○今井澄君 ただいま議題となりました
法律案につきまして、民主党・新緑風会を代表して、小泉
総理及び
関係大臣に
質問いたします。
今回の
健康保険法改正案は、
抜本改革を先送りしたまま
負担増だけを
国民に押し付けるものであり、小泉
総理が橋本
内閣の
厚生大臣であったときの一九九七年
抜本改革と同じ轍を踏んでいるというのが
国民大多数の受け止め方であります。
そこで、まず第一にお伺いしたいことは、なぜ一九九七年
抜本改革が失敗したのかということについての認識と反省であります。
先ほどの
総理の答弁をお聞きしますと、部分的には進んで、残ったのは
老人医療費だけだと。とんでもない認識だと思うんですが、時間がありませんのでそこはカットしましたので、後で聞きます。
そこで、まず第一にお伺いしたいことは、この一九九七年
抜本改革がなぜ失敗したのかということについての認識と反省であります。
小泉
総理は、一九九七年
抜本改革が失敗した理由について、例えば、今国会の二月二十五日の衆議院予算
委員会で次のように答弁しておられます。まず政権の枠組みが変わったということ、
総理も替わりましたね、これが一番大きかったと
思いますね、それと、総論として大方こういう方向だろうと一致していたんですが、いざ具体論になりますと利害
関係者が多いです、この調整がなかなか付きにくかった、こう答弁しておられます。そして、当時さきがけが与党だったとか、公明党が野党の新進党で
反対したとかいうことまで持ち出して、他の党にまで責任を転嫁するような言い訳めいた答弁でした。
私は、忘れもしません、一九九七年
抜本改革の同じ健保法
改正案のとき、この参議院本
会議で、やはり民主党・新緑風会を代表して当時の橋本
総理及び小泉
厚生大臣に次のような
趣旨の
質問をいたしました。一九八四年の健保法
改正をめぐる議論以降、
抜本改革のメニューはほぼ出そろっているのではないか、あとは利害調整の場となっている審議会などに頼るのではなくて、政治主導で大胆な決断をするべきではないかと。
それに対して橋本
総理は、御指摘のとおりだが、具体論になると全く対立する
意見があってできなかったと、しかし、
医療提供体制と
医療保険制度の両面にわたる
改革を実施することはもう避けて通れないんだという
趣旨の御答弁があって、続いて、当時の
厚生大臣であった小泉
総理は、今、
総理からお答えしたとおりだが、政治主導で大胆な決断をする必要があるということには全く同感でありますと、例の熱意を込めた言葉で答えられました。これはもとより政治家の決断であり、心して掛かっていかなきゃならないということを認識しております、こう答弁しておられました。
その後の参議院
国民福祉
委員会での質疑を通して、私は、小泉
総理の
医療改革についての御認識と
改革への
決意の強さを肌で感じまして、あなたを
医療改革を進める上では党派を超えて我が同志として
考えるようになりました。そして、その後、一九九九年の末、予算編成のときに、医師会か
らいろいろ圧力があって開かれた自民党厚生族のいわゆるボス
会議で、
高齢者の
薬剤費別途
負担を予算
措置で政府が肩代わりすることで免除しようという暴挙に出たわけですが、小泉さんただ一人が
反対されたということを聞いて、さすが小泉さん、ますます私は小泉さんに対する期待を持ったわけであります。
したがって、民主党の中にもいろいろ
意見はありましたが、小泉
内閣が成立したときに、私は、小泉さんなら、小泉
内閣なら
医療の
抜本改革ができるのではないか、こういう期待を寄せてまいりました。しかし今、期待は裏切られつつあると言わざるを得ないのです。
もう一度
お尋ねします。一九九七年
抜本改革は失敗したんじゃないか。先ほどのような言い訳の答弁ではなく、あれは官僚の言い訳ですよ。答弁を見ても、薬価差益が三分の一に減った、これが
抜本改革ですか。
抜本改革は失敗したんだときっちり認識しておられるのかどうかということも含めて、失敗した原因がどこにあると
考えておられるのか、今度こそ
抜本改革はできると言うなら、その担保は何なのかということをお答えいただきたいのです。
言葉を換えれば、政治主導とは言いながら、官僚に依存し、関係団体の利害調整をするという自民党政治では
抜本改革ができないんだということを本当に深刻に認識し、反省しておられるのかという、そういうことなんであります。小泉
内閣成立時に打ち上げた、自民党を変える、自民党を壊すという姿勢はどこへ行ってしまったのか、
お尋ねいたします。
次に、サラリーマンの三割
自己負担問題について三点
お尋ねいたします。
まず第一点は、何で三割
負担が唐突に出てきたかということであります。
世の中というのは恐ろしいもので、半年前に出てから、もう今三割
負担が常識のように議論されますけれども、半年前までは三割
負担はコンセンサスを得ていなかったんですよ。二割
負担というのをみんな
考えていたんです。一九九七年
抜本改革の議論においては、二割
負担への統一が、私どもは
反対しましたけれども、広くコンセンサスを得ていたのではないかと
考えられます。あの議論の、十三年前の一九八四年にこの健保法が
改正されて、健保法
改正の本則には二割
負担、しかし、
附則に、国会の議決、承認を受けるまでは一割
負担ということが激論の末修正されて盛り込まれました。
小泉
総理御自身も、一九九七年の厚生祉
委員会でこう答えておられるんですね。一割がいい、二割がいい、三割がいいということは断定できませんけれども、全部二割がいい、統一しなさいという
考え方は当然ありますから、それは十分私は
検討する価値があると
思います。つまり、二割に統一するというのは、国保の三割も、いずれ二割に上げたいという、当時はそういう議論だったんですね。なのに、わずか五年で、
国民的な議論を一切行わないままに、しかも
抜本改革ができないままに何で唐突に去年の九月に三割
負担が出てきたんですか。その理由を答えてください。
第二点は、そもそも
公的医療保険制度における財源
負担問題の
自己負担についての
在り方の問題です。
医療費の財源は、
保険料と
自己負担と公費の三つしかありません。その
割合をどうするかというのは、
公的医療保険制度、
国民皆
保険制度を維持するのかどうか、この
在り方をどうするかという
基本、
理念や哲学に関する重要な問題です。金がないから
自己負担じゃ余りにも情けないです。
三割
負担の是非を論ずることは、私はこの時点では必要かつやむを得ないことだと
思います。
国民がいいと言うなら、将来、三割
負担ということもあるのかもしれません、私どもは断固今
反対ですけれども。しかし、それは小泉
総理御自身が繰り返し言っておられるように、
自己負担だけじゃなくて、税も
保険料も最終的には
国民が
負担するわけですから、議論を尽くしてこの
割合をどうするかということ、
国民の合意を得なければならない問題なんです。
医療保険制度をひもといてみると、そもそも、これは小泉
総理の御答弁を丹念に見ると非常に面白いんですけれども、共産党や何かに対しては敵意を持った答弁が多いんですけれども、何か、
社会保障とか
医療保険というのも、何か
社会主義の
制度のように思っているんじゃないかと思うんですけれども、とんでもないんですよ。そもそもこの
医療保険制度は、産業
社会勃興時における助け合いの
制度として会社が始めたんですよ。一九二二年に
健康保険が施行されたときは十割
給付だったんです。ふだんから会社の企業主と従業員とでともにお金を出して積み立てておいて、いざ従業員が病気になったときはその積立金で治療する、だから
安心して目一杯働けと、超勤も徹底的にやれと、そのために作った
制度なんですよ。だから、
国民健康保険制度においても、国保組合なんというのは最近まで十割
給付だったじゃないですか。
しかし、その後、
老人医療費を無料化した。いい面もありますけれども、非常に問題があって、
医療機関と
患者の双方にモラルハザードが生じたり、コスト意識がなくなったということで、そのコスト意識の喚起が必要であるという
考え方が広まったわけです。そして、
一定の
自己負担が必要であるということが共通の認識になって、
自己負担によるコスト意識を喚起して
医療費の無駄を省くという、こういう手法が実は一時
世界の潮流にもなったわけですね。
しかし、今では、その
医療費抑制効果はほとんどないということで、先進各国は、今はやりの言葉で言えばサプライサイド、
医療機関の方をどうコントロールするのか、出来高払をやめるとか、そういう手法に転換していっているんですけれども、日本の方はその
内容に手を付けずに、
自己負担を増やすということで
医療費抑制策をやると。それを繰り返してきた。その結果、今、ヨーロッパ諸国に比べて
自己負担比率が突出して高い国になっちゃったじゃないですか。これをどう
考えるんですか。既に、
公的医療保険制度としては
自己負担の限界を超えているのではないかというふうに
考えます。
公的医療保険制度は、
基本的には
保険料を中心に財政
運営を進めるべきだと
考えますし、
保険料を上げないためにこそ、自助努力として、
保険者機能の強化が必要だということが論じられているんじゃないでしょうか。この点について、
総理及び財務大臣の御
意見をお伺いしたいと
思います。
第三点目は、なぜ来年四月実施でなければならないかということです。
今回の三割
負担問題は、単なる政府管掌
保険の財政失敗の問題だけじゃないですか、財政対策じゃないですか。国保はもう三割
負担だから関係ないです。健保組合には苦しいところもありますけれども、今すぐ三割にしなけりゃやっていけないわけじゃないし、健保連からそんな要望が出たというのは私は聞いておりません。むしろ、健保組合は
老人医療費の拠出金を何とかしてくれと言っているわけですよ。
政管健保の財政
運営は厚生労働省の所管ですけれども、過去において、三Kの
一つとしていつも苦しい
運営を強いられてきたにもかかわらず、景気が良くて財政
状況がいいときには
保険料率を下げたり、
公費負担割合を下げたり、挙げ句の果てには国の財源出しのために隠れ借金の財源として利子なしで国に貸したり、実にでたらめな財政
運営をやってきました。我々はその都度それを指摘したんです。この政管健保の財政
運営の失敗は、過去の厚生省の責任であるだけでなく、政府全体の責任じゃないですか。その処理をするのに
国民にいきなり
患者の
自己負担増なんて、これはひどいじゃないですか。しかも、三割
負担をすることによって、今
年度予算の財政効果はわずか予算上二百億でしょう。そのためにやるほどのことですか。
しかも、
保険料を上げられないということについては、厚生官僚が
保険料率についての情報操作を行ったことは明らかで、小泉
総理もそれにだまされ掛かったじゃないですか。官僚に踊らされて、いわゆる抵抗勢力との駆け引きの具に使われて、三方一両損などという何か中身の分からない言葉で無理やり
総理の
改革姿勢を打ち出そうということで実施されるとすれば、
国民は救われません。なぜ来年四月一日で期限を切らなきゃならないのかという理由をはっきり答えてください。
医療費をファイナンスする
保険制度の
改革も大事です。
老人医療制度も大事です。私は
老人医療制度の新しい
制度を作る必要ないと思っていますが、まあ、それはいいです。
もう
一つ大事なのは、
医療そのものの
抜本改革なんですね。情報提供の問題とか、病院の数をぐっと減らして機能を高めるとか、家庭医
制度を作るとか、
診療報酬の問題とか、問題は極めて多岐にわたります。かつ個別具体的ですので、本日は
質問せずに、これからの厚生労働
委員会の審議に譲ります。
質問しない理由のもう
一つは、今国会の衆参両院の各種
会議録を丹念に読んでみましたが、具体的な御答弁は
一つもありません。まあ、
内容がないということもあるんですけれども、ここで答えてもろくな答弁がいただけずに、時間の無駄だと
考えます。また、民主党が提出しているいわゆる
患者の権利
法案、これも十分ではありませんけれども、これについても、
施政方針演説の演説に対して我が党の代表が
質問したけれども、ただ逃げる答弁だけでしたので、今回再提出しておりますが、
質問しません。
ただ、一点だけお伺いします。
現在、日本の
医療制度が
抜本改革をしかも緊急に必要としている危機的な
状況の
一つは、
医療事故の多発や情報隠しなどに見られるような
医療現場の荒廃と、医師と
患者の間の信頼関係の喪失なんです。こういった問題について国がどこまで関与すべきかについてはいろいろ議論のあるところです。
しかし、国が最低限やらなければならないことがあります。それは、
国民主体の
改革が
国民の参加の下でできるように枠組みを作ることであって、そのためには官僚主導を排して縦割り行政の弊害を取り除くことは少なくとも政府の責任であり、特に
総理というお立場での大事な責任です。
現在の医師の養成は、
患者主体、地域主体の立場には全く立っておりません。医学知識とか医学技術とか専門医養成という立場に立ってしか行われていないんです。大学で行われているんです。しかも、それは地域の病院の医師人事の支配までが研究・教育機関である大学の医局講座が支配しているんです。地域は病院すら医者を選べないんです。この日本特有の異常な
状況を
改革する必要があるんです。
幸い、二〇〇四年から医師の卒後研修が義務化されます。この卒後研修を現場主体にするためには……