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2003-05-15 第156回国会 衆議院 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第3号
公式Web版
会議録情報
0
平成十五年五月十五日(木曜日) 午前九時二分
開議
出席小委員
小
委員長
大出
彰君
伊藤信太郎
君 倉田
雅年
君
谷本
龍哉
君 長勢 甚遠君
野田
毅君 葉梨 信行君 平林 鴻三君 小林 憲司君
今野
東君 水島 広子君 太田 昭宏君
武山百合子
君 春名 直章君
北川れん子
君
井上
喜一
君 …………………………………
憲法調査会会長
中山 太郎君
憲法調査会会長代理
仙谷
由人君
参考人
(
中央大学法学部教授
)
堀部
政男
君
衆議院憲法調査会事務局長
内田 正文君
—————————————
五月十五日 小
委員谷本龍哉
君三月十八日
委員辞任
につき、その
補欠
として
谷本龍哉
君が
会長
の
指名
で小
委員
に選任された。 同日 小
委員今野東
君及び
北川れん子
君三月二十日
委員辞任
につき、その
補欠
として
今野東
君及び
北川れん子
君が
会長
の
指名
で小
委員
に選任された。 同日 小
委員井上喜一
君四月十七日
委員辞任
につき、その
補欠
として
井上喜一
君が
会長
の
指名
で小
委員
に選任された。 同日 小
委員野田聖子
君同日
委員辞任
につき、その
補欠
として
伊藤信太郎
君が
会長
の
指名
で小
委員
に選任された。 同日 小
委員伊藤信太郎
君同日
委員辞任
につき、その
補欠
として
野田聖子
君が
会長
の
指名
で小
委員
に選任された。
—————————————
本日の
会議
に付した案件
基本的人権
の
保障
に関する件(知る
権利
・
アクセス権
と
プライバシー権
) ————◇—————
大出彰
1
○
大出
小
委員長
これより
会議
を開きます。
基本的人権
の
保障
に関する件、特に知る
権利
・
アクセス権
と
プライバシー権
について
調査
を進めます。 本日は、
参考人
として
中央大学法学部教授堀部政男
君に御
出席
をいただいております。 この際、
参考人
に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多用中にもかかわらず御
出席
をいただきまして、まことにありがとうございます。
参考人
のお立場から忌憚のない御
意見
をお述べいただき、
調査
の
参考
にいたしたいと存じます。 本日の議事の順序について申し上げます。 まず、
堀部参考人
から知る
権利
・
アクセス権
と
プライバシー権
について、
情報公開法制
、
個人情報保護法制
を含め御
意見
を四十分以内でお述べいただき、その後、小
委員
からの
質疑
に対しお答え願いたいと存じます。 なお、発言する際はその都度小
委員長
の許可を得ることとなっております。また、
参考人
は小
委員
に対し
質疑
することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。 御発言は着席のままでお願いいたします。 それでは、
堀部参考人
、お願いいたします。
堀部政男
2
○
堀部参考人
おはようございます。
中央大学法学部
の
堀部政男
です。
衆議院憲法調査会基本的人権
の
保障
に関する
調査小委員会
におきまして、知る
権利
や
アクセス権
と
プライバシー権
について
意見
を述べる
機会
を与えられましたことを大変光栄に存じます。 私は、四十年以上にわたりまして、知る
権利
、
情報公開
、
プライバシー
、
個人情報
の
保護
の
あり方
について
研究
してまいりました。また、地方
自治体
や国における
制度化
にもかかわってきています。
プライバシー
につきましては特に国際的にも
議論
をしてきておりまして、さまざまな
機会
に
国際会議
にも
出席
し、そこでスピーチをしたりあるいは討論に加わってきております。 国際的という面でいいますと、
経済協力開発機構
、
OECD
でも、また後ほど申し上げますような
プライバシー
についての
ガイドライン
を採択しておりますが、それを現在どうするのかというような
議論
をしています
情報セキュリティー
・
プライバシー作業部会
というのがありまして、その副議長を一九九六年以降務めております。 そのような経験を
もと
に、きょうの問題につきまして
意見
を述べさせていただきたいと思います。 お
手元
に
資料
を、私の名前のものが三つあるかと思います。
一つ
は「
日本
と
世界
の知る
権利
・
情報公開論議
」、
二つ目
が「
日本
と
世界
の
プライバシー
・
個人情報保護論議
」、
三つ目
が「
日本
と
世界
の
アクセス権
と知る
権利
・
プライバシー権
」というものです。これらに沿いながら、私が考えていますことをこれから申し上げていきます。
自己紹介
を兼ねて
新聞
の
記事
を
幾つ
か用意いたしましたので、それをごらんいただきたいと思います。多分
最初
のところにあるかと思いますが、今から六年前に一橋大学を退官いたしますときに、
最終講義
をいたしました。それが
記事
として出たものであります。二つの
記事
を一緒にしまして
送別会
のときに配ったものです。この下の日付が抜けていますけれども、
昭和
四十二年、一九六七年ですので、それより三十年前の
顔写真
であります。こういう若いときがあったということをまず御認識いただきたいということで、これをごらんいただきたいと思います。 まず、知る
権利
、
情報公開
について見ていきたいと思います。お
手元
の
資料
一をごらんいただきたいと思います。 これまでの
日本
における知る
権利
、
情報公開
の
議論
を五つに分けて見るとよろしいのではないかと考えまして、そのように時期
区分
をしてみました。お
手元
の
資料
の一ページ目のIIのところに、「
日本
における知る
権利
・
情報公開論議
——知る
権利
・
情報公開関係クロノロジー
」ということで表にしたものであります。 この中の、
算用数字
が三ページにわたりまして5までありますが、それぞれの
算用数字
のところが、私が仮に分類しています時期
区分
のそれぞれの期に当たりまして、第一期といたしますと、「知る
権利認識
・
制度化提唱期
」とでも言える時期であります。第二期が、「
情報公開制度化提唱
・
実現期
」とでも言えるものであります。第三期が、「
自治体情報公開制度運用
・
情報公開法検討期
」とでも言えるかと思います。第四期ですが、
情報公開法要綱案
、
中間報告
でありますけれども、これが公表されまして、
自治体
が
情報公開制度
の再
検討
を始めた時期であります。第五期といたしますと、
情報公開法等
が運用されている時期であります。 まず、第一期から見てまいりますと、
日本
では、知る
権利
という
言葉
は比較的早い時期から使われていたと言うことができます。一九四八年の
新聞週間
の
標語
で、「あらゆる自由は知る
権利
から」というのが出ております。その当時は公募したものではありませんで、
アメリカ
の同種の催しで使われた
言葉
をこのように訳したものであります。
アメリカ
の
言葉
は、その後に書きましたように、「
ユア
ライト
ツー
ノウ イズ ザ キー
ツー
オール
ユア
リバティーズ」ということでありまして、あなたの知る
権利
はあなたのすべての自由へのかぎである。そのように散文的に訳したのでは
標語
にならないわけでありまして、それを「あらゆる自由は知る
権利
から」、このように訳したと言えるわけであります。 その後も、知る
権利
につきましては
法学界
におきましてもかなり
関心
が高まりまして、
検討
してまいりました。これも
アメリカ
の
判例
の中で、知る
権利
ですとか知る自由とか、あるいは
情報
を受ける
権利
とか聞く
権利
、読む
権利
、
情報
を受ける側からとらえる、こういう
考え方
がありまして、
表現
をする側の
表現
の自由は以前から認められているわけでありますけれども、それを受ける側の
権利
として構成する、こういう
議論
を
日本
の
法学界
でも五〇年代、特に後半に行うようになっております。 そういう時期に、一九五三年の
新聞週間
の
代表標語
では「
報道
の自由が守る“知る
権利
”」というのが出ておりますし、
全国図書館大会
の「
図書館
の自由に関する宣言」の中では「知る自由」という
言葉
が使われております。これは一九五四年です。さらに、一九五八年には、
東京地方裁判所
が知る
権利
という
言葉
を
判決
の中で使っております。これは公職の
候補者
に関するものでありまして、このような用例がありました。
日本
でこういう知る
権利
を具体的にどのようにとらえるのかという
議論
に大きな影響を与えましたのが、
アメリカ
の一九六六年の
情報自由法
であります。これは、フリーダム・オブ・インフォメーション・アクトというふうに言うものでありますが、これが
アメリカ
で
ジャーナリスト
の運動として出てまいりまして、それを
連邦議会
が
行政手続法
の
改正
という形でこの
法律
を
制定
いたしました。
日本
でも、私
たち研究者
は、この
法律
を見まして、それまでにない
考え方
が出ているということで、
日本
でこの種のものはどうなんだろうかということを
議論
したことがございます。 そういう中で、一九六〇年代も終わりの方になりまして、一九六九年に
最高裁
でも、悪徳の
栄え事件
の大
法廷判決
の中で知る自由という
言葉
が
反対意見
の中で使われる、さらに、博多駅
テレビフィルム提出命令事件
の
最高裁
大
法廷決定
の中で、
報道機関
の
報道
は国民の知る
権利
に奉仕するものである、このようなものが出てまいりました。 そうした戦後における
流れ
の中で、一九七〇年代に入りまして、一九七一年に
アメリカ
の
ベトナム秘密文書報道事件
が生じます。この際にも知る
権利
ということが
アメリカ
でも
議論
になりましたし、
日本
でもかなり
議論
をいたしました。
日本新聞協会
が募集して
新聞週間
のときに発表しています
新聞週間
の
標語
というのは、その
時代時代
を映していると見ることもできるわけでありまして、一九七一年の
アメリカ
の
ベトナム秘密文書報道事件
のときの
新聞週間
の
標語
では、「知る
権利
知らせる自由が呼ぶ平和」、こういうものが出ています。 そうした
議論
をしているうちに、一九七二年の三月になりまして、
沖縄返還
に伴います
密約
があったのではないか、それを示す
電文漏えい事件
が生じました。これをめぐって大きな
議論
になりまして、
学界
でもこれについて
検討
をいたしました。 そういう際に、知る
権利
というのがどうなっているのかということで
議論
をいたしまして、その前から
新聞界
の人などといろいろ
議論
をしている中で、
日本
でも
ジャーナリスト
が知る
権利
ということをもっと主張してもいいのではないかというようなことも言ってまいりましたので、一九七〇年代に入る前後からそうした
議論
をしてまいりましたけれども、一九七二年に
日本
で
沖縄密約電文漏えい事件
が生じましたときにも同様な
議論
をいたしました。しかし、これらの時期におきましては、
情報公開
の
制度化
といいましても、ほとんど
関心
が払われなかったところであります。 次いで、一九七〇年代の後半に入りまして、一九七六年の二月に
ロッキード事件
が明るみに出ました。その際に、私の専門の分野から
ロッキード事件
を見たらどうなるのか何かまとめてみてほしい、そういう
依頼
を受けて書きましたのが、
新聞
の
記事
で二枚目のところですけれども、
昭和
五十一年、一九七六年四月十二日の毎日
新聞
の
社会面
にこういう形で出たものであります。 そこでは、
ロッキード事件
を見るに当たって、知る
権利
を
請求権
としての知る
権利
という観点からとらえてみまして、しかも、
アメリカ
の一九六六年の
情報自由法
といいますのは、これはその後の
判例
による
解釈
ですけれども、何人、エニーパーソンに対して
情報
を利用できるようにしなければならない、言いかえますと、何人も
請求権
を持っている、こういう
解釈
をとります。しかも、その何人という中には
外国人
も含むんだという
判決
もあったりいたしましたので、それを念頭に置きながらこの論稿はまとめてみたものであります。 この時期になりますと
情報公開法
という
言葉
を使うようになっていまして、そうした観点から一九七〇年代後半に
議論
が盛んになってまいります。 いろいろ
経過
はございますが、そういう中で、
地方公共団体
の中でも特に
神奈川
県がこの問題に
関心
を示しまして、
議論
に参加したりする
依頼
を受けまして
検討
をいたしました。そこで、
神奈川
県では、
日本
の
法制度
の中で
情報公開条例
という形のものをつくることは可能かどうか、法的にも随分
議論
をいたしまして、それを
もと
に
条例化
を図る、こういうことをしてまいりました。ですから、第二期は、
情報公開制度化
につきまして提唱しまして、それが実現してきた時期でもあります。 第三期になりましてそれが実際に運用されるようになりますと、他の
自治体
でも同じように
条例
をつくり、また運用していくという時期に一九八〇年代は入るわけでありますが、それとともに、国におきましても、七九年には既に
国会
でも
情報公開
についての
議論
が行われたりしていました。国では一九八〇年には、
情報公開
について、それを進めるための
文書
を出すというようなこともしてまいりました。 そのころ、後に触れます
OECD
、
経済協力開発機構
の
プライバシーガイドライン
について
議論
がありまして、当時の
行政管理庁
でいろいろ
議論
に参加しておりましたので、国における
考え方
、それから
自治体
における
考え方
、それらを調整しつつ、法令の範囲内におきまして
制度化
を目指す
議論
をしてまいりました。 第三期になりますと、国でもこの問題に対する
関心
が高まってまいりまして、さまざまな
検討
をしてまいります。しかし、国で
制度化
に正面から取り組むようになりましたのは、一九九四年の
行政改革委員会設置法
の
制定
によるわけでありまして、この
行政改革委員会
が一九九四年の十二月十九日に発足いたしました。その
もと
で、一九九五年の三月十七日から
行政改革委員会行政情報公開部会
が
審議
を始めます。
専門委員
というふうに
部会
の
委員
は全部呼ばれましたが、その一員といたしまして、
日本
における
情報公開法
の
グランドデザイン
を描く仕事もしてまいりました。 この
行政改革委員会行政情報公開部会
が、第四期として私は位置づけておりますが、九六年の四月二十四日に、
行政改革委員会行政情報公開部会中間報告
ということで、
情報公開法要綱案
を公表いたしました。この時期になりますと、
地方公共団体
で既に
条例
はかなりできていましたが、やはり国が
一つ
の基準を示すということになりまして、
自治体
におきまして再
検討
するということが出てまいりました。そういう時期として第四期は特徴づけられると見ております。 そして、
情報公開法案
が
国会
に提出されまして、成立いたしましたのが一九九九年の五月七日でありまして、五月十四日に公布されました。この
情報公開法
が二〇〇一年の四月一日に施行されまして、さらに、当時は
特殊法人
の
情報公開
をどうするのかという
議論
をしてまいりましたが、その
特殊法人
の
情報公開
について
検討
する
委員会
にも加わりまして、その
あり方
を
議論
してまいりました。それが後に、
独立行政法人等情報公開法
ということで二〇〇一年の十二月五日に公布されまして、二〇〇二年十月一日、昨年の十月一日から
独立行政法人等情報公開法
が施行されています。これは、
運用期
としてとらえることができるところであります。 このように、知る
権利
という、
日本国憲法
には明文の規定はありませんが、
憲法
二十一条の
表現
の自由の中に含めて
学界
では
解釈
をしたりいたしまして、その
議論
の上に立ちまして、知る
権利
を具体的に実現する方法といたしまして、
情報公開
の
制度化
ということを
議論
し、それが実現するに至ったところであります。 次に、
プライバシー
、
個人情報保護
についてでありますが、
資料
二をごらんいただきたいと思います。 これも同じように時期
区分
をしていますが、第一期は、「
プライバシー権認識
・
制度化提唱期
」であります。第二期が、一ページ目の下の方の「
プライバシー権制度化提唱
・
実現期
」であります。二ページの中ほどより少し下の第三期でありますが、「
行政機関個人情報保護法検討制定
・
個人情報保護ガイドライン策定
・
都道府県個人情報保護制度化期
」というふうに言っております。第四期としますと、三ページに掲げましたが、「
個人情報保護基本法制提案
・
議論期
」ということで、現在
国会
におきまして
審議
がされております時期をここでとらえております。
情報公開法
につきましては、既に施行されていますので、それを第五期といたしましたが、
個人情報保護法
につきましては、第五期がいつから始まるのか今のところまだわかりませんけれども、そういう
状況
で、第五期はここでは入れておりません。
日本
における
議論
は、ここでは第一期として一九五〇年代の
議論
を挙げておりますけれども、一九二〇年代、一九三〇年代におきましても、
アメリカ
の
議論
の紹介が、
新聞紙法
が当時ありましたので、その
新聞紙法
の解説などでなされています。しかし、その時期は、この
言葉
に対する
関心
はありませんでした。 第二次大戦後の
日本国憲法
の
制定
によりまして、二十一条で
表現
の自由が
保障
され、そういう中で、
個人
の
私生活
を暴露したりする
記事等
も多く出てくる。それに対して、
学界
としてどのようにそれに対応するのかということで
議論
がなされるようになりまして、その際に、
アメリカ
の
プライバシー権
が
研究
の対象になってまいりました。一九五〇年代、特に後半におきまして、
アメリカ
の論文などを
日本
でも随分
検討
しながら、
日本
においてどうあるべきなのかという
議論
をしております。 そういう中で、一九六一年に、
三島由紀夫
氏の小説「宴のあと」により
プライバシー
を侵害されたとする訴訟が提起されまして、ここで
プライバシー権
への
関心
が増大してまいりました。この訴訟に関する
東京地裁
の
判決
が一九六四年の九月二十八日に出まして、
プライバシー
の
権利
を、
私生活
をみだりに公開されないという
法的保障
ないし
権利
と理解しております。 このように、
日本
でメディアとの
関係
で
プライバシー
の
議論
が行われていた時期に、
アメリカ
では、
コンピューター化
との
関係
で
プライバシー
についての
議論
が盛んに行われるようになりました。 そこでは、
プライバシー
というのは何なのか、あるいは
プライバシー
の
権利
というのはどのようにとらえるべきなのかという論争もありまして、そういう中から出てまいりましたのが、自己に関する
情報
の
流れ
をコントロールする
個人
の
権利
というような
考え方
であります。
日本
では、これをさらに省略しまして、
自己情報コントロール権
などと呼んでいるところでありますが、こうした
考え方
が
アメリカ
で出てまいりまして、これが
世界
に広がっていきます。
ヨーロッパ
では、そうした
プライバシー
の
権利
と一対一で対向する
言葉
がないところから、これは
日本
も同じなんですが、当時
プライバシー
というのをどう
日本語
にするか、
大分議論
をいたしましたけれども、例えば、
私生活
ですとか
秘密
とか秘匿とか私事とか、それに
権利
をつけていろいろ言いましたが、いずれも
日本語
として定着することなく、片仮名で
プライバシー
と書いて
日本語
化したような
状況
であります。
ヨーロッパ大陸
におきましても、
プライバシー
という英語に対応する
言葉
がないものですから、例えばドイツですとプリバート・スフェーレという、
私的領域
とでも訳せる
言葉
を使ったり、
フランス
ではラ・ビ・プリベという、
私生活
と訳すことができる
言葉
、これは
フランス民法
の中にある
言葉
でもあるんですが、そうしたものを
プライバシー
に対応する
言葉
として使ったりもしていました。 そういう中で、
ヨーロッパ
では、
考え方
としますと同じような、
個人
の利益を
保護
する、そのためには、
ヨーロッパ
では体系的に
法律
をつくることにたけていますので、そこで
データ保護法
というものが
制定
されたりするようになります。
ヨーロッパ
では一九七〇年代に入りましてそれが顕著になってまいりました。
日本
でもそうした
状況
を踏まえまして
制度化
を提唱いたしましたが、やはり七〇年代の前半におきましては、そうした認識は
日本
では広まりませんでした。 七〇年代の後半に入りまして、ここが第二期でありますが、中葉から
議論
が活発化してくるということにもなります。その背景には、
日本
における
コンピューター化
の
議論
があるわけでありますが、そういう中で、一ページの一番下の一九七五年に、東京都の
国立市
が
電子計算機処理条例
の中で
個人的秘密
の
保護
ということを規定いたしまして、これが
日本
で
最初
の
プライバシー保護条例
であるというふうに見られたりもしております。この
国立市
の
条例
がきっかけになりまして、
自治体
で
条例化
が進んでまいりました。 そのころ、この問題についてもいろいろ
議論
をいたしまして、
ヨーロッパ
の
状況
、それから
アメリカ
でも、一九七四年に
プライバシー
アクト、
プライバシー法
というもの、これは連邦の
行政機関
を対象にしたものでありますが、そうしたものができたりしていますので、
日本
でもそういうものを
参考
にしながら
立法化
の問題を考えてみてはどうかということを
学界
では
議論
をしてまいりました。 そういう中で、
アメリカ
と
ヨーロッパ
がそれぞれ
個人情報
の
保護
についても
考え方
が異なるところから、それを調整するための
議論
が一九七八年から
OECD
で始まります。当時は、
日本国内
におきましてその問題について
意見
を聞かれて
意見
を述べたりいたしましたが、一九七九年の秋に開かれました
国際会議
で、
日本側
からは私が出まして、あと、
OECD
のこの問題の
担当者
、
アメリカ
の商務省の次官補で
電気通信
を担当している方、その三人が同じセッションで
議論
をいたしまして、その
関係
でこの
OECD
の
資料等
は当時かなり早い時期に入手いたしまして、それをまた分析をいたしました。 この
OECD
の
理事会勧告
が一九八〇年の九月二十三日に採択されました。そこで八原則が示されておりまして、こういうものを
もと
に当時の
行政管理庁
で
プライバシー保護研究会
ができまして、そこで
日本
における
あり方
を
検討
いたしました。そのとき既に今日言う
包括的個人情報保護法
を考えてはどうかということをまとめております。これは一九八二年の七月でありますが、しかし同時に、
行政改革
の
議論
がありまして、その中では、一九八三年の三月に
臨時行政調査会
の
最終答申
が出まして、そこでは
行政機関
に対する信頼を確保するために
個人情報
の
保護
を図るべきである、こういうことになりました。 そうした中で、今度は第三期になりますが、
行政機関
における
個人情報
の
保護
につきまして
検討
するようになり、そのときは総務庁でありましたけれども、そのメンバーとして
海外調査
などもして、報告をまとめました。一九八〇年の
OECD理事会勧告
の後の
行政管理庁
の
プライバシー保護研究会
のときにも、
海外
の
幾つ
かの国の
関係者
とは
意見交換
などもしてきております。 そうした中で、
日本
でも一九八八年には、
行政機関
の保有する
電子計算機処理
に係る
個人情報
の
保護
に関する
法律
が
制定
され、今日に至っています。
民間
をどうするのかということが当時も大きな
議論
になりまして、
衆参両院
の
附帯決議
の中でも、
民間部門
について
検討
すべきであるということがありましたが、むしろ
民間
については八〇年代の半ばから
関係省庁
で
検討
するということで、
法律
の
議論
にまではいきませんでした。 そういう
経過
の中で、これは第四期になりますが、一九九九年の五月六日に、
衆議院
の
地方行政委員会
で
住民基本台帳法
の
改正法案
についての
参考人質疑
がありまして、そのとき
参考人
で招致されましたとき、かなり多くの
先生方
から、
包括的個人情報保護法
が必要と思うがどうか、こういうことで
意見
を求められました。その段階では、
包括的個人情報保護法
ができればいいけれども、
日本
ではなかなかそういう
状況
にないということを申し上げましたが、その後、六月になりまして、
住民基本台帳法改正法案
の
審議
の中で、
個人情報保護
について
議論
が高まりまして、九九年の七月には、
高度情報通信社会推進本部
で
個人情報保護検討部会
ができまして、その座長としてその後の取りまとめに当たってまいりました。その後の
経過
もございますが、それが現在、参議院におきまして
審議
されております
個人情報保護法案
になっております。 大きな第三といたしまして、これまで述べてまいりました知る
権利
、
プライバシー権
というのをちょっと別の角度から見てみますと、それが
アクセス権
ということでとらえることができるかと思います。
日本
では、
海外
の
状況
、いろいろ
学界
では
検討
はするんですが、どうしても
日本国内
との
関係
で論ずるものですから、トータルに問題をとらえていないところがあると言ってもいいかと思います。これまでのものも、英語圏ではむしろこの
アクセス権
、ライト・オブ・アクセスという
言葉
で
表現
している場合がかなりありました。
資料
三に、その
アクセス権
という
言葉
の用例をかなり挙げておきましたけれども、ライト・オブ・アクセス・
ツー
という前置詞の目的語に非常に多くの名詞が来るものがあります。その中のライト・オブ・アクセス・
ツー
・マスメディアという、マスメディアに対する
アクセス権
というのを一九七四年に提起いたしましたが、それとともに、これまで述べてきたところからも明らかなように、その問題が論じられた時期には、
情報公開
ですとか
個人情報保護
についても同時に
議論
をしていましたので、その
権利
概念としてはこの
アクセス権
というもので整理してみてはどうか、こういうことも当時論じたことがあります。 外国の立法例がこの二枚目のところにありますが、これは、英訳されたものを見ますと、かなり多くの
法律
の中で
アクセス権
という
言葉
が使われております。この点でいきますと、きょうの小
委員会
における
議論
も、知る
権利
・
アクセス権
と
プライバシー権
となっていまして、知る
権利
とほぼ同義のものとして使っている側面があるんですが、それとともに、自分の
情報
への
アクセス権
、自己
情報
アクセス権
という現代的な
プライバシー権
の中核になります
考え方
もこの
アクセス権
ということでとらえられております。それらの具体的事例をこの
資料
の中で、特にイギリスにおける用例を挙げております。
日本
でそのことを、
アクセス権
ということで
議論
もしてきておりますが、これも
プライバシー権
以上に
日本語
になりにくい
言葉
でありまして、いろいろ訳を試みましたけれども、どれもうまく
日本語
にならない。例えば、接近権というような訳をつけてみたりもしましたが、これもどうも
日本語
にならないというようなことで、
アクセス権
というふうに言っております。 一九七〇年の半ばにそのことを
議論
いたしましたがなかなか理解されませんで、
新聞
社の試験問題などに私の本が出た年に出ているんですが、環境アセスと間違えて書いている答案があったというのもありますし、非常にこっけいなのは、この狭い
日本
でアクセスせずに生きる
基本的人権
とかという答案を書いた人がいるということであります。 そのような理解しかなされていないところでありますけれども、むしろ国際的には、
アクセス権
というのはかなり広く、知る
権利
、
プライバシー権
も含めて、使われている概念でもありますので、そうした観点からこの
権利
についても
検討
する必要があろうかと思います。 いろいろ申し上げたいことはございますが、とりあえず、
最初
の問題提起は以上で終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)
大出彰
3
○
大出
小
委員長
ありがとうございます。 以上で
参考人
の御
意見
の開陳は終わりました。
—————————————
大出彰
4
○
大出
小
委員長
これより
参考人
に対する
質疑
を行います。
質疑
の申し出がありますので、順次これを許します。倉田
雅年
君。
倉田雅年
5
○倉田小
委員
自由民主党の倉田
雅年
でございます。 私は、長く弁護士をやってきたこともございまして、先生の御本、ジュリストで、たしか昔読ませていただいたこともございます。その後の先生の
情報公開法
を初めとする、開拓者といいますか、いわゆる官庁間革命も起こされた
もと
をいろいろ御発表なさっているということに大変敬意を持っておる次第でございます。 きょう、私は、最後に先生がお話しになりましたメディアに対する
アクセス権
ということについて、少しお聞きをしたいと思っております。 先生が、そもそも
表現
の自由というのは、
表現
の主体と国家との間の、国家からの自由、
表現
主体の自由、こういうことで長く来たんだけれども、これは二極構造だ、ところがこの二極構造が、今度は
表現
主体の方が市民とメディアとに分かれてきた、メディアがだんだん強大になったので、今度は国家とメディアと市民という三極構造になったんだと。この御説明は、私、大変わかりやすい明快な説明だな、こういうぐあいに感じているわけでございます。 そこで、まず第一点としてお聞きしたいのは、メディアに対する
アクセス権
というものの中身でございます。 通常言われますところは、有料広告の掲載
請求権
であるとかあるいは反論権であるとか、こういうことが一般的にメディアに対する
アクセス権
の中に入っているということを言われていることは知っておるんですが、私、聞きたいのは、先ほどお話しの
自己
情報
に対するコントロール権、これが、国家に対してだけではなく、国家に対しては、これはもうわかっているんですが、メディアに対しても
自己情報コントロール権
というのは認められてしかるべきではないかと思うんですが、内容として、現在、そういう概念として認められているのかどうか、そこらについてまずお伺いしたいと思います。
堀部政男
6
○
堀部参考人
ただいまの倉田先生の御質問で、メディアに対する
自己情報コントロール権
は、理論的にはあり得るものであります。先生言われるように、国家に対して、公的機関が保有している
個人情報
についての
自己情報コントロール権
は当然といたしまして、
民間
が保有している
個人情報
についても、
自己
情報
アクセス権
、コントロール権はあるというのが各国の立法例であります。ですから、メディアも
民間
のものとしてそういう
考え方
はあるわけでありまして、そのことは各国で
議論
になってまいりました。 しかし、一方で、
表現
の自由との
関係
で、メディアはそのことを主張いたしますので、メディアに対して
法律
で
アクセス権
を
保障
するとなりますと、取材した
情報
について本人からアクセスの請求があってそれを出さなければならないとすると、その取材を通して
表現
する自由が制約されるということで、多くの国でそれを適用除外するという
考え方
が出てまいりまして、一九九五年の欧州連合、ヨーロピアンユニオンの
個人情報保護
指令でもその
考え方
が明確に打ち出されております。 理論的にはあるんですが、実際の
制度化
となりますと、それを除外して調整する、こういうことになっていると見ることができるかと思います。
倉田雅年
7
○倉田小
委員
よくわかります、先生の御説明で。 要するに、メディアも
民間
情報
の
一つ
なんで、参議院で今
審議
されている
個人情報
でも、確かに
民間
業者の
一つ
、それから適用除外するという形でメディアが除かれているんだ、こういうことでありますね。 そうしますと、メディアの
報道
の自由といいますか、
表現
の自由といいますか、そういうものを強く考えますと、確かに適用除外というのはよくわかるんですが、制度の面として、あるいは現実に現在参議院で行われている
法律
に対する私の
考え方
もあるんですけれども、それでは市民とマスメディアとの
関係
で、マスメディアが非常に強大である。確かに
表現
の自由は重要なんだけれども、
個人
が、弱者といいますか、弱者と強者、強者がメディアですね、そういう
関係
に既に立ってしまっている。そうすると、弱者としての
個人
の
プライバシー
を守っていくという意味で、現在
審議
されている
法律
も、
個人
の
プライバシー
の方を、適用除外になったままというのでなく、もう少し何とかできないかなということを考えますが、いかがでございましょうか。
堀部政男
8
○
堀部参考人
そこが
国会
でも大変大きな争点になっていることは承知しておりますが、どうも法的に
権利
として設定してメディアに義務を負わせるということになりますと、
憲法
二十一条の
表現
の自由との
関係
でさまざまな
議論
が出てくることになるかと思います。そうなりますと、むしろ自主的に、メディアとしても、そうしたアクセスの要請といいましょうか、リクエストに対してはこたえていく、こういうことを考えるべきであるというふうに思います。 ですから、今後、どういうふうにメディアが
個人情報保護
の問題を考えていくか、まだ余り具体的にはなっていないんですが、それぞれの社で、第三者によって構成される
委員会
等をつくって
議論
をしていますので、そういう中で、今先生言われたようなものを自主的に対応していくということをすることによって、むしろやはり市民の
権利
利益を守るということをメディアとしてもぜひしていただきたい、
個人
的にはそのように思っています。
倉田雅年
9
○倉田小
委員
メディアの側で自主規制をするといいますか、自粛するべきであって、法でメディアを縛るべきではない、一般論としてそれも正しいのかなとも思うんですが、どうも、
個人
の
プライバシー
の方が弱くなり過ぎているという面も私も感じているということを申し上げたいと思うわけでございます。 何かいい工夫はないでしょうかね。せっかく、現在参議院でいろいろ
審議
をしているという
状況
にあるのですから。
堀部政男
10
○
堀部参考人
ですから、各
新聞
社、放送の場合には放送法によりまして番組
審議
会、
審議
機関を設けることになったりしておりますが、
新聞
社は何も法的な根拠はありませんので、それぞれが自主的に現在対応しています。そういうものを、各社ではなく
新聞界
全体として、第三者機関のようなものを自主的につくりまして、そこで、そうした要望にこたえるというようなことも
検討
すべきではないかと思います。 放送の場合には、NHKと
民間
放送連盟で放送と人権等
権利
に関する
委員会
を自主的に設けまして、
アクセス権
あるいはアクセス要求に対してどうこたえているかという詳細はわかりませんが、市民の側から放送と人権等
権利
に関する
委員会
機構に申し立てますと、そこでいろいろ
調査
をして、その結果を本人に通知するということになっていますので、
新聞界
でもぜひそういうことをしていただくといいのではないかというふうには
個人
的には考えています。 そうしたことを
新聞界
の方にもこれまでもいろいろ提案しておりますが、現在のところ、
新聞界
全体としてとか、あるいは出版界や雑誌界全体としてそういうふうにするというところまではなかなか至っておりませんで、
新聞
の場合には各社、雑誌も一部、第三者機関を設けてそこで対応することになっていますが、最近の具体的な運用がどうなっているかまでは寡聞にして存じませんのでよくわかりませんけれども、そうした動きは出てきていることは確かであります。そうした形がよろしいのではないかというふうに思っております。
倉田雅年
11
○倉田小
委員
先生の御説明の
資料
の中で、バロンが、メディアに対してレッセフェールは不適切だということを述べているということがございますが、何か、今回の法案の中でも、先生がおっしゃったような自主規制機関でもいいですから、法がメディアに対して自主規制機関をつくるべしというような条項も入れるということも考えられないかななんということを今お聞きして思ったんですが、いかがでしょうか。
堀部政男
12
○
堀部参考人
その辺になりますと、この法案の過程でのさまざまな
議論
がありまして、ちょっと、きょうの段階では私見を述べるのは遠慮させていただきたいと思います。
倉田雅年
13
○倉田小
委員
わかりました。どうもありがとうございました。
大出彰
14
○
大出
小
委員長
次に、小林憲司君。
小林憲司
15
○小林(憲)小
委員
民主党の小林憲司でございます。 本日は、知る
権利
、
プライバシー権
の第一人者であります
堀部
先生のお話をお伺いすることができまして、大変勉強させていただきました。せっかくの
機会
でございますので、私、十分間いただいておりますので、
幾つ
か御質問をさせていただきたいと思います。 まず、知る
権利
でございますが、
行政機関
に保有
情報
を原則公開するよう義務づけました行政
情報公開法
が施行されまして、三年目に入っております。つい最近も、同法の利用によって、
日本
道路公団の酒食
会議
というものが明らかにされたように、その運用については大筋軌道に乗りつつあるようにも見られておるわけでございますが、この
法律
には、施行四年後の見直し規定というものがついておりまして、法の充実、
改正
を目指した
議論
が、先ほど先生からもおっしゃられたとおり、これから一段と活発化してくるものと思われております。 既に満二年、今、運用の過程で、高裁所在地の八カ所の地裁に限られている公開請求
訴訟
を起こせる裁判所を全国に広げることや、法に知る
権利
を明記すること、あるいは手数料の値下げの問題など、さまざまな問題が浮かび上がってきておりますが、
堀部
先生は、今後、この
法律
の見直しに当たってはどのような
観点
に着目すべきと、
幾つ
か大きな着目点はございますと思いますが、その中で重要と思われるものを、ひとつ御見解をお伺いしたいと思いますので、よろしくお願いします。
堀部政男
16
○
堀部参考人
ただいまの小林先生の御指摘は、大変重要な意味をこの
情報公開法
にとっては持つわけでありまして、四年後の見直しをいつの時期から始めるかということにはなるかと思いますが、これまで二年余の運用の
状況
、それから、独立行政法人等につきましては半年、七カ月ちょっとでしょうか、ということでありますけれども、
一つ
は、やはり、この制度の利用しやすさということを念頭に置いて見直しをすべきではないかと思います。 いろいろなホームページで、
情報公開
についての案内なども随分出てきていまして、かなり
情報
は出ているように思いますが、一般の市民が実際に利用するとなりますと、それぞれの省庁の窓口に行くこと、これ自体が大変勇気が要ることである、こういう指摘もありますし、そのあたり、もっと窓口での対応の改善等、そういうことも必要かもしれませんし、また、不服申し立てがありまして、この不服申し立ても、昨年は非常に多くの不服申し立てがされまして、
情報公開
審査会で五百何件かの答申がたしか出ていたかと思いますが、そういうようなことで、そこももっとアクセスしやすくするということがあるかと思います。 それと、先生御指摘の、裁判の管轄につきましては、これも行政
情報公開
部会
のときに随分
議論
をいたしまして、当初は、政府案では
東京地裁
だけでしたけれども、
国会
の
審議
の中で、高裁所在地の地方裁判所ということで八つに広がりました。しかし、あの段階でも、例えば那覇市の場合には福岡市まで来なければならないということになりますので、もっとそこを広げるべきだということがありました。そうした点は、今後
検討
していく重要な課題であると思います。 ですから、利用しやすさというのをどう確保するか、さらに改善していくかということであると見ています。
小林憲司
17
○小林(憲)小
委員
ありがとうございます。 本当に、全国に知る
権利
というものを広めるということが、まずは早急に行政も法整備もしなければいけないということで理解させていただきました。 次に、
プライバシー権
に関しての御質問をさせていただきます。 そもそも、
個人
の
プライバシー権
を
保護
する目的で法制化が進められました
個人情報保護法案
が、その
審議
の過程で、メディア規制であるとの批判を浴びて紛糾を余儀なくされたわけでございますが、こうした
プライバシー権
の
保護
と
報道
の自由との対立が生じた原因の
一つ
に、現在の法形式の問題があるのではないかと私は思いました。 つまり、
民間
の全分野に規制の網をかける一般法といいますか、先ほど先生御案内のとおり、包括法の形式ではなく、
民間
で扱う
個人情報
に関しては、金融機関にしろ医療機関にしろ、扱う
個人情報
の性質が違えば規制方法も異なるはずであると思うのです。ですから、個別法で定めるべきであったと私は思うわけであります。
堀部
先生は、このことに関しまして、平成十一年六月の段階で、もう既に朝日
新聞
紙上において、包括的ということで
民間部門
をすべて
対象
にするということになると、例えば、マスメディアをどのように扱うかということを
議論
する必要がある、こう述べられているわけであります。 その後、先生が座長を務められました
個人情報保護検討部会
の
中間報告
においても、こちらも見せていただきますと、公的部門と
民間部門
を通じる基本法・プラス・セクトラル方式とおっしゃっておられます。つまり、個別分野方式ということを提案しておられまして、結局、我々、
衆議院
を通過するに当たり、医療や金融などの特定分野を
対象
とした個別法の必要性が
附帯決議
に盛り込まれるというわけになりました。 こうしたことから見て、今般の
個人情報保護法
の法形式の功罪につき、先生は今どのような、御評価は簡単で結構なんですが、御感想という感じでお伺いしたいなと思いますので、こういう
機会
ですので、よろしくお願いします。
堀部政男
18
○
堀部参考人
先生今お話しされたとおりの
経過
で、私は
議論
をしてまいりました。 お
手元
の
資料
二の四ページに図を書いておきましたが、図1の方の
中間報告
は、平成十一年、一九九九年の十一月十九日に出したものであります。この場には、他の基本法と同じように理念をうたうものとして基本法を定めまして、その基本法の趣旨にのっとって、公的部門については現行の
行政機関
電子計算機処理
個人情報保護法
の見直し、その
法律
ばかりじゃないんですがほかのものも含めて見直し、それから、
民間部門
につきましてはセクトラル方式で対応し、
あと
は自主規制でいく、こういうことを提案いたしました。 その後の法制化
専門委員
会も、ぜひそういうところで
検討
していただきたいということで提案したわけでありますけれども、その法制化
専門委員
会の
議論
の過程で、一般法的な条項も含めて提案するということになりました。図2の
個人情報保護
基本法制に関する大綱は、平成十二年、二〇〇〇年の十月十一日のものですけれども、こういうふうになりました。 それを
もと
に法案化しましたところ、先生御指摘のように、メディア規制法ということで批判を浴びまして、その中の特に五つの基本原則についてそうしたことが出てまいりましたので、ここをどうすべきかということでその後も
議論
をしてきたところであります。 私の
考え方
はここで言う図1でありましたが、その後の具体的な
議論
の過程にもかかわっていまして、図2にあるような形のものも
議論
としては参加し、もちろん
反対意見
も出しているんですが、こういう形になった現状としますと、そういう中で現実的に対応しなければなりませんので、一般法的部分、現在の法案ですと第四章の「
個人情報
取扱事業者の義務等」のところでありますけれども、この運用に当たっては、他の利益、
表現
の自由等の利益もありますが、また営業の自由という
憲法
上の利益もありますので、こうしたものに不当に介入することのないようにしていくべきではないかと思います。 この問題は現在
審議
中でありまして、
参考人
として四月二十一日にも
意見
を述べさせていただきましたが、大変発言しにくい
状況
にもありますので、以上のようなことで。
小林憲司
19
○小林(憲)小
委員
最後に、簡単に
一つ
お願いいたします。 最近、防衛庁の自衛官募集に際しまして、適齢期の中学生や高校生らの住民基本台帳からの摘出、住民基本台帳で閲覧が認められている四
情報
以外の
情報
、親の名前ですとか職業、続柄なども提供するよう
自治体
に要請があったと。 閲覧が認められているわけですが、先ほど来、
プライバシー
ですとかアクセスだとか、非常に難しく、
日本語
にトランスレートできないものやいろいろなニュアンスのものがあるというお話。閲覧と提供というものは違うというふうに思われますが、いかがでしょうか。それで私の質問を終わります。
堀部政男
20
○
堀部参考人
自衛隊員の募集についての適齢者の
情報
収集につきましては、
新聞
社からコメントを求められまして、知っております。 そのときに申し上げましたのが、今先生御指摘のようなことでありまして、
住民基本台帳法
では閲覧の規定が十一条にありますが、提供についての明文の規定はありません。そういう
状況
の中で提供をするというのは、
住民基本台帳法
全体の趣旨に反するのではないかというふうに考えています。 私、
住民基本台帳法
の
改正
問題は、
昭和
六十年、一九八五年に、磁気テープ等による調製それから閲覧のときも、あの当時はまだ住民基本台帳に記載されます項目全部が閲覧
対象
になっていたわけです。しかし、その閲覧をするときに閲覧事由を明らかにして、その閲覧事由が不当な場合には市町村長は閲覧を拒むことができる、こういう形で
個人情報保護
、
プライバシー
保護
を図りました。 九九年、平成十一年の
改正
のときには、十一条のところも、閲覧できるもの自体を四
情報
に限る、こういう
改正
をしておりまして、この意味は非常に大きいと思います。 しかも、あの
住民基本台帳法
そのものが、
個人情報
についての閲覧というものを一方では認めていることで、公開法であると同時に
保護
法でもある、その両者を兼ね備えた
法律
であるというふうに見ております。ですから、この運用に当たりましては、その趣旨を踏まえて、やはり、
保護
という側面を十分考えるべきではないかと思います。 一方、自衛隊法施行令による「
資料
の提出を求めることができる。」という規定との
関係
につきましても、それ以前ですと、そうしたことがあるいは
解釈
上も可能だったかと思いますが、やはり一方で、
個人情報
を
保護
するということを非常に強く打ち出して
改正
もしていますので、今日の時点におきましては、今まで行ってきたものについて見直しを図るべきではないか。やはり
個人情報保護
と、もちろん
資料
の提出というのも重要なんですが、では、そこでどこまでの
資料
の提出を求めることが、法令的には根拠はあるにしても、一方の
保護
との
関係
で、そこのバランスは今後ともぜひきちんと
解釈
していただきたいと思っています。
小林憲司
21
○小林(憲)小
委員
知る
権利
、大変長い時間をかけて先生御
研究
なさって、今度からは、知った方の責任といいますか、知るための責任といいますか、法の整備を我々も一生懸命やっていきたいと思いますので、どうか御指導のほどよろしくお願いします。 ありがとうございました。
大出彰
22
○
大出
小
委員長
次に、太田昭宏君。
太田昭宏
23
○太田(昭)小
委員
公明党の太田昭宏です。 先生には、
情報公開法
とか
個人情報保護法
で大変御尽力をいただきましたことを心から感謝申し上げたいと思いますし、私も
個人情報保護法
にはずっとかかわってきたものですから、きょうはまだ
審議
中でありますから、その件はちょっと省いて、原理的なお話から聞きたいと思います。 この
プライバシー権
というものの根拠は、現在、
憲法
十三条ということが一般的に言われるんですが、特に
プライバシー権
というものの
あり方
というのが、最近は、
情報
という、インターネット時代というものに即応して出てきているということからいきますと、十三条というだけでなく、むしろ二十一条というものが根拠になるのではないのかなという感じがひとつしております。 この
プライバシー権
というものに対する根拠となるもの、そしてそれは新しい
権利
として
憲法
に書かないかということになりますと、他に代替するものがないというようなことが非常に大事な要素になると思いますけれども、そこで読み切れるから表示しないでいいかどうかということがあるかと思いますが、私は、
憲法
の
あり方
として、ある
日本
の方向性を示すということからいきますと、国民
憲法
という、国民主権というものをもっと前面に出す、あるいは人権
憲法
として、
基本的人権
の諸要素をもっと前に出す、あるいは環境
憲法
という方向で、環境権を初めとする要素を前面に出すというような
憲法
のつくり方があるのではないかということを感じているわけです。その意味で、私は、これからますます、
情報
化社会ということになる中で、何らかの形で
プライバシー権
というものが表示できないかと。 九〇年代にできた約七十ぐらいの新しい
世界
の
憲法
の中で、七〇%が何らかの形で
プライバシー
の
権利
というものを表示しているということからいきますと、表示するという積極性というものがあっていいのかな、こういうふうに思うのですが、先生いかがでしょうか。
堀部政男
24
○
堀部参考人
ただいまの、太田先生、一応、
憲法
に規定を入れるべきであるという御趣旨だと理解いたしましたが、
日本国憲法
の
制定
の
議論
の中でも、当時、
アメリカ
から示唆されて、
プライバシー
と今日言っているものに相当するものを規定するというような
議論
もあったと聞いております。その当時、既に
アメリカ
では、
プライバシー
の
権利
というのは、各州の
判例
、あるいは州によっては
法律
ということもありますが、それによって認められていたということもありまして、そうしたことがありましたが、
日本
ではその概念は取り入れられませんでした。 ほぼ時を同じくいたしまして、一九四八年の
世界
人権宣言の中などでは、
プライバシー
という概念が入っていまして、これを
日本
では
私生活
と訳したりしていまして、余り
関心
を引かなかったものというふうに思いますが、その後の、
プライバシー
に対する
関心
が高まってきた中で、一九四〇年代後半の文章の中にも同じような趣旨のものがあるということで、改めて
関心
を呼んだことがあります。 今後、インターネットに代表されるようなネットワーク社会の中で、
プライバシー
の
権利
というのはますます
保護
されなければならない
状況
になっていますので、その根拠として
憲法
に明文の規定を設けるということは、ぜひ御
検討
いただきたいというふうに思っています。
太田昭宏
25
○太田(昭)小
委員
もう時間が余りないんですが、先ほど倉田先生がおっしゃったのは非常に大事なところだというふうに私は思っておりまして、メディアについて、
自己情報コントロール権
、
アクセス権
というものが、本来は国家に対してのものであるけれども、メディア対国民ということは何らかの形で想定されてもいいのではないかということで、お答えは、それはそのとおりであるが、同時に、そこは除外規定というものが設けられるというお話でありました。そうすると、それは、結局のところは裁判ということにゆだねられるしか方法はないのかなという感じがひとつするわけですね。 そこで、今の
報道
被害とかさまざまな問題からいきますと、今回の
個人情報保護法
の論議の中で、逆に、メディアの自主規制というものが前進してきたというのは非常に評価されることであろうと私は思っておりまして、その意味では、現在のBROとか、その辺の
あり方
というものについて、私はもっと強化してもらわなくてはいけないなというふうに、自主規制というものはあくまでいくべきで、そこはそこでもう少ししていただかなくちゃいけないなということの
観点
が
一つ
、先生はどうお考えか。 そしてもう
一つ
、
アメリカ
等では懲罰的損害賠償という概念があって、それは
日本
の法体系と違っていて、
日本
の場合は、刑事と民事と両方でこれを押さえていくという
考え方
から、法体系が違うから非常に賠償額も少ないんだという話がありますが、私は、両方相まって幾らぐらいかということで、まだ相当
日本
は緩いのではないかなという感じがしているわけですが、この辺の、賠償額あるいは懲罰的損害賠償に近い物の
考え方
ということについて、いかが考えるか、御教示いただきたいと思います。
堀部政男
26
○
堀部参考人
メディアの自主規制は、今回の
個人情報保護
の
議論
の中で随分強化されてきていると思います。放送の場合には、その前からいろいろ問題が提起されまして、先生御指摘のBROができまして、これをどのようにさらに有効に機能するようにするかは、
関係者
の間ではいろいろ
議論
をしております。 また、メディアが
個人情報保護法案
からは除外されているわけですけれども、一方で、裁判所による救済は従来どおりあるわけでありまして、その際に損害賠償額をどうするのか、これもこのところ多額になってきている。それに対してメディアが批判をしているという
状況
もあります。 先生御指摘の懲罰的損害賠償、英米法ではピューニティブダメージズと言っておりますが、このピューニティブダメージズを
日本
で取り入れるべきだという
議論
は、前から
法律
家の間にありまして、そのこともいろいろ論じられております。 しかし、
最高裁
判所が、懲罰的損害賠償に関する外国
判決
の執行を
日本
でするについて、
日本
では、先生御指摘のように、民事責任と刑事責任というのを分けまして、懲罰的損害賠償というのは刑事責任の問題に近いということで、これを
日本
の制度として取り入れるわけにいかない、こういう判断を示したものですから、その段階で、
学界
の
議論
も、どちらかといいますと
最高裁
の
判決
に影響されて、余りそこを強調しなくなっている嫌いがあります。 しかし、一方で、懲罰的損害賠償は、過去の損失、損害を補うというばかりではなくて、将来にわたっても、同じような行為で他人の
権利
を侵害するようなものを防止するという側面もありますので、そうした
議論
をどうするか、これも立法的には可能であると思いますので、また
検討
していただければというふうにも思っています。
太田昭宏
27
○太田(昭)小
委員
ありがとうございました。
大出彰
28
○
大出
小
委員長
次に、
武山百合子
君。
武山百合子
29
○武山小
委員
武山百合子
でございます。 きょうは、重要なお話をありがとうございます。 早速ですけれども、先ほどのお話の中で、
日本
と
世界
の知る
権利
、
情報公開論議
という中で、実は、私、六年前にノルウェー王国政府の招待ということで、環境、外交、防衛を中心にノルウェーを訪ねたときに、それらの
関係
の方々にぜひお会いしていただきたいということで、たまたま外交官の方とお会いしました。 その方は、いわゆる船を居住にしている、海洋国であるということで、船の中で生活をしている大使だったんですね。ぜひその方とお会いしていただきたいということで、いろいろびっくりいたしました。ノルウェーの国はそういう大使をきちっと任命して、船の中に居住する大使がいるということに対していろいろ、
一つ
の視点で今お話ししておりますけれども。 そのとき出た話で、私とあなたで今会っているこの内容は、武山さんが
日本
へ帰られて、もしこの内容が欲しいということであれば、
情報
は数週間で公開できますと言われたんですね。私はびっくりいたした次第なんです。その中で、船を居住にしている大使がいるということやら、いわゆる外交上のお話が出たんですけれども、そういう内容が数週間で
情報公開
されるということを聞きまして、ああ、
日本
とは大変違うなというショックと同時に、大変進んだ国なんだなということで帰ってまいりました。 そういう意味からしまして、
日本
は、いわゆる公的な国の部分、それから地方は大変
情報公開
が進んでおりますけれども、外国から見た
日本
の
情報公開
の程度というのはどのくらいなんでしょうか。先ほど、数十年おくれているということですけれども。
堀部政男
30
○
堀部参考人
外国では、今先生御指摘のように、ノルウェー等北欧諸国では早い時期から
情報公開法
の
制定
がなされまして、お
手元
の
資料
でも、五ページ以下に調べられる範囲で私が調べたものを掲げておきましたが、非常に多くの国で
法律
ができています。
幾つ
かの国につきましては、これまでも
関係者
と
意見交換
などもしてきていますが、
アメリカ
がこの問題では非常に多くの
議論
があります。また、北欧におきましてもさまざまに論じられておりますが、
アメリカ
から見ますと、
日本
では、
法律
がない以前の話ですが、
日本
の
関係省庁
の
情報
がなかなか公開されないで、事業を
日本
で行う場合にもいろいろ支障が生じているというような指摘は随分なされました。日米のいろいろな通商
関係
などの話し合いの中でも、
アメリカ
からは、
日本
でも
情報公開法
を
制定
すべきではないか、こういう
意見
が出ていたということも聞いておりまして、
アメリカ
から見ますと、
日本
の
状況
というのは非常におくれているということは、前から指摘されていたところであります。 一方、北欧におきましては、スウェーデンの場合ですと、一七六六年という二百年以上前に
法律
ができていまして、スウェーデンの
関係者
とも何回か
議論
をしたことがありますが、
情報公開
をするのが当然という意識でありまして、もちろん適用除外になるものを
秘密
法という
法律
で定めてはいますけれども、その
考え方
が非常に広く行き渡っているということが特徴であります。 そういう点からしますと、
日本
は、ようやくこうした制度を導入し、また運用を始めたばかりでありまして、個別に
意見
を聞いているわけではありませんが、やはり
日本
のおくれというのは、外国から見ますと顕著ではないかというふうに思います。
武山百合子
31
○武山小
委員
やはり本当に意識を改革しなきゃいけないと思うんですよね。子供から大人まで意識改革が最も大事だと思うんです。 欧米では、当たり前のように、国民の公に対しての知る
権利
というのは、いつでも利用しやすく、そして、見られても堂々と見せるというのが非常にわかりやすくできていて、
個人
に対する
プライバシー
も非常にはっきりしていて、
個人
のは、聞いても、それを悪用するとかというのは余り聞かないんですよね、欧米の場合の
個人
に対する
プライバシー
は。
日本
は逆なんですね。行政は密閉したがる、知らせたくない、それでまた、商業用に
個人
の
プライバシー
は悪用したがる。まだまだそういう意識が非常に、私、国民の一人としても思っております。 ですから、何を根拠として意識改革をするかという基本的なものを子供から大人まで
認識
する必要があるんじゃないかと思うんですよね。相変わらず公的な機関、国も含めて密閉したがる、沈黙は金なんということわざもあるくらいですので。それから、
新聞
社を初めマスコミは、
個人
の
情報
を悪用したがる。数日前、いわゆる北朝鮮から拉致されて帰ってこられた曽我ひとみさんですか、その方のいわゆる手紙の住所をたまたま
新聞
で
報道
した。ああいうのも、
報道
関係者
は一番気にしなきゃいけない問題だと思うんですよね。 ですから、非常に低い意識であるというふうに思いますけれども、その意識の改革という点ではどう思われますでしょうか。
堀部政男
32
○
堀部参考人
これは武山先生御指摘のとおりでありまして、意識改革がなされなければ、制度をつくっても機能しないと思います。 しかしまた、制度をつくることによって意識を変えることも可能であるというふうに思いまして、私などは、そういうことで、一九七〇年前後から、こういうことを考えてみてはどうだろうかということで提案をしてまいりました。実際に、
自治体
で運用して見ていまして、やはり
条例
を
制定
し運用する以前とそれ以降とでは非常に大きく変わってきているというふうに見ています。 もちろん、個別にはいろいろな問題はありますので、そうしたことをこの
情報公開
という
一つ
の基準に照らして、何がその理念にそぐわないのか、どれが適合しているのかということを常にチェックしていく、そういうことで全体として意識を高めていく必要があろうかと思います。 メディアの例として出されたものなども、メディア
関係者
の中でぜひそのあたりは
検討
をしていただきたいと思いますし、そういうことをメディアの中でも常日ごろ
議論
はしているんですけれども、時々、恐らく一種の特だね意識みたいのもありましてそれを出してしまうというようなことで
関係者
に迷惑が及ぶ、こうしたこともありますので、そうしたことをまたどんどん問題にしながらよりよい意識改革を図っていく必要があると考えております。
武山百合子
33
○武山小
委員
どうもありがとうございました。
大出彰
34
○
大出
小
委員長
次に、春名直章君。
春名直章
35
○春名小
委員
日本
共産党の春名直章でございます。 先生、本当にきょうはありがとうございました。九九年の住民基本台帳ネットワークシステムのときの
参考人
でもお話を聞かせていただき、先日の
個人情報保護法
の特別
委員会
での
参考人
でもお話を聞かせていただきまして、大変示唆に富んだお話を何度か聞いて、私も感銘を覚えている者の一人です。 まず、きょうお聞きしたいのは、
世界
の
流れ
と
日本
の
流れ
を大局的に話していただいたんですけれども、これらの
権利
が、率直に言って、
ヨーロッパ
、
アメリカ
などと比べると二十年から三十年ぐらいおくれていますよね、もうはっきり。なぜそういうおくれを
日本
は来しているのか、それを率直に教えてください。
堀部政男
36
○
堀部参考人
大変難しい質問ですが、私たち
学界
に属する者ですと、外国の
状況
などいろいろ
研究
しながら、
日本
との意識の差などを問題提起してきているんですけれども、どうもそれが一般化しないのではないかというふうに思います。 きょうの問題でも、一九六〇年代、七〇年代と
情報公開法
も
制定
してきているわけですが、恐らく、
情報公開
あるいは
個人情報
を
保護
することによってこれまでの行政のやり方などを大幅に変えなければならない、そういうことに対する抵抗が非常に強いのではないかというふうに思います。 これは、こういう
議論
をしたこともあるんですが、一九七〇年代末ぐらいにこうした外国の立法例なども含めて問題提起をいたしました。
地方公共団体
ではそれがどんどん具体的に
検討
をされ、また実現していったわけですけれども、政治制度の違いというのがあるのではないか、こういう指摘がむしろ消極派の人からなされたことがあります。 それは、私などが提唱している
情報公開制度
というのは
アメリカ
には確かにある。
アメリカ
は大統領制をとっている、直接国民が大統領を選ぶ、選挙人を選んでということではありますが、直接選挙的な要素があります。
地方公共団体
も、
地方公共団体
の首長、それから議会の議員は当然なんですが、それも直接選ぶということで、
アメリカ
の大統領型のものである。こういうところでは、行政がどういうことをしているのかということを、やはり国民としてあるいは市民として公開を求めるというのは当然ではないかと。しかし、議院内閣制をとる国においてはその発想はとりにくいのではないか、こういう
議論
がありました。 ところが、この外国の立法例でも、一九八二年になりますと、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドにおきまして
法律
ができます。イギリスのウエストミンスター型と言っております政治制度、これは議院内閣制でありますので、
日本
の制度の
もと
になっているものでありますが、そういう国でも
情報公開法
の必要性から
法律
ができるということになってまいりました。その段階でも、もう
日本
でも、こういう
状況
からすれば、議院内閣制の
もと
でもこの制度が成り立つものではないか、こういう問題提起もいたしましたが、やはり従来のやり方を変えたくないということで、そうした
議論
はなかなか進まなかったというふうに見ております。
春名直章
37
○春名小
委員
今、行政の
あり方
を変えることへの抵抗が強いというお話もいただいて、私、なるほどなと感じたことがこの間たくさんありまして、例えば適齢者名簿の提供問題、八百二十二
自治体
にそれを、
住民基本台帳法
の趣旨を踏みにじって提供させる。それから、昨年は、知る
権利
の行使としてやった
情報公開
の請求者が、それがリスト化されてセンシティブ
情報
が集められてしまう。もう言語道断の事態が起こっているわけですし、本当に私許せないなと思うんですよね。 同時に、この間
法律
に携わってきて、例えば、野党が
個人情報保護法
で
自己情報コントロール権
という立場をしっかり明記、その中身は、文章は書いていませんけれども、そういう中身を、関与するというものをきちっと入れて、その立場で
個人情報保護法
をつくるのが当然だという私たちは立場に立ってやりましたけれども、なかなかそれ、頑強に、そういうことがまだ生成中の概念で、そんなものを入れるわけにはいかぬというふうに言われる。やはりそういうところを実際には問題にしていかないと、本当にこの生成中の
権利
をしっかりしたものにしていくということにならないなという印象を受けるんですよね。 そこで、もう一問御質問なんですが、今お話の中でも、
憲法
の上にこの知る
権利
、あるいは
アクセス権
などについて明記したらどうかという御
意見
もあります。ただ、私、先生のお話も伺っていまして、やはりこの
憲法
制定
後の五十数年間の歴史というのは、明文にはもちろんそれはないけれども、
憲法
十三条の
個人
の尊厳、そして幸福追求権、この大事な
権利
概念の中にそれを見出しながら、住民の運動、それから
世界
の
流れ
、そして先生のような
研究
者の御努力、それから裁判の
判例
の積み重ね、こういう努力の中で新しい人権という概念を国民がつくり出してきている。やはりそこが一番大事なところだと思うんですよね。それを立法によって応援する、そういうことが今私は
日本
社会では問われているんじゃないかと思えてならないわけですが、その点についての御
認識
をお聞かせいただきたいと思います。
堀部政男
38
○
堀部参考人
ここは、春名先生御指摘のとおりでありまして、やはり立法府で新しい概念を、
憲法
改正
ということになりますと、これはまた国民投票等いろいろ
議論
がありますのでなかなか大変だと思うんですが、立法レベルで新たな
権利
を創設するということは必要ではないかというふうに思います。 ただ、具体的な立法になりますと、その内容を相当明確化しなければならないということもありまして、そこがなかなか、
学界
で
議論
していましても、学説はさまざまなものですから、どれを立法の面で具体化すればいいのかというのは大変難しいところがあります。
地方公共団体
の
議論
でも、
地方公共団体
はむしろ理念的に
情報公開
について知る
権利
を入れるとか、あるいは
自己情報コントロール権
に近いものを法の中に入れるとか、そういう
考え方
も出てきていますが、大抵前文に入れてその理念をうたう。場合によると、第一条の目的に入れているところもありますけれども、あくまでもその理念として入れているということでありまして、それが、国でもそういう発想がとれればいいんですが、やはり国の場合には、この
権利
の中身が明確にならないと、それを
法律
の規定に入れるべきではないという
意見
が非常に強いことも事実でありまして、そういう中でなかなか具体化しない
状況
にあるかと思います。今後の立法の課題としてぜひ御
検討
いただければというふうに思っております。
春名直章
39
○春名小
委員
ありがとうございました。 最後に一点だけ。
個人情報保護法
の
議論
の
一つ
の焦点で、第三者機関を置くか置かないかという
議論
があります。それで、やはり
報道
の自由、
表現
の自由を守ることと同時に、
個人
の
情報
を守るということを両立させるためには、行政の恣意を入れないで、独立した
行政機関
がそういうことをきちっと判別していく、それは
世界
の
流れ
だと思うんですけれども、その点についてはどんな感じでしょうか。
堀部政男
40
○
堀部参考人
実は四月二十一日にも先生からそういう御質問が出まして、私は、将来的にはぜひ考えていただきたいというふうに思っております。 現段階では、四月二十一日に申し上げましたように、行政がこれまで非常に多くの経験を積んできていますので、当面それで対応をしてみる。それと、現実の問題としまして、
個人
の論文として書く場合には第三者機関なり独立監視機関を設けるべきだと言えるんですが、政府の
文書
として出す場合に、やはり全体
状況
を踏まえてまとめなければなりませんので、そこがなかなか、
個人
的見解を出すというわけにはいかないところもあります。野党の法案の中に
個人情報保護
委員会
が明確に規定されていますことは十分
認識
しておりますが、現段階ではこの方式で対応してみるということでいかがか、このように考えております。
大出彰
41
○
大出
小
委員長
次に、
北川れん子
君。
北川れん子
42
○北川小
委員
社民党・市民連合の
北川れん子
といいます。きょうは本当にどうもありがとうございました。 実は去年は、住基コード入りの、番号入りのはがきというものが世帯単位で配られたんですけれども、私自身は、市の窓口と県に異議を申し立てした一人なんですね。というのは、よく言う、ほっといてもらいたい、私に番号なんてつけないで、そういう気持ちと、もう
一つ
は、私の知らないところで私が知らない私の
情報
が積み上げられていくのではないか、そういうおそれというか恐怖心みたいなものとがありまして、未成年の子供も抱えているものですから、結局、窓口に通知を返しに行くという行為と、そして、自分の町には、
情報公開
、
個人情報保護
制度があるんですけれども、外部提供の中止とかそういう規定がないものですから、県の方にということになって、今、異議申し立てをしている一人なんです。
世界
の
流れ
の中とか先生の御存じの範囲で、人間に番号をつけるということがそもそもどうなんだということに関してのお考えがあればお聞かせいただきたいというのと、ことしの八月二十五日から本格稼働になるというふうに言われているんですけれども、住基台帳のネットワークシステムを先生はどういうふうに分析されているかをお伺いしたいと思います。
堀部政男
43
○
堀部参考人
まず、先日、北川先生からいろいろ御質問を受けまして、ありがとうございました。 住基ネットワークシステムにつきましては、実はこういう経緯がございます。たしか一九九五年、平成七年の二月末か三月の初めに、自治省の住基ネットワークシステム
研究
会の
中間報告
がまとまりました。私はそのときは
委員
ではありませんでしたので、メディアからコメントを求められまして、各
新聞
とも私のコメントを出しております。 そのとき申し上げましたのは、
一つ
は、
プライバシー
保護
について不十分である。それからもう
一つ
が、その段階ではコードという
言葉
ではありませんで、たしか番号だったと思うんですが、終生変わらない番号をつける、その番号を見れば、たしか生年それからどこで生まれたかということもわかるような番号だったかと思うんですけれども、これにつきましては、一九七〇年代の初めに
国会
でも相当
議論
があったところでありますので、その際に、当時の福田赳夫
行政管理庁
長官が、これは
世界
の趨勢、国民のコンセンサスを得た上で
検討
すべきであるということで、その段階では導入しないということになりました。そういう
議論
が果たしてその後なされてきたのかということになりますと、なされていないので、そこをきちんとするべきではないか。
プライバシー
保護
についてもこれでは不十分である、こういう趣旨の
意見
を述べました。 その後、私の
意見
などを踏まえて本
報告
、最終
報告
が出ましたが、その段階になりますと、かなりその点が改善されてまいりました。その際にも、
ヨーロッパ
型の第三者機関のようなものを何らかの形で設けるべきではないかというようなことも申し上げたりいたしまして、これもまたメディアでいろいろ
報道
されました。 その後は、自治大臣の懇談会に
出席
するようにということで出まして、今のようなことをいろいろ申し上げてまいりました。そこで、
住民基本台帳法
の
改正法案
は、そういった私などを含めた外部の者も
意見
を言ったものでできたところがあります。 そういう経緯がありますので、これ以上といいますか、いろいろ
意見
は言いましたけれども、そのかなりの部分が受け入れられているというふうに私は理解していますので、ちょっとそれ以上、ここもこうすべきだとか、ですから、全面的に反対するという立場はとりませんで、やはり
保護
措置がきちんととれるようにすべきである。 ですから、春名先生言われたあの九九年五月六日の
衆議院
地方行政委員会
における
参考人
のときも、その
改正法案
の中に、それ自体で
個人情報保護
の規定がかなり盛り込まれている。それから、指定
情報
処理機関におきましても、本人
情報
確認や本人
情報
保護
を、
審議
会を設けるということで、第三者的なチェックが及ぶようにする。こういうことなどが入っているということもありまして、これであればいいのではないか。 それから、そのコードにつきましても、それまでは終生変わらないものだったんですが、乱数表を用いて意味のないコードをつけ、しかも、それを本人の要求に応じて変えるということになりますので、そのコードはあくまでもデータ処理の上で必要なものということである。 そうなりますと、
世界
の
流れ
としては、むしろ番号をつけるのがかなりの国で行われているというのは先生御承知のとおりでありまして、
アメリカ
でも、一九三七年だったと思いますが、社会
保障
番号が生まれまして、これが現在でも広く使われていて、
民間
でも使われているような
状況
があります。
ヨーロッパ
でも相当
議論
がありまして、イギリスはまだ取り入れていませんが、この問題をめぐってかなり
議論
があります。北欧は既にいろいろな形で取り入れているというところがありまして、むしろ、趨勢とすると、何らかの形で番号をつけるということになっているというふうに私は理解しております。
北川れん子
44
○北川小
委員
韓国とか台湾とかがよく引き合いに出されるものですから、私も少し、一日、二日という形だったんですが、視察とかもさせていただいたんです。やはり三十年、四十年たつ中で、若い世代が、人間に番号をつけられていることが当たり前だ、身分手帳がある、携帯するという形で確認されていくのが当たり前になっていくことに疑問を感じている人たちが出てきて、その人たちとしゃべっていると、私たちの国はないんだけれども、これからそういうものの時代に入っていくんだという
議論
などをしていると、先ほど先生は
世界
の趨勢的にはとおっしゃるんですけれども、スウェーデンなんかもつけられている社会
保障
の番号に関しても、社会
保障
を担うといった点でもやはり共通番号をつけることへの警告というものも出されているとも聞いていますので、そこら辺はこれからの
議論
にもなるというか、
日本
はこれから入っていくので、多少私は危惧しているところがあるんです。 財団法人の地方自治
情報
センターが付番をするということになると思うんですが、そのときに、今
議論
されている
行政機関
の
個人情報保護法
とか独立行政法人の部分と、財団法人だから違うということでその法制がかぶらないというふうになると聞いているんですけれども、その点などは先生は、付番をするそもそものところに対しての
個人情報保護法制
のかけ方というものに関しては、お考えは何かおありになりませんでしょうか。
堀部政男
45
○
堀部参考人
財団法人地方自治
情報
センターは民法上の法人で、国から
情報
処理指定機関として指定はされていますけれども、
法律
上は
行政機関
法の適用は受けないことになります。 むしろ
住民基本台帳法
そのもので非常に厳しく
保護
措置がとられているというふうに私は
解釈
をしていまして、いろいろ問題点が指摘されたりしていまして、総務大臣の住民基本台帳ネットワークシステム
調査
委員会
にもかかわっておりますし、それから実は財団法人地方自治
情報
センターの本人確認
情報
保護
委員会
の
委員長
を務めております。そこでいろいろ
議論
している経験からしますと、今の
法律
が相当厳しく規定していますので、当面はこれで対応できるのではないか。 今後、しかし、技術の発展が急速ですので、どういう問題が出てくるかなかなか予測できませんので、そういう中で問題点が出てきたときに、やはりこれは行政としてもすぐに対応措置を講ずるように
法律
の
改正
等を提案すべきだと思いますし、さらに
国会
としても、ぜひそのあたりは監視していただければというふうに考えております。
北川れん子
46
○北川小
委員
時間が来てしまったんですが、最後に、先生が尽力されて
情報公開制度
ができたわけですが、その中に知る
権利
というのが明記されなかったことに対して、三年たってみて何かお感じになっている点があればお伺いしたいと思います。
堀部政男
47
○
堀部参考人
先ほど触れました
行政改革委員会行政情報公開部会
でも随分
議論
いたしまして、私は知る
権利
を入れるべきだという立場で発言いたしましたが、全体としては、成熟していない概念であるということで入れませんでした。ですから、そこで
意見
を述べて受け入れられなかったからといって、また外で、あのときはこう言ったけれども入れていないのはけしからぬと言える立場にないものですから、一
研究
者としては必要な概念であるし明文化されるべきだと思いますけれども、実際の立法過程の一部、その前の段階のドラフティングにかかわってきた立場としては、なかなかそこを今こうすべきだと言えないものですから、そういうことで御了承いただきたいと思います。
北川れん子
48
○北川小
委員
どうもありがとうございました。
大出彰
49
○
大出
小
委員長
次に、
谷本龍哉
君。
谷本龍哉
50
○
谷本
小
委員
自由民主党の
谷本龍哉
でございます。
堀部参考人
におかれましては、長時間お一人で御苦労さまでございます。私は、メディアに関しまして、倉田
委員
あるいは太田
委員
と重なると思いますけれども、質問をさせていただきたいと思います。
日本
という国は、私は、ある特定のものを神聖化したり絶対視する傾向あるいは風潮というものが強い国ではないかなというふうに考えております。 例えば、この小
委員会
ではありませんが、別の小
委員会
で
議論
をしました国連、これは第二次
世界
大戦の戦勝国が中心になってつくったものであって、実際の現場というのは、各国、特に常任理事国の国益、利害というものが激しくぶつかり合って多数派工作を行ったり権謀術数を行ったり、そういう非常にどろどろした
世界
であると思うんですが、しかしながら、
日本
人はこの国連というものを非常に公平公正で大所高所から正しい判断をするものだというふうに思い込んでいる節があるように思われます。国連というのは
日本
に対してはまだ敵国条項が残っている場所でありますが、それを盲目的に信じているというようなところがあるんじゃないか。 また、この
調査
会で
議論
をしているこの
憲法
、これについても似たようなところがあるのではないか。私は、人間がつくったものである以上、どのような
法律
であっても決して完璧なものはない。しかしながら、完璧なものはないということは
議論
を重ねて常に
改正
していくことが一番大事だというふうに考えるんですが、不磨の大典というような言い方で今まで
改正
されずに来た。たしか、そのままの形で残っている
憲法
、基本法としては
世界
最古になるのではないかというふうに思うんですが、そういう風潮がある。 その中で、次にメディアなんですけれども、これに関しては、少しずつ意識は変わってきているのかな、気づき始めている人もいるのかなと思うんですが、それでもいまだに、活字になる、あるいは映像になって
流れ
る、そうするとそれをすべてそのまま信じ込んでしまう、そういう傾向が非常に強いのじゃないか。 例えば、最近の例でいえばイラク戦争を見ればよくわかると思うんですけれども、あの
報道
の中でやはりその
報道
の仕方、これは、
報道
する側の目的とかあるいは立場、思想、思惑というものによっていかようにもその伝わり方は変わるんだということがはっきり見えたものだと思います。 確かに、全くのうそを流すということはないでしょうけれども、事実を流しても、その事実の組み合わせは必ずしも真実にはならない。方向性を決めてそれに合う事実だけを拾っていけば、思いどおりに
情報
というのは操作できる。また、メディアの中には事実でないことを伝えるような場面も出てきます。それが
報道
被害というものにつながってくるわけですが、逆に、この
報道
被害がどれだけあるかということについては余りメディアは
報道
しない、こういう現状があると思います。 先ほど、その
報道
被害の話の中で裁判云々の話も出ましたが、週刊誌等においては、もう裁判費用やあるいはそれによる罰金、そういうものまで実は既に計算に入れて週刊誌を出している。たとえうそとわかっていても、そして訴えられても、それでも売れればいいという形で出しているものもたくさんあります。よく見られるように、大見出しを書いて、最後に小さなはてなだけつけてごまかしたりというようなことが平気で行われている。これは、もうジャーナリズムというよりもコマーシャリズムの方に極端に走っているのではないかという気がします。 こういう現状を見ていると、やはり今の社会、特に
日本
現代社会においては、メディアというのはもう最大の権力になってしまっているんじゃないかというふうに感じています。政治家なんというのは簡単に、ある意味ではメディアがその気になればつぶせるんじゃないか、それぐらいの力を今は持っているんじゃないかと思います。 そして、それに対して厳しいチェックを行うということがなかなかできない。チェック機能が働きにくい現状にある。その中で、先ほど
参考人
も自主規制というものをしっかりやっていくという話もされましたけれども、私は、本当にそれでやれるのか、マスメディア、マスコミの中で自主規制というものが本当にこれから機能をしていくのか。全く信じていないわけではありませんけれども、いろいろな形のメディアがありますから、それをしっかりと規制することができるのか、非常に不安に思っております。 ただ、
憲法
二十一条、
表現
の自由がありますから
法律
ではなかなか難しいという
参考人
の
意見
もよくわかるんですけれども、今ここで
議論
をしている
プライバシー権
、あるいは知る
権利
を含めて
アクセス権
、そういったものをもし今後この
議論
の中で
憲法
改正
という方向に進んだ場合にどのような形かで入れるとしても、それが
表現
の自由、
報道
との、メディアとの
関係
で全く無力であれば問題が大きいのじゃないかというふうに思います。 その辺のことに関しまして、どういう方向性、どういう方法が今後
プライバシー権
とメディアの
表現
の自由との調和をとるのに一番ふさわしいかという
参考人
のお考えをお聞かせください。
堀部政男
51
○
堀部参考人
谷本
先生の御指摘、そういう問題があることはしばしば
議論
になっているところでありまして、それにどう対応するのかというのは、
日本
でも
幾つ
かの時期にそれらについて
議論
がありました。 先ほど、
プライバシー
の
権利
ということを
学界
で
研究
するようになりましたのが一九五〇年代の特に後半ですが、その前に、やはりメディアが
表現
の自由に名をかりてといいましょうか、それでかなり問題になる
記事
を出したりしていまして、それに対応するために、
プライバシー
の
権利
というものを対抗軸として主張していくべきだ。それが一方で
判例
上も認められてきまして、かなりバランスがとれたかに見えると、またメディアの側がいろいろ問題になるような
報道
をしていく。それに対して国民からの批判があって、またそれについてさらに自主的な対応をする、こういうことになっておりまして、特に一九八〇年代に入りまして、匿名
報道
主義というようなことが
大分議論
になってきて、私が知る限りでは、メディアも、そういうようなことで、原則、氏名、住所等は出さないというような方法をできるだけとるようにしてきているというところはあります。 しかし、そういう自主的な対応にも限界があるということは御指摘のとおりでありまして、これまでは、先ほど触れましたような第三者的な機関というのがないままで
日本
の場合にはメディアがそれぞれ対応してきたというところがありますので、当面考えられますのは、やはり第三者的な機関をメディア自身が設けることによって、そのチェックを受けて、また、そこにはだれもが不服、苦情を申し立てることができるようにするというようなことが考えられるかと思います。 このことも、例えばイギリスですと、一九五〇年前後から、プレスカウンシルというのができまして、ここが活字メディアについてはずっと対応してまいりました。それから、放送につきましては、一九七〇年代に入りまして、BBCと
民間
のITVとが、それぞれそういう第三者的な機関を設けまして対応する。今日では、放送については、
法律
上、救済機関を別に設けておりますが、
新聞
、活字メディアの方でも、プレスカウンシルをプレスコンプレインツコミッションと変えたりして、その時々に問題が出てきているものには対応するという方法をとってきております。
日本
では、今のところ、先ほど出ましたBRCが放送界ではできましたが、活字メディアについては今のところありませんので、活字メディアも今、まず各社で対応するということで、それぞれ
委員会
をつくったりしているところでありますので、これを、もう少しそれぞれの業界できちんと対応できるようにしてみる。それで、やってみて対応が不可能だということであれば、また別途いろいろ考えていく。そこは今のところ具体的案はございませんが、そういった第三者的な機関をきちんと設けるという
議論
をメディアとしてもしていくべきではないかと考えております。
谷本龍哉
52
○
谷本
小
委員
時間がなくなりましたが、最後に一問だけ。 太田
委員
からも質問があったんですが、先ほど言いましたように、ジャーナリズムといいますか、
報道
倫理というものをしっかりメディアが持っていただければ、自主規制ですべてうまくいくのであろうと思います。しかし、そこに利益主義というものが入ってくる中で、いろいろな問題が起こるんじゃないか。 そういう中で、先ほど太田
委員
が言われたように、
日本
の場合、裁判になって、そして、それが虚偽
報道
であったり、
報道
被害があったと認められても、非常にその罰金といいますか罰則が緩い。そのために、それをもう既に計算に入れて、それでももうかるからやるという現状が非常にたくさんあるというふうに思いますが、それを防ぐためには、やはりさらにそれを厳しくする必要があるんじゃないかと思いますが、その点はどうでしょうか。
堀部政男
53
○
堀部参考人
日本
の損害賠償額が非常に低いということは以前から問題になってきていまして、最近、それが高額化してきております。まず、それぞれの時代における、損害賠償額というのはどれが妥当かというのはやはり裁判所で十分審理をした上で判断していますので、裁判所が今のところ
プライバシー
の
保護
あるいは名誉の
保護
ということで損害賠償を高くしてきているというのは、
一つ
の傾向として重要な意味を持っているかと思います。
アメリカ
の場合などは、以前から損害賠償額が非常に高いものですから、やはりそこで、今度は、裁判所の
判決
との
関係
でも、自主的に対応する場合にも、それなりのチェックをしていく。各社に、全部かどうかわかりませんが、主要な
新聞
社ですと、内部にそういった法的な
観点
からチェックする
専門
の弁護士がいて、ここまで
報道
すれば、先例からして損害賠償になる、損害賠償がどのくらいだからということで、きちんとチェックをするという体制
もと
っているといいますが、なかなか個別の
記事
についてまでチェックが及ばないということもありまして、先日もニューヨーク・タイムズの記者の捏造
記事
が問題になったりもしていますので、そういう問題をどんどん明るみに出すことによって、よりよいものにしていくというのは考えられるところではないかと思っております。
谷本龍哉
54
○
谷本
小
委員
どうもありがとうございました。 以上で終わります。
大出彰
55
○
大出
小
委員長
次に、
今野東
君。
今野東
56
○
今野
小
委員
民主党の
今野東
でございます。 私は、
衆議院
で
審議
されました
個人情報保護法
の
審議
をする特別
委員会
のメンバーでございまして、その
委員会
の中でも
幾つ
かの質問をさせていただきましたが、
堀部
先生が
参考人
としておいでになった
会議
にももちろん
出席
をしておりましたけれども、残念ながら、質問する
機会
がありませんでした。きょう、こうして再びお話を伺わせていただき、質問をさせていただく
機会
を与えていただきましたこと、大変うれしく思っております。 限られた時間の中ですので、時計を見ながら、二問になりますか三問になりますか、お尋ねしたいと思います。 まず、
自己情報コントロール権
なんですけれども、私は、
委員会
の中で、この
自己情報コントロール権
というものがどうしても必要だということを質問し、また、その答えも求めたんですけれども、しかし、担当大臣は、
自己情報コントロール権
は概念として確立していないという説明をして、
衆議院
を通過した法案の中には含まれておりません。 諸外国の例を見ますと、これはもちろん、先生、御
専門
でいらっしゃいますから、当然御存じなわけですけれども、ドイツの
個人情報保護法
を見ますと、
自己
に関する
情報
の開示請求、それからデータファイル登録簿の閲覧、第三者機関的制度である
連邦
データ
保護
監察官への苦情申し立ての
権利
というのが与えられておりますね。 それからもう
一つ
は、イギリスを見ますと、
データ保護法
で、
アクセス権
を、
個人
は、データ利用者の保有するデータが自分の
個人
データを含んでいるかについて知らされる
権利
を有するとともに、自身がデータ主体である
個人
データ、処理目的、データ受領者を通知される
権利
を有するというふうに
法律
の中にはっきりと明記しております。
フランス
は、
情報
処理・データと自由に関する
法律
ですけれども、データ主体は、みずからの
個人情報
を有するか否かを問い合わせる
権利
、及び
個人情報
を有している場合にはその
情報
に関する
アクセス権
を有すると明記しております。 また、
アメリカ
の
プライバシー法
も、
個人
がデータ管理者に対して
自己
情報
にアクセスし、写しを入手する
権利
、あるいは
自己
情報
の訂正権がありますね。 このように、
情報
保護
について進んでいる国々が、きちんと
自己情報コントロール権
について明文化し、それを
保護
しているにもかかわらず、我が国の担当大臣は、概念として確立していないということを、法案の中に、法文の中に入れない理由として挙げたわけですけれども、私は、この
自己情報コントロール権
というのは法案に入れるのに十分概念として発達しているのではないかと思うんですが、
堀部
先生はいかがお考えでしょうか。
堀部政男
57
○
堀部参考人
自己情報コントロール権
、
今野
先生言われたように、各国の
法律
の中では具体的に規定されております。 そのことは、現在の法案でも、
個人情報
の
保護
に関する
法律
案では、
権利
という形ではないんですが、「
個人情報
取扱事業者の義務等」という形で、開示の求め、それから訂正の求め、利用停止の求めがあればそれに応じなければならない、義務という形で規定しております。 これを
権利
として構成するか義務として構成するかということも
議論
したことあるんですが、政府としては、法案で「
個人情報
取扱事業者の義務等」という中に入れたものですから、義務という形で構成しております。 ですから、反対
解釈
すれば、データ主体、本人の方の
権利
というふうに読むことはできると思いますので、裁判所にそうした
権利
を主張する、実際には、やはり義務ですから、義務を怠ったという形で訴えることにはなるかと思いますけれども、その趣旨は入っていると思います。 法案全体として、つまり、これも、収集、コレクションという概念を用いるか、取得という概念を用いるか、いろいろ
議論
いたしましたが、取得という概念で、取得目的を明確にする、それから利用目的を明確にするとか、提供についても制限するということで、
自己情報コントロール権
の実質は
個人情報
の
保護
に関する
法律
案で具体化されているというふうに私は見ております。 それから、
行政機関
法の場合には、むしろ、本人の「開示
請求権
」という形で構成をしまして、その
考え方
が入っていると見ております。 それを第一条の「目的」に入れるかどうかということで、恐らく、細田大臣は、概念として熟していないのでその
言葉
は入れられない、こういうことではないかというふうに私は理解しております。
今野東
58
○
今野
小
委員
そういった趣旨は法案の中に盛り込まれているのではないかという先生のお話なんですけれども、私は、そういう形で入ってはいても、非常に使い勝手が悪い法案なのではないかなということで、ちょっとしつこく質問をしたわけなんです。 さて、もう
一つ
、私がしつこく言ったものについて、見直し条項というのがあります。 野党から出された案については、
個人情報
については、見直し案、三年以内に見直しというのが入っておりましたけれども、私は、
行政機関
の
個人情報保護法
についても見直し条項を入れるべきだったというふうに思っているんです。 というのは、介護保険制度等を見ても、新しくこの国の制度をつくっていくときに、実際に運用してみないとわからないというのがあるわけですね。特に、
個人情報
に関しては、商売の形態もさまざまですし、IT関連でこれからどのような商売が出てくるか私たちの想像を超えるところがあるわけですね。 さらに、現在でも、
審議
の中でも出ましたけれども、例えば質屋さんの場合、主務大臣というと許認可をする公安
委員会
である、その質屋さんがインターネットを使って仕事、商売をすると、それはどうも経済産業大臣になるでしょう。
一つ
の商売なのに、どっちがどうなのかわからない。しかも、公安
委員会
であるといった場合には、商売について警察から指導されるというのは、庶民の感覚としては、商売をしている人としては、非常に大きなプレッシャーがありまして、そういったあいまいな点が多数出てくるだろうと思うんですね。 実際に、
審議
の最中に、自衛隊地方連絡部の自衛官募集に際してのセンシティブ
情報
も含めた住基
情報
の提供などもありまして、目的外利用、第三者提供、センシティブ
情報
、
情報
の適正取得などで重要な点が多数含まれている問題が明らかになっていったわけです。 こういう点が
幾つ
明るみに出てくるかわからないわけで、私は、見直し条項というのは絶対に必要だと思っているんですけれども、先生はそのあたりはどうお考えでしょうか。
堀部政男
59
○
堀部参考人
今野
先生御指摘のように、むしろ、見直し条項がなくとも常に見直しをしていくべきではないかというふうに考えます。ITの発展というのはとどまるところを知りませんので、またそれを悪用したさまざまな問題が出てくる危険性がありますから、やはり、その都度きちんと対応するようにしていくべきだと思います。 これは、一九八八年の現行の
行政機関
の保有する
電子計算機処理
に係る
個人情報
の
保護
に関する
法律
案のときにも、あの法案の不十分な点がいろいろ指摘されました。私、
衆議院
の内閣
委員会
に
参考人
として呼ばれまして
意見
を申しましたが、もちろん不十分なところがあることは、かかわってきましたし、外国の立法例などと比較して十分承知しております。しかし、現実の中で
法律
をつくるとなりますと、やはり
日本
的風土がありまして、なかなか理想的には進まないというところもあって、とりあえずといいますか、
法律
をやはりきちんとつくって、それを運用してみて問題が出てきたところでさらに改める、こういう必要があるではないかということで、とりあえずつくることの意味が大きいのではないかという趣旨の
意見
も申し上げました。 一九九九年、平成十一年の
高度情報通信社会推進本部
個人情報保護検討部会
の座長として、その経験を踏まえまして、先ほどの、この前もお示しした図と同じですが、基本法の上に、公的部門につきましては、現行の
個人情報保護法
等の見直しということを明確に入れましたが、それは私自身がそういった過去のことを知っていますので、なかなかその見直しが進まなかったものですから、あの段階で
関係
してきた者として明確に入れまして、それがその後、また
国会
でのいろいろな御
意見
などもあって、総務省として
検討
し、電算処理からそれを広げて多くのものについて
法律
の
対象
にするというところまで来たわけです。 今後、どういうふうになっていくか、またいろいろな新たな
状況
に応じてぜひそれは見直してほしいと思いますし、また、そういう
機会
がありましたらいろいろ
意見
も述べたいと思っております。
今野東
60
○
今野
小
委員
時間が来ました。ありがとうございました。
大出彰
61
○
大出
小
委員長
次に、長勢甚遠君。
長勢甚遠
62
○長勢小
委員
いろいろ御指導いただきまして、ありがとうございました。 ほかの先生からもお話がございましたが、お話の中で、権力の三極構造の中で、マスメディアへの
アクセス権
という
考え方
もお話がありまして、大変
関心
を持ちました。ここで、拉致被害者である曽我さんの家族の住所を
報道
するということが今問題になっておるわけでございますが、象徴的な事件だと思うんですけれども、この事件についてどのようにお思いになっておられるか。いずれにしても、こういう修復しがたいような被害から国民を守るということは極めて大事なことだと思うんですが、どのようにお考えになっておられるか、お伺いしたいと思います。
堀部政男
63
○
堀部参考人
ただいま長勢先生が言われたとおりに私も考えております。 メディアとしてやはり、何を
報道
し、何を
報道
すべきでないかという一応の基準があるはずなんですが、どうもその時々の
状況
に応じてそれを逸脱することが行われているのは、大変残念であります。このあたり、各
新聞
社の倫理綱領なりで対応しているわけですが、今回のは、恐らくデスクもきちんとチェックしなかった結果がこのようなことになったのではないかと思いまして、そうなりますと、社内でのチェック体制そのものにも問題があったというふうに理解しております。
長勢甚遠
64
○長勢小
委員
こういうことを内部体制だけの問題として考えるべきかどうかということも、そろそろ考えなきゃならない時代になったのかなと思います。
報道
の自由あるいは知る
権利
というものを至上のものとして今まで考えてきたわけでございますが、昨今、
報道
技術というものも格段に進歩したわけでありますから、従来の
考え方
だけでやっていくと、弊害というものも大変目立つようになった。今やもう、
個人
に対しても、社会、公共に対しても、マスコミはアンタッチャブルと言ってもいいくらいの大きな権力となっていることは、だれもが不安に思っておることでありますし、これはもう従来の法体系の中では予想できなかった事態なのではなかろうか。 そうなりますと、本来、こういう自由、
権利
というのが、自由であるとか民主であるとか人権というものを守っていくというためのものだったのが、逆にそれを阻害するということにもなりかねないということを感じている人は、そんなに少なくないと私は思っております。現実に、このマスコミのありようについての不満、不安というのはたくさんの人が言っておるわけで、私はたまたま今食品安全の問題にかかわっておりますけれども、そういう中でも、いわゆる風評被害だとか、あるいは経済、経営にもたらす大きな影響ということが、果たして
報道
の自由なり知る
権利
とのバランスがとれているんだろうかという
意見
も聞きますし、また取材についても、その対応によっては何か罪悪人にされるという風潮が随所にあるわけで、こういうことも国民には大変な不安になっているというケースが多く見られると思うんです。 従来、この
報道
の自由あるいは知る
権利
というのが、国家権力などから国民を守るということで、非常に大事なものであったことは当然なわけでありますけれども、その結果なのか原因なのか私にはよくわかりませんけれども、マスコミというのは、何かというと、とにかく公正中立なものである、非営利である、あるいは真実を伝えるものである、国民の知る
権利
をかわって行うものであるということが
一つ
の、私はこれは神話であり虚構だと思いますけれども、これが根拠になって、これがさらにマスコミ権力を強大化してきておる。 その結果が現在こういうことになって、どうも、
報道
と社会あるいは
個人
とのバランスが変わっているにもかかわらず、こういうことをやっていいんだろうか。むしろ、このような、非営利であるだとか、公正中立であるだとか、真実だとか、国民のかわりだとかという神話、虚構に立たない中で権力の分散を図って、自由なり民主なり人権を守る中での
報道
の
あり方
という新たな法体系というものを考えていかなければならないのではないかなと思っておるんですが、具体的に提案をすべき能力がありませんので、国民の皆さんも、これからマスコミによって我々の社会はどうなるんだろうという心配をしておりますので、何か御示唆をいただければありがたいと思います。
堀部政男
65
○
堀部参考人
長勢先生御指摘のような問題点があることは、広く
議論
になっております。先ほども、メディアの側もそういう批判に対してさまざまな対応をしてきているということを申し上げましたが、北朝鮮に拉致されて今帰国した方々の取材などにつきましても、現在のところ、私が聞いているところでは、代表取材ということで進めているそうでありまして、それは和歌山のカレー事件のときのメディアスクラムということで、たくさんのメディアが一斉に現地に行って、市民生活の平穏が害されるような
状況
になってきた。それに対する社会の批判を受けまして、メディアスクラムということはもうしないようにしようということで、これを改めるということも
新聞界
では行っていまして、その結果が今度の拉致
報道
の
関係
では代表取材ということで対応し、その点では従来ほどの弊害は出ていないのではないかというふうに私は理解しております。 ただ、どうしてもそういう中で個々の記者などがそれに反する行為をする、これは、
法律
でいろいろ規制がありましても、どうしてもそれに反する行為というのは人間社会にはありますので、そういった問題が起こったときに、やはりその基準がだんだん明確になってきていますので、そのことが社会的批判を浴びるということになってきているかと思います。 曽我さんの住所の
報道
につきましても、以前ですと、むしろ住所を含め
報道
するのは当然のようにメディアは主張してきましたが、大体七〇年代、八〇年代にそういうものに対する批判が出てきて、そこはかなり改善されてきているというふうに私は見ております。 そういう
議論
の上で、ですから、今度のような問題についても、やはり当該の
新聞
社みずからが問題を十分受けとめているというふうに私は理解しております。
長勢甚遠
66
○長勢小
委員
先生の今のお話、先ほどからもそうですが、マスコミの
憲法
上なり、あるいは社会的な役割というものの位置づけはそのままの中で弊害を除去していけるのではないかというお話だと思うんですけれども、かくも技術進歩の中で、あるいは先ほど申しました虚構、神話の定着の中で、弊害を除去するという方法が根本的にあり得るんだろうか。やはり根本的に、法体系の中での位置づけというものを見直すことが必要になってきているのかなという不安を持っておりますが、どうでしょうか。
堀部政男
67
○
堀部参考人
このあたりは、今先生御指摘のように、一方でメディアが果たす役割、特に民主主義社会において多様な
情報
を伝える、そこに、もちろん問題のある
情報
もいろいろと出しているということもあるわけでありますが、そうした多様な
情報
が出せるような体制というのも一方で必要なわけでありまして、それが本来の目的を達しないようなものである場合には、やはり批判を加えることによって改善を図っていく、こういうことが、私も随分長くこの問題をいろいろな形で
議論
してきていますけれども、相当改善されてきていると見ております。 ただ、どうしてもその時々にそれに反する行為が行われ、またそれが次の段階でさらに改められていく、こういう繰り返しでもあるというところもありますが、全体とするとよりよい方向に向かってきているというふうに私は理解しております。
長勢甚遠
68
○長勢小
委員
どうもありがとうございました。
大出彰
69
○
大出
小
委員長
次に、
井上喜一
君。
井上喜一
70
○
井上
(喜)小
委員
保守新党の
井上喜一
でございます。きょうは
参考人
、御苦労さまでございます。 この知る
権利
、それから
プライバシー
の
権利
、どうも
判例
の積み重ねでありますとか、あるいは
法律
ないし
条例
なんかの積み重ねでできてきた
権利
のようにも思うのでありますけれども、今
学界
で通説、通説でよろしいのでありますけれども、知る
権利
とか
プライバシー
の
権利
をもう少し
法律
的にきちっとこれは説明してほしいんですよね。今
参考人
のお話を聞きまして、よくわからないんですね、中身が。ちょっとそこをまず御説明いただきたいと思います。
堀部政男
71
○
堀部参考人
知る
権利
という概念をどのように定義するのかというのは、それぞれの
研究
者によりましてかなり違いがございます。
学界
は、ある意味では、そういう多様な説が出てきて、その間、お互いに
議論
をする中で、どのような
考え方
が最も適切であるか、こういうことになっていくわけでありますが、その中から、きょう事務局の方で準備していただいた
資料
の中に
幾つ
かの学説が出ていますので、これらからしますと、学説の上では、知る
権利
というのは、
日本国憲法
の中に明文の規定はないけれども、実質的に
保障
されているものということで、その問題を明確にしているという
状況
になっております。 先ほど申し上げました
行政改革委員会行政情報公開部会
では、そのこともいろいろな学説を
検討
していまして、やはりそこに、いろいろなものがあるものですから、それを
法律
の中に設けると特定の学説を何か支持するような形になる、それが
学界
の今後の
議論
の発展にいいのかどうか、こういう
意見
も一方でありまして、そこでそれを明文の規定では入れない、しかし、国民主権の理念に基づきという概念で、これは
憲法
に明文の規定がありますので、むしろそれでもって知る
権利
を支える
憲法
の趣旨は入れられた、こういうふうに理解をしております。
井上喜一
72
○
井上
(喜)小
委員
どうも今の御説明をお聞きしますと、知る
権利
及び
プライバシー
の
権利
というのは、その中身についてはまだきちっとしたものがない、あるいは
権利
の性格につきましても、今定説として何か言えるような
状況
じゃない、こんなふうに理解をいたしました。 次に、何人かの方が問題にされましたけれども、この曽我さんの
記事
ですね。私きょう、これは朝日
新聞
東京
版でありますが、持ってまいりましたけれども、これは三十四ページに書いてあるんですね。極めて読みにくいところです。ほとんど目につかないところにこれは書いてあるんですね。 中身を見ますと、どうも役場で記者がファイルを盗み見たというようなことでこの住所を知ったということのようなんですが、どうも中身を見ますと、大体いつもそうなんだけれども、配慮が足りなかったとか、その手なんですよ。それでおわびするんだ、こういう話になるんだけれども、これは私は、こういうことで済まされる問題じゃないんじゃないかと思います。 確かに
報道
の自由、言論の自由はありますし、マスコミというのはやはり社会の公器だ、こういうことを、これはマスコミだけじゃなしに皆さんが認めていると思うのでありまして、それならばそれなりに、そういったことを担保するもの、広く言えば制度的と言っていいかと思うのでありますが、そういうものがあってしかるべきだと思うんだけれども。 今いろいろな仕組みがあると思うんだけれども、現在の、こういう
報道
の公正さを担保する、あるいは
プライバシー
の
権利
の侵害を防ぐ、そういうものとしてこれは十分なものとお考えなのかどうか、十分でないとすれば、どういうことをこれから考えていかないといけないのか、その点についてお考えをお聞きしたいと思います。
堀部政男
73
○
堀部参考人
井上
先生御指摘のように、十分とは考えておりません。そのために、メディアに対してもこれまでも、この種の事件が起こったりしますと、いろいろな形で
意見
を述べ、むしろ対応をきちんとすべきだということを言ってきております。 今回の場合の問題も、
一つ
は、社内的にどういう処分をすることになるのか、ちょっとここはまだわかりませんが、やはり、これまで当該の
新聞
社は
幾つ
か過去に問題が出ていまして、その都度厳正な対応をしてきたというふうに理解しております。
一つ
はやはり、それぞれの社で対応すべきことであると思います。 他の、外部でこういうものをどう担保するのかということになりますと、先ほどから申し上げていますように、やはり第三者的な機関を自主的に設けることにより、そのチェックを受けるということが当面考えられるところではないかと思います。 放送では、先ほど来申し上げていますように、BRCが一定の役割を果たしている。もちろんこれも決して十分なものではないわけでありまして、今後、もっともっと有効に機能するようにさまざまな改善を図っていくべきでありますが、
新聞
については今のところ、残念ながら、
新聞界
として、第三者的な機関を設けてそこでチェックをし、また今回のような問題についても、例えば曽我さんが被害者だということで、そこに苦情の申し立てをするというようなシステムにはなっていません。 これもいろいろ
議論
はしてきているんですが、ちょっと、今の
新聞界
で本当にできるかどうかはまだわかりませんけれども、
関係者
の中には、ぜひそういうものは設けるべきだということで
議論
をしているというふうにも聞いておりますので、その結果がどうなるか、もう少し見守っていきたいというふうに考えています。
井上喜一
74
○
井上
(喜)小
委員
これは、
新聞
記事
によりますと、曽我さんの
文書
は朝日
新聞
社に届いているようですけれども、どういう
文書
になっているのかわからないんですよ。そういうことすら
報道
しないわけで、私は、この問題、かなり大きな問題を抱えていると思います。 そこで、この
プライバシー
の
権利
につきまして、この
権利
の侵害に対して、外国で刑事罰を加えるような、そういう立法例というのはあるんですか。
堀部政男
75
○
堀部参考人
プライバシー
の
権利
の侵害に対しては、一般的には民事的な側面で対応しまして、損害賠償請求というのが普通であります。
アメリカ
の州によっては、ただ、その
プライバシー
という
言葉
もさまざまですので、他人の名前や何かを使ったとか、何かそういう侵害例ですと刑罰を科したりする例もあったりもいたしますが、さまざまな態様の
プライバシー
侵害について、それをカバーするような刑事罰というのは、なかなか明確にはし得ない。 これは何を構成要件にするかということになりますので、特に刑罰を科するとなりますと、構成要件の明確性が要求されるということもあって、
日本
でも
プライバシー
侵害罪というのを設けるべきだという
議論
は随分あるんですけれども、その
プライバシー
自体が定義がなかなかしにくい。また、これもいろいろなところで、
アメリカ
のプロッサーという不法行為の大家なども、四つの類型に分けざるを得ないということを言っているような
状況
でして、どの部分をとらえて
プライバシー
侵害罪とするのか。 これは、実際に立法ということで具体的に
議論
が始まりますと、どの側面を
保護
法益とするのかということになっていくかと思うんですが、少なくとも私が知る限りではそこまでの
議論
にはなっていませんし、外国でも、そこは今のようなことで、何を
保護
法益としてどのあたりで処罰するのかということについては、それほど明確な基準があるというふうには見ておりません。
井上喜一
76
○
井上
(喜)小
委員
ありがとうございました。
大出彰
77
○
大出
小
委員長
これにて
参考人
に対する
質疑
は終了いたしました。 この際、一言ごあいさつ申し上げます。
堀部参考人
におかれましては、貴重な御
意見
をお述べいただき、ありがとうございました。小
委員会
を代表して、心から御礼を申し上げます。(拍手)
—————————————
大出彰
78
○
大出
小
委員長
これより、本日の
参考人質疑
を踏まえて、小
委員
間の自由討議を行います。 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小
委員長
の
指名
に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いをいたします。 御発言を希望される方は、お
手元
のネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。 発言時間の
経過
については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。
春名直章
79
○春名小
委員
きょうの討論を聞いていまして、
二つ
発言させていただきます。
一つ
は、
表現
の自由、メディア規制の問題についてです。 国民の知る
権利
にこたえる取材、
報道
に伴って収集し、そして管理し、公表される
個人情報
は、本来、政府の統治目的だとか、あるいは一般的な
民間
事業者の営利目的で保有されている
個人情報
とは異なる扱いをやはりする必要がある、これが
一つ
です。
二つ
は、それとの
関係
で、
表現
の自由は、やはり民主主義の原理そのものであって、不可欠の
権利
であって、
憲法
上明記されている大変大事な
権利
であります。したがって、いかに
プライバシー
保護
のためとはいえ、その制約には極めて慎重な配慮が要求されるということだと思います。この間の
個人情報保護法
の
議論
の中でも、焦点はそこに
一つ
大きくありました。 したがって、そういう角度から考えたときに、メディアへの規制というのを法的には絶対してはならない、もうはっきりしていると思います。そして、自主規制によってこのことは解決をするのがまさに本筋であって、そのことを改めて明確にしておきたいと思います。 その目で見ますと、政府提出の
個人情報保護法案
の中には、主務大臣が
報道
目的とか著述目的ということを判断するということになっていて、大変恣意的な判断がされる可能性が残っていること、それから、法案の中に、放送機関などに対して
個人情報
の苦情処理や適正な取り扱いを求める規定を設けていて、メディアが自律的に定めるルールや倫理に
法律
で国が指示をするという仕掛けが残っていますので、こういう点は重大な問題として残っているということを私は指摘しておきたいと思います。 二点目は、きょうの
参考人
の
質疑
を通じまして、やはり知る
権利
、
アクセス権
、
プライバシー権
は
憲法
で
保障
された
基本的人権
の
一つ
でありまして、
憲法
制定
後の国民の運動、裁判の
判例
、
堀部
さんを初めとした
研究
者の努力などの積み重ねによって生み出されて確立してきた概念だということ。 したがって、今日問われていることは、それを実効あるものにする、やはり立法上の整備であって、
国会
に課せられたそういう課題、そういうことが課題になっているということを改めてきょうの
参考人質疑
で
認識
いたしました。 以上です。
今野東
80
○
今野
小
委員
私も、
委員会
審議
の中で、この
個人情報保護法
について、見直し条項というのを強く主張してまいりました。きょう
参考人
がおっしゃいましたように、やはり必要であるというお話をいただきまして、ますますその意を強くしたところであります。 私たちがこの
国会
でつくっていくその
法律
というのは、よく政府側の答弁の中にも出てきますけれども、完全なものではありません。したがって、こうしてつくったもの、特にこの
個人情報保護法
については、真摯にその見直しを重ねていくという姿勢が大事なのだということを特に強く思ったわけであります。 二点申し上げますが、もう一点目は、特に与党の側の議員の方々から、
報道
について、その
表現
ぶりについて、何らかのチェックをしなければならないのではないかというお話がよく出てまいりまして、大変気になりました。 私も、確かに
日本
のマスコミというのは、
報道機関
であるその志を失っているとは思います。志を失い、単に、
報道機関
というよりも、むしろ興行機関、金もうけの道具、娯楽機関になり果てているというところもあります。しかし、だからといってそこに公権力が何らかのチェックするシステムをつくろうとするのは、これは明らかに
憲法
に違反することでありまして、決してしてはならないことだと思います。 しかし、
個人
の
プライバシー
等に関して侵害を受けたと感じた場合に異議を申し立てる何らかの第三者機関というのは、私は、お話を伺っていて、確かに必要なのかもしれないなということは思いました。ただし、その場合、やはり第三者機関でありますから、今既にある国の省庁の中につくることがあってはならないということを思った次第であります。 以上でございます。
平林鴻三
81
○平林小
委員
まとまってきちんとした理論を私が申し上げるまでには至りませんけれども、きょう問題にされました事項は、これからの
日本
の民主政治というものを維持発展させていく上に非常に大事な問題だなということを感じました。 といいますのは、もちろん
憲法
とかそういう法制的な問題もありますが、一般的にいわば、自由には責任を伴うものだ、
権利
には義務を伴うものだということをやはり広く国民が自覚をした上でかような問題を取り扱っていくということは、さらに徹底していかなければいかぬのだなという感じを受けました。
憲法
の条文には一々触れる必要は必ずしも私はないと思っておりますけれども、国民全体にそういう意識を高めておかないと、いわばデモクラシーの運命にかかわるような事件が起こってくるんではないか。 といいますのは、私、旧
憲法
時代、大
日本
帝国
憲法
時代の大正デモクラシーのころの
新聞
のコラムなんかで今ごろになって出版されたものを見ておりますと、非常に辛らつな名文で社会的な地位のある
個人
の、例えば政治家とか学者とか裁判官とか、あるいは大きな会社の社長さんとか、そういうような人をコラムで実名を挙げてまで辛らつな
個人
的な行為の批評をしておる。 これは、そのこと自体は確かに興味を持って読めますけれども、こういうことが横行し始めると、これはデモクラシーという社会体制を自壊させていくんではないか。要するに、ろくなやつがおらぬなということになって、社会的な信頼を
新聞
が損なっていく、余りにも行き過ぎるとこれはデモクラシーの自壊、みずからつぶれていくということにつながるものではないかという気がいたしたことがございます。もちろん、大正デモクラシーというものが、ジャーナリズムが自分で壊してしまったということだけではありませんけれども、ほかにもいろいろな原因がありますけれども、やはりそれは今冒頭に申し上げましたように、自由には責任を伴うんだ、
権利
には義務を伴うんだという自覚をやはり、特に
情報
とかあるいはそういう部門に関して従事する人には注意をしてもらいたいものだな。 それで、皆さんとほぼ共通した
意見
でありますけれども、
民間
放送には既にある程度の役目を果たす組織がございます。けれども、
新聞
にはそういう組織がない。ここら辺を我々が注意を喚起する必要は大いにあるんだなという気がいたしました。 ほかにも申し上げたいことはございますけれども、とにかく
報道
が一方に偏るということは非常に危険なことでありますが、同時に、
報道
が
個人
のスキャンダラスな行為とかそういうものを余りにも辛らつに取り上げると社会的な混乱、動揺を招くんだな、それが
日本
が大正デモクラシーからファシズムに転換していった
一つ
の原因にもなったのかなということを感じたことを申し上げておきたいと存じます。
北川れん子
82
○北川小
委員
堀部参考人
のお話をお伺いしておりまして、
情報公開制度
の
制定
の折に
部会
において知る
権利
を強く再三御自身として主張したということをきょうも明らかにされました。しかしながら、自分の一番盛り込みたいところが入れられなかったからといってその
立法化
において断念するのではなくて、常に一緒に見ていきたいという御発言に意を強くした次第であります。 そのときの内外の情勢というものにどうしても左右されるという立法過程での苦渋というものも、きょう拝察させていただいた次第でありますが、今回の、今
審議
中であるということでもありまして、
個人情報保護法
、私自身もかかわって
衆議院
の方でやっておりましたけれども、
民間
の包括法の方と行政の
個人情報保護法
の方とがどうしても一本一本という独立した
審議
過程を経ることができずに五法一括ということでありましたので、なかなかわかりにくい
審議
になったのではないかと思っております。 しかしながら、そのところで一番の問題点でありますが、
報道
の定義を政府案は盛り込んでしまったということは、これはもう大きく歴史に禍根を残すものであるというふうに私自身は考えております。ましてや、その根拠になりました
判例
というものにおきましても、根拠はあいまいであるということも
議論
の
審議
の中で明確になった次第だというふうに思っております。 また、
新聞
やマスコミ界のありようというものに対してのさまざまな御
意見
というのが、きょうの
審議
の中にも、ある事象を通して、ある事例を通じて御
紹介
されたというふうには思いますけれども、
新聞
紙上においても、
新聞
の中で倫理規程を、ましてやそれを紙上公開で討論形式にして地道な活動をしている
新聞
社もあります。 いつの時代でも言われることでありますが、大本営発表というような形でのすべて一色になるような形で言論界の統制というものが行われてはならないというところにおいて、やはりきょうほかの
委員
の方からも御発言がありましたけれども、
報道
界に対してのやはり自主規制を促すような形での
立法化
や空気づくりといったものに関しては、私自身は排除していきたいという立場でこれからも
憲法
調査
会で
議論
を進めてまいりたいと思っております。
倉田雅年
83
○倉田小
委員
いろいろ
意見
がございまして、特にマスメディアと市民との
関係
ですが、マスメディアが、本来市民の見方であったはずが余りにも強者になり過ぎて市民に対する加害者になる場面がある。こういう中で、国家権力がマスメディアを云々ということはやはり私もいけないと思いますが、自主規制が、原則はいいんですけれども、先ほど
今野
委員
がおっしゃった第三者機関、自主規制を
もと
にしますけれども、単なる苦情処理等を御本人がやるのではなく、第三者機関というものの設立というものは、やはり今後考えていくべき問題じゃないか、こう思いますので、一言申し上げておきます。
中山太郎
84
○中山
会長
中山です。 今、倉田
委員
がおっしゃったことに関連して、数十年前に、私、実は北
ヨーロッパ
へ行って、スウェーデンとかノルウェーとかフィンランドをずっと回ったときに、あそこは、社会
保障
番号、社会保険の番号を基本にしてあらゆる
情報
の処理に使っているという中で、今、倉田先生がおっしゃったような第三者機関というのは、オンブズマン制度、これが北
ヨーロッパ
では非常に発達している。 我々の国にはオンブズマンという制度がございませんが、将来
検討
に値することではないか。もし制度が悪ければ彼らはもうやめているはずなので、そこいらに、これからの
情報
化社会における知る
権利
、また
個人情報
を守る
権利
、社会の倫理を守る
権利
というようなものが新しく求められる時代が来るんじゃないか。それには、やはりオンブズマンという制度が
一つ
の
あり方
であろう、私はそのように存じております。 以上です。
大出彰
85
○
大出
小
委員長
他に御発言ございますか。 それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。 正午散会