○
辻山参考人 辻山でございます。
大変な
議論をされていることを
承知しておりますが、御
発言の機会を与えていただきましてありがとうございます。
私、実は、
自主課税権を
中心としてということも含んでお招きにあずかっていると思いますけれども、あらかじめ申し上げておきますと、
課税権自体についての
見識はそれほどございません。
事務、
権限の
配分に伴って適切な税源の
配分がなされればよいということでございますので、とりあえず、現在、
地方自治がどのような
状況にあるのかということを御報告申し上げたいと思います。
最初に、
分権一括法が施行されて既に五年目に入りましたけれども、この
分権一括法が
地方自治に対してどのような
効果を持ち得たのか、今持ち得ているのかという点について、何点か申し上げておこうと思います。
御
承知のように、五年前の
地方分権改革は、
行政統制と言われる分野を緩和して、できるだけ
地方自治体の独自の行動を保障していくということでございました。その象徴は、実は
通達による
統制ということでございまして、
国家行政組織法における
訓令権が
地方自治体を縛るということから解放していくということが行われたのでございました。
そこで、
通達という
用語自体が廃止され、現在は存在しておりませんけれども、実は、それにかわって、技術的な
助言、
勧告という
方式が採用されております。この
技術的助言、
勧告に変わった趣旨と申しますのは、
各省大臣の
訓令権を行使するまでもない、いわば
自治体運営の指針とすべき
内容については、これを見直し、
通達による縛りを緩めていくということでございました。
しかるに、現在提出されておりますこの
助言、
勧告というものは、ほとんど従来の
基本行政通達と
内容が変わらず、一部見直しが行われたにもかかわらず、ほぼ
出版社において表紙を取りかえた
状態で
自治体では横行している
状況がございます。
各省が、一刻も早く、この従来から通用してきた
通達が今日もなお必要であるかどうかということについて精査をすることが第一に肝要かと存じます。
また、
自治体の側も、とりわけ
都道府県行政において、
地方分権への取り組みの意識がまだ徹底していないと思われる
状況がございます。一部の県においては、国からの
通達等に対して、今でいいますと
通知等に対して、この
文書には
拘束力はありませんというただし書きをわざわざつけて
市町村に手渡すということをやっているところもございますが、多くのところは、これまでどおり、ほとんど
市町村へ流すということが行われているようでございます。
端的に申しますと、国の
関与の
項目に従えば、
都道府県は国の
各省から
文書を受け取ったときには、これは不当な
関与に当たらないかどうか、違法な
関与ではないかどうかを判断し、それに当たる場合には、
国地方係争処理委員会に申し出るなどの行為が必要でございますけれども、ほとんどそれがなされていない現状があるということも事実でございます。
そういう
意味で申しますと、実は、
中央の
各省及び
都道府県を含めて
地方分権改革が行われたのだということの意義をこれからもう一度徹底していくという
作業が必要になっている、こういう
状況にあるということを第一に申し上げておきましょう。
第二は、いわゆる
法定受託事務について、
各省大臣は、そのよるべき
基準を定めることができるということになっておりますが、このよるべき
基準というものが従来の
訓令権とどこが違うのかという問題がございます。このよるべき
基準というものがどのような
法形式をとって行われるかということについては、
解釈の問題にされておりますので、時に
告示、時に
省令、時に政令という形で示され、それが
自治体行政のありようを拘束するということが行われております。
なぜ拘束するのかと申しますと、
地方自治法第十四条によりまして、
法令に違反する
条例を
制定してはならないということになっておりまして、この
告示もまた
法令に含むという
解釈が展開されているからでございます。
その点で申しますと、2のことでございますけれども、よるべき
基準、いわゆる
処理基準も含めて、国の
法令の
規律密度ということがもう一度検討されなければならないであろうと思われます。
これはまさに、
法律については、この
国会のありように深くかかわるわけでございまして、改正された
地方自治法においても、
法令が
地方公共団体の
事務について
規定をする場合、特に
自治事務については、
自治体の自由な活動をできるだけ阻害しないように立法上の配慮を求めている、これはまさに、
国会自身がそのように判断をし、宣言した
内容でございます。にもかかわらず、
法令の
規定はどうか。とりわけ、
政省令以下の
規律密度について、ほとんど
国会での
監視が行われていないのではないかということが心配されるのでございます。
そういう
意味でいいますと、
地方自治法第十四条の、
法令に違反しない限りという
規定を、
憲法第九十四条にそろえて、
法令の
範囲内でというふうに書き改めるという立法府の
見識を求めたいというふうに思います。
今回の
分権改革におきましては、その
効果として、
議会がみずからの
条例制定権を行使して、
地域における
議会の機能を高めていこうということが期待されたのでございます。この点につきましては、
各地においてさまざまな
自治条例が
制定されるなどの
動きが見られます。
とりわけ、
自治法第九十六条二項におきます
議会の
議決事項の追加ということについて、三重県から始まりましたけれども、
幾つかの県が、みずからの
議会の
権限としてこれを追加していくという
作業が進んでおりまして、そのような面からいいますと、
議会の
活性化というものには目をみはるものがあるということも言えるのではないかと思います。
ただ、率直に申し上げまして、
分権改革の
本当の
効果というのは、実は、これは新聞、
雑誌等でも使われておりますけれども、
分権時代と言われるような、いわば新しい
時代を招来したのだという一種のムードと申しましょうか、観念の定着と言っていいのだと思いますが、そのことが、現在、
各地における
住民と
行政との
協働の
あり方でありますとか、あるいは
町づくりの
あり方でありますとかということを含んで、
自治基本条例を
制定するという
動きにつながってきている。
このことは、実は非常に重要な
観点でございます。とりわけ、
自治基本条例につきましては、これを
地方自治体の
憲法となぞらえて、
地方自治の
基本原則と
運営のルールをそこに定めていこうというような
動きでございます。
言うまでもなく、これは、
市民の
自治権というようなもの、あるいは
市民もまた
地域の
公共サービスを担う
主体である。つまり、
政府にすべてを任せるのではなく、
市民もまた
地域の
自治を担っていく
主体であるというようなことを
出発点にいたしておりますので、当然のことながら、この
条例づくりというものについても、
市民の積極的な参加、
ワークショップ方式などが採用され、今、
市町村及び
都道府県におけるこの
条例づくりの
うねりというものは大変大きなものになってきている。これは、
地方分権改革が断行されたいわば間接的な
効果と言うことができるのではないかと考えているところでございます。
このように、
分権改革を断行されたことに伴う大変よい
側面と、なお
分権改革が
地方に浸透していないという
側面を指摘することができるのでございますけれども、最も懸念されることは、この
分権型システムあるいは
分権社会の創造というものに取り組む間もなく
市町村合併の
うねりに巻き込まれている
自治体の多いことでございます。
御
承知のように、
総務省の統計によりますと、ほぼ半数の
市町村が
合併協議会などの
組織を設置し、
合併の是非について
議論しなければならないという
状況に追い込まれている。共同通信の
全国調査によりますと、ほぼ六割強の
市町村長さん
たちが、今回の
合併について、財政的な困難が予想されるので
合併しかないと答えている。
合併をめぐる機運というのは、私に言わせれば
大変水準の低いものになりつつあると思われます。
合併というのは、やはり
近隣の
市町村が相語らってより広い
範囲で新しい
地域づくりをやっていこうということでなければならないと存じますけれども、残念ながら、現在の
合併は、いわば財政的な困難のために、大きくなることでそれを回避していこうということに絞られている。このような
状況の中で、あの
地方分権推進委員会が示し、そして、
国会で立法された
地方分権一括法の各条項と精神を実行していこう、
分権型社会をつくるために汗を流していこうという気持ちにならないのでございます。
それはなぜかと申しますと、
住民たちに働きかけ、
住民自治の拡充ということを幾ら叫んでも、やがてそれが
合併という形で新しい枠組みにされるのではないか、私は下世話にこれを、いわば
地上げ状態、こう言っておりますが、
分権の
努力が地上げされてしまうのじゃないか、そのような懸念の中で、
市町村は今とりあえず
合併にどう対処しようかということに追い込まれております。まさに
分権への
努力どころではない、このことに私は大変憤りを感じるところでございます。
それは一九九九年の
国会で、たしか七月八日に
地方分権一括法が成立していると思いますけれども、それから約一カ月後の八月六日、旧
自治省の
事務次官通達が出されて
全国に
合併の号令が発せられたということでございます。
まず、
分権をきちっとやっていこうということとの、
順序が逆だということとは別に、
分権一括法によって
通達による
統制をやめていこうではないかということを
合意したにもかかわらず、この
通達によって
合併を進めようとした手法は、旧
自治省、現在の
総務省のとるべき方法ではなかったと私は考えているところでございます。
ただ、今
合併どころではない、あるいは
合併もできない、
近隣との間で話がまとまらないというような小規模の
山間地の
自治体において、実は本来の
意味での自立ということを真剣に考える
動きが出てきているということ、これは私はある種の皮肉かなというふうに思っているところでございます。
大変厳しい
行政の
改革を行って、まさに身の丈に合った
自治を実現していこう、そのためには、例えば、職員の数も減らす、あるいは
議員の数も減らす、町長その他の
役職員の給与も減らすというようなことを断行いたしまして、
住民たちにも
協働作業をお願いし、一緒に
地域の
自治をは
ぐくんでいこうではないかというようなことで汗を流している
自治体、これらはおおむね小さいところでございまして、人口が数千人とか数百人と言われるところでございます。ある
意味で、
本当の
自治ということがこのようなところで行われているということを御報告申し上げておきましょう。
以上のようなことから、
分権一括法のその後についての私の結論は、まだ残っている
税財源の
あり方、現在、三位一体の
改革で手がついたわけでありますけれども、しかし、それが十分であるかどうかということも含めて
税財源の
あり方、さらに、申し上げた
規律密度の
監視機関、これは本来
国会の
仕事でございますけれども、私は、
地方六
団体も含めた
政省令以下の
規律密度について
監視する
機関をつくってもいいのではないかというようなことを考えております。
さらに、
地方自治法自体が、大きな
分権改革を行ったにもかかわらず、まだまだ
規定が細か過ぎるということがございます。この
地方自治法の
規定をもう少し大くくりなものにしていくということも含めまして、早急に第二次の
分権改革というものを行う必要があるのではないかと考えております。
ちなみに、私どもの
研究所が
中心になりまして、一九九六年から九七年、まさに
地方分権一括法が検討されている過程で、
地方自治基本法というものの構想を、全文四十何条でしたか、作成したことがございました。篠原一先生を
委員長とする
自治基本法研究会というものを構成いたしまして、
地方自治の
本旨を具体化する
法律が必要だろう、
地方自治法に優越する
基本法が必要だという
観点でつくったのでございます。ぜひ御一読の上、近い将来においてこれを
制定されることをお願いしたいというふうに思います。
さて、本日の主なテーマであります
地方政府と
中央政府との
権限配分の
あり方について
意見を申し上げたいと思います。
私は、
自治権というものをやはり
法律上も、できれば
憲法上もはっきりさせていくということ、このことを優先すべきではないかと考えております。お聞き及びと思いますけれども、
自治権というものがどのような
内容のものであるかということは、実は
地方自治の
本旨という
言葉をめぐって
議論が展開されているわけでございます。
例えば、大分県
日田市における
車券売り場の設置問題、これは、別府市が経営する
自転車競技の
場外車券売り場を
日田市の中につくるということについて経産
大臣が
許可をしたということでございました。
日田市では、まさにみずからの市域の中に、しかも
日田市というのは古くから落ちついた
自然環境の中で
町づくりを進めてきた、まさに
町づくりの
自治ということについて非常に
住民とともに歩んできたということが主張されておりまして、そのようなところへ、みずからの
自治体の
合意なしに、外からだれかが
車券売り場を設置するという決定をする、そのことは
自治権を侵害するのではないかというようなことが今裁判所で争われているのでございます。
自治権というものは、一体どういう
内容として構成すべきなのか。
私は、一応
原則としては、
自治権というものには
当該地方公共団体の区域内における全
権限制というものをまず
前提にしなければならないだろうというふうに考えております。そして、この
自治権というのは、第一義的に、
基礎自治体である
市町村に与えられるというふうにしてはどうか。この
自治権の
内容というのは、どのような
自治行政について
責任を負い得るか、それぞれの
市町村がこの
仕事は私
たちの
仕事として
責任を持ってやろうということを決定する
権限と考えてはどうかということでございます。
したがって、人々が生活する
地域社会に生起するさまざまな
課題、これをまず第一に
市町村がみずからの手で解決できるかどうかということを判断し、それを
市町村の
事務として列記する。それが例えば、
財政的行政能力の
側面から無理だと感じたところは、それをみずからの
事務として採用しないという
権限、これを
市町村に与えるべきではなかろうかと考えるわけでございます。その
仕事はどこへ行くかというと、言うまでもなく、
都道府県という
地方政府の
仕事ということになる。言ってみれば、
補完性の
原則と言われるものでございます。
そのようにして、次第に
市町村から県へ、県から国へという形で、より広域的で、より重大な
事務については、上へという
言葉が適切かどうかはわかりませんが、さらに広域的な
政府の
仕事として
配分されていく。この
補完性の
原則を徹底的に組み立てていくということが、
自治権というものの存在を明確にしていく
作業ではないか。
現在は、
都道府県にも
自治権らしきものがあり、
市町村にも
自治権らしきものがあり、それぞれがいわば調整をしながらやっているという
関係でございますけれども、それにいわば
優先順位をつけていくという発想が必要なのではないかと考えているのでございます。
こういたしますと、
現行の
地方自治法で採用されている
法定受託事務、
つまり法の
規定によって各
団体が受託するという
関係はなくなるということが想定されるわけでございます。
都道府県の
事務となったものはそれは
都道府県の
自治事務、
市町村の
事務として留保されたものは
市町村の
自治事務と考えるべきではないか。
第二点目は、
法令の
適用除外ということでございます。
先ほど御紹介いたしました
地方自治基本法の
考え方、この
地方自治基本法の中には、
自治体は
自治基本条例を
制定することができますよというふうに一応書こうということにしております。そして、その
事務については、
法令の
規定を除外するという
権限特例を認めてはどうかということでございます。
この
自治基本条例は、
憲法九十五条を援用して、
住民の投票によってその
効果を発揮するということにしておりますけれども、同時に、これに伴って、
法令の
適用除外を明記する
権限特例法というようなものの
制定を求めたいというふうに考えております。
どんな
適用除外を考えているかと申しますと、例えば、
基本条例の中で
市町村議会議員あるいは
市町村長の
選挙権等について十八歳からの
選挙権を認めるというような場合、これは
現行の
地方自治法及び
公職選挙法に触れるということになりますけれども、そのような
基本条例規定を置いたところは、
公職選挙法の
規定にかかわらず十八歳からでもよかろうというような
考え方でございます。
以上のように、もしかすると、ここは詳細に理屈を詰めておりませんが、
最初に申し上げたように、
市町村から
事務を選択していくというやり方を徹底すれば、この
適用除外という
考え方は論理的に要らないのかもしれないわけでございますけれども、今のところ、ラフな設計としては、この
法令の
適用除外というのは
意味があるのではなかろうかと考えております。
憲法の第八章についての
考え方を、次に述べようと思います。
まず
最初に、私
自身は、今日の
地方自治にはいろいろ問題はございますけれども、この問題あるいは将来についての
課題というようなものは
憲法規定の
不備が原因だというふうには実は考えておりません。
憲法規定の
不備が
地方自治の発展を阻害しているというふうには認識していないということでございます。そのことは、既に第一の
項目で述べました、
法令の
規律密度、
行政統制あるいは
税財政制度の問題が長きにわたって集権的であったということに実は起因していると考えております。
そういう
意味で、
地方分権改革が断行されたわけでございますけれども、なお指摘した点についての改善を進めていけば、
相当程度、
分権型の
自治が実現していく
可能性はあると考えているところでございます。
なお、あえて今日における
憲法改正ということを
前提にして第八章について何らかのアイデアはないかと言われるならば、
幾つか指摘することができそうでございます。
例えば、
憲法第九十三条が、
地方公共団体に
議会を置く、さらに二項で、その長、
議会の
議員は、
住民の直接公選にする。これは、
講学上、いわゆる
二元代表主義をとっているのだ、こう言われておりますけれども、この
憲法で定めた
二元代表主義というものは、具体的な
地方自治運営にどのような制約をもたらすのかということは明確でございません。
例えば、
二元代表制に基づく
機関対立主義であるにもかかわらず、
自治体議会の
市町村長不信任案が認められており、
市町村長からの
議会解散権が認められているという問題、こういうこともございます。
また、もっと大きな話で申し上げますと、果たしてすべての
市町村が、大は三百四十万人を超える横浜市から、あるいは
都道府県という
団体、小は五、六百人という小さな
市町村まで、すべて
議会を置き、
市町村長を別に選挙しなければならないかどうかということについても、
自治体の選択に任されていいのではないかということが考えられます。もちろん、具体的には
地方六
団体の
方たちにも御
意見はあろうかと思いますけれども、検討の余地はあるというふうに申し上げておきます。
さらに、
二つ目については、これはかつて九十四条の
議論を一九四五、六年に行った際に取りざたされたといいましょうか、原案で扱われたものでございますけれども、いわゆる
チャーター制度と言われるもの、一度、この採用について検討してみてはどうかということがございます。
先ほど申しました
自治基本条例における
法令の
適用除外というようなことをイメージしているわけでございますが、ほぼ
内容的にも近いものだと思います。
アメリカ諸州で採用されているような
チャーター、この
チャーターによって、それぞれの
自治体の
代表組織、取り扱うべき
事務の一覧、それに要する経費の負担というような
原則を書き込んでいって、これを
国会によって承認していく、それによって
自治権がそこに定立されるというような仕組みがあり得るのではないかということを考えているところでございます。
三点目は、
中央政府と
自治体の責務ということでございますけれども、ここで申し上げようとしているのは、この国が
連邦制を採用しないということであるならばという
前提でございます。
恐らく、
憲法全体を見直していくという
前提に立っても、
連邦制を採用するためには
幾つかの
国民的合意が必要な気がいたしますが、もし、今日と同様、
憲法を一つとし、つまり
唯一最高の
機関として
国会を置き、これまでのように
国家が
国民の
ナショナルミニマムを実現していくという大
原則を堅持していくということであるならば、現在の
税財源配分に
幾ら手をつけていっても、大きく是正される道はそうございません。というのは、戦後半世紀にわたって
地方の資源は
相当程度中央に集中しているのでございまして、税源を分散しても担税力がないのであります。
したがいまして、今申し上げた
連邦制への移行を考慮しないのであればという
前提つきでありますが、
相当程度、
中央政府は
地方の
自治体に対する財政調整の義務を負わざるを得ないだろうと考えているのでございます。
その点について、現在の三位一体
改革というものはやや不十分である。なぜならば、税源が移譲される予定でございますけれども、どのようなシミュレーションを経ても、なお削減された補助金には到達しないという
自治体が数多く存在するからでございまして、従来よりも財政の格差が広がるということが指摘されているのでございます。
これが、もし
憲法について、改正していこうというような
合意のもとで何かアイデアを出せと言われるのであれば、以上のようなことを申し上げておこうと思いました。
第四点目に、
自治体の適正規模論ということでございますけれども、これは既にお配りしてあります
意見の概要にありますように、何が適正な
自治体の大きさであるかということについてはなお
議論の余地があって、今進められているように、一万人未満についてはこれを整理していこうとか、あるいは十万人だったらいいだろうというようなこと、このように規模で
議論することにはなお疑問があるということを申し上げようと思いました。
要は、その規模の
自治体がどれだけの
自治をそこで実現していけるのかということでございますので、当然、財源や
権限、
事務の量などとの見合いで考えていくべきであろうということでございます。
第二十八次の
地方制度
調査会が道州制の
議論を進めるということにしているようでございますけれども、これについても、道州制とはどのような
内容の
政府形態であるのかというようなことについてもまだ明確でない
状態で、一方で小規模町村の整理、一方で道州制という大変乱暴な
改革が進んでいるということを懸念していることを付言いたしまして、時間が参りましたので、以上で私の
意見陳述を終わらせていただきます。
ありがとうございました。(拍手)