○椎名素夫君 私は、昼休みずっとやってもいいよと、こう言ってしまったものですから、皆様も昼飯抜きでお付き合わせさせて申し訳ありません。しばらく御勘弁願います。
〔
委員長退席、理事大塚耕平君着席〕
私、実は、平成十二年、西暦二〇〇〇年の四月二十日にこの
委員会で質問をいたしまして、そのときに、
日本でも本気に本腰を入れてあのペコラ
委員会みたいなことをやろうよという
お話をした。何か最後のところでそう言いましたら、賛成、賛成というようなことを言っていただいた方が数人はおられた。ほとんど今はもうおられませんので、初顔の方が多いかと
思いますが。それから、最後に、これ作ろうよというのは、大体ここで作らないと、あれと同じ形ならばそういうことになりますので、参議院で作ろうじゃないのと言ったら、そういうことだったんです。しかし、聞いていていただいて、あなたに御感想はあるかという質問を当時の大蔵
大臣の宮澤先生に聞きました。そうしましたら、感想は申し上げないけれ
ども、よく考えなきゃならない
お話を承りました、ありがとうございましたと、こういう御答弁だった。
四年たっているわけですが、だれかがそれをフォローアップして考えたという形跡は全然ないように
思います。それをもう一度蒸し返したいと、その上に少し敷衍したいと実は思っているわけであります。
そのときに強調しましたのは、大恐慌をきっかけにしてあのペコラ
委員会というのはできたわけですけれ
ども、アメリカの上院の中でね。いろんなことが起こった。あの信用の過大な膨張が起こった。それから、一部の
金融機関に権力が集中し過ぎたとか、様々なことが起こりました。これはちょっとほっとけないということで始まったんですが、よく引用される話ではあるけれ
ども、しかし、法に照らして厳正な処分をして、そして問題を片付けたというようなことじゃないと、あれは。
〔理事大塚耕平君退席、
委員長着席〕
要するに、これは全部洗っておかないと、お金の
流れというものを、それこそマフィアに
流れる金まで全部洗って、そしてその調査に従ってそういう、例えば
金融機関の過度の集中が起こらないためにはどうするかとか、あるいは詐欺的
行為というものをどうやって防がなければいけないか、様々なことに対するインフラを作って、その結果としてあのSECができたりというようなことが起こって、それが一九三四年ごろですか、
銀行法の中でもグラス・スティーガル法ができたというようなことで、これがアメリカのその後の
経済運営の憲法みたいなものになっているものであるというところが必ずしも
理解されていないという気がするわけです。
その基本で
一つ考えなければいけないのは、先ほど文化の違いというような
お話がありましたけれ
ども、そういうことではなしに、スペキュレーションの、投機的な人間の行動、
考え方というものが、むしろ
経済の発展の原動力になるという、言わば、今で言えば原子力発電みたいなもので、セルフサステーニングな、何というんだっけあれは、
日本語で言うと自己持続型のエネルギーの放出がある。こういうものがむしろ
本当の内在的なエネルギーになって
経済が発展する、これを最初から押さえ付けてはいけないという話なんですね。しかし、それはほっておくと暴走してしまうおそれがあるから、これのコントロールの
システムをきちっと作らなければいけない。この両方を併せて、あのアメリカの言わば広い
意味での
金融市場の
考え方というものはあるんだろうと私は思っております。
一方、
日本の方では、明治以来、非常に
銀行というものを大事にいたしまして、
政府が、最初国立
銀行、それからそのうちには民間
銀行、これを強力にバックアップして、
日本の産業形成のバックアップをやったというのが
日本の
歴史だったということだと思うんです。ある
意味では全然、基本的な概念というものは少し違うところがあった。
しかし、一九三〇年の最初に起こったことですから、これは考えてみたら私が生まれたばかりのころの話ですね。
日本ではやっぱり
銀行中心の運営をやっていたということ、それからもうむしろその前からですけれ
ども、要するに
銀行中心でやっていて、幾分、もちろん今の
株式市場のようなものが生まれ掛けたけれ
ども、戦争に突入いたしましたし、ますますそこのところは在来型に戻っていったというところで、戦争をやって負けたというところから話は始まる。占領軍がやってきて、そして、一体、
日本の
金融市場、
証券市場というのはどうなっているんだと、これじゃしようがないと思ったらしい。そこで、アメリカ型でやれというので、アメリカで三〇年から営々と作り上げてきたインフラを横を縦にして、これでやれという話になったというのが最初だというのが私の解釈です。
ところが、いろいろ余りにも今までの概念が違ったから、役には、すぐにはそうですかと言って
理解してやったというわけじゃない、形は取れたけれ
ども。
一つには、とにかく企業の会計なんというものもどうもはっきりしていない、公認会計士というようなものも
制度を確立しなきゃいかぬというところから始まった。厳正中立な監査が行われなければ、大体
証券の
市場なんというものはめちゃくちゃじゃないかという話が始まったけれ
ども、この監査の問題にしたって、ごくごく最近までは、あるいは場合によっては現在も、その問題はまだ完全に
日本でこれでいいんだとみんなが思うようなことにはなっておりませんね。
それから、
監視機関としてのSECみたいなものを作れということで、格好としては作ったけれ
ども、これも今までの、何というんでしょうね、
日本的
監視機関みたいなことで始めたために、これもすぐうまくいかないで駄目になってしまったということはあります。
分からないのは、グラス・スティーガル法を、これやれと言わなかったことなんですが、これは皆さんどうにも分からないという説が多いらしい。
なぜかといえば、やっぱりあれだけ、占領軍にしても、
日本にやってきて、あるところからは
日本の産業復興をやってやらなきゃいかぬということになったときに、まあ使えるところを使って取りあえずの仕事をやらなきゃいかぬということになったんでしょうか。
日本人の
貯蓄好きなところとか、あるいはそのお金の
流れというのが
銀行中心で
流れているということで大目に見たんでしょうかね、それを強制するということはしなかった。
結局、割に、
日本側では、一九三〇年代に起こって、そしてやがてはグローバルスタンダードと言われるようになるような仕組みというものについての
理解がないというのが
日本側の事情であり、そして向こうからいえば、とにかく我々とは違うけれ
ども、大変な高成長もやっているし、まあしようがないというところで不徹底に終わったということはたしかだと思うんです。
ところが、これに比べて徹底した面がある。それは政治と
経済と分けてみると、政治の面では物すごく徹底して、これでいけといって、もう条文全部変えた、憲法を押し付けたということがあります。これは全く徹底してやったわけですね。
本来から言えば、ナショナルセキュリティーというものと
経済でのセキュリティーというものは一体化してなければいけないものなんですが、とにかくおれ
たちが守ってやるから、もうそっちの方は忘れて一生懸命
経済で働けというようなことを言われたと思って、非常に
日本人は幸福に感じて、せっせとやって、復興をやって、それから驚異の高成長をやってというような話、成功物語が繰り広げられたというのがそのときの
流れだと
思いますね。
そのうちに冷戦が終わった。冷戦が終わったところで、アメリカの人
たち、一般
国民などは平和の配当をよこせというようなことを言いました。おれ
たちばかりが苦労して、みんな一体、ほかのやつら少しは分担しろというような話になって、そのときに今度は言葉だけでなしに、グローバルスタンダードという形を持って
日本にまた
経済の変革の波というのが襲ってきたということだろうと思うんです。
当時、私は、あれ読んでいただけたでしょうか、私は、これ橋本
内閣のときですが、大きな
銀行のトップとそれから主要
取引先という名立たる会社の指導者が集まって、四、五十人のサロンというのをやっていたんですが、そこに呼ばれて話をしてくれと、行政改革の話はどうかねというような話で行ったんですね。実は、いい加減なメモを作って行政改革の話しようと思ったんですが、これは、行ってみたら大変に立派なソファーに皆さん座って、何ていうんでしょうね、もう安楽、安逸な顔している。これは大丈夫かと思ったんで、その行政改革の話はやめまして、あなた方に言いたいことがあるということを言った。
冷戦中は敵の敵は味方ということで、
日本のいろんな振る舞いについて大目に見てもらったところがたくさんある。したがって、何が起こらなかったというところを反省してもらわないとこれから先危ないよという話をした。つまり、どういうことかというと、今までのように軍事はただ乗りで、押し付けた方が悪いといえば悪いんですが、それにしてもずっとほっといたのはこっちですから、そっちの方はもう全くただ乗りして、そしていいところまで、いいところだけつまみ上げて、当時、その前、バブルに差し掛かるようなときの大変な
日本の膨脹、
経済の見掛けの膨脹を利用しながらエクイティーファイナンスか何かで大変安い金を使ってわっと世界に伸びていった。あんなけしからぬことはあるかということがあったんですね。一体これはどういうことかという空気が出ているところに、例の大和
銀行の変な話が出て、
銀行というものは、
日本の
銀行というのはどうもみんなおかしいんじゃないかという話になった。そして、したがって、何か信用組合か何かが二つか三つはじけたところでジャパン・プレミアムがどんとかぶってきたというような妙なことが起こってきた。
そして、ですから、もう一度、今まで勉強なさらなかった資本主義というものの根本についてもう一度勉強してもらいたいと私は言ったんです。実に機嫌の悪い顔をされまして、みんな偉い人
たちだと思っておられたんでしょうが、しかしちょっとたってみたら分かったことは、あのとき偉い顔をしていた
方々、
銀行の
方々、みんなMOF担か何かで出世した人が多かったね。ですから、私は余り尊敬しないことにしているんです、いわゆる偉い人を。
経済というものを一体どう考えているか、そしてそれに対して最低の仕掛けを作ることにどれだけアメリカが苦心をしてきて、その結果として出てきた競争力、力、それを基底にした軍事力、全体をもって臨んできているときに、このままじゃどうにもならぬという気がした。
いろんなことを考えましたけれ
ども、誠に申し訳ない、今日は少し、ただしゃべらせていただきますので、聞いていてください。
アメリカの最近の力というものは何か。軍事力は圧倒的であるということがありますね。それから、
経済力もそれなりにとにかく強い。相対的には何のかんのと言われますが、強いですね。何よりも強いのは、世界のアジェンダを決めていくという力がある。気に食わなくても、しようがない、もうアメリカの大統領の言うことは聞くかというようなことで、ずっと通用してきたんです。
アメリカと
日本の間の
経済摩擦なるものも大分起こってきて、いろいろな、こっちからも文句を言ったり、あるいは言い逃れをしたりというようなことはありましたけれ
ども、とにかく力の強いやつが、やつと言っちゃ失礼ですが、そういう気分でいえば、力の強いやつがおれは勝つまで勝負を下りないよと言ったら、そっちが勝つんですね。これは、そういう
意味では、今のイラクの話なんかも似たようなところはあります。
それに対抗して、そこから逃れようと思ったら二つしか道がない。
一つは、それに対抗する別の
システムを作って戦いを挑むということである。しかし、これは大変なことで、しばらくは無理でしょうね。ですから、そうなったら、今度は彼らの作ったコンセプト、そしてそれから出てきたルールというものの中に入り込んで、そしてその中でのアジェンダセッティングの力を養うということしか考えられないと私は思うんです。
ところが、残念なことに、今やっていることは非常にばらばらの話であって、総力戦にどうもなっていないと思うんです。これは、
日本には元からそういうDNAがあるんじゃないかと思うんですが、追い詰められ追い詰められて、せんだっての太平洋戦争と言うのか大東亜戦争と言うのか、何か我々やむを得ずやったということになっていますでしょう。皇国の興廃この一戦にありといって始めたんですね。
ところが、その最初に戦端を開いた真珠湾攻撃のやり方、これは誠に今考えてみると不思議なことでありまして、実に見事にやった。見事にやったけれ
ども、成功したのは、あそこにいた軍艦を練り上げた技術で沈めたということだけなんですね。燃料庫も壊していない、ホノルルのあの近い町でも停電も起こしていない。ですから、大体どんな立派なキャデラックを持ってきても何にしても、ガソリンがなきゃ走らないんですから、けれ
どもガソリンさえあれば、ちょっと出掛けていっても帰ってくれば走る。それを許してしまっている。こんな不思議な話はない。
これは
戦国時代に侍大将の首にしか興味がない、雑兵の首は問題にしないで、名のりを上げてやった伝統が生きているのかもしれないけれ
ども、皇国の興廃、興廃という言葉を使いながら、一体あのときの軍人はやるだけのことをやったのか。いい悪いは別にして、そのつもりでやったら、ヨーロッパ辺りではナチスの軍隊なんというのはよそのダムを破壊して、そこらじゅうおかしくしたりというようなことをやった。それに比べて、まあ何と優しい軍隊かということを今にして考える。
私は不思議でしようがなかったんで、アメリカの軍人に聞いたことがある。いや、あれは助かったと、あれ、もしも全部ばっさりつぶされていて、そして
日本の潜水艦がハワイの東側にうろうろされていたら、あそこはもうしばらく、半年ぐらいは使い物にならなかっただろうと言うんだね。
つまり、そういう細かい技術は大変にうまくやるんです。だけれ
ども、総合的に言えば、一体どういうことを考えたのか。追い詰められてやったというならあれだし、その追い詰められてやって、じゃ、戦争を起こしておいて、勝ったら一体どうするつもりだったのかということは最後まで分からなかった。というような癖が残っているから、この話も、要するに
銀行に
証券の取扱いをさせるさせないという、そう言っちゃ悪いけれ
ども、つまんない話なんですね。そう考えると、つまんない話が多過ぎるんです。
それと似たようなことは、それこそいわゆる安全保障の面でも起こっている。今の憲法だとできないことがたくさんある。どうしようかと。周辺で何か起こったらどうしようか。周辺のための
特別措置法を作っちゃうわけだ。それから、あっちの方まで出さなきゃいけないというとまた特措法を作り、イラクにやっぱり付き合うかと。私はイラクに付き合ってというのは悪いことだとは
思いませんけれ
ども、しかし今の
法律じゃできない、イラクの特措法を作ろうかと。今度、国連で何か決議ができたら多国籍軍に
参加するかどうか、これも特措法でやらなきゃしようがねえなというような話ばっかりやっている。
これを
経済でやっているという面が非常にあるということを私は心配する。だから、そのためにも、さっき言ったようなことで、
日本がアジェンダセッティングに
本当に加われるということになるためにも、
日本の金の
流れというものを全部一回洗ってみて、そこから始めた方が
本当は早いんですね。急がば回れ。
そこを四年前に私言ったことがあるが、余り聞かなくてもいいよということなんでしょうが、ほっておいて、どなたも考えた形跡もないというのはやっぱり国としておかしいんじゃないかと私は思うわけです。
しかし一方、非常に現実的に言えば、いろいろなことをやらなければ五か月先に変なことが起こる、五年先におかしくなっちゃうとかいう緊急度がある場合には何かやらなきゃいかぬと、取りあえずのことは。ところが、取りあえずのことを百年もちますとかなんとかというような話をしなきゃいいのに、そういうことをするものだから話のつじつまが合わなくなるんですね。
全部洗い直せば、大体年金の話だってやらなきゃいけない。年金はどうやって集まってきているのか、その保険料が。そして、それはどういうふうに使われているのか。こういう使い方をしていいのか悪いのか。それから郵貯、どう使っているのかというところまで全部やらなきゃいけないでしょう。それで、
日本の中での
金融機関ということを名乗っている総連系の
銀行が妙な送金をやっている。これも洗わなきゃ
日本のことは分からない。それ一回やろうじゃないのというのが私の趣旨だったわけですが、もう一度だけここで言っておきたいと思うんです。
私は、今度、七月の選挙には出ませんので、ちょっとまとまったことを言える機会の最後だと
思いますので言っておきます。
しかし、緊急の場合には、私はとにかくやれることを、今の責任を持っている
政府・与党なりなんなりがどんどんとにかくやるということ、そして失敗したらすぐに転換するということを前提ですが、何もしないよりもやった方がいいと思うんです。
ですから、大体のことはみんな賛成するつもりだったんですが、今日採決しようということについても、何かお答えを聞いていても訳分かんないというようなことになると非常に心細いですね。しかし、それはどうしてかといったら、結局、
日本の中の
経済の
流れというものを皆さんが職掌にありながら把握していないことから私は出てきているんだと私は思っております。
これだけのことを申し上げて、御感想あれば伺いたい。