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2004-03-25 第159回国会 衆議院 憲法調査会安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十六年三月二十五日(木曜日)     午後二時一分開議  出席小委員    小委員長 近藤 基彦君       伊藤 公介君    大村 秀章君       河野 太郎君    渡海紀三朗君       中谷  元君    平井 卓也君       伊藤 忠治君    大出  彰君       楠田 大蔵君    田中眞紀子君       松本 剛明君    福島  豊君       山口 富男君    東門美津子君     …………………………………    憲法調査会会長      中山 太郎君    憲法調査会会長代理    仙谷 由人君    参考人    (岩手県立大学総合政策学部教授)   小針  司君    参考人    (防衛大学校助教授)   松浦 一夫君    衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君     ————————————— 三月二十五日  小委員土井たか子君同月十一日委員辞任につき、その補欠として東門美津子君が会長指名で小委員に選任された。 同日  小委員武正公一君同日委員辞任につき、その補欠として松本剛明君会長指名で小委員に選任された。 同日  小委員松本剛明君及び東門美津子君同日委員辞任につき、その補欠として武正公一君及び土井たか子君が会長指名で小委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  安全保障及び国際協力等に関する件(非常事態憲法)      ————◇—————
  2. 近藤基彦

    近藤委員長 これより会議を開きます。  安全保障及び国際協力等に関する件、特に、非常事態憲法について調査を進めます。  本日は、参考人として岩手県立大学総合政策学部教授小針司君及び防衛大学校助教授松浦一夫君に御出席をいただいております。  この際、両参考人一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査参考にいたしたいと存じます。  本日の議事の順序について申し上げます。  まず、小針参考人松浦参考人順序で、非常事態憲法について、国民保護法制についても含め、お一人三十分以内で御意見をお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。  なお、発言する際にはその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。  御発言は着席のままでお願いいたします。  それでは、まず小針参考人からお願いいたします。
  3. 小針司

    小針参考人 それでは、私の方から陳述いたします。  皆さんのお手元には私のレジュメが行き届いているかと思いますけれども、それを確認していただきたいと思います。  まず、はじめにということでありますけれども、明治憲法現行憲法の対比ということで、明治憲法現行憲法における非常事態法制、どう違うのかというふうな点について簡単に触れておきたいと思います。  まず、明治憲法についてですけれども、明治憲法におきましては、御存じのように、憲法典上、四カ条にわたる非常事態、以下、文脈に応じまして有事と言う場合もございます、に関する規定を設けていたわけであります。八条、十四条、三十一条それから七十条がそれであります。  また、緊急命令権緊急財政処分帝国議会に係る要件上の違いも認められますので、それにつきましては、簡単ながら、レジュメの方を参照していただければと思います。  明治憲法の特色につき触れますと、十四条の戒厳大権以外にも、三十一条に非常大権規定されておりまして、しかも、極めて包括的であって、非常事態対処への強い傾斜が見られます。  これに対しまして、現行憲法につきましては、憲法典上、少なくとも明治憲法的な非常事態規定は見られません。ただ、その五十四条二項におきましては参議院緊急集会の定めが見られますけれども、これは一時的に国会の機能を参議院に代行させるものでありまして、参議院国会を超えた非常事態に対する特別な権限を認めたものとは解しがたいわけであります。  その意味で、現行憲法は、明治憲法に比べまして、非常事態に対しては、極めて謙抑的であり、沈黙しているとすら言えるわけであります。なお、このたび、武力攻撃事態等における国民保護のための措置に関する法律、以下国民保護法案と言うことにいたしますけれども、これは、本則百九十四条、附則十七条から成る大部な法案ができ上がっております。  現行憲法が、今申し上げましたように、非常事態に対して特別な措置規定というものは持っていないということがどんなことを意味するかという点につきましては、今問題になっております非常事態有事法制憲法典上明文の根拠規範に依拠することなく専ら立法権行使の所産にとどまることを意味するというふうに私は解しております。このようにして、非常事態法制憲法上の根拠をめぐる問題、すなわち、非常事態一言をもって何ゆえに平時通常時とは異なる国会制定法上の法制人権に関連づけていいますと、平時を超えた厳しい人権制限国民は服さなければならないのか、こういった問題が常に存在し続けることになろうかと思います。  端的に申し上げまして、平時有事における法制異質性はどこに存在するのかというふうに問われるならば、差し当たり私は、一つの例えでありますけれども、赤信号でとまるのが平時赤信号でも渡るのが有事であるというふうに答えておきたいと思います。  あとは、平時から有事への移行プロセス、それから有事の状態、有事から平時へのまたこれは回帰のプロセス、そういうふうなプロセス的な思考というものについてもここに触れておきました。  それから、有事における法関係というものが、では、有事が終わって平時に戻ったならば直ちにそれで速やかに消滅するのかというと、必ずしもそうではないのではないかというようなところがなきにしもあらずであります。  私がいただいた衆議院憲法資料集の第四十五号に「非常事態憲法国民保護法制を含む)に関する基礎的資料」というのがございますけれども、その二十九ページなどを見ましても、イギリスの例を取り上げまして、防衛に関する緊急事態法は、第二次世界大戦後廃止されたけれども、一九四〇年緊急権法に基づき制定された防衛令、ディフェンスレギュレーションズの一部が、一九六四年緊急権法の中に組み入れられたというふうなことも語られております。ですから、緊急事態法制というものが、緊急事態がやめば直ちに消滅するかどうなのか、そこらあたり一つ問題点になろうかと思います。  それから、事例考察ということで、現行憲法が一体非常事態に遭遇したことはないのかどうかという点につきまして、簡単ながら、これはちょっと違った文脈かもしれませんけれども、占領統治というものをちょっと取り上げまして、触れてございます。  それで、占領統治下における現行憲法のありようというものを考えた場合に、ポツダム緊急勅令というものの存在を無視することはできないわけです。占領統治というのは、要するに、我が国対外的独立性という意味での主権の喪失、すなわち終戦後の占領であったわけです。この終戦後占領期間中にポツダム緊急勅令というものが発せられまして、その罰則委任包括性憲法上問題となりまして、当該緊急勅令違憲性が争われた事件がございました。  昭和二十七年の四月二十八日、我が国は独立回復したわけですけれども、その翌年の四月八日に、最高裁大法廷は次のように判示したわけです。この勅令、つまりポツダム緊急勅令というのは、連合国最高司令官のなす要求に係る事項を実施する必要上制定されたものであるから、日本国憲法にかかわりなく憲法外において法的効力を有するものと認めなければならない。こういうことで、占領統治という極めて異常な事態でのことであったわけですけれども、日本の一国の国内法制にあって、国内法としての憲法典の持つ最高法規性にも、ある状況下では限界があることを示唆する点で、このポツダム緊急勅令の持つ問題は興味深い事例だというふうに言えるかと思います。  次の二番目の方に移りますけれども、非常権とその類型というふうなことについて申し上げておきたいと思います。  国家緊急権非常措置権との区別の相対性ということなんですが、非常事態に対処する権限をひとまず非常権と呼びますと、この非常権は超実定法的なそれとしての国家緊急権と、実定法的なそれとしての非常措置権との二つに二分されるわけです。ただ、この区分は相対的なものにすぎません。例えば、よく耳にする戒厳も、実定法化されなければ、これは超実定法的非常権、つまり国家緊急権一つということになろうし、実定法をもって定めれば、これは非常措置権一つとされるからであります。  さて、憲法典の、ないしは、もう少し正確に言うと憲法典効力停止という憲法典効力の視点から非常事態のありようを眺めてみることにしたいと思います。  まず、憲法典効力停止ということなんでありますけれども、そもそも通常法効力停止というのは何であるかといえば、私なりに解釈いたしますと、不特定多数のケースに対する通常法の一般的な不適用意味するというふうに理解しております。ここに憲法停止とは、したがって、その妥当領域における憲法典の一般的な不適用意味するということになります。しかしながら、このような憲法典そのもの停止が果たして法理論的に思考可能なものであるかは、私自身いろいろ考えましたところ、すこぶる疑問であるという結論を得ているところであります。といいますのも、憲法典がおよそ全体として停止されますならば、憲法典にその根拠を置く非常措置権もまた停止してしまうからなわけです。これはまさしく、私なりに名づけたところでありますけれども、憲法典停止のパラドックスと言うべきであろうかと思います。  したがって、憲法典停止とはいうものの、実は停止を可能とする非常措置権根拠規範及びそれと密接にかかわる組織規範、例えば非常措置権保持者を定める規範は、停止されることなく、依然として一般的に適用され続けると考えなければならないというふうに考えます。  ところで、比較憲法的に見ていきますと、場所的、時間的に限定された憲法典停止の例も見られるわけです。その場合、当該場所、時間はおよそ憲法典のらち外に置かれることとなりまして、人権のみならず統治機構の側面においても憲法典とはおよそ無縁の法状況が生ずるというふうに解されます。  このような規定を盛り込んだ憲法といたしましては、一七九九年の十二月十三日、フランス憲法の九十二条を挙げることができようかと思います。武装反乱または国家の安全を脅かす騒擾がある場合、法律は、時、場所を定めて、憲法効力、アンピールというふうにこれはなっておりまして、帝国とか支配力となっているんですけれども、私の場合はこれは効力というふうに訳しております、憲法効力停止することができるというふうになっているわけです。  ただ、ここで指摘しておきたいのは、憲法効力停止でありますけれども、これはあくまでも時及び所を定めてという限定がなされていることなわけです。その点を指摘しておきたいと思います。  次に、憲法典そのものというよりも、憲法典列挙条文停止というところにいきたいと思います。  ここに憲法典列挙条文停止というのは何であるかというと、明示の宣言によりまして自己及び他の権限官庁のため、時、所を限りまして、列挙条文適用を一般的に排除して、もって公権力制約を排除し、公権力活動範囲を拡大する作用と解されます。  通常、これらの条文人権規定でありますので、結局、これらの人権規定による縛りから公権力を解き放つことを意味する。特定の人権規定適用が一般的に排除される以上、そこに人権を語ることができない。したがって人権侵害の問題は成立する余地はないというふうに考えられます。  ただしながら、非常措置権といえども、目的といったようなものがあるわけですので、そういう非常措置権目的とか、そういったものの縛りというのは、これはあって、公権力に対するそういう縛りによって、これは義務の反射としての反射的利益を個々の国民が受けることが考えられ得るわけです。しかしながら、これはあくまでも義務の反射としての反射利益ですから、権利というふうには言えないわけです。公権力の介入が、要するに非常措置目的からして抑制を受ける。その結果として規制されない状況が生まれるにとどまるということになろうかと思います。  列挙条文停止という形をとっているのが、一九五〇年一月三十一日、プロイセン憲法の百十一条ということになります。紛争または騒擾の場合にということで、公共の安全に対する差し迫った危険があるときは、憲法典の五条等々の条文は、時及び所を限って、その効力停止することができるというような規定になっております。  それから、3なんでありますけれども、憲法典上のいかなる条文停止しないものの、憲法典上の非常措置権によりまして変容をこうむる場合、特に人権の制限の度合いが強くなる場合。これは私が想定したケースでございます。この場合は、人権規定は存続し続けるわけですから、問題は、非常事態に伴う非常措置の要請にどこまで人権が譲歩しなければならないか、こういうことになろうかと思います。  つまり、互いに対立関係に立つ二つ憲法典上の法益の考量、調整の必要が生ずる。結局、人権規定停止されることなく、他方で憲法典上の非常措置権が行使される場合には、人権当該措置権との緊張関係が生じ、究極的には法益考量の問題となりまして、両法益の調整というものが必要となってくる。ただ、人権規定停止されない以上は、人権はゼロではないわけです。また、この場合、非常事態対処規定憲法に存在するわけですから、当該対処憲法典上の根拠問題は成立する余地も、これはないわけです。問題は、いかなる人権がどの程度、非常事態対処のために制限されることとなるのかということになります。憲法典バランス感覚が鋭く問われるゆえんと言えるでしょう。  4でありますが、これは、憲法典上、何らの非常事態対処規定を欠くにもかかわらず、非常事態に対処する必要がある場合、現行憲法がこれに該当するのではないかというふうに考えられます。この場合には、非常事態対処憲法典上の根拠が明文化されていないわけですから、常に対処立法合憲性が、その憲法典上の根拠も含めて問われることとなるわけです。  我が国現行憲法あり方がこれでありまして、立法権配分規定である四十一条に立法根拠を求めることは可能でありますけれども、人権制約の法理は差し当たり公共福祉に見出すほかないわけです。といたしますと、この公共福祉は、平時と非常時、有事という、その性質を異にする法状況に応じまして異なる意味内容を持つことになるのではないか。したがって、実質的には二つの相異なる公共福祉、すなわち平時公共福祉有事公共福祉が生じてしまうということになるのではないかというふうに考えます。  国民保護法案について若干触れさせていただきますと、国民保護法案の四条には次のような規定が見られるわけです。第四条「国民は、この法律規定により国民保護のための措置の実施に関し協力を要請されたときは、必要な協力をするよう努めるものとする。」二項「前項の協力国民の自発的な意思にゆだねられるものであって、その要請に当たって強制にわたることがあってはならない。」この規定は、憲法十八条、特にその後段を配慮したものと解されます。すなわち、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」がこれであります。  あと、違法、免責権限付与、違法かという点、ちょっと触れたいところもあるわけですけれども、時間の制約もありますので、このあたりは簡単に済ませておきたいと思います。  実は、イギリスにおいてはマーシャルローというような非常事態対処法というのがあるわけですけれども、このマーシャルローにおきましては、そこでとられた行為は原則的に違法な行為とされまして、それに対して、いわば免責法を制定することによって責任を免らせるというあり方を採用しているところであります。  ただ、このような違法免責というようなアプローチ、手法といいましょうか、こういうやり方を現行憲法において採用するということになりますと、例えば、本来であれば憲法十七条におきまして国家賠償請求権が認められる場合であるにもかかわらず、違法免責法、違法に対して免責法が制定されることによって国家賠償請求権というものが結局行使できない、こういう問題が生じるのではないかというふうに私としては考えております。そういうふうな点では、平成十四年に最高裁によって下されました郵便法損害賠償免責制限規定違憲判決参考に値するのではないかというふうに考えます。  そういう視点からいくと、違法免責というような手法というのは、我が国現行憲法に照らしますと、ちょっと私としてはなじまないというふうに考えております。  それから、三番目のところですけれども、非常事態人権保障、そしてゲリラテロリスト、高度に発達した民主主義国家における人権保障あり方というふうなことなんですけれども、(1)として、何かちょっとこれは場違いではないかと思われるかもしれませんけれども、輸血による救命は病者・負傷者何人にとっても権利救済となるのか。自己決定とパターナリズムという副題をつけておきました。  事案は結局どういうことなのかというと、事前説明なく患者の自己決定権を奪い、その宗教上の信念に反してなされた輸血人権侵害とした最高裁判例というのがあるわけですね。こういった考え方を非常事態に当てはめてみますと、避難者が、自己主義、信条に反するといたしまして、避難を拒否するような意思決定をする権利というものがそもそも認められるか否か、認められるとすれば、これもまた人格権の一内容をなすものとして尊重されなければならず、その意思を尊重することなく強制的に避難させた場合、果たして人格権侵害を語ることができるのか否か、こういう問題が成立するんじゃないかということであります。  非常事態時の公権力避難誘導は何人にとっても救命行為となり、いかなる意味でも権利侵害とならないのか、それとも、ここで死にたいと主張する主義、信条の持ち主にとっては余計なお世話であり、自己の生のあり方に関する自己決定権の侵害となるのか。人権の充満する国家社会における人権保障あり方の多様かつ複雑な法状況が今日生じているわけです。まさに、非常事態法制はこうした法状況をも踏まえて構築されなければならない。このことを、上記の輸血に絡む損害賠償請求事件最高裁判所の判例は我々に教えてくれるのではないかというふうに考えております。  このように、高度に発達した民主主義社会は、討論と合意の政治であるだけに、十分な権利保障がなされる反面、ある種の脆弱さも抱えているということです。  (2)として、非常事態をもたらすもの、ゲリラ・コマンドーによるゲリラ攻撃テロリストによるテロリズムというふうなことで、ここでは、第一追加議定書などを取り上げて、ゲリラ・コマンドーテロリストとの違い、その違いに応じた対応の違いというものについても若干触れてございます。  簡単に言ってしまえば、ゲリラ・コマンドーというのも、これまた戦闘員の資格というのは一定の要件で認められるわけです。その点についていえば、レジュメの四ページから五ページあたりに1から4ということで、戦闘員としての資格が認められるための要件というものを掲げておきました。1から2、3、4とあるわけですが、ただ、この四つの要件ゲリラ・コマンドーに対してそのまま当てはめようとすると、これは無理であります。ゲリラ戦を展開するということからいたしますと、そのとおり満たすことはできない。  それで、ゲリラ・コマンドーについて申し上げますと、ゲリラ戦闘員であるための要件といたしましては、二つ要件、つまり、遠方から認識することのできる固着の特殊標識を有すること、それから、公然と武器を携行していることの二要件、この緩和は行われているわけです、第一追加議定書でですね。ただし、部下について責任を負う一人の者が指揮していること、及び、戦争の法規及び慣例に従って行動していることという他の二要件の緩和は認められておりません。  そういう点からいたしますと、一体テロリストというものがこのような二つ要件を充足することができるのかどうか。仮に、緩和された形でも武器の公然携行を求めるにしても、テロリストに対してこれはそもそも無理ではないかというふうに考えられます。このような二つの緩和された要件を充足するような形でのテロリズムというのはそもそも行いがたいということになりますと、テロリストに対して戦闘員の地位を認めることは元来できないということになります。  したがって、テロリストは単なる犯罪者と解するほかはありません。よって、国内刑事法をもって処断されるべきということになりまして、この点で、不正規部隊構成員であるにせよ、戦闘員とされ敵国の権力内に陥った場合に、捕虜として処遇されるゲリラとは決定的に異なると言わなければならないわけであります。  要するに、原則的には、対テロリズム対処は国内の警察作用治安維持作用であり、適用法規国内法であるが、対ゲリラ戦は、不正規戦とはいえ、それが対外的防衛作用である以上、適用法規も、今日、国際人道法とか武力紛争法とか呼ばれておりますけれども、かつての戦時国際法の一内容をなした交戦法規である。このように、彼我の違い、つまり、ゲリラテロリストとの違いは、やはりその対処作用及び適用法規性質的違いに端的に立ちあらわれているのではないかというふうに考えます。  大規模テロリズムあるいは国際的なテロリズムにつきましてもちょっと検討しているところでありますけれども、この点に関しましては、私自身、今現在、確固たる解釈学説を提示できる状態にはありません。  ただ、解釈というものを考えた場合に、その解釈連続性、漸次の変化という要素というものが解釈に求められるとすると、大規模テロリズム、国際的なテロリズムをもって直ちに自衛権発動要件一つとされる武力攻撃に該当する、そういう解釈を導き出すことは、しばし私としてはちゅうちょせざるを得ない、もう少し解釈連続性、漸次の変化といったようなものも考慮に入れて検討しなければならないのではないかというふうに考えております。  それから、四番目でありますけれども、非常事態法制の根源をなすものということでありますが、非常事態法制は、立憲主義を守る非常手段的憲法保障とも言われております。  立憲主義一言で申し上げますと、権力抑制原理と語ることができるわけです。近代的な個をその中核とする近代立憲主義に限って申し上げますと、個人権利、自由を確保すべく成立した憲法原理であるというふうに解されます。  そういうふうなことをかんがみ、そして現行憲法に目をやりますと、現行憲法の十三条前段は「すべて国民は、個人として尊重される。」というふうに定めまして、個人主義的世界観を表明しております。個人主義的世界観といっても、個人主義自体が多義的でありますから、多様な解釈余地があることは否定できないところであります。けれども、個人主義は、各人は本来何者にもまさって尊重されるべきである、すなわち、初めに個人ありきというイデオロギーととらえることができるわけです。  このような個人主義的理解に立ってみれば、まさに社会契約論というのは、個人主義を前提としての個人に対する国家支配の正当化論と位置づけられることとなるわけです。かくして、国家は、個人の生命、身体、財産を保護してこそ、その支配の正当性を主張することができるのであるというふうに考えます。  してみますと、国家の大義とは何であるかというと、国民個々の生命、身体及び財産を保護することにあるのだ、個人としての尊重というのは、少なくとも個人が物扱いされないことを意味するというふうに解されます。  終わりに当たりまして、ちょっと一言、時間が来てしまったんですけれども、このたびの一連の有事関連法の成立によりまして、実質的なインナーキャビネット、閣内内閣の創出、それから地方公共団体の長に対する機関委任事務の復活など、統治機構レベルにも変容が見られますけれども、非常事態対処防衛という問題を考えるに当たりまして、私は、今日、視座の転換が必要ではないかと考えております。  すなわち、国、都道府県、市町村、国民個人という流れから、個々の国民個人、市町村、都道府県、国へという流れに転換してみたらばどうかということです。この考え方は、我が身、我が家族、我が郷土、そして我が祖国の共同防衛はいかにあるべきかといった防衛観の反映でもあり、現行憲法の採用する個人主義的世界観に立脚するものであると考えます。私のささやかな提言というものも、憲法が採用する個人主義的世界観といったようなものに配慮したものであるわけです。  武器のさなかにあって法は沈黙する、インテル・アルマ・シレント・レーゲスというローマ法の法諺がありますけれども、にもかかわらず、そのときこそ、非常事態有事法制はその効果を遺憾なく発揮し、国民個々の生命、身体、財産を保護し、国民の政治的統一体としての国家の安全を確保しなければならない。そのためにも、非常事態対処根拠規範はやはり憲法典に確固たる形で盛り込まれるべきである。それが憲法典を否定するものとは考えがたい。さもなければ、国家の不文の法理の名のもとに、憲法典が無視され、葬り去られる危険性があるのではないかというふうに考えております。  危機にたわみ、危険が去れば復元する、さながら柳に風のようなしなやかなイギリスの軟性憲法あり方にも意を払いまして、憲法典の復元力とは何かを考慮しつつ、本日のテーマは探求していくべきものと考えております。  国家個人の共生は、言うはやすく行いがたいところがございます。この難問の解答を求め、模索し続ける宿命を負う者、それが憲法学者であり、防衛法学者であると私は考えております。  時間をちょっとオーバーしましたけれども、以上で私の陳述を終わらせていただきます。  ありがとうございます。(拍手)
  4. 近藤基彦

    近藤委員長 次に、松浦参考人、お願いいたします。
  5. 松浦一夫

    松浦参考人 防衛大学校の松浦でございます。  本日は、お招きいただきましてありがとうございます。  私に課せられたテーマでございますが、諸外国の国民保護法制ということでテーマをいただいております。諸外国と非常に広い範囲を指定されましたのですが、私も、いろいろな国について新しいところまですべてフォローしているわけでございませんで、特にドイツのことを中心に勉強してまいりました。そういうことで、諸外国とありますが、特にドイツの国民保護法制、これを中心に、これまでの制定の経緯と、それから、特に九・一一の米国テロ事件以降の新しい動向、こうしたものを踏まえましてお話をさせていただきたいと思います。レジュメをお配りしてありますが、おおむねこれに従ってお話をいたします。  各国国民保護法制の概説ということで最初にございますが、衆憲資料第四十五号ということで、こちらでつくられた資料がございまして、これが非常によくできておりまして、これ以上のことをお話しするようなこともないのでありますが、後半述べますドイツの法制の特徴を際立たせる意味で、ほかの国についても若干御説明をいたしたいと思います。  よく、緊急事態法制を分類する場合に、英米法系と、それから大陸法系というような区別をされる論者が多いわけでありますが、これは、一般的に二つに分けられるということは確かに類型として言えるのかもしれません。  先ほど小針参考人の方からも言及がありました英国に関しましては、成文憲法を持たず、またコモンローの国ということで、この緊急事態法制に関しましても、いわゆるマーシャルロー、マーシャルルールというものに基づきまして、必要性の原則に従って緊急時に必要な対処権限というものを広く国王に授権するという方法をとる。その際、法に仮に反した場合に、違法な措置であっても免責法という形でこれを事後的に合法化するというような手続をとるということがあります。  ただ、これも、第一次大戦のころから第二次大戦にかけまして幾つかの成文法ができております。これらは、一九一四年の国土防衛法であるとか、あるいは緊急権法、こういった法律がそれであります。これらは、今日我々が、あるいは日本において、あるいはドイツの法制に照らしてみて、いずれもいわゆる授権法というものでありまして、緊急措置権を包括的に授権できる分野を列挙したにすぎない程度のものでありまして、内容的には、要するに授権を行政立法に委任するための法律というような側面を持っております。とはいえ、こうした実定法上の枠組みというものができ始めたのが第一次大戦のころからということになります。  国民保護法制といいますものは、やはり第一次大戦のころから戦争の形態というものが変わってきまして、一般の非戦闘員を巻き込む非常に大きな戦争災害を招くようになったのがこのころからでありました。国家総力戦の中で非常に多くの一般市民の犠牲者が出るということが前提にあったわけでありまして、これにどう対処するかということでさまざまな法律ができてまいります。イギリスでも、空襲警報法、あるいは民間防衛法といったようなものがさまざまできてまいります。  また、戦後になりまして、一九六四年に国家緊急権法というものができております。これに基づき、広く民間防衛に関しましてもカバーできるという体制をとっております。さらに、イギリスの場合には特にテロ対策というものにつきましてもかなり前から立法がなされておりまして、二〇〇〇年にテロ対策法というものができております。  それから、フランスに関しましても、これもやはり第一次大戦のころから、消極的防衛という名称、分類でありますが、工業力や建造物の保全であるとか、あるいは国民に対する毒ガス攻撃などに対処する法制というようなものができてまいります。一九四四年、第二次大戦の終わりのころに国防省から内務省に移管して、現在は民間防衛・安全保障局というところが、内務省の中でこれを担当しているということであります。  それから、スイスに関しましては、民間防衛と申しますのはスイスは非常に発達しておることは御承知のとおりであります。スイスは永世中立国でありますから、これは自国の国土を戦闘の場にせざるを得ない状況にあるわけでありまして、そういう中で、国民保護をどう考えるかということは特に、ほかの国以上に重要な問題であります。民間防衛、これはドイツと共通するところがあるのですが、総合防衛という原則のもとに、軍事防衛、精神的国防、これとともに民間防衛という柱、この三本柱によって総合防衛というものを構築しているわけであります。  民間防衛に関しましては、特に一九九九年の憲法の六十一条にその明文規定が置かれておりまして、憲法上も詳しくこれが規定されているというところに特徴があります。  韓国に関しましては、これは言うまでもなく北の脅威というものを前提にいたしまして、早い時期から、これは朝鮮戦争のころからでありますけれども、国民保護というものについては非常に重きを置いてまいりました。憲法上、大統領に緊急措置権、緊急命令権でありますとか緊急財政・経済命令権あるいは戒厳宣布権といったようなものが憲法上の規定として置かれております。  民間防衛に関しましても、一九五一年の三月に防空法というものが制定されております。また、七五年の八月には民防衛基本法というものが制定されました。現在、この法律が民間防衛の基本法ということになっております。同年十二月には民防衛隊というものが組織されまして、二十歳から四十五歳までの男子あるいは志願した女子というものから、非常に大規模な民防衛隊の組織というものが維持されておるということでございます。  アメリカに関しましては、これは、特に九・一一以降、こうした分野について省庁の再編等がございまして、最近の動きというものがかなり活発でありますが、当初は、一九五〇年のころから民間防衛法というものが制定されてはおりましたが、これは特に、米ソの対立が厳しい時代、核攻撃の危機というもの、これを前提にした法制がまず構築されていったわけであります。  災害に関しましても法律がございますが、これは一次的には各州が対応するものであります。これが一九七九年の三月にFEMA、連邦緊急事態管理庁というものによりまして、連邦一元的な危機管理体制というものが確立してまいります。州知事の要請とFEMAの長官の勧告によって大統領が緊急事態宣言、これは大規模なテロであるとか核攻撃などの場合は要請は必要ございませんけれども、大統領の緊急事態宣言というものを行うという形になっております。これが、二〇〇三年の一月に国土安全保障省の設置に伴って、その一局として統合されるという経緯をたどっております。  いずれにしましても、こうした諸外国の民間防衛あるいは国民保護法制というものを見てまいりますと、軍事的な防衛というものとそれから平時の災害救助、こうした法制とを結びつける一つの法分野というようなことが言えるかと思います。  さて、本題の方のドイツの国民保護法制に関してここから御説明をいたしますが、ドイツの緊急事態法制、これにつきましては、この小委員会の中でも参考人が何度か触れられております。それについてまた改めて説明する必要もなかろうと思いますので、憲法上、市民保護国民保護というものがどのような形で規定されているかということだけを御説明いたしたいと思います。  ドイツの条文を見ますと、防衛に関する規定というのが幾つかございます。その中で、特に防衛という言葉を単独で用いることなく、一般住民、一般市民の保護を含む防衛という言葉がたびたび使われております。  レジュメに列記いたしましたように、基本法の十二a条三項、これは兵役あるいは代替役務に徴用されない防衛役務義務者の非軍事的役務に関する規定でありますけれども、ここにおきましても、防衛という言葉がこう書いてあります。国防義務者に対しては、防衛事態において、法律によってまたは法律の根拠に基づいて、一般住民の保護を含む防衛の目的のため、非軍事的役務の義務を課すことができるというふうな条文を置いておるわけであります。  これ以外にも、十七a条の二項、これは、防衛に関する法律による移転、居住移転の自由であるとか居住の不可侵の制限でありますが、ここで言う防衛に関する法律というものの中にも、一般住民を含む防衛という言葉が使われております。  さらには、七十三条の一号、これは連邦の専属的立法権限に関する規定でありますけれども、これも、一般住民を含む防衛に関して連邦が立法権限を有するという条文になっております。  つまり、ドイツの憲法の中では、防衛、通常我々が想定しますのは軍事的な防衛を意味するわけでありますが、それとワンセットで国民保護、一般住民の保護というものを常に考えるという姿勢がこの憲法条文の中からも読み取れるということが言えると思います。  つまり、国防の任務というものがもちろん国の役割であることは間違いございませんが、国民に多くの被害を与えて、あるいは国民の安全というものをないがしろにして国防というのはあり得ないわけでありますから、国を守るということと国民の安全を守るということが常にワンセットであるということを意識する意味で、こうした条文規定あり方というのは有意義であろうと思います。  そうしたことで、憲法上、軍事的防衛と国民保護というもの、これが常に並列関係で規定されているということでありますが、ここから、では実際、国民保護というものがどのような形でドイツの防衛構想の中に位置づけられているかということを御説明したいと思います。  これは、先ほどスイスのところでも申しましたが、総合防衛という考え方をドイツはとっております。これはきょう参考資料としてお分けしました私の論文の中でも図式化しておりますけれども、「総合防衛のための一般指針 総合防衛ガイドライン」というものがドイツにはございます。これは一九八九年の一月十日に決定されたガイドライン文書であります。  ここではどういうことが書かれておるかといいますと、NATOとそれからドイツの国家機関、ドイツはNATO加盟国であります。特に冷戦時代、東西ドイツに分かれまして、西ドイツはワルシャワ条約軍に対して前線にあったわけでありまして、非常に有事というものを常に想定した安全保障政策というものをする。そういう中で、この防衛構想というもの、これはNATOとドイツの国家機関との関係というものが問題になります。さらに、ドイツは連邦国家でありますから、連邦政府と州政府、地方機関、こうしたものとの関係がどうあるべきか、あるいは民間の災害救助団体、こうしたものとの関係がどうあるべきかということで、非常に複雑な関係の中で有事法制というものを運用しなければいけないという立場にございました。そういうことから、有事法制、これはドイツの場合には実定法としてたくさんございますが、これを統一的にそごなく運用するための一般指針として書かれたものであります。  この総合防衛といいますものは、軍事防衛、それから非軍事防衛という二つの分野に分けられております。軍事防衛というのは、国防省、連邦軍が担当する防衛分野であります。これに対しまして非軍事防衛といいますものは、軍事防衛以外の防衛に関係する分野、つまり文民機関が担当する防衛分野ということであります。こういう中で、国民保護、ドイツの場合には市民保護と言っておりますが、市民保護というものが非軍事防衛の中に含まれる。連邦内務省、それから各州の内務省の管轄で行われております。  この市民保護のために、ドイツはさまざまな連邦法をこれまで制定してきたわけでありますが、現行法は一九九七年の三月二十五日の法律であります。この九七年三月二十五日の法律というものは、正式名称は市民保護再編法という法律でありまして、それまで多く制定されてきた市民保護関係の連邦法を再構成するという意味を持っておりました。  この市民保護に関しての法律というものをたどってまいりますと、再軍備直後の一九五七年の十月九日に市民保護のための措置に関する第一法律というものがございます。  これが市民保護関係の法律の先駆けとなったものでありますが、この中には既に、市民保護、これは民防空と言っておりますが、連邦の任務であるということ、それから、この民防空に関する費用というものは連邦が負担するということが定められております。また、防空を担当する機関として、連邦防空警戒庁というものを内務省の中に置くというようなことも定められておりましたし、また、空襲時に発生する人的、物的災害、こういったものを予防しまたは除去する任務を持ちます防空救助隊というものの設置、これもこの段階でもう既に行われております。これ以外にも、例えば工業、食糧産業、ガス、水道、電気、こうした生活上重要な施設、防空施設を整備する措置、こういうものを定めておりますし、さらには、文化財の保護あるいは医療品の備蓄等の規定もこの段階でもう既に規定されております。  これが基本法になりまして、個々の分野につきまして個別法ができてまいります。  一九六五年の八月十二日に市民防護隊に関する法律というものができまして、武力攻撃の危機や被害から住民を守るための組織としまして、国際法上、救済団体としての地位を有する組織が設置されます。これは、招集された兵役義務者あるいは職業隊員、志願による任期採用隊員から構成される点で、連邦軍、軍隊と同じような組織をとっております。  さらに、一九六五年の九月九日になりますと、防護建築法という法律ができます。この防護建築法というのはシェルターの建設にかかわる法律でありまして、先ほど申しました第一法律の中の第五章に防護措置に関する規定がありました。これを補充する法律であります。建築物を新築する場合、その住民やそこで働く労働者の安全のためにシェルターの建設を義務づけるという規定が置かれましたり、あるいは病院、学校、宿泊施設、こうしたものに収容人員に見合ったシェルターを建設するというようなことがこれに書かれております。  それから、六五年の九月九日、同じ日でありますが、自己防護法というものもできております。  有事の際の国民保護といいますものは、確かに、公的な機関、国や自治体の住民の保護ということが重要であることは言うまでもありません。そのための法律でありますが、それ以前に、被害が発生した初期の段階でだれが自分を助けるかといえば、自分自身あるいは隣人であるわけであります。こうした住民の自己防護あるいは隣保救助というものの義務、これを定めたのがこの法律でありました。  ドイツでは、現行法でも、この自己防護というものに非常に重きを置いております。戦時においては、各地で同時多発的に被害が生じますから、国や自治体の機関がこれを救助するといいましても、無理が生じます。やはり、その初期の段階でこれを救うためには、自分で自分の身を守る、あるいは隣人を助けるということが重要になってまいりまして、この自己防護ということについて法律を設けたのが六五年でありました。  ただ、こうした法律、幾つかできておりますが、これは、当初は西ドイツの財政難から施行が大分延期されまして、十分にこれが効果を発揮したとまでは言えない部分がございました。とはいえ、この法律によって国民保護法制が一応完備したということが言えると思います。  その後、災害防護の拡張に関する法律というものができております、六八年の七月九日であります。この法律というのは、平時の自然災害や大事故に対する救助活動を行う組織、これはドイツの場合には連邦技術救助団というものがございます、あるいは連邦技術支援隊というように訳しているものもあります。これは内務省管轄の連邦機関でありますが、ボランティアが中心で組織されております。あるいは地方の消防隊でありますとか赤十字機関、あるいは、これはドイツ特有であるかもしれませんが、修道会、教会、こういったところが救済団を組織いたしまして、事故の救助などに当たっております。  こうした平時の災害救助組織というものと有事の市民防護組織、これが別々に運用されていたということから、組織上合理的でない、また、隊員も両方に重複して登録しているというケースが多くありまして、これを一本化する必要があるということで、平時の災害救助組織が有事の際にも活動するということで、組織的な一体化がなされたのがこの法律であります。  その後、そこに書かれておりますように、七六年に、第一法律が改正されて、市民保護に関する法律というものができました。最終的には、九七年、これは冷戦が終わった後でありますが、市民保護の再編に関する法律という現行法ができまして、それまでの法律がこの法律に一本化されて、非常に簡素かつ非常に合理的な法律にまとめられております。  時間がございませんので、現在の市民保護法に関して、簡単にその項目を列記いたしますが、市民保護に関しては七つの柱、分野がございます。先ほど申しました自己防護というのがその第一に書かれております。第二が、住民への警報に関する規定であります。三番目が、防護建築、先ほど言ったシェルターの維持管理。第四としまして、滞在規制。第五番目に、市民保護における防災組織の位置づけ。六番目に、健康保護措置。それから七番目に、文化財の保護措置というものがございます。  これらはいずれも、この市民保護再編法、現行法ができる前に幾つかの法律の中で既に定まっていたものでありますが、自己防護、これがその第一条に掲げられております。先ほど申しましたように、災害救助における自己防護というものの重要性をまずうたっておりました。自己防護というのは市民保護の基礎である、官庁による市民保護措置はこの自己防護というものを補完するものであるという位置づけがなされておりました。  それから、住民への警報に関しましては、危険の把握といいますものは連邦の責務であるということになっておりまして、ドイツでは各地に市民保護連絡所というものが設けられておりまして、防空に関する危険情報はここから上げられます。それから、放射能に関しては、全国に観測所が設けられておりまして、連邦放射能防護庁本部というものが設けられて、ここで情報収集、分析がなされることになっております。連邦レベルでこうした危険の把握を行うわけであります。  警報の発令というものも連邦が指示を出すわけでありますが、連邦の委任によって、ラント、各州の防災警報を担当する機関がこれを行うということになります。防災の器材等に不備がある、不足がある場合には、これは連邦の予算によって警報器材等の補充をするということになっております。  防護建築、シェルターの建築に関しましては、冷戦時代、もう既に多くのシェルターが建造されております。その維持というのは市町村に任されております。市町村は、平時、維持管理するかわりに、平時にはシェルターとして利用されておりませんで、ほかの別目的、例えば地下駐車場でありますとか、こうしたものに利用されておるわけですけれども、そこから得られた収入というものも市町村に帰属するということで、維持管理の責任と同時に、そうした収益にも結びつくというような合理的なシステムになっているようであります。  また、自家シェルター、これは個人あるいは企業などが設けたシェルターでありますけれども、これも連邦予算から補助金が出たり、あるいは税制上の優遇措置がとられておりまして、一定の義務を伴います。例えば、自分だけではなくて、ほかの人も同時にここに収容しなければいけないというような義務でありますとか、シェルターとしての機能に支障になるような改造、こういったものをしてはならないとか、こういった義務も同時に規定をされております。  それから、四番の滞在規制です。  滞在規制、これは日本では避難誘導というような言い方がされておりますけれども、必ずしも避難誘導というだけではございませんで、これはドイツだけではなくてNATO諸国すべて共通していると思いますが、滞在規制、つまり動いてはならないという指示もこの中に含まれます。  戦時においては、特に、いろいろな情報が錯綜しまして、一般住民が右往左往するということも考えられます。そうした場合に、住民が無秩序に移動するということになりますと、交通の障害にもなりますし、特に戦闘地域に近い地域では、部隊の移動とこの住民の避難というものの調整をどうするかというのは非常に難しい問題がございます。そういったことから、特に危険度が少ない地域におきましては、一般住民はそこにとどまれ、滞在場所を許可なく退去することが許されないという指示を出すこともできるようになっております。ただ、戦闘地域に近いところでありますとか、防衛上の重要施設があるところに居住している住民に関しましては、やはり避難誘導あるいはシェルターへの収容といったようなものがなされることになっております。  それから、市民保護における防災組織ということでありますが、先ほど申しましたように、平時の防災組織が有事においても市民保護に当たります。  これはドイツの特徴でありますが、これは後の方で説明するつもりでございましたが、ついでに説明いたしますと、ドイツでは、非常にボランティア組織というものが重要な役割を果たしております。消防団の志願隊員というのは全国で百三十万人おります。それから、そのほかにも代表的なボランティア組織が五つございまして、ドイツ赤十字社、それから労働者サマリア人連盟というのがありまして、これは労働組合系の救済団体、救助団体であります。それからドイツ救命社、それからヨハネ騎士修道会事故救済団、マルタ騎士修道会救助団といったようなものがございまして、これらに五十万人のボランティアが登録されております。こうしたボランティア組織あるいは消防団といったようなものが、連邦やラント、州の国民保護措置、これを助けることになっているわけであります。  これに加えまして、連邦技術救助団、これにも七万五千人が登録しておりまして、これは平時の災害救助のみならず、有事においても連邦やラント機関と連携をとりながら国民保護に当たる形になっております。  日本におきましても、これは、ボランティア団体との連携というものを、一応、国民保護法制国民保護法の中に規定しております。第四条だったと思いますが。ただ、それの関係につきましては、ボランティア団体を支援する、協力関係をとるといいましても、具体的にどのような形になるのかということにつきましては、はっきりとはしておりません。この辺のところ、ドイツの連携のあり方、これが参考になるのではないかと考えております。  それから、六番目の健康保護措置というものですが、これは、特に有事の際には医療、衛生物資、これが不足いたします。これを平時から備蓄しておくということを、薬品会社でありますとか卸売業者、あるいは薬局、こうしたところに命じるという制度を整えております。  それから、文化財保護措置に関しましては、ドイツは、武力紛争における文化財の保護に関するハーグ条約に加入しております。六七年の四月十一日に、その批准法の中で、外務省、内務省それから国防省の所管分野に関しまして、この規定を置いております。  日本でも、文化財の保護に関しましては、国民保護法制の中で幾つか規定が置かれております。  時間がございませんので、最近の動向につきまして、若干御説明をいたします。  九・一一のテロ事件まで、特に冷戦下の、つまりドイツに対する武力攻撃というものを前提にした武力攻撃事態における国民保護ということが中心で検討されてまいりましたが、特に九・一一テロ事件以降、こうしたテロに対する対処というものも考えていかなければいけないということで、二〇〇二年の六月に、内務大臣会議、これは連邦内務大臣と各州の内務大臣の会議でありますが、新戦略というものが決定されまして、これに従いましてさまざまな改善がなされております。  幾つか項目がございますが、連邦市民保護・災害救助庁というものが新設されまして、それまで市民保護本部というものが担当しておりました部分をこれが引き継ぎまして、特に連邦、ラント、それから民間団体の連携というものに意を用いております。  それから、連邦・ラント合同通報・対策本部というものも設けられました。これが、特に不足物資の管理や要員、機材の調整などを行う対策本部として機能をいたします。  それから、deNISと言っておりますが、ドイツ緊急事態準備情報システムというインターネットを利用したデータバンクを立ち上げております。これは既に二〇〇二年の五月から運用が始まっておりますけれども、これは一般国民向けと関係者の内部のネットと二つございまして、一般向けのサイトにおいては、防災関係について二千以上のリンクが張られておりまして、市民保護に関するさまざまな情報の提供に充てられております。また、内部のネットに関しましては、防災関係機関、連邦、州、それから民間団体の間の情報交換でありますとか要員の融通、あるいは物資の配給、こういったものについての調整を行う情報データバンクとなっております。  これ以外にもさまざまな改善がなされておりますが、時間の関係上、省略をさせていただきます。  最後にもう一つ、テロと市民保護という視点から注目すべき動きといたしましては、航空保安法という法律ができつつあります。これはまだ、今現在、連邦議会の第一読会を通過したところまで確認しておりますが、日本でも若干、報道がなされております。これは、九・一一のテロの場合に、民間航空機をハイジャックしてこれを武器として使用するというような非常に残忍な行為が行われたのですが、こういったことがもしドイツであったらどうするんだということから話が始まりました。  さらに、二〇〇三年の一月五日でありますが、フランクフルトでちょっとした事件がございました。小型航空機を操縦する、ちょっと精神病を患った経緯のある者が高層ビルのあたりを飛び回っておるということで、これは危険であるということで、九・一一のテロの記憶がよみがえったというような事件がございました。こうしたことを反映いたしまして、民間航空機のようなものが乗っ取られて、例えば原子力発電所に突っ込むであるとか高層ビルに突っ込む、こういったことがなされた場合にどう対処するかということで、制定されつつある法律であります。  特に問題になりましたのは、この十四条の中で連邦軍の出動を規定していることであります。空軍機によって、強制着陸とか排除に従わない場合、威嚇射撃をしてもさらにこれに従わないということになりますと、最終的に武器の使用を認めているという点であります。民間航空機でありますから、当然これは一般の乗客も乗っているわけでありまして、これに対して武器を使用するということは、撃墜を意味するということになる。そうした一般住民を巻き込んだような措置が許されるのか、仮に二千人の人命を救うために二十人の人間を殺していいのかというような議論もございます。  これに関しましては、現在法案審議中でありますし、どうなるかはわかりませんが、一部には、基本法三十五条、災害時における連邦軍の出動規定、あるいは第二条、生命身体を害されない権利というものが規定されておりまして、こうしたものとの関連から、違憲の疑いありということで、批判も出ております。  ただ、連邦政府がそれを承知でこういった法律を出したといいますのは、やはり、自爆テロというのは自分の命をもう捨てるつもりでやっておるわけでありまして、そうしたテロリストに対して絶対にそれを成功させないという決意を示すためには、これぐらいのことは連邦政府は考えておるんだぞというところを示したかったのではないかと思います。  実際のところ、先ほども申しましたような、極限状況において連邦国防大臣がこの決断をする、つまり民間航空機を撃墜するというような決断ができるかといえば、非常に難しい。政治的に非常に大きな責任を伴いますから、決断は難しいだろうと思います。実際、オットー・シリー内務大臣は、この法案の説明の中でも、具体的にどういう状況でこうした武器使用を行うかということについての要件をはっきりしないということも言っております。ですので、実際には撃墜命令を出すというふうなことは難しいとは思いますが、ただ、法制上、そういうことも含めて政府は考えておるんだという決然たる態度を示すということで、自爆テロのようなものを防ぐという姿勢のあらわれではないかと私は考えております。  もう時間が過ぎておりますので、このぐらいにいたしまして、甚だ雑駁な発表になってしまいましたけれども、御不明な点がございましたら、また質疑応答の中でお答えしたいと思います。(拍手)
  6. 近藤基彦

    近藤委員長 以上で両参考人の御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  7. 近藤基彦

    近藤委員長 これより参考人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。伊藤公介君。
  8. 伊藤公介

    伊藤(公)小委員 自由民主党の伊藤公介でございます。  きょうは、両参考人から大変参考になる御意見をいただきまして、大変ありがとうございました。  まず、緊急権の規定憲法に設けるべきであるかどうかという点などについて、御質問したいと思います。  私ども国会は、かつて福田内閣のもとで有事法制の研究が開始をされて以来、国際情勢の大きな変化の中で、特に最近は、テロや大量破壊兵器の拡散、あるいは、特に我が国周辺において北朝鮮の弾道ミサイルや不審船などが生じて、私たちの国会でも有事法制の整備が進んで、特に小泉内閣では、武力攻撃対処法など、非常事態に対応する法整備が進んでいるところでもございます。  そこで、特にきょうは憲法とのかかわり合いについてでありますが、国家緊急権に関する規定がないということで、憲法に明文の規定を設けるべきであるという見解がある一方で、規定の不存在というのは、戦前の旧体制の遺物を払拭して、いわゆる平和主義や民主主義を徹底するためであるとして、規定の不存在をむしろ積極的に解する見解もございます。  参考人の両先生は、国家緊急事態への対応を憲法上明記すべきであるとお考えになられるかどうか。先生方からも少しそのことに触れられた点もございますが、考え方を整理するという点も含めて、もう一度伺っておきたいと思います。  現行の憲法の枠内において措置できる事項であれば、憲法改正によらないで、有事あるいは災害、テロなど非常事態全般への対処を規定する、いわゆる国家安全保障基本法のような基本法を制定するということで足りるとお考えになられるのか、両先生からお考えを伺いたいと思います。
  9. 小針司

    小針参考人 私の見解は先ほど申し上げましたけれども、簡単に申し上げますと、今言ったように、実定法化された非常権の乱用の危険性というのが一方に指摘されております。それから、恣意的な超法規的対処の危険性も、これまた他方において指摘されているところであります。私としては、やはり憲法というのは憲法典としての価値を持たせるということからいたしまして、どこまで規定されるかは非常に難しいところがありますけれども、非常対処の規定については、根拠規範憲法典の中に置くべきだ、こういう考え方でおります。
  10. 松浦一夫

    松浦参考人 私も、基本的には、憲法の中に緊急事態における措置を定める原則規定、これを置くべきであると思われます。  特に、権力分立、三権分立の原則に反するといいますか、その例外を設けるような場合、あるいは、平時における制限以上に大幅に人権制限するというよう措置がもし必要であるということであるならば、やはり憲法の中に例外規定として置くべきであると考えます。  ただ、この三権分立の例外、あるいは人権制限平時並みに置くという前提に立つならば、現行憲法でもそうでありますが、特に憲法の中に設けることなく、一般の法律で対処できる範囲もあるかと思います。ただ、徹底した緊急措置というものを実現するためには、憲法の中に規定を設けるということが必要であろうと考えます。
  11. 伊藤公介

    伊藤(公)小委員 両先生から緊急権についてのお考えを伺いました。  そこで、緊急権の規定憲法に設ける場合の規定の仕方について伺いたいと思いますが、先ほど参考人からも、ドイツの詳細な緊急事態規定についても御説明がございました。これは大変参考になる点がございますけれども、しかし、ドイツの場合には非常に規定を細かくしているわけですね。しかし、その規定以外の事態が起きたときはむしろ対応が困難になるというデメリットも一方ではあるんじゃないかというふうに私は思います。  また、フランスのように、大統領の非常に広範な緊急措置権を認める国もあります。憲法上に緊急権の規定を設けるともしした場合に、我が国の政治制度、あるいはまた、政治の置かれている状況事態を踏まえて、どのよう規定がふさわしいとお考えになられるか、お伺いができればと思います。
  12. 松浦一夫

    松浦参考人 お答えいたします。  ドイツの場合、おっしゃいましたように、憲法レベルで非常に多くの規定を設けております。ただ、具体的な措置に関しましては、これは個別的緊急事態法というものが幾つかございまして、例えば経済確保法であるとか、水の確保であるとか、労役の確保であるとか、個々の連邦法で定められております。しかしながら、この連邦法レベルでもさらに法規命令に委任をされておりまして、必要措置というものは法規命令のレベルで大分決まっていくものであります。  憲法のレベルでどこまで定めるべきか。ドイツの場合には、これは特に、ワイマール時代の憲法、四十八条で大統領に非常措置権を広く認めてしまった。それが非常事態措置の乱用を生み、民主憲法の崩壊というものをみずから招いてしまったという反省がございまして、憲法の中で包括的な授権をするということについての非常に抵抗があった。そういうことから、憲法レベルでもなるべく細かく決めておき、また法律をあらかじめつくっておこうという傾向にあったわけであります。  日本においてどこまでやるべきかということにつきましては、私は、ドイツほど細かく規定する必要はないんではないか、法律で定める部分についてはその法律に任せてよろしい。ただ、やはりフランス憲法、第五共和制憲法の十六条であるとか、ワイマール憲法の四十八条のような包括的な委任というのは乱用の危険がございますので、それほど包括的なものであっても困るというところで、難しいところだと思っております。
  13. 伊藤公介

    伊藤(公)小委員 ありがとうございました。  それでは、もう一問、日本の緊急事態の対処体制のあり方について伺いたいと思います。  現在、私たちの国は、緊急事態に対して、内閣官房に安全保障会議、あるいは内閣危機管理監が設置をされていて、いわゆる内閣官房を中心とした体制が構築されているわけですけれども、例えばアメリカでは、同時多発テロを契機として、テロ対策に係る体制を一元化していくべきだということで、国土安全保障省が設置をされて、いわゆるテロ対策だけではなくて、災害対策を含めた緊急事態に対応するための組織ができているわけです。  先ほど、たしか松浦先生の御報告の中にも、ドイツの九・一一以後の対応も御報告がございました。テロへの対応というものは、防衛とか、警察、外交、情報など非常に多岐にわたって調整をしていく。あるいは関係行政機関の総合的な調整ということが必要であろうというふうに思います。我が国においても、一元的な組織の設置を検討してもよいのではないかというふうに私は思います。  我が国におけるテロ、災害などを含む緊急事態の対処体制のあり方の評価、あるいは国土安全保障省のような一元的な組織の必要性について、両参考人の御意見を伺っておきたいと思います。
  14. 小針司

    小針参考人 その点について言えば、私も十分に検討したことは余りないんですけれども、さっきもテロリズムというものはどういうものなのかというふうなことをお話ししましたけれども、私としては、犯罪の問題としてこれはとらえておるわけですね。  あと、それを総合化するかどうかということにつきましては、我が国の現行の、いわば国家の行政組織をもう少し見通した上でないと、ちょっと今の段階では結論は出せないというところであります。
  15. 松浦一夫

    松浦参考人 私もまだ具体的なイメージというのはわかないのでありますが、ドイツのことについて申しますと、先ほど申し上げましたように、ドイツの場合には、総合防衛ということでありまして、軍事防衛とそれ以外の非軍事的な分野の防衛というものの二本柱でやっております。その中で国民保護というものも位置づけられているわけなんですが、それは、基本的には軍事防衛に関しては国防省、それから国民保護に関しては内務省という、主務官庁がそれぞれ異なるわけであります。ただ、総合的な運用というものにおいて、しっかりしたプログラムといいますか、そういったものが用意されている。個々の法律の運用というものが統合的に運用できるような体制をとっておる。  そのために、独立した官庁が必要であるかどうかということでありますが、ドイツの場合では、連邦安全保障会議というものがございますが、官庁としてそうしたトータルなものをつくるかどうかということについては、まだアメリカがとったようなアプローチというものはないんだろうと思います。  日本においてそうしたものがどういう形でつくられるかということについては、今は具体的にはちょっと頭に思い浮かびません。
  16. 伊藤公介

    伊藤(公)小委員 ありがとうございました。
  17. 近藤基彦

    近藤委員長 次に、松本剛明君
  18. 松本剛明

    松本(剛)小委員 民主党・無所属クラブの松本剛明でございます。  小針参考人、そして松浦参考人、お忙しいところ本当にありがとうございました。  今、伊藤議員の方からも質問がございました。基本法の設定、また危機管理庁構想、昨年から私たち民主党が鋭意申し上げてきたことでもあるわけでありますけれども、緊急のこの状況の中で国民保護も必要であるということで、今国会国民保護法制が上程をされております。昨年の有事法制の整備に当たって、早急に国民保護法制が必要である、これも私たち民主党・無所属クラブから申し上げてきたことでありますので、この国会でもしっかり審議をいたしたいと思っておるんです。  その中で、ただいまも緊急時の緊急権というんでしょうか、国家緊急権規定が必要であるかどうかという伊藤議員の問いに対して、両参考人とも、必要ではないか、こういう御指摘であったかというふうに思います。  しかし、現在、我々は、憲法改正がなされていない中で、この国民保護法制有事法制の整備を進めているところでございまして、両参考人にお伺いをいたしたいと思うんですが、諸外国の国民、市民保護法制に比べれば、我が国の今回の国民保護法制は、さまざまな国民、市民に対する強制の要素というのが大変薄いものであろうというふうに思いますが、やはり土地建物の一時使用であるとか、医療提供者に対する従事を命ずるであるとか、また、食品や医薬品などの物資の提供を命ずる収用ができるといったような、言うなれば、主権の、国民権利義務制限がこの国民保護法制の中に含まれていることは御案内のとおりでございます。  こういった緊急時の主権の制限を行うことの根拠憲法上、今の憲法からしてどのように求めて、どのよう解釈をしていくのか。先ほど小針参考人の中には、公共福祉に求める以外ないのではないかといったようなニュアンスも御発言であったかのように思いますが、一方で、松浦先生の論文の中にも、そもそも自然法的な国家緊急権といったような言葉もあったかと思います。これをそのまま認めると立憲主義上いろいろな問題があるという言葉も伴ってでありますけれども。我が国ように、非常時、緊急時の規定がない中で、そして、今現在、法整備を進めていくとすればどこに根拠を求めていくべきなのか、それぞれ両参考人の御意見を承りたいと思います。     〔小委員長退席、平井小委員長代理着席〕
  19. 小針司

    小針参考人 先ほども私申し上げましたけれども、結局同じような結論になるんだろうと思うんです。つまり、憲法典上、何らその非常措置権についての定めというのはないわけですから、そうすると、解釈上としては、やはり公共福祉というものを使って、そして有事における公共福祉というのはこういうものだというふうなことで根拠づけていくほかない。  それで、今松本先生の方からお話がありましたけれども、今回の国民保護法というのは非常に控え目なところがあるわけです。これは、現行憲法のもとにあっては、第一歩というようなことを考えていくとやむを得ないものではないのかな、義務規定は余り出さないで、そしてそれを刑罰でもって制裁を、裏打ちをしない、これが一歩としてはぎりぎりのところで今進めてきているのかなというふうに私としては受けとめております。  答えにはならないと思いますけれども、財産権の保障の二十九条でも、公共福祉というのもありますから、そういったところと結局観念づけて理論構成する以外に私としてはないんじゃないか。だから、先ほど申し上げましたように、公共福祉となってくると、有事公共福祉平時公共福祉ということで、結局、二分化するようなものを現行憲法のもとにおいては統合した形で、一つのものとして扱って対処していく、そういうふうなスタンスをとらざるを得ない状況にあるのではないかというふうに私としては受けとめております。
  20. 松浦一夫

    松浦参考人 私も、基本的に同じでありまして、現行憲法上、根拠を求めるとすれば、公共福祉によるほかないと思われます。  有事の際、あるいは国家緊急事態において、例えば業務従事命令であるとか、あるいは財産権の制限、これを平時以上に制限するということになりますと、やはりいろいろな憲法上の根拠を別に置くということになると思いますけれども、国際的なレベルからすれば、これは、市民的及び政治的権利に関する国際規約というものがございます。この中で、「国民の生存を脅かす公の緊急事態の場合においてその緊急事態の存在が公式に宣言されているときは、この規約の締約国は、事態の緊急性が真に必要とする限度において、この規約に基づく義務に違反する措置をとることができる。」ということがありまして、例えば強制労働の禁止といったようなものを定めているわけですけれども、有事の際のそうした役務の賦課というようなものは強制労働には該当しない、兵役ももちろん該当しないというふうな国際的な基準もございます。  あくまで、これは日本国憲法を、現在の政府見解を前提にして、徴兵制は十八条に反するというのが政府見解でございますから、そうしたものを前提にして立案したのが今回の国民保護法制であろうと思われます。ですから、ほかの諸国の考え方以上に抑制的な法律にならざるを得ないということであろうと思います。
  21. 松本剛明

    松本(剛)小委員 ありがとうございました。  私自身は、前回のこの小委員会では、実は、国連による国際協力の業務についての議論を行ったときも、日本国憲法にはこれに関する規定はむしろないと考えるべきではないのかな、九条の部分についてですが、という議論を申し上げたことがありました。  将来の緊急権の規定をすることを考えると、むしろ既存の規定公共福祉の中に含めることが適当なのかどうかということは、今から議論をしておく必要があるんではないかなというふうに思うわけであります。今おっしゃったように、現行憲法規定がない状態、これは規定がない部分は何でもできるとおっしゃる方と、規定がないから抑制的に考えるべきだとおっしゃる方、規定がないから何もできないと言われる方と、いろいろな考え方が恐らくあるんだろうというふうに思いますが、今の憲法のもとでは、逆に申し上げれば、一件一件を細かく申し上げるつもりはありませんが、おおむね今の強制の程度が恐らく限度であろうという認識でよろしいんでしょうか。両参考人にお伺いをしたいと思います。
  22. 小針司

    小針参考人 私としても、今の憲法を前提にする限りは、ぎりぎりのところじゃないかなと。これ以上いわば制裁を加えるような形で持っていくということになると、憲法の十八条、意に反する苦役、やはりこれとの抵触関係というのは当然出てくるだろうというふうに考えますので、それをかわすというふうな形で現行法というのは一応成り立っているだろうというふうに理解しております。
  23. 松浦一夫

    松浦参考人 先ほども小針参考人から言及がありました国民保護法案の第四条でありますが、「国民は、この法律規定により国民保護のための措置の実施に関し協力要請されたときは、必要な協力をするよう努めるものとする。」努力義務はあるんですが、制裁はない。これで、実施に国民協力が得られない場合どうするかというような問題は必ず出てまいります。  先ほど、ドイツの場合でも、ボランティアが国民保護に当たっていて、非常に重要な役割を果たしている。確かに、ボランティアですから自発的ではあるんですが、しかし、これにはいろいろな条件がございまして、ドイツの場合には義務兵役制をとっております。兵役につくかわりに、こうした防災ボランティアに参加することによって兵役期間を免除されるというような制度もございまして、一概に、日本の自発的な防災組織というようなものとはちょっとレベルが違うのであります。  また、自発的なボランティアによって要員が不足した場合には、これは労役確保法というものがございまして、強制力をもって罰則を伴った役務の賦課というものが行われる形になっております。ですので、日本の場合、やはりほかの国とはちょっと違うということであります。  ただ、十八条の意に反する苦役というものをどう解釈するかによるんだろうと思います。これについて小針参考人は、今のところがぎりぎりであるということでありますが、解釈によってはその意味をもう少し緩和することはできようかとも思います。ただ、憲法学説上、これは非常に制限的に解釈するのが一般的であろうと思いますので、学説との関係でも難しいところはあると思います。
  24. 松本剛明

    松本(剛)小委員 ありがとうございました。  国民保護を実効的に行うために、法制、体制、運用を我々も検討していく必要があるというふうに思っております。  あと、実は地方自治体との関係、ドイツは連邦制ですので、ちょっとその辺も含めてお聞きしたかったんですが、私の持ち時間は終了したようですので、また後ほどの質問者に譲らせていただきたいと思います。  ありがとうございました。
  25. 平井卓也

    ○平井小委員長代理 次に、福島豊君。
  26. 福島豊

    ○福島小委員 本日は、両参考人には大変貴重な御意見をお聞かせいただいて、ありがとうございます。  両参考人は、憲法の中に緊急事態規定を置くべきであるという御意見でございます。私も、明確に示した方がいいのではないかと個人的には思うんですが、一方で、不文の原理、書かないという考え方が英米法系の諸国においては一般的である。  ここのところを両先生にお聞きしたいんですけれども、書かないといっても、例えば、アメリカでも、不都合があるというわけではないわけですよね。どこが本質的に違うんだろうか。日本国憲法においても、そもそもは両方の考え方があるわけですよね。あるんだけれども書いていないというのと、そもそも憲法が不備だという二つの考え方がある。どう違うのか、もう一度御説明いただけるとありがたいのです。
  27. 小針司

    小針参考人 私から言わせれば、英米法関係というのは、やはり不文法の国ですから、例えば、イギリスであればコモンローで国王大権みたいなのがある。それから、アメリカについていえば、どう違うんだろうというお話ですけれども、アメリカ合衆国憲法においては、軍事に関しては、議会の宣戦布告権とか、あるいはアメリカ大統領の最高司令官としての地位規定というのがあるわけです。そういうところもやはり日本国憲法と決定的に違うわけですね。  そういった法制度、法の伝統のあり方というのもやはり違いますから、我が国の場合、明治憲法期以来、やはりヨーロッパ諸国の、成文法国の法伝統というものを積み重ねて今日に至っているわけですので、そこに勢い、何というんでしょうか、慣習法というか不文法を伝統にしたそういう国のあり方を持ってくるということは、私はちょっとなじまないのではないかというふうに考えます。それは、法伝統の違いというのが一つあるんじゃないかというふうに私としては受けとめております。  大ざっぱな回答ですけれども、一点指摘しておきたいと思います。     〔平井小委員長代理退席、小委員長着席〕
  28. 松浦一夫

    松浦参考人 私も同じ考えでございまして、憲法非常事態に関する規定が例えばアメリカ合衆国憲法にはないといいましても、今お話しになりましたように、最高司令官の権限の中にそうした非常措置権というものを読み込む、それで大統領命令によって措置するという形式をとるわけでありまして、憲法上全く根拠がないというわけではございませんし、またイギリスの場合、これはもう特異な例でありまして、成文憲法を持たない国の法慣習というものを参考にして日本の憲法条文解釈をする、あるいは憲法改正論議をするというのは、ちょっと飛躍があるのではないかと思われます。  どの程度の規定憲法の中に置くかということについて大小いろいろ議論はあっていいと思いますけれども、いずれにしましても、憲法上の規定というものを置くべきであるというように考えます。
  29. 福島豊

    ○福島小委員 よくわかりました。  それで、どこまで書くのかという話ですね。先ほどドイツの話で、ワイマール憲法下でナチス・ドイツが台頭してきたではないか、したがってより細かく書き込みました、こういう話があるわけですが、私は、どちらが卵でどちらが鶏かな、こういうふうに思うんですね。  憲法がそういう憲法であったからナチス・ドイツが台頭してきたのかと言われると、歴史的にはそういう時系列になっていても、そういうことでもないんだろう。ただ一方で、乱用ということを懸念する方にとってはそれをきちっとそうではないということを示さなきゃいけませんから、このあたりのバランスなのかなというふうに思うんですけれども、再度このあたりも御説明いただけますでしょうか。
  30. 小針司

    小針参考人 それでは、私が御報告をさせていただいたところでもちょっと触れましたけれども、憲法停止憲法列挙条文停止、この問題に観念づけまして、いかなる憲法条文停止しない形で、他方、非常措置について憲法上の規定を置くというような私なりの想定というものを示したわけですね。そうすると、結局どうなるかというと、非常措置で問題になって、非常措置に対して対応するということでの憲法上の法益、それから人権規定というのは停止されませんから人権規定のいわば法益、これを憲法典レベルでいわば法益考量させるというのが私なりの考え方なんです。  これは一方において、人権規定停止しますよとなると、理論的には、人権規定が働きませんからそこの部分は、人権のところは空白になるわけですね。そうなっちゃうと乱用の問題とかいろいろ出てくるでしょうから、私の考え方としては、いわば人権規定人権規定として生かしながら、他方、非常事態への対処は対処としてこれも対応して、非常事態の程度に応じてどちらの法益をある時点において優先させていくかという、法益間のいわば比較考量というような考え方でこれは考えてみたらどうかという素朴な私の一つの考え方を示させていただいた、こういうことです。
  31. 福島豊

    ○福島小委員 どうもありがとうございます。  それで、不文の原理というのがあるということで、現在の日本の有事法制というのは極めて抑制的である、憲法の枠内であるという話ですけれども、これは憲法を研究しておられる立場から考えたときに、こういった事態を超えるような、想定していないよう事態が出てきた場合には、現行の憲法、そしてまた有事法制にもかかわらず、国家というのは緊急権を発動させることができるというふうに考えるのが普通の考え方なのかどうなのか、このあたり松浦参考人にお聞きしたいと思います。
  32. 松浦一夫

    松浦参考人 憲法、実定憲法が想定していない非常事態が発生した場合に政府がどう対応するか。これは、憲法根拠がないから何もしないというわけにはいかないのだろうと思います。  そこで、何らかの措置をとるということになりますと、もちろん現行法の枠の中でできることはすべてやった、その上でもまだ足りない、立法を待っていてはこれはできないということになった場合に、じゃ、どうするか。これは超憲法的な国家緊急権というものを持ち出すのか。持ち出すとすれば、非常に大きな政治責任を伴う問題でありますから、現行法上どのよう解釈してもできないということをもしやったとすれば、それを正当化する根拠としては超実定憲法的な国家緊急権ということになるのかもしれません。ただ、それについては、もちろんこれは非常に大きな責任を伴う問題でありまして、それを正当と見るか、あるいは超法規的な措置をとった政府はその責任をとらなければいけない、いずれにしても重い責任を伴うのだろうと思います。  ただ、その超憲法的な緊急権というものを認めるかどうかということについてはいろいろな議論がございまして、私自身、それを安易に認めるべきではないと思います。
  33. 福島豊

    ○福島小委員 最後に一点お聞きをしたいんですが、現行の憲法におきまして参議院の緊急集会というのが規定されているわけですね。ただ、これも、衆議院参議院と与野党逆転しておりますと、実質的には機能しないという話になるんじゃないかと私は思うんですね。そういうことを想定してこれができているのかなという気もするんですが、このあたりは、小針参考人、どんなふうにお考えですか。
  34. 小針司

    小針参考人 与野党逆転云々というふうなところは私としては全然想定していなかったところでありまして、先ほども言いましたけれども、これは衆議院の解散の場合にいわば国会の機能を代行させる、それにとどまっているというところではないか。これまでの例も、二回ぐらいしか開かれていないというところですね。  それから、理論的な点でいいますと、この参議院の緊急集会について申し上げますと、ちょっとこれは検討したらいいのではないかというふうに思いますが、この緊急集会は衆議院が解散されたときに限定されております。任期満了の場合は除かれているんですよ。だけれども、同じようないわば緊急性というものは、任期満了であろうと解散であろうと出てくるわけですね。ですから、憲法の読み方としては、これは解散されたときに明示的に定められていますから、任期満了のときは除くというふうに読むのが自然だろうと思うんですけれども、理論的に言うとどちらを含めてもいいんじゃないのかという考え方が出てくるんじゃないのかな。  あと、与野党逆転の問題については、ちょっと私としてはコメントしかねる部分がございます。
  35. 近藤基彦

    近藤委員長 次に、山口富男君。
  36. 山口富男

    ○山口(富)小委員 日本共産党の山口富男です。  まず、小針参考人にお尋ねしたいんですが、冒頭に、明治憲法との比較がありました。それで、日本国憲法憲法の前文で、この憲法の平和や民主主義の原則に反する一切の憲法勅令、法令等を排除するということをうたっておりますから、明治憲法体制を否定して生まれたものだと言っていいと思います。  実は、私の娘も、社会科の授業で憲法を勉強するというので、何をやったのかといいますと、憲法の前文を暗記しちゃったんですね。私も覚えていないんですけれども、暗記して、なかなかいい文章じゃないかという感想を述べていたのを私もすごく印象深く聞いたんです。  小針参考人がおっしゃっています、非常事態対処憲法典上の根拠は明文化されていないんだという指摘なんですけれども、なぜ明文化されなかったのか。その点についてはどういう見解をお持ちですか。
  37. 小針司

    小針参考人 その点について言うと、学説の中にもいろいろありますけれども、やはり明治憲法の反省のもとに現行憲法が成り立っているわけですね。だから、そういうふうな読み方をすると、やはり、雄弁な沈黙というふうに私はある本なんかでも書いてありますけれども、そういう非常権といいましょうか、それに対しては現行憲法はかなり抑制的に、ネガティブである、はっきり言って。  だから、そういう事態が生じたときにどうするんですかという、逆にそういう問題が出てきて、現行の憲法を前提にする限りは、やはり先ほど来から言っていますように、公共福祉というものの使い分け、意味を拡大、拡張させたりしてとにかく対応する以外にないんじゃないか。それが今度は公共福祉というものに対して大きな負荷、負担を課することにならないのかどうかということも考えなきゃいけないということです。  ですから、お子様の例を出されましたのであれですけれども、現行憲法のスタンスというのは、そういう憲法典上の非常措置権規定というものに対しては、私からするとちょっとネガティブ、消極的な姿勢というものがあるのではないかというふうに見ております。
  38. 山口富男

    ○山口(富)小委員 きょうは、たまたま傍聴人の方が若い方が多いものですから、少しわかりやすくやらないと、やった方が憲法上も大事だと思いましてわかりやすくやっているんですが、私は、憲法の立場というのは、参考人がおっしゃったような、ネガティブだ、つまり抑制的というよりも否定的ですね、その立場をとりながら非常事態的なものが起こらない努力をする、そういう構えだと思います。  さて、歴代の総理の中でも、日本への侵略について、もう万々々が一だというふうにおっしゃった方もいらっしゃいますけれども、小針参考人は、日本への侵略が、大規模な外国軍がやってくるというようなことが差し迫った危険としてあるという認識をお持ちですか、あるいは、そういうものはないという認識なんでしょうか。
  39. 小針司

    小針参考人 おまえはどう考えるかということなんですが、政治情勢の分析というのは、正直言って私は、恥ずかしいんですけれども自信がないのです。  要するに、どういう状況のもとにおいてそういう問題が出てくるのか、我々が手にするいわばマスメディアを通じた情報だけで判断できるのか、できないのか。例えば、今韓国でも問題になってきていますし、台湾でも問題になってきています。そうすると、情勢判断、見通しを立てる、要するに適宜な判断材料というのは、私は正直言って持ち合わせていない。恥ずかしい話だけれども、それが私の今の姿です。  ですから、あるといえばあるでしょう、だけれども、日本に渡河してやってくるだけの力は今のロシアにあるのだろうか、中国はやる気があるのか、北朝鮮はどうなのか。私は、大部隊を送るというふうなことよりも、今非常に気にかけているのは、むしろテロリズムとか、いわば工作員を送って内部でいろいろな画策をする、こういうところにもう移ってきているんじゃないか。正規戦対正規戦の戦いじゃなくて、いわば内部に侵攻して、いわばテロ的な、そういうふうな攻撃を加えていくというような、そういう動きの方が私にとっては不安げなところがあります。これは、やろうと思えばやれないことはないんです。
  40. 山口富男

    ○山口(富)小委員 わかりました。  そのテロにかかわる問題なんですけれども、ニューヨークの九月十一日の事件は非常にショックを受けて、後々の世代にも影響を与える事件だと思いますが、きょうは報告の資料の五ページ目のところで、三つ目の段落なんですが、テロリストに対して、「彼らは単なる犯罪者と解するほかはなく、国内刑事法をもって処断されるべきである。」と。私、この指摘は非常に重要な指摘だと思うんです。といいますのも、戦争とかテロとかいろいろなものを混然一体として論じる傾向がありますから。  そこでお尋ねしたいのは、ここのところが大事だということで、この文章を押さえる最後の言葉として、さもないと「害悪・結果の重大性のひと言でもって国連憲章二条四項の武力不行使原則がたやすく破られてしまうことになりかねない」というところまでおっしゃっているんですけれども、参考人のこれにかかわる問題意識が、もう少しわかりやすく示せれば、教えていただきたいんです。
  41. 小針司

    小針参考人 テロリズムは、もう先ほどもちょっと申し上げましたけれども、戦闘員資格要件、そこのところでも話ししましたけれども、戦闘員資格要件を、緩和された形にせよ充足するような形でテロリストというのはテロリズムを行うことができるかというと、私はできないと思います。攻撃するときに武器を携行してとかといったって、ひそかにやるのがテロリズムですから。ですから、テロリズム、そしてそれを行うテロリストというのは、これは戦闘員資格要件を欠く、これは犯罪者であるというふうにひとまず言えます。  ただ、問題は、大規模なテロリズムだとか国際テロリズムというふうに言われているわけです。この問題に対してどう考えていくかというところで、私はいわばこういうふうな、先ほど御指摘のあったようなことで申し上げているんですけれども、原則的に、私は、テロリズムはあくまでも犯罪である、だからこれは犯罪を処罰する国内刑法でもって処断さるべきである。この原則論というものは維持されるわけですね。  あと、そういう原則論に立って、じゃ、大規模なテロリズム等々についてどう対応するのかというと、その場合には、やはり法解釈連続性とか漸次変化といったようなこと、これは実は藤田宙靖という私の行政法の先生でもあったんですけれども、このたび最高裁判所の判事になられた先生が、解釈あり方についてそういうことを言っているわけですね。そういうふうな法解釈連続性漸次変化というふうなところで見ていくと、果たして、いわば国連憲章五十一条で言う武力攻撃にこの大規模テロリズムにしても当たるというふうに解釈上持っていけるかどうかという点で大きな悩みがある、正直言って。  それで、例えば大きな河川の上流に位置する国家が大水流の放流を行うことによって下流にある国家に甚大な損害をもたらす行為が果たしてその害悪、結果の重大性からして武力攻撃に直ちに該当すると言えるかどうか、そういうところを心配しているわけです。
  42. 山口富男

    ○山口(富)小委員 わかりました。  ちょっと時間が限られてきましたので、松浦参考人に一問しか聞けないかもしれませんが、きょうはドイツの緊急事態とのかかわりでの比較をしていただいたんですけれども、世界を広く見ますと、国連加盟国が百九十一ありまして、その三分の二は軍事同盟に加わらない非同盟の国々です。数は多くありませんが、軍事部門を持っていない国もあります。  となりますと、この非常事態法制というのをもう少し広く見ていただくと、やはりその国々の置かれた憲法上の条件ですとか地政学的な条件ですとか、さまざまな要件を見ながら非常事態について検討しなきゃいけない、そういう考えで臨んでよろしいんでしょうか。
  43. 松浦一夫

    松浦参考人 おっしゃるとおりであります。  ドイツは、御承知のように十年前までは東西に分かれておって、冷戦の最前線に置かれたわけでありまして、緊急事態規定憲法に置いたのも、また有事法制を再軍備以降たくさんつくって防備体制を固めたのも、そうした状況があってのことであります。そうした現実の政治的な危機あるいは軍事的な危機というものを前提にして法律ができるという側面は確かにございます、必要性という点においては。  ただ、冷戦時代につくった有事法制が現在のドイツで不要になったかというと、そうではないわけですね。やはり東西ドイツが統合し、NATOが東方に拡大し、さらにEUも拡大していって、ドイツに対する直接的な武力攻撃の危険がなくても、やはりその憲法規定防衛事態とか緊迫事態といったような冷戦時代の規定があり、また、法律もそのまま残っているわけです。ただ、それをバックボーンにして武力攻撃における緊急時に対処する体制を整えておけば、やはり対テロあるいは自然災害、こういったものにも応用できる、組織そのものが使っていけるわけです。  ですから、戦略そのものは状況に応じて変えていかなければいけないんでしょうが、ただ、バックボーンとなるべき緊急事態に対処する法制の枠組みというのはやはりちゃんとした形で維持しておく。それをその状況に応じて、バリエーションですね、使い分けていく、運用を考えていく、組織を改革していくということが必要なんだろうと思います。
  44. 山口富男

    ○山口(富)小委員 私たちは、日本国憲法のもとでの有事法制の具体化は反対ですけれども、それはまた別の機会に議論したいと思います。
  45. 近藤基彦

    近藤委員長 次に、東門美津子君。
  46. 東門美津子

    ○東門小委員 社会民主党の東門です。  きょうは、本当にお忙しいところありがとうございました。ひょっとしたらまた重複するところも出てくるかもしれませんけれども、よろしくお願いいたします。  今国会に提出されました国民保護法案の第一条では、国民の生命、身体及び財産の保護を第一の目的に掲げています。しかし、国民保護の名称とは裏腹に、協力を拒否した場合に刑事罰を科すなど、国民に対して一方的に戦争協力を強制するものであると言えると思います。  基本的人権の尊重は人類普遍の原理であり、少なくとも民主主義国家では当然に認められるものでありますが、今回我が国が整備しようとしている有事関連法案における国民権利保護について、諸外国で規定されている同様の法制と比較をした場合、いかなる程度なのか、お伺いいたします。  できましたら両参考人からお願いしたいと思います。
  47. 小針司

    小針参考人 今御指摘がありましたけれども、刑事罰云々というのは従事命令といったようなことなのかなと思いますが、それ以外の点でいいますと、国民には、先ほどだれか言っていますけれども、協力するようにという努力規定はありますけれども、それを刑罰制裁で裏づけてはいないんですね。  したがって、私から言わせますと、先生と御意見が違うのかもしれませんけれども、正直なことを言わせていただきますと、結構控え目だ、抑制的な国民保護法案じゃないかというふうに私としては受けとめているところです。  その辺でよろしいでしょうか。
  48. 松浦一夫

    松浦参考人 国民保護法案に関しましては、小針参考人のおっしゃったとおりであります。  ほかの国と比べてみてどうかという話なんですが、先ほども国際人権規約の例をとりましたのですが、緊急事態における人権制限あるいはその労役の賦課というものにつきましても、これは強制労働には該当しないという規定がございます。  また、ドイツの例を再度挙げてみますと、ドイツでは、民間企業あるいはその私人に対しての協力義務規定する法律というのがたくさんございます。先ほど申しましたように、経済確保法であるとか、交通確保法あるいは食糧確保法あるいは用水確保法、さまざまな確保法と呼ばれているものがございます。これらはさまざまな義務が伴っているわけなんですが、これに違反した場合の刑事罰等も規定しております。故意に関しましては五年以下、過失については二年以下の自由刑ということであります。  さらに、労役確保法に関しては、これは刑事罰ではございませんが、過料としてやはり罰則が規定されておりまして、自発的な協力、努力義務というようなものとはちょっと違うのではないかと思われます。ただ、先ほども申しましたように、ボランティアに参加する者では補い切れない場合には、これを労役確保法によってその要員を充足するという形をとっていましたので、日本の国民保護法制の中で求められる協力というのは非常に抑制的なものであるというように言えると思います。
  49. 東門美津子

    ○東門小委員 わかりました。  有事を理由に、国家国民の財産、権利を自由に制限できるということになっていると思うんです、この国民保護法制。そういう発想は、戦前の国家総動員体制などの例を見れば本当におわかりのとおり、国家保護の名のもとに、結局は軍事を優先して、必要以上に国民の財産、権利制限することがあり得るわけです。  有事において国民権利を不当に制限させないためには、三権のうち立法府及び司法府による監視が極めて重要になると思われるわけですが、現行法制下においてその権限及び機能は国民保護に十分と言えるのでしょうか、参考人の御見解を伺いたいと思います。
  50. 小針司

    小針参考人 国民保護法案は、百九十何枚もありまして、武力攻撃事態対処法と比べると十倍ぐらいの条文数じゃないかと思いますね。だから、国会についても承認案件というような形であるんじゃないかと思うんですね。あと、もし何らかのいわば不利益なことが出てきた場合には、損害補償というような、そういう規定もあるんですよ。それから、司法的な問題が出てきた場合に、じゃ、裁判権、裁判を受ける権利を否定しているかというかと、そうではないわけですよね。  ですから、そういうところを見ていきますと、このたびの国民保護法でもって戦前のよう国家総動員体制が構築されるのかというと、にわかに私はそこまでいくのはいかがなものかというふうに受けとめておりますし、ここに御列席の先生方は皆さん国会議員でいらっしゃいますので、国会の審議の場において、あるいは司法府の司法判断という場において、私はチェック体制というのはとられるというふうに考えております。
  51. 松浦一夫

    松浦参考人 そもそも、今回の法案、これはさきに制定されました武力攻撃事態対処法、これを受けての立法であるわけです。もちろん、有事の際に国会が果たすべき役割、これは非常に重要なものであります。  そもそも有事がいつから始まるのか、これに関しては、御承知のように、武力攻撃事態あるいはその予測事態、こうしたものについて国会の関与というものが規定されておるわけでありまして、非常事態を発動するための前提として、こうした緊急事態の認定というものに国会がかかわってまいります。  また、自衛隊の出動等に関しましても、御承知のように、国会のチェックというものが必ず入ってくるわけでありまして、国会が統制する機会というのは有事法発動の段階でさまざまな形で確保されているものと考えます。  ですので、戦前のような形での国家総動員体制というのとはちょっと違うのではないかと思います。
  52. 東門美津子

    ○東門小委員 皆さんそうおっしゃるんです、政府も、戦前のとは違うと。でも、国民保護法案という名のもとに、確かに、小針先生おっしゃったように、補償もありますとおっしゃったんですが、本当にちょこっとした補償はあるかもしれません。  私は、沖縄で生まれ育ちました。あの大戦を体験した者として、あの地上戦を体験した者として、本当に国民保護できるのか、こういう事態で。そして、この法制をつくって、この法律が整備されたので、ちゃんと国民権利、そういうものを保護する、身体、生命、財産を保護するということが言えるかという物すごい大きな疑問を持っているわけですね。  その中で、補償という言葉が出ましたけれども、補償なんて、ほとんど、本当に申しわけ程度のものだと思うんです。失っていくものの方がとても大きい。そういう中で、いや、これは抑制的で問題ないというような御両人の御見解だと私は伺いました。済みません、とり方が間違っていたら申しわけないんですけれども。  本当に、こういう事態に入って、そういう有事法制、いわゆる有事法制というか国民保護法制なるものが国民を守るためにつくられるのかということにとても疑問を感じています。  まだ少し時間がありますか。はい、続けます。  世界の緊急事態法制、先ほどから出ていますけれども、憲法において何らかの基本的な規定を持っているのが通常の姿であるとは思います。しかし、日本国憲法緊急事態に関する規定はありません。率直に言って、国の最高機関である憲法緊急事態をほとんど想定していない以上、それよりも下位の法規範である法律において緊急事態のための法制度を設けるということは無理があると私は思っております。  ましてや、憲法第九条では戦争の放棄を規定しておりまして、憲法上から完全に有事を消し去っていると思われます。したがって、我が国有事の際における国民保護のための法制や、自衛隊あるいは米軍の行動円滑化法制など、有事関連法を策定するのは憲法の理念に照らし困難ではないかと思われるわけですが、御見解を賜りたいと思います。
  53. 小針司

    小針参考人 第九条も絡んできて非常に難しい問題になってきましたけれども、極論を申し上げますと、仮に、我が国が戦力、武力を持たなくても、外から攻められる可能性というのは理論的にはあり得るわけですね。  ですから、私ははっきり言って、仮にそういう実力組織を我が国が持たなくたって、避難誘導のための国民保護法制は最初にあってしかるべきじゃないかというのが私なんかの持論でありまして、どうやって避難誘導させるのか、そこのところをきちっとまず固めろというのが私なんかのこれは考え方であります。  そうすると、国民保護法制というのは、いろいろ、これは今御指摘のような議論はあろうかと思いますけれども、もしそういうお考えがあるんであれば、その法案提出を受けまして、国会の審議の場で大いに議論をやっていただきたいと私は願っております。ただ、幾ら言われましても、確かにいろいろありますけれども、自衛隊なりあるいは防衛庁なりは、国会がいわば制定をしました防衛二法、つまり、防衛庁設置法、自衛隊法、これによってもうつくられているわけです。  これは国会の有権解釈が働いておりますから、私は一憲法学者として講義する場合には、憲法学説は憲法学説としてありますけれども、国会の有権解釈としては、防衛庁なり自衛隊は合憲、合法のもとでこれは行われている、これを覆すに足りる最高裁判所判例はまだ出ていないんですよ。ですから、そこのところはそれとして見ざるを得ないんです。だから、客観的な法秩序というのは、今言ったようなことでやはりとらえていかざるを得ないのではないかというふうに考えております。  御指摘のところは、さまざまな御意見がございますので、謙虚に私も受けとめさせていただいて、勉強させていただきたいと思います。
  54. 松浦一夫

    松浦参考人 九条に関してはさまざまな見解がある、これは承知しております。これに関しては、私も防衛庁の人間だから言うわけではございませんが、九条があって戦争放棄しておりましても、これは日本がしないというだけのことであって、日本から手を出さないということであって、外部からどのような攻撃をしかけられるか、これは日本国憲法が関知するところではございませんので、そうした事態に対応するためにはどうするか。  憲法の中には、先ほど十三条が引かれましたのですが、すべての国民は、個人として尊重されるのみならず、生命、自由及び幸福追求に対する国民権利が保障されております。生命に対する権利、これをやはり守るのが国の役割でありますから、そうした不測の事態に対応する形で国民保護法制というものを整備しておくこと自体、やはり憲法のもとで少なくとも許されないものではないというように考えます。
  55. 東門美津子

    ○東門小委員 御意見ありがとうございました。終わります。
  56. 近藤基彦

    近藤委員長 次に、河野太郎君。
  57. 河野太郎

    ○河野(太)小委員 自由民主党の河野太郎でございます。  非常事態というのは、だれしもそんなものを欲しいと思っている人間はいないわけですから、非常事態が起きないように最大限の努力をする。しかし、非常事態が起きてしまったときにどうするかということは常に考えておかなければいけない。現行法制でそこの規定がない以上、そこはきっちりと憲法を改正して、非常事態にどう対応していくかということをやっていかなければいけないんだろう。今まで何もなかったというのは、たまたま運がよかったにすぎないんだと思っております。  非常事態と基本的人権のかかわりで、先ほど小針参考人からいろいろなケース分けがございましたけれども、例えば、北朝鮮が日本に攻めてきた、そのときに、国土を防衛する、それと同時に日本国民の基本的人権を守らにゃいかぬ。しかし、基本的人権を一生懸命守っていて北朝鮮に負けてしまえば、北朝鮮の体制に組み込まれてしまえば、基本的人権もへったくれもないわけですから、そこのところは間違ってはいかぬというふうに思っております。  ただ、少し頭の体操になるのかもしれませんが、先ほど小針参考人がおっしゃいました、憲法停止せずに、憲法憲法で走らせておいて、二つ法益をバランスをとるんだというお話がございました。片や戦争が起きているときに、二つ法益をどうやってバランスをとるんだろうか、非常に現実的には難しい話ではないか。それから、そのバランスが、こっち側に傾けば、要するに基本的人権の方がやや軽く扱われてしまったけれども国土の防衛は果たしたということならば、原状回復というのはあるのかもしれませんけれども、その逆にバランスを傾けてしまって、負けてしまったということになると、その後の原状回復もできないわけですから、そこは本当にバランスというのがとれるんだろうかという大きな疑問を持っております。  それから、先ほど補償の話をされておりましたけれども、いや、それは少しやり過ぎて、人権のところが侵害されてしまいましたというような判断を事後的にでも本当にできるのかなと。いや、あれはやり過ぎだったんです、そこまでやらなくてもよかったんですなどという判断が裁判所に本当にできるんだろうかという極めて現実的な、現実的かどうかわかりませんが、そういう疑問を持ったものですから、そこのところはいかがでございましょうか。
  58. 小針司

    小針参考人 かなり難しいお尋ねだと思います。要するに、いわば、具体的な例としては北朝鮮を出されましたけれども、それでやられてしまえばもう人権も何もないんじゃないかというお話ですよね。  ただ、だからといって、それじゃ、憲法典のいわば各条の停止というようなものをばんと出していくということが、現在のいわば憲法のもとにあって、何といいましょうか、さらにもう一歩進んだような形をとっていくときに、そこまで一挙に持っていけるかどうかという逆な意味での私は疑問があるわけです。だから徐々的にこれは考えていかなきゃいけないし、それから、そういうふうなバランス感覚をとれるかどうかというふうなところがあろうかと思いますけれども、やはり、両者を置くことによって、戦時だからあるいは有事だから何でもやれる、こういう考え方に対する一つの歯どめといいましょうか、それは私は成り立ち得るんじゃないのかなと。  だから、やはり人権人権としてあるので、非常時だからこれだけのことはやらざるを得ない、だから国民はちょっとそこのところを我慢してくれないかというような持っていき方、これがやはり望まれるところではないのかなと。それを超えたところになりますと、これはもう勝つか負けるかの話ですから、ある意味においては法を超えた、政治の問題ではないのかなというふうに私は考えます。  それからあとは、司法判断、後で可能なのかというふうなこともございますけれども、アメリカなんかの例を見ていると、有事が済んだ後で、少し静かになったときに、それまで機能を停止せしめられていたような司法機関、裁判所が、後になって機能を回復して、そしてその有事においてとられた措置に対する司法判断を加えるということはたしかあったように記憶しておりますので、静かなる状況が回復されれば、私は、司法判断というのが全く不可能だというふうには考えておりません。
  59. 河野太郎

    ○河野(太)小委員 ありがとうございます。  もう一つの選択肢として、一定期間、憲法条文をとめるというようなお話もございました。それからもう一つは、憲法典効力停止をしてしまうという、フランスの憲法でしたか、という話もございましたが、あらかじめ場所と時を定めるんだというお話でしたけれども、少なくともその時というのは、いつ有事が終わるかどうかというのはわからないわけですよね。しかも、憲法典をとめる、あるいはその効力をとめてしまった場合に、一定の時間とともに回復というのは本当に可能なんでしょうか。  例えば、三年とめますといったって、戦争が三年で終わる保証はないわけですし、その時の停止というのはどのようにやっているのか、あるいはそこはうやむやになってしまっているのか、ちょっとそのあたりを教えていただきたいと思います。
  60. 小針司

    小針参考人 その時の、私が先ほども申し上げましたように、憲法典全体の停止というのは、これは理論的には成り立たないんじゃないかというふうに考えておりました。つまり、先ほどもちょっと、繰り返しになりますけれども、憲法典全体を停止すれば、停止権を定めている規定停止されるわけですから、そうするとそれはどうなるんだというふうな話になるわけですね。ですから、憲法典停止のパラドックスという言葉を私は使ったんですけれども。だから、フランスなんかの憲法典でも、一応、時、場所の限定というところでとどまっているわけです。  では、今お話のあったように、何年何カ月停止するのかというようなお話については、実は、そのフランス憲法の細かなところまでは立ち入っていませんから、ちょっとコメントできないところがあるんですけれども、例えば、三年でそれじゃどうなるのかというふうなのが出ましたけれども、三年でだめならば延長するとか、あるいは三年停止、三年間個別の列挙条文停止したけれどもそれに至らない段階で終わったというふうになれば、それは解除すればいいというふうに考えております。
  61. 河野太郎

    ○河野(太)小委員 そう本当にうまくいくのかなという疑問があるわけでございますが、時間もあれでございますので、もう一つだけ伺わせていただきたいと思います。  非常事態というのは、多分、先般のクウェートのように、いきなりイラクに攻められてくるというような全く外国からの非常事態と、例えば全く日本人が、飛行機を五機でも十機でもハイジャックして、あちこちにそれで自爆テロをやっているよう国内だけの非常事態というのと、二つ想定をされると思うんですが、例えば原状回復、要するに有事が終われば原状回復をするんだというような話がありましたが、国内だけで起こった非常事態と、国外、要するに外国による非常事態の間で、非常事態あるいは非常権というものに差があるのかどうか。  あるいは、例えばクーデターのように、明らかに今定めている統治機構にほころびがあって、あるいは為政者に問題があってほころんでしまったのかもわかりませんけれども、クーデターのように全く外国と関係なく統治機構のミスあるいは為政者の大きなる失敗で非常事態になったときに、本来、平時に戻ったときにもとに戻る必要があるのか、あるいは、それはもともとの憲法にそごがあったわけだから、平時に戻るときにはもとの憲法自体を変えてしまっても構わないのか。  ちょっとお二人に御意見だけお伺いをしたいと思います。
  62. 小針司

    小針参考人 通常語られている有事というのは外部からの武力攻撃ということになりますので、これは外部的なものが主であろうかと思います。  それから、あとはクーデターの話が出ましたけれども、クーデターについて言えば、クーデターが成功すれば、これはクーデターの勝利者が憲法停止するどころじゃなくて廃止する、こういうことにまでなり得るわけです。クーデターの成功者を裁くということは困難ではないでしょうか。クーデターがもし失敗すれば、これは国内犯罪として刑事裁判にかけて処断する、こういうことになるんじゃないかというふうに思います。ですから、クーデターの成功、不成功、成功すれば、はっきり言って非常事態をしくのはクーデターの勝利者です。失敗すれば単に裁かれる。これは戦前の二・二六あるいは五・一五、こういったところから見ても明らかなんじゃないかというふうに思います。
  63. 松浦一夫

    松浦参考人 河野委員のおっしゃること、さまざまなケースを想定して、どう対処するかというお話だと思いますけれども、まさにその点が有事法制の問題でありまして、単に非常事態だからといって大ざっぱに対処することを決めておくということではなくて、それぞれケース・バイ・ケースで対応の仕方が違う。  ドイツのケースにつきましては、非常事態憲法に関する基礎資料、この二十二ページにドイツの個々のケースが分類されておりますが、防衛事態、緊迫事態、同意事態、同盟事態、それから災害事態憲法上の緊急事態、このような幾つかのケースを想定しております。  テロに関して先ほどから御質問がありますが、これは規模にもよりますが、テロが国内だけで行われるということになれば、小針参考人が御指摘のような形になると思います。  ただ、九・一一のテロのケースように、外部から指導をされてああした大規模なテロを起こすというようなこと、それが国家ような主体でなくても、それについて自衛権を行使するということが可能であるかどうかということに関しては、抑制的に考えるべきであると私も思いますが、今回、九・一一に対する対応としては、NATOは、あれはNATO条約第五条を適用して、自衛権の行使としてアフガニスタン戦に参戦したわけでありまして、その点で、実効上、これは国連の決議で自衛権だとはっきりとは言っておりませんけれども、黙認したような形になっております。  ですから、テロが国内でとどまるのか、外部から指導されたものであるのか、またその規模によって対応が違うと思います。  ドイツのケースであれば、外部から指導を受ける、それが武力攻撃に該当するという解釈が成り立てば、防衛事態になりますし、単に国内でのテロのようなものであるならば、内的緊急事態の災害事態に該当する、基本法の三十五条に該当するということになります。先ほど航空保安法について述べましたが、あれはこの災害事態に分類する形でこの対処を行うという形になっております。  したがいまして、個々のケース、そのテロの規模、あるいは外部から指導されたものであるのかどうかといったようなこと、あるいは国内にとどまるものであるかどうか。それから、クーデターに関しましては、ドイツの場合には基本法九十一条の憲法上の緊急事態、これに該当しまして、国内的な対応措置を講じるという形になっております。  したがいまして、今回、日本の有事法制武力攻撃事態法に関しましては、国内ではなくて外的な緊急事態、これは最終的に結果論でありますが、ドイツのケースに非常に似ております。防衛事態に該当するのが日本では武力攻撃事態、緊迫事態に該当しますのが武力攻撃予測事態、それから周辺事態、これは、ドイツの場合、集団的自衛権をフルに行使できますので、ちょっと性格が違いますが、同盟事態、これに対応する形になっております。したがいまして、外的緊急事態に関しましては、日本でも既に法制ができておる。  問題は、災害事態であるとかクーデターのようケースですね。こういったものについてどのように対処するかということについては、現行法でも、防衛二法で治安出動とかいろいろなものがございますので、対応できないわけではありませんが、トータルな形で、国内緊急事態、それから外的な緊急事態、これを類型化し、それぞれ対応するという形がよろしいかと思います。
  64. 河野太郎

    ○河野(太)小委員 ありがとうございました。
  65. 近藤基彦

    近藤委員長 次に、大出彰君。
  66. 大出彰

    ○大出小委員 民主党の大出彰でございます。  総論的な話はずっとやられてきていますので、国民保護法制の各論的な話をちょっと先に聞かせていただきます。  この国民保護法制は、いわゆる武力攻撃事態等対処法が前提になっていますので、一体いつから保護されるのかということを考えたときに、対処法問題点をそのまま引きずっているようなところがあると思うのですね。  例えば規模、どのレベルの武力使用があったら武力攻撃になるのかとか、あるいは地理的範囲でどのラインを越えたときに武力攻撃事態なのか、これもよくわからないところがございまして、意思の方も、武力攻撃なのか威嚇なのか、相手方の意思をどうやって判定するのかというのがありますね。こういうものが全部国民保護法制にもかかわってくるんだと思うんですね。  そして、さらにわかりにくいところというのが、緊急対処事態という概念をつくっているわけですね。緊急対処事態という概念をつくりますと、武力攻撃事態の前から国民保護というのが動き始めているはずなんですね。そうすると、国民の側からもう動き出しちゃうわけですね、みんなが退避し始めたらもう、そら戦争だという話になっちゃうわけですから。これも入っていますから非常にわかりにくくなっているんじゃないかなと実は思っているんですが、どのような御感想でしょうか。お二人にお聞きをいたしたいんです。
  67. 小針司

    小針参考人 私としては、国民保護法案全体をさっと眺めたにすぎませんから、きちんとしたお答えはできないのではないかと思いますけれども、今言ったように、武力攻撃事態対処法との整合性、これについて言えば、全く不整合なのかどうなのかという点について言うと、ちょっと断定はできませんね。
  68. 松浦一夫

    松浦参考人 事態がたくさんできて複雑であるということはおっしゃるとおりであろうと思います。これは先ほど言及しましたこの資料の二十二ページにありますドイツのケースも同じでありまして、事態がたくさん並んでおりますので、分類が非常に難しい。  実際、事件が起こってからそれをどれに分類するかということは、即座には断定できない部分がございます。つまり、外部からの武力攻撃に類するのか、そのテロが外部からの指導によるのか、あるいは国内犯罪であるのか、それについては即座には断定できません。したがって、個々の事態というのは、初めからこれだという形で分類するのは恐らく不可能だろうと思います。  ただし、では、事態一つにまとめてしまって、どんな軽微なものでも非常事態だということでフルに非常措置権を発動するというのも、これまたよろしくない。  ですから、危機の状況に応じて分類をして細分化しておいて、とりあえず認定できた部分で、この事態でいくと。それが、例えば緊迫事態だったのが防衛事態に格上げになるというような形で、危機の状況に応じてシフトしていくというような対応をとるのが、人権制限との関係においても好ましいことでありましょうし、また、議会がそうした非常措置権に同意を与えるという点においても、これは好ましいことではないかと思われます。  ですから、一見複雑怪奇に見えて、何かちょっとよくわからないという点がございましても、運用上、そちらの方が人権制限あるいは国会の関与といったような点に関しまして好ましいのではないかという印象を持っております。
  69. 大出彰

    ○大出小委員 この法案をぱっと読んだときに、国民はどういうふうに守られるのかなというのが余りよくわからないんですね。  この中に出てくるのが、武力攻撃災害という概念も出てくるんですね。これを見たときに、災害法のあれを適用ようというわけなんですが、集団的に避難したりしようというんですね。そうすると、戦争の場合には集団的に避難すると危ない場合もあるわけですよね。ちょっと余りにも短絡的にできているのかなと思ったりして。  国民の側はどうやって守られるのかわからないというのは、別にシェルターを用意するわけではありませんしね、先ほどおっしゃったように。私も、本当に考えたらシェルターをつくったらどうなんだという話を、きょうの午前中の安全保障でもやはり言ってきたんですが、そういうのがないということで、少しわかりにくいのかなと。ただ、基本理念としての国民を守ろうという思想としては出ていますが、そういうふうに思うんですが、どうでしょうか、お二人。
  70. 小針司

    小針参考人 私は、国民保護法案というのをざっと見ましたけれども、非常に理念的な、抽象的な部分というのが多いんですよね。ですから、これを出すことによって、有事における国民保護というのはこういう形でやっていきますよという、一つの、いわばこれは政府の方からのメッセージではないかというふうに思います。  それから、今攻撃事態云々の話がありましたけれども、普通の災害とどう違うのかというと、例えば、津波が来たらば高いところに逃げればいいわけです。それから、河川がはんらんしたときにも、これはどこかの避難所に行けばいい。ところが、この武力攻撃といったようなもの、あるいは国内的ないわば破壊工作、テロとか何かというのは、攻撃主体がいわば三次元的に動くわけですよ。だから、考えようによっては、どこか公民館とか何かにまとまって集まったときに、そこにいわば攻撃をしかけられたときはどうするんだ。では、それに対して対処するのは警察官なのか、あるいは自衛官なのか。警察官が対応して相手が正規軍だったらば、警察官は文民の保護は受けられないのじゃないかと私は受けとめています。では、自衛官が対応するのか。こういう問題があるわけですね。  だから、避難保護と簡単に言いますけれども、実は今言ったように、ただ黙って自分のうちにとどまっていた方が安全だという場合もあるでしょうし、それから、どこか本当に隠れて、安全なところに避難した方がいい場合もあるだろうし、それはケース・バイ・ケースじゃないかなというふうに思います。
  71. 松浦一夫

    松浦参考人 私も同じでありまして、武力攻撃における国民避難誘導というのはやはり自然災害と違います。これは、自然災害の場合には、例えば地震があったときに、これぐらいの規模だったらばここまで危険が及ぶ、ハザードマップのようなものを事前に作成して防災計画を立てる、あるいは避難誘導計画を立てるということができます。原子力発電所も、固定されておりますから、その防災対策というのは比較的事前にやりやすい。  しかし、有事の際には、同時多発する危険に対して、しかも波状的にその危険が重なるというよう状況の中で国民をどこに誘導したらいいかということは、事前に計画できる部分というのはかなり限られていると思います。それを補うためには、やはり事前にさまざまなケースを想定した防災計画、避難誘導計画を立てておくということと訓練の繰り返し、これ以外にはないのだろうと思います。  ドイツの場合にも、先ほど申しましたようなボランティア団体、それから消防、警察、軍隊、こうしたものが連携をとって、定期的に防災訓練あるいは避難誘導訓練というものを行っております。これはもう実地でそうした訓練を積み重ねていくしかないのだろうと思います。
  72. 大出彰

    ○大出小委員 最後になっちゃうと思いますが、保管義務違反に罰則がついておるところですね。就業義務違反にはついていない。  それで、内容的には、うちの松本議員が言っているように、非常に抑制的であるからこの例には当たらないかもしれませんが、過剰命令を出したときに責任をとるだとか、あるいは事前の歯どめをするだとかそういったものが、これには当てはまらないのかもしれませんけれども、諸外国の例でございますでしょうか、お二人に。
  73. 小針司

    小針参考人 過剰命令ですか。私が知っている限りでは、これは松浦参考人の方が詳しいと思いますけれども、たしかゾルダーテンゲゼッツの中に、違法命令に対する拒否義務、それから人間の尊厳を侵害するような命令に対しては拒否できる、たしかそういった規定というのが、ゾルダーテンゲゼッツ、これは軍人法と訳されていますけれども、それにあったかと思いますけれども、過剰命令という場合に、それでは現場の例えば自衛官なりあるいは軍人がどういう基準で、どのような形式で、手続で判断するのか。  これは、一方においては、軍人というか自衛官というか、そういう武力組織の一員というのは、相対的にせよ絶対的にせよ服従義務というのは負わされているわけですから、そこらあたりのところは非常に難しいところだと思います。松浦参考人を出して恐縮ですけれども、ドイツの話も出てきますので、そこらあたりのところはお聞きになられたらいかがかと思います。
  74. 松浦一夫

    松浦参考人 恐らく大出委員の御質問になることは、非常事態法を運用するに当たって、必要以上に、あるいは必要でないのにそうした命令を出したというようケースではないだろうかと思うんです。(大出小委員「そうですね。これは軽過ぎますから、そういうことはないんですけれどもね」と呼ぶ)  ドイツのケースではなくて申しわけないんですが、イギリスでは、先ほど申しましたように、第一次大戦のとき、一九一四年に国土防衛法というのをつくりました。枢密院令に非常事態措置を包括的に委任する法律であるわけなんですが、このときに、例えば食糧管理庁長官が乳業経営者に対して輸入牛乳に課税をしたというようなことを非常措置として行ったわけですね。しかし、そんなことは必要なかったということで、事後に問題になったというケースがございます。  ですので、これは司法判断になるかとも思いますが、非常時においては、そうした措置が直ちにとめられる手続があればそれが一番よろしいのでしょうが、少なくともそうしたケースにおいて、事後に問題になったということはこれまでもございます。
  75. 大出彰

    ○大出小委員 ありがとうございました。
  76. 近藤基彦

    近藤委員長 次に、平井卓也君。
  77. 平井卓也

    ○平井小委員 自由民主党の平井です。  お約束の時間、少し過ぎておりますが、最後の一人ですので、どうか御容赦いただきたいと思います。  私は、非常事態における国と地方の関係についてお聞きをしたいと思います。  緊急事態への我が国の対応の問題点として、地方が中央からの指示待ちの状態になっていることとか、緊急事態への国の対応について、中央集権主義、縦割り行政の弊害や、自治体、市民参加の欠落等の指摘は多いです。これは二、三年前の神戸地方公聴会において、阪神・淡路大震災の体験をされた意見陳述人の方から、国の対応に関して、災害救助の初動体制とか広域災害に責任がある都道府県知事の警察、消防、自治体職員に対するマネジメントの機能を強化すべきという意見とか、縦割り行政の弊害を除去するために、米国の連邦危機管理庁、今の国土安全保障省の一部に統合されているようですが、そのような組織を検討すべきという意見がありました。  今回、地方自治体の視点に立った場合、参考人はどのよう非常事態への憲法対応が望ましいとお考えか、両参考人にお聞きしたいと思います。
  78. 小針司

    小針参考人 地方分権化という時代状況の中で、地方公共団体というのは、住民に一番身近にあるのが市町村ということになりますけれども、市町村あたりが、密接にかかわっている住民の情報、これをきちっとつかんで、そして、たしか国民保護法案にもありましたけれども、これは基本計画をそれぞれ、国なら国、都道府県なら都道府県、市町村なら市町村ということで立てることになっているはずです。そういうことで、住民の実態を一番周知している、そういう地方公共団体がきちっと立てていくということ、これが必要だと思うんですね。  ただ、このたびの地方自治法の改正によって、機関委任事務というものが、これは一回消えたはずなんです。ところが、武力攻撃事態対処法におきましても、あるいはこのたびの国民保護法案におきましても、場合によっては総理大臣の代執行ということが可能だということになっていますので、ここらあたりのところが、結局有事一つの姿なのかなと。だから、一たん消えた機関委任事務というのが、今回、有事ということで結局復活しているんじゃないか。そこのところで、分権との、分権といいましょうか、国と地方との役割分担、これはかなり微妙なものになってきているというふうに思います。ただ、これは有事だからこういうふうなものなのかなというふうに受けとめていますけれども。
  79. 松浦一夫

    松浦参考人 中央政府と地方の関係をどう規律するかという問題は、非常に難しい問題がございます。  先ほどドイツの例で、ちょっと話をはしょってしまったところではあるんですけれども、ドイツでも新戦略を立てて、九・一一以降いろいろな新設機関を設けたということを申しましたが、これは九・一一以降、特にドイツでは、自然災害でありますけれども、エルベ川の大はんらんというのがありまして、二〇〇二年八月であります。これはドイツ東部から東ヨーロッパにかけて非常に大きな損害を出しました。  このときに、連邦軍、それから国境警備隊、ボランティア団体、さまざまな団体が連邦あるいは州レベルで救済に当たったわけなんですけれども、それがうまくかみ合わなかったということで、その反省から、連邦内務省の中に戦略的市民保護・防災顧問団というものをつくりまして、内務省の諮問機関として、内務大臣初め、民間の防災団体であるとか消防団の代表者、それから各州の内務大臣、こういったものが定期的に会合を持つ、これは半年に一度ということでありますが、先ごろ三回目が行われたところです。こうした努力をしているということでありまして、計画作成の段階から、日本でも、各レベルで計画を立てて、それぞれ協議するという形にはなっておりますけれども、一堂に会して問題点を話し合うというような場をやはり設けるべきではないかというふうに考えております。
  80. 平井卓也

    ○平井小委員 それでは、緊急事態においてとられた措置の事後的なチェックの必要性についてお聞きしたいと思います。  先ほど何人かの委員の方も指摘していましたが、非常時における権限の集中が、非常事態への迅速、効果的な対処のために必要であると考えますが、非常時にとられた措置の事後的チェックや、不当に人権侵害がなされた場合の原状回復、補償のあり方についてもあわせて十分議論をしなきゃいけないのは当然のことです。  今回提出されている国民保護法案の中にも、損失補てん、不服申し立て、訴訟等の迅速な処理に関する規定が盛り込まれておるという話は先ほどもありましたが、そのことについて、両参考人の評価をお聞きしたいと思います。
  81. 小針司

    小針参考人 先ほど来から申し上げておりますけれども、非常時における事後的ないわばチェック体制ということですけれども、今御指摘のありましたように、国民保護法案におきましても、司法的な判断の可能性というのは開かれておりますから、それは、憲法の裁判を受ける権利の保障という点からいっても、しかるべき措置がとられているというふうに私としては受けとめております。
  82. 松浦一夫

    松浦参考人 私も、ちょっと手元に法案がございませんので細かいことは申せませんけれども、そうした事後的な救済、損害に対する賠償、補償といったものに関してはかなり意を用いた法案になっていると評価しております。
  83. 平井卓也

    ○平井小委員 それでは、専門的な機関育成の必要性についてちょっとお聞きしたいと思います。  米国では、先ほども話しましたが、連邦緊急事態管理庁、現在の国土安全保障省の一部に統合されていますが、ここによって、これまでの対応や最近の国土安全保障省の設置といった専門部局の対応のほかに、州政府や市において常勤の危機管理専門職員が配置されていると私は聞いています。特に、テロや原子力事故、危険物質、海上汚染等への対処は、専門的な知識、技術、訓練等が必要である、それは考えられます。  このようなことを踏まえて、我が国における緊急事態に対応する専門的な人材の育成の必要について両参考人意見をお伺いしたいんです。また、それと、災害対応組織として活動している警察、消防、自衛隊のそれぞれの役割分担について、イメージでも結構ですから、お話しいただければと思います。
  84. 小針司

    小針参考人 そういう専門職をどう置くかという点についてですけれども、これは、各市町村あるいは都道府県、こういったところに置いていくということは、これはあってしかるべきじゃないか。  ただ、問題は、国レベルでそういう専門職を置くということと、それから、先ほど来、アメリカにおいてそういう対処するための統合的な機関を置いているわけですけれども、そういう統合的なものを国家行政組織法あるいは内閣府設置法のどこにどういう形で入れるか。これは、我が国我が国の行政組織、国の行政組織というのがあるわけですから、それを全体的に眺めてこれは検討しなければならないということを先ほど申し上げました。  それから、自衛隊、警察、消防、これはそれぞれ所管が全然違っているわけですから、やるとすれば、防衛庁それから消防庁、あるいは警察庁ですか、ここらあたり関係部局が集まって、縦割り的な発想じゃなくて、意見交換するとか、そういうことをやっていくべきなんじゃないかと思います。  それから、あとは専門職養成という点に関しましては、正直申し上げまして、私、大学人の一人なんですが、軍事問題というだけでまだアレルギーがあります、正直言って。ですから、例えば大学という場において、安全保障論とか、いわば、災害になったり、あるいはこういう非常事態になったらどうするのか、そういうふうなことを講ずるような場、あるいは授業科目、こういうものがあっていいんじゃないかというふうに考えています。何か、アメリカではそういうところも手厚くやっているようなふうに仄聞しておりますけれども、日本の場合はまだ第九条という問題がありますので、大学という場においては非常に難しい問題が実はございます。  以上、そういうことでお答えしておきたいと思います。
  85. 松浦一夫

    松浦参考人 先ほど来、FEMAのような機関を設置したらどうかという御提案なんですけれども、少なくとも、他省庁と横並びでもう一つつくるというような機関であってはこれはいけないわけでありまして、諸省庁横断的なものをお考えだろうと思います。  どこに位置させるかということについては、現行法との問題もございますのでなかなか難しいとは思うんですが、私は、それ以前に、ほかの国で内務省が、特に国民保護に関しては内務省が管轄する。日本の場合には、多くの省庁にまたがっておってその調整が難しいとか、そのレベルの話がまだ解決していないのではないかという気がしておりまして、だから内務省をつくれという話ではなのですが、その点がほかの国とはちょっと違うんだという気がしております。  それから、特に防災あるいは国民保護のための要員の教育をどうするかというお話なんですが、これは幹部に関してなんですが、またドイツの話になって恐縮なんですが、ドイツでは非常事態計画・市民保護アカデミーというものがございまして、自治体とかの、例えば消防署の幹部であるとかあるいは国境警備隊とか、そうしたところの防災担当のスタッフ、これを教育訓練する機関としてございます。ここには国の内外から防災の専門家を呼んで、さまざまなセミナーが開かれておりまして、非常に多くのスタッフが参加しております。研究もしております。  それから、技術救助団あるいは支援隊ですが、ここには少年団員というものもございまして、一万二千人が現在登録されているようですけれども、これが将来的には技術救助団の指導幹部になるための養成というものをしている、もちろんボランティアでありますが、そういった組織もございます。  日本でどういう形でこういうことを行うかということについては、どこが担当するかということにまたなるんでしょうけれども、参考にはなるだろうと思います。
  86. 平井卓也

    ○平井小委員 どうもありがとうございました。御苦労さまでした。
  87. 近藤基彦

    近藤委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  両参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、ありがとうございました。小委員会を代表して、心から御礼申し上げます。(拍手)     —————————————
  88. 近藤基彦

    近藤委員長 これより、本日の参考人質疑を踏まえて、小委員間の自由討議を行います。  一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたします。  御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。  発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。  それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。御発言を希望される方は、ネームプレートをお立てください。
  89. 平井卓也

    ○平井小委員 済みません。引き続き、自由民主党の平井卓也であります。  私は、きょうまた、参考人意見陳述等を聞いておりまして、現行憲法は改正されるべきだという意を強くしました。  その論拠の一つは、この憲法我が国が置かれていた特殊な状況下で制定され、憲法内容も特殊な状況を前提につくられたものであるというふうに考えるからであります。  第二次世界大戦後の国際社会の平和と安全の維持を担う機関として、昭和二十年十月に国際連合が発足しましたが、この憲法調査会でも何度か触れられたことがありますように、これは、我が国が無条件降伏する前に、連合国による戦後の国際的な枠組みに関する協議がなされ、その構想のもとに戦後設置されたものであります。当時は、米ソの対立はまだ表面化しておりませんし、理想主義的な期待が国連に込められて、憲法はそのような時代背景のもとに制定されたものであります。  このような時代背景を反映しているのが憲法前文であると考えます。現行憲法の前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とあります。これは、日本以外はすべて平和を愛する諸国民であり、日本さえ悪事を働かなければ世界は平和であるというような世界観が根底にあるようにも思うわけであります。  しかし、現実には、当時も現在も、国際社会というのは国益と国益のぶつかり合う場であります。憲法制定時の国際社会の現実に照らしても事実認識としては誤ったものと考えますが、この文言が当時の国連中心主義の考えを反映していたものであると理解したとしても、果たして今の厳しい国際状況の中で、このような当時の事情を前提に制定された前文あるいは九条を基本にして、安全保障に係る制度を構築していいのであろうかということは問われてしかるべきであります。  我が国を取り巻く国際環境が急激に変化し、またそれが厳しいものであるこの時代にあって、国のかじ取りをしていくためには、憲法といえども、私たちが常識的に疑問に思う部分があれば、それを改めていく必要があると考えます。  このような観点から現行憲法国家緊急権に関する規定がないことの意味を考えると、憲法制定当時には、そもそも現行憲法非常事態を想定していなかったとも言えると思います。しかし、大量破壊兵器の拡散、テロの脅威、北朝鮮による拉致問題、ミサイル発射問題など、我が国の安全にとっても差し迫った脅威が顕在化している現在、国民の生命財産を守るという国の最大の責務を果たすため、非常事態に関する規定憲法上明記し、首相へ権限集中、そして人権保護制約に関する条項を新たに設けることが必要と考えます。  以上です。
  90. 渡海紀三朗

    ○渡海小委員 今の平井委員のお話にもあったとおりでありまして、憲法非常事態根拠規定がないというのは、やはり現状に即して、私は非常にまずい状況であろうというふうに考えます。  よって、今後我々は、あらゆる事態に対応し得る、そういった体制をつくる意味においても、この非常事態根拠となる規定憲法にしっかりとうたい、そして、その法のもとにおいて国民の生命、安全を守っていくということをしっかりやらないと、きょうの小針参考人意見でかなり明快にさまざまな分け方がしてありましたが、むしろ、ある意味非常事態憲法停止してしまうというふうなことが起こることすら危険であるというふうに考えます。  よって、繰り返しになりますが、憲法に明快に、非常事態というものについて、法律に定めることによりというこの根拠規定をしっかりと置くことによって、あらゆるケース、あらゆる危機に対応できる、そういった新しい日本の国家像を目指すべきだというふうに、きょうは参考人意見を聞きながら感じました。そのことを申し上げたいというふうに思っております。
  91. 大出彰

    ○大出小委員 私、今憲法に明記すべきだという発言が二人ありましたので……
  92. 近藤基彦

    近藤委員長 会派名を。
  93. 大出彰

    ○大出小委員 済みません。民主党の大出彰でございます。  私は、どちらかというと、憲法九条一、二項は守るべきだと考えています。  それで、きょうの参考人の話の中で、国家緊急権ということですが、せんじ詰めてみますと、いろいろな考え方があるようですけれども、非常事態のときに憲法停止するのが国家緊急権ということだと最終的に思うんですね。そうでない場合は、非常措置と言った方がいいのかな、憲法と両立、バランスをとるというよう小針さんのような考え方の場合にはそういうことなんだと思うんです。  この国家緊急権というのは、昔から、王様の時代からとか始まって、人権を余り重視しなくていい時代から始まっている話なんですよね。今のように、国民主権になっていて、人権に相当敏感な時代になってきますと、人権を一時停止するような形での国家緊急権というのはちょっと古いんではないかなと実は思っていまして、ですから、やはり小針さんがおっしゃったような、憲法停止しないでバランスをとるというやり方が、今の時代には合っているのではないかなと思っております。  それと同時に、今回の国民保護法制を見たときに、ああ、今の憲法であるからこれ以上の制約は課せられないんだなというところに非常に私は今の憲法の意義をちょっと感じておりまして、不作為について罰則をつけているという、非常に抑制的になっていますね。  そういう意味では、私は、憲法の九条の一項と二項を守って、一項の部分で戦争を放棄しておりまして、二項の方を削除しろという方もおられますが、私は、国連憲章にも反映されている戦争違法論というのが基本にあって、そして、そのために、二項をもし削除しますと、戦争が違法でなくなる可能性があるんではないかと実は心配しているんですね。  というのは、一項で憲法が禁止しているのは侵略戦争だけだと解釈をしますと、今の日本のやり方は限定的な自衛権の行使なんですね。ところが、侵略戦争以外は何でもいいんです、全部自衛なんだということに言われてしまう可能性がありますので、憲法九条一項、二項の意義というのは戦争は違法なんだという大前提があるということで、私はこれは守った方がいいのではないかと考えているところでございます。  以上でございます。
  94. 東門美津子

    ○東門小委員 社会民主党の東門美津子でございます。  私は沖縄の出身でございまして、先ほども申し上げましたけれども、一九七二年の五月十五日に本当に念願の本土への復帰がかないました。そのときの県民の合い言葉は、やはり平和憲法のもとへというのが大きかったと思います。なぜなら、平和憲法なるものがなかったためにあのような悲惨な体験をしたわけですから、私たちはそういう憲法を持つ日本国へ帰りたいという思いがとても大きかった。  ですから、それは今私の中にしっかりと生きていますし、憲法は絶対に変えてはいけないという立場であることはもう申し上げるまでもありませんが、きょうは、議会統制、いわゆるシビリアンコントロールについて、我が国参考にすべき点ということでお話ししたいと思います。  第二次世界大戦前、我が国は軍部の独走を許した苦い経験があります。議会は、明治憲法では単なる翼賛機関にすぎず、また、統帥権の存在のため、軍に対してほとんど影響力を行使できなかったことが大きな要因の一つであると考えられます。この軍部の独走の結果、多くの国民の生命や財産が犠牲となりました。  現在の我が国国会は、当時とは異なり、憲法上、国権の最高機関であり、いわゆる三権の中でも最も主権者たる国民に近いと言えます。また、国政調査権も与えられています。しかし、官公庁に対してこの権限を行使することはほとんどなく、国政調査権の行使については、むしろ抑制的であるとさえ言えるのではないでしょうか。  戦前の教訓からすれば、私たち国会構成員は、国民権利保護に不断の努力を払わなければなりません。とりわけ、歴史的に見て国民権利を踏みにじることの多かった国家の軍事的作用に対しては、特にシビリアンコントロールの徹底に意を用いるべきです。  では、そのためにはどうすればいいのか、この点、ドイツの例が参考になると思われます。  我が国とドイツは、第二次世界大戦ではともに枢軸国、敗戦国でした。しかし、同大戦後、国家緊急事態への対応やその際の実動部隊となる軍隊に関する憲法、ドイツでは基本法、憲法上の規定は異なる経過をたどってきました。つまり、日本国憲法は、軍事的対応を必要とする緊急事態を想定せず、軍隊に関する規定も、軍隊を規制する議会の役割についての規定も十分に明確ではありませんでした。これに対しドイツ基本法では、緊急事態への対処のための精緻な制度を設け、緊急事態への対処や連邦軍の運用に当たっては議会が実効的に政府を統制し、その乱用を防止するような仕組みを整えたのであります。  具体的には、まず緊急事態への対処については、防衛事態やこれに至る前段階である緊迫事態などにおける非常措置の発動に当たり、連邦議会の同意を義務づけ、その詳細な手続を定めています。また、連邦軍に対する監視については、ドイツ基本法第四十五a条では、連邦議会に防衛委員会を設け、委員の四分の一の申し立てがあるときは、ある事項を調査の対象とする義務を負うと規定しています。  これらの規定は、政府の監視役となり得る議会内の少数者、いわゆる野党の申し立てにより調査権限を発動することを認めたものです。この調査における証拠調べには、刑事訴訟に関する規定が類推適用されるほか、裁判所及び行政官庁に援助を義務づけるなど、強力な権限を与えています。  私は、軍事的対応を必要とする事態を想定せず非軍事的社会を築いてきた日本が、その利点を捨て、今あえて軍事的対応を準備する必要は全くないと考えます。しかし、現に存在する自衛隊の組織を監視し規制する体制が余りにも不十分である現状は、ぜひとも改革しなくてはなりません。我が国においても、議会内における少数者が強制的に書類提出や証言を得る権限を行使することを求められるような制度を設けて、シビリアンコントロールをより実効性あるものにすべきではないかと考えるものです。  以上です。
  95. 渡海紀三朗

    ○渡海小委員 自由民主党の渡海紀三朗でございます。  これは質問ということではないんですが、先ほど私の表現が少し悪かったのか、大出委員は少し誤解されているんじゃないかと思うんですが、私は、非常事態根拠になる、そういう条項を憲法に設けることによって、むしろ憲法全体が守られることになる。要するに、憲法を守るためにもしっかりとそういったことをやはり設けて、その憲法のもとに非常事態の法整備を整えることによって、国民にとって、この保護も含めて、しっかりとした法治国家としての枠組みができるのではないか。きょうのバランス論も含めて、小針参考人意見を聞いておりまして、そんな感想を持ったものですから申し上げたわけでありまして、むしろ、人権を守るためにもあいまいにしておかない方がいいというのが私の意見であるということをつけ加えて申し上げたいと思います。
  96. 松本剛明

    松本(剛)小委員 民主党・無所属クラブの松本剛明でございます。  今まさに国会では、国民保護法制の議論が始まろうとしているわけでありますが、今回の法制、その実効性等も含めて吟味をしていった場合には、さらなる検討の必要がある部分があるのではないかというふうに認識をしております。  きょう、諸外国の緊急事態国民保護法制等の紹介があった中でも、我が国法制は極めて抑制的であるというお話でありました。私としては、国民そしてその権利保護というのが大変大きな、そして最大の国の責務であるということを記した上で、その理念のもとでの緊急時での対応というのはやはり記す必要があるのではないかなというふうに考えているところであります。少なくとも、私たちが提唱している安全保障に関する基本法等の精神、これを含めて御検討をいただく余地がある、このように思っております。  その上で、二点ほど、先ほどお話がありましたけれども、現在の憲法を考えるに当たって、現行憲法の成立過程をよく引き合いに出されるケースがあるようでありますが、かれこれ五十年、現行憲法我が国に受容されてきて、そして国民の中にも定着をしているという前提を考えた場合には、今から五十年前の成立過程を述べるのではなく、むしろ、現在の我々の置かれた状況、そしてこれからの国のあるべき姿の中で必要な部分から発想する方が望ましいのではないかなと思うことが一点。  それからもう一点は、我が国の平和を求めるときに、確かに、今の国連の問題でありますが、国連の現状というのは楽観的に、また希望的に見ることはできない、厳しく見なければいけない部分がありますが、しかし、国連の理想というものを我々はこの現行憲法で求めている、この事実もしっかりと受けとめていく必要があるんではないかな。私が理解する限り、日本は、国連と、そして日米とアジアの三本の柱で外交をこれまでも展開してきたと思いますし、この方向が間違っていたとは思いません。その意味で、今、残念ながら、国連の機能が不十分であることをもって、国連を我が国の外交なり安全保障の枠組みの中からやや軽い位置に変えようと思っていらっしゃる方もあるようにお見受けをするわけでありますが、やはり国連を一つ大きな柱に置くべきではないかなということを申し添えたいと思います。  以上です。
  97. 中山太郎

    ○中山会長 自民党の中山太郎です。  いろいろと先生方、きょうは、現実的な、今国会での提案されている法案についての御議論を含めて、広範に日本の安全保障全体を御議論いただいたことは、大変意味の深い調査会であったと思っております。  私も、戦争を学生時代に体験してきた人間の一人として、戦争の悲惨さというのは嫌というほど身にしみております。食糧もなく、交通手段も遮断されて、いつ焼夷弾が落ちてきて死ぬかわからない、艦載機が飛んできて銃撃するというような経験をしてきた人間は、戦争というものは絶対にあってはいけないという基本的な自分の信念を持っております。  しかし、国連がつくられたのは、まだ我々の上空にB29が爆撃をしておった昭和二十年の五月、サンフランシスコで国連が設立総会を開いているわけですね。そして、戦争が終結した後の世界のあり方を模索したんだ思います。そのために、国連憲章の前文というものは平和を求めている。そして、その平和を崩す国があったら、国連に加盟している国が集団的にその国を攻撃するということが国連憲章の前文に明らかに書かれている。  日本はどうかというと、朝鮮戦争が戦後起こった、あのときに、国連軍というものが形成されて、そして国連が軍として、多国籍軍が朝鮮半島で戦った。そして、釜山のところまで追い落としかけられたときに日本はマッカーサー司令部の占領下にあって、これにどう対応するかということについては、政府はマッカーサー司令部の意見に反抗して物事はできなかったと私は回想をしておりました。そういう中で、その当時つくられた国連軍の基地が現在日本に六カ所余りまだ存在をしていると思います。  そこで、日本の安全保障国民の生命と財産を守るこの安全保障については、日米安保条約というものが締結されて、米軍の防衛力によって日本というものは平和を構築するという考え方で今日まで来ましたけれども、国連が果たして機能するかどうかということは、私は非常に大きな疑問を持っています。  私も外務大臣をやって、国連でも日本政府の考え方の方向を演説で、スピーチで述べたことがございますけれども、あの国連の安全保障理事会というものは、提案された決議を取り上げるかどうかということは、すべて議長国の権限にかかっているわけです。その議長国というものは、結局、一年、一月から十二月までABCのアルファベット順にその年の議長国はもう大体決まっているわけですね。こういう国連の安保理の運営上の問題点一つあると思います。  ここで、国連が安保理で決議をして、日本が攻撃されているから国連軍を結成するといった場合に、果たしてそれがいつ日本に到着できるか。その到着するまでアメリカ軍が日本を自衛隊と一緒で守るということが日米安保にうたわれているわけですけれども、現実問題、国民は平和の中で、再び戦争は起こらないというふうに信じていたと思います。ところが、最近の北朝鮮による拉致問題というものが起こってきて、これはなかなか、安保条約があっても、日本の国民の生命と財産というものは守れない可能性が明らかになってきたということが一つ。  外交努力によってもなかなか解決できない、多国間協議によってもまだ結論がなかなか出ない、こういう状況の中で、我々の国がこれから先、どのような形でこの日本の国民を守っていくかという責任がこれから問いただされようとしているわけですが、こういうふうな委員会を通じて御議論をいただいて、それが広く国民に知らされた後、主権者である国民国会議員に対して、こうしたらいいというよう意見を述べられる機会が必ず来ると思うんです。  私は、そういう意味で、憲法を改正する改正しないという問題よりも、戦前からの日本が引きずってきたこの問題をもう一回振り返って、やはり日本のこれからのあり方というものを国民のために国会議員が考えるということが原則だろう、そのように信じております。  以上、私の意見を申し上げて、この調査会の小委員会の発言にさせていただきたいと思います。
  98. 近藤基彦

    近藤委員長 他に御発言ございますか。  それでは、討議も尽きたようですので、これにて自由討議を終了いたします。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時三分散会