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参考人(
渡邊啓貴君)
東京外国語大学の
渡邊でございます。本日は、このような席にお招きいただきまして大変ありがとうございます。
私も、私は特に
フランスを
中心にしながら研究してきておりまして、そういった立場から、
EUということでございますけれども、
米欧関係あるいは
世界の全体の
構図を考えながら少し
お話しさせていただきたいと思います。何かの皆さんの今後のお仕事の点でのお役に立てれば幸いかと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、実は今、
羽場先生の
お話をお聞きしながら、
羽場先生の
お話ししていないところをどうやって話そうかというふうに考えておりました。誠に全体的に広範にわたる、構造的な話まで含めまして遺漏のない
お話であったと思います。
そこで、私は、ちょっと
レジュメを
ごらんになられて、一目見られるとお分かりかと存じますけれども、極めて、余り行儀の良くない
レジュメを書いてございまして、その点から、その
レジュメをちょっと触れるような形で、
世界の
構図の中での現在の在り方ですね、そうした中での
EU、そして焦点はもう
一つ、
日本が今後、今、
羽場先生は
EUから学ぶとおっしゃられましたけれども、私の場合はむしろ、主体的に
日本がどうしていくのかということに焦点をもう少し傾けながら
お話しさせていただきたいと思います。
最初に、
EUの話、よく
ヨーロッパを学んでますと何か話してほしいとか質問をされるんですけれども、いかんせん地球の裏側の
お話ですから、どこから
お話ししたらどこまで理解していただけるのかいつも考えるところですけれども、そのときに、やはり我々は
日本人ですから、どういうことを学び取るか、あるいはどういうことのインプリケーションがあるかということを考えるわけでございまして、そのときに
日本がどういう、そのときに
日本がどういう国になっていくのか、あるいはいきたいのかという、そういったビジョンをそれぞれ持って、持ち方が違うと思うんですね。そのことによって
ヨーロッパの理解の仕方というのはまた違ってくるだろうと思います。
そういった
意味から、私の基本的な姿勢というのは、まあ
日本が
外交的に中級国家でいいとか、あるいは
政治的貢献をそんなにしなくても後追いしていればいいとか、いろんな
意見はございますでしょうけれども、まあ一応夢といいますか、
日本が常任理事国入りをするということであれば、
政治的な
意味での、あるいは、これはアグレッシブな
意味ではございませんけれども、やはり戦略的な思考を持った、あるいはそういったレベルでの
世界との
交流ができる、よりできる国になっていけるようにと、そういう視点からこの
ヨーロッパのことを考えてみたいなというふうに日ごろから考えております。これは、もちろんそれぞれのお聞きになられる方によって観点が違われようかと思いますけれども、そういうふうな立場をちょっと頭に入れていただければ、少し私の
お話、お分かりいただけやすいんではないかと思います。
ところで、
レジュメの
最初のところから申し上げますと、具体的に
お話しするとかなり内容的に重なるところございますので、少しはしょったような形で
お話ししていきたいと思います。
ヨーロッパ統合といいますといいことであるという、単純に言いましてですね、国がまとまって、異なる国が、あるいは
戦争で戦ってきた
ヨーロッパの
国々がまとまって平和になっていく、いいことじゃないか。まあそのとおりでございますけれども、じゃそれを
日本や
アジアに持ってきて考えたりするときに、すぐ、じゃ
状況が違うということにすぐなるわけでございまして、そうなりますと話が進まないわけでございますので、
一つ、ここに
統合についてのいろんな解釈がありますけれども、平和だからいい、まあ人によっては勧善懲悪型の
統合論という見方もございます。それから、相互依存によって自己育成を
ヨーロッパはしていっているんですから、当然、緊密になっていくのは当然であろうということであります。
私自身は、国民国家の救済という言葉をそこに挙げておきましたけれども、1の②のところに書きましたように、これは国境を越えたリストラなんだというふうに考えるようにしております。てらった表現のつもりはないんですけれども、この十年来、こういう
お話のときに私はこの言葉を使わさせていただいております。
ちょっと卑近な話になりますけれども、私自身が今から二十年ほど前、
先ほどちょっと
羽場先生がメンションされた
パリ大学の
フランク先生のところで、その
フランク先生の先生に当たる方のところで私、大学院で勉強しておりまして、ちょうど一九八五年というのは今の
ヨーロッパの
統合、
拡大が進んでいく
一つの発端になります域内市場
統合と。つまり、関税
統合はもうとっくに過ぎて、成功しているわけですから、非関税障壁ですね、非関税障壁の面での市場
統合を進めていこうという動きが活発になった時期であります。
フランスのドロールという次期大統領候補と言われていた方が
欧州委員長になりまして旗振りを始めると。
当然、私、当時
フランスにおりまして、
ヨーロッパにおりましたもので、
EU統合、
拡大、
拡大って、まあ当時は域内市場
統合ですけれども、うまくいくのかね、それから何を一体これは
意味しているんだ、実際、
ヨーロッパ人も疑心暗鬼であります。そんなに、今までだってうまくいってなくてぎくしゃくしているのにという、今後そんなに簡単にうまくいくものでもない、一体これは何を目指しているんだ。
ただ、私の周りにいる大学の関係、まあ言うなればインテリの人
たちですけれども、あるいはエリートと言っていいかもしれませんけれども、こういう方
たちはこれはいいことだから進めていくんだと言うわけですね。しかし、
統合をして、今でも苦しい事情にある人
たちは安い労働力入ってきたらどうするんですか、ある企業がある
地域に集中した場合どうなるんだろうと、そういうふうな話がありまして、エリートでない人
たちは反対という声も随分あります。今日でも、右寄りの極右政党なんか、あるいは共産党の左、
フランス、例えば
フランスですけれども、そういう勢力は今でもこの
EU統合については非常に慎重でございます、あるいは反対であります。
つらつら私も何年間かその後考えておりまして、やはりこれは我々
日本人にはちょっと分かりにくい時期のスタートだったんだと思います。というのは、八〇年代のこの後半から九〇年代の初めにかけて我が国は御承知のように大変な
世界的な
経済の
発展を示すわけでありまして、
ヨーロッパでソニーの盛田
会長の翻訳が出ると、本の翻訳が出るとかという時期でございます。振り返って
ヨーロッパを考えてみますと、七〇年代の石油
危機からうまく回復していない。そうした中で、御承知のように、御記憶であろうかと思いますけれども、サッチャーの小さな政府とか、一方でミッテランの社会主義政権の大きな政府とか、そういう話が出て、試行錯誤を繰り返しておりました。にもかかわらず、八〇年代の半ばまで
ユーロ・ペシミスムというように非常に悲観的な雰囲気が強い、そういった中でのドロールの域内市場
統合という旗振りなものですから、みんな、何だ、こんなことできるのかねという不安感も非常にあったわけであります。
気は心と申しますが、
目標を立てて頑張れ頑張れと言っているうちにうまくいくようになったというのが現在の
状況でございますけれども、そのような
意味で私は改めて、この国境を越えて、各国が一国
経済あるいは一国社会
経済ではうまくいかないと、こういった
状況に直面しまして苦肉の策として、もちろん過去の歴史はございますけれども、苦肉の策として、もう一度みんなで
協力しよう、そのことは良いことであるというふうに認識したのが八〇年代半ば以降の
欧州の
統合、そしてまた
拡大ではなかったかと思います。ちょっとレトリカルな言い方ですけれども、そういう
意味でリストラであると、各国のリストラであると。
このことは、今日に至る、憲法条約ですね、昨年、一応合意いたしまして、今後、調印いたしまして批准のプロセスが待っておりますけれども、そういった
流れというのはそういったリストラの、リストラは当然各国の制度の改革に結び付いていきますので、そういった制度改革、そしてその制度の改革をプッシュするようなドライビングフォース、精神的なドライビングフォース、これは
ヨーロッパの
アイデンティティーというようなことになろうかと思いますけれども、そういったものを精神面でも制度面でも確認していこう、あるいは新たに
自分たちでコンセンサスを作っていこうというのがこの
欧州憲法条約、
EU憲法条約の
お話であろうかと思います。
さて、そういった私は考え方を持つようになったもう
一つの背景というのは、
先ほどクーデンホーフ・カレルギーの
お話を
羽場先生おっしゃられましたけれども、実は一九二〇年代、二九年に
国際連盟で、
フランスのブリアンという
政治家がおりますけれども、後に首相になりまして、ケロッグ・ブリアン不戦条約で有名な方ですけれども、彼が一九二五年あるいは三〇年に入りまして
欧州統合の提案を
国際連盟でもう既にしております。そのときには詳しい計画が立てられておりまして、今日いう人の移動の自由は入っておりませんけれども、資本の移動の自由とか、あっ、人の移動は入って、あっ、資本の移動の自由だとかサービスの移動の自由だとか、そういうことは入っております。かなり、それから社会契約、労働、労使関係の社会契約、こういった問題についてはもう既に触れております。今、これを読みますと、ローマ条約、そしてその後の、戦後の
EUの、EECの
拡大の動きというのが非常にそのときの、
あとそれを実現しようとしているんだなというのがよく分かります。
これが今から七十年、八十年前の
お話でございますけれども、そのときに
フランスのエリオという急進社会党、当時の首相が、やはり
ヨーロッパ合衆国論というのを書いております。その中に出てくる言葉にこういう言葉がございます。
ヨーロッパは
世界で最も優れた国だ、
地域だというふうに
自分たちも考えていた。ところが、御承知のように、第一次
世界大戦で
アメリカが
世界一の国になりまして、そして妹であると思っていた
アメリカが
世界で一番になって、
自分たちは追い越されている。そして、つらつら地球の裏側といいますかユーラシアの東の端を見ますと、
日本が一生懸命勤勉に頑張って
アジアで勢力を伸ばしていると書いてあります。これ一九二五年の
お話であります。二三年ですね、この本が出たのは。二三年の
お話で、今から八十年前です。一九八五年に私が留学をして、ドロールが旗を振り始めたときに出てくる言葉が全く同じようなことです。
アメリカと、それから
日本、そして将来の市場として
中国ということを言い始めます。
こういったことから、私はどうしてもまだこの
拡大等の動きというのが国境を越えたリストラであるというふうなその
流れにあるのではないかと。その
流れにあるいい点と、それからまた限界というのがあろうかと思います。もちろん、
先ほど最初に申し上げましたように、
ヨーロッパの
統合、様々な解釈がございまして、
ヨーロッパ・
アイデンティティーでみんな親しいから当然進むんだとか、あるいはいろんな考え方がございますけれども、取りあえず
一つの考え方としてそういったことを考えておる、御指摘させていただきたいと思います。
その上で、実は二番目になりますけれども、西欧型国民国家とか、ちょっとまた大学の講義のようなことをちょっと書いてしまったんですけれども、その中身は簡単でございます。要するに、形の上での中規模の、帝国ではございませんし、小国ではない、中規模の非常にバランスのいい
政治機構としての
ヨーロッパでの
フランスや
ドイツとかという
国々の国家ができる、ステートができる。その一方で、そこに住んでいる人
たちの間で一体感が出てくる。それを共属意識というふうに書いておきましたけれども、ちょっと小難しい学者的な表現になりましたけれども、そういった
状況ができる。
じゃ、この国民国家の中身は何か。
統合というのは、さかのぼればローマ帝国から
統合といえば
統合と言えますけれども、私はそういう
意味では、今日我々が語っている
統合は、あえて理屈っぽく言えば近代的な
統合だと考えております。帝国ではないという
意味でございます。つまり、そこに込められているのは、身分差がない、格差がないということが
前提でございます。つまり、近代的な社会の延長にある
統合でございますから、これは
民主主義、平等、社会契約、こういったものが埋め込まれた
意味で我々は
統合という言葉を今日使っているんだろうと私は考えます。その
意味で、
統合というのはやはり善なる概念、だれが見ても否定できない概念であろうかと思います。
同時にまた、これを物理的に推進しているのはやはり資本主義であろうかと思います。これはいずれも近代的な
市民革命等産業革命以降の
一つの必然的な
流れであろうかと思います。そして、この資本主義は、
統合していくことが同時に
拡大という論理でございます。市場が
拡大ということは、そのまま市場の
統合、システムの収れん化、一元化ということになるわけですから、資本主義が持っている
拡大と
統合あるいは深化とよく言われますけれども、
拡大と
統合、深化という
二つの大きな特徴がそのまま
EUの
拡大と
統合の、これすべてではございませんけれども、かなりの部分を占めているんではないかと思います。これが私の
意見でございますけれども、そうした近代的な
民主主義、
市民社会と、それから資本主義が持っている
拡大、深化、この
二つのものがずっと
統合の核になっていると私は今でも考えております。もちろん細かく言いますと、そこにテクノロジーとかどういう資本主義の
拡大かと、様々な局面がございます。
ここでは詳しく述べられませんけれども、そういう
二つの両輪を考えてみますと、実は四番目の
冷戦終結以降の
拡大による
ヨーロッパ統合の変容というところでございますけれども、これはどう考えても、本来、十全な
意味で、あるいは第一次、二次
世界大戦が終わって、六か国、ベネルクス三国と
独仏伊でスタートしたときの
EU統合、あるいは
ヨーロッパ統合ですね、あるいは第一次
世界大戦のときに
フランスのエリオなどが言い出した
EU統合とは当然違うわけでございます。そこには、ちょっとこれは
羽場先生、ハンガリー御専門なので、私は
フランス専門なものですから見方が逆になっているかもしれませんけれども、それはそれで見方の違いとしていいところだと思いますけれども。ちょっと極論ですけれども、あるいは語弊のある言い方ですけれども、
統合というのは、
中心と周辺という二重構造になっていかざるを得ないと思います。
拡大が進んでいけば、当然キャッチアップされる国とキャッチアップしようという国の、あるいは
地域との格差というのは否定できないと思います、物理的に。
先ほど羽場先生がおっしゃられたのは、それを乗り越えようという
意味での対話ということをおっしゃっておりました。
さて、そこででございますけれども、そこでお書きしたのが、多段階
統合論とか柔軟性というふうな言葉でよく言われていることであります。できる分野でできる国が
加盟して、
あとの国は追い付いていけばいいじゃないかというふうに考えれば、
統合が
拡大していくということには、
拡大という言葉自体は肯定していけるわけでありまして、つまり格差を認めながら、時間という
流れ、時間の
流れの中で仲間が増えていけばいいというふうなことになっていっているんではないかと思います。
実は、こういった議論というのは、九〇年代の後半、特にアムステルダム条約辺りからかなり言われ始めているんですけれども、ニース条約、二〇〇〇年の十二月のニース条約ですね、ニース
欧州理事会のときにこれがはっきりと確認されたんだと私は解釈しております。そのときに今日の
EU憲法条約の元々の素案であるニース条約の案が出されるわけでございます。ちょうど私、この二〇〇〇年の十二月、ニース条約の直後にブラッセルで
EUの
世界大会というのがありましたときに、
EUの
拡大というパネルで報告する機会がありまして、
日本とASEMというようなことで報告したことがございます。
全体の大会のテーマが
拡大なんですけれども、言うまでもなく
拡大、ポーランド、ハンガリーとか中・
東欧諸国がまずその範囲に入っております。それからその周辺諸国、
EUの周辺諸国、だんだん同心円から広がっていくような形でパネルが幾つもできているわけですね。
私が所属したパネルというのは、その中の一番外の、
ヨーロッパを
中心とした一番外の同心円の
国々が参加しているパネルでございました。私と一緒に発表した人は、チュニジアの人でありますし、アルゼンチンの人でありますし、
ロシアの人でありますし、
アメリカの人でありますし、ブルキナファソの人でありました。つまり、ここまで
拡大しますと、これは、
先ほどワイダー・ヨーロッパと言いましたけれども、これはワールド
ヨーロッパでありまして、
世界じゅう全部
拡大でございます。ちょっと皮肉な感じで、
ヨーロッパはまた
ヨーロッパ帝国主義なのかなと一瞬思ったような次第でありますけれども。
一つ世界を視野に入れ、
拡大というのが
世界を視野に入れたものであるということ、その
意味では、従来我々が考えてきた
EUの
統合というものとは違っておりまして、
中心と周辺という格差を元々認めたような形での
拡大、
統合が進んでいっているのだと思います。
その
意味で、最近
欧州委員会などの首脳部の方が言われる発言の中に、4の③に書きましたけれども、繁栄と平和のプロジェクト、繁栄と平和という言葉を使っております。その背景には、
民主主義や市場主義
経済の
発展ということになろうかと思いますけれども、そこには
ヨーロッパでなきゃいけない、
ヨーロッパならではのものでなきゃいけないというふうなところがだんだん落ちてきているように思います。もっと緩い
統合だといえ、あるいは繁栄、
経済的なプロスペリティー、あるいは平和、社会的な秩序の安定、こういったところに焦点が絞られてきている、取りあえずのですね、
統合の焦点が絞られてきているんではないかと思います。そういう
意味では緩い
統合の形態であろうかと思います。
そして、そういう
意味では、
国際政治理論なんかでよく言われる言葉で言えば、不戦共同体、あるいは価値とか文化とか行動規範なんかの
最大公約数の集まりである
安全保障共同体、これは説明が必要な言葉ではありますけれども、そういった中には新たな政体ができようとしているというふうに言う人もいますけれども、そういった、私はこういう言葉がいいんじゃないかと思いますけれども、ある
意味での
国際的なパブリックスペースが作られようとしているのが
EUの
拡大ではないかと思います。
その上で今後のことを考えますと、
先ほど羽場先生がおっしゃられました
ソラナ・ペーパーというのは、私は
イラク戦争をめぐる米欧対立が非常に反映されたものであったかと思います。
ヨーロッパ自身は、それを本気でどこまでやれるかどうかということは確信はそれほどない部分はあると思います。はっきりと確信していたり、コンセンサスが取れているとは必ずしも思えませんけれども、米欧対立の中で出てきた問題がそこに網羅されております。
先ほど御紹介されましたように、マルチラテラリズムあるいは
国連ということ。
そしてその中で、ちょっと補足になりますけれども、昨年の九月に、この
ソラナ・ペーパー、
欧州の新
安全保障、新しい戦略の延長としまして、
EUが人間の
安全保障ドクトリンというふうなことを言い始めております。人間の
安全保障ドクトリンですね。ここでは、もちろん
国連なんかで言ういわゆる草の根的な、あるいはハードではなくてソフトな部分での
協力ということでありますけれども、それから
ソラナ・ペーパーの継続でいえば
信頼醸成だとか予防
外交ということなどでございますけれども、
一つ注目したいのは、いわゆる軍隊と、
軍事力を持った軍隊ですね、兵力と、それから同時に民間部門のNGOだとか法律家だとかそれから医者、そういった人
たちも一緒になった、そして人数的に半々になった混成部隊を作っていこうというふうなことを言っております。新しい
一つの試みであろうかと思いますけれども、それを人間の
安全保障ドクトリンの中での
一つのそういった新しい形の部隊ということを言い出しております。
これは、
イラク戦争のあの前後一年間、私ちょうどワシントンで、
アメリカで、
戦争になっていき、そして
戦争終結にどれだけ彼らが悩み、それから希望を持っていたかというのを日々ウオッチしていた時期が二〇〇二年から二〇〇三年ございますけれども、そのときの経験から考えてみますと、実は
アメリカとは違うやり方、
アメリカにハード
パワーでは勝てない、これは
アメリカの、ワシントンのシンクタンクも、それから政府、国務省の人もずっと言っておりましたけれども、
戦争、バトルはおれ
たちが勝てるけれども、しかし後のケアというのはおれ
たちだけではできないと。それがどのくらい掛かるのか分からない。ネオコン政府はそれは楽観的な見通しでやっていったんだと思いますけれども、そのことについては今度、逆に
ヨーロッパ側はずっと、それはできない、おれ
たちが必要なはずだと。
私、幾つかの雑誌や何かで書かせていただきましたけれども、どうしても
フランスをやっていると言いますので、シラクのことを書けというオファーがございますので書きましたけれども、そのときに、シラクはちょっとずるいから、
最後に何かおれ
たちがいなきゃやっぱり駄目じゃないかというふうなところを待っているんじゃないかというふうなことを書きましたけれども、必ずしもそういうふうに、両者思惑どおりにはいきませんでしたけれども。先般も、シラク大統領のところにブッシュが親しく会見する、それからまたシラク大統領が近々
日本に来るかもしれないというふうな話になっておりますけれども。
そこで、これは我々が
一つ日本と
EUということを考えるときにどう考えたらいいのかということに
最後数分でまとめさせていただきたいと思います。
先ほど申し上げましたように、
日本がどういうふうな将来の国の形成の在り方を我々は考えているかということによって全然アプローチが違うと思います。日・
EUの直接的な緊密化ということであれば日々努力する以外にないし、できるだけのことをやっていく、それがいいと思います。
先ほど羽場先生も御紹介されましたように、日・
EUの
アクションプランなんというのはかなり細かいところまでやっておりますし、それから両者のいろんなレベルでの、次官、それから審議官レベルでの日・
EUのいろんな協議会あるようでございます。これは外務省のホームページ出してみますと主なところさっと出てきまして、それだけでも大したものでございますし、うたってあるカバーする範囲も非常に広範なものになっております。九一年以降の、日・
EU共同宣言以降の
流れはあろうかと思います。
ただ、私、ここで御提案させていただきたいのは、それはそれでどんどんやっていくべきでありますけれども、これが日米あるいは日・
EUというふうに別個のものである以上、やはりこれは日・
EUの緊密化というのは
世界的な、あるいは
日本の
世界的な私が思う将来のあるべき姿としてのより大きなプレゼンスを広める、
外交的なプレゼンスを高める、強めるという
意味ではやはり狭いんではないか、あるいは細かく分け過ぎ、狭いんではないかと思います。米欧がかかわって、直接かかわってくるイシュー、そして米欧が時には
協調だけではなくて対立する場合もあると思いますけれども、そういう中に我々が
一つのアクターとして入っていけるような
協力の仕方あるいはビジョンの提示の仕方というのが
日本外交のプレゼンスを高めるという
意味ではやはり重要なことであろうかと思います。
抽象的な
お話を、申し上げ方をしましたけれども、つまり日・
EU、日米、そして米欧が別々にありまして、
日本と米欧との関係はまた別にあるということではございませんで、米欧との関係の中に
日本がビルトインされているというふうな、その中での、どう発言していくかと。あるいはまた、そういうことで、場合によっては逃げてはならないというふうに私は、ちょっと理想論かもしれませんけれども考えます。
抽象的過ぎますけれども、少し私なりの例を
最後に一言、ちょっと一分ぐらいおかりして。
イラク戦争のときに、
国連か、そしてマルチラテラリズムか、
ヨーロッパか、古い
ヨーロッパか、それとも
アメリカか。対立した場合には、我々は
アメリカ、日米安保重視、これはそのとおりでありますけれども、日米安保を外してアンチ・
アメリカなんていった、私は
フランスですから、そういうことでちょっと話してくれと言われますけれども、そういうことでは、それは現実的ではない、日米が軸でありますけれども、そういった中で我々はどういうふうなタイミングで
ヨーロッパをサポートしたり、あるいは米欧との
協調に手をかしていったり、そのタイミングというのが実に重要であろうかと思います。そのタイミングは単なる技術的なものではなくて、我々
日本の
世界における見識を示していくものであろうかと思います。
細かいことは省略しますけれども、
イラク戦争の前後に我が
外交、いろんな形でコミットする姿勢は示しました。これは私、高く評価したいとは思いますけれども、もっといろんなやり方があったのではないかなということを
最後に個人的な
意見として述べさせていただきまして、御報告に代えさせていただきたいと思います。
どうも御清聴ありがとうございました。