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参考人(渋谷
秀樹君) ただいま紹介いただきました立教大学の渋谷と申します。
本日は、
参議院の
憲法調査会に
参考人としてお招きいただき、
意見陳述の機会を賜りましたことは誠に光栄に思っております。感謝申し上げます。
会長の御指示に従いまして、着席のまま
意見を申し上げます。
さて、私に
意見を求められた事項は、「
司法、特に
憲法裁判・
憲法裁判所(
憲法の
公権解釈の
所在を含む)」についてということですが、資料などから拝見いたしますと、この問題は既に本院の
憲法調査会におきまして随分詳細な
検討が、かつ様々な角度からなされているようです。また、
憲法裁判の
在り方につきましては、後ほど、御
専門の永田先生の方から比較法的な見地を含めた詳細な御
意見が述べられる御予定ですので、ここでは、私としましては、この問題を考えるに当たっての前提とも言うべき
憲法保障の
一般論を述べました後に、あるべき
憲法保障の方向性と、その際論点の中核部分に位置付けられる
憲法の解釈権はだれにあるべきかについて私の
意見を述べさせていただきたいと思います。
さて、
憲法保障と
憲法解釈権を持つべき者の問題はどのような
関係に立つかをまず説明しておく必要があります。
憲法というものが作られるようになりましてから、しばしば
憲法の番人はだれかという
議論があります。これはお手元にお配りしました資料にも、私の本の中にもその辺は若干書いてございます。現在は
裁判所がこの任務に当たるとするのが世界的な趨勢でございますが、ここに番人という言葉があるように、解釈権の
所在は、
憲法がその審判から守るのはだれかという問題、つまり
憲法保障の主体の問題と表裏一体のものと考えられています。
ですから、そもそも
憲法保障とはどういうことであり、また
現行憲法はそれをどのように実行しようとしているのか、そして現実はどうなっているのか、そしてその改善策はあるのかを順番に考えていくのが
憲法解釈権を持つべき者を明らかにするための問題点の
所在を明確にするために有効であると思います。
以下、このような私の問題意識と流れに従いまして、永田先生の御報告はより具体的な
制度論ということになりますので、主として総論的な観点から
意見を述べさせていただきます。なお、私に与えられた時間は二十分ですので、適宜簡単なコメントにとどめる部分もございますので御容赦いただきたいと思います。
それでは、レジュメに従いましてお話し申し上げます。
まず、一、
憲法保障の意義と類型ということで、意義なんですが、これは、レジュメには簡単に申しまして
憲法の最高法規性を護ること、これに尽きるわけです。より詳しくは資料にあります。これは資料の、
参考人資料として書いてありますページ数のところですが、より詳しく申しますと、「
法律などの
憲法より下位の法形式や
政府機関のその他の活動によって、国の最高法規である
憲法規範の
意味内容が変更・侵害されることを事前に予防し、または事後に是正して、
憲法秩序の存続と安定を保つこと」ということになります。
その手段にはどういうものがあるかというのが次の類型という問題になります。
レジュメは(2)に移りますが、類型につきましてもお手元の資料に書いておきましたが、レジュメにございます一番の
組織的保障と未
組織的保障の区別は、
憲法の中に
組織化、
制度化されているかという観点に基づくものです。
二つ目の
憲法内的保障と
憲法外的保障の区別というのは、これは
憲法秩序が
維持されているか否かに基づくものです。当
調査会におきましても既に
調査がございまして、ここに参憲資料第十一号というものですが、これで既に主要国におけるその概要は明らかにされております。
未
組織的保障、それから
憲法外的保障は、これは基本的にはといいますか、原則的には抵抗権とか国家緊急権など、緊急事態にかかわる問題で、今回の
検討事項から外れると思います。
また、未
組織的かつ
憲法内的保障として、これはドイツの国法学者であるイェリネックの言うところの
社会的保障と位置付けられます。マスメディアに保障、マスメディアが
批判することによって
憲法秩序を守るということですが、これは今日では非常に重要な意義を持ちますが、ここではこれは除いて、
組織的ないし
憲法内的保障を
中心に
日本国憲法に即してお話ししたいと思います。
次の項目二、
日本国憲法における
憲法保障のお話に入りたいと思います。これは
日本国憲法が全体としてどういう形で
憲法を守ろうとしているのかと、そういう話でございます。
まず
一つ目の構造による保障。これは
政府の
組織構造に
憲法保障をどのように組み込んで
制度を設計するかという問題です。
一般的に権力分立原理の
制度設計と言われるものがこれに当たると思います。権力分立というのは、これは皆さん承知のことですが、
政府の活動を三種に分けて、それぞれ別の者に担当させて権力の暴走、独裁を防ぐというのが眼目ですが、その中に重要な
機能として、互いの
憲法違反を監視、抑制するということは当然のことながら含まれているということになるでしょう。
その
一つが議院
内閣制。議院
内閣制といいましても、これは必ずしも
憲法問題に特定されないわけですが、しかしここにありますように六十二条、これは国政
調査権、七十二条は
内閣総理大臣の報告義務、六十三条は大臣の
国会への出席権あるいは出席義務、六十九条は、これは究極的な形で
内閣不信任と衆議院の解散ということになっております。これも当然
憲法に関してこういうことがあり得るという形で
憲法保障の一端を担っているということになるでしょう。
それから、その次の
裁判所の抑制。これ、レジュメはちょっと条文数が実は間違っておりまして、八十一条、いわゆる
違憲立法審査権が構造的な保障ということに付けられようかというふうに思います。これは本日の
中心テーマということになります。
それからもう
二つ、規範による保障。これは案外
議論されておりませんのでここで述べたいと思いますが、これは、
憲法が規範、ルールとして
憲法を守るように定めるというようなこともございます。
これは、
一つには、
日本国憲法は十三条において
政府の活動目標を定めている。つまりこれは、
国民の生命、自由及び幸福追求に対する
国民の権利は、公共の福祉に反しない限り、
立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とすると。これは
立法その他国政の上でこれが一番大事だということを定めているわけで、正に
日本国憲法、それから日本の国の
政府の目標をこの条文が明示しているということになります。
それから九十八条というのは、これは
憲法の最高法規性を定める
規定でありますが、これは法規範の階層構造、ヒエラルキーを明確にするもので、
憲法が法規範の頂点に立つこと、つまり
憲法の最高法規性を明示しています。
それからもう
一つ、
憲法九十九条、これは天皇以下すべての公務員に対して
憲法遵守義務を課しているわけで、これはいわゆる法の支配の思想。つまり、
憲法は、権力をあずかる者を名あて人とし、これらの者に
憲法を尊重、擁護すべき義務、つまり
憲法遵守義務を課して、
憲法が保障されることを担保しているということになります。
三つ目の手続による保障と申しますのは、これはどういうものかといいますと、まず
一つ目は、ここに、レジュメに書いておきましたが、
憲法の最高法規性、さっきも、先ほど申しました
憲法の最高法規性というのは、
改正手続に加重要件を課す、つまり、
憲法改正手続の要件を厳しくして簡単に基本的な国家秩序が改変されないことを保障しています。これは九十六条の
規定ですが、これはその
改正手続に厳格な要件を課しているということになります。
それに加えて、案外見落とされているのは、理論的に設定された
憲法改正権の限界ということも留意する必要があります。
一般的にその
憲法規範というのは、中核的、基本的な根本規範、
改正規範、
憲法律と三種のものがあって、
憲法にある
改正手続によって
改正できるのが
憲法律だけであるという理論。これは、
憲法で定められた
改正手続によっても
改正できないものがあるということによって、一時的な
国民感情によって
憲法の基本的な価値が改変されないことを保障している。これは現在でも通用している
一般的な
考え方ということになります。
そういう形で
日本国憲法における
憲法保障というのは成り立っているということになります。
その次の
憲法保障の実態ということから本日のテーマに大分接近していくわけですが、まず、その
違憲審査権に関して、まず
機能の問題と原因で、
機能に関しては、結論的に言えば
機能不全ということになるわけですが、それとその原因をお話ししたいというふうに思います。
機能としましては、八十一条解釈の問題に入っていくわけですが、下級審にも
違憲審査権はあるけれども、この
違憲審査権は
具体的事件に付随して行為されるという、付随的、具体的
違憲審査制が通説、判例となっております。このように、具体的な紛争がないと
違憲審査をしないという構造的限界が設定された結果、
違憲判決が非常に少ない。つまり
違憲判断消極主義、つまりは
機能不全と言っても過言でない傾向が見られるというふうに
一般的に言われています。それは
法令違憲の
判決がわずか数件しかないというようなことからそういうことが言われております。
では、その原因はどこにあるかということ。これは永田先生の方から詳細が述べられる予定ですが、簡単に申しますと、沿革としましては、実際の必要性に迫られて作った
制度ではないということ、それから
事件の量と質という問題としては、
最高裁に係属する
事件が大量で
憲法問題がその中に埋没してしまっている、また訴訟当事者自身も
憲法問題をうまく
最高裁に提示できないという問題があろうかと思います。
それから、法曹の質という点でも、
最高裁判所が
憲法問題の
終審裁判所でありながら、
最高裁判所の
裁判官に
憲法の研究者あるいは権威と考えられる人が
任命されていないという人的な問題もあるでしょう。さらに、法曹全体が
憲法の知識不足。これは、
憲法は
司法試験の科目になっておりますが、
司法研修所に
憲法の科目自体はありません。これは研修
制度自体の大きな欠陥であったかというふうに私は思っております。
それから、今日の焦点の
一つ、
内閣法制局のことに入りますが、
内閣法制局の
機能といたしましては、
違憲審査権が
司法権の
行使に付随して行われるものとして位置付けられた結果、すべての局面において
最高裁判所が
憲法判断の
終審裁判所、つまりラストワードを持つ
機関として
機能することが不可能となっております。
しかし、日々
制定される
法律、それから締結される条約、その他政省令などの
行政立法、さらには個々具体的な
行政活動などは、先ほど申しましたように、
憲法にのっとってなされねばならないと。その際、現場の
判断に揺れがあってはそれこそ不公平、さらには不公正ということになりますから、
行政権のトップに位置する
内閣が統一的な見解を示す必要が当然出てきます。そして、現に
内閣法制局が事実上の公定解釈を示していることは周知の事柄ですし、当
調査会でも
関係者からその旨の
意見陳述が聴取されております。
私は、基本的にこれは必要なことで、
内閣法制局はその職分を厳に忠実に守っているという評価をしたいというふうに思います。ただ、その内容に関しては
憲法学者の方から多々
批判があろうかということは、これはまた別問題ということになるでしょう。
それから、なぜこういうふうに言うかというと、これをやめるとどうなるかと考えれば分かると思います。つまり、
法令その他の
違憲判決が非常に少ないというのは、これは
内閣法制局が
事前審査をやっているということが
一つの原因というふうに、これも
指摘されていることです。実際、薬事法
違憲判決というのはありますが、これは
議員立法であり、また
合憲性に問題があるので
政府提出
法案とはならなかったというふうに言われております。仮にこれをやめるとすれば、いわゆる
政治部門と
裁判所が直接対決するという場面が増えてくるわけで、果たして、そのようなコストに
政治部門の方が果たして堪えられるかというような問題も考える必要があろうかというふうに思います。
それから、
内閣法制局の活動根拠、これは
憲法自体には当然そういうことは直接的には書いてないので、これを考える必要が出てくるわけです。
いかに考えるかという話なんですが、つまり
内閣法制局の
権限、活動を支える根拠としては、
政府の
憲法遵守義務、これは九十九条に究極的に求めることができようかというふうに思います。
これは、先ほど申しました九十八条は
憲法の最高法規性、九十九条は大臣の
憲法遵守義務というのを
規定しているわけで、当然、
内閣の
憲法遵守義務はこの条文に根拠を求めることはできるわけですが、さらに
憲法七十四条は
内閣の職務を列挙しておりますが、その一号に
法律の誠実執行義務が
規定されております。この
規定は、
憲法の誠実執行義務は当然の前提としていると考えられます。ただし、
憲法解釈についてはラストワードを持っているのは
憲法八十一条によって
最高裁ですから、
内閣法制局の解釈は
最高裁を拘束するものではないということになります。
次に、実質的に考えていきますと、
憲法の文言というのは非常に
一般的、抽象的ですから、対内的に、国内的にということですが、対内的に、また対外的に、国際的にということですが、一貫した
憲法解釈を示す必要があります。一貫したということは、さらに従来の解釈との一貫性、整合性ということも含みます。これは国の国際的な信用にも懸かっているというふうに考えられます。
内閣には、
法律の提案権、条約の締結権、
予算の提案権などがあります。
法律、条約、
予算というのは国政の正に中核を占めるもので、その職務の提案に当たり
憲法を遵守することは当然の前提となっていると考えられます。そこで
内閣の中に
憲法解釈を統括する
機能を持つ部門が必要とされ、かつそれは
内閣の一部門として置かれる必要性があるのは言わば当然のことであろうかというふうに思います。これは、
内閣法制局のいわゆるその
憲法秩序の中の位置付けをいえばそういうことになろうかというふうに思います。
それでは、じゃ今の
制度がすべてうまくいっているかというと、まあそうでもないということでこういう
議論が、ここでの
議論がなされているわけで、改善の方向性ということを考えていきたいと思います。
方向性としては
三つ、運用による改善、
法律制定による改善、
憲法改正による改善ということで、これは時間の
関係もあるので簡単に申したいと思いますが、運用による改善というのは、これは
制度自体はいじらないということになりますが、
一つ目は
憲法裁判のルールの構築。
ですから、これは
裁判所自体が
憲法問題をどう扱ってよいかよく分かっていないということもありますので、これをもうちょっとちゃんとしたルールを作れば
裁判所がしっかり
憲法判断をすることになるのではないかという、そういう問題意識です。これは私の本来の
専門とする
憲法訴訟論ということのテーマですが、本日のテーマとは若干離れますので、そういう問題があるということで、ここでは省略いたします。
それから、
二つ目、
憲法判断の正統性の確固たる地盤の確立というお話をしたいと思います。
これは、資料としては、私が
一般市民向けに岩波新書で書いたものを資料として付けていただきました。この項目でこれを付けた
理由といいますのは、やっぱり
理由がございまして、これまでの
調査会の
意見の中に、
内閣法制局が
憲法解釈を事実上統括するのは不健全であるというようなトーンが見受けられます。これは実はどういう趣旨かというと、
法制局がそのような
意見を出すことがそもそもいけないのか、あるいはそれとも
法制局の出す
意見がそもそも気に入らないのか、中身が気に入らないのか、どうもその辺のところを両者が混同しているように見受けられます。
ここで仮に、後に言いますように、
最高裁の改革、さらには
憲法裁判所を
設置して積極的に
憲法判断を示すことになると、そこで出される
憲法解釈が気に入らない場合、今度は
内閣法制局に向けられた
批判が
裁判所あるいは
憲法裁判所に向けられる可能性があるということを十分留意する必要があると思う。これは実際、公務員の労働
基本権の制約につき限定解釈を施した
最高裁の
判決が実はありましたが、これは当時の与党からの偏向
判決の
批判を受けて全面的な判例変更を行ったことがあります。ですから、そういうこともありますので、慎重に考える必要があろうかというふうに思います。
ですから、どのような改善策が施されるにせよ、なぜ
一定の
機関が
憲法解釈の最終権を持つのかという根本問題をしっかり押さえていく必要があろうかというふうに思います。
それから、その次の項目は、
最高裁判所裁判官任用の改善、これ、先ほど申しましたように、やはり
憲法の
専門家が入っていないということが問題かなというようなところでございます。
時間がなくなってきましたが、あとは
法律制定による改善というのは、これは
憲法を
改正せずにも
法律レベルの改変でも足りるのではないかということで、これは既に
最高裁の中に
憲法部を作る、あるいは特別高等
裁判所を作って
最高裁判所を
憲法問題に特化するというような形で
議論があって、これはそれぞれメリットがあると思います。これにつきましては後ほど永田先生からも御
意見があると思いますので、私の
意見は御質問があればその中でお話ししたいというふうに考えております。
それから、
三つ目の
憲法改正による改善ということですが、これは
憲法裁判所の創設ということになりますが、これは、新聞等によりますと、割とそういう主張をなされる方が多いというふうに思います。
ただ、問題点としましては、どういう形で
制度設計をするかということがやはり重要で、仮に抽象的
違憲審査、つまり具体的紛争がないのに
法令のみの
合憲性を求めるような、あるいは
判断できるような
制度にしますと、やはり一番問題点は、
裁判所が
政治的紛争を解決する場になってしまうということ、問題点があろうかと。これはしっかり考えておく必要がありまして、それを認めた上で
憲法裁判所を
設置するということにしないと、先ほど申しましたように
批判の矛先が
内閣法制局から
憲法裁判所の方に向いていくというようなことになって、結局またどうやろうかという
制度改革の
議論になってしまうと、そういう問題点があろうかというふうに思います。
それから、あえて
憲法改正による改善をやろうとするのであれば、
裁判所の構造改編に加えて、先ほど申しました
憲法九十九条である
憲法遵守義務の実効化ということを図るべきではないか。これは、ドイツ基本法にも
大統領の
憲法違反したときに弾劾という
制度がございますが、実際そういう形で、実際公権力を握る人が
憲法をしっかり守るというようなことを担保するような
制度が必要であろうかということで、それも含めて考える必要があろうかなというふうに考えております。
以上、大体時間が参りましたので、私の
意見陳述はこれで終わらせていただきます。
どうも御静聴ありがとうございました。