運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

2004-11-10 第161回国会 参議院 少子高齢社会に関する調査会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十六年十一月十日(水曜日)    午後一時開会     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         清水嘉与子君     理 事                 中島 啓雄君                 中原  爽君                 山谷えり子君                 神本美恵子君                 羽田雄一郎君                 山本 香苗君     委 員                 荒井 広幸君                 荻原 健司君                 狩野  安君                 坂本由紀子君                 関口 昌一君                 小川 勝也君                 岡崎トミ子君                 加藤 敏幸君                 島田智哉子君                 柳澤 光美君                 山本 孝史君                 蓮   舫君                 山本  保君                 鰐淵 洋子君                 小林美恵子君    事務局側        第三特別調査室        長        岩波 成行君    参考人        国立社会保障・        人口問題研究所        所長       阿藤  誠君        政策研究大学院        大学教授     松谷 明彦君        株式会社大和総        研チーフエコノ        ミスト      原田  泰君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○政府参考人出席要求に関する件 ○少子高齢社会に関する調査  (少子高齢社会への対応在り方について)     ─────────────
  2. 清水嘉与子

    会長(清水嘉与子君) ただいまから少子高齢社会に関する調査会を開会いたします。  本調査会調査テーマにつきまして御報告申し上げます。  調査テーマにつきましては、調査会設置以来、理事懇談会等で精力的に協議を重ねてまいりました結果、「少子高齢社会への対応在り方について」とすることに決定いたしました。  今後、具体的な調査事項等策定に向けて、調査テーマに関する委員間の共通の認識を深めるため、調査会において参考人意見をお伺いする等調査を進めていくことになりました。よろしくお願いいたします。     ─────────────
  3. 清水嘉与子

    会長(清水嘉与子君) 参考人出席要求に関する件につきましてお諮りいたします。  少子高齢社会に関する調査のため、今期国会中、必要に応じ参考人出席を求め、その意見を聴取したいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 清水嘉与子

    会長(清水嘉与子君) 御異議ないと認めます。  なお、その日時及び人選等につきましては、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 清水嘉与子

    会長(清水嘉与子君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  6. 清水嘉与子

    会長(清水嘉与子君) 政府参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  少子高齢社会に関する調査のため、今期国会中、必要に応じ政府参考人出席を求め、その説明を聴取することとし、その手続については会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  7. 清水嘉与子

    会長(清水嘉与子君) 御異議ないと認め、さよう取り計らいます。     ─────────────
  8. 清水嘉与子

    会長(清水嘉与子君) 少子高齢社会に関する調査を議題といたします。  「少子高齢社会への対応在り方について」参考人から意見を聴取いたします。  本日は、国立社会保障人口問題研究所所長阿藤誠さん、政策研究大学院大学教授松谷明彦さん及び株式会社大和総研チーフエコノミスト原田泰さんに参考人として御出席をいただいております。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙のところ本調査会に御出席いただきましてありがとうございます。  参考人方々から、「少子高齢社会への対応在り方について」総論的なかつ忌憚のない御意見をお述べいただきまして、調査参考にいたしたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。  議事の進め方でございますけれども、まず、参考人皆様方からそれぞれ二十分程度御意見をちょうだいいたしまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じます。  なお、質疑につきましては、あらかじめ質疑者を決めておりません。自由に御質疑をいただくようにしております。  また、意見の陳述、質疑及び答弁のいずれも着席のままで結構でございますので、よろしくお願いいたします。  それでは、阿藤参考人からお願いいたします。どうぞ。
  9. 阿藤誠

    参考人阿藤誠君) 国立社会保障人口問題研究所阿藤でございます。(資料映写)  本日は、日本人口の動向、そしてその原因背景、さらには人口変動がもたらす社会経済的な影響、これは本当に一般的に触れた後、それに対するまた全般的な対応策、そして、後半では特に少子化の問題についての対応についてのお話をさせていただきたいというふうに思います。  本日はパワーポイントを用意しております。お手元説明文図表が用意されてございます。かなりの量になってしまったものですから、図表説明は基本的に省かせていただいて、お手元で後で見ていただければというふうに思います。つまり、私の話していることに証拠は少しはあるんだということを示す意味図表があるというふうにお考えいただければ結構だと思います。  早速ですが、日本人口が一体どういうふうになっていくのかということでございますが、一つは、何といっても二十一世紀人口減少社会になるということですね。これは、言い換えれば、明治の初めから二十世紀全体は人口増加社会であったということで、この点で非常に対照的な、性格の違った社会になっていくんだということでございます。  私ども推計によれば、今一億二千七百何十万というところですけれども推計によれば、二〇〇六年をピークにして、以後減り始めて、二〇五〇年には一億人、そして、まあこれは全くの可能性としては、百年で半分ぐらいになる可能性もあると、そういう見通しでございます。一年間に減る人口というのが、二〇三〇年代、四〇年代には毎年八十万人から九十万人、言わば政令指定都市一つずつ消えていくと、そういう人口減少のスピードを経験するということでございます。これが図でございます。  今日のお話は、少し日本というものを余り視野を狭くしないように国際比較を交えてお話ししたいと思いますので、少し話が横へそれるかもしれませんが、今のような人口減少というのは決して日本だけの話ではなくて、国連推計によれば、先進国の多くは今後五十年間に人口減少社会に突入するということです。ほとんど例外的なのはアメリカぐらいでございます。日本イタリアスペイン人口減少は特に大きいというふうに予想されています。  それから、そういういわゆる先進国以外に、子供が五人、六人から子供二人以下になった、つまり出生力転換を終えたアジア諸国、いわゆるアジアNIESと言われる韓国シンガポール台湾、香港、そしてさらには中国というふうな国も二十一世紀半ばまでには人口減少社会になるということでございます。これがその図でございます。  これが、一つ人口減少ということでございますが、もう一つは御承知高齢化でございます。もう既に日本では一九六〇年ごろから高齢化が実は進んでいるんですね。ほとんど今高齢者割合は二〇%近くになっています。そして、これはもうほとんど世界一の高齢化社会です。  しかし、私ども推計によれば、更に高齢化が進みまして、六十五歳以上人口割合は二〇〇〇年—二〇五〇年の五十年間で一七%から三六%へと上昇すると。国民の三人に一人以上が高齢者になるというような見通しでございます。ですから、いわゆる人口ピラミッドということになりますと、昔の富士山型から、現在はまあ言わば中年太りの、逆に言えば働き手の多い人口構造がまだ続いているんですが、もう今すぐこれがどんどんどんどん高齢者の多い逆三角形の、そういう逆ピラミッド型の人口構造に変わっていくということが予想されています。  この高齢化もまた先進国共通することであります。しかも、先ほどの人口減少の非常に激しいと言われたイタリアスペイン日本というのは非常によく似ていて、高齢化もまた著しいということです。何といっても高齢化の最大の問題は、減少するあるいは停滞する生産年齢人口でもって膨れ上がっていく高齢人口をいかに支えるかということが高齢化社会の基本的な問題だと思いますが、この点でも日本イタリアスペインなどは最も高齢化が進んで、高齢者扶養負担が著しく高い、あえて言えば超高齢社会になると、別にその定義はございませんけれども、大変激しい、厳しい超高齢社会になるということでございます。  日本人口推計だけでいいますと、いわゆる現役世代、十五—六十四歳人口が何人の高齢者を支える必要があるかという係数で見ますと、現在ではほぼ四人で一人を支える構造ですが、それが五十年後には三人で二人を支える構造に変わっていくと。言わば支え手の側からいうと二・六倍の負担になるということでございます。  ですから、日本も含めて先進諸国は全体としてこれから高齢人口減少社会、まあひどい国では超高齢人口減少社会になっていくということがお分かりいただけたと思いますが、その原因は何かと。二つございます。一つ長寿化一つ少子化です。  長寿化の方は、言うまでもなく、平均寿命が延びる、とりわけ中高年、老年の死亡率が下がって、その分だけ高齢者が増えていくということがこの高齢化促進要因になっています。  先進国の多くが六〇年代は結構その平均寿命が停滞したんですが、七〇年代からまた順調に延び始めて、今では多くの寿命研究者などは相当楽観的に、つまり人間の寿命はまだまだ延びるというふうな見解になっていて、参考までに国連がつい最近出しました二三〇〇年推計というところでは、人類は二三〇〇年にはほとんど百歳以上の人口になると、日本はその最先端にあると、そういうふうな数字を出しております。  で、もう一つ少子化でございます。  その少子化といいますのは、一応ここでは合計特殊出生率、一人当たりの女性子供の数が二人、まあここでいうと二・〇七人以下、人口置き換え水準以下の出生率になるということで定義したいと思いますが、その少子化が今急速に進行しているということは御承知のところでありまして、合計特殊出生率が昨年ついに一・二九というふうになったと、あるいはその出生数が減り始めてからの三十年間ぐらいで二百三万人から百十二万人まで減っているというふうなことが明らかであります。  これまた先進諸国のほとんどは少子化状況にあります。ただ、あえて付け加えておきますと、出生率水準少子化ではありながら多様だということなんですね。いわゆる英語圏、それから北欧諸国フランス語圏諸国出生率は一・六以上二・一以下と相対的に高いのに対して、ドイツ語圏イタリアなどの南ヨーロッパ、そして日本、さらに後で触れますようにアジアNIESの国々が一・二から一・四という具合に大変低いと、あえて言えば二つグループに分かれつつあるということでございます。少子化が進んでいる国ほど将来の先ほど申し上げた人口減少が大きく、高齢化が深刻になるということでございます。今お話ししたアジアNIES出生率もほんのこの数年間で、特に韓国シンガポール台湾が急激に下がりまして、今もう日本以下になっています。これが数字でございます。  じゃ、少子化はなぜ起こっているのかということでございますが、ここには人口学者が考えるときには、まず人口学的な要因と、それからその背景にある社会経済的な要因を二段構えで考えるということをします。一般的に先進国全体で起きている少子化人口学的要因は、一口で言えば、出産の高年齢への先送り、先延ばし、日本でよく晩産化といいますが、に尽きると思います。要するに、二十歳代前半でみんなが産んでいたものがだんだん二十歳代後半、さらには三十歳代にというふうに出産年齢が高くなっている、あるいはもうそのまま産まなくなってしまうと、そういうことが起きているわけです。  そういう意味で、例えば第一子出生年齢というものを計測してみますと、どこの国でもこの三十年間に大きく上昇しています。そして、その出産年齢の更に背後にあるのが結婚でございまして、どこの先進国でも同時に結婚先送り、先延ばし、いわゆる晩婚化あるいは未婚化ということがこの三十年間続いているというふうに理解できます。特に、日本の場合、よく言われますように、例えば左側の二十代の後半の女性未婚率が三十年前は二〇%、それが今は五四%と半分を超えると。あるいは三十代の前半未婚女性がかつては七%、今は二六%と、四人に一人が三十代前半未婚だというような状況。もちろんこれは男性の方は更に五歳ぐらい上の未婚率が急速に上がっています。そういう意味で、この未婚化、さらには晩婚化ということが特に日本の場合非常に強い少子化、晩産化であると同時に少子化の大きな原因になっております。  それが共通原因なんですが、先ほど申し上げた二つグループ、あるいはその先進国の中での違いを見てみますと、幾つかグラフを見るとすぐ分かるんですけれども日本年齢別出生率グラフは高いところから低いところにこういうふうに変わっています。二十代で減って三十代で少し上がるという、そういう構造になっています。これは、もう五歳階級で見ますとこういうふうになりまして、七〇年と二〇〇二年ではこういうふうに年齢別子供の産み方が変わったと。この面積合計特殊出生率という、数学的にはそういう構造ですので、面積が小さくなったから出生率が下がったと。しかし、その産み方自体も平均的に若いところから非常に高年齢に変わってきていると相対的に見て取れます。  ただ、日本の場合、図で見ますと二十代の落ち込みが非常に激しい。その分逆に三十代の方は上がっているんですが、非常に小さいんですね。イタリアも同様です。そして、相対的に高いグループは、スウェーデンとかオランダとかは二十代の、特に二十代後半の落ち込みがやや少ない。そして、三十代の出生率が大きく上がっていると。このことがこの三十年間の中で、こういう大きく言えば比較的緩やかな少子化の国と超少子化の国を分けていると、そういう原因だと思います。  その一つの理由といいますか、背景としては、そういう緩やかな少子化の国ではいわゆる同棲婚姻届を出さないで男女が一緒に住むという同棲の言わばその普及率といいますか、それが大変高い。その同棲の中で子供を産むので、それは婚外子というふうになりますから、その婚外子割合が大変高い。これがまた非常に特徴です。それに対して、超少子化国グループ同棲が少ない。そして、ですから婚外子が非常に少ないというふうな違いがはっきりしております。その分だけ二十代での、超少子化国は二十代での落ち込みが激しいと、そういう特徴があるように思われます。  で、少子化の更にそういう言わば晩婚、晩産、未婚化、そして少子化というものの社会経済的背景は大変複雑でありまして、とてもこう短い時間では説明できませんので、欧米諸国先進国全般で言われている要因をちょっと列挙してみますと、いわゆる女性社会進出に伴う仕事家庭、いわゆる家事、育児との両立の難しさが増えている。これは先進国共通、特に日本でも大きな問題です。それから、子供消費財化子育て負担感増大、これも日本データではかなりはっきり出てきます。  それから、三番目の近代的な避妊手段普及、いわゆるピル、IUD、不妊手術と言われるような、普及と中絶の合法化とそれによる望まない妊娠、出産減少というのは、これはヨーロッパアメリカに当てはまりますけれども日本には当てはまらない。  四番目の豊かな社会の到来による価値観の変化といって、いわゆる若者が非常に個人主義化している、それから子供中心よりもカップル中心満足感を求めると、そういうふうなことがヨーロッパでははっきり言われていますけれども日本では必ずしもはっきりはしないというふうなことがあります。  それから五番目には、若者パラサイトシングル化と言われる、いわゆる学校を出ても就職をしても親元にずっとい続けると、そういう若者が増えているんだと、こういう議論があります。家にいるほどなかなか結婚しないという、そういう現象が指摘されますが、これは日本とかイタリア共通する現象です。  最後に、若者失業増大。最近では、フリーター、さらにはニートと言われるような、学校を出てもほとんど、つまり仕事教育機関にもいないし、仕事もしていないし、そして研修もしていないと、そんなふうな若者が何十万いるというふうなことが最近報じられましたが、こういった失業も含めて非常に不安定な職業状態にある若者が増えていると、そのことが関係あるんじゃないかと。これは特に日本イタリアなどで指摘されています。資料は全部省かしていただきます。  以上のような背景の下で、つまり少子化長寿化が重なって人口減少、そして超高齢社会が特に日本の場合訪れると。そのことの持つ意味であります。  これは、むしろこれからのお二人の参考人先生方お話しくださるので、私はこれまた項目だけを挙げておしまいにしますが、いわゆる人口減少が起こることによって、確かにプラスの面も指摘されています。いわゆるゆとりの増大、そしてエネルギーやその他の資源の消費が減るとかですね、いわゆるエネルギーが、消費が減ればCO2が減って環境保全にはプラスになるとか、そういう議論。いわゆるエコロジー的な面ではプラスの面があるんじゃないかと、こういう議論がございます。  それに対して、もう一方で、やはりマイナスとしては、上から、一番目から五番目まではいわゆる経済成長率が鈍化すると、あるいはほとんどゼロ成長になると。つい最近もIMFでそういう報告が出ましたが、二〇五〇年まで日本は一番そういう意味では成長率が低いと、こんなふうな資料が出ていたように思いますが、そういう経済への大変大きな影響があると。さらには、超高齢化によっていわゆるその現役世代高齢者扶養負担が大変大きくなりますから、いわゆる社会保障制度全般を維持する難しさとサステーナビリティーが下がってくるということが当然指摘されています。そのほかに付け加えるとすれば、もう既に起こっている過疎の自治体というようなものはなかなか存続が難しくなっているとか、さらには今後治安や安全保障のための人材確保が難しいとか、あるいはもっと長期にかつ広い視野でいえば、日本文化継承者減少するとか、そういうふうなことが指摘されると思います。  それに対して一体どういう対応策が考えられるのかというと、大きく言えばこの二つに分かれます。一つは、いわゆる結果への対応、そして原因への対応。結果への対応というのは、超高齢人口減少社会が来るんであるから、それに対して様々な対応が必要だというふうなことで、これも後ほどお話が多分あると思いますので割愛させていただきます。  そして、人口政策的な対応として、つまり原因への対応ということになると、いわゆる少子化対策移民外国人労働者受入れ政策という二つの問題がございます。ここでもまた、移民外国人労働者の受入れ問題は割愛させていただいて、少子化対策のみについてお話をしたいと思います。あと五分しかございませんので。  それで、少子化への政策的対応でございますが、国連はずっとアンケート調査をやっておりまして、それによりますと、自国の出生率を低過ぎるというふうに認識する国、そして出生率の引上げを目指す国がこの数年間で増えております。日本もその中に入っております。それから、日本における世論調査でございますが、これによると、毎回、毎回というのは、これは毎日新聞の調査ですが、少子化心配という人が圧倒的多数を占めると、そして非常に心配が増える傾向が見られる。それから出生政策、いわゆる子育てへの賛否では、いわゆる子育て家庭支援策というふうなものを含めて考えると、これがやはり大変多数派でありまして、中でもまた出生政策賛成が反対を上回るようになってきているということがこの調査では示されております。  少子化対策といっても、広い意味では家族政策ということになるんですが、日本はやはり九〇年の一・五七ショックを契機として大きく変わったと私は思います。それは、何といっても、女性就業増大に即して仕事子育て両立支援、いわゆる育児休業制度保育サービスの充実にこの十四年間政府は中心的に力を入れてきたというふうに解釈することができると思いますが、二〇〇〇年代に入りましてから、あえて言えば、それでも出生率は上がらなかったということで、新しい政策努力が始められつつある、いわゆる次世代育成支援策と言われるようなものがそれに当たると思います。  そういった日本の十四年間の努力をほかの国と比べてみますと、残念ながら、日本南ヨーロッパとともに、実は女性労働力率出生率も低い、つまり男女共同参画になっていないと。言い換えれば、仕事子育て両立支援が十分に効果を発揮しているとは言えないのではないかということが推定されます。それから、日本南ヨーロッパと並んで、先進国の中で最も子育て経済支援、これはいわゆる税の扶養控除児童手当を含みますが、水準が低いと。それから、日本南ヨーロッパと並んで、子供家族に対する、社会保障給付全体の中に占める子供家族に対する給付水準先進国中最も低いというふうなことが示されます。それから最後には、日本南ヨーロッパとともに、社会保障給付の中で例えば高齢者子供家庭に対する相対的なバランスですが、相対的に言うと、高齢者のための給付割合が高くて子供家庭に対する給付割合が低いと、そういう傾向が見られます。  そういう意味で、今後、いかにして仕事子育て両立支援施策の言わば実効性を、いろいろ法律も作り制度も整備されてきましたけれども、どうもまだ実効性が上がっていないということで、これを高めることができるかということが問われておりますし、その中で、男性育児参加というふうなことも促進できるかどうか、さらには子育てへの経済支援、そして、全般的に子供子育て家庭を支援するための予算を増やすことができるかどうかということが問われていると思います。  最後に付け加えますと、言わば家族政策を超えてということで、政府以外の、全く関係ないわけではございませんけれども、問題がこの少子化問題にはかかわっている。  一つ価値観の問題というような問題で、やっぱりこの男と女という問題は非常に古い伝統社会からつながってきているものでありますから、例えば、夫は仕事妻家庭というような価値観も確かに日本では変わってきています。しかし、欧米諸国と比べるとまだ一〇、二〇%の差があるというふうなことがこのデータで示されています。そういう意味で、この固定的な性別役割分業観あるいはそれに基づくいろんな制度というものをいかにして変えていくことができるかということが問われていると思います。  それから、もう一つ個人主義と言われることで、若者が一見個人主義化しているように見えるんですが、実態はそういうパラサイトシングルで、親元に三十になっても三十五になっても一緒にいるというふうなことで一部やゆされているわけですね。その点では、いかにして日本若者の自立、言い換えれば親離れ子離れを促進できるかということは、これは政策でどうできるのか知りませんけれども、そういう問題が価値観の点ではあると。  そのほかに、当然、企業や労働市場の役割として、すなわち、先ほどの話を受ければ、若者の職業意識の醸成や雇用対策が必要になり、それから企業自身のいわゆるファミリーフレンドリーカンパニーになるための努力というものがまだまだ要求されるということは実感しておりまして、そのために、通過しました次世代育成支援対策推進法のようなものがうまく働けば、役に立てばその点では非常に有効ではないかというふうに思います。  さらには、地域社会、一般社会として、同じく地域社会の中で保育サービスのニーズというものを十分に満たしていくそういう政策がどこまで進むか、この点でもこの次世代育成支援対策推進法というものの役割があるのではないかと。  そして最後に、社会全体として、やはりこの日本子供子育てをする人に優しい社会、ファミリーフレンドリーソサエティーというものにやっぱりなっていけるかどうかということが問われているように思いまして、その点で、これも昨年成立しました少子化社会対策基本法というのは実はそういうものを目指しているんじゃないかというふうに考えまして、こういうものがうまく日本社会に働いていったら有り難いというふうに個人的には思っているということで話を終えたいと思います。  以上です。
  10. 清水嘉与子

    会長(清水嘉与子君) ありがとうございました。  では、次に松谷参考人にお願いいたします。松谷参考人
  11. 松谷明彦

    参考人松谷明彦君) 政策研究大学院大学の松谷でございます。  私は、マクロ経済学、財政学を専門としておりますので、私からは、人口減少高齢化がマクロ経済日本経済あるいは財政、年金といったものに対していかなる影響を与えるのか、そしてそれに対してどういった対応策があり得るのか、あるいは望ましい対応策とはいかなるものかといった点についてお話し申し上げたいと思います。  パワーポイントは用いませんで、資料のみを使ってお話し申し上げたいと思います。  まず、一ページをお開けいただきたいと思いますが、ここに国民所得の予測を書いてございます。私のモデルによる予測でございますが、その下のところにありますように、このA、標準ケース、Aが今後予測される日本経済の姿でございまして、二〇〇〇年に三百七十・三兆円ありました日本の実質国民所得は二〇三〇年には三百十四・六兆円と、三十年間で一五%程度縮小するというふうに予想されます。ピークの年は二〇〇八年、モデルによる計算でございますので二、三年のずれはあろうかと思いますが、二〇一〇年前後には日本経済は継続的なマイナス成長、縮小に向かわざるを得ないというふうに考えております。  図でごらんいただけますように、これまでの日本経済、点線から左側が実績でございますけれども日本経済、常にプラス成長、しかもかなり大幅な成長、いわゆる右肩上がりの成長を続けてきたわけでありますが、今後数年の間に全く逆方向の右肩下がりの縮小に向かわざるを得ないというふうに考えております。  その理由は、労働力の急激な縮小でございます。当然、経済活動でございますので、一方で技術進歩というものがあって、一人当たりの労働者の生産量というのは年々増加しているわけでありますが、そうした技術進歩を可能な限り織り込んだとしても、やはり日本経済としては縮小せざるを得ない。それだけ労働力の縮小が大幅である、労働力の減少が大幅であるということなんでございますが、それではなぜそれほど労働力が急激に減少するのかということでございます。  二ページをお開けいただきたいと思いますが、この二ページに主要先進国、二〇〇〇年におきます主要先進国人口構造を図示してございます。国連統計によるものでございまして、五歳刻みの年齢階級ごとの全人口に対するその年齢階級の比率、これを平均値をゼロとしましてそれからの乖離幅で表しておりますが、ここでごらんいただけますように、日本人口構造、極めて特有な人口構造を持っておりまして、いわゆる二つの山、第一次ベビーブームと第二次ベビーブームがあるわけでございますが、そうした人口構造は各国には見られないわけであります。これには、一九五〇年代の初頭にかなり大規模な産児制限が行われた、その結果としてこの真ん中に谷ができた、そのために二つの山ができたというのが実態でございますけれども、今後の労働力の減少がこの図からお分かりいただけると思います。すなわち、右側の山、これ第一次ベビーブームでありますが、これは現在労働力を構成しております。しかし、この第一次ベビーブームの山は今後五年から十年の間には急速にリタイアしていって労働力から抜けていく。それに取って代わるのがこの産児制限の行われた比較的人口が希薄な年齢階層、つまり谷が山に取って代わることが労働力の急減の理由でありまして、そうした大幅な労働力の急減のために技術の進歩をもってしてもカバーし切れず、日本経済は縮小してしまうということでございます。  これに対して、それでは外国人労働力を活用してはどうかというような意見もございますが、しかしながら、外国人労働力の活用と申しましても基本的には限度のある話でございまして、この一つの例となるのはドイツであろうと思います。  ドイツでは、外国人労働力を最も活用した時点では、全人口に対する外国人労働者の比率は八・五%ないし九%であるというふうに言われております。その辺が先進国における外国人労働力の活用の一つの限度であるということで仮定いたしまして、そこで、二〇三〇年までに日本外国人労働者の比率を八・五%まで上げていったとしたらどうなるかという計算をしてみました。それが、やはり一ページの図で申しますとBのライン、外国人労働力を大幅に活用したケースでございます。ごらんいただきますように、確かに多少日本経済の縮小の幅は小さくなりますし、多少カーブも緩やかにはなっておりますが、しかしながら、遠からず日本経済が縮小に向かうことに変わりはないわけであります。つまり、外国人労働力を活用したとしても、それが先進国としての言わば常識的な範囲にとどまる限りは日本経済の縮小を避けることはできない。つまり、それだけ日本人労働力の減少が大きいんだということであります。  したがって、今後の日本経済あるいは日本経済社会、さらには年金財政政策といったものを考えていく上では、この日本経済が今後継続的な縮小、すなわち右肩下がりの縮小に向かうということを大前提として方策を考えていく必要があると考えております。  まず、日本経済そのものに対する対策でございますが、これは私は日本経済が縮小しても、それをそれほど悲観的に考える必要はないというふうに考えます。  よく、経済が縮小するということは日本の国力の低下である、あるいは国際的なプレゼンスに影響するということをよく言われるわけでありますが、それでは、例えばドイツでありますけれども、ドイツは、ドイツの経済規模は日本の半分であります。では、そのドイツの国力なり国際的なプレゼンスは日本の半分かというと、そういうことではないわけであります。ドイツは確かに経済は半分でありますが、人口もまた半分でありますから、半分程度でありますから、したがって問題はないということでありまして、先進国先進国たるゆえん、あるいはその国力とか国際的なプレゼンスといったものは経済の規模ではなくて、むしろ経済の質、つまりは一人当たり国民所得の高さ、これによって決まってくるものであると考えます。  そこで、一人当たり国民所得を計算したのが三ページでございます。この三ページの第三図、ごらんいただきます図の上の、中では最も太い線、「一人当り国民所得」と書いてある線でございますけれども、確かに山なりにはなってございますけれども、下の欄にございますように、一人当たり国民所得、二〇三〇年の一人当たり国民所得は二〇〇〇年に比べてわずか一・二%の減少、つまり三十年間で一・二%の減少でありますから、基本的には横ばいであります。  現在、日本の一人当たり国民所得は世界でも最高水準にあります。為替レートや物価水準の問題ありますけれども、しかし世界の中で最も豊かな国の一つであることに違いはないわけでありまして、その水準でもって、今後の一人当たり国民所得は横ばいでありますから、したがって三十年後においても日本が世界の中で最も豊かな国の一つであるという事実に変わりはないわけでありまして、それだけの国力と豊かさをもってすれば多くの問題は十分に解決可能であると私は考えるわけであります。  ただし、これから申します年金とそれから財政については、これは相当抜本的な発想の転換あるいは政策方向の転換ということを図らない限り、これに関する問題は解決し得ないと考えております。  そこで、この後、年金と公共事業、そして財政について問題点を指摘し、私なりの解決法を申し上げたいと思います。  四ページでございますが、ここにこれまでの高齢者数及び今後の高齢者数の推移と労働力人口のやはり実績と見通しを示してございます。  高齢者数と労働力人口を並べましたのは、言わば高齢者は労働者によって扶養されるというか、それが年金の仕組みであるということで、この二つを図示したわけでありますけれども、かつて一九五五年のころには労働力人口高齢者数はこれだけの差があったわけでございますね。しかし、二〇〇〇年の段階になりますと、高齢者数と労働者の比率は一対三ぐらいの割合になりまして、それが二〇三〇年には一対一・五というようなことになるわけであります。  私は、高齢社会においては年金というものの存在そのものについて考え直す必要があるのではないかと思います。すなわち、年金というのは高齢化率、すなわち六十五歳以上の人口の全人口に占める比率が数%の時代に考えられた制度なんですね。そうした数%であれば、働く人たちでもってその数%の高齢者を扶養するという考え方は十分に合理性も持ったし、説得的であったというふうに思うわけでありますが、それが今既に三対一になっている。そして、もう三十年もたつと一・五対一になる。そういう中で、なお引き続き労働者によって高齢者が扶養されるべきであると考えるのかどうかという問題でございます。  更に言えば、その場合には、今扶養というふうに申しました。言わば年金というのは世代間の所得の移転でありますから、高齢者から、働く人から、労働者階級、労働者から高齢者に対して所得の、フローの移転が行われているわけでありますけれども、そうしたそのフローの移転、言ってみれば仕送りですね、毎年の仕送りですね、そういったもので高齢者を扶養していくべきなのかどうかということでありまして、私はそうしたフローには当然限界があるというふうに思うんですね。  したがいまして、それに対して私は、もっとストック、社会的ストックというものを活用すべきではないかと考えております。例えば、今高齢者を取りますと、半数ぐらいの高齢者が家を、自宅を持っていないわけでありまして、そういたしますと、そうした高齢者の年金の大半はこれは家賃に消えているわけでございます。そこで、例えば国とか地方公共団体が非常に低廉な、そして比較的良質な住宅を大量に供給をする。それこそ月に一万とか二万とかいった、そうしたレベルの公共住宅を、公共賃貸住宅を大量に供給するとすれば年金の給付水準はかなり引き下げることができるわけですし、それによって適正な負担水準というものも達成できるわけであります。そして、そのようにした高齢者用の低廉な賃貸住宅というのは何世代にもわたって使えるわけであります。  国民の側からの税と社会保障の負担という観点から見ますと、これは年金だけで高齢者を扶養していくよりは、そうしたストックの活用を含めたところで考えた方がずっと税・社会保障負担はそれだけ低くなるわけであります。そうしたフローに頼るのではなく、ストックも入れるといったようなそうした発想の転換がこれからの高齢者対策、社会保障政策において必要なんではないかと私は考えております。  次に、今後の人口減少高齢社会において恐らく最も、最大の問題点となるのが公共事業であろうと思います。御承知のように、公共事業というのは、日本経済のバランスからいいますと貯蓄を使って行われております。およそ投資と名の付くもの、設備投資でありますとか海外投資でありますとか、それから公共投資というものは、すべてその収入から貯蓄を取り除いた残りの貯蓄でもって行われているわけですね。しかし、今後人口高齢化していく中で、この貯蓄率は急速に低下していくというふうに考えられます。  例えば、五人家族がいて、そのうち三人の働き手がいた、一人高齢者になってリタイアしたと。その場合、三人が働いている場合と二人働いている場合では、その五人家族としての貯蓄能力が大きく低下いたします。それと同じようなことがこれから日本経済について起こるわけでありまして、そうした貯蓄率の大幅な低下の中で公共事業を大幅に縮小していかざるを得ない。  その様子を五ページに書いてございます。第五図でございますが、そこに「公共事業許容量」というふうに書いてございます。その公共事業許容量はこのように急速に低下してまいりまして、二〇三〇年には二〇〇〇年に比べて四七%公共事業を縮小せざるを得ないというふうに計算されます。  問題は、その下にある更新・維持改良費でありまして、公共事業は当然、更新投資あるいは維持改良費が必要になってまいります。それがこの下のグレーの線でございまして、この黒い線とグレーの線の差が新規の可能な公共事業額でございます。これから高齢社会に向かって急速に社会資本の需要は高まっていく、様々な、新たな社会資本の需要は高まっていくわけでありますが、それに対して、それを形成していく能力はこのように年々急速に縮小していく、そして二〇二〇年代の前半にはこれが逆転してしまう。  何を意味しているかというと、そのとき存在する公共施設についての維持改良、更新すら十分にできなくなる。危険な道路があっても修理できない、あるいはその機能が低下した下水道があっても修理できないという危険の増大、環境の劣化という問題が生じてくるわけでありまして、それに対する対応策は、これは上は貯蓄率でもって動かせないわけですから、下を動かすしかない。つまり、現在ある公共施設についての整理、縮小ということが必要になってくるわけです。  もちろん、必要のない公共施設はないでしょうけれども、必要性の少ない公共投資についてはそれを更新しないとかいうようなことでその整理、縮小をしていって、この図で申しますとグレーの線、更新・維持改良費を引き下げないと、さっき申しました新しい社会資本整備はできないし、その時点におけるその維持、更新も十分にできないという事態になるわけでありまして、公共投資についても基本的な考え方の転換が必要ということであります。  最後に、財政収支について申します。  この第六図は、現在の財政制度を前提といたしました場合に財政支出がどうなるかということを見たのが上の線でございます。そして、下の線は租税収入で、一応この段階では増税なしということで横ばいと置いております。  ごらんいただけますように、年々財政収支は拡大してまいりますから増税は必要である、こういう議論になるわけでありますが、よくその場合の議論として使われますのは、高齢者人口がこれから増加する、したがって高齢者のための財政支出の増加によって財政支出は拡大せざるを得ないということでありまして、下にありますように、高齢者人口、これから三十年間で千三百万人ほど増加いたします。しかし、一方で、例えば就学年齢対応した二十四歳未満の人口もやはり千三百万人、これは逆に減少しているわけでございます。  今後の人口減少高齢社会においては、財政の増加要因ばかりではない、縮小要因も存在するわけでございますし、それから日本の財政が急速に膨張いたしましたのは八〇年代後半のバブル期以降でございます。それ以降、一人当たりの財政支出は急速に拡大したわけです。言わば、今もなお日本の財政の支出構造はバブル的な体質を残したままでありまして、私は、増税の議論の前にこの財政の歳出の削減ということが議論されるべきであろうと思いますし、同時に、縮小する経済では増税は極めて危険であります。  先ほど申しましたように、人口減少経済での最大の問題点は貯蓄率の低下にあるわけでございまして、その上、これから貯蓄率が低下していく中で増税をやるということは、更に貯蓄率を低下させることになります。公共事業の問題とか民間設備投資に対して圧迫要因になるわけでございまして、私はそれを避けるべきであると。  そして、この図の真ん中には「財政支出(削減後)」とありますが、これは、今後一人当たりの財政支出を拡大しない、すなわち人口減少に合わせて財政支出も縮小していくとした場合にはどうなるかというラインでございます。そうした削減を取れば、仮に増税をしなくてもこの幅はわずかなものです。もう少し努力をすれば、増税なくして十分に財政収支の改善は可能でございまして、私は、人口減少経済においては、そうしたことで増税なく歳出の削減によって財政収支の均衡を図っていくということが望まれる財政政策であるというふうに考えております。  私から御説明するのは以上でございます。
  12. 清水嘉与子

    会長(清水嘉与子君) ありがとうございました。  次に、原田参考人にお願いいたします。原田参考人
  13. 原田泰

    参考人原田泰君) 大和総研の原田でございます。座ったままで御説明させていただきます。(資料映写)  私が基本的にお話ししたいと思っていることは、少子高齢社会というのは一般的に、これから大変になる、大変だ、暗いというイメージで語られていることが多いわけですけれども、そういうふうに暗く考えることはないんじゃないかと、必要な制度改革ができれば、少子高齢社会というのはむしろ日本にとっていいことなんじゃないかということをお話ししたいと思います。  まず、先ほど阿藤先生からも御説明がありましたが、人口減少するというのは日本だけのことではなくて世界のことであると。それは、中国ですら人口はこれから減少していくわけですし、それからアジアNIESの国々もみんな人口減少していくわけです。みんな人口減少していくんだから大丈夫だというのは理屈にならないんですけれども、我々が昔高校で習ったマルサスの人口論というのは、人口が増えると大変だと、人口が増えても食料を生産することができないので大変なことになってしまうと、人類を飢餓が襲って大変悲惨なことになってしまう、そういうのがマルサスの人口論だったわけです。ですから、それを考えてみれば、人口が減るということはむしろいいことも一杯あるのではないかというように思います。  いいことを御説明する前に、まず人口を増加させることは可能なんだろうかということを考えてみたいと思います。何で人口減少するかというと、基本的にはやはり子供のコストが大変だということだと思います。子供はかわいいということについては日本人が日本列島に住み着いて以来変わりはないと思うんですね。ですから、人口が減ったのは、子供のコストが非常に高くなっているということが人口が減った大きな要因ではないかと思います。  じゃ、その子供のコストというのは、当然、その子供を養ったり教育をしたりする費用もありますけれども、一番大きな費用は、母親が子供を育てるために仕事を辞めなければいけない、休まなければいけないと、そういうものが一番大きなコストだと思います。  ここで女性の年功賃金カーブというのを書いてございます。二十七から三十三ぐらいのときに退職して子育てに専念したとしますと、その間の賃金が二千三百万円ぐらいになります。そうしますと、子供のコストというのはこの二千三百万円を足せば、つまり、養育費に二千三百万円を足したのが子供のコストかというと、そうではありませんで、こういう年功賃金カーブがありますと、ここで辞めますとここの年功賃金カーブには戻れないわけです。通常の場合には、出産育児として退職後はパートタイマーとして働くというのが普通の労働のパターンになってしまいます。そうしますと、年収百万ぐらいになってしまいまして、女性の年功賃金カーブとパートで働いたときの差、これが三十三から六十歳まで続くといたしますと、この部分が一億四千万円、で、退職金もございますので一億六千万円。そうしますと、これは二千万円と一億六千万円足しまして一億八千万円掛かるということになります。ですから、これが子供のコストということになりますと、これが非常に大きなものになってしまいます。これに見合うような児童手当を増やすとか休業補償するというのはほとんど不可能だと思うんですね。  ですから、人口を増加させることは、もちろん幾らでも財政支出を増やせば、人口を増加させることは可能ですけれども、それは年金財政よりももっとお金が掛かるという、そういうことになってしまいます。  ただ、先ほど松谷先生からもお話がありましたが、こういう年功賃金カーブとかそういうようなものはこれから崩れていくわけです。そうしますと、この年功賃金カーブは寝てしまいますと、この賃金にもう一度戻ってこういうカーブになるだろうと思うんです。そうしますと、ここの部分だけが子供のコストということになります。つまり、二千万円が母親が子供を育てるために、出産育児のために退職したことに伴うコストということになります。  恐らく、ヨーロッパのフランスとか北欧の国、アメリカの場合には年功賃金カーブが非常にフラットでございますので、この一億六千万円ではなくて二千万円が子供のコストになっていると、そういう状況なわけです。そういう状況の中で数百万単位の援助を、それをどういう形でするのかというのは非常に難しい問題ではありますけれども、数百万単位の援助をすることによって出生率が上がっている。もちろん二・一までにはならないんですけれども日本の一・二九に比べれば、一・六とか一・八とか、より高い出生率を得るということは可能なんだろうと思います。そしてまた、その年功賃金カーブが崩れていくということも現実に起きることだと思いますので、そのときにはよく考えてある程度子供を増やすということは可能なのではないかと思います。それは北欧やフランスがやっていることですので、できるのではないかと思います。  それから、外国人労働力の話ですけれども、それは松谷先生もおっしゃっておられましたけれども人口が百年後には半分になるという、そういう話ですから、その人口、労働人口が減らないように外国人労働力を導入するというのは、それはもうほとんど不可能な話だろうというように思います。  私は、人口減少したとしても豊かな日本を維持していくということは可能だと思います。ただ、それは年金制度を始めとした人口減少制度の不適合というものを解決する必要があるだろうと思います。  人口が減っていきますと、高い年金を払うことは当然できなくなってくるわけです。つまり、あらゆる世代が同じ、所得の同じ割合の年金保険料を払うと、そういう年金制度というのを考えてみますと、私はそれは非常に公正な年金制度だと思うんですね。そういう年金制度の下でも、若い世代が豊かになれば、高齢者は自分が納めたよりも、自分が給料が安いときに一〇%納めていたのが、成長して若い人が豊かになれば、その若い人が納めた一〇%というのは自分が納めた一〇%よりも高いわけです。そういう高い年金をもらえると。でも、それはその前の世代が一生懸命働いた結果、成長しているわけですから、それをもらうというのは非常に公正な年金制度ではないかと思います。  さらに、人口が増えますと更に高い年金、一人当たりの成長以上の高い年金がもらえるわけです。人口が一%で増えていても、実際自分がもらう年金というのは三十年後の成長したときの所得の一〇%ですので、三十年間で人口が毎年一%ずつ違いますと三割違うわけです。そうすると、これまでは、高度成長のときには八%で、一人当たりの所得が八%で成長して人口が一%で伸びていたわけですから、そうしますと九%、毎年九%増えると、そういう所得になりますので、三十年後にもらえる金額というのは自分が納めた金額の十三倍ということになります。ところが、ゼロ成長人口が一%で減少してしまいますと、自分が納めた金額の七割四分ぐらいしかもらえないということになってしまいます。ですから、年金というのはどうしても減らすしかないというように思います。  これは、私いろいろな方に話してだれも信じていただけないんですけれども日本の年金というのは金額で見ると世界一高いんです。大体、フルに納めますと月に二十四万円ぐらいなんですけれども、スウェーデンでは十二万九千円、イギリスでは七万円ぐらいにしかなりません。ただ、これはもちろん日本の物価が高いという問題がありますので、その日本の物価が高いことを考えて調整しますと、スウェーデン十七万円で、アメリカ十八万円と。ただ、それでも日本の年金というのはやはり世界一高いということになります。ですから、やはり年金はカットするしかないと思います。  ただ、年金をカットしても、別にどうしようもなく暮らせなくなるほどカットするというわけではなくて、世界一の福祉先進国と言われるスウェーデン並みにカットすればそれでほとんどの問題は解決するということになります。ですから、私は日本というのは何てすばらしい国なんだろうというように思うわけです。つまり、世界一の福祉先進国であるスウェーデン並みに年金をカットしさえすれば高齢問題というのはすべて解決してしまうということなわけだからです。同じことは財政問題についても言えるわけですけれども、それは松谷先生ももうお話しされましたので、時間が迫っておりますので、それはカットさせていただきます。  話はそれるんですが、日本児童手当の方は世界一低いということになっております。  これから、じゃ高齢社会をどうしたら明るいものにできるかというと、答えは三つしかないわけでありまして、一つ高齢社会のコストを引き下げるということです。これについては年金をカットするしかないということで御説明申し上げました。もう一つは、人口、労働人口が減るわけですから、一人当たりの生産物を大きくする。それからもう一つは、より多くの人が働くということで、これしか高齢社会人口減少社会を解決する道はないと思います。  基本的に私が人口減少社会について楽観的でありますのは、人口減少している国の方が一人当たりの生産物の伸びが高いんですね。これはアジアの国で見た場合なんですが、この横軸に人口成長率で、縦軸に一人当たりの所得の伸び率というのを取りますと、右下がりの関係があります。つまり、人口が減って、減っているというか人口が余り伸びていない国ですね、こっちの方、人口が余り伸びていない国の方が一人当たりの生産物の成長率は高いということになっております。  次は、OECD、先進国のを見ているわけですけれども、この先進国の場合もやはり右下がりの関係がございます。既に労働人口が減っている国が、これは九〇年代のデータですけれども、デンマーク、ポルトガル、イギリス、ドイツ、フィンランド、イタリア、スウェーデンと七か国あります。こちらの国の方が労働人口の増えている国よりも生産性の伸びは高くなっております。この七か国の労働生産性の伸びが大体二%であります。ということですので、私は将来日本が労働生産性を毎年二%ぐらい伸ばすことは可能なのではないかというように思います。  じゃ、どうやって一人当たりの労働生産性を伸ばすんだということになりますが、これ例えばアメリカと比べて産業別に見ますと、アメリカの労働生産性を一〇〇としますと、日本がそれよりも低い分野というのは一杯あります。こういう機械とかそういう部分については、これがまあアメリカ一〇〇なんですけれども日本の生産性は高いんですが、農業とか建設業とかは労働生産性の低い部分がありますので、この部分の生産性を高めることによって労働人口減少対応していくということができるのではないかというように思います。  さらに、日本ではより多くの人がまだ働けるのではないかというように思います。高齢者がまだ働くということもありますけれども女性の労働力だけについて御説明させていただきたいと思います。  この三角形の透明のところが日本年齢別労働力率です。縦軸が労働力率で横軸が年齢を示しております。そうしますと、よく言われるこれがM字カーブで、育児出産のところで労働力率が下がっております。こういうM字カーブは外国にはないと言われているわけです。これはアメリカ労働力率なんですけれども、確かにないんですね。  ところが、これは一九九七年のアメリカ年齢別労働力率ですけれども、一九六四年を見ますと、アメリカにはこう非常にはっきりしたM字カーブがありまして、女性労働力率が低かったわけです。それがだんだん変わってきて、非常に高い労働力率になったわけです。大体アメリカで起きたことは日本でも起きるというのは相場でございますので、私は、日本でも起きるし、起こすことができるのではないかというように思います。  これはフランスですけれども、フランスの場合もやはり同じことが言えるということです。そのことによって労働人口自体を増やすことができるというように思います。  今までは人口減少しても大丈夫ですよというお話をしてきたわけですけれども人口が減るということは、与えられた空間を、より少ない、日本列島という与えられた空間をより少ない人数で楽しむことができるということなわけです。ですから、そのことによって我々が今まで得たことのない空間的なゆとり、空間的なゆとりが生む豊かさというのを日本人が初めて享受できるのではないかというように思います。  例えば、これは通勤地獄なんですけれども、通勤地獄が、今までと輸送力がこれ以上強化されないとしても、労働、働く人々が減ることによって残されたインフラをより優雅に使うことができるということです。これに対しては、労働人口が少し減ったのであれば快適になるかもしれないけれども人口が大きく減ったらむしろ快適にならなくてコスト高になってしまうのではないかという反論があると思います。これについては松谷先生がおっしゃったような高齢社会を見据えた公共事業、インフラの整備の在り方が必要なんだというように思います。  最後に、少子高齢社会を明るいものにということで、三つばかり述べさせていただきますと、長寿というのは本来人類の理想なわけです。子供が死ななくなり、大事に育てられるようになった結果が少子化なわけです。だから、甘やかされているということはあるかもしれませんけれども、大事に育てられるようになったということはいいことではないかというように思います。  ただ、少子高齢社会を明るいものにするためには、人口がどんどん増加して高度成長していた時代に作られた制度、それは年金制度がそうなんですけれども人口減少、安定成長時代に不適合を起こしているわけです。つまり、少ない年金保険料でたくさんの年金がもらえるという制度人口がどんどん増えれば可能なんですけれども、それはもう無理だということです。つまり、制度が不適合を起こしておりますので、この不適合を直す必要があるというように思います。  三番目に、そういう制度改革さえできれば少子高齢社会は明るいのではないか。日本人は初めて空間の豊かさを享受できるわけでありまして、我々がヨーロッパアメリカに行ったときに感じるような、空間が豊かであるがゆえの豊かな社会というのを日本人が歴史上初めて経験できるということで、そういうことを考えますと少子高齢社会は決して暗いものではないというように思います。  以上で私の話を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
  14. 清水嘉与子

    会長(清水嘉与子君) ありがとうございました。  以上で参考人意見聴取を終わります。  これより参考人に対する質疑を行います。質疑はおおむね午後四時をめどとさせていただきます。  なお、質疑者及び各参考人にお願い申し上げます。質疑及び御答弁の際は、挙手の上、会長の指名を受けてから御発言いただくようにお願いいたします。  また、多くの方が御発言できますよう、一回の発言はおおむね三分程度とさせていただきたいと存じます。  なお、質疑の際は、最初にどなたに対する質問であるかお述べいただきまして御質疑いただきたいと思います。  それでは、質疑のある方はどうぞお願いします。
  15. 中原爽

    ○中原爽君 自由民主党の中原でございます。  最初に、阿藤先生にお尋ねしようと思います。  現在、合計特殊出生率一・二九という数字が独り歩きをしているわけでありますけれども、これは実際には二〇〇三年の年度に限定をしたいわゆる期間別の合計特殊出生率という数字であろうと思うんですが、本来の合計特殊出生率の方は、コーホート法による算定だと一人の女性が一生の間に何人のお子様を持つかというのが本来の数字だと思うんですけれども、ですから、この期間別とコーホート法のものとの数値が本来は一致しなきゃいけないんですが、これ今一致していないということで、二〇〇三年の一・二九という数字が非常に低い値が出ていると、こういうことでありますけれども、三十五歳以上の女性の、現在先送りをしていると先生がおっしゃっておられた、子供を産む時期を先送りしているということが解消されて三十五歳以上の方がお子様を持てるような時期になれば、全体として合計特殊出生率は一・五近く、いわゆる昔のひのえうまぐらいのところまでには回復すると言われておりますけれども、これは本当のことでしょうか。
  16. 阿藤誠

    参考人阿藤誠君) 今お話しになったこと、ちょっと今日はコーホートの資料は用意してきてございませんのでちょっとはっきり数字はあれですけれども、例えば一九五〇年生まれの女性のコーホート別の一人当たりの女子の子供の数というのは大体二・〇二ぐらいあるんですね。六〇年ぐらいからだんだんこうそれが下がってきているというのは今お話しになったとおりですが、とてもそれは一・二九とかいう低い値ではなくて、一・七とか六とか、その程度の数字であるということです。  にもかかわらず、じゃその期間の出生率が何でそんな低いんだと、この今、図表の14—2がございますけれども、要は二十代のところで産まなくなっていずれ三十代で少しは産むだろうと。確かに上がっているわけですね。ですから、これは正に晩婚晩産で、二十代で産まなかった人が三十代で産むということが日本でも起きていると。ただ、起き方が非常に弱いわけですね。先ほど比較しましたように、スウェーデンやオランダなどは三十代で産み戻して、それが例えば今合計特殊出生率が一・七とか六とか八とか、そういう数字までなった理由なんですが、どうも日本南ヨーロッパの場合は一種のキャッチアップといいますか、それが非常に弱いんですね。  従来はもちろんそれを想定して、高いキャッチアップを想定していたんですが、全体のもう推計ではとても難しいということで、中位推計でもたしか一・三九という、ですから一・四行かないというそういう低い、ですからコーホートで見てもそれぐらいしかならないというそういう推計になってきております。
  17. 中原爽

    ○中原爽君 ありがとうございます。  もう一点だけよろしいですか。
  18. 清水嘉与子

    会長(清水嘉与子君) 中原さん、どうぞ。
  19. 中原爽

    ○中原爽君 済みません。  松谷先生にお尋ねしたいんですが、先生、増税をしてはいけないというふうにおっしゃいまして、先生の著書によりますと、それ以前に我々の段階では、消費税率を値上げをしたときに所得税率を下げるという相対的な措置、処置をしてきたんですが、今度の政府はこの所得税もまた元へ戻して増税するんだということを言っております。  私は与党ですから、政府ではありませんので、この所得税をまた持ち上げるということには反対なんですけれども、でもこういう形で増税が行われるということは、先生の御意見ですと、やめた方がいいということだと思うんですが、それに見合って、先生の御著書ですと、いわゆる建設国債だと思うんですが、これを永久国債に入れ替えろと、国債全体を払い戻すのは永久においておいて毎年の金利だけ払えと、こういう方法はどうかという御提案をしておられるんですが、これは国際的に見て本当に価値があるものかどうか、お尋ねしたい。
  20. 松谷明彦

    参考人松谷明彦君) 二点御質問ちょうだいいたしましたが、最初の増税のところでございます。  増税するかどうかは、これは増税する以上それだけの政府のサービスが拡大するわけでございまして、最終的に増税するか否かというのは、これは国民の選択にゆだねられるべきことであろうと思いますけれども、ただ人口増加経済と違って、人口減少経済においては、増税の結果、経済が大幅に縮小する危険性がある、あるいはその増税の結果、貯蓄率の低下によって、先ほど申し上げたような社会資本の、社会共通基盤であるそういう社会資本が非常にその点で問題ができるといったような、そういう大きな問題があるわけですね。  そういうことを十分に承知した上で果たして増税というのを議論をしているのかどうかということでございまして、最終的にはそれは国民が選択する話ですけれども、そうした危険性を承知の上で、それでもなお、いわば高福祉高負担と申しますか、高い行政サービスが必要だという判断であればそれはいいんですが、そういうことを知らずに、あるいはそういうことを無視して増税をするというのであれば、これは問題であるということを私は申し上げたいわけでございます。  それから、その永久国債のことでございますけれども、これは基本的に、借りたものを返さないというのは決して好ましいことではないわけであります。ただ、私はよく、ちょっと例えがいいかどうかですが、裕福であった時代にかなりややルーズに作ってしまった借金をその人が貧乏になってから返すというのはこれはいかにも難しいし、現実にこの七百兆、一千兆とか言われるそうした政府債務を返していくために大幅な増税をする、しかし、その増税の結果、決して行政サービスが上がるわけではないんですね。一方で、増税によって貯蓄率が下がって経済が縮小するとなると、大変なマイナスが出てくる。  そうすると、決して好ましい話ではないけれども、そんなマイナスを日本全体でしょい込むのであれば、次善の策として、例えば既に行った債務については言わば凍結状態にして、そしてその利息だけは払い続けると。利息を払わないと、これはその経済、大混乱になりますので、利息だけは払い続けるといったようなことにして、その国債費を国、地方ともに下げていくというのは一つの次善の選択としてはあり得る話ではないかなと考えておるわけです。  これが国際的に見てどうかということですが、過去にイギリスにおいて例がなかったわけではないということと、それから恐らくそういう、日本がそういう選択をすれば各国ともにびっくりするかもしれませんが、ただし日本のGNPに対する政府債務残高の比率というのは正に各国がびっくりするほどの高さなんですね。そうしたことからすると、私はさほどに非常識な策でないのではないかと個人的には考えておりますけれども
  21. 中原爽

    ○中原爽君 ありがとうございました。
  22. 山本孝史

    山本孝史君 民主党の山本孝史でございます。  まず、松谷参考人原田参考人とお二人に同じ質問なんですけれども、お二人の御主張は、人口減少社会を恐れているのではなくて、そのことを踏まえた上で現在の制度をきちんと手直しをすることが非常に重要なんだと、こういう御主張だと思います。  そのときに、今とにかく産めよ育てよとは言いませんが、少子化対策少子化対策という、声高に言われているんですが、そのことの政策効果ということもありますけれども、そのことよりもまずやっぱり年金なり財政状況なりということの見直しの方が急務であるというふうに受け止めているのですが、そういうことでよろしいかということでございます。  あわせて、済みません、阿藤参考人にお聞かせをしたいんですが、松谷参考人の御著書の中で、結局、日本人口構造のときに、戦後のベビーブームが急になくなってしまう、これは優生保護法による産児制限が行われたこと、すなわち人工的に日本人口構造に手を入れたことが非常に問題だったんだと、こういう御主張なわけですね。  そのことの是非は先生また別かもしれませんが、人口減少社会になるということは、その人口問題研究所という専門のお立場からすれば、何年ぐらいにはもう既に今の事態になるということは想定されていたんだろうかということが一つと、それと人口問題研究所が発表されるその将来人口予測というものは今後とも我々としては信頼するに足りる数字なんだろうかということについてお答えをいただきたいと思います。
  23. 松谷明彦

    参考人松谷明彦君) 先生の御趣旨、御質問の御趣旨に合った答弁申し上げられるかどうかですが、今、今後の言わば少子化出生率の低下というものに対してどう対応していくべきかというようなことの御質問であると理解させていただきまして、それについて申します。  これは全く個人的な感想になるわけでございますが、私は必ずしも人口学の専門家でございませんものですから、そうしたその少子化対策といったようなことによって出生率が向上するかどうかはそれは必ずしも確信、つまびらかには存じておりませんけれども、私は、この子供の出生というのは基本的に個人の自由意思の問題でありまして、ですから、例えば子供を持ちたいという女性子供を持ちたいという夫婦が何らかのその社会的な制約、それはもちろん所得なんかもありましょうし様々な制度もありましょうし、そういったことで子供を持てないということであればこれは非常に問題でありまして、それは社会政策として対応していくべきだったと考えておるわけですね。  しかしながら、例えば、経済において労働力が不足するからとか、あるいは国力に影響するとか、そういったことでその出生率を上げるべきだという考えにはどうも私としてはくみしたくない。つまりは、そうした子供を産むための様々な社会的制約を取り払った後で、そして人々の自由意思によって一定の出生率が決まってきたときには、私はそれはそれとして受容した上で、それに合った経済システムなり社会財政制度なりといったものを作っていく方がその政策としては本筋ではないかなというふうに考えております。
  24. 原田泰

    参考人原田泰君) 人口減少社会はそのための手直しが大事なんだということでは、山本先生のおっしゃるとおりの認識をしております。  私が少子化対策よりも年金や財政の改革の方が急務であるというように考えておりますのは、つまり、その少子化対策子供を増やすということは可能なわけですけれども、それは要するに一億八千万円足す養育費という、そういうコストのものなわけですね、その子供というのは。つまり、一人一億近いコストのものなわけです。そうしますと、そういうコストのものに対して影響を与えようということであれば、一千万とか二千万円ぐらいの財政的な補助が必要だということになります。これは到底不可能でありまして、年金会計が破綻する前に子供会計が破綻してしまいます。  ですから、まずその年金の方、年金が大変だから子供を増やそうというのは全くの議論が逆立ちしているということです。つまり、年金会計よりも、そんなことをしたら子供会計の方がもっととんでもないことになってしまうということです。  ただ、現在の年功賃金、日本的雇用システムが変わって、だれもがいつでも自分の能力に応じた賃金を得られると、そういう社会になってくれば子供のコストというのは大きく下がりますので、そのときにしかるべき援助をすれば子供をある程度増やすということは可能だというように思っております。  ただ、現在、その年金問題が非常に大きな、高齢社会のコストというのは非常に大きな問題になっておりますので、それを最初に解決する、それを解決するのが先ではないかというように考えております。
  25. 阿藤誠

    参考人阿藤誠君) 一つは、人口減少社会をいつごろ想定できたかということですけれども、これは推計でいいますと、合計特殊出生率を、当時は人口置き換え水準が二・一ぐらいでしたから、二・一以下に想定したときからということになります。ちょっとはっきりしませんけれども、一応一九八六年推計のときには将来のコーホート、先ほどのあのコーホート出生率を二・〇にしましたから、長期的にはもう人口が減るという想定をしていたと思います。  それから、信頼性の問題ですけれども、これはもう大変難しい問題で、まずは出生率というものがそう簡単に、あえて言えば当たるものではないと。これは経済の数値に大変最近は似通ってまいりまして、特に一九七〇年代半ば以降の先進国出生率というのは非常に不安定です。下がり続けている国もあれば、先ほどのように反騰した国もある。あるいは、非常にスウェーデンのようにウエーブする国もあるということで、それを的確にその方向性を短期的に予測するのは大変難しいと思います。  ただ、私ども推計が別に、例えば五年のスパンでどんぴしゃりと当たるというふうなことを要求されれば、それはほとんど不可能でありますが、ですから、逆に言うと、幅というものを持たして、高位低位の間ぐらいの確率であろうと、そういうふうな推定をしておるわけですね。  そして、問題はその先の方なんですね。例えば、年金制度なんかの関係でいうと、それはもう六十年、七十年という大変長いタイムスパンの人口数字が必要になると。実はそんなことは、本当は出生率なんて分かるわけないわけですね。ただ、当面の出生率の動きからするとまあこれぐらいであろうと。あえて言えば、一定値推計とは言いませんけれども、あるところまで動いて、それから基本的に変わらないというような考え方で推計をしておりますから、それがせいぜいできる最大限のことかなということで、これは別に日本人口推計だけがそうではなくて、これはもう国連推計もそうですし、アメリカも、先進国推計がすべて同じようなことで、あえて言えば人口学の水準はまだそこまでしか達していないと言わざるを得ないと思います。
  26. 山本保

    山本保君 公明党の山本保です。今日はありがとうございました。  私、実は一・五七ショックのときの厚生省の少子対策の専門官をやっておりまして、そのときに今の正に子供を産み育てることの喜びをという今の政策の基を作ったわけであります。  今日お聞きしていまして大変心強く思いましたのは、なかなか、最初にたしか松谷先生おっしゃいましたか、人口が、阿藤先生だったかも分かりません、どんどん減ってしまう、もう何百年したら半分以下、三人だ四人だなんていう、こういう何かセンセーショナルなことを言う特に政治家が多くて困ったもんだなと思う。考えてみると、我々、私などが学生時代は一九七〇年ごろにやっと一億人になったんですよね。あれから増えたんでして、その一億人に減るのにまだ三十年か四十年掛かるということですから、そのことを考えればそんなに大変な問題じゃないということを私は思っておりまして、今日も原田先生からもそういうお話、非常に心強く思っております。正に右肩上がりの成長ということを前提にした社会システムをまず変えなくちゃいけないわけでして、それをほうっておいて子供を産むようにしろというようなことを言うなんというのは、まあもちろん今の政府もそういう政策は取っておりません。  そこで、ちょっと今日まず最初に、最初って、時間がありませんので原田先生と松谷先生にちょっと重点的にお聞きしたいと思っておりますけれども、まず原田先生、年金制度云々というのがございまして、それはおっしゃるとおりだと思いますが、一つ子育て支援という政策の何か根拠についてお聞かせ願いたい。  今日もお聞きしていて私などは、まず、今日お聞きした中で、言わば生産性高めるためのいろんな能力を持った子供をたくさんつくっていく、そして世代間の関係というものを良くしていくというようなこと、これは非常に重要じゃないかとか、又は働く女性が働く場を両立支援ということで今日おっしゃった中に、正にこれからの経済構造で、二番目、三番目ですね、生産性とか多くの人が働くと、こういうものに正にはまっているんではないかという気がしておりますけれども。  まだいまだに、例えば去年、おととしだったかな、児童手当制度というのを我々の党が一生懸命言ったときに、児童手当増やしても全然子供が増えていないじゃないかと、だから反対だと、こう言うところがありまして、全くのこの理解に本当に困ったものだなと。正に子供を増やすために児童手当を作っているわけではないわけでして、そのことについてもう少し原田先生教えていただければと思いますし、時間がないので先に松谷先生も、できればそれもあるんですが、一つ、今日コストの問題が出まして、この前ドイツへ行かしてもらいまして、院から行かしてもらったときに、面白いので、この一月から、もう御存じだと思いますが、介護保険、ドイツは国で一律ですけれども子供のいない人からは〇・二%上げるんですね、〇・七五と〇・九五だったと思うんですが。我々も厚生省におりますときにそういうこといろいろ考えたんですが、子育てコストというのはなかなか実際は難しいところがありまして、それ言い出すと、税金の中でも正に義務教育費であったり大学の、こんなのは子供いない家庭には全く関係ないところもみんな出しているわけですし、今回のドイツのはどうも聞いていますとそういうものじゃなくって、あそこは身内に見てもらいますと介護保険が実際外で頼むよりも安く払いますから、それを払う、取る人が多い、そこの正にそのコスト差みたいなところに着目した計算かなという気がしました。  そこで、松谷先生、どうでしょうか。コストは先生の専門じゃないかもしれませんが、私は子供と一緒に楽しむって、人生、生きるということは非常に重要なことだという気がしておるんですよね。その辺について、コストという考え方ではないんだと思うんですが、先ほどの中に話が出てこなかったことをお聞きして申し訳ございませんけれども、積極的な意義付けができないのかと思っておりますので、何かできたら参考になるようなお話を伺いたいと思っております。
  27. 原田泰

    参考人原田泰君) 子育て支援が全く子供を増やすために効かないということはあり得ないわけですけれども、非常に高いコストの、子供を育てることが非常に高いコストの中で、例えば月五千円とかそういうレベルの児童手当をしても、もちろんそれは社会として、あるいは国が子供は大事だと思っているんだよという、そういうメッセージにはなりますけれども、それ以上具体的に効果が見えるほどの大きさにはならないということだと思うんですね。  じゃ、具体的に効果が見えるほどの大きさの支援をするとしたらどうしたらいいのかということになるわけですが、もちろん財政問題が非常にきつい状況ですけれども、スウェーデンとかそういう国の経験を考えてみますと、やはり働く母親に支援するというのが、まあエコノミストではありますけれども、余りお金のことばかり言うのは良くないかもしれないんですけれども、働く母親に支援するということは、母親も年金、保険料、税金を払ってくれるわけですし、その母親の産んだ子供も払ってくれるわけですから、その働く母親に支援するというのが一番いいのではないかというように思います。  スウェーデンの場合には休業補償、つまり働く母親が休業して子供を産んだときには、その働いているときの賃金のかなりの割合、七割とか九割とかですね、そういうかなり高いものを補償したということがあります。これによって、一時的にですけれども、増えたんですね。それがウエーブがあるということなんです。このウエーブのある効果というのは実は本当の効果を過大評価しているわけで、それほど大きな、一部の人々が言うほど大きな効果があったわけではないんですけれども、効果があったというのは確かです。ですから、やるとすればこれが一番いい方法ではないかというように思います。
  28. 松谷明彦

    参考人松谷明彦君) 大変難しい御質問をちょうだいしたんでございますけれども経済学的に申しますと、出生数ということについては、最初は一人当たりの生産性が非常に低かったということもあって、子供はたくさんいなければ、労働力としてたくさんいなければみんなが食っていけないというような時代があって、それが産業革命以降非常に技術の進歩があって一人当たりの生産性が上がってきた、したがって必ずしも子供を持つ必要がなくなってきたというのが一つあるんだと思うんですね。  もう一つは、医療技術の発達によって乳児死亡率が減ったということで、いわゆる血脈の相続というか、そういったことが必ずしも子供の数が多くなくても十分できていくようになったといったような、いろんな様々な環境変化があって今のような状態になっているんではないかと私は思うんですね。  したがいまして、これはいい悪いとかそういう問題じゃなくて、その必要性と、それから人々の価値観というものの最終的な結果としてこのような水準に収まってしまっているんではないかとすると、その段階でどれがいい悪い、だからこっちの方向に持っていくべきだというふうに考えるべきなのかどうかというところを私はちょっと疑問に思うわけでございます。  ただ、一方で、先ほど若干申しました、子供を持ちたいんだけれども、様々な点で持てないというような声があることも事実でございまして、やっぱりそういう点から、私はそれによって出生率が上がるかどうか、あるいは子供の数が増えるかどうかは分かりませんけれども、少なくとも子供を持ちたいという、そういう市民の願望というのは十分に満たしてあげるのが社会政策、施策ではないかというふうに考えますけれども、ちょっと御質問の御趣旨に合った回答ができたかどうか分かりませんけれども、以上、考えております。
  29. 山本保

    山本保君 ありがとうございます。
  30. 小林美恵子

    小林美恵子君 日本共産党の小林美恵子でございます。今日は参考人の皆さん、本当に御多忙の中お越しいただいて貴重な御意見をいただきまして、本当にありがとうございます。  私は、まず阿藤参考人にお伺いしたいと思うんですけれども参考人は、今いわゆる出生率の低下を人口学的理由からいくと離婚率、未婚率の上昇、晩婚化というふうにおっしゃられたと思うんですね。そこの背景にはやっぱり社会的、経済要因があると。ちょうど参議院の国民生活調査会の中間報告を見ますと、同じように少子化要因晩婚、晩産、生涯未婚率の上昇といった現象があると。すぐれて個人的な問題であるけれども、ある結婚出産をめぐる問題ではあるけれども、こういう問題は国民が必ずしも喜んで希望した結果ではなく、種々のやっぱり経済的、社会的な阻害的要因が存在するというふうに指摘をされています。  その点で私も、国民は必ずしも、未婚率とか離婚率とか晩婚化というのを必ずしも喜んで希望した結果でもないだろうなというふうに思うんですけれども、そこにはやっぱり何といいますか、今の、例えば年金とか医療の問題で国民に対する負担増大している問題でありますとか、そのことによる将来生活の不安が増大する。また、阿藤参考人もおっしゃっていましたけれども若者仕事をしたくてもなかなか仕事ができない、そういう失業者が増大してしまう。また、長時間労働で家族の団らんが奪われる。そういう、暮らしを支える政治といいますか、人間らしい生活という、それを支える政治というのが、やっぱりここに現状の根本があるのじゃないかなと思うんですけれども、その点、参考人はどのようにお考えなのかということをお聞きしたいと思います。  それと、続けていいですかね。
  31. 清水嘉与子

    会長(清水嘉与子君) はい。
  32. 小林美恵子

    小林美恵子君 もう一つ原田参考人松谷参考人にお伺いしたいんですけれども、お二人のお話をお聞きしていますと、いわゆる人口減少高齢化というのは悲観するものではないというふうに、その点は共通しておっしゃられたかなと思って、ポジティブにとらえておられるんだなというふうに私は受け止めたんですけれども、ただ私はやっぱり少子化というのは日本社会の存立にかかわる、日本民族の未来にかかわるやっぱり重大なことではないかなというふうに思うんです。  そこで、ちょっとお聞きしたいんですけれども、やっぱり子供を産みたいけれどもなかなか安心して産めない社会の環境があるという点があるのじゃないかなと思うんですけれども、その点を原田参考人はどのようにごらんになっているのかということをお聞きしたいと思います。  松谷参考人は、先ほど御回答もされて、ここにやっぱり政策的な問題があったら是正しないといけないというふうにおっしゃいました。その是正の方向というのを是非お聞かせいただきたいというふうに思います。
  33. 阿藤誠

    参考人阿藤誠君) いわゆる晩婚化、晩産化、そして、今日は触れませんでしたけれども離婚率の上昇ということの背後に、やはり共通に、これは先進国全体に共通していますから、共通して見られるやっぱり重要なファクターは、女性社会経済的地位がこう上がってきて、今までのいわゆる男は仕事、女は家庭という仕組みと一種のまあフリクションを起こしていると、余り、不調和な状態が起きているというふうに大きく言えば考えられるんじゃないかと思っていますね。そのためにやはり今までの固定的な役割分業型の価値観を変えていく必要があるし、男女共同参画に向かって、女性の就労支援とかあるいは子育て支援とか、そういうことをしていく必要があるというふうに、個人的にはそれが一番重要だと考えています。  ただ、日本の場合、特に九〇年代、あのバブルが崩壊して以降、これはじわじわとやっぱり効いてきたのが、若者の、おっしゃったような失業とかあるいはフリーターとかニートとか言われるような、そういう現象がどうも関係があるのかもしれない。必ずしもこれは証明できたものじゃないですけれども、そういうものがあって、特にそれがその夫婦の子供数に出るんですね、どうも影響したんではないかと、そういうふうな見方もあります。ただ、これはあくまでも日本の九〇年代のバブル経済崩壊以降の要因として個人的にはとらえております。
  34. 原田泰

    参考人原田泰君) まず、日本民族の未来にかかわるということですけれども、ただ、今、日本人口は一億二千万人ありまして、これがまあ百年後のもちろん人口予測というのが当たるかどうか分からないんですけれども、百年後でも六千万人いるわけです。これは現在のヨーロッパの大国並みなわけです。私の感じでは、まあ現在のヨーロッパの大国並みあればいいんじゃないかというように漠然と思っております。  それで、ヨーロッパの大国もどんどん減っていくわけですね。フランスですら減るわけですし、ドイツは今フランスよりも人口多いわけですが、ドイツの方が大きく減っていきますので、まあ大丈夫ではないかと。これがアメリカや中国に日本が対抗しようとすると、それは到底無理な話ですので、だからそこまでは望まないと考えると、常識的にヨーロッパの大国並みでいたいということであればまあ大丈夫ではないかというように漠然と考えております。  それから、産みたくても産めないということですけれども、これは女性社会進出ということと、それから阿藤先生が今おっしゃったように、九〇年代が日本経済が良くなくて、若い男性で安定した職業で高い給料をもらっている男性が今非常に少なくなっていると、夫の資力が足りないという、そういう現状があると思うんですね。ですから、そういうことが産みたくても産めない、安心して産めないという状況になっていると思います。  それからもう一つは、女性社会進出によって女性子供を産まないで高い所得を得ることができるようになったということがあります。で、それに対して社会が、女性が働き続けるようにするということに対する社会の協力、それから特に夫の、男性の協力も、社会の協力も夫の協力も不足していると、そういうことがあると思うんです。  ただ私は、あるところまで行けば、やはり子供がかわいいということに対しての日本人の心が変わっているわけではありませんので、やはりこれは男性も協力しなければいけないとか、会社も協力しないといけない、社会も協力しないといけないということになって、少しずつ様々な支援がなされていくだろうと。ただ、それが余りコストの高いものであるとやはり無理があって、そういうことはできない。ただ、社会の認識というのはどんどん変わってくるんじゃないかというように思っております。
  35. 松谷明彦

    参考人松谷明彦君) 最初に、人口がこれからどんどん減っていくということに対してどう考えるかという御質問でございますけれども、私も基本的には、今、原田先生がおっしゃったように、減ると申しましても今現在、日本人口一億二千数百万ということで、先進国の中ではかなり大きな国でありますから、しかもそれがその、何ていうんでしょう、それこそ二、三十年で半減するといった、そんなスピードではないわけでありまして、半減しても、これから百年たっても先ほど原田先生がおっしゃったような感じでございますから、私はそれほどその人口減少ということを世界の中で考えたとき、それほど心配する必要はないというふうに思うんですが、同時に、戦後、日本人口が急速に増加したのはむしろ終戦後であろうと思いますけれども、我々はその終戦後の急速な人口増加の中で得たものも当然あったと思うんですね。  それは、日本の急速な経済成長経済の拡大、これは人口の急速な増加を抜きにしてはあり得なかった話でございまして、その意味からすると、経済の拡大、そして経済大国への道という、ある意味でのプラスというものを享受してきたわけでありますが、一方で失ったものもかなり多かったことがございますね。それは、混雑による様々なコストでありますとか、あるいは人間そのものに対する価値基準といいますか、そういったものもかなりそうした中で変わってきたんだと思うんですね。ですから、得たものも大きかったんですが、失ったものも多かったんではないか。  逆に、これから人口減少していくという中では、失うものはあるけれども、逆に、今まで失ってきたものが逆に取り戻せるという側面もあるわけですね。私はそういうところを肯定的に考えるべきではないかなというふうに思います。  それからもう一つ、二点目の、子供を産みたいという人が産めるような、そうした政策としてどういうものがあるのかという御質問でございますけれども、これは特に出生率の向上に対して今言われている、例えば保育所の整備であるとか、つまりは育児環境の整備であるとか、それからもう一つ女性の労働環境、そういったものの改善ということで、産みたいという女性に対して何か社会的な制約がある場合にそれを取るべきだ、先ほど申しましたが、それは別に、通常のよく言われる少子化対策とか出生率の向上策というものと特段変わった、本質的に変わるものではないと思うんですね。  ただ、私はその多分量が違うだろうと。言ってみれば、産みたいという人が何らかの制約によって産めないという人に対しては、例えば数字で言えば、三なら三という何らかの公的な補助を出せば産もうかというふうに変わるとして、さらに今度は、今特に産みたくはないんだけれどもということで、そういう人たちまで動かして出生率を上げようということになると、それは三では済まなくて、五とか十とか、それぐらい出していかなきゃいけないわけで、私は、少子化対策ということについては、今申し上げた十とか五ではなくて、産みたいという女性に対して何らかの、本当に産みたいと思っている女性に対して何らかの社会的なサポートをするというか、そういう、三ぐらいのところで、三ぐらいの少子化対策が妥当だと思いますし、それが私の申し上げた、産みたいんだけれども制約があって産めないという人に対する政策ではないかと私は考えております。
  36. 荒井広幸

    ○荒井広幸君 自民党の荒井でございます。  委員長もそうでございましたが、先生方と超党派で少子化社会対策基本法というのを六年掛かって、昨年、超党派で通していただいたという経緯があります。先ほどの原因、政策原因対応、それから結果政策、結果対応と、両方をにらんで作ったわけですが、宣言法の要素が非常に多いわけです。  そこで、例えば、私たちも結婚式に呼ばれますと、大体皆さん三人は子供を持ちたいとおっしゃいます。ところが、ちゅうちょされます。平均で二・六、結婚されている方です。しかし、実際には二・一。この〇・五の差を、望むのにちゅうちょされる。そこを本当に細かく例えば手当てをしていけば御夫婦の御希望に沿えるだろうと。その結果は人口が増えていくということにもなるだろうということでございまして、そういう無理やりに産めよ増やせよということのものでは当然ないと。これは幅広い意見がありますが、最大公約数でその辺の議論をしてきた次第でございます。  そして、結果的には、子育てというのも重要ですけれども、先ほどのような、こういう社会に順応していくというのも、ある意味で二重の備えは必要ですねということで、大変示唆の多いお話を三先生にいただいたわけです。  ただし、子育ちという部分を忘れてはならないと。今度のこの少子化対策基本法には子育ちという部分を非常に入れております。そういう社会での生活を子供たちがどう送っていくべきかと、こういったところを入れた法律を先生方と一緒に議員立法で作っていったわけです。参議院でこうして委員会があるということに大変私は敬意を表する次第です。  そこで、先生方と同時に、お三方にお尋ねしたいことがあるんです。十一月に基本法によりまして白書を、小泉総理は議長でございますが、対策会議を作り、どのような対策を講じ、プラン・ドゥー・シーでどういうふうに次やるかと、その意見をもらうために白書を出すわけです。この白書、当たり前になれば少子化社会対策白書などという名前になるんだと思いますが、少子化社会対策基本法、この白書が出ます、毎年。内閣にその義務を負わせました。  ニックネームを付けるとしたら、お三方はどんなニックネームがいいかと。そして、この委員会、こうして常設であるわけですから、例えば国民の皆さんにもこの少子化というものの様々な意識を持っていただく、そういう意味でもニックネームというのはひとつ考える余地があるんじゃないかと。先生方にもそうした、若干先生方の高い角度からの御意見に、申し訳ありませんが、お三方、例えばニックネームで言うとどういうことになるかなと。かなりそこに実は問題意識やら、幅広い問題のどこに力点を置くかということが集約されるわけですけれども、どんなものかなと。思い付きで結構でございますので、お願いしたいと思います。
  37. 阿藤誠

    参考人阿藤誠君) 大変難しいですけれども、一口ではなかなか、私は、二つありますね。  一つは、英語で言うと、先ほど申しましたファミリーフレンドリーソサエティーですね。あえて言えば、経済家族がいかに共存できるかというふうな、そういうふうなことがありますね。  それからもう一つは、私は少子化対策はほぼイコール男女共同参画と考えていますので、男も女も共生できる社会、その中でいかに子供を大切に育てられるかと、こんなふうな副題が付くだろうと思います。
  38. 松谷明彦

    参考人松谷明彦君) にわかにはちょっと思い付かないのでございますが、私は、基本的に、いわゆる出生率を上げていくか下げていくか、そうしたものを必ずしも政策的な課題にすべきでないと思っております。  先ほど申しましたように、これは国民の選択の問題でございまして、様々な社会的制約を取り払った後で国民が自由意思で選んだ結果が、それが出生率になるのであって、それを政策的にコントロールすべきではなくて、あるいは必ずしもコントロールまでとは申しませんが、いいとか悪いとかという判断も含めて政策として取り扱うべきではないと考えておりますので、そういったことからすると、これに対してちょっと、ニックネームのようなものはちょっと思い付かないのでございますが。申し訳ございません。
  39. 原田泰

    参考人原田泰君) 全く思い付かなくて申し訳ないんですけれども少子化白書とか少子化対策白書、ただ、対策というといかにも何か無理やりという感じがするからよくないかなというように思って、申し訳ございません。
  40. 荒井広幸

    ○荒井広幸君 私も考えていきたいと思っております。
  41. 神本美恵子

    神本美恵子君 今日は本当にありがとうございました。民主党の神本美恵子でございます。  結論から言いますと、私もこの人口減少社会というものに対して、必ずしも人口増加社会に向けて何らかの対策をしなければいけないというふうには考えておりませんので、今日の三人のお話、結論的には賛成でございます。  ただ、先ほど荒井先生のお話の中に一言ありました子育ちという視点からこの少子高齢社会というものを見る必要があるのではないかという点で、私もそこは非常に問題意識を持っております。  例えば、阿藤参考人お話の中に、今の日本人口の構成、人口じゃない、年齢構成ですかね、中年太りがこれから逆ピラミッドになるという、そういった形の年齢構成の社会というものが子供の育ちという観点から見てどうなのかということ。今日、経済社会、今後の経済社会というようなお話松谷参考人原田参考人からは、必ずしも暗いものではなくて、制度改革をしていけば明るい未来も見えてくるんだというお話がありましたけれども、ミクロで、一つ家庭の中で、例えば子供が一人。そうすると、おじいちゃん、おばあちゃんで四人の大人が、あるいは両方すれば八人になって、四人ですかね、両親と、それぞれの両親と長女ですから、全部御健在であれば六人の大人が一人の子供を寄ってたかってなで回して育てていくというような、いや、現にそういう、ありますので、子供がそれで本当に必要な切磋琢磨しながら育っていけるのかと。もう現に今そういうひずみ出てきていると思うんですね。  ですから、そういう観点から、この少子高齢社会における子育ちをもう一回見直す必要があるのではないかという意味で、私は、もちろん産めよ増やせよではなくて、産みたいと思っている人が産めるようにというような意味で、あるいは長生きしたいと思う人が本当に長生きできるような、みんな長生きしたいでしょうけれども、そういう社会を作っていくためにどういう対応をしたらいいのかという意味で、まず質問なんですけれども阿藤参考人お話で、今のこの少子社会、何といいますか、そういう産みたい人が産めるようにするということをするためには男女共同参画社会だと。  私も全くそのとおりだとずっと思っておりまして、先生の今日のお話の中で、英語圏、フランス語圏のところでは、同棲や、同棲カップル、そういうことを認めているという、婚外子カップルのような多様な結婚、婚姻形態を認めているところでは出生率が上がっているというふうにおっしゃいましたね。日本ではそういうものをなかなか受容できない伝統的な役割分業観とかジェンダー観がありますので、そういう社会意識と併せて、制度的な、日本の中で同棲婚外子カップルを認めない制度的な問題点、こういうところを変えれば、それこそ結婚してなくても産みたい人が産めるというような、安心して育てていくことができる制度的な課題があるとすればどういうものか、阿藤参考人に。  それから、松谷参考人の方から産児制限が日本であったというお話がございましたけれども、それは優生保護法の中で、あれですかね、経済的事由、中絶が認められたことを指していらっしゃるのかなと思うんですが、あれは、産児制限とあえてそういう言葉を使われたことをちょっとお伺いしたいと思います。  以上です。
  42. 阿藤誠

    参考人阿藤誠君) 同棲婚外子の問題は、一つは事実認識としてそういう大きな違いがあるということを申し上げたわけですね。そのときに、一体、その制度的な要因が非常に強く利いているのか、あるいはむしろそういう文化的、歴史的な背景が非常に強く利いているのかということなんですが、個人的に言えば、制度的な制約よりも、むしろ非常にそういう文化的、歴史的なものの方が、その要因の方が強いんじゃないかというふうに思っています。  それは、同棲婚外子が非常に少ないのは日本、東アジア、そして南ヨーロッパなんですね。別に東アジアと南ヨーロッパに何万キロも離れてそんな共通性があるのかということになりますけれども、やはり強い伝統的な家族主義といいますか、親子関係の、あえて言えば非常に、が強いということはですね、例えばパラサイトシングルというのは、結局、本来は自立していい年なのに親元から離れない、そしてそれを親も若者もアットホームと感じていると。  これが、先ほど申し上げたあの三つの同棲婚外子が広がっている国では、むしろ十八、二十になって一緒にいるのが非常に何かこう居心地が悪いと、それは親も子供もそう感じていると、だから十八になったらなるべく出ていきたいという、非常にその価値観の違いといいますか、それがどうも大きいように思うんですね。  制度的な要因というのは、もちろん無関係とは申しませんけれども、あるいはそういう方向に変えれば何か促進する要因になるかもしれませんけれども、個人的にはむしろそういう文化的なものが強くて、日本でも実は統計的に言うとじわじわと同棲婚外子が増えています。非常に低いレベルですけれども、私ども調査や動態統計なんかで見ますと、少しずつ増えているということは事実ですね。
  43. 松谷明彦

    参考人松谷明彦君) 先ほどの日本人口構造、特有の人口構造の理由として産児制限があったということを申し上げましたが、それについての御質問であろうと思いますけれども、これは出生率ですね、それからその例えば優生保護法との因果関係を科学的に立証した特に研究は私の知る限りでは特にございませんけれども、ただ、当時の様々な資料からしますと、このような高い出生率では、現在の食料事情であるとかそうしたことから見て、日本社会として極めて問題であるというような指摘がなされて、その結果、優生保護法が成立したり、あるいは様々な政府としてのキャンペーンのような、そういうことで出生率を少し引き下げるような方向でのそうしたキャンペーンのようなものがあったことも事実ですし。  ですから、この間、ベビーブームとその直後では出生率が四割ぐらい低下しているわけでありますが、それが単純に国民の自由な意思の自然の結果であったとは言い難い。やはりそこにある程度政策的な要素が入っていたということは私は否定し難いんではないかというふうに考えておりますが。
  44. 山谷えり子

    山谷えり子君 参考人の皆様、ありがとうございました。自由民主党、山谷えり子でございます。  私は長い間、九百万部の発行部数の生活情報紙、主婦向けの生活情報紙の編集長をしてまいりました。ですので、割合、生活の非常に具体的なことが目に入る人間でございます。そんな視点からお話を伺いたいと、阿藤参考人に。私が感じた感想とそれからお願いをいたしますので、それへの感想をお聞かせいただければと思います。  数年前でしょうか、私、文部省の中教審の少子化問題の委員をしているときに、やはり日本婚外子が少ないからというような説明をいただきました。私は、これはやっぱり文化的、社会的な問題であって、意図的に日本社会婚外子を増やしていこうという政策を取るべきではないというふうに思っておりまして、これから議論しろというのはどういう意図ですかと質問したことがございました。  そしてまた、日本は実は世界で有数の中絶国であると。百十万人ぐらい今一年間で生まれるんでしょうか、統計では三十五万人ぐらい中絶というふうになっておりますが、実は生まれる数と同じぐらい中絶されているのではないかと言う人もいるぐらい非常に中絶の数が多うございます。  今、主要国の婚外子割合が多いということで、スウェーデンなんかも非常に傷付いておりますし、青少年の犯罪とか孤独ないろいろな問題が出ております。またイギリスも、サッチャーは、伝統的な家庭で育ててほしいと言っていますし、ブレア首相も、お父さん、お母さんとそろったところで育ってほしい、同棲家庭で育つと致命的虐待に七十三倍遭いやすいなんということも言っているようでございます。クリントンは、家族強化策というのを訴えて、お父さん、おうちに早く帰って本を読んであげてなんてスピーチをしますし、またブッシュも、伝統的家庭の優遇というようなことを言っております。  私も、先ほど阿藤先生が文化的、歴史的背景が大きいんではないかというふうにおっしゃいまして、この視点から日本出生率の問題を考えていくということが大変大事な視点だと思うんですね。日本の歴史、伝統、文化、敬神崇祖という情操、神々を敬い、祖先を大切にするという、その魂のありように着目するということが大切ではないかと思います。  NHKの意識調査なんかでも、ふるさと大好きという意識の多い方は出生率も高いと、県ですね、ということもございますので、そのような方面でのちょっと分析をしていただきたいなというふうに思っております。  日本の場合は、産む産まないは個人の自由というよりも、受けた恵みを命の流れの中で恩返しするというような感性を持っていらっしゃる方が多いのではないかと思います。子供と生きるのは、実は御先祖様と一緒に生きること、あるいは生かされることであるというような感性を持っていらっしゃる方がいるにもかかわらず、今のいわゆる分析がその部分を余り着目しない形で進んでいるのではないかということが気掛かりでございます。  今、教育の面では家族は非常に抑圧的なもの、個人の自由と対立するものであるかのような記述がされております。私は、いろいろ教育問題の講演なんかを頼まれますと、PTAの方におたくのお子さんたちが学校で使っている家庭科の教科書、保健の教科書、ちょっとごらんになってみてくださいと言うんですね。そうすると、うちの子がこんな教科書で教えられているとは知らなかったというふうに言います。  例えば、これ、先週行ったある学校の高校の教科書ですが、人生と家族とあって質問があります。A子さんとB夫さんは結婚して二十年ですが、八年前から別居中です。きっかけはA子さんに別の好きな人ができたから。この二人は離婚できるでしょうかと。これ高校生の親のこと言っているんですね、結婚して二十年。つまり、あなたたちのお母さんには浮気をする権利があって、離婚の権利があるよということを答えさせるような教科書になっているわけです。  また別の教科書では、従来は未婚の母という言葉が使われてきた。しかし、最近は法律的に結婚せずに子供を産み育てることを自らの意思で選び取って母親になる女性を非婚の母、シングルマザーと呼ぶようになっている。結婚によらないで産まれる子供結婚によって産まれる子供より多い国、括弧フランスやスウェーデンなどもあるという形で、高校生にシングルマザーの勧めをしているのかなと思われるような記述があるわけですね。  また別の教科書には、近年では生活はともにするが婚姻届を出さず事実婚を選択するカップル、離婚をしても新たなパートナーと出会い再婚をするカップル、同性同士、男と男、女と女という意味ですが、同性同士で生活をともにする人たちなど、様々な形でパートナーとの生活を営む人たちもいると。つまり、男と女が御縁をいただいて結婚して命を授かってきたこの命をまたつないでいくという基本形が書かれずに、多様な過程を大事にしましょうというような、一見良いような切り口でですね、実は何というか、家族を軽視するような書き方がされているのではないかというような感じがいたします。  また別の教科書では、祖母は孫を家族と考えていても、孫は祖母を家族と考えない場合もあるだろう、犬や猫のペットを大切な家族の一員と考える人もあるという。これは本当に東アジアの文化圏としてはちょっとおかしいんじゃないかなと思うような記述なんですね。  英語の教科書も問題で、これは高校で使われている英語の教科書ですが……
  45. 清水嘉与子

    会長(清水嘉与子君) なるたけまとめてください。
  46. 山谷えり子

    山谷えり子君 はい、済みません。  家事はだれがするもの、イット・ジャスト・イズント・フェア、フェアじゃない、で、ケンジとメリーさんというのがもう家事の分担が不公平でけんかばっかりしているんですね。それで、ある女の人がボブという人と同棲していて先週結婚を申し込まれたと。だけれども結婚するとまたケンジとメリーみたいになっちゃうんじゃないかということで、この女の人が言うんですね。結婚っておばかな人たちや夢想家の人たちのためにあると思うの。まともに考えれば、だれが人のために自分の自由を捨てたりするの。結婚の半分くらいは離婚に終わるのよ。結婚は今世紀中に死に絶えると私も思ってる。今でも結婚しないで一緒に暮らしている人はたくさんいるじゃない。全く結婚なんてもう必要ないと。これを、英語を日本語に訳させるようなことになっているんですね。私はこういう教育はやはりおかしいのではないかというふうに思っております。  仕事家庭両立支援というのは大変大切だと思うんですけれども、労働者としての親の権利を保障していくという視点とともに、その保育者、教育者としての親を助けるという視点が、今、日本のこの少子化対策では少し欠けているんではないかなという気がいたします。デンマークでは家族責任ということを重視するようになりましたし、またスウェーデンでは八歳まで育児休業が取れる、あるいはイギリスでは子育て命令法という形で、親がきちんと義務を果たさなければ罰金刑とか禁錮刑を受けるというようなことが法律で通っております。ノルウェーも在宅手当を大変多く出している、オランダは長時間保育は児童虐待だという発想で午後四時までというようなことでございます。  ということで、阿藤先生にお願いをしたいんですけれども日本の歴史や伝統、文化に根差した分析というのを新たにこの人口問題研究所でしていただきたいということと、現在行われている教育が、今後結婚をしない若者たちをむしろ増やしていくんじゃないかという意味で、こういうディテールって大事なことだというふうに思いますよ。目に付かないかもしれませんけれども、ひとつその教育の場面での将来予測というような意味で、この辺の分析も充実させていただきたいというふうに思います。  外注化するだけではなくて、母性を育てるプログラムの充実策というような視点からの切り口という研究をしていただきたいんですが、そのようなものはあるのか、ちょっと御感想をお聞かせください。
  47. 阿藤誠

    参考人阿藤誠君) 大変難しい御質問なんですけれども、もちろん分析の枠組みの中にそういう伝統的価値観とか、そういうものを入れるというのは非常に大事なことで、特にそういう国際比較をする場合に、私自身も、そういう東アジアとかそれから南ヨーロッパとか、あるいはドイツ語圏とかですね、多様で見えてあるいは共通する部分があるということで、そういうものと、例えば女性社会進出の関係とか、さらには少子化の進展の関係とかいうことを分析する必要性は感じておりますし、自分自身もそういう方向で今研究をしているところです。  ちょっと教育の問題、いろいろお話伺いましたけれども、初耳でございまして、すぐに即答できるような問題ではないので失礼させていただきます。
  48. 山谷えり子

    山谷えり子君 ちょっとフォローしてよろしいでしょうか、僣越ですが。
  49. 清水嘉与子

    会長(清水嘉与子君) 短く、じゃ、どうぞ。
  50. 山谷えり子

    山谷えり子君 男女共同参画社会の流れを加速するということは、私は大事なことだと考えてはいるんです。職場での差別はあってはならないし、それから家庭でも、それぞれが仲良く調和して献身し合う、愛情を持ってということは大事だと思うんですが、今現在、地方条例で、例えば水戸市では、家事労働、育児などに対し経済的評価を与えることを家族の目標とするような形で、その男女共同参画の中に非常にラジカルな、フェミニズム的な思想とか、あるいはそのジェンダーフリー思想ですね、そういうものが入っている場合があるんですね。ですから、その辺もちょっと注意しながらこれから政策等々を考えていかなければいけないというふうに感じております。
  51. 清水嘉与子

    会長(清水嘉与子君) では、御意見としてちょうだいしておきます。
  52. 加藤敏幸

    ○加藤敏幸君 ありがとうございます。民主党・新緑風会の加藤でございます。  今日はお話を聞きながら、なるほどと素直にこう理解が進んでいったという私も感想を持っておりまして、本当にありがとうございました。  そこで、松谷参考人にお伺いをしたいんですけれども人口が徐々に減少をしていくということの中で、今まで人口が増加するときに拡大した居住地ですよね、従来余り人が住んでいなかったけれども、土地が足らない、そういうふうなことから山際だとか海際におうちを建てていった、あるいはそういうところに都市、道路を造り、工業用地を造っていったと。言わば人口増大とともに国土の一番の端っこ、それもやっぱり拡大、利用してきたということが随分行われたと。それが今度は人口が減っていくというプロセスで、例えばこの台風と地震、現場を見てきたわけですけれども、やはりがけ崩れが起こりやすいところにやっぱり住宅地が、何でここまでという状況の部分が随分見られたと。そして、これから例えば山間地における村が、人口が減り、高齢化の中で見捨てられていくと。あるいはまた、そういうところが残っておっても行政上地方自治体のサービスがなかなか行き届かない。あるいはそのためのコストが非常に大きな負担となってくると。そういうふうな状況を見れば、公共政策の中でも特に地方自治体がカバーしている、その分野における非常に大きな課題が発生してくるというんですか、そういうふうなところをやっぱり具体的にどう展望して、今からどう政策を作っていくのかというのがある意味で私たちの大きな仕事ではないかと、こんなふうな感想の中で、今私が申しました居住地が、随分膨らんでいるものが、これは適切な大きさ、人口の規模に応じた、そういう国土全体にわたる政策というふうなことの必要性と、特にもうメンテナンスコストが随分掛かってくるという視点から、お考えがあれば聞かせていただきたいと思いますけれども
  53. 松谷明彦

    参考人松谷明彦君) 確かにおっしゃるとおり、人口の増加の中で居住地が大きく拡大、しかも都市周辺においてはスプロール的に拡大していって、それが例えば今おっしゃった災害の問題とかそういう点でいろいろな問題引き起こしていることは事実なんですが、ただ、逆にこれから人口が減っていったときに、これは今おっしゃったような山間地だけでなくて、都市においても同じような問題が発生いたしまして、山間地の場合には今よりはずっと人口密度が低下して人がより分散的になるわけでございまして、そうした状態において同じレベルの行政サービスを維持しようとすれば、それは単位当たりのコストが急速に上がるわけでございますね。  一方、都市においても同じような問題が起きまして、例えば一例を申しますと、下水道なんかを考えますと、下水道は当然その下水道が処理している流域がございまして、その流域に何人の人が住んでいるかということで、収支、採算性が取れる、そんな形で設計されているわけです。そこが人口密度が低下していったときには、これは採算性が取れない。かといって、人口が減ったからその分だけ下水道の管渠を短くできるかというと、そういうことではないわけでございますね。つまり、人口減少に合わせて比例的に必要な社会資本の量が減っていくわけではないわけでありまして、そうした現象は都市において非常に顕著に出てくるわけですね。  ですから、おっしゃった問題は、地方だけでなくて都市においても同種の、人口密度が減少したことによる単位当たりの財政コストの増加ということで来るわけですが、そうしたときに解決方法は二つしかないわけでございまして、一つはもう本当に経済合理性を考えて、そんなに人が分散していたのでは財政コストが高くなり過ぎるんで、逆に居住をある程度制限するなり誘導するなり、そういったことで一人当たりの単価を下げるということが一つの選択肢。もう一つは、それは、その人々の自由意思、自由に大きくかかわってくる問題ですから、従来どおり居住は全く自由、その代わり、財政コストが非常に上がる、その分だけを負担するかどうかですね。どちらをするかは国民の選択ということになるんでございますけれども。  ただ、この人口減少社会、さっき阿藤先生もおっしゃったように、同時に高齢社会でございまして、ということは全人口に占める働く人の割合がこれから大きく低下していくわけですね。ということは、国民全体として見た場合の税の負担能力もまた低下していくわけですね。そういうことから考えると、私は、それは最終的には国民の判断すべきことですが、妥当な方向としては最初申し上げたような、ある程度財政コスト、一人当たりの財政コストがそれほど高騰しないような方向で、多少のそうした自由の制限というか、これは方向として一つやむを得ない選択肢ではないかなというふうに考えておりますけれども
  54. 加藤敏幸

    ○加藤敏幸君 ありがとうございました。
  55. 清水嘉与子

    会長(清水嘉与子君) ほかに御発言ないでしょうか。
  56. 中島啓雄

    ○中島啓雄君 自由民主党の中島啓雄でございます。  初めに松谷先生にお伺いしたいと思うんですが、松谷先生の一ページの国民所得の予測のところで、Aというので、一五%ぐらい、二〇〇〇年から二〇三〇年でエンドラインが減るということでございますが、これは実質価格で示しているんだろうと思うんですが、ちょっとそれにしても、人口問題研究所の十五歳から六十四歳までの生産年齢人口推計が中位推計だと八千六百万から二〇三〇年で六千九百万ぐらいになる。千七百万ぐらい減ですから大体二〇%減ぐらいであると。三十年間で経済成長といいますか生産性の伸びがどれくらいあるかというので、低く見積もって一%としても三〇%以上は伸びるんですね。ちょっとマイナス一五というのはやや極端ではないかなというような気がするんですけれども、ちょっとその辺のモデルの概要を御説明いただければ有り難いと思います。  もう一つ阿藤参考人にお伺いしたいんでございますが、人口問題研究所人口予測というのはなかなか当たらないという話が先ほどございましたけれども、平成九年の予測では、中位で合計特殊出生率が一・六九、それから低位で一・三八というのが、平成十四年では中位が一・三九、低位が一・一〇。ところが、実績の方はその平成九年の一・三八さえも下回って、二〇〇二年は、ちょっと極端な例かもしれませんけれども、一・二九というので、なかなか今まで、ここ数回の予測では常に、低位推計すらもややもう下回りそうな感じなので、その辺の、推計が間違っていたかと言うと大変言い方が悪いんですけれども、予測がなかなか当たらなかった原因はどこにあるのか、少し御説明をいただければ大変有り難いと思います。
  57. 松谷明彦

    参考人松谷明彦君) 今の先生の御質問でございますが、この推計につきましては二つの前提条件の下に作られておりまして、一つは労働力人口減少でございます。  労働力人口減少につきましては、二〇〇〇年に比べまして二〇三〇年の労働力人口は一九・二%減少するというふうに見込んでおります。人口の数で申しますと、二〇〇〇年の労働力人口が六千七百七十万人に対しまして二〇三〇年の労働力人口五千四百七十万人、一九・二%の減少と見込んでおります。  もう一つの前提条件は労働時間の短縮でございまして、これは必ずしも、人口減少といった問題とは別の流れでございますけれども、しかしながら、過去、日本の労働時間は傾向的にずっとこの短縮傾向を続けてきたわけでございまして、現在の日本の労働力人口は世界的に見ても比較的まだ長い状態にあります。そうした状態で今までの労働時間の短縮傾向が急に停止するというのは、私は前提として不自然ではないだろうかということで、基本的にはこれまでと同様の労働時間の短縮傾向が続くということを前提にしております。  ですから、これは労働力人口減少ともう一つの要素が入った結果であるというふうに御理解いただきたいわけでございますが、労働時間につきましては、一九六五年でございますか、一九六五年の月間労働時間、百九十二時間でありますが、それが二〇〇〇年では百五十六時間であります。二〇三〇年にはそれが百二十六時間まで短縮するというふうに見込んでおります。  ただし、いかにも労働時間の短縮、幅が大きいようでございますけれども、このペースで労働時間が短縮したとしましても、二〇〇〇年におけるドイツの労働時間に達するのは二〇二〇年ごろというふうに考えられます。ドイツに比べて二十年遅れるというわけでございます。したがって、私はさほど極端な労働時間の短縮ではないと思います。  そうした労働力人口減少と、それから今申した月間労働時間の短縮というものを入れましたいわゆる国民総労働時間でありますけれども、これは二〇〇〇年に比べまして二〇三〇年は三二%減少すると。つまり、日本経済として利用可能な労働力が三二%縮小すると。そういうことの結果、実質国民所得が一五%減少するということでございます。  以上でございます。
  58. 阿藤誠

    参考人阿藤誠君) 先ほどの説明と重なるかもしれませんけれども、国の人口推計というのは国勢調査に基づいて五年ごとにやるわけですね。ですから、基本的に五年ごとに見直すという一つの前提でずっとこれまで続けてきていると。  そのときに、もちろん出生率がどうなるかという仮定が重要で、先ほど低位も割っているとおっしゃいましたけれども、つまり、五年間でその高と低の間に入っているという意味では入っているわけですね、中位を下回っているというのは事実ですけれども、それが一つ。  それから、国の推計というのは非常に、何といいますか、非常に厳しい審査を受けるわけですね、いろんな場面で。社会保障審議会とか、そのほかの場面でも、マスコミもそうですけれども、そのときに、非常に一種のエビデンスといいますか、経験的データを要求されるわけですね。  今、私ども推計は、いろんな意識調査や、いろんな人口動態統計や様々なデータを使って仮定を立てるわけですが、しかも、先ほどお話に出たコーホート法というのでやっていまして、例えば、今二十歳の世代の意識はどうだ、十九歳はどうだといって十五歳までいくわけですね。十五歳未満の言わば少女、子供の意識調査なんというのはないわけで、あってもほとんど意味がないですね。ですから、常に十五歳までのコーホート、その時点で止めているわけですね。それが、それから例えば五年たちますと、新しく出てきた人たちがまた違った予想外の行動を取るというふうなことで、自由にやって、そういうエビデンスを余りそれほど厳密に考慮せずにやればまた話は変わってくるかもしれませんけれども、国の推計としてはそういう非常に厳密なデータの下でやるものですから、どうしても、たまたまこういうふうにずっと下がっているときは、常にそれ以上に下がったということで御批判を受けるというふうなことになっているんだと思います。  しかも、これは別に、何度も言いますけれども日本だけではなくて、アメリカ推計も、ある意味じゃ人口学が最も発達しているアメリカ人口推計も、下がっているときにはいつも、もうそろそろこうなるだろうという、回復するだろうという、そういうことの繰り返しなんですね。ですから、なかなかやっぱり出生率推計というのは難しいものだと言わざるを得ないというふうに思います。
  59. 清水嘉与子

    会長(清水嘉与子君) ほかにいかがでしょうか。
  60. 岡崎トミ子

    岡崎トミ子君 今日は皆様ありがとうございました。  事前に、私、参考人の皆様の主要論文を読ませていただきまして、まず、阿藤先生が書かれたものの中に婚外子の問題と同棲の問題について触れてありました。私、内閣委員会で少子化社会対策基本法、この法案を審議いたしましたときに、議員立法ですので、自民党では中山太郎さんがお出になっていらして、この婚外子の問題について、差別をされて裁判に持ち込んだ人の私の方に申出もあり、そのことをちょっと研究をしてみたいと思ってそのことについて質問いたしましたときに、最終的には婚外子差別をしない方向でやっていくべきではないかということで法案は成立をしております。これは、附帯決議にもそうした、社会を推し進めるということではありませんけれども、差別をしないということが決定されたわけなんですね。  ここでも、北欧諸国とかフランス語圏あるいは英語圏諸国では同棲婚外子割合も著しく上昇して、そして出生率も高まっているという状況が表にも表れているわけなんですけれども、そのことを推し進めるということではありませんが、非常に日本的だなというふうに思いましたのは、同棲関係にあっても家事の大部分が女性が担うことになって、結局新しいパートナー関係のモデルにはならなかったんだということが書かれていて、本当に伝統的家族の規範ですとか伝統的ジェンダー規範という強固な日本ではなかなかこれでは増加しないんだなということを書かれていたことが大変私としては参考になりました。  私の質問は、まずはパパクオータなんですけれども北欧諸国で父親の休暇、育児休業期間中のパパクオータ制を導入しているということなんですけれども、これを導入する、私たち実は民主党もこれが政策になっております。是非実現したいというふうに思っているんですが、この理解を日本の中で得るために、導入するためにどんなことをするとスムーズにいくのかなというのが今悩みなんですけれども北欧諸国でもどんな議論があって、どう説得して入ったのかなということについてもし御存じでしたら、そのことについてお教えいただきたいと思っておりますのと、それから、原田先生がアメリカでの児童扶養履行強制制度の提案ということで、女性家庭内の地位を高めるためには、離婚時、ここから女性経済水準を高めればいいというような御意見でございまして、これも、もし日本の中でこういうことを導入するとすればどのようになるかなという、先生の御意見としてお聞きしておきたいというふうに思っております。
  61. 阿藤誠

    参考人阿藤誠君) 残念ながら、スウェーデンあるいはノルウェーでこういう制度ができたときの経緯といいますか、そういうものは存じておりませんのでちょっとお答えしかねるんですが、しかし、これはある意味ではスウェーデン、ノルウェーの政府、もちろん政党が変わったこともありますけれども、かなり一貫して男女共同参画ということを言わば政策の柱にしてやってきた一つの政策のステップだというふうに思います。  育児休業で男も女も取れるといっても、やっぱりなかなか男性が取らないと。あえて言えば業を煮やして、一月は男性しか取れない、あるいは出産休暇に合わせて父親休暇というふうな制度も義務付けるというふうなことを併せてやっていますから、それはやはり、幾らスウェーデン、ノルウェーといえども、そういうある種のやっぱり価値観があってなかなか進まない、あるいはもちろん経済的理由もありますけれども、という中であえてこういう政策を導入したんではないかなというふうに思います。  ですから、かなり強力な政府側のメッセージといいますか、ではないかなというふうに思います。
  62. 岡崎トミ子

    岡崎トミ子君 ありがとうございます。
  63. 原田泰

    参考人原田泰君) 離婚時に子供の扶養手当を強制的に払わせるということなんですけれども、これは、私が書いておりますのは、別にそれは離婚を優遇するということではなくて、父親の子供に対する責任を強く求めるということです。そのことによって女性が安心して結婚できるようになるのではないかということです。  確かに、結婚してうまくいけばいいわけですけれども、分からないことが非常に多いわけですね。実際にその男性がどういう人間であるのかというのは分からないことが多いわけです。ですから、もちろんお見合いとかデートとかというのはそういうことを理解するためのものなわけですけれども。  そういう強制制度があれば、要するに、結婚する以上は子供に対して非常に強い責任感を持たないと結婚できないんだということを男性に知らせる、知らせるというか男性に強制するわけですから、安心して結婚できることになって、その結果、先ほど阿藤先生のお話では、要するに、結婚しない人が増えたから子供が減ったということを、そういう分析をされていました。ですから、結婚する、結婚のリスクを減らすことですね。結婚のリスクを減らすことによって結婚が増えて子供が増えるという効果があるということです。  それからもう一つは、これは男性にとって不利な制度ではないということです。つまり、男性も自分はちゃんと、あなたという母親の子供に対してちゃんと自分は責任を持ちますよと言っても信用してくれない可能性があるわけですが、そういう強制的な制度があれば当然信用してくれるわけですね。ですから、それは結婚したい男性にとっても悪くない制度ではないか。  それから、子供に対する責任というのは、別に日本だけではなくて、世界じゅうの国が正しい道徳として言っているわけですね。ですから、ブッシュ大統領もクリントン大統領も言っている家族の重視というのは、子供を大事にしろ、子供をちゃんと育てろということです。それは、人類が哺乳類である以上当然のことであって、哺乳類は育てないと子孫がなくなって滅びてしまうわけですから、だから、そういう当然のことを強制するということは何ら構わないのではないかというように思っております。
  64. 岡崎トミ子

    岡崎トミ子君 ありがとうございました。
  65. 清水嘉与子

    会長(清水嘉与子君) ありがとうございました。  ほかにございませんか。
  66. 山本孝史

    山本孝史君 済みません、二回目の質問になって恐縮なんですが、原田参考人のこの資料の中の産業別の労働生産性の日米比較に二つ絵が付いておりますけれども人口減少社会になってもそれぞれの産業領域の中で常用労働力があるので、その人たちがある意味では違う領域で働けばそれで人は足りてくるというか、ということも言えるだろうし、ただアメリカと比較しての話なのでそこは私にはよく分かりませんが、これを見ていると、日本で機械、一次金属、化学といった製造現場ではかなりロボット化といいましょうか省力化が進んで生産性がかなり高くなってきていて、その領域ではほぼ余剰の労働力は持っていないという形になっていると。しかし、逆に言うと、これでいきますと、農業、建設業、その他製造業、卸売・小売、サービスといったところでかなり労働力が余っている、その分生産性が低いと、こういうことですよね。  この話を考えていくと、いかにしてその生産性を高めていくのかということが求められるんだけれども、なかなかこれ生産性が上がりにくい。アメリカと比較してというふうに申し上げたのは、例えば農業だと、アメリカの農業は非常に生産性高いかもしれないけれども、例えば日本の林業とか水産業とか考えると、なかなか生産性は上がらないんじゃないんだろうか。農業は上げられるかもしれない、もっと大規模農業ができるのかもしれない。機械製造業はもうほぼ生産性がこれ以上高めるのは難しいんじゃないか、あるいはもっと違う産業領域に転換していけば別だろうけれども、それもなかなか難しいかもしれない。東南アジア等々と価格競争するという中でなかなかその辺の産業領域の将来像は難しいのかなと思いながら。  お聞きしたいのは、松谷先生にももし御意見いただければと思いますが、日本の将来の産業構造というか就労構造というか、人口減少社会の中でこういう姿が望ましいんだと、あるいはそのためにどういう政策的に、雇用政策あるいは産業政策としてやっていかなければいけないということがこういうところから打ち出されてくるのかということについて、多少ヒントがいただければ大変有り難いと思いますが。
  67. 原田泰

    参考人原田泰君) これはアメリカと比べているわけで、アメリカと条件が全く同じではないわけですから、アメリカと同じようにすることは完全にはできないだろうというのはおっしゃるとおりです。  ただ、アメリカから学べることは一杯あるわけで、例えば工業なんというのは全然条件が違いますから無理だと思いますけれども、例えば農業のうちの林業や水産業は確かに条件が違い過ぎると思うんですけれども、農業であれば、要するに、より少ない、現在よりもより少ない人間がより広い範囲の畑や田んぼを耕すということは十分可能なわけですから、担い手が、農業の担い手がいないということは普通悪いことのように思われていますけれども、担い手がいないんだったらやる気のある人が大規模にやってもらえればいいのではないかと、そのことによって生産性が高まるのではないかということです。  あと、建設業とか卸・小売でも様々な規制改革によって生産性を高めるということは十分可能であるというように思います。もちろん、別にアメリカと一緒にすることがいいというわけではないんですけれども、人々が自由になったときに、自由に選択する結果としてよりいいものが生まれるだろうというように思っております。  それから、政策的にじゃ産業構造はどうなるのかということですけれども、基本的には、無理やり何か人々をそこに縛り付けたり、新しい工夫をしようとか新しい投資をしようというようなことに対して制約を加えなければ、その結果生産性も上がりますし、人々の需要が望むような産業構造になるわけですから、それが一番いいのではないかというように思います。
  68. 松谷明彦

    参考人松谷明彦君) 労働力の減少に対して労働生産性の向上を図るべきだと、こういう意見が確かに強いわけでございまして、私も労働力の減少に対し一つ対応策として、可能な限り労働生産性を引き上げて、日本全体としての労働生産性を引き上げることができるんであれば、もちろんその方が望ましいというふうには思います。  思いますけれども、その場合に一つの条件変化を忘れてはいけないんではないか。それは、つまり労働力が高齢化するという事実ですよね。そして、これは一人の人間、人間、労働者一人を取ってみれば分かることですが、当然人間は年を取るに従って労働効率が落ちていくわけですね。つまり、労働生産性は落ちていくわけです。それは、例えば手先の器用さとか作業の敏速性とか、あるいは新しい機械が入ってきたことに対しての習熟の速度の問題とか、そういったことで人は年を取るに従い生産性が落ちていることは、これはやむを得ないことなんですね。  もう一つのことは、いわゆる産業別に様々な生産性の違いがありまして、ですから今よく言われるのは、日本の産業構造をもっと効率的な産業に特化させるとか、例えばIT産業とか非常に高能率の製造業とか、そういうもののウエートを高めていくことによって生産性を上げていくべきではないかと、こういう議論があるんですが、私はそれに対しては悲観的にならざるを得ない。なぜかというと、IT産業とか非常に高能率の製造業というのは基本的に若い労働者を必要とするんですね。あるいは世界的に見ても若い労働者を前提とした技術しか存在しないんですね、現在のところ。  ということからすると、仮にそうした効率の、高能率なIT産業その他の産業のシェアを拡大していくとしても、拡大していった場合に、一方でそれに適した労働力であるところの若い人の労働力は減っていくわけですよね。そこで、産業構造とそれから労働力構造の間にミスマッチが生じて、そういう高能率の産業のところでは人手不足になって、かつそれでない産業の、かつ今度は、もう一つは今度は中高年のところでは逆に失業が起きるということになるわけですね。そうしたときには、中高年の失業による経済の縮小効果の方が大きくなる可能性がありましてね。  したがって、私から申し上げたいのは、労働生産性を上げるというその一方だけの政策では不十分であって、これから二十年後、三十年後、四十年後の労働力構造がどうなっているのか、その労働力構造に合った産業構造とはいかなるものかということで、効率性の向上から産業構造を考えていくんではなくて、労働力構造の方から考えていかないと、失業問題とか、今申し上げたつまり産業構造と労働構造のミスマッチが生じて、これは日本経済にとって非常に大きな問題になると思うんですね。  したがって、私は、そうしたときに労働力構造の変化という、そういう条件の変化を忘れてはいけないと思いますし、そうした点を考慮すると、一方的に労働生産性が今後とも例えば今までのようなスピードで上昇していくというのはやや悲観的にならざるを得ません。ただ、私の推計はそれはあくまで予測にすぎませんので、この推計自体は今までのと同じスピードで労働生産性は上がっていくということを前提に作っておりますけれども、ただそうした非常にリスクがあるというか、マイナス要素がほかにあるということは申し上げたいと、おきたいと思います。
  69. 小林美恵子

    小林美恵子君 二回目の発言になって申し訳ございません。  松谷参考人原田参考人から年金の問題もお話があったと思うんです。例えば、私は年金というのは国民の皆さんの将来の生活を支える上では大事な制度だというふうに思うんですね。それで、お話をお伺いしていましたら、今はかつての数%の高齢者のときのものだとかおっしゃったり、また減らすしかないというふうに原田参考人はおっしゃいましたけれども、そうなりますと、ますます将来不安が募ってきまして、お二方が人口減少高齢社会はポジティブに考えておられますけれども、それはネガティブに変わっていくんじゃないかというふうに私は懸念をしますけれども、そういう意味ではこの年金をもっと豊かにするということが少子高齢社会にとっては大事なことではないかなと、将来不安を取り除くということが大事ではないかなと思うんですけれども、この点を改めてお三人の参考人の方にお伺いしたいと思います。
  70. 松谷明彦

    参考人松谷明彦君) もちろん、私もこの年金、年金というのが現在の高齢者の生活設計、ライフスタイルの上で極めて重要な役割を果たしているわけでございますから、これを直ちに急激に変化させるべきだということを申し上げているわけではなくて、長期的な方向でこれには対応していかなきゃいけないということで、当面の対応と長期的な対応というのは分けて考えるべきではないかと思うんですが、私が先ほど申し上げたのはそうしたやや長期的な対応でございましてね。  ただ、これ確かに年金というフローの、所得のフローを、所得を労働者から高齢者に対して移転することによって、それで高齢者が十分な生活を営めればそれはそれに越したことはないわけですが、一方でその負担する人の割合は急激に減っているわけですね。負担する人の人数は急激に減っていって、もらう人が急激に増えていく中で、そういう中で果たして今までどおり年金でもって、少なくとも健康で文化的な高齢者の生活を維持するということが本当に長期的に見て可能なのかどうかということなんですね。  それがさっき原田先生もおっしゃったのは同趣旨だと思いますが、それはどう考えても、合理的に考えると、それを維持していくことは極めて難しいということがまずあって、その上で、かといって社会として高齢者に対して引き続き何らかのサポートをしていく必要があるとすれば少し工夫が必要だ、それが私申し上げたストックの活用で、より非常にロングスパンで見たときの国民の負担をできるだけ低いところに持っていくという、そういう観点からの工夫でございまして、やはりこれだけ今後高齢者が急増し、それから若い世代が急減していく中で、年金、あるいは年金だけでもってその高齢者の生活をサポートしていくということはやっぱり事実上ちょっと難しいんではないかと。  ですから、そのストックの活用であるとかあるいは公共サービスの充実であるとか、そういったものを併せた形でいかないと、これは長期的に持続可能な社会保障制度とはなり得ないんではないかなというふうに私は考えて、さっきそのように申し上げたわけでございます。
  71. 原田泰

    参考人原田泰君) もちろん、高い年金を払い続けることができれば、それはもちろんその方がいいと思うんですけれども、じゃその高い年金はだれが払ってくれるかというと、若い世代が払ってくれるわけです。その若い世代は、九〇年代の不況もありましたし、なかなか正社員になれない、フリーターの人が多いという状況なわけです。  そういう状況の中で、じゃそういう高い年金を払ってもらえるんだろうかというと、年金保険料をですね、それは払い切れないのではないかというように思います。つまり、今フルに年金保険料を納めますと二十四万円ぐらいになるわけですけれども、例えばそのフリーターの若者が二十四万円月に稼ぐというのはこれはもう大変なことで、ほとんど死ぬ気で働かないと稼げないと思うんですね。  ですから、そういう状況の中を考えれば、やはり高齢人口が、人口の数%いなかった時代とは違って、これから三五%まで増えてしまうわけですから、やはり減らしていく以外に方法がないのではないかということでございます。  それで、もし減らした場合に、そうするとむしろその減らすことによって年金制度が持続的に維持できるものだという安心感が生まれるわけですから、むしろ減らした方が将来が安心になるのではないかというように私は思っております。  そのときに、じゃどれだけ減らすかというと、いやそれは、それは世界じゅうの国が今もう既に六十五歳以上で、スウェーデンでも物価を調整して十七万円ぐらいなわけです。そのぐらいにすればかなり年金制度はもつようになります。それで、今、年金保険料を上げようとしているわけですけれども、実際上げないときでも年金を集めることができないのに、年金を上げて保険料を集めることが本当にできるんだろうかということも私は疑問に思っております。  それから、このまま行きますと、例えば団塊の世代が実際にもらい始めたときに、あ、やっぱり無理だということになって一挙に減らすということになりかねないと思うんですね。ですから、そうすると、じゃ団塊の世代の後一挙に減らすということであればある特定の世代の人だけが非常に損をするということになってしまいます。それよりも、早い時期から減らしていって、みんなが広く薄く、無理な年金制度を今から変えていった方がむしろみんなが安心できて、今は非常に高齢の方ほど豊かでないかもしれないけれども、十分生活できる年金を未来永続的にもらえるようになると、こういうふうになった方がむしろ社会の安心感というのは高まるのではないかというように考えております。
  72. 阿藤誠

    参考人阿藤誠君) 特別に年金、経済の専門家ではないので、人口の方から見た一般的な意見を申し上げたいと思いますが、基本的には今お二方がお話しになったことと同じで、やはり超高齢社会に向かって日本が進んでいることは事実で、その中で年金制度を支える支え手と、それから給付を受ける側の比率がどんどん、あえて言えば悪化していくわけですね。そういう中で、ある程度の負担増を、そして給付減を覚悟せざるを得ないというのは、これはまあある種のこういう人口構造になってしまった一つの必然的帰結というふうに言わざるを得ないと思うんですね。  ただ、そのときにやはり、もちろん経済をいかにして活性化し経済成長率を高めるかということもありますけれども人口の方からいうと、やはりもう一つは支え手を増やすという努力をもう一方でやはりしていくということは大切で、もうこれも先ほど出ましたけれども女性がもっともっと働いて所得を得、そしてそこから保険料を出せるような仕組みをやっぱり作っていくと。それから、高齢者が六十や六十五で辞めてしまうんじゃなくて、長く働けるような仕組みを作っていく。同時にそれは負担を減らすということになっていくわけですから、そういう方向性はいろんな意味で促進していく必要があるんだろうなと思います。  同時に、ここまでやはり若い労働力が減ってきますと、これからいや応なしにやはり外国人労働というものを受け入れる方向に私は進むと思います。これはまあ、その過程でいろんなぎくしゃくがあると思いますけれども、あるいは法律的な問題とか政策的な問題もあると思いますけれども、大きな流れで見ればやはりそういう方向に行くと思いますね。そのときに、円滑にうまく受け入れる方向でやはりこれ、これもまたそういうものの支え手になっていくわけですから、そういう方向に進むんだろうなと。  決してそれだけではなくて、やはり将来の高齢化人口減少といっても言わば幅があるわけですね。それはこれからのやはり出生率次第ということがやっぱりあるわけですね。そのときに、やはり少子化にかかわる政策というものを、先ほどからお話ししたようなものを進めることによって、やはり将来の支え手を増やしていくということも併せて進めていく必要があるわけで、それは決してその一つ一つがばらばらではなくて、すべて同じ方向で私は努力できるものではないかなというふうに思っております。
  73. 柳澤光美

    ○柳澤光美君 民主党・新緑風会の柳澤と申します。  私、七月に初当選して、実質的には十月十二日からの臨時国会で政治、国会の場を体験して、昨日実は私、厚生労働委員会のメンバーで初質問に立たしていただいて、実は本当にスピードが大事じゃないかという、実は労働法の問題だったんですが、これ昭和二十四年にできて、もう問題があるのに五十五年間ずっと引きずってきていて、やっと五十五年ぶりに改正というところに立ち会って、今日、本会議で通ったんですけれども、皆さんからお話聞いて、一つとても素直に整理付いたのは、何か少子高齢化社会がめちゃめちゃ大変な社会で何とかしなきゃいけないというんではなくて、そういうふうになる社会も、決して、きちんとしていけば逆にいい部分もあるんだと。ただ、その前提は、どちらにしても、一つは年金だとか今の制度を、増えているときじゃなくて減っていっているところに合わせて制度変更をしなきゃ駄目だと。  それから、松谷先生からも、公共投資関係もこのままやっていたら、むしろ今ある高速道路から何から修理だけでめちゃめちゃなお金になってしまって、新しいのはとても造れないという前提があるんだというお話があったというふうに思うんですね。ところが、私も入ってまだ少しで、本当にまだ新人だということで許してもらいたいんですが、話は一生懸命やって、今回の委員会もとってもすばらしい議論なんですが、少子高齢化の問題だけでなくて、その前に前提が全部、前提を直していかなきゃ駄目だと。ところが、年金の問題にしても公共投資の問題にしても、これを変えるという具体論になると非常に時間掛かってしまうと。  松谷参考人に聞きたいんですが、例えばこの五ページの公共事業の転換なんですが、結局、二十年ちょっとぐらいのところで破綻すると。ここにならないと、ここまでいかないと変えれないということであったら何の意味もないんだろうなという思いがちょっとしているんですが。もう一つは、少子化の流れというのは、どうやったって私はもう止めれないと思うんですね。どんな仕組み作って産めよ増やせよってやっても、急激に戻ってくることはあり得ない。  とすれば、その辺、皆さんの方に率直に、お三方に、少なくともその前提の部分を、例えば公共投資だったら二〇二〇年ぐらいのところで破綻しますよと。年金もひっくるめてそうなんですが、どの辺のところまでにその前提の部分をきちんと整理しておかないと、日本は本当に少子高齢少子化社会になってもある程度いい方に動かすには、もうちょっと、どのくらいのスピードですかというのを、率直にどのくらいのところで政治家の皆さんやらないと駄目ですよというような思いがあったら、簡単にお聞かせいただければというふうに思うんですが。
  74. 清水嘉与子

    会長(清水嘉与子君) 時間が迫ってまいりましたけれども、今、島田智哉子さんからお手が挙がっていると思います。  ほかによろしいですか。──だったら島田さんの方からも御発言いただいて、そして併せて御回答いただきたいと思いますが。どうぞ。
  75. 島田智哉子

    島田智哉子君 民主党の島田智哉子でございます。先生方、今日はありがとうございます。  出産育児を機にいったん退職した女性の再就職についてなんですけれども原田先生よりお伺いしたいんですけれども、事前の資料でも、保育所の充実の必要性とともにそのコストの問題の指摘がございましたけれども、先日、私も我が党の岡田代表とともに幼稚園と保育園の連携強化、幼保一元化とも言われておりますけれども、融合化、またNPOなど多様な担い手による保育という観点から視察を行ったわけですけれども、それらの充実と、先生の本日の資料に、九ページの資料にありますM字カーブのこのM字が、今現在、日本のM字型がアメリカやフランスのようなカーブになるためには、先生の予測といいますか理想では何年掛けて、またどのくらいのコストでとお考えでいらっしゃいますでしょうか。  また、五ページにあります、「高齢社会のコストを引き下げる」ということがございますけれども、この高齢社会のコストを引き下げて、そして、こういった児童手当が世界一低いと言われている日本ですから、子育て支援に力を、そのコストを転換していくのかどうか、その点をお聞きしたいと思います。ありがとうございます。
  76. 清水嘉与子

    会長(清水嘉与子君) それでは、お三人の先生に柳澤さんの方から御質問でございまして、島田さんからは原田先生にということでございますので、まず松谷参考人の方からどうぞ。
  77. 松谷明彦

    参考人松谷明彦君) 最初に、どれぐらいの時期でそうした、どれぐらいの期間で様々なシステム変更、政策変更といったことが必要かということですが、これは私の予測では一〇年代の初めぐらいには完全にその経済の方向が変わるだろうというふうに考えておりますから、もうあと数年内には対応する必要があるんだと思います。数年内の間にかなり変わっているという状態で、そういう対応の必要があるんだと思いますが、じゃ現実にそれがどうなるかということですが、これはなかなか、社会制度というものはそう簡単になかなか変わらないところがあって、あるいは本当に、その状況が本当に悪化した状態でないと、つまり極端まで行かないと変わらないというような面がありまして、私も早く直した方がいいなと思いつつも、実際に行きますかと言われると、それは必ずしも確信を持って言えないわけですが。  ただ、一つのこのきっかけになり得るのは、私は企業行動の変化があるんじゃないかと思うんです。つまり、人口が増加しているときの経済では、企業は規模の拡大を続けた方がむしろ企業の収益的にも企業経営上もいい。しかし、これが縮小する経済の下では労働力が減ってまいりますから、むしろ労働力の減少に合わして企業をスリム化しないと遊休設備がかさんで企業経営が悪化するということですから、経済の方向が変わった途端に、企業はやはり対応早いですから、非常に早く対応するんだと思うんですね。あるいは、企業の経済の変化をかなり先読みして、もう数年前には変わるかもしれない。そうした企業行動の変化というのはかなり、経済政策とかそういうものを通じて政策に与える影響、効果というのはかなり大きいと思いますので、きっかけとしては、その企業行動の変化が一つきっかけになり得るかなということは考えられます。  もう一つ、先ほどの公共事業のことについて言えば、今の公共事業は補助金とか交付税とかいろいろありまして、必ずしも、受益と負担が必ずしも一致していないところがございます。それが公共、社会資本の整備を一方的に拡大してきたことの一つ要因ではあるんですが、今、まあこれは結果的にどのような方向に行くか分かりませんが、地方分権的な方向に動いていて、受益と負担が近づいていくような方向にこれから行くとすれば、こうしたこれからの公共事業の許容量と維持更新がこんなにかさんで、こんなに大変だぞということがより多くの国民に直接肌で感じられるようになる可能性があると思うんですね。  そういうことからすると、今の地方分権的な動きの、まあどのような方向に行くか分かりませんが、一つのそれは、こういうものが国民が十分認識する一つのきっかけになるんではないかなというふうに考えております。
  78. 阿藤誠

    参考人阿藤誠君) 私自身は、やはり少子化問題への対応というのを、まあこれはできるだけ早ければいいということでありますが、やはり男性女性も働き、そして男性女性もその家庭責任を負うと、そういう社会になるよう、一つはやはり強力なメッセージを強く政治の世界から発してほしいというふうに私は思っています。  少子化社会対策基本法はできたんですが、どうも余りマスコミなんかのインパクトも大きくなかったような感じがするんですね。それの下で、やはりなかなか財政状況が厳しい折でございますけれども、この少子化関連の予算については何としてでも予算を拡大していくと。そして、具体的には保育ニーズを、相変わらず待機児童があるなんというのは非常に、もう分かっている問題を解決できていないということですから、一〇〇%ニーズを満たすというようなことで強力に施策を進めてほしいし、個人的にはやはり育児休業、これもまた六十何%しか取っていないなんて非常に不思議な現象ですね。ノルウェーやスウェーデンでは一〇〇%取るわけですね。そういう実効性のなさというものもどこに原因があるのかと、法的に何か手段があるのかということであれば、そういうことでやはり強い政策を取っていただきたい。  そして、もう一つ付け加えれば、先ほど出ました男女共同参画への一つのステップとして、私は、パパクオータ制というようなものも入れていくべきだというふうに思っています。
  79. 原田泰

    参考人原田泰君) 柳澤先生の、いつまでにやらないといけないかということですけれども松谷先生がおっしゃったように、もう十年もすれば支払が増えてきて、年金の支払がもうとてつもなく増えるということはもう目に見えてくるだろうと思うんですね。ですが、現実には、どうしようもなくなってから変わるというのが現実ではないかというように思います。どうしようもなくなってからやるということは、かえって非常な不公平を生む、つまり特定の世代だけが損をするということになって、それはよくないことだと思いますけれども、何か現実にはそういうふうになるんじゃないかという気がいたします。  それから、島田先生の御質問で、いつまでにM字カーブをなくして、どうしたらいいのかということについては、ちょっとお答えする能力がないんですけれども。  まず一つは、例えば保育所とかを作るといっても、現在の段階では大変なコスト高になっているわけです。だから、大体二十五万とか三十万ぐらい掛けているわけですね。もしそうであれば、むしろ料金を上げて待機児童を減らすという選択肢もあるわけです。つまり、自分で育てた方がいい、コスト的に絶対安いわけですよね。そういうときに、いや、じゃ、育児だけしているとノイローゼになるという説もありますので、もちろんたまには預けることができるという制度を作ればいいわけですよね。  だから、そういうことで、もっと多様な、いろんな制度があった方がいいのではないかというように思います。今の制度の下でどんどん税金をつぎ込めばいいのかというと、それは非常に高い人件費のところでやっておりますので、それはなかなか無理があるのではないかというように思います。  それで、NPOとかいろんな形で子育てを支援するいろんな施設があって、それが変な人が経営するのでないということをちゃんとチェックした上で自由に参入をさせた方がいいと思うんですね。それが、調理場がないとさせないというようなことをやっているわけですが、そういうことではなくて、ちゃんと母親の代わりができる能力のある人をちゃんと認定して、それだけを認定することによって、そういう安価ないろんな多様なニーズに適合できる子育て支援施設というのを作ることがM字カーブが少しでも早く解消するということではないかと思います。
  80. 清水嘉与子

    会長(清水嘉与子君) ありがとうございました。  質疑も尽きないようでございますけれども、予定の時間も参りましたので、以上で参考人に対する質疑は終了いたします。  参考人皆様方には、長時間にわたりまして貴重で有意義な御意見をいただきまして本当にありがとうございました。ただいまいただきました御発言につきましては、今後の調査参考にさせていただきたいと存じます。本調査会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。  ありがとうございました。(拍手)  次回は来る十一月十七日午後一時から開会することといたしまして、本日はこれにて散会いたします。    午後四時四分散会