○福島
委員 ぜひ、しっかりとお願いいたします。
副
大臣、お忙しければ御退席いただいて結構でございます。ありがとうございました。
三つ子の魂百までもという言葉がございます。これは、なかなかにそうなんだろうと。
水島先生は御専門ですから、そういうことはお詳しいのかなと思うんですけれども。
一昨年でしたか、「育児室からの亡霊」という、これはアメリカの方が書かれた本でございますが、日本でも翻訳されまして、要するに、三つ子の魂百までもという話に近いわけでございます。
青少年期にいろいろな問題行動を起こすことがある。それも、突然そういうことになるのではなくて、育児室といいますか、本当に幼児期までさかのぼることができるのではないか、そういうさまざまな事例を集めているわけでございます。
そういう観点からいくと、
青少年白書でさまざまな
青少年の問題行動、犯罪等々が語られておりますけれども、それはどこまでさかのぼって考えるのかという視点も大切ではないか。
私もこの四年半ほど子育てをしておりますので、しみじみといろいろなことを実感しながらおるわけでございますが、その中で
感じましたことは、今の孤立化といいますか、小規模になった家族の中で、母親と
子供だけ向かい合っていると、うちもそうなんですけれども、やはりいろいろなフラストレーションがある。特に、私の
子供は障害がありますから、それが一層加速されているところがありまして、途中から障害児の保育ということでお世話いただいて、この二年半ほどですか、親ですから観察すると言ったらいかぬのですけれども、一方では観察をしている。そうすると、大変大きく変わることがあるなというふうなことは実感しています。
今の子育てを、例えば三つ子の魂百までもというのであれば、三つ子までのときにどれだけ人間として成長していくための土台をしっかりつくるのかということが大事なんだろう。小規模な家族の中で、出会うのは母親と
子供二人だけとかという環境というのは、やはり私はどこかよくないんだろうなという気がするんですね。
例えば、公園デビューとかいろいろとありますけれども、公園デビューもスムーズにできるようなお母さんだったらいいんですけれども、人によって性格がありますから、なかなかそういうこともできないということもあるんでしょうね。
ですから、私が最近思うのは、個別の子育てというのは確かにあるんだけれども、集団での保育というのは、単に仕事をして保育に欠けるから必要だということではなくて、やはり、もっと小さいときから集団の中で人と触れ合うとか
他者と触れ合うということそのものが大切なんじゃないか、その
子供が変わっていく契機になるんじゃないか、そんなことを実感しております。例えば、引きこもりの問題なんかでも、ずっともとをたどればそのあたりにあるかもしらぬと思うのです。
ですから、保育サービスというのは、保育に欠ける子に対してのサービスということだけではなくて、もう少し普遍的なサービスとして活用することも考えた方がいいんじゃないか。それは、親が病気だとかということだけに限らずに、出会いの場として活用した方がいいんじゃないかというような思いがあります。以前、
局長にはそういうことを申し上げたことがありますけれども。
幼稚園と保育園の連携というようなことも最近言われておりますし、そういう中で、保育サービスのあり方そのものもどういうふうにするのか、今見直しを、この間、
検討会がスタートしたところでしょうか。財源のあり方とかも含めて、これから二十一世紀の
社会の中における保育サービスというのは一体どういう役割を担うのか、そういう視点から考えてもいいんじゃないかと思いますが、お考えをお聞きできればと思います。