○
笹田参考人 北海道大学の
笹田でございます。
先月来、体調を崩しておりまして、この
委員会にお誘いいただいたときに、何とか行かなければと思い、ようやくここにたどり着いて、ほっとしております。非常に名誉ある
委員会でございますので、その責を果たしたいと考えております。
まず、今、
最高裁判所の
事務総長の方からお話がありまして、私も非常に勉強になりました。いろいろとおもしろい指摘をいただいて、ありがたく思いました。そういいましても、私も一応原稿等書いておりますので、それを見ながら話を進めさせていただきます。
まず、「はじめに」とレジュメの方に打っておりますが、現状
認識でございます。これは、とりわけ、二〇〇一年六月に
司法制度改革審議会
意見書が出まして、この審議会では違憲
立法審査権をさほど取り扱わなかったのですが、しかし、こんなふうに述べております。
「この
制度が必ずしも十分に
機能しないところがあったとすれば、種々の背景事情が考えられるが、違憲
立法審査権行使の
終審裁判所である
最高裁判所が極めて多くの
上告事件を抱え、例えば
アメリカ連邦最高裁判所と違って、
憲法問題に取り組む
態勢をとりにくいという事情を指摘しえよう。
上告事件数をどの
程度絞り込めるか、」「大
法廷が主導権をとって
憲法問題等重大
事件に専念できる
態勢がとれないか、等々が
検討に値しよう。また、
最高裁判所裁判官の選任等の在り方についても、工夫の余地があろう。」と述べています。
審議会の
会長を務めました佐藤幸治教授は、今の点につきまして、後に、
憲法事件がともすれば一般の
事件の
処理の中で埋没しているのではないかという根本問題があるとも言われています。
ところで、
事件を
最高裁の中で大
法廷に回付するケースについて少し話を述べておきますと、非常に少ないということはよくおわかりだと思います。この点について、先般おやめになりました千種
最高裁判事、この方は恐らく
裁判官出身の
判事だったと思いますが、毎日小
法廷事件に追われていると大
法廷の審理に時間をとることが難しくなり、
事件を大
法廷に回付しにくい
状況になると述べられております。私は、やはり、この大
法廷回付が少ないということも、
一つ考えなきゃならないことだと思います。
次に、
憲法裁判の現状についてですが、これはよく、
法令違憲の少なさ、すなわち五種六件の
判決しかないという指摘がございます。したがいまして、この点につきましてはここではあえて言う必要もないかと思います。
一点だけ、私の見ますところ、
最高裁判決の中には、
憲法規範、
憲法規定を出してもいいのに出さなくて、
法律の
言葉で、あるいはまた違う
言葉で
解決を図られたケース、これが幾つかあるということがあります。
判決の妥当性は、私は、非常にそれでよろしい、いいなと思いますけれ
ども、何か、我々から見ると、あえて出していないのではないかな、外から見るところではそういうふうに受けとめるときもございます。そういうことが
一つあるということでございます。
また、
裁判を受ける権利について
一言述べておきますと、これは、
司法の役割、そして
憲法裁判と密接に絡み合い、全体として
一つの流れをつくる重要な要因であります。したがいまして、
裁判を受ける権利の
保障が停滞しますならば、その流れもよどむことになりかねません。実は、
最高裁判例を見ますと、
裁判を受ける権利についての理論レベルというのは、昭和三十五年の
訴訟、非訟の大
法廷決定以来、ほとんど変化がないということがやはり私は気になります。
次に入ります。違憲審査制成立の経緯でございます。この点につきましては、本テーマからいきましても、1と3はとりあえず後で何かございましたらということにしまして、2、
最高裁判事の任用資格ということにお話を合わせていきたいと思います。
憲法、
裁判所法制定
過程を見ていきますと、GHQは、
法律家、
法律専門家以外の
人物を入れることに強い懸念を表明しました。それに対し、
日本側はそれを抑えまして、現行の
裁判所法四十一条、「
識見の高い、
法律の
素養のある」に落ちつきます。これは、枢密院、すなわち枢密顧問官や貴族院勅選議員を想定します枢密院と、従来の
大審院とは違う
裁判官を想定します学者
委員、
弁護士会、
司法省の側の見解がくしくも一致したわけでございます。
最高裁判事のうち五名については、「
識見の高い、
法律の
素養のある」ことを条件とした上で、
法律専門家以外の
人物がつく可能性が生じました。
法律の専門的な知識は要求されておらず、かえって、
識見の高いことが要請されております。実は、ここには、
最高裁をどのようなものとして構築するかという問題があるわけでございます。
比較法的に見た場合、違憲審査権を行使する
裁判官の
任命資格を非
法律専門家に開放するのは例外に属します。その例外の
一つであります
フランス憲法院について見るなら、
憲法裁判官の
任命については、いかなる資格、条件、基準も存在しないので、社会のあらゆる分野から
憲法院に
裁判官としてやってくると言われております。もっとも、衆議院の
憲法調査会の
資料で見ますと、
法律家出身が八割ということでございますから、やはり
法律家出身がふえているということは確かなようでございます。ただし、
フランス憲法院に申し立てを行うことができますのは、大統領、首相、元老院議長、
国民会議議長の四名、六十名の
国民議
会議員ないし元老院議員でございます。市民には認められておりません。また、大統領が一たん審署した、サインした
法律の合憲性は問えません。非常に限定されたわけであります。また、提訴権者も市民は排除されております。
ともあれ、我が国の
最高裁判所裁判官の任用資格というのは、実は比較法的に見て非常に特徴的なものであると言うことはできると思います。
次に、少し話を先へ進めさせていただきます。
二、違憲審査制が活性化しない原因。冒頭、
司法制度改革審議会
意見書の話から話を始めまして、
意見書もそういうふうな書き方をしておるわけですが、我々にとっては、伊藤正己先生というのはどうしても英米法の先生というイメージがまだ残っておりますけれ
ども、
最高裁判事を十年近く務められまして、本をお書きになった。そして、これが非常に大きな影響を与えた。我々も非常に影響を受けました。1から5までみんな読む必要はございません。私の
観点からいって、注目すべきはやはり3、4、5ということになります。
3
処理件数の多さからです。ここは、先ほどの
事務総長のお
言葉と少し違うのかなということでございます。ただ、小
法廷にあっては通常
事件の
最終審という意識が強く、
憲法の
裁判所であるという
考え方は生まれにくいという点は、これはどうなのかなと。それと、大
法廷回付を回避する傾向があるということは、総長の方からの話には出なかったのでございますけれ
ども、年間一件
程度しか出てきませんので、それはどうなのかなという気がいたします。そして、次の点、顔のない
裁判官。どの
裁判官に当たってもほぼ同じような
判断が期待される
裁判官を理想とするのが我々の国である、そこでは少数
意見は出ないということでございます。これはまた後で触れたいと思います。
次に、
最高裁の任務と
負担ということを、戦前の
大審院と比較してみたいと思います。
一ページ、レジュメの方を見ていただきますと、整理しております。
大審院は、担当する
事件は
民事と
刑事事件でございました。
最高裁は、それに
行政事件と労働
事件が加わっております。
裁判官数は、若干のぶれがございますけれ
ども、五十名前後と言って差し支えないでしょう。
最高裁判所は、十五名プラス
調査官の方が三十名以上いらっしゃいます。この
調査官も若手ではございませんで、いわゆる第一線の
裁判官がいらっしゃるということでございます。そして、
大審院は違憲審査権はなかった。
最高裁は違憲審査権があります。
さらに、この点、
一つ特徴的なことではありますが、戦前は
司法省が人事権を握っていたわけですね。そこで、
裁判所の
地位が非常に低かったわけです。それもありまして、戦後の
司法制度改革の中では、
裁判所が人事権もすべて握ります。そういう点がやはり特徴でございます。
このような
最高裁への権限はやはり一元的集中であるというふうに、従来のものと比べると、あるいは比較法的にも見ていいと思います。それは、明治
憲法下において
地位が低かった
司法の強化という、それ自体は大変正当な目的を持つものでございました。しかし、
法曹一元あるいは陪・参審を導入することなく職業
裁判官制度がとられたために、結果として、
最高裁を頂点とする一元的な
司法システムがつくられることになったわけでございます。これは、少ない
裁判官数で効率的に
事件を
処理するものでありまして、後に
最高裁によって、全国的に
統一された、等質的な
司法という
言葉で語られるものであります。しかし、これは
民事、刑事の
事件を念頭に置くものであろうかと思います。
解釈者の個性が出てこざるを得ない
憲法事件には、もしかしたら抑制的な
意味がなかったか。これも、外から見ている研究者として、そういうことを考えるときがございます。
2、この点が先ほどの
最高裁からの御
説明と重なるところと重ならないところが出てきて、私は直前にあのお話を伺って、おっと思ったところでございます。
ポイントは、
平成十年の
上告制限導入による変化でございます。
平成九年の既済件数を見ていただきますと、
民事、行政が三千三百四十四件、刑事が千四百三十四件で、合わせて四千七百七十八件でございます。これは
最高裁判所のホームページ上から作成いたしました。そうしますと、
最高裁判所長官は大
法廷のみですから、
裁判官一人当たりが三百四十一件。これは主任でございますから、小
法廷全体では千七百五件ということになります。これは大変厳しかったという
説明でございました。これが、
平成十年の民訴法の
改正によってかなり楽になったという話が先ほど出てまいりました。
その前に、件数から見ていきますと、
改正後は三千三百三件。これは、
一つの
原判決に対する
上告事件と受理
事件を
一つにして一件、
刑事事件が実は千件ふえていますから二千四百九十五件で、五千七百九十八件でございます。ただ、
上告受理事件を除きますと四千八百七十八件になります。さらにその上に、
民事・
行政事件については
判決によって終了する
事件が激減しましたし、より
簡易な
形式でございます
決定事件がふえておりますので、かなり楽になったというお
言葉は、そうかなというところもあります。ただ、一方で、
上告受理事件が実は二千四百十九件という大変な伸びを示しているわけです。したがって、このあたりの
負担というものは無視して私は一応数字をつくって言っているわけですが、多分無視できない数字ではないかなというふうに考えます。
次に、先ほど総長の方から、
最高裁判所の過重
負担について、おやめになった方々の回想録については実はキャリア出身の
裁判官でない人が多いのですよということをおっしゃられまして、私もそうだなという気がいたしました。
例えば、田中二郎先生、元
判事ですが、私は恐らくほかのどの職場に比べても一番つらい職場じゃないかという感じがしましたねという大変すごい感想を漏らされておりますし、島谷六郎元
判事も、午前午後の昼間の時間はもとより、公邸に帰ってからも夜遅くまで記録を読まねばならなかった、六十歳代後半の人が多い
裁判官にとってはまさに重労働であったと述べられております。この方も
弁護士さんではなかったかと思います。それと、最近では、大野正男元
判事、この方も
弁護士さんでございますが、仕事の量とそれに費やされる時間から見ると圧倒的に持ち回り審議の記録読みが多い、その中には新たな発見がないわけではないが、ほとんどの
事件は
原判決どおりでよく、
最高裁の出る余地はない、
最高裁の仕事は
自分の出る余地のないことを確認することなのだろうか、そういう疑問が仕事をしている間にわいてきたことも否定できないと述べられております。
こういうものは、恐らくキャリアの出身でない
裁判官の方々の感想だろうということでございます。先ほど総長の方が、
裁判官の感想をお尋ねになって、そんなことないよということをおっしゃいましたけれ
ども、恐らくそういう
裁判官はキャリア系の
裁判官の方々であって、若いころからずうっとお仕事を続けられて、
上告審の役割については大変に通暁されているベテランの方々、それに対して私が今挙げている方々は、先ほどから述べています、それ以外の方々が入られてされている人です。例えば、その中に例外的に、多分、学者型
裁判官とよく言われます中村治朗元
判事がいらっしゃいますが、この方は、仕事が厳しかったということをおっしゃっていると思います。
最高裁を考える上で、これはある
意味で重要なポイントではないかなと私は思うわけです。すなわち、
上告審的
機能というものに通暁している
裁判官の方々は恐らく苦痛を感じられないというふうな読み方はできないのかということでございます。
それでは次に、3二重の役割ということでございます。
上告審であり違憲審査についての
最終審であるというのがよく言われることでございます。我が国の
最高裁判所は、この二つの役割を担っております。
それでは、ほかの国はどうかといいますと、
ドイツでは、違憲審査は
連邦憲法裁判所、そして五つの
連邦最高裁判所が
上告審でございます。民・刑事が通常
裁判所、
行政事件が行政
裁判所というのがございます。
アメリカの場合はどうかといいますと、我が国での
上告審の多くを州の
最高裁が担っております。さらに、裁量
上告制がございますので、
最高裁判所は、年間百件とか言われているフルオピニオン、すなわち完全に
意見を書くもので済んでいるというように言われております。
このように見ていきますと、我が国の
最高裁判所は、私は、大きな、非常に過大なと言ってもいいかと思いますが、任務を背負っていると思うわけです。その結果は、やはり
上告審としての
機能に傾斜したものとならざるを得ないと思います。
先ほど
人的構成の問題を、
最高裁の御
説明にありました、
弁護士さん四名、
裁判官六名、学識経験者のうち、
検察官が一名、法制局長官が一名、
行政官が二名、学者が一名。しかし、つい先年までは
検察官が二名いらっしゃいましたが、やはり見るところ
上告審的
機能に配慮したものになっていると思います。
この点について、実は、
司法制度改革推進本部に置かれております
法曹制度検討会というのがございますが、その中で
委員を務めておられます佐々木大阪地
裁判事は、現在
最高裁が担っている職責、役割を果たすためには、多数の
民事事件、
刑事事件の
処理が必要であり、人事の本質からいえば、そのような
観点から見た適格者を充てざるを得ないと率直に述べられております。
それでは、次に、違憲審査活性化のためのさまざまな試みというところに入ります。
まず、
上告制限でございます。これは現在、
平成十年から始まっておるわけですが、当然、
最高裁の
負担軽減が目的でございます。重要な
事項を含むと認められた
事件についてのみ
上告を認めるわけです。
決定でよいわけです。ですから、これはかなり
負担軽減になると言われております。
この問題についていろいろと
意見がございますけれ
ども、私は、やはり、顕著な
負担減になるのか、少しぐらいの
負担減では恐らく厳しいのではないかと。目に見える形での
負担減というのがございますれば、それは違憲審査活性化のための大変有効な方策だと考えております。
アメリカはどうかといいますと、
アメリカは権利上訴というものをもう認めておりませんで、すべて裁量上訴に変えました。ですから、
最高裁判所は、仮に
憲法判断を求められても、ペンディングにして、まだ早いよとか、そういう形でとめることができる。ですから、件数が少なくていいわけですね。
ところが、我々の国ではどうかといいますと、
憲法八十一条は、
終審裁判所としての
最高裁と言っております。つまり、二つが予定されておりますね、始審と終審という。と同時に、
裁判を受ける権利というものを言っておりますから、やはり
最高裁への
上告ということは、これは当然予定されているわけですね。だから、
アメリカのようにはいかないということであります。
次に、
憲法裁判所でございます。この点について最近非常に
議論が出ていることは承知しております。私の
意見を述べさせていただきます。
速やかな
判断を下し得るのが
憲法裁判所であるということが
一つだろうと思います。したがいまして、抽象的審査にあります。ただ、
ドイツの
憲法裁判所の
状況を見れば、この速やかな
判断がいつでもよいのかということは注意が必要ではないのかと思います。さきに取り上げました伊藤元
最高裁判事は、なぜ今まで支持してきた
アメリカ型から
憲法裁判所だと言ったのかという根拠について、
裁判所が政争の場となる、政治的争いの場となる危惧が現在ではほとんどなくなったと言っております。しかし、政策問題を
裁判所が真っ正面から扱わなければならない
裁判の政治化、これは本当に消えたのでしょうか。私はそうは思えません。
次に、もう一点、
ドイツにおいては、
憲法裁判所の判例を念頭に置いて
立法過程が営まれるという
意味での政治の
裁判化が語られております。恐らく、この局面では、こちらの方が重要であります。法案をめぐって
連邦議会で負けました党派が
憲法裁判所への提訴を行う、あるいは旗色の悪い党派が
ドイツ連邦憲法裁判所の名をほのめかすということが起きていると言われることがあるのですが、これは、
連邦議会内の政治対立が、抽象的規範統制によって、あるいは機関争訟によって、速やかに
憲法裁判所に持ち込まれているとも言えます。ここに政治の
裁判化の例を見ることができます。
こうなると、どこが問題になるかということですが、
立法者は、議会は、
法律専門家の助言を受けつつ、
憲法裁判所の
判決がどうなるかを予測しないといけません。予測をしつつ法案を準備する、こういう作業が実は入り込まざるを得ないということであります。
連邦憲法裁判所に政治問題の全面的
解決をゆだねますと、恐らくこのような代償が出てくるということ、これは議会制にとって果たしていいことなのかどうか、そういう気が私はするわけでございます。
一方、市民が訴える一般的な
憲法訴訟について言いますと、
裁判所による具体的審査が
機能しなければ、速やかな
判断とはいきません。今、仮に三
審制に
憲法裁判所を組み込むという、
憲法異議の訴えというものがありますけれ
ども、やりますと、実はこうなりますと今より長くなりそうでございます。そうしますと、
憲法裁判所案については、やはりもうちょっと私は
検討を重ねていきたいと考えております。
それでは、お手元に配付されました
ドイツの
連邦憲法裁判所の一九九九年の事案
処理件数一覧表をぜひ見ていただきたいと思います。これは、
ドイツ憲法判例研究会がつくりました「
ドイツの
憲法判例」というものの中から出してきたものでございます。
実は、
ドイツの件数も最近すごくふえておりまして、
憲法裁判所をとっております
ドイツでも、
裁判官はとても
負担増に悩んでおります。もちろん、先ほどから出ておりますように、私たちが読むのは学者の先生方の書いたものですので、
ドイツでも悩んでいるのは、かつてベッケンフェルデという人がいたんですけれ
ども、学者型
裁判官の人なのかなと、先ほどの
事務総長の話を聞いてふと思ったのですけれ
ども。ともあれ、その
負担は大変重たいと言われております。
そこで、見ていただきたいのは、注目されました、
ドイツ連邦軍のNATO域外派兵の合憲性が争われた
事件でございます。これは機関争訟と言われるものです。上から五番目でございます。GGというのは基本法、
憲法のことでございますが、そこが規定しているわけです。それを見ていただきますと、九九年は二件でございます。さらに、
連邦議会の野党や、野党が多数を占めるラント政府が提起することの多い抽象的規範統制でございますが、これは四件でございます。
それに対しまして、市民が、
国民が公権力による基本権侵害を
要件としまして
憲法裁判所に
憲法異議の訴えを出してくる、これは、具体的な権利侵害をもとにして
裁判所に出すので、我々の国と非常によく似ているところでございますが、四千七百八十九件でございます。実は全体のおよそ九八%がこういう人権侵害を
理由とした
裁判なわけでございます。
ドイツの
憲法裁判所の名声というのは、実はこの人権
裁判についてかなり踏み込みますので、それに対してやはり
国民の側から支持を集めているところも大きいのではないかなと私は考えております。
そういたしますと、仮に新しい
裁判所を設けるコストを考えてみた場合、国家財政上の問題でありますが、この件数というのはやはり無視できないのではないでしょうか。ずっと年代的に見ていただきますと、ここ二十年ぐらいの間、そんなに大きなずれはございません。
この関連で、私は、話は少し違いますけれ
ども、
アメリカ型の
司法に属します、
憲法裁判所ではないカナダの
最高裁判所において行われております参照
意見制度に注目していただきたいと思います。この
制度は、実は本院の「米国、カナダ及びメキシコ
憲法調査議員団報告書」二百十九ページで紹介されておりました。先生方が行かれてカナダの
最高裁からいろいろ聞かれたところでございますが、この中で紹介されております。これは、「
連邦政府からの諮問・照会に対し、
最高裁判所が
憲法解釈、
連邦法・州法の
解釈・合憲性、
連邦政府及び州政府の権限問題等を審理し、勧告的
意見を出す」というものでございます。
ここで注目されますのは、カナダの
最高裁は、これは
アメリカ型、我々の
最高裁判所と同じスタイルの
裁判所でございますが、抽象的な
憲法問題を
判断するために
最高裁自身を抽象的違憲審査に適合したような
憲法裁判所的な組織に変えなかったという点でございます。むしろ、抽象的要素を含んだ照会
制度の審理
手続を、
司法裁判所手続になじむような形へと何十年もかかって変えてきたというところでございます。これは、私は、大阪市立大学の佐々木教授の研究成果によっておりますので、専門家ではございませんけれ
ども、非常に注目していいと思っております。
また、
アメリカの州においても、類似の勧告的
意見の
制度が
三つぐらいの州で存在をしております。
憲法で規定しているのは七つぐらいあるはずですが、
法律レベルで規定しているのが
三つ。そして、
憲法、
法律でしていなくてもやっているのが
一つございます。
憲法部については、時間の
関係でちょっとはしょらせていただきます。
では、私が考えております機構
改革の案、隣に
最高裁判所の方、非常にやりにくいのでございますけれ
ども、役目柄言わせていただきます。
上告審
機能と違憲審査
機能を切り離すということがポイントでございます。
レジュメの四ページを見ていただきますと、つたない図でございますけれ
ども、こういう図をつくってまいりました。「現行」と「
笹田案」と、おこがましいのでございますけれ
ども、そういう名前をつけております。
最高裁、現行のものは違憲審査の
最終審と
上告審ですね。
笹田案でいきますと、違憲審査の
最終審であって、準抽象的違憲審査制的
制度、これをやはり入れていきたい。大
法廷と
三つの小
法廷ですけれ
ども、これを
一つの
合議体にしたい。さらに、
上告審
機能をばっさり削るということです。残すものは、判例変更と新しい
法律問題という、本当に最重要のものにとどめるということです。
十五名の
判事を九名の
判事に減らす、ワンベンチでやるということですね。現在は、やはり
上告審
機能に配慮した
人的構成というのをとっておりますので、九名の
判事になりますと、違憲審査
機能に配慮した
人的構成を考えていい。
さらに、
調査官は、現在三十名強の中堅
判事がいらっしゃいますが、もちろんこれも人数を減らしていって、私は、九名の中堅
判事の方はやはり重要な、恐らく大変な戦力でしょうから、しかし、若い人たちを、これからロースクールもできて若手の
法律家たちが次々出てきますので、その方たちをここに張りつけていただきたい。
特別高裁はどうするかというと、四
審制でございまして、ここで実は、東西二カ所で、一
裁判所三十名
程度の
判事で
構成して、
憲法問題のえり分けを行うということになります。
最高裁へ持っていくものと、
自分のところでやってしまうもの。一般
上告事件もそうでございます。えり分けをやってもらいます。従来の
最高裁判例で片がつくものはここで終わり、しかし、従来の
最高裁の判例からいくとちょっとおかしいと思うところは上げていただく。
訴訟当事者の側からいきますと、特別高裁からさらに
上告ということは、民・刑事については、これは考えたらやはりまた同じことになります。したがいまして、ここでは権利
上告、特別高裁の方でお決めになるという
システム。さらには、
事件の移送ということがあります。
憲法問題は、最後までいかざるを得ません。しかし、ここでスクリーニングをやっておりますので、それで
最高裁の方はかなり簡単になるんじゃないか、こういうふうに考えております。
事案によっては、選挙
訴訟のように一審を高裁とする
訴訟も考えられていいと思います。高裁、特別高裁、
最高裁というようなことも考えられていい。ただ、二審は必要だと思います。それは、事案の解明及び
憲法八十一条が終審の
裁判所と言っておりますので、そうだと思います。
「おわりに」に入ります。
今日のテーマであります違憲審査制についてその停滞ぶりが言われておりますが、それは
最高裁のみにその責任を負わせるのはフェアではありません。以上述べた
改革の試みは、
立法なくしては不可能だからであります。
私は、
最高裁の違憲審査
機能と
上告審
機能の切り離しがポイントであると考えますが、その最もラジカルなものが
憲法裁判所であります。私は研究生活を
ドイツの
連邦憲法裁判所の判例分析から始めておりまして、大変恩義も感じておりますし、親しみもあります。しかし、これまで述べてきましたように、まずは
最高裁の機構
改革によって違憲審査の活性化を図る方が我が国にとってはよいのではないかと考えております。
ドイツ及び
アメリカの
憲法裁判は、戦後さまざまな
改革を経て現在の形を得ておりますが、我が国の
最高裁判所制度は、
上告制限が実現した以外は、実はその二つの国と比べますと大きな変容を受けておりません。
今まで述べてきたことをまとめますと、レジュメの方にありますように、こういった複合的プランということですね、それによって
改革を考えていくべきなのではないかということです。とりわけ、基本は
最高裁判所の
上告審
機能の大幅な軽減、それによって、
最高裁裁判官の役割は何か、
最高裁裁判官を選ぶときの基準は何か、これが明快になってきます。そうしますと、
裁判官の
任命諮問
委員会とか、
国民審査のときにも姿形がわかってくるんではないか、我々にとって。そのように考えているわけです。
どうやら時間が来たようでございます。御清聴ありがとうございました。(拍手)