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参考人(山崎
公士君)
人権フォーラム21
事務局長をしております山崎と申します。
新潟大学法学部で国際法と国際
人権法を担当しております。
私自身の専門の
立場、それから過去五年間、
人権政策提言NGOとして
活動してきた視点、この
二つを踏まえて、
人権擁護法案をめぐってお話をさせていただきたいと存じます。
まず最初に、お二方の
参考人から国内の立法事実についてお話がございましたので、私の方からは冒頭に国際的潮流のことを少し触れさせていただきたいと思います。
特に、一九九〇年代前半に、冷戦構造が崩れて以降、国際社会、特に
国連の場などを通じて、それぞれの主権国家の中での
公権力による
人権侵害あるいは私
人間の
人権侵害、こうしたものを単に国内問題としてだけでなしに国際的な問題として取り上げていくというような風潮が出てまいりました。
こうした風潮と相前後して、途上国も、そして先進国も、それぞれの国が抱えている大規模
人権侵害に立ち向かうためにまずもってやったことは、法律でもって
人権侵害、
差別行為というものが社会的な悪であり法の規制の
対象にされるべきであると、こうした法を形成されたわけでございます。
こうした規範ができることは重要なわけですが、それを具体的に実施する
機関として、従来の
行政機関、そして司法
機関だけでは事足りない、つまり市民の
立場から
救済を得るという点で必ずしも使い勝手が良くなかったわけですから、
政府から
独立した新たな第三の
機関、すなわち国内
人権機関、具体的にはオンブズパーソン
制度でございますとかあるいは
人権委員会制度、こうしたものを九〇年代前半から後半に掛けて逐次
整備されたのであります。
今日、
日本において
人権擁護法案が
審議されておりますが、正にこの
審議のプロセスというのも大きくとらえれば今申し述べた国際社会での潮流の一こまに位置付けられるというふうに思っております。そうした視点から申せば、この
人権擁護法案が予定されております
人権委員会が真に
政府から
独立した存在になるとすれば、これは国際的な潮流から見て正に大変結構なことでございます。問題は、そうなっているかどうかという点であろうと思います。
順次、具体的に、私がお配りさせていただいておりますレジュメに沿って個別の
問題点に触れさせていただきたいと存じます。なお、その際、
資料が四種類添付されておりますので、順次御参照願えれば幸いでございます。
まず第一点でございます。
公権力による
人権侵害というものが果たしてこの
法案の中で
独立した
侵害類型になっているかどうかという点でございます。率直に申し上げますと、なっておりません。
資料1を御参照願えればと思います。
人権侵害類型、左手に〔1〕
差別、〔2〕
虐待、〔3〕メディアによる
人権侵害、こういうふうに書いてございます。多くは、〔1〕と〔2〕は第三条の
人権侵害禁止
規定に係るものでございます。そして、〔3〕のメディア
人権侵害の類型は、主には第四十二条に係るものでございます。
さて、注意深くごらんいただきたいのは、
公権力等による
差別的取扱いあるいは
虐待です。これは確かに
公権力がその
侵害主体になるということは織り込まれております。しかし、よくごらんいただきたいのは、
独立した類型にはなっていないわけでございます。
是非思い起こしていただきたいのは、
人権擁護施策推進法が衆議院、参議院の
法務委員会で採択された折に附帯決議が付いていたと思います。その中の何項目めかに、この
審議会の
答申を十分に踏まえるということが書かれていたと思います。果たして踏まえていると言えるでしょうか。
人権救済答申、昨年五月二十五日に出されたわけですが、ここでは
人権侵害類型は御案内のとおり四類型提示されました。すなわち、
差別、
虐待、
公権力による
人権侵害、そしてメディアによる
人権侵害です。確かに埋め込まれてはおりますが、今申し述べたように
独立した類型になっていない。
これは実は、この点はなぜ先に強調させていただいておりますかといいますと、この点がメディア
人権侵害との絡みで、
公権力人権侵害についてより薄まった
規定ぶりになっている。その反面、メディア
人権侵害が非常に突出した
特別救済対象となっている。このアンバランスがそもそもこの
法案の中に埋め込まれているということを強調させていただきたいからでございます。
第二点を申します。
人権委員会の
独立性に係るものでございます。
資料の3と4を順次ごらんいただきたいと思います。
資料の3は、先ほど来お話がございます一九九三年の
国連パリ
原則という、国内
人権機関、
人権委員会作りの言わばガイドライン、指針を示す
国連文書でございますが、これに照らして今般の
法案がどういう問題性を秘めているか、左手にパリ
原則の文言そのもの、右手に私どものNGOの視点から見た
問題点を列挙させていただいたものでございます。順次御参照いただければと思いますが。
あるいは
資料4は、今回の臨時
国会が開会された日に、私どもが従来触れております提言に若干付け加えたものを「
人権擁護法案の抜本的修正に関する提言」という形で
表現させていただいたものでございます。
一言で申せば、
公権力による
人権侵害と構造的な私
人間の
人権侵害、これは
日本社会には満ち満ちているわけでございます。これが言わば今般の
人権擁護法案が必要とされる私は背景を成している立法事実と言えると思います。こうしたものをやはり過不足なく扱えるような
政府から
独立した
人権委員会が是非とも
日本社会に必要でございます。
それと同時に、
人権委員会が本当に実効性を担保でき、かつ市民から信頼されるような
組織になるべく、その手続、規則を緻密に
制度設計していく、これがやはり
国会に要望される
二つのポイントであろうというふうに思っております。
さて、先ほども藤原
参考人の方からお話がございましたとおり、やはり端的に申しますれば、
公権力による拘置所、入管、
刑務所というような場所での密室的な
人権侵害、これは具体的には最近、若干表面化しているようでございますが、これは言わば氷山の一角であると私は思っております。こうしたものはやはり構造的に起きるものですから、こうした被害を受けがちな、あるいは受けた方が率直に相談、
救済が受けられる仕組みというのをやはり
日本社会としては用意しておくべきであるというふうに私は強く思うところであります。
先ほど、茗荷
参考人の方から実質的な
独立性が大事であるというお話がございました。私も全く賛成でございます。と同時に、その大前提としては、やはり形式的な
独立性も大事であるという点でございます。市民から、訴えをする方から、あそこに行ったら何とかしてもらえるだろうという信頼を得られるためにも、最低限、形式的な整合性は整える必要があろうかと思います。
そういう意味では、
法務省に置くのは得策ではなく、私は、端的に申せば人事院並みに
内閣に置くのが一番理想的であろうと思いますが、現実性がやや乏しゅうございますから、やはり食品安全
委員会、あるいは来年度予定されております総務省から
内閣府に移管されると言われる公正取引
委員会と同様の位置付け、すなわち
人権委員会は是非とも
内閣府に置くのが今の時点では形式的な整合性、
独立性を担保するゆえんであるというふうに思っております。
そうしませんと、パリ
原則にのっとった
独立性は確保されませんし、先ほども藤原
参考人の方からお話がありました、今日、明日から始まるデリーにおけるアジア太平洋地域の国内
人権機関フォーラム、これもいずれ
人権委員会が立ち上がれば参加することになろうと思いますが、その際の参加の手続において、果たして
日本の
委員会が
独立性が担保されていると認めていただけるかどうか、私は非常に微妙な点に差し掛かると思います。そういう点では、形式的な
独立性も非常に重大な問題であるというふうに思っております。
次に参ります。
今回の
制度設計では、中央にのみ
人権委員会を置き、
地方には置かない、
法務省の
人権擁護局の仕事を担当されている
法務局、そして
地方法務局に
地方事務所を置くという形で扱うということが予定されております。
しかしながら、御案内のとおり、全国津々浦々で日々起きております
公権力による
人権侵害あるいは私
人間の
差別事象というものは、それぞれの現場、ローカルで起きているものでございます。これをすべて霞が関の方から把握するというのは正直言って無理であろうと思います。きめ細かな、これまでその地域地域、独自のやり方でうまく
解決してきたノウハウというものを活用するという視点に立てば、是非、
制度設計で非常に苦しいところがあるということは私はよく存じ上げておりますが、そこを一工夫、二工夫なさった上で、是非是非、
地方人権委員会を
設置という方向をお出しいただきたく思っております。
さて、
人権委員会の実効性に移らせていただきたいと思います。これも先ほど来申し述べております
独立性と裏腹の
関係にございます。
まず、確かに、第三条で振り返りますと、
人権侵害というのはどういうものであるかということが
人権侵害を禁止する類型とともに提示されました。この点は
日本法においては画期的なことで、私は評価したいと思います。しかし、まだまだ十分なところではございません。
まず第一点は、何が
人権なのか。確かに、それは
日本国憲法第三章に書いてあるといえばそれきりでございますが、やはりこれを具体的に法律でもって定める、例えば韓国の国家
人権委員会設置法のように、韓国の憲法及び韓国が批准又は加入した
人権条約に定義されている
人権はすべて
人権委員会が
活動する際の
人権である、このような例えば明快な
人権の定義を下しておく必要があろうと思います。
不当な
差別というものも、特にメディア
人権侵害等にかかわる問題としては、
人権委員会にフリーハンドを与え過ぎるおそれがございますので、
人権、
人権侵害、そして不当な
差別等の定義は、よりできる限り具体的な明快な定義を
法案に盛り込むということが私は肝要であるというふうに存じております。
同時に、実効性を担保するためには、まずそのユーザーとして想定されます市民から信頼を得なければいけません。ジェンダーバランスを保つことは盛り込まれているようでございますが、さらに様々のマイノリティーを含む多元性、社会の多元性を踏まえた
委員構成そして
職員構成を是非御努力いただきたいというふうに思っております。
救済手続について申し述べます。
公権力による
人権侵害に係る
救済手続に関しては、先ほども
独立した
人権侵害類型になっていないという
批判を申しました。これは是非新しい章、せめて節を設けて、私
人間の
人権侵害に係る
救済手続とは明らかに異なる、例えば今回の
刑務所のケースでいえば、無条件立入
調査権限等も積極果敢に
人権委員会に付与するなどの御工夫も是非お願いしたいところでございます。
その裏側としては、メディアによる
人権侵害については、この際、凍結等の小手先の操作ではなしに、これはばっさりと今回の
特別救済手続からは外すというのが、そしてメディア
関係者の自主的な規制に任せるというのが諸外国の例でございます。
さて、最後の二点でございますが、
人権委員会による特定職業従事者、特に法執行官に対する
人権教育機能、これは是非、
人権委員会に強い権限をお与えいただきたいと思います。この点も多言を要しないと思いますが、今回の
名古屋刑務所の一連の出来事をごらんいただけば、いかに法執行官、もちろん代用監獄も含めて警察官についても同じでございますが、特に法執行
職員に対する
人権教育がいかに大切かというのが身にしみるところであろうと思います。
最後でございますが、
人権委員会による政策提言機能の
重要性について若干触れさせていただきたいと思います。
確かに、
法案第二十条では、
意見を述べることができる、
内閣とか
国会に対して、というふうに書いてございます。しかし、パリ
原則によれば、
人権委員会に期待される三つの役割というのは、第一は
人権救済機能、第二は
人権教育機能、そして第三は
人権提言機能でございます。
特に、先般の旧ハンセン病患者に対する一連の構造的な、九十年以上にわたる長年の構造的
人権侵害、これがやっと昨年段階で解消の方向に、完全に解消したとは思いませんが、解消の方向に一歩踏み出したわけですが、仮に五年前、十年前に
政府から
独立した
人権委員会が
日本社会にあって、その
委員会が果敢に
国会あるいは
内閣に対して、ああした法律は即刻撤廃し、そして
救済等の
行政措置を立法も含めてやるべきであるという提言がもしあれば、九十数年の構造的な
人権侵害状況はもう少し短くて済んだやもしれません。
さらに、終わった問題だけではなしに、ヒトゲノムの解析等々、あるいはインターネットによる
差別扇動等、新たな技術革新に伴う新たな
人権侵害状況、今後様々想定されますから、そうしたことも考えますと、
日本社会としては
人権委員会に強い
人権政策提言機能を期待したいところでございます。
以上でございます。