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都築分科員 確かにいろいろありますし、ILOの
立場も、それぞれの国の実情を踏まえながら協約の適用
状況といったものを検査するというか見ていくんだという
立場は一貫していると思うんですね。ただ、余りにも協約適用についてその国の特殊性といったものを強調し過ぎると、それはダブルスタンダードに実はなってしまうわけですから、そういったことはしないという
考え方だ、こう思うんですね。だからこそ、私は、やれるところはやっていく、そういうふうな方向で踏み出していくことが必要じゃないのかと。
ただ、
日本の場合は、正直申し上げて、欧米先進国のような形の個人主義的なものというよりは、
日本の企業経営等を見ておりましても、資本家対労働者階級という階級的な対立の上に近代国家を形成してきたのではなくて、むしろ、企業城下町というか、一家ぐるみで来るような温情的な部分も実はあるわけですから、その要素をどういうふうに残していくのか、生かしていくのかという議論はなかなか難しいところがあるのは事実だろうと
思います。
ただ、それに実は引きずられていろいろな問題が生じているのが今の
状況じゃないのか、こんなふうに思うと、私自身が、それこそ五、六年前、参議院時代に公務員
制度調査会といったものができたときに期待をしたのは、いわゆる指定職と一般職といったもののありようといったものを、結局今の、全部、一年生から採用されてそのまま二十五年、三十年、三十五年と勤めていくような仕組みではなくて、もう少しそこのところを、大きな責任を持つ人と、一般の公務員として定年まで、六十歳まで任期を全うする人と、やはり分けていく必要もあるのではないかというようなことも
考えておりましたが、そういった形で対応していくことの実は勤労者の要請といったものもあるんです。
というのは、昔の公務員の人たちというのは、それこそ天皇の官吏でありましたから、身を正しく持って、志を正しく持って、それこそ公務員の採用試験の
お話な
ども、本当に聞くとびっくりするような口頭試問があって、父親が死にかけているときに君は業務を任されたらどうする、父親の看病に行きますなんて言ったらおまえは首だなんて言われるような、そういう自覚というか意識といったものを厳しく持つことが要請されたような時代と、今やこれだけ世の中が多様化、
価値観が複雑化してきた、そしてまた豊かさもある
状況の中で、公務員の皆様方も、一番安定した楽な仕事場だということで実は公務員を志望してくるケースもあると思うわけです。
別にそれが悪いというわけではない、悪いというわけではないということであれば、その人たちが働きやすい環境をどうつくっていくのか。何でもかんでも全体の奉仕者だという、当然、全体の奉仕者として、特定のグループとか業界に偏ってしまってはいかぬのですけれ
ども、ただ、働いて賃金を得る、給与をもらう、そういう
立場の人たちの要求といったものもちゃんと実現できるようにしなきゃいけないんじゃないか、こんなふうに私は思うわけです。
先ほど
若松副
大臣がドイツの例とかフランスの例を出されておりましたが、フランスの例などは、協約締結権がないといっても、実はフランスは秋闘の国でありまして、秋、夏休み明けになると、みんな夏休みでお金を使い切ってしまうから、大変な交通ストからさまざまなストライキで大渋滞が町のそこらじゅうで起こったり、看護婦さんがストライキをやったり、いろいろな
状況が起こっているわけでありまして、実態面として、労働組合がそこまで力を持って政治を動かしているという面もあるのかなという
思いがいたします。
私自身としては、だからこそ、余りに何でも対立、対立ではなくて、
日本的な労使のお互いのコミュニケーションを進める中でやっていくことが、今、戦後の本当に激しい労働運動の中からここまで実は成熟してきているわけでありますから、昔の、戦後の、ゼネストを打ったりとかそんな
状況とは違う。公務員の
皆さんも
国民の
皆さんの意識といったものを多大な関心を持って当然見ているわけですから、そうすると、そんなに軽々に実力行使とかそういう話にはなっていかない、こんなふうに私自身は
考えております。
実際にあったときにはどうするかという問題はもちろんありますけれ
ども、ただ、交渉のデッドロックをどう打開していくのかというのは、これは、近代的な労使
関係ということでILOがつくり上げてきた原則といったものは、労働三権といったものをしっかりと認めていくことではないのか。もちろん除外される職員の人たちはいるけれ
ども、一般的な、大多数の人たちには与えるべきだ、こんなふうに思うわけです。
この
お話をぜひ心にとめていただきたいんですが、その上で私が今度申し上げたいのは、代償措置として人事院とか人事
委員会が設けられているんだ、こういうことです。
ただ、人事院とか人事
委員会についても、実は、例えば千九百八十何年ごろですか、公務員の給与凍結とかそういった事態があって代償措置としての機能に大変な疑義が生じてしまったし、それから最近では、
地方議会の方で、人勧並みの給与改定の条例案といったものを議会に提出したら、議会がそれを否決してしまって給与改定が実施できないということになってしまうと、では、働いている人たちの給与条件といったものを守るのは一体だれなんだ、実はこういうことになってしまって、大きな疑義が呈されていると思うんです。
一番の問題は、人事院といったものが憲法の中に盛り込まれなかったというのは、
日本の民主化政策を担当した人たちの、後でああしまったと思ったというふうな話も聞いたことがありますけれ
ども、人事院といったものがなぜ設けられているかというと、労働組合そしてその使用者、使用者は結局、各省の
大臣とかあるいはまた国だということになってしまうわけでありまして、そうすると、実は、国と労働者との交渉といったものに対して第三者の
立場でやっていかなきゃいかぬのだろう。だから、人事院が出した勧告とか、あるいはまた、今だったら国営企業労働
委員会が出した裁定とか、こういったものは実は即時実施されるという仕組みにしなければいけないんじゃないか。
ところが、今
日本の仕組みは、結局、内閣が人事院の勧告を実施するかどうか、あるいはまた国営企業労働
委員会の仲裁裁定といったものを実施するかどうかの権限、さらに、そこでもめると
国会に付託をされてしまうということは、結局、使用者対労働者という
関係の仲裁を使用者側の方に全部任せてしまう。だから、むしろ、第三者機関として設けられているんだったら、それを忠実に実行していくといった仕組みにする必要があるんではないか、その点が私は欠けているんではないか、こう思うわけであります。
今、逆に人事院の機能といったものをまた縮小させていくような、まあ別の、能力給の導入の問題とかあるいはまた天下りの問題とかいろいろありますが、代償措置としての問題も実はそこは非常に大きく影響してくる、こう私は思うのであります。その点についてちょっと御見解を伺いたいと
思います。