○江田五月君 私は、民主党・新緑風会を代表して、
裁判員の参加する
刑事裁判に関する
法律案につき
質問します。
まず、今の
日本の裁判に
国民は満足しているかどうか、
政府の認識を法務大臣に伺います。
私は、
国民は今の裁判に大いに不満だと思います。裁判が遅いこと。裁判所が不親切なこと。検察官や弁護士も含めて法曹全体が
国民から遠い存在で、仲間内だけでしか通用しない言葉でやり取りをして、結論を押し付けてくる。冷たい、言うことを聞いてくれない、分かるように説明してくれない。つまり、
日本の司法は官僚的で、
国民主権の
原則にのっとっていないということです。
我が国は、戦後、天皇主権から
国民主権への大
改革を成し遂げ、司法も形は
国民主権になりましたが、実態はどうか。
国民も司法関係者も、
国民主権という実感を持っていないのではありませんか。そこを変えるのが今回の司法
制度の大
改革ですね。戦後
改革で取り残された分野の
改革という意味では、半世紀ぶりの
改革です。明治維新
改革でできた官僚制司法の
改革という意味では、一世紀ぶりの
改革です。歴史的大
改革という気概があるかどうか、法務大臣の認識を伺います。
司法
制度改革は、
制度だけでなく意識の
改革も重要です。裁判の関係者が皆、在朝も在野も含めて、
国民主権の原理にのっとって主権者に仕えるのだと、つまり自分たちは公僕だという意識を持つかどうかです。
〔
議長退席、副
議長着席〕
人の意識は、お説教だけでは変わりません。
制度を変えて、公僕意識を持たないと良い仕事ができないような
制度にすることです。
制度改革が意識
改革を伴うものになっているかどうか、これが
制度改革が合格点かどうかを決める尺度の
一つになると思いますが、いかがですか、法務大臣。
意識の
改革は、司法関係者だけに求められるのではありません。
国民もまた、裁判の場面においても、自分たちが主権者だという意識を持つようになることが必要です。
日本の民主主義は輸入品だからなどと泣き言を言う時代は過ぎました。今回の
改革が、
国民の主権者意識をはぐくむことになるかどうか、これが合格点かどうかを決めるもう
一つの尺度になると思いますが、法務大臣、いかがですか。
私たち民主党は、このような
観点から、司法
制度改革審議会に積極的に
意見を申し出てきました。当初、
改革の柱と
考えたのは、法曹一元と陪審
制度の導入です。その基盤として、法曹人口の抜本的増加も不可欠です。これらが思いどおりにならなくても、市民が主役の司法の実現という理念が生きて育っていく状態であれば、合格点を付けようと
考えました。
そして、審議会の
意見書が出たとき、不満もありますが、総合的に見て合格と判断しました。さらに、理念実現に向けて、
意見書より更に前進するように、また、決して
意見書から後退することのないようにその実現に努め、今回の
裁判員制度の導入に当たっても、その姿勢を貫いてきました。
しかし、この
改革は、これまで経験したことのない、言わば海図のない航海です。手探りでやみ夜を進んでいくようなところがあります。ですから、
制度設計に本当に合格点が付けられるかどうかは、その後の試行錯誤の道筋を見ないと分からないことです。そこで大切なことは、柔らか頭と決断です。課題に直面したとき、決断は不可欠ですが、その結果の
評価については、常に柔軟な頭で、いつでも過ちを正す態度、これまた不可欠です。
そこで、法務大臣に
質問します。
司法
制度改革の
制度設計を決定するに当たって
内閣が取った
基本的な姿勢と、これから
制度の構築を進めていくに当たって
内閣が取ろうとする態度は、以上私が述べた方向と一致するのでしょうか、違うのでしょうか。また、
政府案は
衆議院で修正されました。
政府は最善の
法案を出したと言うのが常ですが、今回は、以上述べたような柔らか頭で修正を受け止めてほしいと思いますが、いかがですか、法務大臣。
私は、特に今、裁判官の養成プロセスを改めなければならないと思っています。裁判官訴追
委員会には、裁判官が
国民の奉仕者になっていないことに起因する案件がたくさん寄せられています。裁判官以外の社会経験を何も経ずに人を裁く立場になってしまえば、のぼせ上がるのは当たり前です。私自身も、裁判官だった当時を思い返してみると、汗顔の至りです。
こうした裁判官の意識
改革を、彼らの独立した職権行使の気概を損なわずに実現するには、純粋培養された官僚裁判官とは全く異質のものを裁判の現場に深く介入させることが
一つ考えられる
制度改革だと思います。
今回の
裁判員制度は、多様な価値観を持った社会人を裁判に参加させることにより、裁判に社会常識を取り入れようというものですが、同時にこれにより、裁判官が
裁判員も含めた評議を経て結論を得るためにする苦労が裁判官の意識を変えることにもなるのです。私は、そのことも
裁判員制度で期待したいのですが、法務大臣はどうお
考えですか。
我が国では、陪審
制度が一九二八年の陪審法
施行により導入され、十五年間実施された後に、一九四三年に戦争の激化により停止されました。しかし、その際、停止法附則第三項で、「陪審法ハ今次ノ戦争終了後再
施行スルモノトシ其ノ期日ハ各条ニ付勅令ヲ以テ之ヲ定ム」と規定されているのです。ですから、裁判
制度の
改革には、この規定に従った陪審再
施行という方法もあります。
そこで伺います。
今回の
裁判員制度は、過去にあった陪審
制度を手直しして再開するものではなく、裁判官
制度と陪審
制度をうまく組み合わせ、両者の融合により全く新しい裁判
制度を作ったとの自負がおありなのだろうと推察いたしますが、いかがですか、法務大臣。
この点は重要だと思っています。
我が国最初の平民宰相、原敬首相は、枢密院での陪審
法案審議の中で、「憲法実施後三十年を経たる今日に於ては、司法
制度に
国民を参与せしむるは当然の事なり。」「此の際陪審法を設けざれば、国家の前進の為に害多し。人民をして司法に信用を置かしめ、上下の阻隔と杜絶怨嗟の勢を絶ちたし。」と述べました。
後に枢密院
議長になる穂積陳重博士は、陪審法
施行の前日、現在を将来の因、因果の因、因と見ますれば、立法における選挙権、行政における自治権と相並んで、司法参与の要望が
国民全体の胸中に潜在し、潜勢力の状態において存在することは明らかであります。ゆえに過去の果、因果の果ですね、果たる現在のみに着目して
国民の要望にあらずと言うは、盾の一面のみを見た偏見であると言わねばなりませぬ。すべて立法は将来のためにするものでありますと述べているのです。
今回の新
制度導入に当たって、このような人の心を揺さぶるような言葉が聞かれないのはなぜでしょう。木に竹を接いだものだから、そのような言葉が出てこないのではないでしょうね、法務大臣。
実は、私はこの新
制度が新たな光を放つ理想的なものになってほしいと願いながら、運用次第では木に竹を接いだ不細工なものになり、立ち枯れの危険もあると感じています。それは、
一つには裁判官と
裁判員の数のバランスが、裁判官に偏っていると思うからです。
裁判員は素人です。
法律のことは知りません。それが良いのです。
法律は、
法律の玄人であると素人であるとを問わず、すべての人にかかわります。そこで、
国民が
法律の適用対象としてだけでなく、
法律の適用主体としても
法律とかかわろうというのが
裁判員制度の眼目です。かかわるなら、実質を伴っていなければなりません。
法律のプロである裁判官と、社会生活のプロである
裁判員とが、実質的な協議ができなければなりません。
裁判員が何ら気後れすることなく自分の
考えを述べ、そのため評議が結構手間取ることがあっていい。むしろ、なければなりません。
そこで、私たちは、裁判官に比べて
裁判員の数を圧倒的に多くし、しかも評決には特別多数決を要するということを
考えたのです。私たちも
政府案を了承はしましたが、実は心配なのです。実務の扱いでは、過半数が得られたから評議はおしまいではなく、極力全員一致の結論を得るように努力すべきです。その努力が貴重なのです。法務大臣に御見解を伺います。
裁判を
国民主権のものに変えるには、判決
内容だけでなく、裁判のプロセス自体に対しても
国民の参加を得ることが大切です。
法律の素人が主体的、実質的に裁判過程に参加するためには、公判手続や証拠調べを裁判の知識や経験がなくても分かるものに変えなければなりません。そのためには、迅速で充実した集中審理のため、検察官に十分な証拠開示を義務付け、その上で準備手続を充実させること、さらに、
裁判員にも分かる審理とするため、いわゆる直接主義、口頭主義を徹底するよう、例えば、供述証拠は証言を
原則とし、供述録取書面については取調べの可視化を条件とするなど、
制度上、運用上の工夫をすることが必要と思います。本
法案ではこの点が不十分ではないか、法務大臣に伺います。
国民の常識を裁判に反映させるのが
裁判員制度ですが、現在の常識が常に正しいとは言えません。特に悩ましいのは、憲法や
法律と
裁判員の常識が食い違う場合です。例えば差別禁止のように、法規範は現実を正すという面があり、その場合は
裁判員も法規範に従うことが求められます。法の解釈や運用の場面ですと裁判官の出番ですからよいのですが、事実認定にこれが紛れ込むと厄介です。陪審でも最も悩ましい課題なのですが、この
法案ではどのように手当てされていますか、法務大臣に伺います。
裁判員制度は
国民の理解と
支持なしには成り立ちませんが、そのためにはこの
制度の情報が豊富に
国民に知らされる必要があります。この点で心配なのは、
裁判員や
裁判員経験者の守秘義務です。
政府案は修正されましたが、そもそも守秘義務はなぜ必要なのか、これはじっくり
考えてみると結構難しい問題です。法務大臣はなぜだとお
考えですか。
裁判員が報復を恐れて自由な発言ができなくなることを防ぐためと言われます。秘密のベールで覆っておく方が裁判の権威が高まると言う人もいます。いずれもそれほど
必要性が高いようには思えません。これに対し、秘密のベールをはぎ取ると実態が明らかになりますから
国民に身近なものになり、事後の検証も可能になります。より良い
制度に育てていくには、秘密は少ない方がいいです。
もちろん、プライバシーの保護や風紀を乱すことの防止は必要です。多様な
利益をしっかり見比べてバランスの取れた判断をするため、守秘義務の範囲をもっと具体的に記述できないでしょうか。
この判断は具体的なケースによってまちまちですが、最後は裁判所が
裁判員制度に及ぼす有害な影響の程度を判断するのですから、法定刑の下限は刑の免除とするのが望ましいと思います。
これらの点につき、法務大臣の見解を伺います。
細かなことは省き、最後に法務大臣に伺います。大先輩の角田義一
議員が私たちの
会議で、
裁判員制度は裁判の革命だと喝破されました。私もそう思います。及び腰ではうまくいきません。腹をくくって大決断をやる勇気があるかどうか、法務大臣、覚悟を述べてください。
終わります。(
拍手)
〔
国務大臣野沢太三君
登壇、
拍手〕