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2004-02-18 第159回国会 参議院 共生社会に関する調査会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十六年二月十八日(水曜日)    午後一時開会     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         狩野  安君     理 事                 有馬 朗人君                 大野つや子君                 中原  爽君                 神本美恵子君                 羽田雄一郎君                 山本 香苗君                 林  紀子君     委 員                 有村 治子君                 小泉 顕雄君                 後藤 博子君                 清水嘉与子君                 南野知惠子君                 橋本 聖子君                 岡崎トミ子君                 郡司  彰君                 千葉 景子君                 松岡滿壽男君                 森 ゆうこ君                 吉川 春子君                 高橋紀世子君    事務局側        第三特別調査室        長        岩波 成行君    参考人        奈良教育大学助        教授       玉村公彦君        佐倉立根郷中        学校教諭     永長  徹君        NPOわかくさ        大東地域リハビ        リテーション研        究所所長        帝京平成大学健        康メディカル学        部教授      山本 和儀君        中部学院大学人        間福祉学部助教        授        別府 悦子君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○共生社会に関する調査  (「共生社会構築に向けて」のうち障害者の  自立社会参加に関する件(共生感覚育成  ))     ─────────────
  2. 狩野安

    会長狩野安君) ただいまから共生社会に関する調査会を開会いたします。  共生社会に関する調査のうち、「共生社会構築に向けて」を議題といたします。  本日は、障害者自立社会参加に関する件のうち、共生感覚育成について参考人から意見を聴取いたします。  本日は、奈良教育大学助教授玉村公二彦さん、佐倉立根郷中学校教諭永長徹さん、NPOわかくさ大東地域リハビリテーション研究所所長帝京平成大学健康メディカル学部教授山本和儀さん及び中部学院大学人間福祉学部助教授別府悦子さんに参考人として御出席をいただいております。  この際、参考人方々に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席いただきまして誠にありがとうございます。  参考人方々から、障害者自立社会参加に関する件のうち、共生感覚育成について忌憚のない御意見をお述べいただき、調査参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。  議事の進め方でございますが、まず、参考人からそれぞれ十五分程度御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じます。  なお、質疑につきましては、あらかじめ質疑者を定めず、自由に質疑を行っていきたいと存じます。  また、意見陳述質疑及び答弁のいずれも着席のままで結構でございます。  それでは、玉村参考人からお願いいたします。玉村参考人
  3. 玉村公二彦

    参考人玉村公彦君) 奈良教育大学玉村でございます。  今日は、障害者自立社会参加に関する件ということで、共生感覚育成ということについて調査会では御議論されるということで、私は、障害者自立社会参加ということで、障害者教育立場からお話をさせていただきたいと思っています。  共生感覚育成ということでいいますと、障害のあるなしにかかわらず、主権者としてやはり生きているという実感があって、そういうことが前提として共生感覚というものが生まれるのではないかというふうに考えています。そういう意味で、障害者あるいは障害児教育確立というものがあってこそ共生感覚というものも生まれてくるのではないか、こういうふうに考えております。  今日、皆様方ところに、お手元に四枚のレジュメを用意をさせていただきました。二枚がレジュメになっております。それに障害者教育体系図及び現在の状況についての図を付けたもので四枚になっております。  まず初めに、一番目のところとして、共生社会あるいは社会参加自立を目指す教育の全体的な枠組みということで、特に障害者の側からいってみますと、盲・聾・養護学校やあるいは障害児学級というものがあって、あるいは通級による指導というものがあって障害児教育が成り立っているわけでありますけれども、そればかりではなくて、学校外教育であるとかあるいは成人教育、こうした社会教育の面でも障害者方々学習をしていくというとこら辺が大切なことだと考えています。  その学校教育学校外教育あるいは社会教育、トータルに併せて生涯学習というふうに考えてみますと、障害者社会参加自立のために生涯にわたって教育支援の在り方というものがどういうふうになっているのかと、こういうようなことで、そういうことがテーマになるのではないかというふうに考えております。  これまで、障害者教育ところは、社会教育あるいは生涯学習というところまで全体として考えられてきたわけではありません。といいますのは、二番目で書きましたけれども、障害児教育歴史というものがありまして、一九七九年の養護学校教育義務制までのところでいいますと、障害の重い人たちに対しては就学猶予であったり免除という形で学校教育がなされてこなかったという歴史があります。学校教育法が制定をされて以降、四半世紀にわたって障害の重い人たち学校教育ところから疎外をされてきた、こういうものが一九七九年の養護学校教育義務制によって学校教育の中の対象になってきた、こういうことがあります。  さらに、その後、一九九〇年代なのでありますけれども、通級による指導というものが始められて、通常学級にいる子供たち通級支援教室というところに通って支援を受けるということになってきまして、徐々に障害児教育の枠が拡大をされてきたという歴史を持っています。  そこに書きましたように、障害児教育歴史は、まず初めに盲・聾学校中心の時期、養護学校障害児学級整備義務教育制度確立をしていった時期、そして通常学級在籍をする障害児にも障害児教育が提供されようとするような時期へと至ってきた、こういうような歴史をまず踏まえておきたいと思っております。  したがいまして、学校教育がなかなか未確立であったというようなこともありまして、学校外教育あるいは成人期教育障害者の分野のとこら辺では十分成立をしてこなかったということがあります。これについて、また後でお話をさせていただきたいと思っています。  先ほど、主権者として生きているという感覚というものが非常に重要なのではないか、障害者主権者として生きているという感覚が非常に重要ではないかということについてお話をしました。そういうものが障害児教育制度によって支えられているというような観点から現状を考えてみますと、二番のところで少し、資料になりますけれども三ページ目めくっていただいて、今の障害児教育制度学校体系の中に位置付けておりますけれども、今はどういうような障害児教育制度になっているかということを図示してありますので、参考にしていただきたいと思っています。  一つは、障害児学校、盲・聾・養護学校です。もう一つは、小学校中学校ところで設置をされている障害児学級、法的には特殊学級というふうに言われています。さらには、通級指導教室などによって通級による指導ということが展開をされています。しかしながら、これだけが障害児教育ということじゃ必ずしもなくて、通常学級の中でも、例えば通常学力を形成をすることができる肢体不自由の人であるとか筋ジストロフィーの人であるとか、そういうような方々通常学級の中で学んでいますので、そういうような通常学級とこら辺での障害を持っておられる方、障害のある方々学習というものがあるということを示しています。  戻っていただきまして、そういうようなとこら辺での現状障害児教育評価をどう考えたらよいのか、あるいは課題をどういうふうに考えたらよいのかということについて五点ほど、現状評価観点課題をそれぞれ五点ずつ示させていただきました。時間もありませんので、それぞれレジュメの二枚目に示した五点は障害者教育課題というようなことにかかわっていますので、課題ということでまとめてお話をさせていただきたいというふうに思っています。  まず第一に、現行障害児教育機関の量的な推移ということについて、どうなのかということについてお話をさせていただきたいと思います。  先ほど、盲・聾・養護学校障害児学級というようなことが、あるいは通級による指導ということが障害児教育制度になっているんだというようなことをお話をさせていただきました。  最後のページめくっていただきますと、障害児教育在籍者数推移ということがあります。グラフになってございます。その中に、ずっと下がっているところのグラフがありまして、それは障害のあるような方ということではなくて、義務教育学齢児童数小学校中学校学齢児童数推移でございます。これは百万単位でございます。そういう意味でいうと、少子化ということが言われていますが、百五十万人ぐらいからどんどん減って百十万台になっているというようなことでありますけれども、それに対して、障害児教育在籍者数ということでいいますと、一番上のグラフを見ていただきたいと思いますが、一九九六年までのところで若干減少をしていますけれども、その後増加に転じております。障害児学級あるいは養護学校あるいは障害児学校などが手厚い教育をしているということがあって、その期待の表れではないかというふうに考えています。  在籍者数が増えているんですけれども、障害児学校数は増えていないというようなことで、例えば、今私は奈良に住んでいますけれども、奈良養護学校、特に知的障害養護学校とこら辺ではクラスがなくて、特別教室普通クラスに転用してやらざるを得ないというような状況になっています。十年前あるいは二十年前に百名台ぐらいの規模で作られてきた養護学校に二百名弱の子供が通っているというような事態になっています。こういうことでありますと、先ほど言いましたけれども、共生感覚というようなことで障害者自身が輝いていくということがなかなかないということがありますので、課題という形で、障害児父母期待にこたえて障害児学級障害児学校適正規模での地域配置を行うなど、現行障害児教育制度充実をさせるということが共生感覚を培っていく上で非常に大事なことではないだろうかということを挙げさせていただきました。  二番目なんですけれども、先ほど、通常学級ところでも障害のある人たちがいますよというようなお話をさせていただきました。統合教育という形で進められているところもございます。あわせて、しかしながら、従来は障害ということでは必ずしもなかったというようなことで、学力の遅れのあるような子供さんであるとかいう形でとらえられていた子供さんたちの中で、例えば学習障害であるとかADHD注意欠陥動性障害とか、あるいは高機能自閉症など、学力は付いていくんだけれども、あるいは社会性に何らかの問題があるような子供たちの問題も今政策的な課題になってきていると言われています。  文部科学省で行われた調査でも、約六%の割合で通常学級学習障害であるとかADHD、高機能自閉症などの子供さんたち在籍をしているのではないかというふうに言われていますし、最後の図のところで、これは広島大学の落合先生の作ったグラフなんですけれども、一番上のペケになっているのが特殊教育在籍者数なんですけれども、ぐっと一番右肩上がりになっているのが五十日以上の欠席者児童ということなんです。通常学級の中で長期欠席になったりあるいは不登校になったりというような子供さんたちも含めてその原因を追求をしていくと、現在の障害児教育の範囲を超えたところで障害児教育のリソースというものを提供していく必要があるのではないかということも含めまして、LDADHD、高機能自閉症など、通常学級在籍をする特別な教育的ニーズを持つ子供などへ教育対象を広げて、それに伴って教員配置を行うなど、教育条件整備を行うことも非常に大きな課題になっているのではないかというふうに思っています。  別の参考人の方もこのテーマお話をするので、その方に譲りたいというふうに思っています。  三点目なんですけれども、障害児学級障害児学校教育実践の蓄積に基づいて、子供発達の力量を確実にするために、やはり後期中等教育段階教育充実をさせていくというようなことがあると思います。基本的には高等部養護学校高等部なんですけれども、先ほどのLDADHDなども含めて考えてみますと、通常の高校などのとこら辺でも、そういうような支援の体制というものが取られないといけないというふうに考えています。  さらにですけれども、自立職業準備を視野に入れた専攻科などを養護学校高等部などに設置をして、希望すれば二十歳まで教育年限を延長できるようなシステムを構築をするということも大事なことではないかということがあります。これは五点目の、少し、生涯にわたる学習というようなことともかかわってお話をさせていただきたいと思っています。  四点目なんですけれども、父母の負担といいますか、父母子供の関係、やはり社会参加をしていく、自立をしていくというようなことですので、思春期青年期において、先ほどの高等部充実やあるいは専攻科設置をするというような問題ともかかわり合いますけれども、自立をした生活の中で教育を受けていく、こういうような経験充実をさせていくということが大事なことではないかと考えております。  その場合、必要に応じて、やはり寄宿舎やグループホームなど、親から離れたところで生活をする経験というものも大事なことであります。肢体不自由の子供さんなどの場合はなかなか、親御さんの介護の問題もありますので、そういうことができていかないわけなんですけれども、教育としてそういうような、少し離れて自分自身を客観的に見詰めたり、親御さんも少し今後のお子さんたち社会参加あるいは自立を考えていけるというようなことについて実践ができていけるような方向にすべきではないかというふうに四点目は思っております。  最後でありますけれども、冒頭お話しさせていただきましたけれども、生涯学習ということで、障害者方々の生涯的な学習というものがやはり必要なんではないかというふうに考えています。  実は、ここに来させていただく一番の私自身の個人的な動因になりましたのは、私、ずっと障害児学級養護学校子供たちを毎年毎年発達を見させていただきながら、義務教育段階の継続的な調査をさせていただいたことがあります。そのところで、お母様方やいろんな方と知り合いになったんです。その調査が終わりまして数年たったときになんですけれども、あるお母さんから、二十歳になりましたというようなお手紙をいただいたんです。そこのところでは、子供といいますか、障害者なんですけれども、知的障害お子さんなんですけれども、とてもうれしそうな顔でネクタイと背広を着て写っていたんです。京都や奈良ところでは障害者のための成人式も執り行われているというようなこともありまして、非常にそういうことでうれしかったというようなことがあるわけなんですけれども。  考えてみますと、十八歳で知的障害人たちの多くは養護学校高等部を終えるということになるわけです。二十歳までの間、例えば、統計上は無業というようなことになりますけれども、作業所に行ったり、施設に行ったり、そういうようなところでいろんな社会参加をしていくということがあるわけですね。  ふと思ってみたんですけれども、二十歳になったときに何をするのかということを考えてみますと、自立の一歩あるいは社会参加の一歩ということで一票を投ずると。ここは参議院ですから、今年は参議院選挙もあるというようなことでございますので是非とも強調しておきたいんですけれども、そういうような投票をすると、知的障害人たちが。  それで、作業所人たちなどのところで障害者人たち投票行動というのは一体どうなっているんだろうかというようなことをお話を伺ったり調査させていただいたことがあります。お母様方あるいは作業所指導員方々、実は大変お悩みで、知的障害があって本当に分かるのだろうかというようなことも含めて、投票という行為が分かるのだろうかということがあるというようなことでございますけれども、考えてみますと、養護学校高等部ところで生徒会選挙をやっているわけですね、その子供たちも。それで、十八歳、十九歳と、作業所などのところでも自治会を作ったりしてそういうことをやってきているわけです。  ですから、もう時間ですので、二十歳になるまで教育という形で、生涯学習の第一歩という形でその人たち社会に目を開いていくような支援というものができないか、そのためには専攻科であるとか、そういうものも作られていいのではないか、こういうふうに考えている次第です。  少し長くなりましたけれども、意見を言わせていただきました。ありがとうございました。
  4. 狩野安

    会長狩野安君) ありがとうございました。  次に、永長参考人にお願いいたします。永長参考人
  5. 永長徹

    参考人永長徹君) よろしくお願いします。  自分は、千葉県の佐倉市にあります公立中学校の一教員です。このような席で意見陳述あるいは提言という立場ではありません。自分は数学の教員で、障害児教育とか福祉教育とか、そういうものには全くの素人ですし、知識、理論はありません。ただ、本校開校以来取り組んでいた福祉学習実践報告を今日させていただいて、自分自身もこの実践を通して感じたもの、それから巡り合った人たちからいただいたもの、これを少し御披露させていただければと思ってここに参りました。よろしくお願いします。(OHP映写)  本校佐倉立根郷中学校といいます。平成九年の四月に新興住宅地の中に開校いたしました。市内では一番新しい学校です。本年度七年目を迎えます。  本校は、開校当時より地域開放型の校舎の造り、それから校舎内の設備等もそれを意識した造りが施されておりまして、体育館、温室プール、さらには隣に市立図書館が連結しているというような非常に恵まれた立地条件子供たち学習をしています。  開校以来福祉教育に取り組んだ大きな理由の一つに、今写真にごらんいただけるかと思いますが、グラウンドのフェンスを隔てて隣に福祉施設がございます。この施設は、視覚障害の方を中心に利用されているんですが、重複障害の方、重度の方もいまして、通所の形で利用されている方、それからこの施設の中で生活をしている方が実際にはいらっしゃいます。当然、この施設利用者の方が白杖を持つような形で学区内を白杖訓練あるいは散歩という形で本校生徒と道々行き違う、擦れ違う姿というのは日常のことになります。本校開校したときにはもう既に施設がある形になりましたので、お隣付き合いという意味福祉教育に推進しようという引き金になった一つです。  本校の過去の取組ですが、先ほど申し上げた九年度開校のときにはボランティアクラブという二十数名の、ほんの一部の生徒対象にして福祉体験を、隣の「愛光」さんなどなど、職員の方の御協力などを得て実施しました。その翌年、十年度、今度は対象を全校の生徒に広げました。ただし、この十年度はあくまでも点字と手話を、技能的なものを習得しようという授業に的を絞った形で展開しました。様々な問題もありまして、十一年度以降を根郷中プランと呼ばせていただいていますが、広く浅く福祉教育をという形で計画を立てて、現在に至っています。本日のお話は、この十一年度以降の根郷中プラン実践について報告をさせていただきます。  本校は、福祉教育進路指導の中の一部と考えています。進路指導といいましても、今で言う生き方指導、広い意味進路指導になりますので、中学校生活にあるすべてのものが生き方指導であるという広い視点で考えています。その生きる力の中の、特にともに生きる力ということをクローズアップして本校福祉教育目標を、今ごらんいただいているような目標を定め、実践することにしました。  実際のプランの具体的な目標としては、気付き、考え、行動できるという形のボランティアスピリットを養成して、卒業、その後、市民となったときに、できれば共生社会の担い手になるような子供たちが巣立ってくれればという思いでプランを作っております。  具体的な内容ですが、一年生は最初の段階として、障害を知るという形のテーマを掲げました。柱は四本です。障害についての講話。これは、それぞれ障害を持たれた方を講師としてお呼びして、それぞれの障害についての知識的なことをお話ししていただきます。その次は、これはよくいろんな学校でやっておりますが、車いす介助ガイドヘルプ体験。さらに、その体験を経て、学区内に出て、学校の外、ふだん通い慣れている道、横断歩道歩道などなどを歩くことで、違う視点、違う気付き期待した授業。さらに、四本目の柱としては、先ほど紹介しました隣の施設利用者との交流という形の内容です。  今ごらんいただいている写真は、それぞれ視覚、聴覚、肢体不自由という形で、障害を持たれた方にお話をいただいています。  車いす介助、さらにガイドヘルプに関しても、我々ができることを子供に教えるのではなくて、直接お仕事として施設職員あるいは市の、佐倉市のガイドヘルプとして職業として行っている方に来ていただいて体験をします。  体験を生かす場面として、実際に外に出て、様々な、ふだん何げなく通っているものが障害に感じる、邪魔なものに感じるということを体験します。写真はないんですが、隣の「愛光」さんとの交流は本年度初めて実施したものです。  二年生ですが、テーマとしてはともに生きている人たちと語り合うということで、一年生のときに障害者当事者障害を持たれた当事者の方との触れ合いというのを中心に行っているんですが、それを二年生の段階では、その周囲で支えている方に、これも学校の方に来ていただいて様々なお話をしてもらいます。支えている方は、ボランティアグループ、様々なボランティアグループに来ていただいています。  写真は、「あうん」というグループ名で、目の不自由な方にテープを、市の広報であるとか読み物をテープで吹き込んでお届けしているような活動をしているグループです。  市の福祉協議会職員には、実際にボランティアとして様々な活動をしているものを紹介してもらって、紹介を受けた子供たち自分にできるボランティアを夏休みなどの期間に体験するような意識付けの話をしてもらいます。  「おもちゃ図書館」、これもボランティアグループなんですが、知的障害がある小さいお子さんと健常な子供たちを一緒の場でおもちゃを通して、そういう場を提供している方です。  それから、家族の方。写真の方は御長男が重い障害を持たれた方です。お母さんの立場お話をしてもらいます。  十年度に点字、手話の講座に限って授業を行っていたんですが、やはり技能習得には、年間十時間程度でも結局は月に一度ですので習得を目指すことが無理ということは分かりました。それ以降、根郷中プランになってからは、時間的には年間四時間という形で減ってはいるんですが、逆に技能習得を目指すよりも、逆に聾者の方それから目が見えない方との触れ合いの時間であって、手話、点字を通したコミュニケーションを図るような機会を提供できているのではないかというふうに感じています。  特に、毎年毎年改善をしているつもりで進んでいるんですが、点字の授業も隣の施設を利用している方に来ていただいて、子供たち自分で打った点字を読んでもらって、といってもまだ自分の名前が打てるか打てないか程度なんですけれども、何々さんと利用者の方に読んでもらってにっこりできるというような場面です。利用者の方も、ふだんどうしても交流している人間の数が少ないので、学校に出向き、中学生、子供相手なんですけれども、たくさんの人たちと触れ合う機会を隣の施設職員の方も喜んでくれています。  手話に関しても、一つの教室に市の聾者協会の方が講師として来ていただきます。写真にはありませんけれども、生徒の後ろに、手話のボランティアグループの方が二名必ず来ていただきます。講師の方と子供たちとのコミュニケーションがうまくいかないときに助けていただく、通訳していただくという形です。もちろん、学校教員、担任もおりますので、一つの教室に大人が四人で一つ授業が成立するという形になります。右下の写真子供たちの後ろに立っていられる方が手話のボランティアグループのお二人です。  本年度、二年生では養護学校との交流、さらに聾学校との交流もカリキュラムに組みました。これも本年度初めてやったものです。組んだ我々としても、実際に行って子供たちがどういう取組をしてくれるのか非常に不安だったんですが、結局は、年間を通して行っている福祉学習の身に付いたものをこの場で子供たちが、同じ年齢の養護学校聾学校子供たちの前で変わった自分を出せた、変わった自分を見付けられたというような場面になったのではないかというふうに感じました。  三年生は、更に視点を、社会全体に視野を広めようということで、共生社会の実現に向けてという形で学習内容を組みます。街の点検、福祉施設の訪問、さらに福祉社会を考えて三年間で学んできたこと、それから自分の夏休みなどの体験も含めて意見を発表して終わり、卒業というような形のカリキュラムです。  街の点検は、一年生のときには実際、車いすあるいはアイマスクという形で学区を、学校の外に足を運んでいるんですが、今回はテーマを与えます。本屋で本を買う、コンビニで物を買う、郵便局ではがきを出すなどのグループごとのテーマを与えます。さらに、範囲も広げて、公共の機関にも乗ってみる。そこでそんな街を、支援する立場と、車いす介助する立場ガイドヘルプする立場車いすに乗る立場、アイマスクを付けた立場、両方の立場から気付いたことを記録して発表し合うというような形を取っています。  子供たち授業内容は、当然いつもいつも公開できるわけではないので、保護者の福祉教育に理解を広めるという形の行事を年間一度の割合で開催しています。  今写真に出ておりますのは、忍足さんという耳の不自由な女優さんで、映画なども何本か撮られている方ですが、トークショーをしていただいています。  それから、この写真千葉県の車いすのバスケットのチームなんですが、先日も大きい大会で日本一になってくれたチームなんですが、実際に試合を見せてもらったり、子供たち車いすの、バスケット用の車いすに乗ってというような交流もします。  それから、つい先日、やはり行事として、目が不自由な方たち中心とした新星78という団体があります。クラシックのコンサートを開いてもらいました。ただ音楽をということではなくて、それぞれ人生の途中で目が不自由になられた方もいますし、生まれ付き不自由な方もいらっしゃるわけですが、音楽に対する情熱とか、夢を持つことの大切さなどなどをインタビュー形式で、本当に子供に分かりやすいような内容の話をしてもらっていました。  さらに、これは小中の連携というテーマの行事なんですが、その行事のテーマ福祉関係のテーマを取り上げています。隣接の学区内の小学校なんですが、三年生を呼んで中学二年生が、ごらんのようにグループになって、ミニ先生になって手話を教えている場面です。教える立場になったとき、それから自分より小さい子供に何か伝えようとしたときの生き生きした表情が、我々教員にもいつもの表情とまた違う表情を見せてくれました。  こちらは、四年生を対象とした点字をやはりミニ先生になって教えている場面です。  我々職員の研修も、生徒と同じような立場で、白杖体験、アイマスクの体験ガイドヘルプ体験などなども含めて行っています。隣接の図書館の職員も一緒に交えて研修をしたり、我々の意識を変えることの大切さもこの七年間の歩みの中で強く感じている一つです。  授業前後の講師の打合せです。授業が成功するかどうかという点では、先ほど申し上げたように大人がたくさんいる授業ですので、前後の打合せが必要になってきます。  お時間がありませんが、実際にこういう形で福祉教育実践しているわけなんですが、子供たちにどうしてもつかんでほしいのは対等の意識です。何かしてあげるとか、言葉は悪いですけれども、上から下に見下ろしたような形の視点ではなくて、対等の意識が、人間観が作り上げられればという気持ちでやっています。  子供たちの変容は遅いです。目に見えないものもたくさんです。ほとんどだと思います。我々も手ごたえを感じない部分はたくさんあります。ですが、十年、二十年、卒業までの三年間で何かということではなくて、十年、二十年先の、この卒業した子供たちのどこかにいつか何かが芽生えてくれるんじゃないかという気持ちで、それを期待して子供たちには伝えるべきことを伝えようという機会を提供し続けたいと思っています。  以上です。ありがとうございました。
  6. 狩野安

    会長狩野安君) ありがとうございました。  次に、山本参考人にお願いいたします。山本参考人
  7. 山本和儀

    参考人山本和儀君) 私は昭和四十八年から子供たちのノーマライゼーションに取り組んできました。それは、専門家から物を見るものではなく、当事者、保護者の方の、どういう生き方をするかという選択ですね、自己決定を大事にしてきたんです。  私自身は、非常に極論を言って申し訳ありませんが、私は養護学校は差別教育だと思っております。統合教育は、本来ノーマライゼーションを進めていく上に非常に大事な教育であり、分離教育というのは差別を助長するだけだという具合に感じています。そのことを通してお話を進めていきたい。(OHP映写)  自立の基本的な考え方というのは、以前は日常生活を一人で営むことができることということだったと思うんですけれども、今は自分の生き方を自分で決めると、人に決めてもらうんではないということだと思います。特に専門職、専門家という人たち、私自身もそうですけれども、医療、福祉学校教育の専門家が子供たちを差別してきたという具合に、こう思っています。それは、当事者が望む地域で生活することを許さなかったと、いわゆる就学指導委員会なるもので子供たちを差別してきた、そういう歴史が今日的な課題を残しているという具合に思っています。  共生の基本的な考え方は、共生の前提となる思想というのはノーマライゼーションです。障害の程度あるいは種別、あるいは重度、軽度に関係なくすべての人たちが地域で生活できる環境を整備することが本来、我々専門家と言われる立場人たちの役割であり、その中で彼らが、彼らを支援していくことが本来的であるという具合に思っています。  さらに、ノーマライゼーションの具現化として必要なことは社会的あるいは人的バリアの除去。特に人的バリアが障害を持つ子供たちあるいは保護者の方々を非常に苦しめてきた歴史があるんだと。そこを専門家は分かっていないと。自分の知識、技術を、あるいは哲学を子供たちあるいは保護者に押し付けてきたという具合に考えています。ともに育ち合う機会というのは正に統合保育、統合教育であり、そのことなくしては成り立たないと。さらに、そのことを理解してもらうためには地域全体が変わっていく必要があると。環境整備ということになると思います。  ここで、大東市の実践を述べていきたいと思います。  大東市は、昭和四十八年から統合保育、統合教育を目指して進んできました。五十四年には大東市障害児教育基本方針というものを打ち出し、すべての子供を校区で見ていこうと、そして必要な支援教育委員会が担っていくということです。これはハードとソフトの一体となった取組です。  これは療育センターです。療育センターは、子供たちをできるだけ早く保育所に送り出すこと、あるいはそのための、保育所の子供たち交流、さらに子供たちを、保育所に行った後、専門家が保育所に出向いて保育士と一緒に療育を継続していくというシステムを取ってきました。さらに、学校に上がる前には、それぞれの学校がハード、ソフトの整備をやっていく。手すり、スロープ、だれもが使えるトイレ、あるいは訓練室を用意する。さらに、重度の、学校の給食が食べられない子供に対する配慮として、調理コーナーを設けて子供たちが食べられるようにしていくと。そして、その子に合った机、いす、そういうものを用意する。また、一方、校内研修会を開いて、校長以下すべての教職員と療育について話し合うと、子供のかかわり方について話し合うというシステムを作ってきました。また、通学保障。通学保障として、必要な子供にはタクシー通学を保障していく。さらに、療育を継続すると。そして、必要な医療的な側面、地域の開業医の方を、校医になってもらって、そういう必要な情報を提供してもらう。  あとは子供たちの表情を見ていただきたいと思います。ともに生きること、ともに学ぶこと、重度、軽度に関係なくそういう準備をすることこそ本来教育のある姿だという具合に思っています。子供を囲い込んだり、子供たちから分離したやり方というのはノーマライゼーションを推進しないという具合に思っています。それは高齢者の場合も全く同じですが、この場合飛ばしたいと思います。  これは充実期という形でお話しさせていただきたいと思いますが、中学卒業後の子供たちの療育を、在宅訪問あるいはいろんな形で支えていくというのは地域の行政の役割であると思っています。  大東市は、六十年に理学療法課、現リハビリテーション課を設置して、トータルに子供を、あるいは高齢者、すべての人を支えていくシステムを作っていった。さらに、そのためにはあらゆる機関とネットワークが必要であるということ。さらに、そのことを理解してくれる地域住民の協力と参画が必要です。  リハビリテーション事業というのは以下のとおりです。高齢者の機能訓練事業やあるいは在宅訪問、保健所とかあるいは病院とか、そういったところと連携を取りながら地域全体を包括して支えていくというシステムが重要です。  これは中学以下の、卒業された後の子供たちのリハビリテーションの保障ですね。  これは脳血管障害の方の在宅での生活です。決して家に閉じ込めない、通所あるいはレクリエーションを含めた地域活動をやる、そのことでその人を支えていくということです。在宅訪問も、障害のある子供を支えるためにやるということと通所に来てもらうということ、さらに、子供たちにとって大事なデイサービスとかそういうことを充実していくことが地域で支えていくことで、決して子供を囲い込まないということが大事だと思います。  関係機関とのネットワークとサービスの提供の一元化、一番大事なのは自分たちで囲い込まないということなんですね。教育教育の中で、あるいは養護学校の中でということではなく、校区の中で、学校の中で、いろんな地域との連携、民生委員との連携、ボランティアとの連携、あるいはその他の関係部局といいますか、専門家との連携が必要です。  障害者を支える町づくりというのは、具体的には家庭介護講習会を開いたり、あるいは地域リハ祭り、住民に知ってもらう啓発事業を展開していくことで地域が変わってくると。ノーマライゼーションの基盤は私は統合教育にあると信じております。そのために必要な手だてを教育委員会あるいはそれぞれの部局がしっかりと考えていくこと、支えるシステムを作ることに尽きるという具合に思っています。  これは市民が行っている啓発です。家庭介護講習会であったり、あるいは大きなイベントであったり、その中には医師会、薬剤師会、保健所、いろんな人が参加すると。そのことで地域が変わっていくんであって、ノーマライゼーションはあらゆるところから手を付けていくという戦略が必要です。  就労はいろんな形の就労がありますが、一番大事なのは一般企業に就労できるためにどういう条件が必要なのかということをしっかりと一方では施策化し、一方では実践していくことだという具合に考えています。  時間が気になって早く終わりましたけれども、あとは質問でしていただければそれでいいと思います。どうもありがとうございました。
  8. 狩野安

    会長狩野安君) ありがとうございました。  次に、別府参考人にお願いいたします。別府参考人
  9. 別府悦子

    参考人別府悦子君) 本日、この場にお呼びいただいたことに深く感謝申し上げます。  私は、文部科学省や岐阜県の事業によって小中学校を訪問し、LD学習障害ですね、ADHD注意欠陥動性障害、そして高機能自閉症などの特別な支援が必要な児童生徒の相談活動を行っております。  まず最初に、私がある小学校で相談を受けた子供さんの漢字学習の様子をごらんいただければ幸いでございます。(OHP映写)  この子供さんは、ごらんのように、一生懸命字を書こうとしています。けれども、どこから書いたらいいか分からなくて、次のようにつなげていくわけですね。無限の無という字ですけれども、混乱してしまって消してしまっております。もう一度書き直すわけですけれども、今度は横、縦四本、横棒というふうに無という字を書いています。ところが、次ですね、次は右から二番目からというふうな形で書いています。というふうな書き方になるわけです。  恐縮ですが、お手元にパワーポイントのスライドを印刷していただきましたので、それを見ていただければ大変幸いに存じます。  その三枚目ですけれども、ここにこの子供さんが書いた作品があります。ここに帯という字がありますが、この子供さんの特徴は、今ビデオでもごらんいただきましたように、書けば書くほど間違い、あるいは、この帯という字ですね、縦が、上の部分が縦三本線なんですけれども、それが四本になったり六本になったりというふうに、書けば書くほど間違っていくというふうなことになります。そして、書き順も、今ごらんいただきましたように、毎回どこから書いたらいいのかなというふうに迷いながら書いているのでございます。先生が修正されて、帯の上の部分を正しくなったら、今度は下の巾の部分が上下ひっくり返るというふうな具合になっております。  この子供さんは、就学のときには学習困難を指摘されませんでした。それで、通常学級在籍しているわけですけれども、小学校三年生になるまでこういう状況学校では把握されていませんでした。しかし、本人は、今ごらんいただきましたように、うまく書けないという悩みを抱えながら、あのように何度もせき込みながら何度も書き直すというふうなことを繰り返しておりました。決して怠けているせいでも意欲がないわけでもないのです。授業中に鉛筆を持ったままじっと動かずに過ごしている場面にも出会いました。ついには学校にうまくなじめずに欠席するということもありました。  そこで、学校から要請がありまして、教育委員会の主事と相談に入り、そして文部科学省LD児の指導体制充実事業の対象校になったこともありまして、学校を挙げてこの子供さんの漢字学習に取り組まれました。様々な教材や教授方法によるLD学習障害児の実践が活用されたのです。この子供さんには、通常子供さんがよく使うようなドリルですね、そういうものを使って繰り返し覚えれば漢字が定着するというような漢字学習ではなく、心理検査から把握された特別な分かり方、いわゆる認知特性というふうに呼ばれておりますが、そういうものに配慮した特別な教え方、特別な指導方法を一斉授業の中で実施されました。その結果、この子供さん、かなり漢字が書けるようになりました。  そして、大きな変化が二つありました。  一つは、クラス子供たちの漢字学習にとっても好影響があったということです。いわゆる、丁寧に様々な教材が使われる中で、ほかの子供さんにとってもいい影響があったというふうなことです。東京の成蹊大学の牟田悦子先生も指摘しておられますが、特別配慮の必要な子供さんたちにとって必要な教育は、周りの子供たちにとっても必要なユニバーサルな教育というふうなことです。これは、現代、学力低下、これは私、大学勤めていても感じることでありますが、この学力問題を考える際にも重要な点を示唆しているのではないかというふうなことを考えております。  二つには、学校の先生方がまとめられた中に、この子供さんへの取組を通して学級に、互いの良さを認め合い尊重し合う温かい学級になっていったというふうなことです。その学校教育相談の質が向上しました。これは、人権や思いやりの意識向上が子供たちから育っていったという点で、単に上から徳目的に教えるというのではなくて、真の意味での心の教育というふうなことを考えてもいいのではないかというふうに考えております。  このように、発達障害児クラスの中で位置付けることは非常に重要であり、共生社会の担い手を育てる意味でも非常に重要ではないかというふうなことを感じています。しかし、通常学級の中ではこうしたLDADHD、高機能自閉症などの特別支援の必要な子供に対しての理解や対応、そして支援体制が十分ではなく、様々な混乱や誤った対応が行われているのも事実です。  今、このような子供たちを軽度発達障害児と呼ばれておりますが、この子供たちの対応の不十分さからくる二次的な問題が生じていることが児童精神科医師や教育研究者の中でも重要視されています。それは、例えば先ほど見ていただいた子供さんのように、学習障害子供さんが一般の子供さんの中においてよりも不登校の率が高いというふうなことです。  これは京都府の総合教育センターの調査により、一般の子供学習障害の率よりも不登校の子供の中においての学習障害児の率がかなり高いというふうな数値が出ております。さらに、ADHD注意欠陥動性障害児の併存障害、これはほかの精神医学的障害を併せ持つという、この特定の疾患だけではなくてほかのものも併せ持つという意味ですが、この併存障害として非行や反社会的な行動を起こすグループに移行する児童が一定数あるというふうな調査結果が国立精神・神経センターの調査より明らかになっております。  また、昨年の長崎の少年の事件のように、高機能自閉症やアスペルガー症候群の子供の犯罪についても看過できない問題です。もちろん、発達障害児がこのような問題を起こすということではなくて、問題の発見が遅れ、支援が十分でない、適切でない支援が行われていることが様々な要因と重なり合って特異な事件になったというふうなことを強調しておきたいと思っております。  先ほどもありましたように、文科省の方から六・三%、このような子供さんがいるという結果が報告されました。私が岐阜大学の宮本教授と共同で岐阜市教育委員会の協力を得て教師に調査をした結果では、教師が指導の困難ととらえている児童小学校で二・七%おり、言わば二学級に一人在籍する数になっております。そして、そうした児童のうち、算数や国語など教科指導に困難のある児童が約六〇%おり、先生方がかなり個別に対応と努力をしていることが明らかになりました。その中でも、教室から出ていったり、あるいは授業中に席に座っていない、あるいは友達とトラブルを起こす、又は家庭との協力体制が取りにくいという場合に困難度が大きいというふうなことが挙げられております。中学校でも同じような傾向が出ております。集中力がなく、一斉授業の中で教えることが困難な児童指導のしにくさの中で多い状況が挙げられております。  こうした中で、小学校で三・七%、中学校では十人に一人ですね、この困難な児童の十人に一人、一〇%に今のところ方策が見付からないというふうに教師が回答されております。言わば、教師としての効力感というふうなものが感じられないというふうな現状調査の中で出てまいりました。そして、小学校子供さんの、困難児童子供さんをクラスター分析、言わばそういうふうないろんなタイプの子供さんに分けた統計調査の結果、多動・衝動的な行動を示す子供に今のところ方策が見付からないというふうに挙げた割合が多く出てまいりました。中学校においても、多動や社会性障害学習困難のグループに今のところ方策が見付からないというふうに教師が答えている割合が非常に多くなっております。  こうした現状の中、教師と学校現場のサポートが是非とも必要だというふうに考えております。昨今、教師のストレスや疲労などによる心身の健康破壊や休職が増大しています。この十年間に二倍にもなったというふうなことが報告されておりますが、そのサポート体制を強化していくことが急務のように感じております。  最初に述べたように、障害児がいることの教育意味は大きく、学校教育の中での共生社会が作られることには大きな意義があるというふうに実感しております。しかし、一方で、そのためには単に障害児と一緒に過ごすというのではなくて、特別な配慮や教育方法、あるいは教師の専門的な知識や視点が必要であり、そのためには条件を整えることが不可欠だというふうに考えております。  先ほど述べましたように、この子供たちへの対応が不十分であるならば、それが不登校や反社会的行動など、様々な問題につながる懸念もあるということが、今、専門家の間からも危惧が出ております。そういうことを考えるならば、是非とも次の点での支援や対策を考えていただくようお願いしたいと存じます。  一つは、発達障害に対応できる児童精神科医師や臨床心理士等が教師や学校現場に援助でき、そして教師の研修に携わる体制の強化でございます。二つには、特別配慮の必要な児童に個別指導や配慮ができる加配の教員指導の場所の確保です。十分な人手とスペース、そして教師へのサポートが是非とも必要だというふうに考えております。三つ目には、基礎となる学級定員の削減です。是非、諸外国のように三十人以下の学級が実現できるよう切にお願いいたします。  さらに、今こうしたLDADHD、高機能自閉症児への教育は、特別支援教育への転換ということで、文部科学省も推進の指針を出しておられます。これが現在の養護学校特殊学級などで進められている障害児教育充実の上に立って行われること、決して現場の混乱や負担を招くような改革でないよう希望したいと思います。  お手元に添えさせていただきましたオーストラリアのブリスベーン市というふうなところに昨年の夏に研修に出掛けましたが、ここでは障害児教育充実の上に、更に学習困難な児童の施策が出されております。  現在、岐阜県においても養護学校在籍する子供の数がどんどん増え、親御さんのニーズが増えている状況にあります。こうした中で、教室がない、空き教室を削ってあるいは教室を二つに分けて教育しているところもあるというふうな現状でございます。こういった、今現在進められている教育の上に立って進められていくというふうなことを是非お願いしたいと思います。  岐阜県でもNPO法人アスペ・エルデの会などの当事者の団体が、医師や研究者と連携して幼児期から成人期までの取組を進めております。そこでは社会に出て仕事を持ちながら自立した生活を送っている人たちもたくさんいるのです。その中ではきちっとした納税者もたくさん生まれてきております。  幼児期から成人期まできちっと適切な支援を行うことが非常に重要であり、この子供さんたちに適切な、そして十分な予算を投じていただくことが効果があるというふうに私は考えております。是非、この子供たちへの支援を併せてよろしくお願いいたします。  学校教育において共生が図られ、子供一人一人によって学校の中で豊かな育ち合いがなされていくためにも、条件を整え、学校現場や教師へのサポートを強化していただくように切にお願いする次第でございます。  ありがとうございました。
  10. 狩野安

    会長狩野安君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見聴取を終わります。  これより参考人に対する質疑を行います。質疑はおおむね午後三時三十分をめどとさせていただきます。  なお、質疑者及び各参考人にお願い申し上げます。質疑及び御答弁の際は、挙手の上、会長の指名を受けてから御発言いただくようお願いいたします。  また、多くの方が御発言できますよう、一回の発言はおおむね三分程度とさせていただきます。なお、質疑の際は、最初にどなたに対する質問であるかをお述べください。  質疑のある方は挙手を願います。
  11. 有馬朗人

    ○有馬朗人君 自民党の有馬朗人でございます。  今日は大変いいお話を伺いまして、ありがとうございました。  共通しての問題と、それから個別の御質問をさせていただきたいと思うんですが、まず共通に近いところはノーマリゼーションということで、専ら教育のことについてお聞きしたいんですが、ノーマリゼーションということは私も理想的だと思うんですが、ただ、教育をする際に、全く普通の人と一緒にすることがかえって障害を持っている人たちに、困らないだろうか、特別なことをしなきゃいけないんじゃないかと私は思っていまして、その点、ノーマリゼーションというのはどういうふうに考えて教育の上に反映していったらいいか、この点についてまずお聞きいたしたいと思います。  それから今度は、玉村先生と別府先生に特にお聞きしたいのは、今文部省も中教審も随分LDADHDについて調査をしたり対策を講じようとしていると思うのですが、先ほどちょっと別府先生おっしゃっておられた文部省のやり方、文科省のやり方に対して特に御注文があるか。ちょっとおっしゃっていましたね。こうすべきだというふうなことをおっしゃっていましたので、もう少し具体的に教えていただけないかということであります。それから、これは玉村先生にも同じくお聞きしたいことです。  永長先生に私は是非お聞きしたいのは、先ほどやっておられた特別な授業、あれは総合学習の時間を使っているんですよね、多分。それで、総合学習の時間どのくらいを使っているのか、お聞かせいただきたいと思います。  それからもう一つ伺いたいのは、私、心配しているのは、学力低下論というのが盛んにあって、私は下がっていないと思うんですよ、初中教育は。大学生は下がっているんです、明らかに。多過ぎて、取り過ぎているから、学生を。ですから、高等学校も下がっています、これはやむを得ない、学生増やしちゃったから。ですが、小中はそれほど下がっていないというか、ほとんど下がっていないと思うんですが。こういう総合学習の時間で点字の教育とかああいうことをおやりになることによって、お父さん、お母さんの反応はどうであるか、この点をお伺いいたしたいと思いました。  それで、最後です。最後の質問は、これまた別府先生にお聞きしたいのですが、LDADHDの心配、非常に私もしていて、それは不登校との関係でありまして、不登校の数、昨年はちょっと減ったので喜んでいるんですが、ずっと増えてきて、もう十万人を超えている。それに関連して、LDADHDの数も増えているのかどうか。要するに、それは一定なのか、それとも時代的に、十年前、二十年前に比べて多くなっているのか。要するに、絶対数の変化はどうなっているか、パーセンテージの変化はどうなっているか、その辺お分かりになればお聞かせいただきたいと思います。  以上です。
  12. 玉村公二彦

    参考人玉村公彦君) まず、ノーマライゼーションの理解ということなんですけれども、私は一般的に当たり前の生活を送っていくというようなことに理解をしておるんですけれども、例えば知的障害や様々な障害があることによってその生活がなかなか十分できていかないというようなことがあります。  特に、学習教育の面でありますと、そういったことがあって、国民的な基礎教養といいますか基礎学力を付けていくという点でも、やはり特別な配慮があって当たり前に分かっていくというようなことがあるわけです。  山に登るときにいろんな経路があっていいというふうに思っています。急なところを登る人もいるかと思えば、やはりなだらかな線のところで行くというようなことで、その時々の花であるとかチョウチョウなどを楽しみながら学んで山に登るということもあるかというふうに思っています。  肝心な点は、そういうような選択肢というものがきちっと確立をされていて、当事者あるいは関係の方々が選択ができて、私は、どういうふうな目標になってどういうような点でどういうような道をたどっていくのかなというようなことも含めて見通しが持てるということだと思います。そういうことがノーマライゼーションを、結果として当たり前の生活というものを作っていくということになるかというふうに考えております。私の私見であります。  LDADHDの事柄については後にさせてもらった方がよいですか、今ですか。
  13. 狩野安

    会長狩野安君) 今、そのままお続けになってください。
  14. 玉村公二彦

    参考人玉村公彦君) はい。通常学級ところで六%強の方々がそういった様々な軽度な発達障害あるいは広汎性発達障害というものがあるような調査結果が出ています。注文はというようなお話であったものですから、そういうような子供さんたちに対して適切な対応をしていただきたいというようなことです。  六%というのは、通常学級ところで四十人いますと大体二名ぐらいということになっています。例えばTTということでチームティーチングで入られた場合でも、一人の子がどこかに行ってしまうとなかなかうまくいかない、もう一人の子はだれが見るんだというようなことがあるものですから、そういうような条件整備をしっかりしてほしいというのが一点です。それは、LDADHD、高機能自閉症子供さんたちに対して手だてが打てるような専門性を持ったような対応をしていただきたいということが一点と、もう一点は、これは障害児学級の方なんですけれども、通常学校にあります障害児学級知的障害のあるような方々がおられたりするようなとこら辺の充実もあって、なおかつそういうような点をしていただきたいという点でございます。  以上です。
  15. 別府悦子

    参考人別府悦子君) 御質問、貴重な御質問をありがとうございます。  私は学校の現場を巡回しておりまして、教師が様々な悩みに直面しております。私の前で涙をこぼしたり、いろいろ打ち明ける学校の先生も多いわけでございます。  そういう中で、一つは、やはりノーマライゼーションって非常に重要なことなんですが、そのためにも、それを支えるための条件整備が是非必要であり、そうすることで一人一人の子供が本当に人間らしくその子の良さを生かした教育を、教師の方に教育の指針を持てるのではないかというふうなことを感じております。  そういう意味で、今、有馬先生の方からもお話がありましたように、一つは、是非その教師を支える条件整備の方を考える上で、専門家が相談に出向いたり、先生方の教員免許の取得のときにこういう発達障害子供についての知識や理解も十分に持てるような教育を急いでいただきたい。それと併せて、今、玉村参考人もおっしゃいましたように、特殊学級養護学校現状のそういう障害児教育についても条件整備を進めながら、併せて、プラスアルファという形で、この特別支援教室、このLDADHD、高機能自閉症子供さんたちの取組も進めていっていただきたい。  要は、そういうふうに、教師が本当に教職の自信を持ち、そして効力感を持ち得るような、そういうことと重ね合わせてこういう施策が進められると大変有り難いなというふうなことを感じております。恐れ入ります。  もう一つは、今日きちっと、適切な資料を持ってこずに、そしてまだ大規模な疫学的な調査も行われていないというふうなことですが、先ほどの有馬先生の御質問の二点目ですが、ADHD子供さんは現在学齢児では三%から七%いるというふうな、非常に高い率、出現率が言われております。成人しても三〇%から五〇%持ち続けるというふうなことが言われております。ですから、三十人、四十人の学級では一人か二人はADHDを持つ子供が存在するというふうなことを元国立精神・神経研究所の上林靖子先生の書かれたもので書かれております。  ただ、このADHDLD、こういう概念はまだ新しい概念でして、一昔前にはこういう名前はまだなかったものですから、教育現場でもまだこういうふうなとらえ方がなされずに来たというふうなことでございます。ですから、単純に増えたかどうかというふうなことは申し上げられないんですが、ですが先生方の経験の中ではそういう落ち着きのない子が増えてきたというふうなことが言われます。  そしてさらに、不登校の問題ですけれども、京都の教育センターの平成年度に実施した調査では、四%の子供さんが、不登校の中で学習障害子供さんがいたというふうなことです。一般には〇・九%というふうな数と比べても、四倍ぐらいになっております。ただ、これにつきましても学習障害のまだ診断や概念が十分でないところでございますので、そこのところははっきり申し上げられませんけれども、一応こういうふうな数字が出ております。  ありがとうございました。
  16. 永長徹

    参考人永長徹君) 御質問にお答えします。  まず、ノーマライゼーションの意識の関係なんですが、これも体験からしか述べられないんですが、本校にも全盲の子が三年間通学いたしました。小学部は盲学校を卒業して、本人、保護者の希望もあって地域の学校である本校に三年間通うことになりました。もちろん教育というものが個人個人の能力を開発するということ、その作業だというふうに考えれば、本校で送った三年間がその全盲の生徒にとって彼の能力を開発できた三年間かというと大きな疑問があります。正直言って対応できてはいなかったと思います。ただ、その三年間を保護者も本人も盲学校では送れなかった時間、場面だったということで後悔をしていることは一つもなかったんですが、受け持った、授業を受け持った担当者としては、教えられない、学ばせられない悔しさが残った三年間だったというのが正直な気持ちです。  あと、時間的な、福祉教育の時間的なものなんですが、各学年年間十回行っています。一回の時間が一時間あるいは二時間単位です。総合的な学習の年間のカリキュラムの中の三分の一程度が福祉教育に充てられています。やはりいかに本校福祉教育を、こういうことをやって、こういうものをねらっているということを保護者にどれだけPRできるか、言葉悪いんですが、宣伝できるかということが保護者の理解につながるのかなと。  それから、子供の変化というのを親が小さい場面で感じてくれると理解は深まります。例えば、デパートに行って障害者用の駐車場に親が車を止めたときに、ここ止めていいのかと子供に怒られたとか、歩道の点字ブロックの上にいつも止めている、常時止めている駐車の車を隣の子供に怒られたとか、そういうふうに地域の中で、子供たちが学んだこと、気付いたことを大人に向かって発信できるという小さな場面をなるべくこちらが拾い上げて、更にまた社会に返してということをやり続けないと、やはり保護者の理解はなかなか得られないのかなというふうに感じています。もちろん今でも十分ではありません。  あと、学力低下に関しては、やはり福祉をやるから学力が低くなるということは成り立たないことは説明をします。  自分は数学の教員ですけれども、年間百五時間授業をやります。でも、教科書一冊の何%を子供たち理解しているでしょうか。理解していない子がいるからって数学は来年なくなりません。福祉教育も理解できる子がいないからといって来年なくすものではない。やはり全部の本校生徒には学ばせたいもの、気付かせたいものを我々が提供し続けるというのを強く訴え続けるのが理解を呼べる唯一の手段だというふうに考えています。  済みません、まとまりませんが。
  17. 岡崎トミ子

    岡崎トミ子君 今日はそれぞれの学校の現場やあるいは地域社会の中で実践されておられるその中身について御報告をいただきましたので、大変言葉にも重みがあったということで勉強をさせていただきまして、ありがとうございました。  昨日、十七日、河村文科大臣が統合校の具体化を指示するということで新聞の記事が載っておりまして、盲・聾・養護学校を特別支援学校にするのはどうかということについて問うていたわけなんですけれども、これは統合教育というのとは全く違うものでありまして、ああこういう方向になっていくのかなということをちょっと昨日考えたんですが。  もう一つ、今、障害者基本法というのが準備されていて、そのうちの教育分野に、障害を持つ子供と健常者との交流教育というものを、文字としては「交流教育等を積極的に進めることによって、その相互理解を促進しなければならない旨を追加するものとする」と、こういうふうになっていて、確かに、今お話を伺う中で交流教育ということについて大きな成果を上げられているということで、一部の取組にしないで、共有されていくということについては私も期待をしたいというふうに思うんですけれども、本来目指すべきものが統合教育であるとすれば、むしろ交流教育ということを正式に位置付けてしまいますと、そのことが障害にならないかという心配があります。  私は、基本的には統合教育を進めるべきだというふうにずっと考えてきて、その当事者と保護者の皆さんたちと文科省に向けて様々にやってきているわけなんですけれども、基本原則を踏まえて、その上で様々な教育がなされるということが大事だというふうに考えておりますので、それぞれの先生方お一人お一人、基本原則、特殊学級に入れる、そして養護学級に入れる、そのことを原則にして交流教育が補助的に行われるということがいいのか、あるいは、もう本当にともに生きるということで統合教育をしっかりと原則とすべきだというふうに考えるべきなのか、そのことについて一言ずつお願いをしたいというふうに思いますが。  現実に取り組んでおられます皆さんですので、これを一部の負担ということではなく、社会全体で支えていくようにするためには、行政やあるいは学校、地域、家族の皆さんですね、そういう人たちに対してどういうふうな支援というか、どういう役割を持たせることが本当に統合教育を実現するために必要だと考えるのか、このことについては玉村先生と山本参考人に伺いたいというふうに思います。
  18. 玉村公二彦

    参考人玉村公彦君) 第一点目でございますけれども、統合校ということの発表があったということで、一言だけお話をさせていただきたいと思います。  盲・聾・養護学校を統合して特別支援学校にするというようなお話だと思いますけれども、その中でも、例えば聾学校などのところ、聴覚障害分野のところでいいますと、例えば聾文化、聾者の人の文化というものがあって、手話なんかも含めて聾者の言語としてやっていくんだというようなこともありまして、なかなか、各学校とこら辺でも合意を取るというのがなかなか難しいのではないだろうかというふうに考えております。  そういう意味で、それぞれの障害の特性、それぞれの範囲というものを理解をした上で、特別支援学校というものを慎重に吟味をして作っていただきたいというふうに希望しております。  二点目なんですけれども、統合教育についてでございます。  私は、統合に向けた教育、つまり社会的な統合と教育的な統合というものが二つあるのではないかというふうに考えています。で、目標とすべきはやはり社会的な統合で、統合ということも、障害のある人たち、ない人たち含めて、障害のある人たちをみんなで支え合っていく、こういうような共生社会というようなこととも理念としてはすり合わせていく必要があるかというふうに思いますけれども、その社会的な統合に向けた教育としていえば、いろんな在り方、つまり通常障害のない子と障害のある子を一緒にするという形態もありましょうし、それだけではなくして、障害児学級特殊学級あるいは養護学校があって、その上で交流をしていくということもあり得るのではないかというふうに考えています。  イギリスなどのところでもインテグレーションというふうに統合ということを言われています。よくよく調べてみますと、例えば、障害児学校子供たち生徒さんたちがほかの高校などに行って単位を互換をするというようなこともそのインテグレーションの一環というふうになっています。あわせて、例えばイギリスなどの場合は、通常学校の中に障害児学級があると、通常学校の中に統合されてあるんだというようなことも含めて統合教育の一環なんだというような解釈になっているわけです。  ですから、そういう意味で、私の立場としては、少し緩やかに交流教育なども位置付けた形で全体として社会的な統合というものを作っていく、それを目指していく教育確立をしていくということが大事か、こういうふうに思っております。  ありがとうございました。
  19. 山本和儀

    参考人山本和儀君) 私は、今回ここへ出席させてもらって皆さんの話を聞かせてもらってまず感じたのは、ますます道が遠いなという具合に感じます。  今、隣の先生が言われた、教師としては悔しいということだったんですが、教師の悔しさなんかどうということはないと。本人、家族が、あるいは保護者が喜ぶ教育こそすばらしい教育だという具合に感じているんです。数学は多少後れても、それよりも、その三年間で学び得たすばらしい共生感覚を本人だけではなく他の人たちも、子供たちも共有したんだという、そのところをしっかり認識してほしい。  そして、今まで述べておられた三人の方々の話を聞いていたら、教師が教師がということですけれども、そうしたら子供たちはどうなのかということですね。子供たちの幸せというのはどこにあるのか。子供たちの幸せというのは、まず、今言われたようなことは知識論であり技術論にすぎないんです、ユーティリはどうするのか、あるいはインフラをどうするのかという議論になるんで。  基本は、統合教育の基本は、ともに学び合う機会があること、その中で子供たちが成長していくんだと。いろんな障害を持つ子供たちに対して当然それぞれ特別に配慮するというのは当たり前の話であって、その上に私は統合教育ということを話をさせていただいているんだという具合に理解していただければ有り難い。  一番大事な時期を、本人や保護者の方が望まない教育が果たしてそれはいい教育なのかということを特にやっぱり専門家の人たちに分かってもらいたいなという具合に思います。当事者が選ぶ、自立とは自己決定できることが大事であって、そこをきちっと押さえるということからすべてが出発するんであって、知識、技術を押売することではない。彼らの持つ問題をどう支えていくかという理論の構築を変えてほしいという具合に思います。  以上です。
  20. 狩野安

    会長狩野安君) 永長参考人、一言。
  21. 永長徹

    参考人永長徹君) 自分は教師のわがままで言ったつもりはないんですが、実際に障害を持っている子供と健常な子供が同じ場にいる、同じ場で学んでいる、ただ共通の場所と時間が流れている、これが対等な意識を生むというふうには自分は考えられません。常に支援する、常に支える立場で三年間、その子の面倒を見続けるという形で三年間を送ってしまうと、逆の意識も生まれるんじゃないかというふうには感じます。  さらに、教えられなかった悔しさは、数学の一ページのことを言ったんではなくて、彼自身本校を卒業する際に進学を希望しました。進学をする際にはテストがあります。テストを突破しなければ希望の進学先が得られません。そのためには我々が身に付けさせたいことがありました。でも、それは彼の障害に合った教え方ができないこともあって十分ではなかったなと感じているわけですね。彼は盲学校高等部に進学しました。普通高校を希望していたんですが、試験の方が駄目だったということで盲学校の方に進学しました。もちろん彼の人生に後悔はないし、私も、この間も会いましたけれども、声援は送り続けているわけですけれども、そういう意味の悔しさは残っています。  以上です。
  22. 別府悦子

    参考人別府悦子君) 岡崎先生のように親御さんの応援団になっていただくのはとても有り難いなというふうに思っております。  私が考える統合教育は、やはり永長先生や山本先生のように、学校ぐるみあるいは地域ぐるみで、きちっと予算も使って、そして人手も、そして時間も使って適切になされるならばきっと有効ではないかというふうに思っております。ですから、今現実に単に一緒にいるというだけではなくて、今、永長先生がおっしゃいましたように、障害に合った対応をやっぱりする必要があり、そこのところで少し、例えば自閉症の子供さんですと、十回同じことを言うよりもちょっと違った視点で別の言葉を言ってあげた方がかなり有効になるということがたくさんあるわけで、そういったその子供さんの特性を知ったかかわりや、そしてそれに必要な手だてというふうなものがなされることが、その子供さんがその学校でも居心地がいいというふうなことにもつながり、それが周りの子供たちとの育ち合いも生むと思いますので、そういった視点で、学校や地域を挙げてこの子供さんたちに是非そういう視点でまたお力を注いでいただければ大変有り難いなというふうに思っております。  済みません、ありがとうございます。
  23. 中原爽

    ○中原爽君 玉村参考人に伺います。  正常な障害のない児童障害のある児童一つ学級共生するというような立場の場合に、障害のない学童に対してどのような教育をすべきかということを一つお尋ねをします。  それと、玉村先生の資料の四枚目、図の四でございますけれども、義務教育年限における障害児教育制度在籍者率と長期欠席学童生徒の割合と、これは落合先生の出典の資料でありますけれども、ここで、先ほど長期、五十日以上の欠席者、欠席児童生徒につきまして、通常学級の中での五十日というふうな御発言であったかと思うんですが、これが別府先生のおっしゃっておられる不登校児、すなわち、単に一緒に過ごすだけでは不十分だというスライドの御説明がございましたけれども、そういう意味で、通常学級の中に組み入れられておる障害児に対しましてやはり長期の欠席者が増えているんだと、こういうふうに理解すべき図なのかどうか、この御説明をお願いしたい。
  24. 玉村公二彦

    参考人玉村公彦君) 第一点目でございますけれども、障害のある方とない児童がともにいるときに、障害のない児童に対してどういうような指導が必要なのかというようなことでございますけれども、一般的に言いまして、学年によってやっぱり違うんじゃないか、子供発達段階によって違うんじゃないかというふうに考えています。  最近は、障害理解の教育ということで福祉教育などとも重なった形で障害というものを分かっていく、そういうような例えば児童文学であるとか様々な講話であるとかいうことで一般的に分かっていっていただくというような授業なども、先ほど有馬先生の方から御指摘があったように、総合的な学習の時間などを利用した形で行っているというようなことがあります。  そういうように一般的に行うのと同時に、やはり、例えば障害のある子供さんが具体的にそこにいるわけですから、その子供さんがどうなのかというようなことについて言うと、機会をとらえながら、先生の方で子供に分かる形でかみ砕いて理解を促していく、こういうような気持ちでこういうようなことをやったんだよというようなことを分かっていただくような指導というものが必要なのではないかというふうに思っています。それは具体的な指導場面のところでございます。  二点目の不登校児の問題なのですが、これは率直に言いまして、実は一九九八年までのところで、長期欠席児童生徒、五十日以上というようなことで、これは長欠ということで、今は三十日以上ということに変わっていると思うんですけれども、そういうような統計を取られているものですから、そこから取られたものだと思います。  その内訳はどうなのかということについては、障害があるからとか、いろんなつまずき、学習の困難があってとかいうことは統計上からは分からないということです。別府参考人の方がむしろ、御存じならお教えいただきたいというふうに思っております。  以上です。
  25. 別府悦子

    参考人別府悦子君) 今回、ここに来るに当たってその不登校との関係を調べたんですが、ただ一か所、先ほど申し上げた京都府の総合教育センターの資料しかございませんでした。まだまだそういうふうな調査や実態をつかむというふうなことが後れているように思いますが。  ただ、相談活動をしておる経験上、学習障害や多動で動き回る子供さんたちがしかられたり、そして一生懸命勉強するのになかなかできない、怠けているせいでもなく、お母さんのしつけが悪いせいでもなく、なのにそうやって先生の方に言われる中で、いわゆる自尊心、セルフエスティームと呼ばれている、自分はどうせやっても駄目なんだとかというふうな気持ちが芽生え、それが学校に通わなくなったり、あるいは教師への反抗的な行動につながったりというふうな事例をたくさん見ておりますと、やはり発達障害子供さんを正しく理解して対応することが不登校を防ぐ予防にもなるのではないかというふうなことを経験上感じております。  済みません、失礼します。
  26. 林紀子

    ○林紀子君 日本共産党の林紀子です。今日はどうも本当に四人の先生、ありがとうございます。  今までお話しくださったことや、また、事前にいただきました論文などを拝見させていただいてお聞きをしたいんですが、まず玉村先生にお聞きしたいのは、これは私、もう随分昔の話ですからこういうふうに今言われているのかどうか分からないんですが、特に知的障害を持った子供たちなどは発達がゆっくり、健常児と比べてゆっくり発達するんだという話を聞いて、非常にああそうかと感動をしたことを覚えているんですけれども。そういう意味では、ゆっくり発達ということでは、先ほど先生がおっしゃったような、十八歳以上になってもやはり教育をする必要があるんじゃないかというお話でなるほどと思ったわけですが、具体的にはその教育内容といいますか、そういうものはどんなものがイメージをしたらいいのかということを教えていただきたいということです。  それから、永長先生にお聞きしたいのは、大変すばらしい実践をなさっているということがよく分かったんですけれども、それは一つの今、学校でやっているわけですね。障害を持った子供たち障害者に対する見方というのは、やはりそういう教育が積み重なった中でひとつできていくのかなというふうにも思ったわけですが、それを一つ学校だけにとどめずに、もうちょっと面としてやっていくような発想、構想というのはないのか。そして、それをどういうふうにしたら、一つ自分学校だけではなくてということなので考えにくいかもしれないんですが、その辺もっと教育全体ということでのかかわりではどんなふうにお感じになっているかというのをお聞きしたいんです。  それから、山本先生にお聞きしたいのは、事前にいただきました論文の中で拝見をしたんですけれども、大東市の例を挙げて、行政機関が就学や進学先を決定することはない、それが基本原則だと、本人や保護者がそれは決めることだというふうにお書きになっていらっしゃいますけれども、私もやはり本人、保護者、決めるのは、自己決定権といいますか、当然だと思うんですけれども。しかし、例えば、これが適切な例かどうか分かりませんけれども、障害を持っている子供さんの親御さんは、やっぱり自分子供に合った学校ということを考えるよりも世間体などということを考えて、やっぱり普通の学校に通わせたいというような部分もあることもあると思うわけですね。そういうときには、いろいろ専門家、医療の関係も含めまして、そういう方たちの就学指導委員会というんでしょうか、いろいろ行政はあると思うんですが、そういうところにきちんとした情報を提供させるといいますか、してもらうという、そういうかかわり合い方は必要なのではないかと思うんですが、いかがでしょうか。  それから、別府先生にお聞きしたいのは、特に今問題になっているLDADHDなどについては教師や学校現場へのサポートが必要だというお話で、一つ具体例として三十人以下学級というお話がありました。しかし、先生の今までのレポートやそれから先ほどのスライドなどを見せていただきますと、三十人学級でも果たしてきちんと対応ができるのかなという心配もあるんですけれども、今はまだ四十人ですから、そんなに欲張って、いきなりというわけにはいかないかもしれないんですけれども、加配なども含めまして、その辺はどうきめ細かくといいますか、そういうことができていったら一番いいのかどうか、それをお教えいただけたらと思います。
  27. 玉村公二彦

    参考人玉村公彦君) 知的障害者の方々発達の問題と教育の関係なんですけれども、全体としてやはり発達がゆっくりであったり、あるいは例えば発達障害などがありますと発達にアンバランスがあったりというようなことがございます。ですから、教育の側として言いますと、やっぱりゆっくりたっぷり長い時間を掛けて発達の力を太らせていくということが大事なのではないかというふうに考えております。  具体的に言いますと、日本の学校制度ということでいいますと、知的障害の場合は養護学校になるわけなんですけれども、十八歳のところで終わってしまう、で、卒業をしていくというようなことになるわけです。そこのところから進路というようなことになっていくわけなんですけれども、高等部教育ところでも、やはり何といいますか、進路のための教育になってしまっていて、職場実習が非常に多くなったりとかいうようなことがありますので、その点も含めて少しゆっくりとカリキュラムが編成できるといいのではないかというふうに考えているのが一点と、もう一点は、やはり十八歳以上になっても教育的な支援が継続できると。もちろんそこでは希望者というようなことになるわけですけれども、教育が継続できるような教育機関を設置をするというようなことで、最近、私立の養護学校というようなところでいいますと、専攻科設置をしているところがございます。公立の養護学校は八百十六校あるわけなんですけれども、専攻科設置をしている養護学校はございません。今は私立、恐らく十指以下というような、十指といいますか、十以下の六校か七校ぐらい、そのぐらいあると思います。そこのところで教育が進められているので、一つのモデルになるのではないかというふうに考えています。  で、イメージはというふうにおっしゃられたもんですから、もう一つ、一言だけ付け加えさせていただきたいと思います。  これはアメリカの話なんですけれども、アメリカの障害者教育法ということでいいますと、二十一歳まで特別な支援というものは継続をすることができるというふうな規定になってございます。高等教育でいいますと、例えば聾者の、聴覚障害方々の大学が設置をされていたり、あるいは先ほど出ましたけれども、LD子供さんたち子供さんと言うと変ですけれども、青年の人たちのためのコミュニティーカレッジができていたりという形で、法的には二十一歳までのところで、そのカレッジに進むかどうかは別にして、支援ができるような体制というものになっているというようなことでありますので、そういう点も参考になるのではないかというふうに考えています。  いわゆる継続教育というような形で十二年の、十二年間の障害児教育だけではなくして、それに続いた形で、日本の場合成人といいますか一般的に言われているのは二十歳というようなことですので、先ほど少し提案させていただいたのは、専攻科設置をし、二年そこに行くか行かないかは本人の選択というようなことも含めて、そういうような支える体制があって、そこのところで成人期にふさわしい社会認識も含めて培われるというのがよいのではないかというふうに考えています。  どうもありがとうございました。
  28. 永長徹

    参考人永長徹君) 横への広がりということなんですが、結論を先に言うと不可能だと思っています。  本校で年間同じ方が来ていただいていますけれども、外部講師の数は百五十人になります。実際、学校としてはそういうお話をしていただけるような障害を持った講師の方というのは人材としては知りませんので、すべて社会福祉協議会の方に紹介をしてもらいました。今でこそもう学校でやっていることを理解していただいているので、直接この時間に来てほしいというお願いをしていますけれども、中学生相手にお話をしていただける方というのは数少ないです。すべての学校福祉教育に取り組むと講師がいなくなってしまいます。うちの福祉教育ができなくなってしまうというのが本音です。  養護学校聾学校に出掛ける際も、一台バスを借り切って行きますので、一クラスが移動するのに三万円掛かります。四クラス移動すると、三、四、十二万です。予算化はされていません。お金もない、来ていただいている講師の方に交通費出すのも精一杯ということが現状です。そんな中でどの学校でもやってくださいというのは無理というのが正直な気持ち。  あとは教員の意識です。本校も七年目ですが、教員の意識に温度差ははっきりあります。毎年毎年異動する職員もおりますので、全部が全部七年間の流れを知っているわけではない。そうすると、何でうちは福祉やっているんだというところから四月は毎年スタートします。ゼロに戻った四月が毎年来ます。そうすると、本校で、一つ学校の中でさえ、毎回毎回外部の先生を呼んでお話を聞いている職員でも温度差があります。  これが突然上からのお達しで福祉教育やるべしということになると、例えばこういうエピソードがあります。社会福祉協議会に、うちも福祉教育やりたいんですが、電話一本で、来週の何曜日、目の見えない方一人都合付きますかと。そば屋の出前じゃないと福祉協議会が怒ったという話があります。その程度の意識で始めてしまってはどうなるのかという気持ちもあります。だから、安易に広めることがよしではないのかなと思います。  以上です。
  29. 山本和儀

    参考人山本和儀君) 一つだけ最前気になるお話があったので、それだけ絶対反対だということで述べておきたいのは、障害のある人たちをまとめて養護学校、統合するというような話は、これは断じて許せないという具合に思います。障害のある人たちの中で、それは差別を生むということが経験上あります。  本来、それから大東市はなぜ就学指導委員会なるものがないのかというのは、私は就学指導委員会がまともな機能をすればそれはそれでいいと思うんですけれども、しかし消極的です。基本は何かというと、親はいろんなところに行って悩み苦しんで情報をもらって、そして自分で判断する、その中で親は育っていくという具合に感じていますし、なまじっか就学指導委員会で、いい指導をしてくれるんならいいんですが、そこでやられるのはおおむね養護学校へ行きなさいという指導なんですね。この子が校区の学校で過ごすためにこういうことが必要やなということを校区の学校の教師に伝えるんであれば、就学指導委員会はいい指導をしていると思います。しかし、養護学校へ行きなさいという一方的な選択を迫るような就学指導委員会は要りません。  それからもう一つは、親が、親のエゴもあるんやないかと。私はあって当然だと思っているんですね。その中で、校区の学校へ行って、あるいはその中でここではあかんなと思えば、それはまた養護学校へ行かれていいわけですから、そのことを含めて選択なんです。その選択を本人、家族が持つということ、そしてそのことを支えるというのは周囲の我々の役割だという具合に思っています。  それから──それぐらいでしょうか、はい。
  30. 別府悦子

    参考人別府悦子君) 私は教育学や教育行政の専門ではないですので、十分なことを申し上げられませんが、学級規模のことに関しては、少し前のデータですが広島大学の二宮先生のデータでは、ホンジュラスの五十人という後、トルコ四十人、シンガポール四十人、で日本四十人、以下はほとんど三十人台、あるいは二十人、先ほど例に挙げたオーストラリアでは十八人というふうになっております。  日本では、先生方に、教師の方にお話を聞くと、昔は四十人の学級一つの部屋の中で前を向いてきちっと着席をして先生の方へ向いてというふうなのが当たり前のように進んでいたけれども、今はそれが通用しなくなったというふうな声をよく聞くんですけれども、そういうことを考えた際に、やはり今のこの教育現状に合ったやっぱり学級規模というふうなものを考えたときに、少なくても多くても三十人というふうなところで先ほど挙げさせていただきました。それ以上のことはちょっと申し上げられません。  ありがとうございました。失礼します。
  31. 大野つや子

    大野つや子君 本日はありがとうございます。  別府参考人にお伺いしたいと思いますが、参考人障害児教育制度の研究に携わっておられるそのお話、大変感慨深く伺わせていただいたわけでございます。  「基礎知識」を先にいただきました。この「基礎知識」を読ませていただきまして、LDADHD、高機能自閉症子供たちが、大変うろうろしたり人の話を聞いていなかったり、また他の子供たちとトラブルを起こすというようなこと、学習に集中できないというようなこと、ちょっと見ますと、私どもが考えますと、子のしつけというものは本来ならば親がすべきではないかなと実は思っていました。けれども、これを読ませていただきまして、基本的な原因は脳の障害にあるというようなことを読ませていただき、それを理解させていただいたわけでございますけれども。  そこで、このLDADHD、高機能自閉症子供さんと私どもがかかわっていく場合もあるかと思いますが、私たちが心しなければならない大切なことというようなことがありましたら、何か教えていただきたいと思います。
  32. 別府悦子

    参考人別府悦子君) 貴重な御発言、大変ありがとうございます。  そのLDや高機能自閉症ADHDのこういう子供さんたちの行動は、目に見えて分かる障害ではなく、どちらかというと、中には今、先生がおっしゃられたように親のしつけの問題やあるいは本人のわがままだというふうに誤解されやすいような行動も多くございますが、それを、本当にそうなのか、それともやはり今おっしゃったように脳の器質的な障害からきているものなのかというふうな見極めをした上で、その適切なかかわりをしていくことが非常に大事なのではないか。先ほど申し上げましたように、そのことが、本人はわがままでもない、頑張ろうとしているのにそういう行動に出てしまうところを、大人の方からしかられたり、ちょっと不用意な言葉掛けをされたりする中で、自分はどうせ駄目なんだとか、自分はどうしてもできないというふうな、自尊心が低くなっていくような、そういう状況を是非止めていきながら、不登校や不適切、反社会的な行動を予防していくような、そういうかかわりが是非とも必要ではないかというふうなことを考えております。  ありがとうございました。
  33. 神本美恵子

    神本美恵子君 今日はありがとうございました。  先ほどちょっと話題になりました普通の学級障害のある子供さんが来たときに、そこで過ごしている時間、ともに過ごしている時間に意味があるのかというようなことがちょっと議論になったような気がしますけれども、永長参考人のいただいた資料の中に、事前にいただいた資料だったんですが、その中に生徒さんの作文がありまして、読んで、私も以前小学校教員をしておりまして、その中で自閉症の子供さん、それから多動性の子供さん、それから今は名前が付いたそういうLDとかADHD、多分今であればそういう名前が付けられるだろうと思われるような子供さんを受け持った経験がございます。  この以前いただいた資料の中に、クラスの中に、先ほどのお話では、先生はただそこに一緒にいるだけ、三年間一緒に過ごしただけではないか、十分なことができなかった、何を学んだんだろうかというふうな感想をちょっと漏らしていらっしゃいましたが、それはもう教員であればみんなこれでよかったのかといつも思うんですね。十分ではない、十分ではないということを思う、そういう発露ではなかったかと思いますが。  でも、子供たちは、最初は手取り足取りやってあげるような存在だったけれども、だんだんと彼自身が頑張るようにもなってきたし、付き合い方が分かってくる。そして、彼が何か頑張ろうとする姿を見ると、とってもうれしくなる。そして、頑張っている彼を見たら、何か強いものをもらったような気がする。福祉というのはただ手助けをするのではなくて、相手とのかかわりの中で、何かしらものをもらっているのではないか、勇気をもらったり喜びをもらったり優しさをもらったりというような感想を書いている生徒さんがいらっしゃるんですね。  私は、教育の中で一番大切なものってこれじゃないか。こういうのって、なかなかこういう場面というのは教師が仕組んでできるものではなくて、そこに一緒にいる人間関係の中でそういうものがぱっと生まれてくるって、私もそういう経験を、何度か障害がある子供を受け持ったおかげで経験させてもらったんで、そのことをもっと学校現場では、そういう機会に出会った先生方はもっと親御さんにも、健常と言われる子供さんの親御さんたちにも伝えていかなきゃいけないんじゃないかなというふうに思ってきました。  別府参考人は、そのための条件整備がやっぱり必要だと。それはもう周りの子供や教師の、あるいは保護者の理解だけでは、それを超えて大変なことっていろいろ現実的にはありますので。例えば、多動性の子が教室をぽっと出ていくんですね。それは、もう自分の興味本意で出ていきますから。で、ほかの子はその子が気になるから教室出て一緒に追い掛けていく。と、授業が中断する。中断してはいけないので、私は身が二つに裂けないから、お願いよと言いながら授業を進める。でも、出ていった子の授業はどうしようと心配になる。  もうそういう日々を過ごすときに、やっぱり少人数とかTTとか、それから生活をサポートしてくれるどなたかというような条件整備というのは本当に不備だと思いますので、こういう、ともに学ぶ教育を基本にやっていく場合に必要な条件整備として、先ほどもちょっとお話しいただきましたけれども、別府参考人永長参考人の方に、具体的にこういうことがあればもっと実際にともに学ぶ教育が実が上がるのではないかということと、それから山本参考人には、私は今自分がそれを進める上ではこうだというふうな意見を申し上げましたけれども、インクルーシブ教育ですね。インテグレーションをもう一歩進めて、インクルーシブ教育を進めていくためにこういうふうなこと、法律的な整備も必要だというようなことが何かございましたらお願いします。
  34. 山本和儀

    参考人山本和儀君) 今日一番感動を受けた質問です。ありがとうございます。  教師がなさねばならないこと、学校整備せないかぬことを本人や家族に、保護者に押し付けぬでほしい。それは、学校とか教育とか、あるいは行政が考える課題なんです、今言われたようなことはですね。だから、三十人なら三十人を実現されたらええ。あるいは専門家が必要であれば専門家を招き入れる制度を作ったらええ。予算がなければ予算を取るという努力をしてください。そんなことをすべて、予算がないからできないとか、何々ができないから、整備されていないからできないとか、我々は当事者を支えるために存在するんであって、当事者を支えられない専門家なんて必要ないというのが一つ。  だから、具体的に、この人にはこういうことが必要だと。人によって違うわけですから、その具体的な必要性を具体的に調査されるといいますか、調べられて、そのことをちゃんとやっていけば必ずやれるわけですから、そういう具合な教師になってほしいと。人のせいにしない教師、自分自身が責任を持つ教師、そのことが子供たちは見詰めております。  もう一つ大事なことは、先生も言われたように、子供たち子供たちの中でいろんなことを学び合うんです。健常児が存在することで、障害児がそこにおられることで周りが学ぶし、また当事者も学ぶわけで、そこも間違ってほしくない。更に言えば、これも大事なことですけれども、そういう社会が、そういう子供たち社会に出ていったら社会が変わっていくんです。地域が変わっていく。そういう子供たちがいろんな、政治家になるでしょうし、医者になる場合もあるし、教師になる場合もある。いろんなところへ出ていくわけですから、そういう人たちが、周りにこの理解ができる。そういう配慮ができる人たちが育っていくためには、正に統合、もっともっと地域でともに生活するという、技術論でないところから出発してほしいし、技術論はそれぞれ磨いてください、あるいは必要なものはかち取ってください、そういうことを大事にしていただきたいと思います。
  35. 永長徹

    参考人永長徹君) ありがとうございました。  作文は自分にとっても宝物だと思っています。今、福祉教育を続けている自分の心の糧にもなっているものです。言葉が足らなかったかもしれませんが、私は、場と時間が流れているだけと言ったのは、障害を持っている子本人にとってそういうふうに表現しました。周りの子供たちにとって得るものは非常に大きいです。そこの作文にある、それは特別な子供が感じたことではなくて、時間をともにしたクラス全員が多かれ少なかれ感じ取った意識です。  その意識の大きさに比べて、じゃ教育現場として、教育者が障害を持ったその子にどこまでの支援ができたかということを考えると、何もできていないな、特に手が足りないとか教え方が分からないということで、容易な言葉を使えば、ほったらかしている時間というのがただただ多かったんじゃないのかな、そういう意味でじくじたるものがあるというのが正直な気持ちです。  ただ、自分も、今の特殊教育の現場の、例えば先日、聾学校に出向いたときに、中学部二十何人がうちの二クラス生徒六十何人を迎えたときに、数の多さだけに圧倒される。あるいは、その学校の先生に聞くと、幼稚部から高等部まで、あるいは二十歳までこの学校に通っている子は二十年近くこの学校だけを知っているんですよ、いや、それ以外を知らないんですよという言葉を聞くと、やはり隔離されているというイメージはその言葉の中に強く感じました。  現状がいいという意味ではなくて、何か違う手段を、あるいは違う場を、教育の場を作っていかなければならない時期だなと。ただ、その改正を待たずに、普通教育の中で知らないことの罪を少しでもなくしたいというのが今自分がやっていることかなと。知らせることで少しでも芽生えればということだけです。  以上です。
  36. 別府悦子

    参考人別府悦子君) 緊張して私が言い足りないことを神本先生がうまく言ってくださって、ありがとうございます。  やはり、最初のビデオの子供さんのところで申し上げましたように、この子供さんがいるからやっぱり先生方も理解が深まり、そのことが子供たちに優しさや思いやりを生んだというふうなことを実感しております。  そういう意味で、是非、林先生がおっしゃったように、学級規模の問題、あるいは個別指導のできる体制やそのお部屋の問題を条件整備をしていただくことと併せて、大野先生が言われましたように、子供をどう理解するかということでの教師へのサポートですね、研修や、そういう教師が悩んだときに相談できる、そういう体制を是非急いでくださり、そういうふうなことと併せて、子供を真ん中にして大人同士が手をつなぎ合うならばすばらしい共生が生まれてくるのではないかなというふうなことを感じています。  ありがとうございました。
  37. 山本香苗

    山本香苗君 公明党の山本香苗と申します。  本日は、いろんな御意見をいただきまして、本当に勉強させていただいたなと思っております。  私は、実は地元が大阪で、大東、山本先生も二十年前ぐらいからもうこういったことをやってこられた。だから、いろんな経験を踏まえて、今、障害者基本法の改正もあるわけですけれども、いわゆる保護の対象から権利の主体へという、流れが変わってきているところなんですね。そうした中で、今までの施策がハード面においてもソフト面においてもまだまだ足りないところ、不十分なところがたくさんあると。そこはもうとにかくそっちの、権利の主体のための、そっちの視点に立ってしっかりやっていってくれという気持ちで今日お話しくださったと思いますので、また大東市に行かせていただきまして、実態を見させていただきたいと思います。これ、ちょっと質問じゃなくて。  ちょっとまた質問、ADHDLDという形で、新しい概念ということで診断概念も不明瞭なところがあると。我が党におきましても、こうした障害者施策を考える中で、今一生懸命頑張って勉強をしたり、またガイドラインを作っていただく中で現場にも行かせていただいているところなんですけれども、そこでいつもいただく親御さんとの、またお子さんとの悩みの中で、早く発見してあげれば適切な指導ができて、社会的な適合もできるんだという形なんですけれども、その早く発見をするというところで、早くどういう形でするかというところでいつも、逆にその子はLD児です、ADHD児ですという形で言うと、逆に差別を助長してしまうようなところもあると現場で非常に危惧されているところもありまして、そこをどうとらえるべきなんだろうかと。ちょっとその辺を、専門的なところを私もちょっと存じ上げませんので、教えていただければと思っております。
  38. 別府悦子

    参考人別府悦子君) 貴重な御質問ありがとうございます。是非よろしくお願いします。  早期の発見では乳幼児の健診制度というのが日本にはありますが、これは他の外国では余りないようで、非常に優れた制度だというふうに注目されております。この中で、こういう子供さんたちをどのように発見していくのかというふうなところで、今、専門家チームが作って厚生労働省の方で進められているというお話も伺うわけですけれども、もう一つ、先生のおっしゃったように、だからといってその子供をそういうふうに決め付けてしまったり、落ち着きがないからといってADHDだというふうなことにやっぱり非常に問題があると思いますので、そこのところを、やはりその子供さんを見て、どう理解してどう支援していくのか、あるいは子育てにどう生かしていくのかというふうなところでのサポートが必要で、診断を付けるのではなくて、その診断も、その援助と併せた上での診断というふうなことが非常に重要だなというふうに思っています。  今日述べられませんでしたが、多動な子供さんを抱えてお母さんがやっぱり育てにくいというふうなところから虐待の率も非常に高いというふうなことを言われていますので、そういった意味からも、今、先生がおっしゃったように、やっぱり早期に発見して、そこを支援とどう結び付けていくのかというふうなところを是非お願いしたいなというふうに思っております。
  39. 山本和儀

    参考人山本和儀君) 一部重複するわけですけれども、要はそういうことが言える体制であるということが大事なんです。自分子供はこういう状況にあると、隣近所の人にそのことを打ち明けられる地域であるかどうか、そういう優しい地域であるか、それからまた行政がそれを支えるシステムを持っているか、保健所あるいはそういう病院を含めてですね。それはそれでやっぱり大事なんで、要は自分のことが言える体制を作ることなんです。単にそれを言うたらあかんとかあくとかいう話じゃなくして、みんなあいていいわけですよ。言える体制を作ること、地域でですね、それを是非作りたいなと。  それで、今の話にもあったですけれども、療育体制はどういう体制かというと、具体的に言えば、子育てできる体制であればええわけですね。その中でいろんなものが実は見えてきます。必要であれば医療のシステムに乗ればいいわけですから、そういう相談できるところが大事だと思います、日常的にですね。
  40. 高橋紀世子

    高橋紀世子君 初歩的な質問なんですけれども、聾唖者に対して手話教育がなされていないように聞いたことがあるんですけれども、それを教えていただきたいと思います。  それから、点字の投票用紙はありますでしょうか、それを伺いたいと思います。
  41. 玉村公二彦

    参考人玉村公彦君) 聾学校などのところでの教育の問題というようなことで、主に手話の導入がなかなかなされていないのではないか。これは歴史的な経過があって、大体のところが口話法ということでやっておられるんではないかというふうに思っています。  ただ、最近は手話を導入する学校が増えてまいります。奈良県の奈良県立ろう学校は手話を導入しています。幼稚部から手話で、生き生きとしたようなコミュニケーションを作って、子供たちがたくさん遊ぶと。そういうものを前提にして、小学校ところで、小学部のところにも上がってきて手話で日本語を学ぶというようなことになってきています。そういうように手話で育ってきた子供たちが今、小学校、小学部の四年生ぐらいになっていますので、今後の実践的な検討が待たれるというふうに思っています。  そういうふうになってきた経緯というのは、聾唖者の当事者団体などのところからやはり手話を導入をしてほしいという要望があったりしております。手話も厳密に言いますと、日本語対応手話という手話か、日本手話といって聾者の作り出してきた言語ということで日本手話なのかというようなこともございまして、どういうような体制で手話を導入をしていくかと、コミュニケーション手段として手話を導入をしていくかというような事柄について今議論が高まっているというような現状です。そういうようなことも含めまして、非常に大きな聾教育ところでの課題になっていると。  済みません、もう一点、聞き逃してしまいましたので、ちょっと御質問を繰り返して……
  42. 高橋紀世子

    高橋紀世子君 点字の投票用紙はありますでしょうか。
  43. 玉村公二彦

    参考人玉村公彦君) 投票に関してなんですけれども、点字投票はできるようになっているというふうに思います。ただ、選挙公報の点訳版というのが十分でないというふうなことを言われていたりします。そういうようなことも含めて、各投票所のところで視覚障害者の人たち用の投票をする方へというようなことで点字盤も設けられていて投票ができるようになってきているということです。  こういうような点字もまた文字であるというふうなことが決まりましたのは大正時代というようなことなんですけれども、障害者人たちの権利の拡大と、先ほど保護から権利主体へというようなお話がありましたけれども、コミュニケーションも障害者人たちのコミュニケーションとしてそういうものを公的に認めていくというようなことも、障害者が権利主体になっていくと。あるいは、ゆっくり発達をしていく、そういうようなとこら辺で学んでいくというようなことで権利主体になっていくというようなこともありますので、障害者それぞれ、障害のある人たちの特性というようなこともとらえながら権利主体になっていくような教育というもの、あるいはその障壁となっているようなものを除去をしていくというようなことも共生社会の大きな課題ではないかというふうに考えております。  どうもありがとうございました。
  44. 高橋紀世子

    高橋紀世子君 ありがとうございました。
  45. 有村治子

    ○有村治子君 自由民主党の有村でございます。今日は本当にありがとうございます。  実は、さっきからお話を伺って、今日、言おうか言わないでおこうか本当に迷っていたんですが、高橋先生からの御発言がありましたので、提案をさせていただきたいと思います。  実は、聾学校で手話が使われてこなかったことを、たった今、陳情で、この午前中二時間、聾の方々親御さんから痛切な陳情を受けまして、私も痛感したんですが、手話を使ってもらえないから聾学校に行っても言っていることが分からない子供たちが本当に苦痛で苦痛で、じゃ手話を使ってくれる学校を私たちで立ち上げようといってNPOでやっていらっしゃる。その手話を使って初めて聾学校でニーズが、学習ニーズが満たされなかった子供たちが輝いてきたというのが、その唯一のNPOの学園で日本で初めてなされている学校。だけれども、文部科学省は、手話で耳の聞こえない人たち学習するというのはいわゆるメーンストリームじゃないということで、非常に大きな問題が起こっているようでございます。  それで、今ちょっと読売新聞、東京新聞、朝日新聞、ジャパン・タイムズもこの動きを取り上げているようなんですが、どうも文部科学行政が追い付いていないという現状の中で、彼らがお金を出し合って、本当に自転車操業で、NPOの龍の子学園というのを作っていて、悲鳴を上げているというのを正に今日、朝聞きました。  口語手話というのだと、赤ん坊の首が据わったよということがコミュニケーションで分かるらしいんですが、それ以外の手話で聾学校の先生が手話で言おうとすると、赤ん坊の首を取ってしまって、その首が据わったよというふうにしかコミュニケーションが取れないので、耳の聞こえない子たちは本当に何言っているか分からないというのが現状だということを聞きました。  もし御賛同いただける先生があったら、理事会でも、私ももっと調べた上で理事会の先生方にも御報告に行きますので、また現状視察なり、このことで、文部科学省の行政で困っている人たち、新聞、メディアも追い掛けているんだけれども、行政が付いてきていないという現状を勉強していく機会をいただけたら本当に有り難いと思います。  提案です。
  46. 狩野安

    会長狩野安君) 理事会で検討させていただきます。  あと、どなたか。──もうよろしいんですね、質問じゃなくてね。
  47. 有村治子

    ○有村治子君 はい、提案です。
  48. 狩野安

    会長狩野安君) もうどなたか、いらっしゃらない。  では、他に御発言もなければ、以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人方々には、長時間にわたり貴重で有意義な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。ただいまお述べいただきました御発言につきましては、今後の調査参考にさせていただきたいと存じます。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  ありがとうございました。(拍手)  次回は来る二月二十五日午後一時から開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後三時二十六分散会