○
八田参考人 八田でございます。
本日は、この
委員会にお招きいただきまして、どうもありがとうございました。
首都機能移転に関しましては、さまざまな論拠が与えられておりますが、この問題、現在考えられている
首都移転について非常に具体的にその
問題点を明らかにされたものとしては、この
委員会に前に呼ばれた
市川先生の
参考人陳述書が非常に明快だと思います。
それで、私は、今回の
移転の案についての細かな
吟味については
市川先生の論述にゆだねて、本日は、むしろ
首都移転をしようということの
前提、なぜ
首都移転をしなきゃいけないかという
議論の
前提として言われていることについて、多少の
吟味をしていきたいと思います。
前提は三つあると思います。
まず第一は、
一極集中という
現象が起きているわけですが、これの根本的な
原因は
政府があるからである、
政府が
東京にあるから
一極集中が起きているんだ、したがって、
政府を動かせばさまざまな
一極集中の
弊害が除ける、
一極集中自体を抑えられて、その
弊害を除くことができる、そういう
前提があるように思います。
果たして、
一極集中の
原因が
東京に
政府があることに基づいているんだろうか、そのことが、まず第一に検討したいことです。
それから第二に、
政府があって
一極集中するということは
東京自身にとってまずいことである、そういう
前提があると思います。
東京に
混雑をもたらすから、
東京の住民にとってまずいことであると。
東京都の
人たちにとっては、それは余計なおせっかいだと言いたくなる面があるかもしれませんが、少なくとも
議論ではそういう
議論が行われている。
それから第三に、
一極集中という
現象は
日本全体にとってまずい。第一に、これは
地方分権に大変な支障を引き起こすし、それから
地震対策にもならぬ。したがって、
日本全体の
観点から見ても、
一極集中を抑えるべきだから
政府を動かすべきだ、そういう
議論が、もともとの
首都機能移転の考え出された動機にあると思います。
これらを検討していきたいと思うんですが、同時に、それらを検討するに当たっては、現在、
東京が、
香港だとか
上海だとかいうアジアの
大都市と
競争関係にある、そこと戦っていく、競争していく
状況に置かれている、その
観点から見て、
首都はどこにあるのが望ましいのか、そういう
観点が今までの
首都移転の
議論には必ずしも織り込まれていなかったように思う。特に、これが決議されてから、中国の進展、特に
上海の進展というのは非常に目覚ましいものがございますから、そういうことも視野に入れて検討してみたいと思います。
まず、
一極集中の
原因が
東京に
首都があるからかということなんでございますが、これについてはさまざまな
アンケートがございまして、例えば、
東京に
本社を持っている企業に、なぜ
本社を
東京に持っていますかというような
アンケートが、これはもう何種類もございますが、八〇年代の末に行われた国土庁の
調査が一番早かったと思います。そのとき既に、九
業種のうち七
業種は、
東京で自分の業界や他の業界からの
情報を得ることができる、それを第一に挙げておりました。そして、
首都が
東京にあるから、
政府が
東京にあるからだということを第一の
理由に挙げたのは一
業種だけでありました。それは、実は
金融業だったんですね。ほかの
業種は、
政府があることではないと。
その後、
東京都でも、それからほかの民間のシンクタンクでもさまざまな
調査がありますが、大体似たか寄ったかで、上の方に来るのが、
情報が得られるから、それから次に来るのが、人材が得られるから。そういうような
理由が多くて、
首都が
東京にあるからというのは、非常に
理由として低い。
それから、きわめつきは、三菱総研が九三年ぐらいに行った
アンケートがございまして、それは、
東京に実際に
本社を持っている約四百社に、新
首都ができたら
本社を移しますかということを聞いて、全部を移すと答えたのは五社に満たなかった。それで、大部分が
東京に
本社を残しますということを答えた。そういうことがございます。
したがって、
首都があるから
本社が
東京に移ってきて
一極集中になっているということではないと思います。
それで、実は何が
原因かということでございますが、まず、きょうお渡ししましたレジュメの二ページ目の絵をごらんいただきたいと思います。
これは、
高度成長の
ピーク時の一九六五年から
バブルブームの
ピークの九〇年まで、要するに、好景気の二つの年を、二十五年隔てておりますが、比べたものであります。この間にどれだけ昼間
人口がふえたか。ということは、
オフィスだとか学校だとかに勤めている
人口、ですから、必ずしもその
都市に住んでいる人じゃなくて、外から通っている人も含めた
人口ですが、それが各
政令指定都市でどのくらいふえたかというのを示した絵であります。
これから明らかなように、
一極集中というのは正しくない。要するに、
日本は多
極集中したわけであります。基本的に、この間、
高度成長の後半から今までの間、札幌とか
福岡とか仙台とか広島とか、そういう
大都市が非常に伸びた。それから、これは
地震の前のデータでありますから、
神戸も京都も含めて、
関西圏もある程度伸びている。
こういう多
極集中が実態であるということは、基本的には、
日本は第三次
産業化した、そして、
大都市の
役割が非常に大きくなった、しかも、
交通が便利になったために、今まで小
都市が果たしていた
役割を
地方の
中枢都市が果たすことができるようになった、そういうことが根本的な
原因だと思います。要するに、
サービス産業化、第三次
産業化ということが起きたわけです。したがって、
東京もそのような多
極集中の一翼を担ったという
側面がございます。
ところが、もう
一つ問題がございまして、この絵を見ますと、実は昼間
人口が減ったところが二つございます。
北九州ということがあるんですが、
北九州は鉄鋼の町だったのでやむを得ないという面がありますし、それからまた、これが
福岡と非常に連携して、
福岡の広域的な
都市圏の一部になったという
側面もございます。
問題は
大阪です。ほかの
大都市がふえているのに、
大阪が減っている。これはどういうことか。これはさまざまな要因がございましょうが、基本的には、
大阪から
本社機能が
東京に
移転していった、それが一番大きな
原因であります。
それはなぜ
本社が移ったかというと、結局は、戦前は
大阪が
西日本経済圏の
中心でございました。
西日本経済圏の
中心としての
大阪ということがなぜ必要だったかというと、
交通の時間が非常にかかる、
交通の
コストがかかる。それで、九州から
東京まで行くのは片道で二十四時間かかる。
大阪ならば半日で済む。したがって、
本社を
大阪に置いておくのならば
機能できるが、
東京では遠過ぎるということで、
西日本経済圏の
中心として
大阪があった。したがって、九州も四国も
中国地方も、
大阪を
中心とした
経済圏に存続したということであります。
ところが、
交通費が安くなり
交通時間が短くなったら、何も
西日本経済圏というものをわざわざ置いておく必要がなくなっちゃった。そこに
本社を置いておく必要がなくなったので一挙に
東京に移ってきた、そういう事情がございます。したがって、さまざまな
地方中枢都市が発展したのは、その
経済圏において
交通が便利になったということがあるんですが、
日本の全体の
本社機能を果たしていた
大阪の
機能は、
交通費の低下によって急速に低下していった。
その
役割を
東京が担ったわけですね。したがって、今まで
西日本経済圏と
東日本経済圏が分かれていたものを、
日本全体が
一つの
経済圏になって
大阪から
本社機能を奪った、それが、
一極集中と呼べる
東京の成長の特異な
側面であると考えることができると思います。これは、要するに
技術が変わったから
東京が成長したということであります。
さて、それだけではありません。もし
東京がそのような事情で
全国の
本社機能を一挙に引き受けてしまうとすると、今度は
集積の
利益ということが発達いたします。
集積の
利益というのは、これは
堺屋先生がここの
委員会でたびたびおっしゃっていることですが、もう
フェース・ツー・フェース・コンタクトは不要になった、
ITだけで済むんだということを言っていらっしゃるんですが、これは全くの間違いだと私は思っております。
ITが進めば進むほど
フェース・ツー・フェース・コンタクトが非常に重要になるという
側面がございます。
例えば、ここでお話ししていること自体が、顔を合わせて、皆さんが退屈していらっしゃるか、もうこんなことはわかり切っているから退屈していらっしゃるか、それとも、これはもうちょっと聞かせてほしいと思っていらっしゃるか、それをお顔を見て話すことができる。それは、すべての交渉はそういうものだと思います。それを全部手紙か
Eメールでしていたら、とてつもない時間がかかるし、多くの誤解が生じる。
それから、有楽町の
ガード下で飲む。この飲むことが役に立たないわけではなくて、それは
会社の中での
コミュニケーションをすることの最も貴重な手段でありまして、
フェース・ツー・フェース・コンタクトこそが
都市の命だと考えることができると思います。
それで、問題は、
フェース・ツー・フェース・コンタクトでしなくても済むようなことまで今までそれをやってきた。それは
ITの
技術がなかったためにそういうことをやってきたんですが、
ITで済む、
Eメールで済むことは全部外に回してしまえばいいわけで、そういう
技術が進んだならば、
東京はまさに
フェース・ツー・フェース・コンタクトに特化した、それこそ、一杯飲んだりいろいろな人ときちんとアイデアを交換したりするところとして発達する場所だと思います。
これの一番いい証拠は、
東京の
中心は
大手町だと普通考えられると思うんですが、
大手町をよく見ると、結構
金融系の
会社は多いんですが、
製造業は必ずしも
大手町じゃない。例えば、日立は御茶ノ水ですし、ホンダは青山一丁目ですし、それからソニーは品川です。
製造業は必ずしも
大手町にいないわけですね。それは、それほど高い
オフィス賃料を払ってほかの
会社と会うということが
利益になるとは考えていないからだと思います。
要するに、
大手町は高いんです。だから、それほどの大
会社ですら、わざわざ
大手町に立地してほかの
会社とたくさん会うということがそれほど重要ではない。そのかわり、八王子には行かない。やはり
東京の都心の
周辺部にいる。ところが、
金融業にとっては、いつも会わなきゃいけないということですから、
フェース・ツー・フェース・コンタクトが非常に重要である。
したがって、これは度合いによるんですが、すべての
産業が
フェース・ツー・フェース・コンタクトをどの程度しようかということで
都市に移っているわけですから、
東京に
一極集中するとますます
東京の
機能が高まる、そういう
側面がございます。
そして、実際、
香港と
東京とを比べると、
香港三菱商事の
社長さんから伺った話ですけれども、夕食の後、四件ぐらいパーティーをかけ持ちする。それは、
香港セントラルというところにたくさんのビルがあるから、招かれて、
一つに行くからほかをお断りするというわけにはいかないと。そういう
集積が魅力なんですね。そして、その
社長さんが言っていらしたけれども、実は昼もそんな調子で、多くの
会社と会えるんですよということを言っていらした。だから、
集中が起きたことがますます
東京を
集中させてきたという
側面がありますし、それをつぶすべきではないだろうと思います。
最後に、この
一極集中の
原因についてですが、先ほどの
ITが進むということですが、
ITが進んでも、例えば
シリコンバレーというところは立地の
集積が起きたわけです。それは、顔を合わせて話ができるから
シリコンバレーというものが起きたわけで、
ITが進んだから全部がばらばらにできるわけではない。むしろ、
ITが進むから
都市は
集中する必要がないんだという
議論には惑わされないでいただきたいと思います。
さて、そうすると、そういうふうに
集積してきた
東京というものが非常に貴重な
役割を果たしているということですが、では、
一極集中は
東京にとって悪いことかということです。
一番悪いことは、通勤のラッシュが起きる、
混雑が起きるということであります。
これに関して、六十万人の
人口移動はどれだけ有効かということを、前にここで
参考人として述べられた
市川先生も疑っておられて、実は
混雑率が大幅に
東京は低下しているわけですね、この十年。それの
原因が
供給力の増大によっていて、それは六十万人の移動などということよりもはるかに大きな
役割を果たしてきていると言っておられる。
それと同時に、恐らく
ピーク時は三十分か一時間ですから、その間だけ高い
混雑料金を取る、そして、ほかの時間帯に乗客を移す、そういうような手がございます。
例えばアメリカの
ワシントンDCでは、プリペイドカードで、
ピーク時に乗ると高く取られてオフ
ピークには安く取られるという制度がございますが、そういう
システムを導入するということが
混雑対策の王道でありまして、そういうことをしないで非常に高いお金をかけて新
都市をつくるというのは、
東京の
混雑への
対策として非効率な
対策だろうと思います。
ついでに言えば、
ピーク時に料金を高く取るということは、それを地下鉄やその他
交通手段の整備の原資にすることもできます。
さて、
一極集中は
日本全体にとって問題であるかということです。
これも繰り返し言われてきたことですが、
地方分権について、
一極集中しているから、
首都が
東京という大都会のすぐそばにあるから
地方分権が進まないのではなくて、
地方分権をやろうと思えば、
首都を移すとか移さないとかに関係なく、別な決断をすべきだろうと思います。
そして、もし今のままやったらばどういうことになるかというと、新しい
首都ではお
役所はやり切れなくて、各
役所は出先の
オフィスを
東京につくり、結局は二重投資になると思います。ブラジルでもそういうことが起きたようです。
それから、
地震対策。これは結局、
神戸にもし
首都が移っていたらどうなったかということを考えればわかるわけで、
神戸には
地震が起きると思っていた人は余りいないわけですね。だから、あそこに
首都を移していたら壊滅したわけです。したがって、どこに移すということではなくて、基本的には、バックアップの
体制をとる必要があると思います。
東京の霞が関、
永田町かいわいのビルというのは非常にきちんと今整備されつつありますから、緊急の事態になったときにいつでも来られるというお役人にその近くに住んでもらう、そういうことの
体制、それから、そういうことの訓練を繰り返す、そういうことが必要ではないかと思います。
それで、結論に入りたいと思いますが、基本的に、この
一極集中は、
政府が
東京にあるから起きたことではなくて、
技術の進歩の結果、起きたことです。それは、
交通費の節減、そして
日本全体が小さくなった、そういうことによって起きたことです。それから、近くに
オフィスがあれば、ほかの
会社があれば
集積の
利益がある。これも、言ってみれば
技術的なことです。そういうことで起きたことである。
それに対して、
日本はどういうふうに第三次
産業化に対応してきたかというと、一九七〇年までは大量の
人口が
大都市に移動して、そのたびに給料が倍になって、そして
日本の
高度成長ということが起きたわけですね。そこで、
人口移動を自由にして一次
産業から二次
産業に変わったわけですが、七〇年前後から国土の均衡ある発展ということを言い出して、
大都市から上げた財源を
地方にばらまくという
列島改造論が七三年に出ましたが、国土の均衡ある発展というスローガンでもって三十年間やってきた。そして、それが全総の基礎になり、その後の
地方交付税の大きな膨らみの基礎を与えた。それによって
日本は、二次
産業から三次
産業への転換が大きくほかの国におくれをとったわけですね。要するに、
オフィスのスペースの
賃料も非常に高い、
東京の
賃料は高い、そういうような
状況にしてしまった。
それからもう
一つは、やはり
東京を分散させろという圧力が非常にあった。幕張に分散させたり、みなとみらいをつくったり池袋をつくったりして、本当に
集中させることのメリットを評価せずに、ニューヨークで
容積率が二〇〇〇%なのに、
東京では基本的に一〇〇〇%という非常に低い水準に抑えてしまった。それで
国際競争力を失ってきたわけですね。要するに、
賃料が高いということになってしまった。これは何とかして第三次
産業を復活させなきゃいけない。そのときに
首都がどういう
役割を果たすか。これはもう
サービス機構ですから、
サービス機関です、
コンサルティングファームと似たようなものですから、なるべくお客さんの近くにあればいい、なるべく
大手町の近くにあるのが一番都合がいいわけで、離れていたら、その分、
コミュニケーションするのに時間がかかり、お金がかかる。
だから、
東京がこれから、今までの歴史をひっくり返して、
東京の
集中をきちんと進めていって海外の諸
都市と競争できるような
都市にするのならば、その一環として、
政府という非常に重要な
サービスプロバイダーを
東京の真ん中に置いておく、そして、
コミュニケーションになるべく
コストがかからないようにする、そういう必要があるのではないかと思います。
以上、長くなりましたが、陳述を終えさせていただきます。(拍手)