○岩國
委員 こういった緑の比率、当然、東京と出雲市を比べるというのは不公平な話ですから、もともと緑しかないようなところと緑を失うことによって栄えたところと、簡単に比べるわけにもいきません。
したがって、人口規模等で類似のところとは、
自分のところのいいライバル、いい
意味の好敵手はどこだなと、それを
意識することによってお互いの自治体がいい方向へ競争するということをぜひ、民間の協力も得てそういう指針らしいものを、
最初は試行錯誤で大ざっぱであっても私は出した方がいい、そのように
思います。ぜひ御検討いただきたいと
思います。
次に、
農村風景との一体性ということも少しはこの
景観法案の中に出ているように
思いますけれ
ども、この点については我が党の岡本
委員の方からまた質問する予定になっておりますから、私はその点は省略いたしまして、この
景観法案に関連して、学校教育の中でどういう教育が行われているか。
先ほど
石原大臣の御答弁の中で、宮崎県の例も出ました。そういった例は非常にいい例で、私もうれしく
思いましたけれ
ども、もっともっと組織的に、小学校、中学校の教科書の中で、ケイカンという言葉が、お巡りさんじゃなくて、
景観という方が
子供たちにもなじみがあるように、多分、今の
子供たちにケイカンと言ったら、お巡りさんぐらいの話しかないと思うんですね。ところが、先ほど調べていただいて、中学校の社会科の副読本で
景観という言葉が初めて登場するわけです。
環境という言葉は小学校五年生の教科書から登場してくるようですけれ
ども、
景観という言葉ももう少し年次を繰り上がるようにして、文部科学省とも協力していただいて、やはり
子供たちがきれいだと言うこと。やはりお父さん、お母さんにとって怖いのは、
子供の一言なんですよ。役所の人間から町が汚くなったと言われるよりも、
自分の
子供から
自分たちの町はちょっとよそよりも汚いねと。そういう
子供たちの一言というのはみんなインパクトがあるものなんです。
ですから、ぜひ、学校教育の中で
景観教育というものも強調するような協力関係を文部科学省を通してぜひやっていただきたいと私は
思います。
また出雲の例を強調してあれですけれ
ども、出雲市では木のお医者さんをつくりました。御存じだと
思いますけれ
ども、樹医
制度。人間にもお医者さんがいる、動物にもお医者さんがいる。木にも命がある。その命のある木にだけはお医者さんがいない。間違いだと。
私は、
平成元年に十人の木のお医者さんをつくったんです。たったそれだけのことで
子供たちにもすぐにわかるんです。木にもお医者さんがいる。木にも命があるんだ。木に命があるということを知った
子供たちは木をいじめなくなるんです。そういう
子供がこれから育ってこそ、木を大切に、森を大切に、山を大切に、地球を大切に、自然を大切に。
環境教育の原点は、周りの木にも命があるということをわからせること。
今、農水省、林野庁がまねをして、
全国に一千人の木のお医者さんができています。世界の国の中で木のお医者さんがいるのは
日本だけなんです。
そういったようなことも、
景観とか緑とか山林とかいうことをおっしゃるのであれば、国交省はもっと積極的に教科書の中に踏み込んでいく、いい
意味の口出しをすべきではないか、私はそのように
思いますけれ
ども、
大臣はどういうお考えを持っていらっしゃるのか。
それから、
景観と、もう
一つ眺望という言葉がありますね。
景観と眺望は国交省ではどのように意見を違えておられるのか。眺望というのはもっと大きな眺め、
景観というのは短い眺めですけれ
ども、こういった点についてもお伺いしたいと
思います。
大臣の御所見をいただけますか。ごく短くお願いします。