○山谷小委員 法への依存が少ないほど、価値への依存が高いほどコミュニタリアン的、コミュニタリアン的社会は道徳的価値に支えられた法によるべき、コミュニタリアニズムは儒教に近いというふうにおっしゃいましたけれども、儒教というのは道徳なのか、あるいは極めて宗教に近い、宗教的情操心に支えられたあるものなのかというようなことが一つ素朴な疑問として残りました。
それで、ブッシュが一般教書でちょっと演説したときのメモがありまして、そのときのことを思い出したんですが、「Americans are generous and strong and decent, not because we believe in ourselves, but because we hold beliefs beyond ourselves.」つまり、我々自身によってアメリカという国が強くて品位高いのではなくて、我々を超えるものによって、そういうものでアメリカというのは強く品位があるのだ。「When this spirit of citizenship is missing, no government program can replace it.」つまり、これがなくなったときに、「citizenship」がなくなったときに、魂がなくなったときにどんな政府のプログラムもうまくいかないと。
こういうときに、我々を超えたものというのは、やはりある種の宗教的情操心、道徳をちょっと超えたものでは、あるいは道徳よりもっと深いものではないかと思うんですが。