○音
参考人 上智大学の音
好宏と申します。よろしくお願いいたします。
本日、
参考人としてお招きいただくに当たりまして、事務局の方からいただいた
お話では、
テレビ五十年の節目を迎えて、
日本の
放送に関して考えていることを述べるようにということでございましたので、私は、大学に籍を置く
メディアの研究者として、
日本の
放送に関して幾つか考えていることを述べさせていただければと思います。
最初、やや大学の授業風な言い方になってしまうんですけれ
ども、
メディア研究において、
メディアの
社会的機能としてしばしば指摘されることとして三つございます。
最初に申し上げますと、英語なのですけれ
ども、ティーチャー、フォーラム、ウオッチドッグという三つの言葉です。
このティーチャーというのは、同じ
社会に住む者として必要な情報を的確に伝えていくこと、まあ歴史も含めてでございますけれ
ども。
それから二つ目、フォーラムといいますのが、私たちの
社会にあるさまざまな
意見、問題というものを共有し、議論をする場というもの、それがフォーラムという機能でございます。
それから三点目、ウオッチドッグ、これはしばしば言われるところですけれ
ども、権力を含めた
社会の環境監視でございます。
この三つの機能というのが、特に
政治学に近いコミュニケーション研究の研究者たちから、
メディアの
社会的機能というふうにして言われてきたものでございます。
もちろん、これらの
メディアの
社会的機能が活発に働くことによって目指されるものというのは、
民主主義社会の健全なる発展でございます。つまり、
メディアの発展、
メディアが活発に活動をするということは、
民主主義社会というものが発展することとイコールなのであるという考え方でございます。
研究者によりましては、
メディアの
社会的機能として、もう一つ挙げる方もいらっしゃいます。エンターテインメントでございます。それで、ややこのエンターテインメントの部分が非常に強く出ているのではないのかというような指摘、批判ももちろんございます。
テレビ五十年の節目を迎えて、では、この
メディアの
社会的機能というものがこの五十年の中で十分に果たされてきたのかどうなのかということを振り返って考えることが、実は今問われていることなのではないのかなというふうに私自身思います。
別な言い方をいたしますと、ことしの年末から、東京、大阪、名古屋の三地区におきまして、地上デジタル
放送が
日本においても始まります。この地上
放送の
デジタル化というのを契機に、既存の
放送事業の存立の枠組みを見直さざるを得ない
状況があるというふうにいろいろなところで言われております。
ということは、
放送の
デジタル化というのは、
日本の
放送サービスにとって大きな節目であるわけですから、だからこそ、この五十年間に、言うなれば、
テレビ放送が何を求められて、何を果たすことができたのか、何を果たすことができなかったのかという、ある種の通信簿を採点する必要があるのではないのかというふうに私自身は考えております。
では、私自身はどう考えているのかということなんですけれ
ども、それでは、これまでのこの五十年の
日本の
テレビというのはどういうふうに発展してきたのかといいますと、多くの
メディアの利用者に支持をされ、比較的安定的に右肩上がりの
成長をしてきた事業であるというふうに思います。
テレビは最も接触率の高い身近な
メディアとして私たちの生活の中に定着をしております。
このような発展を支えましたのは、戦後の
日本の
放送制度の一つの特色であります
NHKと民間
放送の併存体制というものがよかったのではないのかなというふうに、ある部分評価できるかと思います。つまり、異なる二つの
放送システムというものがバランスよく併存することで、効率的な発展を遂げたのではないのかというふうに思います。
現在、先進諸国では、公共
放送と商業
放送が併存しているところが多いわけですけれ
ども、そのバランスは
日本とはいささか異なります。例えば、
アメリカにおきましては、商業
放送が
放送サービスの
中心であり続けております。また、西ヨーロッパの先進諸国におきましては、公共
放送がそのサービスの
中心で、後発として商業
放送が入ってきたというような
状況でございます。つまり、
日本の
NHKと民放のバランスというものは、世界的に見ても、ある種特色のあるものだというふうに見ることができると思います。
さて、
NHKと民間
放送の比較で言いますと、
NHKは、受信料に基づき全国にあまねく
放送サービスを提供する公共
放送として、
放送サービスをリードしその普及発展に努めてきました。他方、地上民間
放送に関しましては、広告収入をその財源とする広告
放送として、戦後の
日本の経済
成長を追い風にして発展をしてきたわけです。その地上民放は、チャンネルプランによりまして、県域を単位として免許が与えられ、地域の
メディアとして活躍することが期待されてきました。ただし、民間
放送に関しましては、これは、一番
最初の歴史をさかのぼりますと、ニュース協定を軸にして始まったネットワークを構築することによって効率的な発展を遂げてきたというふうに見ることができると思います。
このネットワークを構築したことは
日本の
テレビ放送の発展に寄与したわけですが、他方におきまして、地域の
メディアとしての役割というのをどちらかというと後ろに置いてきた部分があったのではないのかというふうに私は感じます。
テレビ放送といいますのは、先ほどの
田原さんの
お話とも重なるんですけれ
ども、みずからの姿やみずからの住む
社会というものを可視化する、目に見えるようにする、その総体、実態というものを非常にわかりやすく見ることができる、そういう装置として有効に機能してきたと考えることができると思います。とすると、戦後の
日本の
テレビ放送は、その発展の仕方からしましても、東京を
中心とした情報を再生産する装置としてより強く機能してきた側面があったことは否めません。戦後
日本の
社会構造の問題として、東京への一極集中はしばしば指摘されてきておりますけれ
ども、その原因の一端として、
テレビ放送における東京集中型の情報発信システムという問題は指摘できるのではないのかなというふうに思います。
ちなみに、私、しばしば米国に調査に出かけることがあるんですけれ
ども、その米国におきましては、ABC、CBS、NBC、FOXなどという四大ネットワークというものがございます。これらのネットワークは制度的に規定をされておりますし、その制度の中で制限もなされております。
日本におきましては、自然発生的に成立をしたもので、ネットワークに関しての制度的な規定はございません。したがって、民放に五つのネットワークというのがありますけれ
ども、その性格は微妙に異なる部分ももちろんございます。
米国の場合も、先ほど述べました四大ネットワーク、特に先発のABC、CBS、NBCといったネットワークが牽引となって
テレビ放送を発展させていきましたが、このネットワークへの集中を抑制し、多様な
放送サービスを発展させるさまざまな方策というものがなされてまいりました。
特に地域ということで申し上げますと、例えばでございますが、一九七〇年代から約二十年間にわたり、プライムタイム・アクセスルールという規定を設けて、プライムタイムの時間、プライムタイムというのは夜の七時から十一時の
テレビ視聴が最も多い時間でございますけれ
ども、そのうちの一時間はネットワークの
番組をやめるようにという規定がございました。これによって、その加盟局、地方の
放送局は、プライムタイムに自分の自主
制作番組、つまり地元の
番組を用意するか、または、シンジケーションといいまして別なところから
番組を調達してくる、ネットワークとは違う
番組を調達してくるというようなことをいたしました。それによって
番組流通市場も成立、発展をいたしましたし、もう片方で地域のニュースというものをより重視するというようなことになりました。
ちなみに、米国のことをもう少しだけ申し上げさせていただきますと、米国の
放送政策の基本的なスタンスというのを、
アメリカの教科書を読んでみて出てきますのは、それを示すキーワードが三つございます。一つは公共の利益ということです。二つ目は競争ということです。三点目は地域主義ということです。
放送事業が公共の利益に即した活動をすることはもちろんでございますけれ
ども、その
放送事業者同士が競争することによって健全な発展を促すというのが、二つ目のキーワードの競争でございます。それとともに、地域主義、
放送サービスが地域性を重視することというのを明確にうたっているところも注目すべきところだというふうに思います。
つまり、
アメリカのような、極めて市場競争というものを重視する、事業者間の単純な市場競争というものを片方で重視しますけれ
ども、もう片方で、その場合、ネットワークを
中心とした効率的な
番組流通が市場を覆ってしまうことになるという危惧も十分あるわけで、それに対してさまざまな政策的な方策がなされてきたというふうに見ることができるかと思います。
ただ、もう片方におきまして、
日本の民間
放送はどうかといいますと、
日本の地方の民間
放送を考えてみますと、米国に比べてみても、その事業性を度外視した、公共性を重視した事業展開を図ってきたこともまた確かでございます。
例えばその一つの例が、
アメリカの
放送事業者とは決定的に違うところは、中継局をたくさん置きまして、そのエリアの中での
放送サービスというのを非常に苦労してなさってきたというところがございます。
アメリカの場合は、その部分をケーブル
テレビが担ってきたという部分がございます。
アメリカのケーブル
テレビは六〇%以上の普及というふうに今なっております。ただし、
アメリカの地方の
放送局を見てみますと、地元のニュースを非常に積極的に
放送をし、それがその
放送局の看板になり、また、非常に重要な収入源になっているというのもたくさんあるわけです。
今、
日本の地上
放送の
デジタル化というものが進められようとしておりますけれ
ども、そのときしばしば言われますのは、地方の
放送事業者の経営が非常に厳しい
状況に置かれるであろうということが指摘をされております。
地域の
放送は、地域の文化を可視化する装置でございます。つまり、先ほどは、
日本というものが可視化をされる装置としてこの五十年発展をしてきたということを申し上げましたけれ
ども、もう片方で、地域のそれぞれの顔、多様な顔というものを確認する装置として地域の
放送事業というものがあるのではないのか。とすると、この五十年の中でもう一度その部分を再検討し、今後の五十年につなげる必要があるのではないのかというふうに思います。
広島の中国
放送の金井社長さんという方が、情報の地方分権ということをおっしゃっております。極めて示唆的な言葉なのではないのかというふうに私は思っております。つまり、地方に情報が分権されることが、豊かな
社会、
日本の豊かさをつくっていく、それが必須条件なんだということを述べております。まさにそのようなシステムづくりがこの五十年目の節目というふうに考えられるのではないのかなというふうに思います。
実は、先週まで私、同様に
アメリカに調査に行っておったんですけれ
ども、そのときに、
アメリカの幾つかのアーカイブを調査いたしました。先ほどの
市川先生の
お話と非常に重なるところなのでございますが、
アメリカにおきましては、
放送というものを自分たちの文化的な資産だというふうに考え、自分たちが
放送してきたものというものをいろいろな形でアーカイブに保存するということを一生懸命やっております。
日本と比較をいたしましても相当そこに力を入れているということがございます。
もちろんのことですけれ
ども、それはナショナルアーカイブというような形で全国的なレベルでのアーカイブということもやっておりますし、先週一番最後に私もお邪魔をしたのはニューヨークでございましたけれ
ども、例えばニューヨーク大学やニューヨーク・パブリックライブラリーというような、その地域にある図書館や大学が地元の
放送サービスを保存していくということをやっております。
つまり、
放送は文化であるという考え方を非常にはっきり持っている。それから、自分たちの姿というものを確認するものなのだというふうに、はっきり文化政策として考えていらっしゃる。そこに非常にお金をかけてそういうものを守っていこう、そして、それを再生産、発展をさせていこうということをやっているわけです。この五十年という節目の中で、自分たちがつくってきたものというものをどういうふうに考えていくのかということをもう一度考え、評価をし、整理をする、そういうことが必要なのではないのかなというふうに思います。
それから、あと一点だけ申し上げさせていただこうかと思っております。それは、地上
放送の
デジタル化ということを一番
最初に申し上げましたので、そのことについてのコメントでございます。
恐らく、この年末から地上
放送の
デジタル化というものが進むに当たりまして、
日本の
社会を私なりに拝見をしておりますと、私のような
メディア研究者や
放送事業者や行政の関係者の
方々は非常に御努力をされていらっしゃる、メーカーの
方々等御努力をされていますけれ
ども、実際の利用者の
方々がそれをどこまで理解されているのかということを考えてみますと、まだまだ周知されていない部分が非常に多いのではないのかというふうに思います。
まさに
デジタル化というのは世界的な大きな流れであることは明らかなわけですが、一方で、これまでの
放送サービスの
あり方というものを再検討し、その中で今後の五十年を考えるとともに、もう片方で、これからのデジタルというものを考えるのであれば、広く理解を浸透させていく、そういう政策をする必要があるのではないのかなというふうに思います。
ちょうど五分になりましたので、ここまでで終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)