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2003-03-06 第156回国会 衆議院 憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会 第2号
公式Web版
会議録情報
0
平成十五年三月六日(木曜日) 午後二時
開議
出席小委員
小
委員長
保岡
興治
君 奥野
誠亮
君 近藤
基彦君
中曽根康弘
君 葉梨 信行君 平井 卓也君 森岡 正宏君
大畠
章宏
君 島 聡君 中野 寛成君
中村
哲治
君 伴野 豊君
斉藤
鉄夫
君 藤島 正之君 山口 富男君
北川れん子
君 井上 喜一君 …………………………………
憲法調査会会長代理
仙谷
由人君
参考人
(元
最高裁判所判事
)
園部
逸夫
君
衆議院憲法調査会事務局長
内田 正文君
—————————————
三月六日 小
委員北川れん子
君二月十三日
委員辞任
につき、その
補欠
として
北川れん子
君が
会長
の
指名
で小
委員
に選任された。 同日 小
委員大畠章宏
君同日
委員辞任
につき、その
補欠
として
中村哲治
君が
会長
の
指名
で小
委員
に選任された。 同日 小
委員赤松正雄
君同日小
委員辞任
につき、その
補欠
として
斉藤鉄夫
君が
会長
の
指名
で小
委員
に選任された。 同日 小
委員中村哲治
君同日
委員辞任
につき、その
補欠
として
大畠章宏
君が
会長
の
指名
で小
委員
に選任された。 同日 小
委員斉藤鉄夫
君同日小
委員辞任
につき、その
補欠
として
赤松正雄
君が
会長
の
指名
で小
委員
に選任された。
—————————————
本日の
会議
に付した案件
最高法規
としての
憲法
の
あり方
に関する件(
象徴天皇制
) ————◇—————
保岡興治
1
○
保岡
小
委員長
これより
会議
を開きます。
最高法規
としての
憲法
の
あり方
に関する件、特に
象徴天皇制
について
調査
を進めます。 本日は、
参考人
として元
最高裁判所判事園部逸夫
君に御
出席
をいただいております。 この際、
参考人
に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多用中にもかかわらず御
出席
をいただきまして、まことにありがとうございます。
参考人
のお
立場
から忌憚のない御
意見
をお述べいただき、
調査
の
参考
にしたいと存じます。 本日の議事の
順序
について申し上げます。 まず、
園部参考人
から
象徴天皇制
について、特に
天皇
の
権限
・
国事行為等
を中心に御
意見
を四十分以内でお述べいただき、その後、小
委員
からの
質疑
にお答え願いたいと存じます。 なお、発言する際はその都度小
委員長
の許可を得ることとなっております。また、
参考人
は小
委員
に対し
質疑
することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。 御発言は着席のままでお願いいたします。 それでは、
園部参考人
、お願いいたします。
園部逸夫
2
○
園部参考人
御紹介いただきました
園部
でございます。 本日、この席に
参考人
として御招致いただきましたこと、まことに光栄に存じます。よろしくお願いを申し上げます。 なお、私の
意見
の中で、
天皇
陛下初め
皇室
の方々について、
制度
として
お話
を申し上げるときは、敬称、敬語は用いませんので、あらかじめ御了承を願います。
レジュメ
に沿って
お話
を申し上げますが、まず第一に、
天皇制度
の
憲法
上の
位置づけ
ということでございます。これに
関連
して、
象徴天皇制度
の
背景
と
現行
の
皇室制度全般
について、その
概要
を
説明
申し上げます。
日本国憲法
は、形式的には、旧
憲法
の
改正
という形で制定されましたが、実質的には、新しく生まれ変わった
日本国
の組織と運営の
基本法
として
機能
しているのでございまして、国の他の
制度
と同様、
天皇制度
も、新
憲法
の
制度
の理念に基づいて
規定
されていると見るのが妥当でございます。 しかしながら、新
憲法
は、
日本
の長い
歴史
の中で形成されました独特の
制度
である
天皇制度
のもとでの実在の
天皇
と
皇室
を存続させるということを
基盤
としております。したがいまして、
憲法
に
天皇
の条項を置くことが
国民
の
総意
である限り、
憲法
上の
天皇
の
制度
の
現実
の
背景
となっている
事柄
を無視することはできません。 すなわち、
天皇
の
制度
は、他の
国家機関
と異なり、法定の
権限
を一定の任期中行使すべきであるという
国家機関権限法
と申しますか、そういう
国家機関権限法
的な
観点
からのみ律することはできないという特殊な
制度
でございます。しかも、
天皇
の
地位
は、
統治権
の
総攬者
としての
天皇
をいただくという
意味
での
君主
でもなければ、いわゆる大統領でもない、
象徴天皇
という独特の
地位
でございますから、比較法的な
研究
だけでは、そのあるべき理想の姿を描くことができないという問題がございます。 従来の
研究
は、
天皇
の
地位
を旧
憲法時代
の姿にできるだけ近づけるか、あるいは、そうではなくて、
憲法
における
天皇
の
地位
の
存在意義
をできるだけ過小評価するか、その間を行き来する
議論
が多かったと
思い
ます。私の
意見
は、
天皇
という
現実
の
存在
とその
行動
に着目しつつ、
象徴天皇
の
憲法
上のあるべき姿を探求するということにございます。もとより不十分でございますので、本日の御
質疑
を伺って、なお
研究
を続けたい所存でございます。 次に、
レジュメ
に書いてあります
天皇制度
の
背景
、それから
歴史的変遷
における
多面性
について申し上げます。
天皇
の
制度
は、その
歴史
の中でさまざまな
役割
を果たしてきております。 まず第一に、
統治機構
の基軸といいますか、あるいは
政治的権威
の源泉といいますか、そういうことがございます。
歴史
上、
天皇
がみずから
政治的権力
を振るった
時代
は、御案内のとおり、
奈良時代
や後醍醐
天皇
の
時代
など短い期間でございました。ただ、
統治機構
から全く外れることはございませんで、藤原氏であってもあるいは武家の
時代
であっても、その
権力
の
正統性
は
天皇
から与えられたものでございました。このような
意味
で、
天皇
は、
統治機構
の中で、
権力
に対してその
正統性
を付与する
権能
を持っていましたが、現在の
憲法
上の
天皇
の
権能
について申せば、このような権威づけの
権能
を
国民
から
天皇
にゆだねたものと解すべきでありまして、
天皇
の
政治的権力
からの距離はさらに遠くなっていると申せます。 それでは、なぜ
国民
がみずからの
権能
の一部を
天皇
にゆだねているのかと申せば、それは、
憲法
が
象徴天皇制度
を採用しているということ、そして、
天皇
という
制度
には以上のような
歴史
が
背景
にあるからという
説明
をするのが妥当ではないかと思っております。 次に、
社会規範
の
具現
、
社会的弱者
への
思い
ということがございます。 この
社会規範
の
具現
というのは、ちょっと誤解を招きやすいのですが、中身を申し上げますと、
皇室
は、常に
国民
の幸福を願い、祈るという
立場
を維持されまして、
国民
のさまざまな苦しみや悲しみに
思い
をいたし、
国民
と苦楽をともにするという
気持ち
を抱いてこられました。そのような
気持ち
や
行動
を通して、
社会的弱者
、例えば、病気で苦しむ人や、
災害
に遭って悲しみ、苦しむ人に対する
思い
やりの
気持ち
の大切なことを折に触れて示してきたのであります。 三番目に、
文化
、
学術
の伝承と体現ということでございます。
皇室
の
歴史
の中で、学問、
文芸
に秀でた
天皇
は、御承知のとおり少なくございません。歴代の
天皇
は、
文化
、
学術
の発展に深い
理解
を示しています。このことは、過去の
歴史
上、武芸に秀で、軍事に関心を持った
他国
の、すべてとは申しませんが、
他国
の
君主
の例とは大きな違いがございまして、明治以後のある時期に不幸な
時代
があったとも言われてはおりますが、総じて、
天皇
の
制度
が、いわば平和の
象徴
として、昔から長く
国民
の信頼と支持を受けてきた理由でもあります。 四番目に、
祭祀
の
継承
でございます。
皇室
では、
祭祀
は大切なものとして受け継がれております。そして、常に
国家国民
のために祈るという伝統が、過去においても、
国民統合
の
象徴
としての
機能
を果たしていたのでございます。 そこで、次に、
日本国憲法
が定める
天皇
の
地位
について簡単に御
説明
を申し上げます。 まず第一が、
象徴
たる
地位
でございます。
レジュメ
にもそのように書いておきましたが、これは、
憲法
第一条の定めるところでありまして、
日本国
の
象徴
であり
日本国民統合
の
象徴
であると
規定
されております。 第二に、
世襲
による
地位
であります。これは、
憲法
第二条の定めるところでありまして、
皇位
は
世襲
のものであると
規定
されております。 三番目が、
国民
の
総意
に基づく
地位
ということでございます。これは、
憲法
の第一条と第二条の定めるところでありまして、
象徴
たる
地位
は
主権
の存する
日本国民
の
総意
に基づくこと、
皇位
の
継承
は
国会
の議決した
皇室典範
の定めるところによると
規定
されております。 次に、
天皇
の
地位
、
権能
と
皇室
諸
制度
について御
説明
を申し上げますが、以上のような
三つ
の
天皇
の
地位
を維持するために、
憲法
、
法律
は具体的な
制度
を定めております。その
概要
を申し上げます。 第一に、
国事行為制度
でございますが、
天皇
の
象徴
としての
活動
の
基本
として、
国事行為制度
、
摂政制度
、
臨時代行制度
が設けられております。
国事行為制度
が
天皇
の
象徴
たる
地位
と
関連
があるという点につきましては、特に
政治
との
関係
をどう解するかという点についてさまざまな
議論
がございます。しかし、
天皇
が
象徴
であるとするためには、
国事行為
は重要な
意義
を有するものと考えております。 第二に、
皇位継承制度
でございます。
皇位
が
世襲
によるものであるということから、その
具体的内容
、すなわち、
皇位継承資格
、
皇位継承順序
、
皇位継承原因
について
皇室典範
の一章が定めております。 第三に、
皇族制度
でございます。
皇族制度
は、
世襲
の
観点
からも、
皇位継承資格者
の
範囲
を定めたり、あるいは
配偶者
の
位置づけ
を定める
意味
で重要でございますが、
天皇
の
象徴
たる
地位
、
権能
に
関連
して、その
役割
を補完する
立場
にある特別な身分を有する
存在
を定める
制度
という
意味
でも、重要な
意義
のある
制度
でございます。
皇族
の
範囲
の問題についても、
皇族制度
の
意義
を
前提
に、場合によっては
皇位継承制度
の
あり方
ともあわせて十分に考えることが必要ではないかと
思い
ます。 四番目が
皇室経済制度
でございます。
皇室
の諸
活動
の
経済的基盤
の
あり方
を定めるのが
皇室経済制度
でありまして、この
あり方
についても、
天皇
が
象徴
であることからさまざまな特別な
制度
、
皇室用財産
であるとか
皇室費
その他ございますが、これらの点につきましては、私は現在なお
研究
中でございまして、ここでは
皇室経済制度
も
天皇
の
象徴
たる
地位
、
権能
に
関連
して極めて重要であるということを申し上げるにとどめます。 なお、以上の二、三、四につきまして、第一に、
現行皇室典範
の定める
制度
、
男系男子
による
継承
ということで問題はないか。第二に、
皇族制度
は十分であるかどうか。すなわち、
現行
の
制度
は
世襲制度維持
のための面が
制度
化されておりますが、
象徴
の
親族
としての
行為
の
あり方
について
規定
が必ずしも十分でないのではないか。それから第三に、
皇室経済制度
の
あり方
についても考えるべき点はかなり多いのではないかと
思い
ます。 そこで次に、
天皇
の
権能
と
行為
。この
レジュメ
の二枚目でございますが、
象徴天皇
と
天皇
の
行為
との
関係
について総論的な
説明
を申し上げます。 第一に、
権能
及び
行為
の
あり方
。これは、
象徴
の
積極性
と
消極性
という
観点
から
お話
を申し上げます。
天皇
については、その御
存在
だけで
十分象徴
であるという
考え方
、あるいは、
天皇
は受動的、消極的であるべきであり、特段の
行為
は必要がないという
考え方
もございます。私の
見解
は、
天皇
の
象徴性
には、そのような
消極的側面
があることを肯定しつつ、
象徴
としてふさわしい
行為
の
あり方
を、
国事行為
その他の
行為
について実情を考慮に入れつつ、
積極的側面
からも探求すべきではないかという
立場
を
前提
にしております。 そこで次に、
天皇
の
権能
、
行為
の
制度
上の
基準
でございますが、初めに申し上げました
日本国憲法
が定める
天皇
の
地位
に関する
三つ
の柱に沿って、次のような
基準
を挙げたいと
思い
ます。 第一に、
国民主権
から導かれる
基準
がございます。これにより、
天皇
は
国民
のために、
憲法
第七条にはそのように書いてありますが、
英語
の原文と申しますとちょっと語弊がございますが、
英語
でオン・ビハーフ・オブとなっております、これは、
国民
の利益のためにとか、あるいは
国民
の信託に基づいてとか、あるいは
国民
にかわってとか、そういうような
意味
であると
思い
ますが、要するに、そういう
意味
で
国民
のために
国事
に関する
行為
を行うということになっております。 また、
国民主権
から直接導き出されるとまでは申せませんが、
国事行為
について
内閣
がその
内容
の
決定
を行うことによりまして、
国事行為
が最終的に
国民
の意思に沿うものとなるような
制度
になっていると考えられます。 次に、第二でございますが、
象徴制度
から導かれる
基準
がございます。これによりまして、「
天皇
は、この
憲法
の定める
国事
に関する
行為
のみを行ひ、
国政
に関する
権能
を有しない。」
憲法
四条一項でございますが、そのように定められております。 これは、
天皇
が
象徴
であるから
国政
に関する
権能
を有しないとされるのか、あるいは、
国政
に関する
権能
を有しない
地位
であるから
象徴
と称するのか。これは、いずれにいたしましても、
象徴
たる
地位
の
権能
として、
狭義
の
政治
、私は広義と
狭義
に分けておりまして、
天皇
が
政治
に全く
関係
ないということは、これはちょっと言いがたいのでございますが、ここで言うところの
国政
に関する
機能
を有しないという
意味
は、
狭義
の
政治
、すなわち、
国家
の
統治
、秩序に関する
事柄
であって
国民
の間に
意見
の対立がある
事柄
につき、その帰趨に影響を及ぼす
可能性
のある作用、そういう
政治
にかかわりを持つことは適当でないという
制度
になっているものと
理解
をいたしております。 第三に、
世襲制度
から導かれる
基準
がございます。
天皇
の
地位
が
世襲
のものであることから、
天皇
の
権能
、
行為
に関しまして直接
制度
化されているものは
憲法
上はございません。しかし、
国事行為
に関しまして
摂政
、これは
憲法
の五条と
皇室典範
の三章でございますが、それから最近も例がございました
国事行為
の
臨時代行受任者
、これは
憲法
四条二項と
国事行為
の
臨時代行
に関する
法律
の二条でございますが、これらはいずれも
皇族
が
就任資格
を有することになっております。
皇室典範
の十七条あるいは
国事行為
の
臨時代行
に関する
法律
二条がそのことを定めております。 このような
制度
の
背景
には、
天皇
の
地位
が
世襲
のものでありますことから、
摂政
の場合は
天皇
の名で、それから
国事行為
の
臨時代行
の場合は、
天皇
から
委任
を受けて
国事行為
を行う、その
国事行為
を行う者として、
天皇
の
親族
である
皇族
に限る
制度
となっているものと考えられます。 そこで次に、三の
権能
、
行為
の
あり方
と運用上の
基準
の問題でございまして、これを
行為分類論
と言っております。
行為分類論
は、
天皇
が
象徴
であるための
行為
の
あり方
につきまして、従来、それぞれの
象徴天皇論
の
立場
から幾つかの
行為分類論
が説かれております。大別して
三つ
ありますので、まずそれを御紹介いたします。その後で、私の
見解
を補足的に申し上げまして、御
参考
に供したいと存じます。 第一は、
国事行為
と
私的行為
という
二分説
でございます。 本日、お
手元
にございます「「
衆憲資
第十三号
象徴天皇制
に関する
基礎的資料
」補遺」というところに、私の書物の中から整理をしていただいたものがございますが、これをごらんいただいても結構でございます。そこの
二分説
は、
国事行為
と
私的行為
という
二分説
でございます。 これは、
憲法
の
国事行為
の
規定
をそのまま適用するものでございまして、純粋の
憲法規範説
と申してよいのではないでしょうか。しかし、
国事行為
の
規定
は、
天皇
は
国政
に関する
権能
を有しないという
憲法
上の制限に対応して定められているものでありまして、この点については、私も、
国事行為
の
解釈適用
または
国事行為
に関する
立法論
は厳格なものでなければならないと考えます。しかし、
天皇
は、戦後、
私的行為
は別といたしまして、
国政
以外の場で事実上
象徴
としての
役割
を果たしてきておられます。これをどのように認識し評価するかが、今日の
行為分類論
の大きな目標であろうと
思い
ます。
二分説
につきましても、準
国事行為説
やあるいは
憲法習律説
など、補足的な
修正論
が出ておりますのも、
二分説
と
天皇
の
行為
の
現実
との調整から生まれたものと
理解
できます。 さて、第二と第三はどちらも三分説でございますが、
国事行為
のほかに
公的行為
を認めるという点で一致しております。この点で
二分説
とは異なります。
公的行為
と申しますのは、
国事行為
のように
内閣
の助言と承認を要しない
行為
です。しかし、なお
象徴
としての
地位
に基づく
行為
として評価できる
行為
のことであります。 ここで、第二の三分説といいますのは、
国事行為
と
公的行為
のほかは
天皇
の
私的行為
であるとする説であります。それから第三の三分説は、
国事行為
と
公的行為
以外の
行為
をその他の
行為
といたしまして、このその他の
行為
の中に、純粋に私的なものと、
公的性格
あるいは
公的色彩
があるものとが区別されるであろうという
見解
でございます。 第二説、つまりこの第三分説の一、
国事行為
、
公的行為
、
私的行為
に分けるのは学界の通説でございまして、第三説の
国事行為
、
公的行為
とその他の
行為
というふうに分ける説は
内閣法制局
の
見解
でございます。 ついでに申しますと、私は五分説を提唱しております。 これは、
公的行為
とされてきたものを一応、
公人行為
、これは
公的行為
でもよろしいのですが、多少紛らわしいので
公人行為
としております。その他の
行為
のうちで、
象徴
としての
地位
を
背景
に有しつつ
私人
として行う
行為
を
社会的行為
、
私人
としての
地位
で
皇室
を構成する者として行う
行為
を
皇室行為
、
私人
としての
地位
で純粋な
私人
として
単独
で行う
行為
を
私的単独行為
と
分類
いたしました。
天皇
の
行為
の実態に即して分析し、
象徴性
に由来する価値との
関係
を考察することが眼目でございます。 一々挙げられないのですが、お
手元
にあります
天皇
による
行為
の
分類
及びその
概念
の各
行為
の
概念
のところをごらんいただきますと、
公的行為
の一番右側に、
君主
的な
側面
としてこれこれのものがある。これはいずれも
国事行為
ではございませんが、例えば、
国会開会式
への
行幸
であるとか、
認証官任命式
への御
臨席
であるとか、各種の拝謁、
国賓行事
、
外国訪問
、
国際的大会
の
名誉総裁就任
、
国家的行事
への
臨席
、
天皇誕生日祝賀行事等
の
主宰
、
社交的行事
の
実施
、こういうのがございます。 それから、伝統的な
側面
では、
歌会始
、
講書始
の
主宰
、
地方行幸
中の
公式行事
以外の日程、
福祉活動
の
奨励
、ねぎらいの
行為
、
災害見舞い
、
文化
、産業の
奨励
、これが
公的行為
と言われるものであります。 その下に
私的行為
とございまして、私はこれを
社会的行為
と
皇室行為
に分けました。
社会的行為
というのは、もう少し砕けたものでございまして、例えば、個々の
福祉活動
、
芸術鑑賞行為
、
宗教活動
、スポーツ、音楽、
文芸活動
の会合や
研究会等
への
参加
、友人との会食、
学校行事
への
参加
、
私的旅行
、
静養先
での外出。 それから、こういうものはそれでは全く私的じゃないかとおっしゃる方もおられるかと
思い
ますが、実は、これだけの
活動
を
天皇
が皇居の外へ出てなさいますと、それが
象徴
としての
行為
であるかのようにどうしても思われるわけでございまして、申しわけないことですが、そう簡単に、こっそりどこかへ出かけられるというわけになかなかいかないわけでございまして、やはり、
社会的行為
として評価されるのではないか。したがって、これにつきましても、
費用等
の点で、あるいは警護の問題であるとか、その他いろいろな準備の問題であるとか、いろいろあるわけでございまして、私がその
あたり
を散歩するのとは大分違うわけでございます。 それから、
皇室行為
は、
皇室内部
の諸
行事
の
実施
、これはちょっと外からはうかがい知れませんが、そのほかに、非常に数多く行われております
宮中祭祀
の
主宰
ということがございます。 それから、純粋に私的な
単独行為
。これこそ外側から全く拝見できませんが、私室での読書であるとか
研究
であるとか
芸術鑑賞
であるとか、それは
私的単独行為
である、こういうことになります。 これにつきまして、例えば
皇室費
の中から
宮廷費
を出すか
内廷費
を出すか、あるいは
宮内庁費
を出すかとか、そういういろいろな経済的な問題もここに絡んでくる。あるいは、もっと申せば、こういうたくさんのお
仕事
をどういう根拠でどういう形でなさるようになってきたのか。また、これからこれがふえていくのか。また、御高齢になるにつれてこれだけのお
仕事
がこれから同じように続けられるか。いろいろな
問題点
はあると
思い
ますが、一応、
天皇
のお
仕事
の中の性質に従って、
一通り分類
をさせていただいたということでございます。 そこで、
あと余り
時間がございませんので、最後の
国事行為等
について。これはまた御
質疑
の中でもお返事を申し上げますが、
国事行為
につきましては、
政治
と
儀礼
とその両面から
分類
したものを
説明
いたします。
国事行為
の中で、
国政
に関する
行為
ではありますが、その実質的な
決定権
が
天皇
以外の国の
機関
に帰属し、その結果
儀礼
的なものになっている、それを並べましたのが、私の
レジュメ
の二ページの下の方に書いてある。これは全部
憲法
に出ております。
内閣総理大臣
の
任命
、
最高裁長官
の
任命
、
憲法改正
、
法律
、
政令
及び
条約
の
公布
、
国会
の
召集
、
衆議院
の
解散
、
国会議員
の総
選挙
の
施行
の
公示
、これは参議院も入ることになっておりますが、
栄典
の
授与
、
国事行為
の
委任
。 今度は、
天皇
以外の国の
機関
による
決定
を
天皇
が
認証
するものがございます。これは、
国務大臣等
の任免、
信任状等
の
認証
、
恩赦
の
認証
、
批准書
その他の
外交文書
の
認証
がございます。 次に、
儀礼
的な
性格
の事実上の
行為
といたしまして、
外国
の
大使
、
公使
の接受、
儀式
の
挙行
。つまり、
国政
に関する
行為
であるけれども、それがどういう形で実際には行われているかという
意味
での
分類
でございます。 次に、具体的な
儀式
を伴うか
儀式
を伴わないかという
分類
がございます。 これは
レジュメ
の三ページに書いておきましたが、
儀式
の
有無
による
分類
としては、まず、
儀式
を伴うもの、または
関連儀式
が行われるもの。これは、
内閣総理大臣
の
親任式
、
最高裁長官
の
親任式
、
国務大臣等
の
認証官任命式
、それから
栄典
の
授与
、
勲章親授式
、それから
外国
の
大使
、
公使
についての
信任状奉呈式
、それから新年
祝賀
の
儀等
の
儀式
の
挙行
というものがございます。 それから、
儀式
を伴わないものといたしましては、
憲法改正
、
法律
、
政令
及び
条約
の
公布
、
国会
の
召集
、
衆議院
の
解散
、
国会議員
の総
選挙
の
施行
の
公示
、
恩赦
の
認証
、
批准書
その他の
外交文書
の
認証
、
国事行為
の
委任
とございます。 これは、お
手元
にございます「
象徴天皇制
に関する
基礎的資料
」の中に、その具体的な方式といいますか形式といいますか、どういう形でそういうものが発せられるかという
具体例
が五十ページ
あたり
から出ておりますが、こういう
ぐあいに二つ
に分けることができます。 そこで、これはまた後で申し上げる機会もあるかと
思い
ますが、
儀式
を伴うか伴わないかは、これは、まだ一度もそういうことに立ち至っていない。例えば、
憲法
の
改正
というようなときには全く
儀式
なしでやるのかというような問題もございまして、それはまたこれからの課題でございます。 そこで、次に、こういう
儀式
の
有無
による
分類
ということになりますと、あるいはそうでなくても、すべて、
天皇
が
象徴
であるということの
関係
において、これを
天皇
の
行為
とすることに
意味
があるということで
国事行為
とされているのでございますし、それからまた、
儀式
や
儀礼
を伴うということは、
国事行為
の有する
意義
を
象徴
的に、あるいは可視的にといいますか、目に見える状態で示すというところに
意味
がございまして、
国家国民
の
象徴
たる
地位
との
関係
で重要な
意味
を持つものと考えられるのでございます。 これら
国事行為
は
儀式
の
有無
にかかわらずそれぞれの
意義
を有しますが、
儀式
を行うことによって、例えば、
内閣総理大臣
は、
国会
の
指名
に基づいて、
国民
のために、
国民
にかわって、
国民
の信託に基づいて、
国民
の
総意
に基づく
地位
である
象徴天皇
が
任命
するということが、
国民
に明らかになるという
意義
があるのではないかと思われます。そのほか、
認証官任命式
に
天皇
が御
臨席
になることや、
勲章親授式
や
信任状奉呈式
を行うことも、
儀式
を執行することには同様な
意義
があると考えられます。 そこで、最後に、
象徴
たる
地位
と
国事行為等
について簡単に申し上げます。
国政
に関する
行為
の
意義
と評価でございますが、
天皇
が
象徴
たるためには、
天皇
は国の
統治機構
の権威の源泉、最終的な権威の源泉は
国民
にありまして、
天皇
は
国民
から
象徴
として
統治機構
における権威の源泉たる
地位
をゆだねられているというふうに考えられまして、そういう
意味
で、権威の源泉としての
行為
が重要な
意味
を持つことになります。 したがいまして、
天皇
の
行為
は、
狭義
の
政治
に
関連
することがないように注意しつつ、国の
機関
として、さまざまな
儀礼
を通じて
統治機構
の中で
象徴
としてふさわしい
行為
を行うべきと考えます。現在の
国事行為
は、そうした
意味
で重要な
意義
を持つものと考えます。 次に、
国事行為
の態様でございますが、
天皇
が
象徴
として、
儀礼
を通して、その
制度
が持つ
意義
を
象徴
的に示すことは、
天皇
の
象徴
としての
機能
を発揮するためには有
意義
であります。
儀礼
には、当該
制度
の
意義
をわかりやすく
国民
が
理解
することになるという利点があることは言うまでもありません。 これは、
国民
のために行われる
行為
が
国民
に十分に知られないままに行われることは、
国事行為
の趣旨からしていかがなものかという
観点
からの考えでございますが、もちろん、
儀式
などの執行の
あり方
にはさまざまな工夫も必要でございまして、知恵を出す必要があります。 最後に、
象徴
たる
地位
と
公的行為
でございます。
天皇
の
象徴
たる
地位
については、以上のような
性格
を持つ
国事行為
のみならず、いわゆる
公的行為
により、
天皇
の
象徴性
を発揮することは大切であろうと考えます。こうした
意義
を持つ
公的行為
については、その時々の
天皇
の個性は生かされてしかるべきと考えます。ただ、
天皇
陛下みずからの努力だけに
制度
運用を頼ってよいのかという問題もありますし、
内閣
としてその執行に責任を負うべき点も多々あるのではないかと考えるし、それは当然なことと存じます。 その
意味
で、
公的行為
について、その
意義
にふさわしい
制度
上の
位置づけ
は、今、
法律
にも
憲法
にも
規定
されていないわけでございますから、一般的な
基準
であるとか事務的な対応の
あり方
であるとかいうことを考えることは、全く不可能ではないと存じます。しかし、それには慎重な配慮が必要でございまして、具体的に
公的行為
の
内容
を
法律
によって限定列挙することはなじまないことではないかなというふうに考えております。 あと一分だけちょうだいしまして、
行為
の代行を一言だけ申し上げます。
天皇
みずからが
国事行為
を行うことができない場合の
制度
として、
摂政制度
と
国事行為
の
臨時代行
の
制度
があるということでございます。 両
制度
の違いとして一つだけ述べておきますと、
摂政
は
天皇
の意思とはかかわりなく設置される。例えば、
天皇
が未成年の場合に設置される、それから、
天皇
が
国事行為
をみずからすることができないときは
皇室
会議
の議によって設置されるということになっております。
皇室典範
の十六条が定めております。
国事行為
の
臨時代行
と申しますのは、
内閣
の助言と承認によって
天皇
が
委任
をすることができるということになっております。最近も、
天皇
の御病気の間、皇太子殿下が
天皇
の
委任
を受けて
国事行為
の
臨時代行
をなさったということがございます。しかしこれは、いずれも
内閣
の助言と承認によるものであるということは申すまでもございません。 以上、ちょうど二時四十分になりましたので、不十分ではございましたが、与えられました課題につきまして、愚見を申し上げました。御清聴を感謝いたします。 どうもありがとうございました。(拍手)
保岡興治
3
○
保岡
小
委員長
以上で
参考人
の御
意見
の開陳は終わりました。
—————————————
保岡興治
4
○
保岡
小
委員長
これより
参考人
に対する
質疑
を行います。
質疑
の申し出がありますので、順次これを許します。平井卓也君。
平井卓也
5
○平井小
委員
参考人
、きょうは、大変勉強になる
お話
を聞かせていただきまして、どうもありがとうございました。
憲法
第一章に関しては、過去のいろいろな
議論
を踏まえても、ここにいらっしゃる政党の皆さんも含めて、多少のニュアンスの違いはあろうかと
思い
ますが、いずれの政党においても、
基本
的に
改正
する必要はないと考えていると
思い
ます。また、
天皇
制は
日本
の国の
文化
であり、私は、ナショナルアイデンティティーである、また我々がこれから守っていかなきゃいけないものだというふうにも考えているわけであります。 今、
皇室
は、大変すばらしい求心力といいますか統合力というものも実際にお持ちのように私は感じています。ですから、
基本
的には、自国のアイデンティティーとして、その反省を欠いたような
憲法
論というのは余り
意味
がないのかなというふうに思うんです。 先生最初におっしゃいました、
天皇
は
君主
でもなければ元首でもない、大統領でもない、
象徴
だということですが、私は、個人的には、
君主
とは
国家
元首の
地位
を
世襲
する者を指して、
天皇
陛下は、
現行
憲法
下においても対外的に我が国を代表するとともに、
日本国
及び
日本国民統合
の
象徴
としての
国家
の尊厳を体現しているということを考えると、また、
天皇
の
皇位
の
世襲
は、
憲法
第二条でその
世襲
ということが明記してあるわけですから、これは、どう考えてもやはり元首であるというふうに考えた方がすっきりするのではないかと思うのですが、御
意見
いかがでしょうか。
園部逸夫
6
○
園部参考人
私は、元首という言葉は、
歴史
の発展に伴いまして各国とも言葉の使い方が変わってきていると
思い
ます。
英語
でヘッド・オブ・ステートと申しますが、戦前の
統治権
の
総攬者
としての
天皇
陛下は、これは明らかに
君主
、立憲
君主
であった。これはだれもが認めるところであります。 それからまた、イギリスのように、あれはキングダムと言っておりますが、キングやクイーンが一応元首の
地位
にあって、これはヘッド・オブ・ステートになっております。それで、総理大臣はヘッド・オブ・ガバメントと普通申しておりまして、その辺が区別されている。それから、アメリカの場合は、大統領がヘッド・オブ・ステートとヘッド・オブ・ガバメントを両方兼ねている。 リパブリックであるかモナーキーであるか、あるいはキングダムであるか、いろいろな国体がございますが、
日本
は、
外国
には大体モナーキーであるというふうに紹介をされております。それで、ヘッド・オブ・ステートはだれかということは余りはっきり外には出しておりませんが、元首的な
行為
をなさっておられること、これはもう間違いない。 しかし、国内的には、元首というよりは、もう少し広いお
仕事
をなさっておられるのではないか。これを元首とはっきり定めてしまいますと、今なさっておられる
事柄
が多少制限されることになるかなと。むしろ、
象徴
という
基本
的なお
立場
の中で、
外国
に対する代表として、あるいは国内に対するヘッド・オブ・ステートとして
活動
されるものがあるという
理解
が必要でございまして、
象徴
をやめて元首にしてしまうということにはちょっと抵抗を感じるということでございます。 元首であると、例えば総理大臣は元首かと言われれば、ちょっとそれは違うのじゃないかと
思い
ますが、そういう
意味
で、例えば首相公選制等で大統領的な首相ができれば、これまたそちらの方の
仕事
、
役割
と
天皇
との
関係
がまた難しくなってまいります。 そういう
意味
で、この元首の解釈いかんによっていろいろ違ってまいりますので、従来どおりの
意味
で元首という言葉をそのまま使っていいかどうかという点が、ちょっと私のひっかかることでございまして、元首である
側面
があることについては否定はいたしません。 以上でございます。
平井卓也
7
○平井小
委員
確かに、言葉の定義の問題がいろいろとこれからやはり
議論
すべきものでもあるかなと思っています。 きょうの
お話
のテーマの中心でありました
国事行為
に関して、ちょっとお伺いをさせていただきたいと
思い
ます。 これは、さきの小
委員
会でも高橋
参考人
にもお伺いしたことでありますが、現在の
象徴天皇制
のもとでは、
天皇
は、
憲法
が
規定
する
国事行為
については、みずからが
決定
して行うものではないということであります。したがいまして、第六条及び第七条に掲げられている
天皇
の
行為
は、すべて
内閣
の助言と承認に基づいて行われる、受動的かつ
儀礼
的なものであるということになるわけであります。 しかしながら、二点目として、
内閣総理大臣
その他の国務大臣や人事官などの
任命
を承認するに際して、助言と承認に用いられる文面では、「右謹しんで裁可を仰ぎます。」との文言が使われています。通常、裁可といえば、裁可の
権限
を行使する者に
決定権
があると考えられるわけですが、これではちょっと、あたかも
天皇
が
任命
権者であるような誤解を与えるような危惧を抱くのですが、いかがでしょうか。
園部逸夫
8
○
園部参考人
これはもう全く言葉の問題でございまして、形として助言と承認、こういうことになっておりますから、一応助言を申し上げる。それについて、陛下のそういう助言に対する御確認といいますか、よろしいであろうということは、そこに、この文章等にあらわれる、つまり御名御璽と押すわけですから、それは、
天皇
の意思が、裁可の申請に対してよろしいという返事があったというふうに見ることにはなりますけれども、これは極めて形式化されておりまして、これを一々、これは裁可しないというようなことになっているかというと、それはもう全然なっていない。 また、そういうことができるかというと、これも事実上、伝統的に戦後はできないことになっている。しかし、ある日突然、そういうことについて、何か裁可を求めているんだけれども裁可しないというような
天皇
が仮に出てこられたとすれば、これは非常に
憲法
の趣旨に反するわけでございます。 しかし、今先生がおっしゃったように、そういう言葉を使うこと自体が、何か戦前の言葉をそのまま使っているのではないかということであれば、それは表現の問題でございますから、もう少し言葉を、このように助言を申し上げますとか、何かそういう程度の言葉にした方がいいという
考え方
はございますが、今までのところ、余りそういう
議論
がございません。むしろ、こういう資料が表に出てきて、なるほど、こういう形でしているのかということがわかったわけでございまして、これは、ある
意味
ではこの問題を
議論
する一つの大きな契機になるか、そのように考えております。
平井卓也
9
○平井小
委員
私もそのように
思い
ます。 先ほど、
二分説
、三分説、五分説を
お話
しになりましたが、費用の負担の問題も含めて先生は五分説を主張されておるというふうに私は感じたんですが、五分説にすべきであるというその一番の理由は何でしょうか。
園部逸夫
10
○
園部参考人
これは、今のところは
内閣法制局
の案である三分説が、従来
私的行為
である中に、
公的性格
ないし
公的色彩
のある
行為
を取り上げる、特にそこに着目いたしましたのは、やはり
皇室費
をどういうふうに支出するかということに
関連
してのことでございました。そういう点では、
公的性格
ないし
公的色彩
のある
行為
という言葉はあいまいな面もございまして、例えば大嘗祭の問題であるとか即位の礼の問題であるとかいろいろと、どこまで国の費用を、
内廷費
ではなくて
宮廷費
その他から出すかというような問題もございまして、それはその時々に対応してきた問題でございます。 したがいまして、もう少し
行為
を
分類
して、もう少しそれに対応した費用の支出ということを考えていけば、何か事が起きたときに、そこで頭を悩ます必要もないのではないかという
意味
で、これは一つの提言として申し上げているわけでございます。
天皇
並びに
皇室
の
行為
というのは、本来は
法律
でもって全部
基本
的に決めておくのが一番望ましいのでございますけれども、何しろ
皇室典範
は、多くは
皇室
の御家法に関する問題でございまして、実在の人物を一々念頭に置いて考えなきゃなりませんので、余り通常の
法律
のように抽象的な
規定
を置くということが非常に難しい。 しかし、それにしても、ここまで
天皇
の
行為
がいろいろあるものですから、これが無限大に広がるというようなことも困りますし、それに対して国の費用をどう出していくかということについても、ある程度の
基準
があっていいのではないか。その
基準
を考える上で、この五つの
分類
はある程度の
参考
にしていただけるのではないかという趣旨で提唱しているわけでございます。
平井卓也
11
○平井小
委員
時間が来ましたので、これで終わります。ありがとうございました。
保岡興治
12
○
保岡
小
委員長
次に、中野寛成君。
中野寛成
13
○中野(寛)小
委員
民主党の中野寛成でございます。
園部
先生には、きょうは貴重な御
意見
をありがとうございました。若干の質問をさせていただきたいと
思い
ます。 先ほどの質問にもありましたけれども、元首という言葉に対するノスタルジーか
思い
入れかわかりませんが、今なお、
天皇
を元首とすべきであるという
意見
を持つ方はそれなりに多いと
思い
ますが、私は、前回のこの
委員
会でも、元首という言葉はそろそろ死語になってもいいのではないか、こう申したのであります。 先ほど
園部参考人
の御答弁で、
象徴
としての
天皇
制の
あり方
について、大変明確にお答えになられましたので、私、全く同感だなと思ってお聞きをいたしておりました。対外的には元首的な
仕事
、
役割
をしておられる、しかし
政治
的に、国内的に国を代表する
権限
を行使しているわけではない、そのありのままの今の
象徴天皇
の姿を表現されたと思うのであります。 国の形というのは、例えば立憲
君主
国もあれば民主国もある。また、
国家
の経緯も、
国民
国家
という言葉があり、また
統治
国家
という言葉がある。いろいろな
歴史
と生い立ちをそれぞれの国は持っているだろうと
思い
ます。
日本
は、
日本
独自の
考え方
とシステムがあって何ら差し支えないというふうに思うわけでありまして、現段階においては、
象徴天皇制
というのは、
国民
の間に支持され、また定着をしている、ここに改めて
象徴天皇制
をその
権能
等の上に置いて変更する必要はないと私は思っておりますが、もし国には元首という言葉、肩書を持つ人がなければならぬ、そうしなければ不都合があるということがありましょうか。あえてお聞きをいたしたいと
思い
ます。
園部逸夫
14
○
園部参考人
これは、
英語
で言うヘッド・オブ・ステートというのがいろいろな国でいろいろな形で使われておりまして、
君主
制の国では、大体
君主
はヘッド・オブ・ステートになっている。しかし、そのヘッド・オブ・ステートが実権を握っていろいろな
仕事
をしている国はほとんど今ございません。むしろ、
君主
という名前のつかないヘッド・オブ・ステートの方がもっとすごいことをしておられるような感じもするのでございまして、元首と
君主
というのは必ずしも結びつかないわけでございます。 ただ、国という姿がある限り、その一番ヘッドにだれがいるのだということを考えていく上には、元首という言葉がいいかどうかはわかりません、これはまた別の言葉を使ってもいいのじゃないかと思うのですが。 我々が長年元首という言葉で抱いていたイメージというのは、どうも
統治権
の
総攬者
という感じのことが頭にこびりついているものですから、今の若い人たちが元首という言葉にそれほどこだわりがないのであれば、それはそれでもよろしいのではないかと
思い
ます。特に元首という言葉を
外国
に対して発信しなくても、
現実
にもう元首として
行動
しておられる部分がたくさんこの
国事行為
の中にございまして、それを元首とは言わなくても、
日本
はそれを
象徴
、
象徴
というのはちょっと非常にまた誤解を受ける言葉でございますけれども、もしそういういい言葉があれば、それに変えられても結構だと
思い
ます。 元首論の問題はちょっと私のきょうの課題とずれておりまして、十分に検討していない部分もありますが、今のところはその程度のことを考えているということを申し上げておきます。
中野寛成
15
○中野(寛)小
委員
ありがとうございました。 それから、
皇位
継承
についてはきょうは余りお触れにならなかったのでございますが、先般もちょっとそのことでは
議論
をいたしたところでございます。 いわゆる女帝
制度
、是か非かという話は最近少々クローズアップされているところであります。私自身は、それはむしろすばらしいことだと。男女にこだわらない、そして長子、第一子が
継承
をする。これは、別の
基準
を設けますとまた混乱を生じてはいけませんので、単純に第一子ということでいいのではないかというふうに思っております。しかし、その場合に、この
皇室
、いわゆる宮家の創設だとかいろいろな、男性と女性によって今のシステムでは不都合が生じるようなことがあるとすれば、そのようなことがあり得るや否や、そしてまた、それを是正するとすればどういうことが必要かということにつきまして、お考えがあればお聞かせいただきたいと
思い
ます。
園部逸夫
16
○
園部参考人
これが一番また悩ましい問題でございまして、先ほども申し上げましたように、
皇室典範
は
法律
でございますから、あらゆる状態をあらかじめ想定して
規定
を置くということが必要ではあります。 しかしながら、同時に、戦前は
皇室典範
は
法律
でもなかったわけでございまして、
天皇
家の御家法としておつくりになったものでございます。したがって、今でもその
皇室
の御家法的な部分と、それから
法律
的な部分とが混在しておりまして、
法律
的な部分でどんどん攻めていきますと、どこかでぱたっと話がとまってしまう。それは具体的実在の人物のところでとまってしまうわけでございまして、これが非常に女帝
制度
といいますか、女性
天皇制度
の
議論
の難しいところでございます。 また、今ここでその話を申し上げるのが適当かどうか、その時期であるかどうかということもございますが、一般論として申し上げますと、
日本
の長い伝統の中で女系の
天皇
というのは、女性の
天皇
はございましたけれども、女系で
天皇
が続いたことはございません。女系で続くということは一体どういう
意味
があるかということを十分考えなければならないということが一つでございます。 それと、男系の男子ということは
世襲
という
憲法
の
規定
の中に当然のごとく盛り込まれているのではないかという
理解
もございまして、それでは男系の男子がいない場合はどうするかということで、今はたと話がとまっているわけでございますが、何分にも具体的な方々のことを念頭に置きながら
議論
するわけでございますから、昔で申せばまことに恐れ多いことでございまして、そういうことは余り申し上げにくい。 しかし、女性
天皇
論を私はいわゆる人権論からは引き出さないんです。なぜならば、
天皇
のお
仕事
というのは、これはもう大変なお
仕事
でございまして、これを、そういう
天皇
になる権利があるというような形で女性にもそれを与えるべきだというような理屈は、ちょっと
憲法
十四条との
関係
とは違うのではないかと私は思っております。 そういう
意味
では、
天皇
になるということは
皇位
継承
者にとっては非常に重い義務でございまして、その義務を新たに女性に課するということについては、なお非常に重要な課題がございますし、それから、女性
天皇
になられる方のお連れ合いといいますか、皇配とか皇婿とかいろいろございますが、こういうものも華族
制度
が廃止された
日本
において、どのようにしてこれをうまく、そういう方々を見つけることができるかとか、もういろいろな問題が山積しております。 私も随分考えましたけれども、ここで数分で
お話
しすることは非常に難しゅうございますが、決して否定するものではございません。
可能性
としてはあり得るし、いろいろなその障害になることを一生懸命探すことも何もないと
思い
ます。しかし、それでもある程度、何か事が起きてから決めるのではなくて、やはり十分に
議論
を用意しておく必要はあるのではないか、このように思っております。 〔小
委員長
退席、近藤(基)小
委員長
代理着席〕
中野寛成
17
○中野(寛)小
委員
最後の一言は全く私も同感でございまして、今
現実
論として、男子御誕生でないということで慌ててどうこうと言うのを、私はそれこそ恐れ多い話だろうと。むしろ、もっと一般的な時期に、
日本
の国、また
国民
の
象徴
としてのありようを考えてどうするかということで
議論
をしておくことなのではないかという気がいたします。 それから、例えば国際的にも女性の、いわゆる女王、女性の大統領、女性の首相、これはいっぱい出ているわけでありまして、むしろ、よく文学的にいいますと、女王のときには、例えばイギリスですと大変国が発展をしたといって縁起のいいことにされていたり、それもひっくり返しますと、それだけ女王のときには戦争が多かったということにもなりかねない。何か平和の女神と言うけれども、私は逆に、戦争の女神と言った方がいいのかもしれないと思うぐらいに、クレオパトラの
時代
から、女王とか女性の首相が出たときには、大体その国はその期間内に、任期中に戦争をしているという現象があるような気もいたしまして、これは別に男女を差別して言っている話ではないのですが。 言うならば、男であれ女であれ、少なくともその
象徴
であるとか
権力
者であるというときに、その男女の差というのはそれほどない話なのではないかという気がいたしておりまして、これからも、親王が生まれるかどうかということとは無
関係
に、一般論としてやはり
議論
しておくべきではないかという気がいたしております。 時間が来ましたので、では、今の考えについて、一言。
園部逸夫
18
○
園部参考人
おっしゃるとおりでございまして、準備は十分にしておかなきゃいけませんが、余り表立って
議論
をするということは今のところは差し控えたい、私はそう思っております。
中野寛成
19
○中野(寛)小
委員
ありがとうございました。
近藤基彦
20
○近藤(基)小
委員長
代理 次に、
斉藤鉄夫
君。
斉藤鉄夫
21
○
斉藤
(鉄)小
委員
公明党の
斉藤鉄夫
です。 きょうは、大変ありがとうございました。 早速、質問させていただきたいと
思い
ます。
天皇
は権威の源泉であるという
お話
が最初にございましたが、その権威の源泉のよって来るところが、今の
日本国憲法
では、まさに
国民主権
というところにあるということだと
思い
ますけれども、実態としては、やはり
天皇制度
そのものに権威の源泉があるのではないか、そのどちらなんだろうかという問題意識で、まず最初に御質問させていただきます。 先生の
レジュメ
の最初、
統治機構
の基軸、
天皇制度
は
統治機構
の基軸であった、権威の源泉であり、
権力
の
正統性
を付与する、こういう
権能
があった、こういう
お話
がございましたが、今のその御
説明
は、現
憲法
下においてもそういう
性格
があるんだ、こういうふうにとってよろしいんでしょうか。
園部逸夫
22
○
園部参考人
これはやはり、戦前の例えば明治
天皇
、大正
天皇
、昭和
天皇
の
時代
とは非常に違うと
思い
ます。 違うとは
思い
ますけれども、この
天皇制度
を置いてある以上、それでは何のためにこれを置いているかという根本から考えますと、やはりいろいろな権威の源泉として、どこかでそれをまとめて、だれかがそういう、セレモニーでもよろしいんですが、そこでまとまっていく。 これは、こう言っては申しわけないんですけれども、仮に
天皇制度
がなかった場合にどうなるかというと、どうしても大統領
制度
に持っていくわけでございまして、やはり大統領は
政治
の権威の源泉として
存在
するのでございまして、アメリカは別ですけれども、大統領制をしいているところではかなり形式的なものになっております。 そういう
意味
では、やはり国というのは、一つの大黒柱がきちっと真ん中にあって、それでまとまっていくわけでございます。そういう
意味
で、権威の源泉としての働きは非常に戦前に比べると弱くはなっておりますし、およそ
天皇
陛下が御自分の御意思で何か
政治的権威
の源泉としての
行動
をなさるということは、これまでもなさらなかったし、これからもなさらないであろうという
前提
と期待のもとにこの
憲法
の
制度
を維持していくのがよろしいのではないか、こういうふうに思っております。
斉藤鉄夫
23
○
斉藤
(鉄)小
委員
それでは、最初に申し上げた私の問題意識なんですけれども、現
憲法
下では、前文に、
主権
が
国民
に存することを宣言するということで、
主権
が
国民
にあることを言い、そして第一条で、「
日本国
の
象徴
であり
日本国民統合
の
象徴
であつて、この
地位
は、
主権
の存する
日本国民
の
総意
に基く。」このような構成になっておりますので、あくまでも、第一義的には、権威の源泉は
主権
の存する
日本国民
であって、そこから派生してきた、派生と言ったらちょっと言葉はあれかもしれませんけれども、第二義的な
位置づけ
としての
象徴
というふうな感じになろうかと思うんです。 先ほどの先生のお言葉は、やはりそうではなくて、私もそう思うんですけれども、
天皇制度
そのものの中に
歴史
的な
背景
があり、そこの中にこそ権威の源泉そのものがある、こういうふうに考えるんですけれども、現在の
日本国憲法
の構成との
関連
で、この点についてどのようにお考えでしょうか。
園部逸夫
24
○
園部参考人
先ほども申しましたように、あくまでも、
天皇
の
行為
は
国民
のためにという言葉がついております。
国民
にかわってとか
国民
の信託に基づいてとかいうことで、本来なら
国民
がすればいいんですけれども、一億何千万の
国民
がそういうことをするわけにまいりません。したがって、
国民
にかわって、
天皇
という
制度
が、たまたま
外国
にはない長い
歴史
を持って、統合の
象徴
としてその働きをなさってこられた
天皇
という
制度
があるわけですから、この
天皇
という
制度
に、ひとつ
国民
のために、そういう
政治
の源泉としての権威づけをしていただこう、そういう趣旨で
天皇
が
存在
するのではないか、このように思っております。
斉藤鉄夫
25
○
斉藤
(鉄)小
委員
それから、これは先生には大変失礼な物の聞き方かもしれませんが、きょうは
行為分類論
について教えていただいたわけですけれども、大変難しかったんですが、費用をどういうふうに負担するかというふうなことを
議論
するときに大変大事なこととは
思い
ますが、この
行為分類論
がなぜ大事かということをちょっとわかりやすく、平易に
説明
していただけますでしょうか。
園部逸夫
26
○
園部参考人
それは、これまでの
分類
でもよろしいんですよ。せめて
国事行為
、
公的行為
、その他の
行為
程度に分けておけば、その時々に応じて、宮内庁ないし
天皇
の御側近がいろいろ検討して、それで費用の点等々について検討するというこれまでの慣例で少しも構わないんですが、ただちょっと、
公的性格
があるとか
公的色彩
があるというときに、これはそれぞれの人の
考え方
によって少しずつずれてくる。しかも、昔のように、
皇室
令とかそういうものがはっきり決められていなくて、大体、昔の慣例に従ってやっているということでございますので、ちょっと、これだけの大きな
制度
を動かすのには、少し慣例その他に頼り過ぎている面もあるし、もう少しその
行為
を
分類
して、これは私の
分類
がいいと申し上げているのではなくて、そういうことを下地にして何か
分類
ができないだろうかということを申し上げているわけでございます。 もちろん、費用だけの問題じゃございません。一体、
天皇
陛下はどういう
事柄
を
象徴
としてなさるのが適当であるかということを、ただ、いろいろとあちらこちらから、こちらの大学から創立記念日に出てほしいとか、あちらの展覧会に出てほしいとかというような御要請があった場合に、それでは、前例に従ってどんどんやっていくというようなことを一体どこまでやれるのか、またそれが
象徴
たる
地位
にふさわしい
行為
であるかどうかということを、この機会にできるだけ細分化した
分類
論で検討する手だてといいますか
基準
にしてみてはどうだろうか、そういうことを申し上げているわけでございます。
斉藤鉄夫
27
○
斉藤
(鉄)小
委員
大変よくわかりました。ありがとうございました。終わります。
近藤基彦
28
○近藤(基)小
委員長
代理 次に、藤島正之君。
藤島正之
29
○藤島小
委員
自由党の藤島正之でございます。 我が国に
天皇
制、本当に私はあっていいなと考えているわけですけれども、
象徴天皇
とその
行為
の
内容
が非常に微妙に結びついていると思うわけです。
国事行為
から純然たる
私的行為
まであるわけですけれども、あるいは、もっと、若干
政治
的なにおいのするものを含めてもいいのかもわからないんですけれども、その点について、今の
国事行為
について、きちっと
憲法
上書いてあるわけですけれども、諸
外国
の例に比して、我が国の場合、今の
範囲
が本当に適当なのか、あるいは、若干減らしたりふやしたりする、そういう考えもあるのかどうかをお伺いしたいと
思い
ます。
園部逸夫
30
○
園部参考人
少なくとも現在、
国事行為
として
憲法
に定められている
行為
は、どこの国でも、元首ないし
君主
ないし大統領等々はこういう
行為
はしていると
思い
ます。これをしないと、いつの間にか最高裁判所の長官ができたり、いつの間にか
国会
があれよという間に
召集
されたりといったような、何か区切りのない話になってまいりますから、そのめり張りをつけるという
意味
では、
日本
は戦後、大分ハレとケの区別がつかなくなってきておりますが、きちっとした
儀式
はきちっとやらなきゃいけないだろう、こう思っております。 したがって、現在の
国事行為
は、
天皇
の
象徴
たる
地位
に基づいてなさる
行為
としては極めて有
意義
なものでございまして、これを、特にこのままで、これ以上に
国事行為
としてふやさなきゃならないものがあるかというと、どうも私は余りそういうふうには感じません。また同時に、これを減らしてはどうかということも感じません。ただ、
儀式
の
挙行
というようなことになりますと、どこまでが
儀式
であるかどうかとか、これは、解釈論としてこれからまたさらに
議論
を詰めていかなければならないだろう。 それからまた、事実上、何か非常に不便を感ずることが
皇室
の
関係
でおありであれば、それは、ぜひ外に出していただいて、そういう
議論
を一緒に考えてみるということはいいのではないか。 今の
国事行為
と定められていることが、もう金科玉条、一切動かしてはならぬ、そういうふうには私は考えません。
藤島正之
31
○藤島小
委員
天皇
の
行為
というか
立場
、
象徴
制、あるいは元首との
関係
なんですけれども、首相公選制との
関係
なんですけれども、それはどのようにお考えになりますか。 やはり今の
憲法
のままでは首相公選制はできないんだという
考え方
もあるし、あるいは、今の
憲法
下でも首相公選制は十分可能だという
考え方
もあるわけですけれども、その辺はどういうふうにお考えになりますか。
園部逸夫
32
○
園部参考人
中曽根先生のおられる前で申しわけないんですが、私は、中曽根先生が首相公選論を唱えておられたころに、書物が出まして、それについて、ある
外国
の学者の
意見
を翻訳して、一緒の冊子に載せていただいたことがございます。 首相公選論というのは、非常に昔からの
議論
でございまして、それはそれとして大変
意義
のある
事柄
であろうと
思い
ます。ただ、首相公選論は、今の
憲法
のままではなかなかそれは難しいのではないかと私は思っております。 それから、公選された首相がどういう
地位
に置かれるのかということも十分考えませんと、これは、大統領制的な
意味
を持ってまいりますというと、いわゆる
天皇制度
との
関係
が非常に微妙なことになってまいります。大統領制は大体これを元首として働かせておりまして、そうすると、
天皇制度
はそこにどのように
位置づけ
られるかということも含めて、
憲法
全体についてもう一遍機構論をやり直さなきゃならないだろう。それは、そんなことしなくてもいいよ、今の難しい
憲法改正
のもとでは、そんなことを言うとどういう
議論
もできなくなるということになりますけれども、私は、一つの
考え方
として、首相公選論はもっと徹底的に
議論
をしておいて、これが
日本
の
憲法
の本来の趣旨とどこまで整合するかということは考えてよろしいのではないかと
思い
ます。 私は、首相公選論は非常に難しい問題をたくさんはらんでおりまして、そう一朝一夕に
議論
はまとまらないだろう、このように思っております。
藤島正之
33
○藤島小
委員
女性
天皇
の件ですけれども、先ほど中野
委員
から質問があって、考えても十分いいけれども、今早急に結論を出すことでもなかろう、こういう
お話
なんです。 女のお子さん一人だけの場合余り問題がないわけですけれども、その後、何人かお子さんが生まれた、男のお子さんが生まれたりしたことを考えますと、やはりきちっとしておかないといけない面があると思うんですね。前回もその
議論
があったわけなんですね。女のお子さんでも男のお子さんでも長子に定めちゃうということにするのかどうか、途中で何人か生まれた後で決めるとか、そういう場合、非常に、もともと教育とか何かの面で不安定な面が出るというような
お話
が前回あったわけですが、そういう点についてはどういうふうにお考えになりますか。
園部逸夫
34
○
園部参考人
これは非常に難しい問題でございますけれども、今、現に
皇位
継承
順位というのは男系で定められております。そして、それぞれが、万が一
継承
することになったらというお
気持ち
をお持ちになっておられると
思い
ます。したがいまして、
順序
としては、皇太子殿下、それから秋篠宮殿下というふうに通常は動いていくわけでございまして、まず、この
順序
を変えるということが果たして必要であるか妥当であるかということがございます。男系の
継承
順位は厳然として決まっているわけでございますから、今、皇太子殿下のお子様について
議論
をするより、もう一つ前に、御長男の直系でいくべきか御次男の直系でいくべきかという
議論
は、これは必ず出てくるわけでございまして、そういう
意味
で、非常に
議論
がしづらい面がございます。 それで、まずそういう点を除いて、とにかく今の皇太子殿下の直系で決めていくのだということを
皇室典範
の
改正
によってお決めになるということであれば、その次に、皇太子殿下のお子様の問題について、これをどういう
順序
で
皇位
継承
順位を決めていくのかということになるわけでございまして、考えなきゃならない面がいろいろございますので、私はここではあえて差し控えますが、そういう点では、もっと
議論
を進めていくことはよろしいのですが、何分にも具体的に何人もいらっしゃる宮様のことを考えながら検討していくわけでございますので、
皇室典範
は
法律
であるといいながら、なかなかそれが公の席上でざっくばらんな
議論
をしにくいということをぜひ御
理解
いただいて、私もそのように考えておる次第でございます。
藤島正之
35
○藤島小
委員
最後にもう一点。 やはり
天皇
ももちろん大事なんですが、
皇族
も大変大事だと思うんですけれども、現在の
制度
で
皇族
の
制度
はよろしいんでしょうか。その辺、御
意見
を伺いたいと
思い
ます。
園部逸夫
36
○
園部参考人
皇族
というのは、一つは、
天皇
のお
仕事
を助ける、例えば
摂政
であるとか
臨時代行
の
制度
であるとか、そういう準備要員を置かなければならないということが一つございます。それからもう一つは、
皇位
継承
者を相当数確保しなきゃならないということがございます。 そこで、戦前は御承知のように随分たくさんの
皇族
がおられたわけでございますが、戦後、これがGHQのサジェスチョン等によりましてうんと減らされてしまったわけでございます。それよりも、もう一つ問題なのは、
皇族
のほかに華族がございましたが、この華族を全部廃止してしまった。したがって、
皇室
、
皇族
と
国民
との距離が非常に遠くなって、何をするにもその遠い間でもって
議論
をしなきゃならぬということもございます。 やはり
皇室
という
存在
の周りに、それを助ける人たちが戦前のようにある程度備わっておりますと、余り一々細かいことを心配する必要はなかったんですが、そういう点では、今の
皇室
は、非常に数も少のうございますし、また、男性の後継者も少ない、こういう状況のもとでございますので。 ただし、残念ながら、現在の状況では男子の後継者がおられないわけでございますので、このままでふやしていくということが非常に難しい状況にございます。
皇族
は、余りふえ過ぎるといけないというので
皇族
を減らすことは、もしふえ過ぎれば減らすことはできますけれども、もう少し欲しいなというときになかなかそううまくいかない、そういう面がございまして、それも、伸縮自在というわけにはいかない。これもなかなかいわく言いがたい面がございます。
藤島正之
37
○藤島小
委員
ありがとうございました。終わります。
近藤基彦
38
○近藤(基)小
委員長
代理 次に、山口富男君。
山口富男
39
○山口(富)小
委員
日本
共産党の山口富男です。 きょう
参考人
は冒頭に、今の
憲法
が、明治
憲法
の
改正
という形をとったけれども、実質的には新しく生まれた
基本法
である、
象徴
たる
地位
というのも新
憲法
の理念に基づいて
規定
されたものだという
お話
をされたんですけれども、
参考人
の考える新
憲法
の理念に基づくという場合は、大体どういう
内容
をもってそういうふうにおっしゃっているんですか。
園部逸夫
40
○
園部参考人
新
憲法
の理念は、あくまでも
国民主権
ということに尽きるのではないでしょうか。
山口富男
41
○山口(富)小
委員
象徴
規定
にかかわるものも、今おっしゃいましたように、
主権
在民の、
国民主権
の原理をこの分野で具体化したものだというふうに思うんです。その点では、権威の源泉としての
地位
を
憲法
規範上見ることはできないというふうに私は思うんです。 さて、もう一つお尋ねしたいのは、きょう、比較法的に、
象徴
たる
地位
というのはなかなか言えない独特のものなんだという
お話
もありました。それは、第四条なんかに示されている「
国政
に関する
権能
を有しない。」というところにもあらわれていると思うんですけれども、今の
憲法
が
天皇
に対して「
国政
に関する
権能
を有しない。」という厳格な
規定
を置いた
意味
についてはどのようにお考えですか。
園部逸夫
42
○
園部参考人
これは、新しい
憲法
をつくるときのいろいろな
議論
の中で、
天皇制度
を存置するかしないかということも含めて、いろいろ
議論
はあったと
思い
ます。しかし、
日本
の
制度
の中から
天皇制度
を廃止するということは極めて困難である、将来思わざる事態が生じないとも限らないということで、
天皇制度
を置くことになりました。 したがいまして、これはあくまでも
象徴
であると。
象徴
という言葉を探すのに随分苦労したようでございますが、イギリスのウエストミンスター条例などを
参考
にして、
象徴
という言葉があった、これは
象徴
がいいじゃないかということで、置くことは置くけれども、戦前の旧
憲法時代
の
天皇
とはもう
基本
的に違うのだということをそれこそ
象徴
的にあらわす
意味
で
象徴
という言葉を使い、かつ「
国政
に関する
権能
を有しない。」という言葉をここに置かないと、私は、昔の
天皇
制も
国政
に関する
権能
は余りなかったように
思い
ますけれども、何か
外国
の人たちは非常に
天皇
が率先して
日本
を率いていたというかのごとく誤解もしていたようでございまして、そういう点から、「
国政
に関する
権能
を有しない。」ということをはっきり決めた。 この辺がちょっと、
天皇制度
の
存在
について比較法的に
理解
しにくい面がないとは言えないのですけれども、
憲法
の解釈としては私が申し上げたようなことで、
国政
に関する
権能
がないから
象徴
なのか、
象徴
だから
国政
に関する
権能
がないのか、その辺のところは堂々めぐりの
議論
になっているわけでございます。
山口富男
43
○山口(富)小
委員
参考人
が端的におっしゃいましたように、やはり明治
憲法
との
関係
で、その再現ではないということを
規定
したという
意味
が非常に強いと思うんです。 それで、もう一点、
国事行為
について、きょう
参考人
は、
国事行為
の
分類
ということで
三つ
に
分類
されております。 それで、初めに、
国事行為
については厳格に考えるんだという
お話
がありまして、その点は私も賛成なんです。それで、
三つ
の
分類
なんですけれども、これは、こういう形で
三つ
に分けてしまうのではなくて、もし共通項をとるとしますと、責任を負うのは
内閣
である、それから
行為
の
性格
というものは形式的、
儀礼
的なものだというふうに
理解
して、共通項を見た場合に、そういう
理解
でよろしいんでしょうか。
園部逸夫
44
○
園部参考人
それは、そのとおりでございます。
基本
的には、まず、
天皇
みずから
決定権
がないということと、それから、多少
儀礼
の仕方には違いがございますけれども、それを
儀礼
をもってあらわす、この二つが
国事行為
の特徴であろうかと
思い
ます。
山口富男
45
○山口(富)小
委員
もう一点、五分説の問題なんですけれども、これは、結局、
国事行為
の問題で、きょう
参考人
が特徴づけた
考え方
からいきますと、純粋な
憲法規範説
的な
考え方
に立ちますけれども、
憲法
の規範があって、しかし
現実
には歴代の政権が
天皇
にかかわっていろいろな運用の仕方をやってきたわけですね。それだけに、これをどういうふうに
現実
政治
の問題として見ていったらいいのかというところから五分説という
議論
が出てきたように私はきょうお聞きしたんです。 となりますと、こういうことはないんでしょうか。
憲法
のいわば解釈上の問題が運用上の
基準
に繰り込んでくるといいますか、私自身はそういうような印象も受けたんですが、こういう
考え方
について、例えば学界や
参考人
の周りで、こういうのは問題じゃないかというような批判とか、そういう指摘はないんでしょうか。
園部逸夫
46
○
園部参考人
学界はとにかく、
国事行為
以外に
天皇
はなすべきでないという
考え方
が
基本
でございますけれども、それじゃ
天皇
のなさっておられることを全部否定するのかというと、なかなかこれが難しゅうございまして、
憲法規範説
を徹底することは非常に難しい。 私の申し上げようとしておりますのは、
現実
論として、既にこれだけたくさんの、
国事行為
だけでも千何百件もやっておられる、そのほかに、毎日毎日のようにいろいろと
公的行為
をなさっておられるこの姿が、果たして
天皇
の
象徴
としての
行為
としてどこまで十分に
憲法
上肯定できる
事柄
であるかということをもう一度よく検討してみる必要があるのではないか。
天皇
御自身の発意に基づいてなさっておられることもありますので、それをどうこう申し上げるわけではありませんけれども、これからの
天皇
によっては、健康上の問題で、それだけの精力的な御活躍ができない方も出てくるかもしれません。あるいは、非常にそういうことに消極的な
天皇
が出てくるかもしれません。 ですから、
憲法
上の問題としては
国事行為
に一応限っておきますが、ただ、具体的にいろいろなさっておられる方を、これを全部
憲法
の外側に追い出して、どうもそれは御勝手になさっているのだと言うことはなかなかできないのでございまして、これはやはり、
天皇
陛下がお動きになるときには、それなりの相当の費用と人員を使って動いているわけでございますから、それを
基本
的に整理するという方向に、整理するというのは少なくするという
意味
じゃなくて、秩序あるものにしていく必要があるのではないかと。これは
皇室
の外側にいる私の勝手な
考え方
でございますけれども、そういうふうに考えているということでございます。
山口富男
47
○山口(富)小
委員
私は、率直に言いまして、この五分説で考えますと、大変窮屈な生活になるなというふうに思ったんです。やはりこれは、公的な
地位
ですから、一種の公職ですね、それに伴う
仕事
というのは、
憲法
が定めたとおり厳格なものですから、その
仕事
があるということと、それ以外という区分けの方が、私は自然なものだなというふうに思うんです。 それからもう一点お尋ねしたいんですが、
国事行為
の問題で、
国政
に関する
行為
という用語もきょうは用いられたんですけれども、これは何か特定の
考え方
があるんですか、問題意識が。
園部逸夫
48
○
園部参考人
国政
に関する
行為
という言葉を厳格に解釈しますと、およそ
国事行為
というのは全部
国政
に関する
行為
でございまして、
国事行為
をしていること自体が
国政
行為
だというふうに言われる
可能性
があります。 それで、「
国政
に関する
権能
を有しない。」と言いながら
国事行為
をしているのはどういうわけだ、こういうことになりますので、そこで言うところの
国政
行為
というのは極めて、極めてとは申しませんが、およそ
天皇
がかかわりを持つべきでない
政治
的な
行為
を
国政
行為
としないと、
国事行為
そのものを否定してしまうことになってしまう。そこでもし
国政
行為
を非常に厳格に解して、広義の
国政
行為
も
狭義
の
国政
行為
も全部だめだということになると、もう
天皇
陛下には
国事行為
は一切なさっていただかないようにしなければならないから、それで、「
国政
に関する
権能
を有しない。」と言う場合の「
国政
」を少し分けて考えることが
憲法
の解釈として妥当ではないか、このように申し上げたわけでございます。
山口富男
49
○山口(富)小
委員
どうもありがとうございました。
近藤基彦
50
○近藤(基)小
委員長
代理 次に、
北川れん子
君。
北川れん子
51
○北川小
委員
社民党の
北川れん子
です。本日は、どうもありがとうございました。 今の話の
関連
からいくと、私自身もきょうは
参考人
が五分説を提案というか提議されたので、少し今戸惑っているわけですね。 というのも、おっしゃったように、
公的行為
というのは、法的根拠はないと。そして、
憲法
学界では、三分説さえ疑義をもたらすという声が多く、
二分説
で厳格にやることで
象徴天皇
というものをあらわしていくというふうに今
憲法
学界ではなっていると思うんです。 きょう、あるべき姿として五分説を出されたというところにおきますと、どちらかというと新
憲法
下ではない、旧
憲法
下に近い御提示ではないかというふうに思うんですが、その点はいかがでいらっしゃいますでしょうか。
園部逸夫
52
○
園部参考人
これはもう全く、北川先生のお言葉ではありますけれども、そういう反動的な
意味
で申し上げたのではございません。 もちろん、
憲法
学者というのは規範学者でございまして、正直言って、
憲法
をそのままに解釈していくということはこれはもう極めて、だれでもできることでございます。
憲法
にはこう書いてある、ああそうかと。しかし、世の中の
事柄
というのはそう簡単にはいかないという、私もかなり実務を経験しているものですから、
研究
室の中で考えているようなわけにはなかなかいかないのではないかということで、もう少し
天皇
の
あり方
というものを戦後五十年の
歴史
に照らして、その動き方をとにかく一遍外に出してみる、その上でさらに
憲法規範説
に戻るべきであればそれは戻るべきでしょうけれども、一方にそういう具体的
現実
がありながら、ただやみくもに
国事行為
以外はだめということを言っていても、結局それは、本当の
意味
で
天皇
の
行為
をきちっと、規範説に基づいてでも規制することができなくなってしまう。 これがやはり、いわゆる理論と実際とのギャップの問題でございまして、私は、あえてそういう問題を提起しつつ、
憲法
学者の言うような方向に、それでは一体どのようにして戻ることができるのか、実際にどういうふうに考えていけばいいのかということはもちろん頭にあるわけでございまして、その点はいろいろまた御教示をいただきたい、こう思っております。
北川れん子
53
○北川小
委員
実務者として提案していただいたというところを御紹介いただけたんですけれども、私は一九五四年生まれということなんです。
国事行為
にかかわりのない私的
立場
の
天皇
は
日本国
及び
日本国民
の統合を
象徴
するものではない、
天皇
は、
国事行為
を行っているときにのみ
憲法
上の
天皇
だという。私自身も、一九七三年から教員の採用においても
日本国憲法
というものが重要視されなくなり、取り扱われなくなったという
歴史
などの検証をしている中でもう一度見詰め直していきますと、こういう言葉であらわされる部分の方がよりわかりやすいというふうに思っているんですね。 きょう、五分説という中から、より準
国事
的な
行為
へ移行するものの
範囲
が広がるというふうになると、先生は、あえて反動的なことを言っているわけではないとおっしゃったんですが、私にすれば少し、先ほどの話の中にもありました、
主権
在民ということを推進していくというか努力をしていくという
意味
合いにおいても、ここの部分というのはより一層あいまいさを次の世代に、私よりももっと若い世代にもたらすのではないかというふうに思うんですけれども、いかがお考えでいらっしゃいますでしょうか。
園部逸夫
54
○
園部参考人
おっしゃるとおりです。 ですから、私は、ここまで
天皇
の
公的行為
、
社会的行為
——
皇室行為
や
私的行為
は別としまして、
公的行為
や
社会的行為
が広がってきた、しかしそれは
国民統合
という
意味
での
象徴性
があるかどうか、これはもう非常に疑問でございます。それから、
主権
の存する
国民
の
総意
に基づいてそういう
公的行為
やあるいは
社会的行為
をなさっておられるかどうか、それも疑問でございます。 したがいまして、ここで
公的行為
、
社会的行為
と言われているものを
国事行為
に盛り込もうという
気持ち
は、現在のところはございません。
国事行為
は
国事行為
で、
憲法
に
規定
されているとおりでよろしいと
思い
ますが、ただ、それ以外の
行為
について、これまでハンズオフといいますか、見て見ぬふりをするというか、それでは
天皇
陛下も余りにお気の毒ではないだろうか。御自分としては一生懸命になって、
国民
の
象徴
としての
仕事
ということでなさっておられることでもございますので、それを無視するわけにもいかないだろう。 だから、規範的には今北川先生のおっしゃったとおりでございますが、どうしてもそこの
現実
論との
関係
で、これから考えていかなければならないことがあるのではないか、そのように申し上げているわけでございます。
北川れん子
55
○北川小
委員
そうなってくると、千何百年続いてきたという中からいろいろ生み出されたものがあるわけなんですけれども、よく、伝統という言葉があるんですが、伝統という言葉の中には差別という問題があります。
主権
在民の中には、差別や排除というものをできるだけしないような社会を自律的につくり上げようというところに重きが置かれているというふうに私は
理解
しているんですけれども、なぜ次の若い世代にわかりにくくなるかというと、伝統ということは、差別を正当化するときに、すべてひっくるめて使われていくという危険性があるものですから。 先生はきょう、今の
天皇
のお
仕事
を見て、すごく大変でいらっしゃるのではないかということでの五分説の提示をしていただいたんですけれども、それはやはり
象徴
という言葉がもたらしてきて、
象徴
の中に
日本国民
が統合されるという趣旨を規範的に
意味
するものではないというのがこの
憲法
辞典にも書いてあるんですが、私は逆に、伝統との絡みにおいても
二分説
で
事柄
を
説明
していく方が、より一層
憲法
の趣旨に合うというふうに思うんです。 あえてお伺いすることになるかもわかりませんが、もう一度御
見解
といいますか、御
意見
をいただけたらありがたいんです。
園部逸夫
56
○
園部参考人
御趣旨は十分にわかります。それを
理解
しないわけではございません。 ただ、
国事行為
は
国事行為
で
憲法
上の
行為
でございますが、それ以外を全部
私的行為
、御勝手になさっている
行為
であるというふうにしてしまうことが
現実
問題としてどこまで可能かということで、もしそういうふうに、今の
天皇
のお
仕事
は
国事行為
以外はすべて
私的行為
として、
国民
は、どうぞ御勝手におやりなさい、多少の費用は出させていただきますというようなことでいけるのかどうか。 それでいけるのであればよろしいし、しかしまた同時に、これだけの大きな予算を使って
天皇制度
を置いておきながら、この
国事行為
だけのお
仕事
でこれからなさっていかれるのかなということもございまして、今の御
意見
は、だんだんと
天皇
の
権能
をできるだけ狭めていって、できれば本当に形骸化してしまうという方向への御
議論
でございますが、
国民
がもしそういうことを願っているのであれば、またそれはそういう方向での
議論
もできますけれども、現在は必ずしもそうでないのではないか。 将来へ向けて、私も、何も
天皇
制が未来永劫に続くとか、そういうことを申し上げているのではございません。今の
国民
の
総意
として、これは別に
国民
投票とかそういうことでなくて、認められている
範囲
でなさっていることについては、それなりの後押しをしていくのがよろしいのではないか。将来だんだんと北川先生のおっしゃるような方向に行く
可能性
もそれはあるかもしれません。これは若い人たちの考えることでございますから、私からは何とも申し上げられませんが、旧
憲法
から新
憲法
へ、新
憲法
のまた先へと、いろいろその
歴史
が変わっていく中で、どういう
天皇
制の
あり方
が最も望ましいかということはこれからの大きな課題であろうかと
思い
ます。
北川れん子
57
○北川小
委員
時間も参りました。本当にきょうはどうもありがとうございました。
近藤基彦
58
○近藤(基)小
委員長
代理 次に、井上喜一君。
井上喜一
59
○井上(喜)小
委員
保守新党の井上喜一でございます。 きょうは、
園部参考人
、本当にありがとうございました。 よく、
天皇
は元首であるかないかというようなことが
議論
されまして、きょうもそんな質問が出たのでありますが、私は、元首的
権限
を行使しているのは総理大臣じゃないかと思うんですね。
天皇
というのはその上にありまして、この
憲法
で定められた
権能
を行う、あるいはそれ以外に、
天皇
の
地位
としてふさわしい
行為
ですね、これは、まさに
日本
の
象徴
としていろいろなことを
天皇
が行う、こんな
存在
じゃないかと私は思っているのであります。
参考人
の
意見
に割かし近いのかなという感じもするんだけれども、あるいは若干離れているかもわかりませんけれども、私はそんな感じを持つものでございます。 そこで私、二、三問お聞きしたいんですが、一つは、
憲法
上の
天皇
の
権能
ですね。これは、
内閣
の助言と承認によりまして
国事行為
をすることができるのでありまして、それ以外の
国政
の
権能
というのはないわけなんですが、この
国事行為
をするのは、
現実
の
行為
としてはもう
内閣
の助言と承認そのままでやっておられると思うんだけれども、覊束的な
行為
だとは思うのでありますけれども、多少の裁量の余地のある
行為
なのかどうかということを、現時点は問題ないんだけれども、
法律
上はそれはどういうぐあいに解釈すべきなのかというのが一つです。 それからもう一つは、
天皇
の辞任の問題であります。今、大体、
天皇
の即位から崩御までずっと
天皇
が即位をしておられる、こういうことでありますけれども、
天皇
という
制度
は、
制度
であると同時に、やはり非常に属人性の強い
制度
でありますから、余りそういうことを
議論
するのは適当でないというようなことで、おおよそ辞任のようなことが全く省かれている、こういうことなのか、あるいは、もっと進んで、そういう
規定
を置くことの是非についてどんなふうにお考えかというのが第二点です。 それから第三点は、この
憲法
の第一条、これは非常によくできた
規定
だと私は思うんですね。本当によく考えて、よく表現をされた
規定
だと思うのでありますけれども、
参考人
は、こういう
天皇
の
地位
につきましてはいろいろとお考えになってこられた方だと思うので、もっといい表現があるとするならばどんな表現があるのか、そういうことをお考えになったことがあるとすればどんなことをお考えになったのか、お聞かせいただきたいと
思い
ます。
園部逸夫
60
○
園部参考人
まず、元首というのは
英語
ではヘッド・オブ・ステートと言いまして、先ほども申し上げましたけれども、例えばイギリスでは、ヘッド・オブ・ステートは、これはやはりクイーン・エリザベスである。それから、ヘッド・オブ・ガバメントがブレア首相である。ヘッド・オブ・ステートというのは、ある
意味
では極めて形式的、飾り的
存在
であるように最近はなっておりまして、やはり一番力を持っているのは首相であるとか、そういうヘッド・オブ・ガバメントが力を持っていて、外に出ていろいろ活躍される場合でも、ヘッド・オブ・ステートが出てくる国もあれば、ヘッド・オブ・ガバメントが出てくる国もある。それは国によっていろいろ事情が違います。
天皇
陛下の場合は、そういう
意味
で、今先生がおっしゃったように、ヘッド・オブ・ステートよりももうちょっとお飾り的要素が強い。しかし、それを一体何と呼ぶかという問題がございまして、なかなかその辺が難しいことだなというふうな感じを抱いております。 それともう一つは、昔は京都に
天皇
陛下がいらっしゃったわけでございまして、まさに、東京のど真ん中にいらっしゃる場合と京都にいらっしゃる場合とでは、
天皇
へ対する認識というのが大分、戦前の、戦前というか徳川幕府
時代
までの
天皇
に対する
国民
の
考え方
と現在の
国民
の
考え方
では大分違ってきているんじゃないか、こういうようなこともやはり考えざるを得ないと
思い
ます。 そこで、退位の問題でございますが、これについては、
天皇
には定年がない。定年がないということはいい面と悪い面とございまして、これは
天皇
陛下のことを申し上げているわけじゃないんですけれども、定年がないと、やめてもらいたい人になかなかやめてもらえないということがございます。それから、どんなに元気な人でも、定年があれば、それを理由にして、自分は定年だからやめたんだ、こういうことが言えますが、それがないと、周りからも言いづらいし、本人からも言いづらいということがございます。 定年
制度
と退位の
制度
とは同じような
意味
合いがありますが、
歴史
を顧みますと、かなり政争の具にこの退位
制度
が使われたことがございまして、しかも、退位された後のほかの
仕事
といいますと、名誉
天皇
というのがあるかどうかわかりませんが、昔は、上皇とかそういう形でいろいろと
権力
を振るわれた
天皇
もございますので、その辺の
関係
が非常に難しくなるだろう。そこで、ある程度お
仕事
ができなくなってきたという場合は、
摂政
の
制度
もございますし、また
臨時代行
の
制度
もございますので、当分はそれで何とか賄っていく方が余計な波風を立てなくていいのではないかということでございます。しかし、これも、これから先のことはなかなか予測ができません。 〔近藤(基)小
委員長
代理退席、平井小
委員長
代理着席〕 それから、
憲法
第一条は、これはもうまさにこの
憲法
の起草者が頭をひねってつくられた言葉でございまして、まず「
天皇
は、」と来ていることは、既に
存在
する
天皇
を確認しているわけでございますね。
天皇
という
制度
をつくって、そこにどこからか
天皇
を連れてきて、これを
象徴
とするという
意味
ではないわけでございまして、その点が、
日本
の
憲法
のこの
規定
の極めて、先ほども問題になりました、長い伝統との
関係
でつくられているちょっと変わった
規定
ではあるんですね。
天皇
というのは当然のごとく
国民
が認識している、その
天皇
は
日本国
の
象徴
なんだ、そういう
規定
になっているのでございまして、この長い伝統があるよしあしは別として、長い伝統のあるそういう
皇室
制度
のもとでの
憲法
の
規定
としては、第一条は、ちょっとこれ以上のことは書けないかなというふうに考えております。 〔平井小
委員長
代理退席、小
委員長
着席〕
井上喜一
61
○井上(喜)小
委員
終わります。
保岡興治
62
○
保岡
小
委員長
次に、森岡正宏君。
森岡正宏
63
○森岡小
委員
私は、自由民主党の森岡正宏と申します。 きょうは、
園部参考人
、いい
お話
をありがとうございました。 先ほど来
お話
が出ておりますように、
天皇
制が果たしてきた
役割
、私は高く評価している方でございまして、山口
委員
や北川
委員
とは全く逆の方でございまして、
天皇
制が果たしてきた
役割
は、この
日本
の国柄をつくる上で非常に大きい
役割
を果たしてきた、したがって、未来永劫、
天皇
制が続いてほしいな、そういう
立場
から
お話
をさせていただきたいと
思い
ます。 まず一つは、先ほど
参考人
が、五分説に立って、今の
天皇
が大変いろいろな
仕事
をしてくださっている、
国事行為
ほか、五分説、聞いておりますと、いろいろな多くの
仕事
をしてくださっているという
お話
がございました。 そういう
意味
で、
憲法
第四条を見ましたら、「
天皇
は、」「
国事
に関する
行為
のみを行ひ、」こう書いていますね。「のみを行ひ、」というこの「のみ」というのは外した方がいいんじゃないか、私はそう思うわけでございますが、いかがでございましょうか。
園部逸夫
64
○
園部参考人
これは、あくまでも「
国政
に関する
権能
を有しない。」という
規定
との対比でつくられておりまして、
国政
に関する
権能
は一切ない、この
憲法
の定める
国事行為
は、
国政
に関する
権能
ではないが、
天皇
として公にすべき、
国家機関
としてすべき
仕事
を七条に列挙している、あるいは六条に
規定
しているということになるかと
思い
ます。 この「のみを行ひ、」というのを外すということは、私の申し上げている
意味
での
公的行為
、
社会的行為
ということを
憲法
に盛り込むというのとはちょっと違ったニュアンスもございまして、この
規定
そのものはこれでよろしいのではないか。つまり、それは、「
国政
に関する
権能
を有しない。」ということを強調するために、この「のみ」が入っているわけでございます。ただ、ほかの言葉を使うことはできるかと
思い
ますが、この「のみ」に非常にこだわられるとすると、それはひとつまたお考えをいただきまして、私としては、この
規定
はこれでも、別にこれ以外は何もできないということではないと
思い
ます。
森岡正宏
65
○森岡小
委員
わかりました。 次に、私は、いわゆる
宮中祭祀
、これについて御質問を申し上げたいと
思い
ます。 先生の
分類
でも、
皇室行為
という形で第四
分類
に入っております。また、三
分類
に分けておられる方は、これは
私的行為
だというふうに
規定
しておられる。ところが、私は、少なくとも大嘗祭などはむしろ
国事行為
として扱うべきじゃないか、そんなふうに思うわけでございます。 昭和
天皇
がお亡くなりになりまして、そして今の今上
天皇
が即位された。そのときに、政府の
見解
では、大喪の礼と即位の礼は
国事行為
だ、葬場殿の儀と大嘗祭は宗教的
儀式
だというくくりをされたわけでございます。 ところが、この即位の礼と大嘗祭の
関連
の訴訟の判決を見ましても、これは平成七年に大阪高裁で出ている判決でございますが、「大嘗祭が神道
儀式
としての
性格
を有することは明白であり、
国家
神道に対する助長、促進になるような
行為
として政教分離
規定
に違反するのではないかとの疑義は一概に否定できない」と述べています。また、「即位の礼も、大嘗祭と同様の趣旨で政教分離
規定
に違反するのではないかとの疑いを一概に否定できず、また、その
儀式
には
国民
を
主権
者とする現
憲法
の趣旨にふさわしくないと思われる点がなお
存在
することも否定できない」、こう書いているわけですね。 しかし、いわゆる
天皇
家がお祭りをしている祖神というものを宗教という形で認めるのか、私は疑問を持っているわけでございまして、明治以降、
国家
管理のもとに置かれた、軍国主義と結びついて
理解
されてきたいわゆる
国家
神道と、古来から
天皇
家でお祭りしている祖神とは全く違うものではないか、そんなふうに思うわけでございます。 御承知のとおり、昭和二十年の十二月十五日に占領軍によって神道指令が発令されて、
国家
と宗教の分離が図られた。新
憲法
のもとで、
象徴天皇
は
国政
に関する
権能
を有しないという
存在
となったわけでございます。 そんな中で、大嘗祭は、稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから根づいている収穫
儀礼
、そして
国家
安寧と五穀豊穣を感謝する、そういう
儀式
だ。そういうことを考えると、この
日本
の
文化
的伝統
行事
、
天皇
家にとっても非常に重要な
儀式
であると同時に、
日本国
全体にとっても非常に大きな
儀式
ではないか、そんなふうに思うわけでございます。一宗教に特権を与えるというような
性格
のものでもございませんし、
天皇
家の祖神というものは宗教と言えるものではないんじゃないか、
日本
の、我々の
日本
人の精神的支柱と言えるようなもので、国の大事な
儀式
として、これは少なくとも、
私的行為
などという形で片づけていいものだろうか、そういう疑問を持っておるわけでございまして、
国事行為
という形で、
憲法
を
改正
したときにきちっとした
地位
を与えられるべきだ、そんなふうに思うわけでございますが、
参考人
の御
意見
をお伺いしたいと
思い
ます。
園部逸夫
66
○
園部参考人
これも非常に難しい問題でございまして、言葉を一つずつ選んで申し上げないと、いろいろと誤解を招くわけでございます。 私も、
宮中祭祀
というものの
存在
については、非常に長い伝統のある
事柄
であるということと、
国家
神道として一時国が管理していた神道と
基本
的には違う面もあると。しかし、どうも、靖国神社等々、宗教法人になりまして以来、神道というのは、仏教やその他のキリスト教などと同様に、一つの宗教として
国民
が
理解
している面もございます。同時にまた、鎮守の森のお社というようなことで、余りそういうことを考えないで、長くから自分たちの
歴史
に根づいた、一種の自然宗教でもございますが、そういう形で受けとめている人たちもおります。 ですから、これは
国民
によってそれぞれ受けとめ方が違いまして、例えば、初もうでであるとかその他、七五三であるとか、そういうときに、一々宗教の
意味
を考えながらやっているわけではなくて、一つの習俗として行っているという面もございます。ですから、これは
国民
によっていろいろな
考え方
は違うと
思い
ます。 それから、
天皇
家の宗教としてそれではいわゆる神道的
祭祀
だけであったかといいますと、それは、徳川幕府のころには、京都に泉涌寺というお寺がございますが、そこにたくさんの
天皇
ないし
皇族
のお墓がございまして、仏教との
関係
も非常に強いものがあった。したがって、これも
歴史
のそれぞれの
時代
のそれぞれの
天皇
家の
あり方
によっても違ってくるわけでございまして、一概に
天皇
家と
祭祀
とがすべて密接に結びついているというふうに
規定
するのもなかなか難しいであろうと
思い
ます。 殊に明治以後は、
天皇
がいわば大祭司として神道について非常に強い関心と
行為
をなさってこられたことを、これ自体は否定できません。しかし、そのためにそれが何か誤解を受けやすいことになっても困るので、その辺のところは、やはりよく
国民
に
理解
をしてもらう必要があるのではないか。 この点がちょっと私の今はっきりとお答えしにくい面でございますが、現にかなりの時間を
祭祀
に使われている
天皇
とされては、果たしてこれが
国民
の
象徴
としての
行為
としてされているということを
国民
が認識しているかどうか。そうでないとしたら、全く私的な、どなたのお宅にも仏壇と神棚はあるわけでございまして、それの大きいのが宮中三殿だ、こういってしまうと、それにしてもやはり相当の費用と手間をかけて維持しておられる、これが全く
皇室
の私的な
行為
であるというふうに押し込めてしまうのも困りますし、そこで私は、
現実
体としての
皇室
における
祭祀
の
あり方
をもう少しクローズアップさせて、それを十分に検討する必要があるのではないか、そういう
意味
で
皇室行為
の中に入れている、そういうことでございます。
森岡正宏
67
○森岡小
委員
ありがとうございます。 アメリカでは、大統領の宣誓をされるとき、キリスト教の
儀式
にのっとってやっておられる、アーメンと。そういうこともやっているんだから、
日本
だって、戦後、占領軍によって宗教法人というもの、靖国神社だってそう決めつけられた。私は、
国家
神道と軍国主義を頭に置いた亡霊に余りにもおびえ過ぎているんじゃないか、そういう気がしてならないわけでございまして、
憲法改正
を頭に置いて、
憲法
のために
日本国
があるんじゃなしに、
日本国
のために
憲法
があるんだという
考え方
で私たちは処していかなければならない、そんなふうに思っているわけでございます。 時間が参りましたので、終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
保岡興治
68
○
保岡
小
委員長
次に、伴野豊君。
伴野豊
69
○伴野小
委員
民主党の伴野豊でございます。
園部
先生におかれましては、本日は、お忙しい中お越しいただき、また貴重な
お話
を賜りました。本当にありがとうございます。 そうした中で、幾つか時間の許す限り質問をさせていただければと思うわけでございますが、まず一点目は、
権能
、
行為
の
あり方
ということで、
レジュメ
の二枚目に
象徴
の
積極性
と
消極性
ということをお書きになっていらっしゃいます。先生の著書の中にも、
現行
の
憲法
下において、いわゆる
権能
付与的規範プラス消極的
象徴
、いわゆるネガティブルールみたいなことで
規定
されているという
お話
と同時に、
可能性
として、積極的
象徴
、とりわけ、
天皇
は
象徴
であり続けるためにこれこれの
行為
をすべきであるという
規定
をするのが積極的な
行為
規範というような表現をお使いになっていらっしゃいます。 私も、先生のここで書かれているように、現在の
権能
付与的規範プラス消極的
象徴
、いわゆるネガティブルール的な規範の方がいいのではないかと思うわけでございますが、あえて、
天皇
は
象徴
であり続けるためにこれこれの
行為
をすべきであるという積極的な
行為
規範が考えられるとしたときに、
象徴
的
機能
を果たす場の用意が必要であるとお書きになっていらっしゃいますが、例えば具体的にどんな場を想定できるのでしょうかというのがまず一点目の質問なんです。
園部逸夫
70
○
園部参考人
私はあえて
天皇
の
君主
的な
側面
と伝統的な
側面
という言葉を使っておりますが、
他国
では
君主
がされるようなことを、
日本
でも
天皇
がなさっておられる面がございます。 決して
天皇
を
君主
だと申し上げているのじゃなくて、
君主
的な
側面
からそういうことをなさっておられるものについては、ある程度
基準
を設けて、
国事行為
ではないけれども、こういうところにお出ましになるとか、こういうところに
行幸
されるとかいうようなことが、ある程度の
基準
があっていいのではないか。そうでないと、これは
国民
の要望によってやたらにふえまして、こちらに行ったから、こちらに行かないというわけになかなかいかない。そういう
意味
で、やはり、少し制限的に、バイ・ローといいますか、結局、
皇室典範
とかそういうものではっきり決めるのではなくて、そういうことがあっていいのじゃないか。 それから、いろいろな伝統的な
側面
、
歌会始
、
講書始
等々の
儀式
もございますが、これもかなり
国民
的な関心のある
事柄
でございまして、こういうものも、いわば
象徴
としてこういうものを
主宰
されることによって、
日本
の伝統的な
文化
である和歌であるとか、あるいは学問をいかにして、大体
天皇
は学問の
歴史
が非常に長いのでございますが、学問というものを尊重するという国の雰囲気をずっと続けていくためにも、そういうことが何らかの形で
公的行為
として認知されればよろしいのじゃないか。ただ、あるものをそのまま認めるというよりは、もう少し表に出してもいいのかな、そういうことを考えたわけでございます。
伴野豊
71
○伴野小
委員
ありがとうございました。 続いて、同じ
権能
、
行為
の
あり方
と運用上の
基準
というところでまたお聞きしたいんですが、幾つかの
行為
分類
をされているわけでございますけれども、私は、その中で、
行為
というものは、主体からの
分類
と同時に、
行為
の受け手といいますか対象からの
分類
もあってしかるべきではないかなと考えるわけでございます。 とりわけ、
時代
とともに見直していく中で、よく一般の人間
関係
でも、自分はそうしたつもりでも相手が受けとめていただけなければそれはコミュニケーションが成り立たないということからするならば、やはり、
象徴
、シンボリックな
存在
であるということからすれば、例えば
国民
がどう受けとめるか、世界がどう受けとめるかという
分類
の
あり方
もあっていいのではないかなと思うわけでございますが、その
あたり
はいかがでございましょうか。
園部逸夫
72
○
園部参考人
どういうふうに段階をつけていくか、その
公的行為
の重要性ということについて段階をどうつけていくか、これは非常に難しい問題でございますですね。これは、比較法的にももう少し
研究
をしていかなければならないと
思い
ます。 ただ、私は、あえてこの席で申し上げたいと
思い
ますのは、どうも、昔の宮中席次ではございませんが、
天皇
に近いほど何か上の方であって、遠ざかるほど下であるというような、そういう感じで
国民
が受け取ると、これは
天皇
の
象徴
的な
意味
が非常におかしくなってくる。だから、決して
天皇
というのは階級制の最上位にあるのではないということを、もう少しいろいろな形で、
天皇
陛下御自身も盛んにそういうところは気を使っておられると
思い
ますが、そういう点で、
公的行為
の段階づけ等についてもそういう角度から考えていく必要があるかな。今の御質問にはちょっとお答えになっていないかもしれませんが、そういうふうに感じております。
伴野豊
73
○伴野小
委員
ありがとうございました。 三点目なんですけれども、先ほど来からも、先生の
お話
の中でも、
天皇
のいわゆる
国事行為
だけでも大変なお
仕事
だ、私もそう
思い
ます。 そう思うだけに、例えば、先ほど
積極性
という
お話
がございましたが、
天皇
は
象徴
であり続けるためにこれこれの
行為
をすべきであるというようなことを
規定
し出すようになると、これは本当に幾つ体があっても大変だ。ですから、逆説的にとらえた場合に、あえて公的職業としての
象徴天皇
の
あり方
、
可能性
というものをいま一度すっきりとした形でやった方が、
行為
をされる側からする場合にはいいのではないかな。健康上のことも含めて、その方がいいのではないかなと私は思うんですが、その
あたり
はいかがでしょうか。
園部逸夫
74
○
園部参考人
それは、結局、それぞれの
天皇
の御
性格
、それから
象徴
についてのみずからの御認識等々によって変わってくると思うんですね。 ですから、余り
天皇
の御自由な御意思によって動かれるというよりは、ある程度の
参考
基準
、これはもう既に宮内庁等では頭の中にあるわけですけれども、それをもう少しはっきりさせておいて、これは非常に重要な問題であるという認識を
国民
とともに共有されるということが必要ではないか、こう思っております。
伴野豊
75
○伴野小
委員
ありがとうございました。 最後に、これは先ほど平井
委員
からの御指摘というか質問の中にもあったことと重複するかもしれないんですが、いま一度あえてお聞きしたいんですけれども、いわゆる
国事行為
について助言と承認という言葉がございます。 先ほど先生も、言葉のことだという
お話
もあったわけでございますが、
内閣
の助言という表現は非常にわかりやすい。事前にいろいろアドバイスをするといいますか、そういうとらえ方。 しかし、承認という、逆説的にとらえると、承認しないということはあり得ないだろうというようなことからすると、この言葉も必要ないのかなと思うんですが、その
あたり
。具体的に、どちらかというと、要するに、助言をして、なされている
行為
は、それと同時に承認をされているんだというみなしで考えないことには、後でこの
行為
を承認するとかといって、否認はできないだろうということなんですが、この
あたり
はいかがでしょうか。最後に質問させてください。
園部逸夫
76
○
園部参考人
それは言葉のあやの問題でございまして、やはり、承認という言葉があって初めて格好がつくわけですね。というのは、必ず
内閣
が責任を負いますよ、承認した以上は責任を負います、だから、もし何か事があった場合は、
天皇
に責任があるんじゃなくて、
内閣
に責任があるんだと。 それから助言というのも、結局は、別に何かを、
天皇
がなさっていることに対して助言するんじゃなくて、
内閣
からそういう発案をして、そして最後に
天皇
がなさったことについて承認をする、そういうことですから、言葉としてはそれでいいのじゃないかな。 ほかにどういうことがあるかなといいますと、助言は、助言しっ放しで、あとはもう知らないというのもおかしな話ですから、私は、この助言と承認というのは一つの言葉として受け入れられるとは
思い
ますが、なお検討して、いいお言葉があれば、それはもちろんこういうのは幾らでも
改正
できる問題ではないかと
思い
ます。
伴野豊
77
○伴野小
委員
ありがとうございました。
保岡興治
78
○
保岡
小
委員長
次に、近藤
基彦君
。
近藤基彦
79
○近藤(基)小
委員
自由民主党の近藤でございます。私で最後でございますので、大変長時間ありがとうございました。もうしばらくおつき合いをいただきたいと思うんです。 きょうは
国事行為
についてということではあったんですけれども、
継承
問題で若干、お触れになった先生もいらっしゃいますので、私も少しだけ。
天皇
とお生まれになってというよりは、
皇位
継承
としてお生まれになった
男系男子
の皇長子という話になりますかね。一般教育だけでは、
天皇
としてふさわしい人格といいますか、
象徴
としてお育てになるわけには多分いかないんだろう。しかし、一般家庭教育とはまた違うんだろうと思うので、あえて
天皇
教育ということになるのかもしれませんが、やはりそれは特別なものを必要とするのかなと思うんですが、その点について、どうでしょう。
園部逸夫
80
○
園部参考人
これは、従来の経緯を拝見しますと、必ず、大体小学校に入るころから、そういう自覚と認識を持っていただくという
意味
で、いわゆる傅育といいますが、傅育というのは、そのそばでいろいろとついて、小さいときからいろいろと教育をされる、また成年に達するころにはしかるべき学者やその他、昔は軍人などもいたようですが、そういう人たちがそばにおつきして、いろいろと、故事来歴から
天皇
としての
あり方
について、常時御進言を申し上げるという
制度
になっていたようでございます。 ただ、今はそういう、仮に
天皇
の候補者であるとしても、やはり一家庭のお子様であるので、余り最初から難しいことでいろいろ縛るということは、これは恐らく
皇室
の皆様も余りお好みにならない面もあるかもしれません。 ここは双方の了解のもとに
議論
をしていかなきゃいけませんが、やはり昔の
天皇
と違いまして、そんなに格式張った形でお育てしなくても、自然に
天皇
としての雰囲気を身につけていただければいいのであって、そういう教育の
あり方
というのはこれからひとつ考えていただければいいかなと私は思っております。
近藤基彦
81
○近藤(基)小
委員
さりはさりとて、
男系男子
で皇長子、例えば今の皇太子殿下、やはりある程度生まれながらにして御自覚もあるでしょうし、そういうところでお生まれになって、一般社会でいえば跡を継がなければいけないという、そういった責任感も出てこられるだろうと思うんですが、このままでいくと、先ほど個人的な部分に入ってしまうのでなかなか論議がしにくいという話でありましたけれども、敬宮愛子殿下というか、愛子様が大きくなられてくるとして、このままでいけばという状況の中で、やはり、もし愛子様以外にいなくなった、いなくなったというか、こういう話は余りすると悪いのかもしれません、先ほど、昔なら不敬罪だという話もあったんですが。しかし、
現実
的に考えれば、そう待たずに、そういった御自覚と、そういった多少の一般家庭以上のやはり
天皇
家としての御教育が必要になってくる時期が出てくるような気がするんですが、余り時間を置かずにそういったものを決めていかざるを得ない時期が、そんなに遠くない時期に来るんではないのかなという気が実はしているんですけれども、その点は、先生、どうお考えですか。
園部逸夫
82
○
園部参考人
そういうことは先ほど申し上げたとおりでございますが、具体的実在のお方を想定しながら
お話
しすることは非常に難しいのですが、
皇室典範
の
規定
を
議論
するときは、かなり抽象的に、かつ、あり得るであろうことをすべて想定して
議論
はしなければならないと
思い
ます。 今おっしゃった点は、少なくとも女性
天皇
を認める、あるいは女系を認めるかどうか、こういう大きな問題もございますが、そういうことについて十分
議論
をするということは、ある
意味
では非常に急がれる問題でもありますけれども、さりとて、そんなことを先にいろいろ
議論
するということがまた差しさわりになる場合もございまして、余り公の席でないところでいろいろと考えている方々もおられると
思い
ますけれども、それをひとつ、十分に
議論
したものを、そしてだれから見ても合理的だと思われるようなものを俎上に出してそれを
議論
する。余りそのときそのときの
思い
つきで右やら左やら上やら下やらからいろいろなことをおっしゃると、結局まとまりのつかないものになってしまうのじゃないかな、そういう感じがいたします。
近藤基彦
83
○近藤(基)小
委員
ちょっと、きょうは、
国事行為
ということでありましたので、そちらの方に戻させていただきますが、
天皇
陛下が
国会
を
召集
するというのはこれは
国事行為
でありますが、
国会
に
行幸
なされてお言葉をということになりますと、先生の
分類
では
公的行為
の範疇に入るんだろうと
思い
ます。 かつて、お言葉が論議を呼んだことが、かなり昔でありますがありまして、昭和二十六年の十二回
国会
で、戦争が終了して平和
条約
の調印が成って喜びにたえないという発言、これが一部の政党から
政治
的な発言ではないかという話がありましたけれども、こういった発言については、
参考人
はどうお考えでしょうか。
園部逸夫
84
○
園部参考人
お言葉は、すべて側近ないし宮内庁の方で妥当かどうかということを一応検討して発表されるわけです。ただし、
天皇
陛下御自身も、お言葉の使い方等々については恐らくいろいろと御
意見
をおっしゃっていると
思い
ます。 したがいまして、これは、ありとあらゆる場合を想定して、
国会
の席上で
天皇
がこれを読まれることがどういう効果をもたらすか、殊にこれからの非常に切迫したような状況のもとで何か差しさわりのあるようなことになるのではないかということになりますと、私が申し上げている、そういう
意味
で
公的行為
であって、
国事行為
ではございませんので、できるだけ形式的で、余り実質的でない、一種の本当の
意味
のあいさつ、祝辞というような方向へ行った方がいい場合もあるのではないか。あえて私見を申せばそういうことでございます。
近藤基彦
85
○近藤(基)小
委員
いわゆる
国事行為
は
内閣
が責任を持つということになっておりますが、その
公的行為
の部分、例えば今のお言葉のようなときとか、あるいは
公的性格
ないし
公的色彩
のある
行為
といったところで、実際に例えば問題が発生したときに、やはり
内閣
が責任をとるという
考え方
でいいんでしょうか。 また、その責任のとり方の問題なんですが、責任をとる、とるという話は出ているんですが、どういう形の責任のとり方があり得るのか、考えられるのか。もしお考えがありましたら。
園部逸夫
86
○
園部参考人
天皇
が非常に私的な
行為
で何らかのちょっと粗相をされた、それによって損害が生じたというような場合は、これは
天皇
の個人的な問題ですから、その責任を
基本
的に問う場合もないとは言えないと
思い
ますが、少なくとも、
公的行為
なり
社会的行為
で行われた
事柄
については、全く御自身の意思だけでなさっているということは非常に少ないのでございまして、殊に発言は大変慎重になさっておられると
思い
ますが、万一それによって、何かの弊害が生じたとか、故障が生じたという場合は、これはやはり国の方でそういう
事柄
についてカバーしていく。 これは別に
憲法
上の
行為
ではございませんから、責任問題ということになるとなかなか難しいんですが、少なくとも、
天皇
を補佐されておられる
機関
は、その
行為
の結果が非常に重大なことになった場合には、その責任はやはり問われることになるであろう、それを
天皇
お一人にのみ負わせるということはできないことではないか、こういうふうに思っております。
近藤基彦
87
○近藤(基)小
委員
どうもありがとうございました。
保岡興治
88
○
保岡
小
委員長
これにて
参考人
に対する
質疑
は終了いたしました。 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
園部参考人
におかれましては、貴重な御
意見
をお述べいただき、ありがとうございました。小
委員
会を代表して、心から御礼を申し上げます。(拍手)
—————————————
保岡興治
89
○
保岡
小
委員長
これより、本日の
参考人
質疑
を踏まえて、小
委員
間の自由討議を行いたいと存じます。 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小
委員長
の
指名
に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いをいたしたいと存じます。 御発言を希望される方は、お
手元
にあるネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。 発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。
奥野誠亮
90
○奥野小
委員
きょうの応答を見て、二つのことについて、私なりの
意見
といいますか希望といいますか、そういうことを申し上げさせていただきたいと
思い
ます。
参考人
に対する
質疑
の中で、
参考人
が、
象徴天皇制
を中心とする現
憲法
の中心はどこにあったかというような
意味
合いのお尋ねだったんじゃないかなと思うんですけれども、
国民主権
、こうおっしゃいました。これは誤解を与えるんじゃないかなと
思い
ますし、私の記憶があるいは間違っているかもしれませんので。 私は、マッカーサー総司令部が
日本
の
天皇
をイギリスの
天皇
を頭に置いて
改正
しようと考えた、こう伝えておられるし、それが本当じゃないかな、こう思っているわけであります。しかし、ヘッド・オブ・ステート、元首と書くことをスタッフに求めたのに対して、それじゃ明治
憲法
と同じように受け取られるからということで、今の
象徴
の言葉が出てきたと。それに対しまして、極東
委員
会のソ連が総司令部に対しまして、この
地位
は
国民
の
総意
に基づく、その「
国民
」の上へ「
主権
の存する」という言葉を入れるべきだという主張を強く言うた。極東
委員
会はマッカーサー総司令部の上にある
存在
でございますので、
日本
側の
憲法
論議の中における修正という形でその言葉を入れられぬかということを求めた。結果的なその修正に応じて、「
主権
の存する」ということを
憲法
審議の過程で入れたものだと
思い
ます。 やはりこの事実を明らかにしておいた方が、この
委員
会でも起こっておりますように、
天皇
の
地位
が不明確だ、やはり元首という言葉を入れるべきだと。私のように元首という言葉を使うか使わないかは別にして、
国民
を代表する
地位
にあるという
意味
合いの言葉を入れるべきだ、こう私は言っているわけでございます。 そんなこともありますので、事務当局の方で、
国会
審議の経過を調べればわかることでございますから、ぜひ正確な経過を教えていただくようにしたい、これが一点であります。 もう一つは、応答を伺っておりまして、やはり伝統というものは差別発言を正当化するというお言葉がございました。ああなるほど、そうなのかなと
思い
ながら、私は、もう何を言うてもすぐ差別と決めつけられるので、大変に不自由な世の中になったな、しかし人権は大切だし用心をしなきゃならないなと思っているんですけれども、伝統が差別発言を正当化すると言われてみれば、なるほど
天皇
制を廃止する主張をしておられるところもあるから、そういうこともあるのかな、こう思ったりしたわけでございます。 昭和
天皇
は亡くなり、大喪の礼をどう行うか、そして今の
天皇
が即位されて即位の礼をどう行うか。宮中の伝統が、
憲法
の
規定
の「国及びその
機関
は、」「いかなる宗教的
活動
もしてはならない。」あれから消されてしまうんじゃないかなという、多くの方々が心配されまして、私のところへもおいでになりましたから、
内閣
の事務の最高の
地位
にあるのが官房副長官でございますので、石原君によく話を聞いてくれやと言って聞いてもらいまして、そして、それぞれの
行為
を
天皇
家の
行為
と
国事行為
とに仕切ったわけであります。それで、
天皇
家の伝統的な
行事
を残すことができてよかったなと私は思っているんですけれども、伝統が差別発言を正当化するなんというような
意見
が出てくるということになりますと、やはり
憲法
の「国及びその
機関
は、」「いかなる宗教的
活動
もしてはならない。」という乱暴な、あれは私は神道をつぶすための底意があってああいう
規定
になったんだと思っているわけでございます。
国家
神道や神社神道は内務省の神社局の所管であり、宗派神道は文部省の宗教局の所管でございました。しかし、
国家
権力
が神道に及び過ぎていた、その弊害はあったと
思い
ます。ありますが、いずれにいたしましても、新しい
憲法
をつくるときには、この辺につきましてはいろいろな周到な配慮が必要だな、何かこれはちゃんとした
規定
にしておかなければ、また災いを将来に及ぼすな、こんな
気持ち
を持っていることを申し上げさせていただきます。
島聡
91
○島小
委員
きょうは
天皇
の
国事行為
、第七条でございますので、私も第七条に関する
意見
を二点申し上げます。 第七条の第四項の「
国会議員
の総
選挙
の
施行
を
公示
すること。」とあります。この「
国会議員
の総
選挙
」、
衆議院
の総
選挙
じゃなくて
国会議員
の総
選挙
というふうになっていますのは、これはよく言われる話でありますが、制定過程、ばたばたしていたのでうまく整理できていなかったんじゃないかというところがあります。それが本当にそうなのかどうか、きちんと
議論
して、ここは
国会議員
の総
選挙
ということが本当にこのままでいいのかどうかということはきちんとするべきだと
思い
ます。 それから、第二点でございますが、
衆議院
の
解散
であります。 この
衆議院
の
解散
というのは、きょうの
参考人
の
お話
で、
国事行為
の
分類
では
国政
に関する
行為
であるが、その実質的
決定権
が
天皇
以外の国の
機関
に帰属し、結果、
儀礼
的な
行為
となっているものというのがあります。
憲法
においては、御存じのように、六十九条において、不信任案が可決されたか信任案が否決されたときじゃないと
解散
はできないという話になっていますが、現在、皆さん御存じのように、実質は、
内閣
がその時々考えて
解散
をするわけであります。 これは極めて
政治
的な問題であります。極めて
政治
的な問題でありますから、この極めて
政治
的な問題を
衆議院
の
解散
、これはつまり、
国会
と
内閣
というのはいつも対立
行為
であるので、だから
内閣
が独自に
解散
をするということまではきちんと
憲法
にうたってなくて、
天皇
の
国事行為
としてやるということは、これからきちんと
議論
していくといろいろな問題が出てくるような
思い
がいたします。 したがって、この第七条の第三項である「
衆議院
を
解散
すること。」と
象徴天皇
と
内閣
というところの
あり方
ということは十分整理をしておかないといけないというふうに私は
思い
ます。 以上です。
山口富男
92
○山口(富)小
委員
自由討論が
参考人
の
お話
を踏まえてということなんですけれども、きょう、マッカーサー・ノートにかかわるザ・ヘッド・オブ・ザ・ステートについて、これは必ずしも元首という
意味
合いを持たないという趣旨の
お話
もありました。 実は、その当時の訳語の問題はあるんですが、もう今日ではこれは、頭の位、頭位とか頭部とか、そういうふうに訳したり認めるのが多くの
憲法
学者や
歴史
学者の共通の認識になってきていると思うんです。といいますのも、当時のGHQ文書の中に、
天皇
については、建物の構造や
機能
に全く影響を与えないその最先端に置かれるものだというような
説明
があるからなんです。 ですから、私は、マッカーサー・ノートでの記述をもって
日本国憲法
にかかわるこの元首
規定
の
議論
をするのは、今日ではやはり無理があるというふうに
思い
ます。 それから、
国事行為
論につきましては、島
委員
の方から指摘がありましたけれども、
解散
規定
というのは
憲法
の六十九条にかかわる問題ですので、七条三項のこの
規定
と同時に、六十九条とあわせて検討する必要はあるというふうに感じます。 以上です。
保岡興治
93
○
保岡
小
委員長
他に御発言ございますか。 それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。 午後四時三十一分散会