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2003-03-20 第156回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十五年三月二十日(木曜日)    午前十時三分開会     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         陣内 孝雄君     理 事                 木村  仁君                 谷川 秀善君                 保坂 三蔵君                 山下 英利君                 郡司  彰君                 齋藤  勁君                 山本  保君                 大門実紀史君                 平野 貞夫君     委 員                 愛知 治郎君                 有馬 朗人君                 泉  信也君                 国井 正幸君                 後藤 博子君                 清水嘉与子君                 世耕 弘成君                 田中 直紀君                 田村耕太郎君                 伊達 忠一君                 段本 幸男君                 山下 善彦君                 朝日 俊弘君                 佐藤 道夫君                 櫻井  充君                 高橋 千秋君                 辻  泰弘君                 藤原 正司君                 円 より子君                 峰崎 直樹君                 若林 秀樹君                 福本 潤一君                 松 あきら君                 森本 晃司君                 井上 哲士君                 紙  智子君                 林  紀子君                 平野 達男君                 森 ゆうこ君                 福島 瑞穂君    事務局側        常任委員会専門        員        吉田 成宣君    公述人        一橋大学大学院        経済学研究科教        授        岩本 康志君        株式会社リクル        ートワークス研        究所所長     大久保幸夫君        帝京大学法学部        教授       志方 俊之君        松阪大学政策学        部教授      浜谷 英博君        岩手県立大学社        会福祉学部助教        授        鈴木眞理子君        専修大学名誉教        授        熊野 剛雄君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○平成十五年度一般会計予算内閣提出衆議院  送付) ○平成十五年度特別会計予算内閣提出衆議院  送付) ○平成十五年度政府関係機関予算内閣提出、衆  議院送付)     ─────────────
  2. 陣内孝雄

    委員長陣内孝雄君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。  本日は、平成十五年度一般会計予算平成十五年度特別会計予算及び平成十五年度政府関係機関予算につきまして、六名の公述人方々から順次項目別に御意見をお伺いしたいと存じます。  この際、公述人方々に一言ごあいさつ申し上げます。  お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、誠にありがとうございます。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。  本日は、平成十五年度総予算三案につきましてお二方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じておりますので、どうかよろしくお願い申し上げます。  なお、本日は、各委員会が同時に開会しておりまして委員の出入りが多くございまして、公述人先生方には大変失礼をいたしており、申し訳ございません。委員長より一言おわび申し上げます。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただいた後、委員の質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、財政税制について、公述人一橋大学大学院経済学研究科教授岩本康志君の御意見を伺います。岩本公述人
  3. 岩本康志

    公述人岩本康志君) 岩本でございます。本日はこのような機会を与えていただき、大変ありがとうございました。  まず、平成十五年度予算の成立前に当たりまして私から申し上げたいことは、我が国財政状況は極めて深刻なものであるということでございます。十五年度の一般会計予算ですと、歳出総額は八十一・八兆円なのですが、その中で租税及びそのほかの、印紙収入が占めるものが四十一・八兆円と約半分程度にすぎないということでございます。支出の約半分ほどしか収入がなく、残りを借入れに頼っているという状態といいますのは、家計や企業であればとっくにもう破産しているような状態でございまして、このような深刻な状態をこのまま続けていきますと財政持続可能性というものの信認が失われて、やがて国債の暴落、最悪の場合にはデフォルトにつながりかねないという、そういう懸念があるということでございます。  しかしながら、現在の経済状況をかんがみれば、財政としてできる限りのことをするということで、このような財政収支ギャップというものが容認されるということになろうかと思いますけれども、これからの議論の中で大事なことは、現在は非常に困難な状態にあるんですけれども、これをいかに脱却して、将来、財政を健全な姿に戻していくかという、そういう中長期的なシナリオというものをしっかりと検討して、それを説得的な形で国民に示し、さらには、その国債購入者に示すということが必要であろうかというふうに考えております。  そのために政府が用意した文書といたしましては、今年の一月に出されました「改革展望」というものがございまして、その中で、財政の今後の運営につきましては二〇一〇年代初頭にプライマリーバランス黒字化を目指すということが書かれております。これをどのように実行するのか、そのためには歳出税制をどうするのかということにつきましては、やはりまだ文書の説明が足りないのではないかということが、私は懸念しております。したがいまして、これからその財政をどのようにして健全な姿に戻していくのかということにつきましてもっと議論を深めていくことが必要ではないかというふうに考えております。  当面の状況に戻りますと、現在、日本経済は非常に長期の低迷を続けているわけなんですけれども、私は、その原因は構造問題に大きなものがあるというふうに考えております。とりわけ二つの問題が重要であるというふうに考えております。  第一番目の問題といいますのは、今、日本では長期的なトレンドとして産業構造の変化というものが起こっており、それに対応していかなければいけないということでございます。  お手元資料の二ページのところに資料1といたしまして我が国就業者数産業別に示したグラフを用意いたしました。右側の方が最近の事情に当たるんですけれども、これを見ますと、九〇年代といいますのは製造業就業者が持続的に低下しているということが表れております。これは言うまでもなく経済空洞化現象でございまして、すなわち、製造業生産拠点が海外の方に移り、日本でこれまで製造業に従事した人たちが職をなくしていっているという状態でございます。このような長期的なトレンドというものはもはや止めることはできないものであろうというふうに私は考えております。したがいまして、いかにして、こうやって失われた、製造業で失われた雇用というものを別の場所、恐らく成長産業として考えられるのはサービス業の中に含まれるものなんですけれども、それに転換していくかということが必要であろうかというふうに考えております。  しかしながら、この転換、非常に困難な構造問題でありまして、政府が何を、政府が何ができるかということからいきますと、かなり対応策としては限られたものになるだろうというふうに考えております。すなわち、新しい雇用の創出なんですけれども、これについて今まで政府が何をしてきたかといいますと、公共事業を増やしまして雇用を支えてきたという側面があります。これは、このグラフの中で建設業就業人口が九〇年代にずっと上昇していたということが表われております。  しかしながら、これは後ろ向きの対策でありまして、本来は日本経済を牽引していくような強い産業労働力をシフトさせていくということが必要でございます。しかしながら、そういう強い産業を見付け出し育成するということは必ずしも政府が得意とするものではございません。むしろ、強い産業というものは政府が手取り足取り育てなくても自ら育っていくものでなければいけないということでございます。ですから、政府が積極的に雇用のところに貢献する余地というのは私はかなり小さい、政府ができることは民間経済の活力の足を引っ張らないことであろうというふうに思います。その中で、持続的な失業者発生というものは避けられないわけでありますけれども、それについては冷静に構造問題として対処していく必要があろうかと思います。  もう一つは、経済成長速度が九〇年代に入って鈍化しているということでございまして、これからの日本経済成長巡航速度といいますのは、専門家の見解ですと大体二%程度だろうと、年間成長率で二%程度だろういうふうに言われております。  二%の経済成長といいますのは、すべての企業が二%で成長するということではございません。厳しい市場競争がございますので、うまくいっている企業は四%で成長するかもしれませんけれども、普通の企業はそのまま横ばい、ゼロ%成長かもしれないし、運が悪い企業マイナス成長になるかもしれない。そういった形で、二%で経済成長する中ではいわゆる負け組企業というものが現れてきて、そこから失業者発生するということも避けられないわけでございます。したがいまして、持続的な失業者新規発生というものは、日本経済としてはこれからは避けられない問題であろうというふうに思います。そのことは、今失業率が五%台に上昇しておりますけれども、これは循環的な問題だけではなくて、そういった構造的な問題が多く含まれているだろうというふうに私は考えております。  もう一つ大きな問題といいますのは、銀行巨額不良債権を抱えておりまして、それによって金融仲介機能というものが損なわれておりまして、資金がうまく回っていないという状況がございます。これは不良債権問題というふうに言われますけれども、英語ではバンククライシスというふうにもう呼ばれるのが一般的でありまして、これは銀行の経営問題でございます。この銀行の経営問題、小泉政権発足当初は不良債権の処理というものを政策課題の最重要課題として掲げたわけでございますけれども、不良債権オフバランス化不良債権をオフバランス化するということを加速化させて、できるだけ早期に金融仲介機能健全化を図るということが必要であろうというふうに考えます。この部分に関しては、非常に重要な構造問題なんですけれども、政府はそれを積極的に進めなければいけないというふうに考えております。  次に、財政の方に戻りますけれども、この十五年度の予算編成に向けました議論をいろいろと見ておりましたところ、私が感じたことは、歳出削減努力ということを幾つかやっておりましたけれども、どうもその削減努力削減議論の方が前に出過ぎて、財政の本質的な問題というものが余り議論されていないではないかというふうに感じております。  我々が目指さなければいけないのは、財政を健全な姿に持っていくということなんですけれども、そのための距離というのがどれだけあるかということを考えますと、プライマリーバランス黒字化の前にプライマリーバランスを取りあえず均衡に持っていくというふうにしますと、この十五年度予算数値を見ますと、財政収支を二十兆円ほど改善しなければいけないという、そういう数字になるわけでございます。すなわち、収入を増やすなり支出を減らすなりして収支改善を二十兆円図らなければいけないということでございます。  既に増税の話ということも出ておりまして、財界が消費税一六%といった具体的な数字の提言を出されておりますけれども、増税も必要なんですけれども、歳出削減というのもその前に必要だろうというふうに考えられます。これはいろいろと見方によって分かれるんですけれども、粗い数字でざっと申し上げますと、十兆円規模歳出削減というのがこのプライマリーバランス均衡に向けて必要ではないかというふうに考えております。  そうしますと、十兆円を歳出削減するといった場合に、これから取っていくべき戦略というのは二つあります。一つは、今すぐにでも十兆円削減するという、そういう用意はあるんですけれども、もしそういうことをしてしまえば経済に大きな負の影響を与えてしまうだろうと。だから、激変緩和措置として、二〇一〇年代初頭にかけて徐々に歳出を減らしていくという考え方一つございます。もう一つは、どうやって十兆円減らしていいか今のところ全然見当が付かない。したがいまして、毎年毎年いろいろ苦労して、何とか二〇一〇年代初頭にはその削減に結び付けようという、そういう考え方でございます。私は、前の方に述べた考え方の方が整合的な形で財政再建を進められるというふうに思うんですけれども、どうも現状は後者の方であるというふうな気がいたしております。  したがいまして、本来議論すべき、ですから、この問題につきましては、財政を最終的に健全な姿に戻すということであれば、とりあえず足元のこの十五年度予算を眺めてみて、どこをどのように刈り取っていって、そして健全な財政歳出の姿に戻していくかというふうなことをやはりきっちりと検討していった方がいいと。毎年毎年場当たり的に対応するということは必ずしもいい結果を生まないだろうというふうに考えております。  一つ実例を御紹介いたします。  十五年度予算編成の中で義務教育費国庫負担の問題が随分取り上げられました。これは補助金議論の中でこれがやり玉に上がったんですけれども、補助金の中でこの義務教育費国庫負担金というのが最大の金額になっております。それである意味で目が付けられて、それでいろいろ騒いで、結局、約五千億円ほどこの負担金を減らすということで決着が付いてきたわけなのでございますけれども、この国庫負担金の問題といいますのは、後ろには国と地方関係という大きな問題が実は隠れているわけでございまして、これは、小中学校の先生給料を半分が国が、半分が地方負担しているという問題、そういう構造になっております。  しかしながら、この地方の半分の負担に関しましては地方交付税の方で措置されるという、そういう構造になっているわけでありますけれども、同じような、何といいますか、給料補助といたしましては、給料の使い方といたしましては警察官あるいは消防士給料があるわけなんですけれども、これにつきましては全額地方負担ということになっておりますが、地方交付税手当てされるという構造になっております。したがいまして、最終的には地方交付税で国が財源の手当てをしているんですけれども、たまたま半分が国庫負担義務教育職員に関しましては国庫負担金という形で出ていたがためにやり玉に上がって、結局、それでいろいろ議論して削ったということなんですけれども、やはりそういう構造的な問題、本質的な問題には議論が行かず、いろいろ騒いで、大きなところの予算を少しずつ削っていくという、そういう、矮小化と言ってはちょっと言葉はきついかもしれませんけれども、そういった議論にどうしてもなってしまうということでございます。  私は、その本質の問題が議論されていないというふうに言いましたけれども、財政のところで構造改革ということが言われていますけれども、財政構造改革として本質的な問題として議論しなければいけないことは、私は一点に尽きるだろうと思います。それは補助金に依存する体質というものをなくしていくということでございます。  補助金といいますのはいろいろありまして、いい補助金、筋のいい補助金、それから筋の悪い補助金というのがありまして、筋のいい補助金といいますのは、これは配分のルールが決まっていて、あまねく人々に行き渡るような、そういった補助金でございます。これはどうしても政府財政を、手当てをするということで必要だということで取られた、仕組みとしては取られたものでありまして、それがその筋のいい方に入ります。  筋の悪い補助金といいますのは、奨励的補助金という言葉が使われますけれども、選択的に一部の人に与えられる、しかもその配分が官庁の裁量に任されている、あるいはいろいろな圧力が入ったりするということでございます。そうすると、そういう補助金に依存して活動を行ってくる民間部門補助金頼りの民間部門あるいは地方自治体という、そういう甘えの構造が生まれてきます。ここの根を断ち切るということを本当はしなければいけない。  財政というものは、国民からの税金を集めて、すなわち広く国民一般から薄く負担を集めて、それをある特定のところに厚く給付をすると、受益を与えるという、そういう構造になっているわけです。ですから、基本的に利益誘導が起こりやすい仕組みでございます。ですから、このことにつきましては、利益誘導を起こさないような形で、できるだけ起こさないような仕組みを入れていなければいけないということでございます。  最後に、小泉政権構造改革評価について一点触れておきたいと思います。  お手元資料の三ページのところに用意しましたのは、中期展望というものを毎年一月に発表されますが、そこで示されましたその参考、それに関連しました参考資料で示された実質成長率物価上昇率完全失業率数値でございます。  で、まず上に、上段にありますのは、これ二〇〇一と書いていますのは二〇〇一年度、ですから、これは昨年の一月に示された展望なんですけれども、このときは集中調整期間ということで取りあえずは痛みを生じてもいいと、それによって生じても構造改革をするということでございまして、二〇〇二年度の成長率はゼロ%というものを想定した。その後、V字型でもないんですけれども、回復軌道に乗せるという構想であったわけでございます。しかしながら、構造改革というものは十分に進んでいないという形が、一向に進んでいないというのが国民一般評価ではないかというふうに思います。  そのことが実はその数字にも表れておりまして、この改定されました今年の一月に出されました展望では、二〇〇二年度の経済成長率は〇・九%というわけです。見通しよりはいいんですけれども、これは構造改革しなかったがためにこういう痛みを出さなかったということでございます。しかも、それで構造改革を結局一年間、集中調整期間を先送りするということをいたしまして、網掛けで示していますのは集中調整期間なんですけれども、全体に構造改革のスピードが一年間遅れるということでございます。  こういうふうに遅れたことがなぜ生じたかと。いろいろな理由があるかと思いますけれども、やはり今、与党の皆さんの考え方を聞いてみますと、政府考え方とかなり違ったものが表れてきているというふうな印象を受けております。  これは、アメリカのような大統領制で、大統領と議会は別々の選挙で選ばれるということがあれば大統領を支持する政党と大統領が食い違うということが起こり得るんですけれども、議院内閣制の下では、政府与党政府といいますのはこれは内閣政治任用部分なんですけれども、政府与党というのはやはり一体になって政策運営をしていただきたいなというふうに考えております。  今、財政がこういうふうな状況で進んでいくということが許されるのは、構造改革期間中は痛みをできるだけ和らげる緩和措置を取るということだろうというふうに考えております。しかしながら、そうやって一年間巨額財政赤字を作りますと、それは国債の累増という形で後に残ります。したがいまして、猶予期間というのは非常に限られているというふうに考えられます。  したがいまして、本当はこの二〇〇二年度の改定のところでも、こういうことなく、集中調整期間を延長することなく構造改革を迅速に進めていただきたいというふうに考えておりましたけれども、もうこれ以上の延長といいますか、構造改革の遅れというものは許されないのではないかというふうに私は考えております。  以上でございます。
  4. 陣内孝雄

    委員長陣内孝雄君) ありがとうございました。  次に、景気経済について、公述人株式会社リクルートワークス研究所所長大久保幸夫君の御意見を伺います。大久保公述人
  5. 大久保幸夫

    公述人大久保幸夫君) 大久保でございます。  私は、専門雇用労働問題でございますので、少し雇用の視点を中心にしながら、景気経済の問題、お話をさせていただきたいというふうに思っております。  まず、現況の労働市場状況について最初少しお話をしたいというふうに思いますが、二〇〇一年の秋から求人数というのは前年比でいうとマイナスに転じまして、それ以来、求人の伸びというのは低迷を続けております。一部、職安求人数民間の発表しております求人件数の動きに少し回復数字は出ておりますが、これも、公共職安も今、一生懸命、求人開拓努力をしております。また、民間事業者も、一部無料による再掲載等を含めて少しでも多くの求人を紹介しようという努力を続けております結果として、若干求人数、少し上めに出ているところもありまして、実態としては現場関係者見方底ばい状態がまだ続いていてなかなか底離れをしないと、いつになったら底離れをするんだろうかと、こういったのが現場見方ではないかというふうに思っております。もちろん一部の業界には、求人雇用動向回復兆しが出てきているのも見て取れます。  お手元資料の三ページ目に、産業別求人動向というのを一覧表に付けてございます。これを見ますと、例えば電機あるいは自動車というのが求人が復活をし始めてきているという数字が出ておりますが、こちらに関しては、例えば電機であればデジタルカメラやDVDといったものが比較的製造が好調であると、あるいは自動車生産台数も伸びているということが背景にあって求人数一部伸びてきておるわけでありますが、全体を見ますと、まだ相変わらずマイナス成長のところが大変多くて、最も厳しい銀行・証券といったところは求人数は去年と同じ月と比べても半分という状態になっておりますので、全体の求人はまだまだ決して楽観できるほど労働市場回復兆しに入っていないんだろうなというふうに私は見ております。  また、一方、賃金という問題も非常に市況を見る上で重要なんでありますが、賃金は、こちらも二〇〇一年度から明確に賃金が下落する傾向に入っております。  昨日、厚生労働省が発表いたしました賃金構造基本調査の中でも、一般労働者所定内賃金が初めて一%ですか、下がったという発表が昨日されたところでありますが、実は私どもで昨年度、これは首都圏で大規模調査を行いましたところ、この二年間に転職した人は転職によって賃金が二一%下がっているという結果が出ました。これは、企業は現在所属している正規従業員賃金を抑制する一方で、雇い替えるといいますか、新たに雇い入れる人に関しては低賃金の労働者を雇っている、もしくは非正規労働者を雇うことによってコストダウンを図っていると、こういうことの証左であろうと、こういうふうに思います。単純な賃下げだけではない構造的な賃金の下落傾向というのが起こっていると、こういうことが一つ言えるんではないかと思います。  また、残業時間の方でありますが、こちらも昨年から所定外労働時間、残業時間は増えてきております。とりわけ三十代の人たちの残業時間が増えていますね。これは企業調査するのと個人調査するのとかなり違う結果が出るんですが、個人に調査をすると、三十代の人の一六%ぐらいは週六十時間以上働いておるという結果が出てきておりまして、これは過労の問題、心配になってくるところなんですが、一方では、企業調査の方ではそれほど、もちろん増えてはいるんですけれども、それほど大きくは所定外労働時間は増えておりませんで、つまりサービス残業が拡大しているということが現在起こっているのではないかと思います。  この所定外労働時間に対応する残業手当を含めても賃金マイナスになっているということですから、長く働いて給料は少なくと、こういうことが起こっているというのが労働市場であろうかというふうに思います。  また、もう少しマクロ的に労働市場全体を俯瞰いたしますと、バブル崩壊以降も実は労働市場のパイというのは拡大を続けておりました。ところが、一九九七年から八年ごろをほぼピークとして、その後は雇用のパイは膨れなくなりました。大体横ばい状態が続いていると、こういうことになっているわけでありますが、ちょうどお手元資料数字を見ていただくと非常に構造がクリアにお分かりいただけるんじゃないかと思うんですが、九七年からずっと、そう大きく、全体規模は横ばいなんですね。この数年の間に正規従業員、つまり正社員は三百五十万人ぐらい大体減っていると。で、非正規の従業員がちょうどそれに相当する分、三百五十万人が増えているわけですね。差引きでいうとちょうど規模は同じと、こういうことになっているわけでありまして、ついに非正規労働、非正規従業員の比率は三〇%を超えました。特に、ここ数年の非正規の増加というのは、そのスピード、大変目をみはるものがございます。  これは、一つの会社の中で正社員同士が仕事を分かち合うという、いわゆる緊急避難型のワークシェアリングというものは昨年随分議論がされましたけれども、結果的には余り進んでおりませんで、これは各企業がこのようなワークシェアリングが生産性を落とす危険性があるということで、その導入を手控えているということが原因だろうというふうに思いますが、一方で、やや皮肉なことに、オランダがパートタイム労働の雇用を大幅に増やしたように、ある種の社会的ワークシェアリングというものが起こっていると。このことがこの数字の示す裏側にはあるのではないかというふうに私は理解をしております。  また、人材の流動化ということを少しお話をしたいと思いますが、この人材の流動化の状況については特に若年において急激な変化がございます。非常に若い層の転職、離職が増えていると。ここに、例えば十九歳以下の場合に、二〇〇一年で四五・六%の離職率というようにありますが、つまり、これはこの一年間の間にこの世代の人たちは百人いたら四十六人が、四十五人が離職をしているということなんですね。非常に頻繁に職を替えていると、こういう状態が起こっております。また、比較的収入水準の低い人ほど頻繁に転職をしているという結果も出ております。  さらに、雇用不安ということについても触れたいと思いますけれども、我々もこれまた調査をいたしましたところ、正社員においても五三%の方が自分自身の雇用に対して不安を感じているというふうに回答しております。つまり、この先自分自身がリストラの対象になるかもしれないし、あるいは大幅な賃下げの対象になるかもしれない、そういったことに関する不安を感じている。  このように、求人がなかなか回復してこない、そして賃金が低下してくる、あるいは市場相場賃金も下がり傾向だ、残業は増えている、若者を中心に離職は大幅に増えている、そしてまた雇用不安も高いと。なかなかこの労働市場というものが大きな課題を抱えている、抱え続けているということが言えるんではないだろうかというふうに私は感じておるところであります。  このような労働市場状況なわけでありますが、その中で二つ喫緊の課題があるのではないかというふうに感じております。  一つは、失業期間が大変長期化していることに対して対策が必要であろうということであります。これも最新の統計によりますと、失業者のうち一年以上にわたって失業している人の比率が三〇・五%というふうに、三割を超えました。これもこの数年の間に急速に長期失業者比率が増えているという数字であります。  この一年以上にわたって失業しているということは、標準的な雇用保険の失業給付の給付期間が終わっている可能性が高いわけでありまして、これは何も好き好んで就職しないわけではなくて、大変就職活動した結果見付からずに長期化していると、つまり自力で就職するということに関してはかなり難しい状態に陥ってしまった人たちであろうということが想像できます。ところが、現政策によると、これは雇用保険を中心としたセーフティーネットの構造になっておりますので、雇用保険が切れてしまえば、後は実質的にはほとんどその人個人の努力によってしか自分自身の生業を支えることも就職先を探すこともできないというのが現状であろうというふうに思います。ここに一つ重要な喫緊の課題といいますか、政策上の課題があるのではないかというふうに私は思っております。  一つの方策というのは、これはイギリス政府がやっているものでありますが、二〇〇〇年からこれは公の部門と民間部門が連動いたしまして、長期失業に残念ながら陥ってしまった人たち、この人たちは、この人たちを公共職業紹介所から紹介された民間の委託先にいったん移して、そこでもう個人ごとに、パーソナルアドバイジングといいますか、キャリアカウンセラーがその人を徹底的に指導して、またその人に合った求人開拓をわざわざして就職させると、こういうことを始めております。この二年半の間に約十万人強の長期失業者をこれによって就職させまして、今発表されている数字によりますと、イギリス長期失業者は三二%減少したと、こういう成果が上がっております。一律にすべての人に対して一定のセーフティーネットを整えるということももちろん必要なんですけれども、その中でもかなり深刻な状態に陥ってしまった人については、個別の支援というものをもう一段階取る必要があるのではないかというふうに私は感じております。  そして、もう一つの喫緊の課題ということで申し上げたいのは、若年者の失業や無業というものがかなり拡大をしてきておるということであります。最近、頻繁に取り上げられる数字でございますけれども、高校生の卒業者のうち進学も就職もしないという人が一〇・五%、大学の卒業生のうち同じように進学も就職もしないという人が二一・七%、五人に一人という状態まで来ているわけであります。また、これは首都圏調査でありますが、十八歳から二十四歳を対象にした調査でありますが、学校を卒業して最初に就いた職業がフリーターであったという人が三一%に及んでおります。  この状態というのは、もちろんフリーターがすべて悪いとは思いません。フリーターは一種のパートタイマーでありますし、サービス産業にとっては重要な労働力でありますから、一概にフリーターをけしからぬと言うのは正しくないと思いますけれども、ただ、その背景にあるものは、経済的あるいは社会的理由によって余り望ましくない選択の結果フリーターや無業に陥っている可能性があるのではないかということが気になるわけであります。  例えば、これは中高校生に統計を取りますと、いわゆるサラリーマンになるということに関するネガティブイメージといいますか、非常に悪い印象を持っているということが分かります。中高校生にとってサラリーマンというものを感じる場というのは、一つは、新聞やテレビのような報道を通じて、サラリーマンというのは頻繁にリストラをされていると、こういう姿であります。二つ目には、高校生は最近多くアルバイトをいたしますが、アルバイト先でたまたま見掛ける正社員の人たちの姿であります。そしてもう一つは、うちに帰ってくる父親の姿でありまして、この三つのイメージを総合して非常に悪いイメージを持っている。一体自分にとって一生懸命勉強した成果としてつながるプロセスは何なんだろうか、自分にとって仕事をするということはどういうことなんだろうかということが見えなくなってきている。これが学習意欲の低下、就業意欲の低下ということにかなり影響を及ぼしているのではないかというふうに思っております。  そして、もう一つは、高校の求人市場というものが壊滅的になってしまったということであります。高校の求人はこの十年間の間に求人数八分の一になりました。十年間で求人数八分の一というのは、ほとんど市場がなくなってしまったというのに近いぐらいの壊滅的な状況でございます。今現在は高校の就職志望の生徒たちに紹介してあげられる求人がなくて、各高校の先生が授業の合間に自ら求人開拓をして歩いている、こういう状態でありますが、当然先生方自身による求人開拓というのは限界があります。もう行き詰まりを迎えている。このような若年の失業、無業、未就業の状態に対しては早急に手を打つ必要があるというふうに私は思います。  一つは、やはり高校、各高校に完全に任せきりであった高校の新卒の就職市場というものに関して、ちゃんと外部に仕組みを作ってあげるということだろうというふうに思います。つまり、地域にキャリアセンター的な機能を作り、一括して求人も集めるし求人開拓も行う、あるいは必要に応じて民間求人もそこに含めて紹介をしていくという取組が必要でありましょうし、あるいは専門のキャリアカウンセラーを雇い入れて各高校に派遣しながら就職指導に当たる、こういったことも考えなくてはならないのではないかというふうに思います。  また、先ほどサラリーマンに対するマイナスイメージのお話をしましたが、これはもう少し深く言えば、仕事というものを生き生きと生で感じる機会というものがなくなってきているということにつながっていると私は思います。つまり、小中という段階から、本当に自分の専門性を持って自分の仕事にプライドを持って生き生きと働いている人と直接接する機会を作ってあげるような、言わばキャリア教育というふうに言えると思いますが、そのような機会をきちんと開発していくことが求められているのではないかというふうに私は思っております。  さて、これは喫緊の課題として二つを申し上げましたけれども、もう少し長期的な、中長期的に取り組まないと成果の上がらない問題も二つ申し上げておきたいというふうに思います。  一つは、先ほど求人の停滞ということを申し上げましたけれども、求人の停滞以上に私は深刻だと思っているのは、労働市場で求められている能力水準と実際の労働者の能力水準というものにかなりのミスマッチが存在しているということであります。これは、企業経営が求める人材に対する能力というのは、競争の激化に伴って日に日に高くなってきておるわけであります。もう常に即戦力が欲しい、スペシャリストが欲しい、リーダーになり得る人材が欲しいと、こういうふうに思っているわけでありますが、なかなか企業側の人材要件にかなう人たちというのは多くない。つまり、このギャップというものが求人数低迷以上に大きな問題として私は労働市場に降り掛かってきているのではないかというふうに思うわけであります。  つまり、雇用対策というものは、長期的に見るならば、これは人材育成政策にほかならないというふうに私は思っております。とりわけ、社会に出てからの職業能力の教育ということに関しては、これまではすべて企業内教育というものに完全に任せきりでありました。しかし、これは流動化が進めば当然心もとなくなってまいりますし、今現在も企業は確かに企業内教育、熱心にやっておりますが、それは中核的な人材に対するリーダーシップ開発であったりとか、あるいは、現場におけるすぐ学んですぐ使えるといったたぐいの教育が中心でございまして、なかなかすべての人たちに総合的に職業能力を高めるための教育を提供しているとは言い難い状況にございます。これに関して、外側に、つまり社会的に職業能力育成の仕組みを構築していく、あるいはここに対して一定の政策的な予算のシフトをしていくということが必要なのではないかというふうに思っております。  最後に、この労働市場で起こっていることをもう一度俯瞰的に申し上げますと、企業経営としては、競争力を高めるためにも何とか硬直化した人件費について、それを抑制したい、あるいはそこのコストを削減したいというふうな意思を強く持っております。  一方、社会的に見れば、何とか労働投入量といいますか、就業率を高めていくことを考えていかなければならない。既に、十五歳以上人口の中で就業している人の比率は五七%まで低下をしておりますし、あるいは国民全体で見れば働いている人の比率は二分の一以下であります。六十五歳以上の高齢者について言えば、一時期四十数%働いていた人たちは、もう二割を切る就業率まで低下をしてきている。こういうように、就業率低下の問題というのは経済に与えるインパクトが大きいものですから、何とか多くの人たちが働く場を見付けられるような構造を作っていく必要がある。  そして、もう一つ、個々人から見れば、自分の生活感や価値観に合った働き方というものを選択し、自分の満足感を高めていきたいと。この三つをどうバランスを取っていくのかというのが、私はこれは労働市場構造改革の一番本質ではないかというふうに思っております。  なかなか、低経済成長の下では正社員だけでこの需要を埋めるということは不可能でありまして、正社員と正社員の七掛けのパートタイマーという二極化した構造ではない、もう少し多様な、なだらかなワークシェアリングの選択肢を作っていくということが必要だろうというふうに思っております。なかなか多様な働き方の実現といっても、総論賛成、各論反対のぶつかることが多いのでありますが、このことを力強く進めていくことが長期的には重要であろうというふうに私は感じております。  以上、私の意見として申し述べさせていただきました。
  6. 陣内孝雄

    委員長陣内孝雄君) ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  7. 山下英利

    山下英利君 おはようございます。自由民主党の山下英利でございます。  本日は、平成十五年度の予算審議におけるこの公聴会、お二人の公述人の皆さんにおかれましては、お忙しい中、本当にありがとうございます。しばらくの間、トップバッターとしてただいまのお話についてちょっと御質問をさせていただきますので、よろしくお願い申し上げます。  まず、今日明日、非常に緊急度が高いといいますか、大変緊張している中でイラクの問題というのが大変大きくのし掛かっているわけでございますけれども、今、日本の置かれている現状というのを考えますと、イラクの問題というのを除きましても、大変深刻なデフレ経済の中で様々な問題を併発している状況。正に病人でいえば、一つの病気から二つ、三つとどんどん症状が広がってきてしまって、本当にそれを治すにはどこから手を付けていいんだろうかというふうな思いもするわけでございます。  岩本公述人にまずお伺いを申し上げたいんですが、常々、今まで日本はデフレ経済であると。そして、骨太の方針にも書かれておりますとおり、とにかくこのデフレ経済を克服しなければいけないと。この平成十五年度予算の中にもデフレ対策というものが盛り込まれているわけですけれども、まず、デフレの原因はどこにあるのかということがやはりはっきりと見えていない部分もあろうかというふうに思います。  まず、もちろん、空洞化、それからやはり将来の不安というようなところでの消費意欲が落ちているというのも一つの原因でしょうし、そしてもう一つは、やはりバブルが崩れた後の要するに資産デフレというものが止まらないと。正にイタチごっこのような感じで、もうこの資産デフレを止めるためにはどうしたらいいのか。それから、構造的ないわゆる景気循環、これに手を付けるにはどうしたらいいのか。その辺がはっきり見えてこないというところが、私は、よく言われております小泉内閣改革の中身が見えてこないというところにもつながってくるんではないかなと、そういうふうに思っているわけですけれども、まず、岩本先生、大きく分けてデフレの原因って何でしょう。
  8. 岩本康志

    公述人岩本康志君) デフレという言葉には二つの意味が込められておりまして、物価が下がるということと、あと経済活動が悪くなるということなんですけれども、基本的に分けてお話ししなければいけないというふうに思っております。  まず、経済活動の低迷の方なんですけれども、これにつきましては経済学的に分析しますと、循環的な要因、有効需要が不足しているというふうな要因の考え方と、もう一つ構造問題であるという考え方がございます。  私は、構造問題のことを先ほど御指摘しましたけれども、こちらの方がより深刻で決定的な問題だというふうに考えております。もし循環的な需要不足でありましたら、それは財政金融政策によって埋めて、また需要が回復するのを待つということで対策を打つわけなんですけれども、それに関しましては、もう既に我が国は、財政政策は、これだけの財政赤字を生み出して需要を生み出している。そして、金融政策に至りましては、もうゼロ金利まで金利をもう下げているということでございます。したがいまして、その循環的要因への対処はもう我が国は既に十分やってきている、それにもかかわらず低迷しているということであれば、そこには構造問題があるんだというふうに考えなければいけない。  そして、私は先ほど御指摘しましたように、やはり金融仲介機能の低下、これによって信用収縮が起こっております。中小企業への貸し渋りということも、貸しはがし、貸し渋り、貸しはがしということも起こっております。これによって経済活動が萎縮しているという側面がかなり大きく出ているというふうに考えております。  したがいまして、この経済活動低迷を脱出するために政府が何をやるべきかということであれば、まず一番、非常に大きな問題なんですけれども、取り組まなければいけないのは、不良債権銀行が抱えているという問題を何とかしなければいけないというところにあろうかと思います。  デフレの問題なんですけれども、景気が悪くなると物価が下がるという局面がございます。しかしながら、もう持続的な物価下落はこれだけ生じておりまして、中でも二〇〇〇年は少し経済回復、先立ち、回復しておりました。それ以前にも、ITバブルと呼ばれたところでも少し景気だけは上向いたわけであります。循環的に見ますといい状態もあったわけなんですけれども、そういった中で現在、この持続的な物価下落というのが生じているということなんです。  これは、実は逆説的になるかもしれませんけれども、ゼロ金利が原因だというふうに考えております。どういうことかといいますと、ちょっと専門的になりますけれども、フィッシャー方程式という考え方がございまして、そのゼロ金利の下で、しかしいろいろ投資をすれば実質金利というものはある程度正の値にならなきゃいけないという実は関係がございまして、そうしますと物価が下落していないとインフレ率と名目金利と実質金利の関係が合わないということがございます。  ゼロ金利がデフレの原因だというふうなこと、ちょっと分かりにくいかもしれませんけれども、この問題をデフレ脱却、物価下落から脱却するにはどうすればいいかということで考え直しますと、例えばインフレ率につきましては一ないし三%とかが望ましい数値と言われていますけれども、仮に二%というふうにしておきましょうか。物価上昇率が二%、それで実質金利もある程度正の値、例えば二%ということにしておきますと、そのときに必要な名目金利というのは四%であります。  したがいまして、デフレ脱却のために必要な名目金利というのは今よりも高い水準、四%ということになる、長期的にはそうなるということなんです。ゼロから四%のところに持っていくという、そういうふうなパスというものをうまく作らないと、実はデフレ脱却にならないということでございます。  ゼロ金利のままずっと続けておきますと、その間実質金利が正でありますと、デフレはずっと継続するということでございます。デフレが継続しますと、名目で固定されている債務というものがこれは借り手に対して負担になりますから、それが更に深刻な問題を起こすということであります。  したがいまして、そうすると、私が先ほどの公述で申し上げたことと今申し上げたこと、実は長期のあるべき姿から、先のことから逆算して今何をすべきかということを考えていこうということでお話ししているわけでございますけれども、そのようなことから見ますと、今必要なのは、デフレを脱却するためにはとにかくマネーサプライを増やさなければいけないということになってくるかと思いますが、マネーサプライというのは不良債権問題がございましてなかなか増えないという状態になっております。  したがいまして、手順としましては、まず不良債権問題をしっかり片付けて、それから、手順としては同時でもいいんですけれども、マネーサプライを引き上げるような日銀は金融緩和を続けるということになろうかと思います。とにかくそういうことを地道ですけれども続けていけば、やがて経済は上向いていくのではないかというふうに私は考えております。
  9. 山下英利

    山下英利君 どうもありがとうございます。  今の先生お話を伺っていますと、最近よく言われる話でインフレターゲット論というところにちょっと御質問をさせていただきたいなと思うんですが、私自身も、これ、インフレターゲットというのは世界でもだれもやったことがないというふうな政策リスク、これを本当に取っていいんだろうかというところで相当悩むというか、じくじたるものがありまして、そして言ってみればそれをやらなくて、ほかの手だてを打って金融政策というのがうまく循環していく手だてはないんだろうか、そんなことを考えているわけであります。  今、財政政策と金融政策、これは車の両輪でやっていかなければいけない。だけど、今、岩本先生がおっしゃったように、金融政策でもってデフレを解消するといったところでの金融仲介機能回復するといった場合でも、金融仲介機能、すなわち信用リスクが取れるようにするためには、これは財政政策というか景気刺激、これはして少しでも企業に活力を与えないと、取れるリスクも取れないのではないかなというふうなところもよく言われるわけなんですけれども、その辺のところ。  それからもう一つは、最近よく言われる言葉で、中国はデフレを輸出しているんじゃないかと。要するに、空洞化も含めて、中国は世界の工場と言われておりますけれども、そこでどんどん生産がいくことによって安いものがどんどん入ってくる、ユニクロ現象のような形で。そうなったときには、むしろその外的な要因でデフレが進行しているというようなところも否めないのではないかと。そうした場合には、今度は財政、もちろん金融政策の中で、じゃ為替の政策というのはどういうふうに持っていけばいいのか、その辺のところのお考えがもしありましたらお聞かせいただきたいと思います。
  10. 岩本康志

    公述人岩本康志君) その辺りの財政金融政策の在り方というのは、学会でも非常に激しい論争が起こっているところだと思います。  今御質問のありましたような考え方不良債権を処理するにしても、こういうデフレ環境で処理すれば損失が膨らむだけだと、もっと景気が良くなってから処理した方がいいというふうな、そういう考え方はたくさんの方、多くの方がおっしゃっているわけなんですけれども、しかしながら実行可能性がどれだけあるのかということを考えますと、私は、そういう形で問題を先送りしていくことが更にデフレを進めて、今よりも要するにもっと大きな費用で処理しなければいけないということになる危険性の方が高いのではないかというふうに考えております。  しかし、この問題は、不良債権の処理の問題はもう既に十分先送りされてきているわけです。もしこれを二年前、三年前あるいは五年前でも処理していれば今処理をするよりもはるかに小さな費用で済んでいたわけでございます。  したがいまして、今このままほっておけばどんどんデフレは進むだろうという状況に私はあると思います。そうすることで、そういう状態でありましたら、これは先送りしてまた別の可能性が出るというギャンブルをするのではなくて、もうこの段階で損切りをするといいますか、はっきりと決着を付けてしまって、出すべき、ある程度の公的な負担も必要かもしれませんけれども、そういったものを、出すべきものは今しっかり出しておいて、もうリスクから、この問題のリスクから決別するということが求められているのではないかと思います。それがその御質問にありました、国民が抱えているリスクを少しでも解消するということにつながるのではないかというふうに考えております。  中国の影響ということなんですけれども、これにつきましても、考え方はいろいろあるんですけれども、私の考えているところですと、これ、為替レートで基本的には調整が可能な問題だというふうに思っております。したがいまして、必ずしも中国が日本のデフレの原因とは限らないというふうに思っております。  しかしながら、今デフレは世界的な現象になりつつあるといいますか、そういう世界じゅうがデフレになるという危険性があろうかと思います。それは、世界じゅうが金融を緩和しておりまして金利がどんどん下がっているというわけでございまして、低金利ということがそのまま物価の下落ということに実は長期的にはつながっているということになっておりますので、そういった問題でも世界的な現象というのは表れてくるのではないかというふうに懸念しております。そのためにも早く日本はデフレから脱却することが必要だろうというふうに思っております。  そして、為替レートなんですけれども、円安にもし誘導することが可能であれば、それは日本経済にとってはインフレ要因に働くということでありますので、それは一つの重要な可能性として考えられるかと思います。しかしながら、これを政策的に余り誘導しますと、これは外国にとっては迷惑を掛けるような政策になりますから、自然な形で円安が進むということであれば、それを容認するといいますか歓迎するという、そういうスタンスで臨めばいいのではないかというふうに考えております。
  11. 山下英利

    山下英利君 どうもありがとうございます。  次に、財政についてお聞かせをいただきたいと思うんですけれども、先ほど岩本公述人の方から十兆円規模歳出削減と、それをゆっくりソフトランディングを目指していくのか、あるいはもう時間は限られているということでドラスチックにいくのかという話の中で、先生先ほど、金融機関の不良債権の処理問題も含めて、やはり今やってしまわなければこの構造改革の実は出てこないというふうな形で私もお聞きをしたんですけれども、そこで私からの質問は、じゃ実際十兆円規模歳出削減、これ、どの程度ドラスチックにやっていくのかということと、それから、そのときに実体経済ではどういう影響が出てくるのか、大体先生のお考えをお聞かせをいただきたいと思います。  それともう一つは、地方分権これから進めていくという中で、補助金政策、これをその体質の脱却をしていくということでありますが、要するに均衡ある国土の発展ということの大前提の中でやはり地方というものを見たときの今までの補助金政策をこれから変えていく流れの中では、やはり税制というものも大きい部分であると思います。税制税制度、今回の予算の中では、まず国の大きな財政の中で多年度中立という考え方、これが導入されたということもありますけれども、やはりこれから地方ということを考えますと、地方にいかにいわゆる裁量と申しますか、地方独自の特色を出してもらえるような形での財源を移し替えていく、そういった流れの中で直間比率の問題、あるいは国税と地方税の問題、その比率の辺りをこれからどういうふうに見ていったらいいのかということが大変ポイントになるのではないかと思いますけれども、その二点につきましてちょっとお考えをお聞かせください。
  12. 岩本康志

    公述人岩本康志君) 歳出削減につきましては、少し私の説明がまずかったかもしれませんけれども、私が申し上げたかったことは、十兆円をこれから十年掛けて削減するといった場合に、しっかりした海図といいますか、どういうふうに減らしていくのかというそういうプランを持って進むのと、そうではなくて場当たり的に進むのとどちらがいいやり方であるかということを選択しようとした場合、やはり前者の方がいいのではないかというふうなことでありまして、例えば来年度予算で十兆円直ちに削れということになりましたら、これは大変なことになるから、そういうことはすべきではない、そういうことをしない、激変緩和措置として徐々に減らしていくのが望ましいのではないかということを私は申し上げました。まずそれが私の意見でございます。  そうしますと、十兆円の中身なんですけれども、これを正に皆様方に、国民それから国会それから政府でしっかりと検討していただきたいなというふうに考えております。  私の意見を少し申し上げますと、今一番大きな項目というのはこれは社会保障費なんですけれども、これをじゃ絶対額で減らしていくということは不可能ではないかというふうに思っております。既に年金の国庫負担をこれ引き上げますとそれだけで膨らむわけでありますが、それ以外にも、高齢化が進むわけですから、需要というもの、社会保障費に関する需要というものはこれから増えることはあっても減ることはないということでありますから、この部分に関しましては減らすということは恐らく無理ではないかというふうに考えております。  そうすると、そのほかのところで重点的に考えなければいけないことといいますのは、一つ公共事業、もう一つは先ほど言いました補助金の問題だろうと思います。そのほかにも、あらゆる項目につきまして議論といいますか、その削減をすべきかどうかということの議論が必要ではないかというふうに考えております。  税制地方の問題なんですけれども、私が補助金依存体質と問題点と指摘した一つには、地方がやはり交付税に頼っているという、それから補助金に頼っているという、そういうふうな状態があります。すなわち、地方を自立させるような仕組みに転換することが必要だろうというふうに考えております。そのための考え方、基本的な考え方は極めて簡単なものに尽きると思います。すなわち、地方の仕事と国の仕事をはっきり仕分すると、そして地方の仕事はもう地方の財源として最初に地方が税収を集めると、それで国の仕事は国の財源として国が集めると。国から地方に変な形でお金を移転するというふうなことはできるだけやめようというふうな方向で考えていけばいいのではないかというふうに思っております。  以上でございます。
  13. 山下英利

    山下英利君 どうもありがとうございます。  岩本先生にはもう一点御質問させていただいて、その後大久保先生の方に移りたいと思うんですけれども、今この平成十五年度の予算を審議するに当たって、要するに財政の再建と景気の浮揚と車の両輪だということで考えているわけなんですけれども、じゃ、どちらを優先すればいい、優先しなければいけないかと言われた場合には、先生はどちらだというふうにお考えでいらっしゃいますか。
  14. 岩本康志

    公述人岩本康志君) 十五年度の予算につきましては、私は景気に対して十分このスタンスで配慮しているというふうに考えております。  したがって、今、政策の手順といたしましては、先ほど申したとおり、構造問題の対処をしっかりとするということ、そのために痛みが生じるんでしょうけれども、そのための手当てとして財政金融政策はしっかり支えるべきだろうと思います。それが構造不良債権問題の改革が終わった後に財政再建というのを進めるというそういう手順だろうと思います。  ですから、優先問題ということでいきますと、まず景気の問題を考えて、財政再建というものを今から、今急ぐ必要はないと思います。逆に今年度予算につきましては、少しいろんな面で財務省の方ではこの再建の方に急ぎ過ぎているかなというふうな、そういった、何といいますか、感触は私は持っております。したがって、まず最初に経済回復ということにしっかり努めるべきだろうというふうに思います。
  15. 山下英利

    山下英利君 どうもありがとうございました。  やはり景気を少しでも浮揚して患者の体力を少しでも付けていかなければ手術もできないということではないかと私は思っております。  続きまして、大久保先生の方に、今の労働市場の点につきましてちょっと御質問をさせていただきたいと思います。  先ほどお話のあったとおり、今の失業の中にはミスマッチがありますと、要するに特に若年層での失業という問題が大変深刻になってきているということであります。それで、一方では企業のリストラによって中高年齢層の失業者という形の、要するに言ってみれば中身の若干違った失業者が存在していると、そのような状況にあろうかと思いますけれども。  この今の失業問題を考えるに、それぞれにおいてやはり手だてを尽くしていかなければいけないと思いますけれども、長期の失業になった場合にやはり一番生活面で厳しいのは中高年だというふうに思っているんですけれども、中高年の失業者にちょっと的を絞りますと、今の状況というのは先生はどういうふうにごらんになっていらっしゃいますか。
  16. 大久保幸夫

    公述人大久保幸夫君) 若年、中高年、二つの問題がございますが、規模は圧倒的に若年の方が大きいんだろうというふうに私は思います。ただ、おっしゃるとおり、中高年というのはこれは生活を支える人でもありますので、そのことに関してはケアする必要があると。  ポイントは、中高年は現在の会社を退社してから初めて対策を取るということではなかなか困難であると。つまり、在職中における次の行き先を見付けることの支援というものをやっぱり中心にまず置くべきなんだろうと。事実、早期退職優遇制度等を利用して離職した人たちの多くが長期失業者になっているというケースがございます。ここに政策の軸足を置いた上で、それでもなお先ほど申し上げたとおり長期失業に陥ってしまった人たちに対して個別のカウンセリングを含めた対策を取っていく、このバランスが私は大事なんだろうというふうに思っております。
  17. 山下英利

    山下英利君 どうもありがとうございます。  その中で、要するに政府が、セーフティーネットとして政府がやるべきこととそれから民間がやるべきことと、その辺のところをきちっと区分けをしていかなければいけないと、そのように思っているわけです。  それで、確かに長期の失業者に対する対策という中にあって、もちろん雇用保険、そういったものを延長するということもあろうかと思いますけれども、一方ではやはり再就職、実際に職に就くというところでの職業指導というのが非常に大きい部分を占めているんではないかなと私は思っております。  中高年の方は、ですからそういう形で何とか、もう家庭を支えるということで考え方もできている人が多いと思いますので、それは自分の希望と違う職種であっても何とかそこへ入り込んでいこうという気持ちが大変強いと思いますので、それはそれで一つの方向としていろんな手だてを考えていけばいいのかなと思うんですけれども。  若年層については、要するに今まで終身雇用制という日本での形で、実際会社に入って、そしてOJTで積み上げていくと。特に大企業なんかの場合には、そういう形での、なかなか中途採用という形での活性化というのはなかった。その代わり純粋培養によってその企業のカルチャーをしっかり身に付けた戦力を養っていったと。今、正にそれが崩れちゃっているわけなんですけれども。  私、自分自身で考えても、やはり就職するときに、就職活動の先生と話をしたときに、じゃ自分が将来何をやりたいんだというふうなところが、確たるものを持っている学生というのは、自分のことを言うわけではないですけれども、余りなかったんではないかなと。でも、それが、それで従来は進んできてしまった。ただ、今はそういう形ではないと。一つ言えるのは、終身雇用制の時代にやっぱり一つの方向として、大学出れば仕事が就ける、だからとにかく大学行けという流れがずっと来ていた。  今やはり我々がもう一度考えなきゃいけないのは、物作りと言われている中で、先ほど先生がおっしゃったような高校での求人が非常に少なくなっている、これを回復しなきゃいけないということがありますので、教育という面でのいわゆる官民の連携というところだけ、もう一つ、もう一点、もう一回先生からお言葉をいただいて、それで私の質問を終わらせていただきます。
  18. 大久保幸夫

    公述人大久保幸夫君) 企業経営者も仕事に就く以前の教育に関してより積極的に協力、関与をしていく必要があるということを多くの方々がおっしゃり始めておりまして、正しくその点重要だと思います。大学生全員がホワイトカラーに就ける時代ではございませんので、こういったものがもう少し早い段階から、先ほどキャリア教育というふうに申し上げましたけれども、いろんな選択肢があるということを示すことが必要だと思います。
  19. 山下英利

    山下英利君 どうもありがとうございました。
  20. 高橋千秋

    ○高橋千秋君 民主党・新緑風会の高橋千秋でございます。  今日は、お二人、お疲れさまでございます。どうかよろしくお願いしたいと思います。  まず冒頭に、今十一時十分でございますが、既にアメリカの最後通告も制限を過ぎまして、一時間ぐらい過ぎましたが、まだ開戦はしていないようでございますけれども、今日二十日という日は非常に大きな意味を二つ持っていると思います。今日にもイラクの戦争が始まるのではないかとも言われておりますし、それから日銀の新体制が今日から正式に始まるという、そういう重要な日でございますけれども、正に今を象徴しているようなそういう日ではないかなと思います。  この財政再建構造改革というお話、今もありましたけれども、この戦争ということで、今まで必死にいろいろ銀行も増資をしたりいろんなことをやりながらやってきたこともこの戦争でぶっ飛んでしまうのではないかというような意見も言われております。  戦争ということですから、先が見えませんし、なかなか予測をしづらいことでありますけれども、このことによって、先ほど岩本公述人の方から財政再建の話、構造改革の話ございましたけれども、かなり影響が出ると思いますし、先ほど十兆円を十年で減らしていくというお話ございましたけれども、こういうことも含めて、先行きどう考えていけばいいのか、この戦争についても含めてどう考えていけばいいのかというのをまず岩本公述人の方からお伺いをしたいと思います。
  21. 岩本康志

    公述人岩本康志君) 私が十年という長い期間で話をしており、しかも現在は非常に困難な状況にあるということでございまして、要するに、現在は財政はむしろ拡張が必要であるが、将来は縮小しなければいけないということで、両方うまく説明しないと要するに矛盾したことを言っているような形になっているわけでございますが、長期の姿をしっかり描くというところにはもう戦争の影響といいますか、それはない形で描くということになろうかと思います。その状態で考えるということだろうと思います。  イラクの影響といいますのは余りにも最近過ぎまして、しかも不確定要素が大きいものですから、完全に正確に読み切ることは難しいんですけれども、しかしながら、戦争が日本経済に悪影響を与えると、その戦争の帰結の仕方にもよると思いますけれども、負の影響になるということはある程度避けられないことだろうというふうに考えております。  しかしながら、それ以外にも日本経済には余り明るい材料というものは今のところ見当たらないというふうな状況でございまして、すべてをこのまま戦争のせいになすり付けるというふうなことになってはいけないと思いますし、戦争への対処も必要なんですけれども、それ以外の問題にもしっかり対処していくということがやはり必要だろうというふうに考えております。  これによって経済が悪化するかどうかということ、それに対しては対応を取るかどうかということだろうと思いますけれども、これは見極めないとはっきりしてこないと思いますので、今の段階ではなかなか申し上げにくいところがございます。これにつきましては、もう少し様子を見てから対応を考えるということになるのではないかなというふうに思っております。
  22. 高橋千秋

    ○高橋千秋君 もう一つ、先ほど申しました今日という日の日銀の新体制ということで、福井新総裁、インタビュー等を聞いてもかなり意欲を持って頑張ろうということで、私は期待をしたいと思うんですが、事前にいただいた資料等を見ると、財政金融の新たな役割を前提にすると、日銀が財政政策の策定過程に関与すべきではないというようなことをここに資料ではいただいているんですが、この日銀の役割、政府の方はかなり日銀に頑張ってほしいというような、そういう意向が強い発言をよく聞きますし、日銀に何とか日銀に何とかとしょっちゅう出てくるんですね。  ただ私は、これは日銀の独自性ということを考えると、ここにいただいた資料のように余りそこに深く入っていくべきではないというふうに考えるんですけれども、これについてどうお考えでございますか。
  23. 岩本康志

    公述人岩本康志君) 今、政府と日銀の関係なんですけれども、政府は日銀に何かしてもらいたい、それから日銀の方は不良債権問題を政府がしっかり処理してもらいたいということで、お互いに相手にしっかりやってもらいたいという両すくみの状態になっているわけですね。この状態を変えなければいけないことだろうと思います。  それが政府と日銀が一体になってということの意味するところであろうというふうに私は解釈しているんですけれども、そのためには、これは両方が一遍に自分がやるべきことをやるという形で政策対応を取るべきだろうというふうに考えております。  そうすると、不良債権問題をしっかり処理し、なおかつデフレ対策をしっかり打つということだろうと思うんですけれども、私、先ほども申し上げましたけれども、デフレの解消、インフレが起こるためには、マネーサプライを増やそうと思っても不良債権がある限り増えないわけでありますから、不良債権処理抜きでデフレ再建ということはあり得ないというふうに考えております。  一方、デフレを何も日銀がやらない場合、どうなるかといいますと、デフレ対策を何もやらない場合にはどうなのかといいますと、不良債権問題は更に深刻化していくということでありますから、これは不良債権問題は日銀のスタンスにかかわらず、できるだけ早く片付けるというふうなことになろうかと思います。  ですから、これは政府はしっかりと勇気を持って不良債権問題に取り組むと。日銀の方に、何といいますか、これ以上いろんなことをやってもらいたいということで自分のやるべきことをやらないということではなくて、自ら進んでやっていただきたいというふうに考えております。そして、日銀はそれに関して当然協力はいろんなところで必要となってきますので、それをしっかり果たしてやって、さらに不良債権問題がしっかり片付いた後では、インフレがきちんと起こるような形で金融政策を運営していくということをやるべきだろうというふうに考えております。
  24. 高橋千秋

    ○高橋千秋君 岩本公述人資料等を読ませていただいても、構造改革という話がずっと出てまいりますし、先ほどのお話でも構造改革という話がございました。特に、弱い産業から強い産業に労働者をシフトしていくということ、これは大事なことだと思うんですが、私の実家は専業農家なんですが、農家が急にパソコンで事務仕事をやれと言われても、そう簡単にいかないんですね。さっき山下さんの質問でもアンマッチという話がございましたけれども、ミスマッチという話がありましたが、そう簡単にこの構造改革、特に個人の職業を変えていくというようなことはできないと思いますし、そしてそれをやっていくには、小泉さんはいつも、痛みを伴うが構造改革は必要だということをずっと言い続けておられますけれども、痛みだけ感じて結局何にもならなかったというようなことにもなりかねないというふうに思うんですね。  強い産業にシフトしていくというのは大変重要なことですが、今、日本で強い産業というか労働力を必要とする産業というのは、例えばサービス産業にしたってそうですが、今までの製造業というか、そういう製造業の多くの人たちを採用していたところから急にサービス産業へ移るというのもこれは大変なことだし、今必要とされているそういう産業で今まで吸収していた労働人口を全部吸収できるかというと、そこまで必要ない、かなり余ってくるのではないかなというふうに思うんですね。  こういうことについてどう考えられるか、岩本公述人大久保公述人の両方にお伺いをしたいんですが。
  25. 岩本康志

    公述人岩本康志君) 産業構造の変化、就業構造の変化といいますのは、これは政府がそういうふうに誘導するということではなくて、もう既に現に起こっているものであって止められないものであろうというふうに私は認識しております。私の方の資料に示したグラフでも、製造業就業者数がこれだけの割合、これだけの人数で九〇年代に減少をしていっているわけであります。別にこのように誘導したわけではありませんで、こういうことが経済の中の動きとして起こっているわけであります。  それに伴う痛みというものは相当大きいわけでありますが、これを乗り切らないと、その新しい展望は開けてこないというふうに私は思っております。これを止めるといいますか、この製造業就業者数の低下といいますのは、政府が政策的に止めるということをすることは、長期的に見れば日本経済にとってはマイナスの影響になるだろうというふうに思います。  したがいまして、痛みは非常に大きいということは私も重々承知しておりますので、その痛みをできるだけ小さくするようなことはいろいろとしなければいけないというふうに思いますけれども、こういった痛みがもう生じてきているということは、もう日本経済にとって避けられない運命だろうというふうに認識すべきではないかというふうに考えております。  その点につきまして、ちょっとこの資料は、資料が取れる範囲として五三年から取っておりますが、これは長期の姿として日本の就業構造の変化というものを皆さんにお示ししたかったわけなんですけれども、それで、五〇年代で見ますと、農林業の従事者がこれだけの人数でいたわけでありまして、製造業の二倍程度だったわけですね。ところが、これが六〇年代、それから七〇年代の前半にかけまして、農林業の就業者が減って製造業就業者が増えると。日本はこれだけのドラスティックな就業構造の変化ということを乗り切ってきたわけであります。  これがなければ、日本の戦後の経済成長もあり得なかったわけでありますので、このような就業の構造の変化、環境の対応として迫られているわけでありまして、それを乗り切らなければ日本経済の今後の発展というのはないのではないかというふうに考えております。
  26. 大久保幸夫

    公述人大久保幸夫君) まず、雇用の吸収は、そうはいってもサービス産業しかないというのが実態としてはまずあると思っていまして、サービス産業はこの十年間の間に三百数十万人雇用者を増やしているわけであります。そうすると、どうしてもサービス産業に期待せざるを得ないと。  ただし、おっしゃるとおり、ミスマッチは発生する可能性はあると思っておりまして、先ほども人材育成が究極の雇用対策であると、そしてそれは中長期的に結果が出るけれども、着手は今からしなきゃいけないというふうに申し上げたのがそのポイントでございます。つまり、金の問題と違って、人はあしたから急に変えることはできませんので、一定の適正スピードによって産業を移転していくとかいう変化が必要なんだろうと。つまり、適正な時間が掛かるんだろうというふうに思います。  ただし、サービス産業といっても、つまりすべて接客をしている人たちということではありませんで、このサービス産業を発展させていくためには、サービス産業の生産性を向上させていくということが非常に重要なことであります。そのときに、製造業で培ってきたノウハウがサービス産業で生きるということもありますし、またサービス産業の中でも伸び率が著しい、例えば介護、福祉や健康や医療やという問題に関しては、元々まだ十分な専門家がいない領域もたくさんありますので、ここに関してはどちらにしても一からのスタートだというふうに考えれば、そこにおける人材育成を強化するというのも一つの方向性だろうというふうに思います。  もう一つは、公共サービス。これに関しては、日本において公共サービスに携わっている従業員の比率はアメリカのシェアの半分ぐらいだというふうに言われています。つまり、一般の国民の間にはもっと幅広い公共サービスニーズがあるんだと。やり方によっては、ここにおいて大きな従業者、つまりこれは官と民がうまくパートナーシップを組みながら、一部は民営化しながらということもあるかもしれませんが、あるだろうというふうに言われておりますので、ここにもう一つの政策のポイントがあるのではないかというふうに私は思っております。
  27. 高橋千秋

    ○高橋千秋君 先ほどもお話に出ました、公共の部分が採用する、緊急的に採用するということも必要ではないかなと思うんですが、IMF管理下の韓国に行ったときに、かなりの失業者が出て、その失業者方々の救済のために毎日掃除をさせる人を行政が雇っているというような話も聞いたことがあるんですが、財政再建には逆行するかも分からないんですけれども、政府なり行政なりがこういう緊急のときに対応をしなければならない役割というのはかなり重いというふうに思うんですね。その点、大久保公述人、いかがお考えになりますでしょうか。
  28. 大久保幸夫

    公述人大久保幸夫君) おっしゃるとおりなんですが、ただやり方が大変難しいんだろうというふうに思っております。  現在も各都道府県に基金が運用を任せられていて、いわゆる地方自治体自らが雇用を創出するということをやっておるわけでありますが、これは半年間を前提として失業者を雇い入れるという事業になっておりまして、なかなかその後の雇用にはつながっていかないんですね。つまり、単純にこの基金の枠組みを作るだけじゃなくて、どうやってもう少し恒常的な雇用の場に育てていくのかというシナリオが必要なんだろうと思います。現状のままでは、短期的に不特定多数の失業者に対して半年間賃金を配るだけの仕組みになってしまっている。  おっしゃるとおり、公共がやる役割は、ある時期はあっていいと思うんですが、その方法論についてはもう一段階の研究が必要だろうというふうに思っています。
  29. 高橋千秋

    ○高橋千秋君 大久保公述人の話の中にも出ましたが、オランダ方式ですね、オランダ式のワークシェアリング、これについては非常に考え方としては画期的な方法ではないかなと思うんですが、ただ、日本的な社会の中にそれが合うのかどうかということも一方であると思うんですね。  私も会社員をしておりましたけれども、やはり仕事をした後、皆で仕事が終わった後、赤ちょうちんへ行って酒を飲みながら会社の愚痴を言いながらみんなで協調していくという、まあ日本的な良さの部分もあったかと思うんですが、だんだんそういう部分もこのオランダ式ワークシェアリングでいくとなかなか難しいだろうと。  一方で、やっぱりこれだけ過剰になってきた中で、そういうワークシェアリングすることは当然求められていくんでしょうけれども、そういうキャリアを積むだとか、それから先ほど申しましたように、会社やそういう職場の中でのチームワークやらそういうことを考えると、完璧にそれに乗ってしまっていいのかなという心配もありますし、今後、労働人口が、この少子高齢化の中でだんだん働ける人が今後減っていくと思うんですね。アメリカのようにどんどん移民を入れられればいいんですが、日本ではそう簡単に、今は既に外国人の就業者も多いわけですけれども、そう簡単にアメリカのようにはいかないと。  こういう部分についてオランダ式のワークシェアリングの在り方、それからそういう日本的な在り方、両方を比較して、大久保公述人、どうお考えになりますでしょうか。
  30. 大久保幸夫

    公述人大久保幸夫君) オランダと日本状況はかなり違うと思いますね。オランダは元々女性の就業率が極めて低かったので、この女性の就業率を高めようという政策であった。しかも、オランダというのは、賃金抑制をこのワークシェアリングでやりましたのでEUの周辺各国から仕事が流入してきた、これによって雇用が増えたという構造がありますので、同じことが日本で言えるかといえば、多分言えないんだろうというふうに思います。ですから、日本には日本に合ったワークシェアリングを考えなきゃいけないと、こういうことになると思います。  ただ、日本の労働というのは、非常に私、硬直的だと思っていまして、一つは、正社員だと転勤しろと言えば転勤しなきゃいけないし、労働時間もかなり長期にわたるし、そして会社のその組織の中に縛られる部分もあって、いわゆる旧来で言われれば会社人間的なものを促進してきたという側面があります。一方、パートタイマーは、正社員の賃金の七〇%しかもらえなくて補助的労働で、正社員と似たような環境にはいるんだけれども、これはワークシェアリングは、働き方の違いというよりは、何か身分が違うような扱いをされてきたということがあります。  つまり、この硬直的な二つの働き方しかなかった。そのことに関して、もっと段階的にいろんな働き方があっていいんじゃないかという考え方が結果的にワークシェアリングになっていればいいというふうに私は思っておりまして、日本には日本に合った労働モデルを考える必要があるということは大前提だというふうに思っております。
  31. 高橋千秋

    ○高橋千秋君 もう一つ、先ほどの御報告の中でありました若年者の無業者というか、就業していない方々の問題ですけれども、これ私の周りでも随分、若くなくてもフリーターのような、私の世代でもフリーターのようなことをしながら生活している人もかなり増えてきているんですね。彼らと話をすると、なぜ就職をしなければいけないのか、なぜそこまで詰めて働きながら自分のやりたくないことをやらなきゃいけないのかという、その価値観の違いがかなりあると思うんですね。  私の世代ぐらいまではまだ、学校を出たらすぐやっぱりちゃんとした会社に就職をしてちゃんとした仕事に就きなさいというような感覚があったかと思うんですけれども、現在はかなりそれは薄れてきているだろうと。  それはどういうところから来ているのかなというと、やっぱり一つは教育の問題もあると思うんですね。例えばアメリカなんかでいうと、中学生、高校生なんかでもなるべくアルバイトに行かして働く喜びみたいなことを経験させるというのが一方であるけれども、日本では中高だと例えばアルバイトは逆に禁止ですよね。私は、公述人が書かれているジョブシャドーイングですか、そういう、なるべく仕事の喜びみたいなこととか、どういう仕事に自分が就きたいんだというようなことを若いうちから教える、経験させるということは非常に重要なことだと思うんですね。  今、日本人で、例えば大学を出たけれども就職しないという人は、自分が何をしたいか分からない、自分に何が向いているのか分からないという人がかなり多いからそういう結果も出ているんだろうと思うんですね。このままもしフリーターばかりになってしまったら、社会システム自体が私は維持できていかなくなるんではないかなと。年金の問題もそうですけれども、社会全体がもうがたがたになってしまって治安もおかしくなってしまう。既にそういう兆候はあると思うんですが。  こういう問題について、やはり教育も含めて、国がある程度かなり先のことまで、これは簡単に二年や三年でできることではありませんので、今教育も含めてやっていかなければいけないと思うんですが、大久保公述人、これについていかがお考えでしょうか。
  32. 大久保幸夫

    公述人大久保幸夫君) 大学進学率が大変高くなってきておりますが、大学進学率が高いということはどういうことかというと、中学を終え、当たり前のように高校に行き、そしてほとんど当たり前のように大学に行っていると。大学を卒業するときになって初めて、え、就職、仕事というものを初めて認識をすると。これはやはり就業観が育たない状況を生んでいるんだと思うんですね。中学のときに就職しようか進学しようか真剣に悩んで結果的に進学をしました、高校のときも同じでしたというと全然多分違うんだと思うんです。そのぐらい、考える機会もない、おっしゃるとおり身近で仕事を生に見る機会もない、そのままの状態で二十歳を過ぎてしまうと。このことが今の状況の、一つ状況を生んでいる背景にあると思います。そういう意味で、私は、ジョブシャドーイングというお話がありましたけれども、実際に働いているところを見るということがまず原点だろうというふうに思っているわけであります。  その中で、未熟な就業観のままにフリーターになってしまう、これは大変危険なことだというふうに思います。現在のところ、フリーターで就業している期間というのが大体二年弱ぐらいが平均的なフリーター就業期間で、その後、フリーターを脱出して自分なりの正社員の道やそのほかの道に就いていくということなんですが、最近やっぱり見られるのはフリーターの長期化といいますか、二十代をずっとフリーターで過ごして三十歳を超えてしまって、厚生労働省の定義ではフリーターというのは三十四歳までというふうに統計上なっているんですが、フリーターから三十五歳でパートタイマーになりましたという笑えない話があるんですけれども、本当にフリーター期間が長期化しているんですね。  そうすると、長期化すれば長期化するほどその後のキャリア転換というのはほとんどできなくなってくる。このことが問題だろうというふうに思っておりまして、そういう意味からも、雇用保険に加入していない人の職業能力開発の問題をどうとらえるかと、これは一つ大きな政策になってくるんじゃないかというふうに思います。
  33. 高橋千秋

    ○高橋千秋君 先ほどの話の中でも出ていたんですが、オランダは女性の就業率が非常に低かったという話ですが、日本もやっぱり、オランダよりは、数字は分かりませんが、そう高くはないですよね。  先ほどの、労働人口が減っていく中で、私は移民をまず求める前に女性の就業率を高める必要があると思うんですが、なかなかこれは規制、社会的な雰囲気やそういうのがいろいろあって、現状なかなかまだ難しい中で、やはり女性をどうやって社会の中で働いてもらうのかということは大変重要なことだと思いますし、国としてもそういう政策を取っていかないといけないと思うんですが、これについて大久保公述人、いかがでございますか。
  34. 大久保幸夫

    公述人大久保幸夫君) 女性、とりわけ出産をした後の女性たちが働く場というものが私は非常に不十分であろうというふうに思います。とりわけ、大学も卒業して比較的高学歴な女性が結婚し、出産しということでいったん企業を離れた後に再度復活して働く場というのが極めて限られているんです。  先ほど、正社員と一部のパートタイマーに二極化しているというふうに申し上げましたけれども、余り自分の力を発揮できそうな場でないパートタイマーしかなかなか身近にない。このパートタイマーやるぐらいだったらいっそのこと収入がなくてもNPOに参加するとかボランティアの方に行こうという女性も多くなっておりまして、こういう高学歴の女性たちの復職の就学率というのが落ちてきております。それが先ほどのワークシェアリングの問題ともつながるわけでありまして、例えば契約社員というものももっと運用を広めていいんではないかと。つまり、正社員とパートタイムの中間的な仕事を一杯作ることによって、女性にもある一定の報酬で、しかもある程度責任もある専門的な仕事を主婦からの人たちにも任せていく、こういう体制をいかに作れるかというのが私は大事だというふうに思います。
  35. 高橋千秋

    ○高橋千秋君 もっと聞きたかったんですが、時間が来たので終わります。  ありがとうございました。
  36. 山本保

    ○山本保君 両公述人、どうもありがとうございます。  私、公明党の山本保でございます。私は教育制度論と福祉制度論が専門でございますので、まず、大久保先生から、大久保公述人からお聞きいたします。  大久保公述人にはいつもいろいろ御示唆いただきまして、ありがとうございます。私、党の方の教育、労働政策を書かしてもらうときに、いろいろ先生のお書きになった本だとか参考にさせていただきました。ありがとうございます。  それで、今日は時間が非常に限られておりますので、一杯お話をお聞きしたいんですが、一つ具体的な内容でもうお聞きします。  正に、これまでの十把一からげといいますか、言わば就職の時期だけ決めて、後、解禁日だけ決めるなんという、そんなやり方じゃどうしようもないと思っておりましたし、私がやってきたような福祉型のといいますか、個別個別のニーズをきちんととらえ、その能力を高めていくということが必要だと、こういうふうにおっしゃったこと、本当に私もそう思います。  それで、ちょっと突っ込んでお聞きしたいんですが、今、ハローワークというのがありまして仕事をしていると、これに対して民間型のいろいろなものを今施策として広げているわけですけれども、この辺の関係ですね。全部もうハローワークなんかやめた方がいいということが一番極端だとすれば、その間、どういうような関係で、特にそのときに労働基本権というようなものについてどう考えたらいいのかということについてお聞きしたいと思います。
  37. 大久保幸夫

    公述人大久保幸夫君) 現在の公共職業訓練機関ハローワークと民間のサービス、有料職業紹介というのはマーケットの中で完全にすみ分けているという状態になっております。  日本の有料職業紹介機関というのは、これは法律の制約によって、主に企業から手数料収入を得てビジネスを展開する、個人からの手数料についてはほとんど取れないという、制約されているという状態になっていますし、公の部門からの委託ということも余り行われてこなかったものですから、純粋に企業からの収益を中心としたビジネスモデルを作って展開をしてまいりました。そうすると、要するに企業にとって積極的に採用したいという人材、ここに関してのマーケットを専ら担っているのが民間になっているという構造でございます。ですから、ハローワークと民間のやっているサービスというのはかなりマーケット的に言うと違ったところを対象にサービスをしている、つまりすみ分けていると、こういう状態になっているというふうに理解をしております。  私は、ハローワークについては非常に必要な機能だというふうに思っておりまして、このハローワークをしっかり運営して、より効率化したり、よりノウハウを高めていくということが重要であろうというふうに思っております。  ただし、先ほどの御指摘のように、ハローワーク、公共職業紹介が提供する機能というのは広くあまねく一定の標準的なサービスを提供するというのが公の部門の専ら得意とするところでありまして、一部の専門的な個々個別のサービスを提供せざるを得ないという状態に立ち入った失業者に関して言えば、これについてはなかなか公的部門でサービスするというのは不可能だというふうに思っています。これが、先ほど御紹介したイギリスのように、官と民の役割分担をもう一回整理し直して、何が得意なのかということを、機能を再設計して取り組んでいると、こういうことをやっていくのが私は必要な時期に来ているんだろうというふうに思っております。
  38. 山本保

    ○山本保君 ありがとうございます。  それで、もう一問お聞きしたいと思います。  今、前の質問にもあったこととも絡むと思うんですが、正にこれまで職業能力形成というのは民間企業に行われてきていたと、特に学校教育が終わった後の方ということですね。それが、しかしほとんどうまく機能、もうそれだけの余裕ももうなくなったとも言えるし、企業自体の、産業構造が、正に今も先生言われたように、構造が変わっている中で、会社人間、会社の中だけで出世していけばいいということではなくなってきた。そのためにそれを、その機能を、人材育成機能というものをもっと公的にとおっしゃったわけです。  正に、公教育というのはそのために本来あるべきものであって、それを二十歳ぐらいまでの人間の、若い人だけの教育をやっておればよかったという、今までの正に文部行政の全くの誤りと私は思っておりますし、自民党の方には申し訳ないけれども、教育基本法の改正なんてそんなことを考える前に、まずこの学校の接続の問題だとか教育内容の問題をしっかりやらなくちゃいけないというふうに考えているものですから、この辺について、先ほどもジョブシャドーイングとかインターンシップとかお話ございました。もう少しその辺をお聞きしたいと思います。  言わば、一つは学校制度論というか、年長の、いわゆる生涯学習と言われるようなこういうものについてどんなイメージをお持ちなのかなということと、それからもう一つは、教育内容とか方法に関して、これは今日は時間ありませんのでもう本当に中心のことだけで結構でございますが、もう少し詳しくお聞きしたいと思います。
  39. 大久保幸夫

    公述人大久保幸夫君) いわゆる学校から就業へ、各国、スクール・ツー・ワークというこの一連の政策をどの国においても今熱心に展開をしているところでありまして、この取組に関して日本においても積極的に行っていく必要があるだろうというふうに思っています。  やはり、教育界と産業界のこの擦れ違いといいますか、何かお互いに責任を押し付け合ってきたような歴史が私はあるんではないかというふうに思っておりまして、十分に連携が取れてこなかったのがこれまでだというふうに思っております。これは、教育界の中にも産業界の中にもお互いに連携していくことの必要性というのをおっしゃる方が非常に多くなってまいりまして、正しくこの問題を、スタートを切らなきゃいけないというふうに思います。  その一つが初等中等教育におけるキャリア教育の問題でしょうし、もう一つは、一連の教育を得て、卒業して就業した後に改めて学校に戻る、こういう学校とそれから雇用の場の出入りをより自由にしていく、促進していく。例えば、企業においても、就学をするために一定期間休職をすることについて認めるキャリアブレークという休暇制度ですね、こういったものを作るとか、あるいは、いったん学校に戻って学び直した人を再雇用するということについても積極的に展開していくとか、この辺りの教育と産業の行き来というものを促進していくような仕組みにする。その上で、企業任せだった人材育成の問題について、これは公と民と両方含めた仕組みを作り上げていくということなんだろうというふうに思っております。
  40. 山本保

    ○山本保君 ありがとうございました。  岩本先生、もう一問だけしかないと思います。  ちょっと素人っぽくてあれですが、先生のおっしゃったことで一つ気になったといいますか、を是非教えてください。  一つは、先ほども、三、四年前にもし不良債権やっていればこうではなかったであろうとか、先ほどこの資料を指し示しまして、構造改革が延びている、遅れているんだと、こういうことをおっしゃった。  先生はもちろん経済専門でございますから、個別の細かなところまでという意味ではございませんが、構造改革が進んだ社会、日本の社会というのは一体どういうイメージを、イメージじゃなくて、どういう指標を持って構造改革が進んだというふうにおっしゃっているのか。これ、今まで余り聞いたことがないものですから、私、先生お話、聞きましてふっとそれに気が付きまして、一体何をもったら構造改革が進んだ社会、産業社会でもいいです、経済社会、どういうものなのか、先生のあらあらなもので結構でございますが、お示しいただきたいと思います。
  41. 岩本康志

    公述人岩本康志君) 構造改革とは何ぞやということの御質問だろうと思いますけれども、私の方の資料で説明していました構造改革と言われるものは、小泉政権の言っている構造改革といいますか、それを指して、最初に言ったことが十分進んでいないということをお示ししたという意味での構造改革というふうに申し上げたわけです。そこに指し示すものといいますのは、小泉政権の下でまとめられました骨太の方針なりに書かれている、そういう政策パッケージというもので私はこれを御説明したわけでございます。  すなわち、こういう政策パッケージを出しまして、こういう中期展望を出しているわけなんですけれども、私のここで申し上げたかったことといいますのは、財政は、現在は、現在に直面する経済問題のため、できる限りのことはしているんだけれども、このままずっと続けるわけにはいかないわけですから、どこかで転換しなければいけないと。そのためには今ある問題を片付けるということが必要であるというわけでありまして、そのためのいろいろな政策パッケージを小泉政権が提示したわけですから、それがちゃんと進んでいかないと財政の健全な姿への回帰といいますか、回帰は進まないということで示したわけであります。よろしいですか。
  42. 山本保

    ○山本保君 ありがとうございます。  私の質問は以上にしたいと思います。  確かに、岩本先生おっしゃいましたように、説得的な説明が足らないんだとおっしゃった。そのことが私も今お聞きしていて、確かに今、経済構造、ずっと変わっている、日本の国自体変わっている、そのときにどういう一体イメージ、いろんなイメージがあっていいかと思うんです。それをやはり出しながらそれに向かってという戦略を立てる必要があるんだなという気がいたしました。またこれからも教えていただきたいと思います。  委員長、これで終わりますが、今、ちょっと連絡をいただきまして、バクダッドの空爆が始まったという今、入りました。大変な時期でございます。この時間、無駄にしないようにしたいと思っております。  ありがとうございます。
  43. 大門実紀史

    大門実紀史君 緊迫した事態になりましたが、続けたいと思います。  日本共産党の大門実紀史です。今日は、お忙しいところ、お二人とも本当にありがとうございます。せっかくの機会ですので、今日は、先ほどから話出ております構造改革のことについてお二人にお伺いをしたいと思います。  まず、岩本公述人に伺いますけれども、実は私、この問題、竹中大臣と何度も議論をしてまいりまして、伺っていますと、大体竹中大臣と岩本公述人、同じような考えかと思うので、同じことを聞くとまた同じ答えが返ってくるというふうなやり取りにしたくありませんので、今日は是非自由に、御意見聞く場ですので、分かりやすくいろいろ答えてもらえればというふうに思います。  ただ、あらかじめ申し上げておきますけれども、経済政策というのは需要面と供給面とやっぱり両方いつも併せて考えていく必要があるということを思います。それと、日本経済構造問題あるということも、問題点の指摘の部分は違いますが、私どもも思っておりますので、単に何かを先送りするとか早くやるとか、そういう議論で国会で議論してきたわけではないという上で幾つか聞きたいんですけれども。  まず、不良債権処理の問題ですが、不良債権はない方がいいというのは、これも与野党みんな同じ意見だと思うんです。問題は、どうやってなくすか、あるいはどういうプログラムでなくしていくか、そういうことが中心だと思います。単に先送りということでもありませんので、そういう単純なことを国会では議論しておりませんので、その上でお聞きしたいんですが、岩本公述人に。どちらかといいますと、デフレであろうがなかろうが、需要低迷であろうが急いでなくすべきという御意見を先ほどからお伺いしていると思うんですけれども、そうすると、今、新規にどんどん発生しておりますね、新しく、これはどういうふうにとらえられておりますか。
  44. 岩本康志

    公述人岩本康志君) 小泉政権発足当時の不良債権に比べて、その一年後、金融庁の特別検査によって不良債権が増えたわけなんですけれども、この原因は、私は、それまでの不良債権の査定が甘かったからだと、これが一番大きな原因だろうというふうに考えております。といいますのは、特別検査の対象にならなかった金融機関の不良債権額はそれほど増えなかったということが起こっておりますので、決してこの期間に起こったデフレによって不良債権額が巨額に膨らんだということが理由ではなかろうかというふうに考えております。  したがいまして、不良債権の問題なんですけれども、デフレによって大きくなるという、失礼、経済の悪化によって大きくなるという問題も起こっているわけなんですけれども、やはりここでしっかり決着を付けなければいけないというふうに私は思っております。  どうやるかという手順問題なんですけれども、私は、フリーハンドであればいろんなことができると思うんですけれども、やはり政策の連続性ということで、資産査定をだんだん厳しくするという方向で進んでおりますが、これが若干生殺し的になっているという気がしております。実は、こういう問題は、生殺しでやっていますとどんどん銀行がじたばたするわけでありますから、これは一気に決着を付けた方がいいわけでありますが、そのためには、政策の転換といいますか、今までの金融庁が取ってきた政策というものを本当はフリーハンドでいったん撤回して、資産の減額査定といいますか、もっと厳しくするということを本来やるべきではなかったかなというふうに思っております。  実行可能性が非常に難しいということは重々承知していますけれども、私は政権外部におる人間でありますので、そのように申し上げたいと思います。
  45. 大門実紀史

    大門実紀史君 もう一つ、この不良債権処理を断固早く進めるべきという御意見の中に、銀行仲介機能のことをおっしゃっておりましたけれども、私は現場を歩いたりしているんですけれども、もちろん不良債権はない方がいいというのは先ほど申し上げたとおりですが、今、市中にお金が回っていないのは直接不良債権の存在ではないという実態がかなりあると思うんです。  実際、日銀は超量的緩和でじゃぶじゃぶに供給しておりますし、それが市中に回らないで、これはやっぱり需要が、投資の見込みがないということで、資金需要がないということで、それでお金の行き先がなくて、国債買ったり、あるいはアメリカの国債買ってアメリカの財政支えて、今始まりましたけれども、このブッシュの軍拡予算を支えていると。変なところにお金が流れておりまして、実際には仲介機能が低下しているから不良債権急がなきゃいけないというのは、現場ではもうそういう事態になっていないと思うんですが、いかがお考えですか。
  46. 岩本康志

    公述人岩本康志君) 融資残高は減少しているわけでありますから、企業はお金を返しているわけでありますよね。これは、もうかっていて、それで自分の投資先もなくて、投資先もないので、要するに余裕資金を返しているということであれば正に資金需要がないということなんでしょうけれども、そうではなく、やむなく返す、しかも銀行から返済を迫られて、融資を撤回するということで迫られて、それによって、場合によっては自分の事業を閉じなければいけないということが起こっていれば、これは資金需要がないからお金が回らないのではないと、回らないということではないということであります。  それで、その国債を買うということなんですけれども、言わば不良債権というのは非常にリスクの高い債権であります。すなわち、もう価値として保全されているのは担保価値だけでありますので、要するに担保に投資しているようなものであります。すなわち、担保は土地ですから、もう丸ごとその土地に投資しているようなことになっています。すなわちリスクの高いものが不良債権であります。  そうすると、銀行はそれ以上リスクを取ることができませんので、どうしても資金を安全資産の方に振り向けなきゃいけないということで、その安全な投資先として国債に回っているということでありますので、国債をたくさん購入するということは、資金需要がないというわけではなくて、やはり金融不良債権という巨大なリスクを抱えているからだというふうに私は理解しております。
  47. 大門実紀史

    大門実紀史君 ありがとうございました。  それでは、大久保公述人にお伺いいたしますけれども、先ほど、大変示唆に富んだ報告聞かせていただいて、意見陳述聞かせていただいて、ありがとうございました。  構造改革との関係で、雇用のセーフティーネットというのがずっと、二年前、骨太の方針出たときから言われてまいりました。ちょうどあのときに私は質問したことがあるんですが、五百三十万人雇用というのがぶち上げられて、最近言わなくなったんですけれども、総理も竹中大臣も胸張ってやるんだとおっしゃっていたんですね。あの中身というのは、サービス業で五年間で五百三十万人、つまり一年に百万人ずつ増やしますよ、規制緩和をやったり、不良債権処理すれば新しいところにお金が流れてと、こんな話だったんですけれども、先ほど御報告がありました中に、過去十年でサービス業は三百数十万人増えている。つまり、倍以上のスピードで、三倍近いスピードでサービス業雇用を増やしますよというのが例の五百三十万人だったんですが、私はもう、これはもう実現不可能と、二年たって、状況を見てですね。  ですから、構造改革論の大きな一つの目玉でありました、不良債権をやってどんどんつぶしても新しく会社は生まれるんだ、新しく雇用生まれるんだと、これも構造改革論の中身だったわけですけれども、これはもう、私はもう破綻をしていると思いますし、なかなかこの需要低迷の中でそういうふうにならないんじゃないかと。  つまり、ちょっと専門的に言わせてもらうと、ペティ・クラークの法則というのがございまして、ほっておいても第三次産業増えるんですけれども、なぜ増えるかというと、人々の所得が一定増えて、サービスに対して需要が高まって仕事も増えると、賃金もそこにあるし仕事もあるから人が増えると、こういう基本的な法則があるんですけれども、こんなに需要が低迷している中では、そういうことはもう見込みがないというふうに私は思っているんですが、その点、雇用関係で、この構造改革論の新しく新規雇用の点はどうお考えでしょうか。
  48. 大久保幸夫

    公述人大久保幸夫君) 五百三十万人の見込みの問題は、私も全く同感でございます。発表された当時からあり得ないと私は思っておりました。  ただ、何というんでしょうか、元々雇用経済の派生需要なので、やはり経済成長をしないと雇用の場は増えないんですね。増えないという前提で何ができるのかというのが現在せざるを得ない雇用対策です。そうなると、一つは、サービス業というものが、そうはいってもまだ潜在的に成長余力があるわけですから、サービス業を活性化させたりあるいはサービス業の生産性を向上させることによって強くして、それによってサービス業雇用を生み出すことを少しでも支援しようというのが方策だと思っていまして、ちょっと五百三十万人という数字が独り歩きをしてしまったのは、ちょっとこれは不幸なことだったんじゃないかと実は私は思っております。
  49. 大門実紀史

    大門実紀史君 もう一つ、せっかくの機会ですのでお聞きしたいんですけれども、この不良債権処理で何十万人、何百万人失業者が生まれると私どもが民間シンクタンクの数字を紹介しますと、竹中大臣は、民間シンクタンクなんというのは当てにならない、かなり大きくやり過ぎだというふうに常におっしゃってこられたんですけれども、その点、御意見あれば。
  50. 大久保幸夫

    公述人大久保幸夫君) 実際に、不良債権処理に伴ってどのぐらいの新たな失業者が生まれるんだろうかという計算は、私は相当難しいんだろうというように思うんですね。  それを金銭的な計算だけで簡単にやってしまうと、大きくなるか小さくなるかはともかくとして、当たらないというふうに私は思っています。つまり、ある程度環境が厳しくても多くの労働者が、やっぱり会社にしがみつく方が優れた選択肢だと思う人たちも一杯いますし、それを考えずに、いわゆる売上げや生産性だけで何人余るはずだという議論は余り当てにならないというふうに思っております。  そういう意味では、竹中大臣がおっしゃったことの本意は私は分かりませんけれども、当時発表された見込みについては、私もちょっと大き過ぎるかなというふうには思っておりました。
  51. 大門実紀史

    大門実紀史君 ありがとうございます。
  52. 平野達男

    平野達男君 国会改革連絡会の平野でございます。  今日は、両公述人、どうもありがとうございます。先に岩本公述人にお伺いしたいと思います。  不良債権のオフバランス化を加速させることが必要だというようなお話でございました。今、不良債権の処理につきましては、御承知のように、破綻懸念先につきましては、これはまずきっちり資産査定をする、そして破綻懸念先以下に割り当てられたものについては、これは三年ルールというのがありまして、三年間でこれをオフバランス化するということで、いろんなデータを見ますと、少なくとも破綻懸念先以下に整理されたものについては、この三年ルールが守られてオフバランス化が図られている。  そうしますと、このオフバランス化を加速させるという意味は、具体的に公述人は、この今の不良債権処理のどこに問題があってこういう加速ということを言われたのか、ちょっとお聞かせ願いたいんですが。
  53. 岩本康志

    公述人岩本康志君) 私が書きました意味するところは、三年ルールでは遅過ぎるということであります。もっと早期にオフバランス化を図らなければいけないという意味合いで使っております。どうして三年間保有しているのか、どうしてその不良債権、破綻懸念先にまでなったものを金融機関が三年間保有しなければいけないのかというふうに理由を考えますと、帳簿の方に資産価値を付けておかないと自分の自己資本が毀損するからであります。  しかしながら、そうすることによって金融機関はその部分にリスクを抱えることになります。しかしながら、それは本来金融仲介機関が抱えるべきリスクではございません。金融仲介機関が抱えるべきリスクといいますのは、健全な融資先に融資をして、その中でも貸倒れがある程度起こるわけですけれども、そちらの部分が本来金融機関がさらされるべきリスクなわけであります。  ですから、破綻懸念先といいますか、不良債権に分類されたものにつきましては、できるだけ早く銀行のバランスシートから切り離す。この場合は債権回収業者への売却といいますか、直接償却が必要だと思うんですけれども、そういう形で、もうそのリスクからは完全に分かれてしまう、損切りをしてしまうということをしなければ、銀行の健全なリスク管理にはならないというふうに私は考えております。その意味で使っております。
  54. 平野達男

    平野達男君 恐らく公述人はもう御承知のことかと思うんですが、三年ルールといいましても、三年間保有するんではなくて、五割、三割、二割というルールが設定されています。ですから、できるだけ処理できるものは早く処理するという体系でやっていると思います。それからもう一つは、実際にオフバランス化を進めるときには、今度は債務者という方がおりますから、この債務者との関係の問題もある。この関係がありまして、恐らくこの五割、三割、二割というルールが定められていると思うんですが、これのまず実行の可能性の問題と、かつ、それでもやっぱりまだ不十分だというお疑い、お考えでしょうか。
  55. 岩本康志

    公述人岩本康志君) 私といたしましては、巨額不良債権銀行がまだバランスシートの中に持っているという状態がこのまま続いているということ、しかも、その原因が銀行の健全なリスク管理の結果として生じているのではないというのが実態だというふうに思っておりますので、この部分につきましてはできるだけ早くオフバランス化するということが必要だろうと。あるいは、どうしてもオフバランス化が駄目だということであれば、それはその資産の評価の段階でもう少し厳しめに評価をしてやって、あたかも帳簿上良く見せ掛けるために不良債権を保有し続けるというふうな行動を取らないように促すということが必要ではないかというふうに思っております。
  56. 平野達男

    平野達男君 そうしますと、さらにちょっともう一問だけこの不良債権処理についてお伺いしたいんですけれども、最後に出たその資産査定のところなんですが、今の資産査定はまだまだ甘いというお考えでしょうか。
  57. 岩本康志

    公述人岩本康志君) その評価を簿価でするか時価でするかという議論があったんですけれども、これは時価評価すべきであるというふうに考えております。  すなわち、その不良債権が売却できる価格といいますのが、その不良債権に付けられる正当な価格だというふうに思っておりますので、これは、既に簿価だとか実質簿価だとかというふうな議論がいろいろ起こるということ自体が資産査定が甘いのではないかというふうに思っております。
  58. 平野達男

    平野達男君 大久保公述人にお伺いします。  今、デフレという状況日本経済があるわけですけれども、物価が下がる中でいわゆる人件費の下方硬直性ということが非常に今言われていまして、結果的に、経済用語で言うところの労働分配率が非常に高くなっているんじゃないかというようなことが言われています。  これは、大久保公述人から見て、日本のこの人件費、今日は非常に高止まりだという話がちょっとあったかと思うんですが、まだまだこれは高いという水準にあるかどうか、これをまずお聞きしたいと思うんですが。
  59. 大久保幸夫

    公述人大久保幸夫君) 高いと思いますね。それは、数字的に比較してどうかというよりは、ほとんどすべての経営者が高いと思っているという意味でも高いんじゃないかというふうに思います。
  60. 平野達男

    平野達男君 そうしますと、これから労働市場ではこの賃金に対する押し下げ、下方圧力というのがどんどんどんどん高まってくるということかと思うんですが、これは今度は労働組合さんとの関係とかいろいろとあったりして難しい問題かと思うんですが、大久保公述人から見て、やっぱり人件費というのは、純粋に経済学的に見て、あるいは市場の観点から見てもう少し下げざるを得ないんではないかというような考え方に立っておられるということでしょうか。
  61. 大久保幸夫

    公述人大久保幸夫君) 私は、もう少し下がらざるを得ないというふうには思っています。  ただ、仕組み上、下方硬直性はおっしゃるとおりありますし、組合の問題もあります。労働条件の不利益変更もできませんし、かといって解雇もできません。という意味では、やっぱり正社員のパイを少なくして、少し下げて、残りのもう少し安い労働力を使ったり、アウトソーシングすることによって全体の人件費のバランスを取っていくと、基本的にはそういうことになるんじゃないでしょうか。
  62. 平野達男

    平野達男君 そうしますと、やはりパートの活用というのが全体的に増えてくるという、こういう理解でよろしいでしょうか。
  63. 大久保幸夫

    公述人大久保幸夫君) 恐らくパートタイマーが増えていくと思いますが、既にパートタイマーは相当数増えておりまして、今後増えていくのでいえば、より請負労働とか派遣労働というものが伸び率でいうと高くなっていくというふうには思っております。
  64. 平野達男

    平野達男君 今日は時間が短くて、まだまだお聞きしたいことがあるんですけれども、時間になりましたので、これで終わらせていただきます。  どうもありがとうございました。
  65. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 社民党の福島瑞穂です。  大久保参考人にお聞きをいたします。あっ、ごめんなさい、公述人と言わなきゃ。大久保公述人にお聞きします。  環境、福祉、教育によって雇用創出をということを考えているんですが、地方分権型雇用創出について何か御提言ありましたら教えてください。
  66. 大久保幸夫

    公述人大久保幸夫君) 今おっしゃった三つの分野というのは、私も同じように同感で、全く有望だというふうに思っています。  雇用の問題は、先ほども申し上げたとおり、ミスマッチを起こしやすいものですから、現在余剰人員が発生する産業、そこに働いている人たちにどの程度のどういう再教育をしたらどの仕事に就けるんですかということを考えなきゃいけません。そのときに、私は環境であったり福祉の問題というのは、比較的ですけれども、結び付きやすい要素があるのではないかというふうに思っております。
  67. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 少子高齢化の時代で、私は外国人労働者を言う前に、女性を本当に活用すべきだと思っています。シンクタンクが百万人女性雇用創出という例えば提言などをしておりますが、その女性の雇用の創出という点について御提言をお願いします。
  68. 大久保幸夫

    公述人大久保幸夫君) 先ほど、全体として人件費が高いという経営側の見方があるというふうに申し上げたんですが、実はそれを直接的に行おうとしたら、女性と高齢者の活用をするというのが極めて自然な行動でありまして、それを阻害している要因を除去するということが重要だろうというふうに思っております。  ですから、私も、おっしゃるとおりで、外国人労働者の前にまず女性と高齢者の雇用を開発することが重要だというふうに思っております。
  69. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 具体的に提言はありますでしょうか。
  70. 大久保幸夫

    公述人大久保幸夫君) 二つございまして、一つは、やはり女性の人たちが数人集まって地域に密着して働くような、よくワーカーズコレクティブという言い方がされますけれども、そのような働き方に関する法整備を進めていくということを進めるべきだというふうに思っています。  それからもう一つは、女性も雇用されずに業務委託として働くスタイルというのが古くからあるわけですが、この人たちについては、労働者としても余りみなされずに、独立企業経営者としてもみなされずに非常に中途半端な状態になっておりますが、こういう人たちの環境整備をすることによって雇用を生み出すということももう一つの方法だというふうに思っております。
  71. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 今日、不安定雇用の話、正規雇用と非正規雇用の話をしてくださいましたが、国会ではパートタイマー議員連盟などがありまして、何とか法的整備、差別禁止ができないかという取組が活発になっています。労働市場の問題、政策として、ワークシェアリングの前提としてのそういう法整備についてどうお考えでしょうか。
  72. 大久保幸夫

    公述人大久保幸夫君) 私はまだ第一段階だというふうに思っておりまして、直接的にその賃金を同一価値労働同一賃金にするということの以前に、まだ保険とか年金とかもろもろその周辺的なもので、いわゆる雇用形態によって大きな差があり過ぎるものがたくさんあります。まず、これを早急に片付けるということが一つのポイントだというふうに思っております。  もう一つは、賃金の問題に関しても、これはやり方の問題が大変難しい。法的に指令によって賃金格差はいけませんというふうにするのはなかなか現実的には難しいので、恐らく、現実的にはですよ、正社員の賃金が少し下がってパートタイマーの賃金が少し上がって格差が縮小していくというのが予想される方向性で、それが本当にいいのかどうかということも含めて、やり方の問題については十分な議論が必要だというふうに思っております。
  73. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 ただ、丸子警報器事件などは、正社員と同じ仕事をしながら賃金が八割以下なのは公序良俗違反であるといった様々裁判例も出ていますので、是非。  それで、そうしたら……(発言する者あり)質疑時間が超過している、ごめんなさい。岩本参考人、お聞きをしたかったのですが、ちょっと時間を超過しましたので、どうも申し訳ありません。また教えてください。
  74. 陣内孝雄

    委員長陣内孝雄君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人方々に一言お礼を申し上げます。  本日は、有益な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)  午後一時に再開することとし、休憩いたします。    午後零時十分休憩      ─────・─────    午後一時開会
  75. 陣内孝雄

    委員長陣内孝雄君) ただいまから予算委員会公聴会を再開いたします。  休憩前に引き続き、平成十五年度総予算三案につきまして、公述人方々から御意見を伺います。  この際、公述人方々に一言ごあいさつ申し上げます。  お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、誠にありがとうございます。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。  本日は、平成十五年度総予算三案につきましてお二方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願い申し上げます。  なお、本日は各委員会が同時に開会されております関係から、委員の出入りが多く、公述人方々には大変失礼をいたしておるかもしれませんが、誠に申し訳ございません。委員長より一言おわびを申し上げます。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただいた後、委員の質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、外交・防衛について、公述人帝京大学法学部教授志方俊之君及び松阪大学政策学部教授浜谷英博君から順次御意見を伺います。  まず、志方公述人にお願いいたします。志方公述人
  76. 志方俊之

    公述人(志方俊之君) 志方でございます。  本日はこのような機会を与えていただきまして、大変光栄に存じます。時間も限られておりますので、申し述べたいことだけ申し述べます。  本日この時間に戦いが始まったわけでありますが、我が国の平和と独立とそして国民の安全を守るために今何が欠けているかということをまず申し上げます。  今、冷戦後行っている戦争というものを分類してみますと、三つのタイプに分かれます。一つは、ある国が国際ルールに違反した場合にこれをやめさせるといいますか、こういうタイプの戦争。これは湾岸戦争が一つその典型的な例でございます。第二のタイプは、非人道的な行為が行われたときに、これを国際社会が何とかして止めようというタイプの戦いであります。それから三番目の戦い──これはコソボとか東ティモールのコンフリクトがそれに当たります。それから三番目の戦争は、テロ又はそのグループをかくまっていた国あるいはテロ的な行為をするかもしれない国ですね、こういう国に対して、国際社会がこれをやめさせようとすると。これはアルカイダ捜索とタリバンを一掃した、一掃しようとしているこのアフガン戦争がそのタイプであります。主権国家同士が主権を懸けて戦うというような戦いは二十一世紀にはなかなか起こる可能性が低いと言うことができます。  そうしますと、この三つの戦争で、私たちは今、根源的な質問を人類全体が受けている。例えば、国連というものの第一の特性から考えますと、国連というものの、特に安保理ですね、これの決議、あるいはそういうものを背景にした力の行使、こういうものをどのように取り扱うか。今回もその取扱いで極めて混乱いたしました。これが一つですね。  それから二つ目は、非人道的なことを止めるためにかなり非人道的なことをしているわけですね。ベオグラードの爆撃なんかがそうです。コソボでユーゴ軍に追われて亡くなられた人は五千名ぐらいだと言われておるんですが、それを止めるためにNATO軍が国連の決議を背景にベオグラードを爆撃した、あるいはユーゴ軍を爆撃した。この損害は何名か定かではありませんが、一万名ぐらいは私は亡くなっていると思うんですね。そうだとすると、五千人に対する非人道的な行為をやめさせるために一万人殺してもいいのかという、そういう根源的な疑問がございます。  それからもう一つは、テロが、同時多発テロが起こった後、もう旅行されれば分かりますが、一時間半も延々と、ほぼ裸にされて体を触られて、そしてちょっとでも反抗的な態度をすると更に一時間掛かる。ちょっとアラブ系の顔だともうそこでもってもっと掛かって、しかもちょっとしたことで微罪逮捕というふうなことが起こる。こういうようなテロといいますか、民主的な体制を守るため、それを壊そうとするテロに対してどのぐらい民主主義というものを無視していいのかという、これも根源的な問題であります。  こういう三つのクエスチョンですね。この一番最初のクエスチョンはちょっと明快でなかったのでもう一回補足しますと、要するに、今までは、大国というのはやられたらそれを受けて立つということでレジティマシーというものを持っていたわけですね。しかしながら、これからはその第一撃が、この間の同時多発テロは三千名で済みましたけれども、恐らく三万、三十万、三百万というような、大量破壊兵器とテロが結び付くとそういうことになります。要するに、初一発から耐えられないような被害を被ると。  こういうときには、今までは駄目だと言われていたプリエンプション、先制攻撃ですね、やられる前にやるという、そういう禁じ手がこれからの国際環境では正当化されるような一つの選択肢になり得るという、この三つの根源的な疑問ですね。非人道的なこと、プリエンプション、そして三番目が民主主義の、民主主義を守るために民主主義を傷付けるというこの問題について、私は二十一世紀の新しいクエスチョン、これは人類全体に与えられたクエスチョンですから、どう答えていいかまだ我々が回答を出していない。その最初のプリエンプションという回答ですね、これを出したのが私は今回の対イラク戦だと思うんです。  ですから、そこで意見は分かれると思うんですね。いろいろな歴史をひもといてみれば、宥和策を取った方が良かった場合、あるいは悪かった場合もあります。あるいは、強行策を取ったがゆえに事態が悪化したという場合もあります。これは、どっちもあるということは、どっちも正解なんだと思うんですね。どの状況のときにどっちの政策を取るかというのが問題であって、例えば、よく言われるチェンバレン政権のナチスの台頭に対する宥和策は、結局は数年後に戦争に突入する。あのときのナチスもディスアームされておったわけですね。飛行機が作れないからグライダーで訓練するとかですね。それが、このチェンバレン政権が示したヨーロッパ全体のひ弱な態度がヒットラーをどんどんどんどん強大な国にして、数年後に戦争に突入すると。  こういうことが当時あって、今回、サダム・フセインが十二年間にわたって国連の決議を無視してくる。今回も、二十五万の軍隊が取り巻かれると少しずつ進捗させていく。そういうことに対して、私は、国連の権威というものはほとんど十二年間無視され続けてきた。国連というのは、御案内のとおり、国際連盟、第一次大戦後の秩序を保つために作った国際連盟がほとんど全員一致というものを原則として、非常に理想的なものであったために機能せずに、すぐ、二十年後ぐらいには戦争に突入しておるわけです。これは駄目だということで、第二次世界大戦が終わったときに、その後の秩序をしっかり保つために安保理だけには一応の強制力を持たせて、そして大きな組織を作った。しかし、冷戦に突入して、機能しないかもしれないということで、五つの国だけに拒否権を与えた。したがって、拒否権というものが使われて、冷戦中はほとんどこの国連の安保機能というのはモラトリアム状態になって、そして経済社会理事会の方は少し進捗したということだと思います。  したがいまして、この安保理の機能というのも、イラクに対する武力制裁、それから大量破壊兵器の禁止、こういうものを十二年間ほとんど黙認してきてしまった、あるいは触らせないと、触ることができなかった。これに対して、今回はアメリカがそれを実行させよう。そうすると逆に、十二年間黙っておったものをあと六か月待てないのかと、ここで分かれたわけですね。サダム・フセインがいいからといって分かれたんじゃなくて、サダム・フセインをどうするかで国が分かれた。そして、国連安保理がほとんど機能しないような状態が起きている。これは当たり前のことであります。第二次世界大戦が終わったときの世界秩序を維持しようとした、そういう組織が五十年後の全く新しいパラダイムで動いている国際環境の中でうまく機能すること自身がおかしいわけですね。それを機能させようとしているのが今のアメリカだと私は思うんです。  じゃ、フランスが今回非常に自分の意見を主張して物事がうまく運ばなかった原因を作ったと思うんですが、フランスもそれで私は一つの理屈があると思うんですね。しかし、フランスがおかしかったところは、六か月たったらサダム・フセインの大量破壊兵器を撤去できるのかという、全然代替案がないといいますか、こうやったらいいんだと、しかもこうやるときには二十五万の軍隊が回るんだったらフランス軍も五万ぐらい出て、そして周りにいて、その圧力の下で六か月たてばこうなるんだ、ならなかったときはこうするとかですね。要するに、政治の世界では、反対するときは代替案を示さなければ駄目だと思うんですね。これがフランスがこれから非常に苦しい立場になる。  それから、それは外交するときに、ちょっとやっぱりアメリカに対して、いちゃもんを付けるという言葉はおかしいかもしれませんが、やはりイラクに対するフランスの利権ということを考えますと、少し、フランスのパーティシペーションというものを高く売ろうという魂胆から、少しアメリカから離れた、距離を取った。それが国民に見えて、国民がほとんど反対に回った。そうするともう外交できませんですね、後ろを見たら全部反対ですからね。外交といったって内交と同じですから。そうすると、もうフランスの首脳部は、もう反対でいかざるを得ない、突っ込まざるを得ない。  私は、こういうどっちを取っても結果が分からない場合には、やはり最後まで状況を見るということが非常に重要だと思うんですね。今フランスは、いやちょっと部隊も出してもいいよとか人道的なことならやると言ったって、イッツ・ツー・レートですよ。私は、このひびというのはなかなか養生できない、これからやるんでしょうけれども。そういう意味でこの行動も相当間違っていたと思うんですね。戦争か平和かと聞かれれば平和がいいに決まっておりますよ、私だってそうですから。だれが自分の息子を戦場に出したいと思う親がいましょうか。しかし、国家としてそれをやったら駄目だと私は思うんですね。  我が国は、これからこの三つの戦争のタイプのときに、まず国連安保理の決議に基づくという、これは私はいいと思うんですね。しかし、どの決議に基づくかということは意見が分かれるところであって、一四四一に基づくのか六八七、六七八に基づくのか、六八七に基づく、これは意見の相違で、これはディベートしていただいて多数決で決めてもいいし、それから国連安保理だけが強制力を持っているなら、その強制力がちゃんとエフェクティブになるように動くのがいわゆるパーマネントファイブの義務であるにもかかわらず、十二年間放置しておる。その責任はフランスにもあったはずなんですが、そのフランスが自分たちのことをやめて、ただアメリカに対してだけ考えてやっていくというのは非常にショートマインドだと、私は思います。  そもそも国連という組織は四十五年前の組織であって、私は日本は、日本があのとき敵国ですからね、いまだにその文言は残っておる。その敵国条項の文言すら変えられない、国連憲章を変えられない国連というのにどのぐらいの力があるか。国連第一主義ということで日本もやってきた。私は、国連というのは、たかが国連、されど国連であって、国連というものはやっぱり今国際社会の意見を集結する一つの、それ以外にありませんから、これは大切にせにゃいかぬけれども、すべてが国連の決めることに従わなきゃならないということはない。なぜ五十年前、日本が敵国であって、日本を再び台頭させないような国にしようと、軍事的に台頭させないような国にしようとしたその条約に出てきたものではなくてですね、新しい国際連合に代わるようなものはなかなか作るだけのエネルギーは今の人類にはありませんから、これはすごい破壊があったときにはできるんですが、それはないわけですから、やはり国連の大々的な機構改革。  私は、カメルーンとかアンゴラが一票取って、そして今戦争するかしないかというその決定権を握っている。これはルールでありますから仕方がないと思いますし、それは尊重しなければならないと思いますが、国連のお金を二〇%以上も出している、決算ベースでは三〇%もですね、そういう国が一票も出せないで国連決議をずっと待っているという姿は、いかに日本の政治力が五十年間貧困であったかということを意味しているんだと思うんですね。  それで、私は余り難しいことは分かりませんが、自衛隊に三十五年間いまして、国家の防衛というものを体でやってまいりました。日米安保の権化のようなものであります。毎日アメリカ軍と訓練をしておりました。しかし、アメリカ軍の、アメリカの青年が日本のために死んでくれるとは一日も思ったことはございません。それはなぜかというと、日本の青年がアメリカのために死のうとは思わないからです。だれが人の国のために死にましょうか。だったら、なぜ自衛隊の方面総監が日米安保は空文だと。そういうことを言っているんではないんですね。アメリカの青年はこの地域におけるアメリカの国益を守るために命を捨てるでしょうし、自衛隊は我が祖国の主権と自由を守るために死ぬでしょう。今、アメリカの国益と日本の国益というのはほぼこの辺ではもう九九%一致していますから、だからこそ日米防衛協力というのは成り立つのであって、自らを助けれない者のために、助けない者のためにアメリカの青年が日本のために死ぬとは思えませんですね。それは私が確実に証言できます。  そういう意味で、これからすべての問題が国連の決議を背景に多国籍軍でやられるとすると、多国籍軍に参加できない日本の自衛隊は、じゃ何のためにあるのだということになります。私は、集団的自衛権の行使は憲法に違反するとは全く思いません。むしろ、そういうところへ出なくて日本が孤立していくことの方が憲法違反だと思います。やはりみんながこの価値観を共有して、リスクをバードンシェアリングをして、お金も出し、汗もかく。これはPKOもやっていますし、お金は嫌というほど出していますから。コモンバリューはもう大丈夫ですね。最後のその上にリスクをシェアリングするときに、それはできませんというのでは日本は孤立の道をたどります。その結果が日独伊三国同盟です。あの当時のヒットラー・ドイツ、ファシストのイタリー、これは今で言うと金正日政権とサダム・フセイン政権ですよ。それと小泉政権が手を握るという事態になるわけですね。ですから、私は、リスクシェアリングというのはせにゃいかぬ。そのための法制度を皆様に作っていただきたい。  かつて自衛隊の偉い方が超法規的発言ということで処分されました。しかし、あの方は立派な方ですけれども、一つだけ間違っている。超法規活動というのは、そこに法律があるからそれを超えるのであって、自衛隊には超えるべき法律もありません。自衛隊をどう使うか、どこからは駄目だ、どこまではいいという有事法制すら作れない政治に私たちは三十五年間いらいらしてきました。私は、文民統制というのは軍を使うときに一番大切なことでありまして、文民統制の道具である法律、これを作らない政治に非常に不満を覚えております。  以上でございます。
  77. 陣内孝雄

    委員長陣内孝雄君) ありがとうございました。  次に、浜谷公述人にお願いいたします。浜谷公述人
  78. 浜谷英博

    公述人(浜谷英博君) 浜谷でございます。  意見を述べさせる機会を与えていただきまして、ありがとうございました。  論点が、主題になっている論点が同じなものですから若干重複することもあるかもしれませんし、志方先生とはそれほど基本的な部分で違っているとは私は思いませんので、同じような論調になるかもしれません。  若干知識を整理する意味で、十年ほど前にさかのぼってちょっと論点を整理してみたいと思いますが、第二次大戦後の国際社会というものにおいて、冷戦期がちょうど終わろうとしたやさきに、九〇年八月のイラクのクウェート侵攻というのが起こったわけであります。世界はあれを見て、一瞬、大戦前に逆戻りしたというような懸念を抱いたところもあったわけですが、何とかそれを踏みとどめたものというのは、いわゆる国連安保理による実質的に初めてとも言えるような国際的な合意だったというふうに思うわけであります。冷戦後の新国際秩序と言われるようなものが確立される、言わば揺籃期に起こった副作用的な事件だったのであろうというふうに思いますが、国際社会は曲がりなりにもその際には一致して対処したのであります。  その後、九〇年の十一月になって国連安保理にとって初めてその武力行使を容認したいわゆる決議の六七八というものが採択されたわけであります。その際も、各国によっては思惑や温度差に若干の違いがあったということも、これまた過渡期でありますから致し方のないことであります。その後は、アメリカを中心としたいわゆる多国籍軍によってイラク軍がクウェートから放逐された。これは周知のことであります。  そして、湾岸戦争の終結に伴って九一年の四月になりまして、いわゆる停戦というものとイラクの大量破壊兵器の廃棄というものを定めた決議が六八七として採択されたわけであります。そして、イラクにその兵器のいわゆる廃棄というものを強く迫ったのであります。  しかし、その後の十年余、十年余にわたって十六本に及ぶイラクの決議無視というものは、正に目に余るものでありました。そして昨年十一月、いわゆる安保理は多くの決議で定めた違反をこのまま続ければイラクは深刻な結果に直面するという強い警告を込めて、国連安保理の一四四一というのを全会一致で採択したわけでございます。  つまり、大量破壊兵器のいわゆる廃棄義務履行というものに関する挙証責任というのは、これは全面的にイラクにあるわけでありまして、本来、査察団や国連が長期間かけてやるべきことではないはずであります。すなわち、自由な査察を保障するなということではなくて、いわゆる廃棄した、自ら廃棄した場所へ自ら案内して、その証拠を示してそして報告をするというのが本来の筋なはずであります。小出しの報告書はただますます疑念を深めるだけであるというふうに思うわけであります。  このように、国際社会が一致して一人の独裁者に対して平和のための義務履行というものを迫ったにもかかわらず、その無視と非協力、この非協力という態度に対する評価の違いですね。それからいわゆるその廃棄を迫る方法論の違い、査察の継続かその武力行使かという、その違いから逆に世界の団結が乱されるということは全く不合理でありますし、理不尽な話でございます。  国連を始めとした国際社会を混乱させて武力行使の是非、これをめぐって世界を緊迫化させたすべての責任がイラクにあるということは、これは明々白々でございます。それにもかかわらず、安保理決議違反への対応をめぐっては安保理常任理事国をも巻き込んで対立が先鋭化したというのは、正に皮肉というべきであります。国連を舞台といたしまして時々刻々と変化するこの情勢の目まぐるしさというのは、正に二十一世紀の新たな秩序の模索に伴う不確実性、これを象徴的に現しているのだろうというふうに思います。その結果が今回の四十五か国に及ぶ諸国の団結と武力行使、戦端が開かれたということでありますが、武力行使になったのは現状のとおりであります。  それらの分析とか、それから情勢の問題というのは、これはもう私の専門以外でありますし、また今日の目的でもございませんので、これ以上は触れませんが、このような状況における我が国の対応というものと、そのあるべき姿勢について若干の見解を述べまして参考に供したいというふうに考えております。  政府関係者やいわゆる小泉首相の言葉を借りるまでもなくて、日本にとって最も望ましい状況というのは、いわゆるこれは言い古されたことですが国際協調というものと日米同盟の両立が図られて、いわゆる新たな安保理決議が出され、なおかつ国際社会の一致したイラク包囲網というのができるというのがそれであったことは間違いないわけです。つまり、国際協調というのは、日本国憲法のいわゆる前文に書かれている国際協調主義というものに基づく国連中心外交というものでありますし、国際的な秩序維持というものを多国間主義で解決しようというその姿勢でもあります。  国連加盟以来、我が国は発言力や影響力をはるかに上回る貢献というものを拠出金の負担という形で行ってまいりました。これはもう御承知だと思いますが、日本の拠出金は二〇〇三年で一九・五一五%であります。これは、ちなみに比較しますと、フランスが六・四、ロシアが一・二、イギリスが五・五、中国が一・五でありますから、これを全部足すと一四・七三%でありまして、日本よりはるかに及ばないわけであります。これは国連を重視するという姿勢と期待とが正にうかがえる数字でもあるわけであります。  他方、日米同盟というのは、両国の平和と安全、及びその国民の自由と繁栄というものを保障し、自衛権の実効性を確保するために実現されているものでありますし、そのためには日米安保体制を堅持して日米間の防衛協力を推進するということでございます。二十世紀の終わりには、冷戦の終結に伴う新たな国際秩序の構築を模索しながら、なお冷戦の残滓が残っている東アジアの安全保障環境にも十分配慮した形で日米安保の再定義も行われたところでございます。  この国際協調と日米同盟というのは、これは二者択一の問題ではありませんし、正にウエートの掛け方の問題であります。オールオアナッシングではないということであります。常に国益を意識して、状況変化に即した微妙な対応が正に外交の本質でもあろうというふうに思うわけであります。  このたびのイラク攻撃に関しては、我が国を取り巻く安保環境それから国益からは当然日米同盟というものにウエートを置いた選択しかないというのもよく分かるわけであります。仮に国連がその機能不全に陥った場合のいわゆる担保措置として日米同盟に配慮しなければならないというのも、これまた当然でありましょう。ただ、今回の場合には、幾つかの点で政府は今後の外交指針を定めた国家の基本方針について、率直な言葉国民に見解を説明する必要があるのではないかというふうに考えております。  具体的な要点というものについては後で述べますが、日本の場合はドイツやフランスを始めとした常任理事国のように多様な選択肢を持っているわけではありません。しかし、持っているわけではないけれども、独立国としての原則というものやいわゆる対処基準というものは当然保持してしかるべきであります。その中では、米国に対しても本当の友人として言わなければならないということも当然あるだろうというふうに考えられるわけであります。  つまり、目的が正当でなおかつ意味があるというものであっても、手続をおろそかにすれば行動自体が理解されないことがあるということでございます。手続の公正さというのは、正にこれは法治国家の根幹でございます。これだけイラクの決議違反と義務不履行による不正というものがはっきりしているのにアメリカの行動に批判が多いというのは、正にこれは手続のいわゆる軽視、それからマスメディアへの説明不足、更には諸国への根回しと、この不足が露呈した結果ではなかろうかというふうに思うわけであります。  湾岸戦争時のいわゆるベーカー国務長官によるシャトル外交というものに匹敵するような外交努力というのが果たして尽くされたかどうか。確かに、アメリカはあらゆる手は尽くしたと、待ちに待った、もう待てないというところに来ているのでありましょうし、そういう気持ちが理解できないわけではありません。また、ここまでフセインを増長させたのは正に世界の無関心ということもあるわけですから、それに対する我々の反省点も多々あるということは十分理解しているわけであります。  ただ、ここでいわゆるセオドア・ルーズベルトの言った言葉をちょっと思い出すわけであります。彼は、こん棒を持ったときこそ穏やかに語れというふうに言いました。いわゆる大国のおごりと言われないためにも、正にハイテク兵器というこん棒を最も有効に使う方法については多少柔軟であってもいいのじゃないかというふうに考えるわけであります。  さらに、単独行動主義というものを標榜することによるアメリカの孤立化というのは、これは同盟国とともにそのまままたテロの主要な対象国にもなりかねない、これは友人としては忍び難いということもあります。また、まして武力行使後に来るイラクの復興、復興支援というのがアメリカ単独では不可能であるということがはっきりしている以上、多国間主義への回帰というものを説得することも今後の日本の役割としては重要ではなかろうか。国際社会からのアメリカの退場というのは、だれも望んではいないからであります。  ところで、今回の事例に関して日本と諸外国の対応を若干比較してみたいと思うんですが、その大きな違いというのは、立場や見解の相違ということではなくて、正に国民に対する説明時間の長さと機会ではなかったのかという感じがしております。  ブレア首相やシラク大統領のように、アメリカの政策を支持するにしろしないにせよ、国民や議会にいわゆる直接語り掛ける、また説得する、理解を求めると、この時間がいかに多かったかでございます。この数日は我が国議会でも熱い論議が闘わされておりましたから、それはそれで結構なんですが、こういう説明と理解を求めるという姿勢は多過ぎることはないわけでありまして、国民の理解を求めるためにはその機会をできる限り多くするということが必要でありましょう。政治指導者が自らの言葉で将来的方針と具体的政策を語る以外に国民の理解と支持を深める手段はないわけでございます。  次に、今回の政府の決断を国民に説明する際の欠かせない要点について若干指摘してみたいと思います。  まず第一は、国連決議のないいわゆる武力行使というものを支持することによって、国連中心外交というものを外交上の指針としてきた日本が、そのスタンスをシフトしたのかどうかということであります。そして、それと同時に、国益上の日米関係に配慮したその選択というのは理解できるんですが、その両者との間の関係をどのようにとらえているか、どのようなバランスでとらえているかということをやはり明確に説明すべきでありましょう。これはいわゆるぶら下がりの記者会見とかそういうものではなくて、これは真剣に国民に直接語り掛ける必要があると思います。  第二は、米国が多国間主義というものに重きを置かずに予防的先制攻撃というものを自国の国家戦略に組み入れて正当化して新たな戦争観を打ち出したということに対して、我が国はその在り方をどのように総括して、そして今回の支持表明につながったかということであります。これは明確にされなければならないと思います。いわゆるブッシュ・ドクトリン自体に対する理解と支持をも併せて打ち出したということなのかどうかは判然としていません。  従来の武力行使の正当性というのは、自衛権の発動と国連による承認ということによってのみ認められていたわけでありますから、その点を考慮するときには、その定義や見解に果たして変更があったのかどうかということは重要な争点であります。既存の国連決議、六七八、六八七、一四四一ということなどをもって武力行使の根拠とするというその理屈は分からないではありません。しかし、あくまで国連の枠内での行動というふうに考える考え方とするのは、考え方は、なぜ新たな国連決議を求めるために時間を費やしたかということの説明を余りよくしていないというふうに思うわけであります。  第三は、大量破壊兵器の廃棄という国連決議の履行をイラクに迫る、このことについては国際社会の一致した意思でありました。そうでありますから、これに対しては当然、国連が対応すべきであるということであります。  これが一部の国家による武力行使というものが止められない結果になってしまった。その上、目的が途中から若干変更されて、亡命を含むフセイン政権の打倒であるとか、それからテロとの関連であるとか、それに拡大されたということは、国連の合意というものも、また国際社会の理解というのもまだ得られていない段階なのではないか。要するに、そういう意味では、国際社会で培われてきた貴重な慣習というものも若干ほごにされてしまったような嫌いが見えるということであります。  イラク対応については、あくまで国連決議違反、国連憲章違反という問題で押し続けるべきではなかったか。その意味で、現在、国際的に確立されている主権国家の相互不可侵というこの基本原則というものを少なからず逸脱する今回の事例に対して、我が国がいかなる見解をもって支持したかという点であります。  この事例が、主権国家に対する攻撃や排除というものを理由と場合によっては可能にする先制になりはしないか、先例になりはしないかというふうに危惧するわけであります。これは国際社会のよって立つ原則自体、大きな原則自体を変更したことにもなりかねないと思います。  第四は、一時的にせよ国連機構が機能しなかった点にかんがみて、まあ国連というのはその程度のものだと言ってしまえばそれまでのものですが、新たなその段階、正にその新たな段階に達した国連というものへの対応というのを我が国がいかに考えているか。これについては、いわゆるナイ・イニシアチブという、ジョセフ・ナイという先生の、これは日米安保の再定義に貢献したアメリカの役人だった人ですが、この言葉が示唆的であります。  つまり、日本の果たすべき役割というのは、いわゆるハト派でもない、タカ派でもない、いわゆるフクロウ派というんだそうですが、フクロウ派であるべきだというんですね。知恵の象徴としてのフクロウというのは、正にこれはタカ派のように、多国間の外交などかったるくてやってられないというようなことは言わないんですね。しかし、かといってハト派のように武力行使を頭から否定もしない。性急な単独行動には、単独行動をいさめて、国連の場などを最大限に利用したいわゆる多国間主義を取りながら、多少時間が掛かっても国際社会の合意形成に汗を流すと。我が国は、こういうような役回りを果たすために努力することが肝要ではないかと。注意すべきは、この場合に間違ってもコウモリ派にはなってはならないということでございます。日本は国際社会に対して、このような姿勢を打ち出す覚悟をすべきときではないかというふうに考えるわけであります。  これらの点を踏まえた上で、今回我が国ができることというのは極めて限定的であります。戦闘行動に参加しない、これは求められてもいないわけですが、のはもとよりであります。また、集団的自衛権の政府解釈は変更しないというわけですから、それにも限界があります。また、包括的な安全保障基本法というのもいまだ先送りのままでありますし、正に具体的根拠法を作るといっても、これも時間的制約があるとすればこれもできない。そうすると、支持表明ということ自体が言わばメンタル支援といいますか、メンタルな支援にほかならないことになってしまいます。  つまり、アフガン地域でのいわゆる多国籍軍に対して、より大きな支援活動を行って間接的に米軍を支援するというようなほかは、すべてイラクやその周辺における邦人保護とか、それから避難の支援とか、それから人道支援としての難民保護だとか、そういうものが残っているだけであります。また、国内的に、原子力発電所などの重要施設の警備とか、それから要請があった場合の米軍基地などのいわゆる警備強化というもの、またテロに対しての各種対策、あとはすべていわゆる戦争の終わった後の復興支援ということになってしまうわけであります。  これは、安保政策の根幹にかかわる議論でありますから、これをそのままにして先へ進めるということは、これは日本が常に場当たり的な対応を今後も永久に続けかねないという、その重大な局面に至るわけでありますから、これは、先ほど言った四点の考え方をきちっと定めて、そして外交に対応すべきではないかというふうに考えます。  いずれにしましても、国民の理解と協力によって初めて政府の支持声明というものが力を得るわけでありますから、それを考えますと、先ほどの疑問に答えつつ、その結論に至るプロセスを詳細に明らかにして説明責任を果たしてほしいというふうに考えるのは私だけではないような気がいたします。  どうも御清聴ありがとうございました。
  79. 陣内孝雄

    委員長陣内孝雄君) ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  80. 世耕弘成

    世耕弘成君 自由民主党の世耕弘成と申します。  本日は、両公述人には、大変お忙しいところ、そしてまたアメリカのイラクに対する攻撃が始まったばかりという非常に重要なタイミングにお越しをいただいたことを御礼を申し上げたいと思います。  今、両公述人から、今回のアメリカの攻撃、そしてまたそれを支持した日本政府の行動に関しての評価がいろいろちりばめられたお話を伺いました。私は、基本的にはアメリカのイラク攻撃は支持しますし、またそれを早い段階で支持を表明した政府の判断は私は支持をしたいと思っております。  やはり私は、今回の攻撃でできる限りイラクの一般国民に被害が出ないことを心から祈りますけれども、一方で、フセイン政権に関しては私は全く同情の余地はないと思っております。  先ほどもお話が出ましたけれども、十二年間にわたって合計十七本にも及ぶ国連安保理の決議を無視をし続けてきたということ。そしてまた、イラン・イラク戦争や、あるいは自国内での少数派民族であるクルド人に対して大量破壊兵器、毒ガスを使用したという実績があるということ。そして、にもかかわらず、そういう毒ガスを使用した、作ったという動かない証拠がある。それを廃棄したことを証明するために各国が査察に入ったわけですけれども、その妨害をずっと続けて、五年前には、とうとう査察団自体がもうこれ以上査察をしても駄目だとあきらめて出ていくような状態になっていた。それでも国際社会は、更にもう一度チャンスを上げようということで昨年十一月以降、もう一度査察に協力をしなさいということで圧力を掛けました。そして、それに対してようやく、軍事的な圧力も含めて強い国際的な圧力でようやく渋々査察を今回受け入れた状態。しかも、先ほどもお話がございました、小出しに査察への協力をしているようなポーズをして、小出しに小出しに成果を見せているという状態でございます。  しかし、現実には、イラクが持っている大量破壊兵器というのは、これは小出しに証拠を出されていたんでは今後何年掛かるか分からないというぐらいいろいろなものがあるわけでございます。廃棄が証明されていないと言われているものだけでも、VXガスが三・九トン、これはサリンの三百倍の殺傷能力を持って、三億人の致死量だと言われております。ほかにも炭疽菌を一万リットルを持っているという話もございます。マスタードガスを千トン持っている。その他百分野以上に関して疑惑があると言われているわけでございまして、これは小出しにやられていたんではもう単なる時間の引き延ばしにしかならないと私は思うわけでございます。  フランスなどは査察の継続を言い続けたわけですけれども、私ははっきり言って半年間査察を延長しても何の意味もなかっただろうと思っています。一・五倍、日本の一・五倍の国土面積を持つイラクに対して二百人か三百人の査察団が査察に入って、そのイラクが全く協力しないという状況の中で、あるいは小出しにしか協力しないという状況の中で査察を続けても私は意味がなかった。そういう意味で、今回、アメリカが攻撃に踏み切ったというのは、ある意味致し方がなかったのかなと思っています。  特に、我々が意識をしなきゃいけないのは、やはり二〇〇一年九月十一日以降、世界の構図は変化したということだと思っています。やはり、テロリストとの戦いという新しい段階に入ってきたんだろうと思っています。そして、このテロリストに大量破壊兵器を供給する可能性のある国がそういった兵器を持ち続けるということは、これはもう世界平和の観点から絶対に認めるわけにはいかない。そしてまた、今、志方公述人からもお話がありましたけれども、テロに対してはやられてからでは遅いと、横綱相撲は取っていられない、いかに小国とはいえ、仕掛けてくるまで待ってあげようなんてことは言えない、そういう状況の中で今回の先制攻撃は致し方なかったのかなという思いがしております。  ただ、お二方からお話がありました。やっぱり基本方針についての説明が、浜谷公述人は不足をしているんではないか、あるいは志方公述人からは、やはり先制攻撃についてどこまで認めるのか、あるいは人道を守る、達成するためにどこまで非人道的行為をしていいのか、あるいは民主主義を守るためにどこまで民主主義を無視していいのかという問い掛けに対する答えは、確かに私もまだ十分ではないという思いがしております。  特に、私は小泉総理を支える立場ですけれども、先日のアメリカの支持を表明したときのぶら下がり会見は私は大変残念だったと、はっきり言って思っております。ちゃんと座って、自分の言葉できっちりと総理は説明されるべきだったと思っています。ただ、今ちょうど一時十五分から正に攻撃を受けての会見をやっておられますから、そこではしっかりとした説明が行われるんではないかなというふうに思っているわけでございます。  ちょっと私の考えを述べさせていただきました。  今回、アメリカはなぜこのイラクにここまでこだわったのか。やっぱり、大量破壊兵器、テロ対策、いろいろあると思いますけれども、もう一つはやっぱり石油だと思っております。  あのイラクのような場所にある国が、大量破壊兵器を持って、それを用いて、ある意味周辺の国を恫喝をして、石油の一種権限をイラクがもし押さえてしまうということになったら大変なことになるという判断、これはやはりアメリカが今回攻撃に踏み切った大きな判断根拠だろうと思っております。  となると、そういう意味では、実は日本が私は最大の今回の戦争の受益者になるんではないかと思っております。受益者という言葉がいいかどうかは分かりませんけれども、日本は中東に対する石油の依存度が八七・九%という、もうほかの国に比べて圧倒的に高い比率を持っているわけでして、これは日本は、はっきり言って今回の戦争で日本が守られるべきものというのが非常に多い。  先ほど、国益を、自分の国益を守らない国が、ほかの国が守ってくれるわけがないという御発言がありました。小泉総理もこの予算委員会の審議の中でそういう発言をされましたけれども、私は、今回日本がやるべきことの一つに、やはりこのオイルの、石油の防衛を日本自身でやるべきではないか。特に、カタールから西側の地域には、ラスタヌルラとかカフジとかアマディーとかカーグ島といった大きな日本向けの石油の積出し基地がある。これ合計しただけで日本の輸入量の四三%、実はここから出てきているわけでございまして、私は今回、タンカーの航行を防衛するというような行為を、これは私は日本が主権国家として国益を守るために取るべきではないかと思っておりますけれども、その辺、憲法との関係も含めてお二方のお考えを伺いたいと思います。志方公述人から。
  81. 志方俊之

    公述人(志方俊之君) 石油の話でありますけれども、イタリーがやはりアメリカに反対しなかったのは、イタリーがやはり中東に対する依存度が四〇%程度あるという。それから、ドイツは一二、三%で、ほとんど中東から入れていないと、ですから反対する余裕があったということであります。それから、フランスはなぜか反対したのか分かりませんが、中東に対しては非常に依存している。イギリスはお付き合いで買っているようなもの、自分が輸出国であります。アメリカは二二、三%で、ますますこれは増えていきます。  そういう観点からすれば、やはり今、先生がおっしゃられたように、受益者というのが適切かどうか分かりませんが、あそこが、サダム・フセインの大量破壊兵器を隠し持ったまま、みそぎを受けて生き残ったサダム・フセインがあそこに君臨したならば、あの周辺国の例えばサウジアラビア、これは世界最大だと言われておりますが、埋蔵量がですね。そういう国もだんだんだんだんとサダム・フセインの言いなりになって価格を決めてくる、生産量を調整する、いわゆる中東の諸国が石油というものを戦略的なものとして使ってくる。それよりも、やはり需要と供給の関係でプライスレートの中に収めていくと、こういうような体制の方が日本にとってはいいのではないかと思います。そういう意味で、我が国は今回アメリカの支援をしたことは非常に良かった、決断したことは良かったと思います、間接的な意味でですね。  それから、では日本は、じゃそういう石油資源をどのような手段で守ったらいいかと。日本で守っておっても駄目なのであって、百八十日ぐらいの備蓄なんかはすぐ飛んでいってしまうわけですから。やはり、湾岸から日本に至るいろんなチョークポイントがあります。マラッカ海峡もあります、ロンボクもあります、ホルムズ海峡もあります、ペルシャ湾もあります、バシー海峡、スプラットリーアイランド、みんなチョークポイントであります。こういうところが安定していないと日本には石油は来ません。したがいまして、じゃ、そこを日本の海上自衛隊が守るということはほとんどできません、国際協力なしにできませんので、やはりそういうところに対するODAというようなものも必要だと思いますが、やはり先ほど言いましたように、すべて金で解決するというのは最も卑しまれる国になるということでありますから、やはり日本の青年も出るところに出てちゃんと汗をかいた方がいい。  今、私は自衛隊におりましたから、中東の石油資源の確保のために自衛隊が貢献できる程度はどの辺かなと考えますと、例えば、海上自衛隊の船がペルシャ湾まで入っていって、そして日本船籍のタンカーを守る、これは個別的な自衛権としてできます。それで、ちゃんとした有事法制を決めてやるべき、やってはいけないことも決めて、そして出す。そうすれば、海上自衛隊が日本の船を守ってどこか悪いかという、そのことを言ってくる国はありません。そして、恐らくほかの船もみんなその後ろをついてくると思うんですね。  それから、陸上自衛隊は、今回の湾岸の戦争があったとして、もうあったわけですが、そういう場合もたくさんの私は難民とか捕虜が出るわけですから、捕虜なんかはちゃんとジュネーブ条約に従って保護できるように助けてやるということが大切です。  やはり、人道的な支援というのを中心に自衛隊はやったらいいだろうと思います。
  82. 浜谷英博

    公述人(浜谷英博君) 現行法制の下という限定で話す場合と、こういう新法を作った上でという限定で話す場合とでは結論が全然違うような気がしますが、現行法制の中でやるとすれば、ソフトな面は今、志方先生がおっしゃいましたので、ハードな面については、いわゆる海上警備行動だとか、そういう意味での護衛活動だとかいうのが想定されるわけですが、これについては、いわゆる海上警備行動についても、近海というような法律の解釈というのがまだ抜けていませんし、それから、例えば集団的な自衛権の問題もこれは解決しなければならない。  その場合に最も基本になるのは、やっぱり安全保障基本法というような有事法制そのものの体系を持っていない国が個別的なことに対して常にパッチワーク的なものをやっていたのでは、これは体系が取れない。ですから、やはりその根底にあるのは、安全保障基本法というものの制定を一日も早く原則をきちっと決めて、そして日本のやること、できないこと、それからやるべきこと、こういうものをきちっと区別して対応しなければまた場当たり的なものになってしまうんじゃないか。そっちの方の危惧を僕は恐れるわけです。
  83. 世耕弘成

    世耕弘成君 分かりました。  私も、今回は特別措置法を作ってでもやはりタンカーの警備とか、そういうことはやるべきだと思っておりますけれども、一方で、おっしゃるように、PKO法、テロ対策特別措置法、毎回パッチワークのように法律を作ってきている。やはり安全保障基本法、あるいは少し譲っても国際協力基本法のような、そういう法律は作るべきだろうと私も思っております。  さて一方で、日本は今回アメリカ寄りの姿勢を明確にいたしました。その分、日本には一つのリスクが増えてきたと思っております。やはり、テロの対象に日本人もなり得るし、日本国内でテロが起こり得るということでございます。  今日は開戦の日でございますけれども、もう一つ忘れてはならないのは地下鉄サリン事件が起こってからちょうど八年目の日だということでございまして、テロ問題についても考えていかなければいけない。  先ほどから断片的にニュースでは、政府はテロ対策の強化をいろいろと表明をしております。公安調査庁がイラク攻撃関連特別調査本部を立てたとか、あるいは法務大臣が上陸審査を徹底的に強化しろという指示を出したとか、あるいは厚生労働省がいろいろな薬物・生物テロに対する対応策を緊急に協議をしている、そういった動きがありますけれども、私はやはりテロ対策で一番働けるのは自衛隊だと思っております。  一昨年の自衛隊法改正で自衛隊に警護出動という新たな任務が認められたわけですが、非常に私はあのときの審議、残念だったです。私自身は、警護活動というのはもっと幅広にとらえるべきだと思っていましたが、非常に残念なことに、自衛隊施設あるいは米軍関係施設といった非常に限定的なところになってしまいました。私は、やはり原発とかあるいは発電所、放送局、あるいは新宿とか東京駅といったターミナル駅も警護対象にすべきだ、そういう法改正をすべきだと思っていますが、両公述人の御意見はいかがでしょうか。
  84. 志方俊之

    公述人(志方俊之君) 対テロ対策でありますが、日本が今回アメリカを支持したから日本もターゲットになるというのは非常に短絡的な考えだと思います。  バリ島で起こったテロは、バリ島というのは、清く正しく楽しく、世界から観光客を集めている。そして、やっていたわけですね。だれにも迷惑を掛けずにやっていたのに、しかもアメリカ人だけが来るようなところでもない。そこでテロが、イスラム教らしいという、犯人が、そういうのが起こる。要するに、テロというのにはジャンルがないわけです。一番手薄なところに来る。  そういう意味で、我が国は五十二基の原発があって、半分が日本海側にあります。そして、これをプロットしまして、そして拉致された人たちの場所をプロットしますと、ほぼ重なります。ということは、彼らは拉致もできたけれども原発を壊すことも当然できたわけですね。しなかったのが幸いだというぐらいのものであります。  それで、やはり我が国は、世界の原発で武装していないで守っている原発というのはもうほんのわずかしかありません。我が国は、そういう非常に困った国を、海の向こうにいる国が、無防備で原発を動かしているということ自身が私は信じられません。これは政治の責任であります。政治は国民の生命を守らなきゃいけません。そのための法的枠組みを作ることであって、民間の警備会社が守っている、そこにピストルを持ってきた者が来たら、もう入ってしまいますですよ。そういうことを考えますと、なぜできないかというと、我が国には武装した警備会社というのがないからです。私は、警護出動で自衛隊が出ることには反対ではないんですが、常時それはできませんです。何か緊急なときにはそこまでできるというのはいいんですが、毎日のように自衛官が原発の周りにいるなんということはできませんので、やっぱり諸外国がやっているように法律を作って、武装できる警備会社、そこの警備員というのは非常に信頼性の高い人を集めた警備会社。アメリカのペンタゴンは警備会社が守っておるんですから、武装して。そういうことをやったらいいだろう。  それからもう一つは、原発の位置ですね。韓国のようにみんな東側に置いてあるわけですね。何かやられても、みんな汚染された空気は日本に流れてくるようになっておるわけで、日本の原発についてももう少し私は再検討した方がいい。今やられたらチェルノブイリのようになって、日本海側の原発がやられますと、東京、大阪、名古屋、全部汚染されてしまうわけですね。こういう、しかも日本は原発に頼らざるを得ないということから考えますと、原発に対するテロ対策、こういうものについてはしっかりした法的枠組みを作っていただきたいと思います。
  85. 浜谷英博

    公述人(浜谷英博君) 警護活動そのものを広範にやるということについては私も志方先生と基本的には一緒なんですが、もちろん自衛隊の本来任務というのがありますし、それに差し障りがあってはいけないということはまず一つ指摘しておかなければいけないということと、それから人的な制限もありますし、もちろん能力的な制限もあります。ですから、広範囲にするということは望ましいことであっても、今の体制のままただ役だけ増やせということであれば、これは絶対に限界が来てしまうわけですから、どこかでまた手ぬるいところが出てきてしまう。そうするとそれがまたテロの対象になるということで、結局同じだと思うんですね。それから、それをだから十分考えた上で警護活動というのは増やしていくなり限定するなり、考えた方がいいということです。  それから、これは対テロの特措法のときも申し上げたことなんですが、テロに対する言わば危険性が増したというより、既に日本はテロの対象国ですから、いわゆる危険性はもう既にあるんですね。急にこの時点で危険性が高まったということは僕はないと思います。まして世界じゅうに、今の日本国民というのは世界じゅうに出掛けているわけですし、正にあの九・一一のときだって日本人が犠牲になっているわけでありますから、これはもうテロの対象であります。したがって、そのテロの対象の当事者意識がないというところが問題なんであって、早くこの当事者意識に基づいた基本法を制定しなければ、それは一歩も先へ進まない。みんな大事だ大事だとは言うんですが、具体的な行動が一歩も先に進まないというように、非常に日常歯がゆさを感じているということであります。
  86. 世耕弘成

    世耕弘成君 テロ対策も、今回の開戦とは関係なく一つの大きなテーマとして取り組んでいかなければいけないと思っております。  特に、私自身危機感を持っているのが警察比例の原則が自衛隊に課されているということでございます。今回のアメリカの先制攻撃というのは、テロに対しては警察比例は効かないということが一つの大きな根拠だったと思っていまして、そういう意味では、国対国の関係だけではなくて、我が国の中でも自衛隊にもう少し、特に隊員に行動の自由があってもいいのではないか、そのための私は有事法制というのをきっちりと定めていくべきではないかと思っております。  最後、一つテーマとして、北朝鮮問題をお伺いしたいと思います。  私は、北朝鮮の暴発があるかないかという議論、いろいろ勉強していますが、ないような気もしております。ただ一方で、やはり北朝鮮がノドンというミサイルを開発している。テポドンというミサイルを開発している。どう考えても、射程距離からいって韓国がターゲットではない。中国やロシアを撃つわけがない。アメリカにも核弾頭を積んだらテポドンでも届かないと言われている。もう明らかに日本をターゲットにしているわけでございます。  実はこの予算委員会でも、尾辻委員の質問の中で、防衛庁長官が答弁をされた中で、半径二・五キロの中には的中率五〇%、山手線の中が四キロだということで、山手線の中をねらえばほぼ百発百中入ってくる。これをどう止めるかというのはやはり政治が責任を持って考えていかなきゃいけないと思っています。  止め方として私は三通りしかないと思っておりまして、一つは撃ってきたものを撃ち落とす、もう一つは撃ちそうになったときにその撃つ基地を先制でたたきに行くということ、そして、三つ目が、そもそも撃つ気にさせない、撃ったら大変なことになるなという気持ちを持たせる、この私は三通りの方法があると思っています。ただ、今政府が検討しているのは、どうもこの三通りのうち一番目、いわゆるミサイル防衛システムで撃ってきたものを撃ち落とすということにのみ力を入れているんではないかという気がしています。  実はこれ、物すごいお金が掛かる。十兆円ぐらい掛かるとも言われています。しかも六割ぐらいしか日本の場合は落とせない。これアメリカであれば当然時間がありますから落とせますけれども、日本の場合は、北朝鮮がもし撃ってから日本の上空に達するまでには数分間の時間しかないわけでございまして、こういったものに私はお金掛けるのはどうだろうかと。それよりも、先制攻撃ができるような工夫、あるいは日米同盟の強化もそうですけれども、そもそも撃つ気にさせない抑止力を日本がしっかりとしたカードとして持つ、あるいは持つかもしれないぞということを相手にちらつかせるということこそが一番国民をこのノドンミサイルから確実に守る方法、お金を掛けずに守れる方法ではないかと思っておりますが、両公述人の御意見をお伺いしたいと思います。
  87. 志方俊之

    公述人(志方俊之君) 私は、やはり先制攻撃というのは、今、先ほど言ったように、人類が最初に今この段階で投げ掛けられていて、それについてアメリカが回答を一つ出したわけですが、日本もそれをやるということになる前に、やはりこういう場合には先制攻撃をするぞということが防衛基本法に書いてないからですね。防衛基本法がないんですもの。  防衛基本法というのは、こういうとき、日本は平和を愛していくんだと言っていながら、こういうときはそれは駄目なんだということがどこにも書いてないんですね。ですから、外国から見れば非常に危険な国だと思うんですね。防衛力はこういうときに使うんだと、こういうことをしても駄目、こういう政治的な努力をしても駄目、そのときに我が国は自衛のためにこれだけのことはやると、それがやっぱり基本法に書いてあったらいいと思うんですね。そしてまた、その手段を持てると、あるいは持つポテンシャルを持つということが重要だと思います。  それから、情報収集衛星も二十八日に上げますけれども、あれも取りあえずは四発ということですが、やはり十六発ぐらい上げて、三時間置きぐらい、アメリカと一緒になれば三時間置きぐらいにほかの国の挙動が分かるということにした方がいい。  それから、当面は、やはり今ある自衛隊のペトリオットシステムを早くPAC3にするということです。このPAC3にして、最終弾道で撃ち落とす確率というのはそれほど高くはなくても、やっぱりイスラエルを湾岸戦争のときに参戦させなかっただけの政治的な兵器であります。弾道ミサイルというのは政治的兵器です。それを守るのも政治的に守ったらいいと思います。  私は、PAC3にすることと、やはりお金も掛かるかもしれないけれども、日本人の考えている専守防衛の議論には、やっぱりミサイルディフェンスに踏み込んだ方がいい。その中で先制攻撃も一つの手段としてあるというのが好ましいかと思います。
  88. 浜谷英博

    公述人(浜谷英博君) 確かに理論的にはそう、理論というか物理的にはそうなるんでありましょうけれども、なかなかこの先制攻撃というものに対してはまだ国際社会の合意というものもまだこれはなされていないということでありますから、これを、日本がその手段を取れると、また取り得るというところを法律に書いて根拠にするというところまでいくには相当な議論と時間的なものがまだ必要ではなかろうかというふうに思っております。  したがって、PAC3にするということ自体は私も賛成でございますが、その技術的なことと同時に、いわゆる日米同盟というものの堅持、それから日米同盟がお互いの信頼関係の中で確固たるものになっているというこの事実自体が抑止力になっているんだろうと思うわけですね。  したがって、この際には、日本が自分の国を守るという当事者意識を持って、傍観者的な態度をやめて、そして、その基本法を作って、その意識を国民が全員共有するというような、そのために先生方には是非努力していただきたいというふうに考えております。
  89. 世耕弘成

    世耕弘成君 大変参考になる話、ありがとうございました。  時間ですので、これで終わらせていただきます。
  90. 佐藤道夫

    ○佐藤道夫君 民主党の佐藤でございます。  私から両先生にお尋ねしたいと思いますので、どうか率直な御意見を承ればと、こう思っております。  実は、今までこの問題についてはもう耳にたこができるぐらいマスコミを通じていろんな有識者の意見も承っておりまして、これを今更取り上げて、さあどうだこうだと、こういう議論も少しく気が引けるような気もしておるわけでございますので、余り今まで議論されていなかった問題を二、三取り上げまして、率直な御意見を承りたいと、こう思っております。  その第一は、国際連盟と国際連合を立ち上げたのは一体だれなんだと、こういう問題でありまして、先ほど志方公述人意見にも出ておりましたけれども、国際連盟、これは第一次世界大戦の後始末ということで、アメリカのたしかウィルソン大統領だったでしょうかね、提案であれが作られたわけでありまして、ヨーロッパは全体を戦図として戦ったわけでありますけれども、終わってみたら何と何と八百万人の死者が出たと、こういうことなんですね。うそ偽りのない八百万ということなんです。これは大体一般人が圧倒的に多かった。軍人ももちろんおりますけれども、一般人の死者がもう数百万人に及んだと。そういうことを、アメリカ人、非常に良心的ですから、もうこういうことはやめにしようと、国際に議論の場を設けて、そこで関係国が集まってみんなで議論をして、意見を交えて、そして平和裏に解決していこうということを提案して、そうだそうだと、みんなそう思いましてあれを立ち上げたわけですけれども、まだあの当時は余りそういう国際の場で議論をするということにも慣れていなかったわけですから、一番最初に造反したのは日本だったんでしょうかね。満州国問題でリットン調査団から厳しく非難されたので、もうこんなばかばかしいものは嫌だと、やめたと、こういうことで脱退しちゃったと。  あれが引き金みたいになって国際連盟がつぶれてしまって、その結果と言っていいかどうか分かりませんけれども、第二次世界大戦が起きまして、これは世界じゅうに戦火が飛びまして、そして終わってみたら、今度の死者は三千万人と。うそ偽りのない数字でありまして、これもほとんどが一般人。日本も大分貢献しているわけです、死者の数につきましては。特に日本は原爆投下を受けておりますから、広島と長崎、一般人があの場では二十数万人も死んでいると、こういう事実もあるわけでありまして、だれが考えてももういい加減戦争はやめようというときに、やっぱりアメリカが提案をして、関係国もそうだそうだと、今度はしっかりしたものを作ろうということで立ち上げたのが国際連合なわけですよね。  そこで、私、大変不思議に思うんですけれども、アメリカが自分たちが苦労して作り上げて、これからは多少時間が掛かっても話合いの精神でもってやっていこうと、関係国の意見を交えてできるだけ一致を見出して、その線でやっていこうというのにかかわらず、率直に言うと、今度は国連を全然ないがしろにしたと、こう言われてもアメリカちょっと弁明できないんじゃないでしょうか。もう、一回、もっともらしい議論をしているようですけれども、とてもそんな時間掛けて付き合ってられないということで、今回、もう査察団も退去しろというような指令を出して、本日の戦争に突入したと。  一体、自分たちの先輩が国際連合、国際連盟を立ち上げて、どんなにその間に苦労があったのかということを今のアメリカの当局者は考えないんだろうかと。確かに時間は掛かるし、フランス、ロシア、ドイツ、いろんなことを言って、それを一々なだめて歩くのも大変かもしらない。しかし、そういう組織を作り上げたのは自分たちの先輩ですから、これはもう本当に耳を傾けて、年月が相当掛かろうとも、何か数か月ぐらい査察を継続しようと、そんなばかなことは付き合ってられないと、こんな感じなんでありましょう。  私、これ本当に納得できないんですよね。どんなに戦争を急ぐのが大変だなと、急ぐべきなんだということがあったにしましても、別にイラクが今周辺国を侵略しているわけでも何でもないわけですから、見た目には、どうぞどうぞ査察もゆっくりやってくださいませと、協力もいたしますと、そんな感じです、報道で見る限りは、イラクの態度というのは。  その辺のところにつきまして、アメリカの態度、先生方どういうふうにお考えなのかどうか、率直に承ればと、こう思います。
  91. 志方俊之

    公述人(志方俊之君) 先生は、アメリカは良心的な国民でというお話でございましたが、私は、アメリカは良心的な国民とは思っておりません。アメリカはアメリカの国益のために良心的であろうと思います。それで国際連盟を作ったウィルソン大統領の理想主義、そして自分の国は批准しないという、ああいうこともあったために、国連、国際連盟というのは余り力を発揮することなく世界を第二次大戦に突き込ませた。そして、造反した日本という、これもそのとおりでございます。要するに、余りにも理想主義的なものは役に立たなかったという証明でございます。  それから、国際連合もユナイテッドネーションズであって、国際社会の政府ではないんですね。無論、ですからほかの国では国際連合なんて言っていません、国際連合国と言っていますからね。ですから、一つ一つ違う国の意見を最大公約数を取ろうというものが国際連合であって、国際政府ではございません。  我が国が国連中心主義ということで国連にいろいろやってきたのは、それはそれで私は正しいことかと思いますけれども、何となく自分で世界の安全保障にコミットすると、なかなか問題が起こるから国連にお任せしていこうという、私は国連丸投げ主義ではなかったのかと思います。そのため、国連のために何をやってきたかといったら、安全保障ではお金を出すことだけですから、そういうものに国連がどうだこうだということを言う権利はないと、私は思うんです。  それから、今、先生お話は全くそのとおりであって、あと六か月延ばして何で悪いのかと言うけれども、じゃなぜ十二年間、それを強制することができなかったのか、国連の権威をなぜ実行することができなかったのかという疑問も同時に起こるわけであります。そして、六か月査察を続けるためにはどれほどの軍事的圧力を掛けなければならないかということはもう自明の理であります。それに対しても我が国は何にもしないで、駐留費の一部を払うというならまだしも、何もしないで六か月やったら、六か月先に、本当にサダム・フセインが全部それをなくせるかという保証はありません。やはり私はもし日本がそれに反対するならば、こうすれば六か月で確実にサダム・フセインが大量破壊兵器をなくすんだというしっかりした対案を出してアメリカを説得する必要があると思います。
  92. 浜谷英博

    公述人(浜谷英博君) 日本という国がいわゆる国連に過大な期待を抱いているということについては率直に認めざるを得ないんじゃないかと思いますね。要するに、国連というのは、もとより、いわゆる国益と国益が熾烈にぶつかる場所でありますから、その中でいろんな主張がぶつかり合うということは逆に当たり前のことでありまして、国連で話がまとまるということの方が奇跡に近いんじゃないかという感じさえ抱いています。  かといって、じゃ国連は何も機能しないかということになると、いわゆる国連という組織を作って、今、先生がおっしゃられたような歴史的経緯があって国連ができて、そこで多国間主義、言わば国際協調の考え方を導入するということは、これはまた人間が考えてきた知恵なわけであります。ですから、この知恵を逆にいかに生かすかというところが正にこの正念場に今掛かっているという気がするわけであります。  ただ、アメリカの行動というのは、これは権力と実力というのは一方に偏ると必ず身勝手な行動になるということは、これはもう古今東西、歴史の証明するところでありますから、国際社会が幸か不幸かアメリカが絶対的な、言わば政治的、経済的、軍事的にも優位に立っているというこの現実がなければこういうことは起こらなかったんでありましょうが、当然国家では、国家組織ではありませんので、権力の分立性というのもございません。いわゆるこれをどうやってまた多国間主義に戻すかということは、またこれ新たな知恵というものを出して、またそれにアメリカを何といいますか、巻き込んでいかなければいけないだろうというふうに考えております。  権力分立性そのものは、これは要するに国際社会の中では無理でしょうけれども、いわゆるアメリカも多国間主義を取ることによって、いわゆるメリットがあるということはいろんな形で証明できると思いますね。したがって、そういう証明を日本が友好国として言わば助言していくという態度が今後早急に求められるんじゃないかという感じがしています。
  93. 佐藤道夫

    ○佐藤道夫君 最近の新聞を読んでおりましたら、アメリカの外交官の中に最近離職する人たちが増えていると。やはり国の行き方に自分たちとしては賛同できないと。その理由は、多分私が考えまするに、一方的に国連での協議を打ち切って、もう戦争に走ると、そういうブッシュ政権の行き方に賛成できなくなっているんじゃないかと。これはアメリカの良識派の人たちと、こう言ってもいいと思うんです。今まで十年議論をしてきたと。じゃ、あと数か月なぜ議論ができないんだという当たり前のことなんですけれども。  私、問題にしているのは、先ほども言いましたけれども国際連盟、国際連合を立ち上げて、そういう場でみんなが虚心坦懐、議論をしていこうと、こういうことを主張してそれを作り上げたアメリカが、国連なんてばかばかしい、あんなものを相手にしていられるかと言わんばかりのことで国連のあれを打ち切って戦争に突っ走ってしまったと、これについて世界のやっぱり人たちみんな首をかしげておるんじゃないでしょうか。反戦デモが大変な、あちこちでは、どこの国でも何万人集まって大騒ぎをしたと言われておりますけれども、やっぱり世界の人たちもアメリカの行き方に基本的な疑問を持っておるんじゃないでしょうか。それを、できたらアメリカに本当に耳を傾けて、いや、もう一度改めて議論をしよう、こういう気になってもらいたいと、それにはやはり友好国である日本、先ほど話が出ましたけれども、そのとおりだと思うんです。  アングロサクソンというのはまじめに議論をする民族を大変尊重するんですよ。ところが、こう手をやって、ああ、そのとおりでございますというのは、君には本当に感謝しているよ、湾岸戦争でも金を出してもらってありがとうよというようなことを言うんですけれども、腹の中じゃばかにしているんです、あれ。その辺のもうどうでもいいような連中なんだ、頭下げておけ、そうすると金がもらえるよというようなことなんで、やっぱり言うべきことをきちっと言うことが大変大事なんじゃないかと、こういう感じがいたしますけれども、これ私の個人的な感想なのか、先生方いかがでしょうか。
  94. 陣内孝雄

    委員長陣内孝雄君) 何か御意見ございますか。
  95. 志方俊之

    公述人(志方俊之君) はい、あります。  私は、国連を崩壊の危機に陥らせようとしたのはフランスだと思います。十二年間その国連の一つの決議も守らせない国連に、十二年間待ってこれは駄目だと思って、やはり力でも使ってやろうということと、アメリカのそのいわゆるやられる前にやるというそれが結び付いた結果だと思うんですね。  フランスはアメリカに対して、自分たちが賛成することを高く売ろうとしたのではないか。その証拠は、当初六か月延長しろと言っていたのが、いや一か月でいいと、最後には。そして、今は部隊も出すぞと。これではフランスの意図というものが全く、先生が言われる、言うことは言うということにはなっていないと思うんですね。本当の、いわゆる取引をしてきたんではないか、そのことによってやる。ですから、私はこれは国連を無視したのはアメリカではなくて、むしろフランスが危機に陥れたということだと思います。  それからもう一つ先生は今湾岸でお金を出したけれどもばかにされたと。そして、やはり言うべきことは言った方がいいと。私もそのとおりだと思います。しかし、言うべきことを言うためにはやるべきことをやらなければなりません。今回の湾岸からアフガンですね、この危機においたって、ドイツは言うべきことは言っていますが、やるべきことはやっています。アフガンにはちゃんとISAFの部隊を出し、それからアラビア海では臨検に参加しております、海軍が。それから、戦争が拡大しないようにPAC3のミサイルをドイツからイスラエルに運ぶ、それからUNMOVICにはヘリコプター部隊を派遣しています。日本はやることは何にもやらずに金だけ出す。ばかにされて当たり前であります。やはり言うことを言いたければやることをやって、そしてお金も出したら私は言います。そして、敵国条項を早く国連憲章からなくしていただきたいと思います。
  96. 浜谷英博

    公述人(浜谷英博君) 国連の、そういう機能不全に陥らせたのは確かに今見る限りはフランスが一番責任があるのではないかと思いますが、しかし十二年間の放置というのは、これはフランスに限ったことではないと思います。これは全世界の国がいわゆる大した関心を持たなかった。湾岸戦争のときにあれほど国際社会が一致して、そしてイラクの不正というものをみんな認識して、そしてああいう湾岸戦争にまで突き進んでいったはずなのに、その後の査察については余り国際社会は緊張して見てこなかったのではないか。  ですから、今十二年後、十二年後というその十二年、もう十二年もたったのかというそういう感想を持つ人が非常に多いというのは、正に関心がなかったんだと。その関心がなかった、世界の関心のなかったことにイラクが付け込んで、そしてそれを無視して非協力的な態度を取ってきたということであるというふうに思います。  アメリカについては、いわゆる九月十一日の事件が起こってから、そこで言わば拍車が掛かったというのもやはりこれは心情的には理解できるように思うんですね。したがって、それはアメリカの行動を全部支持するというわけではございませんけれども、その心情的なことは理解できるということであります。  今現在、何か急に降ってわいたようにアメリカがしゃかりきになって急いでいるというニュアンスは、それはちょっと誤解があるんではないかと。要するに、全世界の今までの放置がそういうふうになっていたということです。そして、最近は全世界的な反戦の運動は確かに多いというふうのは感じます。  しかし、その前に、この今の反戦の言わば行動というものの前に、イラクがその決議を受け入れて、イラクがその国際機関の決議を守れという、そういう運動というのはほとんどなかったんだろうと思います。したがって、全世界の国民の中に、いかに無関心であったかということがこういう問題を言わば生じさせているという、この反省はしなければならないと思います。
  97. 佐藤道夫

    ○佐藤道夫君 同時多発テロ、一昨年の九月十一日ですか、起きたときに、あれから一週間後か何か、ブッシュ大統領がはっきりと、これはテロではなくて戦争だと、こういうことを言いまして、そしてテロリストの背後にはオサマ・ビンラディン、それからタリバン政権、アフガンのタリバン政権があるということで、あっという間もなしにアフガンに攻め込んでしまった。あれは一体、法的な手続をどう考えているのか。私、若干法律家なもんですからすぐ気になるんですけれどもね。タリバンあるいはオサマ・ビンラディンの共犯関係というのは一切言及も何もしていないんですね。要するにアメリカが、あいつらが黒幕にいるんだということで攻め込んでいってしまったと。今度はアフガニスタンを平定したものですから、安心して次の黒幕、アラブテロリストの黒幕はだれだと、ああ、これはもうイラクのフセインだと、こういうふうな発想でイラク攻撃が始まったんじゃないかと。  イラン・イラク戦争のときはアメリカはイラクを支持していたわけですからね。それはもう、そういうことは平気でやっておって、そしてイラクの侵略性が明らかになったら、これはもう我々が目を離していると中近東すべて支配するような超権力国家ができ上がるかもしらぬということで今、これは何とかしなければならないという考えで、それには一日も早い方がいいと。そんな五年、十年、いや少なくとも六か月、そんな待てるような余裕はないと、こう言い出しているんだろうと私は思うんですよ。  やっぱりアメリカの対応のしぶりに、私大変な問題があったと、こう思うわけでありましてね。特にブッシュ大統領というのは、これは笑い話としてお聞きいただきたいんですけれども、子供たちというのは戦争ごっこやりますね、おれが勝ったおまえは負けたとか、大変戦争ごっこの好きな坊やが大きくなって今アメリカを統一、統べている、指導していると、そんな感じがしてしようがないんですよね。やっぱりきちっとした民主主義国家ですから、彼の一存でアメリカという大国が動いていることは絶対ないんだと、世界の人はそう思っておりますけれども、どうもそうでもなさそうな面もないわけじゃない。  アメリカの国のこれからの行き方というのは、実はこれ、世界にとっては大変大事なことなんですね。フセインなんて何だ、あんなテロの国かと言って済むのかもしれませんけれども、アメリカはそうはいきませんから、そのうち日本で生意気なことを言うやつが非常に増えている、じゃ今度はターゲットは日本かなんということを言い出さないとも限りません。もう少しちゃんと細部見させて、やることをやらせろと、それがいいも悪いもないと。  要するに、アメリカのそういう行動体系というのを、やはりそれなりの注意心をもって見守ることが大変大事なんじゃないかと、私そう考えておりますけれども、いかがでしょうか。
  98. 志方俊之

    公述人(志方俊之君) 私は、先生のおっしゃることに賛成でございます。  アメリカの行動がすべて正しいとは思いません。私もアメリカに駐在官としておりまして、アメリカが常に正しいと思ったことは一度もございません。アメリカは、さっき言ったようにアメリカの国益で動いているのであって、その国益と日本の国益を比べ合わせて、言うべきことは言う、やるべきことはやるというのが全く正しいことである。  もし、あの同時多発テロがニューヨークでなくてパリのエッフェル塔で行われたら、フランスは今回やっていると思うんですね。やはり、この同時多発テロのトラウマというのが今回のこのプリエンプションといいますか、先制攻撃の要因の一つにあったと思うんですね。  ですから、そういうトラウマになったアメリカ人のことを考えますと、もう少し冷静であってほしいとは思いますけれども、アメリカの歴史の中で三千人の人が一日のうちに殺された、しかも市民ですね、これは初めてでありまして、あの地のこと、あの跡地のことを彼らはグラウンドゼロと言っております。グラウンドゼロというのは原爆の爆心地のことをいうわけでありまして、アメリカにとってあれは原爆を落とされたことと同じであると。その貿易ビル、世界貿易センタービルはその前にも一回爆破テロが行われて、そのときの犯人を追跡するところにイラクという国が出てきた。それでアメリカの中でこのテロ、大量破壊兵器、アメリカというのがあると。そして、トラウマがある。そして、十二年間のアブセンスがあって、そして私はやったんだと思うんですね。  ですから、私はアメリカを先生のようには美化しておりません。
  99. 浜谷英博

    公述人(浜谷英博君) 確かに、アメリカというのは第一次、第二次大戦を通じて自国の本土が戦場になった経験がありませんので、したがってああいうものを目の当たりに見れば、確かにこれは一時的にナーバスになるというのは非常に理解はできると思います。  ただ、テロではなく戦争だというのは、当事者としてアメリカという国がそういうふうに判断するということについては、これは我々がとやかく申し上げてもどうしようもありませんが、しかし自衛権の行使であるとかいうものについては、やはりこれは第二次大戦以降についてもいわゆる国際社会の中で一つ一つ積み上げてきた定義と、それから認識と、それから知恵があるわけですね。したがって、これを全部ほごにしてしまうような形で処理する、またアメリカが行動するということは、これはぐるっと一回りしていって、またアメリカが困ったことになってしまう可能性も否定できないと思うんです。  やはり、多国間主義というものが根付いて、五十年間根付いてきたというのはそれなりの知恵があるわけですから、その知恵に早くアメリカも気付いて、そしてそこで行動することの方がよっぽど自分の国にとって言わば苦労がないということが、ということをなるべく理解できるような方法をこれは我々は考えていかなきゃいけないんじゃないかというふうに考えております。
  100. 佐藤道夫

    ○佐藤道夫君 最後に、イスラエルの問題にちょっと触れておきたいと思います。  イスラエルという国は、国が建国以来倍ぐらいに膨れ上がっているんでしょうか。ヨルダン川西岸をほとんど占拠して、ユダヤ人入植地を決めまして、どんどんどんどんそこに入植をしていると。アラブ人から見れば、本当に先祖伝来の土地ですから、そこに何か全然言葉も通じないような連中が入ってきてということで、少しく反乱、抵抗もすると。それに対して、すぐイスラエル、今のイスラエルの首相がそうなんですけれども、すぐ戦車その他を繰り出していろんな事件を起こしてしまうと。  アラブ人から見れば、イスラエル、ユダヤ人、ユダヤ人イコールアメリカ人と、それぐらい単純な見方をしていますから、イスラエルがあんなでかい顔をしてこの辺を荒らし回って、出ていけ、出ていけと。我々の先祖伝来の土地から我々を追い出そうとしていると。その背後にはやっぱりアメリカがいるからだと、こういう目で見ていることも間違いないと思うんですよね。  この辺のことについても本当に議論する場というのは国連しかないのかもしれませんけれども、真剣に議論をして、アメリカにも反省するところは反省させる、イスラエルにも同じように反省を求めると、そういうことも大事なんじゃないかと私は考えておるんですけれども、いかがでしょうか。
  101. 志方俊之

    公述人(志方俊之君) 先生のおっしゃるとおりだと思います。私もイスラエルへ行ってゴラン高原の部隊を見たりしていたんですが、やはり二千年前にマサダのとりででローマ軍に滅ぼされたユダヤ系の人たちが世界に追われて、大変な迫害に遭って、どこか国が欲しいと言ったときに、国際連合があの地を与え、そしてイギリスが放棄した後はアメリカが擁護してイスラエルが建国したわけであります。やはり二千年の迫害を受けて非常に過剰に反応するんだと思うんですね、サバイバルのために。  現地に行ってみますと、やはりあそこは徹底的に水という問題があって、ガレリア湖が水がめであります。死海はもう海に通じていない。その間には小さいヨルダン川があるというそういうところでありまして、ゴラン高原に立ってみますと、あそこをイスラエルが取らなかったらもうシリアにすぐやられちゃうなということが分かるし、今度はシリアの方を見ると、ダマスカスまで一瀉千里ですから、これはやはり国連が二千年のこのアンタゴナイゼーションですかね、こういうものに敵意の、何といいますか、生存を懸けた戦いに二千年掛かって、追われたものを、五年や十年でワイリバー合意だとかストックホルム合意とか、ああいうことだけで根本的には私は直らない。二千年掛かってデバイディドされたものは少なくとも千年掛かる。  今、そういう意味で、ゴラン高原に自衛隊が行ってその間に立って、そこが二度と争いの地にならないようにする。今現実に、イスラエルの人とイスラムの人というのはそんなに憎しみ合ってはいないんですね。政治となるとああなるんで、やはりしっかりした政治家が両方にいないことに問題があるんだと思います。
  102. 佐藤道夫

    ○佐藤道夫君 極めて簡単で結構です。
  103. 浜谷英博

    公述人(浜谷英博君) 国際政治にダブルスタンダードは付き物だというふうに言ってしまえばそれだけの話でありますが、やはり国連というのは決議には下手くそですが話合いはうまいですから、なるべく国連に期待したいと思います。
  104. 佐藤道夫

    ○佐藤道夫君 どうもありがとうございました。  終わります。
  105. 山本保

    ○山本保君 公明党の山本保でございます。  私は、こういう分野で質問させていただくのは初めてでございますし、我が党の中にもいろんな御意見があるということは御存じのとおりでございますので、今日、私がこれから伺うことは党の代表という意味では全くございません。私個人でお聞きしたいと思っておりますが。  最初、ちょっと本当に両方の専門家先生お話を初めて伺って、失礼な意味ではないんです、本当に素直にお聞きしたいんですが、お二人でどこがどう意見が違うのか私どうも分からないところがございまして、志方先生、浜谷先生から、お互いにこことここが違うんですよということをちょっと御説明いただけませんでございましょうか。
  106. 陣内孝雄

    委員長陣内孝雄君) どちらから。
  107. 志方俊之

    公述人(志方俊之君) 二人の意見ですか。
  108. 陣内孝雄

    委員長陣内孝雄君) お二方同士の意見の違いを。
  109. 志方俊之

    公述人(志方俊之君) ここが違うということよりも、私は実務家であります。元々は数学をやっておりましたから今の国際関係というのは余り知らないんですが、自衛隊に三十五年間おりました現場から見た今の国連というものであります。  先生は学者でありますから、先生の話をどうぞ。
  110. 浜谷英博

    公述人(浜谷英博君) 違いをクリアにせいということについては、ほとんどないというのが答えだと思います。要するに、基本的なことでは僕は志方先生と違っているとは思っていません。  ただ、いわゆる国連を、いわゆる国連という組織をかなり現実のものとしてとらえて言わばリアリストとして見るのか、それとも国連にもう少し何か理想的なものを少しく期待して、今まで戦後の五十年間の知恵をもっと働かそうというところにかすかな期待を持っているかという、その期待の量の大きさが多少違う程度が違いではないかという感じがしております。
  111. 山本保

    ○山本保君 ありがとうございます。  失礼なことをお聞きしたかもしれません。  ただ、お聞きしていまして、今回の政府の対応に関しては微妙に違いが、御判断に違いがあるのかなという気はいたしました。この辺は志方先生、いかがでございましょう、ちょっと追加でございますけれども。
  112. 志方俊之

    公述人(志方俊之君) 先ほど、説明責任のことで私は触れなかったために大きな違いがあるようにお感じになったかもしれませんが、私は今回の政府の説明責任はもう少し具体的にやった方がいいと思いました。  それは、あの事件が、日本が賛意を示すという、支持を示すということがあってからいろんな外国の記者が日本に来て質問をしたんですね。その質問の共通している点は、今まで日本は戦争より平和だ、正当化される戦争なんかないんだ、いわゆるパシフィズムですね、これでずっと来たと、そういう具合に世界は理解していたが、今回の小泉総理の決断は必要なやむを得ざる戦争もあるということを言ったことであって、これは大変な日本の国策の変更である、いわゆるルビコンの川を渡ったといって、それを渡ったのはなぜだろうかといってその原因を探りにきて、日本の官公庁、政治家にお会いすると、自分たちがルビコンの川を渡ったことをしたんだという自覚もない、何だろう、何か変わりましたかという、それでみんなびっくりして、日本人はこの今回の支持というものを余り変わらずに何となく、韓国のことも朝鮮半島のこともこれあり、石油のこともこれあり、何かそういうようなことで、また特措法の一つでも通してやればいいやとか、そんなことで考えたんではないかという、外国人の記者が非常に不思議がっておるんですね。  ですから、やはりこれは私はかなり大きな決断ですから国民に分かりやすく説明した方がいいと思うんですね。国民は一四四一とか六七八と言っても分かりませんですね。世の中にはやむを得ざる、支持せざる戦争もあるんだということをしっかり国民に説明していただきたかったと思います。
  113. 山本保

    ○山本保君 浜谷先生、今ので、先ほどお触れになったと思いますので、よろしいでしょうか。──はい。  それでは、次に別の質問をさせていただきます。  私なども、教育とか福祉をやってまいりましたので、そういう点でいえば正に楽観的な観念論者だったのかもしれないなという気がしましたし、また今回のをこう見ていまして、日本の、先ほどそういうお話もありましたが、国連の中での地位、位置といいますか、全く力がないんだなということを実感させられたような気がしております。  そこで、私はただ、ただ私は、個人的には、この憲法が示している世界から戦争を追放したい、その先駆を日本が切りたい、こういう気持ちは非常に大事にしたいんです。ただ、その場合に、先生方のように、実際のリアルにそういう現状分析をし、そして即座にどのような対応をすべきかということを検討されている方の御意見はやはり聞かなくてはならないなという気がいたしました。  そこで、日本が無力だったのは軍隊を持たないからだ、こういう結論にもしなるんであれば、もうちょっとこれは私としてはこれ以上まずそこではお話がないんですが、できましたら、こういう立場の者に対して、そうではなくて日本の理想というものを追求することはできるのかどうか、加えて、時間もありませんので、その中に当然、先ほど問題になりました国連というものがそういう世界の平和というものに果たすことを夢見ることは本当にできないのかどうか、こういう点について両先生からお伺いしたいと思っておりますが。
  114. 志方俊之

    公述人(志方俊之君) 日米安保をよく見ますと、国連の安全保障機能が実効に至るまでの間、日米安保でやるということが書いてありますが、私は日米安保のさっき言ったようにずっと実務者でありました。アメリカの兵隊が日本のために死なないとは言いながら、この地域における日米の国益というのは本当に一致しておりますから、日米安保は非常に大切で、冷戦時代はヨーロッパでは集団防衛ですね、どこか一つやられてもみんなのやられたことだといって反撃すると。アジアでは日米とか韓米とか、二国間を束ねたもの。この新しいパラダイムになったこの二十一世紀の環境は、集団防衛よりも、NATOのようなものよりも二国間関係の方がよっぽど信頼性があるという時代になってきたわけですね。  日米安保というのは、五十年間培った信頼性があります。それと、先生が今夢とおっしゃいましたけれども、そういうことは必要だと思います。国連も大切ですけれども、国連をまだ夢見る段階ではないと思いますね。やはりこれから先は国連で解決できる問題は非常に少ないと思います。五十年前にできた組織ですから。五十年前、この辺は廃墟でした。ここだけが残っていたんです。そのときに作った法律で今の世の中を御すこと自身がおかしい。私はアメリカがくれた憲法は悪いとは思いません。極めてあのときの憲法としては立派だと思いますね。しかし、あれを五十年守ってきた日本人の方が悪いんだと思います。
  115. 浜谷英博

    公述人(浜谷英博君) 先ほどプレゼンテーションのときに、私、フクロウ派になれということを申し上げました。いわゆる日本が国連決議至上主義を取るということの危険性というのは確かにあるんですが、その組織を最大限に利用するということについては、フクロウ派に徹することによって日本の立場がかなり明確になる、また日本の言わば尊重されるような立場を維持できるという気がしております。  とはいえ、国連決議があっても日本は武力行使はしないということだけはこれは明言しているわけでありますから、じゃ、どこまでならやるのかと。例えば国連軍だったらいいのか、それから国連軍であっても後方支援しかやらないとか、それから多国籍軍だったらどうなのか、多国籍軍であっても後方支援すらやらないとか、いろんな段階で考えができると思うんですね。これについて、要するに今の政府もいわゆる確たる原則がない、これは議論してこなかったんでありますから。  そういう議論を含めて、いわゆる有事法制なり安全保障基本法なりを早く定めて、そういうものの中で議論することがやっぱり最も適切だと思うんですね。何か事が起こったときにやるというのは、いわゆる必ずやり過ぎもありますし、それから恐怖の概念からやらな過ぎもありますから。ですから、何もなかったときの平静なときにそれを十分議論するということを我々は怠ってきたわけですね。したがって、なるべく早い機会にそういうことを真摯に議論する機会を作って、そしてそういう法体系を確立した方がいいと。今までは、できるできない、できるできないの議論だけがやられてきたと思うんですね。必ず法制局に聞いて、いわゆるできるかできないかを聞くと。法制局は要するに政策を作るところではありませんから。したがって、できるできないの議論のほかにやるべきことというのが必ずあるわけであって、そのやるべきことのために日本はどうするかということですね。それをやっぱり考えるのはフクロウ派であって、そしてなおかつ国連を中心にしてそれをやるべきことというのを考えるということもいいと思うんですね。  有事法制そのものも、いわゆるできることとできないことを判然と区別することによって、あれを作ることによって周辺諸国に脅威を与えるという人もいますけれども、そうではなくて、できることとできないこと、日本がやることとやらないことをきちっと区別することによってしか周辺国の信頼醸成はできないと思うんですね。したがって、それを早く進めていただきたいというのが希望であります。
  116. 山本保

    ○山本保君 どうもありがとうございました。  終わります。
  117. 井上哲士

    ○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。  浜谷公述人にお聞きをいたします。  今日、イラクへの攻撃が開始をされる、そのさなかで今日の公聴会開かれております。私どもはこの攻撃は即時中止を求めております。第一に、国際憲章の平和のルールを真っ向から踏みにじるものだからであります。今回、国連安保理は戦争の根拠になるいかなる決議も行っておりませんし、だからこそ米英が新しい決議を求めまして、そのたくらみ自身が失敗をしたわけですから、正にこの戦争が国際法上の根拠を持たない道理のないものだと思います。二つ目に、イラクの大量破壊兵器問題を平和的に解決をするその道を力ずくで打ち切ったと言わざるを得ないと思います。査察団は大量破壊兵器の破壊のために数か月の査察延長が必要だという報告を安保理に行いまして、かつ具体的な作業計画まで提出をしていたわけで、言わば本格的軌道に乗ろうとしたものを断ち切ったというものだと思います。そして三つ目、正に罪なき人々の命を多数を奪い傷付ける、これを言わば自由の名の下に行うということは許されないものだと思います。  特に、最初の国連憲章の平和のルールとの関係で浜谷公述人に質問をするわけですが、先ほどもありましたように、国連憲章のルールは二つの世界大戦の大きな犠牲の上に、紛争は平和的な解決をしていくと、そういう点で武力行使にいろんな厳しいルールを付けました。今回、武力攻撃も受けていないのに各国が勝手に武力行使をしちゃいけないというこの国際憲章のルールを破るようなことがやられたわけであります。  特に重要なのは、昨年の九月にいわゆるブッシュ・ドクトリンというものが作られました。アメリカの国家安全保障戦略でありますが、この中でいわゆる先制攻撃というものがうたわれたわけであります。いろんな報道でも今回の行動がこの国家安全保障戦略の適用第一号になるじゃないか、このことが言わば世界の平和のルールを書き換えるものになるじゃないかと、こういう厳しい指摘もあるわけであります。  このいわゆる国家安全保障戦略、ブッシュ・ドクトリンと今回の武力行使の言わば関係、そしてこれが今後の国際の平和のルール、秩序に対してどういうことをもたらしていくのかと、この点、浜谷公述人の御意見をお伺いしたいと思います。
  118. 浜谷英博

    公述人(浜谷英博君) よく、今回の攻撃は国連憲章違反だという理屈がありますけれども、国連憲章違反ということについては必ずしもそうではないという意見もあって、これは見解の相違ということになると思うんですね、いわゆる決議があると。国連憲章については、国連憲章に違反するかどうかは、その国連の決議を守るかどうかということに具体的にはなるわけですから、そうすると、その決議をどう解釈するかという見解の相違によって、あれでいいんだという人もいれば、あれじゃ駄目なんだという人もいる。だから二つに分かれると。これはもうどうしようもないことなんですね。それだけあいまいな決議であったということも間違いないということです。  確かに、ブッシュ・ドクトリンのこともおっしゃられましたからそれに触れてみたいと思いますが、ブッシュ・ドクトリン自体がまだ国際的に認知されているとは当然言えないと思うんですね。アメリカの今回の攻撃そのものが、いわゆるブッシュ・ドクトリンには基づいたものであったとしても、国際慣習からいえば、これは明らかに現在までの国際慣習には反するということは言えるだろうと思います。  これは正に手続ですよね。要するに、武力行使については、いわゆる自衛のためということと国連の決議による承認というもの以外には武力行使をしない、認められないということが長年の言わば慣行として、私は先ほどから知恵、知恵と言っていますが、知恵としてそれをみんなが守って今まで来たわけですから、その原則を破るということについてはこれから相当な議論をした上で対応していかないと、それはまずいと思うんですね。したがって、日本政府が果たしてそこまで考えた上で今回の支持ということを表明したかということについて、僕は説明が足りないということを先ほど申し上げたということであります。  今後の影響については、これは分からないというのが正直なところでありまして、それで国際社会が納得するとは思いませんので、結果的にまたアメリカは多国間主義に戻ってこざるを得ないのではないかと、期待も込めてですね、戻ってこざるを得ないのではないかと思います。要するに、単独行動主義でやることについては今現在の国際社会ではもうどこまで行っても限界があるというふうに考えております。
  119. 井上哲士

    ○井上哲士君 今回の攻撃の一つの理由にテロ対策ということが言われるわけでありますが、テロ組織というのがいわゆる国家ではなくていろんなところにいろんな形で存在をしている。だからこそ、国際社会が一致をしていろんな形でのテロ根絶のための協力が必要だということで、この間、国連でも議論がありましたし、我が国でもいろんな法整備もしてきたわけであります。  今回のこの攻撃が、一方で暴力の連鎖という形でのテロの新たな原因になるという問題と、それからそうした国際協調におけるテロ対策というものを、今回の国連の安保理に基づかない行動ということで、これを壊してしまう、逆にテロ対策に逆行するんじゃないかという、こういう議論がありますが、その点、浜谷公述人の御意見をお願いいたします。
  120. 浜谷英博

    公述人(浜谷英博君) テロ対策というのは、これはもう御承知のとおり、一国だけではどうしようもないわけですね。いわゆる国際協力の中でしか対応措置はできないということであります。したがって、いわゆる国際社会の合意と国連の決議というのが最も望ましいわけですが、そういうものがあった場合には、私は武力行使そのものを否定するものではありません。  先ほど、フクロウ派の立場を堅持した方がいいんじゃないかと言ったのもそういう意味を込めて言ったわけであって、要するに、今おっしゃられました罪なき人々が確かに犠牲になるということは、これは事実でありましょう。しかし、現在の体制が、じゃその罪なき人々をすべて救っているかというと、必ずしもそれも言えないということですから、先ほど志方先生が触れられた、いわゆる人道的なものを守るためにどの程度までだったら非人道的なことが許されるかというような、非常にシビアな疑問を我々に今突き付けられているんだというふうに思います。
  121. 井上哲士

    ○井上哲士君 いわゆる査察の有効性ということも先ほど来議論があったわけでありますが、確かに十二年間行われていますが、先ほど来日したリッター氏などは、九五%程度はかつてこれを除去したということを言われました。そして、逆に言えば、十二年といいますけれども、再開をしてからはまだ数か月しかたっていないということがあるわけであります。  先ほど申し上げましたように、作業計画まで提出をしているという状況の下で、これはもう廃棄できないと断定をしたわけですが、ブッシュは。これについてはいかがお考えでしょうか。
  122. 浜谷英博

    公述人(浜谷英博君) 査察については、これはやらないよりもやった方がいいわけですから、確かに有効な部分はあると思います。しかし、その査察が有効になったという現実は、正にその武力を背景にして、その担保があったからこそ査察が有効になったというふうにも言えるでありましょうし、それからイラクの対応を、査察の対応を見ておりますと、いわゆる査察に行ってから小出しの報告書が出てくるわけですね。  ということは、これは誠実に査察をやっているというよりは、これだけ脅されたからこれだけのものの対応をするというような非常に不誠実な対応に見えて仕方がないわけですね。したがって、これはイラクがまだ何か持っているに違いないという疑惑、疑念ばかりをいわゆる増やしていくわけであって、これは誠実な態度だと思えない。  ですから、査察の有効性そのものが軍事的背景によってなっているという事実も考えますと、これはいつまでたっても査察だけをやっているということでは何の解決にもならないということは思います。
  123. 井上哲士

    ○井上哲士君 どうもありがとうございました。  元自衛官をされていたような方から先制攻撃をどうやるべきかとか、多国籍軍に参加しなければ自衛隊は何のためにあるのかと、こういう発言が出たことは、私は今の憲法とは全く相入れないことだと思います。このことを指摘をいたしまして、質問を終わります。
  124. 平野貞夫

    平野貞夫君 公述人のお二人の先生には日ごろ私ども大変お世話になっております。  私は、国会改革連絡会、略称して国連というんですが、自由党と無所属の会で構成しておりますが、その自由党の所属しております者でございます。  そこで、七分間の質問でございますが、ちょっと最初に志方公述人に確認をしておきたいと思いますが、議論する上の前提になりますので、昨日の朝のテレビで志方公述人は憲法は古証文になったということをおっしゃっていましたね。
  125. 志方俊之

    公述人(志方俊之君) いや、そうです、共産党の方が言われたから。
  126. 平野貞夫

    平野貞夫君 ちょっとその真意をちょっとお聞きして。
  127. 志方俊之

    公述人(志方俊之君) 憲法ができたのは我が国がマッカーサーの占領下にあった時期でありまして、占領軍としてはどうやって我が国をしっかりと統治するか。そのときに一番使いやすい憲法ということで作ったことは間違いありません。自分が使いにくい憲法を与えるわけがないんであります。  そのときの一番の違いは、あのときは連合軍、日本を占領した連合軍が世界一強い軍隊だったんですね。ですから、日本人は自分の安全保障のことは考えなくてよろしい。私たちが与えたこの安全保障の枠組みの中で、アメリカのような民主的な国になって経済発展しなさい。それで我が国はプロジェクトXの時代に突入していったわけですね。自分で自分を守る必要はなかった。そのときの憲法としては、あれは名文であります。  だけれども、それから我が国が独立して自分でどうやって守るかというときに、まあこの憲法でいこうかというけれども、その憲法を見たらどこにも国家緊急事態条項がない。世界の憲法の中で国家緊急事態条項のない憲法はほとんどありませんから。イギリスは憲法がないからないだけなんです。  そういうことを考えますと、やはり自分の国は自分で守るということが憲法のどこかに書いていなきゃなりません。自衛隊をコントロールする、文民統制するときには、憲法の中に自衛隊という文言が出てこなければ駄目です。  そして、その憲法のこれに基づいて安全保障基本法あるいは防衛基本法を作って、しかし我が国は平和でいくんだから、ここからここの間は絶対軍事力を使わないということをそこで明言しなきゃいかぬ。そして、その中で有事法制を作って自衛隊法を作らなきゃいかぬ。  そこの、皆さんのここに書いてある日本の、この二ページの下ですね、防衛構造は自衛隊から作っていったわけですね。四階から作って、自衛隊法という手続を作って、二階がなくて、一階がなくて、基礎がない。これではどんな立派な建築会社でも建物はできません。  要するに、日本の国の中には、そして日本の自衛隊というのはかなりなものです。世界で二番目の軍事力、防衛関係費を使っておりますし、持っている装備もかなりなものであります。それを操っている自衛隊の質も恐らく世界では何番目でしょう。その世界から何番目の武力集団を軍隊と五十年間も認めない国家をだれが信用しますか。  はい、それだけであります。
  128. 平野貞夫

    平野貞夫君 むしろ、そういうお話は私じゃなくて政権党の方にしていただきたいんですがね。  さはさりながら、私も古証文だと思いますよ。けれどもしかし、これすぐ変えるわけにはいきませんから、その前提でいかなる安全保障を確立するかということだと思うんですよ。  それで、私、代表質問で今年、小泉さんに私はブッシュさんを説得すべきだと、そのやり方も手続も内容も。そんな単独先制攻撃、それはアメリカの名誉のためにもやめた方がいいということを僕は申し上げたんですが、事こういうふうになって私は非常に複雑な思いなんですが。  そこで、浜谷先生にお伺いしますが、我々は、私たちの党は安全保障基本法と緊急事態対策基本法を国会に提出しているんですよ。ところが、ちっともそれを審議というか成立もさせてくれない。どうしても必要だと思うんですが、浜谷先生、その憲法を補完する意味で、基本的に安全保障の在り方の理念的なことを、骨になることをちょっとお話をいただければ。
  129. 浜谷英博

    公述人(浜谷英博君) よく憲法には緊急事態条項がない、それが最大の不備だということはおっしゃるとおりです。  じゃ、その緊急事態条項がなければ一切の防衛関係の法整備ができないかということについては、僕はそんなことはないと思うんですね。というのは、国家に自衛権がある、それはどこの国でも平等に認められていることでありまして、国連憲章にも書いてあるとおりであります。その国家の自衛権というものは、これは持っているか持っていないかじゃなくて、国家としての言わば属性なわけでありますから、国家には当然備わっているもの、その当然備わっているものを実効あらしむるためにはどういう方法があるかということは、それは国家の言わば基本的な最も根源的義務だと思うんですね。  したがって、それをどうするか、それを法制上、法体系上どうするかということについて、あり得べきことを記すのがいわゆる基本法であり、それから有事法制関連諸法ということになるんだろうと思っております。  その中には、確かに不正常な状態の中で国民の人権がじゅうりんされるわけですから、一時的にはその国民の犠牲というものも致し方ない、どうしても財産権の侵害等々致し方ない部分もあるでしょう。しかし、ここまでやっていいけれども、ここからは駄目だという制限であるとか、それから有効な軍事的な措置を取らなければ国民の生命、財産を救えないときにはやむを得ず取るべき行動もあるわけですから、その場合の軍事的合理性というものとを両方の柱にして、そして作り上げられるのがいわゆる安全保障基本法だというふうに思っております。  そのとき、そのものの歯止めですね、基本法を作ると必ず拡大解釈とかそういうものがありますから、その歯止めについては国会のいわゆるシビリアンコントロールというものをきちっと掛けていくということが重要だ。したがって、私は、その中ではいわゆる国会承認の在り方というものも提言を幾つか出しております。
  130. 平野貞夫

    平野貞夫君 最後に一言御紹介しておきますが、阪神大震災のときに、災害対策基本法の百五条の災害緊急事態の布告ができなかったんです。私は、官邸に押し掛けていって、布告すべきだということを言ったんです。当時の副長官が法制局長官と相談して、あの法律は左翼が暴れ出したときに取り締まるための規定だからできぬと言ったんですよ。今も、今の政権もそういう思考である、それじゃ日本の安全は保てないということを申し上げまして終わります。  失礼しました。
  131. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 社民党の福島瑞穂です。今日は本当にありがとうございます。  総理の国民、国会に対する説明義務について、まずお聞きをいたします。  イージス艦が去年十二月四日に派遣されることを決定されました。発表されました。その日の午前中、衆議院の外務委員会で、今月中にイージス艦を派遣すると報道されているがどうかという質問に、政府は今慎重に検討しておりますと答えています。その日の午後イージス艦派遣を発表しました。  同じようなことが今起きている。先週木曜日、各政党の党首、幹事長が官邸に呼ばれました。そのとき、国連決議なくして武力行使をすることに賛成か反対かと各党の党首がそれぞれ聞いたところ、今申し上げる段階ではないというふうに、小沢党首に対してはその場の雰囲気で決めるとおっしゃったそうですが、アメリカが態度をはっきりさせた途端に支持を表明しました。  決議があることが望ましいと一貫して言い、決議案、新決議案、修正決議案の採択のために日本はやっていましたが、決議が通らないと分かった途端に、実は決議があるのだということを言い出しました。私は、きちっと国民に対して、あるいは国会の中での議論できちっと説明をすべきだというふうに考えますが、浜谷公述人、いかがでしょうか。
  132. 浜谷英博

    公述人(浜谷英博君) それは先ほど申し上げたとおりでありまして、その説明責任がまだ十分には果たされていないということはおっしゃるとおりだと思います。  そのイージス艦の派遣とか、そういう、瑣末なこととは申し上げませんが、こういうことより重要なのは、いわゆる戦争の定義が変わり、要するに先制攻撃そのものが許されるか許されないかという今まで五十年間以上積み重ねてきた基本原則が今揺らぎつつあると、こういうことのためにその見解をどうするかということは、僕はこれは非常に大事なことだと思うんですね。ですから、そのことの説明に時間を掛けてほしいということを申し上げたんです。  ですから、そういうことの議論のためにも、いわゆる基本法の制定をするなり、重要なことが、法案がありますから、是非その議論に乗って、そのことを決めていただきたいというふうに思っております。
  133. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 さっきも、志方公述人の方からもルビコン川を渡った、意識なく渡っているという話がありましたが、確かに根本的な先制攻撃ができるかどうかという議論をきちっと国会では一切行われておりません。その点では非常に変だと思います。  ところで、今回先制攻撃をやっているわけですけれども、こうなると、例えば北朝鮮、北東アジアで平和を実現することにも逆にマイナスではないかというふうに思っています。つまり、国連の査察に協力をすれば何とかなるというふうにもう例えば北朝鮮の指導者は思わないかもしれない。あるいは、ある、北朝鮮とは限りません、アメリカの政策に反対している例えばベネズエラ、反グローバリゼーションの旗手のトップのリーダーに対して、例えばアメリカが気に入らない各国の指導者に対して武力の威嚇をもってその国から四十八時間以内に去れというふうなことがほかの場合にも起きたとすれば、これはとんでもないことだ。例えば民族自決権などが一体どうなるのかというふうに思います。その点についての、浜谷公述人、いかがでしょうか。
  134. 浜谷英博

    公述人(浜谷英博君) それも先ほど申し上げたことのやっぱり繰り返しになってしまうと思うんですが、まだそれは国際社会とか国連の中に合意されている事項ではないんですね。したがって、これがいわゆる先例になってしまうことを恐れるわけです。したがって、それを先例にしないようなことでいわゆる日本が活躍できることがこれから非常に多くなるという感じがします。  多国間主義というものがなぜ五十年間にもわたって確立されてきたかということを考えたときに、単独行動での限界というのはみんな分かっていたわけですね。したがって、今度の場合にそれが、その単独行動主義が貫かれて、結果的に、しまったということについては非常に残念だとしか言いようがないです。  しかし、国連という場所がいわゆる国益と国益のぶつかり合いの中で熾烈な闘争をやっているという現実を考えれば、こういうことに対して日本はどうしたらいいかという議論がまだされていないことが問題であって、早急にその辺の見解をまとめていただきたいというのが我々の考えでございます。
  135. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 今日は本当に残念ながらアメリカのイラク攻撃が始まった日です。空襲の下で亡くなる人たちにとっては全く理解のできない不条理な死だというふうにも本当に思います。  その意味では、人が殺されるということに対して私たちが一体今まで何をしてきたのか、何がやれるのか、あるいは日本政府の態度を変えるべく頑張りたいと思います。  以上で終わります。
  136. 陣内孝雄

    委員長陣内孝雄君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人方々に一言お礼申し上げます。  本日は、有益な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)  速記を止めてください。    〔速記中止〕
  137. 陣内孝雄

    委員長陣内孝雄君) 速記を起こしてください。     ─────────────
  138. 陣内孝雄

    委員長陣内孝雄君) それでは、引き続き公述人方々から御意見を伺います。  この際、公述人方々に一言ごあいさつ申し上げます。  お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、誠にありがとうございます。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。  本日は、平成十五年度総予算三案につきましてお二方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願い申し上げます。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただいた後、委員の質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、社会保障について、公述人岩手県立大学社会福祉学部教授鈴木眞理子君の御意見を伺います。鈴木公述人
  139. 鈴木眞理子

    公述人鈴木眞理子君) 本日、この予算委員会公聴会という重要な会にお呼びいただきまして光栄に存じております。  社会保障分野で呼んでいただきましたが──はい、それでは座らせて読ませていただきます。初めてなものですから緊張しております。  私は、社会保障専門家ではございませんで、家族家庭福祉という専門領域で介護、育児、保育などを担当しておりまして、保育士、今、社会福祉士の人材養成に携わっております。私が大学の教員になりましたのは、子育て後、三十八歳で福祉を学ぼうと思いまして大学に入り直しました。そして十六年たちまして、八年前から、今大学教員として遅いスタートを切っております。  さて、十五年度の予算につきましてですが、財政難の折、社会保障関係、特に介護や児童関係は多少でも充実する方向に来ておりまして、おおむね支持できるものと思います。ただ、公債の四百二十八兆円、また高齢者関係費用の増加など、将来の若い世代に掛ける負担の重さを思いますと、身が縮む思いがいたします。  そこで、今日は、社会保障と次世代育成、次世代育成支援推進対策法案というのも準備されているようでございますので、若干意見を述べさせていただきます。皆様のお手元にレジュメ一枚それからデータの資料が七枚ほど行っておりますので、それを御参照いただければと思います。  現在の日本の社会保障は、高齢者の増加に対応いたしまして、年金や医療、そして介護保険と、高齢者福祉を充実させてまいりました。高齢者だけでなく、全体の福祉の底上げも経済発展のおかげで実現されたと思っております。  しかし、その財源の支え手の子供や子育てについてや、児童福祉、また母子保健のみで対応してまいりました。若い男女の結婚、女性の出産、就労、介護などをライフサイクルの中で位置付ける家族政策は未整備でございました。平成十二年に介護保険が高齢者と中高年の介護負担軽減として、家族政策的に社会保険として初めて誕生したというふうに考えております。  資料のデータ一に、社会保障給付費の部門別割合というのがございます。これで対象者別に見ますと、一番右の端にあります高齢者関係給付、これが年金、医療、福祉など大変大きな割合で六八%に上っております。ところが、一方、児童や家族に対しましては二・七%、非常に少ない割合になっております。  皆様方は御存じでいらっしゃると思いますけれども、次の資料、二枚目でございます。この高齢者関係給付費は年々増加しておりますが、児童・家庭関係給付費の割合は減少しております。この児童関係給付費は、諸外国におきましても、ドイツでも九%、また北欧諸国では一〇%から一五%を占めております。それに比較いたしまして日本は非常に少ないということが言えます。  一方、負担の方ですけれども、家族保険、失礼いたしました、介護保険は、八割近くが税と第二号被保険者の保険料という生産世代の負担で支えられております。また、年金は賦課方式で現役世代に大きく依存しているのは御存じのとおりです。高齢者と次世代、児童への社会保障給付の配分がいかに不均衡であるかはお分かりいただけると思います。  社会保障費用の将来推計は、次の三枚目の資料をごらんください。平成十四年度八十二兆円、これが二〇一〇年には百十兆円、そして二〇二五年には百七十六兆円に上ります。一方、これを支える若年人口は年々減少しておりますので、団塊の世代が支え手の今は三・九人で一人の高齢者を支えておりますが、二〇三〇年には二人で支えるようになります。そのころの社会保障給付総額は百五十兆円を超えているわけです。子供の世代の負担を考えますと暗たんたる気分にならざるを得ません。そこで私は、大学でいつも学生さんには心の中で将来よろしくお願いしますと頭を下げているわけです。  このように、将来の社会保障や経済を支えてくれるのは健全な子供たちです。ところが、従来の児童福祉法は、終戦後の孤児救済の目的から要保護児童、障害児に重点が置かれ、健全育成の比重は小さなものでした。また、働いている家庭の子供は保育に欠けるとして認可保育所を利用できたのですが、就労していない家庭の子供は利用できませんでした。  戦後五十年たち、社会の進展に合わせて、一九九七年に施設や保育の契約制など改正され、保育サービスが多少開かれたものになっております。しかし、不規則な就労時間の母親、また専業主婦にとりましては、自費で保育サービスを賄わねばならないという状況は同じです。  ところが、昨今、次の四枚目の資料にございますように、専業主婦の育児孤独、育児が楽しめない、虐待にエスカレートしてしまう傾向が増加しております。理由は、出産前、結婚前には仕事をして経済的に自立していた女性がほとんどですが、家庭に入られて、余りの生活環境の変化で育児に縛られ、自由がない状況への圧迫感、また子育て後の再就職への不安と焦燥感です。逆に、働いている女性は仕事と育児を両立できて社会的にも自己実現ができるという状況がございます。  さて、その保育につきましてですが、日本の保育制度は、認可保育園でも二万三千か所以上、保育士のレベルも高く、施設の広さや設備のハード面でも先進国の中でも充実していると言えます。よく待機児童数が多く整備不足と言われますが、待機児童が多いのは都市部の乳幼児保育に集中しております。働いている女性は乳幼児保育充実こそ少子化対策と要求されるのですが、市町村では、待機児童数が多くとも、ゼロ歳保育は保育単価が高く付くので財政負担から大幅に拡充できないのが実情です。  そこで、四枚目の資料の下の就学前児童の居場所、六歳までの子供がどこにいるかでございますが、ゼロ歳の九四%、一歳でも八三%、二歳でも七六%と、ほとんどが自宅で育てられております。逆に見ますと、ゼロ歳の六%にどのぐらいの保育コストが掛かっているかということも言えます。  次の五枚目の資料をごらんください。ゼロ歳の保育は、国基準で十六万から十九万円、それに自治体の加算分があり、加算分が多い東京都ですとゼロ歳で五十万円以上の自治体も多く存在いたします。この保育コストとは、運営費などから算出した保育単価、それに自治体の加算分が追加されるものです。乳幼児の場合は配置基準、保育士さんの配置基準が一対三、公営ですと保育士さんの年齢も高く配置基準もまた加配がございますので、人件費が非常に高く付くということになっております。  さて、このように女性の進出のために保育所整備というのは必要なんですが、女性の社会進出が進んでいると言われます北欧諸国では、この乳幼児保育は充実しているのかといいますと、ゼロ歳のお子さんはほとんどが育児休業中の家庭で育てられております。乳幼児保育はほとんど利用者が少ない。  次の資料、六枚目をごらんください。六枚目の資料には、諸外国の育児休業中の所得保障一覧がございます。このように、育児休業中所得保障が六〇%から八〇%ほどございますし、北欧ではこの育児休業の期間も延長でき、また父親も交代で休業を取るなど、一歳、二歳でも所得保障がなくなりましても在宅育児手当というものをもらって、この在宅育児手当と申しますのは、介護保険でいう家族介護への現金給付のようなものです。保育サービスを利用しないで家庭で育てている親がほとんどなわけです。  次の七枚目の資料をごらんください。ノルウェーの在宅育児手当の特徴でございますが、この在宅育児手当は、全額でも、またパート就労で保育を部分的に利用してもいい、残りを現金の手当でもらったり、いろいろ親の選択によって部分支給、全額支給が選べることです。二〇〇一年、ノルウェーで月四万二千円、フィンランドでは五万円ぐらいの手当額になっております。ノルウェーでゼロ歳、一歳の親の七割が、フィンランドでは二歳までの約六割ほどが全額支給でこの在宅育児手当を受けております。  なお、フィンランドではノルウェーより先に一九八五年、母親たちが育児の賃金として要求して導入された経緯がございます。どちらも就労、保育利用、在宅手当、その割合が選択できるもので、我が国と北欧では社会保障制度、大きく仕組みが違いますけれども、日本の在宅の育児の母親のために、この手当は十分検討に値すると考えます。  そこで、今後、新たな育児への経済支援として、育児休業と乳幼児期の在宅育児手当を社会保障で整備することを提案したいと思います。  理由といたしましては、一、所得の少ない若い両親への経済負担を軽減できる。二、親として成長するチャンスである初期の親子関係をゆったり築ける。三、子供の人格の形成の基礎となる乳幼児期を安定したものにできる。  多くの児童心理学者、発達心理の理論が、乳幼児期は人への基本的信頼感を形成し、感性や情緒、知能の発達にとって重要な時期と言っております。偉人伝の伝記でなくとも、ここにおられます先生方のように立派な出世された方々は、必ず幼少期の親からの愛情が励みになったということを話されます。このように、若い世帯の子育て環境を改善するために在宅育児を含みます育児保険が考えられます。  ここで、二年前、岩手県の育児サークルのお母さん方に実施しましたアンケートの中から、幾つかの意見を御紹介したいと思います。  人生の中で子育ての経験は自己実現でもあり、貴重な時期です。ところが、子育て後の自己実現の道が閉ざされているため、育児にちゅうちょする女性が増えています。子育てがキャリアとして認められず、主婦なんかに、主婦でもという主婦をおとしめる表現がますます社会意識のある女性を結婚や子育てから遠ざけます。三十九歳、子供二人。  子育て支援というと、一時保育、延長保育、乳児保育と、税金を使って親子を切り離す支援策が目立ちます。共働きの夫婦だけでなく、子育て専業主婦も大切な社会的仕事をしています。少なくとも、自分は外でパートで働くよりも有意義な子育てという仕事をしていると自負しております。お金を稼ぐことばかりを社会的に評価する世間の見方がおかしいと思います。三十七歳、子供二人。  働いている女性ほど子育ても余裕を持って取り組めます。仕事との両立も大変でしょうが、社会に参加している自信が感じられます。一方、余裕がありそうな専業主婦は孤独です。経済面でも不安だし、自信も持てず、子供に当たってしまう母親もいます。どちらが良いのではなく、自分に合った子育てができるような支援システムがあればよいのではないでしょうか。女性を理解してくれない男性が多いのですが、しょせんは女性から生まれてきているのです。これは私の意見ではございません。四十八歳、子供三人。  このように、親の選択や状況によって子供の受ける社会扶養に格差がないことが児童福祉法の平等の理念と思います。  そこで、在宅育児と保育利用の差別のない公平な育児支援として、社会保険による在宅育児手当を含む育児保険を提案したいと思います。  税や企業負担で財源が複雑になり過ぎました児童手当、また、所得の高低で逆累進になる扶養者控除、幼稚園就園奨励金や保育への公的扶助、補助など、現金給付や現物給付が様々に不整合になっております今の児童給付を一貫したものに再編成するための選択肢として、育児の介護保険版であります育児保険を提案いたします。  介護保険は、世論調査によりますと、九割近くの方がおおむね好意的に支持しております。これは、介護保険が在宅介護と施設利用の格差を埋めたものであり、自費や自力で介護している中間所得層の方の利用を権利として認めた、そして、その給付額も認定による要介護度というクリアなスケールで決められたからと理解しております。  介護保険の財源は新たに徴収、税負担で賄いましたが、育児保険の財源につきましては、従来の様々な児童に関する手当や控除、補助金を育児保険に統合し、不足分を二十歳以上のすべての世代から拠出していただけば、北欧に遜色ない育児手当も可能ではないかと考えます。  医療保険も年金も、社会保険は無論、自分の病気や老後というリスクヘッジでございますが、本来はリスクに見舞われた方への社会の連帯、共助のシステムだと思います。仕事は続けたかったが育児休業が取れる職場環境ではなかった、職場に迷惑を掛けないため妊娠してすぐ離職した、夫の転勤で子供と家庭を選んでやむなく専業主婦になったなど、子育て、次世代のために負担を負った女性や親を育児保険で支援することは本来の社会保険の重要な使命だと考えます。  子供もお年寄りも地域で成長し、生活します。次世代育成支援対策推進法案では、市町村の役割に期待し、また企業にも協力を願って地域での子育て支援に力を入れていくことが強調されております。  私も東北の地で、子育てサークルのネットワークとして新しい時代の結いの心を育てようとお母さんたちの支援活動をしております。私の育児保険案も、保険者を市町村にして地域のすべての世代が世代の懸け橋となる子供を育てる仕組みを社会保障の中で実現したいと思うものです。  私も、十五年もすれば今の子供たち、学生さんたちに年金や医療で支えられる立場になります。今のうちに何か育児支援でお役に立てればと思って、今日参りました。  最後に、もう一つお母さんの意見を読まさせていただきます。  育児期間がどんなに大変でも不満があっても、数年で終わる。だから、育児の負担は継続的に訴える人が少ない。解決されないでも何となく過ぎてしまう。後の人が同じ悩みを持っても蓄積されることがない。これに気が付いた人が継続して解決策を訴えていくことが一番です。育児に縁のない人、したことがない人が育児支援を主張してもピント外れです。  この意見に私も勇気を得て、今日参りました。多くの育児中のお母さんたちの声を代弁させていただければと思います。  ありがとうございました。
  140. 陣内孝雄

    委員長陣内孝雄君) ありがとうございました。  暫時休憩いたします。  本会議におけるイラク問題に関する総理の報告聴取後に公聴会を再開いたします。    午後三時二十七分休憩      ─────・─────    午後四時六分開会
  141. 陣内孝雄

    委員長陣内孝雄君) ただいまから予算委員会公聴会を再開いたします。  休憩前に引き続き、平成十五年度総予算三案につきまして、公述人方々から御意見を伺います。  金融不良債権について、公述人専修大学名誉教授熊野剛雄君の御意見を伺います。熊野公述人
  142. 熊野剛雄

    公述人(熊野剛雄君) では、着席させていただきます。  専修大学に元おりました熊野でございます。  最近は、新聞を毎日見まして、ほとんど不良債権問題が載ってない日もございませんし、大体先生方よく御存じのことだと思いますので、一応レジュメは作っておきましたけれども、大体具体的なことは皆さん、先生方よく御存じだと思いますので、ポイントをつかんで、なるべくポイントを御説明申し上げるようにいたしたいと思います。  ポイントとしましては、どうしてこういうことになったんだという原因、現状どうなっているのかという、これも必ずしもその現状の把握について意見の一致を見ているというふうにも見えておりませんので、私なりに見ました現状はどうなっているかということ、それからそれをどう処置するか、これにつきましてはいろいろな処置の仕方において問題とされている、あるいはもめておる、こういうことでございまして、そして、最後にとにかく、銀行の財産といいますか、その資産、負債の状況に大変な穴が空いているということでございますから、したがって、処置のいかんにもよりますけれども、とにかくその空いた穴をどう処置するか。空いているものは埋めなければならないわけですけれども、ではその穴をまずだれが埋めるか、だれの負担において埋めるか。埋める、だれの負担において埋めるかということにつきましては、一体空けたのはだれの責任なのかということが関係するように私は存じております。  一応レジュメを作っておきましたけれども、一応順序といたしましては、根本的な原因、これは皆様御高承のように、日本経済が成熟したと。ただ、これも必ずしも意見の一致を見ているわけではございませんで、例えば現在景気回復に関しまして、例えば日本銀行が金利を引き下げれば景気は立ち直るのではないかとか、あるいは政府与党の間におきましても、我々がテレビなどで拝見しますと、例えば亀井さんでございますか、財政支出をもって需要を起こしていかなければ景気は決して立ち直らないんじゃないかというようなことを与党内でもおっしゃっておられる方もおられますし、決して金利を引き下げれば景気が立ち直るというふうにも理解されておらないと。  つまり、日本経済が全体としてとにかく非常に成熟して、そうして私なりにまとめたところでは、もう成熟停滞しておりまして、借り手がないという状況。したがいまして、資金を供給する機構といたしましては、銀行の機能としましては、決算機構、決算機能とそれから貨幣を供給する機能、こういうものがあるわけでございますけれども、貨幣を供給する機能としての銀行、貨幣を供給する機構としての銀行というもの、この役割というのは非常に縮小しておると。したがいまして、借り手は来ないと。  したがいまして、仮に、現在も、もっと金利を下げろとかいろいろ、インフレターゲットを掛ければいいとかというようなことは言われておりますけれども、金融的な措置をもって、例えば掛け声を掛ければ、アナウンスメントをすれば、それで一部の金融論学者が言っておりますように、期待が形成されてそれで借入れが増えるというものであるならば、既に一九八〇年代以後の日本経済金融のたどった歴史を見ましても、そうではないということが明らかであろうと私は思っております。  その点で、私が作りました統計表を附属して付けておきましたけれども、これは一九五六年からの統計でございますけれども、これは、私の書斎にあったのがちょうど五六年の日銀統計、一番古いのがあったものでございますから五六年でスタートをさせていただいたわけでございまして、大体日本経済が成熟した七〇年代から八〇年代、これ以後二〇〇〇年、全盛期の数年前の二〇〇〇年までの経過をたどってみたものでございます。  これを見ますと、例えば、先ほど申しましたように、金利を下げれば貸出しが増える、借入れ、企業が借り入れてくるだろうというものであるならば、八〇年代に、御高承のように、プラザ合意あるいはルーブル合意その他で、とにかく非常に、特に日本に対しては積極的な政策、金融政策及び財政政策において積極政策を取るようなそういう要請があったと。あるいは、もっときつい言葉で言いますと、圧力が掛かったと。それに対して、その当時の自民党政府、竹下総理、あるいは宮澤大蔵大臣、あるいは宮澤総理、あるいは澄田日銀総裁、そういう時代であったと思いますけれども、大変なイージー・マネー・ポリシーをお取りになったわけでございます。  それで貸出しが増えるものであるんならば、ここに一番右の欄に製造業の計という欄を設けておきましたけれども、七五年に三十三兆二千億、一九八〇年に四十三兆、八五年でもって五十八兆、それが二〇〇〇年末におきまして、これはカレンダーイヤーの末のたしか計数だと思いますけれども、六十七兆、わずかに十兆円弱しか増えておらないと。あれだけ、借りに来るものは幾らでも貸すよ、銀行は、借りてください、借りてくださいと。そうして、銀行が積極的な貸出し政策を取って、そうして日銀当座預金、つまり準備預金が不足するならば日本銀行は幾らでも面倒を見ようと、こういう我が国金融の体制であったわけでありますけれども、これだけしか貸出しは伸びておらない。  ところが、物を作る、国民が消費する物を作る以外のものであるこの問題四業種、これ、金融保険を入れて問題五業種と思いますけれども、ここに挙げておきました建設業、卸小売飲食業、金融保険業、不動産業サービス業、こういうものを含めまして、これだけの問題業種にこれだけの金が流れている。  私は、銀行員に大変、幹部にも友人が多うございますけれども、とにかくあの当時、あれだけいいレートでまとまって借りてくれるところはあれしかなかったんだよと、皆、友人正直にそう申します。つまり、全部こういったような不動産投機に流れたわけでございます。もちろん製造業も、本業にいそしむだけでなくて、土地投機、不動産投機、ゴルフ場経営に手を出す、いろんなことをやった製造業もたくさんありますので、したがって銀行貸出し額の増加が全部この四業種だけに行ったわけではございません。もっと多かったわけでございますけれども。  これだけ見ましても、かなりのものが不動産投機に行って、そうしてその後の不動産価格の統計を見ますと約十分の一、六大都市の市街地の平均を取りましても二〇〇〇年現在、ごめんください、現在のところを見ますと大体十分の一に下がっておりまして、なお、不動産投機の対象になりました例えば北海道の山林原野のように、二束三文の値段、ほとんど値打ちがないというところに投下された金もあるわけでございまして。したがいまして、私、日本学術会議の会員をいたしておりました当時、一九九五年当時、シンポジウムをやりまして、そのときに記憶いたしておりますのが、私のその当時の大づかみの計算では、大体五十兆から七十兆ぐらい不良資産が形成されたかなと私は思いましてシンポジウムを催したわけでございますが、その当時、私がそう言いましてもほとんど世の中に取り合う人はございませんでした。  しかし、それからどんどん増える一方でございまして、したがって私は、恐らく二百兆を超える不良資産が形成されただろうと、言わば銀行の借方資産の部の貸出金のうち二百兆は穴が空いたんじゃないのかというふうに見ております。したがいまして、銀行の自己資本というのはもちろんこれより極めて少ないわけでございますから、したがいまして、銀行という、日本銀行というのは平均すれば全部債務超過状態に陥っておると、こういうふうに見て差し支えないだろうと思っております。  なぜそうなったかと。それをこういったような根本的原因と直接的原因、これには書いておきませんでしたけれども、それに非常にイージー・マネー・ポリシーを取るように誘導しました金融政策、ある金融政策の誤りと申し上げても私はよろしいかと思いますけれども、そういうものがあるだろうと思います。  さて、そういうふうになりまして、では今度はそれをどう措置するか。現実上に債務超過状態とそれから破産とは違いますから、債務超過に陥っても生きている企業というのは、銀行にしましても事業会社にしましても、もちろんたくさんあるわけでございまして、したがいまして、銀行も実際上、借りたものが焦げ付いているわけでございますけれども、貸出し先の企業が生きていれば、その生きているというので貸出し先企業が債務超過であることは必ずしも意味しない。あるいは、債務超過であっても金繰りさえ付けていれば生きておりますから、したがいまして、貸出し先企業が生きているか生きていないかは、むしろそう言うよりも、生かされているか、生かすか殺すかと言った方が正しいだろうと。貸出し先企業が生かされている限りは、取れなくてもないと。したがいまして、最終的に銀行の取れなくなった金が、私の計算によれば恐らく二百兆を超えるお金が取れるか取れないかというのは貸出し先企業を生かすか殺すかによると。  これをもちまして、この辺りからいろいろな議論が分かれまして、そうして、現在の産業再生のための法律もできましたし、担当大臣もお決まりになっておりますし、いろいろな措置が講じられているんだろうと私は解釈しております。  ともかく、そういったものは法的整理、銀行もとにかく法的整理に基づいて、そうして、とにかく破産法の対象とするか、会社更生法の対象とするか、産業再生法の対象とするか、どういう法律の対象とするかは別としまして、法的な整理に基づき、そうして借方資産の部の貸出金のところに空いた穴は貸方の預金の部で埋める、つまり預金者に全部は返らないという形に、預金者の負担において整理してしまうと、これが法的整理でございますが、そういうふうにするのか、それとも、助けて、そうして受皿銀行に吸収させるか。これも受皿銀行も全部は受け取りませんから、それなりの整理をいろいろするわけでございますが、そういうふうにするか、あるいは長銀のように一時国有化して、そうして持っていくか、いろいろなやり方があるかと私は思います。これは私が思うだけではなくて、現実にそういうわけであります。  そうして、現在の状況はどうなっているかというふうに私が見ますところ、政府あるいは竹中大臣を先頭としまして、これは政府あるいは与党も必ずしも意見の一致を見ているようには思いませんけれども、少なくとも竹中大臣を先頭とされる、先頭とするようなお考えの方々は、銀行をとにかく追い詰めて、そうして国有化に持っていく。そうして国有化して、その資産価値が劣化しておるわけでございますから、当然、例えば千億の貸出金でも百億ないしは五十億の価値しかもうなくなっているわけでございますが、それを市場価値と申しますけれども、そういったものとしてもう売りに出すと。それは、その銀行がいかなる価値を持っているかは市場において決めさせると。これは市場原理だからそれでいいんだというふうな考えのように私はお見受けするわけでございます。  それは、アメリカではそれでいいだろうと、いいというふうにそれを是としておるわけでございますし、竹中大臣はアメリカに行っていらっしゃいましたから、そういう考えを取っておられるんだろうと私は思います。一方、銀行はそれに対してもちろん抵抗いたしておりますから、そういうふうにいかないようにすると。  ここにもう一つ問題になりますのは、BIS規制というものがございまして、自己資本比率の規制がございますから、したがいまして、BIS規制の自己資本比率八%を割りますと、海外業務を放棄しなければなりませんから、したがって必死に抵抗する。そのためには、自己資本比率規制の分母の貸出金を縮小する、必死で貸出金を縮小する。貸出金を縮小するために貸金を取り立てると。おたくはまだ多少預金も残っていますからこれを差っ引かしていただきますと、こういう形で、預金も減りますけれども、貸出金を強行に縮小してしまう。  つまり、こういった政府の政策で銀行を追い詰めて一時国有化に持っていく。それに対して銀行は必死で抵抗する。そのために自分の資産、貸借対照を縮小する、そのために貸しっぱがしが起こる、その主たる被害者は中小企業であろうと。つまり、大企業ももちろん大銀行がそうしたいんですけれども、それでも大銀行にとっても大企業は手が付かない、なぜならば、大企業はもううっかりすると死んでしまう。死んでしまうと大企業向けの貸出額が全部穴が空いてしまって、今度は銀行自体が致命傷を負う。したがいまして、銀行は大企業には手が付かない、手を付けたくとも付かないと。  こういうわけで、例えばダイエー一つ取りましても、私なんかが見るところでも、もう数年間も何かもめにもめて、いまだにすっきりした決着が見ておらない。それに対しまして、中小企業は無惨に貸しっぱがしが行われるというわけで、主たる被害者は中小企業ではないだろうかと、これは私、個人的にはそういうふうな感じがいたしております。  こういうわけで、現在は、そういったような状況に陥った銀行を一方は追い詰め、そうして他方、追い詰められた銀行は必死で抵抗する、そのためにいろいろな被害者が出ておる、これをどうすればいいかと。だれが見ましても銀行の貸借対照表に巨額の穴が空いているのは、これは否定できないところでございますから、そうして、それを法的整理に持っていくということは恐らく不可能であろうと。とするならば、何らかの形で生かすしかない。そうすると、やはりある点の国有化という手段はやむを得ないのではないかと私は思っております。  ただ、そのときに、現在の政府、特に竹中金融担当相の個人のお考えかどうか存じませんけれども、例えば、我々が見る金融専門誌辺りを見ましても、竹中大臣とそれから担当官庁である金融庁の間には必ずしも意見の一致を見ておらないと。したがいまして、政府と言っていいものか悪いものか私はにわかに判断できませんけれども、少なくとも政府としては銀行を追い詰めて国有化する、そこまで仮にいいとして、その先が問題になるわけでございまして、そうして追い詰めて一時国有化したものを市場原理で手にゆだねて、そうして売りに出していいものであろうか。現在、それを売りに出せば一体それはだれが買うか。とすると、それはアメリカ資本以外にはございません。  韓国は、一応形としては早く金融再生を成し遂げております。かなり銀行に対して厳しい措置を投じまして、そうして整理するものは徹底的に整理いたしまして、立ち直るものはかなりすっきり立ち直っているように見えます。しかしながら、大体大株主の七、八〇%がアメリカのファンドになっているはずでございます。そうしますと、銀行という一国の重要な資産、一国経済のための重要な資産というものの株主が、それは株式会社ですからアメリカの株主の利益によるべきでありましょうし、あるいは合衆国の国益に従うのはこれは当然だろうと思うわけでございます。  私は、一国の貨幣供給機構、あるいは経済の循環系統に当たります決済機構というものを他国のファンド、他国の国益に任してということは果たしていかなるものか。私は、それは私個人としては反対でございますので、したがいまして、そこにおいては当分の間国有化すると。  そうして、例えばここに一時国有化でフランスの例ということも挙げておきましたけれども、フランスは現在また民営化されておりますけれども、かなりの期間国有銀行でございました。しかし、国有銀行でも国有民営化銀行で、私はその間のフランス経済のパフォーマンスが、必ずしもフランスが国有民営銀行であったために大変な悪影響を受けたとは思っておりません。したがいまして、我が国において国有民営化銀行において一時しのいで、そして将来また民営に戻すということがどうして悪いんだろうかというふうに私は思っております。  その辺りのどういう形を取るか、そうして最終的な空いた穴、欠損をだれがどういう形で埋めるかというのは、これはいろいろまたあるわけでございまして、それはまた別の問題であろうと。一番根本的なところは、今まで申し上げたようなところではないだろうかというふうに思っております。  時間が参りましたので、これでもって私の意見の公述を終わらせていただきます。  ありがとうございました。
  143. 陣内孝雄

    委員長陣内孝雄君) ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  144. 後藤博子

    ○後藤博子君 こんにちは、自民党の後藤博子でございます。  今日はお忙しい中を鈴木公述人、それから熊野公述人、何か公述人って言いにくいんで先生と呼ばせていただいてもよろしいんでしょうか、ありがとうございます。私も予算委員会で質問させていただくのは初めてで、今日は朝からずっと緊張しておりまして、鈴木先生と同じ思いかなと、今、しているところでございます。また、今日はイラクの攻撃という日も重なりまして、非常に落ち着かない慌ただしい日に重なりましたことを重ねて御迷惑をお掛けいたしました。ありがとうございます。  また、片方で戦争という世界の大きな問題を抱えながら、国内では山積みするいろいろな課題に取り組んでいかなければなりませんので、こういう公聴会あるいは各委員会が今開かれているところでございます。皆様の、お二人の先生のお心にも何か穏やかにならぬものがあるのではないかとお察ししております。  こういう社会といいますか、そういうものを本当にこれからの子供たちあるいは自分たちの次の世代に渡していくのに、何かこんな地球でいいのかななんて思いながら、今、私自身、個人的には何か胸がつぶれそうな今思いがしているところでございます。しかしながら、今いる私たちはしっかりと現実を見詰めて、よりよい社会へと移行する責任を果たさなければならないと思っております。  鈴木先生とは同世代なんですね。ですから、また先生といろんなことをお話ししながら、お互いに手を結びまして前向きに明るく取り組んでいきたいと思っております。また、熊野先生は、大変失礼ながら私の母と同じ年でございまして、また御指導よろしくお願いいたします。  私も十三年度の参議院選で、ハッピーな二十一世紀を作りたいと思いまして議員にならせていただきました。御指導をよろしくお願いいたします。  本日は主に鈴木先生にお尋ねするようなことになるかと思いますので、よろしくお願いいたします。  私も二日前に質問のお話をお伺いしまして、鈴木先生の書かれている著書や新聞の記事あるいはインターネットを拝見いたしまして、非常に共通点が多いことに驚いておりまして、またうれしく思っております。何か、私をこの質問に選んでいただいた委員先生は、もう分かっていただいていて選んでいただいたのかなと思っておりまして、非常に感謝しているところでございます。  政府も少子化に何かと歯止めを掛けようと、今国会に、先ほど鈴木先生がおっしゃいましたように、次世代育成支援対策推進法を提出しておりますが、今までの施策は働きながら育児をするお母さんの方ばかりに向いているようではないかとの私も疑問を抱えておりまして、育児される親、特にお母さんになりますけれども、現金支給などの支援はできないんだろうかと質問をしたことがありました。そのときは何か返事は、余りいい回答は得られなかったように記憶しております。  私は、これを言いますと古いとか言われるかもしれませんけれども、私も二児の子供を育てましたし、三つ子の魂は百までという言葉がどうしてもぬぐい去ることがありません。また、このことわざのあるように、子供たちの人格形成がなされる時期は親がそばにいて育児することは親にとっても大切なことで、そうすることで、今学校で起こっているいじめや不登校やまた児童虐待などもなくすことができるのではないかと考えております。  そのためにも、私は、妊娠してから、子供が胎児でいますから言いますが、マタニティーから第一子がせめて六歳、第二子がその間に三歳、あるいはその第一子が九歳といいますか、そういう三人まで子供を作っていただけるのであれば、結婚して十年ぐらいはしっかりと家にいて子供を育てていただきながら、自分も、親も、大人も育っていくという、そういうシステムができればどんなにいいんだろうかというふうに常々考えておりまして、今日お話しいただいた鈴木先生は正にその御提案をいただいたと私自身思っております。  先生もそういう著書の中で書いておられますし、北欧では既にこうした制度を取り入れているということで今日お話もありました。私も、日本で是非この先生が御提案されるような制度が取り入れられたらどんなにいいかということを考えておりますので、もう少しこの制度の、もう少しどういった制度なのかということと、日本でこの制度はなじまないのかということと、あるいはどのようにすればすんなりこの制度を取り入れていけるのか、問題点や解決点がございましたら教えていただきたいと思います。  よろしくお願いいたします。
  145. 鈴木眞理子

    公述人鈴木眞理子君) 後藤議員からの温かい共感できるコメントをいただきまして、ありがとうございます。  私も自身の子育ての体験からこの世界に入りまして、三人の娘を自宅で自分で育てました。そのときに、先ほどお読みしましたお母さんたちの声に、専業主婦として育児をしていながら、仕事も将来どうしようか、不安感とか焦燥感とか同じ思いがありまして、最後の御意見のように、それに疑問を持った者が働き掛けていかないと、また同じような主婦が、また母親がいつまでも続くということで今日ここに来たわけですけれども。  この在宅での育児手当の可能性ですけれども、私の育児保険案の中では、できればゼロ歳ぐらいですと先ほどの北欧の手当のように五万円ぐらい。それが、一歳、二歳になりましたら、その財源に合わせて三万円でもいいですし、四、五歳になりましたらもっと少なくしてもいいと。これは財源の問題になりますので、いろいろな経済やらこれからの社会保障の中で考えていければというふうに思いますが、できれば先ほどのお母さんの声のように、外でパートで働くよりは、後藤議員がおっしゃいましたように自宅でゆっくり親として育てられるように、パート料になるぐらい在宅の育児手当が出せればと。ですから、ゼロ歳で五万円ぐらいと。これは先ほどのゼロ歳保育の掛かっている経費を考えますと、決して多いものではないというふうに思います。  また、北欧との関係ですけれども、北欧は人口も少なく、我が国と比べますといろんな面で状況が違います。ですから、北欧と同じような、スウェーデンのような親休暇とか、またノルウェーやフィンランドの在宅育児手当がすぐに実現するというのは難しいと思いますが、育児保険案として、現金給付でなくとも育児手当を保育のサービスの利用とかいろんな形で現物給付に替えていくとか、介護保険版です。介護保険版ですと現金給付は認められておりませんが、現物給付でも可能性があると思っておりまして、少しでも、煮詰まったときに週に一回でも保育サービスを利用できるような利用券、そのような形で柔軟にいろんなサービスを利用できるような形の在宅育児手当又は在宅育児支援ですね、現金には限りませんので、いろんな形で可能性があるのではないかというふうに思っております。
  146. 後藤博子

    ○後藤博子君 ありがとうございます。  私も今、二十五になる娘を持っていまして、なかなか結婚してくれなくて、仕事を持つことにまだまだ面白くて結婚してくれないんで、いつもいつも娘とはそういう話をしているんですけれども、なかなか結婚に対する夢が持てないとか、いろいろ言われます。  そこで、突然ですけれども、熊野先生はもう大正、昭和、平成と生きていらっしゃいますし、御自身でももしかしてお嬢さんやお孫さんがいらっしゃるのではないかと思うんですが、全然金融のことの質問で、申し訳ないんですが、人生の先輩としてちょっと御感想なりあればいただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。突然で申し訳ありません。
  147. 熊野剛雄

    公述人(熊野剛雄君) どういう点に関してでございましょうか。
  148. 後藤博子

    ○後藤博子君 今現在なかなか若者たちが結婚に夢を持てなくなっているこの社会に対して、先生が長年の御経験から、どうやったら結婚してくれるのかみたいなことが、おやじの立場で言っていただくと有り難いと思いますが、済みません、突然に。
  149. 熊野剛雄

    公述人(熊野剛雄君) 私、先年、七十歳まで長年大学の教員をいたしておりましたんでございますけれども、私の正直な感じから言いますと、私が若いときに非常に奔放不覊なことをやっておりましたせいか存じませんけれども、それほど、世の中は変わっている、変わっているとみんなが言うほど私は変わっていると思いません。  私は厳しいので有名な教員でございましたけれども、学生は非常によく付いてきてくれました。私は手厳しく指導いたしましたけれども、その代わり決して学生に対して手抜きをしない。いつでも学生に対しては真剣勝負で試合をいたしておると申しますか、真剣で立ち向かっておると。そうしますと、学生は必ず付いてきてくれると、こう思います。  いつでもきっぱりとした、毅然とした、その代わり決して妥協しない。そうしますと、教える方も実は大変な負担でございまして、ずるをするやつが得をしないようにするには大変教師は負担がございます。それをあえてする、それを全部自分で引き受けて、負担を全部教師が請け負ってやれば付いてくると。それを私は確信いたしまして、私は武道館で、定年退職のときに、今年辞める人間として紹介されましたときに、学生、卒業生が皆観客席立ち上がってウエーブをしてくれまして、大変うれしゅうございました。そのときに私はそういった感じを、何と申しますか、確信を強くしたわけでございまして。  結局、現在の親に一番求められるのは毅然とした態度、きっぱりとした、いいものはいい、悪いものは悪い、そうしてその代わり決して逃げない、親もそれなりの努力をする、そういうことではない。そうすると結婚問題も教育問題も片付くように、私の狭い経験からはそう思います。
  150. 後藤博子

    ○後藤博子君 ありがとうございます。何か私も元気が出てまいりまして、はい、有り難いと思います。  じゃ、話を少しまた元に戻させていただきまして、今日の先生の、鈴木先生のテーマにあります社会保障制度は、先生も申しておられますように世代間の相互扶助ということで、世代と世代、本当に熊野先生と私たちというような世代と世代の助け合いだと思います。この助け合いが今バランスを崩そうとしております。それは、少子化と高齢化社会にあると言われておりますが、政府の発表によりますと、先生も御承知かと思いますけれども、二〇五〇年には合計の特殊出生率が一・三九になると、六十五歳以上の高齢化率は三五・七%になる、二・八人に一人が高齢者になると予測しております。  こうなりますと、勤労世代は自分の所得の中から親の世代の年金や医療を負担しながら次の世代を担う子供の養育や教育をしなくてはならなくて、負担が大変大きくなると思います。その結果、また子供を産まなくなることも考えられます。また、日本の社会保障の給付額といいますか、高齢者に三分の二なのに対して子育てには二・五%のわずかでしかない。これでは未来を担ってくれる子供に失礼だということも先生の、新聞のインタビューで答えておられました。  こうした中、先般、二月三日の衆議院の本会議の代表質問で、我が党の山崎幹事長の質問に対して、今、先生がお述べになった育児保険という言葉は使ってはおられないんですけれども、小泉総理が育児手当など子育て家庭への経済的支援、保育や地域の子育て支援などの福祉サービス、職場における働き方の見直しなどについて総合的かつ効率的な取組を進めたいと、前向きとも取れる答弁をしておられました。  でも一方で、子供が生まれるということは典型的なリスクとは言えないということで、育児支援は社会保険になじまないんではないかという指摘もあるんですね。その辺がちょっと非常に難しいことだと思うんですけれども、こういうせっかくの機会ですので、存分に鈴木先生、思っていることをお述べいただければ有り難いと思います。  よろしくお願いいたします。
  151. 鈴木眞理子

    公述人鈴木眞理子君) はい。ありがとうございます。  社会保険に育児はなじまないということですけれども、介護につきましては介護保険で、社会保険でできております。介護というのも高齢者の方の要介護になられた方を、つまり過去の世代への養育といいますか、扶養でございます。今度は、次の世代の養育、扶養を今度育児保険でやるということは少しも不自然ではございません、社会保険に全く合致するもの。先ほど申し上げましたように社会の連帯、また時代の連帯を築くにおきましてはリスクヘッジ、社会のリスクヘッジでもございますので、社会保険になじむものだと心得ます。また、医療保険の中でも出産一時金のようなものもございます。ですから、出産、育児について社会保険でやることに何の不自然があるのかというふうに私は思います。  また、先ほどの熊野公述人の、毅然として親の世代が、高齢者の世代がということでしたけれども、今の社会ではどうしてもいいとこ取り、ずるを許さないと、ずるをする学生を許さないとおっしゃいましたけれども、それなら社会でフリーライダーとして仕事をし、年金も満額もらい、それで子育てへの、扶養はしないと。これが一番、よくディンクスと言われますけれども、いいとこ取りの生き方でございます。  この選択を私は決して悪いとは思いません。選択の自由なんですけれども、フリーライダーとこの世代との助け合いの社会保険の、社会保障の中ではフリーライダーということになります。このような選択を許しているといいますか、十分認めている在り方に先ほどの専業主婦とか若い方が非常に矛盾を感じるということは、私は共感をいたします。  親教育というのが大変大事だというふうに思います。幼少期に親子関係がうまくいっていないような方というのは、今度は親になっても子供を安定して育てられません。いろいろな思春期の問題、引きこもりから拒食症、精神障害、いろいろございますけれども、幼少期の安定感というのは人格に非常に影響を及ぼします。  そういうわけで、後藤議員がおっしゃいましたように、子供を三歳まで、六歳まで、十歳まで、いろんな方によってそれは年齢の上限はあると思いますけれども、できればゼロ、一、二ぐらいまでは親が、また親に代わるような方が安定して育てられる環境というのが非常に重要だと思います。これは社会の予防になります。引きこもりや精神障害やいろいろ問題のある子供さんが増えないためにも、親が安定して育てられるような環境というのは大事だと思います。  そして最後に、毅然として、高齢者の方たちも次の世代に対して年金や医療をお世話になるんでしたらば、社会保険料又は税で、今公的年金は特別控除ということで課税されておりません。しかし、世帯の所得で見ますと、高齢者の世帯の三百数十万、平均所得、また一般世帯の六百数十万ございますが、世帯構成員一人当たりの所得に比べますと同じになります。一般世帯も高齢者世帯も二百十数万でほとんど同じと。これでは子育てをする世帯、特に二十代、三十代の世帯の可処分所得というのは高齢者よりも低くなっているというふうに聞いております。  そういうわけで、高齢者の方々も毅然として、次の世代の方に、社会保険料又は税、いろんな形で支えていただければというふうに思います。
  152. 後藤博子

    ○後藤博子君 はい。ありがとうございます。私も本当におっしゃるとおりだと思います。  先生は生徒さんにいろいろ教える機会があるかと思いますけれども、先生のそういう思いを若い方々お話しされたときの反応はいかがでしょうか。
  153. 鈴木眞理子

    公述人鈴木眞理子君) 学生は、今の社会保障の中での子育てや家族に対しての給付が少ないということを余り知りません。社会保障の教育が余り徹底していないのか、自分たちが将来大変な社会保障給付、またいろいろな高齢者の負担をしていかなければいけないということを切実には分かっておりません。これは、私もこの世界に入りまして十年ぐらい非常に切実な感じを持っているわけで、若い方が無知であることは、これは当然のことだというふうに思います。  しかし、若い方は子育てに関してはまだまだ希望を持っております。特に私の福祉の人材におきましては、家庭とか生活とか子育てに対しては非常にプラスのイメージを持っておりまして、子育てにも意欲的です。しかし、仕事と子育てと両立ということになりますと非常に難しいです。困難性を感じているわけです。  そういうわけで、子育ても仕事も常に両立というわけではなくて、子育てしている後に必ず就職、再就職の道があるというような、そういった夢を、未来を若い人に与えるということが出産に対しても可能性を、道を開くことだというふうに考えます。
  154. 後藤博子

    ○後藤博子君 ありがとうございます。  戦後、核家族になりまして、家族が今ばらばらの状況になっていますよね。いろんな制度も作り、若い人たちに本当に結婚に対する夢も持ってもらいたいと思っています。  その中で、それこそ熊野先生も今日いらっしゃいますけれども、私、三世代が同居できるようなことをもっともっと考えられないんだろうかと。今日、もし、こういう制度ができることは非常にすばらしいことと思いますし、また地域で育てることも大事なことと思うんですけれども、一番身近な親、またそのおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に過ごすことによって、また子供の感性も養われていけますし、若い、私も育てるときがそうだったんですが、おしゅうとめさんからいろいろ教わって子育てをしました。今、社会状況の中ではなかなかそれも難しいんですが、三世代同居しましょうよというふうなことを、私も各場面場面で言わせていただいております。  それに対して熊野先生、一言、三世代同居はいかがでしょうか。
  155. 熊野剛雄

    公述人(熊野剛雄君) 大変、私の専門外でございまして、お答えいたしにくうございますが。  同居、それは家の問題と同時に、同居をしておって果たして家にいるのかどうかというのはまた別問題でございまして、亭主はほとんど家にいない。  と申しますのは、やっぱりもうこれだけ、私は古い人間でございますから、昭和二十年代から働いておりますけれども、そのごろと比べると、例えば私の教え子は全部、先生、私は銀行に七時にはもう行って仕事をしておりますと、こう言っております。帰りはもう九時、十時でございますから、これで家庭生活が営めるわけがないわけでございまして、それは、そういったような状況において世代の同居を論じることは、そのままではいかがなものかというわけでございまして、もうとにかく余りにも競争が激し過ぎる。売れるわけがないものを作っておいて、売ってこいと命令する。貸出し先があるわけがないのにどっかへ行って貸出しをしてこい、預金を取ってこいと無理な注文をしておるわけでございまして、そういったような家庭生活を破壊するという環境が非常に著しいのを、私は教え子の生活を見ていて大変痛感するわけでございまして、その方の解決が先ではないかというふうに感じております。
  156. 後藤博子

    ○後藤博子君 厳しい、優しい中にも厳しい御指摘をいただきまして、本当にありがとうございます。  最後になりますけれども、私は欲張った人生を送りたいと思っているわけですし、子供たちにも、一度しかない人生だから、仕事をするだけが能じゃないよと。結婚に夢を抱き、また愛する人の子供を産むという神秘的な体験もして、また子育てによってまた親も子も育つというそういう人間形成ができる、人間形成ができて、また子育てが終わったときに社会の一員として生きがいのある人生を送っていただきたいと思っております。  そのためには、先生今日お話をされました育児手当のような社会保障における次世代育成の支援策を早急に私も整備すべきだと思っておりますので、今後ともよろしく御指導をいただきますようにお願いを申し上げます。  また、熊野先生専門的な質問ができませんでしたが、人生の先輩としていろいろと御指摘いただきましてありがとうございました。本当にありがとうございました。
  157. 藤原正司

    ○藤原正司君 両先生どうも御苦労さまでございます。民主党の藤原でございます。  特に、鈴木先生の分野は私にとりまして最も不得手の分野でございまして、先ほども、育児をやったことのない人間に育児を語るなかれと言われますと、何の質問もできないような気分になるわけでございますが。  まず鈴木先生にお尋ねしたいんですけれども、先生のこの在宅育児手当の発想の前にある少子化という問題。恐らく、戦後は成人女性一人当たりの子供の数は恐らく三ぐらいだったかなと思う。今が一・三五ぐらいですね。それで、この少子化という問題について、戦前も含めて、生活レベルが高いということ、生活レベルの高さ低さの問題、あるいはその周辺の様々な制度のどれだけ充実しているかしていないかということと子供の数というのは必ずしもリンクしていないと、そういうふうに思うわけですね。貧乏人の子だくさんと言われるように、生活水準が高いからといって子供が多いんじゃない、逆のケースもある。  鈴木先生の場合、この現在の少子化というものを一体どういうところに原因があるというふうに見ておられますか。
  158. 鈴木眞理子

    公述人鈴木眞理子君) 少子化にはいろいろな要因があると言われておりまして、晩婚、非婚化、いろいろ言われておりますが、やはり女性が産みたくならない、産みたくなくなっているんだというふうに思います。先ほどの、結婚や子育てにプラスのイメージを持てない女性が増えていらっしゃる。  こうやって時代、経済が発展いたしますと、女性の活動とかいろいろ可能性が増えております。子育てよりも楽しい自己実現たくさんございますので、あえて子供は三人も四人も産まなくていい。昔はリスクヘッジとして子供をたくさん産んで、その中の子供が一人出世して家を支えると、又は家名を上げるというようなことがあったわけですけれども、今は子供を何人育ててもそれは自分には返ってまいりません。社会に子供を提供するわけです。  私も三人子供を女手一人で育て、独立させました。高等教育まで大変な日本では経費が掛かりますが、ではそれは後で元を取れるのかといいますと、社会に巣立たせればそれはそれで子供たちの人生でございまして、私には何も戻ってこないわけです。社会の人材を子供として育てているということになります。これは昔と子供の持つ意味が変わってきたからだというふうに思います。  そういうわけで、子育て、子供を産むということに対して女性は非常にプラスの要因がほとんどなくなってきているということです。むしろ、先ほどのアンケートの声のように、子育てに意欲的な女性ほど社会では年金も仕事も持てない、少なくなるというような状況であれば、ますます子育ての価値というのは下がるわけで、そこで子育ての価値を上げよう、それには経済的に上げるのが今の資本主義の社会では一番分かりやすい。そういうわけで、北欧もそうです。育児を賃金化してくれということで在宅育児手当がありますように、私も育児の価値を上げたいということです。決してその手当でお金を幾らということではなくて、社会的に認知されるような、外で働くのと同じような価値に育児を位置付けたい、これが育児保険の骨子でございます。  介護において、介護の労力が介護保険によって金銭化されました。これによってホームヘルパーや多くの介護職の女性が仕事を得たわけです。自分の親を介護するよりも、外で、外の高齢者を介護した方が仕事になるわけですね。これを保育ということでやっていきますと、先ほどのように、後藤議員のお話のように、親が一生懸命育てるという意味がなくなって、親が成長するというチャンスもなくなって、これを税金でむしろ崩壊させてしまうという大変矛盾したことになります。  こういうわけで、少子化ということのお答えになっていないかもしれませんけれども。
  159. 藤原正司

    ○藤原正司君 余りこの論議に、私得意じゃないんですけれども、ただ少子化というものは女性の社会進出などとの中で今後ある程度やむを得ないものだというふうに考えた上で、これからの例えば社会の制度設計を考えていくのか。あるいは先生が言われているようなこういう手当を作る、設けるとか、あるいはどうしても就業するということを続けていかれる方については、保育所といいますか、お金を掛けて他人に子供の面倒を見ていただくというシステムを取るか。  いずれにしても、やるにしても根本的に少子化を、これからはそんなにもう成人女性が一生に一人、子供を産む数なんというのは本当にもう増えないんだという前提で考えていった方がいいというふうにお思いでしょうか。
  160. 鈴木眞理子

    公述人鈴木眞理子君) これは私もそう思っております。これだけの先進国になりますと子供をたくさん産む女性はそうは増えない。しかし、一定の割合で子育てに積極的な方はいらっしゃる。ですから、そういう方々に子供を二人、三人育てていただくために育児保険又は在宅育児手当ということが考えられるのだと思います。  決してすべての女性に、また多くの女性に子育て、子供を産むようにというような施策、方針は私は余り可能性は考えられません。
  161. 藤原正司

    ○藤原正司君 そこで、ばくっとした話で結構なんですけれども、今言われたように、少子高齢化というのはもうそんなにトレンドが変わっていくということに思えないと。一説には、この二十一世紀末には我が国の人口は多くても五、六千万、少なければ四千万まで減るだろうと。急激な人口の減少を伴った高齢化が進んでいくというお話もありますように、鈴木先生が言われているように、もう余り子供をつくりそうな感じはせんでということを前提に置く。  さらに、その一つの現象として若い労働力が減ってくる、新規労働力が減ってくる。しかも、片側では長期雇用といいますか、定年制がかなり、崩壊とは言わないまでも相当ぐらつき始めている。それはすなわち短期雇用とかパートとか、短時間パートとかあるいは派遣だとか、あるいは企業内においても短期雇用だとか、そういう労働力を細切れというような形で採用する、契約をするということができつつあるし、今回の国会にもそういう法律が出されている。あるいは若い人の働くということに対する意識というものが変わってきているんではないかとか、様々な環境変化の中で、これから社会保険を中心とした我が国の社会保障制度というのはばくっとしてどうあるべきだとお思いでしょうか。
  162. 鈴木眞理子

    公述人鈴木眞理子君) 今の雇用状況を見ますと、終身雇用、年功賃金の崩壊などいろいろございまして、また先ほどに申し上げましたように、女性が再就職できるためにはパート労働、多様な労働の形態があっていいというふうに思っております。  また、若い方がフリーターとか、今の終身雇用のような就業形態を好まないということもこれからの時代の流れだと思いますので、フルタイムでなく、先ほどの熊野先生の教え子のように猛烈に十四、五時間働くというような形では家庭生活もできませんので、ワークシェアリング、またパート労働のいろいろな就業の形があってそれを選べるような社会が好ましいと思います。  高齢者の方も年金をもらわないために少し働いていただくとか、そして若い方にポストを譲っていただいて、若い方にいろいろな職の場が開かれるようにしていただきたい。そういうような多様な働き方の方も社会保険に入っていただけるように、これからは社会保険の資格のいろいろな枠を広げる方向でいるように聞いております。  パート労働の方、女性も今までのような百三万のいろんな枠ではなくて、もっと低く設定してワークシェアリングですね、それが女性にとってもまた男性にとっても柔軟で、また社会保障におきましても、広くいろんな方で支えるという意味で私は希望を持っております。
  163. 藤原正司

    ○藤原正司君 ちょっと私がお聞きしたかったのは、そういう働く側から見て多様な、様々な選択肢が持ち得るような雇用システムというのはこれはまた大事なんですけれども、片側で我が国は長期雇用を前提として、それを中心とした社会保険システムが成り立っていると。  昔、銭をためる秘訣というのは何だと教えてもらったときに、天引きをして貯金をして下ろさせないことだと、これがもう銭をためる一番の方法だというふうに聞いたことがありますが、我が国の社会保険の場合も、天引きしているところは比較的財政的に安定しているわけですね。それが自らが保険料を納入しなければならないところは、御承知のとおり無惨な加入状況であり、保険料の納入状況になっている。その雇用状態が流動化し、細切れ化していく、さらに、そういう中で若人の数が減り、就業率が下がるという中で、我が国の社会保険を中心とする社会保障制度を支えてきた制度というのは大きな変化が出てきて、ある意味では大きな曲がり角ではないか。  そういう中で、ばくっとして社会保障制度としてどうあるべきかなということをちょっとお尋ねしたかったんです。
  164. 鈴木眞理子

    公述人鈴木眞理子君) 国民年金、国民健康保険などのように大変徴収が苦労しているということはよく聞きます。国民年金も未加入者が多いとか、そういう意味においては、大変社会保険の集めるシステムというのが今の時代に合っていないんだというふうに思います。これから、先ほどのように多様な働き方、少ない所得の方からも社会保険料を徴収しようとすれば、新しい徴収のシステムが考えられなければいけないというふうに思います。
  165. 藤原正司

    ○藤原正司君 どうもありがとうございました。  次に、熊野先生にちょっとお尋ねしたいんですが、先ほど、銀行の自己資本比率といいますか、BIS規制の問題があって、それを厳密に追求されてくるという中で、中小企業に対する貸しはがし問題が出てくるということをおっしゃっていたわけです。  そこで、聞くところによりますと、この二〇〇六年にも国際的なBIS規格といいますか、その考え方の見直し作業がされている、されるというふうにお聞きをしているわけですが、この場合に分母となるリスク・アセットについて、中小企業に貸し出す場合については現在の一〇〇を七五に下げる、七五%に下げるとか、そういうようなことも検討されているやに聞いております。  国際的な基準は基準としながらも、国内だけで取引を行う銀行については、例えば先行的に日本固有のといいますか日本独自の基準が、例えばそういうふうな考え方を先行的に導入した基準があってもいいのではないかというふうに思うわけですが、先生のお考えはいかがでしょうか。
  166. 熊野剛雄

    公述人(熊野剛雄君) 私も基本的には先生とそれほど差は、考え方に差はございません。  昨日も、実は神田の学士会館で教授仲間と研究会をやっておったんでございます。そのときに金融庁の研究官をやっている若いのも来ておりまして、その昨日の情報によりますと、BISの2という、新しい規制というのを今作業中という、金融庁の研究官も派遣されたりして作業しているということですけれども、今のところでは全くどうなるか分からないということです。  したがって、もう一つ先生がおっしゃいました我が国だけの特別のものがあってもいいじゃないかと。これは全般的にBISあるいは国際会計基準、あるいは保有している資産価値が著しく値下がりしたときそれを直ちに反映させるかどうか、こういったことを含めまして、私は、総理がしばしばあらゆる手段でとかいろんなことをおっしゃるわけなんですけれども、総じて、我々はた目で見ておりますと、総合的な施策において欠けるものがあるように見えて仕方がないと。つまり、あることをおやりになろうとするときに、いろんな副作用が出てくる、そのときに対して、これについてはこういう対策を取る、これについてはこういう対策を取ると、こういったような総合的な施策をもう少しお示しになるべきではないかと私は思うわけなんですけれども。  したがいまして、先生御指摘のこのBIS基準につきましても、例えばBIS基準について我が国は今後こういう施策を取る、したがって、何年間はBIS規制について、これはG7かG8で決まって国際決済銀行に作業をゆだねたわけなんでございまして、一種の国際条約に準ずるものなんですけれども、これを何らかの方法でもって一時延期を願い出るとかいう方法があるいは必要かなとも思いますけれども、そういったような非常事態、非常の措置を講じて、そうして何年間かでこういう措置を取るというふうな一定の見通しを持った政策をお取りになればそれでよろしいのじゃないかというふうに思っております。
  167. 藤原正司

    ○藤原正司君 BIS基準の運用に当たって特に中小企業については配慮しなさいとか、内部文書がありますとかありませんと言っても、実際問題、同じ基準で、同じ基準に基づいてはじかれるということになれば当然同じような対応になってくる。先ほど言いましたように、中小企業の場合ですと貸出し先が分散するわけですから、それだけリスクが分散するんだから、今まで一〇〇だったものを、大企業に比べて一〇〇だったものを七五%に減らすというのにはそれなりの合理性があるわけですし、今、特に中小企業に対する対策が強く求められている中で、やっぱりそういうことを我が国が積極的に具体的な策として持ち込んでいかないと、掛け声だけではなかなか前へ進まないような気がするんですが、もう一度済みません。
  168. 熊野剛雄

    公述人(熊野剛雄君) 私は、基本的には、先ほど申し上げましたように、銀行が追い詰められて焦っているわけでございますから、したがいまして、それをとにかくほっとする余地を与えてやるということが一番だろうと。そうすると、銀行に対して、一つは、抵抗しているけれども抵抗はやめなさいと、その代わりしばらくの間余地を与えてあげようと。  それは、現行の貸借対照表のまま国有化してもよろしゅうございますし、それから、銀行について、第二次大戦直後に企業の、あれは何と申しますか、とにかく第一勘定と第二勘定を分けて、で、再生を図ったという歴史もございます。そういった手法を取るとか、いろいろな手法があって、とにかく一つの時限をもって、時限立法の措置でもいいと思いますけれども、とにかく三年なり五年なりで、そして、それだけ断固たる国有の措置を講じて、その代わりその間は余地を与えてやる、で、急いで分母を減らさなくてもいいようにしてやるということが一番の中小企業の対策で、その際、もし必要があればBIS規制、BIS2においても、日本はこういう点において三年間ないしは五年の猶予措置を設けてもらいたいというのを金融庁を通じて今作業しておりますから、はっきりと主張するということもしていいのではないかと思っております。
  169. 藤原正司

    ○藤原正司君 昨日、日銀の総裁がお替わりになりまして、二十日、今日か、今日ですね、今日お替わりになった。で、政府の方は日銀に対してデフレ克服という中でいろんな期待を込めておられるようですけれども、熊野先生の方から見られて、ずばり、今、日銀がデフレ克服のためにやれることというのは何があるとお思いでしょうか。
  170. 熊野剛雄

    公述人(熊野剛雄君) 基本的にはないと思います。  現在行われております議論で最も欠けておるのは、自民党内の一部にも言われておりますけれども、需要に関する政策が欠けているではないかという、これは民主党さんも言っていらっしゃると思うんですけれども、あらゆる政党で。  で、現在、大手を振って言われておりまするのは期待の理論だと思います。こういうふうに目標を掲げ、ターゲットも掲げれば期待が形成されると。なぜ期待が形成され、いかなるプロセスをもって期待が形成されるかという具体的なことに関しては何ら示されておらない。その点に関しては、ある人が最近、金融雑誌に、日本金融論学者のレベルが非常に低いというしかりを受けて、私なんか身がすくむ思いがするんですけれども、確かにそれは非常に空理空論がまかり通っているわけで。  結局、そういったような金融措置そのものは日本銀行は何ら力を持っておらないのであって、ただ、日本銀行が力を持つとすれば、具体的に日銀の信用供与が需要の増に関連するとき。そうすると、日本の信用供与が需要の増に関連するというのは、予算の直接引受け、それが直接予算支出を伴うとき。つまり、今まででありますと、軍事費の支出、支払とか、そういうときには直接そうなるわけでございますね。つまり、日銀が国家に、国に信用を供与して、それが具体的にこういう支出に結び付きますと、そういう総合的な措置を持って初めて日銀の措置というのは景気浮揚効果あるいは物価に対する効果、そういうものを持ち得ると私は思います。それなしでは日銀の力はないと思います。
  171. 藤原正司

    ○藤原正司君 どうもありがとうございました。  それで、今の先生お話をお聞きしますと、インフレターゲットの場合もあるいは円安誘導のことも、何か目標を挙げて、何か花火を打ち上げるだけでは、根拠のないものではなかなか改善はしていかないと、こういうふうにもお聞きをするわけですけれども、そうすると、先生、いえ、熊野先生として、これからいずれにしてもデフレ不況を克服していく上で何が必要だとお思いでしょうか。
  172. 熊野剛雄

    公述人(熊野剛雄君) 様々の需要項目を通じまして、今は結局、需要項目、主体別に見れば個人か企業政府か外国か、この四つしかないわけでございますけれども、そうすると、企業の設備投資というのはこれは当然期待できない。政府はどうかというと、これも、これだけ財政が破綻しておる状況ではこれも期待できない。これはよほどの決意を持って、何か日本銀行国債引受けと、こういうものに使うんだと、それは五年間目をつぶってくれ、ないしは十年間目をつぶってくれと、これならそれなりの一つの話が通りますけれども。私は、最も期待し得べき需要項目としては外国であろうと思います。つまり輸出です。  それに関しては、私が一番奇異に思いましたのは、例えば合衆国においては大統領が就任するときは、必ずドルの目標について大統領が言及いたします。つまり、円は今後十年間どのような為替相場における位置を目途とするか、それに対して、円対人民元、円対ドル、円対人民元、円対ユーロ、こういうものはどの程度の政策、ものを持って日本経済運営していくかということに関しては全く政策が示されておらない。これを政策を明示して、必要となれば東南アジア、東アジアの通貨安定基金の結成に努力するというようなことをして、巨大な市場を持っている中国市場を確保するというような努力をすれば、私は最後の需要項目である外国がかなり期待し得るのではないかと私は思っております。
  173. 藤原正司

    ○藤原正司君 どうもありがとうございました。  終わります。
  174. 山本保

    ○山本保君 公明党の山本保です。  私は、以前、厚生省の福祉の専門官をやっておりましたので、専門のところでございます。今日は鈴木先生にお聞きしようかと思うんですが、実は、と言いながら、私も、運悪くといいますか、自分には子供がおりませんで、そういう点では子育ての本当の実感がなくて質問できないと言われると困るんですが、今までいろんな難しい子供さんのこともやってきましたので、そういうことで質問させていただこうと思います。  それで、鈴木先生に、公述人にお伺いします。  今日のお話の中で、特にゼロ歳、一歳、二歳の辺は、家庭で、特にお母さんとというふうになるんですかね、それに代わる方とも言われましたけれども、いわゆるアタッチメント、ちゃんとこう接触がきちんとあって、心の交流が必要だと、こうおっしゃって、そういうふうな政策をするべきだということだと思いまして、大変結構だとは思うんですが、一つ心配なことがあります。  というのは、今から三十年、四十年前の厚生省の政策は、正に子供を産みながら仕事をする、仕事をする人が子供を持つなんというのはぜいたくだなんということを書いた、厚生、いや国が言っていたこともあるようなわけですね。それで、であるならば、女性は家に帰って子育てに専念しろと、こういう形の感覚というのは今でもお年寄りにはあるかもしれません。こういう、女性はまず何でも子育てに専念すべきなんでという感覚と、それと、今、先生がおっしゃられたものとどう違うのかということですね。  ちょっとこの辺がなかなか今後進めていくときにも難しいかなと思うんですけれども、これについて少し詳しくお伺いしようと思いますが、最初に、いかがでございましょう。
  175. 鈴木眞理子

    公述人鈴木眞理子君) 子育てに女性はいそしめというふうにお考えの世代の方もいらっしゃると思います。また、若い世代でも、そういうふうに男女の役割を期待していらっしゃる方もいらっしゃると思います。これは個人の問題だと思いますので、多少世代による保守性とかあるとは思いますが、私は、女性でもどんどんばりばり男性以上に仕事をしていただいて、出産や育児はほかの女性がしてもらえばという方がいてこれは構わないというふうに思っておりますので、男性と女性で、また世代で余りそういう子育てについて分断するような、意見を異にして、それによって次の世代への下支えといいますか、それがおろそかになることの方が非常にゆゆしき問題だというふうに思っております。  今の日本では、どうしても女性の中で、ジェンダーとか、先ほどのように三歳までというと三歳児神話で云々とか、いろんなお考えの女性がいらっしゃいます。そして、二、三十年前までは女性もどんどん働いてほしいということで保育所を整備し、また女性が社会進出を果たしたわけです。それがある程度の線まで来て今度は出生率が減ったということで、これは一つの時代の流れというふうに思います。  それを、ではどうすればいいかというと、子育てに意欲的な方は、じゃ無理して働かないでじっくり家で育ててくださいと。そのために、選択によって不利にならないように、働くことを選んだ方の方が先ほどのように非常に有利な社会ですとどうしても、私のような人間でも、もし今二十歳でしたら、多分私のような人生は選ばなかったというふうに思います。賢い、高等教育を受けた女性は、もうそういうふうになるのは宿命です。その辺で、どうあれ、どんな立場であれ、次の世代に子供を育ててくれる方には応分の負担をしましょう、みんなで支えましょうと、そういうことを考えております。
  176. 山本保

    ○山本保君 やっぱり、仕事でばりばりやられる方、そういう女性も、多分子供を育ててみたい、産んでみたい、おっぱいを上げてそういう時間を持ってみたいという、そういう気持ちもあると思っています。  ですから、ひとつ、このことを進めるためには、特に今、厚生省、厚生大臣が言いましたプラスワンということで、男性の育児参加ということを今、近いうちに一〇%ぐらいの男性には育児休暇を取ってもらおうということを去年発表したわけですけれども、この辺が今日のお話にはなかったんですけれども、男性の育児休暇を取って、男性、男女が一緒に仕事をするというようなイメージというのがなかなか一般的にないんですが、外国の例でも構いませんし、鈴木公述人のお考えでもいいんですけれども、これは普及するものでありましょうか。
  177. 鈴木眞理子

    公述人鈴木眞理子君) 今の日本ですぐに男性が育児休業を取れるというような状況は無理だと思いますが、先日、岩手県でパパも育児参加というシンポジウムをやりまして、そこで開業医の方、四人の父親、また教員で四人の父親、お二人が御自分の育児体験を話されました。そういうふうに、教員とか、また開業医、また自営業のように、育児休業ではなくても子育てに参加しやすい方はそういう道が開けているわけですが、なかなかすぐに日本では難しいと思いますが、先ほどの北欧の例のように、男性の収入も余り高くない、女性も一定の収入がある、そうなると、スウェーデンのように男性の方が育児休暇を取ろうかというような選択。また、アメリカもそうです。アメリカは育児休暇はそう普及しておりませんが、所得の低い方の男性が子育てを自分ですると。ここは、もうアメリカはお金がすべての世界ですから、非常に合理的に判断するということで、これから少しずつ男性もそういう発想の方が増えてきてくれることを期待しております。
  178. 山本保

    ○山本保君 以前そういう発表があったときに、ちょうど、よくこの委員会にも来ていただく厚生労働省の岩田局長にですね、女性の局長に、その発表は非常にいいけれども、まず、あなたはその児童家庭局、均等・児童家庭局の中の男性職員がそれ全部できますかと。まず中央官庁で、本当に子育てに若い職員がちゃんと参加できるような、そういう勤務体制なり、またその専門的なセクションの仕事をフォローできる体制ができますかなんということを言ったことがあるんですよ。やってみますとは言っていましたけれどもですね。これがなかなかやっぱりできないと難しいのかなという気もしました。  それじゃ、ちょっと話をじゃ変えますけれども、時間がもうあれなんですが。  ここで、今日いただいた資料で、東京のある市だということですが、ゼロ歳を保育すると単価が五十万円、一人当たりですね、これは、一月に五十万円以上。こういうことというのは、ほとんどまず知られていないと思うわけですけれども、先生、こういうデータなどを、よくお知り合いのお母さんなどにお話をされたときに、されたことがありますでしょうかね。そして、そのとき、どんな反応がありましたでしょう。
  179. 鈴木眞理子

    公述人鈴木眞理子君) 在宅で育児をしているお母さんはまずびっくりなさって、岩手県ですと十八万ぐらいの保育単価ですけれども、もうその半分でいいからもらえるなら、当然、自分が育てたいと。在宅でない、パートで働いている方もそうおっしゃいます。パート料四、五万で、保育料は二万ぐらいですので、それでどうにか働いているけれども、そんなにゼロ歳で掛かるなら、その何分の一かでもいいからもらって在宅で育てるんだと、その方が本当は子供と一緒にいられるんだというようなお母さんは多いです。  ですから、こういった自治体の情報を公開するような市町村も出てきております。千代田区などでは、保育園、幼稚園を、公立のものは一緒にやっていこう、そのときに掛かる費用をやはりオープンにしようということで、ゼロ歳児の保育単価は五十万以上、六十万ぐらいだと思いますが、非常に掛かっているということを区報に載せているようなところもございます。
  180. 山本保

    ○山本保君 ちょうど時間がなりますので質問はじゃ終わりますが、本当に今までなかなかそういうことについてはタブー視されていまして、幾らぐらい掛かるということはほとんど言っていなかった自治体が多かったと思うんです。もちろん、お金が掛かるから家で育てるなんて、これはもう本末転倒なことではありますけれども、実際にはそういう状況にあるということ。そして、さっき先生がおっしゃったように、子供の親子関係、心理だとか情緒面、いろんな面でプラスになるんだと。それをまた今日も質問しようと思ったんですが、しなかったですが。不思議、大変な結果ですね、専業主婦の方の方が悩みが多いなどということは。一般常識からいって、ええっというようなことを今日お話がありまして、やはりこういうところをきっちりこれから子育ての応援の中で情報を示して、みんなで話し合っていく必要があるなというふうに思いました。  どうも本当に今日はありがとうございました。  終わります。
  181. 大門実紀史

    大門実紀史君 今日は、お忙しい中、お二人、公述人、ありがとうございます。日本共産党の大門実紀史です。  最初に鈴木先生、ちょっとお伺いしたいと思います。  今日は大変新鮮な話を聞かせていただきまして、本当にありがとうございます。  資料の中でおもしろいなと思ったんですけれども、フィンランドのところに、育児休業、在宅育児手当、お母さんたちが育児の賃金を要求したと。日本でもそういう声はあることはあるんですけれども、このときはあれですかね、何かそういう取組とか運動とかが広がって法律になったと。何か日本とは違うと思いますけれども、大したものだなと思うんですが、何かこの辺、御存じのことあれば教えてもらえればと思います。
  182. 鈴木眞理子

    公述人鈴木眞理子君) そのいきさつについては、私は詳しいことは存じないんですが、北欧では労働人口が非常に少ないということで、女性も働くのが当たり前ということになっております。しかし、そのときに、働くのが当たり前だからといってゼロ歳保育を整備すると、日本のようではなくとも、やはり北欧でも人件費が掛かって乳児保育のコストというのは高いわけです。そこで、育児休業が当たり前になっている社会なわけで、じゃゼロ歳でなくても一歳ぐらいまで育てたい方が、自分が家で育てるなら保育に掛かる費用を自分がもらってもいいんではないかと、育児の労働をしているのだからという要求が出てくるのはごく自然のことだというふうに考えます。
  183. 大門実紀史

    大門実紀史君 ありがとうございました。  ただ、ちょっと私の方の専門専門といいますか、担当の方の不良債権等々のお話を熊野先生にお聞きしたいと思いますが、まず株価のことなんですけれども、小泉内閣発足した最初は一万四千円台でした。四千円台でしたけれども、最近は八千円切るというようなところに来ていますが、この株価のこの二年間ぐらいの下落とかあるいは低迷の最大の理由といいますか、いろいろあるとは思うんですが、どういうふうにお考えになっていますか。
  184. 熊野剛雄

    公述人(熊野剛雄君) 最大の原因は持ち合いの解消だと思います。株を売る、買うのはまあとにかく株主ですけれども、投資家ですから、戦後、一九四〇年代から九〇年、八〇年代を通じて形成されたのが約七五%以上、八〇%近くの法人所有でございますから、それが解体されていると。したがいまして、株価が下落するのは当たり前のことであろうと。したがいまして、これは法人所有に代わる新たな固定的な所有、つまり機関投資家が成長して、それによる保有というものが形成されるまでは、株価は下がるし安定しないだろうと思います。  ただ、現在は、ほぼ解消もかなり底に近づきまして、現在一番行われているのは、年金財政の破綻、これは無謀な低金利政策によって年金財政は破綻していると私は思いますけれども、その結果が、厚生年金の代行部分の返上問題がございますから、その返上に伴って各年金基金が持ち株を放出しております。これが行われているのが大体八千円割れ、この八千円、日経平均八千円の攻防の大体主体ではないかと思っております。  そういうことでよろしゅうございましょうか。
  185. 大門実紀史

    大門実紀史君 ありがとうございます。  次に、インフレターゲット論の話ですが、先ほどからございましたけれども、余り効果がないといいますか、そういうお話だったと思いますが、インフレターゲット論もかなり幅があって、かなり極端なインフレターゲット論、まあ日銀がもう土地まで買うというのまでありますけれども、もしもそれ断行した場合どんなことになるかというのを、何か想像できることがあれば教えてもらいたいと思います。
  186. 熊野剛雄

    公述人(熊野剛雄君) インフレターゲット論というものと、それから日銀にいろんな資産を買わせるというのとは、また全然別の問題がいろいろ混同されて議論されているかと私は思っております。  インフレターゲットというのは、これは先ほどもちょっと申し上げましたように、ターゲットを提示すれば期待が形成されると。これは金融理論上の仮説の一つにすぎない。金利はいかにして形成されるかと、それはその期待によって形成されるというのが、これがアメリカにおいては通説でございますね。大門先生の御専門の方では、マルクスは何か利潤か何か、剰余価値か何かで形成されるとか、いろいろ仮説があるわけでございまして、期待によって形成されるというのはアメリカにおいて通用している仮説の一つにすぎない。  したがいまして、唱えれば、それでいかにして仮説が、つまりみんながそう思うようになる、それによって新しい金利が形成されるようになるだろうという具体的なことは、何らその証拠が示されておらないわけでございまして、これは私は空理空論にすぎないと思っておりまして、日銀がやれることとすれば、日銀信用、日銀が供給するのはベースマネーでございますから、いわゆるマネーじゃありませんから、日銀の供給するのは準備であってマネーではないというので、これに関する誤解が多うございます。しかしながら、日銀が供給するマネーが直接需要に供給するのは財政資金の供給、つまり日銀の国債の直接引受けだけでございます。  ただ、ほかに日本銀行が直接資産を供給するというのは、これは中央銀行のなすべきらちを越えているわけでございまして、もう既にそれは、そういうことは日銀が中央銀行で半分なくなっていると、日銀に中央銀行でない仕事もさせることであって、私は日銀にやらせるべきことを越えていると思います。  強いてそれをやるならば、かつて株価形成の際に田中角栄氏が大蔵大臣、総理大臣じゃなくて大蔵大臣のときだと思いますけれども、それは日銀資金を使いましたけれども、別途日本共同証券あるいは日本証券保有組合という、共同証券は株式会社で、保有組合はたしか匿名組合であったと思いますけれども、別途の法人、法的主体をそこへ設立して、それで日銀が市中銀行を経由して資金を供給して株価を支えたと、こういう、これはあくまでも中央銀行としての行為、それだけでもやや、中央銀行として取るべきらちをやや越えているんではないかという議論がないでもありません。しかしながら、強いてやれるとすれば、そういうことであろうと。  日銀自体が日銀の資産においてそういった資産を獲得するということは、私は日本中央銀行としてのらちを越えているものであって、恐らくグリーンスパンその他、各国中央銀行においては笑い者になっているのではないかと私は思っております。
  187. 大門実紀史

    大門実紀史君 ありがとうございます。  もう一つ銀行への公的資金注入という、これをどう考えるか、お聞きしたいんですけれども、かつて九八年のときには、国会では通りましたけれども、国民の中にはかなり銀行に公的資金を入れるのは反発がありましたし、今でもそういう話が出るとかなり反発はあります。その金融システムの安定とかいうことと、この公的資金との関係をどう考えたらいいのか、お考えがあればちょっとお聞きしたいと思います。
  188. 熊野剛雄

    公述人(熊野剛雄君) 公的資金の供給ということと、それから最終的な損失をだれが負担するかということが、しばしば混同されて議論されているかに私は思っております。  金融システムを安定させるためには、現実に私が先ほど申しましたように、銀行は債務超過状態にあるわけでございますから、したがいましてそれを生かして銀行業務をやらせるためには、これは貸借対照表を健全な状態に戻さなければ仕方がないわけでございまして、このためには公的資金の供給は、これはやむを得ない。これはもうだれが、私に総理大臣、じゃ大蔵大臣ないしは金融担当大臣をやらせていただいても同じことをやると思います。  ただ、それからある程度とにかく穴が空いて埋まらないわけでございますから、それをだれが埋めるかと。つまり、公的資金の供給、即国民の税金を投入するということとはやや話が違うのではないかと。最終的に損失が確定したときに、それをだれがどうして埋めるか。どうしても国民の税金を投入するのを避けるのであるならば、かなり長期にわたって徐々に穴を埋めていくという方策を取らざるを得ないであろうと。  現実に、日銀の計算におきましても、既に不良債権は九十兆円処理したわけでございます。九十兆円処理したということは、この十年間に九十兆円始末を付けたのでございますから、したがいまして日銀の計算においては今九十兆円処理して、なお大体四、五十兆円ぐらい残っているんじゃないかと言われておりますですね。そうすると、なおこれ今後四、五十兆円投入するとして、そうすると四、五十兆円、何年間で償却するか。これはもし貸すに時をもってするならば、預金保険機構で、銀行界の負担において十年、二十年あるいは三十年掛けてもいいじゃないかと、そうすれば私は国民のこれ以上の負担は避けられるのではないかなと、私は個人としてはそう思っております。
  189. 大門実紀史

    大門実紀史君 どうもありがとうございました。
  190. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 両先生方、大変お疲れさまでございました。私で最後でございます。あと七分間お付き合いください。  国連、通称国連(自由党・無所属の会)の森ゆうこと申します。よろしくお願いいたします。  まず、鈴木先生から伺いたいと思いますが、先生の公述の内容は大変私としても共感できます。私の場合は子育てそれからボランティアの経験を経て、先生は福祉の方の教育のお仕事、私は政治の世界に入りまして、でもその動機も全く同じでして、この超少子高齢そして人口減少社会、これからの日本、今までの社会保障制度では全くいけないと、このまま自分の子供たち、その次の世代に負担を押し付けるわけにはいかない、私たちの世代の責任として何とか新しいそういう状況に合った構造に変えなければいけないということが政治へのモチベーションでしたので、全く先生の先ほどのお話に共感するものです。  先ほど先生お話にもありましたように、今回、政府は次世代育成支援法なるものを出しますけれども、ある程度評価はできると思うんですが、私は根本的にこの子育て支援に関する基本的な考え方を変えないと施策は実効あらしめるものにならないと思うんですね。  この基本的な考えというのは、簡単に申しますと扶養概念の再定義ということなんです。個人的な子育ての経験から言いますと、子育ての一義的な責任は家族にあると思います。しかし、今の現状を考えますと、そういうことをもう根本的に考え直して、一義的な子育ての責任は、政府だけとは言いませんが、公にある、社会にあるというふうな考え方を法律的にも明示して、そして社会全体で子育てしていくという考え方の下に立っていろいろな政策、社会での相互扶助というものを進めていかないとこの問題、解決できないと思っているんですが、私のこのような意見に対していかがお考えか、御感想をいただきたいと思います。
  191. 鈴木眞理子

    公述人鈴木眞理子君) 全く同感でございます。  本当に子供を育てるということは社会扶養でございます。私も自分の子供を育てたのは社会のために育てたわけですので、これからの子育てというのは社会で支えるものだと思います。しかし、育つ場は家庭であって、親がまずできる限り子供と一緒の時間を過ごす、これもまた一つの在り方だと思います。  社会扶養という考え方は、決して施設や保育園で育てるということではなくて、どこであれ、保育園であれ家庭であれ、育てることに社会全体がまた負担をして、社会保険で何でもあって扶養する、これが社会扶養の考え方だと思っています。同感でございます。
  192. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 ありがとうございます。  それでは次に、熊野先生にお聞きしたいんですけれども、先ほど先生お話で、デフレ対策といいますか、最後に残った手段は為替政策であるというふうなお話がありましたけれども、個人の政策についてはおっしゃいませんでしたが、実は私は、政府の政策は個人の需要、消費の意欲というものに対してむしろデフレ政策を取っているというふうに去年から主張しておりまして、御存じのように、社会保障の国民負担増、いよいよこの四月から現実のものとなって国民の皆さんがその痛みを感じるわけですね。  もちろん、医療費だけじゃなくて、年金の総報酬制、それから介護保険料の値上げ、そして年金の物価スライド制の凍結解除、様々なものが一緒になって、これがもう言わばデフレ政策ということで更にこの経済に対して悪い影響を与えるのではないかと思いまして、私ども野党は、まずはこの医療費の三割本人負担、サラリーマン三割負担の凍結法案も既に提出しておりますが、この点について先生の御意見を賜りたいと思います。
  193. 熊野剛雄

    公述人(熊野剛雄君) 個人の需要が増加しない、それが不況の原因になっているという点につきましては、先生の御意見に私は全く同感でございます。  これだけ個人の需要をカットする政策を取られれば、個人需要、個人の最終消費需要が伸びないのは当たり前であって、全く期待することができない。したがいまして、それ以上のことを仮に申すとするならば、個人が持っている資産の、結局、資産効果を高めてやればいいだろうと。  私は数年前に、今一番やるべきことは国民生活、国民の、我々庶民の立場から立ちますと、社会的な不安、つまり犯罪の増加、これに対しては徹底的に取り締まると。これはつまり、警察庁の予算の問題でございますから、警備警察に非常にウエートが掛かっている警察庁の予算をなぜ刑事警察にもう少しウエートを戻さないのかと。どう見ても、だれがどう見ても警備警察に予算が過当に行っておりますから、この問題だろうと思いますし、個人においては資産の効果を、資産効果を期待させるとすれば何だろうかと。株価の持ち上げに、株価を持ち上げてやればいい。すなわち、四、五十兆円株を政府が買うと。これこそ私は、金利が増えて期待の形成というのは非常にインチキだというふうに、まやかしではないかというふうに私は申し上げたんですけれども、この点に関して恐らくアナウンスメント効果だけで、恐らく四、五十兆買うとすれば、四、五兆円も買えば十分効果があるんじゃないかと思いますけれども、とにかくそれは個人の、これだけ医療費の負担、いろんな負担というものはいろんな議論があるところでございますから、これは私のような金融専門家専門外で何とも申し上げる資格はございませんけれども、少なくとも個人の消費がカットされる原因になっているという点では先生の御指摘のとおり、どうして増やすかという点に関しましては今申し上げましたような手しか残っていないだろうと思っております。
  194. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 ありがとうございました。  私も、将来的に社会保障費の負担の在り方というものはまたきちっと決めなければいけないと思いますが、それよりもまず先に、本当に将来にわたって持続可能な社会保障制度というものをきちっと国民の前に示して、それから国民負担を求めるということでなければいけないと思っております。  今日は本当にありがとうございました。  終わります。
  195. 陣内孝雄

    委員長陣内孝雄君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人方々に一言御礼を申し上げます。  本日は、有益な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)  来る二十四日、午前九時から委員会を開会することとし、これをもって公聴会を散会いたします。    午後五時四十八分散会