○
参考人(
行天豊雄君)
行天でございます。
本日は、こういう機会を与えていただきまして大変ありがとうございます。
東アジアの将来というのは、当然のことながら
日本の将来にとりまして、現在でもそうでございますけれども、これからはますます重要なことになってくると思います。
御承知のとおり、西半球は米国を中心にいたしましていわゆるNAFTAという
経済同盟ができておりますし、これが今着実に南アメリカにも拡大をされておるわけでございます。一方、ヨーロッパは、これも御承知のとおり、EUが着々と拡大をされてまいりまして、恐らく十年、十五年後には中近東近くまでこれが広がっていくということになるでございましょう。
そうなりますと、残されたこの
アジアで何とかこの西半球並びに欧州という二大
経済圏に対抗できるようなものがないと、この二大
経済圏につまみ食いをされてしまうということになりかねないわけでございます。
その
意味で、
東アジアの中でどうやったら
経済面での協力
関係を固めていくか、しかもその中で
日本がどうやったら
日本の国力にふさわしいような指導力を発揮できるかということは、正に今後の
日本の国際的な
経済外交の最重点
課題でなければならないわけでございます。
一九九七年の
アジア経済危機というのは、
東アジアの
諸国にとりましては大変なショックであったわけでございますね。御承知のとおり、それまで
東アジアの
諸国は大変な高度
成長を続けておりまして、
東アジアの奇跡と言われて、二十一世紀は我々のものだという感じが満溢しておったわけでございます。それがこの九七年の
危機で、少なくとも当座は全く目の前が真っ暗という感じになったわけでございます。
当然のことながら、一体何であんなことになっちゃったんだろうという反省が非常に行われました。いろいろ事情はあったわけでございますけれども、やはり多くの国が感じたのは、どうも
自分たちは今まで余りにもアメリカ、特に米ドルに
依存し過ぎていたんじゃないだろうかということだったろうと思います。
この米ドルへの
依存というのは、実は二つの面がございます。
一つは為替相場の
側面、それからもう
一つは金の調達の面でございます。
この相場の面からまず申しますと、御承知のとおり、この
アジア危機が起こりますまでは、
東アジアのほとんど、事実上すべての国が
自分の国の
通貨を米ドルにペッグしておった。ペッグというのは、一定の相場でもう固定しておったわけでございますね。
日本も、御承知のとおり、一九七一年のニクソン・ショックの前までは一ドル三百六十円ということで円をドルにペッグしておったわけでございます。
東アジアの
諸国は、
危機が起こるまではほとんどの国が
自分の国の
通貨をドルにペッグしておったと。一ドルがタイでございますと何バーツであるとか、
マレーシアだと何リンギットだということで、相場を固定しておったわけでございますね。
この固定しておったということは非常にメリットもあったわけです。というのは、そういう国にいろいろ金を貸したり
投資をしたりする立場にある人、これはアメリカとか
日本であったわけですけれども、そういう立場から申しますと、今
投資をする、今金を貸す、何年か後にそれを取り戻したいときに、相場は変わらないわけでございますから、その間に相場が動いてしまって損をするということがない、それが保証されておるわけですから、もうこれほど楽な話はないわけで、そういう
意味では
東アジアの国は外部からの
投資を非常に積極的に受け入れることができたわけです。
それと、ドルにペッグをしておるということは、ドルが上がれば
自分の
通貨も上がるし、ドルが下がれば
自分の
通貨も下がるというわけですね。ですから、一九八五年のいわゆるプラザ合意から十年後の九五年までの間、御承知のとおり
日本の円が米ドルに対しましてずっと切り上がってまいりましたね。九五年には御承知のとおり七十九円七十五銭という史上最高の相場になったわけですけれども、こういうふうに円がドルに対して切り上がっていくということは、
アジアの
通貨が円に対して切り下がっていくということになったわけで、これは非常にそういう国の
輸出にとっては
プラスになったわけです。
危機に至る前、
東アジアの国が非常に高度
成長を遂げたということは、
一つには、当時の円高ドル安というものはこういう国に恩恵を与えたということは間違いないわけでございますけれども、今度逆に、
東アジアの国の
経済の前途に対して、どうもこのままじゃやっていけそうもないなということになりますと、一斉に今まで入ってきていた外貨が国を出ていくと。そのときに相場が固定されておりますと、これはどんどんどんどんと外貨が流出してしまうことになるわけです。
それと、もう
一つは九五年以降、御承知のとおり円安ドル高になりましたから、こういう
東アジアの国にとっては円に対して非常に
競争力がなくなってしまったということもございまして、いずれにしても、実際の
貿易とか
投資という
経済活動がアメリカ一国とではなくて、あるいは
日本と、あるいはヨーロッパの国とやっているにもかかわらず、
自分の国の
通貨をドルという
一つの
通貨にだけペッグしてしまうというのは非常に良くないということに気が付いたというわけでございます。
それと、もう
一つの
資金の調達の方でございますけれども、これも今申しましたように、ドルとペッグしておりましたから、
東アジアの国には大量の外資、ほとんどがドル建てでございましたけれども、が入ってまいりまして、その入ってきたドルはそれぞれの国の
通貨に交換されて、
国内で
投資をされて、これがいろんな形でブームを作ったわけでございます。
ところが、いったんそれぞれの国の
経済状態について不安が起こってきますと、一斉にそういう外資が外に出ていくと。ところが、その外資を借りた
国内の
企業の立場からいたしますと、その国の
通貨は価値が暴落しておるわけでございますから、昔は例えば二十バーツ返せば一ドル返せたというのが、いつの間にか四十バーツだ、八十バーツだということになってしまって、これはもう当時はそういう
外貨建ての債務を負った
企業がばたばたと倒産をしていって、これが
経済不況を異様に深刻化したわけでございます。
そういう反省から、何とかドル
依存を少しでも和らげられないだろうかということが
アジア諸国の共通の非常に強い関心になりました。
そのとき、
日本もある
意味ではチャンス到来ということで、大いに主導権を握ってこの
アジア諸国のドル
依存脱却の手伝いをしようということでいろいろ実は努力をしたわけでございます。御記憶の方も多いと思いますけれども、当時は
日本も、何とか
日本の
通貨、つまり円というものをドルとかヨーロッパの
通貨並みに国際的に使われる
通貨にしようと、国際
通貨化ということに熱心でございました。なかんずく、特に
東アジアという国は当然のことながらその三分の二が
日本でございますし、
東アジアの
経済力の三分の二は
日本のものでございますし、
日本の
貿易あるいは
投資が非常に多いものですから、
世界のドル並みの基軸
通貨になる前に、少なくとも
アジアで基軸
通貨に円をしようじゃないか、何とかならぬかということで努力をいたしたわけです。
この円の国際化につきましては、当時から政府でも、あるいは国会の方でもいろいろと勉強がなされまして、どうしたらいいかということが検討されておったわけでございます。特に、
日本の
輸出入
企業が何とかしてもっと
外国との取引に円を使うようにしようじゃないかと。おかしな話なんですけれども、
日本という国は
世界第二の
経済大国でありながら、
自分が行っている
外国との取引は実はほとんど米ドルで行われておる。
日本からの
輸出のうち円で決済をされているものは現在わずか三分の一でございますし、
輸入に至っては四分の一、その他の
資金取引、銀行の貸付けであるとかあるいは債券の発行などに至ってはほとんどがドル建て。こんな国はほかにないわけですね。
世界第二の
経済大国でありながら
外国との取引に
自分の国の
通貨を使っていない、あるいは使われていない。何とかこれをしようじゃないかということで、民間の方たちも含めていろいろ検討が行われました。
それと、
資金の調達の分野では、今までは余りにもドル建ての融資に
依存をし過ぎておったから、何とか
自分たちの間で、つまり
東アジアの国の間でお互いに
資金が融通し合えるような仕組みが作れないものだろうかと。御承知のとおり、
世界的な規模にはIMFというのがございまして、これが
国際収支の困った国などに
資金の融資をしておるわけですけれども、率直に言ってIMFという国際機関は米国を中心とする欧米
諸国の発言権が非常に多い、
アジアの発言権というのは相対的に非常に小さい。
そこで、何とか
自分たちで決められるようなそういう機関を作ろうじゃないかと。これは実は
日本が言い出しまして、
アジア通貨基金、AMF、エイジアン・マネタリー・ファンドというものを作ろうという構想をぶち上げました。これが九八年のことでございましたが、これは当時タイとか
マレーシア、インドネシア等からは非常に強く支持されました。IMFは当然のことながら非常に強く反対、米国も
自分の
影響力が減るということで反対、当時
中国はアメリカに脅かされてこれも反対に回っておったわけでございます。しかし、そういう何とかドル
依存を脱却して自前でやっていこうという動きが当時は
かなり強くなったわけでございます。
ところが、率直に申しまして、その後のこういう
アジアの金融自立化への動きは非常に難航しております。うまくいっていないわけでございます。なぜうまくいっていないのかということになりますと、これはいろいろと
原因がございます。何しろ、先ほど申しましたように、何とか円をもっと国際的に使われるようにしようという努力は
日本としてはやったんですけれども、成果が実はほとんど上がっていない。これは、いろんな面で円が今どのくらい
世界的に使われておるかという
数字を見てみますと歴然としておるわけでございますけれども、むしろ最近は円の国際的な利用というのは向上するどころか逆に若干低下ぎみになっております。
それから、
アジア通貨基金についての動きも、その後いよいよ具体化しようということでいろいろ勉強をしてまいりますといろいろと難しい問題が出てきます。一体だれが金を出すんだ、それから、一体金を出す条件をどうやって決めるんだというようないろんな難問が次々に出てまいりまして、具体化に向けての詰めの進捗というのが率直に言って余りない。むしろ最近は、
アジアの
諸国の間では、そういう
資金の融通というよりも、いわゆる
自由貿易協定、お互いに物とか
サービスが関税その他の障壁なしに自由に動けるような、そういう取決めを作った方が先決じゃないか、むしろ
貿易の面で域内の動きを活発にした方が早道じゃないかというような感じが若干出てきておるわけでございます。
こういうふうに、円の
アジア基軸
通貨化、あるいはこの
アジア通貨基金構想というものが難航しております背景には、
一つには、確かに
アジア危機で非常にショックを受けた
諸国の
経済が
かなり回復をしてきた。つまり、ひところの大変な
危機感というものがその
意味では若干薄れたということもございます。例えば、相場の問題につきましても、
危機の後、
中国と
香港を除いたその他の
アジアの国はドルとのペッグをやめまして、一応建前としては現在変動相場制ということになっておる。ですから、ドルの動きとそういう国の
通貨の動きは一応切り離されて市場での需給
関係で動くようになってきておりますから、昔のようにドルペッグの弊害というものがなくなってきておる。
それから、
東アジアの
経済が特にアメリカのITブームのおかげで大変早く回復をしたわけでございますけれども、その結果、
東アジアに対する
投資とか融資なんかもひところ非常に落ち込んだんですけれども、若干持ち直してきておりますし、それから
アジア諸国自身がやっぱり
自分たちの
経済の中の自己改革を非常に熱心にやっておる。これはお隣の
韓国なんかが特に金融改革とかあるいは財閥改革で非常に勇気のある思い切った改革をして大きな成果を上げておることは御承知のとおりでございますけれども、いずれの国もそれぞれ努力をしておるということで、
かなり危機の当座と比べますと
危機感が減ってきたことは事実でございます。
それともう
一つは、やっぱり非常に残念なことなんですけれども、ドル
依存を脱しようと、あわよくば今度は
日本の円主導だということだったのでありますけれども、肝心の
日本と米国の
経済のパフォーマンスが特に九〇年代後半に非常に大きな差が開いてしまった。アメリカは、御承知のとおりIT
技術の積極的な活用による
生産性の向上でもってすさまじい高度
成長の
時代に入ったのに対しまして、
日本は、バブル崩壊後の停滞がせっかく九六、七年ごろ若干戻ったかと思ったんですけれども、更に二番底に深く沈んでいってしまったということで、日米
経済のパフォーマンスに非常に大きな明暗が生じてしまったと。ですから、一時のアメリカよさようなら、
日本よこんにちはという感じが全くなくなってしまったわけでございます。
具体的に言えば、
日本の金融機関が全くその力を失ってしまったと。かつては円高と巨額な黒字を背景にいたしまして、
日本の金融機関というのは正に
世界を席巻する勢いであったわけでございますね。ニューヨークへ行ってもロンドンへ行っても最大の貸手は
日本の金融機関という
時代が八〇年代後半に出現しておったわけでございますけれども、これが正に様変わりになってしまって、今は、御承知のとおり
日本の金融機関は一斉に海外活動から撤退を競っておりますし、本体の方も、御承知のとおり不良債権の問題で全く弱体化をしてしまっておると。規制緩和の方も、九六年のビッグバンというのはありましたけれども、必ずしも十分ではないと。
その結果、どうも東京の金融市場、
資本市場は少なくとも海外の人にとっては魅力がないと、少なくともニューヨークとかロンドンと比べた場合に全く比較にならない。ニューヨーク、ロンドンのみならず、
香港とか上海とかと比べても見劣りがするということになってきておるわけでございます。
それと、やはり忘れてはいけないのは、御承知のとおり九九年からヨーロッパでいよいよ単一
通貨ユーロが誕生いたしまして、これが正に米ドルに拮抗する
世界の基軸
通貨、第二番目の基軸
通貨になろうとしておる。
それやこれやございまして、残念なことながら、せっかく、
アジア危機の直後、
アジアでもって沸き起こっておりました
日本を指導者として域内の金融
経済の結び付きを強化しようという動きは非常に目下難航をしておるわけでございます。
ただ、若干悲観的な感じで申し上げましたけれども、この
アジアの金融協力、
経済協力に向けての動きがなくなったわけでは決してありません。冒頭に申しましたように、
アジアが何とか
自分たちで西半球やヨーロッパと対等にやっていけるようにならなきゃならないというその気持ちは非常に強いし、恐らく着実に高まっているだろうと思います。現に、現在でもいろんな形で
アジアの域内の金融協力を進めようという動きは進んでおります。ただ、
アジア危機の直後のころと比べますと、いい
意味で非常に現実的になってきてはおると思います。
一つ、今着実に進んでおりますのは、先ほど申しましたこの
アジア通貨基金に向けた動きといたしまして、
アジアの国の中央銀行、これは
日本銀行も入っておりますけれども、この中央銀行の間で、二つの中央銀行の間でお互いの
通貨の貸し借りの予約、これはスワップと呼んでおりますけれども、この取決めをしようということでございまして、これはそういう貸し借りの予約をしておきますと、仮に片っ方の国が何かの事情で金が必要になったときには、その予約を実行して
相手の国の
通貨を借りるという制度でございます。
日本銀行も既に七つのほかの国の中央銀行とこのスワップ協定を結んでおりまして、言うなれば、
アジアのいろんな国の中央銀行の間でこういう網の目のようなスワップ協定の仕組みが現在着々と構築されておるわけでございます。
これが将来どう展開するかはまだ必ずしも楽観は許しませんけれども、もしこういう形で
各国中央銀行の間の取引
関係が密接になってまいりますと、いずれは何かこれを制度化してどこかに
資金をプールして、必要に応じてそれを域内の国に貸すという、正に当初の
アジア通貨基金構想に似たようなものができる
可能性は確かにあるんだろうと思います。
それから二番目は、相場の方の
関係なんでございますけれども、要するに
アジアの国のジレンマというのは、先ほど申しましたけれども、実際の取引というのはアメリカともやっておるし、
日本ともやっておるし、ヨーロッパともやっておると。ところが、使う
通貨というのがある場合にはドルであったり、円であったり、ユーロであったりと。困るのは、この
三つの主要
通貨の間の相場が、これは全く今変動相場でございますから自由に動くわけでございますね、
マーケットの需給
関係で。特に、円ドル相場というのは非常に動きが荒いことはもうよく御承知のとおりでございますし、最近ではユーロとドルの間の相場も非常に大きく動くようになっておると。そうすると、
アジアの国にとると、
自分が使っておる
通貨がほかの
通貨との間で非常に大きく動いてしまう、しかし実際の取引の
関係はいろんな国ともあるということで、何とか円、ドル、ユーロの三大
通貨の間の相場の変動の
影響が小さくなるような手だてはないだろうかということをだれでも考えるわけでございます。
今、その点で
一つのアイデアとしてみんなが勉強を始めておりますのが
アジア通貨単位という話でございます。これは、簡単に申しますと、頭の中での話なんですけれども、一ドルとか一ユーロとか一円というものの代わりに、この
アジア通貨単位、エイジアン・カレンシー・ユニット、ACUと呼んでおりますけれども、このACUというお金の単位を
一つ考える。その単位というのは、例えばドルのうち六十セントに相当する分のドル、それからユーロについていえば二十セントに相当するユーロ、それから円についていえば二十円に相当する円というものが
三つ一緒になっておるというふうに考えるわけでございますね。
この結果、バスケットと呼んでおりますけれども、このバスケットの
通貨というのは
一つの単位になるわけですけれども、実際の
マーケットでドルが上がって円が下がるということが起こったとしますと、この一ACUの価値というものは、その中にあるドルの価値は上がるけれども、円の価値は下がるということですから、一ACUとするとその価値はドルほどにあるいは円ほどには動かないという、そういう仕組みになるわけでございます。こういうバスケット
通貨というものを
アジアの中に作って、みんながそれを使うようにすれば、この主要
通貨の相場の変動の悪
影響というものが相当
程度緩和されるのではないかということで、今その勉強が国際的に
アジアの中で始まっております。
それから三番目は、これはこの
資金の調達とかかわる話でありますけれども、外から金を借りるばかりじゃなくて、
自分の国にたくさん貯金があるんだから、その
貯蓄を何とか活用できないかと。そのためには、やっぱり
国内で債券、ボンドでございますね、債券市場を作って、
国内の
資金がそこで活用されて
投資に向かうようにしたらいいじゃないかということで、
アジア域内の債券市場を作ろうというのが三番目の今動きだろうと思います。
そんなことで、この
アジアの域内の金融協力というのは、これが遅々としてと見るか、着実にと見るかはいろいろ見方があると思いますけれども、一時バラ色の夢が描かれたような簡単な話ではないけれども、少しずつ進んでおるということでございます。
最後に申し上げたいことは、今申し上げたことでお分かりいただいたように、
日本とすると、
東アジアの将来、特にそれとの
経済協力というのは非常に大事なことだと思います。ただ、その場合に、
日本が単独の言わば指導者として、ちょうど西半球における米国のような立場で
アジアの
経済を引っ張っていけるのか、円という
日本の
通貨がちょうど
世界におけるドルのように主要な基軸
通貨になれるのかということを考えますと、非常に率直に申しまして、私はそれは全くの幻想にすぎないだろうと。我々はそういうふうに覚悟しなきゃならないだろうと思います。
現在の
日本の
経済状態、それから将来の
成長のスピード等を考えまして、
日本が
アジアにおいてアメリカ並みの単一の指導国家になれる、あるいは円が
アジアの単一の基軸
通貨になるというのは幻想にすぎない。やはり
日本は、その他と協力をして、相対的な
意味で力があるという形でのパートナーになっていくことになるんだろうと思います。
日本として何をしなきゃいけないかということは、これはもう非常に明確でございます。すべては
国内体制の整備という一言に尽きます。これはかつて、円をどうやったらもっと国際的に利用される
通貨にできるかということを検討しました場合も、結局はやっぱり
国内の体制の問題でございます。
その
国内の体制というのは何かといいますと、具体的にはまず、何はともかく
日本の金融機関が体力それから
能力を回復するということだろうと思います。つまり、
日本の金融機関が十分な
資本を持ち海外でもリスクを取る
能力が付く、その結果として海外活動が活発にできる、それから様々な金融手法、これはもう
世界的にすさまじい勢いで今
進歩しているわけでございますけれども、そういう金融
技術というものを
日本の金融機関がマスターをし、更に前進をさせることによって
世界の市場で
競争力を蓄えるという、これが第一に大事なことであろうかと思います。
それから、それと同じように大事なことは、やはり
日本の
マーケット、これは長期の
資本市場も短期の金融市場も含めてでございますけれども、これをもっともっと
外国の人も含めて自由に使える、そこで自由に
資金の運用や調達ができる。それから、そういう運用や調達が非常に効率的にできる。それからまた、ほかと比べて
日本でそういう取引をすると有利だという、この自由、効率、有利という
三つの点において、
日本のこの
マーケットがニューヨーク、ロンドン、
香港、上海、
シンガポールというものと匹敵できるようなものにしなければならないということでございます。
具体的に言えば、まだまだ
日本では規制が非常に多うございます。これはいろいろと努力はされておりますけれども、いかんともし難い面もございます。
私事になりますけれども、今から十六年前、一九八六年に、私がまだ役人をしておりましたころ、東京にオフショア市場というのを作ったんでございます。この当時から、このオフショア市場では、これはオフショアで
国内の市場とは遮断されておるんだから、単に
貿易決済だけじゃなくて社債の発行等々
資本取引も自由にできるようにしたいとみんなが思ってはおったんでございますけれども、様々な
国内の反対で実現をせず、ごく最近やっと社債の発行が
自由化されたと。十六年掛かったわけですね、十六年。
それと、税金の問題も非常にございます。
税制のことに関しましては、もうこれは皆様方の問題でございますけれども、何しろ、様々な税制を考える場合に、どうやったら
日本の
経済の国際的な
競争力が増すかということがまず判断の大きな基準にならないと、私は
日本の
経済の再生というのは難しいんじゃないかと思っております。余り税制のことについては申しませんけれども、何しろ、どういう税制を作ったら
日本の
経済の国際的
競争力が増すかということを是非考えていただきたいと私は思っております。
それから、いわゆるインフラ、いろんな
資金の取引を決済する制度であるとか、会計の制度であるとか監査の制度であるとか、そういう金融にかかわります様々なインフラというものの整備も早くやらなきゃいけない。早い話が、先ほど申しました
アジアの域内の債券市場を作ろうというときに当然まず問題になってくるのは、どうやってその債券の売買の決済をするんだと、現物と代金の引渡しをどういう形でするんだという、その決済制度の問題が当然まず重要になるわけでございます。残念なことに、
日本ではまだ国債、社債、株式、この
三つの債券についての決済制度がばらばらでございまして、統一されたものがない。統一しようという動きはあるわけでございますけれども、全く難航をしております。
会計制度とか監査制度については申すまでもございませんし、それからやはりこの金融の分野というのは、いわゆるITの
技術が最も先端的に導入されている分野でございまして、欧米の先進的な金融機関はいかにしてITを金融に取り込むかという努力も大変この十年間やってまいっております。その点でも
日本の金融機関はまだまだなすべきことが多いと思います。
それから、
最後になりますけれども、何事も人間でございますから、そういう
競争力のある人間を育てていって、それをこの金融の分野でも活用するということが大変大事だということでございまして、結論としては
アジア金融協力は進んではおると、
日本は恐らくその中で
中国と並んで大きな
役割を果たすことが期待されていると思いますが、それを実現するためにはなすべきことが非常に多いということを申し上げて、終わりたいと思います。
どうもありがとうございました。