○五島
委員 午前中に引き続きまして
質疑をさせていただきます民主党の五島でございます。
今回、
介護保険法の改正の中で、新たに
介護予防という言葉が出てまいりました。この
介護予防という言葉は一般的には何となく理解できる話なんですが、厚生省が出されてきている内容を見てみますと、かなり
介護予防という言語が、余り厳密ではなく、さまざまな使われ方をしているように思います。特に、
介護一あるいは要
支援を三分割して七分割で
介護保険の
保険を
給付するのかなと思えば、もう一方において、
介護状態にならない人に対しても
市町村が
介護予防をやっていくというふうにもなっています。
基本的に私自身の意見の
論点を明らかにしておきたいと思うわけですが、従来、予防というのは、ヘルス事業の中において極めて大きな役割を持っていました。その場合は、疾病予防という
観点からこの予防という言葉が使われてまいりました。しかし、国民の健康状態の、あるいは疾病構造の変化の中で、
介護状態になることを予防するということ、そのことが予防の概念の中に入ってきたことは、私は
評価したいと思っています。かつてのような感染症の予防や生活習慣病の予防だけでなく、この
高齢社会の中において
介護になることを予防していく、そういうふうな概念を取り入れて今後の公衆衛生行政をやっていくことは大事な問題であり、そのことについての異論はありません。
問題は、
介護予防といった場合、予防である以上は基本的にはヘルスの活動であるべきだ、保健活動であるべきだろうというふうに思っています。
一方、要
支援あるいは
介護の一に対して今回取り入れられた措置というのは、中身を見てみますと、より
介護状況が進行するのをいかに防ぐか、あるいはそれを改善させて自立の状態に改善していくかというところに軸足を置いた形の中で、要
支援、
介護一の問題を、同じく
介護予防という名前でもって取り入れられようとしています。これは、非常に言葉の概念の混乱をもたらしてきている一つの大きな問題だろうというふうに思います。
基本的に、
介護というのは
医療ではありませんので、ある
介護状態になった人に対して、その人たちを人としての尊厳性を守らせるために
社会全体が
支援していく、それを
保険でやっていこうというのが
介護保険の理念であったと思います。しかし、要
支援や
介護一の人たちに対しては、一定の
サービスを提供することによって再び自立の状態に戻すことができるのだ、そういうふうな
観点を取り入れられることは、私は別に間違ってはいないんだろうというふうに思っています。
しかし、基本的には、それは今までの用語でいうならば、生活リハビリとかそういうふうな概念でとらえられるべき内容である。そういう意味からいえば、要
支援や
介護一の人たち、そこを三分割して、さらに、どのような
サービスメニューを提供することにより、その
介護の状態を悪化することを防ぎ、あるいは自立させるかというふうな
サービスメニューを提供されるという形で今回の
介護法が変わっていくということであれば、それはそれで概念としては極めて納得できることではないかと私は思っています。
もう一方において、
介護予防という概念が一体どういう関係にそこにあるのか。厚生省の方のこれまでの説明を聞いていますと、
介護の状態になっていない人に対して
介護予防を地方
自治体がやっていくんだというふうな
お話です。私は、そういうふうなところにとらわれる必要はない。一たん自立できるようになった人であったとしても、例えば、
介護一で一定の生活リハが進んで、そして生活的に自立ができるようになった人であっても、当然それは
介護予防としてその
サービスが提供されるべきだ。
それは、ちょうど、ほかの疾病でいえば、糖尿病、高血圧、そういうふうなものに対するヘルス
サービスの中でコントロールできている人たち、あるいは投薬によってそれをコントロールしている人たちが、さらにヘルス
サービスを受けることができるのと同じように、やはり予防、ヘルスというのは、具体的な個別の
サービスを超えた、より広い広範囲なものであるべきだというふうに私は思っています。
そういう意味で勝手に解釈をした上で、今回の法案を
議論していきたいと思います。
考え方が違うのであれば、後ほど反論をちょうだいしたいと思いますが。
私は、
介護保険をつくるときに、きょう海外に行っておられますが、衛藤副
大臣と一緒に当時八十九回のプロジェクトチームをやりまして、その責任者の一人を担ってまいりました。その中でさまざまな
議論をしてきたことが、ここに来て明らかになった問題の一つだろうと思います。
一つは、
介護保険制度ができて、
制度ではないけれども
社会に存在した
介護予防の機能というものは、強まったのか、弱まったのか。
たくさんのデイ
サービスセンターができ上がり、あるいはさまざまなグループホームができ、そういう意味でのインフラは整備されました。その一方で、
介護保険ができるときには、全国至るところでゲートボールのクラブがございました。これは、今から
考えてみた場合に、
高齢者にとってこれほど理想的な
介護予防はなかっただろうと思っています。
事実、今でも、私の住んでおります高知市に今回合併いたしました、ある人口千数百名のもと村ですが、その
地域においては、中学生と一体となったグラウンドゴルフが非常に盛んです。関節や何かを痛められてギブスをいっぱいつけておられるお年寄りが、一緒になってそこへ出てきてグラウンドゴルフをしておられます。非常に坂道の多いところですから、ひざを痛める人も多いわけですが、にもかかわらず、グラウンドゴルフに週二回、三回出てきてやっておられます。村は何をしているかといえば、村は中学校の校庭をこのグラウンドゴルフに開放しているだけ。そして、中学生と一緒になることについての推奨、宣伝はやっておられます。だけれども、そのことによって、この村は非常に理想的な
状況で
高齢者対策が進んできていると思っています。
そうした、あの時代にあった、お年寄りが
自分たちが
中心になってやっていた
介護状況になることを予防する機能、こうしたものは
介護保険ができ上がってどうなったのか。
もう一つは、そういう個別のゲートボールとかそういう問題だけではなくて、そうすることを通じて
高齢者のコミュニティーができていました。実は今、
介護の問題で一番深刻な問題は、
高齢者のコミュニティーが崩壊している。
介護を本当にきちっとやっていこうとした場合には、やはり、
社会としてのコミュニティー、とりわけ
高齢者のコミュニティーがない、それがつぶれてしまった、つぶれてしまったことをよしとして、人為的に、あるいは技術を通じて、あるいは
施設を通じてしか擬似的にそれをつくることができないとすれば、私は、
介護保険というのは、早晩、今の老人
医療費と同じように十兆円を超えていくだろう。実は、
介護予防の一番大事な問題はその問題ではないか。いかにして
高齢者のコミュニティーを再構築するのか。
その中で、カラオケであれグラウンドゴルフであれ、お年寄りが積極的に参加できるような、そういうふうなものがどうできるのか、それが実は
介護予防の一つの前提でないといけないし、そんなものは、やはり基礎
自治体が
中心になってやってもらわないとできないこと。霞が関からやりなさいと言ってできるものではないだろうと思います。
そういう意味では、今回出されております
市町村の
介護予防と言われる活動の
中心は、
高齢者のコミュニティーをどう再構築するか、そこのところが一つは理念として明確でないとだめなのではないかというふうに思います。
時間がありませんので続けて申しますが、二つ目の問題としては、
高齢期になっての
介護の状態を防止しようとしたら、
高齢期になっての対策だけで
介護予防になるのかという問題です。
ヘルスの問題というのは、お腹の中に人が命をともしたときから死ぬまでが一貫して提供されるのが理想的です。具体的な例を申しますと、先ほども同僚の議員から
指摘がありましたが、例えば
高齢期になって骨粗鬆症になる。七十歳を超えた人に骨粗鬆症だからといってサプリメントを飲ませてみても、効くはずがないんですね。ではどうするか。妊娠時、出産時、授乳期に対してそうしたことがきちっと指導できている、そういうヘルスの継続性の中でそれは防ぐことができる。さまざまないわゆる生活習慣病、それの予防とつなげることによって、
高齢期のそうした多くの
介護状況を予防することができる。
そういう意味においては、ヘルスの問題として、
介護保険が云々ではなくて、生涯の予防活動の一環として、
介護状態になるということをどう防いでいくかということがヘルス事業の
中心に上げられなければいけない。厚生省の中では老健局があり
保険局がありと分かれているかもわからないけれども、人間の生活としてみれば、それがいかに一貫しているかということが大事。それが
介護予防のもう一つの大事な問題。
三つ目の問題は、
高齢期特有の問題は確かにあります。例えば、二十日間お年寄りがベッドに寝ておれば、間違いなく廃用性の障害を起こすでしょう。それは、四肢の筋肉の衰えだけではなく、間違いなく心筋の、すなわち心臓の筋肉の弱化をももたらしてきます。そういうふうな人に対して一定の機能訓練を与えていく、当然です。
そうであれば、
高齢者が病気でもって寝ついた、入院したというときには、まさに入院管理料なりそういうふうなものの中に、そういう、皆さん方の好きな言葉で言えば筋トレなんですが、筋トレというのはどうもうちの党の中でも非常に評判が悪いので余り使いたくないんですけれども、そういう一定の筋力の回復の運動をし、心筋の、筋力の回復をさせていく。それから退院させていく。せっかく、
医療療養型にしても
介護療養型にしても、病棟の中に食堂もつくり、リハビリの一定のスペースもつくらせているわけです。とすれば、そのことをきちっと
医療の中で義務づけていく。
これもまた一つのヘルスの問題として一貫性を持ってやっていただければ、余りうれしがって筋トレ筋トレといって騒ぐ必要はない。ただ、
高齢者にとって、負荷を余りかけない形で筋肉を一定トレーニングしていく、あるいはそういう運動をしていくことがいいことは間違いないわけで、それはそれでやればいいけれども、もっとそういうふうな問題があるでしょう。
一方において、まだ
介護予防の中において技術的に解明されていない、これからエビデンスをまとめて、どういうものがいいかというものを整理しないといけない
部分があります。それが認知障害であったり、あるいは
高齢期のうつの問題であったりするだろうと思います。こういうふうなものに対してはどのような形で対応するのがいいかというのを、わかったような顔をするのではなくて、やはり厚生省が
中心になってエビデンスを集めていく、そのエビデンスをきちっと整理した形でそれぞれのところに提供していく、そういうふうな作業がやはり
現状における予防活動としてあるんだろう。
まずそこのところをきちっと整理するということから私は
介護予防の問題は入るべきだと思うんですが、この問題につきましては、
局長でも
大臣でも結構ですが、御答弁いただけたらありがたいです。