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参考人(
高木誠一郎君) ありがとうございます。青山学院
大学の高木でございます。
本日は、このような機会を与えていただきまして大変光栄に存じております。私も小此木先生と同様に
大学の教員でございますので、一時間半の話に慣れておりまして、どううまく三十分に収めるか、多少工夫はしてまいりましたけれども、何とか収めたいと思います。時間も限られておりますので、私は今日、二点お話しさせていただこうと思っております。
私は
中国を専門に研究しておる人間でございますので、
中国絡みの話を期待されて今日こういう機会を与えていただいたと思っておるんですが、
中国をこの
地域の
不安定要因と考える場合、しばしば驚異的な経済成長に伴う軍事支出の急増、そしてそれに伴う軍の近代化の進展という
観点から、軍事的な脅威になるという懸念がしばしばいろんなところから表明されておるわけですが、そういう話は皆さんもかなり御存じのことと思いますし、そういう問題が現実化するとしてもかなり将来のことになると思いますので、軍事的脅威の話は今日はおきまして、むしろ
中国の国内が政治経済的に混乱して、それがこの
地域の
不安定要因になるという
可能性はどのようなものかと、そういう
可能性があるかないかについてどういうふうに考えたらいいかということを一点、お話ししたいと思います。
それからもう一点は、
中国の軍事的脅威が具体化するのはかなり将来のことだというふうに申しましたけれども、ただ、今申し上げたことにすぐ訂正を入れなくてはならないのは、申し上げるまでもなく、台湾海峡の状況でありまして、台湾において
中国が武力行使をするということになれば、もう現在既に十分なる、ある
意味では十分な軍事力を備えておりますので、それによるこの
地域の不安定化ということは当然懸念されるわけであります。
ただ、私の理解するところによりますと、
中国と台湾の
関係につきましてはもう既に専門の方のお話があったようでございますので、私はこの問題に
アメリカがどういうふうに関与してくるであろうかということを第二点としてお話ししたいと思います。
それで、第一点の
中国の政治的な安定性あるいは不安定化の
可能性ということについてなんですが、学生にするような話で誠に恐縮なんですが、これにつきましては、私は、ハンティントン、ハーバード
大学のハンティントン
教授の理論が非常に有効であるのではないかというふうに考えておりますので、まずこのハンティントンの理論というものを簡単に御紹介させていただきたいと思います。
ハンティントン
教授は、九〇年代の初めに、
冷戦後の世界が
冷戦のようなイデオロギーの対立から文明の衝突の時代に入ったという見解を提示されて非常に話題を呼んだ方でございますので、皆さんも御存じのことと思いますが、今日私が取り上げますのは、六〇年代の末から七〇年代の初めにかけてハンティントン
教授が出した考え方でありまして、
アメリカがラテン
アメリカを
中心に発展途上国の近代化に関与してきた経験を踏まえて、近代化がなかなか政治の安定につながらないということをどう説明したらいいかということを考えて提示された理論でございます。
ハンティントン
教授によりますと、近代化が政治的な安定性にかかわる場合、
二つの側面が重要であるというふうにおっしゃっています。第一点は経済成長であります。それから第二点なんですが、これは、経済成長は特に御説明の必要はないと思いますが、第二点はそこに書きました社会的動員という言葉でありまして、この概念は実はハンティントン
教授の発明ではなくて、カール・ドイッチュという国際政治学者が提起した概念なんですが、カール・ドイッチュの定義は、そこに書いておりますように、旧来の社会的、経済的、心理的コミットメントが侵食されるか破壊されて、人々が新しい型の社会化や行動を受け入れられるようになるプロセスだということなんですが、簡単に申しますと、人々がその新しい物の考え方とか新しい行動様式を受け入れるようになるということであります。
こういうプロセスはどういうふうにして起こるかというと、そこに書いてございますように、都市化であるとか、それからメディアの接触の拡大とか、コミュニケーションの増大とか、教育水準の上昇とか、それから、ハンティントン
教授は挙げておりませんけれども、対外開放、それまで鎖国状態にあった国が外に向かって開かれてくるようになったりするとこういうことが起こるだろうと思われるわけです。
ハンティントン
教授は、この社会的動員とか経済成長の
関係がどういうふうに政治的な不安定性につながっていくかということについて非常に興味深い公式を出しております。それが1の2)に書いたことでございますけれども、彼の説によりますと、社会的動員が急速に進んでいて、それにもかかわらず経済が十分に発展しないというようなときには、当然社会に不満が起こると。不満が高まってくる。そして、この社会的不満が高まってきても、人々に移動の機会があれば問題はないと。つまり、農村の
人たちが都市に行くとか、それから同じところにいてもだんだんだんだん社会的な階層が上がってくるというような機会があれば問題ないけれども、移動の機会に比して不満の増大が激しいと、これは政治的な行動を通じて
自分たちの欲求を満たそうという行動が出てくると。それが政治参加でございます。この政治参加が急速に拡大していても、その政治行動を制度的に受け入れるメカニズムができていれば問題ないけれども、政治の制度化が進んでいなくて、個人独裁
体制のような、人々の政治行動が制度として認知されてないようなそういうシステムの中で政治参加が急速に拡大すると、それが政治的な不安定になるという考え方でございます。
それからもう
一つ、ちょっと
二つ前のところに戻るわけですが、この社会的不満が増大する過程については期待上昇革命という考え方がございます。これは三ページの第一図を見ていただきたいんですが、縦軸には生活水準、横軸には時間を取ってございます。この直線の方は期待で、ちょっとあんまり上手に書けていないんですが、この曲がっている線は実績だというふうに考えますと、この図の左下の
辺りのころのように経済が急速に伸びていると、それに従って人々の期待も上がっていくと。ところが、もちろん経済がマイナス成長になったりすれば不満が高まるというのは容易に想像付くことなんですが、マイナスにならなくても、その成長の速度がぐっと落ちると、期待はそのまま今までどおりのパターンで伸びていって、その期待と実績の間に大きなギャップができると。このギャップが社会的不満をもたらすんだという考え方であります。
時間も限られておりますので、ごく簡単に申しますけれども、私はこの考え方が天安門
事件のころの
中国の状況に非常によく当てはまるというふうに考えております。もちろん、今日のお話の
中心は現在のことですので、この天安門
事件にどういうふうに当てはまるかということはごく大ざっぱにしか申し上げられませんけれども、社会的動員がどのように進展していったかということにつきましては、三ページ以降の幾つかの統計表をごらんになっていただきたいと思いますが、明らかに社会的、一九七八年の末に
中国は改革・開放に踏み出して経済成長を
国家の最重要課題とするようになったわけですが、それ以降、八九年までの動きを見ていきますと、明らかにその社会的動員をもたらすような
条件が形成されてきております。
そして、実際、その新しい考え方が出てきたということにつきましては、そこに書いております三信危機とか、それからドキュメンタリーの、これはカショウと読みますけれども、「河殤」というドキュメンタリーなんかに現れておりまして、この三信危機というのは、社会主義
体制、それから毛沢東思想、共産党の指導といったものに対する人々の信頼あるいは確信が揺らいでいるということを、これは
中国の人が問題視し始めて使った言葉でございます。それから、この「河殤」というのは、もう
中国の伝統は駄目だと、外へ出て西欧のものをどんどん取り入れないと
中国はますます衰退をしていくという、非常に危機感にあふれたテレビドキュメンタリーでございまして、一九八六年に放映されたものですが、当時かなり問題になりました。
こういうものが出てきたということで社会的動員が進んでいるということが分かるわけですが、経済発展について見ますと、一九八八年から九年にかけて急速に経済発展のスピードが落ちております。明らかに期待と実績のギャップが急速に拡大して不満が高まってきたということが統計的にも実証できるわけです。そして、特に都市においては物価の上昇率が非常に高くて、実質的な生活水準が低下しているというような状況が出てきたようであります。
次に、移動の機会なんですが、このころ、いわゆる盲流人口というのが非常に問題になっておりまして、安徽省とか湖南省のような非常に貧しい省から、北京、上海、広州等の大都市に大量の人口移動がありまして、その都市で建設業等に従事しようということで人々が一気にその都市に押し掛けたという状況があったわけです。
こういうことから、当時、農村にはいろいろ問題があったにしても、農村で不満がたまるということはなくて、不満はむしろ都市に蓄積していたと。そして、都市で、今申し上げましたように、その生活水準が実質的に下がってくるというような状況がありまして、それが天安門
事件の前のあの、あるときには百万の民衆のデモが行われたというその大政治参加の拡大といった状況が出てきたわけでございます。
じゃ、そういうものを受け入れるような政治システムがあったかというと、なかったことは皆さん御存じのとおりでありまして、先ごろ逝去された趙紫陽という人が一九八七年に共産党の総書記として政治改革のプログラムを打ち出します。特に、この問題との
関係で申しますと、国民の政治参加の道を開くために、例えば大衆団体等の自立性を高めて共産党がコントロールするような状況をだんだん変えていこうというようなことを試みたんですが、ほとんど保守派の反対に遭いましてうまくいっておりませんで、基本的に政治の制度化ということも起きていない。起きていないところでその政治参加の爆発があったわけですから、非常に不安定な状況が現出しまして、結局は人民解放軍を投入してこれを鎮圧をするといったことになったわけであります。
こういうことから、私は、
中国の政治的安定性を見ていく上で、そのハンティントンの理論というのはなかなか役に立つというふうに考えております。
このハンティントンの理論の
観点からしますと、現在の状況はどうかということが一番肝心なことだと思うわけですが、その点について更にお話を進めさしていただきたいと思います。
まず、社会的動員ということなんですが、これは五ページの4表の2というところを見ていただきますと、コミュニケーションの拡大ということについての新しいデータなんですが、これはいわゆる携帯電話が
中国で急速に利用が広まっているということを表しておるわけでありまして、
中国は一時、特に八〇年代は、経済が成長しつつあるにもかかわらずコミュニケーションが非常に悪くて電話がなかなかつながらないといった問題があったわけです。当時は、もちろんそれは固定電話を前提にしての話だったわけですが、
中国は明らかにもう固定電話の
段階を一挙に飛び越えて携帯電話の世界に入っておりまして、今やどんな山の中に行っても携帯の中継局がありまして携帯で話ができるという状況ができております。
明らかにコミュニケーションは急速に拡大しておりますし、インターネットの利用も拡大しておりますし、テレビ、ラジオも非常に急速に、もう農村の隅々まで普及しているという状況でありますので、社会的動員の新しい状況が出てきていると言ってよろしいかと思います。
新しい考え方に人々の心が開かれているということを最も端的に示したのは、一九九九年の四月に起きました、あの法輪功の
人たちによる、中南海という、
中国共産党の幹部の住まいと、それから主要な機関が存在している北京の一角がありますが、その周りを一万人の法輪功の
人たちが取り囲んで法輪功の弾圧に抗議するという
事件がありました。
この法輪功の
事件は、特に彼らがインターネットを使って相互にコミュニケーションを取りながら、一九九九年四月のある日に、
中国の当局の全くあずかり知らないうちにぱっとそこに集まったといったことで、非常に大きな衝撃を
中国の指導者にもたらしたわけでありますが、こういうことからも、
中国の
人たちが、今や新しい考え方、行動様式に非常にオープンになってきているということは見て取れると思います。
ただ、その八八、九年との違いの非常に重要なものの
一つは、経済は一九九二年以降、数年にわたって二けたの経済成長を示すという、非常に驚異的な発展を遂げてきたわけですが、その後まあこれは減速しておりますけれども、八八年から八九年のような十数%から一挙に三%に落ちるという、そういう急激な低下はないわけです。一時だらだらと一二、三%から八%ぐらいまで落ちて、最近はまたちょっと九%ぐらいまで上がってきているという状況なものですから、経済の成長の問題というのは八九年のような状況ではございません。
それから、移動の機会につきましては、都市の人口収容力が限界に達しているということで、
中国は人口移動を厳しく抑制しておりまして、その点からいいますと八九年のように都市に不満が集中するという状況はないと思うんですが、むしろ今度は逆に農村で、まあ後で時間をいただければ多少詳しくお話ししたいと思いますが、状況が深刻化しておりまして、農村に不満が蓄積するという状況が出てきております。
それから、失業問題も深刻化しております。それから、これはよく
日本でも報道されていることですが、沿海地方と内陸とか、都市と農村、あるいは同じ都市の中でも所得の格差がだんだんだんだん開いていると、大きくなっていると。それから、政府
関係者あるいは党
関係者の汚職、腐敗もあるということであります。
で、政治的制度化につきましては、これもよく報じられていると思うんですが、八〇年代の末ぐらいから農村で実験的に村長とか村
会議員の選挙を行うということが行われておりましたが、これが九〇年代に入ってかなり広範に行われておりまして、農村で農村の運営に農民を参加させてそういう形で不満を解消していこうという試みはあるんですが、これがまだ一番下層の、しかも行政、正式の行政機関に至らないところで止まっておりまして、これが十分に、一気に政治参加が爆発したときにそれを吸収するメカニズムとして機能し得るレベルに達していないことは事実否定できないと思います。
それにもかかわらず、最近の新聞報道等を見てみますと、あちこちで農民の反乱が起きているという報道がございます。ただ現在、見てみますと、その反乱の対象はほとんど地方の当局でありまして、共産党の支配
体制に対して不満を表明するとか、これをぶち壊そうというような動きにはなっていないようであります。それで、農村ですから当然それぞれの
地域に孤立しておりまして、全国的な連携を持って農村で反乱が起きるという状況にはまだ至っておりません。
しかし、経済の成長率の面では八九年のような状況はないとはいえ、特に農村
地域で不満が蓄積しているということはやはり現在の指導者にとっては非常に不安なことでありまして、彼らもそのことはよく理解していると思います。
その例の
一つは、私の
レジュメの二ページ目の初めに書いておきました中央組織部の報告書というものがございます。これは二〇〇〇年から二〇〇二年の
中国の情勢を
分析したもので、曽慶紅という、今
国家副主席をしていらっしゃる方が当時中央組織部の部長だったんですが、彼の指揮の下に
調査をしてその結果をまとめた報告書なんですが、あちこちで農民の不満が高まって暴動が起きているということをきちんと報告しているものであります。
それから、現在の胡錦濤・温家宝
体制になりまして、しきりに
自分たちは国民に親しい、国民のための、あるいは国民を基本に置いた
政策を遂行するんだということをアピールしております。ついこの間、
中国は旧暦の正月でいわゆる春節であったわけですが、この春節のときも、例えば温家宝首相は、報道によりますと、エイズの
被害者の
人たちとこのお正月を過ごしたというようなことが報道されていまして、
自分たちは困っている
人たちのことをよく理解してそれを何とかしようとして奮励努力しているんだということを一生懸命国民に説得しているところがございます。
そういうことで、現在は八八年から九年にかけてのような非常に不安定がすぐ顕現しそうな状況にはないとは思いますけれども、相変わらずその不安
要因は抱えておりまして、これが今後どうなっていくかということはやはりこの
地域にとっても非常に重要なことですので、その問題をこれからもウオッチしていく上で、冒頭に申しましたようにハンティントン
教授の理論というのがかなり私は有効ではないかというふうに考えております。
それから、ちょっとそこに番外なこれ余計なことを書きましたが、もちろん
北朝鮮の問題は小此木先生が御専門でいらっしゃるので私が特に申し上げるべきではないんですが、今までのお話との関連で二点だけ申し上げさせてもらいたいと思うんですが、
北朝鮮もやはり非常に内部が不安定化するかどうかということが、よく我々のといいますかマスコミの話題になっておるわけですが、
北朝鮮は、やはりこの今の
中国の状況と比べてみますと、社会的動員というのはほとんど進んでおらない。つまり、鎖国
体制を取って情報コントロールも非常に利いておりますので、まず社会的動員が進んでいないとそう簡単には不安定化しにくいだろうということが言えるのではないかと思います。まあ、これにつきましては、ただ最近の話によりますと、外部、
中国の方からビデオだとか、それから特に携帯電話が急速に入ってきているということですので、今後は変わってくるかもしれません。
それから、よく
北朝鮮の場合、非常に経済が困窮しているので国民の不満が爆発するんではないかということが言われるわけですが、このハンティントンの理論に即して申しますと、生活が非常に困窮しているというよりも、生活が一時非常に良くなってきて、それが、その改善のスピードががたんと落ちた、そういうときの方が危ないのであって、ずうっと悪い状況というのはそんなに不安定化につながる状況ではないのではないかということでございます。まあ、この判断が正しいかどうかは後で小此木先生に御質問なさってください。
それでは、続きまして台湾問題の方に参りたいと思いますが、冒頭に申しましたように、この点につきましては、私は
アメリカがどうこれにかかわってくるかということだけを申し上げたいと思います。
アメリカの台湾に対する、あるいは台湾問題に対する基本的な姿勢は、そこに書いておきました戦略的あいまい性ということでございます。
これはどういうことかといいますと、
中国に対しては、台湾に対して武力行使をすれば我々は必ず介入すると、そうすると
戦争になるんだからそういう武力行使をするというようなことを絶対に考えてはいけないと言いながら、今度は台湾に対しては、あなた方が無謀な行動を取って例えば独立を宣言して
中国が台湾を攻撃しても、我々は君たちを助けてあげるかどうか、そんなこと分からないよと、それはそのときになってみないと分からないから決して無謀な行動を取ってはいけないと。じゃ、一体
アメリカはどうするんだというと、そこはあいまいに、わざとあいまいにしていると。これを戦略的あいまい性と申します。つまり、
中国の武力行使と台湾の挑発的な行動を同時に抑えようというのが
アメリカの基本的スタンスでございます。
ただ、それが基本的なスタンスではありますけれども、この枠はなかなか超えないと思うんですが、結構その枠の中で台湾の方にちょっと近づいてみたり
中国の方に近づいてみたり、揺らぎがございます。
その揺らぎをちょっとだらだらと書いてございますが、全部申し上げている時間はないと思いますけれども、まず
クリントン大統領が一九九八年に三つのノーということを申しまして、これは、台湾の独立、それから
二つの
中国、あるいは
一つの
中国、
一つの台湾、それから
国家をメンバーとする国際機関への台湾の加盟というものは支持しないということを言ったわけです。まあ、これはかなり
中国側に近寄った
発言なもんですから、当然台湾には大きな不安をもたらしましたし、また、
アメリカで親台湾の
立場を取る
人たちからは激しく批判されまして、九八年の後半ぐらいから、この三つのノーということよりも、問題は平和的に解決されなきゃいけないんだから、まず両岸が対話すべきであるとか、あるいは、どちらから見ても完璧ではないけれども、とにかく武力、
戦争が防げるような何らかの中間的な解決というのを模索しようということで、元
政権にいた人とか
政権の一部の人がそういう
発言を、具体的な案を提示したりしたことがございます。
しかし、それによっても不安は解消されなくて、結局、台湾の李登輝総統が台湾と大陸の
関係は特殊な国と国との
関係であるというようなことを言って、
中国がこれにかっとなったということがございます。そのせいもありまして、クリントンは
アメリカの
中国、台湾に対する
政策というのは柱が三つあると。
一つの
中国、それから両岸の対話の促進、それから平和的解決の主張ということだというふうにちょっと後退してまいります。
これが二〇〇〇年の選挙のときには
一つの
争点になりまして、当時は野党側であったブッシュ陣営が、クリントンは、やっているのは戦略的あいまい性であって、けしからぬと。我々が主張するのは戦略的明確性であると。明確性というのは、台湾は絶対防衛するということをはっきりさせることだというようなことを言ったことがございます。そして、
ブッシュ政権の初期には、台湾に向けて大量の兵器輸出を認めるとか、それから
ブッシュ大統領が、我々はどんなことをしてでも台湾が
自分たちの国を守ろうという努力を支援するというような
発言をして、
中国側を非常に不安に陥れたことがございます。
しかし、九・一一のテロ以降、米中の
協力関係が非常に進んできたこともあって、二〇〇三年の九月に陳水扁総統が憲法を改正するというようなことを言ったときには、ブッシュは今度はかじを切り替えまして、台湾の指導者たちが取っている言動というのは一方的に現状を変更しようとすることだと、それで、これはけしからぬと、これは支持しないというようなことを言っております。
昨年の十月には、
パウエル国務長官が平和的統一というのを支持するというようなこと、平和的統一に向けた両岸の
交渉を促進すべきであるというようなことを言ったり、台湾というのは独立してもいないし、主権を享受している国ではないというような
発言をして、今度は台湾を非常に不安に陥れると。しかし、その後でまたすぐ、要するに言いたいのは平和解決であるというようなことを言ってちょっと後退したりして、基本的には戦略的あいまい性の枠は私は出ていないと思うんですが、その中で
中国側に寄ったり台湾側に寄ったり、結構こうふらふら動いております。
台湾問題についてあと二点だけ、時間が参りましたので簡単に申し上げたいんですが、
アメリカは基本的に
中国に対してやはり警戒心を捨てていない。
と申しますのは、例えば二〇〇一年の十二月に出た核態勢報告という報告書では、
アメリカが
核兵器を使う必要があるようなケースはどういうケースかということが列挙してありまして、その中に、台湾で武力衝突があった場合というふうなことがここは書いておりますし、それから、二〇〇〇年から毎年出ております
中国の軍事力に関する年次報告書、国防省が出しておる報告書がございますが、ここでは常に、
中国が台湾海峡の
中国側にどんどんどんどん短距離
ミサイルを配備していて、台湾にいつでも
ミサイル攻撃ができる態勢をますます強化しているということが毎年のように書かれております。
しかし、だからといって、じゃ台湾側に完全に寄っているかというと、そうではございませんで、やはり台湾については台湾
関係法で基本的に台湾の防衛にコミットしているということがありながら、しかしそれで台湾がいい気になって独立の方向に突っ走るということは米中の
協力関係に対する攪乱
要因になるということで、
アメリカの対中
政策を邪魔する
要因としての台湾に対するいら立ちというものがしばしば
アメリカの指導者からは表明されるというのが現状だと思います。
多少時間オーバーしまして、失礼いたしました。
以上で終わらしていただきます。