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岸井参考人 それでは、
意見を述べさせていただきます。
私は、法政大学で
経済法の研究と教育を行っている者で、主に
独占禁止法を専門に勉強している者であります。きょうは、
独禁法の専門という
立場から、今回の法
改正について
意見を述べてみたいと思います。
まず、私の
立場を申し上げますと、
政府案について、必ずしも十分なものだとは思っていないんですけれ
ども、従来に比べて数歩前進であるということで、
改正も早期に必要だということで、基本的にこれを支持する
立場から
発言をしたいと思います。これについて
民主党の方から対案が出されておりまして、これも読ませていただきましたので、
民主党の対案と比較しながら、
改正の
論点を説明してみたいと思います。
まず最初に、
課徴金制度、これはどういう
目的でつくられているか。先ほどの
参考人のいろいろなお話で、
犯罪に類比して説明するという、これは一般に非常にわかりやすいんですけれ
ども、厳密に言いますと、
課徴金制度というのは、
違反行為による
経済的な利得を失わせることによって
違反行為の
抑止効果を発揮させる行政上の
措置であります。したがって、
刑事罰と異なりまして、
行為の反道徳性に着目するものではありません。したがって、
行為者の故意とか過失あるいは情状といったようなものを考慮する
制度にはなっていないわけであります。これは、
課徴金制度の
導入当時から基本的に変わっていない。
そのことを前提にしまして、まず、
課徴金と
刑事罰の二重処罰、あるいはこれにかかわる
調整ということが、
改正案でもあるいは
民主党の案でも出されております。
政府案の場合は二分の一、
民主党案は全額控除ということであります。これは、
憲法の二重処罰のおそれに該当する、これを回避するためだというふうに説明されております。しかし、二重処罰というのはそもそも何かというと、刑事
制裁が二重に科されたから二重処罰になるのであります。一般的に、何らかの行政的な
制裁あるいは
制裁的な性格を持った
措置が二つ重なっていたからすぐに二重処罰になるのではないわけであります。
問題は、そうすると、
課徴金がその
目的、
効果において刑事
制裁と同等とみなされるような
措置であるかどうか、これが
判断基準になる。この基準から見ますと、
政府案の場合、
民主党案の場合ももちろんそうですけれ
ども、そもそも故意、過失というようなことを問題にしておりません。それから、
引き上げ率も
経済的な利得の範囲にとどまっている、こういうものでありますから、
刑事罰と異なる行政上の
措置という性格は、
改正で
引き上げてもなお明確であろう。
改正案程度ではそもそも二重処罰の問題は生じない、中には違う
意見の方もいらっしゃいますが、これが
経済法の研究者の大勢の見解でありまして、そもそも、
政府案で二分の一を控除する、こういう
調整規定も不要ではないか、これが一般的な見解であります。
この点で、
政府案の二分の一ということも問題はあるんですけれ
ども、
民主党案の全額控除というのは、さらに進んで、私は非常に問題が多いというふうに思います。
どうしてかといいますと、先ほ
ども参考人の一部の方が説明していましたが、
カルテルの
抑止効果というのを発揮させるためには、
刑事罰一本とか
課徴金一本とか、これ一本でやって必ずしも十分
効果が上がらないので、組み合わせということが非常に大切になってくるわけです。まさに、
刑事罰を科す
事件というのは重大、悪質で、
課徴金だけでは
抑止効果が十分に上がらないから
刑事罰、
法人処罰として罰金も科す、こういうことでやっているわけです。ところが、この
課徴金から今度はまた罰金を全額引いてしまうわけです。そうすると、通常の場合、これはまたもとに戻ってしまうわけですね。これだと、
法人に
刑事罰を重ねて科す
意味がなくなってしまう。何のための
刑事罰かということになってしまうわけです。
その
意味で、
政府案は罰金の半額が残りますからまだいいのでありますが、
民主党案の場合は、重大、悪質な
刑事罰を科すべき
違反行為、これに対する
抑止力を大きく後退させてしまうというふうに私は考えております。
次に、
審判手続の見直し、
手続の問題が非常に強調されておりますので、この点を先にちょっとお話ししてみたいと思います。
政府案においては、いわゆる勧告
制度というのを廃止して、
意見陳述等の
事前手続を設けた上で
排除措置命令ないし
課徴金納付命令を行って、その後不服があれば
審判を開始する、こういうことになっております。
現行制度との違いというのはどこにあるかというと、
現行制度は先に
審判を行って、その後命令を出すわけですけれ
ども、
政府改正案では、
審判より先に命令が出されるということです。この
意味は、命令に、行政命令でありますから、
執行力が生じるということになります。つまり、これに
違反すると過料が科されたり、
課徴金であれば支払いをすぐにしなければいけない、こういうような
効果が生じるわけです。
何でこういうふうなことをしたかというと、これは従来の
審判制度の運用の経験から出てきているわけでありまして、どういうことかというと、勧告や納付命令を争う、そうすると、
審判が行われている間は執行はできないわけで、被疑
行為が継続します。
排除措置命令は出せません。そうすると、違法状態が何年も継続して是正されない、こういうような結果が生じます。
あるいは、
課徴金の場合は、
審判で争えば審決が出されるまで支払わなくていいわけですから、支払いの引き延ばしの手段に使われるわけです。多いものですと、
排除措置命令の
審判とそれから
課徴金の
審判を合わせて、四年も五年も
課徴金の支払いが引き延ばされる、こういうようなことが起こっております。
この引き延ばしというのは非常にうまいものでありまして、例えば五億円の
課徴金が課されたということを考えてみます。一年引き延ばすと、その五億円分を一年払わなくていいわけですから、例えばそれをほかに運用したりあるいは事業に投資して、三%の
利益が上がる。五億掛ける三%で一千五百万円が、これは一年引き延ばすだけで浮いてしまうわけですね。そうすると、これは
弁護士費用を支払っても十分に元が取れる、こういうことになってしまうわけであります。
こういういわば
制度本来の
趣旨を逸脱したような運用がなされて、もちろん、そうではない場合もあるんですけれ
ども、実際にそういう例が多くなっている、こういうものに対処しようとしたものであります。
ところが、
民主党案の方は、こういう
手続の見直しを一切しないで、当面
現行制度を維持する、こういうようなことを言っているわけで、この点では、規制の実効性という点からして非常に問題があるのではないか。
これに対して、
事前手続であったのが事後
手続になるので
適正手続の保障が後退する、こういう批判もあるわけです。しかし、この批判は的外れであるというふうに思います。どうしてかといいますと、まず、
事業者が
違反行為について争う
機会、しかも行政
審判という準司法的な
手続で争う
機会が保障されているかどうかを見ますと、
現行制度は命令を行う前に争う、しかし、
改正案でも命令が出された後すぐに
審判で争うことができるわけで、争う
機会の保障という点では、これはどちらも変わりないわけであります。
さらに、
政府案では、
現行制度のようにいきなり勧告をする、これは一種の不意打ちになる危険があるわけですけれ
ども、そうではなくて、命令を行う前に
意見陳述の
手続を設ける、こういう形にしております。それから、勧告を争う
審判では、通常、
排除措置命令の内容というのが争えない、現在はそうなんですけれ
ども、新しい
制度でありますと、
排除措置命令の内容についても争える。その
意味では、
適正手続の保障は現在よりも進む、こういうふうに考えられるわけであります。
政府案で一つ
論点になりますのは、
排除措置命令や
課徴金納付命令が執行できるということで、これは従来に比べて、確かに
事業者にとってみると、今までは時間をかけてその間は執行されなかったのに執行されるということで、不利になるわけですが、これは
適正手続の保障の後退というふうに私は言えないと思います。これは、そもそも通常の行政
処分では執行不停止が原則であります。したがって、この点では、従来の一般的な原則に戻るにすぎないわけであります。
それから、
事業者が享受してきた
手続上の
利益とは一体何か。中身を考えてみますと、これは被疑
行為を何年も継続したり、
課徴金の支払いを引き延ばす、時間稼ぎをする。これは、
制度本来の
趣旨を逸脱した
手続の利用、これに基づく
利益ということになりますから、
競争の促進という
独禁法の
目的からしても、正当化できるような
手続上の
利益ではないというふうに私は考えております。ですから、
政府案は、こういう
現行制度の不備を是正するものとして、妥当であろうというふうに思います。
最後に、一部に行政
審判制度と
事前手続を結びつけて、これが不可分だというふうにするような
意見もございます。しかし、これもちょっと立法を見てみればわかるわけでありまして、例えば、
独禁法と類似の
審判手続あるいは実質的
証拠法則を採用しております電波法などでも、これは事後
手続として、
処分に対する異議申し立てとして行政
審判手続を設けておりまして、こういう立法例は少なくないわけであります。
要は、それぞれの領域、分野の特質、それから規制の経験などを踏まえまして、規制の実効性と
適正手続の保障、これをどうバランスさせるか、こういう問題でありまして、そこでいかに最適な設計をするか、こういう
観点から考えるべきで、特定のドグマで、
事前か事後かといったようなことで一律に
判断をするということは、おかしいというふうに思います。
最後に、
手続に関して、公取の
審判制度について、
審判官とそれから検事役の
審査官が同一の組織に属しているのではないか。これについてはいろいろ誤解があるのでありまして、例えば、これだと
審判官という
裁判官役が、
審査官、検事役の集めた
資料を見られるかのような、そういうような
発言が先ほ
どもございましたけれ
ども、こういうことは絶対ないのでありまして、
法律上、職能分離ということで、
審査官と
審判官ははっきり組織上も分けられておりまして、わずかでも
審査に関与した者が
審判官あるいは場合によっては
委員として
事件に関与すると、これは内容のいかんにかかわらず、
手続的にその審決が取り消されるというのが、これは判例もございます。その
意味で、
審判手続におけるいわゆる裁判的な、準司法的な
手続というのは、
現行制度でも基本的には十分に保障されている。
今後は、例えば現在でも、
審判官の一部は、裁判官の方が検事として出向して実際の
事件の審理に携わっておりますが、こういう方向はどんどん拡大して、
法曹資格者を拡大すべきだということはもちろんのことであります。
最後に、もう時間がなくなりましたので、
課徴金の減免
制度について一言だけ申し上げます。
これについても、
民主党案は、
政府案と異なって、コンプライアンスの構築とか
入札談合関与
行為についての報告ということを
理由に、二〇%から五〇%の減額を認めるような
制度を設けております。しかし私は、これも、こういう中途半端な減免を認めますと、結局、減免
制度の
効果を減少させてしまう危険があるということで、支持できないと思っております。
特に、コンプライアンスの構築について申し上げますけれ
ども、
違反行為の抑止のための
企業のコンプライアンスの整備というのは、これは言うまでもないわけであります。しかし、問題は、
民主党案のような減額が本当にそういう
効果を持つのか、こういうことであります。そもそも、コンプライアンスの構築による減免というのは、その
体制が
違反行為の発見、抑止に十分に
効果的でなければ
意味がないわけであります。さもないと、形だけ、あるいは
効果の少ないコンプライアンスが、
課徴金をまけさせる口実に使われてしまうということになります。
コンプライアンスが実効性を有するということの最も確実な証明は、
違反行為を
調査開始前に発見して、
措置減免制度を利用して、全面的に協力するということで
違反行為の申告、報告をした、こういう場合です。つまり、
政府案の減免
制度の利用それ自体が、コンプライアンスが実効的であるということの最も確実な証明であります。
ところが、これ以上にコンプライアンスの構築による裁量的な減免を認めるということになりますと、その実効性をどうやって
判断するのか、こういう問題が出てくるわけであります。
これについて、
民主党案は、ちょっとはっきりしないところもあるんですけれ
ども、
調査開始前の一定期間までに一定の基準を満たすコンプライアンスを構築しておけば、
調査開始までに
違反行為の報告をしなくても、最大三〇%の減額、しかも裁量的な減額を認めるということなわけです。そうすると、これは、そこで構築されたコンプライアンスが一体どの
程度実効性があるのか、
効果がどれほどあるのかということについての証明がなされていないわけで、必ずしも十分ではない。不完全なコンプライアンスでも、ともかく
調査開始前につくっておいて一定の基準を満たせば減額を認める、これではコンプライアンスがやはり
課徴金減額の口実に使われる、そういう危険を十分防ぐことができないのではないか、こういうふうに考えるわけであります。
時間が参りましたので、最後に、
独禁法の
改正について、率の問題とか、いろいろありますけれ
ども、やはり早期にこういう
制度を設けて、
改正を成功させて、
違反行為を実際に防止していく。
官製談合な
ども、そういうような
課徴金の
抑止効果が実際に働いて初めて、
官製談合についても見直そうじゃないか、そういう動きが出てくるわけでありまして、両者を並行して進めるということが特に重要である。こういうことを申し上げて、私の
意見陳述を終わりたいと思います。(
拍手)