○首藤
委員 時間が限られておりますので、直接北朝鮮の問題から入らせていただきます。
今回のクアラルンプール交渉で、
日本政府、
外務省が毅然とした態度をとったということで、大変な国民的な評価を得ております。また、個人的にも、やはりそういう厳しい態度をとったということはだれの目にも明らかなわけでありまして、個人感情としては私も拍手喝采を送りたいなという気がしないわけでもありません。しかし、ここは
外務委員会でありますから、
日本の外交の姿勢に関して、また別な見方からいろいろ
質問させていただきたいと思うんですね。
庶民感情を応援団とする外交というのは、歴史を見る、外交史を見る限りにおいてもおわかりのように、これは極めて危険なものだと言わざるを得ないわけですね。確かにそれは、国民からいろいろ言われるよりは、例えば
外務省のスキャンダルのように国民から本当に腐った卵を投げつけられるような思いをするよりは、国民から支持を得て、拍手喝采の中で交渉をしたい、その
気持ちはよくわかる。しかし、一方では、やはり外交というものは、かつての外交を担った先輩が直面したように、ある
意味で敵地でプレーをするサッカー選手のように、会場全体がブーイングの中できちっとしたプレーを
一つ一つやっていかなきゃいけない、そういうふうに思うわけであります。
例えば、本来は一時帰国を予定されていたと思うんですが、五名の方が
政府命令で永住になった。確かに、
日本の国内で、魚釣りに行ったり、運転免許を取られたりするのを見て、ほほ笑ましいなと私は思います。しかし、それも、外交信義という点においては、これはいかに
アメリカの言うならず者国家であろうとも、外交の
最初の段階からずっと時系列的に見れば、それはやはり外交としてはイレギュラーなものではないか、外交上の信義というものはそこでゆがめられている可能性があるのではないか、そういうふうに思ったりするわけですね。
それからまた、曽我さんのことに関して見れば、それは配偶者がどうしてもやはり
アメリカの脱走兵であるというふうなことも
考えられるわけであります。なおかつ、脱走しただけではなくて、北朝鮮において、反米
活動といいますか、反米的な映画に出たりしているわけですね。これはもう
アメリカの外交史あるいは軍政史を見ればわかるように、こういうものに対しては
アメリカ政府は物すごく厳しくて、それは、御存じのとおり、不幸な理由からたまたま
日本にいて
日本の
政府に協力しなければならなかった東京ローズに対して、どんなに
アメリカは厳しい態度を示したかということからもおわかりになると思うんですね。
ですから、そういう障害というものは
最初からわかっていたにもかかわらず、ある
意味では庶民感情と同じ
レベルで外交交渉をやっているということが、これからの長期的な、拉致家族の皆さんを本当に
日本に帰還させることに関しては、実はやはり
一つの障害となるのではないかということを
指摘させていただきたいと思うんですね。
そこで、
質問なんですが、私は、今
外務省というものが外交目標を見失っている、一体どれが本当の外交目標なのか、ちょっとわからなくなっているんじゃないか、そういうふうに思うんですね。なぜこれが重要かというと、実は外交目標というのはお互いに相互矛盾的なわけですよ。AをやればBが立たず、Bを立てればCが立たず、AとCを立てればBが立たずというのが外交目標だと思うんですが、例えばどういうのが本当の今の外交目標なのか、
外務大臣にお聞きしたいんですね。
例えば、今、五人の方にスポットが当たっておりますが、五人の方の永住ということが最大の外交目標であるのか。これは当然、今までの交渉過程を
最初から見れば、今、目の前に起こっていることじゃなくて、
最初から交渉過程を見れば、やはり北朝鮮との間の約束とかいろいろな形の信義というものが間々ゆがめられている可能性はあるんじゃないか。だから、ともかく最大の外交目標は、五人の方の永住でございますということなのか、あるいは五人の方の永住だけではなくて子供さんも含めた永住であるのか。
というと、これは
日本に来るにも、なぜ
日本に来るかも説明していないわけですから、当然のことながら帰還して説得しなきゃいけない、これは当たり前のことですね。そうして、帰還して、相手が納得しないのに無理して連れてきたら、これは本当に
日本が拉致になってしまうというようなことで、では、相手側では、もう成人に達しておられる、あるいは成人に達していると
考えられる大学生とかそういう方の意思決定をどうされるのか。
あるいは、横田めぐみさんの問題に関しても、配偶者が北朝鮮の方であった場合のキム・ヘギョンさんの親権、親の権利は一体どこに帰属していくのかということもきちっとしていなければいけないと思うんですね。
それからさらに、この五人の方を中心にして
考えると、死亡したと勝手に
報告されているところの八人の方の安否の確認というのはやはりどうしても明確でなくなるわけですね。
それからさらに、そうした方に注目をすべてやって、そうしてそのために全力を上げますと、当然のことながら相手側の態度が硬化してくるわけですから、拉致されたとみなされている数十人の方の安否ということが今本当に心配なんですね、一体どうなっているんだろうかと。
こんな
状況の中でだんだんと興奮してきて、やはり
日本から来たやつはろくなことないみたいなことになると、拉致された、あるいはそういう形で数十人の方がおられるというふうに想像されているわけですが、そういう方はどうなるんだろうか、その方の安全は一体だれが保障してくれるんだろうか、守ってくれるんだろうか、そういう方の奪還といいますか帰還に関しては一体どういう手が打てるんだろうか、ここに外交目標があるのかないのかということですね。
それから、同じように、今度のクアラルンプールでは、核開発や安全保障の問題も同時並行的に求めているわけですね、等価としていくということをやっているわけですね。しかし、これはまた全く次元の違う話なわけですよ。確かに同じ人命が絡むわけでありまして、人道的な問題でありますが、この核開発あるいはミサイルの問題というのはパワーポリティックスの問題であって、ある
意味で、これは残念なことですが、人道問題とは必ずしも同じフロアで両立するというわけではないわけですね。
人道問題というものは、例えばアムネスティに見られるように、世界じゅうが一人の良心の囚人を救うということが人道のテーマなわけですけれ
ども、このように五人の方を救う、あるいは十人の方を救うというのに対して、核とかミサイルの問題というのは、この周辺地域、五人ではなくて、恐らく五億人の方の生命に直結してくる問題であります。
こうした問題を、その都度その都度、毎日毎日、猫の目のようにテーマを変えて追求されるわけですけれ
ども、一体、
日本政府の外交目標というのはどこにあるんですか、どれを一番最優先されるんでしょうか。
外務大臣、いかがでしょうか。