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国務大臣(
遠山敦子君)
義務教育費国庫負担制度につきましては、私
どもは、本
委員会での御
議論もございまして、その根幹はしっかり堅持をしていく、そのことは憲法の要請でもあり、また
日本の未来を担う
子供たちを知的にも、あるいは知育、徳育、体育の調和の取れた人格を形成していく、しかもそれはすべての
児童生徒が一定水準の
教育を受けると、それを担保するのが最終的には国の責任であるということは明確でございます。そのようなことから、
義務教育費国庫負担制度の根幹は守るということを私もこの
委員会において明確にお約束をいたしております。
今のどういうふうになっているのかということでございますけれ
ども、報道ではいろいろな報道がなされておりますけれ
ども、私はその大きな
方向性において何ら揺らぎはないというふうに
考えております。
国の財政状況の問題あるいは地方分権といったいろんな政府を挙げての要請もあるわけでございます。したがいまして、地方分権改革推進会議から出る意見でありますとか、あるいは経済財政諮問会議でもこのことが話題に取り上げられて、また三位一体論というふうなこともいろいろ取り上げられております。
しかし、そうした中で、私
どもの省といたしましてはこの問題についてはしっかりと守り切るつもりでおりますし、またいろんな
議論もその形で進んでいるところでございます。
昨年の夏にその問題についてかなり
議論が起きましたときから問題が発生したわけでございますが、昨年末に三
大臣合意ということで、大蔵
大臣、総務
大臣、
文部科学大臣の間で合意がなされました。その線に沿って、私
どもとしては、見直しても根幹には差し障りがないと思った部分だけ、手当の部分について先般こちらで御審議もいただいて法律を通させていただいたわけでございます。
その後今年になっても、もう一度、三位一体論という中で、義務
教育費国庫負担金に相当する予算額も含めたような形で地方への一般財源化というふうなことが取り上げられたように報道されております。
しかし、経済財政諮問会議において認められた骨太二〇〇三の確定した文書をお読みいただければ分かると思いますが、昨年末の三
大臣合意の線から一度も、いや、全く退いておりませんで、むしろ、
教育改革の一環としてというところを更に書き込みまして、
中央教育審議会における検討というものも明示させていただきました。ということは、この
義務教育費国庫負担制度の在り方について財源論の立場から論じてはならないということで、
教育論の角度からしっかりとこれは論じて、我が省が責任を持ってその
方向性というものを決めていくということが明確に経済財政諮問会議で認められた骨太
方針の二〇〇三にも書かれているところでございます。平成十八年までの間に検討するということになってございます。
しかしながら、私といたしましては、先ほど申しましたような、国の本来責任を持って守るべきものについてこれは堅持をしていくというのは、私は将来の国民に対する責任そのものであろうかと思います。また、諸外国の情勢を見ましても、義務
教育というものをそれぞれの国がしっかり守っていくという点においては、むしろ
日本を見習って各国は制度改正をしているわけでもございます。
また、三位一体論ということでございまして、できるだけの補助金、負担金というものは地方に一般財源化しようということでございますが、私は、義務
教育費国庫負担金というものは、地方財源といいますか、地方への一般財源化に全くなじまないものだと思っております。
一つは、このお金といいますものは
教育の
基本のものでございまして、仮に、万々が一、地方の財源に一般財源化したとしても、各地方はそれを自由に使うわけにいかないんですね、教員の給与費に使わざるを得ない。それは憲法上、一定水準の
教育というものを国家として守っていかなきゃならないわけでございますから、自由に使えるお金ではありませんので地方分権にはなじまない。また、国民にとっても何らこれはメリットにならないわけですね。自分たちの
子供が世話になっている
学校の
先生の給与がどこから出ようと、国民にとっては何らその納税負担が減るわけでもございません。むしろ、マイナス面としては、全国一律に国が最低保障している今の制度が揺らぐわけでございますから、マイナス面は大いに出てくるということでございます。
そのようなことを
考えますと、私はその
義務教育費国庫負担制度の根幹は守り続けていくということが当然だと思っております。
そして、地方分権という角度からいいますと、むしろ教員配置についての
学級編制のもう少し弾力化をしていく、あるいは定数配置についても各地域の自主性を
考えたような配置もできるようにしていくと。さらには、給与費についての個別の額についてもう少し弾力化していく必要があるかもしれません。そういったことは地方分権になじむと思うわけでございますが、制度の根幹というものを地方分権という角度から軽々に財源論という視点で論じるには当たらない、そういう制度であるというふうに確信をいたしております。