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塩川委員 日本共産党の
塩川鉄也です。
本日の
調査テーマであります国会、内閣について
発言をいたします。
まず、この問題で、
日本国憲法がどのような
原則に立っているのかということです。
日本国憲法は、
前文の冒頭で「
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、」と述べ、「ここに主権が
国民に存することを宣言し、この
憲法を確定する。」としているように、
国民主権の
原理を国の統治機構の根本としております。
国民が平等な選挙による方法で政治に参加をし、国の政治の基本
方向を決めていくという議会制民主主義に基づく民主政治を基本に置いております。この
原則に立って、国会を国権の最高機関、国の唯一の立法機関と位置づけ、この国会を構成する衆参両院は「全
国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」としています。そして、国会が国
会議員の中から首相、内閣総理大臣を選び、首相が大臣を任命して内閣を組織し、内閣は連帯して国会に責任を負うというように、いわゆる議院内閣制を採用しています。
このような
日本国憲法の
国民主権の
原理、議会制民主主義の
制度は、歴史的に見ると、
明治憲法下で、天皇が統治権を総攬する翼賛政治体制のもとで
国民を侵略戦争に駆り立てていった歴史への反省によるものであること、同時に、こうした
国民主権の
原理は、
基本的人権を
保障するために
国家が
存在し、
憲法によって
国家権力を制限するという近代立憲主義の思想を取り込んだものであります。この
原理は今後とも重要な役割を果たし続けるものであり、その
内容を豊かにしていくことが
憲法を考える際の基本であると考えます。
その点からいいますと、今国会の焦点ともなっています政治と金の問題、政官財、政官業の癒着構造、民意から大きく乖離をした国会の現状など、今日の
日本の政治が抱える問題は、
国民主権と議会制民主主義の
原則が徹底されていないところに主要な原因があると考えます。
まず、
国民の政治参加の問題として、選挙
制度について、
憲法第四十三条第一項は「両議院は、全
国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」と定めていますが、
国民の代表を選ぶ選挙
制度は、多様な
国民の意思、民意をできるだけ正確、公正に国会に反映するものでなければなりません。公正な選挙によって国会内の政党配置が民意の縮図となるようにし、民主的な議事手続に従ったオープンで徹底した
議論を通じて、多様な民意を
調整し、立法などの国政に関する決定を行い、国会の信任を得た内閣が
法律を執行し、政策を実施していくという議会制民主主義の土台となるのが選挙
制度であります。
一九九四年、政治改革の名のもとに小選挙区制と政党助成
制度が導入をされ、十年を経過しました。小選挙区制が大量の死票を生み出し、比較第一党に得票率以上に過大に議席を与えるものとなり、少数政党が議席を得ることが極めて困難な選挙
制度であること、また、選挙を重ねるたびに現職優位、比較第一党優位に作用をしていくことは、小選挙区制下の三回の総選挙が実証しています。
小選挙区制は、政権交代可能な
制度、民意を集約する
制度として構想されましたが、
制度によって多様な民意を排除し、人為的に政権交代、二大政党制を進めていくことは、民意の正確な反映を求める議会制民主主義の
原則と相入れないものと考えます。また、さきの参議院選挙を見ても、
国民の意思は実に多様であり、それを人為的に二大政党に押し込めることは、
国民の政治選択の幅を狭め、選挙行動にも
影響を及ぼすものであります。多様な民意をそのまま議席に反映させる比例代表制に改めるべきだと考えます。
政治資金についても、政治腐敗を根絶するために抜本的な改革が必要です。
十年前の政治改革も、その発端はリクルート事件であり、それは、政治腐敗の温床となってきた企業・団体献金の全面
禁止に踏み出すことこそが当時期待されたものでありましたが、政治腐敗の原因を選挙
制度の問題にすりかえて企業・団体献金を温存したところに、今日なお政治腐敗が横行する原因があると
指摘をしたいと思います。
政府の選挙
制度審議会においてすら企業・団体献金
禁止の
方向を提起してきたことは公知のことであります。企業は見返りを求めて政治献金をするのであり、企業・団体献金は本質的にわいろ性を持つことは言をまちません。
日本経団連の政党通信簿による政治献金の奨励もそのことを示しています。
本来、政治に対する寄附は
主権者国民の政治参加の重要な手段であり、主権者ではない企業の政治献金を認めることは、金の力で政治を動かすことを容認するものにほかなりません。また、政党助成は、政治腐敗を予防できないだけでなく、政党を
国民から財政的に遠ざけてしまい、政党が
国民に根差しているという政党の
社会性を奪い取る一種の麻薬であるという専門家の批判もあり、この点は本質をついていると考えます。
次に、国会については、審議の形骸化の問題を
指摘したいと思います。
国会改革の名のもとに、政府
委員制度の廃止や副大臣、政務官の導入などとともに、首相と野党党首によるクエスチョンタイム、
国家基本政策
委員会が導入されました。
問題は、クエスチョンタイム導入が、国会審議の充実の
方向ではなくて、首相の国会出席を制限し、国会審議の場から遠ざける
方向に向かってきたことであります。二〇〇〇年の自民、公明、民主などの各党の申し合わせによって、クエスチョンタイムは
原則毎週水曜日に行うとしながら、本
会議や予算
委員会への出席と重複してやらないこととされ、このもとで、従来、総予算審議において行われてきた七日間程度の全閣僚出席の総括質疑は二、三日程度の基本的質疑に短縮され、法案審議における本
会議への総理出席は一通常国会四件程度とされる重要広範議案に限られるなど、著しい国会審議の形骸化をもたらしています。
同時に、審議の
内容においても、イラク特措法審議では、自衛隊海外派兵法が
憲法九条に抵触するものであるにもかかわらず、十分に審議を深めることなく成立をさせられ、例えば、イラク特措法案や派兵承認案件の審議では、
国連安保理がイラク開戦を容認していないにもかかわらず、
国連決議に沿ったものと強弁をし、米英のイラク攻撃の第一の理由であった大量破壊兵器の
存在を断定した理由を聞かれると、フセインが見つからないからといって大量破壊兵器が
存在しないとは言えないとはぐらかし、自衛隊が行くところが非戦闘地域という、多国籍軍参加に踏み切った一連の小泉首相の無責任な答弁は、国会軽視というにとどまらず、国会審議を空洞化するものとして重大であります。
こうしたことは、昨年の年金法案の審議でもあらわれています。昨年十一月の本
調査会公聴会でも、参議院厚生労働
委員会での年金改革法案強行成立を目の当たりに、公述人からは「これが国権の最高機関、国の唯一の立法機関の姿なのかと情けなく、残念に思いました。」との意見が述べられました。
国会にかかわる改憲論として、総理大臣の国会出席
義務の緩和や参議院の権限縮小論が喧伝をされ、最終的に議会の同意を得るまでの間に余りにも多くの時間を要するシステムになっているなどと言われますが、これは、国権の最高機関である国会の役割を低め、国会を内閣の賛同機関に変えてしまおうとするものであり、
国民主権の
原理、議会制民主主義に反するものと言わなければなりません。
内閣
制度についても
指摘をしておきたいと思います。
この間出されております内閣
制度に係る改憲論は、国会の最高機関としての地位と権能を低くすることと裏腹に、内閣総理大臣の権限の集中、強化による強い政治システムを構築することが自明の前提のように言われています。
行政権の所在を内閣総理大臣に集中し、総理大臣が閣議の全員一致をとらなくても強力に構造改革を推進するねらいが込められているのではないかと懸念をします。強い政治システムのもと、権限を集中した首相に対する国会のチェック機能を後退させることになれば、
国民の意思に基づく政治の
実現はますます危うくなります。そして、
行政権限強化によって、
国民、とりわけ庶民に痛みを押しつける施策が次々と実行される危険が大であります。
既にこの間、内閣機能強化のもとで進められている小泉政治、構造改革路線に端的に示されています。
国民に痛みを押しつける弱肉強食の政策を一層強力に進めるねらいが込められていると言わざるを得ません。
日本経団連の改憲構想もこうした
方向を打ち出しています。
しかも、こうした首相権限の強化の
内容として、自衛権
行使に関する内閣総理大臣の最高指揮権を盛り込むことや、非常事態における総理への権限集中をも強調しています。九条改憲とあわせて、軍事
国家体制づくりを進めようとする危険についても
指摘をし、
発言といたします。