○
参考人(
菊池信男君)
菊池でございます。
本日は、このような場で
意見を述べる
機会を与えていただきまして、誠に有り難く存じております。
私は、
平成十年三月に定年で退官いたしますまで
裁判官をしておりました。任官いたしましたのは
昭和三十二年でありますから、
行政事件訴訟特例法の
時代でした。
裁判官になりまして五年たちましたときに
行政事件訴訟法ができたということであります。
民事事件の、
民事裁判の経験は長いわけですが、
平成十年に
裁判所を辞めましてからちょうど五年間、昨年の春まで帝京
大学で
行政法の講義をしておりました。しかし、もちろん私は
行政法の学者でも研究者でもありません。
実務家であります。
今回の
行政事件訴訟法につきましては、私もかねてからいろいろな点での
制度の改善が必要だという
意見を持っていた一人でありまして、そういう
指摘はどんどんいろんな方々からの
指摘の形で増えておりましたが、こういう形でこの
機会に
改正が実現したことは、私としては一種のやっぱり感慨があります。
この法案を拝見いたしますと、もう細かい
改正点を列挙はいたしませんが、大きい四つの項目に分かれておるようでありまして、
救済範囲の拡大のための措置、それから第二に、
訴訟の
審理の充実、促進のための措置、それから第三に、
国民の側から見て、
行政訴訟をより利用しやすく、分かりやすくするための仕組み、それから第四に、
執行停止の要件を整備する、あるいは仮の
義務付け、仮の
差止めというような
制度を設けるということで、広い範囲の
規定の整備が図られております。
行政訴訟検討会で大方の
意見の一致を見たとされた内容がすべて取り上げられておりまして、
法改正の中身に対しては
立場によっていろいろな評価があると思いますが、私としては非常に充実した内容の
改正だというふうに考えております。
制度の改善を待ち望んできた者の一人として、この法案に対して賛成の気持ちを表明したいと思います。
次に、全体についてのことはそういうことにいたしまして、特に気が付きました二、三の点について申し上げたいと思います。
まず、
取消し訴訟の
原告適格の拡大についてであります。
改正の内容のうちで特に大きな意味があるのがこの
取消し訴訟の
原告適格の拡大だと思っております。
現在、
取消し訴訟の
原告適格を有する者というのは、
法律上の取消しを求めるについて
法律上の
利益を有する者というものに限られております。そして、この
法律上の
利益という言葉の
解釈につきまして、最高
裁判所の
判例が、いわゆる
法律上保護された
利益説という
立場を取ってその
判断を繰り返してきたことは御承知のとおりであります。
しかし、こういう最高
裁判所の
判例に対しましては、かねてから
原告適格を認める範囲が狭過ぎるという批判が強くありました。今回の
改正の
機会にも、
法律上の
利益という文言そのものを別な言葉に改めるべきだという提案が
幾つも出されていたわけであります。
検討会の中でも最も論議が重ねられた論点がこの
取消し訴訟の
原告適格の拡大という問題だったようであります。そして、
検討会は、結局のところ、この
法律上の
利益という文言そのものは変更しないということを
前提にいたしまして、
原告適格が実質的により広く認められるために必要な考慮事項というものを列挙するという
方向を取りました。この法案もそのとおりの内容になっております。
この
一つ一つの、個々の問題について
法律的なことがどうとかいうことは私、申し上げるつもりありませんが、私、この
原告適格の議論の問題というのは、本質的には、憲法上の
司法権の内容でありますとか、三権分立の
原則の下での
司法権と
行政権の
関係というような基本問題、憲法上の基本問題と密接に結び付いているということを少し考えてみたいと思います。
憲法は、
司法権は
裁判所に属するというふうに定めておりまして、
判例と
学説上の通説では、この
司法権というものは
法律上の争訟を
裁判する作用だというふうに考えております。また、この
法律上の争訟というのは
国民の間の権利
義務に関する紛争で
法律を
適用することによって
解決できるものというものが、まあ争訟というのはこの場合、
手続ではなくて紛争そのもの、争いというふうにとらえられておりますが、そういうものだというふうに考えられております。したがって、この
判例と通説の
立場からいたしますと、
司法権というのは、
国民個人の権利
義務の
救済をその本質的な要素と、当事者の権利
義務あるいは
法律関係に影響を及ぼさないような争いというものは
法律上の争訟に当たらないというふうに考えるわけであります。
そして、現在の
司法に関する
法体系あるいは
制度全体というものが、こういう
判例、通説の取るような
司法権の観念を
前提にして成り立っているわけであります。
裁判官に求められるのがどういう役割なのか、どういう能力か、その資格をどういうふうに考えていくか、
法曹の試験をどうするか、
法曹の養成をどうするか、
裁判所の組織とか権限、あるいは
訴訟の
手続とか
構造というようなものもすべて、こういうふうに考えられた
法律上の争訟の
裁判ということのために何が必要か、あるいはどういうふうな仕組みが適切かという見地から考えられて組み立てられております。
行政事件訴訟法もまた同様であります。ですから、
取消し訴訟というのは、別な言い方をいたしますと、
行政作用に関する
法律上の争訟を扱うものであります。でありますから、その本来の目的は個人の権利
利益の
救済ということになります。そして、そのことを通じて
行政の
適法性の確保という目的も達成しようとする、そういう
制度だということになります。
この
法律上の
利益という
行政事件訴訟法の九条のこの言葉自体が、
判例、通説による
司法権の観念、それから
法律上の争訟の観念についての今申し上げましたような理解を
前提として
規定されているというふうに考えられます。
判例、通説の取るこういうような憲法
解釈に対しましては、
学説上、少数でありますが、批判的な見解もあります。しかし、ここで考えたいのは、
法律の
改正ということになるとしますと、その
立法を行うに当たっては、最高裁の
判例の取る憲法
解釈というものから見て、でき上がった
法律に疑義が生ずるというような内容であるということはないようにするということは当然求められるんだろうと思います。これは最高
裁判所の
判例の憲法
解釈に賛成するかどうかとはまた別の問題だろうというふうに考えます。
法律上の
利益という言葉自体を変更しようという提案が
幾つもありました。そして、
原告適格をそのことによって拡大して
取消し訴訟の
行政の
適法性確保という機能を
強化すべきだという主張がありました。その中にも
幾つものバリエーションがありますが、これらの主張というのは、共通しておりますのが、
原告適格に
要求される個人的な
利益の内容というものを今より軽く小さなものにしようという
方向が共通しております。
しかし、この
利益の、個人的な
利益の内容というものをより小さくし、より軽いものにしていくというふうになりますと、心配が起きてきますのは、今申し上げた
判例の理解する
法律上の争訟の観念からは遠くなっていくということであります。ということは、別の言い方をいたしますと、憲法上の
司法権の範囲や限界とされるものとの
関係がどうなるか、それから三権分立の
原則との間で、
立法、
司法権と
行政権との
関係という、そういうものがどうなるかということの憲法上の基本問題との
関係で微妙な問題が生じてくることになります。
法律上の争訟という観念から見て、現在の
法律上の
利益という言葉がこれ以上変える余地のない観念かどうかは別であります。
法律上の争訟という観念を
前提にして
法律上の
利益という言葉ができていると思いますけれども、しかし、それよりもっと
法律上の争訟という観念から見て適切な言葉があれば、その言葉を変えるということは当然考えられることであります。しかし、これまで
検討会のお考えというのは、これまで提案された
幾つかの案というものは、現在の言葉よりより適切だというふうに大方の
意見が一致しなかったということだろうと思います。
この
法律上の
利益というものにつきましては、先ほどのように、その
解釈運用、最高
裁判所の特に取る
解釈運用の実情に対しては批判的な見解が相当あります。しかし、この
法律上の
利益という言葉そのものは、元々柔軟な
解釈によって中身を発展させていく可能性を十分持った開かれた
概念であります。決して閉じられた
概念ではないと思います。最高
裁判所がこれまでの一連の
判決の中で、その事案事案の特性に応じて柔軟な
解釈運用の態度を取って、
原告適格を認める範囲を次第に拡大する
判断を示してきている、そういう
部分があるということも一般に認められていると思いますが、そういうこと自体が、今申し上げましたこの
法律の
利益という観念が開かれたものだということの表れだと思います。
この法案の取る
立場は、
法律上の
利益の有無を
判断するに当たっては、
規定の文言だけにとらわれることなく、こういうことを考慮すべきですということで四つの項目を列挙しております。これらは、申すまでもなく、最高
裁判所が一連の
判決、長沼ナイキ基地
訴訟、新潟空港
訴訟、「もんじゅ」原子炉
訴訟の
判決において、柔軟な
判断を行って
原告適格を認める
判断をした際に挙げた要素であります。これらの項目が
原告適格の
判断について必ず考慮すべき事項だとしてすべて並べて
法律に掲げられたということは、
裁判所が
規定の文言のみによらないで、広くこれらの項目にも目を配るということをして、全体的、総合的な見地から合理的な
解釈をして適切な
判断をするということを
法律が期待しているということを明確に示しているという内容だと思います。
取消し訴訟の
原告適格につきましては、私もかねてから柔軟な
解釈運用をすべきであるというふうに考えてまいりました。今回、この
改正を受けて、その
運用に当たる
裁判所がこの
法律の趣旨に従って柔軟で適切な
判断を示していってくれることを私としては強く期待しております。
それから次に、
行政に対する
チェック機能というのが今回の
改革の中で目指されたわけでありますが、その
行政に対する
チェック機能ということについて、
司法と
立法との役割分担というものはどういうふうに考えるべきかということを申し上げたいと思います。
憲法の取る三権分立の
原則の下において、
行政に対する
チェック機能という面から見ますと、
国会は、申すまでもなく
行政権の
行使をコントロールする
立法を行います。
裁判所は、
法律を
適用して、違法と考えられる
行政を
司法審査によって
チェックするということをいたします。
行政に対する
チェック機能に関する役割は、
国会と
裁判所によって役割分担が行われているということになります。この
立法と
司法というのは両々相まって
行政に対する
チェック機能というものを果たすべきものだというふうに憲法は考えているんだと思います。
したがって、
行政に対する
チェック機能の
強化ということが十分実効性のある成果を上げますためには、
立法と
司法がその役割に応じてそれぞれ適切にその
チェック機能を果たすことが必要だということになります。そのためには、
司法の担う
チェック機能の
強化だけではなくて、それと併せて、
行政の担う
チェック機能の
強化の面で考慮すべき点はないかということについても
検討されることが必要だろうというふうに考えます。
行政作用の
司法審査について、
裁判所が
判断することができますのは
行政作用が違法かどうかという点だけであります。
法律が
行政庁に対して一定の範囲で裁量権を与えております場合に、
行政庁の
処分に誤りがあったといたしましても、その
処分が裁量権の範囲内にとどまっていて、その
行政庁の
判断に裁量権の逸脱だとか裁量権の濫用という違法性を根拠付けるような事由がない限り、その誤りというのは当不当の問題になるわけでありまして、違法の問題になることはないということになっているわけです。したがって、
裁判所は、その
処分の
司法審査において、
行政の裁量的
判断の当不当の
判断には立ち入ることはできません。
そして、ある
処分について
行政庁に裁量権があるかどうか、どの程度まで裁量権があるかということは、すべて個々の
行政実体法の
規定によって定まる事柄であります。
法律の
規定において、
行政庁の裁量権の範囲を広く認めておりますと、
司法審査において違法な
行政の
チェックをすることのできる範囲が狭くなります。
行政庁の裁量権を全く認めないか、あるいは裁量権の範囲を狭くしか認めていない、そういう
法律の態度が取られているとしますと、
司法審査で違法な
行政を
チェックできる範囲が広くなります。結局、この点での
行政実体法の
規定の定め方いかんというものによって、違法な
行政に対する
司法の
チェック機能がどこまで働くかということが決定されるわけであります。また、その
処分をするについて、法令の上でどの程度
関係者等の
立場を配慮し、その意思を反映させるための
手続規定というものが整備されているかということなども
裁判所の違法
判断に反映されることになります。
したがって、違法な
行政に対する
司法の
チェック機能を高めるためには、
取消し訴訟の
原告適格の拡大など、この法案で行われましたような
救済範囲の拡大のためのもろもろの方策、それと併せて、必要があれば
行政実体法の
規定の
見直しを行うことも必要ではないかと思います。何らかの形でそういう
見直しの
検討を継続的に行っていくような適切なシステムを設けるということが工夫されてもよろしいのではないかというふうに考えております。
終わりに申し上げますが、今回の
改正は、
司法制度改革審議会の三年前の
意見書で
指摘され、問題提起が行われた後、短い期間の
検討でこの法案という成果にまでこぎ着けたわけであります。
国民の
権利救済の実効性の確保という点から見て、私は画期的な内容のものになっていると思います。
行政訴訟制度の
改革につきましては、なおいろいろな残された
課題も少なくありません。それから、五年後の
見直しの時期というものも予定されております。それを控えて、法が、この法案のとおりの
改正が行われた後の
裁判実務の
運用がどうなるかということを私もよく見守っていきながら、さらに、今後の
改正が実りあるものとして実際の
運用の中で結実するように期待をしていきたいと思います。
この法案の趣旨が広く
国民や
関係者によく理解されて、その趣旨を生かした
運用が行われるということを心から期待いたしまして、私の
意見陳述といたします。
どうもありがとうございました。