○渡辺秀央君 当
委員会は、言うまでもなく
行政の監視そして監察、あるいはまた、国民から出てくるある意味におけるオンブズマン的な
意見を吸収して、そして
行政の誤りなきを期していく、これが当
委員会の、しかも参議院独特な
委員会であって、なかなか
法律審議ということとは違って
審議の日数あるいはまた時間設定が難しく、六年前に当
委員会の発足して数か月たった後、私は参議院議員として選ばれてこちらに参りましてから、
行政監視委員会というこの
委員会の持っている非常に国権最高の機関としての立法府における地位を大変大事に
考えて取り組んできた一人だと自負いたしておるわけであります。
今日は本当は、私はもう少し行く末を見ながらと思って、
質問の日にちを場合によっては入れ替えていただこうかとも思ったり、いろいろ試行錯誤もしてみたんですが、本来は、本当はまず第一番に、昨今の与党の間で
政府との関係で惹起されている郵政民営化法案に関して、この法案の提案の段階における今日的なところで
行政府の人事が急に強行異動させられている。本当はこれは
行政委員会で十分取り上げて
麻生大臣と、私自身も一年二か月ばかりかつて郵政を預からせていただいた人間として、しかもまたその後、私の後任である小泉現総理、郵政
大臣のときのやり口、手口も十分分かっておりますので、そこらのことも併せてひとつ
意見交換をしてみようかと思ったんですが、今日は当参議院では決算
委員会、衆議院では予算
委員会等で
大臣それぞれ
お願いをしても無理だということは分かりましたので。
実は趣を変えまして、また今、私自身にとっても大事な課題の一つでありますが、新潟の中越地震についての、先般の同僚議員水落君の同じ同郷の士としての立場から
質問もございましたけれ
ども、少し時期も融雪期から新しい時期にも入っておりますので、私もまたこの災害の問題、一々私の口から
質疑を余りせずにまいりましたのでこの段階で一度整理をしておきたい、こんな気持ちで、各省の
実務者の皆さんに出てきていただいて、現状を把握させていただきながら私の
考え方も申し上げさせていただこうと、こう思ったわけでございます。
この災害というのは忘れたときに来ると言われますし、しかもまた、この中越地震というのは、それは水落議員にしても渡辺秀央にしても新潟だからなということでとらえることではなくて、いつ何どき、この日本列島という構造、地層構造の中で特に地震などはどう起こるか、いつ起こるか分からぬ。現に、地震などは恐らく起こったことがないだろうと言われる九州で、しかも福岡でも、いずれにしても被害がその後、御案内のとおり起こっているわけであります。一つの
地域の問題として、同僚議員の皆さんに
是非御
理解をいただいて、またかということではなくて、
是非、我々の
地域の人間の
考えていること、しかもまた、馬齢を重ねてきた政治家の一人として随分と手落ちがあったなという反省の中から少し
意見も述べながら、
実務者の皆さんに、できれば誤りは改むるに怠ることなしという、そういうまあまあ率直に、これだけの改革の時代ですからどんどん、既定の概念ではなくて。
しかもまた、今言うように、どうも昨今の状態を見ても地球全体がおかしくなっている。もう本当に昨日など、私は名古屋の方に行ったり、おとといは新潟へ行ったりしておりますが、この時期で夏服の着用がおかしいというぐらい、昨日は最終で名古屋のホームに立っていると寒くて立っておれない、控室に入って時間、列車が入ってくるまで待つみたいな。これ年取ったせいかなと思ったりしたんですけれ
ども、どうも聞いてみるとそうでもないということで多少安心はしたんですが。
いずれにしても、どうも地球が、世の中も狂ってきているけれ
ども、地球も狂ってきている、変化を起こしている。既定の
考え方ではどうも追っ付かない点があるんじゃないか。
国土交通省の皆さんには私も、一生懸命に道路財源やってみたり、あるいは河川、災害対策で衆議院時代に現地へ行ってみたりして河川の予算だ何だというのをやってみて、かなりは社会資本の充実はできてきていると言いながらも、一体そういうことで
理解できるか、あるいはまた想像しているようなことで賄えるかという、一つの基準ということが想像できないような、そんなもう事態になっていますね。
一つの前線が、昨年の七月の私の地元である三条を中心にした水害などは、まるで一つの前線があの福島と新潟の間に止まっちゃって、そしてあれだけの大豪雨を一か所に集中してくると。ちょっと今まで
考えられない。しかも、それを予想してダムを二つも三つも造ってある。しかし、それでも追っ付かない。
こういうような事態が私自身の身近にあったことから言うわけじゃないですが、それぞれ同僚議員の皆さんたちのところにおいてもいつ何どきということも
考えられ得ることであるわけで、そういう意味では
是非、
実務者の諸君の皆さんからも何とぞ、今現在の
対応であればよろしいということではなくて、これを経験した結果によってこれからどういう災害に対する
対応、あるいはまた救助等々が行われていくべきであるのかということも
是非、まあ、こんなことを公の場で言っていいのかどうか分かりませんが、現に東海あるいはまた首都圏である
地域にも震災、地震が心配されると、ささやかれていることは決して私は脅かしではない。あるいはまた、悲観的なことでだけでもないんでしょうけれ
ども、そういう等々を
考えてみて、
是非とも、先般の
考え方と少し重複する面があるかも分かりませんが、細かに私としては珍しく各省庁に少し
質疑の内容を金曜日の夕方にはお届けしてあるはずでありますので、それに見合うひとつ
意見を皆さんから、
実務者の皆さんからお聞きしてみたいというふうに思うわけであります。
昨年の十六年十月二十三日十七時五十分、私はちょうど東京におりまして、ある病院の一番上の高い、一番高いところにおりまして、えらいことだなと思った瞬間、ニュースだからテレビをつけろと言ってテレビをつけたときに中越地震という報でありました。すぐに電話をしたらもうつながらないということでありましたが。
当日二十三日で、十七時五十分から夜中の十二時までの間に百六十四回の余震があったというぐらいなんですね。翌日のいわゆる零時から今度午後の十五時までの間に更に百十六回、二百何と八十回のこの余震の中で、
住民は不安の中で生活を余儀なくされた、あるいはまた避難をした。亡くなった人が、当日の発表、二、三日の発表で二十一人が四十六人になり、重傷は六百三十二人、軽傷者四千百六十一人というのが今日までの結果というような、もちろんこれ以上また増えていると思うんですがね。人身という、人身
事故を伴っているということでもありますけれ
ども、しかし、幸いにして農村部であったために、しかもまた時間的な面もあったかも分かりませんが、火事がなかった、これが非常に幸いだったと思うんです。
同時にまた、これは私、新潟県人として別に誇らしく思って、何といいますか、威張って褒めて言うわけじゃありませんけれ
ども、あの直後でも、テレビに出てくる我が郷土の人たちはみんな、いや助かりました、有り難かった、いや今度は二、三日たってくると救援物資が届く、いや本当に恐ろしかったけれ
ども全国の皆さんに有り難いことです、あるいはまた警察の皆さん、消防の皆さん、自衛隊の皆さん、あるいはまた
市町村の役所の職員の皆さん、あるいはまたさらには、その後はボランティアの皆さん、もうすべてに、私
どもの県民性かも分かりませんけれ
ども、感謝ということから、今日まで不便な生活や不安な生活を来しておるわけでありまして、これは、私は非常に気の毒な中にも、私
どもの新潟県人というのは非常に粘り強く、我慢強く、そして一生懸命に働くというふうな気風がありますけれ
ども、その一面をのぞかせた素直な気持ちが
全国にあのテレビやいろんなものを通じて報道されて、不幸な中にも本当によかったなと。
みんながただただ不平不満、自然の災害に文句を言って、あるいはまた注文を付けてもこれは致し方ない。ということは、我慢をすればやがてこの常のやみも明るさが来ると、夜もあれば朝が来るというような気持ちで今日まで頑張ってきているということから
考えますと、半年たった今日の段階でもう一つ何か明るさというものが今日のこの窓から見るお天気のように
考えられないものかなと、あるいはまた与えられないものかなと。こんな気持ちの中でちょっと幾つかの
質問をして、また
意見を申し上げてみたい、こんなふうに思うわけでございます。
最初に、ずばり申し上げまして、あの山古志村と長岡市が合併をいたしました。山古志の村長である長島君が今度はこの災害の
管理監ということで、村長から長岡市の被害、被災地の全体を監督していくという立場で、昨日おととい、山古志に行った後、電話で話をしてみました。これは後ほど申し上げますけれ
ども、やっぱり私が
考えていたように、融雪期に問題が残っております。そこらのことも、ちょっと細かいことですが、今日は時間を少しいただいておりますから、
是非お
考えをお聞かせいただきたいと思うわけであります。
さあそこで、その前に、この災害復旧、さっき入札のお話を承っておりましたが、この災害復旧建設資材の価格動向ということが非常に実は気になっております。
これは、私自身が地方
自治体の長、あるいはまた建設業者、中小建設業者、もちろん地方の、そういうところの話を聞いてみても、非常に建設資材が高騰している。これは災害で高騰した面もあるんです。しかし、その前から、御存じのように重油、これは
国土交通省に建設資材のことは聞きますが、同時にエネ庁にも重油、軽油、産業用燃料の価格も、これはもう原油が、私が衆議院でエネルギー関係をやっているころに十ドルを超えたらえらいことだと言っていたのが、一バレル今五十ドルを超えている、そういう状態の中で一体これは大丈夫かねと。景気とかという以前に、こういう復旧問題としてとらえたときにどういうことかなと。
そして、災害復旧事業の入札に当たって、こういう建設資材の高騰で中小零細の建設業者は応札をちゅうちょしている。なぜかというと、あれは二月ぐらい、三月ぐらいまででしたけれ
ども、入札をしますね、そうしますと、その資材が高騰していくものだから、実際に雪解けから仕事を始めるときには、今度は資材を購入するときにとても
国土交通省のいわゆる価格では仕事ができない。不況であえいでどうやらこうやら生き延びてきた
地域の業者が、自分のところの周辺で大変な事態が起こっている、何とか役に立ちたい、手も出し、足も出し、機械も出して、そして一生懸命やってきた。さあ、今度は復旧入札、しかし待てよと、見てみると、一体これでやれるのか。断れば、地方
自治体の長がおまえら何言っている、仕事がないときさんざん来て仕事を出せ仕事を出せと言って、今度は災害復旧で手伝った後、今度は正式な公共事業として、復旧事業として入札をせいと言ったら、とても応札できない。そんなことがあるかというんで、少しはきっと脅かしているんでしょうが、泣く泣く中小零細企業の建設業者が応札をしている。
もちろん、それは落札もするでしょう。しかし、問題は、そこでやれよかったねじゃなくて、これで建設業者が実際に落札をしたことを実行これからしていくのに、具体的に赤字を出していってしまって、また災害前の不況の中とプラスアルファになってしまうということでは、
地域経済がもちませんよということなのであります。
このいわゆる価格高騰、建設資材の価格高騰、あるいはまた原油等の問題について、一体現状をどういうふうに
考えておられるか、
是非実務者としての皆さんの御
意見をどう把握しておられるのか、お聞きをしたいというふうに思います。