○渡辺秀央君
大臣、どうも御苦労さまです。
昨今、大変
国内的にも国際的にも
経済問題容易でない時代に、
中川大臣におかれては極めて精励かつまた意欲的に、しかも先ほど来のお話のとおり、
国家間、国際間の中で非常に頑張っておられる。心から敬意を表しながら、日ごろの御慰労も申し上げたい。特にまた、国際会議などで本当に今まで以上にこの
日本の存在感というのは、あるいはまた
日本自身の
国内経済上の問題もあり、頻繁に、海外における国際会議
出席は昔以上に余儀なくされている。そういう中、どうぞひとつ健康に留意されながら、
国家のために
是非頑張っていただきたい。
私は、
大臣のお父さんにも大変昔は御
指導いただいた一人として、これは私的な面もありますけれども、
大臣のすばらしい活躍ぶりに日ごろから敬意を表し、また期待をいたしておる一人である、こういう立場から、今日は率直に、むしろ与党、野党ということでない私の発言もあるかも分かりませんが、今までの
大臣のいろんな
考え方、あるいはまた八日の日の所信表明等を踏まえながら、もうそこによるスピリットは十分に分かっているつもりで、なおかつ、しかし一応けじめとして申し上げなければならない点もあり、多少聞き苦しいところもあったら御容赦願いたいというふうに思います。
同時に、
一つ前段でちょっと希望を申し上げておきますが、一時間の質問時間を今日はいただきました。実は、お話合いをしたいと思うことは、私が
大臣室に行って話をしてもいい話もありますけれども、しかし公の場でやっぱり一応記録にしておくかなというようなことから考えて、項目別に見ますと十五項目ぐらい出てくる。これを
大臣が二分間で答弁してもらっても三十分必要になる。そうすると、私の方の項目のところまでたどり着かない。どうぞひとつ簡潔な答弁と、それからどうぞ、周辺の
状況説明はいいですから、結論のお感じを、政治家として特に率直に御意見を承っておきたいというふうに思います。
そういう
意味で、当初から批判がありましたが、
大臣からの遺憾の意の表明の後、更に同じことを繰り返すわけじゃありませんが、一言だけ。
私は非常に残念なんです。特に通産省の役人というのは、私は実は、古いことばっかり言って恐縮ですが、私は、衆議院の当選以来、この
経済産業関係に類しておりましたので、非常に先輩各位と接触する機会が多かった。これは
経済界でもしかり、あるいは政界でもそうでした。特に、昔は自民党という政党は商工
委員会とかあるいは農林
委員会とか建設
委員会とか予算
委員会なんというのは一年生議員は入れない。もう圧倒的過半数を持っていましたからね。しかし、そういう中を私は、当時国会対策
委員長であった安倍晋太郎
先生が、私は通産
大臣、中曽根通産
大臣の秘書官をやっていた、こういうこともあって、私を一年生から常任
委員会に入れてくれたんですね。そこから実はこの当時の通産省との、あるいは通産省の元職の、OBの諸君たちからいろんな
意味で
指導を受けました。これは政治家として私も足らざるところも多いもんですから、意見の交換やあるいはまた
指導を受け、意見交換、議論をし合ったということの過去を考えてみると、いつも話し合ってきたことは、これはもう安倍
先生や
中川一郎
先生とも話し合ったんですが、通産省の役人というのは
日本の役人の中でも最も図太い、いい
意味でですよ、野武士的であると。もう年じゅうというか、顔を合わせると、通産省の役人というのはしっかりしておるなと。
要するに、大蔵省、当時、予算もあるいはまた財源も余りない我が国の中で、予算編成をやっていく大蔵省の諸君と渡り合いながら、
日本の
経済の発展と
国民生活の安定を図っていく最も大事な
経済政策の大黒柱を担ってきた。そういう
意味では、我々もその手先になって、予算確保して大蔵省へどなり込んで主計官ととにかくけんかするのが仕事のようなことを当時やらされたものですね。それ、若干まだ
中川大臣なんかもその少し名残があっただろうというふうに思う。
そういう
意味では、この今回の不祥事なんというのは、やっぱり
国家公務員のいわゆる気の緩み、あるいはまた使命感ということと同時に、これは大変耳触りが悪いかも分からぬが、私が自民党を離れたから言うわけじゃないけれども、やっぱり長期政権におけるマンネリ、惰性、こういうものがやっぱり役所の中にも蔓延してきている。通産省においてすらという感じが私はしてならない。
先ほどの
大臣の所信で、あるいはまた意見を申し述べられたことで、十分それで私は納得です。どうぞひとつ、これ以上の不祥事が起こらないように、通産省の内部から、あるいはまた、特に、私は
行政監視
委員会でも今年は
是非申し上げようと思っているんですが、
国家公務員の中で特に警察の不祥事が多いですね。こんなことはちょっとあるまじきことですね。
だから、全体が、そういう
意味では、たまにはやっぱり政権が交代する、あるいはするかも分からぬという緊張感、これは野党である、私は今、野党ですが、野党である我々の努力も足りないし、あるいはまた政権を持っている政権与党の惰性、マンネリに陥らないような、そういう緊張感の中で
行政というのは行われていくべきであろう。
特に、政治というのは、生意気なようですが、昔で言うならこれは城取り合いですね、要するに殺し合いですわ。そうすると、これは絶えず、斎藤道三、織田信長じゃありませんけれども、緊張感であるべきなんですね。
昔は、国会が始まるということはいよいよ戦場が始まるというふうに言われたものです、僕らはね。戦場に入り込む、国会の開会は、そういう意気込みで国会に臨みましたね。ところが昨今は、ああ、また国会かと、始まるんだなというような程度のこと。要するに、与党も野党も緊張感が少ない。したがって、そのことが
国家公務員の末端に至るところまでその緩みが響いていったんでは
国家はもたない。
こういう
意味で、私は、今回のこの不祥事に対して大変残念に思いながら、どうぞこれからもこういうことのないように与野党を通じた政治としても考えなきゃいかぬ、あるいはまた
所管である役所においても考えなきゃならぬ。これは全体の問題であるなという感じがいたしますので、一言私の感じを申し上げて、別にもう
大臣の所見は結構であります。
さあそこで、
経済政策についてですが、昨今の世論
調査すべて見ても小泉さんの人気は悪くない。それは、景気対策について一番関心を持っているというのはその中で必ず第一位を占めている。郵政の問題でもなきゃ何でもないですね。それほど私は今の景気動向について、決して竹中さんや小泉さんが言っているように、景気の
回復は続いている、構造問題を解決した結果である、こういうことをよく言われているわけですが、これは私は少し楽観視ではないかなと思いますよ。数字の上では、確かにそれは一時のデフレあるいはまた金融危機、こういうところは見りゃ少しは脱却したのかも分かりません。しかし、昨今の景気の踊り場なんという言葉で私は、まあ
国民はだまされないのではないかなと。必ずしも私はこれまでの景気対策は成功していなかったように思えてならないんです。
すべてとは言いませんよ。しかし、これは何でそういうことを言うかというと、私はこうやって演説やっちゃうともう一人で一時間しゃべっちゃうんで申し訳ないけど、少し口述筆記をさせてきたので申し上げますが、小泉
内閣は構造改革なくして景気なしなんということを言ってまいりました、
平成十三年以来ですね、構造改革による犠牲が大き過ぎるということを言いたいんです。
要するに、権力というものを持って、そしてその
一つの政策を実現をしていくということは容易なんですね、民主主義
国家においてはこれは権力を持ったということは多数を持っているわけですから。だから、これはそんな難しいことじゃないんですよ。私もそばで政権の運営する
内閣を幾つも見てまいりました。だから、やれないことではない。しかし、そのときに考えなければならないことは、正にこのあめとむちなんですね。これをやった場合に
国民にどういう影響を与えるか、あるいはこの政策を
経済産業大臣として進めた場合にこの
産業界がどういう影響を受けるか、それによっていわゆる川下がどういう状態になるかということを見極めて、政策の選択というのは政権与党の中で議論をされてきたんですね。
そういう
意味においては、私は、この四年間で小泉さんが権力を背景にして構造改革をやる、景気をやっていくなんというようなことを言っておられても、倒産件数は約七万件に及んできている、四年間ですからね。しかも、我が国社会のこれは四・三%にも及んでいるわけですね、
企業の。
自殺者は、十六年の統計はまだですけれども何と九万、約十万人ですよ、九万八千人。これは十六年度の統計はまだ出ていないんだ。これを出しますと十万人突破ですよ。
大臣ね、要するに、長崎の原爆は七万人ですよ、広島の原爆、例えようが悪いかいいか分かりません。しかし、政治の重要さを私は言いたいんです。私の生まれ在所においても、正月を迎えるのに一日で三件も自殺者が出ている、
中小企業、小規模事業者でね、二、三年前。そういうことを
経験してきた私からすると、これは政治としてはいかがなことかなという感じが当時からずっとしておりました。恐らく
中川大臣もその気持ちは同じだろうと思うんです。しかも、
離職者、これは
企業のリストラなどで自殺した数が三年間で、四年じゃないですよ、三年間で約五万人近くにもなって、この自殺者の五〇%近くになっている。
私は、この数字は決して今の政治が成功しているとは言えないと思うんです。言える立場の人もいると思う。しかし、私は、一政治家としては、これはどうひいき目に見ても、あるいは余り厳し過ぎる面で見るという目でなくて普通で見ても、どうも余りこれは昨今の政治では考えられないことだったな、まあバブルも考えられないことだったかも分かりませんけどね。
そして、失業者は過去十年間で
平成十三年などは三百四十万人、その水準は今も定着してしまっているわけですね、失業率一〇%近く。昔、一〇%以上なんていったら世の中ひっくり返った。五%をオーバーしたら大変なことでした。しかし、昔と今は違うにしても、少なくとも若い
人たちが満足していく就業
状況にはないことだけは事実である。
金利政策においても、これは銀行は立ち直りましたなと。銀行は立ち直ったけれども、しかしそれはゼロ金利政策による、あるいは公的資金による。もう原因がはっきりしているわけですね。それで銀行が立ち直らなきゃどうかしているんだ。私は十年、いや、十年はオーバーだ、七年前です。七年前に、あの金融危機のときに、全部一回国有化したらどうだと、三年なら三年、五年なら五年の時限立法で、むしろその方が犠牲を最小限度にすることになるんじゃないかということを一部の
人たちと話し合ったことがあります。だけれども、今はそんな昔のことを言っても始まりません。
そこで、そういった
事態の中で、いわゆる当時の十年前の金利を
国民がそのまま十年間いただいてきたとして、単純計算ですよ、これが実はちまた言われている百五十四兆円なんですよ。
国民から百五十四兆円を政府は取り上げたんです。搾取したんです。単純計算ですよ、ただし。
しかし、そういうことを考えてみますと、このいわゆる先ほど言ったような
状況からして、必ずしもこの
経済政策は成功だった、それだけ胸張って威張れる、私は本当は竹中
大臣にも来てもらおうと思ったら、今日は竹中
大臣と総理
大臣は
委員会には
出席できないということだったそうですから、そういう
意味で、彼は一回どこかで、開き直って、どこにどう、何がありますかなんと言ったことあるけれども、もうこの数字を見たらそんなことは、学者としては言える、
一つのことができ上がってきているということは言える。政策マンとしては言える。しかし、政治家としては、これは私はそういうことは誠にもって、じくじたる気持ちの中で
自分の謙虚な政策の結末を評価していくべきが政治家ではないかということを申し上げておきたいというふうに思います。
そういう
意味において、今日の
経済政策、余りにも犠牲が多過ぎる。手術をしたら、痛みと体力が維持できるということを考えて手術するのが本当だろう。私どもは今までも、自民党にあったときも私はそういうことを絶えず言って、バランスのある政策を提唱してまいりました。倒産
状況、自殺者の数の増加、角を矯めて牛を殺してしまうような結果ではないかということを申し上げたい。また、非情な小泉・竹中政策の犠牲は余りにも大き過ぎるのではないかと。
内閣の一員として、
国務大臣として、これは
経済産業担当としてはいろんなことをおっしゃりたいだろうから、それは抜きにして、
国務大臣として私の今言ったことに対して一言いかがですか、感じを。