○平野貞夫君
人権擁護法案は三月八日に提出されまして、当
法務委員会の実質審議が始まるのは本日が初めてでございます。
これは誠に異例なことだと思います。私たちも意図的に延ばしていたわけじゃございません。国民世論の力でこういう状態になったということを御認識いただきたいと思うんですが、なぜかといいますと、やっぱり
内容がひどいんです。
政府案は、
人権委員会をやはり
法務省のコントロールの利く外局とすることと、それから
メディア規制がやはり民主主義
社会を壊すおそれがあると、そういうふうに私は考えておりまして、本来ならば撤回して出直すべきだという
意見でございます。継続になりましたので今日の審議になったわけでございますが。
しかし、同時に、私たちは、
人権擁護ということは民主主義
社会の根本の問題だと思いまして、最も適切な
制度を作ることについては是非とも必要だと、そういう
意見でございます。
私は、今日は直接この
政府案の中身についての審議は、
質問はしませんが、若干の問題を
指摘しておきたいと思います。
第一点は、この
法案が出される
経緯なんです。御承知のように、同対法の期限切れの後、地対財特法ができて、それが期限切れとなって、そのとき、私は当時、新進党でございましたが、同和
対策基本法という形で被差別に苦しんだ人たちの様々な対応を行うべきだということで、新進党案というものの作成に参画しました。しかし、なかなかその流れにならず、結局は、言葉は悪いかも分かりませんが、与党のボスの無理押しで、
法務省所管の
人権擁護推進審議会という形に押し付けられて、そこの
答申が今日の
法案になっておるんです。
このころ
法務省は嫌がっていたんですよ。当時の官房長、現原田検事総長、私、二人で随分
議論したんですよ、押し付けられたと言って。じゃ、こういうことなら必ず将来、
法案にするときに問題が起こりますよということを私は既にそのときに申し上げておいた。案の定、行革の流れの中で
法務省は縄張を死守すると。同時に、いろいろのところと約束した与党のボスは何らかの
制度を作らないかぬということで、そこで偶然手を結ぶというか妥協をする。元々、提案の動機は、
人権擁護という美名の下に極めて不純なんですよ。
そういう意味で、私は、この
法案提出に至った
制度の理屈、仕組み、中身の前提に問題があるということをまず申し上げておきます。
それから第二点は、簡単に言えば、要するに一般日本国民、民衆が
法務省及び
法務省の出先
機関を信用していないということなんですよ。それはどういうことかといいますと、言葉は悪いんですが、例えば被差別体験で
人権擁護委員とかあるいはその上部団体の地方の
法務局に申し出るケースというのはごくわずかなんですよ。なぜかならば、誠意がないからなんですよ。特に最近、私、高知県の出身なんですけれども、高知県の同和問題なんかはちっとも良くなってないんですよ、その差別の仕方が陰湿、悪質になっているんですよ。一見平等、一見うまくやっているように見えていますけれども、私はやっぱり人間の、日本人の業というものを非常に感ずるんですが、特に結婚
関係、婚姻
関係なんかについて、
法務局なり
人権擁護委員の方たちが誠実にやってないということはざらにあるんですよ。
例えば、群馬県で、群馬県の玉村町の結婚差別
事件なんかは、前橋の
法務局がそれは差別でないという、訴えた人にとっては全く不本意な
結論を出すのに五年掛かっているんですよ。そういう
事務手続、姿勢でやっておる。これじゃ、何ぼ
中央でいい
法律を作ったって、整合性のあるいい言葉で作ったって駄目なんですよ。そこはやっぱり、この
人権問題というのは結局、東京の、
中央の理屈じゃないんですよ。生きている地域地域の人たちの、何といいますか、気持ちと心と血と涙なんですよ。そういうものをやっぱりうまく対応していくためには、
法務局とは違った、特に地方における地方
人権委員会というようなものを
法務局とは違った形で確立させなきゃ何の意味もないという二点だけを
指摘して、
答弁要りませんから、申し上げておきます。
そこで、当面この
人権問題といえば、何といったって北朝鮮による拉致
被害者の
人権問題だと思います。これが一番現在の日本国における
人権問題の象徴だと思いますが、
人権問題というのは、結局、戦争とかテロとか、そういう問題にやっぱり歴史的にも、現在も世界の国では衝突するものなんです。
そこで、
法務大臣、治安といいますか、日本の秩序の総監督者として、北朝鮮による拉致
事件というのは、北朝鮮のテロ
事件と、国家テロと同質だと僕は思うんですが、
法務大臣の御
意見をいただきたいと思います。