○
加藤(紘)
委員 カミオカンデとそれから
浜松ホトニクスのその
共同の
関係というのは、いろいろ今初めてお聞きしたことが多いんですが、
小柴先生の
ノーベル賞受賞についてはいろいろなストーリーが当時書かれていましたけれども、今のお話で、やはり
研究者というものと、それから、それを助けて
装置をつくる
人たちの物すごい取り組みで、こういう
日本だけにしかない
成果ができるんだと思いますね。
それで、
先生、申しわけない、私は
小柴先生の
高等学校の後輩なんですけれども、
物理は余り得意じゃなかった方なものですから、
素粒子がどうした、それから
ニュートリノに
電子を当ててと言われると、だんだんもうわからなくなって、もう既にわからなくなっているんですが。
それで、私は、
ノーベル賞を授与される前に、いや大変な
装置だよというので、
岐阜県の
神岡に行ってみたんです。そうしたら、
直径四、五十
メーター、深さ六、七十
メーターの
水槽ができていまして、そこに水をたっぷり入れて、その周辺に、
今小柴先生がおっしゃった、
直径五十センチぐらいの巨大な
増倍管という
ランプが一万一千百個ついているんですね。強烈なものでしたね。私が行ったのは、一年に一遍ぐらいですか、水を抜いていくときなものですから、水のない
水槽の中に入ってずうっと見ていましたら、ある種の鬼気迫るものがあったと思うんです。
それで、あの
研究所の
所長さんに、現場の
所長さんに、
ニュートリノというのは何ですか、それがわかったら一体どうなるんですかと聞きましたら、
地球がどうやって生まれたかということがわかるんだ、星がどうやって崩れていったかがわかるんだと。それで、ある全く新しいどこかのすい星が、星が壊れた、その壊れたときに
素粒子とか
ニュートリノとかというものがばんと
宇宙に出てくるのである、それをここでぴいっと捕まえて、それをぴたっとカメラで撮って
電気信号に変えるんだみたいなことをおっしゃっていたから、それで、我々の生活とどうなるんですかと聞きましたら、それはわかりませんねと。それで、では、なぜ
研究なさるんですかと言ったら、
宇宙の真理を探るんだと。よくこんな
研究にお金をつけたなと思いまして、それで、まあ私もしつこいですから、なぜそれで我々の将来に何か
考え方が変わることがあるんですかと言ったら、驚くことを言いまして、これは正確に理解しているかどうか知らないけれども、こういう
ニュートリノというのに重量があるということがわかると、この
地球が三十億年ぐらい後にぼんと破裂してなくなるんだということになりますねというようなことをおっしゃっていまして、ということは暗い話ですねと言ったら、それは、でも真実なんですというようなことを言っていました。その辺はちょっとわかりませんけれども。
それで、
浜松ホトニクスの
社長に聞くと、だから光は
哲学です、時間は
哲学ですみたいな、わけのわからないことをおっしゃるんですね。
でも、これによって、私は、
バイオテクノロジーの、たんぱく質の
解析もやれるような
技術に、いろいろなところに展開していくんだろうと思うし、
ナノテクノロジーでいわゆる超LSIの線をどんどんどんどん細くしていって、そして
携帯電話が多分
切手大ぐらいまでになったり、
アメリカのコングレス・オブ・ライブラリー、つまり
国会図書館の資料が角砂糖一個の中に入りますよみたいな
アメリカの話も、多分
浜松ホトニクスの光によるいろいろな検査の力がなければできなかったんじゃなかったかなと、そういう
世界になっていくだろうし、恐らくこの
光電子増倍管の
世界では七〇%の
世界シェアを持っていて、なぜ一〇〇%にしないんですかと言ったら、一〇〇にできます、できるけれども、一〇〇にすると
貿易摩擦が起こるからやらないんですとかと余裕のあることを言っているんですね。
そこで、私がきょう、
あと残りの時間、統一してお聞きしたいのは、
日本にこうやって
小柴さんと
浜松ホトニクスなどの
関係でうまくいった
研究があると同時に、まだまだこれからなんですけれども、
和田さんがおいでいただいた
DNA分析は、
和田さんが
世界に先駆けて提案したし、
日本にもその
技術が十分にあって、もう
最先端を行けるはずだったのに、途中でちょっと足踏みしたところがあるんです。本当に惜しいなと思うんだけれども、そこの違いはどこから来たのか。
行政が判断を間違えたのかねと、
政治家が
先見性がなかったのかねと、それとも学界が非協力的であったのかねと。そして、これを検証して、今後我々、二度と同じような間違いをしたくないなというようなつもりなものですから、ちょっとお二人の
大学者に
一緒に来てもらったなぞという失礼の段になったことをお許しいただきたいんです。
その前に、それでは
和田さんの方の
DNA分析の話をしますと、
人間の
DNAというのは、三十億の
塩基対が連なっている、記号が殻の中に、細胞の中にあるというのはよく書いてありますけれども、それを
日本でやろうじゃないかと言ったのは
和田さんで、そして
世界の中で一番早かったと僕は思うんですね。
DNAの構造を見つけたのはもちろん
アメリカなんですけれども、
DNAの
解析、シークエンスというのをやってみようというふうに提案されたのは、たしか
和田さんが初めておっしゃられたのは二十五年ぐらい前なんじゃないかな。一九八一年ぐらいからおっしゃられて、ここに表があるんですけれども、一九八一年に
DNAの抽出・
解析・
合成プロジェクトというのが
和田さんを
委員長にして発足するんですね。その後どんどんどんどんといくんですけれども、
最後に、二〇〇〇年に
アメリカの
セレラ・ジェノミクス社という
民間の
会社が
ヒューマンゲノム三十億
塩基対を読み取ってしまう。そして、その読み取ってしまうのに使われた
技術は
日立の人がつくった。
私はいろいろなところでこの
写真を目にするんです。それはこれの
写真で、一九八七年に
和田さんが
委員長で、
DNAの
解析をみんなでやりましょうと、
世界の
最先端の
学者が岡山市に集まった。そしてそのときに、いろいろなすぐれた
学者がいるんですけれども、ここにいる
神原さんという
日立のシニアフェローが
DNA分析をだだっとやるある
技術を、
キャピラリー分析機とかというんですけれども、それを考案した。それから、もっと
日本には埼玉
大学の別の
先生もいた。
ところが、結局、我が方
国内の事情でそれが特許にならずに、
機械にならずに、
製品にならずに、そしてそのときに、あんた
たちが
製品化しないのならば、ではこれいただきと言って持っていかれた人がここにいる
アメリカの
研究者。
カリフォルニア工科大学の
研究者で
名前がマイケル・ハンカピラーという人なんですが、この人が
アプライド・バイオテクノロジー会社、ABIというのをつくって、そしてそれから
製品をパーキン・エルマーという
装置会社につくらせて、そして
ベンターという
仲間と
一緒に
セレラ・ジェノミクス社という
会社をつくって、驚くことに当時は
アメリカ、イギリス、
日本、この三つの地域で、
国際共同で
政府の金で三十億を一生懸命読んでいこう、といったのを、この一
民間会社が御承知のように二年早く読みこなしちゃった、
民間ビジネスの
会社が。そして翌年には、
クリントン大統領と
ブレア首相とその
セレラ・ジェノミクス社の
社長の
ベンターがホワイトハウスで、我々やったからねとファンファーレ高らかに
世界に宣言して、
DNAはこっちのものさというふうにやったわけですが、それがやられたというのは、私がいろいろ聞いた中では、
日立製作所の
神原秀記という
研究員の
研究成果を全部使ったわけですね、
アメリカの
解析機械メーカー及びそれを使って実行した
分析会社が。
日本がこれだけいいものを持っていて、発想、それから
技術を持っていて、どうして花開かなかったのか、そこをきょうお聞きして、そして、まだまだ私は、
カミオカンデの
実験は続くし、それから
バイオの
世界の勝負もこれからだと思っているものですから、では我々
政治家が今後どこに注意したらいいのか、役所の人にもどこを頑張ってもらわなきゃいけないのか。何せ
科学の話というのはわからないものですから、できるだけわかりやすく、この違いみたいなものがどこにあったんだろうというところを
和田さんにまずお願いできますか。