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伊藤公述人 埼玉大学の
伊藤でございます。
資料はございません。しゃべくりだけでやらせていただきます。
本日、御
意見申し上げたいのは、
税制と
社会保障についての考え方にかかわる問題であります。
いわゆる
定率減税の廃止については、二年をかけて、そして
景気に配慮しながらということに決まっているように伺っておりますけれども、これはもっと大きな、全体的な
税制再
改革の検討と一体で実施していただきたい。さらには、もう
一つ加えるとすれば、
社会保障改革と一体で考えていただきたいというのが最初に申し上げたいことであります。
なぜならば、これは時限的なものとして始めたんだからまずここを戻すというのは、行政的といいますか形式的な取り扱いであって、長い目で見た
税制の
改革の中で、これを実施することがどう位置づくのかというのを改めて考える必要があるだろうと思うからであります。そうでないと、これはまた、取りやすいところから
負担がふえるというような受け取られ方が出てまいりまして、
国民のマインドが下向きになりまして、
景気に対して悪影響が出るだけということを恐れるからであります。
そう申しましても、私はすべての
増税がよくないと言っているわけではなくて、中長期的にはむしろ税
負担水準の上昇は
日本においては不可避であるし、また必要であるというふうに考えています。それも、わずかではなくて、ある
程度大きな
負担水準の上昇というのは不可避かつ必要であると考えています。
なぜならば、
景気循環の
関係での
税収の減少というのもありますけれども、これを取り去った上でもいわゆる構造的な赤字というのが残るという分析結果が出ておりまして、今、国際的に見ても
負担水準が低い状態から、ある
程度上げていくことは不可欠であると考えるからであります。
また一方、支出の方でも、
社会保障の必要性というのは、
高齢化のさらなる進展に伴ってこれは否定できないことでありますので、むしろ、税、
社会保障負担の水準の上昇というのは避けられないもとで、それをどうやりくりしていくかというふうに頭を進めた方がいいのではないかというふうに考えます。
その際、特に重要だと思うのは考え方でありまして、下手をすると
国民をミスリードするようなキャンペーンをやってしまいはしないか。それは有害な結果を既にもたらしているし、今後もそうならないように注意すべきだという点でございます。
例えば、今三つ挙げたいと思うのですけれども、
一つ目の例は、長期の公的債務が、先ほど来資料にも出ておりますが、七百兆円を超えてくる。これについて、
国民一人当たりに直しますと六百万円を超えるというようなことがよく言われるし、目にするわけであります。
しかしながら、あらゆる借金はそうでありますけれども、すぐに全額返済する必要はないわけでありまして、このように一人当たり幾らと言いますと、
国民の間には、あたかもすぐさま全額返さなければいけないというような考えが浮かび、これが
景気に対して、あるいはもう少し長い目で見ても、非常に有害な結果をもたらすのではないかと思います。現在必要なのは、対
GDP比でまず一〇〇%のラインを切って危険水準を脱出する、そういう
方向に向けて動き始めることであろうと思うわけです。
それから、二つ目の例でありますけれども、重税というようなキャンペーンですね。特に
中心になるのは、
所得税が重税あるいは重税感が強い、中堅サラリーマン層に対してこれがきついというようなことがよく言われるわけでありますけれども、これは、冷静に国際的に比べてみたりすれば、事実に反するんだろうというふうに思います。
負担率は、よく見られるとおり、先進国の中で低いわけでありますし、もっと具体例を言えば、年収一千万円のサラリーマンというのは、恐らく多くの場合、
所得税は百万いっていないはずでありまして、
税率が一〇%に満たないというのを中堅層の重税と言うのかといえば、これはそうは言わないのが常識だろうと思います。
それから法人
課税につきましても、これも法人
税率の国際比較というのがよく出るわけでありますが、考えてみれば、法人の税
負担というのは法人税だけではないわけで、
地方税もあるし
社会保険の使用者側
負担もあるし、あるいは
税率だけではなくて
課税ベースがどうなっているかというのがもう
一つの大きな要素であるわけですから、これをもって重い軽いという議論をするのは少し足りないというふうに思います。
今申し上げた直接税
関係では、よく
所得捕捉の不完全性ということが問題になるわけですけれども、これについては、財政事情が厳しい折といえども、以前から、税務行政に携わっている方から御指摘があるとおり、税務職員の増員をやって、これによって
所得捕捉の漏れについて拾い上げていくことができるんだよという話があるわけですから、これを実施すべきであるというふうに考えます。
それから、キャンペーンのたぐいについての三つ目の例なんですけれども、これが一番重要かなと思いますが、
高齢化が現役世代あるいは若い世代を圧迫して、その
負担に耐えかねて
日本経済の活力が落ちてしまうというようなことが、これは常識的なものとして言われているわけですが、これはちょっと言葉が悪いですけれども、非常に有害な危機あおりの部分が含まれているというふうに私は考えます。
例えば、かつては現役七名で退職者一人を養っていたとか、もう少し最近に近づきますと、五人で一人であったのが、これからは二人で一人を養わなければならないというようなことがよくパンフレットに書かれているわけでありますが、これは極めて事態の一部分だけを取り上げた、ミスリーディングなものだろうと思います。
なぜなら、全人口のうちで、もし扶養する側に立つのが現役の働いている世代だとしますと、これは
高度成長期において全人口の六〇%強であったのが、今後見積もられるのは五〇%台前半になっていくだろうということで、一割とかそういうレベルの問題なんですね。それが、七人で一人が二人に一人というふうに何倍になるというようなイメージが広がりますと、これは悪影響を及ぼすのは明らかだろうと思います。
扶養されるべき立場に立つのは、
高齢者だけではなくて、専業主婦もそうですし、これはだんだん減っていく。まだ就職する前の子供の世代もそうで、これは困ったことですけれども減っているということを考えると、何倍にも現役の
負担が重くなるかのようにミスリードするような言い方というのは厳に慎むべきだろうというふうに考えます。
それからもう
一つですけれども、これもはやりになっている世代間不公平、世代会計の話であります。
今既に年金をもらっている
高齢者は、若いときは掛金が少なくて今はたっぷりもらって得だな、我々若い世代は損だなということで、日々学生と接してみますと、もう年金
制度に対する信頼が地に落ちているというのは非常に感じるわけであります。非常に誤った観念が広まっておりまして、払ったって一銭も返ってこないというふうなことが今の二十前後の
国民の間に定着している率が実は非常に高いわけであります。
このような損得というのは非常に間違った考え方を含んでいるだろうということで、これについては、アメリカの
経済学者でロバート・バローという人がいて、合理的期待学派に属する人なんですけれども、この人が初めに定式化して、
日本ではいち早く宮島洋先生がこれを
社会保障問題に適用してまとめられておりますが、非常に重要な考え方だと思われるのは、正味の
負担という考え方であります。つまり、例えば
高齢者の
生活を支えるというのにこれだけの
負担が必要だとしましても、それは私的な、プライベートな
負担の部分と、
社会保障等を通じる公的
負担の部分と、二つがあるわけであって、これを合わせて全体である、大体一定の額になるというものであります。
私的な
負担というのは、昔、
社会保障がさほど充実していなかったころは、子供や孫あるいは親戚で、仕送りをするだの、もし同居していれば介護といったような労力も出す、
生活費も出すといったような、家族内、親戚内での支え合いであります。この部分と公的
負担の部分が合わさって一定額でありますから、今後の若い世代は
負担が大変だといって
社会保障の水準を今切り下げておくとすれば、それは若者の
負担が本当の
意味で下がるのではなくて、公的
負担の部分が減って、私的
負担をしなければいけない。もちろんこれは自分で若いときに蓄えておくというものも含めてですが、それがふえるだけなので、差し引き変化はない、つまり正味の
負担は変わらないということで、構成が変わるだけなのだという議論であります。
この考え方が非常に重要だと思いますのは、例えば今、シルバー大学とかそういう機会がふえてきているわけですが、現在の年金
受給者の中に、後ろめたさとか心理的な圧迫感を感じていられる方が非常に多いわけであります。我々は得をしている世代なのか、若い者に対して申しわけないと実は思っていたという方が結構多いわけであります。
ところが、それは実は正しくない考え方であって、現在の
高齢者が若いときは、それは年金の掛金は安かったけれども、そのかわり全体の
制度が整っていなかったので、自分の親に対しては私的
負担をたくさんやっているわけだから、これも考えれば、世代面で損得ということはそう簡単に言えないはずである。そうであれば、我々が考えるべきなのは、私的
負担と公的
負担のこの
割合をどのようにミックスした
社会を構想するかであります。
ここは
意見が非常に分かれてくるところかもしれませんけれども、私の個人的な価値判断としては、
日本の
現状を考えれば、ある
程度公的
負担の
割合が高い方が、よい
社会になるだろうと判断いたします。
例えば、一例ですけれども、一部の国会議員の方から、年老いた親の面倒を見るのは息子のお嫁さんであるのが
日本古来の美風であるというような
意見が漏れ聞こえてきますけれども、それは同居していたらできますけれども、離れていたらできないわけですね。このように、各家庭によって
所得や
資産、その他、同居とか労力がどの
程度出せるかというような条件は非常にばらついているわけですから、これは公的なルートをある
程度ふやすことによってならすことができるというのは、今後の
日本社会の現実を見たときには、ある
程度の水準がぜひとも必要であろうというふうに考えます。
これは、先ほどの話じゃないですけれども、
負担であるとか、国が金を出せとか、自治体が金を出すべきであるとかいう考え方ではなくて、
国民が相互に扶養し合うことをやっているわけで、中央、
地方の
政府は、
国民の相互の扶養し合いの仲介とか代行をよりうまくやるというふうな考え方をすべきではないかと思います。
次に、今の話で
中心になるかと思います年金等の問題なんですけれども、これについては、私の
意見としては、各
制度の一体化と税方式化というのが基本になるだろうというふうに考えております。
昨今、
格差の拡大だとかいうことがいろいろなデータでも言われておりますし、それに、
高齢化が進めば進むほど、
高齢者ほどその
格差を含んでいるということから考えますと、応能原則ということは、人気がないんですけれども、実は今後ますます必要だというふうに私は考えます。
負担は能力に応じてということですし、給付の方は必要に応じてというふうに、できるだけ近づけるべきだと思います。
例えば、年金、医療、介護だとか、年金の中での各
制度、これを個別に扱いますと不効率があるというふうに思います。なぜならば、各
制度の中で重複が生じたり、あるいは、個別にとると非常に必要度の高い人と低い人がいるんですけれども、これはできるだけ一律に扱わなきゃいけないということで、各
制度の中での高い方というんですか、給付の水準を高くしなければいけない方に各
制度が合わされる結果、肥大化する傾向が出てくるだろう。それから、各
制度を個別に設計した結果、全部合わせてみると
負担原則がゆがむというおそれがあることからであります。したがって、各
制度をできるだけ一体的に扱うのがいいというふうに考えます。
これも考え方次第でありまして、相互に保障するというようなこと、保険の原理というのは非常に効率的なわけでありまして、例えば自分で老後の準備をしましょうといっても、各個人が私的な貯蓄を個々にやりますと、最大限かかるときの老後の
生活費というのは非常に高額になりますから、これをみんなが個々に備えるというのは非常に不効率になります。これを
社会保険のような原理で相互に保障しますと、平均的に一人当たりで備える必要性というのは非常に低くなるわけですから、効率的である。
このようなことを考えますと、
社会保障の各
制度を全体として扱うときには、まず、個別リスクあるいは特定リスクを十分にカバーする。例えば介護の必要な場合とか特定の重い医療の必要だとか、こういうところをまずカバーして、優先順位としては後に持ってくるのは包括的な
所得保障、この
やり方で考える方が効率的である。まず最初にだれに対してもある
程度の包括的な
所得保障をやろうとしますと、その中には、特定のリスクがもし実現してしまったときのこれだけ必要だというものが入ってきますので、非常に水膨れをしてしまうという性質があるのだろうというふうに思います。
具体的に、年金については基礎部分を税で賄うようにすべきだというのは全く個人的な
意見ですし、それは別に
消費税に最初から限定する必要はないだろうと思います。それから、基礎部分のところをしっかり確保することが重要で、
所得比例の部分を
余り重要視する必要は実はないのではないか。付加部分は個人個人で選択に任せるという部分があっていいんだろうというふうに考えますので、まずは、今、
国民に安心を与える
観点からは、基礎部分をとにかく一定
程度を確保するという
制度設計であり、メッセージだろうというふうに考えます。
この際、間違えてならないのは、税方式に大幅に移行しますと、現在行われている
社会保険の
負担、これは雇用者についても、あるいは使用者側についても、基本的にその分なくなるわけでありますから、その分を
所得税や法人税のアップの方でどううまく調整していくかということになります。現在の例えば
社会保険の使用者側
負担というのは、従業員を雇用することに対する
課税ということに実際上なっております。これはバイアスを生みますので、そうではなくて、このおもしを外して、もっと一般的な
課税の方に移すというのが、中立の
観点からも望ましいと考えます。
最後に一言、提案を申し述べたいんですが、先ほど来申し上げておりますように、
国民の間ではいろいろな
情報が飛び交って、必ずしも事実に即していない、また、やや悪い結果をもたらすような観念というのが定着しがちであります。特に税については、自分がどれだけの計算で、どれだけの税額を毎年払っているのかというのを正確に把握している源泉徴収者は少ないと思います。これは、確定申告をやるときのように、
税金の計算方法とその金額を源泉徴収者に対しても個別に通知する、これによって
国民に真実が伝わって、もっと
予算や
経済論議というのが地に足のついたものになっていくのではないかと思いますので、ぜひこの
制度を御検討いただきたいと思います。
以上でございます。(拍手)