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参考人(奥島
孝康君)
基本的にお考えに私は反対ということではございません。おっしゃることはよく分かりますし、またほとんどの
部分は賛成でありますが、ただ、私たちが考えております十八歳以上
自立型
社会というのは、
奨学金の実態をよく見た上で私たちとしてはそれを考えているわけであります。例えばの話でありますけれ
ども、今、
大学へ進みたいという
意欲と
能力のある者にとって
大学に進むことが困難であるというのは、
経済事情によって困難であるということはほとんどあり得ないと私は考えております。
というぐらいに今は、例えばの話でありますけれ
ども、この
奨学金と、それからもう
一つの
国民生活金融公庫等の貸付け等を利用してやっていこうということであれば、例えば、私が田舎から出てきまして家から全く仕送りなしに
東京で巣立った、
大学を出た
昭和三十四年から
昭和三十八年の
時代から考えてみれば、比べてみれば、比較の問題でありますけれ
ども、私は全く仕送りなしで
大学を、しかも昼間部を早稲田で出たわけでありますから、そのことを考えてみれば、今の
奨学金の支給
状況、あるいは何といいますか、
審査状況を見ますと、まず
意欲と
能力がある者にとってはこれが取れないということはほとんどないというのが現実であります。
そういう中で、
学生たちは給付であるとかあるいは無
利子であるとかいうもののみを望んでおりまして、
有利子の方には手を出そうとしないというのが非常に、何というか、顕著な傾向になってきているのが現実であります。
例えばの話でありますけれ
ども、今、
奨学金というのは、何も
日本育英会の
奨学金、これはもう圧倒的に、八十七万人に五千八百億円を出しているわけでありますから大変なことでありますけれ
ども、しかしそれだけではなくて、各
大学でも、
清成先生が先ほど言われましたように、それぞれの
大学で独自の
奨学金というものを設けておりますし、また様々な
外部の民間の団体が、あるいはロータリー等がいろんな形でもって
奨学金を出しております。
そういう形でもって、今、
意欲と
能力のある者が
経済的な事情によって
大学へ本当に進めないのかということを尋ねてみると、私は、これはほとんどの者は工夫さえすれば私は
大学に十分進んでいくことができるような今、世の中になってきているんだというふうに考えているわけであります。
そういう中で、今の
奨学金でありますけれ
ども、それが諸外国と比べて高いか安いかということになってきますと、
奨学金が高いか安いかということなのか、あるいは、何といいますか、日本の
教育投資というものが全体として多いのか少ないのかという方からむしろ考えていくべきではないかと。
奨学金よりも公的な
教育投資というものが、御存じのようにアメリカが日本と比べますと大方三倍近い
教育投資を行っている。それは、GDP、つまり国内総生産高に対する比率でいいますと、アメリカが一・四、それから独仏が一・〇、それからイギリスが〇・八、日本が〇・五、パーセントでありますけれ
ども、いずれも。つまり、独仏に比べても日本は公的な
教育投資というものが半分であるという現実があります。
私は、そういう側面において、日本の
教育投資というものが非常に低いために日本の科学技術創造立国への道というものが容易ならざる問題をはらんでいるというふうに考えておりますけれ
ども、奨学
制度の問題について申し上げますと、今そういった学校の
教育制度というものが十分に整っているというふうには思われませんし、また、御存じのように、日本の高等
教育は大方八割近くを私学が担っているということで、したがってその授業料が高いということにも結果としてはなるわけでありますけれ
ども、そういう条件を全部考えてみて、外国と比べて日本が恵まれているというふうには決して考えてはおりません。
ただ、今の日本の現状の下において、学費が、例えば
大学レベルにおいても、アメリカの恐らく二分の一、私学、私立
大学でありますが、私立
大学が高いといいながらアメリカの二分の一ぐらいであろう。それからまた、
奨学金は
貸与制でありますけれ
ども、しかし御存じのように、この
貸与の利率というのは、現在〇・四、三%でしたか、〇・三%、ちょっと、
国民生活金融公庫の
貸与、
教育ローンというのが一・六%でありますが、
奨学金の方は恐らく〇・五%以下でありまして、確かに
有利子ではありますけれ
ども、非常に低いところに抑えられておりまして、そういう意味では私は、今の
学生たちは、
奨学金をほとんどの者が
意欲と
能力があれば利用することができる
状況を作り出しているというふうに思っております。
以上です。