○
参考人(
香西泰君)
委員長がお立ちになっているのに立たないのはどうも申し訳ないという気がいたしますが、本日、こういう席にお招きいただきまして
意見を申し上げる機会が与えられましたことを大変光栄に考えております。
私は、
内閣府の
経済社会総合研究所長で、常勤の公務員でございます。しかし、本日の
テーマは非常に大きな
テーマで、必ずしも役所の代表という形ではなくて、個人の
意見で
お話しさせていただくことを一応、
参考人でもありますので許していただけるのではないかということで、そういう
立場から
お話をさせていただきたいと思います。
一応お
手元に「
成熟社会の
経済活性化」という簡単な
ハンドアウトが渡っていると思いますけれども、大体話したい、
お話しする順序といたしましては、
成熟社会というのをどういうふうに考えるかということが最初にありまして、そして現在の
成熟社会、
日本も当然でありますけれども、いわゆる
先進国において非常に大きな問題となっている問題、
少子高齢化の問題、
グローバリゼーションへの
対応の問題、この二つについて少し
お話をしまして、そこから
活性化への
方策について何らかのサジェスチョンを得られれば大変有り難い、こういうふうに考えております。
次の
ページになりますけれども、「
成熟社会の
特徴、
強みと
弱み」ということでございますが、
成熟社会というのは、どう言っていいか分かりませんが、具体的に
世界を見渡してまあ
成熟している
社会だというふうに考えるところを一応考えてみますと、
共通点として、やはり
民主主義が行き渡っている、
市場経済がかなりよく機能している、
市場、マーケットの
経済だけではなくていろんな形で
社会参加が活発に行われる、あるいはその
可能性が高い、そして人権が守られている。まあ極めて基本的なことでありますけれども、こういう
フレームワークを持っている
社会が
成熟社会の
一つの
共通点になっていると思います。そういう形の中で、
生活水準や
教育水準や健康、例えば長寿ですね、
平均寿命、福祉の
水準、こういったものもやはり高いというわけでありまして、これがやはり
成熟社会が持っている一番の
強みの基本にあることであろうというふうに考えるわけでございます。
じゃ、
弱みはないかというと、それは必ずしもそうではなくて、いろいろ問題に直面している。これだけ
強みのある
成熟社会でありますけれども、多くの問題に直面しております。
具体的に
成熟社会になっているということは、そこに至るまでに成功して、
近代化あるいは
工業化、
産業発展、
経済成長、いろんな形で成功した結果、
成熟社会と言われるような
立場に立ったわけでありますから、
成功体験がある。これが自信である間は非常にいいことかもしれませんが、過信すると、
自分の力を過信することもある、
自己満足に陥ることもある、そのときの
成功体験にとらわれてしまうこともある、
制度疲労も行われる、あり得るということでございまして、これは
成熟社会が持っている
弱みではないかというふうに思うわけであります。
しかし、こういう
弱みというのは
一般論として言えるわけでございますけれども、いわゆる
成熟社会が持っている現在の
問題点を考えると、これは
時代によってかなり、その時々によって変わってきております。
一九六〇年代、七〇年代には
先進国病という言葉が一時はやったと思いますが、そういうことが盛んに問題にされた。具体的に何だったかというふうに考えてみますと、例えばスタグフレーション、インフレがあってしかも
経済が
成長しないところ、
物価だけ上がって
成長率はもたもたしていたというのが七〇年代のイギリスや
アメリカでは特に顕著であったことであります。しかし、これは現在では、
インフレーションというのは大体どこの
先進国、
成熟社会でほぼ終息しつつあって、中には
デフレという逆の
現象にも懸念される、
日本の場合は緩やかな
デフレは現在もまだ続いているわけでございますけれども、そういうふうに問題が変わってきております。
当時の
インフレーションの
一つの
原因として、
寡占体制で、
企業の
管理価格とかあるいは組織の力ですね、労使間の交渉によって非常に
賃金が上がりやすかったというようなことがいろいろ問題になったわけでありますけれども、この点は現在では非常に
競争が激しくなってきている。例えばAT&Tというような大会社が子会社に合併されるというようなことでありまして、
寡占とか独占とか言っていたけれども、それはいつ何どきひっくり返るか分からないというぐらいの
競争時代に入ってきております。
その背景としては、また後で
議論したいと思いますけれども、
グローバリゼーションが急速に進んでいるとか
技術革新が急速に進んでいる、こういったようなことも起こっておりまして、その中で、例えば
所得分配が非常に不平等化してきているんじゃないかといったような批判も出ていると思います。
それから、当時、七〇年代、八〇年代考えますと、従来の
資本主義の
体制の中でいえば、文化的な矛盾があるということもよく言われました。例えば
ヒッピーが非常に多くなったとか、あるいはそういうこともあって、ワークエシックス、
勤労意欲といいますか、
労働意欲が失われたんじゃないかとか、それから反乱、
学生騒動、
大学騒動が典型的でありましたけれども、とにかくそういうようなことで文化的にも非常に動揺があったというのが七〇年代、六〇年代の姿であったと思いますが、現在は、非常にやはり問題がいろいろあるわけでありますけれども、反乱するというよりはむしろ無気力、閉じこもりとか引きこもりとかニートといったような形で、かつては
ヒッピーといえども
自分ではだしで
インドまで行って修行するというような意気があったわけでありますけれども、そういうこともできないというか、そういうことはしないという形になってきている。また、
理由の分からない暴力といったようなものが世の中に非常にはびこっている。こういったようなこともございます。
この延長線と言うのは問題があるかも分かりませんが、そういう中で、いわゆる
成熟社会はおしなべて
人口減少の
方向に歩んでいると、こういったようなことが現在の問題なのではないだろうかと、そういうふうに考えております。
そこで、本日、私としては、
グローバリゼーションの問題とその
人口減少の問題、それについて
お話をさしていただいて、その中でどういうことが考えられるかということを
お話しして、
成熟社会の中で何をすべきか、
日本に引き付けて考えていきたい、こういうふうに考えてまいりました。
少子高齢化への
対応という、次の
ページでございますけれども、これについてはもういろんなところで言われておりますから、改めて言うのも問題かもしれませんが、ここには幾つかの国について
出生率というのが出ております。これは、二・一というのはいわゆる
合計特殊出生率というものでありまして、
女性が、
女性の方が一生の間に何人
子供を産んでいるだろうかと、こういうことであります。男性は
子供を産みませんので、これが二・一以上ないと
人口は減っていくということでありますが、これを見ていただきますと、
インドは別といたしまして、少なくとも
韓国のところまではどの国も、また、やや驚くべきことに米国を別としまして、いわゆる
成熟社会、
先進国はほとんど全部一台ということでありますから、このままいけば
人口はかなり減ってくるということに言わば決め付けられている形になっております。現在でも
人口爆発がまだ続いているのは、残っているとすれば低
開発国、この
人口爆発も思ったより早く終息しそうだというふうにだんだん
予想が変わってきておりますけれども、
インドやあるいはパキスタンとか、そういったところでは非常に高い。これは
所得水準を見ていただきますと、
アメリカを除けば、
所得水準の高い国では大体どうも
人口はかなり減りぎみであると、こういうことであります。
しかし、だからといって高
所得国も
日本ほどひどいというのは
余りない。
ドイツと
日本はやはりその中でも少し
出生率の
落ち方がもっと目立っている。更に言いますとイタリアでありまして、どうも過去の枢軸、
日独伊三
国同盟以来この
三つの国はどうも同じ歩調で
人口の
減少が進んでいる。
日本の場合もその
特徴の
一つが現れていると思います。
したがって、考えてみますと、そういう点でいいますと、
フランスや
スウェーデンのような国ではむしろそれほど落ちていないと。二を割ってはおりますけれども、こんなにひどい
落ち方ではないという点でいいますと、それは必ずしも
所得水準だけで決まることではないだろうというふうに思います。
一方、よく、就職というか、
就業することによって、
女性が
就業するとどうしても
子育てが手が回らないということが
原因ではないかという
議論がございましたけれども、この
労働力率、
女性の
労働力に参加している人がどれくらいいるかという割合でありますが、これはむしろ高い国が結構あって、どちらかというと
ドイツ、
日本、
韓国といったところは
女性の
就労率は低い形になっております。この
労働力の中に
失業者も入っていますが、ほぼ同じであります。
例えば
フランスとか
スウェーデンでは、これは
アメリカもそうでありますけれども、
女性が
仕事がしやすいと、しやすいということが
子供を産みやすいということとパラレルになって進んでいるのであって、
女性の
就業があるから
子育てができないということではなくて、
女性が
就業して
子育てができやすい国だから
出生率がまだしも高いと、こういうふうに解釈するのがどうも正しい解釈ではないかという気がいたします。
その
意味では、
成熟という点でいえば
ドイツや
日本の方がむしろ
後発国であって、例えば
女性の
社会参加といったようなことが十分行われていないという
可能性もあるわけでありまして、必ずしも
成熟しているから駄目ということでは決してございませんが、しかし、これ、いずれにいたしましても、
成熟している国、
社会においてはやっぱり
所得も高いし
余り子供は産んでないということは事実であります。
この点につきまして一番ある
意味で深刻なのは
日本でございまして、次に、五
ページの
日本二十一
世紀ビジョン調査、これは
内閣府が行いまして、去年の十一月に公表しております。この結果が私にとってはやや衝撃的でありましたので、まあ分かり切ったことかもしれませんが、ちょっと御紹介さしていただきます。
二〇三〇年の
生活は今より良くなっているか悪くなるかと、こういう質問に対して、六三・二%の人が悪くなると
答えております。その
理由として、
社会保障制度の崩壊、
財政破綻、それから
働き手世代の
負担増、その結果としての
活力喪失と、こういったことを言われた方が非常に多かったと。これは
自由回答ですので、
数字は公表されていないというか、ないんですけれども、そういう方が多かったというふうに記録されております。そのほかに、もちろん治安ですね、こういったことも指摘されている。あるいは、若い人が
仕事をしなくなるんじゃないかというような心配をしている方もあったわけですが、しかし、メーンの流れとして、やっぱり将来、
社会保障とか
財政が非常に危ないということが懸念されております。
その裏側として、
人口減少で何が起こるかということに対する
答え、これは
答えから選ぶものですからパーセンテージがすぐ出ているわけでありますけれども、
負担が増える、特に若い人の
負担が増える、それから
活力が低下する、
成長が鈍化する、実はもう
一つ、
過疎地域が正に更にひどく過疎的になると、こういうことを言うのが多くの方の御
意見であったわけであります。
それに対して、少子化への
社会的な取組という点を聞きましたものでは、これはほぼ常識といいますか、多くの方の御
意見には反映しているのではないかと思いますが、
出産、
育児を
経済的に支援する、職場の環境とか働き方を見直す、つまり
就業と
子育ての両立を図る、それから
保育サービスを施設を充実する、それから
地域の
育児支援を高める、
家庭内協力というのが残念ながら非常に低い
数字になっておりますけれども、そういったことが現在問題になっていると思います。
これを見まして言えることでございますが、次の
ページに一応私なりのメモになっておりますけれども、こういう
予想、つまり
人口が減ってくると
経済も非常に
負担が重くなって、
財政や
社会保障が危ないんじゃないか。そうなるということがますますこういう
予想、悪い
予想は一種の悪循環を起こしまして自己実現すると。悪くなると思ったから悪くなる、こういう懸念すら出ている。
そういう
意味で考えますと、この
社会保障制度をどういう形で
持続可能性のあるものにするのか。それから、
財政のやはり
破綻というようなことをある
程度、何といいますか、それをどうやって避けていくという道筋を明らかにするのか、こういうことが非常に大事なことになってきていると、本当に緊急に大事なことなんだということをこの
調査を見て改めて痛感したわけであります。
その点で、ここから後はもう全く個人的な
意見でございますので
見当違いのことを言っているかも分かりませんが、
世代共助ということが
社会保障、例えば
年金の場合の理想になっているわけでございますけれども、実は
共助共助と言われると、若い
世代はますます
負担を感じるというのがどうも
現象でありますし、それから上の方の
世代では、若い人は働いてくれないんじゃないかというような非常な
不信感も出ております。
私が思いますには、やはり
世代共助という前提として
世代自立への努力があって、その上でお互いに助け合うということにしなければいけないのじゃないかと。いきなり
共助共助ということではないのではないかというふうに考えております。例えば、そのためには同じ
世代の中でやはり
所得再
分配をする。特に
高齢者でありますけれども、
高齢者の中にも条件の恵まれた人と恵まれていない人とがいるわけでありますから、そういったところをもう少し考えたらどうかというふうな印象を持たざるを得ません。
全く個人的な見解ですが、例えば
相続税というのがありますけれども、その
相続税というのは、
子供が、五十歳で
子供がまだ若い、
子供が
子供のときに親が死ぬのならいいんですけれども、八十代になって、現在
平均寿命は八十四歳まで行っておりますから、
子供はもう五十、六十、
自分で財産を持っているわけですね。それなら、そして介護というか、そういった形で結構お国のお世話にもなっているわけであります。世話もしないでいていきなり出てきて相続するというのをそんなに優遇する必要があるのか。むしろその
財源を、例えば
世代内の
社会保障の
財源にするということも考えられるし、それからまた、
年金というのはある
意味で、
部長には
部長の
生活、平には平の
年金と、こういう形の、言わば働くときの秩序を老後にも適用するという
制度になりかねないわけでして、そういうことではなくて、もう少し
所得再配分、
世代内で再配分して次の
世代には
余り迷惑を掛けないようにするといったようなことも考えるべきではないかと思います。
それから、
家族生活でありますが、これは
フランスと
スウェーデンで一応成功したと言われております。例えば、先ほどの指標で
スウェーデンの
女性の
労働力率が非常に高い。八割。これはもう驚くべきことだったわけでありますが、何でそんなに高いのかということで、
内閣府で
実地調査を委託して行っていろいろ調べてみますと、これは結局、
休業なんですね。
育児休業をしている人は
労働力の中に数えられているわけですから、その
育児休業をしている人を除くとそんなに高い
数字ではないということで、そういう
意味で
フランスや
スウェーデンはこういった
家族生活に対してある
程度国費も導入している。これは四
ページの表に
数字が出ておりますけれども、三%近い、GDPの三%近くを
家族対策に使っております。それに比べて
アメリカ、
日本、
韓国は非常に少ないと。
それで、少ない
アメリカでもちゃんと二・一に行っているじゃないかという
議論もあるわけですし、またこの
政策費というのは出す方だけで、
扶養家族手当というか、減税についての
扶養家族の話が本当はあるべき、税制の方も問題があるわけでございますけれども、そういったこともありますが、
日本としてもやはり、
世代自立の
意味でもっても、
高齢者給付とこの
育児、
出産、
子育てとのバランス、リバランスということをもう一度検討する必要があるんじゃないかと思います。
それからもう
一つは、やはり
アメリカのように
余り政策はやらなかったけれども回復したと。
アメリカも一時一台に落ちておったわけでありますけれども、回復した。この
理由についてはいろいろ
議論がございますけれども、かなり有名な
イースタリン仮説というのがございますけれども、この
仮説では、やはり
生産性が上がって七〇年代の
アメリカと違ってきたということに大きな
原因があるというふうに考えているようです。そのほか、
アメリカでは移民がある、あるいはいろんな形でまだ
出生率の高いグループもたくさんあるというようなこととか、
企業が意外と
託児所をたくさん作っているといったようなことも言われておりますが、そういったことが問題になるのではないか。
したがって、
日本としてはやはり、一方で
フランス、
スウェーデンの
政策にももちろん学ぶ、少し考えた方がいいと思いますし、同時にこの
生産性の向上、つまり将来を明るくするような
経済の再建ということについて
出生率の回復にもいい影響を与えていくという
方向でいかなければならないのではないかという気がいたします。
ちょっと時間が過ぎつつありますので少し急がざるを得ませんが、
グローバリゼーションになりましたことについては、次の
ページでありますけれども、
市場経済へ移行して
世界で
一つの
市場になったというわけであります。従来は壁の
向こう、カーテンの
向こうは知らぬ、違う国だったというわけでありますが、それが破れまして
世界的に
市場経済の繁栄が広がりました。そして、新しく
市場経済に移った国ではかなり
成長が高まっております。
中国、
インド、まあ
社会主義だったかどうかは別として、
国家計画が非常に強かった
インド、
ポーランド等については
プラスになっていると、こういうことが
一つ言えます。
と同時に、この
グローバリゼーションによりまして、次の
ページにキャッチアップする国の例が出ておりますが、
中国、
インドを見ていただきますと
人口というのは大変な数ですね。つまり、
世界的に見て
労働力が急激に増えた。
世界で、従来は分割されていたので
余り問題にならなかったわけですけれども、
労働力が急激に
供給増加があったということが
グローバリゼーションの
一つの問題だということであります。
それと同時に、
技術革新が起こりまして、
世界の
技術が大きく変わった。これは
先進国には本当は有利なはずでありまして、この
IT技術が発展しましたときにデジタルデバイドが起こるということが言われたわけであります。しかし、実際にはこれは同時に追い付く方にとっての非常なチャンスを与えたわけでありまして、それは
中国や
インドがこの
ITを使って非常に躍進をしているということにも現れております。
ちょっと時間的にあれになりましたので少し急ぎますが、次の次の
ページの、例えば、見ていただきますと、九
ページに
HT輸出というのが右から
三つ目にございます。
ハイテクですね。これを見ていただきますと、例えば
中国の
ハイテク輸出というのは相当なものであるということが言えます。これは、
日本の
企業が出ていって作って、
日本へ持って帰ってきているものもたくさんあると思います。しかし、相当の規模であると、既にですね。それから、
インドは非常に
輸出、物の
輸出は少ないんですけれども、ソフトウエアの
開発について
インドの
ヒューマンリソースというものを非常に活用しているというのが現状でございます。つまり、
IT革新というのは、実はこういった国が大きく伸びてくる上に非常に大きな
プラスになっております。
次のところをちょっと見ていただきますと、
数字だけ少し申しますと、こういった後れてキャッチアップする国というのは、概して言えばこういう
労働力が余っていて、したがって
賃金が低くて、
生活費が安いという
特徴があります。これは八
ページの
物価水準というところを見ていただきますと、例えば
中国は、ドルで換算すると千ドルぐらいですね、一人当たり千ドルぐらいですが、
生活水準ではもう五千ドルに行っていると。つまり、
生活費がいかに安いかということですね。その比重を比べますと、為替レートよりも五分の一で
生活していると。
日本もかつて三百六十円のときに我々
アメリカへ行って暮らしてみたら、百円か百五十円か二百円でいいんじゃないかと思うのが一ドルだったわけですが、そういったふうに国内の費用が非常に安い国、そういう国が
技術が追い付いてきたという場合には非常な強い
競争力を発揮します。
したがって、脅威論というのが出てくるんですが、脅威論は明らかに間違っておりまして、大体
世界の四割を占める、二つ足すと
中国と
インドだけで四割ぐらいになりますから、その国が発展するということはもう非常に、四割切りましたか、三割ぐらいにはなりますから、大変な、歴史的な本当に長い間の貧困というのを克服するということで大変すばらしいことであるし、現に
日本はそれによって大いに利益を得ているわけですが、一方では
競争していかなければいけない、こういうことになると思います。その点が、例えばHTの
ハイテクでもう既に
競争になっておりますし、
労働力を使う
産業においてはもっと
競争が激しくなってくる、こういう形になっているわけであります。
この点、
日本と
中国のやり方をちょっと見ていただきますと、八
ページの
数字だけ、ちょっとだけ見ていただきたいと思いますが、ここでは
物価水準がいかに、追い付く国の
物価水準が低くて、それが非常な
競争力になっているということ。それから、
経済構造を見ますと、実は現在の
中国の
経済の発展の仕方というのは非常にもう例外中の例外のようなことが多いわけでありまして、例えば
中国の現在の統計が正しいとしますと、GDPに占める二次
産業のウエートは五割を超えております。
日本は、これは一番高いところでもまだ三割台だったと思いますね。四割になったことはないと思うんですね。しかも、
雇用者は二次
産業で二割しかおりません。ということは、
中国において製造業の、二次
産業の
生産性が非常に高いということを逆に言い換えると、その他の
産業の
生産性も低いし、その他の
産業では非常にたくさんの人を使っていて、恐らくその収入も低いと、こういう形になっているわけであります。
これがどんどん
成長が進んで完全
雇用に近づいてくると、こういった価格体系というのは維持できなくなってくる。そのことは、逆に言えば
競争という面をだんだん緩和していくことになるわけでありまして、現に
日本の場合も、三百六十円でいつまでもやっていたわけではなくて、それを使って
成長をすることによって完全
雇用になって、そして
物価や
賃金が上昇した。したがって、そういうふうに
成長して
物価や
賃金が上がってくると、
日本の場合は高度
成長期に
所得分配は平等化していったわけでありますけれども、
中国の場合は、現在までのところ、
成長すればするほど都市と農村、あるいは一部のお金持ちとそうでない人たちの
所得格差は拡大しているわけであります。
こういう状況というのはある
意味で、例えば日米摩擦がなぜ落ち着いたかというと、
一つは、
日本の
物価が上がって、消費者
物価が特に上がって、
賃金が上がって、
競争力がだんだん平等になる。そこへ三百六十円を百円台にしたわけですから、為替の調整と
物価、
賃金の調整とでかなり落ち着いたところへ、更に言えば、
アメリカは
IT産業という
日本ではまだ十分ではなかったところへ乗り出していったと。新しい
産業をつくった。為替調整と
物価・
賃金調整と
産業調整の
三つでバランスが大体取れ始めたと、こういうことであろうと思いますが、
中国の場合はまだ、沿海部は別としまして、奥地部を考えると、まだ
労働力過剰、歴史的な
人口過剰の影響が残っておりますので、そういう調整過程というのはかなり長引く
可能性もあるのではないかと、こういうことを考えているわけであります。
そういったようなことを考えますと、十一
ページ、最後の
ページでございますが、大分時間を過ぎて申し訳ありませんが、それに
対応していくのは、やはり
日本においても
アメリカのように新しい
産業をつくっていって、競合するばかりではなくて別の次元に移っていくということも非常に大事なこと、あるいは広く言えば
生産性向上が大事なことであります。日米摩擦は、
日本の
物価、
賃金、為替に加えて、米国が新しい
産業へ移っていったということで随分緩和されたというわけであります。
生産性上昇には何があるかということですが、これは、やはり規制緩和をしていく、人材育成をしていく、研究
開発ということが正道であろうというふうに考えるわけでありまして、例えば
人口問題の解決も、
生産性上昇で
日本の
経済、
生活に将来もっと自信を持てば形が変わってくる
可能性があるのではないかというふうに考えております。
なお、最後に、
雇用の問題について少しだけ申しますと、非常に難しい問題がそこにあります。変化の激しい
時代はやはり安定する、
雇用の安定は非常に大事なことなんですが、それは労働を固定することだけではなかなか守れないというジレンマがあります。現在、そのジレンマに一番悩んでいるのは恐らく
ドイツでありまして、
ドイツの失業率は五百万人、一二%という高さに達しております。ヒットラー以来の失業率というふうに言われているわけでありますが、ただ、労働を固定して守るということではやっていけない。しかし、例えばフリーターやニートと言われるような人たちばかりですとなかなか
子育てもできない、熟練もできない、
生産性も上がらない、こういう二つのその固定的過ぎる労働
体制と
余りにも不安定な労働慣行というものの間に何らかの道を労使でつくっていただくということが是非必要でありますし、その場合、
政策としてはむしろその選択に任せて中立的な形で、例えば
社会保障を、職場を変わっても
社会保障がポータブルになっている、あるいは税制によって人を配置をするというようなことにしないということがむしろ大事なことではないだろうかというふうに私は考えております。
大変長い時間を費やしましたが、以上、取りあえず説明させていただきました。