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山本正和君 大変御苦労が多いかと思いますが、しかし今のお話聞いていますと、いろいろな角度から真剣な検討をしておられると、こういうことですので。
ただ、国際的に見て、四年というのはもうほとんどおらぬと、OECD加盟国の中でね。そういうふうな実態がありますので、文部省の責任で
日本の薬学
教育は世界に比して恥ずかしくないよという体制を作るために、ひとつ局長、先頭に立って頑張っていただきますように、これは要望にとどめておきたいと思います。
そこで、本題に戻りまして、本日の
免許法の問題で質問をしてまいりたいと思うんですが、実はこの
免許法というのは、
先生に
免許を与える、
免許状を付与するということは一体どこがやっているんだろうと、こう見てみたら、アメリカは国じゃないんですよね、アメリカは。ところが、ヨーロッパはほとんど国が
教員の
免許を与えている。そして
日本は、明治維新までは
先生の
免許状なんてなかったんですね。そして、いわゆる文部卿という
制度ができて、それからいろいろ始まって、国家が責任を持って
子供たちの
教育に対して国挙げて取り組もうというふうになってきたという経過がある。
その中で一生懸命
考えて作ったのが戦前の師範
学校、高等師範
学校の
制度であって、それを卒業しなければ免状は渡さなかったんです。師範
学校を卒業しなければ
小学校あるいは高等
小学校の訓導の資格は与えないんですよ。そして、
中学校、女
学校、いわゆる中等
学校ですね、これは高等師範
学校を卒業しなければ本来いけない。しかし、足りないから文部省が指定して、指定
学校を卒業した者若しくは許可
学校を卒業して検定を受けた者に対して
免許状を与えたんですよ。というのは、
教員というものの責任と、それからまたその重みというものを非常に重視した政策の中で、明治以来、我が国は先進国に追い付くために懸命な努力をしたわけです。
ですから、ちょっと今日は、ひょっとしたら皆さん笑うかもしれぬけれ
ども、ちょっと持ってきたんですが、これね、昔の、例えば算数、私らのときは算術だったんですけれ
どもね、これは私よりももうちょっと若い人ですよ、六十七、八の人かな、もうちょっと上かな、ぐらいが習ったのが算数なんですね、
小学校算数、これね。(資料を示す)
ところが、皆さんできますか、これ、本当の話が。「内法デ、縦モ横モ四寸、深サ六寸ノ箱ノ中ニ、円柱形ノ缶ガチヤウドハイツテヰル。箱ト缶トノスキマノ体積ハ、箱ノ容積ノ約何%ニ当ルカ。」と。これをしかし
子供に
考えさせるんですよ、一生懸命。そうすると、
考えさせるということのためにはどうしたらいいかということを
先生が
考えるんだ、今度は。
ですから、例えば
教育心理だとか
教育原理だとかいうのは、
発達段階において
子供にはどういう
考え方が生まれるかということも勉強しなきゃいけない。ですから、師範
学校というのは大変な
教育を受けるんですよ。しかも、少なくともオルガンが弾けなきゃいけない。どんな音痴でもオルガンが弾けなきゃいけないんですよ、
先生というのは。そういう中で
教員の
免許を与えてきたわけです。
中学校の
教員といったら、もう大変ですよ、これ。私はここへちょっと持ってきたけれ
ども、昔を思い出して、代数です。(資料を示す)これを知っておるのは有馬
先生と仲道
先生の二人ぐらいですね、代数。これは恐らく新制大学、新制の
教育を受けた人はできませんよ、これ、義務
教育でやっていたら。それぐらい難問奇問があるんだ、難問奇問ですよ。そういう
教育をしておりますから、我々は、
中学校の
先生で恩師というのはもう偉い人だと思ったんです、とにかく。それは、陰であだ名付けたりわあっと言ったりしますよ。しかし、
先生をばかにするなんというのは我々ようしなかった。
しかし、
小学校でもそれじゃみんな訓導かというと、そうじゃないんですよ。例えば一番東京のど真ん中の永田町
小学校の歴史を見てみると、訓導は半分しかいない。あとは代用
教員ですよ。それで、訓導というのは、熟練した大工さんが日当一円五十銭です。そのときに四十五円もらったんです。今、熟練した大工さんは三万円は少なくてもあるんでございましょう。九十万円の、初任給ですよ、比較すればの話ですよ、実際は別にしてね。それぐらい
先生というものを重んじたんです。
先生になるのは大変だった。だから、正直言って、
学校にお父さん、お母さん呼び付けられて、あなたのところの
子供何しているんですかと、こういってしかられたら、済みません、
先生といって親が謝った。今はもう反対ですよ。親が来てね、
先生、あなた何しておると怒りおる。こんなばかなことで、本当は僕は一番心配しておるんですけれ
どもね。
そうしたら、
免許状を云々というものだから、そうするとこれは
先生の値打ちをもっと良くするんだろうと思って実は楽しみにしておったんですよ。そうしたら、何と、今度の
免許法の
改正で私が一番心配したのは、
特別免許状というものを広げますと。今までは、
特別免許状というのは、簡単に言いますと特別な技能、例えば英語のよくしゃべれる人に会話を教えてもらうとか、あるいは先ほど午前中に局長から御
説明があった、
社会的にいろいろなことを知っている人が
進学指導するとか
進路指導するとか、そういう非常に有用なところで使おうということで生まれたんだろうと私は思っているんです、元々はね。ところが、どうもこれ、
法律を読んでみると、その
先生たちが普通の
先生と変わらぬように何でもやれる、
学校の中で。
校長にもなれるんですよ、これね、たしかこのままで行ったらね。それで、びっくりしたんですよ。
そうすると、
教育心理とか
教育原理とか、あるいは
教育哲学、少なくとも
学校の
現場の
教員になった者は、ほとんどは少なくともペスタロッチの、エミールぐらい読んでいると思うんですよ。ところが、それじゃ世の中の人は、それは教養で読む人いますよ。しかし、自分が教職として
子供を教えなきゃいけない立場からそういうものを読むかと。
教育哲学勉強しますかと。哲学なきところに
教育ないんですよ、本当から言えば。
そういう中で、この
特別免許状で、一体これはどういうふうになるんだろうかとちょっと心配したんですけれ
ども、それはともかくとして、冒頭に実は副
大臣と
大臣から、
教育の
専門性と
先生とは何かということについての御見解をまず承っておきたいと思うんですが、どうでしょうか。