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2002-05-29 第154回国会 参議院 災害対策特別委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十四年五月二十九日(水曜日)    午後一時開会     ─────────────    委員異動  五月二十八日     辞任         補欠選任      弘友 和夫君     荒木 清寛君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         加藤 修一君     理 事                 岸  宏一君                 宮崎 秀樹君                 谷林 正昭君     委 員                 大仁田 厚君                 加治屋義人君                 柏村 武昭君                 神本美恵子君                 高橋 千秋君                 山根 隆治君                 山本 孝史君                 荒木 清寛君                 大沢 辰美君                 大門実紀史君                 山本 正和君    事務局側        常任委員会専門        員        杉谷 洸大君    参考人        東京大学地震研        究所教授     島崎 邦彦君        株式会社環境ア        セスメントセン        ター代表取締役  塩坂 邦雄君        芝浦工業大学教        授        東京大学名誉教        授        岡田 恒男君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○災害対策樹立に関する調査  (東海地震等災害及び防災対策に関する件)     ─────────────
  2. 加藤修一

    委員長加藤修一君) ただいまから災害対策特別委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨二十八日、弘友和夫君が委員を辞任され、その補欠として荒木清寛君が選任されました。     ─────────────
  3. 加藤修一

    委員長加藤修一君) 参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  災害対策樹立に関する調査のため、本日の委員会東京大学地震研究所教授島崎邦彦君、株式会社環境アセスメントセンター代表取締役塩坂邦雄君及び芝浦工業大学教授東京大学名誉教授岡田恒男君、以上を参考人として出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 加藤修一

    委員長加藤修一君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  5. 加藤修一

    委員長加藤修一君) 災害対策樹立に関する調査を議題とし、東海地震等災害及び防災対策に関する件について参考人から御意見を承ることといたします。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙のところ本委員会に御出席をいただき、誠にありがとうございます。  東海地震につきましては、いつ起こってもおかしくないと従来から言われております。地震対策についても、事前事後取組が大切であることは言うまでもございません。  事前対策につきましては予知、とりわけ直前予知に最大限努力し、被害が最小限になるようにすることであります。さらに、リスクがミニマムになるように物理的にも社会システム等についても強化を事前に適切に図っておく必要があります。そして、事後取組につきましても、万が一発生した場合には、それらのシステムが十分円滑に働くように最善の制御等を行うことであります。  そこで、本日は参考人方々から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。  それでは、本日の議事の進め方について申し上げます。  最初に、島崎参考人塩坂参考人及び岡田参考人の順序でお一人十五分程度意見をお述べいただきたいと存じます。その後、午後三時ごろまで各委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。  また、御発言は着席のままで結構でございますが、御発言の際はその都度委員長の許可を得ることとなっておりますので、御承知おき願いたいと存じます。  それでは、まず島崎参考人からお願いいたします。島崎参考人
  6. 島崎邦彦

    参考人島崎邦彦君) それでは、東海地震について次のようなことを述べたいと思います。  まず、東海地震と申しますと、本当に予知はできるのだろうか、一方では、今想定されている東海地震が本当に起こるのだろうか、さらには、東海地震はすぐにも起こるのではないだろうかと、このような疑問が浮かんでまいります。これらの問いに簡単にイエスあるいはノーと答えることはできません。  この機会に、これらの問いについて現在まで私たちが理解していることを申し上げて、皆様のこの問題に対する理解を深めていただければと思います。  まず、一般に地震予知することは大変難しゅうございます。これまでも地震前兆であると言われた現象は数々ございますが、それらは、長期間観測を継続するうちには、必ずしも最初のころのようにうまく前兆が現れない、あるいは前兆のような現象が現れたにもかかわらず、その後で地震が起こらないというように、長い期間観測を蓄積した結果を合理的に解釈することは難しく、これらに基づいて何らかの行動を取るという場合には著しく信頼性に欠けます。そのような状況でございますので、地震予知は現在でも研究段階にあると言うことができます。  ただ、唯一の例外は、気象庁で行っている東海地震監視体制でございます。  しかし、実際、警戒宣言が発令されて災害軽減ができるように前兆現象が必ず出現するということは言えません。現在の体制は、いわゆる想定東海地震震源域の隣に当たります場所昭和十九年に起こりました東南海地震前兆が、掛川から御前崎の間で行われていた水準測量でとらえられたことが基となっております。一日ほどの間に起こった現象ですけれども、当時と同じような時間経過で、かつ、同じような大きさの動きが現在起こるのであれば、実際に警戒宣言を発令することができて地震災害を軽減することができると思われます。しかし、これまで知られているいわゆる前兆現象が複雑であることを考えますと、必ずそうなるとは言えないのが現状でございます。事前警戒宣言が発令されない可能性はあると思います。実際、静岡県等でも、警戒宣言が発令される場合のみならず、発令されないいわゆる不意打ちの場合に対しても訓練を行っているところでございます。  東海地域で起こる東海地震について、まず次に御説明したいと思います。  東海地域では、沈み込んでいくフィリピン海プレートと陸のプレートとががっちりと組み合っています。このため、沈み込んでいく海のプレート動きによって御前崎は沈んでおります。年間約五ミリの割合で沈んでおります。そして、伊豆半島駿河湾の西岸に近づいております。東西駿河湾が縮んでおります。これらの動きがある限界に達しますと、この二つプレート境目が壊れてずれて、言わば自由になった陸のプレートの方が反発して持ち上がります。この動き地震の波を発生させ東海地震を起こすと考えられております。  このようにプレート境目が壊れてずれるわけですけれども、この動きが突然起こるのであれば、当然ですが地震予知することはできません。しかし、これまで行われている岩石破壊実験あるいは岩石の摩擦の法則、それらに基づくシミュレーション等々の理論的な研究から、大地震発生には突然ではなく予備的な動きが伴い、それが加速されてついには止まらなくなって地震になると、こういうことが分かっております。  実際、この動き観測できるような大きさで起こるのかどうか、あるいは実際に警戒宣言が発令できるような期間内あるいは時間経過で起こるのかどうか、これが問題になってまいります。  東海地域では、先ほど申し上げましたように、昭和東南海地震という、言わば隣の地域で起こった地震ですけれども、この際に、掛川から御前崎間の水準測量で実際動きがとらえられたという実績がございます。ですから、この地域地下には、今その地下へ潜って私たち見ることができないんですけれども、過去のそういった事実から、ゆっくり動き始めてついには破壊に至る、その前のゆっくりした動きを起こし得る可能性がある。ですから、それをつかまえることによって地震予知可能性があると考えております。  なお、二〇〇X年東海地震発生するというような予測が時折報道されることがあり、また様々な予測がございますけれども、これらはいずれも現在では研究段階のものでありまして、実用にはほど遠いと考えております。薬、すなわち薬品の例で例えて言いますと、言わば動物実験が済んでいないというような状況だと私は思っております。  自然の方に見ますと、一九九六年の末ごろから、東海地域地震活動はそれ以前の十数年間とは異なった動きを見せております。一九九六年の十月に起こりました静岡川根付近地震、これは、その前十数年間に起こらない場所で起きて、かつその周辺地震の起こり方とは違う起こり方をしており、気象庁でもこのプレート境目に掛かっている力が何らかの変化を起こしたのではないかというふうに述べております。  これに引き続きまして、一九九七年には、将来起こると考えられます東海地震震源域周辺で活発な地震活動が起こりました。しかし、それとともに陸のプレートの中では地震活動が静かになりました。これは防災科学技術研究所の資料で非常にはっきり見ることができます。また、一方の沈み込んだプレートの方では、一九九九年から二〇〇〇年の間に地震活動がやはり静かになっております。地震活動が静かになるということは逆に危なくないように思われるかもしれませんが、これは逆でございまして、大地震の前にはしばしばその周辺地震活動が静かになるという現象がよく知られております。そのような状況でございますので、もし現在東海地震発生するとするならば、これらは前兆現象であったと後から言われることは間違いないと思われます。しかし、現状で、これらの現象があるからこれは前兆であり、東海地震がすぐに起こるのだと言い切ることも現在ではできない状況でございます。  引き続きまして、二〇〇一年には、浜名湖付近二つプレートのがっちりとした組合いが緩んだと思われる現象が起こっております。OHPでその点を説明させていただきます。(OHP映写)  これは、国土地理院宇宙測地技術を用いたいわゆるGPS観測と呼ばれる観測による結果でございます。東海地域観測点がございますが、特にこれから注目していただきますのは、浜松浜名湖の北の浜北、それから掛川袋井でございます。二〇〇一年の三月から今年の四月の半ばまでの動きを示しておりますけれども、この動きは平常の動き以外の動きでございます。実は、日本列島は全体としてほぼ東西にほぼ定速で縮んでおります。それとともに季節的な変動が加わっております。このような変動をすべて除いた残りの動きがどうなっているかといいますと、この一年強の間に東海地方では東南東ないし南東へわずかな、二センチ程度でございますけれども、ゆっくり動いていることが明らかになっております。  実際に時間経過がどのようになっているかといいますと、一九九七年から現在、二〇〇二年の五月でございますけれども、南北では南の方に、東西では東の方に、上下では上の方に動きを見ることが、見れます。特に二〇〇〇年の半ばには、皆様御存じのように、神津島、新島、三宅島の近海で下からマグマが上昇して活発な地震活動を起こすという非常に地学的な大事件が起こりました。それに伴って東海地方南東方向に引かれました。その動きが二〇〇〇年の半ばごろから始まったことがどの地点でも見ることができます。そして、その後、二〇〇一年の初めあるいは二〇〇〇年の終わりかはっきりした時点は分かりませんけれども、二〇〇一年には明らかに先ほど申し上げたのとは別の動きがもう一度起きていることを見ることができます。この動きは、ほぼ昨年の暮れぐらいには浜北観測点あるいは浜松観測点では止まったように思われます。ところが、それよりも東側袋井掛川では、まだだらだらではありますけれども止まったようには見えないというのが現状でございます。  今申し上げました動きは、実は東海地震監視体制でとらえようとしている動き動きとしては同じでございます。すなわち、二つプレート境目が少し壊れて少しずれたということが起きた、あるいは今も起きていると、そういう状況でございます。ただ、その動きは極めて遅くて、現在の動きの五倍程度の速さになりませんと東海地震監視体制ではとらえることができません。現在のところ量は小さいですけれども、次第に蓄積されているということ、またその東側部分動きが停止していないということ、言わば東海地震震源域に近い方の動きが停止していないということですが、このような動き東海地震影響を及ぼす、その発生を早める、あるいは場合によっては引き金作用となる、そのようなおそれも出てくると考えられます。ただ、現在ではその影響を定量的に評価することは難しい状況でございます。  最後に、東海地震が本当に起こるのかという質問がございますので、それについて簡単に考えてみたいと思います。  東海地震は、実は歴史的に記録されている過去の東海地震とは異なる地震でございます。過去の東海地震は、潮岬沖から東の部分破壊するのがこれまでの東海地震と呼ばれる地震でございます。ところが、昭和十九年には、潮岬沖から浜名湖沖付近までが壊れてずれるという、そのため東海地震ではなく東南海地震と呼ばれておりますけれども、この地震発生しました。このことによって残された部分が次に地震を起こすというのが現在の東海地震共通理解となっております。  ところが、過去の一八五四年の地震からこの昭和東南海地震まで九十年程度でございます。それから、この東南海地震が起きてから現在まで六十年近くなっておりますので、かなりの時間が経過しており、この昭和東南海地震のときにたまたまここが割れ残ったと考えるのはだんだん難しい状況にあると思います。すなわち、東海地震が起こらないまま十年というような年月が経過すると、このような地震の繰り返しの次のサイクルに入ったと考えた方がよろしいのではないかと思うわけです。  そのような例として、足摺岬よりも西部の震源域を考えますと、一七〇七年の宝永の地震では明らかにこの部分足摺岬沖付近が十四メートルという大きなずれを起こしたことが分かっていますが、その後の安政南海地震及び昭和南海地震ではこの部分は必ずしもずれてはおりません。ですから、言わばお休みしているという状態にあります。ですので、東海地震についても、今後十年起こらないというような状況がもしあるとすれば、それはむしろこの回はお休みで次回に回ったということになるかと思います。その際には、従来の東海地震のように、潮岬沖以東、あるいは場合によっては南海も含めた東海南海地震という形で起こる可能性が高いと考えております。  以上です。
  7. 加藤修一

    委員長加藤修一君) ありがとうございました。  次に、塩坂参考人にお願いいたします。塩坂参考人
  8. 塩坂邦雄

    参考人塩坂邦雄君) それでは、東海地震の最近の状況と浜岡の原発に関して説明させていただきます。  レジュメにありますように、大きくは五項目の話を進めたいと思います。  最初は、まず、明日来てもおかしくないと言われて二十五年たっておりますけれども、これは我々の人間の尺度と地球年齢がかなり違うものですから、明日というのが、たまたま計算してみますと、地球年齢が四十五、六億年あるんですが、一月一日に地球が生まれたとしますと、人類なんというのは十二月の三十一日の八時半ごろということで、百歳まで必死に生きましても〇・八秒という非常に短い期間です。  石橋さんという方が最初に提言されたんですけれども、その当時、私どもは二十世紀中は地震は来ませんと。逆に今世紀中来ないというのもある種予知ではあると思います。  それから、地震予知といいますと、いつ、どこに、どれくらいの地震発生するのかという形で予知をしなくちゃいけないということで、二番目は、今日一番述べたいのは、今、東海地震発生のメカニズムというのが二十年ほど前に出て、ある種定説のように動き出しているんですが、最近のデータを見てみますと、いろいろの矛盾点がありまして、私どもはそれに対して二十年ほど前からちょっと違うんじゃないかという提言をしております。  それを、今度は三番目では、その証拠駿河湾の一番北の部分で、陸上で実証しております。実証しただけでは問題がありますので、そこでは二十年間、最初は手で測っておりましたけれども、最近は一時間に一回レーザー光線で二点間の距離を測ってひずみの変化を調べております。その辺を今日の限られた時間の中で説明させていただきたいと思います。  では、OHPをお願いいたします。(OHP映写)  ほとんどマスコミ等定説になっているというのは、まず南海トラフから駿河湾トラフを通りまして、田子ノ浦に上陸しまして、箱根の北側を通って、相模トラフにつながる、これがフィリピン海プレートであると。特に、伊豆半島西側に、東から西に潜り込んで、静岡から御前崎、この部分が跳ね上がるんだというのが一つの定説として動いておりました。私どもはそのときからどうも違うなと思っておりまして、南海トラフというのがここにありまして、その延長伊豆東方線というのがあるんですけれども、むしろここがプレート潜り込み場所であって、これ自身もここでは左横ずれ断層が切っておりますということを根拠に陸上部調査を開始したわけです。  もう少し今の場所を立体的に示しますと、いわゆる定説は、このフィリピン海プレートが潜り込んで、ユーラシアプレートがここで跳ね上がるんだというのが、これは南海トラフです。その延長上が駿河湾の真ん中を通りまして、富士山の南を通って、こう行っているんだと言われていたわけです。じゃ、ここの部分陸上ですから、その証拠があるだろうかということが一番実証しやすいわけですので、そこで調べたらそうではなかったということです。  ちょっと見にくいんですが、駿河湾の中も二千メートルから二千五百メートルの深いトラフになっておりますけれども、むしろこちらに潜り込んでいる状況は見られずに、直線的な世界でも有数な深い駿河湾海溝になっています。  これは水路部の超音波ないしはエアガンを使った反射法でやったものですけれども、これは駿河湾の海底です。こっちが伊豆半島、こっちが静岡側になるんですけれども、ここの部分は水平な堆積物がたまっております。こういうところにこういう地質の構造が見られるんですけれども、ほとんどこういう、こっちに日本平というのがあるんですが、これは石花海というものですけれども、そういうドーム状に隆起したものがたくさん見られまして、これらも、こういう地層はむしろ垂直断層で切られております。こちらに潜り込んでいるという現象は見られません。  そこで、基本的な考え方は、この部分が跳ね上がるんではなくて、むしろ南海トラフで潜り込んで南東方向には跳ね上がりますけれども、こちらは前へ出てくる、ないしは左横ずれと言うんですけれども、この部分が前に出てきながら上がってくるというふうに考えています。ですから、ちょうど、想定震源域が最近変わったんですけれども、むしろナスビ形に、私どもが提唱したものに近くなっているはずです。ちょっとピントが申し訳ないんですけれども、当初の想定震源域というのはこのような台形でした。最近見直されたのが、むしろここのようなナスビ形であります。  それで、駿河湾海溝から真っすぐ北に上って、じゃ陸上はどうなっているんだろうかと調べてみますと、ここのところに私と当時の東大地震研恒石君と一緒に発見したんですけれども、ここに富士川断層という活断層があると。これは、ここにありますように、国道一号線、新幹線、送水管、それからJRの東海道本線、それから国道東名、あと第二東名という形で日本の大動脈がすべてここを通っております。  ここで、いろいろな歴史的な事実をまず見付けることができました。それで、後でまた詳しく述べますが、今この富士川町の役場、それから富士市、それから富士宮の東高校というところで、この断層をまたいだ距離を二十年間測り続けております。今は一時間に一度測っております。  それで、どんな、じゃ歴史的な記録が残っているかといいますと、安政東海地震のときに、この断層西側、ここの部分蒲原地震山という山ができ上がりました。それから、もっと分かりやすいのは、国道一号線のところに富士山溶岩がございます。これ海抜二十メートル付近です。これが、こちらに富士山溶岩が流れてきたんですけれども断層東側では百から百二十メートル地下にあるということで、ここでも垂直変位が十分見られます。それから、ここには雁堤という三百年ほど前に造られた堤防があるんですけれども、それが当然安政地震を受けていますので、その変位がここで証明できます。  これは二十年、国土地理院じゃなくその前ですね、二万分の一の地形図ですけれども、ここに山が突然でき上がりました。それから、ここには堤防の跡がありまして、だから富士川はここを流れていたわけです。ところが、安政地震でこちらが上がりましたので、東側に移行して、蒲原町では言い伝えがありまして、地震さん、地震さん、また来ておくれ、孫子の代に二度三度というような言い伝えもございます。  これは、川底に出ている溶岩なんですけれども、約一万三千八百年ぐらい前の溶岩です。本来であれば富士山から流れてきた溶岩ですのでこの辺になくちゃいけないんですけれども断層をまたいでこちらは地上にあります。これだけの垂直変位があるということが証明できます。  これは、東海道は当然、江戸時代も大変な要衝だったものですから、これ、今の場所を逆さに見ております。こちらが川上、上流側になります。これ川なんですけれども、ちょうど断層はこの辺を通っておりまして、こちらは河原高し、つまり川底が三メートル上がりました。それで、今ここに洪水が起きた記録が残っています。これが東海道です。  先ほどの雁堤という堤防なんですけれども、ちょうどこのところがくの字に曲がっておりますけれども、ちょうど断層がここを通っておりまして、こちら側は南へ、こちら側は北へ動いた結果、こういう変形が現れています。そのまた延長水路があるんですけれども、この水路江戸時代に造った水路なんですが、ここでもこういうふうにくの字に曲がっていまして、断層はこの位置を通っております。ですから、こちら側は南へ、こちらは北へ動きました。  そこで、先ほどの場所断層が特定できましたので、そこをまたいでレーザー光線距離を測っております。これは一九八一年からずっと測っているんですけれども、一番気になりますのは、この最後の二〇〇〇年の六月ぐらいのところから急に曲がり出しました。伸びる部分と縮む部分なんですけれども、一番気になっているのがこの二〇〇〇年の六月のところです。  それで、これは、恒石君が台湾で、花蓮というところがあるんですけれども、ここで同じシステムで測っていたんですけれども、多分これは、地球の中でフィリピン海プレートでこれだけのデータが取れたのは初めてだと思います。  これは、一九九一年から測っておりまして、二点間の距離です。ここがゼロとしますと、二点間の距離がぐっと縮まってくる、このカーブが現れると必ず地震が起きます。この場合はマグニチュード五・六です。それから、ずっと来てこういうところで地震が、約二か月ほど前にカーブが現れて、ここで地震が起きておりました。ところが、今度の台湾大地震は、これから九十キロぐらい西に離れておりましたので、むしろそれは予知できませんでした。ところが大変なデータが取れたのは、よく見ると、一九九四年の年末から地震の起きるまでの間、この間が約五年なんですけれどもフィリピン海プレート型の地震では、こういう五年ぐらいの圧縮が行われて地震発生しているというのは、逆にこれで分かってきました。  それから、東海地震の歴史的な復元をしていきますと、いろいろな地震があって、百四十七年の間があったり二百九年があったり百六十年があったり、いろいろなんです。平均すると百七十四年ということなんですけれども安政東海地震周辺動きがどうも気になるのが連動してきまして、一八三三年に山形で起きて、四七年に善光寺で起きて、小田原で起きて、安政東海地震が起きているんですね。それと同じような繰り返しが、日本海中部地震が一九八三年に起きて、伊豆長岡で、余り大きくなかったんですけれども、九七年に起きています。そうすると、この間が二十一年なんですね。そうやって計算していきますと、一応このようなシステムで来るとすると、二〇〇四年以降、非常に近い時期だというような計算になるんですけれども、ただ最終的には、今私どもがやっているレーザー光線距離を測っておりますので、そこで事前に、直前の予知をする必要があるかと思います。  そういう中で、最後申し上げたかったのは、たまたまそういう震源域の真上に浜岡の原発がございまして、今、偶然一、二号機が止まっているんですけれども、それをやっぱり三か月ほど前に燃料棒を抜いておかないとメルトダウンに入る可能性があります。したがって、直前予知の分かった段階では、是非燃料棒を抜いておいていただければと。そうしないと、災害の大きさというのは当然、余り東京の方は意識しておりませんけれども、偏西風を考えますと首都圏の方がむしろ放射能の影響を受けるんじゃないかと。これは確かに地震予知というのはいろいろな考え方があります。ただし、安全側に考えると、やっぱり事前にそれを止めておくという必要はあるかと思います。  以上でございます。
  9. 加藤修一

    委員長加藤修一君) ありがとうございました。  次に、岡田参考人にお願いいたします。岡田参考人
  10. 岡田恒男

    参考人岡田恒男君) 岡田でございます。スライドを使って御説明申し上げます。(スライド映写)  このスライドと同じものは、少し小そうございますが、お手元に一ページに六枚入れてお配りいたしております。全部で十六枚ございます。  私は、一九七七年以来、東海地震対策のうち、専門が建築でございますので、静岡における建築、建物の対策についていろんな形で関係してまいりました。本日は、それらの現状あるいは今後の課題などについて私の考えを申し述べたいと思います。さらに、今年に入ってからでございますが、私、中央防災会議の東海地震対策専門調査会の座長をお引受けいたしておりまして、最後にその辺につきましても若干触れたいと考えております。  静岡県におきまして、これは静岡県だけじゃないんですが、これまで行われてまいりました建物の地震対策というのは三つプラス一と申し上げていいかと思います。  まず、既存の建物、造ってしまった建物が地震が来たときに大丈夫かどうかという診断をして、危ないものは補強をします。これから造る建物、新築の建物は危ないものは使わない、造らないということで、静岡県におきましては、あるいは東海地震の強化地域内の建物につきましては、一般の建物より少しレベルの高い設計基準を作りまして、造ってまいってきております。三番目は、不幸にして被害を受けた建物の対策であります。一〇〇%の対策はできませんので、被害が起きたときにどうするか、いち早くその建物が危険であるかどうかというのを判断し、危険な建物から逃げる、それからまた、直せるものは直していくと。例えば応急危険度判定などがございます。それに加えて、全体の被害を予測し、しかるべく対策を立てるための被害予測あるいは被害想定というものがございます。この辺について簡単に申し上げたいと考えているわけでございます。  ちょっと細かくなりますが、図が小さくなりますけれども、この辺の対策が今申しましたように行われましたのが、こちらが国全体の動きであります。それから、こちらが静岡県の動きだとお考えください。一九七七年に静岡県には地震対策課というのができまして、いろんな対策を始め出した。私もちょうど、このころ耐震診断基準というものを作ろうという動きがございまして、私がこの鉄筋コンクリートの建物の診断基準を作る責任者だったもので、これができたのも七七年でございました。早速これを応用するといいますか、適用する第一号として静岡県の建物を診断して、危ないものを見付け出して改修したらどうだということを当時の山本知事に申し上げましたら、県の対策として取り上げていただきまして、これがスタートいたしました。これが現在も続いております。  静岡県におきましては、七八年に既に第一次の被害想定というのを発表しております。それから、新しい建物に関しましては、ここになりますけれども、七九年でございます。既に、八一年に建築基準法が変わりますが、耐震基準が厳しくなったんですが、その準備がこの辺からされておりました。いろいろ研究とかいろんな準備がされて大体方向が見えておりましたので、静岡県に申し上げて、静岡県特有の建築の設計基準、特に耐震の問題を国の建築基準よりも格上げする。さらに、八一年に基準が変わるであろうと。新耐震設計法というのが八一年、通称、採用されたわけですが、これを先取りしてやろうということで、数年前から、新しい建物については静岡県には一般の地区よりはいいものを造るということがスタートいたしてきておりました。  それから、その次、その辺の改定をしたりしまして、一九九二年には応急危険度判定士の登録制度というのができまして、地震が起こりますと、登録されている建築士が現場に行って、その建物、住んでもいいかどうかとかいう判定をするという制度をいち早く取り入れたわけでございます。これにつきましては、一九八一年から国の方でいろいろな準備が進んでいたんですが、なかなか普及しませんでしたが、九二年に静岡県と神奈川県でこの制度ができたわけであります。  そうこうしているうちに阪神・淡路大震災が起こってまいりました。静岡県の方では地震対策三百日アクションプログラムというのをお作りになって、全体のそれまでの対策が正しかったかどうか、抜けはないかというチェックをされました。さらに、第三次の被害想定、阪神・淡路大震災の結果も踏まえまして被害想定の見直しをやると同時に、いろいろなものの見直しが進んでおりますが、特に、本日、少し時間を掛けて申し上げたいのは、最後のTOUKAI—〇プロジェクト、これは静岡県の方がお考えになって、TOUKAIというのは東海地震東海と建物がつぶれるの倒壊を掛けて、それをゼロにしようと。これは、阪神・淡路大震災におきまして、木造住宅が倒壊して人が亡くなったということが一番大きな災害を引き起こす原因であったということから、死者をゼロにしようと、東海地震が来ても建物の倒壊をゼロにし死者をゼロにしようというプロジェクトが開始されたわけであります。  さて、このような対策、私自身もかかわってまいりまして、それでは、東海地震が来たら静岡県の地面はどう揺れるか、建物はどのくらい揺れるのかということをある程度想定をしなきゃいけません。学問的に研究段階でございますので、余り細かいことまでは分かりません。そこで、私ども静岡県における建物の耐震化の目標というのはどのくらいにすればいいだろうかというのを七七年、八年ごろ決めさせていただきました。これが県の指針や何かにいまだに使われている基本の概念でございます。ただし、余り細かいことは分かりませんので、大ざっぱな議論だとお考えください。  これは、縦軸は耐震の度合いであります。1というのが基準です。この基準は何かというと、東京に今普通に造られている建物の耐震の、地震に対する強さです。実際はこんなにぴしっとそろっておりませんで、強いものもあるでしょうし、これよりちょっと弱いのもあるかもしれません。ざくっと1ぐらいだと思ったときに、東京に建っている超高層はどのくらいだろうかと。これもかなり無責任な推定でありますが、いろんなことを考えると五割増しぐらいだろうと。静岡県の建物をどうしようかということで、静岡県におきましては、東海地震がもし来たとすれば、それは従来考えていた地震よりはちょっと大きそうだと、地面の揺れがですね。そこで、静岡県の一般の建物に関しましては、例えば東京の、あるいは全国の普通の建物の五割増し、さらに公共建築につきましてはそれの二五%増し、静岡県の超高層はもうちょっとということでこれ二・二五倍と、細かく計算すれば出てまいりますが、というぐらいのグレードを付けながら造っていったらどうだろうかというのが今日まで続いている考え。これは、新しい建物を建てるときもそうでありますし、既存の建物を補強するときの補強の目安もこういうものを使ってきております。つまり、国の基準よりは上乗せしてやってきたということであります。  しかしながら、阪神・淡路大震災の経験も踏まえまして被害想定というのをやってみますと、まだまだ被害は深刻な被害が出る可能性があるという予測が出てまいります。これは、阪神・淡路大震災とそろえまして、大体、午前五時ごろ地震が起こったらどうだろうかと。ほかの、いろいろ条件あります。被害想定というのはいろんな仮定を積み上げて計算、コンピューターをわっと回してやるものですからそんなに細かいところまで当たるはずがないんですが、大づかみには大体の見当が付くだろうという数字だとお考えください。それに、赤は阪神・淡路大震災のときの実際の数を、概数を入れてみました。人口は静岡県が大体三百八十万ぐらい。阪神・淡路大震災のときの震度五地区にいた人たちが二百万ちょっとぐらいです。オーダーはあったぐらいだとお考えください、マグニチュードはちょっと違いますが。  さて、静岡県の予想では、予知できなかったら、東海地震が、死者が五千九百人。もし予知できれば千五百人ぐらいに減るんだろうか。島崎先生のお話でなかなか予知が難しいということは理解しておりますが、これ予知していただければ災害はこんなに減るんではないかという期待感はございます。阪神は六千四百三十二人であります。災害程度を御想像いただければいいと思います。例えば、木造住宅は十万戸近くが崩れるのではないかという予測があります。阪神の場合が大体五万戸ぐらいであります。鉄筋コンクリートの建物にしましても四千棟ぐらい。阪神で大体三千棟ぐらいが壊れております。というような被害があります。これをこれから何とかして減らしていかなきゃいけない。  この被害予測については、前の一次、二次を比べますと、二十五年間対策をやっている割には余り減っていないというふうにお考えではないかと思いますが、実はいろいろ調査が進むと新しいタイプの被害などが出てまいりまして、対策で減らしているんだけれども、何か今まで気が付かなかったのが出るんじゃないかという予測で、なかなかこういう数字が減ってこないというのが悩みであります。  その中で、今一番、TOUKAI—〇プロジェクトで急がれているのは木造住宅の耐震化でありまして、大体、静岡県に一千万戸ぐらいの、これ失礼、百万戸ですね。ゼロが一つ多いな、ごめんなさい。一千万、これは全国の値だ。ゼロ一つ外さなきゃいけません。百十万戸ぐらいのうちの六十万戸ぐらいはとにかく診断してみないとどうも気になるよということでありますけれども、これがまだ一〇%ぐらいしか進んでおりません。  それから、鉄筋コンクリートにつきましては、大体四、五万棟あるんですが、そのうちの三万棟ぐらいはちゃんと健康診断をしてもらわなきゃ心配だというものでありますが、そのうち八割以上が民間の建物です。二〇%弱が公共の建築です。  公共の建物については、この二十五年間で診断はほとんど終わったと言うと言い過ぎがあるが、かなりの部分進みました。しかしながら、その中から危ないものを見付け出して補強した率は、県有の建物でも五〇%程度でありますから、市町村を含めますとこれよりは低くなっております。  民間の建築につきましては、これなかなかデータが、細かいデータが取れませんけれども、ほとんど進んでいないと申し上げていいのではないかと思います。数が一番多いものが遅れているというのが気になるところであります。TOUKAIプロジェクトでは、これまた間違えています、済みません。千百じゃありません。百十万戸でありますが、今申しましたように、それを耐震のうちの六十万戸を対象にして木造住宅をとにかく強くしようと。これは、確かに災害を減らす一番手っ取り早い方法ではないかと思います。  そこで、五か年計画で一万戸を補強して一万戸建て替えようということで、そういうことのできる技術者を育成したり県の費用で派遣したり、あるいは安くできる、簡便にできる補強工法の開発、収集、普及と言っておりますが、と同時に、これはどうも、こういうものを進めるのに一番の難しい面が費用の面でございまして、これにつきましては、県の方で木造住宅に一軒三十万まで補助しよう、それに市町村の補助を足してほしい、さらに国から補助が出るならそれを足そうということで進めましたが、幸いに、今年度から国土交通省住宅局の方で新しい制度を作っていただきました。住宅の耐震改修に関する支援措置の創設ということで、木造住宅、これは私有財産に公費を投入することに対する議論が長年続いておりますが、私有財産であっても町中の建物というのは、例えば阪神のときには道路に倒れてまいりました。そのために救援活動が一切できなくなった例とか、あるいは火事が止まるはずだったのが、倒れた住宅を橋にして隣のブロックまで火事が行ってしまったとかいうようなことがございまして、これは公共的に何かをしなきゃいけないということで、若干の国からの補助も出るようになりました。その辺を合わせ技で何とか減らそうというのが今静岡県で行われている状況でございます。  一般のビル物、鉄筋コンクリートなどにつきましては、時間が迫ってまいり余り細かく申し上げませんが、先ほど申しました静岡については、一般の地区よりも五〇%は少なくとも地震に対して強い建物を造ろうではないか、あるいは強い補強をしようではないかということで進めてまいりましたが、阪神・淡路大震災のときにその辺が若干検証できました。  これ、一言だけ申し上げますと、静岡県内にある建物がどのくらいの耐震性を持っているかというのを、横軸に点数を付けまして、縦軸はその頻度分布を作ってみた、これ、十五年ぐらい前に作ったんですが、こんな分布をしていると。非常に強いものもあるけれども、弱いものもあると。そのうち、どの辺の建物が壊れるか。当然、弱い建物が壊れるわけでありますが、一般、全国的には、今、この緑の線より右に来るように建物を造るとそんなに大きな被害は出ないんではないかといってお勧めしておりますけれども静岡の場合はこのブルーの線よりもっと強くしようということをお勧めいたしておりましたところ、そのグラフに、茶色の縦の棒は、阪神・淡路大震災のときに壊れた建物を調べてみてプロットしてみると、静岡ぐらいのレベルにしておけば、若干例外はありますが、阪神の震度七地区ぐらいの被害は、あのぐらいの揺れに対しては何とかつぶれるということは防げそうだということも分かってまいりました。  それから、被災建築物につきましてはこういう応急危険度判定というのをやっておりますが、先ほど申しましたように、九二年から静岡県ではこういう対策をやっておりまして、阪神・淡路大震災が起こりましたときは三千人ぐらいの技術者が登録されておりまして、その方々が神戸地区に出ていきましていろいろ活躍していただきました。その後、こういう対策が全国に広まりまして、これは静岡県でも今九千人近い方が登録が終わり、訓練も行われており、私もそれの免許証を持っておりますし、ついでに東京都とか、持ち歩いておりますが、神奈川県とか兵庫県とか、文部科学省では全国の学校をチェックするというような制度を作りまして、いろんなこういうことも進んでまいりました。  しかしながら、これちょっと申し上げますが、最後に、いろんな国の中央防災会議の下の専門調査会で、地震学の溝上先生が座長をされておりました東海地震に関する調査会では、震源域の見直しが行われましたし、震度予測も新しくされております。  私が引き受けました対策専門調査会、始まったばかりでございますけれども、その辺を受けまして、先ほどもちょっと塩坂参考人の方からお話出ましたけれども震源域が西の方に動きそうだ、形も少し変わりそうだということで、強化地域も広げる提案をさせていただいて、強化地域の指定が見直しがされましたけれども、この辺が静岡県辺りにいろいろ影響が出てまいります。  と申しますのは、七八年辺りからは震源域を今度の想定よりは少し東側だと思って、それも非常に粗っぽく、震源に近いところは今申しましたような五割増しぐらいの対策をやろうや、ただ、離れてくるとそんなことしなくてもいいだろうというようなことをやっておりましたが、今回いろいろ調査されて、震源域が西の方に来るとなると、そんなに強くしなくても一般の地域並みでもいいだろうと思っていたところもまた格上げをしなきゃいけないというような対策をする必要がございます。この辺が新しい課題として上がってきております。  それから、ちょっとまとめますと、いろいろ阪神・淡路大震災の結果なども踏まえて新たに対策を見直してみると、いろいろ検討しなきゃいけないことも出てきておりますが、ここ二十五年ぐらいやってきた大きな基本方針、流れはそんなに違った方向には行っていなかったんではないかと私ども考えておりますけれども、その辺が分かれば分かるほど、まだやっていない、対策をやっていない部分が一杯出ております。  その一番が先ほど申した木造住宅の耐震化の問題でございますけれども、こういう対策を、これは静岡県を越えて、今回新しく強化地域に入ってきた、指定せざるを得なくなった地域辺りにつきましても、こういう同様の対策をできるだけ早くする必要があるんではないかと思います。  地震がいつ来るか、なかなか難しいようでございます。私どもは対策をする側でございます。地震がいつ来てもいいように、地震が来るよりは早く対策を終えたいというふうな考えで進めております。是非、そういうことを進める上に、この委員会の先生方、お力をかしていただければ幸いでございます。  以上で終わります。
  11. 加藤修一

    委員長加藤修一君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  本日は、あらかじめ質疑者を定めず質疑を行いたいと存じます。質疑を希望される方は、挙手の上、私の指名を待って御発言願います。  また、全体の時間が限られており、できるだけ多くの委員に御発言をいただきたいと存じますので、委員各位の一回の発言時間は三分程度でお願いいたします。  なお、御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、質疑を希望される方は挙手を願います。
  12. 宮崎秀樹

    ○宮崎秀樹君 ただいま御三人の参考人から大変貴重な御意見、ありがとうございました。  お三人のお考えとも、従来の東海地震が西の方へずれ込むであろうというお話がございました。  そこで、島崎参考人にお伺いしたいんですが、予知は甚だ難しいという結論と私は承りました。また、塩坂参考人からは、台湾の例を出されまして、地形の変化等を測定して、ある程度これは予知可能ではないかというふうに実は受け取ったわけでございますが。この辺に関しまして、正に発生時間もいろいろ問題になると思いますが、被害の関係を考えますと、これは大動脈が走っている地域ですから、これは動いている時期にこういう大地震が来ると相当な被害が、これはもう時間帯で大きく異なってくると思います。新幹線、高速道路等にしてもしかりでございますが。  そういう意味で、本当にこの予知というものに対して、これは全くできないとなれば、これはもう備えあれば憂いなしで、岡田参考人のおっしゃるとおり、あらゆることをやっておかないとこれは防げないと。しかし、ある程度、そうではないということで、これは国民に対して大変重要な問題ですから、そのことについて結論的に一言だけお話を伺いたいと思います。
  13. 島崎邦彦

    参考人島崎邦彦君) 一言だけというお話ですけれども、冒頭に申し上げましたように、この問題はイエス、ノーの一言ではお答えできかねます。  私自身、判定会の委員を務めておりまして、東海地震予知を是非ともしたい、しなければいかぬと思っておりますが、自然が人間の都合で動いてくれるわけではございませんので、実際に私どもが見えるような前兆現象が現れずに発生する可能性はやはりあると思います。ですから、その場合には予知はできません。しかし、十分見える現象が現れた場合には、直ちにそれをつかまえて警戒宣言の発令につなげたいと、このように考えております。
  14. 宮崎秀樹

    ○宮崎秀樹君 結構です。  塩坂参考人にお願いします。
  15. 塩坂邦雄

    参考人塩坂邦雄君) 今の御質問ですけれども、私は、今度来るべき東海地震富士川断層変位することによって起きるんであれば予知はできます。今、ユレダスというシステムがJRさんがありますけれども、これは御前崎地震計がありまして、御前崎で揺れると東京の指令室まで、地震波が大体五キロぐらいですから、毎秒、四十秒ぐらい後に来るんですね、だから止められるんですよ。ところが、走っているのは止められないんですね。  ですから、そういう意味では、日本の動脈があそこを横切っておりますので、やっぱり一時間に一回測っていることで、私は、それがもし動いて地震が起きるんであれば予知はできます。ほかのメカニズムで起きた場合には責任が負えませんけれども
  16. 宮崎秀樹

    ○宮崎秀樹君 ありがとうございました。
  17. 神本美恵子

    神本美恵子君 簡単な御質問なんですけれども岡田参考人にお伺いしたいのですが、私、小学校の教員を元しておりまして、今、学校の建物、校舎ですね、校舎、体育館がもう築二十年、三十年という大変老朽化、危険化しておりまして、つい先ごろ消防庁が学校の校舎の耐震診断の結果を発表されたんですけれども、なかなかこれが進んでいないということで、新設計基準が施行されて、それ以前に建った建物十万五千四百棟のうち七万三千棟がまだ耐震診断されていないという大変な結果が出ているんですが、この耐震診断をするのにどのくらいの費用が掛かるものなのか。  また、もし御存じあれば、静岡県で学校、校舎関係の、先ほど文科省が学校チェックをしているというふうなお話がありましたが、その点についても少しお聞かせいただければと思います。
  18. 岡田恒男

    参考人岡田恒男君) お答えいたします。  今、静岡県では公共建築の診断は進んでいると申し上げましたけれども、これは実は全国的にもそうでございまして、全国平均でいくと、学校につきましては大体三〇%ぐらいの診断が終わっております。危ないと分かったものの補強はまだそこまでは行っておりません。ちょっと今日、数字を覚えておりませんが。  これは、阪神・淡路大震災の前までは、そういう公立の学校の補強に関しては、当時文部省の補助金が東海地震の強化地区以外は出なかったもので、強化地域の中は進みましたけれども、外が全然進んでいなかったんです。阪神の地震の後、この補助を別の枠で全国に今広げていただいておりますので、これで診断が三〇%ぐらい進みました。まだまだ進んでおりません。  値段は、普通の学校校舎一棟、これもう大ざっぱだとお考えください。大ざっぱに一つの学校、三階建てぐらいの校舎で二百万とか三百万とか、何かそういう百万オーダーだと思います。私、自分では今やっておりませんからあれですが、そんな感じでありまして、補強となるとやっぱり一棟一億円とかそういうあれができますけれども、新しく建て直すことを考えると、費用は三分の一とか四分の一で済みます。  ということで、今、補強も全国的に大分進んできている。学校が一番先に進んでおりますが、それでもなかなか進まない。これは最近聞いている、済みません、あと一言で終わります、聞いている話ですが、国の補助が二分の一、小中学校出ますが、残り半分を自治体がなかなか出せないというのがどうもつらいところのようであります。何とかしてあげられれば、いただければというのが私の個人的な気持ちであります。
  19. 荒木清寛

    荒木清寛君 私からは、塩坂参考人島崎参考人にお尋ねをしたいと思います。  私は、愛知県に住んでおりまして、東海地震は大変な関係があるんですが、去年、いわゆる想定震源域が西の方に急遽伸びてきまして、本年四月にはいわゆる大震法に基づく強化地域になるということで、愛知県としては、もう県民としては大変今戸惑っておるというのが率直なところです。もちろん、その準備はしてまいりましたけれども、先ほど岡田参考人がおっしゃったように、もう二十五年も前からあのような揺れを想定しての対策はしていなかったわけですので、どうして急にそんなことになってしまったのかという戸惑いがあります。  したがって、まず島崎参考人に、先ほど参考人がおっしゃった地震発生のメカニズムからすると、今回のこの想定震源地域の見直しというのはどう説明できるのかといいますか、されるのかということと、それから、先ほど塩坂参考人のお話の富士川断層のずれということは、この参考人の御説明からはどういう説明ができるのかというのをお尋ねしたいと思います。  そして、また塩坂参考人には、今、東海地震が、想定されます東海地震が、先ほど参考人が御説明になった断層が動くメカニズム以外の原因で起こる可能性というのはどのぐらいあるのかということで、先ほどの御説明で従来の地震の歴史的な経過からすると二〇〇四年以降の時期にあるのではないかとおっしゃいました。その参考人が測っていらっしゃいますこの断層間のずれのデータからすると、どういう予測ができるのか。  また、直前予知もできますというお話でございましたが、宮崎先生もおっしゃったように、新幹線、東名高速等がございますので、非常に直前予知ができるのかどうかは大事な点だと思います。どのぐらいのインターバルといいますか、どのぐらいの時間的な間隔で事前予知ができるのかと、その点について両参考人にお話をお伺いしたいと思います。
  20. 島崎邦彦

    参考人島崎邦彦君) 最初想定東海地震震源域の見直しについてでございますが、これは二つプレート境目がどこにあるかということが精密な地震観測あるいは測量等から次第に明らかになってきたということが一点ございます。実際には、既に五年ほど前から判定会で議論している東海地震のモデルは、最初のモデルではなく、現在のモデルに近いものになっておりました。言葉を換えて言いますと、地震学の分野では数年前からいわゆる最初東海地震のモデルではうまく説明ができなくなっていたという状況でございます。  私、個人的にもこれは何とか早く変えるべきではないかというようなことも申し上げたこともございますが、恐らく新しい組織替えになったということもあって、この時点で見直しがされたというふうに私は想像しております。  次に、富士川断層についてでございますけれども富士川河口断層帯と呼ばれておりますが、あの地域には活断層がございます。正確な位置に関しましては、一部は必ずしも先ほどの塩坂参考人の位置とは違っておりますけれども、平成十年の十月の十四日に地震調査研究推進本部の地震調査委員会から「富士川河口断層帯の調査結果と評価について」という報告が公表されてございます。  その中では「富士川河口断層帯の研究史」という部分がございまして、これまでどのような研究が進められたかが述べられております。その中には、先ほど塩坂参考人からお話がありました恒石塩坂(一九七八)による富士川断層帯の位置、あるいは恒石(一九八一)の論文等々が検討されてございます。しかし、山崎(一九八四)の論文によりまして変位の累積性など活断層としての証拠が認められないことから富士川断層を事実上否定しているというようなことが書かれてございます。  結果的にこの評価におきましては、先ほどの富士川断層そのものではなく、一部は重なっておりますけれども、入山瀬断層、大宮断層、安居山断層等々を一連の富士川河口断層帯という活断層であると認めて、そこから発生する地震についての評価を行っているという状況でございます。  最後に、東海地震がどの程度の時間間隔で予知できるかということでございますけれども、うまくいった場合には一日程度、場合によってはもう少し短いかもしれないと思っております。
  21. 塩坂邦雄

    参考人塩坂邦雄君) 今のお話の中で富士川河口断層帯という言葉が実は後から出てきまして、いろんなデータが出てくるんですけれども、時間があればそれの具体的な私が申し上げている富士川断層との差というのを申し上げられますけれども、これはちょっとまた学問論争をしてもしようがないものですから、そこはちょっと避けておきます。  それで、私どもは、じゃどれくらいのまず精度なのかということですけれども、先ほど、台湾のデータは三日に一度測っております。それですと、三日に一度測っていて、先ほどの急なカーブが現れるのがおおよそ二か月ほど前でした。今、富士川断層は一時間に一回測っております。  一番大事なことは、国土地理院静岡から伊豆半島に向かってレーザー光線距離を測ったんですが、これは年に一回だけ測ったんです。年に一回ということは、一年前の大気と現在の大気は違います。光の速さというのは真空が一番速いわけですから、乾燥した空気のときは速く返ってきます。そうじゃないときは遅く返ってきます。そうすると、地殻の変化なのか気象の変化か分からないんです。  私ども自信を持っているのは、二十年間、しつこく一時間に一回測っていますから、大気の補正の精度は非常に上がっております。今、私どもが言えるのは、一時間に一回測っておりますので、数か月前には先ほどの測定の変換点現れる、現れればそこで予知はできるというふうに判断しております。  以上です。
  22. 荒木清寛

    荒木清寛君 断層富士川断層以外の原因で起こる可能性というのは。
  23. 塩坂邦雄

    参考人塩坂邦雄君) これは、以外というよりも、先ほど御説明しましたように、私は南海トラフで潜り込んで跳ね上がるということは間違いないと思います。ただし、静岡側が跳ね上がるんではなくて左横ずれで、静岡の方は南側に前に出るということです。ですから、ちょっと跳ね上がるという発想じゃなくて、跳ね上がるのは南海トラフ、海の方で跳ね上がりますから、跳ね上がった分だけこちらが前に出るというふうに考えています。
  24. 大門実紀史

    大門実紀史君 今日はどうもお忙しい中、ありがとうございます。各参考人に一問ずつお聞きしたいと思います。  島崎参考人予知が難しいというお話、よく分かるんですけれども、そうしますと、今、大震法の仕組みそのものが、マグニチュード八クラスの地震なら高い確率で予知できるという前提でいろいろ組み立てられている仕組みになっていると思うんですが、その判定会の問題ですね、警戒宣言も。  そうすると、実際問題、その大震法の仕組みといいますか、判定して警戒宣言を出していくという仕組みそのものがやっぱり無理があるというふうにお考えなのか。それとも、今の仕組みの中でも、予知の在り方あるいはいろいろ警戒宣言の出し方等を改善していけば一定の予知システムが可能だというふうにお考えなのか。もう一つは、そもそももっと違う予知システムを作らなければいけないというふうにお考えか。その辺の予知システムそのもののお考えを聞きたいと思います。  塩坂参考人言われました、潜り込み説と左横すべり説おっしゃいましたけれども、これどちらかを取るかによって前兆現象のとらえ方、予知にも差が出るとすると、大変大きな問題だというふうに思います。  いずれにしても、学会の論争が分かれているということだけで済ましていいのかどうかと。例えば、両方から研究していただく、アプローチをしていただいて総合的に見ていくとか、そういう前向きなといいますか、いろんな可能性を国民の命と財産を守るために検討していくというふうなことは必要だと思いますけれども、今、そういう総合的なものになっていないということをさっきおっしゃったのか、少し詳しくお聞きしたいと思います。  岡田参考人には、私どもも耐震補助等々の公的助成が非常に重要だと考えているわけですが、先ほど言われました私的財産に、私有財産に公費を投入すること、このところでかなりネックな問題が起きていると。そこをやっぱり突破しなきゃいけない部分がかなり出てきていると思うんですが、その辺もう少し詳しく、公的助成のやるべき在り方ですね、この耐震問題に対する、少し詳しくお述べいただければというふうに思います。
  25. 島崎邦彦

    参考人島崎邦彦君) ただいまの御質問ですけれども、現在の東海地震に対する予知体制そのものについて、私は疑問を持っておりません。  ただし、私の発言が何か、地震予知が難しい、確かに難しいんですけれども、できない、できないというふうに申し上げているかのようにお受け取りになっては間違いでございまして、もしできた場合に大変震災の軽減に役立つことは間違いございませんので、その可能性があるのであれば、やはり現在のような体制を取って、少しでも、先ほど死者の数が四千人ですか、違いがあるわけで、現在の体制を取るべきだと思っていますし、私も判定会の委員としてその体制の一環に参画しているつもりでございます。  ただ、こういう体制があるから必ず予知できるのだと言われると、それはそうではないと言わざるを得ない。その点だけでございます。
  26. 塩坂邦雄

    参考人塩坂邦雄君) まず、先ほどの潜り込み説というのが定説のようになっているということですけれども、これ非常に危険なのは、科学というのは仮説からスタートするんですけれども、それをある有名な先生が言うと、ずんずんそれが事実のように動き出していって定説になっちゃっているんですね。  だから、定説というのは大体余り、定説になることはほとんどなくて、例えばそこのところを私は当然学会等でも出しておりますが、基本的には、先ほど説明したように、たくさんの矛盾があります。それを事実で説明をしているんですけれども、むしろそれは無視されている。むしろその反論が出てこないということは、簡単に言えば、無視されているということだと思うんです。  ただ、それで行政が動いているものですから、むしろ後ずさりできないというところに一つ問題点があると思います。  ですから、例えば阪神・淡路大震災のときに、明石大橋がありまして、あれが約一キロですか、大きな橋台があったのが、あれも実は地震の後でずれたんですよ、水平に。ということは、そこの活断層が動いたんです。そこも、れば、たらの話ですけれども、測っていれば、その変位が出てきたはずなんですね。  だから、そういうことで、何というか、その学問とか研究が、あるところの一つだけで動き出して、それに行政が乗ったりマスコミが乗って、定説で動いていったことが、後で引き戻しができないというところが一番今問題になっているのかなと私は思います。
  27. 岡田恒男

    参考人岡田恒男君) お答えいたします。  大変難しい、論理の整理をしなきゃいけない問題なんですが、私は主として建築学会でここ数年議論してきたことはこんなことでございます。これは私の考えでもございます。  世の中に建っている建物は、全く私的なものから全く公的なものまで、かなり幅が広い。建物によってその程度が皆違うというふうにまず考えます。この建物は一〇〇%公的な建物と言っていいと思います。  本当に私的な建物ってあるのかっていうのは、これ探すのが難しいんですが、あるいは山の中の一軒家でだれも訪ねてこないというのは、もしかしたらそうかもしれませんが。  少なくとも町中に建つ建物につきましては、何らかの比率で公的な部分が私はあると思います。したがって、建物の持ち主は、全く勝手に建物を造ってはいけない。公的な建物だということを考えて造らなきゃいけないし、同時に、公的な、公的な部分については公費の投入あるべしではないかというのが私の考えなんです。  例えば、住宅以外でも、病院なんかを考えたときに、病院は、仮に公立の病院でも私立の病院でも、災害のときには重要だってみんなおっしゃるんです。それでは、地震が来ても絶対に倒れないような病院をプライベートな病院に造ってくれということをどういう具合で言うかと。  私は、最低限の、例えば建築基準法の世界は病院の院長さんに出してもらって、みんなが上乗せしてほしいんなら、それは公費を投入したらどうだと、みんながそういうのを求めているんだから。  この論理でいかないかなというのを、既存不適格の木造に今度持ってきます。これは新しい建物の話です。  これは法律が変わって、これは技術が進歩したからなんです。いろんなことがよく分かってきたからで、今の地震の話なんかもそうですが、昔は分からなかったことが、分からないからそれでよかったものが、新しいことが分かってくると、それじゃ駄目だと言って建築基準法が変わって、既存不適格って、もう駄目だと、こういうことになるわけです。補強しろと、こういうことになるわけですね。  そうすると、それをやっぱり上げてあげるためには、今申した新しい建物に適用しようと私が言っている論理と同じで、建物の持ち主も、やっぱり公的な側面があるから、避難路をふさぐとかなんとかあるから、まず持ち主にも努力してほしいと、何とかそんなことにならないように補強してくださいとか建て替えてください。でも、一〇〇%できないから、その分はその町の人が、住んでいる周りの人の税金でマイナスの部分を格上げしましょうと。これは公的な性格になるんじゃないかなと。こんな議論を、私ども本当はそういうところは専門じゃないんですが、何とか我々の側からそういう発信ができないかと。  それが実ったのかどうか、先ほど申しました、国土交通省が今年から新しい支援制度を作っていただいた。大変うれしく思っているんです。まだ実際には適用の条件や何か相当厳しそうでありまして、木造密集法と一緒になっていますから、なかなか一軒ずつというわけにいかないようでありますが、できるだけそういう幅を広げていただくためには、今申し上げたような何か理屈をみんなで理解していただけないかなというのが、私がこの数年いろんなところで申し上げている考え方であります。
  28. 柏村武昭

    ○柏村武昭君 私は、皆さんの意見を聞いて大変に勉強になったわけでありますが、時々分からないような専門用語も出てくるわけで、国民の皆さんは大方の方がやっぱり、そこら辺の長屋のおかみさんとか私たちみたいな、つまり、地震はどうして分からないんだろうと、これだけ科学が発達していてどうして地震予知ができないんだろうということはだれもが疑問に思っていることなんで、消極的な方法としては、岡田先生がおっしゃったような、しっかりした家を造れば最大被害は少なく済むんじゃないかと。  私もそれは大いに賛成で、今、東海をやっておりますが、東海地震だけじゃなくて、私のふるさとは広島でございますが、芸予地震というのがこの間ありました。芸予地震なんかでも、起こってみて初めて、マグニチュードが六・九だということで、これは阪神大震災と余り変わらないわけですね。しかしながら、なぜ被害が少なかったかというと、これは震源地が深さ五十一キロのプレート境界型で、阪神大震災の場合は震源地の深さが二十キロで活断層型であると。これが分かった。それで被害が少なかったんじゃないかと。  それが果たして、この活断層型とかプレート境界型というのは、これはどうなんでしょうか、あらかじめ予知できるものなんでしょうか。  しかしまた、我々が平生民間で言っている、地震の前にはナマズが騒ぐとか、あるいは最近では週刊誌見るとワニが騒ぐというんですね。私がキャスターをやっておりますときに、岡山理科大学の先生が、大気中のオゾンが発生率が深いと非常に間もなく、一週間か二週間して地震が起きるということが発表されまして、非常に私は興味を持ってそれを追っ掛けていったんですが、非常にオゾンの発生率があった後、地震が起きている。これ全部当たっているわけですね。それで、これはいけるぞと思って、先生、次はいつですかと言ったら、あと二週間内に絶対起きるだろうと言って、オゾンがこれだけなっていると言って、起きなかったんです。それでもうちょっとがっくりきまして、もうこれは駄目だなということになったんですが、そういうナマズとかワニとかあるいは地震の雲が出たからどうだ、こういったことも参考にしていらっしゃるのかどうか、その辺も島崎参考人塩坂参考人の皆さんに聞いてみたいんですが、どうなんでしょうか。
  29. 島崎邦彦

    参考人島崎邦彦君) まず最初に、プレート境界型地震あるいは活断層地震というものが予知できるのかというお話ですけれども日本のどこにどういう地震が起きているかということに関してはかなり理解が進んでおります。ですから、この位置では活断層型の地震が起こる、この位置ではプレート境界型の地震が起こると。しかし、それがいつ起きるかという問題については、残念ながら、まだ十分、あらかじめ二、三日だとか非常に狭い範囲で物を言うことができないのが現状です。  先ほど岡山理科大の先生のお名前が出ましたけれども、岡山理科大の先生は、ホームページを開設していらっしゃいまして、非常にフェアに物事を進められています。そこで雲だとかにじだとかそういった天気の異常あるいは動物の異常等々も集められていらっしゃいます。そのデータを使わせていただいて解析した結果を伺ったことがございますが、その結果によりますと、そのような異常はどのときに非常に多く報告されるかといいますと、岡山理科大のホームページで、例えば地震発生が考えられるとか何らかの情報が発せられた時点に報告が非常に集まるということが非常にきれいに統計的に出されております。  私どもももちろん、そういったものをまるっきり無視しているわけではございませんで、大変興味を持っていつもウオッチをしているつもりでありますけれども、これまで見たところでは、そういえばあれがあったという形で報告が増えるというのが現状のようでありまして、客観的にそういった異常が認められるという状況にはなっていないと思います。
  30. 柏村武昭

    ○柏村武昭君 例えば、学界の定説になっていないということなんですか、それは。
  31. 島崎邦彦

    参考人島崎邦彦君) いえ、皆が合理的にそうだと思える状況になっていないと、そういうことです。
  32. 塩坂邦雄

    参考人塩坂邦雄君) まず、今のを整理いたしますと、地震予知というのと地震研究というのはちょっと違うんですね。多くの方は地震研究をしていますけれども予知をしているかというとそうでもないんですね。例えば、駿河湾の海底に物すごく高感度の地震計をたくさん付けました。揺れが出ました。だけれども、本震がどかんと来て、あれが前兆であったと言えるわけですね。それは地震学の研究にはなるんですが、予知ではないと思うんです。  先ほど議員の方がお話があったナマズのお話とか地震雲の発生とか、いろいろ発光現象だとかあります。私は、これはやっぱり何らかのそれは前兆だとは思います。ただし、それでは予知が難しいというのは、じゃ、そういうナマズが騒いだからどこで起きるんですか、ナマズに聞いても答えてくれないんですね。どれくらいの地震ですかというのも分からないんですよ。予知というのは、先ほど言ったように、いつどこにどれくらいの、この三つがやられないと予知にならないんだと思うんですね。  私どもは、その整理をした結果、先ほどの光波測距儀という、レーザー光線距離を、二点間の距離を測るんですけれども、例えば、人間も歯が痛ければ顔がしかんできますよね、そうするとこの距離は縮みますでしょう。そういう形でいかないと、さっき言ったいつどこにどれくらいのというのが多分できないんだと思うんです。  それから、この私どもシステムが完璧だとは思いませんで、先ほど言ったように、台湾の例もそうですが、花蓮で測っていて、あのレーザーシステムの五十キロ圏内はかなり精度が高いんです。ところが、外れてしまうと分かりません。ですから、むしろ五十キロぐらいのシステムをネットワークでつなげれば可能かもしれませんが、現在は富士川断層、私どもお金がなくてボランティアで、市民で支えているんです。ですから、そういう点で、そのネットワークを広げていけばできるんですけれども、今はもうお金がないから心臓であると思われる富士川断層のところだけしか測っていないということです。
  33. 大仁田厚

    ○大仁田厚君 お忙しい中、本当にありがとうございます。  まず最初に、塩坂参考人にお聞きしたいんですが、今回、浜岡原発の事故の報道の中で東海地震との関連性の議論はほとんど行われていないような気がするんですけれども東海地震と浜岡原発についてなんですけれども、茂木東大名誉教授が、東海地震の原発の関係についてこのように述べられています。  東海地方でマグニチュード八級の大地震が起きる可能性があることを一九六九年以来指摘していらっしゃるんですけれども、そんな中で想定震源地域のある浜岡に原発を建設し、更に増設を繰り返してきたということは異常と言うほかなく、到底容認できるものではないなどと警告を発していらっしゃるんですけれども、この中で、参考資料の中で、塩坂参考人の中で、メルトダウンを防止するには制御棒を抜きということがありましたけれども、こういう勃発的な、突発的な災害リスク、それによって緊急に対応できるかどうかというのは僕はちょっと腑に落ちないんですが、塩坂参考人東海地震の想定地震域で原発事故が突発しているという現状をどのように考えられますか。  また、申し訳ありませんが、これもう一つ、お二人、島崎参考人岡田参考人にお聞きしたいんですが、僕は、この災害というのは防災協働社会の実現に向けたNPOとの行政の関連が必要事項だと思っているんですよ。それで、現実問題、東海地震はもとより、現実的に人は人に助けられると思うんです。そういった意味で、災害が起きたときに、特にNPOと行政の関連による地域防災対策は重要視されなければならないと思うんです。しかし、財政面や社会認識性から見ても、NPOの活動の範囲には限界があるのが現実だと思うんです。  そこで、島崎参考人岡田参考人に質問なんですが、住民、企業、NPOなどの行政の連携による地域防災対策の推進について、現実的な方策を御提言ください。  済みません、ちょっと最初塩坂参考人にお聞きいたします。
  34. 塩坂邦雄

    参考人塩坂邦雄君) まずお断りしたいのは、私は日本のエネルギー政策の中で原発が駄目だという立場ではございません。資源がない中でエネルギーが、火力、水力、いろいろありますけれども、多様化している中で原発に行ったのは決していいとは思いません。やむを得なかった過程だと思っています。  ただし、一番重要なことは、先ほど、茂木先生も言われていますけれども、こういう東海地震がもう近々来るであろうと予測される中で原発が存在しておりまして、これ、阪神大震災のときは原発がなかったのでNPOの方も皆さん助けに来てくれました、ボランティアも。ところが、今度はもしこれが、最悪のイメージをしたときに、原発がメルトダウンに入っていたらだれも助けに来れないんですよ。そこが非常に大きなポイントだと思います。  じゃ、どうしたらいいかということですが、僕は、最悪、もしそれがメルトダウンに入ってしまってチェルノブイリのような形になってしまったら、日本の原子力行政そのものが壊滅的な影響を受けてしまうと思います。そうでなくて、唯一できることは、燃料棒を三か月前に抜かないと炉心が冷えていかないんですよ。抜いたからすっと止まるわけじゃないんで、三か月たたないと冷えない。その間にもし地震が来て、緊急冷却水装置が故障してしまったら冷えないわけですよね。そうすると、少なくとも三か月前には抜いておいていただきたいというのが一番の目的です。  そのためには、何らかの判断基準でいつ来るのかということを示さなければ永遠に止めておくということになっちゃいますので、そのことを私どもはさっき言った富士川断層変化、変量から数か月前にはそういうものを予知できるとしていますので、そのレベルで抜いておいていただきたいというのが主たる主張でございます。
  35. 大仁田厚

    ○大仁田厚君 ありがとうございます。
  36. 島崎邦彦

    参考人島崎邦彦君) 地域の住民の方あるいは企業、更には行政との間で防災対策をどう進めていくかということに関しては、私は実は専門ではございませんけれども、実際に三重県のNPOの方々と一緒に地域防災塾というような形で、地域方々に、私が担当できるのは地震がどう起きるかとかそういった面だけですけれども、お話をして関心を高めるというようなことを行っておりますが、話に伺いますと、ボランティアの方々最初はどこかで、自分の場所じゃないほかの場所で起きた災害に助けに行くということをやられていたわけですけれども、そのうちやはり自分の方に目が向いてきて、自分のところが起きたらどうなるかという活動に現在主に移られているというふうに伺っています。それには大体行政もよく対応されているようですので、私が伺っている限りではいい方向に動いているのではないかと思っています。  ただ、都市部等については、元々地域住民の連携が非常に欠けておりますので、そういったところはかえって逆に問題にこれからなるのではないかと思っております。  以上です。
  37. 岡田恒男

    参考人岡田恒男君) 大変重要な御指摘だと思いますが、住民、企業、NPO、行政、全部セットで何か言えと申しますと、ちょっと私、今具体的に申し上げられるものはございません。ばらばらだと多少は考え方があるんでございますが、まず企業を抜かしてください。企業とどういうふうにすればいいかというのは私もよく分からないんです、正直なところ。  それで、基本的にはNPOも含めて、本当は企業も含めてなんです、地元で行政とのタイアップがうまくいっているところといっていないところでは、過去の地震災害のときの直後の立ち上がりとかその後の復旧に随分差があることは承知しております。私、地震調査に二十七回ぐらい行っております。これをどうやってタイアップ進めていくか。  現状では、今、島崎さんが言われた、都心なんかでは住民側の立ち上がりが少し遅くて行政が走っているという状況、これはもうちょっと住民サイドに頑張ってもらわなきゃいけないなと思っておりますが、それでも私は個人的に、これ、ちょっと誤解を受けるんですが、災害のときやっぱり、あるいはその事前対策なんというのは、行政にしっかりした人がいるかいないかというのが本当は一番効くんじゃないかと思います。やっぱり、そういう意味では最後は行政に頑張ってもらいたいと私はいつも申し上げています。  それから、NPOをどんなふうに定義するかが非常に難しいんですが、少し幅広く考えさせていただければ、私が今努力しておりますことは、先ほど申しました応急危険度判定の制度なんでございます。阪神・淡路大震災のときは全く組織がありませんでしたけれども、私、いろいろ走り回りまして、既存の建築関係のいろんな団体、法人に声を掛けて、延べ三万五千人ぐらいのボランティアを神戸に送り込みました。その後、これを何とか定常的にしたいというので、まだ法人格も何も取っておりませんけれども、百ぐらいの団体の連絡会などを作りまして、大きな災害があったら判定士をほかの地域にも送り込むという準備を今しておりまして、そういう仕組みが大分出てきました。  それも実は最後のところは行政がそういうところを旗を振って、我々も動けますけれども最後のところは押さえて事前対策の中に組み込んでおいてくれないと今の日本の社会では災害直後の立ち上がりあるいは救援というのはできないんじゃないかなと思っております。
  38. 大仁田厚

    ○大仁田厚君 ちょっと質問じゃないんですが、ちょっとだけよろしいでしょうか。
  39. 加藤修一

    委員長加藤修一君) 大仁田厚君。
  40. 大仁田厚

    ○大仁田厚君 済みません。ありがとうございます。  岡田先生、僕は、これは質問事項じゃないんですけれども、先ほど阪神・淡路大震災のことを言われましたけれども、あのとき防災意識というのは僕は物すごく高まったと思うんです。ただし、どうしても人間、のど元過ぎれば熱さを忘れるじゃないですけれども、やっぱり数年たった今、現状においてそういった意識というのはどんどんどんどん風化していったと思うんです。その上で先ほど質問をさせていただいたんですけれども、やっぱりそういった意識改革、災害に対する日本人の考え方というのをどんどんどんどん先生方がいろんな人に講演していただき、またいろんな人に伝えていただき、広めていってもらいたいなというのが私の考えであります。  どうもありがとうございました。
  41. 岡田恒男

    参考人岡田恒男君) よろしゅうございますか。  全くおっしゃるとおりだと思って、努力したいと考えております。  七年たって大分風化してきました。今朝、私、ほかのところでちょっとお話し申し上げた、ただ最近また少し手ごたえを私感じているなということを申し上げたんです。その辺は、例えば東海地震の対策で震源が見直されたとか、あるいは木造住宅の支援制度ができたとか、何かちょっと手ごたえを最近感じてきたという話を午前中してきたばかりでございまして、努力したいと思います。  ありがとうございました。
  42. 山本孝史

    山本孝史君 先生方、今日はありがとうございました。  島崎参考人塩坂参考人にお聞かせをいただきたいというふうに思いますが、地震が起きるメカニズムがいろいろあるということも分かりましたし、それを予知することが非常に難しいということもよく分かりました。ただ、私も大阪におりますので、阪神大震災の状況を見ておりまして、あれは野島断層が動いたということですが、物の見事に同じラインで家が壊れていくということで、被害が起きる地域、阪神と大きく言っておりますが、本当に影響が出た地域はよく分かるわけですね。同じ町中でも、一町隣に行きますと全然被害がなくて、隣の家、なぜ壊れていないのかと、こう思うような家も一杯あるわけですが、そういう意味でいきますと、断層が動くといったようなことで、この地域、もしもここが動くと、動く可能性の高いところと低いところがあるんだと思いますが、もしも動くとこの地域がこういうふうに被害が起きるだろうという辺りまでは想定ができるのでしょうかというのが一つの質問でございます。  もう一つは、塩坂先生がおっしゃった点で、これは島崎先生も是非お考えがあればお聞かせをいただきたいんですが、どの程度富士川断層のところでの動きをレーザービーム等で測っておられるのかちょっと私分からないんですが、もしそういう地殻の変動を今GPSでいろいろ測ることができる、五十キロ離れたら駄目だとおっしゃったので、もし五十キロ単位で日本列島全域を衛星等を使いながら地殻変動を監視をしていったとすれば、もう少しどこかで地震が起きそうだというような予測をすることは可能になるんでしょうか。  その二点について是非お聞かせをいただきたいと思います。
  43. 島崎邦彦

    参考人島崎邦彦君) お答えします。  最初の方でございますけれども断層がずれて活動をした場合に、ある地点でどの程度の被害になるかの想定が可能であるかどうかということですけれども、現在、地震調査研究推進本部では地震予測地図というものの作成を行っております。これは、陸でいいますと九十八の活断層帯がございますが、これについて言わば長期予測と申し上げますけれども、今後三十年間にそこで地震発生する確率がどの程度であるかということを評価し、またそこではどの程度の大きさの地震が起こるか、さらにはその地震が起こることによってその周辺でどのような揺れになるか、震度幾つになるかというような推定を行っております。これを単に個々の活断層ではなく、陸域の主な九十八の活断層について行うだけでなくて、それ以外の地域でも起こる地震についてもある程度予測を行うとともに、海溝で起こる言わばプレート境界型の地震についても予測を行って、すべての考えられる地震に関して、特定の地点でどの程度の揺れが今後例えば三十年間に起こるだろうかということを推定することになっております。  ですから、最初の御質問に関しては、そのとおりでございます。イエスでございます。  二番目の御質問ですけれども、現在、GPSはほぼ二十キロメートル間隔に日本全国存在しております。そして、このGPSの観測網ができる前、地震学者がどういうことを考えていたかということを申し上げますと、この観測網ができれば、恐らく地震の前にゆっくり動き始める、その動きは必ずやとらえられるであろうと、必ずやかどうかは別として、かなりいい観測網ができたというふうに考えました。  実際、その後非常に大きな動きが四回、ゆっくりした動きがとらえられております。最後の四回目の動きは先ほど御説明しました浜名湖周辺動きでございます。それ以外の三回のうちの一回は、三陸はるか沖の地震の後にゆっくり動きが続いたという動きでございます。それ以外の二回は、一つは房総半島、もう一つは豊後水道付近で、いずれもゆっくりした動きがとらえられました。このときは地震は起きませんでした。  私どもは、まだ理解が十分至っていないんだと、また新しい観測をするとやはりまだ新しく学ぶことがある、そういう状況にあると考えております。  以上です。
  44. 塩坂邦雄

    参考人塩坂邦雄君) 二点、御質問がありました。  一点目は、活断層、例えば先ほど野島断層等が動いたときにああいう明らかに差が出ていたということで、どのような範囲が推定できるかということですけれども、まず一点、野島断層活断層なんですが、活断層が動いて地震が起きたというのは私は間違っていると思います。野島断層は地上に出てきますが、あれが動いているわけじゃないんです。あれにエンジンが付いているわけじゃないんです。地下十キロとか二十キロの震源断層というところで地震が起きて断層がずれてそれが地上に現れたのが野島断層活断層なんですね。だから、あれが動いたわけじゃないんですね。  次は、どういう被害の差が出るかというと、例えばここが、机と机の間が断層だとしますと、岩盤ですと、これがまともにこの上でありますので、建物がここにあってもつぶれません、こっちは。ところが、この上に堆積物、土砂とか砂とかたまって厚くなってくればくるほど、この地上のところでは影響が四十五度、こう出ますから、範囲が広くなります。ですから、堆積物の厚さによって違ってきます。  だから、富士川断層の場合は、安政のときには調べてみますと断層挟んで二キロ、約四キロ、この間は震度七ですけれども、それを外れるとそんなに被害は出ていません。そういうことです。  それからもう一点は、先ほどの我々の光波測距儀のシステムが五十キロまでということだったんですけれども、先ほどお話がありましたように、GPSというのが全国にもう何百か所もできておりまして、これは二十キロ単位ぐらいで確かに測っております。ただし、じゃ、そのGPSの三角形の中に活断層が幾つあって非常に活動性のある断層がどこなのかというのを特定しないと今度は私どもの診断のシステムは余り有効じゃないんですね。ですから、まず私どもの場合は、活断層を特定し、それをまたいで距離を測るというシステム日本列島全体がどのようにひずむかというGPSと二つを有機的に結合させれば非常に有効な手段だと思います。
  45. 谷林正昭

    谷林正昭君 どうも御苦労さんでございます。  島崎先生にお尋ねするわけでございますが、一つは、切迫性が高い、あるいは、切迫性という言葉がよく出てきますけれども、この切迫性のよりどころというのはどういう、数値で表せないものかどうか。そういうものが非常に、国民というのは予言というのは非常に信じたりあるいは興味を持ったりするわけでございますけれども、その予言によって風説が流れたりあるいは妄動したり、国民が妄動したりしないように私はこの大震法というものが一方では作られたんではないかなというふうに思っています。そこで、その切迫性のよりどころがもう一つ国民にしっかり知らせられるならばもっと理解をしてもらえるんではないかなというふうに思うのが一点でありますし、そういうものは数値で表せないものかというのが一点であります。  それからもう一つ、先ほどの御意見の中に、もしこの切迫性が言われる年数の範囲の中で起きなかったとしたら次のサイクルに入るのではないかというふうな私ニュアンスで取らせていただいたんですが、その次のサイクルというのは一体どういうことなのか、少し詳しくお聞かせいただきたいと思います。
  46. 島崎邦彦

    参考人島崎邦彦君) 切迫性のよりどころでございますけれども、恐らく今皆が、皆がといいましょうか地震学界といいましょうか、地震に関係している者が感じている切迫性のよりどころは、東海地震前兆でそれをとらえて警戒宣言を出そうとしているのと本質的には同じ現象が、ゆっくりではあるけれども震源域からちょっと西の方ではあるけれども、それがここ一年ほど続いているということに尽きると思います。  ただ、それを数値で表せと言われてもちょっと、可能性が何%というようなことは数量化できないと思います。我々、いかにもそういう意味では経験に欠けていると言うしかありません。  それから、私が申し上げました次のサイクルに入るかもしれないということは、東海地震の現在の大多数の了解は昭和十九年の東南海地震の割れ残りであるという了解であるわけです。ですから、なぜ、理由は別として、とにかく残ってしまったのでこれを片付けないと次のものが始まらないという考え方であります。  ですから、東海地震が最も可能性の高い地域だとされているわけでございまして、これが次のサイクルに入るということは、東海地震が残っているというのではなくて、前の地震のときには東海地震を外して済んでしまったということでございまして、次のサイクルは東海地震だけでなく、その隣である東南海地震といいましょうか、潮岬の先から浜名湖の沖まで、あるいは潮岬から更には足摺岬の方の四国の方に至るまで、そういった全体が新たに活動を始める。これまでも全部が一遍に壊れるという巨大な地震が起きたこともありますし、三十二時間離れて最初東海地震が起き、次に南海地震が起きたと、こういうことがございます。あるいは、二年離れて起きたということがございます。大体はペアになって起こるわけでございますので、次のサイクルというのは、東海地震だけに注目するという段階を過ぎて、すべてに注目しないといけない、そういう段階になると、そういうことでございます。
  47. 宮崎秀樹

    ○宮崎秀樹君 それではもう一回、私、お尋ねします。  なぜかと申しますと、私が先ほど冒頭お話し申し上げましたのは、政府の方では、東海地震については予知ができるというようなニュアンスのことを既に新聞紙上なんかで言っているわけですね。ところが、今日お話伺うと、全くそういうことは難しいよというふうに受け止められるんですが、防災白書を見ましても、予知に関して十六億何がしかを始め、地震に対して相当なお金を今つぎ込んでいますね。一方、塩坂先生のようなところで、ボランティアでやってお金がないというようなことがあるわけですね。  やはりこれは、私ども、これからまた政府に対して、いろいろまた行政に対して申し上げにゃならないということが今日分かったわけでありますが、今後やはり総力を挙げて、せっかく作ったこの予知の政府の会があるんですから、で、島崎先生はそこの委員をやっていらっしゃるということでございますので、これ、やはり難しいんなら難しいということをはっきり言って、東海地震は別ですよと。しかも、気象庁の中にあるこの会は、これは先生も冒頭、これはまた別なものであるけれども、しかし、それも非常に予知するというようなことは不可能だという結論ですから、これはそこの仕切りをしっかりしておかないと、国民はただ迷うわけですね。この議論が外へ恐らく漏れたら、これはまた不安になりますよ、恐らく東海地震のあの地域方々は。  ですから、そこら辺のことは今後どういうふうにお考えか。これは時間がございませんので、簡単に、どう持っていったらいいかということをお伺いしたいと思います。
  48. 島崎邦彦

    参考人島崎邦彦君) 私は、東海地震予知ができないと申し上げているのではございませんで、何回も繰り返し申し上げますけれども予知できる可能性もあるし、できないこともあり得る、両方であると申し上げているのでございます。そして、要するに一〇〇%できると保証はできないと、そういうことですね。同じことを言っているんですけれども。  それで、私が委員をしているのは、予知できる可能性があるからしているんでございまして、是非とも予知したいと思っているわけでございます。そのところは繰り返し申し上げさせていただきたいと思います。
  49. 加藤修一

    委員長加藤修一君) そのほか御質問ございますか。  私から一問だけ質問をさせていただきたいんですけれども島崎参考人にお伺いをしたいんですですけれども、先ほどの話の中に、ペアで起こる可能性があると、新たに活動をし始めた海溝型の地震のところもあるという話でございますが、東海地震につきましては、蓄積されたエネルギーをどこかで跳ねる形で出すということですけれども、これは、じりじりと行って、少しずつエネルギーを出して、それで終わるという可能性もなくはないという話も聞いたりもいたします。  一方で、待ちに待って東海地震、それから東南海地震、さらに南海地震と、この三兄弟が一緒になって、徒党を組んで発生するという確率も考えられると。そういった意味では、これは広域対応だけじゃなくて、この三つを連ねた超広域的な対策、それに係る大綱ということも作っていかなければいけない、そういうことも考えられるんではないかなと思いますけれども、この点についてどのようにお考えでしょうか。起こる可能性の話になってしまいますけれども。  もう一つは、岡田参考人にお尋ねしたいんですけれども、今、三兄弟の話いたしましたけれども、そうなってきますと、従来広域で対策をしていたことに、更に三つつながった形で対策をしなければいけないという意味では、非常に広範な、あるいはかなり濃密な対策をしなければいけないという話にはなってくるかなと思うんですけれども、この辺について、将来的にどういうふうに考えるか。今から対策をすべきなのか、あるいはそういう確率性は、島崎参考人の方を私は察しますと、それほど起こる可能性は少ないというならば対策をしなくてもいいのかどうなのか、そういった面についてお二人からお話をお伺いしたいと思います。  先に島崎参考人からお願いします。
  50. 島崎邦彦

    参考人島崎邦彦君) 東海地震のエネルギーが少しずつ何らかの形で出ていって起こらないということはあり得ません。エネルギーが大変大きいので、なかなかなことではそれを出すわけにはいかないのであります。特に東海地震から南海地震まですべてが、今、三兄弟と言われましたけれども、これがすべて起こるということは、日本で使っている全エネルギーですね、電力エネルギーの何と二年分のエネルギーをその地震は必要とします。これを小出しにするということは到底不可能でございます。  東南海地震については、今後三十年で発生する確率が五〇%、南海地震では四〇%という形で地震調査研究推進本部から公表されているとおりでございます。そして、これらに対しては、東海地震のように、前にゆっくりずれたという証拠がございません。ですから、東南海地震あるいは南海地震については、東海地震と同じ体制が取れるかどうか、これは十分議論をする必要があろうと思います。私は、やや難しいのではないかという考えを持っております。  それから、実際には大変広域にわたりますので、これをいわゆる警戒宣言というような体制であらゆるものを止めてしまうということが果たしていいのかどうか、これはかなり国民的な議論が必要な問題ではないかと、このように考えております。
  51. 岡田恒男

    参考人岡田恒男君) 私は、地震そのものは研究しておりませんけれども、大変興味はありますし、地震をやられるグループがどんなことを今おやりになっているかというのは、対策をする上でも勉強しなきゃいけませんので、いつも注目しているつもりであります。  その観点から見ますと、対策側は、地震をやっているグループの方々が三十年以内に来ないと言われても、柱の太さを三分の一にするなんて、そんな恐ろしいことはできませんので、やはり来るつもりでやるのが対策なんです。それで、予知できるとか、来ないことが本当に分かったとか、これはもうラッキーなことだというふうに進めるべきだと思っておりますので、僕は、東南海地震対策にしろ南海地震対策にしろ、もう始めないといけないのではないかと。あした来るぞと言われても間に合いませんので、本当は少し、大分前から来るぞと言ってくれた方が対策がしやすいんです。それで、ちょっと外れて、来るのが遅い方がうまくいくわけですから、そろそろ私は個人的にはやらなきゃいけないと思っておりますし、事実、内閣府の中、中央防災会議の中でも、もう既に東南海地震南海地震を対象とした専門調査会でき上がって検討が始まっておりますので、そういう時期に来ているのではないか。東海地震しか起こらない、ほかはもう大丈夫だなんということでは対策は恐ろしくてできませんので、ほかの県の方々も相当注目してやっていただかなきゃいけないんじゃないかなと思っております。  三つ一緒に来るかどうかというのは、まだ私はそこまで考える余裕が、もうちょっと手前の段階の対策が遅れているんじゃないかと思いますけれどもね。  以上であります。
  52. 加藤修一

    委員長加藤修一君) ありがとうございます。  予定の時間が参りましたので、本日の調査はこの程度にとどめます。  参考人方々に一言御礼のごあいさつを申し上げます。  参考人方々には、長時間にわたり御出席をいただき、有益な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)  本日はこれにて散会いたします。    午後二時五十九分散会