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小林元君 大変ありがとうございました。
これからも
京都議定書の発効に向けまして、
是非大臣も引き続き頑張っていただきたい、こういうふうにお願いをいたします。
そこで、今回の
法案でございます。
大気汚染の問題でございますけれども、非常にこれは歴史的に、先ほどもいろいろ
ベトナムの話がありましたけれども、
日本でも大変な問題がずっとあったわけでございます。
一番
最初というか、よく分かりませんけれども、私らが認識しているのはやはり銅山なんですね。茨城県には日立鉱山という銅山がございます。ここで私はつぶさに見ておりますけれども、やはり足尾の方は、有名な田中正造さんという方が国会でいろいろ論議をして、鉱毒事件、どちらかといえば水質汚濁といいますか、渡良瀬川に鉱石といか残滓、鉱滓類が流れ出して、水田始め、あるいは谷中村が滅亡するというような、そういう大変悲惨な
状況があったわけでございますが、足尾も、製錬所、鉱山の方に行きますと、全山枯れ山といいますか、現在は大分植栽がされておりまして緑が増えておりますけれども。日立の方でも、やっぱり農作物の被害、森林の被害ということで、これは足尾銅山は明治二十二年のころでしょうか、そして日立の方は少し後れておりまして明治四十二年のころ、日清戦争の直後だろうと思いますが、そのころに大変な問題がございました。
日立では地元の市町村、市はありませんが、町村長さんとか村の有力者たちが一生懸命やって、
皆さん御存じだろうと思いますが、新田次郎が「ある町の高い
煙突」という、この本が出たのは昭和四十四年でございます。ちょうど光化学スモッグが発生をしました昭和四十五年の一年前でございまして、
環境省が発足したのは、この間も申し上げましたが、その翌年というようなことでございまして、やはりそういう問題が契機になって
環境省も発足したし、
日本の公害対策あるいは
環境問題というものが取り上げられるようになったんじゃないか。そういう意味で
大気汚染問題というのは、水質汚濁の問題もございますが、大変重要な問題ではないか、そういうふうに思っております。
日立では、そういうことで、その当時、国としてもいろいろやったようでありますが、鉱毒予防調査会というのを発足させまして、明治四十二年ですね、そのとき言ったのは、亜硫酸ガスを濃度を低く下げてといいますか、希釈、拡散をすべしと。千分の一・五とか千分の三とかというような
状況まで希釈、拡散をして出しなさいと。
それから、その当時は煙じんと、こう言ったそうですが、煙のちりですね、今ではばいじんといいますか、そういう言葉だろうと思いますが、そういうものも回収するようにというようなことで、結局、希釈、拡散するために試行錯誤で
煙突をいろんな種類の、ムカデ
煙突とか、あほう
煙突、つまり役に立たなかった、高さが足りなくて十分活躍できなくて、そして
最後は大正三年になりましたけれども、大正四年でしょうか、百五十五メーターの世界一の
煙突というんでしょうか、そういうものを作って、やっと被害が少なくなったというような歴史がございます。
いずれにしましても、
大気汚染の問題というのは古くて、しかも現在も続いて、光化学オキシダントによる注意報、警報というような状態がまだまだ続いているということは、これからも一生懸命取り組まなければいけないと。そういう意味で、今回の
法案の提出ということになったんだろうと思います。
そこで、簡単で結構でございますが、今回の改正案、SPMあるいは光化学オキシダントに係る
大気汚染の現況に対応して、VOCを
規制をする、ここは
規制が掛かってなかったわけでございますが、しかし光化学オキシダントといえばSOxとかNOxとかばいじんとか、そういうことで大気中では浮遊粒子状物質の構成物質ということになるわけでございますから、そういう意味で平成十三年には自動車のNOx・PM法が決まったわけでございますけれども、こういう中で相当削減はされてくるということになりますけれども、この全体像というのはどうも、今回このVOCに関してぽんとこう出てきたわけでございますが、その辺のことの、今回VOCをどうして取り上げるのかというようなことも含めて
お話をいただければと思います。