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2004-02-05 第159回国会 衆議院 憲法調査会安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    本小委員会平成十六年一月二十二日(木曜日)憲法調査会において、設置することに決した。 一月二十二日  本小委員会長指名で、次のとおり選任された。       伊藤 公介君    大村 秀章君       河野 太郎君    近藤 基彦君       渡海紀三朗君    中谷  元君       平井 卓也君    伊藤 忠治君       大出  彰君    楠田 大蔵君       田中眞紀子君    武正 公一君       福島  豊君    山口 富男君       土井たか子君 一月二十二日  近藤基彦君会長指名で、小委員長に選任された。 平成十六年二月五日(木曜日)     午後二時開議  出席小委員    小委員長 近藤 基彦君       伊藤 公介君    大村 秀章君       河野 太郎君    渡海紀三朗君       中谷  元君    平井 卓也君       伊藤 忠治君    楠田 大蔵君       田中眞紀子君    武正 公一君       松本 剛明君    福島  豊君       山口 富男君    土井たか子君     …………………………………    憲法調査会会長      中山 太郎君    衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君     ————————————— 二月五日  小委員大出彰君同日委員辞任につき、その補欠として松本剛明君会長指名で小委員に選任された。 同日  小委員松本剛明君同日委員辞任につき、その補欠として大出彰君が会長指名で小委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  安全保障及び国際協力等に関する件(憲法第九条)      ————◇—————
  2. 近藤基彦

    近藤委員長 これより会議を開きます。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  先般、小委員長に選任されました近藤基彦でございます。  小委員の皆様の御協力をいただきまして、公正円満な運営に努めてまいりたいと存じますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。  安全保障及び国際協力等に関する件、特に憲法第九条について調査を進めます。  本日の議事の進め方について申し上げます。  まず、中谷元君及び松本剛明君から、憲法第九条、特に自衛隊イラク派遣並びに集団的安全保障及び集団的自衛権について、基調となる御意見を順次二十分以内で述べていただきます。  次に、各会派一名ずつ大会派順に十分以内で基調発言者に対する質疑または発言を行い、その後、小委員間の自由討議を行います。  御発言は、自席から着席のままお願いいたします。  それでは、まず、中谷元君。
  3. 中谷元

    中谷委員 まず、憲法九条の意義から述べさせていただきます。  第九条は、二十世紀の後半の五十年間、日本復興から高度成長の時期に、日本のためによく機能し、歴史的役割を果たしたすぐれたものだと考えます。  この九条の果たしてきた役割というのは、敗戦後、日本アジアの国々に国際的に受け入れられる現実的条件であった。第二に、軍事力の増強、防衛予算の増額を求める米国を抑え、軽武装、経済成長政策の柱でありまして、このため、日本高度成長をなし得たということ。第三点は、国家利益の追求の手段として、経済的利益の追求はしても、武力に訴えないこと、武器を輸出して死の商人にならないことなどを遵守し、平和を希求する道義国家であり得たということが考えられます。  しかし、日本の立場、国際社会は大きく変化をし、一九八〇年には、日本経済発展に伴いGNPが世界の一割以上を占めるに至り、国際社会における責任と役割が増大しました。二〇〇〇年以降も、冷戦構造の崩壊、湾岸危機、核ミサイルの拡散、国際テロ事件の発生など、日本国際安全保障上で責任ある態度をとらなければならない立場となりました。  このため、自衛隊の海外の活動が行われるようになりましたが、リスクを背負ってまで危険な環境の中でも国家として復興支援を行うことを決断し、自衛官使命感を持って他国の領域で活動をいたしておりますが、派遣された隊員の憲法上の地位や身分、国際法における自衛隊の地位や軍隊としての権限は付与されないままでの派遣となっておりまして、自衛隊も主任務国土防衛であり、雑則として国際協力活動を行っているのが実態であり、自衛隊の装備、体制も国内で活動することを前提で整備、訓練されていますので、今、憲法調査会においてこのことを議論しなければならないと思いますが、私が思うのには、九条の理念、これが立派過ぎるものであるがゆえに、九条と国際社会現実とが乖離したまま、現行憲法のままで自衛隊海外派遣を実施している今日の防衛政策が、国際情勢の変化を知る国民に対する説得力を欠き、違和感を覚えるものとなっております。  我が国は、これ以上、九条を維持したまま現実からの逃避と自己欺瞞を広げ、放置できない段階になっておりまして、九条に関しては、現実を解釈の理念で取り繕う手法を重ねていますが、憲法という国家基本法の軽視と形骸化を生み出す危険水域に入っておりまして、今こそこの問題に対処しなければならないと思います。  さて、自衛隊イラク派遣を考えると、どうしても憲法制定のルーツから考えていかなければなりません。  憲法制定の過程は記述をいたしましたけれども、昭和二十年十月十一日、マッカーサーから憲法改正を示唆されて以降、十二月八日の松本原則の提示、二十一年一月九日、松本氏が憲法改正私案を提出し、二月四日、マッカーサーがこれでは不十分だということで、民政局憲法草案の作成を命じて、マッカーサー原則、いわゆるマッカーサー・ノートが示されました。  そのときには、自己の安全を保持するための手段としての戦争をも放棄するということを要求しましたけれども、民政局内の検討結果、ホイットニーが自己の安全を保持するための手段としてさえの部分を現実的でないと思い削除いたしまして、十二日にGHQ案が完成し、その後、その原則を盛り込んだ改正案が作成されまして、五月に国会召集とともに審議をされたわけでございます。  このとき、六月二十五日に吉田茂氏は、本会議の上程に際して、国家正当防衛権による戦争は正当なりというが、これを認めることは有害とすべての戦争を否定したわけであります。  その後、六月二十六日、憲法改正小委員会で、芦田均氏が委員長で、議論の結果、前項の目的を達成するためにを挿入しまして、国際紛争を解決する手段としての戦争を永久に放棄するが、自衛のための戦争武力行使は放棄されていないとする自衛権可能性を残しました。これはパリの不戦条約でも、自衛権の存在は当然であるので言及する必要なしと自衛権を可能にしておりますが、第一項で放棄した武力行使は国権の発動たる自国ですることであり、第二項はそのための手段を持たないとする限定放棄説を確立しようとするものでございました。  その後、二十五年に朝鮮戦争が勃発をしまして、マッカーサーが方針を転換しまして、日本無力化政策を転じて対ソ政策として日本を利用するために日本軍隊を保持させて、経済も育成する方針といたしました。しかし、吉田茂は軽武装論をとりまして、昭和二十六年、警察予備隊軍隊でない、国内的には重税を課すことになり、今はその時期にあらずと発言をし、自衛戦力ではなくて治安の組織であると説明をいたしております。  その後、講和条約が発効しまして、昭和二十七年、日本独立後も、保安隊設立に際する政府見解においても、保安隊戦力ではない、戦力とは何かといえば、近代戦争遂行能力あるいは近代戦争を遂行するに足りる装備、編制を整えるものと言っておりまして、戦力に至らない実力を持つことは違憲でないと説明をしております。したがいまして、憲法を変えなかったために、自衛目的といえども戦力は保持できない、自衛のための必要最小限度を超えるものはだめということになりまして、その概念で昭和二十九年に自衛隊が創設をされましたが、そのとき大村防衛庁長官は、九条は独立国として我が国自衛権を持つことを認めている、したがって、自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつその目的のため必要相当な範囲実力部隊を設けることは何ら憲法に反しないと説明をしております。  かくして、政府は自衛権による実力部隊を持ちましたが、この論法は、軍隊戦力保持禁止規定をどう回避するかから来ていまして、実定法主義、つまり法律がなければ何も存在しないを捨てて自然法の思想、自然の摂理から当然存在するをとりまして、国家として自衛権を保有するのが当然であるから、自衛権行使のための自衛隊憲法上許されるとしました。  自衛権に関しては、国家として憲法自衛権自衛隊の記述がないために、日本防衛政策防衛力として戦力でない組織を持つことを前提に理論が構築をされておりまして、戦力自衛のための必要最小限度を超えるものと定義し、自衛隊自衛のための必要最小限度実力を備えることは許されるがそれは超えてはならないものとされ、このため自衛隊の性格が弱く、抑制的になりました。また、自衛隊国際法の定義ではなくて国内法のものになりまして、他国に比して抑制的なものになっております。  そのため、自衛権発動の要件として三条件を定めたり、海外派遣された自衛隊自己防衛は不可能で、他国の警護、庇護のもとに活動することで、カンボジアではフランス軍、ゴラン高原ではカナダ軍イラク・サマワではオランダ軍に守られながら活動いたしております。  また、自衛隊軍隊かという議論につきましては、最終的にはここに記述しましたとおりになっております。呼称の定義により、これを軍隊と言うなら自衛隊軍隊と言えるが、憲法上、自衛のための必要最小限度を超える実力を保持し得ないなどの制約を課せられており、通常の観念で考えられる軍隊とは異なるものと整理をいたしております。交戦権についても同様でございます。  以後、冷戦下防衛政策というのは専守防衛、制約された自衛権での防衛力整備となりました。これは、昭和四十五年十月の中曽根防衛白書に象徴されますように、専守防衛でやっていくと。このため、我が国に対する武力攻撃発生時点武力攻撃が発生した時点から、また必要最小限度実力行使範囲内でということで、行動の地理的範囲、また敵地攻撃自衛権範囲、また自衛のための必要最小限度実力ということで、ICBMや長距離爆撃戦闘機を保有することはできないということ、それからGNP比も一%枠ということとされました。  さて、だんだん時代が変わってきまして、海外派遣をするようになりました。海外派兵海外派遣の違いはそこで記述したとおりで、武力行使目的を持って武装した部隊を送ることが海外派兵で、これは憲法上許されないけれども、武力行使目的を持たないで部隊他国へ派遣することは海外派遣であり、憲法上許されないわけではないとなりました。  湾岸戦争以降、いろいろな活動をするようになりましたが、事イラクについて申し上げますと、イラクにおける自衛隊活動は、イラク復興と民生の安定を図るために人道復興支援を行うものが中心でありまして、武力行使目的として行うものではない。自衛隊部隊が行う活動は、それ自体は武力行使に当たるものではなくて、活動範囲を非戦闘地域に限っていることから、他国武力行使と一体化するものではないので、九条一項で禁止された武力行使ではない。しかも、国連決議もあります。イラク復興国連決議一四八三、一五一一には、すべての加盟国に、イラクのための人道アピールにこたえ、食糧、医療、インフラ復興、必要な資源を支援することを要請すると書かれております。  また、イラクにおける占領行政をしているんじゃないか、これは交戦権違反じゃないかという御意見もありますけれども、国際法上、交戦権というのは非交戦国によっては行使し得ないものであり、武力行使当事者でない我が国交戦権行使することは基本的に論理的にあり得ず、第九条においても、武力行使当事者でないので基本的には問題はない。そもそも、イラクを占領する意識はなくて、早期にイラク政府をつくる目的で、人道支援復興支援に行っていると考えていると説明をいたしております。  ちなみに、米英軍活動の根拠ということにつきましても、国連決議一四八三において、米英のCPAに特定の権限、責任及び義務があることを認識する、当局は領土の実効的な統治を通じてイラク国民の福祉の増進を要請すると記述をされております。したがって、このような権利に基づいた活動であると認識をいたしております。  そして、今度は集団的自衛権についての考えを述べますが、この際、武力行使と武器の使用、この違いにつきましてはここに書いたとおりでありまして、いわゆる武器使用というのは、自衛官等任務を遂行するに当たって、自己保存のための自然的権利、いわゆる正当防衛、そのために、相手方がどのような主体においても、安全を確保することは許される。これは九条の禁じる武力行使ではないということであります。特に、イラク特措法十七条では、自己または自己とともに現場に所在する隊員の生命、身体を防衛するために、自己保存のための自然的権利であって、憲法上禁止された我が国の物的・人的組織体による武力紛争の一環としての戦闘行為である武力行使には当たらないという概念で認めているわけでございます。  そして、集団的自衛権については、定義は御承知だと思いますので省略をいたしますが、現在は、国家は、集団的自衛権を保有していることは主権国家である以上当然である、しかし、第九条において容認される自衛権行使は、我が国防衛必要最小限範囲内にとどまるべきであり、集団的自衛権行使必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されないということになっておりますが、これはいろいろ学説がありまして、昭和三十五年の参議院予算委員会林修三法制局長官が、集団的自衛権として、自国を他国と協同して守ることも許されるとして発言したこともありますが、昭和五十六年、政府答弁として整理をされまして現在に至っております。  ちなみに、見解の変更については、改めるつもりは全くないと。中曽根政権期も、集団的自衛権行使を認めるなら憲法改正を要する旨の見解が法制局長官から出されております。  また、集団的安全保障につきましては、これは国連のようなものでありますが、結論としましては、憲法九条によって禁じられている武力行使または武力の威嚇に当たる行為については、我が国としてこれを行うことが許されないということになっておりまして、仮に国連軍ができても、武力行使の部分は参加できないという考え方でございますが、しかし、小沢調査会等で、全く瑕疵のない国連軍ができれば、国権の発動たる武力行使に当たらないはずであり、完全な形の国連軍ができれば参加できるという考え方もございます。  したがいまして、武力行使と一体をなす行動に該当するかどうか、他国戦闘行為を行う地域と我が国活動地域との場所を整理して考えるわけでございますが、この九条の武力による威嚇、行使を、日本自身利益追求のための武力行使と考えるのか、国連の決定、要請、授権のもとに行われる国際共通価値実現武力行使と区別をすべきではないかということで学説が分かれておりますが、現在は、区別することなく一律に禁止をいたしております。  以上のことを整理してみますと、現行の憲法でできないことで私が見てこれはどうかと思う点は、まず、イラク自衛隊が派遣されても、隣の外国部隊がテロリストに襲撃されてもほとんど何もできない。NGOや政府関係者、マスコミ、民間人が危害を目の前で加えられても、自衛隊は警護も救出にも行けない。また、任務遂行武器使用や警護、警備などもできないというのが現状です。  第二に、同盟国の米軍が日本周辺他国から攻撃を受けた場合も、日本は、自衛隊は救出や応戦もできない。これは日米協力に支障になろうかと思います。それから、国連軍が編成されても武力行使には参加できないということにつきましても、これはやはり国連協力の支障になることも考えられます。それから、国連常任理事国になっても決定事項を履行できない。また、アジア安全保障機構というのが将来できても、日本はその行動についていろんな制約を受ける。それから、仮に日韓防衛条約なるものができたとしても、この憲法の解釈によりますと片務的な条約になるということで、このことは、日本のこれからの国際安全保障環境整備のために足かせとなっておりまして、私は、憲法改正してきちんとできるようにすべきであろうと思います。  最後に、これからの日本国際貢献の理念でありますが、現在、百五十を超える国家憲法に、平和の推進とか侵略戦争の否認、戦争放棄軍隊の規制、非設置など、それぞれの国が持っております。この記述が、日本国憲法特異性を持つものではないと思いますが、私は、世界平和のためにやるべきことはしっかりできる国になるべきだと思います。そういう意味では、今後国連改革の中で、日本安全保障理事国になることについては、理事国として議論に参加をし、決議を交渉し、イニシアチブをとるためにも必要でありますし、国連資金の二〇%を支出している国が常任理事国に入っていないこと自体がおかしな話でありますので、現状は言いたいことも言えずにお金だけ出しているということは残念だと思います。  そして、これからの国連の趨勢としまして、停戦監視から治安、人道、経済発展など、国連活動は非常に複合的なものになってまいりまして、実行力のある多国籍軍型で自己完結をさせて活動するということが趨勢になってきております。この面からも、参加、協力できる国になるべきだと思っております。  そして、イラクにつきましては、やはり国連決議を求めて、今後暫定政府は出ますけれども、国連活動を重視していくべきだと思います。  最後に、結論として、政府見解を変えるより、新憲法で、自衛権の存在、自衛隊役割を明記することが何よりいい選択である。二、国際法国際慣例に従った国際貢献のできる権限を記述することが必要である。三、平和主義国連中心主義は、日本の理念として、九条の中心にすべきである。そして、第四として、最後に、この憲法九条改正に向けまして、各党の実りある議論を期待したいと思っております。  以上で発言を終わらせていただきます。
  4. 近藤基彦

    近藤委員長 次に、松本剛明君
  5. 松本剛明

    松本(剛)小委員 民主党の松本剛明でございます。この憲法調査会、初めて参加をさせていただきますので、諸先生方の御指導よろしくお願いをいたします。  きょうは、安全保障及び国際協力等に関する件、憲法九条、特に自衛隊イラク派遣並びに集団的安全保障及び集団的自衛権ということでテーマをいただきましたので、このテーマに沿って発言をさせていただきたいと思います。  まず、改めて委員各位法治法律によって治める法治ということを考えていただきたい、このように思っております。  法治という言葉は、さかのぼれば、孔子徳治主義に対して韓非子法治主義までさかのぼっていくわけであります。このころは一人の為政者、王が政治をするという前提に立って、孔子の性善説に基づく有徳の君主、為政者が徳を持ってという徳治主義に対して、やや否定的なイメージが伴いますが、韓非子の性悪説に基づく法治主義というのが唱えられたわけでありますが、今と国家体制が全く異なるということを考えれば、このことはひとつおいて、先へ進んでいきたいというふうに思います。  そして、近代国家に至っては、法治主義というのは王の統治権の絶対性を否定して、法に準拠する政治を主張する、国民の意思によって制定された法に基づいて国家権力行使する、こういう制度のことを指してくるわけであります。このことは、まさに王の統治権の絶対性を否定しという言葉の中に隠れているように、極めて恣意的なことが行われないようにということが含まれているというふうに理解をいたします。  そして、私たち今の近代的な民主国家では、政治はもちろん時代要請にこたえて事に当たっていかなければいけないわけでありますが、私たちには、立法権ということで、このいろいろな事態を想定して法を定める、どんな法でも解釈というのがありますから、この解釈をどう解するかというふうなことがまた一点ありますけれども、この法を定める権限を与えられているわけでありまして、事に当たっては、そのときには法の範囲で行うということになっている、これが法治ということで、事態に対応するために法を飛び越えて行われるべきではないというふうなことをまず申し上げたいと思います。  この法治を行うことによって、原理原則が貫かれ、また、予測可能性平等性が確保されたり、歯どめとなるということを念頭に置いて、以下お話をさせていただきたいと思います。  このイラクについてでありますが、国際法上から見たイラク戦争大義ということについてお話をさせていただきたいと思います。  これについては、日本国憲法そして九条は、国連構築を予定していた集団安全保障体制を一つの与件として、そしてそういった国際社会法治の方向を目指すべきであるということを前提に組み立てられていると思うからこそ、このイラクについても改めて吟味をする必要があるというふうに思っております。憲法九条に「正義と秩序を基調とする国際平和」ということを書いてある中にもそのことが認められるのではないかというふうに思います。  ですから、よく議論の中で、サダム・フセインに問題があるのだから、こうなるわけでありますが、ここから一挙にイラク攻撃が認められるかどうかというのは大変短絡的、感情的な議論だというふうに申し上げなくてはならないと思います。国内の法によって違法である、法を犯したというふうに認められた場合でも、そのまま制裁が加えられるわけではなく、やはり裁判といった手続を通して行われるということと同じように法治ということを考えた場合に、そこをきちっと押さえる必要があるというふうに思っております。  また、既に復興段階に入っており、自衛隊の本隊も現地に到着をしている中で議論をしても仕方がないという乱暴な論法もありますけれども、当調査会、小委員会においてはそんな議論はないと思います。また、日本人の底流には、あきらめの観、諦観があるとよく言われておりますが、やはりこのイラク戦争大義があったのかどうかというのは、今の、そしてまた今後のためにもしっかり検証されるべきことであるというふうに思っております。  既に今御意見の開陳がありましたので重複は避けていきたいと思いますが、今回のイラク攻撃武力行使、これは、そもそも今の国際法では自衛権発動国連決議による以外の武力行使が認められていない中で、どちらに当たるのかということであります。  国連安保理決議、もうたびたび繰り返されておりますが、一四四一、六七八、六八七で読めるかどうかというのは大変議論があるところでありますが、武力行使といういわば最終的な手段を使うに当たって、これだけ議論が分かれる中で、国際的に認められた形での武力行使だというのは大変言いにくいのではないかということをまず申し上げたいと思います。  また、ブッシュ・ドクトリンと言われる、先制攻撃という形でのいわば自衛権発動だという考え方もあるように思いますが、今の国際法では先制攻撃というのが自衛というふうに認められるとはとても思えません。先ほど申し上げたように、国際法法治という観点からいけば、国際法の中で議論を積み重ねて、先制攻撃、特にテロといった新しい形に対しては新たな対応が必要であるという意見は全く私も否定をするものではありませんが、きちっとした国際法の中で認められる形を組み上げた上でなければ、先制攻撃という形が認められるとは思いません。  そして、申し上げるまでもないことですが、もし認められるとしても、戦争はできる限り避けなければならないわけでありまして、ぎりぎりの要件が恐らく定められるだろうというふうに思います。  今回、大量破壊兵器の問題が大きく取り上げられております。自衛権の主張の根拠として大量破壊兵器の脅威が挙げられているのではないかというふうに私は思いますが、先ほど申し上げたようにぎりぎりまで戦争を避けなければならないということを考えると、今回のように情報操作がもしあったとすればもちろん論外でありますが、査察継続による解決も可能ではないかという意見があった中で、いわば見切り発車のように強行したということを考えれば、大量破壊兵器のその存否を含めてしっかりと検証され、また結果の責任が問われなければいけない、このような問題であるというふうに考えております。  次に、自衛隊イラク派遣について、憲法との関係で申し上げたいと思いますが、このイラク特措法については、お配りになられている資料にもありますように、非戦闘地域概念を初めとして、武器弾薬の輸送と武力行使との一体化、武器使用基準、占領行政参加交戦権否認、先ほどもそれぞれについて中谷委員からのお話がありましたけれども、時間に限りがありますので、非戦闘地域概念によることについてだけ申し上げてまいりたいと思います。  この非戦闘地域といった概念を設けて線引きをしたりすることは、大変もう限界に来ているというふうに感じております。これは、これまでの後方支援といった線引きもかなり無理があったと思いますが、さらに今回の非戦闘地域概念というのは大変無理があるように感じます。  例えば、今回のことであれば、テロに対する掃討作戦、これが戦闘に当たるのかどうかといったようなことも議論をされたわけでありますが、答えが出ませんでした。  若干引用をさせていただきたいと思いますが、去る一月三十日、石破防衛庁長官と私が議論をさせていただいたんですが、まず石破防衛庁長官から、「テロというものは、国際紛争を解決するための武力行使あるいはその武力行使する憲法九条に言うがところの主体とは考えておりません。」というような答えがありました。その後、私は、米軍等が行うテロに対する掃討作戦は戦闘であるのかないのかということをお尋ねさせていただきましたら、石破防衛庁長官の答えは、「我々が活動する地域は非戦闘地域でなければならない」、このような答えでありました。  私がお尋ねをさせていただいたことに対して、突如として、自衛隊が行くところは非戦闘地域である、こういう御答弁になってしまう。この一点を見ても、この非戦闘地域概念というものには相当無理があるということを申し上げられると思います。  そして、今申し上げた、あとの三点の論点に関しても、今お話がありましたけれども、現実に、自衛隊自己完結的な存在として海外派遣をされるに当たっては、さまざまな課題を生じているということも指摘をさせていただかなければいけません。  また、このイラクへの自衛隊派遣に関しては、人道復興支援が大変大きく取り上げられるような形でお話がなされることが多いわけでありますが、もう一つの柱として、安全確保支援活動ということで、米英等連合軍の後方支援をされておられるわけであります。  この後方支援についても、今回のような形の後方支援というものの憲法上の位置づけ、そして憲法に反しない範囲で行うということの安全確保支援活動の意義といったことについても、ぜひ御議論をいただきたい、問題提起をさせていただきたいと思います。  後ほど申し上げさせていただくことと重複をしますが、こういった課題を取り上げていくと、今の憲法九条の合憲性というものを武力行使といった概念、基準から見るだけで判断をしていいのか、国連中心とする国際協力といった目的から判断をする余地はないのかということが、議論の余地が出てくるのではないかというふうに思っております。  続いて、集団安全保障について申し上げたいと思います。  私たち民主党は、理想からかけ離れた部分もある国連現実はしっかりと直視をしていきたいと思っておりますが、この活動の実践を通していきながら、憲章が規定をする理想の姿にどのようにしたら近づけるのか、そんな努力を積み重ね、理想の姿に近づいていく道を選択すべきである、このように考えております。  国連軍については、一たん断念をされたというふうにも解することができるわけでありますが、あえて含めれば、国連軍、多国籍軍、そして平和維持活動を含む集団安全保障活動に広く参加することは、現行憲法解釈では著しく難しい点があり、制度的枠組みの改革が必要であるというふうに私たちは考えております。  これまで我が国参加してきた平和維持活動を直ちに違憲であるというふうに申し上げているわけではありませんけれども、後方支援との線引きなどの問題というのは、やはり依然として問題が残っておるというふうに思っております。  しかし一方で、私たちは、国連に加わるに当たっては、この憲章に対して何ら留保をつけることなく国連に加わっているということも大変大きなポイントであろうというふうに思っており、冒頭申し上げたように、集団安全保障に対しては積極的にぜひ参加をすべきものである、これが先ほど申し上げた政治の姿勢であるというふうに思います。そして、そのために、この法治を行っていくに当たっては、どのような立法ないしは私たち行動が今必要なのかということが問われているのではないかというふうに思います。  その方向として私たちが考えられると思っておりますのは、先ほど申し上げたように、集団安全保障活動というのは、この九条の枠外だと考えることができるのではないか。武力行使を基準とする解釈に加えて、新たに目的を基準とする合憲性の判断という基準があってもいいのではないかということが一つ考えられると思います。  また、憲法との整理をしていくことが必要でありますが、間をつなぐものとして基本法を制定するという考え方もあるのではないかというふうに思っております。これは、昨年の有事法制の議論の中でも私ども主張をさせていただき、与党との間でもお話を進めなくてはいけない課題でありますが、基本法制定というのも一つの、国民にとってもわかりやすい、そして法治の精神を生かした考え方ではないかというふうに思います。  三つ目としては、憲法改正という考え方も当然認められてくるというふうに思っております。  今申し上げたような幾つかの考え方、例えば解釈についても、解釈がこのようにされるということと、また望ましい形ということの考え方というのはあろうかというふうに思います。わかりやすい、望ましい形が憲法改正であるという意見が大変多くある部分については、私も同様に感ずる部分もあるわけでありますが、最初に申し上げたように、政治は今の課題にこたえていかねばなりませんし、また、これから先の課題を想定してこたえていかなければならないときに、どのような選択をするかということが私たちに課せられた課題ではないかというふうに思っております。  一点、先ほどの目的との関連で申し上げれば、憲法を制定した当時というのは敵国条項があったという国連憲章にかんがみても、私たち日本の国というのは国連の、いわばプレーヤーとしては恐らく想定をされていなかったのではないかということは申し上げられるのではないか。今、日本国際社会の中に置かれている立場というのを考えたときには、その部分を踏まえて検討する余地があるというふうに思っております。  集団的自衛権について意見を申し述べさせていただきます。  この集団的自衛権を考えるときに、やはり政治立場からは、日米安保というのが現在のような非対称的な形でいいのかどうかということも考える余地があると思います。そもそものスタート時点から、日本が負担をし得る範囲というのが変わってきている中では、望ましい分担はどうあるのか、そして、それに合った形での法整備はどういうことなのかということを私たちは、これは憲法も含めてということですが、検討する責務があるというふうに思っております。  また、我が国の安全にとって、先ほど申し上げたように、国連による集団安全保障を理想に近づけることはもちろん目指していくわけでありますが、太平洋、東アジア中心にいろいろな安全保障の網を設けていくということも政策の選択肢として考えられると思っております。  その際に、集団自衛権行使できないという現行解釈というのが、我が国にとっての安全のための選択の範囲を狭めたり、外交交渉上の足かせとなる可能性はないのかどうかということも政治の責務として考えていく必要があると思います。そして、政治の課題がそのようにあるとすれば、今度は法治立場から憲法そして法律をどのように考えるかということを、私たちはその責務を果たしていかなければいけないというふうに思っております。  そこで、若干議論のあるところであろうと思いますが、まず、我が国集団的自衛権でありますが、先ほどもありましたが、我が国国際法上有しているが憲法行使できないというふうに書いてあるわけでありますが、それでは、憲法上有しているのかどうかということも一つ確認をしておく必要があろうというふうに思います。そして、憲法上有しているとすれば、行使できないということはどのような論理的帰結として導かれるのかということも改めて確認の必要があると私は思っております。  ちなみに、自衛権というものはどのような論法で認められているかということを考えますと、すべての独立国は当然に自衛権を保有する、そして憲法はこれを否定していない、それゆえに現行憲法下では日本自衛権を有する、こういう論法で来ているわけであります。これをそのまま当てはめますと、集団的自衛権も固有の権利だ、ここについては若干議論があるようでありますが、固有の権利だとすれば、今と全く同じ論法が成立するということになってまいります。  また、首相を経験された中曽根康弘先生や宮沢喜一先生も、一〇〇%集団的自衛権を否定しているとは思えない発言をされておられるということもございます。  また、我が国を防衛するために必要最小限度範囲にとどまるべきものであると解されるから、集団的自衛権行使をできないというふうに言われているわけでありますが、集団的自衛権行使というのがすべて我が国を防衛するための必要最小限度範囲を超えるのかといったことについても議論が必要であろうというふうに思っております。  既に一部で議論が始まっていますが、弾道ミサイル防衛なども、私たち専守防衛の精神に合致するものと思っておりますが、集団自衛権行使に当たるかどうかを全く議論する必要がないということにはならないのではないか、このように思っております。  一つ御紹介をさせていただきたいと思いますが、九九年の四月一日、現在の安倍自民党幹事長の質問に対して当時の高村大臣がお答えになった答弁があるんです。少し複雑な文章ですが、「集団的自衛権概念は、その成立の経緯から見て、実力行使を中核とした概念であることは疑いないわけでありまして、また、我が国憲法禁止されている集団的自衛権行使我が国による実力行使を意味することは、政府が一貫して説明してきたところでございます。」この文章を読みますと、中核の部分は否定をしておりますが、集団的自衛権を全面的に否定したというふうには読めないようにもあるわけでありまして、この辺を含めて、改めて私たち集団的自衛権の問題と正面から取り組んでまいりたいというふうに思っております。  集団安全保障集団的自衛権の関係についても整理が必要であります。また、両者については相反をするものといったような考え方もあるようでありますが、先ほど申し上げたように、私は、集団的自衛権は主権国固有の権利であると考えるべきではないかと思いますし、また、例えば経済の分野でのWTOとFTAのように、バイとマルチ、両方ともが並行して動かしていくということも考えられるのではないかというふうに思っております。  この法治といったものを近代国家においてしっかり実現をしていくために、この憲法調査会での議論は大変意義深いものだと思いますし、私としても、この進展を大いに期待をさせていただきたいと思っております。  結びに、この九条、今申し上げたように、さまざま私ども取り組むべきところがあろうと思いますが、高い理想を持つ、そしてまた歯どめとして大きな役割を果たしてきたこの九条の使命がしっかり果たされる、このことは受け継いでいきながら考えていきたいということを申し上げて、私の意見とさせていただきます。  ありがとうございました。
  6. 近藤基彦

    近藤委員長 これにて、基調となる御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  7. 近藤基彦

    近藤委員長 それでは、まず、大村秀章君。
  8. 大村秀章

    大村委員 自由民主党の大村秀章でございます。  中谷委員、そして松本委員、本当にすばらしい御意見を拝聴いたしまして、ありがとうございました。  それでは、いただきました時間の中で、少し自分の考えを申し上げながら、そして御質問をさせていただければというふうに思っております。  今お二人の意見開陳といいますか御意見の中でもございましたけれども、私も、今回の憲法改正、いわゆる憲法議論の中で、戦後日本の象徴であり、そして避けて通れないものがこの九条であるということはきょう御出席の委員各位の共通の認識ではないかなというふうに思っております。  そういう中で、今も両委員からもお話がありました、私も同感でありますけれども、この憲法九条というのは戦後日本のまさにシンボルだと思います。平和国家日本、平和憲法をいただいたこの日本のシンボルであり、そしてまた世界に誇ることができる、そういったものであるということを私も認識をし、そして強く申し上げていきたいというふうに思っております。  ただ、その間に時間が相当経過をいたしております。五十数年という時間が経過をし、そして日本国際社会の中での位置づけも大きく変わってきたということは事実でございます。  国際情勢変化、例えば、冷戦構造の崩壊、ソ連の脅威は消えたわけでありますけれども、一方で、北朝鮮のミサイルまた核の脅威などなど、日本を取り巻くこの北東アジア地域での地政学的なリスクがまさに顕在化をしてきた。私は、日本にこういう地政学的なリスクは、冷戦が終わって、もうこれでないのかなというふうに思っておりましたが、まさにそれが顕在化をしてきたというのが今の状態ではないかと思います。そしてまた、日本にとって、当然のことでありますけれども、周辺事態可能性というものも消えてはおりません。  一方で、冷戦構造が崩壊をして米ソの二極構造がなくなったということが、そのことだけではありませんけれども、そのことがまた局地的な紛争を頻発させているといったような結果を、現実問題、招来をしているというのも事実だと思います。そういった局地的な紛争、そして、そういったところがおさまったときに、日本として、国際的な貢献の一環として、人の派遣、NGOの派遣だけではなくて、とどまらずに、自己完結能力を持った自衛隊派遣というものの要請が高まっている、これもまさに事実だろうというふうに思っております。  こうした今私が申し上げた一つ一つのこの事態は、日本国内事情、そういったものは抜きにして、まさにもう既にこの日本を取り巻く周りの中で起こってしまっているというものだと思います。その現実をまず直視しながら我々は議論を進めていかなければいけないのではないかというふうに思うわけであります。まさに、日本を取り巻く情勢、そしてそれだけではなくて世界の情勢が大きく変わってしまった、その現実をまず我々は認識をして議論していかなければいけないというふうに思います。  そして、日本の国際的な社会における地位そして位置づけ、そして占める地位、位置というのも、飛躍的に大きくなったのも事実でございます。そういう意味で、日本がどういう発言をし、どういう考えを持ってどういう行動をとるのかということを、その一挙手一投足を世界はまさに注目しているというふうに思うわけでございます。  そういう中で、国際情勢変化、そして日本の置かれている地位、そうした実態、そういう現実、事実を見れば、より自然な形で、私は今こそ、日本安全保障、防衛、そして国際平和協力といったものに対する基本的な理念であり基本的な考え方を、この際、明確に整理をして、一番はっきりとした国の、国家としての基本理念、考えを示す基本法である憲法の中で位置づけをして、そして世界に向かって日本の考えはこうですよ、こうなんだということを明確に発信をしていくということが必要だというふうに思います。そのことが国際社会の中で日本が信頼をかち得る大きな道の一つだ、ポイントの一つではないかなというふうに私は思うわけでございます。  では、もちろん国の基本法でありますから、日本国民がどう思っているかというのが大きいポイントでありますけれども、日本国民も、やはり自衛隊を九割以上の方が認めている、そして災害の復興、救助、そしてまたPKO、こうしたものに対しても高い評価をしているということから、やはり国民の認識もそこまで高まっているというふうに思います。  そういう意味で、私は、きょうの中谷委員意見開陳を全面的に支持するものでありますし、また、先般のこの調査会で古屋委員が言われました御提案、憲法改正自衛隊を明確に位置づけて、そして、国の防衛と国際平和協力業務を明確に位置づけるということを御提案されたことに全面的に賛同するわけであります。  そこで、ちょっと話が長くなりましたが、まず松本委員にお伺いしたいと思うんです。  先ほど来の集団安全保障そしてまた集団的自衛権のお考えをお聞きいたしますと、今私が申し上げたような考え、そしてまた多くの同僚委員考え方は大変近いというふうに私は認識しながらお聞きをさせていただきました。  そこで、まずお聞きしたいのは、今私が申し上げたこと、憲法上、自衛隊を防衛を担う正規組織として位置づける、そして国際平和協力業務を行うといったことについて明確にするということにまさに御賛同いただけるんじゃないかというふうに思うわけでございますけれども、その点についてはいかがでございましょうか。
  9. 松本剛明

    松本(剛)小委員 私見が入りますことをお許しいただきながら意見を申し上げたいというふうに思います。  先ほど申し上げたように、現行解釈でできること、そしてまた現行憲法現行憲法解釈というのは私、一応使い分けてお話をさせていただいたつもりであります。現行憲法でできること、これは解釈をどのようにするかということにかかわってまいりますが、一方で、今大村委員おっしゃったように、望ましい形というのも考えていかなければいけないというふうに思っております。その意味で、望ましい形というのは、自衛権を認める、自衛隊存在を認めるということであれば、それを明記することが望ましい形であるということは申し上げられると思いますし、国際平和に協力をする活動については、国連集団安全保障活動には積極的に参加をするべきであるというのが私たち考え方でありますから、望ましい形としてはそれをしっかり記すことが望ましいのであろうというふうに考えております。
  10. 大村秀章

    大村委員 ありがとうございました。  もう一つ、さらにお伺いしたいんです。  これは先ほども申し上げたのでまさに確認かもしれませんが、日本の防衛と国際平和協力業務を円滑かつ機能的に進めていくためには、集団的自衛権の保有と行使、これをやはり憲法上も明確に位置づけるということもあわせて必要だと思いますが、その点についてはいかがでございましょうか。
  11. 松本剛明

    松本(剛)小委員 国連による集団安全保障の中での国際平和への協力集団的自衛権については私は区別をして申し上げたつもりでありまして、国際的な平和に協力をする活動を行うために集団的自衛権が必要であるというのは、私は少し異なった意見でございますけれども。  ただ、集団的自衛権について、先ほど少し申し上げたわけですが、国際社会の中でもバイとマルチがあるように、やはりアジア太平洋地域において日本安全保障網を構成しようとした場合に、日本集団的自衛権というのを考える必要は政治要請として出てくるんだろうというふうに思っております。  ただ、その要請にこたえるために、いきなり行くのではなく、先ほど申し上げたように、やはり法という形でしっかり担保されることが必要であろうということを申し上げてきたわけでありまして、やはり今申し上げたように、望ましい形というのはしっかり法に書くことだということは今おっしゃったようなこととして私も認められるのではないかというふうに思います。
  12. 大村秀章

    大村委員 はい、わかりました。  それでは、もう残りの時間が少ないのですが、中谷委員にお伺いしたいと思います。  ほぼ同じ考えなんですね。こうした考えをさらにいろいろな場を通じて深めていくことをぜひまた、御見識の深い中谷先生にぜひお願いを申し上げたいと思います。  そこで、一つお伺いしたいのは、今の集団的自衛権なんでございますが、憲法上に明確に位置づけていくべきという、私もそういうふうに思うんでありますけれども、ただ、実際問題これは大変時間がかかるということも事実だと思うんですね。  そこで、先般、報道の中で我が党の安倍幹事長が、この際、その権利を有するが行使できないという政府解釈を、例えば年限を区切って、私はこれについて例えば二年なら二年という期限を区切って国会を中心にして十分議論して、そしてその政府解釈の変更をするということをやったらどうかと。これは、私は十分検討に値する、いわゆる憲法改正議論と並行してやっていくということは検討に値する議論だと思いますが、その点についてはいかがお考えか、お伺いできればと思います。
  13. 中谷元

    中谷委員 これは、日本法治国家でもありますし、また、私も立法府の人間として、このような重要問題を解釈の変更によって実施すべきではないと思います。まして憲法というのは基本法でありまして、改正をしないままで次から次へと手品のようにあれもできる、これもできるというのは、国民の不信を買うばかりではなくて、実際にそれによって運用をしていく自衛官にとりましても、しっかりとした憲法の根拠に基づいて国民の合意のもとに活動するような状況でないと、これには非常にリスクも伴うわけでありまして、やはりこういった国家の重要なことにつきましては、きちんと国民議論をして改正すべきではないかと思います。  それからもう一点は、この自衛権考え方は、芦田修正の話もいたしましたが、きちんとした学説と理論によって構築をされておりますので、これで集団的自衛権も読むとなりますと、この限定放棄説という芦田修正自体も非常に軽いものになってまいりますので、やはり常道からしましても改正の手続をとるべきではないかと思います。
  14. 大村秀章

    大村委員 引き続き議論を深めていきたいと思います。  ありがとうございました。
  15. 近藤基彦

    近藤委員長 次に、武正公一君。
  16. 武正公一

    武正委員 民主党・無所属クラブの武正公一でございます。  まず、中谷委員にお伺いをしたいんですが、よく首相が国際協調と日米同盟の両立というふうに言われるんですけれども、民主党あるいは私も、やはり日米同盟が先行している、国際協調というものがどうも後になっているという認識を持っております。  そもそも、憲法の前文というのも首相はよく持ち出されますが、憲法の前文は国際協調でありまして、その後、日米安全保障条約というものを締結していった経緯でございますので、国際協調のもとに、日米同盟や、あるいはまた日本の外交三原則である国連中心外交、あるいはまた地域的な経済協力関係などが横並びであるんではないかなというような私は認識を持っておりまして、国際協調と日米同盟の両立ということでもし譲ったとしても、今回のイラクへの自衛隊派遣のやはり理由というのは日米同盟堅持というのがあるというふうに考えるわけでございます。  今、懸念をされるのが、日本は唯一の被爆国でございますが、これまでも核拡散防止への取り組みをしてまいりましたが、例えば小型核の研究開発、その予算をアメリカが予算化したこと。あるいはまた、武器輸出三原則、これは佐藤首相が平和外交として一九六七年に提案をしたわけでありますが、随時見直しがされてきたこと。そして、過日の防衛庁長官の発言では、共同開発を第三国までいいんではないかというような発言まで出てくることでありまして、この国際協調と日米同盟の両立ということでいくと、やはり日米同盟ありきで日本が今さまざまな形で進めている取り組みといったことが言えるのではないかと思うんです。  委員は、最後のところで、国連中心主義、これも九条の中心にすべきというふうに言っておられますが、この点、まず一点、日米同盟ありきではないか、突出しているんではないかということについてお答えをいただきたいと思います。  そしてまた、松本委員の方に伺いますけれども、内閣法制局が見解を述べるという形で来ているわけでございますが、内閣法制局は行政の一機関である、それが憲法についての見解を述べるということの問題点、これがよく指摘をされるわけでありますが、ドイツにおける憲法裁判所といったものがあるということでございますが、こうした憲法についての解釈あるいは見解を述べる機関としての憲法裁判所の必要性についてどのように考えるか。  それから、シビリアンコントロールということであれば、テロ特そしてイラク特、いずれも国会の承認が、事後承認ということになったがために、どうしても説明責任政府に欠けているのではないかという指摘がありますので、こうした国会の事前承認、あるいは防衛庁の防衛機密を守らなければならないけれども説明責任を果たさなければならない、こういった意味でのシビリアンコントロールのあり方。  そして三点目は、国連改革国連への取り組み、これについてどのように考えるか。  そして、先ほど憲法解釈変更ということが大村委員から出ました。集団的自衛権を認めるべきではないか、この憲法解釈の変更といったことについて。  以上、四点お伺いしたいと思います。
  17. 中谷元

    中谷委員 国際協調と日米安保の両立につきましては、これは占領時代憲法制定期から懸案となった、つまり米軍の占領下で国連中心主義憲法をつくったというところから問題になっているところでありますが、占領時代は、マッカーサー国連中心主義を第一に考えておりましたけれども、冷戦が始まったということで、本国から対ソ体制日本にとるということで、マッカーサー自身も不本意なことがあったと聞いております。  そこで、日米安保条約を締結いたしたわけでありますが、基本的にそこに書かれていることは、本来は国連中心であるべきであるが国連が機能しない現状において日米安保条約を締結する、その後の国防の基本方針の中でも、国連が機能するまでは日米安保条約を基軸と考えるというふうに書かれておりまして、早く国連が機能できれば安保条約から解き放たれることもあろうかと思いますが、現実の世界の中でアメリカ自身がそんなに国連中心に考えてきてなかった。  イラクの対応においても、戦争が終わった占領統治をしなければならない現在においても、国連中心とするのではなくてアメリカ中心考え方を持っているということについては、私もこれはどうかなと、本当にアメリカがいつまで責任を持ってイラク統治をできるのかどうか、軍事的にも財政的にも疑問に思うわけでありまして、この点においては、日本はまさに力の見せどころで、国連中心とした体制にどう持っていくかに傾注をしなければなりませんが、現実の対応としましては、アメリカの意向に従ってその支援を続けていくということは、現実の姿ではないかと思います。  したがいまして、国連を第一に考えるというのは、憲法制定時の理念でもあり、今後とも日本が自立できる国家としてその中心軸に定めるものでありますので、今後ともそれを目指して取り組んでいかなければならないと思っております。
  18. 松本剛明

    松本(剛)小委員 まず、武正委員御紹介の一点目、憲法裁判所についてでありますが、先ほどからも解釈の問題が出てきておりますように、今の憲法をどう解釈するかということはもちろん問題でありますが、今後、憲法がどのような形になろうとも、また必ず解釈の問題というのは出てくるわけでありまして、今のような、内閣法制局が一手にいわば解釈権を持っているかのように見える形よりは、憲法裁判所という形も望ましいというふうには考えられると思います。ただ、当然、これそのものが憲法に載せられるべき事項ということになろうかというふうに思いますので、まさにこの憲法調査会で御議論をいただくべきところではないかというふうに思います。  シビリアンコントロールにつきましては、いろんな誤解も率直に申し上げてあるようでありますが、最大のポイントは、やはり国民の代表である国会がそのフォース、軍事力をコントロールするということにあるんだろうというふうに思います。したがいまして、軍事的な力が動く場合は事前承認をするであるとか、そういった形というのは大変大きなポイントになるべきであると私も考えております。  国連についてでありますが、これは今既にお話があったことと若干重複をするのかもしれませんが、政治は、やはり今の現実を見詰めつつも理想を追い求めていくことが大変重要だろうというふうに思います。  その意味で、国連が機能するような形の理想を追っていくことが必要でありまして、今我が国は、先ほどもお話がありましたように、大変大きな財政的な支援、また国際公務員という意味での人、これはまだまだの部分もあるわけでありますけれども、徐々に出てきているという状況の中で、こういった国際社会、また国連における発言力といったものをしっかり確保して、しかも、それを我が国だけのために使っているのではなく、本当に国際社会のために使っているというふうな努力を重ねることが国連改革への道につながると思いますし、そのことがひいてはまた我が国の平和と安全を確保することにもなるのではないかというふうに思っております。  常任理事国入りということについては、私たちも先般の選挙のマニフェストで目指していきたいということを申し上げてきたわけでありますが、恐らく日本常任理事国入りを果たすとすれば、安保理の機能であったり常任理事国の責務といったものも変わってくる中でのことも考えられます。今、国際社会の中で、国連改革の機運が出てきている中で、しっかりと発言権を確保しながら議論することが重要ではないかというふうに思っております。  また、近い将来での有事に対して憲法改正の時間を待てるかというお話でありました。これは、先ほど申し上げた法治概念から申し上げて、改正の手続が待てないからやっていいという判断をしていいとは一概に言えないというふうには思っております。ただ、私たちは、日本国民の安全をしっかりと確保するという責務を担っていることも考えて、さまざまな選択肢を考える必要がある、ぎりぎりの選択をしなければいけないときがあるという意味で、先ほど幾つかの考え方を提示させていただいたというふうに御理解をいただけたらと思います。  一点、集団的自衛権について先ほど申し上げた中で、若干言葉が足らなかったと思います。今の憲法の中でも、集団的自衛権をどのように読むかということの解釈可能性を申し上げたわけでありますが、当然自衛のための範囲であるということを一点申し添えさせていただきたいというふうに思っております。  以上です。
  19. 武正公一

    武正委員 ありがとうございました。
  20. 近藤基彦

    近藤委員長 次に、福島豊君。
  21. 福島豊

    福島委員 本日は、中谷委員、また松本委員、貴重な御意見を御開陳いただきましてありがとうございました。私から余り意見を申し上げるというよりも、議論を深めるということから幾つかお尋ねをしたいと思っております。  いずれにしましても、この憲法の問題を考えるときに、それに先だって、現在の国際状況の中で今後の日本安全保障を確保するためにはどうしたらいいのか、まずここのところの認識が大切なんだと思うんですね。また一方では、日本は、日中戦争、また太平洋戦争という大変大きな歴史の負の遺産というものを持っているわけでして、いまだになくなったわけではありません。ですから、特殊な国というふうに言う人もいますけれども、特殊な国として生きてきたということにも大きな理由があったんだろうと思います。この両方を考えるということが私は必要だと思っております。  まず、中谷委員にお尋ねをしたいんですが、委員は、憲法九条の果たしてきた機能ということで、敗戦後、日本アジアの国々に国際的に受け入れられる現実的条件であったというふうにおっしゃられました。これは、受けとめ方によりますと、現行憲法というのは押しつけられた憲法だという考え方もありますけれども、決してそういうものではなくて、九条という中核的な問題を踏まえて、これは日本国民自身がといいますか、当時の政治家自身がそういうものとして受けとめたんだというふうに考えていいのかどうかということですね。そしてこの条件というのは、私は、現在においても大きく変わったのかと言われると、決してそうではないかもしれないと思うんですね。この点についてお考えをお聞かせください。
  22. 中谷元

    中谷委員 そもそも、第二次世界大戦も反対の人もいたかと思いますが、全体的な雰囲気の中で日本戦争になって敗戦に至ったことで、日本人自身も、家族を失い、もう二度とこのような悲惨なことは嫌だという思いもあったと思いますし、ましてや日本統治に入った中国にしても朝鮮半島の人たちにしても、非常に日本は許しがたいという感情を持っておられたと思います。  そういう意味で、日本統治し、また自立していく過程で、もう二度とあのような事態を起こせないというのがこの地域の中で日本が生きていける条件であった。当時の時代認識はそうであり、日本の指導者も国民もそのように考えていたと私は思います。
  23. 福島豊

    福島委員 もう少しお話をお聞きしたかったんですけれども、次に、松本委員にお尋ねをしたいんですが、集団的自衛権行使の問題ですね。  委員の御説明はなかなかに微妙なお話で、将来東アジア中心安全保障の網を設けていくことは、政策の選択肢としてあるべきである、その過程において集団的自衛権行使ができないということが、むしろその外交政策、また選択肢を狭めるのではないかという御指摘であったわけでございます。  率直に言うと、委員集団的自衛権行使を認めた方が日本の将来にわたっての安全保障においてプラスであるというふうにお考えなのかどうなのか、党の立場とは違うかもしれませんけれども、率直なところをお聞かせいただければと私は思っております。
  24. 松本剛明

    松本(剛)小委員 党の立場とそごを来しているとは思っていないんですが、集団的自衛権について先ほど申し上げてきたように、まさに福島先生が冒頭おっしゃったように、日本の安全をどう守るのかといったことを考えるのがまず政治の役目としてあり、またそのときに、必要であったとして、そしてそれに基づく、それを行うための法がなかったとすれば、じゃ、法をどうするのかということを考えるのが恐らく我々の使命だろうというふうに思っております。  先ほど武正委員の話からもありましたけれども、私たちは、この日本の国はもちろん米国との関係は大変重要でありますが、国連、そしてアジアというそれぞれを柱にして外交を展開してきたし、その方向性は、三つの柱があることは私は間違っていなかったんではないかというふうに思います。  その中で、米国との関係は極めて、同盟という形でいろいろな中身、内容を伴うものになっているわけでありますけれども、アジアの近隣の諸国ともどういう形でお互いに平和を確保していくのかということを、やはり外交の中で、そしてひいては条約の中で確認をしていく必要が出てくるんだろうというふうに思います。  そのように考えたときに、日米安全保障条約というのは、先ほど非対称的という表現を私使わせていただきましたけれども、恐らく世界でもまれに見る形の条約であろうというふうに思っておりますが、これからアジアの国々とお互いに安全保障条約を結んでいく中で、同じ形がとれるとは私は必ずしも思えない。そうなった場合には、やはり日本にも同等の責務を負うだけの覚悟と体制をとる必要があるというふうに思っております。  ただ、現行憲法でも、先ほど申し上げたように、また宮沢先生初め幾つかの場所でもおっしゃっておられるように、自衛のための集団的自衛権行使というのはあり得るんではないかという表現をされておられました。この精神は、基本的に私たちは、やはり自衛範囲の中での集団的自衛権行使ということで考えられるんではないかというふうに思っていることを申し上げたいと思います。
  25. 福島豊

    福島委員 自衛範囲の中での集団的自衛権という御主張だということが理解できました。  もう少しお聞きしたいんですけれども、東アジア地域の中でいろいろな国と安全保障上の取り決めをしていくというふうにおっしゃられましたが、これも余りいろいろな選択肢というのはないんだと思うんですね。中核となるのは、アメリカと日本の関係、そして日本と中国の関係、これをどうするかということになるわけですよ。  私は、日米同盟というのを基軸とする限りにおいては、あちらこちらと、韓国という問題はあるかもしれませんけれども、これはこれでいろいろな意見があると思いますけれども、それはそんなに選択肢があるんだろうかという気もします。一方で、率直に言いますと、何か東アジア地域で紛争が起こる、韓半島で起こる、台湾海峡で起こる。そういったときに、果たして日本集団的自衛権行使するというようなことができるんだろうかという気がするんですけれども、この点について、再度委員のお考えをお聞きしたいと思います。
  26. 松本剛明

    松本(剛)小委員 私は、本日憲法調査会に出席をさせていただいて、恐らく日本の五十年、百年の枠組みにかかわる問題だと。今の私たちの置かれている東アジアの情勢で、福島委員おっしゃったように、たくさんの選択肢がないのではないかという御指摘はある意味もっともだろうというふうに思いますが、将来の五十年、百年の理想を考えたときには、やはりさまざまな選択というのがあっていいのではないかというふうに思っております。
  27. 福島豊

    福島委員 私も、この五十年ぐらいとか、また百年とか、その単位で考えると、大きく物事は変わるんだろうという気がしています。ただ、今の時点でどうかという話はあるだろうと。  引き続いて、中谷委員にお尋ねをしたいんですが、お聞きしていて、最終的には集団的自衛権行使した方がいいんだというふうにお考えなのか、端的なところをお聞かせいただきたいと思います。
  28. 中谷元

    中谷委員 先ほど松本委員も言いましたけれども、集団的自衛権範囲というのはすごく広いと思うんです。ベトナム戦争当時に、アメリカの戦争にベトナムまで行くというのも集団的自衛権であるし、また、先ほど私が問題点として指摘した、日本を防衛するために日本の近隣海域で活動しているアメリカの船を護衛したり守ること、これも集団的自衛権であります。  私も、そんな他国戦争協力するということは必要ないと思いますが、常識的に我が国の防衛に必要なこと、及び国連中心とし、また今後、世界の平和、安定に必要な活動においてはいろいろな制約をつけずに日本もしっかりした活動ができるようにということで、そういう意味で、現在禁止されている集団的自衛権範囲を狭めていただきたいと。  例えば、武力行使においても、一体化するということでいろいろと活動制約をされる中で、目的人道支援であり、また世界の秩序安定でありますので、そういった本来の活動目的が達成されるように、この点においてしっかりとした基準を設けてほしいと思っております。
  29. 福島豊

    福島委員 中谷委員そしてまた松本委員お話を通じて感じますのは、集団的自衛権の中身をどう考えるんだ、ここのところが大事だと。言葉で、通り一遍でいいのか悪いのかということではない、そこのところをもっと具体的に考えた方がいいという御示唆をいただいたような気がしました。  どうもありがとうございました。
  30. 近藤基彦

    近藤委員長 次に、山口富男君。
  31. 山口富男

    山口(富)小委員 日本共産党の山口富男です。  きょうのテーマとの関係でいきますと、私は、今占領状態にあり戦火を交えているイラク自衛隊を送ることは国際法上、憲法九条からいって認められない違法なものであって、これはやはり撤回すべきだという立場です。しかし、この中身については後ほど討議もありますので、その際に申し述べたいと思うんです。  きょうは、お二人の委員から発言をいただきましたので、まず中谷委員からお尋ねしたいんですけれども、冒頭のところで、これまでの政府解釈というものが国家基本法の軽視と形骸化を生み出すという指摘がありました。これは結局、これまでの政府憲法の運用や解釈において誤りがあったという認識をお持ちなんですか。そういうことになるんでしょうか。
  32. 中谷元

    中谷委員 私自身も政府の一員であったこともございますが、論理的に言えば、憲法の許し得る範囲で現在のイラクの対応も実施できるということで実施しておりますので、今までの対応に問題はなかったと思います。  しかし、それを国民がきちんと受け入れるかどうかにつきましては、憲法考え方の違いがありますので、反対だという人はそこに存在をし、自衛隊海外派遣反対だという人もいるわけですから、そういう事態で、両方に読めるような憲法であったということにおいて、こういう点においては、きちんと、やっていいこととできないことをすべきだということです。  今までの対応が悪かったと言うつもりはありません。
  33. 山口富男

    山口(富)小委員 どうも、今のお話ですと、悪いところもあったような、両方にとれるというのはそういう憲法の基本解釈の点で揺れているわけですから、まずさがあったということに私は論理的にはなるように思うんです。  それが一番問題になってくるのは、日本の再軍備にかかわる問題だと思うんです。  九条で軍備、戦力を禁じているもとで自衛隊をつくったわけですけれども、再軍備に当たってのアメリカの関与については、中谷委員はどういうふうな認識をお持ちですか。
  34. 中谷元

    中谷委員 この点につきましては、マッカーサー講和条約を検討していた時期において、あくまでも国連中心主義にこだわっていたと思います。  ところが、冷戦が激しくなって、アメリカの方が日本を防衛の第一線に指定して、非常に強くアメリカ本国から要求があったという中で、朝鮮戦争が始まってしまい、日本にいた米軍がほとんど朝鮮半島に行ったということで、力の空白が生じ、そこで警察予備隊が必要であるということで、アメリカの方は日本がしっかりとした体制がとれるということを念頭に置いていたと思いますが、そのときに軍隊を持つように指導したかどうかは定かではありませんが、当時は、吉田茂としては、軽武装で、経済をまずやっていきたいんだということで、それに対しては異を唱えたと承知をいたしております。  しかし、講和条約を締結した後、やはり、日本の防衛をどうするかという観点に立ちますと、日本はもう独立国になったわけですから、自分自身を守る組織が必要であるということで、ほかの国でいえば軍隊が必要だったかもしれませんが、憲法を有している現状において早急にそれができなきゃいけないので、吉田茂氏は、とりあえず自衛隊整備する、後に、落ちついた時期に憲法改正でしっかりしたものにしていこうという考えを持っておられたそうですが、その後、しっかりした憲法議論ができなくて現在に至っているというふうに承知をしております。
  35. 山口富男

    山口(富)小委員 今のお話は、警察予備隊にかかわって、一九五〇年前後の話ですけれども、アメリカの外交文書の公開によれば、四八年段階で既に、日本に再軍備の最終的な創設に向けた諸計画を準備すべきである、そして、米国により組織され、初期訓練を受け、厳しく監督されるべきである、その軍隊は。そういうメモが外交文書の公開によって出ていることを紹介したいと思うんです。  さて、もう一点、今度のイラク問題にかかわって、交戦権にかかわる問題なんですけれども、いただきました資料の、ちょっとページ数が書いてありませんものですから、「交戦権」のところなんですが、「イラク占領行政参加ではない」という囲みの部分があります。ここで述べられている「国際法上、交戦権は非交戦国によっては行使しえないものであり、」という部分なんですが、ここでおっしゃる「国際法」というのはどういうものを指しているんですか。
  36. 中谷元

    中谷委員 これは、国連憲章であり、いわゆる国際慣習のことでございます。
  37. 山口富男

    山口(富)小委員 私は、これは、政府見解を含めまして、国連憲章以前の古い考え方だと思うんです。  といいますのは、国連憲章で戦争が違法化されましたから、今、世界で国連加盟国は百九十一ありますけれども、その中で、憲法の中で交戦権について規定しているのは日本国憲法しかありません。それはなぜかというと、国連憲章が明確に戦争を違法化したからです。そのもとで、交戦権は世界どの国でも実際認められないわけですけれども、現実には武力行使が起こってしまうわけですね。そのために、事実上戦争の状態という考え方を持ち出して、さまざまな戦時国際法、今で言う国際人道法をつくったわけですけれども、そのもとでは、現実の紛争の当事国でなくても、占領行政をやっている場合、その占領行政に加わっていくことは紛争当事国の仲間入りしてしまうという別の問題が生まれてきたんですね。  それで、先ほど中谷委員国連決議一四八三をお挙げになりましたけれども、その後国連決議が、十月に一五一一が出ておりますが、その際に、フランス、ロシア、それからドイツが共同の声明を上げまして、イラクへの軍事的関与はできないという声明を上げるんですけれども、その理由としたのも、イラク米英の占領状態に引き続きあって、いわゆる国連主導のもとでの主権移譲がきちんと進まない限り軍事関与できないんだという立場をとったのは、そういう背景があったと思うんです。  そういうところからいきますと、今度の自衛隊イラクへの派兵というのは、やはり国際社会からいきますと、占領行政への参加になるというふうになるんじゃないでしょうか、中谷委員
  38. 中谷元

    中谷委員 イラクに関する米英行動において、日本政府説明によりますと、その根拠としては、六八七とか六七八、いわゆる大量破壊兵器の保持ということに対するイラクの対応をめぐる制裁と、一四四一の最後通牒というか最後通告に基づいて、またもとへ戻ってしまったということでありますので、それなりに制裁については国連の根拠があると説明はしております。  戦後の復興においても、先ほど紹介した一四八三において、文章的にも、「特定の権限責任及び義務」があることを認識すると記述されておりますので、これをもって占領の権利が与えられているという説明をいたしております。
  39. 山口富男

    山口(富)小委員 その点は見解が随分違いますけれども、一四八三にしましても、占領国としての復興にかかわる仕事と、それから、国連の枠組みのもとで人道支援をやれということは、やはりなかなか一線を引きにくい面はありますが、区別して対応すべきだと思うんです。  さて、松本議員に一点お尋ねしたいんですが、集団的自衛権の問題なんです。  私は、これは日本憲法上認められないという立場をとりますが、今、世界を見ますと、軍事同盟に参加していない国の方がもう圧倒的に多いわけですね。事実上、集団的自衛権の枠組みに加わっていない国々が多い。そういう世界の流れから見まして、この集団的自衛権を認めるか否かという議論をする場合に、その流れとの関係はどういうふうに整理なさっているんですか。
  40. 松本剛明

    松本(剛)小委員 世界の流れ、はやりかどうかわかりませんが、先ほど福島委員との議論の中でも申し上げたように、今、我が国が置かれているこの国際社会の状況、そしてこれから先の国際社会の状況を考えたときには、私は、選択肢としてという言葉も使ったように、考えていいのではないかというふうに思っております。
  41. 山口富男

    山口(富)小委員 ありがとうございました。
  42. 近藤基彦

    近藤委員長 次に、土井たか子君。
  43. 土井たか子

    ○土井小委員 きょうはお二人から御意見を拝聴したんですが、中谷議員にお尋ねしたいと思います。  初めに「憲法九条の意義」ということをお述べになって、そこで、九条の果たしてきた機能というので三点お挙げになっていらっしゃいます、一、二、三。いずれもこれは、まことに、日本にとっては第九条があったためにここまで発展できたという中身でございまして、いずれも、憲法九条によって日本が発展したことを認めておられるという中身なんですね。  そうすると、一番最後に書いておられることと、私は、これは矛盾するんじゃないかと思うんですよ。これだけ第九条についての効用ということをお認めになっていらっしゃる中谷議員が、最後には、それにもかかわらず、この憲法九条を捨てて、新しい憲法自衛権存在自衛隊役割ということが明記される選択肢を選んでおられるんですね。これはおかしいんじゃないでしょうか。  むしろ、憲法九条に対しては、これをさらに遵守、発展させていくということの方が初めにおっしゃっている論旨にはずっと一線上になるわけで、どうも、きょう承っておりまして、きっと最後は、第九条をしっかり生かしていこうとおっしゃるかと思っていたら、それが違うんですね。矛盾していませんか。
  44. 中谷元

    中谷委員 「結言」の中にも、平和主義国連中心主義というのは、「日本理念として、九条の中心にすべきである。」これは改正された九条のことですが、こういった精神は非常に大事なものだと思います。  しかし、このレジュメの項目の2に挙げていますように、時代変化をしてまいりまして、日本が何もしないままで現在の国力を維持し、国民生活を豊かにしていくということが非常に厳しい現実があります。すなわち、やはり平和、国際秩序が安定していないと福祉も経済活動もないわけですね。戦後の五十年間は、冷戦の構造の中で、何もせずとも許されて、この憲法九条の精神も生かされてきたんですが、それ以降は、日本自身が世界平和や安全保障をつくっていくことに参加しなければ日本経済活動や文化活動もあり得ないということを私は思っておりまして、そういう中で、日本がそういう平和活動に参画をしていくということは決して悪いことではない。  したがいまして、守るところは守り、変えていくところは変えていかなければならないということで認識をいたしておるわけであります。
  45. 土井たか子

    ○土井小委員 ちょっとはっきりいたしませんね。  この最後のところですね、「平和主義国連中心主義は、日本理念として、九条の中心にすべきである。」まことにそのとおりだと思うんですが、これは、中心にすると同時に、九条があったから今まで、平和主義に対しても国連中心主義に対しても、日本自身が、日本立場はこれですよということを行うことに対して意味があったと私は思うので、九条が消えたらその意味もなくなりますし、変質しますよね、おのずと。したがって、「九条の中心にすべきである。」というよりも、九条を中心にすべきであるということの方が私は正しい表現だなと、ここのところは思うわけです。  したがって、九条については、よりよくこれを実現させていくことのために何が大切かということの討議こそ、憲法について調査するときの、現実にもそれは触れて問題にする論点でございまして、そういうことを考えてまいりますと、きょう私は言葉じりをとらまえて言うわけじゃないんです。やっぱり一つ一つの言葉概念というのは大変大事だと私は思うがゆえに、何か聞いておりますと、派遣と派兵は違うということをおっしゃったんですね、中谷議員は。  実は、派遣と派兵は違うという論法を展開されていて、国会での質問、答弁を通じて、しまいには、これは、違いはないという方向で前言を取り消されたという例がございます。これは、海部内閣の当時でございますけれども。PKOに対しての審議をやっているときに、派遣と派兵は違うということを政府見解としてお出しになったんですね。派遣と派兵というのは、幾ら、これは言葉の上で違いますと言われても、余り意味はないですね。派遣も派兵も同じですよ、本来は。  私が小さいときに、父が応召して出征したものですから、毎日父あてに軍事郵便を書いたものですけれども、そのときにはたしか派遣軍と書きましたよ。派兵とは書きませんでした。  だから、そういう点からすると、私は、この派遣と派兵は違うということにどれほどの意味があるのかというふうに思うと同時に、戦車と言わずに特車と言ったり、それから、場合によったら、大本営発表で後々思い起こすのは、日本軍が最前線で残念ながら退却しているときに転戦と言ったりする表現というのが日本語では間々あるんでございまして、これは意味が違うと思いきや、違うわけじゃないんです。やっぱり同じことだけれども、言い方によって随分そこのところは、刺激的でない表現をとろうという工夫があるんじゃないかと思いたくなるような問題もあるものですから。  だから、それを中谷議員にもう一度お尋ねしますけれども、派遣と派兵というのは、これはさほど区分けをしなければならない問題でしょうか。
  46. 中谷元

    中谷委員 これは、昭和五十五年の答弁書でありますが、なぜこのように使い分けをしたかというと、それにこだわる人がいて、その人から質問を受けたからあえてお答えをしたわけであって。  やっていることは確かに同じかもしれませんが、しかし、意志として他国を侵略したり懲らしめに行くようなことが派兵であって、意志として人を助けたり復興をしに行くという目的があるのは派遣であるということで、軍イコール悪とか、兵イコール悪ととらえる人もいらっしゃるので、このように使い分けをしているんじゃないかと思います。  それから、最初、平和主義についての考え方でございますが、私も平和というのは求める者でありますけれども、何のために平和が要るかというと、人々が安心して暮らすため。そのためには、世の中には悪い人とかルール違反をする人もいますので、国際正義と秩序を維持していく。ルールに違反した人はきちんと制裁をして、やはり秩序を保っていかなければ平和は保てないという観点で、何もしないという意味ではなくて、きちんとルールをつくっていくという意味の平和主義と考えております。
  47. 土井たか子

    ○土井小委員 十九世紀から二十世紀にかけまして、それ以前、武力ということで支配をするという問題が当然のような状況だった時代があるんですね。二度の世界大戦の惨禍を経験しまして、この武力の支配から法の支配へという努力が二十世紀に入って、後半は特に問題視されたのが、今、中谷議員おっしゃるとおりで、国際関係においても、国際条約で非戦の方向に向けての条約というのが、国連の果たす役割というのが、したがって、その点で非常に期待を集めるというふうな問題というのがどんどん動いている中で、この法の支配というのが、国内的にも以前に比べると非常に大きな意味を持つ二十一世紀になっていると私は思うわけです。  この法の支配の中で、わけても、法の中の法、基本法である憲法については、よほどのことがないとこれを変えるということはなかなか難しいという認識を持たないと、これがくるくるいつでも変えられると。  実情が憲法に矛盾した状況で先行してしまったために、憲法との間に乖離ができた。一体、どのようにこれをこれから整理していくかということになると、事実を憲法、つまり、法の支配ということを認識して努力をするという努力ではなくて、法自身を、法に背反した事実に向けて近づけて変えるという問題というのが、最近の傾向としたら非常に強くなってきていると思うんですよ。これ自身は、やっぱり法の支配ということに対して背を向けたやり方だと思うんですね。  実は、憲法自身が本来は、よりよい憲法に変えるということを何ら否定しておりませんで、どこの国の憲法だって、金科玉条で、不磨の大典というのはないと私は思っています。ただしかし、よりよい憲法に変えることのためには、前提となる、それに対しての心得事というのがやっぱり認識されていないと、よりよいものに変えていくというのはなかなか難しいというふうにも私は思うわけでして、少なくとも、憲法とはと言われれば、権力に勝手なことを許すというわけにはいかない。権力行使に対しての枠組み、仕組みというものを憲法自身がしっかり決めて、そして、それに対して守っていくということが立憲政治というものの基本になるというのは、これは言うまでもない話でございます。  簡単に言えば三つぐらい、私は、今、日本の改憲なんということを問題にする場合には要点があると思うんです。  一つは、国会の事情と、それによる信頼というのを、国民から信頼を国会自身が得ていないとならないという問題ですね。  少なくとも、憲法改正は、衆参両院の三分の二以上の賛成を得た後に国民投票で決められるということが九十六条の条文で決まっているわけですから。したがって、それからすると、議論の土俵は専ら国会においてつくられるというわけなんで、それならば、国会は国民の実質的な信頼ということを得ていなきゃならないと思うんですよ。これをひとつ……
  48. 近藤基彦

    近藤委員長 土井君、時間になりましたので、少し早目におまとめを。
  49. 土井たか子

    ○土井小委員 わかりました。そうすると、自由討論のときにこれは申し上げることに譲りたいと思います。  いずれにしても、それは、どんどんどんどん憲法九条の中身について、九十九条の尊重擁護の義務というのを果たさずに、事実、憲法から考えると違反しているという状況が展開されている。それにあわせて憲法を変えようということになると、これは、本来、憲法が予定している九十六条の改正という中身ではないというふうに私は少なくとも考えております。  あと、中谷議員の御感想を聞かせていただくということを予定しておりましたが、一たん打ち切って、それじゃ後の自由討論のところで取り上げさせてください。ありがとうございました。     —————————————
  50. 近藤基彦

    近藤委員長 次に、小委員間の自由討議を行います。  一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長指名に基づいて、自席から着席のまま、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたします。  御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをこのようにお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願い申し上げます。  発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。  それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。  御発言を希望される方は、ネームプレートをお立てください。
  51. 河野太郎

    河野(太)小委員 自民党の河野太郎でございます。  憲法改正する議論の中で大事なのは、憲法そのものをよりよくするのではなくて、我が国国民がよりよい国民生活を送るために何が最適な憲法であるか、そういう議論なんだと思います。  憲法九条もかつては大変意義深いものであったと思います。中谷委員が示された三つの機能、まさにそのとおりだったと思います。しかし、これは、我が国を初め世界の多くの国が共産主義というものと戦った、アメリカを先頭とする西側陣営の一員として共産主義と戦う冷戦の時代のものでありましたし、アメリカの国力というのが日本と大きく違った時代でもあったわけでございます。  今や、共産主義の脅威というのが終わり、冷戦が終わり、いろいろな新しい問題がテロを初め生じて、しかも日本の国力が非常に上がってきた。この時代に合った憲法九条のありようというのをやはり議論しなければいけないんだろうと思います。中谷委員が書かれたように、基本法の軽視と形骸化、私はまさにこれが今現実になっていると思います。  松本委員がレジュメに書かれておりますイラクの特措法の非戦闘地域、この概念による限界というのが来ている、特に、後方支援というところから始まってというところに私は非常に共感を覚えるものであります。後方支援あるいはその非戦闘地域というのが本当に議論にたえられるものなのか、私は非常に大きな疑問を持っています。こうした概念から始まったいろいろな法律あるいは行動というのはもうかなり限界に来ている、あるいは、憲法というものがありながらそれを形骸化するところまで来ているのではないかと私は非常に危惧しております。  我々は、そろそろこの特措法による対応というのをやめて、きちっと、集団的自衛権をどうするのか、あるいは集団的安全保障というものをどうとらえるのか、あるいは、もっと言えば、この国を守っていくためにどうしたらいいのかということまで一度さかのぼって議論をして、きちっとそれを憲法に反映をさせて、そこから議論をするべきなんだろうと思っております。  ただ、本来はそうやらなければいかぬと思いますが、世の中が非常に速く動いている、また我が国はまだ憲法改正するための手続法の整備すらできていないというときに、一度こうしたものの基本法を国会が制定することによって、少なくとも集団的自衛権等にかかわる政府解釈というのが本当にこのままでいいのかどうかということを国会で議論し、私は、解釈の変更というよりは、基本法なりを制定することによってこの問題をクリアし、しかも、同時に憲法改正に向けてしっかりと足を踏み出していくということが必要なのではないかというふうに思っております。  特に、きょうはイラクの問題も中心議題でございますから、確かに我が国は日米安保によってこの国を守っているわけでございます。しかし、その問題とイラクの問題をすべてごっちゃにして考えるというのもいけないだろうというふうに思っています。集団的安全保障という場合に、どちらが正しいことを言っているのかというのをどう考えるのか。アメリカが言っているのが必ず正しいとは限らないわけで、特に、中近東における我が国の国益とアメリカの国益は必ずしも重なるものでもない。  そうしたことを踏まえて、少しきちっと、日本の国益は何なのか、あるいは、今後このようなことが起きたときにどちらが正しいのか、日本はどちらにくみするのかといったことをどう議論していくのかということをもう少し考えなければいけないと思いますし、国会の議論が、これは派兵なのか派遣なのかというような言葉の遊びではなく、本当に実態的にどういうことなのかという議論がしっかりと国民の前で展開されるような議論をやるのが私は国会の務めだと思います。     〔小委員長退席、平井委員長代理着席〕
  52. 渡海紀三朗

    ○渡海小委員 自由民主党の渡海紀三朗でございますが、中谷松本委員、いろいろな意見をありがとうございました。  今河野委員が冒頭にお話しになったことを私は前回の憲法調査会でも一言だけ申し上げたわけでありますが、土井委員の言われる法の支配のもとにおける法治国家の大切さといいますか、これは国際的にも大事であるということを決して否定するものではありません。憲法においても、これは最高法規でありますから、この国の形を決めていく上で大変重要な役割を持っているというふうに思っております。  しかし、先ほど来、これは中谷松本委員からも御指摘があったとおりだろうと思いますが、国際情勢は大変変わっておりますし、日本の国力も随分変化をしておる。そういう中で、これから先の我が国のあり方として、どういう日本が国になっていくのかということをしっかりと議論をして、それが現行憲法で実は合わない部分があれば憲法改正するという、これは河野委員が冒頭お話しになった。私は、まず、やっぱりその議論があって憲法がある、国があって憲法がある、国というのは、日本の国の形、要は、どうやって国民生活を豊かにしていくか、国を守っていくか、このことが大事なんだろうと思っております。  この憲法解釈の問題については、しかし、この解釈議論がずっとなされているというか、この状況は不幸だというふうに思っております。  私は、この際、きっちりと、日本の国は今何をなすべきか、また何をするのが日本の国としていいのかということをしっかりと議論して、そして国会が国民に提示をした上で、最終的には国民投票でありますから、これはまさに、先ほど土井委員が国会が信頼されてないというお話もあったわけでありますけれども、我々は国民に対してしっかりとした提案をしなきゃいけないというのが憲法改正の手続だと思っておりますから、今のまま議論を続けているということは、これは、国民に対して、最終的な国民主権の、国民憲法を決めていくという権利を奪っていることになると私は思います。ですから、ある議論をしっかりした上での提案を国民にしていく、そういう責任があるというふうに私は考えております。  少しもとに戻りますが、解釈上は、法制局がどう解釈をしようが、これはやっぱり政府がどういう見解をとるかということが一番大事でありますけれども、いわゆる文言を解釈して集団的自衛権行使できないということではなくて、解釈論ではなくて、日本の国は平和主義を目指し、平和憲法を持ち、そして過去のいろいろな経験から集団的自衛権行使をしないんだという意思表示をしっかりと持つことが大事なんであって、これが使えるか使えないかという議論に終始するということは大変不幸だと私は思っております。  その上で、私個人の意見としては、やはり現行のさまざまな国際情勢の中で日本役割を果たしていこうとするならば、集団的自衛権というのは国連憲章で認められておるわけでありますし、このことをしっかり持った上で日本はどこまでやるかということを議論していくべきであろうと思います。  中谷委員が先ほどいろいろな提案をされたわけでありますが、例えば、今のイラクに行くことがどうか、いいか悪いか、これは私は派遣すべきだという立場に立っておりますけれども、いろいろな意見があるにしても、出て行ったときにしっかりと人道支援ができる、しかも、自衛隊の皆さんが安心して安全で活動ができるための、例えば国際標準にその武器基準を上げていくとか、そういったことも含めてきっちりと議論した上で、日本が今後どういうふうに国際貢献をしていくか。  国際協調と平和主義というものをどこまで両立させることが我が国の形として可能なのかということを私はしっかりと議論して、そのことによって最終的な憲法がどうあるべきかということをこの調査会でぜひ議論していただきたい、そのように思っております。
  53. 伊藤公介

    伊藤(公)小委員 自由民主党の伊藤公介です。  憲法九条が戦後、日本安全保障日本経済発展などにそれなりの大きな役割を果たしたということは、私も十分認めます。  ニューヨークのテロ事件の日に私はたまたまシカゴに滞在しておりました。アメリカの新聞、テレビは一斉に新しい戦争と報道されました。そのとき日本は、周辺事態、周辺とは何かという議論を私たちはしていたわけであります。  今、国際的な危機というものは、もう地球の裏側、どこからでも飛んでくるという状況が、新しい戦争と言われるようになりました。私たちは新しい世界の動きに対応しなければならないときを迎えていると思います。時あたかも、今、私たちイラク自衛隊派遣いたしました。  たまたま私の後援会の会長さんの息子さんが防衛医大で、お医者さんですが、今、自衛隊の勤務医をしているわけであります。間もなくイラクに行くことが既に決まっているわけでございます。多分あと一週間、二週間という時間だと思いますが。本人は当然、自分の責任を果たす、家族で何回かこのことについて相談をしたけれども、後援会の会長さん、私の方に個人的に電話がございました。家族でも、行くことは本人の強い決心、決意なので、しっかりやってほしいと。しかし、行くからには法整備も、そして、現場に行ったときに自分たちを守れるという装備はきちっと持たせてやってほしいという切実な御連絡もいただきました。  改めて、憲法という制約、新しい国際情勢の中で、私たちは法整備を急がなければならないということを痛感している一人であります。  また、今度のイラク派遣というものを決める大きな要因は、一つは国際協調、もう一つは言うまでもなく日米安保条約だと思います。  この日米安保条約というものが、日本の防衛の上では最大のある意味では生命線だと現実には思うわけですけれども、アメリカとのこの条約では、よく言われているように片務条約です。アメリカは日本を守るけれども、日本はアメリカを守れない。私は、日本にとって最も大事なこの安全保障日本とアメリカの条約というものがやはりアメリカとともに集団自衛権行使できるということでなければ、これから日本が本当に独立国家としてアメリカにもきちっと物を言える、そういう国家になることができないのではないか。それは、将来、日本とアメリカだけではなくて、ほかの国との安全保障条約を結ぶ場合にも同じことが言えるのではないかと思います。  今、新しい国際情勢の中で、日本役割存在というものが大きくなりました。私たちはその中で新しい憲法、新しい法整備をしなければならないということを、改めて私自身も強調しておきたいと思います。     〔平井委員長代理退席、小委員長着席〕
  54. 山口富男

    山口(富)小委員 日本共産党の山口富男です。  私、先ほど質疑の冒頭で、イラク派兵の問題について後ほど発言したいというふうに申し上げましたので、まずその点から触れたいんですが、今度の自衛隊イラク派兵につきましては、私は、国際法日本国憲法と両面からの厳しい吟味が必要だというふうに考えます。  まず、国際法からの問題なんですが、二つの意味でこの派兵はやはりやるべきではないというふうに思います。  第一の意味は、今度のアメリカのイラクへの武力行使が、先ほど松本委員からのお話もありましたけれども、やはり国連憲章が認めていない違法な戦争になっているという問題です。  それからもう一点は、大義なき戦争という問題で、この間アメリカで、大量破壊兵器の問題で直接現場で調査に当たった方が、なかったという発言をして衝撃を与えましたけれども、歴史の中で振り返ってみますと、日本の中国侵略のときは、一九三一年の満州事変、柳条湖事件が起こりました。これは後に関東軍のでっち上げだということがわかった。それから、アメリカのベトナム戦争でも、一九六四年のトンキン湾事件で北への攻撃が広がるわけですけれども、これも実は、なかったことだというのが後に上下両院で認められました。  このように、一たん戦端が開かれたときに、その大義になった問題がどうだったのかというのは必ずついて回る問題で、今度の場合は、それを担当した方が一年もたたないうちになかったと言い始めているわけですから、やはり、こういう大義なき戦争協力すべきじゃないというのが国際法の分野から見た自衛隊派兵の問題だというふうに思います。  それから、憲法から見た場合なんですけれども、まず、九条二項で定めております、交戦権を禁じている、その行使に当たってしまうという問題なんです。先ほども少し占領行政お話をいたしましたが、さまざまな問い合わせに対して、自衛隊が連合軍の指揮下に入るという問題ですとか、それから兵員輸送を含めて占領軍の一翼をなす問題や、CPA十七号で軍事要員としての保護と特権を与えられている問題、こういうことをとりましても、やはり交戦権にかかわる問題が生まれているというふうにも思うんです。  それからもう一点は、九条一項で規定する、武力行使をしてはならないという問題です。例えば、現実の問題として、旧フセイン政権下の戦闘員たちが仮にこの自衛隊活動に対して攻撃を加えた場合、そこで交戦状態が起こりますと、実際には、当事者同士、武力行使国際法上は転化してしまうんですね。そういう危険性をはらんでいる問題を持っているということで、私は、憲法九条の二つの規定からいっても認められないと思うんです。  特に、九条一項が定めた武力威嚇または行使、これを禁ずるという問題は、単に憲法九条にかかわるだけじゃなくて、これは国連憲章に書かれているから憲法に盛り込まれた規定なんですね。その意味で、日本は、武力威嚇または行使を禁ずるということについては特に厳密に対処する必要があるというふうに考えております。  そういう国際法日本国憲法からの検討からいきましても、今度の自衛隊派兵については、これを取りやめるべきだというふうに考えます。  さて、残された時間で若干発言したいんですが、一つは集団的自衛権の問題です。  集団的自衛権国連憲章の五十一条で定められているわけですけれども、これはあくまで例外規定でありまして、何か自然権的に、どの国も個別的自衛権集団的自衛権を持っていますよというような定めではなくて、国連国際紛争が起きたときに国連としての動きを始める間に限っての限定的な規定として打ち出したものですから、そこのところをきちんと見なければいけないというふうに思います。  私は、憲法九条のもとではやはり集団的自衛権は持つことができませんし、今の世界の政治の流れからいきましても、憲法が生まれた際に、米ソの冷戦がその後起こりまして、実際に九条は、なかなかうまくそれ自体は機能しなかったんですね。同時に、九条があることによって、中谷議員御自身が指摘されたように、さまざまな活動について政府がやろうとしていることの歯どめになってきたということが非常に大きな力を発揮してきたものだと思うんです。そういうことを踏まえて、九条と現実の乖離、形骸化という話があるなら、これはもう変えるか、現実の方を憲法に引き戻すしかないわけですから、私は、やはり現実の方を憲法に引き戻して考え直していくという立場でこの問題は考えていく必要があるというふうに思います。  以上です。
  55. 田中眞紀子

    ○田中(眞)小委員 無所属で民主党・無所属クラブ会派田中眞紀子でございます。  私は、二〇〇〇年の一月にこの憲法調査会が初めて設立されましたときからの最初のメンバーでございますが、一年二カ月間議員を辞しておりました間は外から拝見させていただいておりました。  今回、皆様のおかげで復帰させていただいて、一番感じておりますことは、自由民主党側の議員の先生方が非常に年代が若返られた、非常にではないかもしれませんが、十歳ぐらい若返られた。そのことによって何が生じているかといいますと、当初のころのずっと続いていた議論に比べまして、憲法改正するという方向に、もちろん民主党の先生、その他の先生方のお考えも、公明党の先生方、おありかと思いますけれども、そういう方に随分この数年間でシフトされてきているんだなということを非常に実感として感じております。  そして、今回のイラク派遣の問題、私は、これは本当にもう間違ったことだと思っておりますし、取り返しがつかないのに、どんどんと法制局の知恵をかりながら政府が糊塗していることをふんまんやる方ないと思って見ておりますし、結論から申しますと、国連決議の一五一一に基づくような状態にいっときも早くして、そこで日本国連中心でできるだけの貢献をする、それが本当の人道支援であって、現在のことは、どう言いくるめられても人道支援というものではない。幾ら自衛隊自己完結型である云々ということを言われても、これは一般の常識からかんがみまして適切ではないというふうに思っております。ただただ無事に、自衛隊の方たちが一人でも無事で帰ってこられることを祈念するのみでございます。  要するに、今回一番問題なことは、憲法を変える云々という議論にシフトしていますが、私が考えますのは、安保条約の改定及び地位協定というものの見直しに国会は大変怠慢であったのではないかというふうに思います。  先ほど自民党の先生が、伊藤先生かおっしゃっておられましたけれども、安保条約というのは、極東の問題ですけれども、これは全然解決されていませんで、まず本来、日米安保は極東の安全のためにできたと言っているんですけれども、これは中東までにらんでいたわけじゃないんですが、アメリカという国の世界戦略の中に組み込まれて、現在これが行使されているわけですよね。その問題について、日本は十二分に安保条約の改定についてかつて議論してきたかということについて、私たちみんな責任を感じなきゃいけないんではないかと思います。  極東条項というのがありますけれども、これは空洞化しているんですね。いっとき国会でかなり激論がありましたけれども。では、周辺事態法というのがありますが、これはどういうことかといったら、これは地理的概念ではないという議論にとどまっておりまして、事態の性格とか中身について詰めた議論がなされていないというのが実態ではないでしょうか。  安保条約というものを現在見ますと、安保条約の四条、それから六条がありますけれども、四条の中では極東というものについて語っておりまして、極東という概念が空洞化しているにもかかわらず、相変わらず「国際の平和及び安全に対する脅威」ということを言っております。六条でも「極東における」、極東というのはアメリカ、出ていく範囲ということでしょうが、「国際の平和及び安全の維持に寄与するため」にということを言っております。そして、もちろん前文でも、日本とアメリカが「極東における国際の平和及び安全の維持」ということを言っておりますが、現実はこれにそぐわない。  安保のことに手を加えずして、そして、この六条から派生的に出てきているのが日米地位協定でございまして、この地位協定の中でも、日本がどれだけの負担をしているか。数字だけ申しますと、一番直近の、二〇〇三年七月にアメリカの国防長官が米国議会で発表した数字を見ましても、日本は七五%もの米軍の滞在費を負担しております。世界で二番目でございまして、三番からのスペイン、サウジは五〇%台ですのに、七五%も必要であるかと。  結論だけ申しますが、地位協定の中身の見直し、基地の縮小、そして安保の中身の改定、これらを実質的に日本政府が、役人に、外務省に任せず、国会議たちがまずやることによって、そこから憲法改正議論をしていくべきではないかというふうに思います。  以上です。ありがとうございました。
  56. 土井たか子

    ○土井小委員 きょうは、憲法の改憲の問題の中心課題である第九条の改憲というところがきょうのテーマの中身だと思うんですが、この憲法第九条の規定から見れば、自衛隊イラク派兵と、特に昨今の、今も田中眞紀子議員からのお話がありましたけれども、日米安保条約を乗り越えた形での日米軍事同盟体制というのが本当に顕在化してきております。自衛隊イラク派兵の中身というのが憲法から考えたら違反しているというのは、自民党の議員の中にもそれを認識されている方がはっきりあるわけですから、したがって、こういう問題は、与党だから野党だからじゃございませんで、与野党乗り越えて、まずこれはしっかり認識をしなければならない問題であると思うんです。  しかし、ここに一つ私は申し上げさせていただきたいのは、当初、政府が違憲の事実に踏み出したときに、自衛隊については、軍隊ではございません、戦力ではございませんというふうに言っておられたんですけれども、軍事化を進めるにつれて違憲ではないという言い方に変わってきたんですね。そして、実際と建前の大きなギャップというのがもたらした最大の罪は何かというと、これは現実の問題としても憲法そっちのけですから、具体的に動いている状況に対しての説明として違憲ではないというふうに言われている問題であって、大きなギャップがもたらした最大の罪というのは何かといったら、これもさっきから少し御発言の中に出ておりましたけれども、安全保障策を現実的にかつ国民の納得を得る形で議論するという道が、どうもはっきり国会の中でも約束されて、どんどんそういう状況があったとは言いかねるところに問題が一つはあると思うんですね。  憲法論争になりますと、神学論争やめましょうと総理はおっしゃいます。また、河野太郎議員がさっきおっしゃいましたけれども、これは国民が主ですから、国民の皆さんに対してよりよい暮らしをというのが中心課題ですからね。したがって、その国民の皆さんに対して納得ができるような、理解できるような中身ということを説明して、そして十分にそれに対してわかっていただくという努力を積み重ねていくということは、何といっても先決問題なんですね。  そういう点からいうと、どうも、率直に申しますけれども、内閣で基本計画をイラクに対しての派遣でお決めになるときに、十二月九日、記者会見の席で、総理御自身が憲法に触れておっしゃっているのは前文の一部だけです。しかも、それは、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」という部分をおっしゃったわけですが、むしろこれは、日本国内国民に向かって言う部分よりも、アメリカに向かって言う部分だなとすら思われるような節がここにあるわけですから、説明ということからすると国民の納得を到底得ることからは遠い。  だから、そもそも、そうなってくると、その中で改憲を進めるということになったら、不信を買うことになる。少なくとも国民の世論というのはどういうことかというのはわかるわけですから、九条に対しては今のままで変えないという意見を持っていらっしゃる方、半数以上あるわけですからね。そのこともしっかり踏まえてこのゆがみを正さなければ、改憲のための国会合意を形成することは難しい、むしろ私はできないと思っています。それでも改憲を強引に進めるとなれば、やはり立憲体制というのは崩れ落ちる以外にないというふうに思っております。  ありがとうございました。
  57. 松本剛明

    松本(剛)小委員 民主党の松本剛明でございます。  意見表明をさせていただきましたが、今お話を伺いながら、二、三申し上げさせていただきたいと思います。  まず一つは、集団安全保障集団的自衛権でありますが、あえて例えが乱暴であることを承知で申し上げれば、集団安全保障は、言うなれば正当行為、法の枠組みがしっかりできている中での、法の支配のもとでのその強制力を担保するものだ、そのための行動だというふうに思いますし、集団自衛権の方は、むしろ自衛ということで、自衛は急迫不正の侵害という要件があるわけでありますが、刑法でいえば三十五、三十六、三十七条のあたりの話になると思いますけれども、その意味では、自衛権利というのは、集団的自衛権国連憲章によって認められたというよりは、やはり固有の権利であろうというふうに私は考えております。  ここは見解が分かれている部分だということも承知をしておりますが、世界の大勢は、それこそ固有の権利だと認める方向にあるのではないか。ただ、法の支配のもとで、自衛権は、国内においてもそうであるように、やはり制限的に、抑制的に自衛権行使するという枠をはめられているというふうに考えるべきであって、集団的自衛権についても、先ほど、これは中谷委員とも、範囲をどのように決めるかという中身の問題についてはまだ議論をしておりませんので、意見が一致するかどうかわかりませんが、範囲には抑制されたものがあるという部分では恐らく一致をするんではなかろうかというふうに思っております。  先ほどの日米安全保障条約はその自衛範囲の話だろうというように思いますし、だからこそ極東条項というのがついておったんだろうと思いますので、今回のイラクの問題に日米安保条約が絡むというのは、私は少し違うのではないかという気がいたしております。イラクの問題は、最初に申し上げた国連集団安全保障の、国連の枠組みの中で、日本がその使命を果たすのか果たさないのかということだからこそ、本当に国連決議でこのような活動が読めるのかどうかがもう一遍吟味されなければいけないということを申し上げてまいりましたつもりでございます。  そのような中で、先ほどの、吉田茂首相は私も尊敬をする方でありますが、先ほどの軽武装論を例えて申し上げると、これは政策判断なのか憲法解釈なのかということ、政策判断としては、当時、これは間違いなく、先ほども重税を課すものでありという言葉もあったように、政策判断としてはそれで正しかったんだろうというふうに思います。  しかし、この憲法で何ができるのかということをどこまで検討したのか、そのときそのときの政策判断をそのまま解釈ともししているとすれば、これは解釈がくるくる変わるということになって、大変おかしいということになる。どこまで憲法の内容というのをきちっと詰めたのかということをもう一遍吟味した上で次のステップを考えるのも、一つの考え方かなという気がしております。  特に今、憲法のある意味では規範性、一方で、政策に基づいて憲法を制定するべきであるという意見があるようでありますが、まさに、法の支配ということは、一定の規範性を認めながらも、改める権利も立法府に与えられているわけでありますから、そのときそのときでころころ変えていけないというのはまさにそのとおりだろうというふうに思いますが、一方で、しっかりとそうした長い目、先ほど五十年、百年という言葉を私は使わせていただきましたけれども、その中で、変えるべきものがあればこれは変えていく。これがまさに立法府、発議する国会の責任だろうということを申し上げておきたいと思いますが、憲法の歯どめの要素、九条の歯どめの要素というのも私たちは忘れてはいけないということだけは改めて申し上げたいというふうに思います。
  58. 河野太郎

    河野(太)小委員 河野太郎でございます。  細かい話で恐縮でございますが、先ほど山口委員がおっしゃいました、国連憲章五十一条の中の集団的自衛権というのは例外なんだというお話がございました。  しかし、五十一条は、個別的または集団的自衛権、固有の権利、要するに、集団的自衛権というのは、固有の権利であり、自然権、すべての国が自然権として持っている権利である。それが、国連に加盟したことによって、国連憲章が言うように、まず平和的に解決をしろ、あるいは、五十一条が言っていますように、安保理が必要な措置をとるまでの間というように、加盟している国が時間的に例外を設けているということであって、この権利が例外的に付与されている権利ではない。集団的自衛権というのはあくまでも各国が持っている自然権なんだということを強調しておきたいと思います。  それからもう一つは、先ほどから日米安保及び極東の範囲についての議論が出ております。確かに、本土防衛ということでいえばそういうことなのかもわかりませんが、我が国のエネルギーを、大半を中近東からの石油に依存している我が国として、本当に本土防衛だけでいいのか、あるいは、シーレーンも含めると、例えば日米安保の範囲というのがペルシャ湾からサンディエゴまでなんだというような必要性もあるのかもしれない、そういうことをむしろ一度枠を取り払って議論をするという必要は、何も広げろと言っているわけではなくて、そうしたこともしっかりと議論をする。要するに、必要があるから議論をするんだというやはり立法府でなければならないと思います。  数年前に外務委員会の理事をやっていたときに、委員会の質疑が全くかみ合わないという事態がございました。その結果、私は外務委員会の理事をやめましたが、必ず一〇〇%の国民が納得し支持をしてくださる安保の議論というのはないんだろうと思います。しかし、大多数の国民に支持をされる政策というのはあるはずだと思いますし、大多数の国民に支持されるためには、大多数の国民にきちんと説明をし理解をしていただくような説明ぶりというのが当然に必要なんだろうというふうに思います。  政府もそうですし、立法府も、きちんと議論をする、対立するところはあるかもしれません、意見が一致するところがないかもしれません。しかしそれは、わかりやすく、ここはこういうことなんだ、言葉の遊びに逃げるのではなく、実質の議論をやはりやっていかなければならないんだろうというふうに思います。  以上です。
  59. 近藤基彦

    近藤委員長 武正委員、ちょっとお待ちください。  今、山口委員にちょっと御質問があったように思いますので、その件にお答えを。
  60. 山口富男

    山口(富)小委員 日本共産党の山口富男です。  質問というよりも御意見だったのですが、この五十一条の問題は、私は、法規範の場合は、その条文の解釈にかかわる問題と、それからこれ自体がつくられてきた歴史的経過と、両面からの検証が要ると思っているんですね。  それで、河野委員の指摘の趣旨はよくわかりましたが、これ自体はもともとの原案にはなかった条文なんです。それを、最後段階でアメリカ側が、みずからのさまざまな軍事同盟の根拠として必要になって、この条文を入れ込んできたんですね。そういう経過からしまして、私は、これを例外とみなした方がいいという解釈をとっているということです。
  61. 武正公一

    武正委員 やはり、国民への説明責任、しかもシビリアンコントロールというのは、国民の代表である国会がいわゆるそうした自衛隊等についてしっかりとコントロールをする、こういったことだというのが先ほど松本委員からも説明があったわけでありますが、今も河野委員から、やはりこの説明責任というようなお話もございました。  私も、民主党で沖縄担当をして年に六回行って沖縄ビジョンをまとめたときに、沖縄の在沖米軍の四軍調整官と二回意見交換をしました。そのとき感じたのは、在沖米軍行動について、スライドを使って非常に説明をわかりやすくしてくれた。在沖米軍がどういった行動をし、どういった展開をしているのかということを事細かに説明をしてくれました。そのことを同じように外務省なりあるいは防衛庁に尋ねますと、これは米軍との信頼関係のもと、説明ができない、公表できない、こういうような答えが返ってくるわけでありまして、私は、やはりこの政府説明責任というのが、まだまだ今回のイラクへの自衛隊派遣についてもされていないというふうに思うわけでございます。  先ほど来、国連中心主義お話がございましたが、平成十六年度の外務省の予算でも、国連安保理の非常任理事国入りを目指すというふうに書かれておりますが、その関連の予算が二七%減などは、やはり政府国連軽視と言わざるを得ないわけであります。国連は、加盟国がやはり国連をつくるわけでありますので、加盟国の中で第二位の分担金を出している日本が、その国連をある面否定するような物言いを政府なりしていくことは、かえってみずから日本存在を否定することにつながるというふうに思うわけでございます。  それから、集団安全保障との関係における法制度上の枠組み見直しでございますが、先ほど松本委員から、民主党として、憲法解釈の変更、安全保障基本法等による規定、そして憲法の条文改正という三つの選択肢、これは二〇〇二年七月の民主党の憲法調査会での提案でございますが、その中の、憲法解釈の変更ということでは、やはり首相がたびたび持ち出します日本国憲法の前文ということでは、やはりこの前文にある国際協調主義、これをもっての憲法解釈自衛のための必要最小限度武力行使とは別枠で認められているという方向で憲法解釈を変更する、九条が禁ずる国権発動としての武力行使ではなくて、憲法前文の国際協調主義に基づく集団安全保障活動といったことを、重ねて申させていただきます。  以上です。
  62. 中谷元

    中谷委員 日米安保について一度整理してみますと、確かに、日米安保条約というのは、日本有事というか日本の防衛上の日米協力でありましたが、その一環で、周辺事態ということで、我が国の周辺においても我が国の有事にひっかけて法律をつくって整えたわけでありますが、しかし今度は、日米協力という点で考えると、条約には書かれてなくて、義務でもないのですけれども、自発的に日本がこう考えるのだ、日本の選択としてグローバルな面においても日米で協力をしていくべきじゃないかというふうに考えて、いわゆる同盟国としてお互いの友情と信頼に基づいて関係を強化していこうということで、橋本・クリントン宣言に象徴されるように、より広い意味で、さまざまな部分で日米間が協力していこうということでありますので、安保条約範囲より、条約条約として存在しますけれども、それより広い面での協力をしているという認識であります。  今、世界にとって一番何が必要かというと、安全保障面にいきますと、何といってもやはり、核ミサイル、生物化学兵器の拡散でありまして、現に北朝鮮の核開発もパキスタンの研究者が核の技術を教えていたという報道もありますけれども、非常に、目に見えないところでそういった拡散や協力が行われておりまして、そういう観点で、イランにそういう話もあればイラクにそういう話もありまして、米国にとって、一番彼が恐れているのは、国際テロ組織などがそういう国に入り込んでいろいろな技術や資金を拡大するという、いわゆるそういったテロと連携をするということにも非常に危惧をしております。  そういう意味で、まさに世界の安全保障秩序というのは、これは一見米国の問題に見えるようでありますが、米国自身の影響力が低下した場合にどういう世界になるかと考えるだけでも、大変大きな混乱が予想されますので、日本自身の問題でもありますので、やはりグローバルな意味で日米間で協力をしていく。米国が揺らげば、現実的には世界の警察官が不在になって、大変不安定な状況も出てくるというような観点で政府としても判断をしていったんじゃないかと思います。  そういう観点で、世界の安全保障を維持するというのは、他人事じゃなくて日本自身の問題であるので、何らかの貢献をしていく必要があって、それにおいて、大もとの憲法をいま一度しっかり見直していかなきゃいけないというふうに考えるわけであります。
  63. 松本剛明

    松本(剛)小委員 若干私が申し上げたことに誤解があるのではないかと思うので、もう一度発言をさせていただくのですが、冒頭に、法の支配、法治という言葉を申し上げましたように、この日米安保条約イラクの問題で引っ張ってくるのはおかしいのではないかということを若干申し上げた。  先ほど、日本の国益上どこまでかかわるべきかというような御意見もありました。これは当然議論の余地があるだろうというふうに思いますが、それと、今、条約条約としてというお言葉もありましたが、条約を根拠にするのかどうかということは、まさにここをどう決めるかというのをきちっとした上で次のステップへ行くということではないかというふうに思っております。  これは、先ほど申し上げた政策判断と、そして法には規範性もあるわけでありますから、そこをどうするかということ、これを整理せずにここまで来たことが、毎回大変場当たり的な形になった、まさに悲劇ではないかという気がいたしますし、自己完結的な自衛隊派遣すると言いながら、イラクまで武器弾薬はロシアの航空機が派遣をするという、大変、自己完結とも言いがたいような状況にもなっている。  今回、本隊はオランダ軍の護衛を受けないそうでありますが、これがもし自己完結でなければならないという、極めてそういう要請に基づいて、本当は護衛を受けた方が安全であるにもかかわらず、形を整えるためにもしそういうことになったとすれば、これは大変自衛官の皆さんにとっても気の毒なことでもあり、しっかりとそういった法律を、議論を踏まえて、その議論にたえながら法を整えた上で行動するという形をとるべきではないかなということを申し上げておきたいと思います。  集団自衛権の固有性については、これは大変意見が分かれているところだということは、もう先ほど申し上げたとおりですので繰り返しませんが、ダンバートン・オークス提案から修正をされたということは私も理解をしておりますが、国際司法裁判所で国際慣習法上の権利として認められたということも、あえて申し添えておきたいと思います。
  64. 大村秀章

    大村委員 先生方もいろいろな思い、いろいろなお考えでいろいろな議論がどんどんいっておりますが、一点、集団的自衛権も含めてちょっと意見を申し上げたいと思うんです。  日本安全保障を考えていく上で、私最初に申し上げたんですけれども、一つはやはり自衛隊を明確に位置づけていく、そしてそのことが、機能として防衛と国際平和ということ、もうこれは基本だろうというふうに思いますし、そのことは議論を積み重ねていく中で徐々に徐々に集約をしていっていただいて、この委員会、そしてまた調査会におきましても、一定の方向がいずれ、ある程度の期間で出ていただけるものと、これは期待をし、確信をいたしております。  その際に、どうしてもそれを機能的に、そしてまた実効的にしていくためには、いろいろな経過はあるにしても、国連憲章五十一条に認められている集団的自衛権は、やはり国としての、国家としての基本、自然的に認められている自然権だろうというふうに思うのが自然だと思います。  ですから、そういう意味で、本来あるものを、これをあるということを認め、そしてそれを使う、またどういう場合に使うかはその時々の判断であるわけでありますから、そういう意味で、そのことが、そもそも使えないというのは、やはり私はおかしいと思いますし、いわゆる周辺事態も含めて、また日本の防衛も含めて、そしてまた、これから海外の国際平和協力業務が続いていく、そういったものが有機的に、実効的にやられていくためにも、やはりそれは必要だろうというふうに思うわけでございます。  そういう意味で、これも基本的には私は、憲法改正の中で、憲法の中に明示的に位置づけていくということが必要だと思いますが、それが時間的にかかるということであれば、先ほど私、松本委員そしてまた中谷委員にもお伺いをしたんですが、これを、ある期間区切って政府解釈政府解釈でこれまで、保有はしているけれども実行できない、行使できないということにしたわけでありますので、期限を切って、国会を中心議論をして、政府解釈で変更したらどうかということを申し上げさせていただきました。  その際、先ほど河野委員が、基本法法律をつくる中で明示的に示すべきだというふうにも言われました。私も、それも一つの方法だろうというふうに思います。  ですから、政府解釈議論して、解釈の中で変更していくということも一つだろうと思いますし、その一つのあかしとして、いわゆる安全保障基本法日本としての安保基本法というものをつくるということの中で、憲法議論と並行的にそれを進めていくということも必要じゃないかなというふうに思うわけでございます。  そのことも、また引き続き、この委員会、そして調査会の中でも申し上げながら、ぜひそういった議論を深め、そして肉づけをどこかの場で、どこかというかこの場でですか、していけるようにできたらなと思います。  最後に、別にこんなことは言っても言わなくてもどうでもいいんですが、松本委員がさっき言いました、自己完結能力を持つ自衛隊と言いながら、ロシアの飛行機をチャーターした。これは、現実に今、足の長いものがないので、そういう意味で、ただ単にチャーターをしたということだけだと思いますので。別に揚げ足をとるつもりはありませんが、そういうふうになると、では、もっと足の長いものを、自衛隊、用意すべきじゃないか。そのこともあわせて、これは当然これからの議論になってくると思います。そのことが、より有効的に、効果的に、実効的に、国際平和協力業務ができるようになるんじゃないかということにもつながってくると思いますが、その辺も含めて、これからもこういった議論を進めていきたいと思います。  以上です。
  65. 近藤基彦

    近藤委員長 他に御発言がございますでしょうか。  それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後四時二十八分散会