですと入っていますので、これはクラス一人一台にはなっていますが、大体三年から五年に一遍の買換えになりますので、もう御想像付くように、今、もう三年しますと本当にそのパソコンというのはがらっと変わってしまいますから、そういう意味での不自由はあります。ありますが、私個人のマネジメントのスタイルといたしましては、私企業から来てマネジメントの力をやっぱり見せるためにはお金お金と言っていられませんので、もっとよこせと言えば幾らでもそれは要求はありますが、そうではなく、例えば企業が廃棄するパソコンを、三年前三十五万で売っていたものを八千円で買ってきて、それを子供たちに提供する。後のサポートは、お父さんたちを組織化して、iキッズ計画という名の下に、そこでお金が掛からないように、なるべく掛からないようにしてやるとか、そういう工夫をしております。  それから、防犯の面では、これは公立、私立を問わずなんですが、どんなに防犯カメラを付けても、あるいはその正門のところをロック、電子ロックしても、あるいはさすまたを何十本配備しても、ああいう狂った人間がねらって入ってこられたら、どこでも弱いと思います。  ですから、私はそういう、こう閉め切って守るというよりは、閉め切ってしまいますと中で何か起こったとき、逆に外から分からないというようなことがありますから、私は、たくさんの人が入ってきて、先ほどの地域本部の発想にまた戻っていくんですけれども、たくさんの人が常時学校に入ってくる、その目で守るというようなことが開かれた学校には必ず必要なことだと思います。  あの学校はとにかく一杯いろんな大人が入ってきているからとてもそういうことはできないんだということをまあ抑止力として持っていく、持っておくという、まあ昔、地域社会が当たり前に持っていた力じゃないかと思います。それがやっぱり崩壊してしまったところが非常に大きいというふうに感じています。
  174. 紙智子

    ○紙智子君 藤原公述人のよのなか科の授業、とても面白いと思って見ているんですけれども、地域に学校を開く新しい取組で、そこに例えばお父さんとかお母さんとか地域の人に参加してもらっている様子もとても興味深く拝見しているんですが、一方、著書の中で、あいさつやしつけを教育できない家庭が二割、三割とか、それから地域によっては五割、七割のところもあるとか、それから多くの親は保護者会にもう出てこられない現状にあるとか、こういったことにも触れているわけですね。  こういう実態の下で、しかし公立学校を本当に地域の市民を育てる場にするためには、広範な保護者から、保護者というかお父さん、お母さん、地域の方ですね、こういう方からの意見を寄せられる場をどうつくるかと、それから参加をどう促せるかということもすごく大事だと思うんですけれども、この点についての公述人の所見、それから工夫などあればお聞かせいただきたいと思います。
  175. 藤原和博

    公述人(藤原和博君) 特にお父さんの参加については、非常に学校というのは難しいですね。全国の先生方が悩んでいるところなんです。ですが、私が校長になってから二年間、その前も近くの学校のいろんなボランティアを三年ぐらいしておりましたから、その経験から申し上げられるのは、まずコンピューターに関してはお父さんの引っ張り出しどころなんです。  ですから、コンピュータールームでいろんなことを教えるときに、お父さん助けてくれと、もうそのコンピューターだけでいいからというふうに言えば、お父さんたちは来ます。自分の技術を何となく、それは自分の息子や娘がいる場だと照れちゃいますけれども、そうじゃない学年に行ってお父さんが教える、それを何となくその学年の子たちがすごいなというのが自分の息子や娘にも伝わるという、これがお父さんにもうれしいという、こういう循環ができればですね。  それからもう一つは、先ほどから繰り返しておりますが、学校には、今日の池谷先生の公述にもつながるんですけれども、豊かな緑があります。五千坪近い敷地があって、そこに物すごく豊かな緑がまだ残されているんですが、それを年々減っていく用務主事の人たち、大体一人になっているかほとんど兼務になっていますけれども、その人たちのパワーでは支え切れません。そういうところに、グリーニングが好きな、ガーデニングが好きなお父さんは一杯います。マンションで、自分はガーデニング好きだけれどもそのベランダでしかできない、でも、そういうお父さんに八畳分ぐらいの大きさの花壇、もう好きにやってくださいと言えば本当に生きがいを持ってやってくださいます。  だから、そういう学校が持っている気付かない資源、私はこれは外部から来たから、あっ、これ資源じゃない、これ資源じゃないと気付くんだと思うんですけれども、その気付かない資源をその人たちと結び付けていきますと、それが何か膨大なお金を払わなくてもボランティアでそれを生きがいとしてやってくれる人が一杯出てくるという、そのつなぎの役を地域本部というところは果たしているわけなんです。そのつなぎの技術というものを蓄積すれば、例えば校長が替わっても先生が替わっても、その文化、伝統は維持できるんじゃないかなと考えています。
  176. 紙智子

    ○紙智子君 済みません、もう一点お聞きしたいんですけれども、学校でのいろんな取組や問題解決という場合に、やはり校長のリーダーシップだけじゃなくて、その教師の意見をどうくみ上げていくかということも大事だというふうに思うんですけれども、その点で教員との協働をどうつくり上げているのか、工夫や配慮ということについてお話しいただければと思います。
  177. 藤原和博

    公述人(藤原和博君) 私が実は最初にやったのは、十四人の教員一人一人にあなたはどういう学校づくりがしたいのかということを徹底的にインタビューすることです。私はその幾つかを実現しました。要するに、子供たちの前面に立っているのは教師ですから、教師が元気なくなっちゃうと子供たちもそれを感じるわけです。  日本の何といいますか、この二十年、三十年の傾向としまして、教育の問題が起きますと、それがいじめであっても学校の荒れであっても引きこもりであっても、全部学校か教師が悪いという感じになっちゃっていまして、学校と教師を総攻撃するようなところがあるんですね。だれも言い返してこないからなんですよ。私ぐらいなんですよ、言い返すの。でも、これはもうやめた方がいいです。もう何ぼ教師や学校を攻撃しても、もういいことありません。絶対にメリットはありませんので直ちにやめていただいて、そういう評論家的な根性をやめていただいて、学校の現場に参戦してほしいんですね。来て教えてみてほしいんです。どんなに難しいか分かると思いますので。そういうことを強くお願いしたいと思います。
  178. 紙智子

    ○紙智子君 それじゃ、池谷公述人にお聞きします。  いろいろ出されているもの、先ほどの話も一々うなずきながら聞いていたんですけれども、新聞に前に載っている「論点」に出されていたところに触れて、環境保全や安全、健康、災害の防止に関する社会的規制を緩和することの誤りということで書いておられたことがあるんですね。その中で特に河川敷について、自動車やモトクロス用バイクに使用させるということや、国立公園、国定公園内に風力発電の施設を条件付で認めたりと、いったんは規制したんだけれども、またそれを下ろしたということなんかも含めて、生態系への影響の問題などを懸念されているのが出ていたわけですけれども、ちょっと、そういうことをめぐってもうちょっとお話しいただければと思います。
  179. 池谷奉文

    公述人(池谷奉文君) 御承知のとおり、日本の例えば植物の二七%が絶滅寸前、哺乳類でいきますと四二%ぐらいが絶滅寸前、まさしく日本の自然生態系が崩壊をしているわけですね。こういう中で、わずかに残っているのは河川敷なんですね。そういったところをモトクロスに使用、つまり現代世代の要求をもっと入れようという考え方。風力もそうですね。これまさしく、それ電力が欲しいのは我々世代であって、将来世代はあれは全部ごみになるんですね。どうするのかという話です。  つまり、もはやこれだけ豊かな生活して、もっと豊かな生活しようという考え方は違うではないかと。つまり、そういった規制緩和は違うでしょうということを申し上げたいわけでございまして、我々の世代はもう少し質素なものにこうしていく、そのことによって将来世代の財産を守って、それでその自然と共存した社会をつくる、これが今求められていることではないかなということでございます。
  180. 紙智子

    ○紙智子君 どうもありがとうございました。  終わります。
  181. 渕上貞雄

    渕上貞雄君 公述人のお二人の方、本当に一日御苦労さんでございます。どうも私が最後でございますので、よろしくお願いを申し上げます。  まずは、藤原公述人に御質問を申し上げますが、先ほどのお話の中で、心は人と人との間で育つと、ではその育ち方をどうしていくのかと、それは生徒、それから先生、父兄、地域、みんな一緒になってやろうと。その一つとして先生と生徒プラス学校サポーターというようなことの発想をお聞きしまして、大変すばらしいことだなと、これもすべて生徒の自立心をどう育てていくかということではないかと、このようにお話を伺わさせていただきました。  そこで、先生が実行されているすばらしいそういう行為があってもなおかつ後れている生徒、それから、なおどうしても付いていけない人たちがいるのではないか。そういう経験があればお話をひとつお願いしたいと、こういうことが一つと、もう一つは、生徒の中にも障害を持った子供たちがおられると思うんでありますが、そういう障害を持った子供たちと普通の健常者の子供たちの間の教育というものを、こういう学校の社会化、学校の地域社会化ということを目指しているとすれば、学校現場でどのような形で行われているのか、御説明いただければと思います。
  182. 藤原和博

    公述人(藤原和博君) どうしても、特に数学とか英語の授業に多いと思います。後れてしまう生徒はおります。とりわけ、小学校のときの三、四、五年で、先ほどもちょっと触れましたけれども、掛け算の九九、それから分数、約分ですね、これがすこんと学ばれずに来てしまいますと、中学で、方程式の構造は分かるのにAとBの前に付いている分数が足せない、それでできないという、あるいは約分できないという、そういうことが起こるんですね。物すごくここが大事です。ですから、小学校の反復による九九と分数、約分についてはきっちりやっぱりやるべきだというふうに思います。  和田中では、そういう後れのある子については教師が非常に頻繁に補習をやります。それから、土曜日寺子屋ですね、こちらには、教師ではありません、大学生で教職を目指す大学生が十人ほど来ておりますから、好きなお兄さん、お姉さんつかまえて自由にやるという、ここでは評価が行われませんから、もう少し自由な感じになります。そういう場所があるということは大きいと思います。  それから、障害ですね。これはちょっとした事件がありました。私のところには今年の一年生に耳の聞こえない子がいます。初めての体験なんです。みんな、見た目そうは見えないんで、例えば後ろから声を掛けて彼女が振り向かないというようなことで、いじめまで行ったかどうか分かりませんけれども、そういうことは一杯あったと思います。  それから、当初バスケット部にこの子入りまして、バスケットっていうのは、私も初めて気付いたんですが、パスをするときに、やっぱり先に走っていって、はいと言って声掛けて振り向いて渡すので、これができないということで、ずっと引き止めたんですが、やっぱりやめるというようなことがありました。この子が秋の学芸発表会で、うちは意見発表というのをやっていまして、それで彼女が書いた意見文が学年で一位に、みんなから選ばれてそれを発表したんです。  この内容を言うのは時間が掛かるのでやめますけれども、結果的に、それを、その学芸発表会での彼女の意見表明、小学校のときに一度死のうとしたこともあるんだと、それを助けてくれたのは友人だったという、そういうことだったんですけれども、この後で流れが変わりまして、周りの生徒が彼女から非常に学ぶようになったんです。  とりわけ、秋に教師が非常に見えにくいいじめの事件が起こりまして、すごく見えにくいんです、今のいじめというのは暴力じゃないですから、無視したりとかそういうことですので。それを、いじめられている子を彼女が精神的に支えて、そしてそれはもう言った方がいいよということをサジェスチョンしたというようなことがありました。  そんなようなことで、私が感じますのは、程度にもよるかもしれませんけれども、様々な障害の子とともに学べるという、それがまた公立校の良さではないかと思います。先ほども述べましたけれども、公立校、足切りしていませんから同質の人間じゃありません。同質な人間ならもっと簡単に効率的に教えられるんでしょうけれども、私立と違う、ばらばらです。だからこそ、人間として学ぶことが多いんではないかと。それが公立校の良さだというふうに確信しております。
  183. 渕上貞雄

    渕上貞雄君 既に時間になっておりますけれども、公述人の方二人おられますので、皆さん方のお許しをちょっといただきまして一つだけ。  環境はごみだと、ごみから人間の生き方の価値を考えようと。すばらしい提言でございました。ただしかし、世の中ある程度今の生活を維持していくということになると、自然環境の破壊もあるだろうし、技術の発展の結果、それによる、例えば自動車の発達によって事故が起きてみたり、公害が起きてみたりというようなことはある程度我慢しなきゃならないのではないかと。  科学の発展によって人間の生活が豊かになってきたときに、そのときに環境と人間との関係というようなことが、ちょっと御示唆いただければと思います。
  184. 池谷奉文

    公述人(池谷奉文君) 今の我々の生活は基本的に何によって支えているかといいますと、将来世代の財産を食って支えられているわけですね。これをもっと伸ばそうという考え方はやっぱり問題があるわけでございまして、それとともに、日本財政上も七百兆円を超える負債があるわけでございまして、これから日本の場合、特に世界的に重要なのは、労働人口が減ってくる、そういったことがいろいろ重なってくることが、あと十年前後で多くの問題が起こってまいります。  そういったことをも踏まえましても、もはや我々としては、今の生活をそのまま保とうという考え方は基本的に違うわけですね。ですから、はっきり国民にそれは無理だということを言う必要がございますし、もちろん、我々NGOとしても、国民に対してこれは無理ですよということを言い続けているわけでございまして、そういったリーダーシップをどこが取るかということが大変重要なときにあるのではないかと思っていますが。
  185. 渕上貞雄

    渕上貞雄君 ありがとうございました。
  186. 中曽根弘文

    委員長中曽根弘文君) ありがとうございました。  以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人方々に一言御礼を申し上げます。  本日は、大変有益な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会一同を代表いたしまして心から厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。(拍手)  明日は午前十時から委員会を開会することとし、これをもって公聴会を散会いたします。    午後五時八分散会